• 検索結果がありません。

稿6人 犬 ときどき牛偉大な国インドへの二週間の旅JPOは 2016 年 4 5 月 8 月プ研修への協力要請を受け 勿論 私達 3 人が出会った人達はインド 13 億人のほんのごく一部であり 訪れた場所もインドの一部の都市の そのまたごく一部である これを以てインド全体を云々言えば 群盲象を評す

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "稿6人 犬 ときどき牛偉大な国インドへの二週間の旅JPOは 2016 年 4 5 月 8 月プ研修への協力要請を受け 勿論 私達 3 人が出会った人達はインド 13 億人のほんのごく一部であり 訪れた場所もインドの一部の都市の そのまたごく一部である これを以てインド全体を云々言えば 群盲象を評す"

Copied!
20
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

抄 録 「 近隣のために尽くす人は、 同時に、人類のために尽くしている。」 マハトマ・ガンディー 〈はじめに〉  インドは偉大な国である。人口は日本の 10 倍以 上の 13 億人、面積は同じく 8.7 倍の 329 万平方キロ メートルという、南アジアの大国である( 図 1 )。私 達、JPO 審査官の 3 人は、平成 29 年の夏の終わり から秋の初めにかけての二週間、日本からこの偉大 な国へ短い旅をした。インドでの二週間は必死だっ たが、同時にあっという間の出来事であった。帰国 すると、日本とインドとの様々な点での余りの隔た りもあって、まるで夢から覚めたように急速に現実 感が薄れ、記憶が曖昧となり、全てが忘却の彼方に 消失するように感じる。あれは全て夢の中の出来事 だったのではないかと思うときさえある。  しかし、そんな我々を「 我々は確かにインドへ行っ たのだ!」という現実に目覚めさせてくれるのは、帰 国後、折に触れ「 インド( インド特許庁 )はどんなと ころだったのだ?」と、熱心に質問して下さる庁内外 の皆様である。記憶を手繰りながら皆様の質問に答 える中で、皆様のインドに対する興味・関心の高さ を感じ、少しでも多くの人に私達 3 人の経験を共有 できればという思いから本稿は始まった。  私達 3 人(篠原、速水、牟田)は JPO の特許審査官であるが、同時に国際研修指導教官でも ある。その仕事は途上国に審査官向けの研修講師として派遣され、先行技術文献調査、新規性、 進歩性、記載要件等の審査の基礎・基本に関する講義や演習を行い、途上国審査官の審査実務 能力向上とJPOの審査手法の普及を図ることである。  そして、今回は、2017 年 5 月に JPO とインド特許庁との間で署名されたアクションプラン に基づいて計画された、インド特許庁の新人特許審査官向けフォローアップ研修に派遣された。 行き先はインド特許庁の全支局(デリー、ムンバイ、チェンナイ、コルカタ)である。  インドは偉大な国であり、それに対する関心は庁内外で日々高まっている。私達3人が見聞 したのはインドのほんの一部に過ぎないが、それをできるだけ生の形で伝えたいと思う。本稿 が読者諸兄のインド理解の促進に些かなりとも寄与できるのであれば、これに優る喜びはない。 審査第二部 生産機械(加工機械) 審査官

篠原 将之

審査第四部 デジタル通信 審査官

速水 雄太

審査第三部 化学応用 審査官

牟田 博一

寄稿6

人、犬、ときどき牛

偉大な国インドへの二週間の旅

インド新人審査官フォローアップ研修

● ● ● ● デリー ムンバイ チェンナイ コルカタ

インド

中国 パキスタン ミャンマー バングラデシュ ネパール ブータン スリランカ デリー コルカタ ミャンマー バングラデシュ ネパール ブータン スリランカ 図 1 インド地図

(2)

寄稿6 人、 犬、 ときどき牛 偉大な国インドへの二週間の旅   インド新人審査官フォローアップ研修 への協力要請を受け、JPO は 2016 年 4〜5 月、8 月 に延べ 12 名の特許審査官を派遣し、研修を行った。  更に、2017 年 5 月に JPO と CGPDTM との間で署 名されたアクションプラン( 写真 1 )に基づいて、こ の新人特許審査官に対するフォローアップ研修が計 画されたのである。計画では、前記新人特許審査官 のうち、延べ約 274 名に対し、8 月 28 日( 月 )〜9 月 1 日( 金 )に、デリー支局において機械、化学・バイ オ、電気の各技術分野の研修を、9 月 4 日( 月 )〜9 月 8 日( 金 )に、ムンバイ支局において機械分野の、 コルカタ支局において化学・バイオ分野の、チェン ナイ支局において電気分野の研修を実施するとのこ とだった。  私達 3 人は JPO の特許審査官であるが、同時に国 際研修指導教官という仕事も兼ねている。その仕事 はインドを含む途上国に審査官向けの研修講師とし て派遣され、先行技術文献調査、新規性、進歩性、 記載要件等の審査の基礎・基本に関する講義や演習 を行い、途上国審査官の審査実務能力向上と JPO の審査手法の普及を図ることである。派遣は最低 1 週間で長い場合は 1 月以上となることもあり、その 間の研修生とのやり取りは原則全て英語である。  慣れない環境の中、非母国語である英語で審査の 実務指導をするのは中々骨が折れる。また、国際研 修指導教官の仕事があるからといって、本業の審査 に手を抜く等ということが許されるはずもなく、両 立は非常に難儀である。  しかし、私達の指導を通じて、研修生らの審査実 務能力がメキメキ向上する様を目の当たりにするこ とができること、研修生から真心のこもった感謝の  勿論、私達 3 人が出会った人達はインド 13 億人の ほんのごく一部であり、訪れた場所もインドの一部 の都市の、そのまたごく一部である。これを以てイ ンド全体を云々言えば「 群盲象を評す 」の誹りを免 れまい。その意味では、本稿はあくまで私達 3 人が 実際にインドで見聞きしたことをまとめたものであ り、偉大な国インドのほんの一部に過ぎない。ただ し、逆にいえば、大海の一滴といえども、インドの 一部であることは間違いない。それを読者諸兄にで きるだけ生の形で伝えたいと思う。正確性に欠ける 表現があり、文体が乱暴であることは上記の事情に 依るものである。勿論、私達の思い込みや勘違いも 多々あるだろうが、それについては読者諸兄のご叱 正を賜りたい。それでは始めよう。  なお、文責は次のとおりである。ただし、脚注( ⅰ を除く )はジェトロニューデリーの菅原部長の筆に 依る。 速水 雄太: チェンナイ関係、「 水の確保 」、「 お手洗 い事情 」、「 先行技術調査 」 牟田 博一:コルカタ関係、「 審査官と Examiner 」 篠原 将之:その他の部分 〈出発前〉  「 フォローアップ研修のため、二週間インドへ出 張してくれないか 」山本上席( 国際研修指導教官代 表 )のこの言葉から私のインド出張は始まった。  インド 特 許 意 匠 商 標 総 局( インド 特 許 庁( the Office of the Controller General of Patents, Designs &Trade Marks。以下「CGPDTM」という。))では、 2016年4月に約460名の特 許 審 査 官を採 用した。 CGPDTMの全審査官数がそれまで200人前後であっ たことを考えれば、採用人数の多さが分かってもらえ るだろう。一気に三倍以上に増員したのである。  CGPDTM に対する年間出願件数は 5 万件程度 ( 2015 年は約 46,000 件 )で、その内 27%が内国出 願であり、残りは外国出願である。審査待ち期間は 3〜4 年であるが、2018 年 3 月以降の出願に対しては これを 18 月に短縮する目標であり、目標達成のため に大量の審査官が必要になったのではないだろうか。  ただ、これだけの数の新人に十分な研修を行うこ とは流石に難しいらしく、インド側から、新人研修 写真1 インドとの協力関係を拡大するアクションプランに合意 する、小柳特許技監(当時)と CGPDTMのグプタ長官(2017年5 月26日。特許庁ホームページより引用)

(3)

さんと集合する。速水さん、牟田さんは私と同じく JPO からの派遣者で、菅原部長、羽鳥さんはインド 駐在員だ。仲間に会って多少心強くなる。いよいよ、 CGPDTM のデリー支局へ向けて出発である。  大型のワゴンに乗り込む。車窓から見るインドの 交通事情は正にカオスであった。道路自体は片側 10 車線もあるような広い道路であるが、そこに実に多 種多様な車両が走っている。ベンツ等の高級車から、 スズキ、トヨタ、ホンダ等の日本車、ヒュンダイ( 韓 国車 )、リクシャというオート三輪の如き、インド 独自の乗り物、自転車、裸足で歩いている人等々、 正に格差の著しいインド社会そのものである。交通 マナーも無きがごとしで、車線変更する際はウィン カーの代わりに、クラクションを当たり前の様に鳴 らす。インドの道路を走行中は常にクラクションの 音が響いてくる。また、逆走してくる車も時々いた。 菅原部長によると、「( 逆走車は )よくある 」とのこと だった。また、道路上には所々にかまぼこ形の路上 障害物があり、その手前で減速しなければならない。 「 こうしないと皆スピード出しすぎるから 」とのこと ( 現地駐在の人 )。もっとも、インドでは、この道路 の制限速度は何キロかとか、気にしている人は誰も いなかった。また、車検制度も強制保険もないそう で、日本では、とっくに廃車、スクラップ置き場に あってもおかしくないような車が平気で走っている。 信じられないことだが、バスには、そもそも出入り 口に扉がなく、停留所でも徐行しているだけで完全 に停車はせず、インド人乗客はマリオの如く、走っ ているバスから飛び降りたり、逆に飛び乗ったりし ていた。  また、レンタカーと言えば日本では車だけ借りて 運転は自分でするのが常識だ。しかし、インドでは 逆であり、レンタカーと言えば、運転手付きの車を 借りるのが常識である。一月丸々レンタカーしても 日本円で 3 − 4 万円程度で、それも車本体の価格が 半分以上らしいので、人件費の安さが分かるだろう。 JPO ではかなり偉くならない限り、運転手付きの車 を持つ身分になることなどあり得ない。しかし、こ こインドでは、普通の駐在員でも運転手付きの車に 乗っている。私は心底驚いた。ただ、後ほどお伺い 言葉を頂けることは、何物にも代え難い喜びである。  私達 3 人を含む国際研修指導教官はこの誇りを胸 に日々仕事に励んでいる。  さて、インド派遣前に周囲の人( インド経験者 ) に色々話を聞いてみたが、余りいい話は聞かなかっ た。曰く、必ず腹を下す、狂犬がいる、詐欺師、ポ ン引きがいる、「 感染症の宝庫 」 1 )である。特に A 型 肝炎と腸チフスが危ないと聞いたので、予防接種を 受けた。保険が利かないので実に高い( 併せて 3 万 円弱 )が命には代えられない。なお、注射実費は後 ほど JPO からお金が出た。コミュニケーションは英 語だが、インド人の英語は全く分からないという話 さえある。情報を集めるほど憂鬱になる。不安な気 持ちのまま月日は流れ、とうとうインドへ出発する 日がやって来た。 〈インド到着〉  出発当日にはインドの首都デリーで宗教指導者に 対する有罪判決に憤った人々が暴動を起こし、デ リーの一部にはハイアラート( 高度警戒警報 )が出 ているという物騒なニュースも入ってきた。  もしかすると暴動のため今次派遣は中止になるかも 知れないと考えたが、そんな筈もなく、飛行機は成田 を離陸、予定どおりの 9時間のフライトで、インディ ラ・ガンディー国際空港に到着した。到着したのが真 夜中だったため、暗くて周囲の様子はよく分からな い。ただ、飛行機から一歩おりると途端に体全体が 蒸気を大量に含んだ生暖かい空気に含まれ、「ああ、 これがインドか……」と感じた。空港の出口にはホテ ルのスタッフがちゃんと迎えに来てくれていて、まず は一安心である。迎えの車に乗り込みホテルへ向か う。ホテルで驚いたのは、入り口で手荷物検査と身 体検査があったことだ。検査は私のホテルだけでな く、何処のホテルでも同じだった。また、ショッピン グモールやレストランの入り口で検査されることも あった。テロを警戒しているのだろうか。  興奮して余り寝られずウトウトしている内に朝が やって来た。ホテルのロビーで、同行の速水さん、 牟田さん、ジェトロニューデリーの菅原部長、羽鳥 1) インドは感染症の宝庫といわれ,様々な感染症があります。これは都市部でも例外ではありません。特に消化器感染症とデング熱など の蚊が媒介する感染症には注意が必要です。(外務省ホームページより引用。http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/medi/asia/india.html)

(4)

寄稿6 人、 犬、 ときどき牛 偉大な国インドへの二週間の旅   インド新人審査官フォローアップ研修 屋内に鳩が巣を作り、折角のロビーが鳩糞で汚れて いること、ソファーから綿が飛び出していることが 気に掛かる。午前 9 時 30 分集合のところ、午前 9 時 前に着いたので、CGPDTM の担当者はまだ誰も来 ていない。折角なので記念撮影をする( 写真 3 )。  また、写真 4 にもあるとおり、ロビーには賄賂禁 止のボードが掲示してあった。  暫くすると、デリー支局のカルダム支局長が登庁 されたということで、お部屋に呼ばれる。支局長は 堂々たる体躯の偉丈夫である( 写真 5 )。まずは支局 長から本研修に対する謝辞を頂いた。インド人の英 したところによれば「 実際は、安全のために車で通 勤せざるを得ず、しかも自腹で運転手付の車を手配 しているので、毎月かなり手痛い出費です。好き好 んで運転手付の車で通っている訳ではありません。」 とのことであった。読者諸兄も決して誤解をなさら ぬよう。  インド人運転手はこの国の運転に大変慣れていて ( プロだから当然だが )、全くぶつからずにうまく運 転する。交差点でもクラクションを鳴らしながら割 り込みするのは当たり前で、中々入れてもらえない が、先方も車がぶつかると嫌なので最後は怯むので ある。つまり、怯んだ方が負けるという国であり、 「 譲り合う心で運転すれば事故はない 」という日本 など何処吹く風であった。  仲良くなったインド人運転手が私に面白い冗談を 言った。  「 インドはどちら側通行か?」、「 左側。日本と同じ だろ。」、「 違う。」、「 では右側とでも?」、「 それも違 う。」、「 もしかして両側 !? 」、「 正解。インドでは対向 車が来なければ右側を走って、対向車が来たら左側 へ戻るのだ。」  そう言って運転手は可笑しそうに笑った。私もつ られて笑ったが、確かにインドではそういう運転を する人も多い。 〈CGPDTMのデリー支局〉  30 分ほど走ると CGPDTM のデリー支局に着い た。CGPDTM のデリー支局は写真 2 のような建物 で、古い建物( 旧棟 )と新しい建物( 新棟 )が中庭( 外 廊下 )でつながった構造となっており、旧棟の入り 口がロビーである。吹き抜けがありお洒落であるが、 写真2 CGPDTMデリー支局の模型。手前の建物が旧棟で、奥の 建物が新棟である。

写真4 Do not pay bribes, と記載(二行目冒頭を参照) 写真3 私達3人。左から牟田、篠原、速水。

(5)

人も多く、非常に迫力がある。大学を出たばかりで 皆 20 代半ばのはずだが、実年齢 40 歳の私が一番の 小僧に見えるほどである。機械系のためか、研修生 は一人を除き、皆男性である( 写真 6 )。  最初に簡単な自己紹介をした後、去年の JPO の 新人研修はどうだったとか、日本へ行ったことはあ るか、等聞いてみる。驚いたのは、研修生のほとん どは生まれてこの方インドから出たことがないらし い、ということである。研修生は大学を卒業し、競 争率数十倍の試験を突破して CGPDTM に入庁した エリートばかりである。しかし、月収 4 万円程度の ところ、例えば日本に海外旅行へ行けば一週間ほど の滞在で 30〜40 万円もかかるので、 手が出ない、 とのことだった。エリートの彼らがこの有様である から、他の人はいうまでもないだろう。  私は( 仲良くなった研修生の一人に後で )「 隣国の パキスタンに遊びに行ったらどうですか?」と提案し てみたが、怪訝な顔をされた。どうもインドとパキ スタンの関係は政治的に複雑な問題もあって、国民 同士も余り交流がないらしい。 語を聞くのはこれが初めてなので身構えていたが、 支局長の英語は非常に明瞭で聞き取るのには何の問 題もなかった。これなら何とかなると妙な自信さえ 芽生えたが甘かった。後で分かったことだが、イン ド人の英語( の発音 )は極端に個人差があり、その 中でも支局長は相当上の方だったのだ。  続いて、全員でオープニングセレモニーの会場へ 移動する。会場には( 電気分野の )研修生がいる。 カルダム支局長、菅原部長が順々に挨拶され、続い て私達 3 人には各々花束が贈呈された。日本にはな い、熱帯風の原色鮮やかな美しい花々で香りも良 かったのだが、私はこれから始まる研修で頭がいっ ぱいで、花をゆっくり鑑賞する時間がなかったのは 残念なことである。ただ、カルダム支局長の訓示の 中の「 諸君もご存じのとおり、 日本人は時間厳守 ( punctual )であるから、諸君も決して研修に遅刻す ることのないように 」という一説が記憶に残った。 どうも日本人が仕事中毒且つ時間厳守ということ は、インドでも有名らしい。  いよいよ研修開始ということで、私達 3 人は電気、 機械、化学の各教室に分かれる。また一人に戻って しまい急に心細くなる。機械系の教室は新棟一階の 一番奥にあった。教室の扉の前で暫し立ち止まり、 大きく深呼吸した後、私は勇気を振り絞って扉を開 けた。 〈研修開始〉  初めて教室に入ると 70 人のインド人の若者が一 斉にこちらに視線を注いできた。緊張で身が引き締 まる思い。彼らは体格がよい上、髭を生やしている 写真6 デリー支局の研修生の皆さん 表1 フォローアップ研修の時間割 9:45-10:45 11:00-12:00 12:15-13:00 14:00-15:00 15:15-16:15 月 特許分類 休憩 先行技術調査 休憩 ケーススタディ1導入 昼休み 同 先行技術調査 休憩 新規性・進歩性 火 ケーススタディ1 起案 休憩 拒絶理由の起案 休憩 ケーススタディ1デ ィ ス カ ッ シ ョ ン・総括 昼休み ケーススタディ2 導入 休憩 同 先行技術調査 水 同 起案 休憩 同 ディスカッション 休憩 同 デ ィ ス カ ッション・総括 昼休み 品質管理 休憩 品 質 管 理 に 係 るディスカッション 木 ケーススタディ2’(補正) 休憩 同 ディスカッション 休憩 ケーススタディ2’に係る模擬面接 昼休み ケーススタディ2’ 総括 休憩 記載要件 金 ケーススタディ3(起案の試験) 休憩 同 休憩 ケーススタディ3 先行技術調査 昼休み 同 ディスカッション 休憩 全体総括、質疑応答及びラップアッ プミーティング

(6)

寄稿6 人、 犬、 ときどき牛 偉大な国インドへの二週間の旅   インド新人審査官フォローアップ研修 にやらせることとした。もっとも、後のムンバイ支局 では研修生は全員真面目に宿題をやってきた。一口に インド人と言っても地域により違いがあるようである。  午後 1 時までの三時限の授業が終わると、午後 2 時まで 1 時間の昼休みとなる。日本では昼休みは正 午から午後 1 時までが一般的だが、インドでは 1 時 間遅い、午後 1 時から 2 時までが一般的である。  昼休みは支局長のお部屋の隣の講師控え室のよう な部屋に集まり、皆で食事をしつつ、研修について 情報交換をする。仲間と日本語で語らい、ほっとす る一時である。講師控え室には写真 7 の男性の肖像 が飾られていた。インドでは、日本でも有名なガン ディーやネルーの肖像に加え、この男性の肖像を目 にすることが多い。インド憲法の父である、ビーム ラーオ・アンベードカル氏である。  午後は二時限のみである。講義の合間の休憩時間 には、お茶( チャイ )とお菓子が私や研修生の前に 出てくる3 )。有り難い限り。しかし、腹下し対策と して、できる限り飲まない・食べないことにしてい たので、このお茶やお菓子にも特に初めのうちは一 切口を付けなかった。研修生は心配して「 あなたは 全然飲んだり食べたりしないが、何処か悪いのでは 無いか 」と聞いてきた。事実は全く逆で悪くなるか も知れないから、飲んだり食べたりしないのだが、 とてもそうは言えなかった。ただ、インドに慣れて くると、お茶やお菓子は飲食しても何の問題もない ことが分かったので、ご厚意を有り難く頂いた。  そういえば、インド到着後何日かは、腹下し対策  私も研修生もお互い気分が落ち着いて来たところ で、いよいよ授業を始める。  時間割は表 1 のとおりである。つまり、1 日 5 時限 の授業が月曜日から金曜日まであり、前半は講義形 式( 網掛け部分 )が中心で、中・後半以降は、ケー ススタディが中心の演習であった( 表 1 )。  講義ではパワーポイント資料を教室の前面スク リーンに投影して授業をした。気が付いたのは、イ ンド人の学習方法は日本人のそれとは全く異なると いうことである。日本では教科書及びノートを持参 し、教科書は該当ページを常に開いておき、授業中 は先生の板書や発言をノートに書き写すのが、いわ ば「 技術常識 」であろう。しかし、インドは全然違う。 つまり、研修生は誰も( 一年前の JPO の新人研修で 配布した )教科書を持参せず、講義中もたまにノー トをとる程度である。それもせずただ黙って腕を組 んで聞いている人もいる。「 この人本当に分かってい るのかな?」と思って、意地悪質問をしてみたことも あったが、それでも正確に授業内容を理解した上で 見事に回答してきたので、心底驚いた。一言で言え ば彼らは「 耳学問の達人 」である。故にインド人相 手の授業では一々配布物が無くても( パワポ資料を 投影するだけで )授業は充分成立すると思った。  また、記憶力もかなり良いようで、復習を兼ねて、 JPOの新人研修で一度行った内容を簡略に繰り返し たところ「 既に昨年聞いた。同じ話を二度聞く意味 はない」と一部の研修生から手厳しい批判を受けた。  ただし、我々JPO 講師に対しては基本的にはリス ペクトしているようで、語尾に「 Sir 」を付けて話し ていた。例えば、朝こちらが「 Good morning. 」とい うと彼らは必ず「 Good morning, sir. 」と返答してき たし、こちらに質問してくる時も「 Sir, what do you think on this point? 」という感じである2 )

 また、デリー支局では、宿題を出しても、それを やってきた研修生は余りいなかった。研修に必要な ことは研修時間内(授業中)にやればよい、何故終業 後のプライベートの時間を割かねばならないのか、と いうある意味合理的な対応のようである。このことが 分かってからは、宿題は出さずに課題は全て授業中 2)Sir はだいたい誰にでもつけている気はします。 3) お茶とお菓子(クッキー等)は、インドでは基本セットです。日本と異なりお茶だけを出すことはなく、それこそ消化のためにクッキー 等が必ずついてきます。 写真7 ビームラーオ・アンベードカル氏

(7)

と路上に横倒しに寝転んで爆睡しており、人間が 5 センチ傍を通っても見向きは勿論のこと、何ら反応 しないという、大物ぶりである。  そして、CGPDTM のデリー支局内にも、まるで 自分の縄張りの如く、複数の犬が自由に出入りし て、旧棟と新棟をつなぐ外廊下にも犬が数匹、よく たむろしていた( 写 真 8 左 )。 また、 写 真 8 右 は CGPDTM のデリー支局の入り口に寝そべっていた 犬である。言うまでもなく全て野良犬であるのだが、 インド人は、 来客も CGPDTM のデリー支局のス タッフも何ら気にする様子はない。  しかし、私は噛まれたら狂犬病になると思うと、 特に外廊下を歩いて犬の傍を通るときは、生きた心 地がしなかった。「 何故なのか?」と研修生に聞いて 見ると彼の答えはこうだった。「 ヒンズー教の考えに 従えば、犬も人間も生き物という点では同じで、兄 弟である。彼( 筆者注記:CGPDTM に出入りする 犬。犬は it ではなく he という人称代名詞で呼んでい た )は野良犬ではなく、皆の犬( everyone ’s dog )で ある。私は、犬は勿論、アリ( 蟻 )にも毎日エサを あげている( 筆者注記:わざわざアリの巣の近くに 角砂糖を置くのだそうな )。犬にも勿論我々インド 人のこの気持ちは通じていて、人を兄弟と思ってい るから噛んだりしない。」  実際問題としてインドでは毎年大勢の人が狂犬病 で落命しているのにそんな悠長なことを言って良い のかとは思ったが、彼らの世界観が垣間見えて面白 かった。また、土曜日に黒い犬にエサをあげると良い ことが起こる(ので私はあげている)という人もいた。  もっとも、インド滞在が長くなるにつれ、私もイ ンド人同様犬を( 余り )恐れなくなり、寝ている野 として、野菜は一切食べず、水も必要最小限しか飲 まない、パン等の炭水化物しか食べないという暮ら しをしていたが、その結果、お腹を下すどころか逆 に便通が極端に悪くなり、腹にガスが溜まりパンパ ンに張ってカエルのようになった。ジェトロニュー デリーの羽鳥さんにもらったエビオス錠( 登録商標 ) を飲んで何とか事なきを得た。感謝あるのみ。分っ たのは、インドだからといって極端な食事をすると 却って体に悪く、生水は飲まない、生ものは食べな い、食事の前は手を消毒する、という基礎・基本を 徹底すれば十分ということである。  午後の授業も終わると、再び講師控え室に集合 し、カルダム支局長にご挨拶申し上げて、ホテルに 戻る。ホテルに戻った後は、皆で夕飯を食べて、部 屋に戻った後は今日一日の報告を書いて JPO へ メール送信し、一日の仕事は終わりである。  日によって違う部分もあるものの、一日の流れは 概ね上のようなものである。つまり、朝起きてホテ ルで朝食をとり、CGPDTM デリー支局へ向かう。 カルダム支局長に朝のご挨拶をして、午前の授業開 始だ。昼休みは講師控え室で昼食をとり、午後も授 業。一日の予定が終わると、ホテルに戻って夕飯。 寝る前に JPO に今日一日の簡単な報告を送り、床 に就く、と。この繰り返しである。 〈インドの犬〉  少しずつインドに慣れて、まず気になったのはイ ンドの犬( 野良犬 )である。私はインドといえば牛だ と思っていたが、実際行ってみると牛以上に犬が威 張っていた。街中で堂々とゴミを漁り、満腹になる 写真8 インドの犬 写真9 インドの犬に接近する筆者

(8)

寄稿6 人、 犬、 ときどき牛 偉大な国インドへの二週間の旅   インド新人審査官フォローアップ研修 生の英語は聞き辛かったが、ムンバイ支局の研修生 の英語はほぼ問題ないレベルだった )、確かにインド 人の英語は、一般的に日本人の耳には分かり難い。 その原因は多種多様だが、多くの者に共通していた 点は…… ① 発音が訛っている。例:d を t、z を j と発音する ( 例:drain が train に、zone が jone に聞こえる )。 ② 難 解 な 表 現 を 好 む( 母 国 語 からの 直 訳 だろう

か?)。 例:「 それは簡単になった 」を「 It has become easy. 」と言わず「 Its difficultness has been eased.( その困難性は緩和された )」と言う。 ③ 最初に結論を言わない。どうも話しながら考えて いるらしい。延々と理由を喋っており、結論がい つまで経っても見えてこない。 ④ 論点がずれる。噛み合わない。例:権利範囲を狭 くする補正の是非について議論すると、「 補正後の クレームに特許性があるのか。であれば、補正に ついては多めに見るべきだ 」と、論点をすり替え ようとする( 悪気はないが )。 ⑤ そもそも早口である。特に調子に乗ってくると凄 い早さになる。  以上を踏まえれば、対策は、( a )最初にこちらが 疑問文形式で論点を明確化すること、( b )回答に際 しては、まずは結論を次にその理由を簡潔に述べる という英語スタイルの話し方に相手をリードするこ と、及び( c )ゆっくり明確に話すよう初めに釘を刺 しておくこと、である。 〈研修生〉  前述のとおり、研修生の中で外国へ行ったことの ある人はほとんどいないのだが、日本を含む外国に は関心があるらしく、お互い打ち解けてくると、よ く以下のような質問を受けた。 ①被爆地の広島・長崎は今どうなっているのか。 ②中国についてどう思うか。 ③ JPO の初任給はどの程度か。 ④ インド( デリー )と日本( 東京 )を比べるとどのよ うな点が違うのか。 ⑤何故日本人はワーカホリック( 仕事中毒 )なのか。 良犬に接近して写真を撮る等の大胆な行為を行った ( 写真 9 )。しかし、一歩間違えば噛みつかれてもお かしくないので、賢明な読者諸兄は決して真似され ることのないよう。  そういえば、インド( 教室内 )で蚊を見つけたとき、 日本の要領で叩き殺そうとしたが、研修生の鋭い視 線を感じ、寸前で思いとどまった。インドでは例え 害虫でも無闇に殺すのは御法度なのである。 〈インド人の英語〉  時には研修生同士に議論( ディスカッション )を させてみた。結果、予想以上に盛り上がった。彼ら は確かに議論好きで、話し出すと止まらない( 写真 10 )。他人のマイクを奪い取って話す者、休み時間 もお構いなしに議論している者もいた。ただ、70 人 全員がよく喋るわけではなく、議論好きな人が 10 人 に一人くらいの割合でいて、残る 9 人は黙って聞い ているだけである。もっとも、雄弁家が 10 人に一人 でも、母数が 70 人ならば 7 人となるので、議論は途 切れることなく続いた。  ただ、私が困ったのは彼らの英語がよくわからな いことである。私は立場上、議論が一段落した時点 で何か総括コメントめいたことを言わねばならない のだが、議論の内容がそもそもよくわからないので、 実に困った。何とか誤魔化し切り抜けたが、最初は 冷や汗ばかりかいていた。それでも、インド滞在が 長くなるにつれ少しは耳が慣れ、コツめいたものが 分ったので、以下に記したい。  地域によって差はあるものの( デリー支局の研修 写真10 ディスカッション中の一コマ 4) 広島・長崎は、インドの教科書に載っていると聞いたことがあります。日本を訪れる時は、京都よりも、広島・長崎の方が先の人がい ます。インド最高裁長官を日本に招聘した際も、広島・長崎に関心がありました。

(9)

ている 」と 述 べていた。 一 部 の 支 局 とはいえ、 CGPDTM が転職のためのスプリングボードにしか過 ぎない現状には、研修の効果という観点からすれば、 大いに問題がある。折角お互いよい関係を築けたの に、2〜3 年もすればほとんどの研修生が転職してし まい、後には何も残らないからだ。離職率の高さが 最大の課題であるが、同時にこれは一朝一夕でどう にかなるものでもないと思った。ちなみに、上の質 問に「 大卒で 22 万円程度( 約 2000 ドル弱 )」と答え ると「 私も JPO 審査官になりたいがどうすればよい か 」と言われ参った。( JPO 審査官になるためには日 本国籍が必要条件であるが、それは言い難いので ) 〈テストとクロージングセレモニー〉  最終のケーススタディでは、テスト形式で起案を させ、このテスト結果に基づいて 5 段階評価を行い、 合格は 3 以上のみである旨宣言すると、研修生の態 度が一変し、今までで一番真剣に取り組んでいた。 要は、インド人は競争心旺盛であるので、それを上 手に刺激することが、効果的な研修に繋がると思 う。一部の研修生からは、「 修了証( certificate )」が 欲しい、というリクエストがあった。残念ながら、 修了証の発行は今回実現できなかったが、修了証を 含む具体的な「 証拠 」がインド人の心を掴む上で大 事だと思った。逆に言えば、やりっ放しの研修、後 には何の証拠も残らない研修では、彼らの心を掴め ない。  また、研修生からのフィードバックの 1つに、「(イ ンド人の講義と違ってJPOのそれは)インタラクティ ブで良かった。」というものがあった。些細な点でも よいので、Q&A形式を増やすのが良いと思われる。  質問に正答した研修生に景品を出すのも良い。特 技懇のボールペンを贈呈したところ大いに盛り上がっ た。駐在者(ジェトロニューデリー)によれば、イン ドの紙は質が悪いので、詰まりづらい日本のボールペ ン(三色ボールペンなどを含む)は喜ばれるとのこと。  最後の授業が終わった後はクロージングセレモ ニーであった。ただ、カルダム支局長が、電気、機 械、化学の各会場を順番に回ってくるので、中々我  このうち、①、②及び③について若干補足する。  まず①「 被爆地の広島・長崎は今どうなっている のか。」についてだが、日本といえば、人類初の原爆 被爆地の広島・長崎というイメージはインド人の間 にかなりあるようだ。被爆直後の惨状が印象に強く 残っているのだろうか4 )。私が「 広島・長崎共に今 は復興し、特に広島は人口 100 万を超える大都市で ある 」と説明しても、半信半疑の様子であった。もっ とも、このような質問をする研修生が核兵器反対論 者かどうかは定かではない。ちなみに、インド滞在 中に北朝鮮の核実験があり、これはインドでも大き く報道された。インドの新聞には北朝鮮を非難する 内容の記事も出ていたが、インド自身が核武装国で あることには何ら言及していなかった。  次に②「 中国についてどう思うか。」だが、国境紛 争を抱えていることもあり、 インドでは中国の評 判・イメージがよくない。故に、敵の敵は味方の論 法で、日本はインドのよい友人になれると思ってい るようである。ある研修生には「 今まで日中は何度 戦争して、それらの勝敗はどうか?」と聞かれたので、 白村江の戦いから先の大戦まで一通り説明した。あ と、インドには実に多種多様な人が居るものの、東 アジア系の顔立ちの人はほとんどいない?5 )ことも あってか、私はインド滞在中何度か中国人に間違わ れ、インド人から中国語で話しかけられたり、敵意 のこもった視線を向けられたりしたものである。  最後に③「 JPO の初任給はどの程度か。」だが、 インドでは他人の給与を聞くことはごく普通である ようで、実に気軽に質問してくる。そして、条件・ 給与のよい職場に転職することにも何の抵抗もない ようだ。例えば、民間企業( 特に外資系 )や特許事 務 所 へ 転 職 す る と 給 与 が 3〜4 倍 に な る の で、 CGPDTM の職員の中には数年で離職し、民間企業 等へ転職する人が多い。支局毎に程度の差はある が、一部の支局では新人審査官は大体 2〜3 年以内 に民間企業等に転職してしまう。CGPDTM 管理職 は「 給与が 3〜4 倍になることを考えれば仕方がな い。私( 管理職自身 )も時々転職を考えるが、もう すぐ年金受給資格が付くことと( 転職すれば )家族 と過ごす時間が減ってしまうことを考えて、我慢し 5) 実はインドの北東の方(ブータン、ミャンマー、バングラデシュで囲まれている地域)には、モンゴロイド系の人達が多く住んでいます。 そのため、実はインドにも東アジア系の顔立ちをした人は結構います。

(10)

寄稿6 人、 犬、 ときどき牛 偉大な国インドへの二週間の旅   インド新人審査官フォローアップ研修 ( https://patseer.com/ )という Web ベースの商用 データベースであり、主要国の特許文献を英語でテ キスト検索可能な他、近傍検索や検索履歴の保存な ど、基本的な検索機能を備えていた。また、主要な 分類による検索にも対応しており、IPC、USPC、 CPC はもちろんのこと、FI と F タームを入力する欄 もあった。ただし、実際に FI、F タームで検索した ことがあるかという問いに Yes という回答は皆無で あった。研修では講義や事例演習で FI と F ターム の有用性についても講義を行ったので、是非とも今 後の普及に期待したい。  スクリーニングに関しては、キーワードのハイラ イト機能はあるもののスペクトル表示には非対応の ようで、効率の観点からは JPO の検索システムに分 があるように思われた。一点、気になったのがスク リーニング速度の遅さである。ネットワークの混雑 度にも依存するが、文献の表示を指示してから実際 に表示されるまでに時間差があり、ひどい場合には 10 秒ほどかかることもあった。庁内のスクリーニン グ速度に慣れた身としては、これで十分な件数の文 献をスクリーニングできるのか若干疑問である。  また、CGPDTM ではペーパレス化を徹底してお り、本願や引例を精読する際も紙に打ち出さずに画 面表示だけを頼りに読み込んでいた。線を引いたり メモ書きしたい時は、PDF のハイライト機能やメモ 機能を活用するという具合である。JPO で同様の ペーパレス化を進めるのは業務効率を考えるととて も現実的ではないが、インドでは既に審査段階にお けるペーパレス化が数段先を進んでいる。これも若 い審査官の多いインドならではのことかもしれない。  なお、効率良く高品質な先行技術文献調査を行う には他庁の審査結果を参照することが不可欠であ る。インドでは特許局側から対応外国出願について の出願処理情報( 発明の新規性および特許性につい ての異論に関する情報、並びに容認された出願のク レームなど、審査報告書や調査報告書に記載されて いる情報 )を出願人に要求することができるが( イン ド特許法第 8 条( 2 )、インド特許規則 12( 3 ))、審 査官が自前で出願処理情報を入手できれば、出願人 の負担は減る上に、出願人の応答を待たずに適時に 情報を得ることができる。そこで、今回の研修では AIPN や必要に応じて Global Dossier、Espacenet 等、についても講義を行った。インドは WIPO が提 が機械分野のクロージングセレモニーが始まらない。 研修生もただ待っているだけで退屈そうなので、私 が余興と称して日本の歌を歌った。「 おさるのかご 屋 」を歌ったところ、大受けで、次に研修生の中の 歌の上手い人がインドの歌を返礼に歌ってくれた。 勿論、歌詞が私に分かるわけもないが、どことなく 「 月の沙漠 」に似た感じの語尾を長く伸ばす、バラー ド風のもの哀しい歌で現在日本のポップスとは全然 違って異国情緒たっぷりであった。  丁度、研修生の返礼の歌が終わった頃に、カルダ ム支局長ほかの幹部の方々がやって来た。「 教室で 歌など歌って!」と大目玉を食うのではないかと内心 焦ったが、反応は真逆で「 私達にも歌わせろ。」と言 いだし、次は幹部の方々が歌い始めたのだった。こ うして、我が機械分野のクロージングセレモニーは 何時の間にか日印カラオケ大会と化し、興奮はクラ イマックスに達した。歌詞は分からないが、皆で同 じ歌を聴いていると、気持ちが一つになったような 気がして、「 ああ。この研修講師を引き受けて良かっ た…… 」心からそう思ったのだった。  全てが終わった後はいよいよお別れである。研修 生と写真 11 を撮り最後は握手で送りだした。一週 間の研修は長いようであっという間であった。感傷 に浸る間もなく、私達 3 人は各々次の目的地へ向か わねばならない。 〈先行技術文献調査〉  インドの審査官のサーチ環境について見聞きして きた範囲で説明する。インドの審査官は大小 2 つの 画面を備えた 2 画面端末を利用しており、小画面に 本願を表示し、大画面に引例を表示して対比を行っ て い る。 利 用 し て い る 検 索 ツ ー ル は Patseer 写真11 最後に記念撮影

(11)

先方:「 No 」 当方:「 ではどうやったのか?」 先方:「 担当する Controller を増やした 」  また、このように Examiner の地位が相対的に低 いことから、CGPDTM の人に自己紹介する際には、 自分の経験年数に応じて勝手に Senior Examiner を 名乗るなどの対応をした方がよいだろう。  ところで、CGPDTMでは昨年4月の大量採用の影 響もあって、現在Assistant Controller1人に対して Examiner3〜4人の割合ということである。これは、 すべての審査官が 3〜4人官補を担当している状態と 同じである。Assistant Controllerはさぞ大変だろう と、Examinerの審査チェックにどのくらいの時間を 費やすのか? と尋ねたところ、案件が複雑でなけれ ば1日1時間程度とのこと。Assistant Controllerは 自分の仕事もあることからそうならざるを得ないのか もしれないが、指導体制には不安を覚えた。 〈ムンバイ〉  次の目的地はインド中西部の都市ムンバイであ る。ここムンバイ支局は研修生が全員で 15 名程度 とデリー支局の 5 分の 1 程度であり、私も二週目と いうことで慣れてきたこともあって、割合スムース に物事が進んだ。仕事はデリー支局で行ったことの 繰り返しであるので、ムンバイでの出来事は読者諸 兄の興味を引きそうなことのみ簡潔に記す。  まず、ここムンバイでは、Deputy Controller( 管 理職 )のシャルマ氏に大変お世話になった。シャル マ氏は招聘研修で日本に三カ月ほど滞在したことも あり、親日家で非常に友好的であった。シャルマ氏 を含む親日家との人脈を維持すると共に、今後も優 秀な人材を日本に招いて、日本の味方を増やすこと が大事だと思った。 供するドシエ情報共有システムである WIPO CASE にドシエ情報を取得する庁( Accessing office )とし て 参 加 済 みなので、 入 庁 5 年 目 程 度 の 審 査 官 に WIPO CASE の利用状況を聞いてみたところ、説明 してくれたのは PATENTSCOPE( WIPO が提供す る特許データベース検索サービス )であった。他の 機会に管理官の一人から審査システムを見せても らったところ、“ WIPO CASE ”というタブまで有っ たが、クリックしてもエラーが出て何も表示されな かった。残念ながらシステムの実装が間に合ってい ないのか、WIPO CASE への接続がうまくいってい ないのか、 何らかの問題により現時点では WIPO CASE にアクセスできていないようである。 〈審査官とExaminer〉  まず、CGPDTM における審査系職員のヒエラル キーは Sr. Joint Controller Joint Controller Deputy Controller Assistant Controller Examiner となっている。  次に、インド特許法によれば、Examiner の役割 は、Controller から付託された出願の特許性に関す る報告書を Controller に提出することであり、自分 自身で独立して特許/拒絶することはできない。そ し て、 実 際 に 審 査 を 行 っ て い る の は Assistant Controller と Examiner で あ り、Examiner は Assistant Controller に報告書を提出してチェックを 受ける。  こ れ ら の こ と か ら、Examiner、Assistant Controller はそれぞれ JPO の審査官補、審査官に該 当すると言える。  このことについては、一応知識として持っていた ものの、実際に会話をしてみると JPO の「 審査官 」 あるいは「 審査官( 補 )」のつもりで「 Examiner 」と いう単語を使ってしまい、話がかみ合わないことが 多々あった。  一例・2010 年に意匠審査の滞貨を一掃したとい う話をうけて 当方:「 担当する Examiner を増やしたのか?」 写真12 ムンバイ支局の研修生の皆さん

(12)

寄稿6 人、 犬、 ときどき牛 偉大な国インドへの二週間の旅   インド新人審査官フォローアップ研修 〈ガネーシャ祭〉  ガネーシャとは、胴体が人間、頭が象の半象半人 の神様でインドでは最も人気がある神様の一つであ る。車のダッシュボード上に小さなガネーシャ像が 飾られているのを何度か見た。私がムンバイへ行っ たのが丁度一年に一度のガネーシャ祭の時期で、研 修二日目の9月5日(火)が10日間のガネーシャ祭の 最終日、つまり一番盛り上がる日だった。この日は ムンバイの街全体がお祭り騒ぎである。街のあちこ ちに飾られているガネーシャ像( 小さいもので 3m 程 度、大きなもので 7〜8mで一戸建ての家ほどの大き さがある)をトラックの上に載せて街中を練り歩く。 そして人々が太鼓を叩いたり歌ったり踊ったりしな がらその後に付いて歩き、最後はガネーシャ像を海 やその他の水中に投入するのである。像は粘土で出 来ているから、水中で溶けるのでエコフレンドリーで あり、問題はないそうだ。ただ、熱狂した人々に幹 線道路が占拠され車は通行不能となる。ガネーシャ 像が大勢の人を付き従えて街の大通りを堂々進む様 は、まるで「 聖帝大行進 」である。北斗の拳の読者 であれば、サウザーがバイクに乗って最初に登場す るシーンといえば分かってもらえるだろう。しかも、 そんな集団が街のそこかしこにいるのだ。ともかく、 この日は正午までで研修終了とし、後は研修生に宿 題を出して、私はホテルに引き揚げた。  しかし、その後翌日の朝までホテルの部屋にいて もつまらない。フロントのスタッフに尋ねてみると、 ホテルのすぐ傍の集落にもガネーシャ像があるとい うので、好奇心で行ってみた。スーツ姿で一人イン ドの集落に入ると当然目立つが、この際そんなこと  ムンバイの研修生は皆大人しい秀才揃いで( 写真 12 )、英語は聞き取り易くてよかったが、議論( ディ スカッション )はデリーの如く盛り上がることはな かった。要は最初に発表する研修生の意見が結構 しっかりしているので、残りの研修生は「 私も同意 見 」といって簡単になびいてしまい、意見の相違が ないから議論にならないのである。仕方なく講師で ある私が無理に反対意見を出すのだが、当然の如く 秀才揃いの研修生から集中砲火を浴びるし、しかも 元から議論の盛り上げだけが目的の無理筋の反対意 見だから、数分も保たずに粉砕されてしまう。そし て、これを 2〜3 回繰り返すと私も疲れてきて、議論 はお開きとなるのである。 〈物乞い〉  ムンバイは国際金融都市と聞いていたので、外国 人で溢れた六本木のような街を想像していたが、少 なくとも私の見た限りでは、ただただインド人のみ であった。上記のとおり、( 東アジア系の顔のため ) 中国人と間違われる私はどこへ行っても悪目立ちし て、周囲の視線を痛いほど感じた。特にポン引きや 街のチンピラには絶好のカモに見えるらしく、私を 見つけるとすぐに近寄ってくるので、のんびり外も 歩けない。  また、ムンバイはデリー以上に物乞いが目立った。 幹線道路の中央分離帯( 灌木が生えている茂み )が 彼らの生活区域で、赤信号で車が止まると中央分離 帯から次々に出てきて、手に手にオモチャや小さな 花を持ちながら車の窓を叩いて回り、それらを売ろ うとするのである。中には幼稚園児のような小さな 子供もいて胸が詰まった。インドは物乞いしている 自国民を救済することが何よりも最優先だろう。  小心者の私は車が赤信号で止まる度にまた物乞い に窓を叩かれるのでは無いかと思うとドキドキして、 気が気では無かった。彼らも必死なので見込みがあ りそうだと思えばしつこく窓を叩いてくる。このよ うな時は信号が青に変わるまでが無限の長さに感じ られた。ただ慣れてくると分かったのは、目が合う と絡まれると言うことである。当初は物珍しさもあ り、彼らをガン見をしていたのがいけなかったので ある。途中からは書類を読んでいるフリか、寝たふ りをして目を閉じていると絡まれなくなった。 写真13 神々しいガネーシャ像

(13)

ている点が少なくとも三つあります。一つ目は、若 い人が多くて街に活気があること。日本では人口減 少社会に突入しましたが、インドでは毎年 1 千万人 以上人口が増加しているとかで羨ましい限りです。 二つ目は、インド料理が安くて美味しいこと。東京 にも多くのインド料理屋がありますが、やはり本場 にはかないません。三つ目は、人と動物が一つの街 の中で仲良く暮らしていることです。」グプタ長官が 怪訝な顔をしたので、私は言葉を継いだ。  「 つまり、インド人はヒンズー教の教えに従って、 本来は種族が違う牛や犬をも兄弟として慈しんでい ます。現在も世界各地では紛争が絶えませんが、世 界中の人がこのインドの考え方を学べば、人と動物 さえ共存可能なのですから、人類同士が平和共存で きないはずはありません。」  グプタ長官は破顔一笑し「 インドの農家では、ま ず牛の食事を作ってから、次に人の食事を作る。そ の位、牛を含む動物を大事にしているのだ。」と教 えて下さった。最初のご下問を無事に切り抜け、表 敬訪問は成功裏に終了した。 〈チェンナイ〉  チェンナイ( Chennai)はインドの南東部の沿岸部 に位置し、かつてはマドラス( Madras)と呼ばれてい たインド有数の大都市である。チェンナイ周辺はタミ ル語圏であることから、多くの看板や標識には英語 とタミル語が表記されていた。素人目にもヒンディー 語の文字とタミル語の文字は全く異なっており、イ ンドの国土がいかに広大であるかがうかがい知れる。 〈オフィスの様子〉  CGPDTMのチェンナイオフィス(写真14)は、空 港と市街中心部の中程にあるギンディー(Guindy)に 所在している。幹線道路のすぐ脇にあり、メトロの駅、 バス停もすぐそばにあるため、どの交通機関を利用し てもアクセスは良好である。駐車スペースはさほど広 く無く、駐車しているのはほとんどがバイクで、職員 の通勤手段は主に公共交通機関かバイクである。  オフィスの造りはデリー支局と類似しているが、 チェンナイ支局はより市街地寄りの立地のため、ス ペース事情はデリー支局とは異なるようである。昨 は気にしない。人生初のインド集落は想像以上で、 大勢の人、延々と続くみすぼらしい住居、所々にあ るゴミの山とそこから漂ってくる腐敗臭等、この世 のマイナスが一点に集まって来ている感があった。 しかし、である。ガネーシャ像が飾られている一角 だけは天国の如く清浄で、ガネーシャ像も塵一つな く磨きあげられ光り輝いている( 写真 13 )。また、 お供え物も山のようだった。この著しい対照は一体 何を物語るのだろう。生活が苦しいほど、人は神様 にすがるのだろうか。記念にガネーシャ像を写真に 収め、集落を後にした。ポン引きらしい人に声をか けられたが、振り切ってホテルの敷地内に逃げ込み、 私の人生初の、そしておそらく最後の、インド集落 探検は幕を閉じた。  その夜は遅くまで風に乗って鐘や太鼓の音、人々 の歓声が聞こえて来て中々寝付けなかった。あのガ ネーシャ像も今頃水に沈められたのかと思うと、何 だか勿体ない気がした。 〈グプタ長官〉  グプタ長官は CGPDTM のトップで、インドに 4 箇所ある CGPDTM の各支局( デリー、ムンバイ、 コルカタ、チェンナイ )を文字通り飛び回っている。 大変お忙しい方だが、幸運にもムンバイ滞在中のグ プタ長官を表敬訪問する機会があった。  ムンバイを含む CGPDTM の各支局には全て長官 室がある。ムンバイの長官室も広くて大変立派な、 高級ホテルの如き部屋だった。グプタ長官はよく糊 の効いた仕立ての良いシャツを着て、口髭を生やし ておられた。もっとも、グプタ長官に限らず、イン ド人の男性は大体髭を生やしている。髭の割合は日 本より遥かに高いと思う。  さて、グプタ長官からは「 インドは初めてか。イ ンドをどう思うか。」とご下問があった。この手の質 問はインドではよく聞かれる。正直、日本と比べる と立ち後れている所ばかりが目についてしまうが、 それを率直に言うわけにもいかない。また、インド 人は皆自分の国にプライドを持っているので、何と かしてよい点を見つけて褒めることが大事である。 しかし、即答が難しい場合があるかも知れないので、 予め答えをある程度準備しておく方がよい。  私の解答例はこうである。「 インドは日本より優れ

(14)

寄稿6 人、 犬、 ときどき牛 偉大な国インドへの二週間の旅   インド新人審査官フォローアップ研修 だけではなく、入庁 4,5 年目程度のある程度審査実 務を経験した若手も参加していた( 写真 16 )。その ことは事前に知らされていなかったため、急遽可能 な限り進んだ内容も講義に盛り込むようにして、彼 らを飽きさせないようにと苦慮した。研修終了後に 彼らから肯定的なフィードバックをもらい、ほっと したことを覚えている。こちらとしても、彼らが発 展した内容を引き出すようないい質問をしてくれた り、研修生同士のディスカッションをリードして盛 り上げてくれたりしたおかげで随分助かった。  その一方で、 審査官以外にも数名の学生がイン ターンとして研修に参加していることが判明した時は さすがに耳を疑った。研修初日に日本語で話しかけ られて驚いていると、彼女はチェンナイ市内にあるア ンナー大学( Anna University)の学生で、日本語を 勉強しているとのこと。講義の内容は難しいので、自 習のために参考になる資料を欲しい、と言ってくるほ ど勉強熱心な学生さんであった。彼女にはチェンナイ の見所やおすすめの映画等を親切に教えていただい た。インドで日本語が話せる人材は貴重であるから、 是非彼女には CGPDTMに入庁して、いつの日か招 聘研修で来日して欲しいと願っている。 〈チェンナイの料理〉  チェンナイではイドゥリ( 米粉で作ったパンケー キ )、ドーサ( 米と豆をすりつぶしたものをクレープ 状に焼いたもの )のような南インド料理を楽しむこ とができる。チェンナイに赴く前日、デリーのイン ド人ガイドに、チェンナイは何がおいしいのか尋ね てみたところ、「 とにかく辛い 」と身も蓋もないコメ 年 4 月の審査官の大量採用により、チェンナイ支局 でも審査官の執務スペース不足が深刻で、大量採用 組の中には、半ば廊下のような場所に長机と椅子と 端末を設置したスペースで業務をしている者も相当 数いた。彼らのモチベーションが下がらないか心配 になるが、そこに押し込まれている当人たちは、表 面的には至って平気そうな様子だったのが印象的で あった。もちろん、執務スペースの拡充は現在鋭意 進行中である( 写真 15 )。支局内を案内してくれた 管理官は「 デリー支局は敷地が広いからいいが、チェ ンナイ支局は敷地が狭いのでスペースを増やすのは 大変 」と言っていた。  研修中、いかにも新興国らしいと感じたのは、停 電が発生して急に室内が暗くなった時だ。幸い、小 休止中だったため、講義再開までには無事自家発電 に切り替わり、用務には支障が無かった。研修生に 聞いてみたところ「 たまにある 」とのことで、誰も動 じた様子は無かった。  チェンナイの研修には昨年採用された新人審査官 写真14 チェンナイオフィス外観 写真15 増設中の執務スペース 写真16 チェンナイ支局の研修生と

(15)

いタイミングで頂いた鶏白湯ラーメンは格別で、替 え玉を注文して完食した。日本人店員さんにお話を 聞くと、今回お邪魔した 2 号店はオープンしたばか りで、こちらで商売するのに大変な苦労をされてい るようであった。その苦労が実を結び、日本式の ラーメンがインドに根付いて広がっていくことを 願ってやまない。 〈チェンナイの見所〉  チェンナイの見所はなんと言ってもマリーナビー チである( 写真 19 )。当該ビーチは長さ 13km ほどで、 世界で 2 番目に長い都市型ビーチと言われている。 遊歩道から波打ち際まではきれいな砂浜が広がって おり、地元の人や観光客で賑わっていた。遊泳は禁 止されているため、人々は砂浜で談笑したり飲食を したりしてのんびり過ごしていた。遊歩道も整備さ れているため、道沿いの建物やオブジェ、海を眺め ながら散策するのもおすすめである。 〈コルカタ〉  コルカタ( Kolkata )はインド東部の沿岸部に位置 し、かつてはカルカッタ( Calcutta )と呼ばれていた 大都市である。隣接するバングラデシュと同じくベ ンガル語を公用語としているが、だいたい英語も併 記されており、筆者は困ったことはなかった。 〈コルカタ支局〉  CGPDTMのコルカタ支局は市東部のソルトレイク ントしか得られず、インド人をして辛いと言わしめ る南インド料理に相当警戒レベルを高めてチェンナ イ入りした。飲食店で料理を注文する際は、辛くし ないように念押ししたこともあり、食べられないほ ど辛い料理には遭遇することは無かった。  また、チェンナイは海に面していることから、魚 介料理もおいしく頂くことができる。その点、内陸 部に位置しているデリーとは対照的である。少々お 値段が張ったが、トリップアドバイザーでも評価の 高いレストランに行き、新鮮な魚がずらりと並んだ ショーケースの中から好みの魚を選択し、その場で トムヤム風の鍋にしてもらった( 写真 17 )。インドで もおいしいシーフードを頂くことができ、少し日本 との共通点を感じた。チェンナイにもちゃんとおい しいものがあるのに、教えてくれないとは件のイン ド人ガイドも人が悪い。  デリーにも日本食レストランや居酒屋があったが、 チェンナイには「 秋平( AKI BAY )」というラーメン 屋がある( 写真 18 )。日本人が経営しており、見た 目も味も日本国内で食べられるラーメンそのもので あった。インド滞在も 2 週目に入り、日本食が恋し 写真17 新鮮な魚介類が並ぶレストラン 写真18 秋平(AKI BAY)外観と鶏白湯ラーメン 写真19 Lighthouse展望台から望むマリーナビーチ

(16)

寄稿6 人、 犬、 ときどき牛 偉大な国インドへの二週間の旅   インド新人審査官フォローアップ研修  ところで、コルカタ支局には CGPDTM の意匠審 査部門が存在している。今回は特許審査官を対象と する研修だったが、話の流れから意匠審査官との交 流の機会も設けていただいた。CGPDTM では審査 官は特許および意匠の担当として採用され、初任研 修において双方について研修を受ける。その後、コ ルカタ支局に配属された特許審査官が突然指名され て、意匠の審査をするとのこと。実際、現在意匠部 門に在席している 9 名の担当官は皆、以前は特許審 査をしていたそうだ。また、そのうちの 1 人は今回 の研修の受講生であった。初任研修の後 3ヶ月間特 許の審査をしたところで意匠審査部門に異動してお り、しばらくすれば特許審査部門に戻るだろうから 今回の研修を受講するように言われたが、特許審査 から離れて 1 年近くたっており研修は難しかったと 感想を述べていた。 〈コルカタの料理〉  コルカタの料理( ベンガル料理 )の特徴は米と魚 介を多く使うことである。味付けもデリーの料理と シティにある。湿地帯を埋め立てた比較的新しい街 で、周辺には多数の池が存在している。コルカタは 人口密度が多く、ごちゃごちゃした「インドらしい」 街だと聞いて行ったが、コルカタ支局周辺は区画も 整理されるなどイメージしていたものとはだいぶ異な り、インド名物の渋滞にもほとんど遭遇しなかった。  コルカタ支局に到着して目についたのは大量の古 い包袋( 写真 20 )。これが、玄関、エレベーターホー ル、廊下等場所を問わず置いてあった。先に述べた ように、CGPDTM ではペーパレス化を行っており、 これらの包袋の中身の電子化は終了したそうだ。し かし、国の資料なので破棄することはできず、国立 図書館( National Library )に移動させる必要があ り、それを待っているとのこと。コルカタ支局にお いても、審査官大量採用により執務スペース不足に 陥っており、図書館スペースで仕事をしている審査 官もいる状態である。リノベーションも考えている が、まずはこの包袋が移動してくれないと……と担 当者はぼやいていた。  今回の研修はコルカタ支局にある会議室( 写真 21 )で行っていたところ、研修 3 日目( 水曜日 )の昼 になって突然、最終日( 金曜日 )は研修ができない と告げられた。曰く、金曜日にグプタ長官が出席す る会議が急遽開かれることになったものの、コルカ タ支局には適当な会議室が他にはなく、研修の方を 中止するしかないと。国際指導教官の中槇前代表か ら、突然のスケジュール変更は覚悟しておいた方が 良いという忠告を受けていたために心に余裕が有 り、予定を組み直して対応できたが、本当に何が起 こるか分からないものである。 写真20 コルカタ支局内に積み上げられた包袋 写真21 コルカタ支局での研修風景 写真22 コルカタ支局での昼食

参照

関連したドキュメント

しかしマレーシア第2の都市ジョージタウンでの比率 は大きく異なる。ペナン州全体の統計でもマレー系 40%、華人系

スキルに国境がないIT系の職種にお いては、英語力のある人材とない人 材の差が大きいので、一定レベル以

はありますが、これまでの 40 人から 35

はい、あります。 ほとんど (ESL 以外) の授業は、カナダ人の生徒と一緒に受けることになりま

「新老人運動」 の趣旨を韓国に紹介し, 日本の 「新老人 の会」 会員と, 韓国の高齢者が協力して活動を進めるこ とは, 日韓両国民の友好親善に寄与するところがきわめ

最愛の隣人・中国と、相互理解を深める友愛のこころ

 問題の中心は、いわゆるインド = ヨーロッパ語族 のインド = アーリヤ、あるいはインド = イラン、さ らにインド =

二月は,ことのほか雪の日が続いた。そ んなある週末,職員十数人とスキーに行く