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芸術と教育(その4) : マルクスとエンゲルスの思想から

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(1)Title. 芸術と教育(その4) : マルクスとエンゲルスの思想から. Author(s). 広川, 正治. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 21(1): 1-14. Issue Date. 1970-07. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4604. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 北海道教育大学紀要(第一部C). 第 21 巻 第 1 号. 芸. と. 術. 教. 昭和45年7月. 育 (そ の4). --- マ ル ク ス と エ ン ゲル ス の 思 想 か ら 一--. 川. 広. 正. 治. 北海道教育大学函館分校教育学研究室. lgs on Ar t and Education. i HIROKAWA : Some Thoughts of Marx’s and Enge Sho j t and Education, No. 4. - --一 Ar. 目 1, 史的唯物論における芸術と教育 1 , 史的唯物論 2 , 上部構造としての芸術と教育 口, 資本主義社会における芸術と教育 1 , イデオロ ギ【の階級性 2 , 資本主義社会における人間と教育. 次 3 . 資本主義社会における芸術 4 , 芸術的・教育的労働の二面的性格 m, 全面的に発達した人格の育成 1 . 人間の発生とその発達 2 . 全面的に発達した人間. 1. 史的唯物論にお ける芸術と教 育 1 , 史的唯物論 マルクスとエンゲルスは体系的な芸術論も, 教育学も残してくれなかっ た, しかし彼らの芸術 や教育につ いての思想は, 彼らの総合的な一貫性を もった科学的世界観のなかに位置 づけられ, 一体となって明らかにされて いる。 前述したシラーやヘー ゲルを含めて, マルクス以前の教育論 や芸術論が殆んどす べて 観念論に立って いたのにたいして, マルクスとエンゲルスによ って始め て弁証法的唯物 論によって科学的客観性をもって解明されたと いわ ねばならない, そこに彼らの 思想の歴史的意 義があるであろう, 社会についても, 教育や芸術を含めた文化一般について も, 人間についても, 一貫してこれを唯物論的に, しかも弁証法的にその本質を明らかにして いる. こ れ ま で 観 念 的 なも の と し て 考 え られ て き た す べ て の も のは,. マ ル ク ス に と っ て は 「人 間 の 頭 脳. 1 ) かっ た の な か で お き か え ら れ, い い か え ら れ た 物 質 的 な も の 以 外 の な に も の で も な」 .. エ ンゲ. ルスに とっても, 思惟とか意識は 「人間の脳髄の産物であるこ と, そして人間そのものが自然の 産 物 (Naturprodukt) で あ っ て, 自 己 の 環 境 の な か で, ま たそ の 環 境 と と も に 発 展 し て き た も の. 1 ) を明らかに した. その自然は意識とは独立に存在する物質であり, 物質の存在の であること」 ie ohne Bewegung)」 「物 質 の な い 運 動 (Beweg- 仕方は運動で ある。 「運 動 の な い 物 質 (Mater ie)」 は い つ い か な る と こ ろ に も な か っ た し, ま た あ り え な い の で あ る. ter ung ohne Ma. 宇宙と. いう大自然はす べて これ運動する物質界であること, 観念的なものは人間の意識として, 脳髄へ - 1 -.

(3) . Vol .I .21 No. i ion I C) i do Uni i lof Hokka t t Journa t on (Sec s ver y of Bduca. Jul y ,1970. の自然の反映であること, と いう主張に, それの唯物論たるゆえんがある, しかもそ の世界は, 「諸過程の複合体であり, このうちにあっては, 一見固定的に見える諸事物も, またわれわれの 頭脳におけるそれらの諸事物の思想的映像で ある諸概念 も, す べて生成と消滅との不断の変化の うちにある」 のであり,. 「生成と消滅との不断の過程,.低いものから高いものへかぎりなく上昇. する不断の過程のほかには, なにものも存続するものはない」 と いう意味において弁 証法的であ ) さらにその不断の過程は, すでに経過した諸段階を, より高い基礎のうえにくりかえす発 2 る. 展 (否定の否定) であり, 量から質への転化で あり, 物体や現象, あるいは社 会の内部に 働いて いるいろいろの力や傾向の矛盾, 衝突によってあたえられる発展であり, おのおのの現象のすべ 2 ) ての側面の相互依存, 相互作用, 相互連関の過程で ある, という意味において弁証法的である. マルクスとエンゲルスに とっては芸術も教育も, この弁証法的唯物論の思想体系のなかに組み込 まれているのであって, そ の体系の外では考えられない. 人間の社会生活についても, この唯物論が一貫して適用 されなければならない, 弁証法的唯物 論の見地に立って社会の構造・その発展の原動力・その法則をあきらかにしたものが, 史的唯物 3 )マルクスとエンゲルスは芸術も教育もともに社会現象として 理解する, すなわち, そ 論である. れらの文化活動は社 会のなかで発生し, 発展するもので, 社会から切り離して理解することがで きない, 芸術も教育も社 会の一部分として, 社会全体の動きに影響され, その発展の法則に従っ て発展する. そ れではマルクスとエンゲルスによれば社会はどのような法則によって発展するの であろうか. それは一言でいえば生産力と生産関係の矛盾によ ってである, 2 . 上部構造としての芸術と教育 マルクスの 「経済学批判」 の序文に従え ば, 人間はその生活の必要上社会的生産を行なわなけ ればな らない. そのためには物質的生産諸力とこれに照応する 生産関係が必要である, 生産力と は普通, 労働対象, 生産手段および労働力からなるが, 労働対象である土地や原料にしても, 生 産手段としての生産用具や施設・建物にしても, 誰かの所有するところである, この所有の関係 が生産 関係である. 生産力は人間の手による力から, 火力, 蒸気力, 電力, そして現代はまさに 原子力と発展してきているが, マルクスによれ ば, 生産力の発展段階の性格に照応して, 生産関 係の性格 も変化しなければならない. し かもこの生産力と生産関係は人間の意志から独立した客 観的必然性に従って発展するのである. つぎにこれ らの生産諸関係の総体が社会の経済的構造をなす, この経済的構造を土台として, その上に法律的および政治的な上部構造が形成され, さらにそれに照応して社会的意識が生まれ るのである. ここにこれまでの観念論とは 反対に, 物質的生活の生産様式が, 社会的政治的精神 的な 生活過程一般を制約する. 「人間の意識が 彼らの存在を規定するのではなくて, 逆に, 彼ら 4 ) 同じことが 「ドイ ツ・イ デオロギー」 では, の社 会的存在が彼らの意識を規定するのである,」 「人間が語り, 空想し, 表象するものや, また語られ, 思惟され, 空想され, 表象された人間か ら出発して, そこ から肉体のある人間に到達するのではなく, 現実に活動する人間 から出発して 彼らの現実の 生活過程から この生活過程のイ デオロギー的な諸反映や諸反響の発展をも叙述する ) 5 」 の で あ る, ……意識 が生活を規定するのではなく て, むしろ生活が意識を規定するのである, と 主 張 さ れ て い る.. ところで生産力はたえず発展し てやまない. し かし 生産諸関係は 「法律的表現にすぎないとこ 4 ) であって, 現状のままにとどまろうとする. 生産力の進歩性は生産関係 の保 ろの所有諸関係」 守性と矛盾するようにな る, 生産関係が生産力に照応している間は生産力の発展を促進するけれ - 2 -.

(4) . 第 21 巻 第 1 号. 北海道教育大学紀要 (第一部C). 昭和45年7月. ども, 両者が一致しなくなるや, 生産関係は生産力の発展のための樫格となる, この陸橋をとり のぞき, 生産力に照応する生産関係を造り出そうとする, これが社会革命の動きである, 生産諸 関係の総体である経済的土台が社会的変革によって変化するにつれて, 巨 大な上部構造も変化せ ざるをえない. しかしこの場合, 両者の関係は単純に平行するものではなく, 物質的な土台の変 革と上部構造としてのイ デオロギー的諸形態の変化とは区別されなければならない. つまり, 法 律的・政治的上部構造のように急激に変化するものと, 宗教的・芸術的または哲学的上部構造の ように, 徐々に変化するものとがある, マ ルクスによれば, 意識が生活を規定するのでなく, 生 活が意識を規定するのであるかぎり, 人間の意識は客観的な現実生活の反映であるかぎり, 土台 の矛盾による変革に相応しながら, 上部構 省のうちでも, 矛盾をひ き起さざるをえないだろう. すなわち, 土台と上部構造の矛盾ばかりでなく, 土台の矛盾を反映して, 上部構造のうちにも, 進歩的なものと保守的なものの矛盾, 新しい文化と古い文化の闘争が生起する. 経済的土台の物質的変革は自然科学的に正確に認識できるが, 上部構造は人間の意識的形態で あり, しかもマルクスが, 変革の時代を意識から判断することはできず, むしろ 「この意識を物 質的生活の諸矛盾から, 社会的な生産諸力と生産諸関係とのあいだに現存する衝 突から説明しな ) というように 教育にしても 芸術にしても, 等しく人間の意識にかかわるも 6 ければならない」 , , のであれば, 経済的土台の矛盾とのかかわりなしに, これらを論ず ることはできないであろう. 意識形態は経済的土台の変化に従い, その矛盾に規定されるとすれば, 上部構造は単に受動的 なものであろうか, 教育や芸術 の社会的役割はどこにあるのであろうか. 上部構造である意識形 態は単に受動的なのではない. それは意識的努力なしに変革されることはできない。 エンゲルス によれば 「政治的・法的・哲学的・宗教的・文学的・芸術的等々の発展は, 経済的発展に基礎を おいている. しかし,これらの発展はみな相互にも, 経済的土台にたいしても反作用をおよぼす. それは経済的状態が原因であり, これだけが能動的であり, 他のすべては受動的作用にすぎぬと いうことではない, それは究極においてつねに自己を貫徹する経済的必然性を基盤とする交互作 7 ) これによって明らかであるように, 教育も芸術も, それが上 部構造としての役割は 用である.」 土台に意識的に影響を及ぼすことであり, そのことによって社会の発展を促進することである, とはいえやはり, 「経済的諸関係は, たとえどれほど爾余の政治的およびイ デオロギー的関係に よって影響されようとも, 究極においては決定的なものであって, それだけが貫通する 赤い糸と 7 ) のである な っ て 万 事 を 理解 さ せ る」 ,. 人類の歴史をおし進める力として, 生産力は間断なくつねに発展し 続けてきた, それに単純に 平行して意識形態は発展するわけではなかったが, 芸術についてはどうか, マルクスの 「経済学 批判序 .説」 に従えば, 芸術的生産 は物質的生産の発展にたいして不均等関係をなす. たとえば, ギリシャ芸術やシェイクス ピアの芸術を現代と比較してみればわかるように, 「芸術にあっては その一定の最盛期は, 社会の一般的発展に, したがってまた, その組織の骨格である物質的基礎 ) という. 「近代的な自動紡績機や鉄道や機関車や電信 8 の発展にけっして比例するものではない」 をも っ て」 し て は,. ie) の 根 底 を な し, し た が っ て ギ リ シ ャ 〔芸 「ギ リ シ ャ 人 の 空 想 (Phantas. 8 ) は不可能であったであろう. 「すべての神話は, 想像 術〕の根底をなしていた自然観や社会観」 l dung) のな か で, ま た 想 像 に よ っ て, 自 然 力 に う ち か ち, こ れ を 左 右し そ の 形 を え が (Einbi ,. 8 )物質的生産力 くのである, だからそれらは, 自然力にたいする現実の支配とともに消滅する.」 が未発達であれ ばこそかえってギリシャ人の想像力がたくましく生長したといわれるように, 芸 術的生産は物質的基礎の発展とは単純に一致しない, 少くとも子どもの無邪気さ, 自然のままの 一 3 -.

(5) . VOI .21 No .1. i ion (Sect i t t on IC) 丁 lof Hokkaido Uni ver s ouma y of Educa ,. l Ju y ,1970. 真実さがたくましく生長すること が保障されてい る時 代, そういう社 会にしてはじめて人間の想 像力はよびさまされるのであり, し たがってまた人間に活力 を与えるような魅力ある偉大な芸術 も 生ま れ る の で あ る。 ギ リ シ ャ 芸 術 の も つ 「永 遠 の 魅 力 (ewiger Reiz)」 は, ギ リ シ ャ 人 の 「正 i l e Naivitat des Kindes)」 に 常 な 子 ども (norma e Kinder)」 としての 「子どもの無邪気さ (d. 生を損うことなく, 生産力の科学的発達を媒介して高めるところに 起因するであろう. この素材v l こそ 「自然の理性化」(篠原助市) とい う教育の任務 がある であろう. ここに全面的に発達した人 格を育成する任務をもつ教育に, 社 会環境的条件 が問題になる理由がある, たとえ物質的生産力 が発達したとしても, もし人間の想像力を圧殺するような 生産諸関係の社会にあっては, 偉大な 芸術は成長し えない, 同じこと が教育に ついてもいえないだろうか. 1 1. 資本主義社会における芸術と教育 1.. イ デ オロギ ーの階級性. 9 ) 資本主 義 階級社会においては, 「どの時代においても支配階級の思想が支配的思想である,」 社会では, 生産関係の基礎は, 生産手段を所有するものは資本家であって, 生産に従事する労働 者はそれを所有しない ということにある. 賃金労働者は奴隷制社 会や封建制社 会とは違って法的 には人身的隷属から自由であるが, 彼らは生産手段をうばわれているために, 餓死しない ために ゞなくされている また農民にしても かっての原始 は, 自己の労働力を資本家に売ることをよき , . 的な 生産用具で耕作される貴族の領地のかわりに, 農業技術にもと づいて経営され, 農業機械を 供給されている資本家的大農場が出現してくると, かっての蒙昧な農奴よりも文化的でものわ か りのよく, 機械を理解し, これを正しく あつかう能力をもつことを要求される. し かし, 資本主 義は, ますます生産力を大規模に発展さ せる一方で, 商品売買の競争を激化さ せ, 中小の私的所有者の大衆を零落させ, プロ レタリア化し, 彼らの購買力 を低下させる. その 結果, 生産された商品の販売は不可能となる, 資本主 義はまた, 生産を拡大することによって, 幾 百万の労働者を工場に集中し, 生産過程に社会的性格を与え, そのことが生産手段の社会的所 有を要求することになる. ここに資本家による生産手段の私的 所有と両立しえない矛盾 が激化せ ざるをえなくなる, このような生産力の発展とそれに伴う 生産関係とのあいだの矛盾は, 周期的 な過剰生産恐慌として爆発する. そのさい, 資本家は生産物を焼 き棄てたり, 生産を停止せざる をえなくする一方, 人民大衆は, 商品の過剰生産のゆえにこそ, 失業と飢餓に苦しむことをよぎ なくされるのである。 したがって, 資本主 義社 会の基本的特徴は搾取者と被搾取者とのあい だの きわめて尖鋭な階級闘争となる. し かしそれが人民大衆に自覚されることは支配階級であるブル ジ ョ ア ジ ー の 命 と り と な る で あ ろ う.. 資本主 義社会で, 支配的な物質的力を有する ブル ジョア ジーは同時に支配的な精神的力 でもあ る. 物質的生産のための諸手段を左右する階級は, そのことによって同時に, 精神的生産のため の諸手段を自由にする からである, そのことによって, 精神的生産のための諸手段を欠いている 階級は, 物質的に支配している階級に思想的にも従属せざるをえなくさ せられる. 現代のわが国 のマス ・コミの偉力を一つ考えてみただけでもそのこと は明瞭であろう. 「支配的な思想は, 支 配的な物質的諸関係の観念的表現」 であり, 「一つの階級を支配的なものとするところの諸関係 9 ) なのである。 このことから必然的にイ デオロギーは階級的性格をもたざるをえ の観念的表現」 ないものとなる. そし てそれは, 戦前わが国の 「教育勅語」 がそ うであったように, 支配階級に よ っ て 「永 遠 の 法 則 (ewiges Gesetz) J であるかのように宣言される. 戦後においては 「教育の - - 4 -.

(6) . 第 21 巻 第 1 号. 一。 C) 北海道教育 学紀要 第一部C 北海道教育大学紀要(. 昭和45年7月. 政治的中立性」 が特に支配階級から要求され, 宣伝されているのも, 論理は同一であろう, マル クス主義の創設者たちに従え ば, 教育の政治的中立性ということの正しい意味は, どこまでも 科 学的客観性をふまえ, 少数支配階級が絶対多数国民を不当に支配しようとするための思想の偽隔 性・虚偽性を暴露することであっ て, 左右の政党政派の中間とか, 政治的な無色とかを意味する ものでは毛頭ない。 「政党間の中間」 や 「政治的無色」 とかいうのは, コウモリの論理であ り, 日和見主義の最たるものでし かありえないであろう. 2 . 資本主 義社 会における人間と教育 エンゲルスがその 「イ ギリスにおける労働者階級の状態」 のなかで研究しているように, 機械 の導入によっ て, 婦人労働と児童労働が生産にひき いれられ, 親子の関係や家庭教育が根本的に 変化させられる. 産業革命以前は, 家庭で働いている職人の子どもたちの教育は, 主として家庭で行なわれてい た, しかし産業革命が進行する過程で, 機械が導入されてくるにつれて, 労働者の家庭に破壊的 影響を及 ぼすようになり, 子どもたち は家庭での教育がうばわれると同時に, 家庭の外では幼い 頃から工場で働 かされることによっ て, 道徳的に不具にされ, 知的に荒廃させられる, マル クス はそのことを確認したうえで, 「未成熟な人間をたんなる剰余価値製造機にしてしまうことによ って人為的に生みだされた知的荒廃, それは, 精神を, その発達能力やその自然的豊 銃性そのも のをそこなうことなしに, 休耕状態におくところの,かの自然発生的な無知とははなはだしく異な l o ) と 指 摘し て い る, た と え ばイ ギ リ ス の 公 け の 報 告 書 に よ っ て も「九 才 の と き に は る も の で あ る」. 1 1 ) し ばしば12時間労働三交代分をつ づけざまに, 十才のとき は二日二晩つ づけざまに労働した,」 そしてさ らに, 工場主たち は 「夜間労働」 という手を はじ め, 「昼間組は夜間組が出ていったば 1 2 )た かりの寝床にもく りこみ, また夜間組は昼間組が出ていったばかりの寝床にもぐりこんだ」 め に, 寝 床 は 冷 める こ と が な か っ た と い う,. このような大多数の労働者の子 どもたちにまともな学校教育など出来るわけがない, イ ギリス 884年の改正工場条例の発布以前には, 男または女の学校教師により十字形をも って署名 で は, 1 さ れた通学証明書が珍しくなかった. そのわけは, 「あなたは字が読めますか?」 と問われて, 「ええ, ほんの少々」 と答える程度のもので, 学校の教師自身, 字が書けなかったからである, ひ どいのになると自分の署名さえ困難であって 「教授無能力 は何ら疑いの余地がなかった」 とい われるほどのものであった. 彼らはただ 子どもを監督しているだけなのである. たとえ 「有能な 教師のいる多くの学校でも, 三才以上のあらゆる年齢の児童が騒然と密集していては, 教師が骨 1 3 ) を お っ ても 殆 ん ど役 に 立 た な い」 有 様 で あ っ た の で あ る,. も以 子どもたちでさえこの通りなのであるから, 大人の労働者にし ても, それ以上ではあっ て▲ 下ではありえない, ブル ジョア ジーは労働者にたいしてはち ょうど必要なだけの生活し かゆるさ な い ので あ る か ら,. 教 育 に つ い て も ま た, ブ ル ジ ョ ア ジ ー が 自 分 た ち の 利 益 に な る だ け の も の し. か労働者に はあたえない, だいたい ブル ジョア社会で は 「教養というのは, 大多数の人間にとっ 1 4 ) ては, 機械の付属物に育てあげられることである.」 このように資本主義社会においては, 働く国民一般大衆をさまざまな仕方で文化や科学から遠 ざけ る よ う に仕 組 ま れ て い る の で あ る. と こ ろ が ブ ル ジ ョ ア ジ ー に と っ て 困 っ た こ と は, 彼 ら の. 階級的な利益のために は, 彼らのために労働者がより多くの剰余価値を生み出し てくれるために は, より科学的な知識をもっ て, より科学的な技術によっ て, 労働力を高めてくれなければなら ない, したがって, ブルジョアジーは一方で は自然科学を中心に, 新し い知識の基礎をなんらか ー 5 ー.

(7) . Vo l .I ,21 No. i i ion I C) l oE Hokka i do Uni Journa ty of Educa t on (Seet ver s. l ju y ,1970. の方法で教授しなければならない. けれどもそれは彼らにと っ て恐ろしいことである. ブル ジョ ア ジーが労働者を教育することを恐れるのは, そのことが彼らの目を ひらき, 彼らの現実生活を し だ い に 科 学 的 に み つ めさ せ,. こ うし てそ れ が, プ ロ レタ リ ア ー トを し て ブ ル ジ ョ ア ジ ー の 抑 圧. と闘うための武器となるかもし れないからである. ここに他方で は, その彼らの恐れをとりのぞ くための 「解毒剤」 が必要になる, そ れは 「宗教教育」 や 「道徳教育」 の形で行なわれる, 「大 衆にはたらきかける道徳的手段のなかで, 第一のもっとも重要なものは, やは りなんといっ ても 宗教である. だからこそ, 学務局では牧師が大多数をし めているのであり, だからこそまた, 儀 式遵奉派から救世軍にいたるあらゆる種類の宗教復興運動を支持するために, ブル ジョア ジーは 1 5 ) と エ ン ゲル ス は 指 摘し て い る ま す ま すさ か ん に自 腹 を 切 っ て い る の で あ る」 . こ うし た ブ ル ジ. ョ ア教育政策のもつ二面的な虚偽性 は, いうまでもなく資本主 義社 会に おける階級闘争の基本的 な諸矛盾の反映にほかならない. し たがっ てこのこと は, わが国の明治以来, 戦後の今日の文教 政策においても決し て例外ではない. いわく 「西の科学」 にたいする 「束の精神」 ということで, ぼえないほ ど, ますます 「道徳」 教 今も科学技術教育 (西の科学) を 「振興」 せざるをえなけれ{ 育 (東の精神) を強調せざるをえないという矛盾を深めてきている. 3 . 資本主 義社会における芸術 産業革命によっ て, それまでの社会に比較して, 資本主義社会ははるかに高い生産力をもった 社 会ではあるが, すでにのべたとおり, 芸術の不均等発展のゆえに, 芸術の質的発展をこの社会 に必然的に照応するものとし て期待することはできない, ブル ジョアジーはこれまでの封建的な家父長的上 下の人間関係を破壊し, 「人と人とのあいだ r e Zahlung) の ほ か に は, な ん の き ず な も の こ さ な に, ろこっな利害, 無情な 『現金勘定』(ba -は敬度な法悦, 騎士の感激, 町人の感傷といった神聖な情熱を, 利己的 かった‘ ブル ジョア ジ▼ な打算の冷水におぼれさせた, ブル ジョア ジーはこれまで貴 い ものとされ, 敬度なおそ れをもっ て仰がれてきた いっさいの仕事 から, そ の後光をはぎとっ た. 彼らは, 医者や法律家や 僧侶や詩 人や学者を, 自分たちのおやと いの賃金労働者にかえてしま った. ブル ジョア ジーは, 家族関係 1 ) 6 からその感動的な感傷のヴェールをはぎとっ て, ただの金銭関係に還元した.」 かくして資本主 義社会においては, 人間の労働力も商品となり, 人間と人間との人格 的関係 は 物的関係に転化させられる. 「煙草と悲歌と いうまっ たく異った使用価値であるにもかかわらず ) 同 一 の価 値 とし て 交 換さ れ る のであ り プロベルティウス詩集一巻と 喚ぎ煙草8 オ ンス と は」i7 , 絵画の価値 も, 長靴や鉱産物と同じく, 「なんら特殊な質をもたない. したがっ てたんなる量に 1 ) のであ る 8 よ っ て は か る こ と の で き る 抽 象 的 労 働 に よ っ て 規 定 さ れ る」 . マ ル ク ス は シ ェイ ク ス ピ ア の 「ア ゼ ソス の タイ モ ン」 を 分 析 す る こ と に よ っ て.. 貨 幣の本質 を. 1 ) つぎのよ うに説明する, ( , そ れは, 目に見える神であり, あらゆる人間的および自然的諸属性 のその反対物への転化, 事物の一般的な混楕と転倒である. それは融 合不可能と見える事物をも 1 9 ) 貨幣は人間 2 ) 融合させる, ( , そ れは, 人間と諸国民の一般的娼婦, 一般的取りもち役である, としての人間に由来せずに, 物のもつ力, 物の神とし て, 「観念を現実へ, 現実を単なる観念へ かえてしま うための外的な一般的手段および能力」 であり, 「個人的特性をその反対物に逆転さ 0 2 ) せ, 矛盾した諸属性を個人の諸属性に付与する個人的特性の一般的転倒である, 資本主 義社 会にお いては, 貨幣はこのように信を不信に, 愛を憎しみに, 徳を悪徳に, 奴隷を 主人に, 愚鈍を聡明に, そしてまたその反対にも転化することができるであろう. しかし, 人間 とし ての人間を前提にするかぎり, われわれは, 愛は愛とだけ, 信頼 は信頼とだけ交換できるの - 6 -.

(8) . 第 21 巻 第 1 号. 北海道教育大学紀要 (第一部C). 昭和45年7月. である, もし もわれわれが真に芸術を享受したいと思うならば, 自分自身芸術的教養をもっ た人 間でなければならない, もし 他の人びとを感化できるような人間でありた いならば, 実際に他人 を刺戟し, 感動させることのできる人格でなければならない. もし相手の愛を呼びおこすことな しに他の人を愛するならば, 相手から愛されることなしに愛するならば, その愛は無力であり, まさに不幸である. こ のように資本主義社会においては, 労働が労働者にとっては外的なものとなり, 労働は労働 者の本質に属しないものとなる, 人間にとっては, 労働, 生活活動, 生産的活動そ のものが, 単 に物質的 生存 の維持という一つの欲求を充足するための手段とし か見えない, かかる疎外された 労働から来る資本主 義社会における前述の人間的矛盾のゆえに, こ の時 代, この社会ではもっと もすぐれた芸術作品は, この社会を肯定的に描くことはできない. そうではなくて, むしろ反対 に,. こ の 社 会 の 現 実 を 批判 す る こ と によ っ て ヒ ュ ー マ ニ ズム の 立 場 を 守 ら ざ る を え な い こ と にな. る. かかる芸術的立場が 「批判的リアリズム」 とよばれるものであった, 資本主 義社会の 矛盾し た現実生活を正しく客観的に認識させることによって, 批判的能力を育成し ようとした戦前のわ が国の生活綴方教育等は, 芸術のこの立場に相応するであろう. これはやがて現実生活と教育と の結合, 生産労働と教育との結 合という方向に発展するものであり, 批判的リアリズムが社会主 義リアリズムに発展する方向と照応するものでもあろう, 資本主 義社会の芸術は一般に人間的内容においてきわめて乏しいものであり, こ の社 会は人間 的感動に充ちた芸術作品を生産するのにはも っともふさわしくない環境であった, にもかかわ ら 1 )においては史上最上 のものである それ ず, この社会で生産された芸 術作品の量とその多様性2 . はなぜか, その根本的原因は階級的分裂と, 自由競争にもとづく個人主義的個性の強調によるで あろう. 前述したように, みずからの労働力を商品として貨幣と交換せざるをえない労働者は, 法律上は一応 「自由」 である. しかしそれは実質的には, 労働力を商品として売ることの自由で あって, それ以外の自由ではありえない, それは形式的自由であり, 抽象的自由である. この法 的.形式的 .抽象的自由から抽象主義芸術が生まれる. そこでは内容的 には無意味な, ただ形式 的 調和 が 求 め られ る.. こ の 自 由 主 義 的 傾 向 は ブ ル ジ ョ ア ヒ ュ ー マ ニ ズム の 源 泉 と し て い ろ い ろ の. 形で現われてくる. 資本主義も個人主義的自由競争の時代をすぎて, 独占資本主義に入るや, マ ルクスのいわゆる 「生産的労働」 をおこなう諸能力 の組織化の反映として, 機能的組織 の美学が 発生する. 生産技術の科学的発展につれて, 機械化された労働過程に, 能力ある個人として組み 込まれていくその組織的連帯感を肯定的に集団の美としてとらえるのであり, 資本主 義社会を積 極的に肯定する芸術流派である. しかしこれは, 人間が機械化されることをみずから肯定するこ とになり, 抽象主義芸術と同様, その組織化された機能が何のためのものであるか, その実質は 問題にされず, ただその機能美だけが重んじられる, さらに資本主義社会では, 人間は, 苦痛でし かない労働から解放されたとき, 労働が痛苦に充 ちたものであればあるほど, 私生活を 「楽しむ」 ことになる. ここに「消費文化」が喧伝される. そして 「消費的欲望の充足, 享楽的欲望の肯定等々の要求を反映した芸術が生ま れてくる.」「外 界に対する受け身の享楽感覚」 を満足させる立場として印象主義芸術が, 「充たされぬ欲望衝動 2 2 ) を内から爆発」 させる立場 から表現主義芸術があらわれてくるのである. 4 , 芸術的・教育的労働の二面的性格 資本主義社会にお いては, 教師の教育労働も一般的には, 資本家のために剰余価値を生産する ものとして, または資本の自己増殖に役立つものとし て生産的である, 物質的生産 の領域外から - 7 ー.

(9) . vo l ,21 NQ I. ion IC) i i l。f Hokka i dO Uni ▽er t Journa ty of Educat s on (Sec. Jul y ,1970. の 一例として, マルクスは 「学校教師は, 児童の頭脳を加工するばかりでなくて, 企業家の致富 のためにみずから苦役するばあいに, 生産的労働者である‘ 企業家がその資本を腸詰工場にでな ) と いって いる すなわ ち 2 3 く 教 育 工 場 に 投 じ た と い う こ と に よ っ て は, 関 係 は 少 し も 変 らな い」 ,. 教師たちは教育施設の企業家にとってはたんなる賃労働者でありうる. こ の場合この教育施設は 私立のものに限定されない. 国公立の場であっても, 資本主義社会にあっては, 国家予算の配分 の機構 からして, 教師はひとりの賃労働者として, ある特定 の資 本家に搾取されて いるわ けでは 4 )し かし こ の同じ労働 2 な いが, 結果的には資本家階級に搾取されていることになる からである. も, 生徒たち にたいしては, 不生産的であ る, ホテルの ボーイ さんのサー ビス労働は, ホテル の 企業家にとっては生産的であるけれども, そのサー ビスを受けるお客にとっては不生産的である の と 同 様 で あ る. こ の こ と は 芸 術 に お い て は どう か,. 劇場や娯楽施設などの企業家のばあ いに,. 「俳優は, 公衆にたいする関係では芸術 家であるが. 6 ) 「失 5 ) と マ ル ク ス は い う さ ら に 彼 に よ れ ば,2 2 自分 の 企業 家 に た い し て は 生 産 的 労 働 者 で あ る」 .. 楽園」 を書 いたミルトンは, 不生産的労働者 であっ た. なぜなら, 彼が 「失楽園」 をかいたのは 蚕が糸をつくりだすのと同じ根拠からであり, 彼の本性の一活動であっ たからである, これに反 して, 出版屋のために樫造労働を提供する著述家は生産的労働者である, と いうのは, そ の人の 生産は, はじめから資本に従属させられていて, ただ資本の価値増殖のためにだけなされるから である, また同じように, 独力で自分の歌を売る女歌手は, 不生産的労働者である. しかし, そ の同じ歌姫が, 金もうけのために彼女をうたわせる企業家に雇われる場合は, 生産的労働者であ る, というわけは, 彼女は資本を生産する からである. このように一般に資本主義社会においては, 同一種類の労働が生産的でもありうるし, また不 生産的でもありうるという性格をもつ。 こ の範噂に教育も芸術もともに含まれる, この一面性か らつぎのこと が問題となるであろう. 芸術については, すでにの べたそ の不 均等的発展とかかわりながら, そのな かですで に社 会発 展の樫 椎となってきて いる土 台と, それに照応する上部構造にたい する批判的芸術の, さらには 変革的影響をもつ芸術の 生起と発展の可能性を期待することができる, 労働の生産的側面 は, 資 本主義社 会を資本家階級の要求にそう形で肯定するものであるが, 不 生産的側面 においては, そ の労働は階級社 会における反動性・姪橋性を批判し, これを否定する働きとして作用することが で き る で あ ろ う,. 人間が人間を搾取 すると いう資本主義社会の経済的矛盾, 労働が疎外されることによ って人間 性が疎外されると いう資本主 義社 会の 矛盾を, 科学的に明確に分析することによって, 労働者階 級の立場に立って, この姪樵を団結して克服することを訴えたマルクスやエンゲルス からすれば 芸術の真のあり方は 生産的労働として の芸術活動にではなくて, まさにそ の不 生産的労働の側面 における積極的な展開にこそなければな らな いであろう. マルクスとエンゲルスが政治的見解・ 政治的イ デオロギーが作品 のなかで おのずから表明されるような文学の傾向性を高く評価したの は当然であろう, その端的な例が, 彼らのバ ルザック の作品にたいする評価である. し かし政治 的傾向性 を肯定したからと いって, ただそれだけですぐれた芸術になるということでは決してな い, 芸術的価値は, そ の表明の仕方を問題にする。 こ の点から彼らは 「シラー的方法」 をしりぞ 7 ) 以 上 の 観 点 か ら, 彼 ら の 芸 術 論 は リ ア リ ズ ム け て, 「シ ェイ ク ス ピ ア 的 方 法」 を よ し と し た,2. の 立場に立ち, 批判的リアリズムから, さ らには社会主義リアリ ズムへと発展す べき方向性をも つ の で あ る. - 8 -.

(10) . 第 21 巻 第 1 号. 北海道教育大学紀要 (第一部C). 昭和45年7月. 教育労働の二面性ではどうか, たとえ資本主義社会のなかで, 学校教育を制度的に, 支配階級の利益に奉仕させようとしても それは生産的労働と いう側面からであって, 不生産的側面までもこれを支配階級のために全面的 に従属させることばできない, もちろん, だからこそ今日わが国に見られるように, 単に教育制 度面だけでなく, 教育内容から教育方法の面にいたるまで, 国家権力をもって規定し, それに従 属させようとしてきて いる, さらにはマス・コミを全面的に信用し, それを体制側に有利 に統制 してきて いる, し かし, それにもかかわらずやはり, 教師の教育労働の不 生産的側面を全面的 に 支配し きることはできない, ここに特に物質的生産とは異なる非物質的生産・精神的労働の特質 がある. ここをよりどころとして, 人間の主体性を生かす可能性がある, なぜなら, いかに教育 が社会生活の諸条件に, すなわち生産諸力 の状態とか, 分業とか, 社会の諸階級の利害とその諸 関係とか, 文化や科学の水準とかに依存し, 規定されるとしても, やはり教育は人間を, その能 力や才能を, 発達させる要因であることは否定できないからである, 人間を教育するということ は, 要するに人間的要求に目覚ますことである, こ のことはまさに, マルクスのいう不生産的側 面 に お い て こそ い え る こ と で あ るし, ま た 可 能 な の で あ る, い か な る 権 力 を も っ て し て も 自 覚 ,. し た教師の主体性をしばることはできない, 子どもの魂をめざますものは, 教師の魂の主体性で ある. 教師こそ魂 の技師である, ブ ル ジ ョ ア ジ ー に た いし て,. プ ロ レタ リ ア ー ト の も ち う る 主 体 性 は 何 よ り も 抵 抗 で あ る 資 本 ,. 主義社会における疎外条件のなかで, 主体性はただ, その疎外の現実の客観的認 識とそれにたい する 抵抗こそ, 疎外を排除する出発点である. そこから主体性がめざめる 教師の主体性はやが . て生徒 の主体性をめざましていく, 社会の死滅し つつある階級の利害を反映する反動教育を 「反 動的」 と批判できる力は主体的な力である. 反動教育に抵抗することこそ教育における主営ゃ性で ある, 資本主義的反動教育体制のなかにあっ ても, 教師の主体性があり それにめざまされる生 , 徒 の主体性が期待できるかぎり, 困難ではあるにもせよ, 進歩的・民主的教育は成長し 発展す , る. それを可能にする根拠をマルクスは労働の不生産的側面として示した のである, m, 全面的に発達した人格の育成 1 , 人間の発生とその発達 マルクスやエンゲルスは人間をどう考えて いるであろうか, 人間を考え, 問題にする出発点は その物質的な生活諸条件である. すでに史的唯物論についてのべたことからも理解されるように 人間は自然的存在でありながら, 歴史的存在でもある, 人間は, 人間自身の肉体的性質, 人間に 与え られた自然的諸条件などの, 人間存在の自然的基礎を歴史の進行途上において, 人間の行動 によっ て変革すると いうことから, 人間として の歩みを始める. 「いっさ いの人間的存在はまた いっさ いの歴史の第一前提として, 生活しうる状態になければな らず, その生活の中心をなすも のは, 食うこと, 飲むこと, 住むこと, 着ることなどである, それ故に, 第一次的歴史的行為は 8 これらの欲望を充足するための手段の産出, すなわち, 物質的生活そのものの生産である 」 .2)そ して, 充足された最初の欲望そ のものが, 欲望充足 の行動と, すでに獲得している欲望充足用具 とが, 新たな欲望へ導くのである, さらにまた, 人間は自分自身の生活を営みながら, 他の人間 との社会的諸関係を生み出す, 初めに家族, すなわち夫と妻との関係, 親と子と の関係 から, 後 になっ て, 欲望の増大が新たな社 会的諸関係を生み 出し, 人口 の増加がまた新たな欲望を生み出 すようになる, このことと関連して, 人間の発達における遺伝と環境の問題についても, マルク - 9 -.

(11) . i i i t lof HOMく Journa on (Sect on I C) s aid。 Uni ver y of Bducat. Vo l ,21 NQ I. ス と エ ン ゲ ル ス は 「ドイ ツ ・イ デ オ ロ ギ ー」 の な か で,. jul y ,1970. ブル ジョ ア 的 児 童 学 者 た ち や シュ テ ル ナ. ーが主張するように, ある人が詩人であり, 他の人が音楽家であり, 第三の人が学校教師である という事実にたいする 責任を種族に負わせることによって, 分業を種族のせいにしたり, 身体的・ 知的欠陥を種族のせ いにしたりする見解を批判し, 分業は生まれつきの能力の結果なのではなく 反対に社会的条件としての分業が人間 の能力を規定するのであり, 人間の発達のうちに現に認め られる諸欠陥も, 実際には, 歴史的に発生してきたものであっ て, したがってまた歴史的発展の 歩みのなかでなくされることのできるもの, 「人種の区別などのような自然発生的な種族の差異 ) と主張する. すなわち彼らによ 2 7 でさえも, 歴史的に除去さ れうるし, 除去されずにおかない」 れば, 遺伝的素質は変化しないも のではなく, 反対に外的環境の特定 の諸条件がどうあるかに応 じて変化し うるものであることを明らかにした. 生活の生産, すなわち, 労働における自己の生 活は一面では自然的な関係, 他面では社会的な関係 として現われる, 換言すれば, 人間は自然的 存在として生きるためには, 生産労働=手を発達させざるをえず, 社 会的存在としては, コミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン= 口 を 不 可 欠 の 条 件 と す る.. エンゲルスは彼の 「自然弁証法」 のな かで, 人間 が猿の段階 からいかにし て人間にまで発達し たのかを, 科学的に解明している, 労働はあらゆる富の源泉である ばかりではな い. 無限にそれ以上のも のである, 労働こそがす )のである, 3 0 べての人間生活の第一の基本条件であり, しかもそ れは「人間自身をつくり出し た」 ダーウ ィ ンの進化論に従えば, われわれの祖先は樹上 に群棲し て いた, はじめはおそ らく, 樹上 によ じ の ぼるさいに前脚は後脚とは別に作用せ ざるをえない生活様式, 前脚=手のに ぎり, つか む働き が形成されたうえで, やがて地上生活に移行するようになっ た段階で, 後脚=足で体をさ さえ, 前脚を手の働きにふさわしく 自由にする直立歩行をはじ めた, このことによ ってわれわれ ) をふみ出したのである, 直立歩行とい 3 0 の祖先は 「猿 から人間へ の 移行のための決定的な一歩」 1 ) なることである, それによって, ますます 3 うことが決定的な意義をもつのは, 「手が自由に」 あらたな技巧を獲得 することができた, と同時に獲得さ れたより大きな柔軟性が遺伝さ れ, 代を へるに従 って増して いき, こうして, 手は労働の器具であるばかりでなく, それはまた, 「労働 ) 労 働 に よ り, ま す ま す 新し い 仕 事 へ の 適 応 に よ り, そ れ に よ っ 3 1 が つ く り だし た も の で も あ る,」. て獲得された筋肉, 騰, および長い間にはまた骨酪の, 特殊の訓練を遺伝することにより, また これら遺伝さ れた改良進歩を, 新しい, ますます複雑な仕事に応用することによ って, ただそれ に よ っ て の み,. 人 間 の 手 は, そ れ が 「ラ フ ァ エ ロ の 絵 画 や トル ワ ル ト ゼ ソ の 彫 像 や パ ガ ニ ー ニ の. 3 1 ) 高度の完全さの域にまで達することができるよう 音楽を魔法でよびだすことができたほ どの」 に し た の で あ る.. し かし, 手はそれだけで独立して いる もの ではなく, 高度に組織された有機的全一体の特別な 一 肢体で ある. 手を発達させたものは全身を発達させた. 一定の形態の変化は, 身体の部分の形 態の変化をひきおこす. 人間の手の漸次の改良進 歩, およびそれと歩調をあわせて直立歩行のた めの足が完成する, この相関によって生命体の他の部分にも反作用をおよぼしていく. 直立歩 行によ って可能となった労働および手の訓練とともにはじま る自然への支配は, 新たな 進歩の あるたびに, 人間の視界を拡大させた. 自然に働きかけることによっ て, 人間は今まで知 られて いなかったそ の諸特性をたえまなく発見し た。 他方において, 労働の発達は相互 扶助, 共 同的な協力の場合 を増加させ, この協力が各個人にとって有用であると の意識をはっ きりさせる ことによって, 必然的に社 会成員を相互に近 づけ ることにな った, ここに人間相互間の コミ ュ- - 10 -.

(12) . 第 21 巻 第 1 号. 北海道教育大学紀要 (第一部C). 昭和45年7月. 3 2 )未発達の喉頭は音調の変化 ケーショ ンの欲求が生まれる, 「欲求はその器官 をつくり出した.」 がますます発達し, そのためにまた音調を変 化させる, というやりかたによ って, 徐々に だが , 着実に改造されてゆき, 口の諸器官はしだ いに 音節を明瞭にわけた字母をつぎつぎに発音するこ とを学んで いっ た, こ のように言語も労働を媒介することによ って発達したのであ る. ダーウィ ンのいう生長相関 の法則によって, 手と口の発達はまた脳髄を発達させた それとと , もに感覚器官が発達した. 脳とそれに奉仕する感官の発達, ますます明瞭さをまして いく意識 , 抽象力および推理力の発達は, 労働と言語とに反作用をおよぼし, こ の両者をたえず新たに刺激 して, さらに発達させて いった. かくして人間になりきっ たときに, 新たに社会と いう一要素が くゎわ ったこと によって, それらはいっそう力強く推進されるようになった, 猿と人間とを区別する徴標は労働であっ た, この労働は道具 の製造とともに始まる そのもっ . とも古 いものは狩猟具と漁悌具であり, 前者は同時に武器でもあった, 狩猟と漁携 と は 単なる , 菜食から肉 の並食へ 移行したことを意味するが, 肉食は, 消化の時間を短縮し, 本来の動物的生 活を発揮するための時間と材料と欲望とを多くもつようになった. とく にそ れは脳髄に作用し , その栄養と発達と に必要な物質を以前よりもはるかに豊かに与え, 代をかさねるに従ってますま す発達を促進することができた. さらに肉食から二つの決定的に重要な進歩が生じた, それは火 の使用 と動物 の飼育とである, 人間は食うこととともに, どんな気候のもとでも生活することを学んだ, 年中一様に暑 い原棲 地から, 一年が冬と夏にわかれるもっと寒 い地方に移ったことは, それを防ぐための衣服と住宅 新し い労働分野, したがってまた新し い活動をつくりだし, いっ そう人間を発達させた. 労働そのも のも, 世代を重ねるにつ れて, より完全に, より多面的になった. 狩猟と牧畜に加 えて, 農耕が現われ, さ らには紡織, 金属加工, 製陶術, 航海が現われ, 種族は民族および国家 と な っ た,. 要するに, 「動物は外的自然を利用し, たんにその存在によってだけ外的自然 に変化をもたら すが, 人間はみずからその変化によって自然を彼の目的に利用し, 自然を克服する. そしてこれ が人間とその他の動物との最後的本質的な差異であって, その差異をひきおこすも のは, またし 3 3 ) て も 労 働 な の で あ る.」. 人間 の身体的な らびに精神的発達の歴史は, 労働--生産諸力 の発達によ って不可避的 に規定 されることを教えている, 人間の発達は, その社会的・経済的生活諸条件 の総和に依存してい る のである, 前にあげたラフ ァ エロの芸術にしても, 「他のどの芸術家でもそうであるように, 彼 以前に達成されていた芸術の技術的進歩と, 社会組織と, 彼の生活して いた地域における分業と そして最後に, 彼の地域が交易をおこなっていたすべて の国々における分業とによ って, 制約さ れていたのである, ラフ ァエ ロのような個人がそ の本能を発達させる かどうかは, ま っ たく需要 のい かんにかかっているのであり, こ の需要は, これはまたこれで, 分業とそこから生じた人び ) 3 4 と の 教 養 状 態 のい か ん に か か っ て い る の で あ る.」 マ ル ク ス お よ び エ ン ゲル ス に よ れを , 人間 の発 達は, その時代の社 会的 諸関係の総和に依存し. 3 5 )そして教育も芸術 てい るし, 「人間の五官●の発 達は, これまでの全世界史の結果なのである,」 もそ のなかに位置 づけられ, 相互 に作用しあいながら発達してきたし, するであろう, 2 . 全面的発達 人間の個性的発達も, その生活諸条件によって規定されるものであるならば, 人間の調和的・ 全面的発達のためには, 人間が広い範囲でさまざまな活動をおこない, 多面的な生活をいとなむ - 11 -.

(13) . VO1 .I ,21 No. i i t ido Uni i t lof Hokka t on I C) on (Sec ver s Journa y of Bduca. l Ju y ,1970. ことが必要になるであろう. ところがもし, 彼の 生活が何かある一つの狭い専門に限定されて, その専門をこえてまわりの世界を見ないならば, その発達は一面的なものにならざるをえない, 「もし こ の個人の 生活環境が彼に, 他のす べて の特性を犠牲にして, ただ一つの特性の一面的な 発達だけし かゆるさず, ただ, この一つの特性の発 達のための材料と時間し か彼にあたえない な らば, こ の個 人はただ一面的な, 不具な発達にし か到達しない, どんな道徳的説教も 役にたたな い」%) の で あ る.. 「生産が自然発生的に発展するあ らゆる社 会では, 生産者が生産手段を支配するのではなくて, 生活手段が生産者を支配する. こういう社会では, 生産を促進するあらたな榎杵は, かな らずや 生産者を生産手段 の もとに隷属させるあらゆる 手段に転化する. このことは何よりもまず分業に ) 3 7 あて は ま る,」. 最初 の大規模な分業は, 都市と農村と の分離である. そ れは農民にたいしては精神的発達の基 礎を, 都会人にたいし ては肉体的発達の基礎 を絶滅する, 労働の分裂は人間の分裂をひき起す. 分業は 「労働者を ば, 生産的な衝動および素質のいっさいを抑圧することによ って……不具の奇 形者たらし める, …… (それによ って) 個人そのものが分割され, 部分労働の自動的機構に転化 )大工業の機械装置は, 労働者を一つの機械から, 機械のたんなる付属物にまで退化さ 3 8 される.」 せるばかりではない. 「労働者を直接または間接に搾取し ている階級もまた, 分業によ って, 彼 )頭のからっぽな ブル ジョアは, 彼自身の資本と彼自身の利 3 9 らの活動の道具に隷属させられる.」 潤との奴隷 となり, 教養ある階級は, 一般にさま ざまな偏狭さや偏見の奴 隷となり, 彼ら自身の 肉体的 ・精神的短見の奴隷となり, さらにある専門 を目あてとする教育と, こ の専門自体に一生 束縛されることによって奇形化の奴隷となるの である. こうした人間の不具化を克服しなければ s ならない. このためには, 一つの社会的細目機能の単なる担い 手にすぎない 「部分個人 (da 「 全面的に発 式であるような dum) i i i l Te 」 を, いろいろの社 会的機能が相交替する活動様 nd vi , が i l こ と l k d か t t d i i l て き え t t を も お る c e e ) d e n w u n v m 」 o a ( s a っ 達した個人 , 一 つ の死 活 問 題 ) となる. この死活問題を解決する全面的に発 達した個人を教育 (Frage von Leben oder Tod する契機となるものは, 綜合技術学校および農業 であり, 労働者の子 どもが技術学およびいろい ) 4 0 ろの生産用具の実際 的とりあつ かいにかんする若干の授業をうける職業 学校である, 人間が全面的に発 達することのできる社 会は共産主 義社 会でなければならない. そこでは分業 がなくなり, 精神労動と肉体労働との分離や都市と農村とのあいだの対立もなくなるのである. そういう社 会であって はじめて, 「教育者は, 若い 人びとが生産の全体をすばやく実地に習得で きるようにし, 彼らが社会の必要や各人の 好みに応じて生産部門の系列を順々に移ることができ るようにするで あろう.」 そのことによって, 「共産主 .義的な組織になった社会は, 各人に, 彼ら 4 1 ) ことができるようになるの の全面的に発達し た素質をあらゆる方面にの ばす機会をあたえる」 で あ る,. マルクスによ れば将来の教育は 「社会的生産 を増大するための一方法として のみならず, 全面 的に発達し た人間を生産するための唯一の方法とし て, 特定の年齢以上 の す べて の児童 のために 生産的労働を知育および体育と結びつけるであろう」 といい, そうい う 「教育 の萌芽は工場制度 4 ) と指摘する. 「上流およ び中流階級の児童の一面的な不 生産的で長すぎる授業 2 から発生した」 ) のに対し て, ドド学半労の制度は, 労働と授業とのおのお 4 3 は教師の労 働を無益に増加させる」 )と 4 3 のを, 他方 からみれば, 両者の一方を中断なくつ づけ る制度よ りも, はる かに適切である.」 い う. では資本主 義社会の条件のな かで, こ の全面的発達をめざす 教育において, 芸術が どのょ. - 12 -.

(14) . 第 21 巻 第 1 号. 北海道教育大学紀要 (第一部C). 昭和45年7月. うに位置 づけられるのであろうか。 五官 ばかりでなく, 人間的感覚, 諸感覚の人間性もまた, その対象の存在によっ てはじめて, 人間化された自然によってはじめて, 生成するものであるがゆえに, 主体的な人間的感 生の豊富 さが, 音楽的な耳が, 形態美にたいする目が, 人間の本質的な諸力として確証さ れる諸感覚が形 4 4 )し 成されるためには, 人間的本質の対象的に展開きれた豊富 ざが前提さ れなければならない. べて の能力 と才能を発 たがってそういう豊富さが保障される共産主 義社 会では, 人間は自分のす べ どとい う ので て働く きであるな かわ っ 達させる可能性をう けとろから, 「だれもラフ ァエロに はなく, だれであろうと, 自分自身のうちにラファエロのような才能をひそめているな らば, そ 4 4 )すなわち, 共産主義社会には, 画 の人は自由に自分自身を発達させるのでなければならない.」 家という職業はなく, 芸術の領域でも, すぐれた絵画をかき楽しむことのできる能力を発達させ ている人間はいるが, 画家という職業 人はいないのである, このことからわれわれは, 全面的に 発達した人格におい ては, 芸術 はどのような かかわりをもつ かは理解されるけ れども, 現在の資 本主義社会にあって, そ れへ の過程とし てどのような発達をたどるの か, ということについ ては 必ずし も明確にならない, 全面的に発達し た人格は, マルクス・エンゲルスの教育からすれば, 当然めざされる人間像と して教育の目的である. 彼らの諸著作のな かで理解しうるそれ への方法とし ては, 結局するとこ ろ, 社会主義革命が大前提となるであろう. 社 会主義革命を可能にする教育, 具体的 には生産労 働と教育との結合を中核としながら, 科学的世界観を身につけた人間を育成しようとする, と 同 i nmenhang) n Zusal 時に, 個々人の独創的で自由な発達は, 「まさ に個々 人の一つのつな がり(e を条件とし ている」 こと, 「そしてこのつながりは, 一部は経済的な諸前提のうちに, 一部はす べての人びとの自由な発達が必然的に連帯性をもっ というところに, そして最後に, 現存の 生産 4 5 ) のである, したが 諸力を土台とする個々 人の活動の仕方が普遍的となるというところにある」 認識の教授とそれにもと って資本主義社会では当面, 集団的連帯性を形成組織しながら, 科学的 づく総合的な 科学技術的 生産労働を結合し ていく教育が要請されることになるであろう, マルクス主義の創始者たちによる以上 の思想のうちには, シラーの遊戯衝動に導かれた美的人 間, すなわち人間的幸福と人格的完全性とが調和的に発達している人間は, その観 念的空想的性 格を払拭し て, 科学的な根拠に裏 づけられた全面的に発達した人格とし て示されていろ, また, ヘーゲルでは, 芸術は, その内的必然性に従って, 人間の精神的発展における媒介的働きとして 作用する, し かも, 芸術の本質的性格のもつ 感性的・直観的形象性によ って, それはおのず から 人格の完成に導くも のであっ た, そうし た芸術の教育にたいする本質的性質 が, マル クスとエン ゲルスによってはじ めて, へ【ゲルのように意志と存在とが逆立ちし た観念論的関係においてで はなく, まさに科学的客観性をもって示されることになっ たのである, 註 * i l t t ut M。s く au l orgtvom M. B, L,lns ta ,34, 1 ,S ) K, Marx: Das Kapi .1 ,Bes , Bd * * 1 i d 2) Vg . .36 ,S .ib , 37. 3 ) 新日本出版社「社会科学辞典」 . 4 ) 5 ) 6) 7) 8) 9). in l l i i t i ik der po . ag Ber e z ver t schen 。konomi e 七 K. Marx: zur Kr .13 .1951 .s . , Di S in.1953 l 22 23, i l l Di heldeo t Di Deut e z Ver ag Ber l e Marx B o e s c e g n s : , g . , . , i i i ik der po . e t t schen 。konomi K. Ma rx:zur Kr ,14 .s ,. 31 エンゲルスからシタルケソブルグヘの手紙, 選集, 15巻, p ,5 , i l i i i 1 t t schen okonomi e K, Marx: zur Kr くder po .S,268・ d i S h l 4 4 i l D l D t o e Marx E e u s c e e o g. , . , nges: e. - 13 -.

(15) . VOL 21 No ,1. f Hokka journa lo ido Uni i i ion I C) ty of Bducat t ver s on (Sec. l Ju y ,1970. 10) K, Marx: Das KaPi l ta .S . Bd .1 ,419 , d 11) i bi ,S ,269. . d 12) i bi .S ,798 , i id 13) Vg .S ,ib .419 , 420 . f 1 4) Marx, Enge1 i i 1 1 in t der Kommuni s: Mani t t es t s schen Par e ag Ber e z ver . Di .1953 ,s .27 .. 15 ) エ ンゲルス 「空想から科学へ」 国民文庫版, p ,49 , f 1 6) Marx, Bngels: Mani くommun t derT i i i t e s s t schen Par e .S ,9 , 10 . ik der po 1 i i 7) K. Mar t . t x:zur Kri schen okonomi e ,S .20 . 18) i bid .S ,54.. 19 ) マルクス 「経済学・哲学手縞」 選集補巻, 4 .390 ,p . 20) 同上, p 2 ,39 . 21) この場合の芸術作品の多様性は, 現代わが国の後期中等教育の 「多様化」 や高等教育の 「種別化」 と関 連させて考えてみることもできよう. その根源は同一の性格をもっていると考えるからである. 2 2) この頃, 村上嘉隆 「芸術論の学習」pp 4参照, .59~8 i 23) K, Marx: Das Kap tal . Bd .1 ,S .534.. 24) 本学紀要, 第1 5巻, 第1号 (昭39 ,8) の拙稿参照. 25 ) マルクス 「剰余価値学説史」 国民女庫版, 第一冊, p 2 .25 . 26) 同上, p ,240 . 27) シェィクス ピア的方法とは, 大きな思想的深さ, 自覚された歴史的内容と動作の躍進と充実とを融合さ せる方法であり, シラー的方法とは, 自分の主人公を自分の思想の伝声管として, 個 人を時代の精神の単 なるメガフォンにしてしまう方法のことである. 「村上嘉隆 「芸術論の学習」p .95) 参照. なお, 「マルク スからラッサールヘの手紙」1 85 9年4月1日付 (国民女庫版 「マルクス・エンゲルス女学・芸術論」 p ,65 ~69) 参照. 28) Marx, Engel s: Di e Deut scheldeol e ogi ,S ,24 , d bi 29) i .S .449 .. i l l k der Natur l in,1955 30) F. Engel t l s: Dia e く et z ver ag Ber . Di .S .179 ・ i b d 31) i ,S ,181. id S 32) ib , ,182. i d 33) ib .S ,190 . i 3 4) Marx, Engel l s: Di e Deut 4, sche ldeo e og .S .41. 35 ) マルクス 「経済学・哲学手稿」 選集補巻, 4 ,350 ,p , 36 ) Marx, Engels: Die Deutscheldeologie. S,270, l 37) F, Enge ing i ‐Dnhr s: Ant ,S ,362 , 363 , 38) K, Marx: Das Kapi l B d S 1 ta . , . .378, i 39) F, Bnge l ing ihr ‐Di s: Ant .S ,364. 40) K, Marx: Das KaPi t l a . Bd ,1 ,S .513.. 41) エ ンゲルス 「共産主義の原理」 国民女庫版, p 7 ,9 , 42) K, Marx: Das Kapi l ta . Bd ,1.S ,509 ・ d b S 43) i i 0 8 5 . , .. 44) マルクス 「経済学・哲学手稿」 選集補巻, 4 0参照. ,35 ,p i 45) Marx, Engel e Deut s: Di scheldeol e og ,S .465 .. - 14 -.

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