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今こそ英語教育に身体性が必要とされる理由 教育現場からの提案

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Academic year: 2021

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今こそ英語教育に身体性が必要とされる理由

―教育現場からの提案―

山本 玲子 京都外国語大学 1.はじめに 中学校でいじめ指導に当たっていた時、「笑顔で 『全然気にしてないよ』と言っていたから、まさか傷 ついているなんて思わなかった」といういじめっ子 の真顔の発言に、愕然としたことがあります。相手 のつくり笑顔の、笑っていない目や微妙な筋肉の引 きつりに気づかなかったのか。ことばどおりに理解 して行間が読めない生徒は、はたして日本語を話せ ると言えるのか。私たちは、身体反応や間の取り方 など身体性を通して互いを理解しながら生きていま す。英語を日本語に直訳するような勉強だけでは、 身につかない能力です。言い換えると、言語学の意 味論が扱い得ない意味をも網羅して初めて、他者の 心を理解すること、また自分の心を他者に理解して もらうことが可能になります。 私たちは英語の教員である前にことばの教員で す。ところがその基本的な理念が忘れ去られている 授業が少なくありません。理念はいいから明日の授 業実践に即役立つ話をしてほしい、と思われた方も いるかも知れません。いいえ、この話こそ明日から 即役立つはずだと自負しています。少しでも生徒と 対峙した経験のある方なら肌感覚で納得でき、本能 で理解できる話です。筆者は「心とからだ」の総称 と定義した身体性をずっと研究してきましたが、本 稿では理論研究ではなく実践報告を担当します。学 校現場での実例を紹介しながら、本シンポジウムの テーマを身近に感じてもらい、先生方に英語授業実 践のヒントとしていただくための一助としたいと思 います。 2.言語学の意味論が扱い得ない意味―学校現場で― 2.1 事例①:小学1年生 最初に、中学校教員だった筆者が小中一貫校で勤 務していた時、小中合同の体育大会で経験したやり とりを紹介します。 児童:(一人で校庭の隅で泣いている) 筆者:どうしたの? 児童:ここが痛いの。(胸を押さえながら) 筆者:(怪我か病気かと驚いて、近くにいた担任の先 生に向かって)〇〇先生!大変です! 担任:(飛んできて児童の様子をさっと観察し、次に 児童の目をじっと見ながら)後でお話聞くね。 児童:(急に落ち着き、うなずいて、自分のクラスの 応援席に戻っていく) 筆者:(担任の先生に向かって)あの子が、本当にか らだが痛いのではなく、何か嫌なことがあって 胸が痛いんだって、なぜわかったんですか? 担任:(にっこり微笑んで)小学1年生くらいの子ど もって、心が痛いのか本当にからだが痛いの か、自分でも区別がついていないことがよく あるんです。お話を聞いてあげてすっきりし た子どもが、「あれ?胸が痛いのが治っちゃっ た」と言うので、「それは嫌なことがあって、痛 いような気がしていただけだよ」って言うと、 「えーっ!」とその子自身が驚いたりもするん ですよ。 当時から身体性の研究を始めていた筆者は、「子 どもの中では言語と身体感覚の距離がない」という 知見を言語教育に生かせないかと日々模索していま した。ところが小学校の先生は、理論的知見などが なくても経験知だけで、当たり前のように身体性を 教育実践に生かしておられたのです。

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2.2 事例②:小学4年生 これはある小学校の先生が、自分が担任していた 子どもが書いた文章として紹介されたものです(戸 塚,

2008

)。 わたしの心が「なぜ」と問うのはなぜ? 「ふしぎ」を見つけるふしぎな心はどこから来るの? 「わかる」となぜ心はもっとわかろうとふるえるの? 筆者はこれをこれまでに様々な場面で紹介してき ましたが、あまりに気に入っている文章なのでまた 紹介してしまいました。子どもは生まれつき「わか りたい」という気持ちを持っています。「自分を大き く変える大切な新情報が来た」と判断した脳が、そ れを「感動」という感覚に変換させるそうです。そう やって脳が記憶や感情のシステムを活性化させて、 今経験していることの意味を逃さずしっかりつかん でおこうとした時、私たちは情動が動いたと感じる のです。 筆者の幼少時代は塾もなく、誰もが真っ暗になる まで外を駆け回って遊んでいたものです。それでも 生まれつき持っているこの脳のシステムのおかげ で、昔の子どもは今とまったく変わらない学力を身 につけていました。筆者自身、この文章を読んだ時、 自分も子どもの時にこんな気持ちになったことをま ざまざと思い出しました。今教育現場に「学びに向 かう力」の育成が求められていますが、それは学び に向かわせようとするとかえって育たない力かも知 れません。 2.3 事例③:中学生その1 次は中学

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年生の話です。ある困難校に勤務して いた時の経験です。放課後、教室整備をしようと自 分が担任をしているクラスの教室に入ったところ、 自分の担任クラスの

A

くんとその友人数名が車座 になって座り、ラジカセでロックを聞いているのを 見つけました。それに合わせてダンスをしている生 徒もいました。 筆者 :(できるだけさりげない口調で)何してるの。 生徒たち:(黙って筆者をにらみつける) 筆者 :( Aくんの横にしゃがんで車座に加わ り)いい曲だね。何ていう歌手?Bruce Springsteen?へえー、かっこいいね。 生徒たち:(びっくりした顔でこちらを見ている) 筆者 :(しばらく曲を聞いてから、音楽を止め) でもここ教室でしょ。見つかったら怒ら れるってわかってるでしょ。こんなにい い曲を聴いて、上手にダンス踊って、すご く楽しいことやってるのに、中断するな んてもったいないよ。誰かの家か、広場か どこか探して、続きをやる方がいいよ。 Aくん :(しばらく考えこんでから、立ち上がり) おいお前ら、行くぞ。(ラジカセをもって 教室の外へ出ていく) A以外の生徒: おい、やめるのかよ。(などと文句を言い ながらも、Aの後について全員校門から 出ていく) 通常、違反行為を見つけた教員は、すぐに音楽を 止めさせて指導し、ラジカセのような不要物は没収 の上で下校させなければなりません。筆者の指導は 間違っていたかもしれません。しかしその時下校さ せても、

A

くんらが指導に納得せず不満を持ったま までは、別の日にまた繰り返すだけのイタチごっこ です。最初に発見した時、筆者の心に浮かんだ思い は、「ちぇっ、面倒なものを見つけてしまった。しか も

A

くん以外は全員別のクラスなのに、なぜよりに よって私の教室で、見つけてくれと言わんばかりに こんなことを…」という思いでした。そしてその次 に、「待てよ。彼らは何か意図があってやっているん だ。この子たちは全員クラブもしていなくて時間を 持て余している。でもロックやダンスのクラブがな いだけで、やりたいことはあるんだな。特にリーダー 格の

A

くんは学校が好きで、叱られてもいいから先 生にかまってほしい寂しがり屋だ。ただ、いくら担 任だからと言って

A

くんを友だちの前で頭ごなし に叱ったら、プライドを傷つけられて逆ギレするだ ろう」と瞬時のうちに考えをめぐらしました。その 結果が、先ほどのやりとりだったのです。 それから

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年ほど経ったある日、知人の応援のた めに国体会場にいた私に、突然「山本先生?」と話し

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かけてきた青年がいました。たくましく成長し国体 選手となった

A

くんでした。

A

くんが中

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に進級す る時に異動したため、それ以来つながりはなかった 筆者のことを、ずっと覚えていてくれたのです。「忘 れるはずはありません。自分にとって一番の先生で した」と言ってくれた

A

くんは今、公立高校の体育 教諭として活躍しています。近所の高校生が

A

くん の高校に通っていると偶然知って、その高校生に「

A

先生って知ってる?」と聞いたところ、「担任をして もらっています。すごく生徒を大切にする熱い先生 です」とのことでした。 筆者が、生徒の身体運用からどんな意思表示をし ているのかを読み取ったり、自分が生徒の立場だっ たらと置き換えたりする習慣を持つようになったの は、英語の教員として、何とか生徒と英語ででもコ ミュニケーションを取ろうとしたからだと思ってい ます。中学生の英語力で理解できる内容は限られて いるので、英語で授業を進めるためは身体性を介し た意味のやりとりが必須です。生徒も表情や身振り 手振りを駆使して英語で表現しようとします。日々、 身体を通して相手を理解する練習と言ってもいい授 業を繰り返す中で、普段日本語でやりとりする際に も、反射的に「生徒はことばではこう言っているが、 真の気持ちは…」と想像する癖がつきました。身体 はことば以上に雄弁であることを実感していったの です。当時は深く考えていたわけでもなく反射的に 取った対応でしたが、

A

くんたちの行為はたくさん の「意味」を伝えるためだったのだ、そしてそれを先 生が理解し受け止めてくれたと実感できたから満足 して帰っていったのだと、後になって思いました。 2.4 事例④:中学生その2 ある中学校の教室で生徒の身体運用を観察した興 味深い報告があります(内田,

2007

)。授業の最初の 挨拶「起立、礼、着席」を不自然なほど緩慢な身体動 作で行うことによって、「授業を受けたくない」「教 師に敬意を払っていると誤解されたくない」という 意志表示をしている生徒の様子です。「人間工学的 に不可能ではないかと思うほどだらけた姿勢で…」 「必要以上に緩慢に動く方が筋肉や骨格への負担は 大きい」と観察分析した結果、「これを単に生理的に 弛緩していると解釈してはならない」と内田氏は論 じています。 生徒の身体運用には意味があることを認識してい る教員とそうでない教員がいます。身体を通した生 徒理解を無意識のうちに行っている教員は、生徒の 変化や教室の空気感に敏感です。先生方も、「あれ、 今日のクラスの雰囲気、いつもと違うぞ」と感じら れたことはありませんか。職員室で、「今日の

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組、 何かいつもと違うよね?」と同僚に話しかけても、 「そうですか?いつもと同じですよ」と言われて腑 に落ちない気持ちになったことはありませんか。明 確な変化ではなくても、生徒のわずかな姿勢の悪さ や反応の遅さ、目が笑っていないなど微細な変化が 気になる先生と、そうでない先生では、生徒との関 係づくりや授業づくりにおいても明確な差が出て当 然です。 3. 今こそ学校現場に「身体の現象がベース」とい う意識が必要 小学生は言語と身体の距離が近いため、思ってい ることがすぐに顔に出ますし、チャンツを聞くと自 然とからだを揺らし始めます。身体性を通して子ど もの心を読むことに長けた小学校の先生は、身体性 を生かした授業づくりが上手だと感じます。 一方、中学校以降の生徒の身体運動は一見しただ けでは見落としてしまいかねないほど微細になって いきます。自己開示に抵抗感が生まれる思春期の生 徒は、自分の心を読まれないよう、身体運用を隠し て無表情を装ったりもします。事例④のような身体 運用で先生への敵意を示す中学生は、校内暴力が話 題になっていた昔はともかく、現在ではむしろ少数 派でしょう。現在の先生たちは、行儀よく静かに座っ て授業を聞いている生徒の心のうちを読み取らねば なりません。これには身体性に対する意識と経験が 必要です。筆者らの研究チームが、今こそ学校現場 には身体の現象がベースだという意識が必要だと訴 えているのはそのためです。小中高大と学齢が上が

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るにつれて魅力に欠ける授業が増えていくのは、上 に上がるほど授業への反応を生徒が身体で示してく れないため、教員が自分の授業の良し悪しに気づく ことさえできないからかも知れません。 生徒の身体性で読み取れるのはネガティブな情動 だけではありません。目を輝かせたり、うなずいた りというポジティブな情動的反応を見ることは教員 の喜びでもあります。しかしポジティブな反応まで 隠そうとする生徒が少なくありません。筆者にも経 験があります。ある時、短大の授業の導入として毎 回洋楽をかけていたのですが、学生からは無反応が 続いたので途中でかけるのをやめました。するとそ の授業後、一人の学生が近づいてきて「先生、なぜ今 日は洋楽をかけてくれなかったんですか。いつも楽 しみにしていたのに」と言うのです。思わず「それな ら、なぜあんなにつまらなそうな顔をしていたの?」 と聞いてしまいそうになりました。その経験から いっそう、学生の情動を示すわずかな兆候も見逃さ ず観察しなくては、と思うようになりました。 よく、「すべるのが怖くて授業中に冗談を言う勇 気がない」という先生がおられますが、思春期の生 徒が先生のダジャレに爆笑してくれる方がむしろ珍 しいでしょう。中高生はクールを装いたいお年頃で す。先生の冗談に反応がないように見えていても、 目が笑っていたり、何となく場が和んだり、という 空気の変化のようなものは感じられるはずです。「せ んせー、すべったー」と茶化す生徒は例外なく、嬉し くて目が輝いています。冗談が受けたかどうかでは なく、冗談を言ったことで生徒の情動が動いたので すから、全然すべってはいません。そのことを感じ 取れる先生だけが、自信を持って何度でもジョーク に挑戦できるのです。 言語教育は心の教育であり、人と人をつなぐ力を 育てる教育です。心はからだの感覚に直結している ので、ことばだけではなくからだの感覚でも相手と 向き合うことを教える必要があります。教員自身が まず、自分と生徒のコミュニケーションにおいてそ ういった身体性を意識することが、その要だと言え ます。 4. 言語活動には身体トレーニングと意味を載せた 身体運用の両方が必要 シンポジウムにおける柳瀬先生への質問を共有し ていただいたので、実践者の立場から言及させてい ただきます。以下はご質問の一部の要約です。 先生がご批判されている「何度も確認・再生」する ことによって私は身体性を獲得できる、と考えてい ます。徹底した「数」をこなすことで盤石な力がつく ように感じています。それにより必要な語彙や構文 が生徒に馴染み定着する過程を踏んで初めて、多く の方が謳っている「オールイングリッシュ」や「アク ティブラーニング」が有意義になると思います。反復 であるドリル学習をやめるのではなく、学習の効果 を集約することにこそ現場の教員にとっては意味が あるように思えます。 これはシンポジウムにおける「学校現場では同じ 英文を繰り返す練習がメインとなり、意味の可能性 からも自然な言語使用からも遠い使用場面設定と なっている」との指摘に対するご質問だと思われま す。この点については文部科学省も懸念し、その結 果英語教育改革では「定型文の練習や暗記に頼らな い真の意味のやりとり」が謳われているということ を、筆者はシンポジウムでも言及しました。ところ がその趣旨が曲解されているようで、「教科書の対 話文の練習は必要ない、ということになったそうで すね」と中学校の先生から質問され、驚くことがあ ります。同様に「反復であるドリル練習」や「パター ンプラクティス」を軽視する雰囲気も生まれつつあ ります。その結果、質問者も指摘しているとおり「盤 石な力をつけることなくオールイングリッシュやス モールトークをしても、ブロークンな英語が飛び交 い内容の深まらない意義の見いだせない活動にとど まる」ケースが出てきています。 筆者らは「何度も確認・再生」を否定しているので はなく、「それだけで終わってしまう指導」を否定し ているということを強調したいと思います。文科省 も「定型文の練習だけでは言語活動とは呼べない」 と言っているだけで、「その練習をするな」とは一度

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も言っていません。むしろ必要です。質問者のよう に正しい認識をされている先生ばかりであればよい のですが、誤解している先生が少なくないため、筆 者は最近、教員研修などで、言語活動を下支えする 要素を図

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のように図示して説明しています。 図1.言語活動を下支えする要素 意味のある言語活動を実現するためには、その周 囲にある

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つの要素が必要となります。「語彙・語順」 (上の白い四角)を習得させ(語順は文法と言い換え られます)、「自然な使用場面」(下の白い四角)を設 定すれば、もちろん言語活動は成立します。 しかし問題は、「語彙・語順」が即興で使用できる レベルまで定着していないケースが多いことです。 定着のためには、昔ながらの徹底した練習と家庭学 習が不可欠です。家庭学習は自己調整学習能力の育 成の話になりますから、今回は横へ置いておきま しょう。授業内でできる練習、それが図

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の左右の黒 い四角です。教科書にある定型文などを基本に暗記 するまで「対話練習」や「音読」を繰り返し、「チャン ツ」などのリズムに乗せて自然なプロソディをから だに馴染ませる、さらに「パターンプラクティス」で 適切な表現が反射的に口をついて出てくるまで数を こなし自動化させる…。これらはまさに基礎体力を つけるための身体トレーニングそのものです。そし て生徒が自信を持って言語活動をするための下支え となるものです。 白い四角は意味を載せた身体運用、黒い四角は反 射的に動くための基礎トレーニングと、違いはあり ますがこの

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つはすべて身体性が基盤となるもので す。最終的にこれら

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つがそろって大きな円を作り 言語活動を実現するのが、これから我々が目指すべ き新しい英語教育だと考えます。 5.教員自身の豊かな身体性が生徒の心を動かす 筆者が初めて身体性研究の本(山本,

2013; 2020

) を刊行した時、

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本の電話が大学に入りました。関西 のある中学校の校長先生から、「ぜひうちの教員に 話をしに来てほしい」との依頼でした。研修会の場 で校長先生は、自分の学校の教員に向かって、「この 本の著者にどうしても来てほしかった理由は、この 本のエピローグです。聞いてください」と音読して くれたのです。エピローグでは、筆者の教えていた 一人の中学生が「先生、このごろ英語の授業でいろ んなお話や映像を使うけど、なんか嫌だ」と言って きたエピソードを紹介していました。その中学生が 言うには「よくわからないけど、英語の授業ではい つも涙が出てくるの」とのことでした。「そんなに心 が動くのはとてもいいことでしょう」と筆者が言う と、その生徒は「そうだね。ただ、こんな何でもない ことばに、なぜ泣いてるの?って誰かに思われたら、 恥ずかしいと思ったの。先生、次の英語の授業、楽し みにしているよ」と言って、小走りで廊下を走り去っ ていきました。 音読していた校長先生が、このくだりまで読んだ ところで突然泣き始めました。ことばで生徒の心を 動かすことや心を育てることの大切さを、校長先生 は教員たちに伝えたかったのでしょう。ただ本の内 容よりも、校長先生ご自身が大きく心を動かしてい るからこそ、教員たちにもそれが伝わった瞬間でし た。後で校長先生は「お恥ずかしい。長い教員生活 で出会ってきた生徒一人ひとりの顔が浮かんでつ い…」とおっしゃっていました。 生徒の心を動かせる教員は、教員自身が豊かな身 体性を持ち、自分のからだの動きや心の動きを、照 れることなく生徒に見せられる教員です。「なぜ泣 いてるの?と誰かに思われたら恥ずかしい」などと

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思う必要はありません。 今ほど英語教育が期待されている時代はないで しょう。「なんで英語やるの?」と聞かれた時代は遠 くなり、学習者のモチベーションは総じて高く、英 語が堪能な優秀な教員も増えました。それだけに、 「ことばの教育は知識やスキルを教えるだけではな い」という大切な点が忘れられる危険も感じます。 今こそ英語教育に身体性が必要とされる理由はそこ にあります。 謝辞 本稿は

JSPS

科研費

JP18K02531

(研究代表者柳瀬 陽介)と

JP18K00860

(研究代表者山本玲子)の助成 を受けた研究を基にしています。 引用文献 内田樹(

2007

)『下流志向』講談社

.

戸塚滝登(

2008

)『子どもの脳と仮想社会:教室か

.

ら見えるデジタルっ子の今』岩波書店 山本玲子(

2013

)『子どもの心とからだを動かす英

.

語の授業』青山書店 山本玲子(

2020

)『身体論と英語教育』

.

(『子どもの 心とからだを動かす英語の授業』改訂版)青山 書店 山本 玲子(やまもと れいこ) 京都市出身。京都教育大学教育学部卒業、京都教育大学大学院修了(修 士(教育学))、京都外国語大学大学院修了(博士(言語文化学))。 公立中学校教諭、京都教育大学附属京都小中学校教諭、大阪国際大学准 教授を経て、現在、京都外国語大学・短期大学キャリア英語科准教授。 小学校英語教育学会理事、関西英語教育学会理事。主な著書に『だれで もできる英語の音と文字の指導』(三省堂)、『英語スピーキング指導ハ ンドブック』(大修館書店)、『初等外国語教育』(ミネルヴァ書房)がある。

参照

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