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自我同一性の獲得に対する感情表出トレーニングの意義 : 歪められた感情の克服に着目して

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自我同一性の獲得に対する感情表出 トレーニングの意義

- 歪 め られた感情 の克服 に着 目

して-稲 垣 応 顕

要 約

登校拒否 また非行 と行 った問題行動を有す る生徒たちに,感情表出 トレーニ ング (TrainingforEmotionalExpression;以下TEEと略記)を適用す るね らいであ る 自我同一性の確立を念頭 に,それ らの問題 に対 して何故感情を支援の対象 とするの かについて検討を行 った。 その具体的内容 は,①現代の青年 (自我同一性の確立を 発達課題 としている生徒たち) に見受 けられ る自我同一性拡散 (混乱)の内容,② 自我同一性 の拡散 (混乱) に対する感情のかかわ り,③TEEにおける支援者 (教師 やカウンセラー) の役割,④ 自我同一性の獲得を目的 とす るTEEの理念, について であ った。 1. は じめに- 問題 と目的-筆者 はこれ まで,登校拒否や非行 といった問題行動 を有す る中学生 に対 して,感情表出 トレーニ ング (TrainingforEmotionalExpression;以下TEEと略記) を適用 し, い く例かの結果 を報告 して きた (稲垣 ・大塚1994,稲垣1995et

a

l

)。 筆者 は, この手 法 の 適用 にあた り, それ ら生徒 たちの有す る問題 の原因を,彼 らが 自我同一性 の獲得 とい う発 達課題 に戸惑 い 「歪 め られた感情 (distorted-emotion)

をつ の らせ て い ったためで あ るととらえている。 また, この手法 につ いては,来談者 中心主義的アプローチ ・行動主義 的 アプローチ ・精神分析的アプローチ ・内観法的アプローチの折衷であると位置づ けてい る (稲垣 ・犬塚1995)。 そ して, その手続 きを,大 きく①感情表 出カー ドの記入, ②感情 表 出分類表 の作成,③支援者 (教師やカウンセ ラー) との感情 と言葉 のキ ャッチボールで あるオープ ン トーキ ングと し (表1),歪め られた感情 の表 出 (解放) と整理 (自己省察), またポジテ ィブ感情 の外向化 の促進 を通 して,最終的には,彼 らが 自 ら自我同一性 の確立 を 目指す意欲 を培 うことをね らいとしている。 ところで諸富 (1996)は, これまでのカウンセ リングにつ いて, カウンセ ラーの態度条 件 とクライエ ン トの変化過程 について 「態度条件がなぜ人格変化 を引 き起 こしうるのか と い う点 についての理論的説明 は,不要 な もの として もともと放棄 されていた」 と指摘 して -8 3

(2)

-いるが,筆者 も, この問題 については以 前 より疑問を抱 いていた。 そ して,筆者 が開発 を進 めて い るTEEにつ いて も, 何故TEEが生徒 たちの支援 とな り得 る のかについて,理論構築を行 う必要 を感 じていた。 そ こで本研究では, これまで の臨床 を振 り返 りつつ,TEEの基礎理 論 に関す る第1報 と して,何故TEEが 生徒たちの問題 に対 して自我同一性の確 立への意欲 と,それに向けての感情を重 視す るのかについて,その理念を明 らか にす ることを第 1の目的 としている。換 言すれば, この ことは,何故彼 らの問題 行動 の支援 に感情 を取 り扱 うかを意味 し ている。 また,筆者 はTEEの後半でオー プ ン トーキ ングを行 うことについて,介 入 (intervention)の概念 を取 り入 れつ ら, さらに内観法的な手法 として積極的 表1 TEEの手続 きの概略 1.相談室で, トレーナーと生徒 は,机をはさ み,体面法の位置関係を取 り座 る。 2.カー ド記入 (過去) :前回のTEEか ら今 日 までの出来事 と, それについての感想 ・感情 の書 き出 しを促す。 3.カー ド記入 (未来) :2と同様 に,TEE終 了時か ら次回TEEまでの行動予定 とそれに対 す る気持 ちの書 き出 しを促す。 4. グルー ピング :書 き出 された カー ドを, (+) と (-)の感情別 に分類す るよう促す。 5.重みづ け : (+) と (-)の領域別に自分 にとって感情 レベルの深 い順 に重みづけをす るよう促す。 6.感情表出分類表の作成 : (+)・(-)過去 ・ 未来の枠が書かれた大 きめの画用紙を用い, カー ドの糊づけを促す。 7.分類表を基 に, オープ ントーキングを行 う.

*

1セ ッションの時間は,約50分 とす る。 な意味づけを行 っている (稲垣

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)

0 そ こで, この内観法的な意味合いでの自己省察 を重視 す るTEEの理念 と支援者 の役割 に ついて検討す ることを第2の目的 としている。 2.自我同一性拡散 と感情のかかわ り

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1

)

現代の青年 と自我同一性の拡散 (混乱) 筆者が,本研究を改めて行 うことに際 しては,刺激を与 えて くれた1冊の本 と,筆者 に とって極 めて大切 な友人 との会話がある。友人 との会話 については後述す るが,その本 と は,高橋英利 (

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)

が著 した 「オウムか らの帰還」 (草思社)である。 そ こには, 元 オ ウム真理教信者であ った彼が, オウム真理教 に入信 した理 由を綴 っている。以下 に,本研 究 との関連 において,それ らを抜 き出 してみる。 彼 はまず,「友達 の前では,活動的で開放的な自分を振 る舞 っていたが, その分独 りに な った時 には,果て しない虚無感 におそわれていた。環境 に反応す るだけの存在 とは,何 の ことはない。 自分 自身の姿だ ったのだ。環境 に振 り回 され,本当の自分を見失 っては, その ことに対 して 自己嫌悪を覚 える。 そんな日々が続 いていた

。p.

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9

と述べている。 筆 者 は, この記述 に彼の自我同一性獲得への目覚 めと, それに向けた内的葛藤の激 しさを感 - 84-」

(3)

じている。 また,彼 は 「周囲の環境 に応 じて機械的に振 る舞 うばか りの日々。 環境の数だ け仮面を用意 し, とっかえひっかえ してい くうちに,本当の自分の顔 さえ分か らな くなっ ている。 自らの存在の意味を問いなが ら, 日常生活の中に埋没 して しまって (後略)。p. 48-49」,「何かを始めなければな らない。だが,何をすればよいのかが分か らず, ただ 足踏み しているばか り--0p.236」とも述べている。 そ して,前後す るが, 当時の 日記 に 「僕 は僕である必要 はなか

?

た。p.29」と書 いていたと告白 している。 彼は,病院で精 神科を受診 したことでさらに自己に対する絶望感を深化 させ,彼の言葉で言えば 「救いを 求めてp.49」入信に至 る。 上述の記述を一読すれば,彼が自分 に対 して戸惑い自分 自身であろうとすることを放棄 していることは,容易に考察できるであろう。 しか し我々は, これを重篤な自我同一性拡 敬 (混乱)の状況を示 していると認めっっ も, このような例 はごく希なケースであるとと らえがちではないであろうか。筆者 には, これ らの記述が現代社会に生 きる生徒たちの心 境を代弁 しているように思われてな らない。更 にいえば,筆者 は,事実 として問題行動を 有する生徒たちとの関わ りの中で, これ らに類す る心理状況を多々兄い出 している。著者 の高橋 自身 も 「実際にオウムに入 ってみて驚 いたのは, 自分 と同 じような苦 しみを持 った 人が実 に多 くいたことだ。p.57」と述べている。すなわち,今 日登校拒否や非行などの問 題が多々見受 けられるということは,それだけ 「多様な価値観が混在す る現代社会

(鈴 木1997)の中で,犬塚 ・稲垣 (1994)が述べ る 「強度な自己否定かっ他者否定感情である 歪 め られた感情」を有 し, 自己に対する確信が持てないといった自我同一健 の拡散 (混乱) を来た している生徒たちが数多 く存在する表 れであ ると考 え られ る。 同様 な ことを宮原 (1994)は,「共同社会的な関係意識の崩壊 は,一人一人の自由を生み出 したが,同時にそ れは,一人一人の不確かさを も生み出 した

と述べている。 (2)自我同一性 とその拡散 (混乱)について 自我同一性 (Identity)とは,Erikson,E.H.(1902-)が人間の ライフサイクルに関 す る考察の中で,青年期の獲得課題 として提唱 した概念である。 Erikson,E.H.(1950) は,「青年期 とは,パーソナ リティの再構成の時期である」 と述べた上 で, この用語 につ いて 「自我同一論の源泉 は <中略> これ こそが真実の私だ, という自覚 である

(Erik son,E.H.1967)と述べている。 また, この用語を 「内的な不変性 (sameness)と連続 性 (continuity)を維持す る各個人の能力 (心理学的意味での自我)が,他者 に対す る自 己の意味の不変性 と連続性 とに合致する経験か ら生 まれた自信

のことであると定義づけ ている (Erikson,E.H.1950)。そ して,「自我同一性 とい う言葉 は, 自己自身 の中の永 続的同一 (自己同一) という意味 と,ある種の本質的性格を他者 と共有す るという意味を 暗示す るような相互関係を表 して」お り,その核心的問題 としては 「変化 してい く運命 に 直面 しなが らも,同 じものおよび持続性を持 ち続 ける自我の能力である。ただ しそれは, - 8

(4)

5-変化 に対 して閉鎖的な心的組織を 意味す るので はない

(Eriksoh, E.H.1971) とも述 べてい る。 と ころで, この用語 は,今 日では一 般 に 「自分で ある こと

「自己の 存在証明

「真の自分

「主体性」 などの意味 として用 い られている が, それに対 して小此木 (1985) は,精神分析学の立場か ら 「自己 の単一性 ・連続単一性,連続性, 不変性,独 自性の感覚を意味する」 と述べている。 また, 自我同一性 感覚 についてErikson,E.H.(19 表2 自我同一性拡散の7つの現象 ① 「自分 は何 々である」とい う社会的な自己選択を 回避 し, その選択 を延期す る。 ② 同一性意識 の過剰 ない し自意識過剰が起 こる. ③ 勤勉 さの拡散 (労働同一化 の障害)が起 こる。 ④ なんで も一時的 与暫定的な もの と して しか体験で きな

い。

⑤ 人 と人 との親密 な関わ りを極力避 ける。 ⑥ 時間的展望 の拡散。時間的な見通 しを失 い,生活 全体 の緩慢化や無気力化 を きた し,絶望感 を抱 く。 ⑦ 否定的同一性 の選択 を行 う。 *嶋津 (1996)を基 に筆者が作成 9

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)

は,「人が発達 してい く過程で抱 く, 自分 自身 と一体であるとい う感覚 を意 味 し, 同 時に共同体の歴史 と未来 とも一体であるという共同体感覚 に対す る親和感を も意味す る

と述べ,西平 (1993)は 「他者を見ている主観 と自分 自身を見ている主観 とが,同一であ るという感覚」であると指摘 している。 筆者 は, これ らの知見 を概観 しなが ら, 自我同一 性 とい う用語 について "環境 における自己の存在価値の自己認識" を意味 しているととら えている。 一方,Erikson,E.H.(1967)は,「アイデ ンティテ ィの危機 とは, 青年 であ ることの 心理社会的な側面の こと」であると述べ ると共 に,青年の 「内的葛藤 は,個人が1つの明 確なるパーソナ リテ ィを持っに至 る際の構成要因」であるとの見解 を示 している。 また, 「青年期 は病気ではない。む しろそれは,正常 な発達の危機 (normativecrisis)で あ る。 それは, 自我の強 さ (egostrength)の表面的な同様 に も関わ らず, 高度 の成長潜在力 を秘 めているとい う特徴を備えなが ら,葛藤が増大す る正常発達 の一段階である

(Eri k-son,E.H.1981) とも指摘 している。 さらに,Evans,氏.Ⅰ.(1967)は,Erikson,E.H. が彼 との対話の中で 「アイデ ンティテ ィの問題 は,<中略>青年が傷っ きゃす さと力強 さ を持 ちなが ら,その両方の調和 を図 ってい くことだ」 と述べた ことを紹介 している。 この ことに関連 しては,Erikson,E.H.(1967)自身 も 「活力的なパー ソナ リテ ィは, 内的 ・ 外的な葛藤を乗 り切 り危機 を克服す る度 に,内的統一性 感 の増大, また自分 自身 の基準や 自分 にとり重要 な意味を持っ人 々の基準か ら見て 『うま くや る』能力の増大 を もた らす

との見解を示 している。近年,わが国では,大野 (1995)がそれ らの見解踏 まえなが ら 「青年期 を子供か ら大人への過渡期であ り,大人 としての自己を選択す る時期 と考 え るな らば,本質的に青年期 に自己への気づ さと自己の選択の迷 いがあること」は必然であると, -86-ナ

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同様の見解を述べている。 ところが,今 日の生徒たちの中には,その内的葛藤を克服す る だけの強 さを持 ち合わせず, 自己の準拠枠 に引 きこもり,重篤な自我同一性の拡散 (混乱) を来た しているものが多 く見受 け られる。井上 ・佐 々木 (

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は, 「心理 的 な問題 や症 状 を抱えた青年 には,その問題や症状の背後 に自我同一性の障害を持っ者が多 く見 られる」 と述べている。 そ して筆者 は,そのような拡散 (混乱)が行動 として表れた具体例 として, 登校拒否や非行, 自殺,などを とらえている。 この自我同一性の拡散 (混乱) について

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自身 は,前述 した通 り 青年期が正常な発達の危機であると述べつつ も,その存在を認めてお り,拡散 (混乱)の 内容 として,空 しさ,孤立感, 自己意識の過剰 さ,焦燥感,希望の喪失,他者への不信感, 親密な対人関係か らの退却,否定的同一性 の選択,などを掲 げている (表

2)

。また 「痛々 しいほどに進行 した孤立感,内的連続性感や同一性感の崩壊,全面的な恥意識, いかなる 活動 を して も成就感を味わえないという無力感」 と共 に,それ らが時間展望の拡散や勤勉 の拡散を もた らす危険があることも示唆 している

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。 これ らの知見 を考察 した根本 ・中沢 (

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は, 自我同一性 の確立 と最 も関わる時間展望の拡散 におけ る時間不安の中心的特質 として 「将来の社会生活への不安,取 り残 され る不安,時の不帰 性への不安」 を指摘 している。 もちろん

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が述べ るよ うに,誰で も 「アイデ ンテ ィテ ィ混乱 の 徴候を1つ 2つ持 っていることは (常識的に も) あ り得 る

ことではある。 しか しなが ら, 鈴木 (

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は 「今 日では拡散 (混乱 -筆者注)症状群が公然化 し,正常 な青年一般の心 理 となってきた」 と指摘 している。筆者 は, その見解を踏 まえ,価値観が多様化 し個人の 尊重や個性の重視の名の下で既存の倫理観や道徳観が崩れ始 めている現代 において, 自我 同一性の拡散 (混乱)問題 は,生徒 たちの人間的成長 の上で極 めて重要視す る必要がある と考えている。

3.

自我同一性の確立 と感情のかかわ り これまで述べて きたように, 自我同一性 の拡散 した状況 として書 き出される空 しさ,孤 立感, 自己意識の過剰 さ (-ナルシズム 筆者注),焦燥感,不安感, 希望 の喪失, 無気 力感,絶望感,他者への不信感 などは,すべて我 々人間のネガティブ感情 を言 い表す言葉 である。稲垣 ・大谷 (

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は,登校拒否生徒の事例を通 して,彼 らの多 くが 「感情 レベ ルで葛藤を持 ち,現実逃避 している」 ことを指摘 している。すなわち,問題行動 を有す る 生徒 たちが,内的葛藤の中で 自我同一性の拡散 (混乱) をきた し,何 らかの歪 め られた感 情 を有 しているという事実 は,誰 もが認 めるところであろう。 ただ し筆者 は, これ らの歪 め られた感情が鶴田 (

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の述べ るように,「青年 にとって内的な

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面性」 を有 して い ることも承知 している。 その例 として,国分 (

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が劣等感 について,劣等意識

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7-riorityconsciousness)という言葉を当て 「誰 もが持 ち, それを持 っていることを意識 し,意識するがゆえにそれを克服 しようとして努力する」 と述べることは大 いにあ り得 る と考えている。 この知見 は,生徒たちに共通感覚 (comonsense)を基礎 と した自己省 察 と自己受容 (感情の整理)がなされ,歪 め られた感情および自己を取 り巻 く環境 に対す る彼 らの見方が変容すれば,彼 らの行動 と自我同一性確立への意欲にポジティブな変容を 促す ことが可能なことを示唆 している。 この感情 については,北田 (1992)が 「感情 は人 格 と不可分であり,それぞれの人格の特質がそこに表現 される」 と述べている。 また,福 井 ・伊藤 (1987)は,感情の果たす役割 として①物の知覚 に際 し,その物の持っ意味の理 解 ・判断に関与す る (知的 ・合理的な作用に必ず付加 される) こと,②行動の選択 に関与 す ること,③ 自己意識の成立 に重要な役割を担 うこと,④時間感覚の成立に寄与すること, を明 らかに している。一方,熊井 ・藤井 (1993)は,「思考 は知性 に基づ き, 想像 は感情 に基づいている。思考 と想像 は,想像が優位に立っ」 と述べた上で 「感情のエネルギーを もらって思考 は働 く」 と指摘 し,福井 (1990)も 「思考 した り知覚 したりす るときに,感 情の情報が伴 っているわけで,<中略>感情が伴わないと 『自分がある』 という確信が持 てない」 ことを示 している。 さらに国分 (1995)は,「何故感情を奮 い立 たせ る必要 があ るのか。感情が高 まると行動が生 じるか らである」 と述べている。 これ らの見解 は, いず れ も,感情が生徒たちの行動や自我同一性の獲得 に対 して,大 きな影響を及ぼす ことを示 唆す るものである。 以上で述べてきたことが,問題行動を有する生徒たちの支援 において,筆者が "感情" を重視 しTEEを適用す る理由である。それに対 し一方では,「感情 は行動 の結果 と して生 じる」 として,生徒たちに 「まず働 く (行動する)」 よう促す ことこそが, 彼 らの支援 に は必要であるという考え方 もある (Reynolds,D.K.1984,多湖 1993etal)。 筆者 は, 日常の自分 自身をかえ りみて,その見解をある程度支持 している。 しか し,現実問題 とし て内的葛藤により, どうしてよいのか分か らないでいる生徒たちにとっては,動 くために 何 らかの心的エネルギーが必要である, と考えている。そ して,その心的エネルギーにつ いて も,感情が大 きく関与 しているととらえている。 なお,本稿では感情 という言葉を,以下の概念をすべて含んだ用語 として用いている。 (9 「フォrカシンダ」や 「体験過程」で論 じられる 「体を通 して感 じられるものであり, 思考 されたり知 られた り,あるいは言語 により表現 されるような ものとは異なる」 と説明 を加えて用いられる "felt-sense"(Gendlin,E.H.1968,1974etal),② 医学界で感情 障害を表す際に用 い られる "emotion(情動)"。・この情動 については,Pribram,K.H. (1970)が 「外界の客観世界が,感覚を通 して引 き起 こす もの」であると述べ, 亀 口 (19 85)が 「怒 り ・恐れ ・喜 び ・悲 しみなどのように,激 しい感情の動 き」をさす と述べてい る,③思考を踏 まえた上で感 じられ,言語報告できる主観的なイメージやmood(気分) -88- ー

(7)

やsentiment(情緒)であ る (Pribram,K.H.1970,福井 ・伊藤 1988)0 4.TEEにおける支援者の役割 国分 (1995)は, カらンセ リングにつ いて 「言語的および非言語的 コ ミュニケー ション を通 して,他者 の行動変容 を試 み る人間関係である」 と定義 している。ただ し伊顔 (1993) は 「カウンセ リングは, クライエ ン トに援助 を与 えることだ といわれ る。 しか しそれは, 問題解決のための援助 であ ってほな らないであろう。<中略> クライエ ン トの自立 あるい は自己実現のプロセスを促進す るものでなければな らない」 とも述べている。Rogers,C. が来談者中心主義 を提唱 して以来, カウンセ リングは受容 ・共感 ・積極傾聴 を中心的話題 と して研究が進 め られ,今 日その需要 も激増 している。筆者 は, これ らRogers,C.以来 の理論 をカウンセ リングの基礎 と して不可欠 な もの として支持 している。 しか し同時 に, 現代青年 の有す る問題 に対処す る際に, それだけでいいのか とい う疑問 も有 している。 す なわち,本稿で引用 した高橋が, オウム真理教 に入信す る前段階 として,病院で精神科 を 受診 した際の状況 と心境 について 「自分か ら精神科 に行 くのは, やはり苦痛 だ った。 とこ ろが,担当の女 の先生 には 『ここに来 るだけの元気があるんだ った ら大丈夫 よ』 と, いと も簡単 に言われて しまった。先生 は僕 に, 自分 の事 を話 させて, それを克明にカルテに記 録 していった。僕の方か らの問いかけにはあまり答えることな く, とにか くしゃべ らせ る のだ。 そ して,面接が終 わ ると 『高橋君,や っぱ り薬が必要 ね。薬, 出 します』 と言 って 処方等 を出 して くれたのだ った。僕 は,唖然 と した。< 中略>深 い絶望感が僕を とらえた p.31」と記述 していることを重視 している。すなわち,従来のカウンセ リングの原則にのっ とり行 われた と思われ る病院での面接が,彼 の絶望感を深化 させて しまっているのである。 多 くのカウンセ ラーか らは, カウンセ リングが何か示唆を受 ける場で はないとの指摘 (批 判) を受 けるか もしれない。 しか し,筆者 はこれまで本稿で検討 して きた ことを踏 まえ, 現在一般 に提唱 されているカウンセ リングに,_生徒指導的な要素,換言すれば父性原理的 な要素 を積極的に取 り入れ る必要性 を感 じている。 この ことに関 しては,高石 (1994)ち 「アメ リカの心理療法の情勢 は, ここ

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0

年間に非指示か ら指示的方向 に移行 しつつ あ る」 ことを報告 している。 また渡辺 (1996)は,近年 の米国カウンセ リング心理学 の動向 と し て 「カウンセ ラーの専門行動 について援助 (helping)よ りも介入 (intervention)

とい う用語が多 く用 い られている現状 を紹介 している。 5.自我同一性 の獲得 に向けたTEEの理念 筆者 は, 自我同一 性の獲得 につ いて検討す るに際 し,「自己が 自己で あ るため には他者 を必要 とす る」 (石井 1980,稲垣 ・犬塚 1994)とい う知見 を支持 して い る。 なぜ な ら, 稲垣 ・犬塚 (1994)が述べ るよ うに 「自己は他者がいることによ り自己 と して成立す る」 -8

(8)

9-か らである。ただ し,同時に友田 (

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の 「人間が変化す るのは,分か りやす くいうと "ひとりぽつん といるとき''である」 との見解 にも注 目している。諸富 (

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は, この 友田の見解を紹介 しなが らRogers,C.のセラピーの理念検討 を行 い, 「クライエ ン ト中 心療法における典型的なクライエン ト体験 は 『ひとり』の体験 として体験 され る」,「カ ウ ンセ リングとは,他者か らの共感的理解を得て,そこで初めて個人が内面的に 『一人』 に なることができる, という逆説的な関係なのである

と述べている。 そして,諸富

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はさらにこのことについて,人間が一人で悩む時には物理的には一人であるが,常 に自己 な らざる自己と対話 しているということで心理的に独 りにはなれてはない,悩みを共感的 に理解 して くれる聞 き手がいるとき,我々は,心の中に存在 している複数の他者を相手 に 預 け心理的に独 りになれると説明を加えている。筆者 は, これ らの知見を支持 している。 すなわち,生徒たちが 自己内部 に馨積 している歪 め られた感情を表出するとは,受 け止め て もらえるという安心感の上 にな り立っ事柄であろう。ただ し,筆者 は自ら実施 している TEEの各手続 きにおいて,内観法的な意味合いでの 自己省察 (自己-の直面化) の促進 を重視 している。すなわち,心理的に独 りになれない一人の場を意図的に設定 し,何が自 己の中で障害 となっている感情なのかについての焦点化を促 している。 その理由を説明す ることにあたり筆者 は,臨床場面でよ く聞かれる 「自分の気持 ちが分か らない」 また 「こ れか ら何をどうしてよいのか分か らない」 と言 った発言 に注 目している。 すなわち,人間 は独 りでいるときに,諸富が述べるように自己な らざる自己との対話を行 っている。 そ し て, 自己はその対話の中か ら新たな自 己を生み出 し, 自我同一性確立へ と向 か うことも事実であ り,生徒たちの自 立のためには,そのような自己訓練が 必要であると考えるのである。小林 ・ 竹之内 (

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は,生徒たちが大人 に なるためには 「自己教育力」が必要で あ り,その基礎 として 「自分 自身を見 つめる力<中略>すなわち, 自分を表 現 しつつ理解する」 ことが必要である と述べている。 筆者 は,TEEにお け る支援者の役割を,生徒たちの有する 悩み (問題)に対 して,彼 らの内部で 矛盾する "自己な らざる自己"の声を も表出させ,それを丸 ごと共感的に受 け止めることであるととらえている。 l 新 たな自己 l

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自己

>

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感情 新 たな自己 自己な らざ (自 己) る 自 己 の

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葛 < 自己内対話>' 図1 自己省察による自我同一性獲得の過程 -90一二

(9)

また,TEEでは自己内部 に抑圧 されていた歪 め られた感情 の表 出 (解放) によ り,生徒 たちが混乱 に陥 ることを防 ぐ目的で,介入の概念注1)を導入 した応答 を行 って いる。 それ は,先に,後述す ると述べた筆者の友人が, 筆者 との子供 の指導 につ いての雑談 の中で 「(前略)彼 らの悩みが深刻な ら深刻なほど, こっちは何 も言えな くて "うん, うん" って 聞 くしかな くなるんだけど--0 ``うん, うん''って聞いてやるだけじゃ駄 目だ と思 う。 そ うか と言 って,大人の (常識 としての)理屈 (理論) は必要なんだろうけれど,それを 優先 させて言 って も彼 らは駄 目だ と思 う。 "感情のこもった付 き合い''とか, "感情の こ もった信頼関係" とか, "彼 らに対 して感 じたことについての感情のこもった伝達"が必 要なんだと思 う」 と述べて くれたことか らの試みである。 この発言 は,それが行 き過 ぎて は日常的な会話のように,相手の人格の内部 に土足で踏み込んで しまうというような危険 をはらんでいる。 しか しなが ら,我々 も 「独 りぽつん と」 いるときに, 自己な らざる自己 との対話 において, 自分を励 ま したり自分 に言 い聞かせたりす ることはよくあることであ る (図1)。それを踏 まえるな らば, この発言 は介入の概念 とあいまって,示唆 に富 んだ 指摘であると思われる。 5.全体的考察と今後の課題 青年期に発達課題 とされる自我同一性の確立を念頭に,今 日の生徒 たち (青年) に見受 けられる自我同一性の拡散 (混乱)の内容,それに対す る感情の影響,および支援者の役 割 (スタンス) について検討 してきた。青年期 にある生徒たちは, 自己を取 り巻 く環境の 中で 「個性を自己表現 しなが ら」 自己実現,換言すれば自我同一性の確立を模索 している (小林 ・竹之内

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,稲垣

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。 しか し,河合

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が指摘するように,日本人にとっ ては 「何かのところに 『所属』 しているか否かが実に重要なこと」であ り, 「その所属性 の維持のために 『自分を殺す

ことが必要なときが」ある。それに対 して,生徒たちは定 金 ・上地 (

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が述べるように 「自分を殺す ことができ」ないときに, 自我同一性の拡 敬 (混乱)をきた し,問題 となる行動を生 じさせるのではないかと考え られる。 また,そ の際,彼 らの内的葛藤 は,彼 らを自己の準拠枠へ とさらに引きこもりがちにさせ,歪め ら れた感情を増大 させやす くす る。 したが って,TEEで は, そのよ うな生徒への支援 に際 し,共感的態度を前提 として,生徒たちの ``自己な らざる自己"の役割を引 き受 けること が重要であるとい う考えに立っ 。 そ して, さらに筆者 は,指示的 ・非指示的 という枠を越 えた "感情のこもった付 き合い'', ``感情のこもった信頼関係", "彼 らに対 して感 じた ことについての感情の こもった伝達",が必要ではないか と考えている。 このことについ ては国分

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ら, カウンセ リングの本質 は

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人の心 の触 れ合 い

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である」 と述べている。 また,筆者 は田中 ・原野

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が述べ る 「外 的な基準ではとらえ切れない適応の問題を,内的な基準を理解す ることにより人間関係の -9

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1-改善 や行動変容への援助」 とい うことを同 じ意味であ るととらえている。 ただ し,今後 これ らの ことを実際の臨床場面 で生 か してい くためには,支援者 の介入が どこまで支援者 の行為 と して許 され るか につ いて, さ らに精微 な検討を重ねる必要がある。 す なわち,生徒への支援 とは, あ くまで も生徒 の 自立, すなわち自我 同一性 の確立への意 欲 を促進す るために行 わなければな らない。最近 テ レビの ワイ ドシ ョーをに ぎわせている カウ ンセ ラー とクライエ ン トの婚約 につ いての批判 のよ うに,支援者が生徒 にとっての絶 対者 にな って しま う,換言すれば,支援者 の果 たす役割がす り変わ って しまうことは,あっ て ほな らないと感 じて いる注2)0 注 釈 注 1) 小 田 ・勝村 ・吉 田 (1994)は, この概念 について①生徒が人間 と して生 きる ことに気 づ くよ う働 きかける,②相手 を尊重 しつつ も指示を辞 さず,受容 しつつ も指示をす る, ③ 共感 的理 解 の域 を出て,問題解決的思考 の指示 に も及ぶ,④実存的 自己の受容への援助 を行 う, ことで あ ると解説 している。 注2)カウンセ ラーとクライエ ン トが結婚 に至 るとい うことは,現実 としてあ り得 ることであろ う。 筆者 は, その こと自体 は否定 していない。 しか しなが ら, その際には, カウ ンセ リングが終結 した後 に,改 めて一定期間の交際を行 うべ きであ ると考 えている。 文 献

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参照

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