擦過鍼を用いた認知症高齢者ケアの臨床的意義に関する評価概念の抽出 : 施術観察・介護記録・介護者インタビューに基づく質的アプローチ
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(2) 日本統合医療学会誌 第 13 巻第 1 号(2020). Ⅰ.はじめに. Ⅱ.対象と方法. 認知症は、中核症状(認知機能障害で全般性注意 障害、遂行機能障害、記憶障害、失語、視空間認知. 1.研究の方法 1 )対象. 想など)からなり、認知機能の低下によって日々の 活動の自立が阻害される1,2)。WHO によると全世界 の認知症の有病者数は 2010 年時点で 3,560 万人と推. の高齢者で、介護などの援助を受けながら能力に応 じ自立して日常生活を営むことのできる者である。 2 )実施期間. 障 害、 失 行 な ど ) と そ れ に 伴 う 行 動・ 心 理 症 状 (BPSD:行動面の症状として焦燥性興奮、攻撃性、 脱抑制など、心理症状として不安、うつ、幻覚・妄. 定され、この数は 20 年ごとにほぼ倍増し、2030 年 には 6,570 万人、2050 年に 1 億 1,540 万人に達する と予測されている3)。 しかし、認知症あるいは認知症症状に対しては十 分な手段が確立されていないのが現状である4)。薬 物療法と非薬物療法を組み合わせて行われるが、薬. 物療法は有害事象に注意を払う必要があり、非薬物 療法は現時点で科学的根拠が示されていないものが 多い1)。鍼治療も、認知症患者の認知機能や睡眠の 改善効果を示唆する臨床研究成果が提示されている ものの5∼7)、いまだ十分には科学的根拠が示されて いない非薬物療法のひとつである。鍼治療にはさま ざまな種類の刺激方法があるが、そのひとつとし て、刺入しない専用の道具を用いて皮膚に撫でる程 度の摩擦を与える擦過鍼法がある。この擦過鍼法は 認知症高齢者および介護職員の負担に対して有用な 側面があることが示唆されるが8)、その臨床的意義 の具体的詳細はいまだ明確に示されていない9)。 擦過鍼は、認知機能そのものを直接改善させるわ けではないが、認知症高齢者本人および介護職員に 好印象をもたれている点8)は注目すべきである。そ の臨床的意義が今まで明確に示されてこなかった理 由のひとつは、複雑で異質性の高い認知症高齢者ケ アを既存の評価ツールで一律に量的に評価すること が難しいためと思われる。著者らは、むしろ異なる アプローチで新たな評価概念を探索することも必要. 大阪府下の某グループホームに入居中の認知症高 齢者の中から同意を得られた者を対象とした。入居 者は、主治医から認知症と診断された要支援 2 以上. 2018 年 1 月から 8 月にかけて、原則として週 1 回 行われる擦過鍼を用いた施術に毎回同行した。 3 )データ収集 (1)観察記録 グループホームの中で行われる施術の現場を一種 の閉じた空間であると捉え、参与観察の方法に準じ て臨床活動の観察を行った。施術中、観察者は対象 者および鍼灸師と同室において可能な限り距離をと り、静かに対象者の表情と言動、鍼灸師の言動と説 明・解釈、施設職員への質問と返答などについて記 録した。対象者が観察者を見たり話しかけたりした 際には、観察者はその場の状況に影響を与えないよ うに心掛け、簡単な受け答えのみを行った。対象者 とそれを取り巻く人々の様子や声のトーン、表情な どを含めた詳細を時系列に沿ってできるだけ文字化 した記録内容を、観察を終了しフィールドを離れた 後にデータ化してフィールドノーツを作成した。 (2)介護記録 観察記録を行った施術時以外の時間帯に対象者が 擦過鍼施術についてどのような言動をしていたのか を知るため、当該グループホームの管理責任者に許 された範囲で介護記録を閲覧し、対象者の体調の変 化や行動について介護職員の立場からみた情報を抽 出した。. ではないかと考えた。そこで本研究では、鍼灸師が 擦過鍼を用いて行っている認知症高齢者のケアにつ. (3)介護者インタビュー 介護業務で長い時間対象者と接し、観察記録者と は異なる立場から擦過鍼施術や対象者を観察してき た当該グループホームの介護職員に対して、事前に. ビューに基づき質的なアプローチによって解釈する ことを試みた。. ある:擦過鍼施術前後における対象者の表情や行動 の変化、擦過鍼施術日と他の日を比較した際の対象 者に感じられる違い、擦過鍼施術を受けていた入居. いて、その物理刺激や対話を総合的に捉えたとき、 今まで明示されてこなかったどのような評価概念あ るいは評価指標がみえてくるのかを探察するため、 施術の観察記録、介護記録、および介護者インタ. 作成したインタビューガイドに基づき個別に半構造 化面接を実施した。1 人 1 回 30 分程度とし、同意を 得たうえで録音した。主な質問項目は次のとおりで. 者と受けていない入居者に感じられる違い、認知症 入居者を介護するうえで生じる苦悩や問題点、当該 25.
(3) 日本統合医療学会誌 第 13 巻第 1 号(2020). 図 1 吉村式擦過鍼®(下)および円鍼(上). 介護職員の基本的属性(勤務年数、介護経験年数、 保有資格、現在の勤務状況など)。変化や違いに関す. る質問については、該当するか否かを質問した後、 該当する場合には自由に口述してもらった。インタ ビューは当該グループホーム内で実施したが、他の 職員や観察対象者に会話が聞かれないよう配慮して 行った。 4 )データ分析 (1)観察記録 フィールドノーツの中から、擦過鍼施術のもつ臨 床的意味を示唆あるいは象徴する可能性がある場面 の記述を抽出した。 (2)介護記録 施術前後および施術日と非施術日の様子に関し て、対象者の体調の変化や行動を含めて施術に関連 している可能性のある記載を抽出した。 (3)介護者インタビュー 録音データから逐語録を作成した。その逐語録の. 中から、施術前後および施術日と非施術日の様子に 関して、介護者が捉えた対象者の性格的特徴、言動、. 体調の変化などに関する発言を抽出した。 (4)キーワード表現による質的解釈 (2) 質的研究の手法10∼12)を参考にして、上記(1). (3)の抽出データから同質の意味内容の概念を集約 し、その意味内容を象徴するキーワードにまとめた。 2.擦過鍼の方法 吉村式擦過鍼®(全長 50 mm、最大幅 15 mm、厚 さ 0.5 mm、アルミ製)および円鍼(図 1)を用い、. 前腕および顔面・頭部の皮膚を軽く擦過する。所要 時間はおおむね 6 分である(図 2)。本研究における 観察の際に施術を行ったのは施術歴 36 年の男性鍼 灸師(Y)と施術歴 3 年の女性鍼灸師(X)の 2 名で. 26. 図 2 擦過鍼施術の様子. あり、施術は原則として週 1 回行われた。 3.倫理的配慮. 人を対象とする医学系研究に関する倫理指針およ びヘルシンキ宣言を遵守し、森ノ宮医療大学研究支 援センター研究倫理審査部会の承認(2017 087)を 得て実施した。臨床活動観察、介護記録閲覧および 介護者インタビューについては、同行する鍼灸師、 グループホームの施設管理責任者、介護職員、対象 者もしくは家族に対して研究の主旨、プライバシー および個人情報の保護、自由意思による参加であり 同意後の辞退も可能であること、参加しない場合で も不利益はないことなどの説明を行った。また、グ ループホームの施設管理責任者から、当該施設にお いて本研究を行うことおよび個別に同意を得られた 対象者および介護職員に協力いただくことについ て、文書により承諾・許可を得た。さらに、対象者 もしくは家族からは対象者についての観察・記録、 介護記録閲覧、介護者インタビューを行うことにつ いて、また介護職員についてはインタビューを行う ことについて、それぞれ文書による同意を得た。. Ⅲ.結果 1.観察記録 1 )対象者の概要 対象者となった認知症高齢者は 11 名で、平均年齢 86.4 歳±2.8(SD、以下同じ)、グループホーム平均 入所期間 2.8 年±1.6、擦過鍼施術の受療平均期間 2.4 年±1.5 であった。対象者の概要は表 1 に示すとおり である。平均観察回数は 28.3 回±3.6 であった。 2 )事例 擦過鍼施術のもつ臨床的意義を示唆あるいは象徴.
(4) 日本統合医療学会誌 第 13 巻第 1 号(2020). 表 1 対象者の概要 対象者. 年齢. 性別. 認知症状発症時期・ 原因疾患. 主症状. 既往・現病歴. No. 1 (A 氏). 86 歳. 女性. 2008 年 アルツハイマー型認知症. 短期記憶障害 介護抵抗. 脳梗塞 糖尿病 くも膜下出血 高血圧. 88 歳. 女性. 発症時期不明 脳血管性認知症. 短期記憶障害. 高血圧 慢性硬膜下血腫 背部腫瘍. 85 歳. 女性. 2016 年 アルツハイマー型認知症. 短期記憶障害 失見当識. 骨粗鬆症 大動脈弁狭窄症 心房細動. No. 4. 82 歳. 女性. 発症時期不明 アルツハイマー型認知症. 短期記憶障害 失見当識. 骨粗鬆症 高血圧傾向. No. 5. 90 歳. 女性. 発症時期不明 アルツハイマー型認知症. 短期記憶障害 失見当識 被害妄想、失認. 高血圧 変形性膝関節症 髄膜腫 すべり症. No. 6. 84 歳. 女性. 2013∼2014 年頃 原因疾患不明. 短期記憶障害 失見当識. 腰部圧迫骨折. No. 7. 90 歳. 女性. 2010 年 脳梗塞後遺症、認知症. 短期記憶障害 意欲低下. アテローム血栓性脳梗塞 子宮がん. No. 8. 85 歳. 女性. 発症時期不明 アルツハイマー型認知症. 短期記憶障害. 高血圧 心筋梗塞. No. 9. 83 歳. 女性. 発症時期不明 アルツハイマー型認知症. 短期記憶障害 被害妄想 幻覚、幻聴. 骨粗鬆症 糖尿病. No. 10. 88 歳. 女性. 発症時期不明 アルツハイマー型認知症. 短期記憶障害. 気管支喘息 骨粗鬆症 脂質異常症. No. 11. 89 歳. 女性. 2014 年 3 月 アルツハイマー型認知症 海馬萎縮、側脳室拡大. 短期記憶障害. 高血圧 うつ、不眠症 頸椎分離症. No. 2. No. 3 (C 氏). する可能性がある場面が多く観察された対象者につ. いて 2 名、またその他の対象者についても注目すべ き場面について、具体的イメージを容易にするた め、以下にフィールドノーツに記述したままの文章 を抜粋して示す。対象者の語りの部分は斜体文字 で 示す。 :86 歳女性、要介護度 3 (1)対象者 No. 1(A 氏) 観察は、2018 年 1 月から 8 月までの鍼施術のうち 全 31 回行った。 ・1 回目:Y 鍼灸師 職員が「こっち来て」と呼びかけるが応じないた め、X 鍼灸師が A 氏のもとへ行く。. X 鍼灸師が「体、みせてください」と言うと A 氏:私の体をみて、どうするんですか? あな たがみて、わかるんですか? と強い口調で怒る。しばらく間をおき、Y 鍼灸師が. 「こっち来て」と話しかけると A 氏:いややー。. と回答。先ほどの怒りの剣幕はおさまっている様子。 Y 鍼灸師が A 氏のもとへ行き、「しんどくない の?」と問いかけると A 氏:しんどない。 と答える。そのまま、その場で施術を始める。この 時点で施術を拒む様子はない。 A 氏:な・に・ぬ・ね・の と、子供のように繰り返し、会話は成立せず、耳を ほじるなど落ち着きのない様子。 右前腕∼頭部∼顔∼左前腕∼背部の順で施術を行 う。. 頭部の施術の際、Y 鍼灸師が「これしたら落ち着 くから」と声を掛けると A 氏:ほんまに? 落ち着くん? 27.
(5) 日本統合医療学会誌 第 13 巻第 1 号(2020). と、会話が成立しはじめる。顔の施術になると、み ずから眼鏡を外し、目を閉じリラックスしている様 子。左前腕施術時、Y 鍼灸師から擦過鍼の説明を受 けると、 A 氏:いろいろあるんやなぁ。 と回答。声のトーンは明るくなり、拒絶から一転、 施術を受け入れたように感じる。. Y 鍼灸師が「背中が一番気持ちいいですよ」と声 掛けしたうえで背部の施術に移ると A 氏:へぇーー。うわーーー。あ・い・う・え・ お。は・ひ・ふ・へ・ほ。 と笑いを交え、歌っているように大きな声で言う。 ・4 回目:Y 鍼灸師. 着席後も、A 氏の前に手押し車があったため、Y 鍼灸師が預かると伝えると A 氏:私から取り上げて、動けなくなるじゃない ですか。 と怒る。 「ほな、そのままで始めましょう」と施術を 始めるとそれに応じる。 前腕の施術を始め、間もなく A 氏:ハハハ。 と笑いを交え Y 鍼灸師の目を見て話す。顔の施術に 移ると施術について、Y 鍼灸師に質問をする。その 後は、頭部の施術中は目を閉じていた。背部の施術 になると、手押し車に顎を乗せリラックスした姿 勢。Y 鍼灸師が「どうですか?」と問うと、 A 氏:気持ちいいよ。 と答える。施術後は、機嫌が良くなっている様子で A 氏:はーい。えへへへ。顎をここに乗せて、え え塩梅でした。 と話す。リビングに戻りしばらくすると、テーブル に突っ伏していた。 :85 歳女性、要介護度 1 (2)対象者 No. 3(C 氏) 観察は、2018 年 1 月から 8 月までの施術のうち全. 31 回行った。 ・1 回目:X 鍼灸師 肩が痛いと言い、施術を拒否していると職員が X 鍼灸師に伝えたためリビングで施術を行う。X 鍼灸 師が近づくと、特に拒むような様子はなく、施術を 開始する。少し世間話をし、その後は黙って施術を 受ける。表情に乏しく、瞬きが多い。 ・3 回目:Y 鍼灸師 職員が「ちょっとこっち来てもらっていい?」と 言うと返事をする。 「肩が痛いからね、先生に診てもらおう。ちょっと ここ座って待っててもらえる?」と言うと無言で応 28. じる。椅子に座りながら、Y 鍼灸師に肩の痛みを訴 える。 可動域や痛みの確認を行い、施術を始める。背部 の施術中、黙ったまま口元に力が入っている表情で あったが黙り、ふと C 氏:今、お風呂入ったとこやからね。気持ちい. いです。 と言う。 ・6 回目:X 鍼灸師 C 氏:こんにちは。お世話になります。まだ、ア ウトですねん。肩が。 と言いながら入室。施術を始めながら、肩以外にも 質問をしていると少し間をおいて、 C 氏:この頃、ちょっと便秘気味。 とじっと施術箇所(前腕)を見ながら話す。すると C 氏:水曜違いましたん? 頭が水曜になってし まってね。間違いますね。 と、本日は土曜であり、通常水曜の往診であったた め質問。鍼灸師が回答すると C 氏:ああ、そうですか。 と言うと、再び便秘の話に戻る。 ・8 回目:Y 鍼灸師 来訪時、他の入所者とソファで談笑。Y 鍼灸師を 見ると C 氏:今日、水曜やからな。こんにちは (鍼灸師 に向け)。 と入所者に話し、Y 鍼灸師に向け「こんにちは」と 挨拶をする。 その後、順番になると職員に促され、施術を受け る。 ・25 回目:Y 鍼灸師 Y 鍼灸師が来訪したのを見ると、リビングの席か らソファに移動。職員が、それを受け「ほな、こっ ち」と促すと、聞き返して確認のうえ、入室。着席 すると、 C 氏:だいぶ上がるようになったでしょ? とみずから肩を動かしてみせる。 ・28 回目:Y 鍼灸師 鍼灸師が入室すると、リビングの椅子から移動し 施術の椅子で待つ。 施術前に肩の可動域などを確認すると C 氏:おかげさんでね。 とニコニコ答える。 (3)その他の事例 対象者 No. 2 は、観察 2 回目に鍼灸師が体調を尋 ねると「元気です。何もありません 」と少し語尾を.
(6) 日本統合医療学会誌 第 13 巻第 1 号(2020). 強めて答えた。一方、観察 21 回目では鍼灸師が体調 を尋ねると「はい 」とニコッと笑う。施術後立ち上 がると順番を待っていた他の受療者と二言三言話 し、 「元気! 」と言うと、ダンスのように動き、職員 とともにリビングへ戻る様子がみられた。 対象者 No. 9 は、施術を行う席に座るとすぐしん どいと訴えはじめ、 「ここにいたら、どうにかなりそ う。しんどい 」と、鍼灸師の目をじっと見て繰り返 し訴える言動が数多くみられた。不平・不満や自身. の体調については多弁であったが、施術に対して心 地よさに関する発言は観察を通して一切みられな かった。さらに、観察 17 回目には、職員が鍼灸師に. 「調子が悪いため鍼灸はいい」と言っていると伝えに 来る場面があり、体調が悪い日は擦過鍼施術をいっ たん拒む言動がみられた。 なお、対象者 11 名中 9 名に「気持ちいい」という 発言がみられた。その発言は、後半に行われる背部 の施術の場面や施術後、あるいは鍼灸師に感謝を伝 えるとともに述べられるなど、さまざまであった。 その一方で、観察したすべての回で一度も「気持ち いい」という発言がみられなかった対象者もいた。. 2.介護記録 介護記録には、施術を行った時刻の記録はみられ たが、施術についての直接的な記載はみられなかっ た。ただし、施術に関する、または関連している可 能性のある以下のような記載が認められた。 対象者 No. 1 14:00 鍼灸の声掛けに拒否される。入浴担当の CW と替わり、声かけするも(−)。先生が直接声か けしてくださるが、和室へ「行きません」と拒否。 リビングで施術を受ける。 対象者 No. 3 15:00 おやつの時に鍼灸のおかげで手があがる ようになったと喜んでおられる。 ○○氏にも「前よりあがるようになってる」と言 われ「良かったわ」と話しておられる。 3.介護者インタビュー 1 )介護者の概要 同意が得られインタビューが実施できた介護職員 は 2 名、いずれも介護福祉士の女性で、ア氏は勤務 13 年・介護職経験 13 年、イ氏は勤務 11 年・介護職 経験 20 年であった。インタビューに要した時間は 1 人につき約 30 分であり、日常的に介護を担当する対 象者のことについて聴取した。. 2 )語り. 対象者を介護するうえで日々感じていることにつ いて、録音内容を基に作成した逐語録から抜粋し、 作成したままの文章を以下に示す。インタビュアー の質問は〔 〕内に、介護者の語りの部分は斜体文. 字 で示す。 (1)対象者 No. 1 について 〔鍼灸を拒否したり、上機嫌になったりとコロコ ロ変わりやすいか?〕 イ氏:そうですね。基本ね、あの人にとったら、 表情で。あっ、怒っているとか分かりやすいんで。 その時は、タッチしないんです。声掛けもしない。 落ち着くまで、そっとしとくっていうのが基本の、 介護のあれなんです。その時に何を言っても助長す るだけなんで。たぶん興奮したら、ある程度の時間 が経たないと収まらないんですよ。 (2)対象者 No. 2 について 〔入所当初の施術がない時と、施術を始めてから の違いは感じるか?〕 ア氏:そうですね。もともとね、ちょっと介護拒 否というかね、結構強い方だったんですけど、それ こそ、まあ。入所の日もたってすごい、落ちついて きたっていうのは職員もみな、実感してるかな…。 鍼灸は関係あると思いますけど。先生来たでって 言ったら、すごい、うれしそうにこっち入ってきて くれるんで。なんか、影響あるのかなとは思います。 (3)対象者 No. 3 について 〔以前は、覚えていない様子で毎回施術について 尋ねていたが〕 イ氏:そうですね。はい。はい。はい。 〔擦過鍼施術の日と他の日と比べて違うと感じる 点はあるか?〕 イ氏:一部の人は、あのう。鍼灸をされることが、 待ち遠しくって。まあ、その人に限っては痛みがあ る、常日頃から。でも、以前はしてもらったけど、 今はしてもらっていない状況なんですね。そういう 人にとったら、 「あっ、先生が来る」っていう意識は 強いですよね。 〔C 氏は肩が痛いためか、以前とは異なった印象 を感じるが職員はどう感じているか?〕 イ氏:あのね。する前に、ましてや本人がしたい 意思のもとでするっていうことで。私たちは関わっ て、するかしないかっていう希望を聞くんですね、 先に。その時点では、そのう、その時はなかったと 思うんですよ、痛いところがね。(中略)で、痛みが 私ら達 出るようになった去年くらいからね。(中略) 29.
(7) 日本統合医療学会誌 第 13 巻第 1 号(2020). はそこまで専門的なこと言えないので。先生に聞き たいことあれば聞いたらいいし、ここが痛いよとか 言えばいいよとか言ってるんで。そういう部分の変 化は、すごくあると思うんですよ。 (4)対象者 No. 4 について 〔施術中あまり話さないことが多いが、普段から か?〕 イ氏:あのね、本が好きなんで。自分の世界にこ う、閉じこもってしまうんですね。で、前よりはね、 人の話を聞いたり、別にこの先生がね、顔出してほ しいなって言ってたら来てくれたり。まぁ、最初も あんまり、いいわって言うてたんですけど。でも、 あの、お風呂からね、あがっても颯爽とね、汗かき ながらでも来てくれるところが、前とは全然違う部 分で、素直に、あのう、こう。来てくれるようになっ てるんですよ。全然動けるようになって。前、全く 外に出ることがダメやったんですよ。そうなんです よ。だから、すっごく、良くなった人じゃないです かね。 (5)その他の語り (日常的な介護に鍼灸師が関わるケアがプラスさ れることについて) イ氏:そうです。私たちにできない部分ですよ ね、そこが。そう、たぶんね。私たち、お医者さん とか 先生とか、分かっているんですよ、感覚的にね。 感覚すごくあると思うんですよ。 (鍼灸師の印象について) イ氏:鍼灸の先生は、皆、あの、にこやかなんで。 皆さん、受け入れてると思いますよ。すごくにこや かな先生が多いので、全然初対面でも大丈夫だと思 いますよ。それは、感じます。 4.概念の抽出と集約 観察記録、介護記録、介護者インタビューという 3 種類の記録から、同質の意味内容をもつ描写を抽 出して集約すると、 【心地よさ】 【怒りの軽減】 【気分 の改善】 【楽しみの追加】 【コミュニケーション】 【社 交性の獲得】 【痛みの軽減】 【展望記憶の想起】 【不満 のはけ口】 という 9 つのキーワードにまとまった(表 2) 。以下に、重複あるいは類似する事例は省略し、 象徴的事例における概念抽出とキーワードにまとめ. る過程を簡略文章化して記す。 (1)対象者 No. 1 施術前は強い怒りや拒否の態度がみられるが、施 術を始めると【怒りの軽減】がみられ、徐々に穏や かになる様子、すなわち【気分の改善】が観察され 30. た。「気持ちいい」という発言から、これらは施術の. 【心地よさ】によるところが大きい。しかしリビング に戻るとすぐ突っ伏している状況があり、施術の影 響がどの程度継続したのかは不明である。 (2)対象者 No. 2. 介護拒否があり不活発で引きこもりがちであった. が、入所当初と比較して気分の落ち着きがみられ、 鍼灸師のもとへ嬉しそうに来る様子から、施術の 【心地よさ】が【気分の改善】をもたらしたととも に、定期的に反復する施術がひとつのイベントとし て【楽しみの追加】となっている。また、医療関係 者を敬遠する対象者が施術を楽しむ様子は施設職員. にとって日常と異なる光景であり、鍼灸師との接触 による【コミュニケーション】が【社交性の獲得】 を導いている可能性がある。なお、このことは介護 者インタビューから対象者 No. 4 についても同じこ とがいえる。 (3)対象者 No. 3 施術により肩の【痛みの軽減】を実感している。 このことが反復されることによって【楽しみの追加】 が生じ、鍼灸師を見ると反射的にその日は施術が受 けられる水曜日であることを思い出す、すなわち 【展望記憶の想起】が認められるようになっている。 (4)対象者 No. 9 入所していることに不満を抱えているため、施術 の機会が不平・不満を発散できる【不満のはけ口】 の役割を担っている。. Ⅳ.考察 観察記録、介護記録、介護者インタビューより、. 擦過鍼施術を受けた認知症高齢者の反応や変化の描 写から抽出された新たな評価概念は、【心地よさ】 【怒りの軽減】 【気分の改善】 【楽しみの追加】 【コミュ ニケーション】 【社交性の獲得】 【痛みの軽減】 【展望 記憶の想起】 【不満のはけ口】という 9 つのキーワー ドにまとめられた。 【怒りの軽減】と【気分の改善】をもたらしたと思. われる【心地よさ】は、多くの対象者(11 名中 9 名) から聞かれた「気持ちいい」という言葉からも裏付 けられる。心理学的・生理学的メカニズムから考え ても13)、皮膚の軽擦は擦過鍼を用いたケアの最大の. 物理的特徴であるといえる。皮膚の軽擦による太い 知覚神経線維(Aβ線維)からの入力は、痛覚を伝. 達する細い知覚神経線維(Aδ線維および C 線維) の活動電位を遮断する(ゲートコントロール説14)).
(8) 日本統合医療学会誌 第 13 巻第 1 号(2020). 表 2 観察記録、介護記録、介護者インタビューに基づく評価概念の抽出 対象者. 概念を示す キーワード. No. 1 【心地よさ】 【怒りの軽減】 【気分の改善】. 根拠となる記録(発言・情景) 観察記録. 介護記録. 介護者へのインタビュー. ケースの着眼点. ・1 回目 「私の体をみて、ど ・1 回目 興奮したら、ある程度の時間 激しい怒りや抵 うするんですか? 」と怒り。 鍼灸の声掛け が経たないと収まらないんで 抗があり施術拒 否がみられるこ (施術後半には) 「あ・い・う・ に拒否。リビ す。 ともあったが、 え・お 」などと笑いを交え大き ングで施術を 受ける。 施術を始めると な声で言う。 徐々に穏やかに ・4 回目 「私から (手押し車 なる様子が観察 を)取り上げて、動けなくなる された。 じゃないですか 」と怒る。施術 を始めると間もなく「ハハハ 」 と笑いを交えて鍼灸師の目を 見て話す。. No. 2 【心地よさ】 ・2 回目 鍼灸師が体調を尋 ねると「元気です。何もありま 【気分の改善】 【楽しみの追加】 せん 」と回答。少し語尾が強め 【コミュニケーション】 な印象。 【社交性の獲得】 ・7 回目 鍼灸師が体調を尋 ねると「元気ですよ 」と数秒、 目をじっと見て回答。リビン グから聞こえる歌に合わせ小 声で口ずさむ。 ・8 回目 鍼灸師が体調を尋 ねると「元気旺盛です。ハハ ハ 」といつもより大きめの声で 元気に答える。. 介護拒否というかね、結構強 い方だったんですけど、落ち ついてきたっていうのは実感 してるかな…。鍼灸は関係あ ると思いますけど。先生来た でって言ったら、すごい、う れしそうにこっち入ってきて くれるんで。 お医者さんも、嫌いな人もい るんですよ。見てもらいたく ないって。たぶん、この方は そうなんですよね。そういう ところから、もしコミュニ ケーションとして関わればだ んだんそういう風になってく るとは思うんですよ。. 施術直前直後の 変化は感じにく いものの、中期 的な視点では介 護拒否の頻度や 不活発で引きこ もりがちだった 側面に変化が感 じられた。. ・8 回目 他の入所者と談笑。 鍼灸師を見ると「今日、水曜や からな 」と入所者に話す。 ・27 回 目 鍼 灸 師 が 来 訪 時 「あっ、私や 」と言ってリビン グの席から立ち上がる。施術 のため着席。「楽しみに待って ます 」と言う。 ・30 回目 着席後、鍼灸師が 「 痛 み と か は? 」 と 聞 く と 「あー、治りました 」と回答。. (痛みに関して) 先生に聞きた ・25 回目 おやつの時に いことあれば聞いたらいい 鍼灸(注:擦 し、ここが痛いよとか言えば 過 鍼 の こ と ) いいよとか言ってるんで。そ のおかげで手 ういう部分の変化は、すごく があがるよう あると思うんですよ。 になったと喜 何曜日がね、 (施術)してるっ んでおられる。 て分かってないと思います。. 施術により肩の 痛みの軽減を実 感している。施 術曜日は記憶し ていないと思わ れるが、楽にな る鍼灸師の施術 を待ちわびてい るように見受け られる。. No. 3 【痛みの軽減】 【楽しみの追加】 【展望記憶の想起】. No. 9 【不満のはけ口】. ・1 回目 座るとすぐしんど 不満や愚痴か 言うことでは、発散はしてる 入所に不満があ いと訴え。「ここにいたら、ど ら、他者と口 と思うんですけど。 り、不平・不満 や自身の変調に うにかなりそう。しんどい 」 論・トラブル ついて話し続け と、鍼灸師の目をじっと見て になる恐れ る。 繰り返し訴える。笑顔はない。. ことにより【痛みの軽減】が期待できる。これらの ことから、 【心地よさ】と【痛みの軽減】については 対象者にかかわらず再現性は高いと思われる。 擦過鍼そのものよりも、むしろ鍼灸師が訪問して 会話することによってもたらされる側面が大きいの. が【コミュニケーション】 【社交性の獲得】そして 【不満のはけ口】である。「私たちにできない部分で すよね、そこが 」という介護職員の発言からもうか. がえるように、施術行為を行う鍼灸師は普段接触す る介護職員とは若干異なる役割を担っている、ある いは演じている。また、 「鍼灸の先生は(中略)すご. くにこやかな先生が多いので、全然初対面でも大丈 夫だと思いますよ 」という介護職員の発言から、少 なくとも本研究で観察した鍼灸師たちの接する態度 が、施術を受ける認知症高齢者に安心感をもたらし ていると考えられる。 31.
(9) 日本統合医療学会誌 第 13 巻第 1 号(2020). そのような状況と本研究による一連の記録・分析・ 解釈の結果を踏まえると、介護職員とは若干異なる 立場から施術と対話を行う鍼灸師は、認知症高齢者 に対する日常的・標準的な介護ケアを補完する役割 を担っている可能性があることが示唆された。. Ⅴ.まとめ 鍼灸師による擦過鍼を用いた認知症高齢者のケア の臨床的意義に関して量的手法では評価されていな かった概念を探察するため、観察記録、介護記録、 および介護者インタビューによる質的アプローチを 試みた。その結果、程度の多少や個人差はあるもの 図 3 臨床的意義を示唆する評価概念とその相互のつながり. 以上のような、擦過鍼施術の物理的特性による 【心地よさ】と【痛みの軽減】、および鍼灸師との【コ ミュニケーション】が、 【楽しみの追加】や【展望記 憶の想起】およびその他の概念を示すキーワードに つながっていると著者らは解釈している(図 3)。し かし、対象者の異質性は高く、なかには何の意義も 見いだせなかった事例もあったため、著者らの解釈 モデルがすべての認知症高齢者に当てはまるわけで はない。 本研究は質的研究の手法を参考にしたが、データ の収集と分析はすでに確立された質的手法とは若干 異なるものである。また、グループホーム入所者が 認知症高齢者全般を代表しているとはいいがたく、 一般化可能性が高いとはいえない。しかし、今回の 仮説生成作業で抽出された概念とキーワードのうち いくつかは、量的に表現あるいは評価することが難 しい心情や雰囲気を含んでおり、汎用されている評 価法では今まで拾い上げられていなかった可能性が あるため、今後注目すべき観点である。一方、擦過 鍼を用いた施術による認知症高齢者のケアが従来の 触れるケアとどう異なり、どのような特有の臨床的 意義が見いだせるのかについては、今後基礎的・臨 床的な研究に基づく量的な比較検討も必要である。. また、現場に導入するには費用対効果に関する研究 も行わなければならない。 擦過鍼に限らず、鍼灸は時間的・空間的・思想 的・文化的な条件いずれをとってみても日本の高齢 者が好む要素を多く含んでおり15)、少なくとも日本 において独自の存在意義と位置づけを保ってきた。 32. の【心地よさ】 【怒りの軽減】 【気分の改善】 【楽しみ の追加】 【コミュニケーション】 【社交性の獲得】 【痛 みの軽減】【展望記憶の想起】【不満のはけ口】とい う 9 つの概念が抽出されキーワードにまとめられ た。これらの観点を踏まえると、鍼灸師による擦過 鍼を用いた認知症高齢者に対するケアは、日常的・ 標準的な介護ケアを補完する役割を担っていること が示唆された。. 利益相反 吉村は吉村式擦過鍼® の開発者であり、赤羽は有 限会社吉村鍼灸院の被雇用者である。その他の開示 すべき利益相反はない。 本稿は森ノ宮医療大学大学院保健医療学研究科保 健医療学専攻修士論文(平成 30 年度)の一部を加筆 したものである。. 文献 1)日本神経学会監修, 「認知症疾患診療ガイドライン」 作成合同委員会編集:認知症疾患診療ガイドライ ン 2017.医学書院,東京,2017:18 117. 2)髙橋三郎,他監訳,日本精神神経学会日本語版用語 監修:DSM 5 精神疾患の診断・統計マニュアル. 医学書院,東京,2014:583 634. 3)世 界 保 健 機 関, 日 本 公 衆 衛 生 協 会 日 本 語 訳: Dementia:a public health priority.認知症:公衆 衛生対策上の優先課題.日本公衆衛生協会,東京, 2015:22 43. 4)中島健二:健康寿命に影響する主要神経疾患の最 新実地診療のすべて―認知症―.Medical Practice. 2015;32(6) :892 898..
(10) 日本統合医療学会誌 第 13 巻第 1 号(2020). 5)Jia Y, et al.:Acupuncture for patients with mild to moderate alzheimer s disease:a randomized controlled trial. BMC Complement Altern Med. (1) :556 563. 2017;17 6)Shi GX, et al.:Acupuncture for vascular dementia:a pragmatic randomized clinical trial. Sci World J. 2015;2015:1 8. 7)Kwok T, et al.:The effectiveness of acupuncture on the sleep quality of elderly with dementia:a within subjects trial. Clin Interv Aging. 2013;8: 923 929. 8)吉村春生:延べ 6141 人の認知症患者への擦過鍼法 施術報告 周辺症状の緩和と介護負担の軽減.全日 鍼灸会誌.2014;64(別冊) :249. 9)吉村春生,他:認知症患者に対する擦過鍼法の効 果・ランダム化比較試験による探索的研究.第 5 回 エビデンスに基づく統合医療研究会〔eBIM 研究会〕 プログラム・抄録集.2016:88. 10)高橋都:保健医療における質的研究:半構造化イ ンタビューを用いた研究の実際.日本保健医療行動 科学会年報.2000;15:105 114. 11) 内琢也,他:民俗セクター医療を利用する患者の 社会文化的背景―医療人類学的視点による質的研. 究―.心身医学.2005;45(1) :53 61. 12)高梨知揚,他:鍼灸師と連携している在宅療養支援 診療所医師らの連携経験の実態調査―在宅緩和ケ アにおける連携経験の語りの質的分析を中心に―. 全日鍼灸会誌.2016;66(2) :90 100. 13)Campbell A:Role of C tactile fibres in touch and emotion―clinical and research relevance to acu:169 171. puncture―. Acupunct Med. 2006;24(4) 14)川喜田健司:鍼鎮痛のメカニズム.川喜田健司,他 編:鍼灸臨床最新科学―メカニズムとエビデンス. 医歯薬出版,東京,2014:41 63. 15)山下仁:高齢者医療における鍼灸の役割.日老医 誌.2014;51(2) :132 134. 著 者 履 歴 藤村佳奈 鍼灸師。2019 年、森ノ宮医療大学大学院保健医療学研究科保 健医療学専攻修士課程修了。修士(保健医療学) 。 i 連絡先 〒559 8611 大阪市住之江区南港北 1 26 16 森ノ宮医療大学. 33.
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