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アリストテレスの「ピュシス」(『自然学』第二巻第一章)

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Academic year: 2021

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(1)Title. アリストテレスの「ピュシス」(『自然学』第二巻第一章). Author(s). 内藤, 純郎. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. A, 人文科学編, 22(1): 1-5. Issue Date. 1971-09. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/3994. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 北海道教 大轡紀要(第一部A) 北海道教育大学紀要(. 第 22 巻 第 1 号. 昭和4 6年9月. ア リ ス ト テ レ ス の 「ビ ュ シ ス」 (『自 然 学』. 第二巻第一章) 内. 藤. 純. 郎. 北海道教育大学釧路分校哲学研究室. ‘Phys ica i 1 lぎs‘ i tot Junr6 NA 鴎 ; Ar s s“ (Phys ,1 ,1). ) (phys i s) と は 何 で あ る か が 考 察 さ れ ア リ ス トテ レス の 『自 然 学』 第 二 巻 第 一 章 で, ピ ュ シス1. ている. 他にも 『形而上学』 のなかで, 「哲学用語辞典」 として考えられる第五巻の第四章で自然 の多様な意味が網羅されているが, しかし, 『自然学』 における記述のほうがアリストテレスの形 而上学との関連においてより鮮明である. 「自然」 とは何かが主題であるが, この ・章では形而上学 的 な 考 察 が 意 図 的 に 展 開 さ れ て い る と さ え 言 え る か も しれ な い. こ こ で は そ のア リ ス ト テ レス の 意. ) 図を推測 しながらその記述を調べていきたい. 最初にこの章の構成を簡単に要約し2 , 次にいく つ かの問題点を指摘する. (1) 存在するものには, 自然によ って存在するものと他の原因によって存在するものがある, 自 然によって存在するものとは, 動物とその部分, 植物, そして土, 火, 空気, 水のような単純物 体 で あ る, (192b8‐12). (2) 自然によって存在するものはそれぞれ, みずからのうちに動きと静 止の始原をも っている. (12‐15). (3) しかし寝椅子や衣服は変化の どんな傾向も本来もっていない. も っともそれらが単純物体か らで き てい る 限 り に お い て, も っ て い る. (16-20). (4) とい うことは 「自然」 とは, それが附帯的にではなく, 第一にそれ自体においてふくまれて いるものにおいて, そのものが動かされたり静止 したりすることの, 何か始原であり原因である と い うこ と を示 す. (20‐23). (5) 「附帯的にではなく」と言うのは, 医者が自分を治すというような場合を除く. それは同 じ人 2 7) 23- がたまたま医者であり, 患者であったとい うことにすぎない. ( (6) その他のつく られたものも同様である. それらは製作の始原をそのものの 外 に も っ て い る か, あ るい は 附 帯 的に み ず か ら の 中 に も っ て い る に す ぎな い. (27-32). (7) 「自然」とは今述べ られたようなものであり, そのような始原をも っている限りのものが 「自 然をもっている」 . それらのものは実体である, というのは, それらは一種の基体であり, 自然 はつねに基体の中にあるから. それらの実体やその本質的な属性--たとえば火にと っ て 上 に in) と 言 わ れ る, と い う の は そ の よ う 運 ば れ る と い うこ と - - が 「自 然 に 従 っ て」 (kataphys. な自然現象が 「自然」 ではなく, また 「自然をも っている」 のでもなくて, 「自然によって」 i) (physe , あ る い は 「自 然 に 従 っ て」 あ る こ と だ か ら. (32‐193al) ー 1 ー.

(3) . Vo l .22 No .I. ion (Sec i i ido Uni f Hokka lo t Journa t on 工A) s ver y of Educat. Sept . ,1971. (8) 「自然」が あるとい うことを証明しようと試みるのはおかしなことである. 存在するものには そのようなものが多くあることが明らかであるから. 明らかなものを明らかでないものによって 証明することは, それ自身によ って知られることと, それ自身によっては知られないことを区別 す る こ と の で き な い 人 の す る こ と で あ る. (1-9). (9) 自然, すなわち自然によ って存在するものの本質とは, (a)ある人々には, それぞれのもの に内在 している, それ自体では形のない第一の要素であると思われている, たとえば寝椅子の自 然は木材であり, 銅像の自然は青銅であるとい うふうに. (9‐12) ( 10) その証拠としてア ンティ ボンは, 埋められた寝椅子が腐敗して芽を出すとしたら, 寝椅子で はなく て木が生じてくるだろう, つまり人為的な配置, すなわち技術は附帯的に しかそのものに 属していないが, それらの配置をこうむりながら, 絶え間 なく存続するものが, そのものの本質 で あ る と い う こ と を 述 べ て い る. (12-17). ( 11) 青銅が水に対して, 木材が土に対して, 寝椅子が木材に対するのと同 じような関係にあると 7-2 1) すれば, その水や土がそれらのものの自然つまり本質であると彼らは思っている. (1 (12) それゆえに, ある人たちは火を, ある人たちは土を, ある人たちは空気を, ある人たちは水 を, ある人たちはそれらのうちのいく つかを, またある人たちはそれらすべ てを, 存在するもの の 「自然」 であると主張する, とい うのは, それ以外のものはす べて, 実体の様態, 実体の持続 一時的な状態であり, そして実体は どれも永遠であるが, 実体以外のものは限りな 的な, または‐ 1-28) く 生成したり消滅 したりするものであるからと彼らは主張している. (2 (1 3) 「自然」とは, 一つの意味では今述べ られたように, みずからのうちに動きと変化の始原をも っ て い る も の の, それ ぞ れ の 基 体 と な っ て い る 第.一 の 素 材 の こ と で あ る. (28-30). 31) 30- (14) (b) もう一つの意味では, 形態であり, 定義による形相である, ( (15) というのは, 「技術」という語が技術に従 って存在するものや, 技術的なものについて述べら れるように, 「自然」 という語は, 自然に従 って存在するものや 自然的なものについて述べ られ る. 技術について, もし可能的にのみ寝椅子であって まだ寝椅子の形相をもっていない と す れ ば, それは技術に従って存在するとも, 技術であるとも私たちは言わない. そして自然によって 構成されているものにおいても同様である, というのは, 可能的に肉あるいは骨であるものは, 定義による形相をもつまでは, それ自身の 「自然」 をもっていない し, また自然によって存在し て い る も の で も な い. (31-193b3). ( 16 ) したが って 「自然」 とは, みずからのうちに動きの始原をもってい るものの, 形態であり, 形相である. 形相と素材からできているものは, たとえば人間は, 「自然」 ではなく, 「自然によ っ て あ る も の」 で あ る, (3-6). ( 17) 形相のほうが素材よりも一層多く 「自然」 である, というのは, (イ) それぞれのものは可 能的な状態にあるときよりも, 完成的な状態にあるときに, よりそのものである と 言 わ れ る か ら. (6ー8). ( 18 ) (口) 寝椅子から寝椅子は生まれないという事実から, 寝 椅子の 「自然」 は形体ではなくて, その素材である木材であると言われるが, 人間から人間が生まれるという事実から, 形態が人間 8-12 ) の 「自然」 である. ( ( 19 ) (ハ) 医療が医術への過程ではなくて, 健康への過程である場合とは違って, 生成という意味 の自然は 「自然」 への過程である. 生長するものは, 生長 している限り, 或るものから或るもの へと進んでいる. この生長の過程から生み出されるものは, 生長するものがそれから生まれてき たもの (素材) ではなくて,、それへと進んでいくそのもの (形相) である. した が っ て 形 態 が 一2ー.

(4) . 第 22 巻 第 1 号. 北海道教育大学紀要(第一部A). 昭和4 6年9月. 「自然」 である. ( 12- 18 ) 0 ( 2 ) 形態すなわち自然には二通りの意味がある. というのは欠如も或る意味で の 形 相 で あ る か ら. (18-21). 以上の要約から明らかなように, この章は全体と して二つの部分に分けられると考えられる. 前 19 3a9であり, 後半の部分は (9) - (20) 193a9-193b21 で 半の部分は (1) - (8)192b8‐ ある. 前半と後半を区別するのは, 前半の記述の内容が明確で自己完結的であるのに対して, 後半 では前半の結論に基づいて, さらにアリストテレスより前の哲学者たちの見解や一般に広まっ てい る見解を考察しながら, アリストテレス自身の形而上学を展開しているということである. その結 果, 後半の記述は必ず しも首尾一貫していないということになる, たとえば, 後半の・(9)193a 1において 「寝椅子」 や 「銅像」 が自然によ って存在するものの例として述べ られているが, lo ,1 「寝椅子」 は, (3)1 92b16 で は 「自 然 に よ っ て 存 在 す る も の」 で は な い も の と して述 べ られ て い 193al-2 ) と記されているにもか る. それに前半において 「自然とは何であるかは述 べられた」 ( 13 )19 3a28‐30, (16) 193b3‐4 で再 び 「自然」 の定義が修正されながら繰 り かわらず, 後半の ( 16 ) の定 義で見出される 「形相」 は, ア 返されている. そしてアリストテ レス が最後に到達した ( リストテ レスの形而上学の重要な概念の一つである, この後半では, 考察の対象が 「自然」 から 「原因」 へと移りつつあ ると言える. 逆に, アリストテレスのこの形而上学的考察は, 自 然 の 考 察, さらに遡れば自然によっ て存在するものの明断性に基 づいている. 前 半 の 部 分 に お い て も う 一 つ 特 徴 的 な こ と は, 「自 然」 と い う 語 の用 法 が 二 つ の aspect に お い て. 明確に限定されていることである. 一つは自然に関係のあるものに対して 「自然」 という語がどの ように使用されるかということであるが, これについては後で述べ る. もう一つは自然以外の他の )などが考えられるが, 原因と自然との対立における用法である. 他の原因には, 選択, 技術, 偶然3 ここでは特に技術がとりあげられ, 自然はそれとの対立によって明らかにされる. このことをアリ ス トテ レス 自 身 が は っ き り と 意 識 して い た と い う こ と は, 「そ れ らの 自 然 に よ っ て 存 在 す る も の は す べ て, 自 然に よ っ てつ く られ た の で は な い も の と 比 べ て, 明 らか に 異 な っ てい る」 (192b12-13) とい う言 及 に よ っ て 容 易 に 理 解 され る, そ して こ の後 で, 「自 然 に よ っ て つく られ た の で は な い も. の」 の例として, 「寝椅子」 や 「衣服」 をあ げ, それらが 「それぞれそのような呼 び名をたまたま もつ限りにおいて, つまりそれらが技術によるものである限り, みずからのうちに変化のどんな傾 6 1 ‐1 9) と述べ られる. しかしまた, 自然と技術はこのような明らかな対立関 向ももっていない」( 係にのみあるというわけではない. むしろ技術と自然の本質的な関係は, 技術は自然を模倣してい )という関係において理解されるのであろう. つまり, 技術によるものは自然によって存在する る4 ものと対等に対立するものではなく, 自然によって存在するものを前 提として成り立つ も の で あ り, 決して自然から離れて存在しているわけではない, 現に, 「それらのものがたまたま石や土か ら, あ る い は石 と土 の混 合 物 か らで き て い る も の で あ る 限 り, ま さ に そ の 限 り に お い て の み, そ れ ら は み ず か らの うち に 変 化 の 傾 向 を も っ て い る」 (19-20) と ア リ ス トテ レス は つ け 加 え て い る. つ. まり技術によるものも, 自然によって存在するものからできてい るという限りでは, 「自然」 をも っ てい る. 既 に指 摘 した よ う に, 193alo の寝椅子が自然によって存在するものの例としてあ げら れてい るというのも, おそらく技術による製品である寝椅子も木材からつく られている限り,自然か ら離 れ て存 在 して い る の で は な い と い う こ と を 示 して い る よ う に 思 わ れ る. しか しま た, ア リ ス ト テ レス に と っ て 自 然 が 明 らか に さ れ て いく の は, 技 術 と の 対 比 を 通 じて で あ る, こ の 第 一 章 で は,. 15 ) で, 自然が形相であるとい うことが示されるのに際 して, 技術の場合に明ら たとえば後半の ( - 3 ー.

(5) . VO I .22 No.I. ion IA) lo f Hokka ido Uni i i t t Journa ty of Eduα・ on (Sec ver s. Sept , ,1971. かであると同様に, 自然の場合にも明らかであるとされるのである. このことは, 自然の定義の核 i 心 と な っ て い る 「動 き」 (kinきs s ) に つ い て, 技 術 の 場 合, も の が つ く ら れ る そ の 始 め か ら終 りま. でが人間に容易に理解されるということによるのではないだろうか. 自然によ って存在 す る も の も, 技術による製品もどちらも動きをもつものであるが, 自然によっ て存在するものはみずからの うちに動きの始原をもっているのに対して, 技術による製品 はそのものの外に動きの始原をもって いる. 技術によるものを外から動かすのは人間である. これが自然と技術の相違である. 次に, 主として前半において問題 となっている 「自然」 という語の使用法をとりあげる. (7) で既に要約したこ と であるが, まず動植物や単純物体のような自然的事物は 「自然によって」 存在 しているものであり, 「自然」 をもっていると言われるが, これ らの実体の属性である自然現象, たとえば火の属性である 「上へ運を れる」 ということは 「自然」 ではなく, また 「自然をもってい 」 あるものである. この理由は自然をも る」 のでもなく, 「自然によ って」 , または 「自然に従 って. はなくて, 実体の属性なのである いのに 自然現象は実体で っているものは実体でなければならな , ということである. 自然的事物は一種の基体であり, 自然はつねに基体のなかにある. ところで, 「自然によ って存在するもの」 は 「自然」と言われるだろうか. 前半では直接ふれられていないが, 16) で, 「これら(形相と素材) からできているもの, た とえば人間は 「自然」 ではなくて 後半の ( 「自 然 によ っ て」 あ る も の で あ る」 (193b5-6) と 述 べ られ て い る こ と か らわ か る よ う に, 「自 然 に. ) よ って存在するもの」 は 「自然」 ではない5 . これ は, 自然が自然によって存在するものの原因で あるから, 「自然」 と 「自然によって存在するもの」 とは違うものであって, 区別されなければな らな い と い う こ と で あ る. ア リ ス トテ レス は こ の よ う に, 自 然 に つ い て, 自 然, 自 然 的 事 物, 自 然. i ) であり, 自 a 現象という三つの段階を認めている. もう一度繰り返せば, 自然的事物 は実体 (as 6 ) i i i asa ) で あ る と さ ) であり, 本質 ( 然現象はそれの属性であり, 自然は自然的事物の原因 (ata れ る よ う に, そ れ ら の 関 係 は ア リ ス トテ レス の 形 而 上 学 の 概 念 の う ち に 解 決 さ れ てい る. 最 後 に, こ の よ う に 様 々 に 述 べ られ て い るア リ ス トテ レス の 「自 然」 に つ い て, そ れ らの 定 義の. 関係を考察する. そのことは結局, 「原因」 とは何かということを考察することになる. アリスト テ レスは存在するものを自然によって 存在するものと他の原因によって存在するものとに区別する 192b8- 9 ) ことから考察を始める ( . ところでこの最初のところで 「自然」 が 「自然によって存在 するもの」 の原因であることが前提されている. その 「自然によって存在するもの」 とは動物とそ -11) 9 の部分, 植物, それに土, . 火, 空気, 水のような単純物体のことである ( . そして前半の終 りの (8) で, 「自 然 が あ る と い う こ と を 証 明 しよ う と す る の は お か しな こ と で あ る, と い う の は. 193a3-4 ) と述べられて 存在するものには そのようなものが多くあるこ とは明らかであるから」 ( い る よ う に, ア リ ス トテ レス に と っ て は 「自 然 に よ っ て 存 在 す る も の」 の存 在 が 明 らか で あ る こ と か ら 「自 然」 の 存 在 も 明 ら か で あ る とい う こ と に な る, 次 に ア リ ス トテ レス は 「自 然 に よ っ て 存 在. 192b するもの」 の特徴を 「みずからのうちに動きと静止の始原 をもっているもの」 と規定して ( 以下にあ 「 ( 自然 の定義を B ) なお続けて後半に現われる 13‐14 」 ) 自然を次のように定義する , . げ る.. (A) 「自然」とは, それが附帯的にではなく, 第一にそれ自体にふくまれてい るものにおいて, 192b21‐23). そのものが動かされたり, 静止したりすることの, 何か始原であり, 原因である( (B) 「自然」とは, みずからのうちに動きと変化の始原をもっているものの, それぞれの基体と な っ て い る 第 一 の 素 材 の こ と で あ る (193a29-30).. (C) 「自然」とは, みずからのうちに動きの始原をもっているものの, 形態であり, 形相である (193b2-3). - 4 ー.

(6) . 第 22 巻 第 1 号. 北海道教育大学紀要(第一部A). .. 昭和4 6年9月. (D) 生成という意味で言われる 「自然」 は自然への過程である ( 19 3b12‐13). 193b13). (E) (D) で言われた目的としての 「自然」( た だ し (D) の 「自 然」 は ア リ ス トテ レス 自 身 の定 義 と い う よ り は, 一 般 に 言 わ れ て い る 「自 然」 の意 味 のア リ ス トテ レス に よ る 説 明 で あ ろ う. ま た, (B) の 目 的 と して の 「自 然」 は こ の 章 で は. l t 明確に述べ られていないが, 次の第二章ではっきりと 「自然は終り ( e os ) であり, 目的 (hn heneka) であ る」 (194a28-29) と 述 べ られ て い る.. i i t 以上の (A) ) a a ,(C) の定義を比較してみると, (A) の文中で言われている 「原因」( ,(B) B は用いられていない と ( ( C C ) ) においては, 「原 こ である. つまり という語が (B) , ,( ) で 因」 がアリストテ レスの形而上学的な考察のなかで, 素材と形相という内容を獲得していく と言う ことができないだろうか. どのようにして形相と素材という概念に到達したかは大きな問題である が, こ こ で は 少 なく と も 次 の よ う に 言 うこ と が で き る で あ ろ う. 前 半 に お い て ア リ ス トテ レス は 自. 然についての一往の定義を確立し, しかも 「自然」 という語の使い方 を規定 したにもかかわらず, タレスに始まるアリストテ レスより前の哲学者たちや また一般の人たちの自然についての見解 を無 12 ) 視しないで, 積極的に自己の哲学のなかにとりいれていこうとしたと考えられる. たとえば ( で述べ られているように, 火, 土, 空気, 水のような単純物体をそのまま 「自然」 であるとした人 たちの見解を, (1) で単純物体を 「自然によって存在するもの」 であると規定するアリストテ レ ス の 立場 に か か わ らず, (13) で 「自 然」 の‐一つ の 意 味 と して 認 め て い る.. 既に指摘したように, 「自然によって存在するもの」 の特徴は 「動き」 に求められる. 「動き」 は時間の推 移を考えることなしには考察することが できない. ここで 「技術による製品」 を考えて みても, 「自然によって存在するもの」 を考えてみても, その動きには始めがあり, 終りがあると ア リ ス トテ レス は 考 え る. (A) の 始 原 (arche) は 始 め で あ り, ま た (E) で は 終 り が そ の ま ま 自 然 の一 つ の意 味 と さ れ て い る. そ して 「ア ル ケ ー」 は さ らに原 理 を 意 味 し, ま た 「テ ロ ス」 は 目 的. を意味するようになる. ところで, 始めから終りに至るまでの中間への言及が (D) で述 べ られた 「過程」(hodo s ) である. 時間的な視点からみられた自然は, このようにアリストテレスの形而上 学的な用語のなかに分析されている. 残された (B) と (C) の素材と形相について は, 必ずしも適切な言葉ではないが, 自然の空間 7 )で, 形相のほうが素 的な断面を表わしていると言えるかもしれない, そしてアリストテ レス は(1 材より多く 「自然」 であると言う. このことは逆に, アリストテ レスの形而上学における形相の素 材に対する優位が自然や技術についての考察を通 じて確立されていく ということを示す. たとえば ( 7 1 ) でその理由として, それぞれのものは可能的な状態にあるよりも完成的な状態にあるとき, よ りその も の で あ る と 言 わ れ る か ら と い う こ と が 述 べ られ て い る. こ れ は (15) で 述 べ られ て い る. ように, 技術による製品 が完成されたときに, はじめて寝椅子なり衣服なりのそのものの名前で言 われるというこ とによる. このように 「可能態」 と 「現実態」 という形而上学の概念も 「自然」 に ついての考察に基 づいている, <註> 1 i d C I Tex f t の s or a s ca 1) 以下の本文においては, すべて 「自然」 と訳した. なお 『自然学』 の校本は, ox i i W,D. Ross に よ る Aristotel ca を使用した, s Phys lぎs Phys lys i i cs の Ana s(pp 2 ) W.D. Ross:Aristot .348一350) を 参考 に した. ius l i f 3) c c ,Simp . 13‐15, ,231 i P h 1 9 s c a 4 ) y , 4a21‐22.. 5) 193a31‐33 の個所を見ると, アリストテレスにおいても 「自然によ って存在するもの」 を 「自然」 と言う. 傾向がないわけではない. i 6) as a の多義性 (実体, 本質) はアリス トテレス形而上学の問題である.. ー 5 -.

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