Title
沖縄観光事業の国際競争力 −ハワイ観光との比較におい
て−
Author(s)
松鷹, 彰弘
Citation
沖縄短大論叢 = OKINAWA TANDAI RONSO, 7(1): 1-70
Issue Date
1992-12-20
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/10634
沖縄観光事業の国際競争力
一一ハワイ観光との比較において一一
1 はじめに2
観光の推移 2 - 1 ハワイ観光の推移2-2
沖縄観光の推移3
観光資源と主要観光市場3
-1
自然観光資源 3 - 2 文化観光資源3-3
主要観光市場 4 航空業と旅行業4
-1
航空業とハワイ観光4-2
航空業と沖縄観光 4-3 観光媒介と観光施設5
観光行政・政策5
-1
ハワイ州の観光行政・政策5
-2
沖縄県の観光行政・政策 6 観光の現状6-1
観光入込数 6-2 観光目的と旅行形態 6-3 平均滞在日数と離島訪問率 6-4 満足度と観光消費 7 まとめ - 1-松 鷹 彰 弘
1 .はじめに 本稿では、観光の推移、観光行政と政策、主要統計データなどの比較から、 ハワイと沖縄の観光戦略の違いと沖縄観光事業の国際競争力について考察する。 WTO など国際観光振興機関の調査によれば、 1990~2000年の 10年間に世界 全体の国際観光量は
50%
以上成長し、総収入は2
倍になる。なかでも東アジア・ 太平洋地域の成長が最も大きく、9
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年の世界全体の10%
が2
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年には25%
にな るという。だが成長と共に競争が激しくなり、新たに脚光を浴びる観光地があ らわれる一方で、表退し脱落するところも出てくる。沖縄観光も、今後はこう した国際競争の波を回避できない。そこで、まずはハワイと沖縄を比較して考 察しようと試みた。 「沖縄はハワイと似ている」とよく言われる。とくに観光事業は同一線上で 展開されていると考えられている。その原因の一つは、第一次から三次までの 沖縄振興開発計画のi
!!E熱帯性海洋性の自然特性を活用して海洋性レクリエー ションの場の開発整備を促進する」などの設定であり、「世界に誇れるトロピカ ルリゾートおきなわの形成を目指すj リゾート、沖縄マスタープランであろう。 だが、観光資源特性と市場特性が異なり、歴史的・政治的背景も異なるハワイ と沖縄の観光事業は、マーケティングから開発政策まで全く違った形で推進さ れている。 国際的市場別マーケティングを強力に進めるハワイのHVBは、「情報が観光 地の運命を決める」として、競合するカリブ海や南太平洋の島しょ観光地の動 きを綿密に調査している。島しょリゾート地の先達であるハワイの観光戦略に 触れると大いに触発されるし、米本土の不況や日本人観光者のハワイ離れをど う克服するかなど興味を引く主題もある。しかし沖縄観光事業の国際競争力を 高めるには、ハワイと明確に異なるコンセプトの確立が重要だと考える。なお、 今後他の島しょ観光・リソート地との比較において、沖縄観光事業の国際競争 力について継続して考えてゆきたい。2
.
観光の推移 島しょ経済には、資源に限度があり、島内市場規模が小さく外部市場への輸- 2
-送コストが高くっしこのため大規模経営による生産性向上が困難で、投資財 源も少ないなど共通の制約条件を持つが、そのなかで可能性の高い産業のひと つが観光産業だといわれる。クックによる発見以来
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年余り、ハワイは先進諸 国の投資やアドバイスを積極的に受け入れて、石器時代 農業社会 都市型社 会へと駆げ抜けてきたが、この牽引役は観光産業であった。沖縄も観光・リゾー ト産業を先導的・戦略的産業に位置付ける(1)として、熱い期待をか砂ている。ハ ワイと沖縄の観光の推移には異なる点が多いので、まず概観したい。2
-1
.
ハワイ観光の推移 ハワイ観光は2
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世紀初頭の米国の豪華客船観光時代、裕福層のバケーション リゾート地としてはじまる。戦後の航空革命とともに世界的なリゾート地とし て成長するが、9
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年の伝統を持つHV
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の強力な 観光マーケティング、ワイキキ以来の計画的開発、州外投資、とくに日本資本 の導入なども寄与している。(
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)
石器時代からの脱皮 英国の探検家・ジェームス・クックがハワイ諸島を発見した1
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年当時、ポ リネシア全体が原始的な石器時代にあり、タロ芋・榔子・バナナなどの農産物 と豚・鶏・犬の家畜などによる自給自足経済にあった。ハワイ諸島四王国の聞 では常時勢力争いが行なわれ、厳しい社会階級制度が宗教上のカプー制度と結 びついて社会秩序が保たれていた。 ①白檀輸出…1
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年、クックの3
固にわたる航海オフィシャル・レポートが 発表されると、英国商人達が米国北西海岸で買い付けた毛皮を中国へ売るため に太平洋に進出、ハワイに立ち寄るようになる(
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年-
-
-
-
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。彼らはハワイに白 檀の木があることを知り、これも買い付けて中国に輸出した。白檀貿易はカメ ハメハ一世により王家の独占事業となり、キャッシュ経済の源泉となった。 ②鯨油中継基地…クックの探険に同行したこともあるジョージ・パンクーパー らのアドバイスにより、1
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年にカメハメハ一世がハワイを統一、ハワイ王国 が誕生した。1
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年になると続々と米国の捕鯨団が訪れ、ハワイが鯨油の中継 地となり、船を対象とした商業・貿易が興った。また1
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年には米国組合教会。 毛
U派の宣教師がキリスト教の布教のため来訪、文字を教え、原住民女性に生活指 導を行なった。宣教師の一人であるウィリアム・リチヤードがカメハメハ三世 のアドバイザーとなり、立憲君主国としての不文律をつくり (1824年)、港湾条 例 (1825年)、刑法典 (1835年)が整備され、 1840年には憲法が制定された。グ レート・マへレと呼ばれる土地改革も実施 (1848年)されている(王の領地の 半分が曾長と平民に与えられた)。 ③熱帯農業…1850年代末になると、乱獲・乱伐により鯨も白檀も枯渇した。 このためハワイの農業開発のために招聴された英国の農学士ウィルキンソンの 指導により、カメハメハ三世がカウアイ島の王領地をラッド・カンパニーに貸 与 (1835年)、砂糖キビの耕地栽培が開始される。パイナップル・コーヒー・バ ナナなどの栽培も行なわれるようになった。カリフォルニアにゴールドラッシュ (1848年)が起ると、ハワイの農産物輸出が拡大(1854~1872年)する。とこ ろが悪疫の流行などで原住民人口が減少し農業労働力不足となり、中国(仕1邸852 年)や日本 (1868年)から契約労働者の導入が行なわれた(ω幻)2 ( 白ω2幻) H V Bの創設とワイキキ開発 19世紀の終わりから20世紀初頭にかけて、大西洋を往復する豪華客船が登場 し、北アメリカからヨーロッパへの旅行が盛んになる。「ヨーロッパへの旅の時 代」 ωである。 ①定期客船…1867年に米本土・ハワイ聞にも定期客船が就航する。その前年 にハワイ島に建設されたボルケーノ・ハウス・ホテルがハワイ観光の晴矢となっ た。 ②裕福層のバケーションリゾート…1898年にハワイはアメリカの属領となる が、ハワイが中央太平洋における米海軍給油地として戦略上重要な地理的位置 にあったこと、砂糖・パイナップル加工などのトロピカル農業が盛んなことが 併合の理由であった。 20世紀前半までは軍事支出と農業がハワイ経済の中心で あり、観光産業の比重はまだ低い。米本土から遠いハワイは定期船利用の長期 旅行が可能な裕福層に限られた。 ③H V Bの創設… 1902年に民間の観光振興組織として H V Bの前身である H P Cが設立され、米本土で精力的な観光宣伝活動を行なう。また、モアナホテ
- 4
-ル (1901年)やアレキサンダーヤングホテル (300室・1903年)が開業、マトソ ン汽船会社 (1901年)も創立されるなど観光産業は着々と体制を整えて行く。 ④ワイキキ開発…ワイキキを世界的リゾートセンターとして計画的に開発す るために、 1922年にワイキキ埋立事業 (WaikikiReclamation Project)が開 始される。ワイキキは元々わずかな砂地の海岸のある湿地帯だったが、ダイヤ モンドヘッドに近く、南に大きく湾曲していて、観光ピーチとしては最高の立 地だと考えられた。水抜きのためアラワイ運河が掘られ、多量の砂が運び入れ られてワイキキビーチが完成する。ビーチ近くにホテルが建設されるが、なか でもロイヤル・ハワイアン・ホテル (1927年開業)は上流階級の3ヵ月のバケー ションにも十分なサービスを提供した。 1920""""40年代のワイキキはエレガント で最高のサービスと施設が代名詞であった。ハワイアン音楽やフラダンスの多 くもこのころ作られるが、最大の傑作はHVB発明による「アロハ・スピリッ ト」のキャッチ・フレーズである。 ⑤ハワイコールズ…1921年から入域観光統計がとられるが同年は約8千人、 以後も堅調に伸びて1928年には2万人近くになる。だが、世界大恐慌の影響で 1930年には1万8千人台に低下、ハワイ観光は最初の危機を迎える。ハワイ側 は米本土のラジオ局を通して、ハワイアン・ミュージックを徹底して流す宣伝 作戦「ハワイコールズ」により30年代後半には回復させ、太平洋戦争前年(1941 年)には31,846人にまで伸張させている。 1936年、ハワイ・カリフォルニア聞 に航空輸送が開始されるが、空路利用の旅行者は1,153人 (1941年)に過ぎず、 ほとんどの旅客が船を利用した。 1941年12月の太平洋戦争勃発でハワイ観光は 停止状態となる。 ⑥航空革命…1945年の戦争終結以後の3年間、ハワイ就航の客船は兵士輸送 用に供用される。このためHVBは航空会社へ航路拡大を働きかけ、各種会議 の招致に全力を注ぐ。その頃には航空機の性能も向上し、 1948年には空路利用 が75%になる。 1950年の入込数は46,593人と戦前を凌ぐが、航空運賃が高額で ハワイは依然裕福層のバケーション保養地であった。 (3) 観光産業の飛躍 1959年にハワイは米国50番目の州になった。これを契機に州外投資が増加、 - 5ー
とくに観光関連施設に投資が集中する。 ①観光産業元年…シェラトン社のハワイ進出 (1960年)を契機に、ワイキキ に数々の宿泊施設の建設が行なわれる。ハワイ立州に加えHVBの商工会議所 からの独立もあった1959年がハワイ観光産業元年といわれる。 ②ジェット機の登場…60年には航空機がジェット化され、米西海岸からの航 空時聞が10時間から
5
時間に短縮された。同年の入込数は24万3千人、宿泊客 室数は6,825で、84%がワイキキにあった。航空輸送能力の発達と共にハワイ観 光の高度成長が始まり、1960年代後半にはボーイング747などのジャンボ機が導 入され、米国の圏内航空自由化政策により航空運賃も低下して中流以下の米国 人のハワイ観光が可能になる。 ③日本人観光者…1964年の日本の海外渡航自由化以後は日本人観光者も増加 してゆく。とくに86年の円高を契機に日本人観光者が急増し、91年では144万人 と全体の21%になり、1人1日あたりの観光消費額も増加(ドルベースも円ベー スも)して、ハワイの総観光消費額の42%が日本人によるといわれる。 ④湾岸戦争後の停滞…1959年から91年までの入込増加率は年平均で11%、91 年の入込総数は687万人になっている。しかし、湾岸戦争以降のハワイ観光は停 滞している。日本人観光者のハワイ離れもみられる。 (4) 観光用地計画と日本資本 立州当時、ハワイの主要産業である砂糖・パイナップル産業が国際競争の危 機にさらされていた。このため州政府は観光・リゾート産業に重点を置く。①観光用地計画(VisitorDestination Areas in Hawaii)…ノ、ヮイ州は1960年、 観光用地計画を作成する。計画は既存のワイキキとハナに加えて新たに
1
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の観 光開発地区を指定、以後30年以上にわたり指定地区に計画的なリゾート開発が 行なわれる。ワイキキは高密度に開発されたアーパンリゾートとなり、マウイ 島、ハワイ島など隣島には大規模なディステイネーション・リゾートが展開さ れる。 ②日本資本…1970年代以降州外からのハワイ投資に日本資本が加わり、ワイ キキの多くのホテルが日本企業に買収される。その後しばらく減速していたが、- 6
-86年の円急騰で再燃、州外投資の 9割以上が日本資本となった。 91年末現在で はハワイのホテル客室の約60%、高級ホテルの80~90% が日本人所有になって いる(後述)。日本人個人による別荘やコンドミニアムの購入も増加して、ハワ イの不動産価格総額の約
1
割を日本人が所有するといわれる。日本人による投 資と観光消費は、ハワイ経済の構成を後戻りできないほどに変えている。(
5
)
観光産業の比重 ①観光収入…ハワイ立州時 (1959年)の主要輸出産業は、一位・米国軍事支 出 (3億1,600万ドル)、二位・パイナップル(1億2,800万ドル)、三位・砂糖(1 億2,300万'¥,)、観光消費は第四位の 1億900万 であった。 5年後の64年には観 光が砂糖・パインを抜き、 70年代になると軍事支出をも超えてハワイのリーディ ング産業となり、 91年には99億2,100万 と 100億 の大台にあと一歩になって いる(図表 2- 1)。雇用面では、 59年では砂糖・パイナップル産業の就業人口 が13%、観光産業は11%だったが、 90年では砂糖・パインは 1 %にまで低下し て、観光が40%近くに増加した。州 G N Pにおける観光産業の構成比率も約% を占めている(図表2-2
)
。 図表2
ー1 ハワイの主要輸出産業.
.
観光消費 軍事支出 砂 糖 パイナップル 1970年 595 916.8 187.8 138.6 1975年 1,360 1,442.1 366.1 136.7 1980年 2,875 1,865.0 594.1 226.5 1985年 4,986 2,810.1 340.8 222.5 1990年 9,410 3,203.3 328.9 215.9 {Hawaii Data Bookより) 図表 2-2 ハワイ州生産の構成 州総生産/観 光 防 衛 砂糖パイン 百 万 ド ル 1970年 4,414 13.5% 20.8% 7.4% 1975年 7,411 18.4% 19.5% 7.0% 1980年 12,226 23.5% 15.3% 6.7% 1985年 16,875 29.5% 16.7% 3.3% 1990年 26,945 34.9% 11.9% 2.0% (沖縄タイムス・構造転換進めるハワイより)- 7
ー東西冷戦構造の終決と共に今後軍事支出の削減は避けがたいが、砂糖とパイ ナップルはすでに比較優位を失っており、このままでは観光産業の比重がさら に高まることになる。ハワイでは
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年代始めからハイテク産業育成に力を入れ ているが、ハイテク産業がハワイ経済成長に貢献するのは2
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世紀に入ってから だといわれる{九2-2
沖縄観光の推移 1955年以降、日本ではマスツーリズム(観光大衆化)が進行するが、沖縄観 光はこの頃、沖縄戦犠牲者を「慰霊」する墓参団により開幕する。慰霊観光は、 戦争・平和を主題とする「修学旅行j に引き継がれ現在にいたる。復帰前は琉 球政府のドル通貨切替えと低物品税政策で「舶来品ショッピング」も賑わった。 復帰後は「周遊観光」が盛んになり、「沖縄海洋博」は国家による観光振興イ ベントであり入込数が急増する。海洋博前の公共投資と海洋博開催の経験はそ の後の活発な「コンペンション・イベント」にもつながっている。海洋博後の 落ち込みが航空業・旅行業の沖縄投資により救われたことから、以後の沖縄観 光は観光媒介主導で進行する。一時、「新婚旅行J
も増加する。万座ビーチホテ ル開業を契機に数多くのリソートホテルが建設され、「リゾートホテル滞在とマ 墓参 千人…---一一一 図表2-3 観光目的と入込数の変化 3000r 修学旅行 舶来品ショッピング 新婚旅行 周遊観光 2000 10008
-リンスポーツ
J
が観光目的に加わる。 ハワイが終始一貫して滞在型リゾート地なのに対して、沖縄は推移と共に色々 な観光目的が誕生している。現在は、周遊、リゾートホテJレ・マリンスポーツ、 コンペンション・イベント、修学旅行が 4本柱になっている(図表 2- 3)。(
1
)
慰霊観光と舶来品ショッピング、修学旅行 終戦まもなく建立された各府県ごとの戦没者慰霊塔や戦跡を参拝する遺族団 が徐々に増加し、 1956年には総入込数1万3千人となる。 63年には通貨がドル に切り変わったため舶来品ショッピング目的も加わり、 65年に5万人、 67年に は10万人を越えて、復帰前年の71年には20万人の大台に乗る。 ①観光関連施設…観光者は沖縄の青い海と空など自然観光資源は評価したが、 観光施設やインフラの水準は相当ひどいものであった。次のような問題があっ たという(5)。 的安全に飲める水と公衆衛生。 付)宿泊施設の客扱いの荒々しさ、平凡な食事、石鹸・タオルの不備、高い宿泊料。 (ウ)道路の狭さ、でこぽこと砂ほこり。 伺街のチリ散乱、戦跡の物売り、売春、精神病患者の野放し。 ②沖縄観光協会…1954年に観光業者により沖縄観光協会が設立され、乏しい 財源の中、観光看板の設置やガイドの養成が始まる。これに対して琉球政府は 当初、「観光振興は業者のやるべきことで、政府当局は指導助言に当たればよい」 との姿勢であったが、入込数が増大すると、観光に力を入れ始め海中展望塔な どが建設される。 ③旅行業・宿泊業…復帰前は地元旅行業者が身元引受をして日本人観光客を 受け入れていた。宿泊施設数は政府登録ホテル・旅館が20軒(客室数779、収容 人員1,669人)、その他にユースホステル、青年の家、簡易宿泊所があった (69 年)。沖縄への交通手段は、 54年には空路1/3・海路2/3だったが、 58年に半々と なり、復帰直前の71年には空路2/3・海路1/3と逆転している。 ④舶来品ショッピング…沖縄への慰霊園は85年の40回思でほぼ終了したが、 かわって平和教育が主目的の修学旅行が増加する。舶来品ショッピングは本土 復帰特別措置として観光戻税制度が採用されたが洋酒中心の利用にとどまり、- 9
-時計・貴金属類の売上が急落する。舶来品ショッピング観光は復帰とともに実 質的に終わったといえる。
(
2
)
周遊観光と沖縄海洋博、コンペンション 沖縄の本土復帰 (72年)は世紀の出来事でありマスコミが連日報道し、パス ポートも不要となり、復帰前年の20万人から 72年44万人、 73年74万人と年々倍 増する。海洋博が開催された75年には、復帰前の約 8倍・ 156万人となる。 ①周遊観光…復帰直後に定期観光パスによる周遊観光コースが出来て、春(3 月がピーク)・秋 (10月)中心の周遊が慰霊とならぶ観光目的となる。 ②沖縄海洋博…75年 7月から翌年 1月に開催された沖縄海洋博の延べ入場者 は348万人(予測455万人)、県外参加者121万人(同 146万人)といずれも予測を 大きく下回り、各方面に期待外れが広がる。だが、海洋博開催の経験はその後 のコンペンション・イベントの活発な開催につながっている。 87年には沖縄コ ンペンションセンターがオープン、サントピア沖縄などのイベントも徐々に浸 透し入込数増大に寄与している。 (3) リゾートホテル滞在とマリンスポーツ 海洋博後の入込数は-E!.開催前に戻るが、 77年120万人・ 78年150万人・ 79年 181万人と急速に回復し、成長に転じる。日航・全日両社の沖縄観光投資と本土 旅行業の本格送客が寄与している。 ①航空業の沖縄投資…日航・全日空は競って高級ホテルを県内各所に建設し、 大々的な沖縄キャンペーンで誘客をはかる。需要拡大と共に積極的な航空輸送 力の強化も行なっている。 1977年早々から本土大手旅行業者による本格送客が 始まり、 1日目・南部戦跡めぐり、 2日目・中北部観光などの旅行日程と観光 コースもこの時期に作られる。 79年になると、全国各地の中小旅行業者も送客 を始める。海洋博後の沖縄観光産業は日航・全日空両社の競合と全国の旅行業 送客ネットワークにより牽引されてゆく。 ②新婚旅行…7
7
年に沖縄・与論が新婚旅行先第一位となり、低迷を続けてい た観光者1人平均土産品売上高も上昇するが、 83年には国内・海外半々となり、 以後圧倒的に海外への新婚旅行が増えてゆく。 ③オイルショック…オイルショックにより 80~83年の沖縄観光は低迷する。 - 10一先行きについての不安が広がるなかで、航空業は大型リゾートホテル建設を行 ない、沖縄キャンペーンも続行している。 ④万座ビーチ…83年6月、沖縄万座ピーチホテルが開業した。三方に海を望 む岬の先端に地上9階建ての建物、客室数401・収容人員1,200、当時の沖縄で 最大規模である。吹き抜けのロビーの天井は開閉可能、空・太陽・海が最大限 に建物に取り入れられている。ガスタービンによる自家発電とその廃熱を利用 した省エネ設備、ホテル内で使われた排水も一度浄化して雑用水に使われた後、 再度浄化して沖合に流されるなど環境への配慮もある。オーナーの全日空は「沖 縄全体の観光客数を底上げする」と豪語する。万座ビーチの成功に刺激されて、 リゾートホテル建設計画が次々と発表されるが、いずれも「万座ピーチをしの ぐ国際級
J
が目標となった。 ⑤リゾートホテル滞在…有名リゾートホテル滞在はパッケージツアーの目玉 となっている。リゾートホテルの建設と歩調を合わせて入込数は84年に200万人 台 (208万人)に乗せ、以後も順調に伸長して91年には301万人になっている。(
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)
観光収入 1975年から5年ごとの観光収入額と、県外受取額に占める比率は図表2- 4 の通り。 91年の観光収入は3,358億円、 75年からの17年間に2.6倍に成長してい る。 89年現在、観光収入は県外受取額の17.8%と産業としては第一位である。 図表2-4 観光収入の推移 観 光 収 入 比 率 砂務・パイン 石油製品 軍関係受取 そ の 他 d仁』ヨ 計 1975年 127,655 14.5% 27,140 162.311 101,966 462,782 881,854 1980年 180,315 13.0% 23,564 224,010 112,387 842,887 1.383,163 1985年 227,090 14.6% 23.434 121,030 147,345 1,033,506 1.552.405 1989年 301,137 17.8% 22,551 65,508 144,532 1,159,533 1,693,261 (観光要覧より)3
.
観光資源と主要観光市場 ハワイは国際リゾート地、沖縄は圏内観光地である。マーケティングや開発 以前の問題として、観光資源の特性と主要市場との距離の差がこの背景にある。 噌 E A 唱i3
- 1
,自然観光資源 火山列島であるハワイと隆起サンゴ礁と古成層からなる沖縄の自然景観や気 候など自然観光資源は、同じ亜熱帯に属するといっても各々異なる。総面積で はハワイが沖縄の7.4倍、人口はほぽ等しい(図表 3- 1)。 図表 3- 1 面積と人口 ノ、 ワ イ 沖 縄 有 人 島 7 有 人 島 43 I 総 面 積k
m
'
16,750 総面積k
m
'
2,263 ハ ワ イ 島 10,330 沖縄本島 1,216 マ ウ イ 島 1,880 西 表 島 284 オ ア フ 島 1,581 石 垣 島 221 I カウアイ島 1,429 宮 古 島 159I モロカイ島 675 久 米 島 56 フ ナ イ 島 361 南大東島 31 ニイハウ島 182 伊良部島 30 人 口 1,108,229人 人 口 1,222,398人 l (1) 自然景観 ハワイ観光は変化に富む自然景観とリゾート地として理想的な気候を軸にし て展開されている。 ①ハワイ…ハワイの約130の島々には「ハワイアン・チェイン」と呼ばれる火 山脈が通っている。 的約2,500万年前から、ミッドウェイ島あたりを起点として南東に向かって次々 に火山が噴火してハワイ諸島に到達、ハワイ島ではいまだに火山活動が続いて いる。火山活動が南東に移動するにつれて、ハワイ列島の北西端から浸食活動 が起こり、現在はマウイ島西部に達している。マウイ島から北の島々には、浸 食によって作り出された険しい山系、峡谷、峰々を見ることができる。これら 自然のきまぐれが創りだした不可思議な景観は、ハワイ観光の醍醐味である{九 州ハワイには主要8島と 124の小さな島々からなる。人の住むのはこのうち 7 島だが、ニイハウ島はロビンソン家の私有の島であり、観光が可能なのは次の の L 唱 E A6島である。 0カウアイ島…火山活動が最初に終わった島で、雄大なワイメア渓谷、幻想 的なシダの調窟、潮吹き穴など変化に富んだ島であり、「庭園の島」と呼ば れる。 0オアフ島…ハワイの首都ホノルルのある島で世界的に名高い観光地ワイキ キを有する。観光者のほとんどが到着するハワイの表玄関であり、「出会い の島」と呼ばれる。 0モロカイ鳥…のんびりとした自然で素朴な島。「友愛の島j と呼ばれる。 0ラナイ島…島のほとんどをドール・パイナップルの親会社が所有する。パ イナップル産業が島の経済の全てであったが、最近超高級リゾートが誕生 した。「パイナップルの島j も新しい時代を迎えつつある。 0マウイ島…世界最大の休火山ハレアカラのある東島と、プウククイン山の ある西島が溶岩流でつながってひとつになった瓢箪型の島。ハワイ王朝時 代の旧都であり、捕鯨基地だった港町ラハイナの他、人気リゾートを多く 持つ。「渓谷の島」と呼ばれる。 0ハワイ島…ハワイ諸島の中で最大の島。地質学的に最も若い島で、いまな お活発な火山活動が続いている。日本の火山と違って危険は少なく、噴火 が最大の観光資源になっている。「火山の島jとも「ビッグアイランド
J
と も呼ばれる円 (ウ)海抜4
,207m
のマウナ・ケア山が最高峰、流路延長53kmのカウコナフア川が 最長川、 4 , 047 の広大なカワイヌイ沼、高さ 533~;;; のカヒワ滝(モロカイ島)な どがある。 〈エ)19
9
0
年に行なわれた主要1
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ヵ所のピーチ・渓流の水質調査では、78%
がE
PA
標準以内にある。 ②沖縄…東西1
,0
0
0
k
m
、南北4
0
0
k
m
の海域に点在する4
2
の有人島、1
5
の無人島 から形成されている。離島のうち久米島、宮古島、石垣島、西表島を除いてほ とんどが小規模な島である。 開島々の地形は大きく二つのタイプに分けられ、隆起サンゴ礁を主とする扇 平、楕円形のものと古成層などによる険しい山地型のものがある。沖縄本島南 q a 唱 E A部および宮古島、多良間島、南北大東島は前者であり、沖縄本島北部および石 垣島、西表島、慶良間列島、与那国島などは後者の例である。 付)島しょ周辺の海域は、よく発達した裾礁を持ち亜熱帯性の魚類をはじめ様々 な生物が数多く生息しており、海水の透明度も高く、美しい景観を作り出して いる(3)
。
(ウ)国指定の自然公園として西表国立公園、沖縄海岸固定公園、沖縄戦跡固定 公園、県指定には久米島県立自然公園がある。 同海抜526m
の胎茂登岳(石垣市)が最高峰、流路延長1
8
.
5
k
m
の浦内川が最長 川である。 自然景観の観光資源的価値は、スケールの大きさと多様な変化に富むハワイ が優ると考えられる。沖縄の穏やかで透明な海はダイビングなどマリンスポー ツに最適でありハワイに劣らない。 (2) 気候 ハワイの気温は年中快適、降雨量は地域により異なる。沖縄は季節格差が大 きい。 ①ハワイ…ハワイの気候は、平均気温の月格差が小さく(ホノルル空港4
.
6
0C
)
、 年間降雨量が少なく(同5
9
6
m
m
)
、湿度も低い(同6
4
%
)
。リゾート地として理想 的な気候であり、一年中快適に過ごせる。また、ホノルルは全米で最も大気汚 染の少ない都市の一つである。ハワイの気候は地域によって異なり、代表的な リゾート地は、ほとんど島の南または西側に位置するが、これら地域は全て風 下で、雨が少なく、海が穏やかで、美しいビーチを持っている。地域による気 候の違いが観光資源になっている。 的ダイビングが楽しめる穏やかな島の南側の海とサーフィンに適した大きな 波のくる北側の海、スキーのできる雪山も併せ持っている。 十イ)快晴のビーチから望む山間部には雨雲が低く垂れこめるなどは日常的であ り、ホノルルは「虹の町」の呼称もある。 (ウ)強風の名所としてヌアヌ・パリ(オアフ島)などがある。 同ハリケーンなどの嵐もめったになく、海岸線近くや見晴らしのよい丘の中 腹にはカハラのような高級住宅地があり、ハワイのべパリーヒルズといわれる。 a q 唱i②沖縄…那覇市の年間平均気温は23.10C、月間平均最低気温16.10C、同最高 気温28.70C、その格差12.60Cと夏と冬の差がはっきりしており、冬場は海水浴 に適さない。那覇市の降雨量は5、6月の梅雨時と8月に降雨量が多く、年間 では2109mmとホノルルの3.5倍の量である。降雨日数もすべての月で那覇市の方 が多い。那覇市の年間平均湿度は76%でホノルルより12%も高く、梅雨を挟む 4~7 月の平均湿度は80% を越える{九沖縄はいわばトロピカルの北限にあり、 ハワイに比べるとトロピカルリゾートとしての気候条件はかなり劣る(図表
3
一 3 - 4)。
3-3、 2、 ハワイ諸島と那覇市の気候 オアフ島 マウイ島 カウアイ島 ハワイ島 沖 縄 ホノルル空港 カアルイ空港 リフエ空港 ヒロ空港 那 覇 市 年 間 平 均 気 温 25.5"C 24.20C 24.0"C 23.1"C 23.10C 月間平均最低気温 22.60C 21. 90C 21.80C 21.7"C 16.1"C 月間平均最品気温 27.20C 26.20C 26.2"C 24.30C 28.7"C 気 温 格 差 4.60C 4.3"C 4.4"C 2.60C 12.6"C 年 間 降 雨 量 596rnrn 504rnrn 1118rnrn 3255rnrn 2109rnrn 年 間 平 均 湿 度 64% 66% 72% 74% 76% 図表3-2 (公庫レポートNu20より) 日 18 16 14 12 10 月別降雨量と降雨日数 mm 3000可降雨日数(目盛右) ~ バI ¥ / /
-d ‘ 1 ¥ .1 f ¥ j I, / r ¥/ V
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ノレ i I,./ 那 頼 市 → ¥ ..1γ
図表3-4 2000 100日 月別平均温度と温度 平均湿度 那覇市 ~〆 ・ 、 ' " ・ , _ ノ 〆r、、ーー ~, y 、. 一、・ー』ー・ー・-_-・k ホノルル国際空港.
一
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平均温度 r戸':--_...:‘..._寺 I .... ....、、・、._....-
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岬
. . ・ ¥ ノJノ ‘ , -l ,/W'←那覇市 V ~_.
.
.
.
図表3-3
% 90 80 70 60 "c 30 28 26 24 22 20 18 16 4 6 7 8 9 101112年間 (公庫レポートNu20より) 3 4 1 2 F、
d 噌i 1 2 3 4 5 6 7 8 9 101112年間 '1'均 (公庫レポートNu20より)3
-2
.
文化観光資源 クックによる発見から2
0
0
年程度のハワイの文化資源は乏しいが、ポリネシア 全体の文化財を収集し、ハリウッドやブロードウェイの一流演出家の力も借り て地域芸能を作り出すなどの対応を行なっている。沖縄の文化資源は豊富で、 戦跡や慰霊塔が最初の観光対象となったが、未開発の資源が多い。 ①ハワイ…ハワイ独自の文化資源はそう多くはない。 〈ア〉ポリネシア全体の文化財が集められハワイ・マリタイム・センター、ビショッ プ博物館、宣教師博物館、イオラニ宮殿、潜水艦パウフィン号博物館、アメリ カ陸軍博物館、ホノルJレ美術館などに保存・展示されている。 (イ)ハワイアン音楽、フラダンスなどの芸能は今世紀になって観光宣伝のため に作られたが、重要なアトラクションの一部になっている。 (ウ)東洋と西洋の接点として多くの人種から成り立つコスモポリタン社会、近 代的で清潔感ある現代の町並みも文化資源になっている。 同一方で、これまで有数の観光名所であったパンチボール国立墓地を、観光 対象ではないとして観光者を締め出すなどの動きがある。 件)
5
0
0
種以上の野性動植物が希少動植物として指定されている。毒蛇などの有 毒動物は生息しない。 (幼主要年中行事はレイ・デイ(5
月1
日)など年間2
1
、主要スポーツイベン トはハワイアン・オープン・ゴルフ・トーナメント(2
月)、ホノルル・マラソ ン(
1
2
月)など年間2
3
になっている(5)。 ②沖縄…ハワイとは比較にならない長い文化的歴史を持つ沖縄の文化観光資 源は豊富である。有形・無形の文化財、記念物、伝統的建造群など国・県・市 町村指定の文化財は9
1
0
にも及ぶ(
9
1
年5
月1
日現在)。国指定(選定)の文化 財の数は次の通り。 (対重要文化財(建造物)…旧円覚寺放生橋、天女橋など1
2
付)重要文化財(工芸)…銅鐘(旧首里城正殿鐘)など4
(ウ)重要文化財(古文書・典籍)…『おもろそうし』など4
t:)重要無形文化財(芸能)…組踊 (;t)重要無形文化財(工芸技術)…喜如嘉の芭蕉布など3 p o 噌 E A約)重要無形民族文化財…多良間の豊年祭など
5
(キ)史跡…宇佐浜遺跡など16 け)名勝…宮良殿内庭園など 4 (ケ)特別天然記念物…ノグチゲラなど5
(コ)天然記念物…アカヒゲなど3
7
(例重要伝統的建造物群・・・竹富町竹富島伝統的建造物群保存地区 (シ)選定保存技術・・・琉球藍製造o
戦跡や文化財など文化観光資源の豊富さが、沖縄観光の多様な観光目的に つながっている。 0主要年中行事と祭りは年間3
7
問。花のカーニパル、海のカーニパル、サント ピア沖縄、全日本トライアスロン(宮古島)、那覇マラソンなど観光誘客目 的のイベントに県外参加者が多いが、伝統的年中行事にも潜在需要がある と考える。 文化観光資源はハワイに比べ沖縄が優っている。ただしその多くはいまのと ころ観光資源としては未開発である。3
-3
.
主要観光市場 主要観光市場が遠隔地であることは、ハワイ観光の不利な条件の一つであっ た。 HVBは米本土に向けて強力なマーケティングを展開するが、戦後の航空 革命で世界各地からの時間的距離が短縮されると国際観光市場へのマーケティ ングにつながった。沖縄国際海洋博は、沖縄観光の国際的展開も意図したはず だが、マーケティングの主導権を握った航空業・旅行業は、沖縄を有望な国内 観光地として位置付け推進する。復帰後の沖縄の国際航空路線比重低下も影響 している。 (1) 主要観光市場と匝離 ①ハワイの主要観光市場…90年の入込実績では米国本土(64%)、日本(21%)、 カナダ (5%)、オーストラリア (3%)、ヨーロッパ (3%)など国際的展開 になっている(図表3- 5、3-6)。主要市場はいずれも遠隔地にあり、ホノ ルル・東京聞は約6千km(図表3- 7)である。 勾 t 噌i図表3-5 市場別入込数 大 分 類 比 率 中 分 類 比 率 小 分 類 比 率 ア メ リ カ 合 衆 国 4,431,260人 63.6% 内 太 平 洋 岸 1,984,690人 28.5% 内カリフォルニア 1,601,540人 23.0% 内 ワ シ ン ト ン 249,460人 3.6% 内 オ レ ゴ ン 94,920人 1.4% 内 マ ウ ン テ ン 362,560人 5.2% 内西北セントラル 229,390人 3.3% 内南西セントラル 274,550人 3.9% 内東北セントフル 460,560人 6.6% 内南東セントラル 89,350人 1.3% 内Nイングランド 163,830人 2.4% 内 大 西 洋 岸 中 部 407,720人 5.8% 内 大 西 洋 岸 南 部 416,610人 6.0% カ ナ ゲ 317,900人 4.6% ア ジ ア 1,657,250人 23.8% 内 日 本 1,439,710人 20.7% 南 太 平 洋 324,060人 4.6% 内オーストラリア 220,160人 3.2% 飲 外│ 221,840人 3.2% そ の 他 18,870人 0.3% aEC3h 計 6,971,180人 100.0% {Hawaii Data Bookより)
18
-図表3-6 市場別入込数 ~ 図表3-7 主要観光市場からの距離 ハ ワ イ 沖 縄 ロサンゼルス 4,1l4km キ
L
幌 2,240km シ カ ゴ 6,724km 仙 台 1,820km ニューヨーク 7,974km 東 尽 1,560km ノTンクーパー 4,359km 大 阪 1,200km 東 京 6,190km 名 古 屋 1,330km シ ド ニ ー 8,158km 福 岡 860km ロ ン ド ン 1l,627km 鹿 児 島 660kmI
台 北 630km ②沖縄の観光市場…91年入込実績では日本本土が94%、純然たる圏内観光地 である(図表3-8)。観光要覧(平成 3年版)の「地域別・年齢別入域者数」 の地域別比率を、91年の総入込数に乗じて地域別に分けると図表3-9になり、 関東 (67.8万人)、近畿 (67.5万人)、九州 (62.7万人)が60万人台であり、中 国 (32.0万人)、中部 (28.0万人)、東北 (18.7万人)、四国 (11
.
8万人)、北海 道 (3.8万人)と続く。主要市場との距離もハワイと比べればはるかに近く、那 覇・東京は約1.500kmである(図表3一7。) 19-図表3-8 航路別入込数 大 分 類 じ上 率 中 分 類 比 率 小 分 類 比 率 日本本土 2,822,000人 93.6% 内 札 幌 13,800人 0.5% 内 仙 台 39,900人 1.3% 内 小 松 16,800人 0.6% 内 東 尽 1,124,300人 37.3% 内名古屋 219,200人 7.3% 内 阪 神 614,000人 20.4% 内 広 島 58,300人 1.9% 内 岡 山 33,800人 1.1% 内 松 山 26,300人 0.9% 内 福 岡 405,500人 13.5% 内 長 崎 26,300人 0.9% 内 熊 本 38,900人 1.3% 内 大 分 15,900人 0.5% 内 宮 崎 27,000人 0.9% 内鹿児島 144,800人 4.8% 外 国 192,500人 6.4% 内 台 湾 156,067人 5.2%
.
g
.
計 3,014,500人 100.0% 図表3-9一 戸 一
A U q L4
.
航空業と旅行業 航空輸送網と輸送能力および航空運賃の状況が島しょ観光・リゾート地の発 展を左右する。ハワイも沖縄も航空革命の恩恵を受けて発展するが、日米両国 の航空政策の違いなどから各々様相が異なり、沖縄では航空業と共に旅行業が 観光産業のリーダーになっている。4
-1
.
航空業とハワイ観光 米本土富裕階級による豪華客船利用の長期バケーションリゾート地としてス タートしたハワイ観光は、戦後の航空革命、とくにジェット機とジャンボジェッ ト機の登場により世界の主要都市との時間的・経済的距離が大幅に短縮されて、 世界中の大衆が行ける観光・リソート地となった。米国の圏内航空自由化政策 もハワイには大きなプラス要因であった。(
1
)
航空自由化政策 カータ一政権下の1
9
7
8
年1
0
月、「航空会社規制緩和法(
A
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1
9
7
8
)
J
が成立した。この法律によって、1
9
3
8
年以来、国内線航空会社 の運賃と路線規制をしてきた米国航空局の規制が撤廃された。米国における国 内航空の自由化は、国際航空の自由化への呼び水となるモデルケースであり、 米圏内航空業界に以下のような結果をもたらした{九 ①大手航空会社の普通運賃に対する割引率は1
9
7
7
年の30%
から、8
4
年には51%
となり利用者が増大した。 ②航空会社の能率と生産性が向上した。 ③航空会社の経営危機により労働組合は、賃金水準切り下げ、労働時間の延 長などの受容を余儀なくされた。 ④大手航空会社は、新規参入企業に対抗するため、自社乗り継ぎ路線の強化 (Hub &S
p
o
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k
)
、常顧客優遇制度導入、きめ細かい運賃体系適用、コンピュー ター予約システム整備などにより、経営基盤を強化している。(
2
)
航空運賃と輸送網 観光の推移で述べたように、航空輸送能力増大と航空運賃低減および航空サー ビスの向上の効果は、太平洋の孤島・ハワイに最も大きく現われた。現在ハワ 唱 -司 Lイ・ロサンゼルスの往復運賃は約
4
0
0
l'JV、シカゴ600ドル、東京は8
0
0
l'JV。旅行業の 窓口では、利用条件に制限はあるが、ロサンゼルス往復2781'JV、シカゴ5491'JV、 東京558ドルなど格安航空券を扱っている。ホノルル国際空港の年間利用者数は、 85年の1.664万人から2005年には2.800万人へと73%もの増加が予想され、現在 大規模な盤張工事が行なわれている。 図表4-1 ハワイの航空路線網 {日本観光学会第65回全国大会資料より) 図表4-2 週間航空便数(ハワイ発) 東 尽 80 ポートランド 7 大 阪 20 サンフランシスコ 74 4口4、 ~t 10 ロサンゼルス 152 マ一
フ 15 デ ン バ ー 9 シ ド ニ ー 40 ダ フ ス 19 オークフンド 22 シ カ ゴ 21 メ ル ボ ル ン 14 ア ト フ ン タ 12 グ ア ム 12 ニューヨーク 7 ノTンクーパー 22 そ の 他 141 シ ア ト Jレ 23 ぷE』3 計 700 (Hawaii Data Bookより) n L q Lハワイと世界各地を結ぶ航空路線網を図表4- 1、ハワイを発つ1週間あた りの便数を図表4- 2に示した。週700便の内、 131便がハワイを中継点として 米本土やアジア・太平洋地域に就航している。
4
-2
.
航空業と沖縄観光(
1
)
圏内航空 日本では経済高度成長時代の1959年にジェット機が導入され、 64年には海外 渡航自由化が行なわれる。米国の統治下にあった沖縄の観光は、こうした環境 改善とともに拡大してゆく。 ①空路利用率の上昇…1954年には空路1/3・海路2/3だったが、 4年後の58年 には半々となり、本土復帰で入込数が急上昇した72年に空路2/3・海路1/3と逆 転する。空路利用はその後も増え続け、沖縄海洋博時 (1975年)87%、91年に は97%になっている。この問、日航・全日空2社により輸送能力増強などが競っ ておこなわれている。 ②航空業の沖縄投資…航空業は沖縄路線の輸送力増強と並行して、系列ホテ ル建設など積極的な沖縄投資を行なった。日航・全日空両社の沖縄を舞台とし た商戦は海洋博前、日航の沖縄グランドキャッスル・ホテル建設に対して、全 日空が沖縄ハーパービュー・ホテルで応じた時に始まる。海洋博後は全日空の 久米島・イーフビーチホテルに日航のヴィラ・オクマリゾート、 83年に全日空 が万座ピーチリゾート・ホテルを開業しリゾートホテル時代のきっかけをつく ると、日航は石垣島に南西グランド・ホテルをオープン、ムーンビーチ、ヴィ ラフサキ、はいむるぶしとも提携を深める。両社の建設するホテルは施設品質 水準が高く、後続するホテルの建設・設計に大きな影響を与える。 ③沖縄キャンペーン…76年に全日空が東京と福岡で沖縄キャンペーンを開始 すると、日航も追従し、以後両社各3億円以上を投入してのキャンペーンが毎 年行なわれている。沖縄キャンペーンは、海洋博後の低迷を短期間に収拾する。 ④航空憲法改正…米国の国内航空自由化政策に対応して、日本政府は85年に いわゆる航空憲法を改正し、国際線の複数社制、日本航空の完全民営化、圏内 線における競争促進政策を打ち出す。沖縄路線でも那覇空港と地方空港を結ぶ q J q Lスポーク路線の新設が次々に行なわれる。 ⑤団体包括運賃…運輸省は航空運賃の認可制度は据え置いたので、需要・供 給に応じた弾力的航空運賃は、宿泊費などの地上費とセットした団体包括運賃 の形で、旅行業を通じて消費者に提供されている。 ⑥旅行業利用率…このため沖縄観光での旅行業利用率は高く、観光目的の約 80%が旅行業利用になっている。
(
2
)
国際航空 ①西太平洋の空の十字路…復帰前、沖縄の空の玄関・那覇国際空港は西太平 洋の空の十字路にあたり、東南アジア諸国への中継地として当時としては大き な役割を果たしている。1
9
6
9
年時点の沖縄には、日本航空、ノースウエスト航 空、キヤール、キャセイ、コンチネンタルおよび全日空の6社が国際航空路線 に就航している。 ②復帰後の比重低下…復帰にあたり本土・沖縄聞が国際線から国内線に変わ り、航空運賃制度も運輸省の管轄下になった。外国航空会社にとって、インター ラインにおげるプロレートの不利、高い空港使用料(ジャンボ1
機の離着陸1
回につき1
0
0
万円・復帰前は2
0
0
ドル)、主要利用者である米軍関係者の減少などに 加え、航空機の性能向上で給油のための立ち寄りも不要となり、現在では路線 図表4-3 アジアの主要空港-24-権が満たされない状況にある。那覇空港を国際的ハプ空港にとの案もあるが、 台北、ソウル、香港、シンガポールの大規模ノ、プ空港構想に対抗するためには、 国政側のの思い切った決断を要する(図表4- 3)。
(
3
)
週間航空便数 沖縄県内の空港を出発する 1週間の本土便数は248便 (92年5月)、国際線は 40便で合計288便になっている(図表4- 4)。この内那覇空港を中継する路線 は 2路線周 6便である。 図表4-4 週間航空便数(沖縄) 仙 iE品3 7 奄 美 7 東 g 84 圏 内 線 計 248 大 阪 42 A口a 北 22 福 同 42 香 港 2 名 古 屋 6 グ ア ム 4 松 7 ソ ウ lレ 2 岡 山 7 成 田 ・ 米 国 2 広 島 7 ホ ノ レノ Jレ 2 松 山 7 ロサンゼルス 2 大 分 4 サンフランシスコ 2 長 崎 7 ニ ュ ー ヨ ー ク 2 宮 崎 7 国 際 線 計 40 鹿 児 島 14 ぷ口与 計 2884
-3
.
観光媒介と観光施設 沖縄観光の高い航空機利用率 (97%)と旅行業利用率 (80%)は、沖縄観光 産業における観光媒介(航空業・旅行業)と観光施設の聞に強固な相互依存関 係を作り出しているが、観光媒介の薄利多売体質が観光施設にも影響を与え、 売上高が大きく確実な反面、利益率は低く不安定になっている。(
1
)
観光施設の売上の確実性 観光媒介傘下にあるかぎり、観光施設の稼動率は高く売上の確実性も高い。 ほぽ100%が旅行業を通して旅行手配を行なう団体旅行では次のようにな構造が みられる(九-25-①多重的送客ネットワーク…沖縄へ団体送客する旅行業者数は月により 215~565業者であるが、送客数と送客頻度で大手(
3
社)、準大手(12
社)、中 小に区分できる。 的大手は全国的支店網で数多くのパッケージを発売し沖縄に毎日団体送客す る。大手企業のインセンティブツアーや修学旅行の手配も多い。L
イ)準大手は大都市中心の営業拠点で主催・手配を扱いほとんど毎日または毎 週団体を送客する。 (ウ)中小は地方都市に営業基盤があり地元の固定客をもち、月間または年聞に 何度かの団体を送客する。 観光施設の入込は、旅行業の多重的送客ネットワークにより支えられている。 大手のシェアは40%、準大手は32%、中小28% (90年)であるが、中小旅行業 にとって沖縄への旅行予約はシーズンによっては容易でない。 ②市場開拓…規模や特性の異なる旅行業者の競合は、結果として市場開拓面 での役割分担となっている。 的企画能力の大きい大手は、新趣向のパッケージツアーを企画して新市場開 拓を狙う。 付)準大手はより確実な既存商品の普及に重点を置く。 (ウ)よいシーズンでの予約確保が困難になった中小は、結果としてオフシーズ ンの活'性化に回っている。 ③施設利用価格体系…航空業・旅行業・観光施設の聞には密接な相互依存関 係があるが、施設・サービスの水準やシーズンに応じたきめ細かい利用価格体 系がその基礎にある。沖縄観光の年間の入込動向は詳しく研究されていて、大 手・準大手旅行業者は航空・島内交通・宿泊施設の大規模な事前予約ができ、 細かな価格差をもっ多数のパッケージツアーの宣伝・販売が可能になっている。 ④旅行業聞の棲み分け…旅行業者間には競合だけでなく共存(棲み分け)が みられる。 (ア)観光施設には高級 大衆向けまでのランクがあるが、同一時点でのランク 別施設の利用状況には、大手・準大手・中小各旅行業クゃループの力関係により 一定の棲み分けがみられる。-26-(高)←施設ランク→(低) 準大手
士
土
│
付)年聞のシーズンにはトップ オフのランクがあるが、同一施設のシーズン ランク別利用状況には、大手・準大手・中小各旅行業グループの力関係により 一定の棲み分けがみられる。 (高)←シーズンランク→(低) 準大手巴
J
⑤観光施設の分業…旅行業を媒介としたシティホテルとリゾートホテル、見 学施設と土産品などの分業関係も観光施設の稼動率を高くしている。 ⑥年間シーズン・・・沖縄観光の年間シーズンは1
0
区分される。t
ァ
7年間のトップシーズン(年末・年始、G W
、7-8
月)は個人旅行中心だ が、団体旅行には大手の扱う(高価格)ノTッケージツアーがみられる。 付)中間シーズンの内、伸び率が停滞傾向にある3
月は比較的個人旅行が多く、 好調に伸びる 10~11 月は団体旅行が多い。団体旅行でシーズンが活性化され個 人旅行で定着してゆくとも考えられる。 秒)オフシーズンはいずれも団体旅行、とくに(低価格)手配旅行比率が高い。 修学旅行も多い。 ⑦団体旅行者比率…団体観光者の総入込数に占める比率は団体入込表記載 分ω
で30%、これに離島への直航便利用者や外国人観光者を加えると、約40%の 高位安定にある。 ⑧観光施設の売上げの確実性…以上のように旅行業聞の多様な競合・共存な らびに航空業・旅行業・観光施設の相互依存関係が、観光者の送客・入込を確 実にしている。沖縄観光では1
人平均消費額も安定しており、観光施設全体と しても個々の観光施設にとっても売上の確実性は高い。 ⑨また、航空座席や観光施設の全般的に高い稼動率を支えるシステムは、キャ パシティの不足しがちな入込数上昇局面でとくによく機能する。変動係数(標 準偏差÷月平均)の推移でみれば図表4- 5になる。 n t q L千人 3000 2000 1000 図表4-5 変動係数と入込数の推移 折れ線グラフ:変動係数 棒グラフ:入込数 海洋博までの大きな変動が、入込数回復過程の77年"'-'79年では小さくなって いる。その後変動はやや大きくなるが、入込が停滞から増加に転じた87年以降 は再び小さくなっている (85年24.4%・90年14.8%・91年14.1%)。沖縄観光産 業はハワイの8.7%(90年)には至らぬまでも、月別に安定した入込の元で展開 されている。
(
2
)
観光施設の低収益性 沖縄の観光施設は、売上の確実性が高い反面、収益性では問題を抱えている。 土産品量販庖上位10庖の場合は次のような構造がみられる(九 ①年間売上高…量販店は土産品販売だけでなく食事・見学施設を併営、支庖 を持ち通信販売も行なっている。それら全部を含む年間売上高は平均では約10 億円となる。売上高には、旅行業に対する手数料支払いの対象から除外される 個人旅行者への売上を含むが非常に少ないという。 ②売上原価率…35%"'-'45%の聞に分布するが平均約40%である。原価率45% を超える商品は収益上取扱う意味がないといわれる。 ③比例的営業費…土産品庖の比例的営業費は、旅行業へは旅客斡旋手数料+ α・添乗員の接待・協賛金・研修旅行参加・契約料・更新料、タクシー・パス乗 務員への寸志+
α
、顧客への来庖記念品など多種多様であるが、25%"'-'33%に分 布している。旅行業への支払いは、7
0
年代までは概ね正規の旅客斡旋手数料で-28-あった。
8
0
年代に入り競合が増加したなど土産品店側の事情に加えて、旅行業 の格安ツアー発売による薄利多売競争が激しくなり、並行して土産品庖の比例 的営業費比率が高くなった。 86年以降の円高で、海外旅行にも格安ツアーが登 場し、対抗上沖縄観光のオフシーズンの低価格化が必要になった。宿泊施設は 利用価格の実質的引き下げ、土産品量販屈は手数料引き上げでこのニーズに応 えている。 ④純利益…赤字から3%
前後までに分布し平均でl.5%
である。売上高が大き いことからすれば、きわめてリスクの高い損益体質である。売上高が少しでも 下がればすぐに欠損が出る。 ⑤土産品量販店の低収益は、航空業と旅行業(大手旅行業でも平均純利益率2
%)の薄利多売体質を根源とするものであり、土産品業のみならず県内観光 施設に共通する問題である。今後入込数の停滞などで売上高が少しでも下がれ ば、広範囲に問題が発生する可能性が高い。5
.
観光行政・政策 ハワイの観光政策の課題は、優れた自然観光資源はあるが、文化観光資源に 乏しく、主要観光市場はいずれも遠隔地、開発資本が不足など不利な条件の克 服にあった。ハワイ州政府、市郡政府、HVB
は役割分担して、こうした課題 に計画的に取組んでいる。沖縄は、いまのところ課題の絞り込みが十分とはい えず、主体も多岐にわたり、ときによりちぐはぐな動きがみられるように思う。5
-1
.
ハワイ州の観光行政・政策 ハワイ州の観光行政は、観光振興政策と開発政策を共に管轄するDBED(産 業・経済開発・観光部)が主導するが、観光マーケティングについては設立9
0
年の実績を持つHV
B (
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に全面的に委託している。 ハワイの土地利用規制は全米で最も厳しいといわれるが、州政府も郡政府(
C
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y
、ホノルル・マウイ・ハワイ・カウアイの4
市郡)も土地利用の基本方 針と開発に際しての詳細で明快なガイドラインを明らかにしている。 (1)HV
B
ハワイ観光をマーケティングで支えるHVB
の創設は、当時米国属領だった-29-ハワイの魅力を宣伝するために、事業家グループが代表をカリフォルニア州に 送った
1
9
0
2
年にさかのぽる。 ①予算…1
9
9
0
年度の総予算は1
,7
3
1
万円パ図表5-1
)
、この内1
,5
8
9
万1',.(全 体の9
2
%
)
をHVB
との契約によりハワイ州が拠出しているが、州政府からは 全く独立しており、民間人のみによる理事会や委員会を持つ。理事会のメンバー には日系現地法人のトップもみられる。約3
,0
0
0
の会員からの会費収入は1
4
2
万 1',. (8 %)になっている。 図表5-1
HVB
の予算(
1
9
9
0
年度) FISCAL 1989.90 HVB BUDGET DDLLARS PERCENTAGE MARKETING EXPENDITURES State Appropriation 事15,888,527 92 Advertising Membership 1,425,000 8 Literalure Total 事17,313,527 100 Public Relations BUDGEτDISTRIBUTION Neighbor Is1and Offices Membership $365,000 Mainland Offices Visitor Satisfaciton 259,057 Meetings/Conventions Infonnation Systems 182,400 Movie Special Promotions 625,201 Asia/Pacific Research 889,882 MarketingServices Hotel Strike Related Exp 265,000 TradeshoW5 Administration 1,307,827 U.K..Canada Maritime Center 377,000 World Exposition 1,350,000 CulturaI Tourism 108,326 Marketing 11,583,834 67 S4,517,387 39 990,000 568,036 530,461 751,696 回5,868 38,775 l,644,101 14 430,715 1,090,045 186,750 (1990年・年報より) 総予算の内、調査費が8
9
万ドル(
5
%)、世界博覧会1
3
5
万1',.(
8
%)、特別促 進費6
3
万ドル、一般管理費1
3
1
万ドル(
7
%)。マーケティング費用は1
,1
5
8
万ドル(
6
7
%
)
で、広告費4
5
2
万ドル(
3
9
%
)
、アジア・パシフィック1
6
4
万ドル(14%)
、物産展1
0
9
万1',.(
9
%)、コンペンション8
4
万ドル(
7
%)などである。 ②ハワイ州と沖縄県の観光振興予算…ハワイ州観光事業室 (Officeof Tour -ism)の9
0
年度予算は2
,2
3
5
万1',.(
2
7
億9
,4
0
0
万円)で全米5
0
州の第2
位。沖縄県 観光振興課の9
2
年度予算は2
1
億8
,5
0
0
万円なのでほぽ同額にみえるが、ハワイは 約2
0
億円がHVB
への委託費なのに対して、沖縄は1
1
億6
,4
0
0
万円が観光施設整 備事業費(観光施設を建設する事業者への無利子融資)、5
億6
,9
0
0
万円がコン ペンション振興対策費(沖縄コンペンションセンターの管理運営費など)であ り、観光宣伝誘致強化費は約2
億円に過ぎない。 ③HVB
の性格…「観光産業は活力溢れるビジネスであり、一貫してハワイ ハU q Jに多くの雇用を生み出し、他産業をはるかに上回る収入と多様な機会をもたら してきた。 H V Bは観光産業とハワイ州のために、観光者がハワイを継続的に 訪れ、再訪するよう創造的な努力をしている
J
(マイアーズ理事長)。観光の公 的効果を強く意識した民間公益法人である。 ④事務所…ホノルルの本部を中心に州内5(ヒロ、コナ、カウアイ、マウイ、 オアフ)、米本土4(シカゴ、ロサンゼルス、ニューヨーク、サンフランシスコ)、 海 外9(カナダ、英国、ドイツ、ニュージーランド、オーストラリア、韓国、 日本、香港、シンガポール)の合計18事務所を持っている。 ⑤活動状況…H V Bの活動状況を 11990年・年次報告書」などから抜き出し て列記すると以下のようになる。 開基本精神…「ハワイ諸島の神秘的魅力を世界中の人々と分かち合いたい」 との斬新かつ真撃な熱望がH V B創設となった。 90年の経験により誘客技術は 向上したが、基本精神は変らない。アロハ・スピリットに共鳴してハワイを訪 れる観光者や、島の別荘に戻ってくる人々と共にハワイの魅力を分かち合う、 これがハワイと他観光地の違いである。 (イ)マーケティング…H V Bの積極的なマーケティングにより、ハワイは位界 有数の観光地となった。今後は民間資金も多く集めて、州との真のパートナー シップを確立すると共に、国際的競合に勝つために一層のマーケティング強化 をはかる。「マーケティングが戦闘に勝つための最大の武器である。より強力な マーケティングにはより多くの資金を要する」。 わ)チャレンジ…今後の色々なチャレンジの内、「ハワイをハワイらしく保存す る」が最も難しいチャレンジである。島々の自然のままの美しさと神秘的景観 が、訪れる人々の第一のアトラクション、これに自然環境保護を配慮しながら、 新しい開発とインフラを魔術のようにプレンドしてその魅力を一層高める。観 光産業はこの舞台の主役であるが、政府・自治体・民間共同の努力が前提にな る。 伺ベース・マーケット…ローカルとインターナショナルの交流がハワイを変 え、観光者にアロハを感じさせる能力が育成される。米国西部をベース・マー ケットとする当初の戦略を徐々に拡大させ、カナダ、米国のミッドウエストと 唱E A q a東海岸、ヨーロッパ、アジアと南太平洋をベースに取り込んだ。次の
1
0
年間で これら全地域で国際競合が激しくなると予想される。現在、欧州、比英国のハワ イへの関心が高まっていることが示すように、ハワイ・ビジター・ベースの国 際的拡大戦略は引き続き進行中である。ヨーロッパ、アジア、太平洋地域は観 光活動の成長が最も期待される地域であり、HVB
のマーケティングはこの地 域へ集中する。 件)コア・リピート・ビジネス…リピータが順調に増加してベース・マーケッ トを形成している反面、初回来訪者比率が低下している。コア・リピート・ビ ジネスの開発は成功したので、今後はニュー・ビジネスとのバランスに重点を 置く。 (カ)マーケット・リサーチ…HVB
のマーケット・リサーチ部は長い歴史を持 ち、年々リサーチの内容を向上させ、役に立つタイムリーな観光データを提供 している(図表5-2
)
。最近も情報源の改善と拡大が行なわれ、各市場へのマー ケティングの確実性が高まった。「情報が観光産業の命運を決めるJ
。リサーチ によりターゲット市場が多様化し、照準調整のための選択肢が広くなった。米 本土の不況対策なども容易になっている。(調査報告書の一つ
r
F
o
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nMarket V
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Hawai
iJでは、オースト ラリア、ニュージーランド、日本、香港、台湾、韓国、シンガポール、インド ネシア、中園、ブィリッピン、英国、ドイツ、スイス、フランス、イタリアの1
6
ヵ国の人口動向、為替動向、海外旅行者数とハワイ比率、滞在状況など多数 の項目の調査結果が掲載されている) 附会員の状況…会員は順調に増加していて、財政的支援はもちろん、理事会 やコミュニティ活動を通じてHVB
に多様な専門的インプットをもたらしてい る。多くの時間を割いてのサービスや、情報シェア、専門知識による提言など、 数々の努力がよりよい計画・開発戦略につながっている。 ( ク)90年度特記事項…ホノルル国際空港の入管・税関手続き迅速化問題の解決 (連邦政府と関係機関に実態を理解させ3
5
人の移民官と3
0
人税関吏の増員にこ ぎつけた)。環境問題に関する専門委員会設置(自然保護団体の会長を委員長に 任命した)。 円 L q J図表5-2
HVB
の調査報告書“Hawaiian Beat" -Monthly NewsleUer
Annual Convention Bulletin with monthly updates Annual Marketing and Advertising Calender Annual Program Report
Annual Research Report
Annual Westbound Visitors to Hawaii Annual Eastbound Visitors to Hawaii
Supplement to the Annual Westbound Visitors to Hawaii (Oahu, Maui, Kauai, Hllo, kona and Molokai)
Annual Business Visitors to Hawaii Annual Visitors Satisfaction Survey
Annual Expenditures Westbound Visitors(1991-Eastbound Expenditures) Mid-Year Flash Report-“Top 60" Metro Area Production Report Trend Analysis of Hawaii's Visitor Industry Annual Visitor Plant Inventory Profile of Hotel Visitors Profile of Resort Condominium Visitors Profile-1990 Mid-Year Eastbound Visitors to Hawaii by Country of Origin Profile-1990 Mid-Year Eastbound/Westbound Visitor Summary Profile-Hotel Condo/Visitor Market Special Customized Reports