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小藤論文の濃尾地震根尾谷断層写真について
信州大学大学院 総合工学研究科∗ 榎本 祐嗣
On the photograph of Neodani fault during Nobi earthquake appeared in Koto’s article
Yuji ENOMOTO
Graduate school of Science and Technology, Shinshu University 15-1 Tokida 3-chome, Ueda, Nagano 386-8567 Japan
∗ 〒386-0017 長野県上田市踏入 2-16-25-2 §1. はじめに 明治 24 年(1891)10 月 28 日に発生した M8.0 の濃 尾地震に関する書籍,新聞や写真などの文献資料 は,昭和 53 年(1978)愛知県防災会議地震部会発刊 の調査資料『明治 24 年 10 月 28 日濃尾地震文献目 録』にまとめられている.国内最大級の濃尾地震の発 生が写真技術の普及した頃にあたり,写真師たちが 数多くの被害写真を残したことの意義は大きい.代表 的な写真が図1の小藤文次郎の論文で紹介された根 尾谷水鳥の大断層崖である[Koto(1893)].この写真 が撮られた経緯などは上述の調査資料では明確でな いので,小稿で,この部分に関して『濃尾地震文献目 録』を補足しておきたい. §2. 小藤の調査行と断層写真撮影の経緯 地質学者小藤文次郎は明治 22 年(1889)7 月 28 日 夜の熊本地震(M6.3)の際に,「小生その際九州地方 地質調査のため出張中にて,偶々大分県臼杵町に ありて其の震を感ず.」二日を経て漸く其報に接し熊 本県に赴けり,着熊後実践するに該市の西なる金峰 山中に三線あるを発見せり.」この調査から地震断層 に関心をもった小藤は,明治 24 年(1891)10 月 28 日 の濃尾地震に際して,岐阜測候所長井口龍太郎の 11 月 7 日付号外「官報」掲載の「震原実査復命」の内 容を知って,11 月 14 日頃に東京をたち根尾谷に直 行した. 根尾谷での行動については,中村(1943)に詳しい. 「(田中館先生は)十一月十二日東京を出発された. 汽車で名古屋まで行きそれから人力車を雇って岐阜 を経て根尾谷に入り,震源地に近い一寒村金原に午 後九時過ぎに着し,崩壊した寺の本堂を取片付けた 跡の明地にテントを張って直に天測を始められた.… 翌日先生は“一人で観察して来るから”と言って地磁 気の観測は学生に命じて出かけられたが,実に之が かの有名な根尾谷大断層の発見となったのである. 当時此地方に出張していた地質学の小藤文次郎教 授が能郷村で先生と会し『写真師が後から来るから 宜しく指図して取らして呉れ給へ』と依頼された.先 生は対崖の高地に登り写真師には此所に来て取れ を位置を指図し自らカメラを覗いて之を撮影させられ た.」 「(田中館は)学生四名を引率し,十三日夜愛知県 より来岐し昨十四日早朝本縣に出頭し直ちに根尾谷 長嶺村へ赴きたる」[岐阜日日新聞(1891)]との記事が ある.それゆえ,現地に到着して早速天測を開始した のが 14 日夜,田中館が小藤と出会ったのが明くる 15 日になる.根尾谷の大断層写真には,道を歩く人影 が右の大きく延びているから,現地の状況から判断す ると朝 8 時過ぎにあたる.したがって翌 16 日早朝に撮 影されたということになる. §3. Milne の写真帖にある根尾谷断層写真 Milne と Burton,小川一真らの調査行は,「理学士 大森房吉氏は鉄道廠の依頼に応じミルン教授と同行 にて二十九日の夜被害地へ出張せり」[東京日日新 聞(1891)],また「○井上勝氏鉄道庁長官 井上勝氏 は同庁雇ゼーシルン(ママ)氏と共に鉄道線路巡視と して派出の途次一昨夜来名,栄町の秋琴楼へ投宿」 [扶桑新聞 (1891)]とある.彼らは鉄道廠からの依頼 を受け,震後ただちに鉄路に沿って震害調査を実施 した.Milne ら写真帖[Milne et al.(1892)]に所収され る濃尾震災の写真 32 枚の約 1/3 にあたる 10 枚が鉄 路や鉄橋の損壊写真であるのは,鉄道廠の依頼を 受けた任務ゆえであろう.彼らの調査はまだ井口龍 太郎の官報報告にある根尾谷の情報を知らないうち に行われたものであり、また旅館泊まりの調査ではと 歴史地震 第21 号(2006) 219-222 頁 受付日2006/1/4,受理日 2006/3/6
- 220 - ても根尾谷まで足を伸ばせるはずはないと思えるが, 根尾谷断層の写真は,この写真帖第2版にも所収さ れていている.これにはplated by K.Ogawa と記され ているから,Milne らに同行した東京の写真技師小 川一真が撮ったものと思われていたふしがある[橋本 (1992)].一方で最近,岐阜の写真師 瀬古安太郎が 撮 影 し た の で は な い か , と の 説 も 出 て い る [ 村 松 (2002)]. 根尾谷断層写真を撮影したのが誰かという謎を解 く鍵が,Milne らの写真帖にある.写真帖の第1版 図1 Koto(1893)論文に掲載の根尾谷断層写真 図2 長崎大学図書館に所蔵の根尾谷断層写真 (彩色されている)
- 221 - [Milne et al.(1892)]には,小藤論文と同じ根尾谷断 層 写 真 は 所 収 さ れ て い な い . 第 2 版 [Milne et al.(1894?)]に載せられている.いずれの版にも発行 年月の記載がないが,小川同窓会『創業三十年紀年 誌』[小川写真製版所(1928)]に「同年(明治二十四 年)十月,尾濃に地大に震ふ,帝国大学教授ミルン 氏及バルトン氏相携へて震災地に向ふ,先生亦随伴 して災害地を歴順し,惨憺たる光景を撮影して余す 所なし,還りて後ち悉くこれを写真版に附し,歳を超 て其帖成る,其地震学に貢献したる所の功,決して 甚少となさず.」したがって第 1 版は明治 25 年になっ て発刊された.事実,国会図書館が所蔵する第 1 版 に,明治 25 年(1892)1 月 23 日受付印がある.では第 2 版は何時発刊されたか?国会図書館にある第 2 版 は昭和 46 年(1971)9 月 4 日の受付けである.誰かが 寄贈したものであろうが,この図書カードには発刊 は”1894 年(?)”とのメモ書きがある.これが正しいと すると,小藤論文(1893)の1年後で,論文発表を待っ て第 2 版が出版されたことになる. この写真帖は,すべてバルトンと小川が撮影した写 真から構成されてはいない.第 2 版のPREFACE には, S.Aoyama と K.Kimbei の名が謝辞に加えられている. Kimbei とは,当時金幣写真館の名称で横浜に店を構 えていた日下部金兵衛のことである.この PREFACE には引用した金兵衛の写真の番号を XXI と記載して いるが,XXI の写真はすでに第1版にある.したがっ て,これは根尾谷大断層の写真番号 XX の校正ミスと 判断できる. §4. 日下部金兵衛の濃尾地震被害写真 4.1 長崎大学図書館所蔵資料 長崎大学図書館のホームページに,日下部金兵衛 のアルバムのなかに収められている明治二十四年十 月二十八日濃尾大地震の根尾谷大断層の彩色写真 の図2が掲載されている.小藤論文の写真と全く同じ 構図であるが背景の山並みが小藤論文の写真よりも かなり鮮明であることから,小藤論文やMilne の写真 帖の根尾谷断層写真は金兵衛の原板をもとに小川 一真が複写したものと考えられる.この金兵衛の濃尾 大地震のアルバムは,海外へのお土産用として彩色 されたもので,英文タイプの説明がつけられている. 4.2 日本大学芸術学部所蔵資料 岐阜新聞の 10 月 27 日付に,「濃尾大震災の未発 掘写真が日本大学芸術学部所蔵の『濃尾大地震写 真集』に多数収録されていることが,二十七日までに 遠藤正治非常勤講師(64)=岐阜市光栄町=らの研 究グループ(代表・高橋則英日本大学教授)の調査 でわかった.同写真集は,名古屋市とその近郊の震 災の様子八枚と,岐阜市と羽島郡笠松町など近郊を 写した四枚,計十二枚をセットにした彩色紙焼き写真. (中略)日本大の写真はこれらのどれとも異なり,既知 のものと重ならない未発掘の写真と分かった.撮影者 は不明.」との記事があるが,日下部金兵衛のもので ある可能性がある. 4.3 横浜開港資料館所蔵資料 横浜開港資料館にも日下部金兵衛の彩色幻灯写 真が 27 枚所蔵されている.そのうちの 8 枚は「濃尾大 地震写真」として『明治の日本』[有隣堂(2000)]に採 録されている. §5. おわりに 日下部金兵衛は,幕末に来日し横浜に写真館を 構えたイギリス人カメラマンのF.ベアトに師事 し,最初写真の彩色に従事し腕をあげた.明治 14 年(1881)頃に独立して金幣写真館を開業し,‘横 浜写真’の主流をなす鮮明で彩色にすぐれた記録 写真を多くの残した[横浜開港資料館編,明治の日 本,2000]. 金兵衛が濃尾地震被害の撮影に赴いたという直 接の記録は見出していないが、本稿の考察から濃 尾地震の被害の撮影に活躍した写真師の一人であ ると思われる.その彩色写真は現地を見たうえで の技巧で原資料としての意義がある. 引用・参考文献 小川同窓会,1928,創業三十年紀年誌,(小川写真製 版所,(横浜開港資料館所蔵). 岐阜日日新聞, 明治 24 年(1891)11 月 15 日付. 岐阜新聞,2004.濃尾大震災の未発掘写真が日本大 学芸術学部所蔵の『濃尾大地震写真集』に. Koto, B., 1893, On the cause of the great earthquake
in central Japan, J. Coll. of Sci. Imp. Univ. Tokyo, 5 295-353. 東京日日新聞, 明治 24 年(1891)11 月 1 日付. 橋 本 万 平 ,1992, 素 人 学 者 の 古 書 探 求 , 東 京 堂 出 版,pp144-150. 中村清二,1943,田中館愛橘先生,中央公論社 p96. 長崎大学図書館のホームページ,古写真博物館,
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扶桑新聞,明治 24 年(1891)11 月 1 日付.
Milne, J. et al., 1892, Great Earthquake of Japan 1981, 1st ed.; 1894?, ibid, 2nd ed.
村松郁栄,2002,濃尾地震と根尾谷断層帯,古今書 院,pp48-49.
横 浜 開 港 資 料 館 ,2000, 明 治 の 日 本 , 有 隣 堂,pp118-119.