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唐代科挙制度と韻書・唐詩との関係

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Academic year: 2021

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(1)研究ノート.    唐代科挙制度と韻書・唐詩との関係.                                下村 功次 1.はじめに.  科挙とは、試験により役人を選抜する制度である。この科挙制度は、「いまから140. 0年ほど前の587年」(注①〉に成立したといわれている。そして、「1904年を最 後の年として、以後は科挙を行なわぬことに定め」(注①)るまで、実に1300年もの 長きにわたって、途中、元代等の中断の時期がありながらも継続して実施されてきた制度 である。試験により役人を選抜するという方法は、「科挙」という名称こそ用いないが、 今日でも広く世界で使われているのである。.  役人を選抜する方法として試験を用いるというのは、何を意図としているのであろうか。. そのことを知るには、科挙が実施され始めた時期、すなわち階・唐代の科挙制度を研究す る必要があることは言うまでもないことである。.  試験と学問は、表裏の関係にある。したがって、試験は学問に一定の成果をもたらした であろうし成果をもたらさず、逆に弊害になることもありうる。学問と一口に言っても幅 が広いので、ここでは、韻書と唐詩をとりあげる。.  唐代科挙制度と韻書・唐詩が、どのような関係にあるのか。また、科挙が唐詩や韻書に どのような影響を与えたのかを検討してみたい。その方法として、唐代の科挙について記 述した資料を検討することや、先行研究を検討することとしたい。. 2.科挙と韻書との関係  「音韻学とはすなわち語音体系を研究する科学」 (注②)であり、その集大成の結果と. してできたものが韻書である。韻書としては、「階の陸法言が文帝の仁寿元年(601年) に編纂した《切韻》がある。」 (注②)この《切韻》を、萢文瀾氏は「在秦朝、小粒統一 了文字的形体、在階朝、 《切韻》統一了書面的声韻、対国家的統一事業、珍事一種重大的 貢献。 (秦朝の頃、小蒙として文字が統一され、階朝の頃、 《切韻》が書面の上で発音を. 統一した。このことは、国家の統一事業にとって、極あて大きな貢献であった。)」(注 ③〉と、述べられているように音韻学の発展にとって画期的な出来事であった。また、萢 文瀾氏は「《切韻》是綜合古今南北多種語音、吸収前人韻書所有長処的一部巨著。自從 《切韻》行世、前人所作韻書陸績亡侠、後人無論考古学、作詩文、必須奉《切韻》為典萢。 (《切韻》は、古今南北の多くの漢字音を総合して、それまでの韻書の良い面を取り入れ た大著である。 《切韻》が完成したことによって、それまでの韻書が忘れ去られ、考古学 はもちろんのこと詩や文を作る際には《切韻》が唯一の基準となった。)」(注③)と、. 述べられているように《切韻》が詩や文を作る際の基準としての役割を果たすようになつ 一111一.

(2) たのである。.  しかしながら、 《切韻》以後も韻書がでている。唐・中宗皇帝の畑鼠2年(706年) にでた《刊謬補鉄切韻》。この編者である王忌日句は自序の中で「陸法言の《切韻》は、. 巷間で広く重んじられ、規範とされてきた。しかし、字義を載せないところもある。誤り を正し欠を補った切韻をつくる必要があろう。」(注②)と言っている。さらに、唐・玄. 宗皇帝の三宝10隼(751年)にでた《四韻》。この編者である孫・1面は《切韻》につ いて「注に間違いがあり、文字にも誤脱があったりする。これらを校訂しないままにして おくならば、いったい何をたよりに音韻に可否を論ずればよいのか。…  そこで、本書 では取るにたらぬことはすべて抜きさり、もれ欠けていることは積極的に補うことにした。. 」(注②)と言っている。このことからもわかるように、《切韻》も完全ではなかったの である。.  さらに「《唐山》など唐人のテキストによって校訂をくわえ、宋・真宗の大中晶晶元年. (1008年〉にその名を《大忌重修広韻》と定めた。」(注②)ことからもわかるよう に㍉ 《跳鼠》も完全ではなく、 《大品重湯広韻》をもって、完全なる漢字の発音の統一と. するべきではないだろうか。すなわち、階・唐から五代十国という長い期間を通して、徐 々に完全なる漢字の発音の統一に向かったのではないだろうか。.  この完全なる漢字の発音の統一に向かわせたのは、科挙制度ではないかと考える。科挙 の試験科目として、詩や賦が課される。詩や賦は、韻をふまなければならないきまりになっ ている。韻(発音)が間違っていると落話となり試験に合格できない。科挙試験に合格す るためには、必死で漢字の発音も勉強する必要があった訳である。.  では、詩や賦は、いつごろから課されたのであろうか。史料に明確に記載されているの. は『新出書・巻44・選挙志下』にあるように、「先高、進士試詩、賦及時務策五道、明 経策三道。 (以前、進士には、詩や賦および時務策五題、明経には、策三題を試験した。). 」とあるのが最初である。この「以前」とは、李二六氏によると、玄宗の開元年間(71. 3年∼741年)である(注④)といわれている。  また、 『新唐書・巻44・選挙志下』に「進士科起二階大業中、是時猶試策。高宗朝、. 劉思立加進士雑文、(進士科の起こりは、階の大業年間(605∼617)であり、この 時は、策だけで試験をした。高宗の頃になって、劉思立が進士に雑文を加えた)」とある、 雑文を詩や賦と同じような韻文であると考える研究者も多い。  また、感文瀾氏は、 「階場帝本人出品文学家、創立進士科、以考試詩賦為主、是不足為 奇的。 (階の亡帝自身が文学家であったので、進士科をつくり、詩や賦でもって試験をし. たのは、当然なことである。〉」(注③)と述べられいる。また、『自書・巻3・場帝上』 によれば、幽囚は、「上好學、善説文、沈深嚴重、朝野屡望。 (学問を好み、文章を書く. ことにも、たけているし、思慮深く、人民の人望もある。)」とあり、『旧六書・巻10 1・辟登伝』によれば、「場帝嗣興、又礎宗法、置進高等科。 (場帝は、世継ぎをたてて、. 以前の法を改めて、進士などの科目を設けた。)」とあり、場帝自身が文学を好み、進士 科を置いたことは事実であるようだ。しかし、階代に詩や賦を試験したという史料はない。. 一112一.

(3) もちろん、記載がないからといって、詩や賦を試験しなかったとも言い切れるものでもな い。萢文瀾氏の説にしたがえば、蝪帝自身が文学を好んだのであれば、詩や賦を試験した 可能性は充分、考えられることである。. どちらにしても、科挙の試験科目にあった詩や賦が、《切韻》から《大宋重修広韻》へ の韻書の発展に大きく寄与したと言えるのではないだろうか。. 3.科挙と唐詩との関係  唐詩の特徴はどのようなものであろうか。馬積高氏によれば、「盛唐的詩確実気象比較 宏闊、反映的生活面比較深山、中唐巳鳥山、晩唐則更趨繊巧狭窄。 (盛唐の詩は、気象 (詩全体から感受されるような生気のようなものをいう)が広く生き生きとし生活面が反. 映して比較的深くて広い。中唐は、すでにやや劣り、晩唐は、さらに繊細で精巧になり狭 く小さいものへと向かっている。)」 (注⑤)と述べられている。.  盛唐とは、いつ頃を指すのであろうか。「玄宗が実権を握った唐隆元年(710)から 開元・天宝の盛世、安史の乱を経て丸丸元年(765)に至るまで」 (注⑥)を指す。ちょ うどこの時期は、李白や杜甫が活躍した時期と一致する。科挙試験において詩や賦が課さ れたことが、唐詩の発展に大きな影響を与えたことであろう。.  唐詩の発展に寄与したものとして、行巻があげられる。行巻とは、「科挙の受験者が自 分の文学作品に手を加え、清書して一巻にしたうえ、試験の前にそれを当時の政治・社会・ 文壇において高い地位を占めていた人たちに送ったもので、彼らから主司、すなわち試験 を主宰する礼部侍郎に推薦してもらうことによって、合格の可能性をいっそう高めるため の一つの手段」(注⑦)である。これは、何度も詩を作ることになるので詩文の能力を高 める効果をもたらしたのではないだろうか。生き生きとした生活を反映した傑作が生まれ た可能性もある。. しかし、一方で弊害ももたらす。劉三振氏は、「二名法(氏名を隠してしまう方法)は、 わずかに吏部の試験のみで用いられた。したがって、「直感」が流行することになったが、. これは、一種の事前活動であり、公正な評価を妨げたと指摘し、試験の前から合格者が決 まるようになり、試験は形骸化していった。」(注⑧)と述べられている。もちろん、何 事も一長一短であり、良い面ばかりでなく悪い面も必ずあるものである。.  唐詩にとつでは、科挙試験が弊害であった可能性の方が大きいのではないだろうか。馬 積高氏の考えによれば、自由な文学活動の妨げになったのではないだろうか。. 3.おわりに  唐詩については、勉強不足から充分な検討ができておらず、今後さらに検討する必要が あるものと考えている。.  試験は、学問について一定の成果をあげることは事実であるが、逆に弊害ももたらす。. 一l13一.

(4) 何が成果で、何が弊害であるかについては、ある価値基準の上に立たざをえない。その価 値基準が正しいのかどうかも、さらに検討を要する。一つのものをある立場から見れば成 果であると言えても、ある立場からみれば弊害であるとも言えるのではないだろうか。ど ういう立場に立って、どのように検討するのかを今後、さらに検討していきたいと考えて いる。.  試験に求められるものは、公平性ではないだろうか。これは、誰もが納得できる価値基 準である。しかし、いったい何が公平性なのか、これについても定義することは、非常に 困難ではないか。仮に、公平性というものがあったとして、それを実現することも、また 極あて困i難なことである。.  階代から始まった科挙試験であるが、唐代にはいって、この公平性を実現するべく様々 な改革が行われている。もちろん、その後の王朝についてもしかりである。しかし、今日. に至っても、この公平性は実現されているであろうか。もうすぐ、21世紀、科挙が実施. されてから1400年以上も経過している。公平性という要求があったにしても、あと1 000年以上経過しても、これは、実現できないのではないか。悲観的ではあるが、試験 がもつ限界性があるように考えている。.  最後に、宮崎市定氏の『科挙』 (中公新書・1963年)の一節を引用しておく。 「ど うも試験というものには、その効果に一定の限界があるらしい。あまりに競争が激しくなっ てくると、もう厳密に答案の出来不出来の差等をつけることができなくなり、合格しても まぐれあたり、落ちるのは不運ということになって、そこに不正のつけこむ隙もでてくる のである。」.  (注). ①宮崎市定著『科挙一中国の試験地獄一』中公新書、1963年 ②意思敬著、慶谷壽信・佐藤進編訳『音韻のはなし一中国音韻学の基礎知識』光生館、.  1987年 ③萢文亀著『中国通史(第三珊)』人民出版社、1965年 ④李新臨画『中国科挙制度史』奥津出版社、1992年 ⑤馬積高著「唐代的科挙考試与詩的繁栄」 (唐代文学論叢3)1983年 ⑥興北柏著『中国文学を学ぶ人のたあに』世界思想社、1991年 ⑦程千帆著、松岡栄志・町田隆吉訳『唐代の科挙と文学』威風社、、1986年. ⑧世智亭著『唐代科挙制度及其流弊』(陳西師範大学報)1983年. 一114一.

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参照

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