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國民經濟學の更生-香川大学学術情報リポジトリ

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(1)

はしがき

次に羅山する妄は、声苧kn∵ヮ∴票;白及び芦GrOSSl室=D星⋮正編仰の叢讐〇rJ⋮gderヨーーsc邑こ の第W巻々礁忙、﹁苦等の問題﹂として教表せられた編纂老の雷光である。 ォィヶン教授は、ス九〓年一月十七日有名なる哲聾者ルドルフ・オイケンの息としてイエナK生れ、ベルリン

大挙、チュービングン大拳の教職を経て、現雷フライブルク大挙経済科教授の地政に在る。最近の労作としてほ、

只毒i邑tF20邑isOFe亡牢記uL⋮n讐n二3ヰがある0

理論踵野望の破産が叫ばれて綿々久しきに波つ芝﹁日、経臍聾者は之を如何忙敷皮せしめんとするのであるか。この

課讐の妄管して、オイケン教授の主張は、蒜興味深く讐らるべき償値ありと信ずる。評者が嘗って教授を

訪ふた時、教授は、自分連は今字21ぎgウニc邑2を建慧んとして意気込んで居るのだと語られた。その主張の雷 管は別として、猫逸現在の経警蒜の申に、かかる蒜の主張も存在すbことば托日に催するであらう0

法律革と観民経紳蓼は、苧じて事象の背後に被行し、建設的助成をなさす、従って録早何等の文化的勢力たり

弄十こ春 希圏軟

国民経済学の更生

大 泉

ハニ仙四八︶ 六〇

(2)

得ないとの非難は、今日、あまぬく行はれて居る朗である。けれども、不用意に下される此の桂の批判は、事態 の盟野性を根本的に誤解するものと碧口ひ得る。蓋し、猫乙では、之等二科挙が、法律改発並に経済政策の根本的 決定に、雀質的影響を輿へぬことは事賛である。然乍ら、之盲以て、そは従来も常に然りきと詮くはiEしくな い、∴皆て法律拳と国民経済畢は建設的勢力であつた。十八耽紀末葉以来、あらゆる文化園に現はれたる、法律及 び経済秩序の建直しに敷き影響を輿へたるが如きは、その仙例である。やがて十九世紀が過ぎ、二十倣紀の初頭 に及ぶ匿至つ七、之等二科単は、社命生活虻於ける指導的地位を漸次失っていったのである。 〓 此か二料率失墜の結果は ー 何等の疑問の飴地なき如く璽甚だしく有害であつた。抑、科挙者は、経済的利 零細傾から超然たる科挙者としての天職と地位によつて、唯仙人の客観的且つ不輔弼立なる助言者であり、経済 生活の迷路に立って、樹家の経臍政策及び輿論に封する讃切なる洞察を輿へ、以て、粧酪政党的判断構成の基調 を提供し得べきものなのである。且つ叉、料率者は、諸関係に就ての適切なる認耗 − 喘績的な新翔論的研究に ょって、常に撰大筋化しゆく認識 − の基礎に立って、特殊的・直接的経済的利害関係から解放せられたる客翫 的判断を構成し、而も之を提案し得る唯一の人々なのである。 料率が、こ.抄役割を他郷し或はそれに失脚すれぼ、非専門的な他の助言者が科挙に代位する ー 即ち利害関係 国民経済畢の定盤 ︵三四九︶ 六一

(3)

発十二巻 第四躾 ︵ニ孟○︶ 六二 者達に外ならぬ。之等の人々は、各自の職業的分碑に於ける技術上の細目に就ては、専門家たるに相違ないが、 基経済的相耳関係の判断に就ては、それ程に亜門的ではなく、叉斯くあり得ないことは常然である。加之、その 人ケ鱒通常知らず知らずの裡に誘はれて、自己の利寄状態に剃袖せられ、臓柴約分派の繁発と奉職経済の畿展と ・を取り違へるq若し閲家が、この人々に耳を傾ける時は、経済生活の贋汎なる細緻的原理認識に立ち、粂牌秩序 の中に入り込み、そこから意義を受取ってゐた従来の経開放質的・法律的決定の地位を、今度は、硯蜜の組織考 療に反勤し、或る支配せられたる秩序から凧偶の混乱を誘導し勝ちな決定が取って代るのである ー 即ち之は、ゝ ・本叢書の各怖が、各自異る角度から開明する朗の過程忙外ならぬ。山九三先年に、A一句○邑ヨannは誌して言ふ ↓今日、世界至る所に経験してゐることは、理論に封する、殆ど致命的破産富骨に外ならぬ。それは、大部分の 国民粧臍的問題を、低級なる私経済的経験によつて﹂解決せんと欲するものであると。 されば、本叢寄の編杓者は、軍に科挙的興味の鮎に止まらず。進んで、礪乙輔民の辟臍的利益といふ鋸で、緊 迫せる諸問題のために協働せんと欲するものであり、狂いて、法紅の二料率をして、それに相應はLき地位を快 復せしめんと庶ふものである。之が達成のために、共力寄興せんとするのが、本叢書の⋮眼目である。 然らば、この目的は如何にして達成せらる1か。之等二科拳をして、再び建設的勢力たらしめんがためには、 何が惣されねぼならぬか。−之に封する本釆の答は、叢書の各腐究自憾の中た異へられて屈る。蓋し、特殊封 象を把へて研究する時にのみ可能払る科拳的プログラムを、他物把依って設くことは各く不可能なことだからで

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ある。この序説で富ひ縛ることは、研究の内容に就てよりも、寧ろ精帥的態度、即ちそれを以て、この問題に直 諭せしめられねばならぬ其の態度である。然し、この態度に就て、之を明確に把恕せんとすれば、吾等は先づ、 泌律畢及び蜘民度臍塾の、澗乙園民生活に於ける指導的地位失墜の原因を想起せねばならぬ。 三 澗乙に於ては、十九せ紀む通じ、法律畢と閲民経済螢は、科挙及び科輿以外の全思想に強調せられた文化的逼 勤即ち歴史主義に影響せられた。固より猫乙にも、その反封傾向がなかつたのではなかつたが、歴史幸壷諒今日 に至るまで存命トてきた。歴翠玉義は二偶の科挙恩想たるに止らず、進んで二偶の決定的科挙的態度を指示す る。浪翠玉轟と歴史沢とは、法律経済の二科挙に存する、自然的組絞わ信仰を破壊した。蜜壷と鈷活自在とを摘 へんとして、正笛に努力してゆく時、叫切の人間的制度、人間的表凌及び概念の可攣性に出合はねばならなかつ 尭﹀。この敬展の思想は、法経二村襲にも授潤した。法律と総務を、歴史的生成に立って、かく押合することによ ㌢、料率の水準を凍大したことは疑ふ故地がないであらう。この鮎に、Sa恩n︸−訂s叶その他の人々の不滅の功 績が存在する。然L叉、歴史的琴勤は†二科挙を甚おしき危険に陥れ、而もその危険たるや、初めは横顔に、さ り乍ら漸次弧烈に援助し始¢二一料率の地位、即ちその存在を探刻に脅威するに至った。かくて淡路二科挙は、 虞班把捉の楔機たるべき所謂アルキメデスの剛瓢︵根基︶を失つたのであつた。 国民繹臍畢の定盤 ︵≡五一︶ 六≡

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第十二春 男四躾

︵ニ嘉こ︶ 六四 Sふny冒﹁準禅は民族と北ハに生成し、民放と共に完成し、民族と北ハ鱒死滅する如く、民族も亦その特質を

失ふ﹂と。﹁立法家の任意によらす、内面的に且つ静穏に作用する諸勢力によつて﹂法律は形成せらるべきもの

であると彼は考へ、彼の時代否蒜の時代に封して、立法家の職業を否定した。この態度は、内面的・静穏なる

作用誓つて蕉寄の如く思はれたが、事蟹はーその後の事態に見る如く11産廃危瞼なるものとなつたヤ蓋

し、その結果、相封、芸と隠命砥が、そこから族生し、数代に官つて今日に至る愛で因、弼乙法律単著の法律政

策態度を支配してきたからである。

相封主義。

法律的歴史羞は、漸次その個々の立脚鮎を失ひ、唯僅か忙、法律東材の史的交替をのみ親祭し、途には、法

繚理念は直ちに法律素材に追随すてふ思想に到達した。従つて、法律捷念も亦相剖化され、その地歩を失ふに至

った。内面的且つ静穏に作用する摺勢力一意法は之に慶庵すべしとSa息n︸は考へるー﹂しは、十九骨組を通 じて、根本的に其の特性・姦化L莞即ち強大なる経済的勢力群が高度に後生し、極度に偏って法律を形成し

た。例へば、従寒行はれたる債務法の重賓部分の、既く経済領域に行施せらるゝのを無効とする勢力群によつて

構成せられた、引汲並に支梯條件を想起せられよ。法律撃と判決は、少数の例外を除き、この極めて有害なる磯

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ノ\

展に、敢て反封しなかつたのである。躍消に関する自然構成の法律は、脛史的蟹展の必然的教生と宥倣され、従

来、如才なき専門職乗法禅家により支持せられ釆りたるものであり、向後と鞭も郷間様であらう。膵史的賛展を

l只管穐封成し、他には何等の基調的規範をも知らない法律が、何すれぞ、這街の崎形を、誤謬として認識L得や ぅぞ。仙切の科挙的、眞賛なる法律批判は、か1る相封主義の下では萎縮せねばならなかつた。

上米、宥諭の裡に、吾等は既に他の危険に咽れつゝある。而して、この危険に歴史派及び法律酢倉盛疲が屈服

したのであつた。荷命親が即ち之である。串然拉思想に射する闘争に於て、Sa身nyほ常に主張して言ふ、法 律家の見解と琴志は、彼の民族及び彼の時代の勒念と生活関係元結びついて居ると。法華の重患苧−由へぼ DiOk訂tian以後のローマ帝姐十卜←鱒督って、訟単者は事嘗何等の創造的勢力を示さなかつ寛之に反して、そ の隆盛期にはj例へば紀元﹁二世紀に於ける如く∫その時代及び民族の法律思想と法律制度を形成したも のは、とりもなほさすローマの淡単著であり、延いては、民族の珪渾開係に根本的影響を典へた。然し、Sa身ny

の法的宿命醜は、その時代及びそれ以後の時代に適合したのであつた。殊に、控臍的寄驚は法輿者にとつて、不

易の寄賢であ.り、法律はそれに自ら適應すべきものと考へられた。一﹁剛民各個聞の私的関係の秩序としての、そ の時ノ∼の私法は、常にその時々の配合的経酒的事賓を表示する﹂︵G註且との、有名なる見地に立つ時、料塑 的法律政束の間題は、次の鮎に存在し得る。即ち、時に應じて、最新の敢禽的摂関的萌蜜を決盤L、かゝる事賛

に封する法律の順應を鍾東するといふ鮎之である。法聾者は、かゝる宿命的態度に立つ時言ハ々経済相係に追随

国民経済盛の質草 ︵≡五三︶ ﹂ハ五

(7)

︵三五四︶ 六六 第十二巻 第四鶉 し得るに過ぎす、建設すべき何等の力も感じないのである。例へぼ、カルテルの形成は、山八九七年二月四日の 決京的にして而も不車なる判決以来、叫佃不易なる寄贋として受入れられ、確定せるカルテル判決を通じて、エ 菜秩序の思想を適用せしめんとするが如き企は、一向になされなかつた。或は叉、経済的勢力群が、眠制的、国 家的律法の密接を停止するに成功した株式法を想起せられよ。法敵撃と判決は、只管、現賛の総柄竣展を宿命と して受容れんことに専念してゐたが故に、株式法の分解は、弼乙国見をして、その有害なる結果を負櫓せしむる ことになつたのであつた。 五 ﹁資本主義は、如何なる場合にも、ノ法律に従ひ、漆律を毯へ、而して法律に封抗Lて、自己毅完成する手段方 法を牽見し来りたり﹂ゾムバルトは、屡てか1る立言を以て、贋く行はれる時代思潮に表現を興へた。彼の立 言は闘民経済聾者としてゞある。蓋し、閥民経済蓼に在つても亦、周知の如く、∴燃匁的考察は礪乙で完嘩せら れ、ひとつの宿命的、相封的態度を、輿界改代に渡ってンもたらしたからである。詳言すれぽ、胚変涯経酒興の中 には、二個の薬園があり、その︼は、過去より現在にかけて、桶命親によつて、殊更強く影響をつけて屠るもの であり、その二は、寧ろ相封主義によつて特徴づけられて腐る一両して二者は多ぐの鮎で相通ふものがあるの である。

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六 さて右の痴一のものは、呂賀舛を以て囁矢とするとは富はれぬが、彼によつて、最も有力なる別棟をうけた。 已ar舛は、現春敢愈の教展法則を信頼する。彼に在っては、歴史主義と自然主義が、自ら融合して屠る。資本論 の序文で彼は音ふ﹁暇令、仙佃の風合が、自己畿展の自然法別の方向を畿見した上してもー而して近代耐命の 経済的運動法則を開明することが、この仕事の肢絡自的であるが −社食は、自然の獲展段階を飛躍させもし得 ないし又その存在を否定することも田楽ない。然乍ら、計禽は生みの悩みを縮減し綬和することは出来るので思 る﹂と。資本主義配合元於て、必然的に作用する蟹展傾向を確立し、その成就を容易ならしめ、それによつて、 資本主義の死滅過稗を短縮せしめんとすることは、最早料率及び政策の存在を許さないひか1る荷命搬に基く蟹 展的否寧ろ衰退的信仰を、焼く達成せんと力むるものは、慮甘/竃ar舛には限らない。今日椅、多数者にとつて、 之は彼等の立場に封する自明の基礎である蔓即ち之ば、T峯K邑s誌の人々まで及び、山九三三年まで庖、蘭 年に有力なる影響を輿へたものである。この場合、唯一の問題となるのは、やがて自ら爆磯すべき新しき牒のゝ 兆候を蔑見し、牌釆を期待し手帳令好ましからぬものに見えやうとも1この牌来のために準備工作すること である。この宿命的歴史親から、疲れ娘てたる諦観的態度が生じ、崖て 英雄的態度にあこがれるのである。 ﹁運命が、彼等のために如何なる道を選持したかの竣見﹂が、例へぼSpen甘ぺにとつて、西洋文明の没後の大説 開展繹潜拳の夏生 ︵三五五︶ 六七

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第十二巻 第四渋

︵ニ妄六︶ 六人 個とし.て存在するのである。宿命鶴と懐疑は、常に間近く互に瞭はる。かゝる基底に意づ時、帝象の傭然たる遷

膚に劉抗し、或妓二偶の理念のために地歩を擁するが如きは、徒労にして愚かなることに思はれるのである。

我等は、歴史的宿命翫を、それがあるが愛ゝに、即ち或る轍の智故人の翳鮎として受容れんためには、充分歴

史家降るものであるり蓋し、彼等の精神は、不安を感じて居るが散に、裔物の形成に常つて、最早、力をもたら

さす、観察者の役割に退却する。彼等の態度を決定するために、彼等は甚だしく非硯質的な膵史的諸組織と教義

を研究する。就中、歴史構成曙関する諸勢力のおびたゞしき多様性偲誤解せられ、摺命論者がその重恩想と意欲

を傾けんとする橡見なるものが、殆ど常に不常であることば、必すしも偶然ではない。欝r舛は夙に、解史的映

像の、到底許し難き箪純化を敢行し、技術経済的敬展を以て∵仝駐史的生起の唯去る決定者と欝倣し、かくし

て配合的、政治的、精紳的生活の一切は、﹁上隆盛築﹂とトて現はれると侵すことによつて、彼の宿命的費展挙

詮に到達し待莞同時に彼は、彼に近接する鐸依宥懲越えて、更に遠くまで影響を輿へたのであつた。﹁今や我

等は次の瓢を明記せぬぼならぬ。即ち劇投的に椒て、政治的事象は、経済的蟄展の進行に勤して決要約なもので

はないのであるが、特に資本主義の敬展は、敢近数世紀の政治的大革命には、契事に且つ完全に依存して居らぬ

といふこと串である﹂︵S呂訂邑。この命題は、疑もなく、歴史的に鍔謬である。これは、政清的・囲家的現資

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の些力に封する、驚くべき嘗冒示すものである。例へば、ナポレオン、シ言イン、ビスマークの各時代、せ

界大戦に至るまでの時代、大殿を終結せしめた平和催約、最近の闘家構成の攣遷、之等に封して内外の政治的審

\賓は、脛臍的運行を決定したのであつた。固より、閑寂的事象と紅臍的事象との交甘作用を荘和し認識せんため

には、ちの非基規約な、展に習癖的な歴史棚察が必要である。蓋し、罫象は、問と時代を異にするに應じて、

異なる様相を以て現はれるからである。蓼即ち、閲家的・政治的側面及び紅臍的側面の各々に、嘗つて作用

し、今日梅作用する紹勢力の登に應じて。任意に軍縮化された歴史観は、之讐切のものを認識することが招

来ない。彼の宿命槻は歴史的牌験によて打ち建てられず、生活力たらんとして、反って科挙の力を蹄崩ならしめ

る。粍帥が、事資運行の前に躍座する時、どうして、それが寄寛を形成十得やうぞe

猥乙囲民経済的歴史主童はーー上氷痛示せし如く憂もう叫つの、忘有力なる秦流を敬展させ、それを我々

は簡革に相封主義的思潮と名づけた。此の沢の党端に立つものは、SchmO−−雫であり、弼乙民族の贋恥且つ貰大

なる部分の経臍思想に靂彼自身及びその追随者によつてー今日に至るまで、引緩いて影響を輿へて釆た。シ

芸ラーは、経済政策就中敢愈政策に思を秘め、閻民経臍単をトて=佃の遺徳収集塾たらしめんと欲した。彼

は叉、労働問題、営業法改革、住宅問題、保護開梯問題等にも自家の見をもつてゐた。彼は、何びとも欺掘的に

周艮塵瀦盛の夏生 ︵≡五七︶ 六九

(11)

︵三五入︺ 七〇 第十二巻 第四舵 は閑興し得ない歴史の猫制約進展を信ゃることなく、好んで歴々槻家に助力を仰んとした。 それにも不杓、シュ号フーは、その時代が欲するものを、何一つ提供しなかつた。猫乙に於て、囲民綬臍挙 が、炭資、建設のために役立ち得た往日の力を失ったことについては、シュモラーも亦その茸を分たねばならぬ のである。然らば、その原因は郵過に在ったかが、兜づ間はれねばならぬ。 仙竺、−八七二年、シュ竺フー及びその僚友達が、労働問題の尖鋭化する目前で、ブィゼナツハに於ける、彼 等の計倉政策的務案を藷張した時、そこには鏑、規賓紺関係に封する原澤的論議の魅力が存在し、之が彼等にカ と影響力とを碓保してゐた。ここでは、経臍組縦が金牌として討議の封象となつた。然るに、この原理に到する 意気は、忽ちにして失はれてしまつた。試みに、仙八七七年の螢紫波改正に関するシュ警フーの講演を見られ よ。この場合、彼は特に自由競争秦荘と安協した。何等の原理的決定もなく、唯その場その場の決栗にすぎなか つ′た1之はその場合彼の主たぎ悩である。彼には、根珊的思索が、察甥的であり、困難なる悪弊の原因たる謬 \︺ 見であると思はれてきた。歴史的生成と史賛の多様性が彼に強烈なる印象を興へたことから、彼は相封主義とし て、二男り公娼的決髭は之を避けねばならぬと信じたのであつた。之に就ては、シュモフーが、常時及び今日に 於て唯二∴人の人ではない。殆ど至ろ所で、漸次、原珊的鳳索は、個別的課題及び思索によつて促された。シnモ ラー及び其の〓燕は、それ故に、現蜜的態度.を採り、班資政策のために、道を拓かんとしたのであつた。 然るに軍資に於ては、、彼等埜鱒坪原則を扱虚してしまつた。この根本からこそ、細民経済輿は、蜜践政策の大

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問題に封して、現賓鱒策的立場を定め得べきものなのである。問題の設定が既に剖叫的で、狭きに失する。例へ

ぼ、シュモアー及び其の派の人々の、粥占組織に劉する態度の如きは、明かにその特徴を示してゐる。弼占は、

前世紀の末葉数十年釆、漸次高度に、弼乙蜘民経済に入りこんできたものに外ならぬ。然るに、礪占耕轍によつ

て、経済の全秩序が破壊せらるゝことなLやの、原則的にして且つ同時に嘗践的に決定せらるペき問題は、唯異

に十瞥せられたに過ぎす、眞側には接地せられなかった。著し之が番されたならば、人々は、私的勢力集困を以

てする経臍の途わが・内患恩味するかを認識したであらうし、叉全輪議の水準を引上ぐペき有用な難所政策的規

準を政策し得たであらうし、更に又、後日教生すべき詔弊寮を預見し得たことであつたらう。さすれば、科挙は

叉この瓢で、その任務を成就したことであつたらう。然るに、歴史派は、凋占の革質を前にして、純然たる相封

主義的横合主義の申忙屈服し、中心間越の提起む避け、唯皮相の上にのみとどまつてゐたのである。従って、猫

乙に於て、最近牛世紀間、猫占組織はぉびただしく存在し乍ら、畢岡的に有用にして原理的なる論議に乏しいこ

ともいはれなtとしない。 問題を提起するエネル草−は、正しく之が、料率を日常の思惟から、水質的に分離させるものなのである。解

党派は、原理問題を無税することによつて、資質上、日常控駒以上に椚でることが出来なかつたのであつた。

九 囲艮播磨援の鼠生 ︵三五九︶ 七一

(13)

第二、膵哀的現鸞性を、その不断の蟹化裡に珊合し、之を見失はぎらんと努力したシュモラ1は、陶民経済塾 理論の抽象的思考方法を以て始めることを、重く知らなかった。この抽象貯方法の通用を保たすしては、鮭臍的 革質の紺路傍に超越する眞麗の¶つだに、望み得ぬことを知らなかった。附よhソ、彼にょる若干の、而して歴々 引用せられたる、研究への微意を嘉すやう堅一盈琴はある。然し、問題となるのは、かかる説明ではなべて、研穿 自惟である。不幸なことは、彼の指導の下に、喝乙圃民経酒聾者は、理論を利用し改良し、閲民経酒興約分析を 賢行することを忘却し去つたことである。従って彼等は叉、経簡約硯驚性を、その相互関係の上から埋合するこ とをも忘れた。彼等は、かくして展蜜なものにうとくなり、自ら魔力忌惜したその鋲謬む、進んで犯すに至つ た。慧し、眞蜜なものは、相草に並立して居る軍嘗の堆積ではないからであるっかくの如くにして、今日魯靡く 行はれる、礪乙総臍聾者の型が形磯せられた。即ち彼は、経済的炭質性のために努力するのであるが、自らは何 等知る研がない。彼は、理論的研究に敬意を挑払つ1も、自らは呵等着手し得ない。彼は、経済の構成に助成せ んと欲し乍らも.経済的諸相聯を洞察L得ないが故に、之をなし得ノないノ。かかる固民絆臍鬱は、あらゆる紆臍政 策的大問題正直而して、過去せざるを待なかった。例へぼ、インフレーション或は賠償問題に直面して。 シュモラー的刻印をもつ問民粧碑興は、結局一般的相対化の故に、立場を失ふことの寄賛を切驚には感じてゐ なかった。それは、刷般的進歩に封する開く行はれる信仰が、意識的又は矩宙識的に、之に安嘩を輿へたからで あるっシふモラーが、その大著﹁叫般圃民粧洒由﹂を結ぶに、仙椴的進化の信仰に判する堂々たる承認を以てし 第十こ容 第四耽 ● ■ ︵ニニハ○︶ 七二

(14)

たこと比、決して偶然ではなかった。口く﹁人間は、肉牒的に、精帥的に、道徳的に限りなく進歩しっづけて凍

りたり﹂と。之によつて彼は、彼の時代の子として、各経臍歌集が考隠せねぼならぬ所の、人間の悪魔的感情と

利己的本能宅如何に甚しく轄祓したかを知る。彼によれば、衰退時代は牌釆正春っても仙時的のものに過ぎぬ

之。混沌の危険なるもの撃破は知らなかつ駕この進妙への信仰、それによれぼ、繚臍秩序と経済脾展の硯蟹

的教展が、究機的に改善せらるるとなす信仰から、揮発、血切の横倉主轟はその立場を説明するのである。

かくしで澗乙では二科輿−﹂⊥軍律超と図民経開塾−−の内部に、相通ふ光景が過去及び現在に於て展開せられ

て居るソニ者はバ停潤し釆る歴史化のために其の立場を失ひ、正鵠炭質なる瑚念は相劉化せられ、攣遷してゆく

寄葦と思想に、只管之違はぎらんとする︶二科挙は共に、その結炎、精帥的筆端的勢力たゎ得なくなる。それは 途に御用拳問︵誰衛兵︶となるであらう。さすれば、控洒的勢力群は、彼等の利益を、益々数英的に蟹現し得る

であちう。料率的理解は、漸次大拳を趨へて、司法官、行政官その他の購い徹嘘吏で侵入してゆくのが常・である

が、今やそれ等の人々は、畢者の横倉的、非原理的態度に影響せられることになる。花水この二料率に於て、歴

史主義への反封が行はれた婁合にのみ、その安全とそのカとを保持しっゞけたのであつた。このことは、最近、

猫乙に於て二組蓼に封して加へられる批判、即ち側部は歴史尭義の精細から生じ従ってそれは偶伯なき批判にす

闘艮藤野撃の更生 ¢ ︳ ︵≡宍−︶ 七tニ

(15)

第十こ懲 弟四番 ぎぬのであるが、かかるものよりもはるかに強調せられねばならぬことである。 十一 す 批判的論議によつて、鴬等の目前に有料する課題が明示せられる。吾等は方針を示すために、楕極的批判を試 み、法律撃と経済鼻とに、相應はしき地相を再び獲得せしめんと努力せねばならぬ。 第仙、合珊的忠邦と創造的行動とンは、二放し難き封立物であり、思索は行動的エネルギ!従って叉行動の効果 を抑制するとの詮は、超人及びその創迫的原始本能忙関するニーチェの歓談以郊、臍く行き渡って居る信念であ る﹀﹁永遠なる無智﹂と併せて非良心的なることをニー≠エは、自ら英雄的行為者に希望する。合珊的考螢に反 して、旨目的に、情熱れ悪魔に身をゆだぬべきであると。 かかる戊指定の一切は歪曲せられて居り、史上に何等り許尤もなく、有害なる影響を由ふるものである。例へ げフリードリヒ大‡の如き人はかく考へるであらうっ政治家又は将軍は、明かに箇坤に通するから、誤謬によつ て退けられることば全くないと。若し彼が箪埋を充分明瞭に理解L得す、相互の路傍をⅢ碓に洞察し得ない場合 忙は彼を不安にした。世界の政治兜、軍事史上、偉人と呼ばれる人々の態度は皆同叫である。彼等の意力の不合 理なる勢力と理件力とが、共に鐸問題を克服したこと其のことが、彼等が偉大忙なつた所以である。唯、内所的 に如い老は、理性の中に脅威を認め、不安を覚え、支離渉烈となり、規賛と掛性の冷静な世界に封する不安か ︵ニニハ二︶・七四

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ら、不合理なるものの熱狂の中に、即ち熱病的興奮の中に、身をおどらせる。然るに蹴き者は、力の増大を感 じ、それによつて常に、理性む粗換せしめ得る。即ち、行動者を問続する曙韻を光明化する時に。而して叉︵彼 等の勢力チ段を導き入れる時に。上座面的経験に伐る此の確信から、利塑的理性が法律撃と圃民放臍畢の中に 渡展するやうに、経臍思想の建設及び新形成のために作用せしめんことを我々は欲する。 第二、土木眈に詳摘した如く、相判主義的不拘束性のために難船Lて居る解党主誠に勤しては、之と封照的 に∵原理的思想を提出せんと欲するのである。このことば、経済的個別問題が、ヨリ高き統仙の、部分的表現と 看倣されるとなすことに基く。経済の全領域が極めて密接に相互結合せらる∼が赦に、この際珊的観察は、希菅 に期する唯∵の鱒嘗なものである。仙切の具鰭的法律躍酒間確の取扱は、紆臍思想の珊念に泊ふて調教せられぬ ぼならぬ。それによつて、相封主義と無定見と番驚の宿命的受容が寛服せらる∼。 箪ニ、全く救酒の詮地なき、膝兜主薬の徹底的撃退は、それによつて、然し、歴史的寄質閲係を坪祓する意味 ではない。藷等が原理的問題を提げてそれに接近せんとすることが、歴史重義の成した桝よりも、反ってよく膳 史を理解し、〓鱒深く俊入し、W屠多くを単ぶであらう。膝史的経験1特に、現代、最近数十年及び最近数世紀 の経験トは、吾等の田讃すべき基調である。﹁歴史の裡から、何物をも知らうとせぬ着からは、歴史も亦、かか る人闇よれ何物をも知らうとせぬであらう﹂︵グリム︶り ∴不安定にただよふ観念の謬を通じて、軍資及び葦葦白組の要求に直癒せねばならぬ。紋所的準富者の概念、革 ︵一三ハ三し 七五

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第十〓巻 第四㌍ ︵三二ハ四︶ 七六 貰を克服する猫断、思索的支配を免れる天才的思想構成、之等の無用であるととは、恰も、利害関係者の相接燭 する観念の頻用なるが如くである.法律撃と経済単に於て、正しく今日、〓偶の品苧笑たる役割を埼じて屏る〓別 の概念的投械は弊奪がある。何ぜなれぼ、それは基埋と﹁炭質に期する無知﹂とに誘ふからである。吟味せらる べきは婁賓であつて、法律的経済的概念ではない。克服せらるべき、具牌約諾閉篭が存在するのである。嘗って ビスマークが嘲笑した現質に封する不安は、正しく曹等の分野に於て征服せられぬぼならぬ。炭質なるものに接 近し憂悶時に原理的たること。唯この緊張から経済組織の問題が理解せられ、二仰の解決に導かれ得る? 第掴、経番組織は、臨民経済生活の秩序に関する一個の政治的金牌的決定として、理解せらるべきで透る。㌃ の理念に澹ふての調整のみが、公私捷の大部分の解鐸に劉して、規贋に信憑すべき且つ決定的なる原郡の接待に 端緒を典へる。之は澗り基本原則忙のみならす、特に経済的なるものに開する特別法にも朽はれる。例へば、今潅 日まで、破虞淡は主として訴訟法的見地の下に取扱はれた。然し、この意坂は疑もなく⋮雰的であり、決して法 例の完全なる意義を示さない。破産法.か、綬番組織の血部として理解せられることは、棲めて必要である。而 も、叫偶の京大なる部分として。蓋し、破産法は、現存する企業が、何時、そうLて如何に、交通紅研から離脱す るかを決定するからである。かかる経済の秩序原理を理解したもののみが、叉破綻法をiその次誓牧縦が、 再び全経済組織及び生産指導に藍大開係をもつ破産法を、正賞に理解し得るので透る。蜜際法律家は叉、Ⅱし ︿、法律の経済組絨法的理愈を、軽祓することを許されない。債楯法、物櫛法、親族法、努働法、行政法及び加 \

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切諸多の法律領域に劉して −若干の部分的欒更を以てすれば一等しく適用することなのである。同株に、立 法的畿展忙関する法律政蟹も亦、常に経済相絨の根本思想を注沌せねぼならぬ。 然乍、法制を、終番組絞として理解し構成せんとする課題は、法律畢督が、紅番塾の研究に従事する時尤のみ 解決七得る。例へば、.瞥際蜂禅家又は法律蓼者が、不華嚢年間昭を取扱はねばならぬ時、商人配合の伶珊概を追 壊したり、一部の人々は紅臍的闘軍手段によつて是認し、他の人々は反封に違法と詮くが如き﹁所謂公正にして 正常なる思想家の甫義感﹂から出敬しょうとすることは、全然あたらない。この場合、問題の経済締約法的洞察 が殊史に必.婁である。蓋し.自庖競争は、現承弼乙経済の、規質的秩序原則であるからである。自由新都は、何嵐 等か激賛の不正に基く、不常の主張によって妨げられてはならない。他所、然乍、明か把不甫なる粥率に陥るこ とも許されない。﹁不正競寧﹂と﹁許容さるゝ肋肌寧﹂との墳界は如何に引かれるか。如何なる場合に自由蘭争が存在 し、如何なる瘍合に存在せぬか。如何なる場合に制限競挙が仔衣するかり何時、進歩的競邸が行はれ、何時、排 撃的競争が行はれるか。何時、慣格引下が原則に反封七、如時反射せぬか。−之等は続柄恕が撰す朗の、種々 なる市瘍組織の吟味の基礎に立ってのみ決定され得る。法壁画塾の協力作用はー1以上の観翫よりして魯甚だ 不充分しか行はれてゐない1直ちに必要である。 十〓 閑居霹洒畢の露盤 ︵ニ〓ハ五︶ 七七

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第十二巻 第四渋 ︵≡ハ六︶ 七八

個々の科挙の特化に崩する非雅は、過去の科摂に反する方向をとる。到る桝で、特化を征服する躾き勢力が働

きつゝある。而も、個別的諸種塔を、再び一個の斬らしき平面上に掠合するものは、問題自鰻に即しての研究で

あって∼浮動せる方法論的考察ではない。今日、物雄琴化拳、焼物拳、生理塑その他の自然科挙は、最早互

に並立せず、問題の取扱に富っては、生理聾者をして化単著の方法及び結果を、鍍物単著、化単著をして物理塑

的方法を援用せざるを得ざらしめる。同様に、精仲村畢の贋い領域に在っても、到る桝に、個別科挙の接近過程

が途行せられつ1ある。歴兜挙が、政治的経済史、政治的粘碑兜、政治的教昏兜及び政治的薮術史.と分解するこ

とば、最早支持し難いことを示してゐる。歴史的問題の研究が再び深まり行けぼ行く樺、忘有力に叫般的膵攻

観察へと突入してゆく。法得撃と経済輿は、等しく種々なる立場に於て接近過程に立って居る。尊等の叢書の課

題たる問題そのものが、之等二科螢の思惟方法と研究域英を取入れねぼならぬ。書芸・−カントと共に語らん藤 がために・1﹁彼等の境界を相互に交錯﹂せしめんと念するものではないのである。カントがこのことから、﹁科

嚢の増加ではなくて、寧ろ鴫形化﹂を期待したことは正しかった。各科革は、著し何等かを焉さんとすれぼ、そ

の澗自性を保持せぬばならぬ。さりながら、事態が二科挙の介入を要求する時は、之が生じねぼならぬ。之によ

って、昏等編畔着は、展性なる科挙の室呂を、一厨有力に適用せしめんと欲するものなのである。

︵繹著 大泉行雄︶

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