• 検索結果がありません。

文字を書くことに対して「活字フォント」が与える影響について

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "文字を書くことに対して「活字フォント」が与える影響について"

Copied!
11
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)144. 文字を書くことに対して「活字フォント」 が与える影響について 小竹光夫 はじめに 最近の若者は読書量が減少したと言われる。 「若者」という範囲の程度は定かで はないが,小学生から大学生に至る学校教育の現場においても同様の指摘はできる であろう。いわゆる「活字離れ」という現象として指摘できようが,文字という形 象から隔絶した生活が展開しているかというと,必ずしもそうではない。音声によ る情報は確かに以前に比して倍増しているであろうが,画像・図像という視覚によ る情報も急増しているのが実態である。コンピュータ等々のディスプレイやモニター 上に映し出される文字は,かつてのような印刷という形態はとらないまでも,明ら かに視覚言語としての特性を生かしながら増え続けている。つまり,印刷・印字と いう形態に限定しない限り,文字の形に触れるという機会は以前より増加している と言うことができよう。 いわゆる「活字」は無機質で無表情であるとの指摘が繰り返されてきた。特に書 写・書道教育関係者の視点を経由した場合には, 「人間的でない」 「味わいがない」 との主観的立場が付加され, 「だからこそ,文字を手書きすることによって心が伝 わる」との主張にまで押し上げられる場合もある。確かに人間の手指を経由した場 合,表現において運動機能という不確定な要素が関与する。そのため,いわゆる 「活字」のような均一,かつ画一化された形象を繰り返し示すことは難しい。書写 学習では反復したドリル(書字・書写練習)が行われるが,情報伝達の効率化を図 るという立場での展開であり,この均一・画一を目指すものではない。当然, 「活 字」への近似を求めるものでないことは明らかである。結果として均一な活字と変 化する形状の手書き文字が日常生活の中に混在することになる。 対立的にとらえられやすい活字と手書き文字であるが,両者それぞれに問題点は 存在している。前段で述べた「活字は無機質で無表情」との指摘も,現在の多様化 の中では正統性を欠くものとなっているO鋳造活字からワープロへと転換した印刷 の場では必然的に多種多様なフォントが必要となり,特に仮名文字種においては無 数とも言えるフォントが創出され続けている。印刷という情報伝達術の確立によっ て言われた「活字は文字の形を固定化した」との主張も,後段で述べる通り絶対的 な強さは有していない。手書き文字について言われる「人間的」や「味わい」も, その不安定さを論拠とする限り説得力に欠けるものであろう。現在,書写・書道教 育研究で進行する「手書きすることの意義・価値」という側面からの切りこみがな ければ,所詮,情緒的な論調に終始してしまう内容である。 本論においては, 「活字フォント」と「手書き文字」の両者について比較し,そ.

(2) 145. れぞれの利点や問題点,さらには情報伝達における文字の機能について分析し,考 察を加えようとしている。 1. 「活字フォント」について 1.1 「活字フォント」の定義 文字の様式や骨格に関して多くの用語が用いられている。書写・書道教育の場で 用いられる「字体」 「字形」 「書体」について,論者自身は次のような定義を与えて いるが,美術及び商業デザインの分野との異なりは大きい。 【書写・書道教育における文字の様式・骨格を示す用語の定義】 ①字体--・文字が具体的な形象として書き示される以前,あるいは読まれる以 前に,我々は頭の中にイメージ(概念形)としての文字像を描いて いる。これは「文字表象」と呼ばれる現象であるが,そこに描かれ ているイメージ(概念形)を「字体」と言う。形という視点では 「字形」に近いものであるが, 「字体」はイメージ上,つまり不可 視現象における文字の様式・骨格である。 ②字形--・概念上の「字体」が,実際の紙面上に具現化された場合は「字形」 という。概念の具現ということで「字体」と「字形」は密接な関連 をもちながら用いられることが多い。 (塾書体-・・. 「字体」や「字形」を基盤にしながらも,時代や地域,目的や用途 によって差異が生じる。その差異を共通要素で括って「書体」とい う分類を行なう。書・書道教育の分野では「書風」と対立するもの として用いられ,主要には槽書から始まる五体を指し示している。 美術及び商業デザインとの不整合が生じるのは,この「字体」と「書体」につい てである。書写・書道教育では「活字の字体」と言うが,美術等の分野では「活字 の書体」との表現が通用している。タイプフェイス(typeface)という語を「書 体」と訳した結果であるが, 「文字の一組が共通する肉づけで形成されているもの」 という意味合いからすれば, 「字形」に近い内容ではないかと考えられる。突き詰 めて考えれば国語科教育と芸術科教育の立場の違いということになろうが,ここで は整合を求めずに国語科教育,言語教育という立場を保持して論を進めることとする。 「活字」や「フォント」という用語の定義にも,また数多くの異論があるところ であろう。最も直接的な「活字」の意味は, 鉛・錫・アンチモンを配合した合金を素材として作られた鋳造字型 ということになるが,現在では印字・印刷された形象をも含み,かなり広範な意味 合いをもって用いられている。冒頭に掲げた「活字離れ」などは,その典型的な活 用例であろう。さらに狭義の意味での「フォント」とは「欧文活字の書体」である が,現在では欧文に限定せず, 印刷用として用いられる文字の書体,あるいは字体 との意味で用いられている。本論では分析・考察の便宜上, 「活字フォント」とい う用語を設定し,.

(3) 146. 印刷に用いられる文字の字体を一括した総称 という定義を与えておくこととする。 1.2 「活字フォント」への着目 「書は明瞭なのがよい」という立場で独自の芸術私論を展開した会津八一は, 『会津八一書論集』の中で活字について次のように触れている。 字といふものはどういふものかといへば,人がわからなければいかぬ。人がわ かるにはどういふ字がいいかとわたしは考へた。そのとき考へた判断では,字 は要するに垂直線と水平線である。さうでないところは円の一部分のやうなも のなんだから,弧のやうなものと垂直線と水平線が書ければよろしい。だが, もう一つ必要なことは,一定の面積を等しき距離に分割したコンビネーション が-番人のわかる字になると思った。わたしは上手なんていふものに,到底な りうるものでないけれど,若し上手であって人の読めない字よりは,人生にお ける文字といふものにしては価値のあるものにならふ。ところがわれわれの見 渡す限りに,水平線と垂直線とたがひにスパイラルの一部分を含むところの字, さうして一定の面積を等しき距離に分割してある字といふものは,書家の字よ りは新聞の活字,明朝活字である。明朝活字といふものは縦の線が太くて横の 線が細い。あの必要はないと思った。 論は「わたしは血の涙を流すがごとき思ひをもってかういふものを書いた。これ は必要といふことと,自分の思ふところを明瞭に人に伝へるに一番大切なことは, かういふのでなければならない。」という独特の語り口で閉じられる。他の個所に おいても「ゴチック」 (ゴシック体活字)や「タイプライターの字」について,同 様の論調での評価が展開されている。明朝体活字,ゴシック体活字,タイプライター の字を同一視してしまう混乱はあるものの,会津の「明瞭な文字」への関心の深さ が示される。当時の書道界への批判,皮肉を込めての指摘であるから,総てを鵜呑 みにすることはできないが,一貫する姿勢は次のようにまとめられる。 (D画一的な文字が蔓延しているが,時代の要請として受け容れざるを得ない。 (塾簡便にして明瞭な書体が実用世界では求められているO ③風流などという余計な遊びがないものが人には読み易い文字である0 「明瞭な」と冠される書や文字が,可読性・判読性に優れるものであるという立 場は明らかであり,その具体的な行動として万葉仮名を使用しない,己の書作の正 統性へも敷術されている。 この会津の主張は,タイプライター等を用いながら既に始まりつつあった情幸酎ヒ という時代への関心であり,いわゆる「実用の書」と「芸術の書」の分離という提 言である。昭和初期の論としては極めて先進的な提言であり,歴史的に見ても貴重 な見識と考えることができよう。しかし,情報化に対する極めて原初的な時期であ るという部分を考慮するとしても,会津の論は実用の書は読みやすく芸術の書は読 みにくいという二分化に止まっており,更に一歩踏み込んだ「手書きすることの意 義・価値」という視点が芽生えていないことを示している。そのため,字形構造・ 骨格の合理性のみが前面に押し出され, 「活字を習う」という学習法が正論として.

(4) 147. 披歴されるO二者の相違は「読みやすい」か「読みにくい」かという問題ではなく, 「手書き」という行為を経るか否かという部分にあったのである。 2.印刷術の発展と文字環境について 2.1文字の大衆化 記録の保存という機能性を有する文字も手書き行為を経由する限り,巧拙や個体 差,さらに美的位置付けや価値観という形態的要素が付随する。文字を書くことへ のコンプレックスを助長したり,文字の書写や活用を一部の能書家や特別な階級の 中に押し止めたりもした。西洋で開発された印刷術の我国への導入も公的な場での 文字活用を活性化させたものの,個人的レベルにまで引き下げることには十分とは 言えなかった。昭和中期において漸くタイプライターの導入が進み, 「執務能率を 増進する目的をもって」 「タイプライタの活用を期するため」との文言を掲げる 「公用文作成の要領」 (昭和27年依命通知)により,活字フォントによる文字活用 が一般大衆の中に浸透し始めるのである。特に小型のワープロに搭載された活字フォ ントは,常に均一・画一的な形態が提示できることもあり,文字を手書きすること によって派生するコンプレックス等からも大衆を解放することになる。特に小型の ワープロに搭載された活字フォントは,常に均一・画一的な形態が提示できること もあり,文字を手書きすることによって派生するコンプレックス等からも大衆を解 放することになる。 このように,印刷術は文字言語活用において大きな役割は果たしたが,一方では 文字を手書きすることに対する新たな阻害要因を生じさせた.確かに,ワープロの 普及による印字・印刷という方法での情報伝達は,個人的なレベルにまで浸透した。 コンピュータの年間購入台数も今やテレビを追い抜き,まさに1家庭に1台の情報 機器が設置されているかのような幻想さえ抱かせる。しかし,急速なワープロの普 及によって,文字を手書きすることが消失したかといえば決してそうではない。一 本の鉛筆,一本のペンさえあれば記録できるという手書きの簡便さは,未だ記録手 段の位置を喪失してはいない。つまり,周辺にあるのは印字・印刷という方法によ る膨大な活字フォントと,適切な技術習得を施されず未熟な形態のままに放置され た手書き文字の混在という状況なのではないだろうか。文字の大衆化の功罪はさま ざまな視点で語られ始める。 2.2手書き文字への影響の分析と考察 先に触れた通り,手指の微細な運動によって用具を操作する文字の手書き行為に は,数多くの阻害要因が付随する。筆順や字形,漢字・仮名の配列・配置,書字・ 書写速度等が,その主たるものであろう。情報伝達の効率化を求めるならば,形象 として示される字形的な格差が少ない方が好ましい。しかし,書字・書写が日常的 な行為であるだけに,その是正と技術習得には多くの時間と労力を要するのが実状 である。特に情報量が増加する小学校高学年から中学校段階で,確かな書字・書写 技術を獲得できなかった場合,手書き文字は個人のメモ的な活用にしか用いられず, 主たる情報伝達の手段という座を印字・印刷に明け渡すこととなる。文字を大衆の.

(5) 148. ものにするための時代的な潮流でもあるといえばそれまでだろうが,人間自体の手 指を経由するという最も身近な方法をとらない文字活用が,総ての面で至便と言え よう筈はない。 昭和27年, 「公用文作成の要領」が内閣の依命通知として告示された。 「第三書 き方について」には,以下のような文言が掲げられている。 第三書き方について 執務能率を増進する目的をもって,書類の書き方について,次のことを実 行する。 1一定の猶予期間を定めて,なるべく広い範囲にわたって左横書きとする。 (以下略) 以来,横書きで用いられる句読点が「, 」及び「。 」となるなど,数多くの表記 上の問題点を含みながらも,この「公用文作成の要領」は実務という場で生き続け ている。 書字・書写においての問題点は,大きく以下の3点に集約されるであろう。 ①活字の登場によって,日本語に使う文字の字形が固定化されたとの誤解が 生じていた。 ②右手書字,縦書きという中で生成された漢字・仮名の,運動特性への視点 が配慮されなかった。 ③事務効率の増進という視点の中で,文字を手書きすることの意義や価値が 亡失された。 ①によって生じたのは「活字の横組み」という現象である。ほぼ四角に成型され た活字は,字組みの縦横に関係なく整斉とした紙面を作り出す。しかし,それは始 まろうとしていたタイプライティングという印字についての効果であり,活字であ ればこその自在さであった。本質的に,活字を横に組むということと,文字を横書 きするということは異種のことなのである。しかし,文字総てが活字化されたかの 誤解は,さらに字形の固定化との誤解を生じさせ,なんらの躊躇なく漢字・仮名の 横組みを推奨するという国策へと向かわせたのである。 ②は①の具体化であり,特に書字・書写上の問題を浮上させた。右手書字,縦書 きという生成上の特性は横画の右上がり,さらには右上から左下に向かう連続のた めの終筆ストロークを生じさせる。平仮名の「あ・う・け・す・ち・つ・の・み・ め・ゆ・わ」の終筆部の「はらい」などは典型的なストロークの残痕として指摘で きるであろう。またアルファベット等が縦書きから横書きへと転換した際に字形を 鏡像反転させ,左回り回転の運筆を得たのに対し,漢字・仮名は縦書き用の右回り 回転のまま横組みへの転向が求められた。結果として生じたのは, ・終筆ストロークの消失 ・右回り回転の開放 である。昭和27年の「公用文作成の要領」の抱えていた問題点が浮上したのは,昭 和50年代に社会現象として学校教育現場を混乱させた「丸字」 「変体少女文字」の 一群によってである。コンピュータのキーボードに刻印される「ナ-ル体」との相.

(6) 149. 関や, 「まんが字」という名称から漫画・コミック誌の噴き出しの文字の影響をい う説もあるが,字形上の特性からすれば横書き書字による現象ととらえるのが正し いであろうOこの実証については,拙論「横書き書字の特性とその速書体の転移」 で詳しく述べている。 【右回り回転の螺旋運動が開放する「丸字」 「変体少女文字」の例】. つまり,なんらの支障も生じない活字の横組みと違い,手指運動としての横書き の場合,必然的に字形は変形を始める。その予見や考察が昭和20-30年代の国語・ 国字教育,及び書写・書道関係者に生じていなかったことが問題として指摘されるO これらの文字を書く児童・生徒の問題ではなく,書くようになる必然をもたらした 社会の責任であると断じてよいだろう。 ③は情報化時代の文字言語の習得と活用に密接に関わる。極めて抽象的な言い方 であるが, 「ワープロを使い出して文字を忘れた」とか「書こうとしても文字を忠 い出せない」という声がある。ワープロが登場した段階では数多く見られた「16ドッ トで打たれた漢字」などが好事例となろう。つまり,概形としては似通っているも のの,点画の形や数は本字と明らかに異なるという事柄である。. 梱覧蘭 上に例示している「欄」や「覧」などは,点画数が相違するにも関わらず当該の 文字として判別され,適切な文字として決定のキーを押される。視覚認識の暖昧さ を逆利用した手法であるが,これが複数回にわたり習慣的なものとなると,文字の 明確なイメージが脳裏に描かれなくなる。それが「文字忘れ」 「点画の欠落」とい う具体的な現象として生じることとなる。 別の視点から考えれば,この瞬間文字提示という方法で確実な文字習得と定着が 可能かということになる。文字を忘れたとき,人間は手指の運動を手掛かりとして おぼろげな像を明確化していくO机の上を指でなぞる,用紙のスペースに文字を書 いて考える。いずれもが運動を手掛かりとしての記憶の再現行為であろう。キーボー ドを経由した入力の場合,この手指の運動との相関は著しく欠落する。昨今の音声 入力などは,既に手指運動を全く視野に入れていない。既に色擬せたニュースであ るが,教育課程審議会による「漢字の書きよりも読みを優先する」などは,手指運 動としての「書くことの意義・価値」を見失っているとしか考えられない。視覚言 語である文字が視覚を通じて獲得されるのは当然であるが,それを効率化し補強す るものが「漢字練習」等のドリル,即ち手指の運動との連携であろう。教育現場で も「漢字練習」の効果について疑義が唱えられることが多い。しかし,問題なのは.

(7) 150. 練習というドリルが無感動・無目的に,かつ学習者に過重な負担を科すかのように 50字, 100字と行われることである。それらを考えることなく「漢字練習」という ドリルそのものを否定するのは,方法上の欠落をもって本質的な意義・価値をも抹 殺しようとする短絡的な発想に他ならない。 3.活字フォントの字体・字形に与える影響について 3.1活字フォントのデザイン性について 活字フォントが多様化している一例は,日々の新聞紙面の中に如実に見られる。 鋳造活字を用いていた時代の新聞紙面は,主として明朝体を主文に,ゴシック体を 見出しに用いていた。一部の見出しや広告類には毛筆等の手書き文字が用いられ, 紙面に変化を与えていた。しかし,現在では特別なロゴ等を除き, 「毛筆文字」の 姿をほとんど見ることはない。紙面作成がワープロへと移行し, DTPソフトの中 で自在に多様な活字フォントが駆使できるからである。特に毛筆系の活字フォント は多用され,新たな紙面構成の彩りとなっている。下に例示するのは,新聞やパン フレット等々に多用される毛筆系活字フォント「流隷体」である。. oo¢官僚亨筆写葛専フォント. 柔らかく穏健な書風が手書き特有の親近感を感じさせて人気が高い。しかし,他 の毛筆系活字フォントを併せて例示すると,この「流隷体」の問題点は明らかになっ てくる。下に例示する毛筆系活字フォントは, A群が「流隷体」と同系列の新しい 感覚でデザイン的な意匠を凝らしたもの, B群が古来からの伝統的なものである。 All 「風雲体」. DBB畠俺毛筆桑活字7オント A-2 「クラフト墨」. ロOB冒頭言等T.・譜今ワオ>ト B - 1 「魏碑体」. 0日田富険毛筆轟薄幸フォント B-2 「顔直卿体」. ロ日日冒険毛筆系活字フォント. B-3 「中楢書体」. ロ日日冒険毛筆系活字フォント. B-4 「欧陽淘体」. ロ日日冒陳も単糸活写フォント.

(8) 151. 特徴的に目に付くのは, 「口」と「日」等の接筆部分である。手書き文字の場合, 点画がどのような接し方をするかは学習要素として重要な位置を占めている。特に, この「口」と「日」の接筆の要領は,教科書の中でも必須の学習内容として扱われ るOつまり,顔県卿の書法が基盤となったと考えられる明朝体活字の場合は, B2のような接筆法で点画が構成される。この場合, 「ロ」と「日」の接筆に区別は. gm. j-WBmmmmmBmm品函 活字フォント「明朝体」. しかし,一般的な手書き文字の原則は顔直卿以前の初唐時代の槽書を基盤とし, 書き進む上での合理性を背景としてB-3 ・ 4のような書き分けがなされる。前掲 の「流隷体」が,いずれにも属さない極めて異種な活字フォントとして生成されて いることが理解できよう。 一見して分かるのは, 「流隷体」が横方向への運動を基軸にデザインされている ことである。特に文字構成の終盤では右方向への運筆が強調され,字形を左傾気味 にさせている。従前の活字フォントであれば「日」の類に「口」が従属する。しか し, 「流隷体」では右方向に流れ出す運動性が, 「日」の類を「口」の接筆の形へと 変形させるのである。 「明朝体を習う」との会津八一の言は先見性,先鋭性をもっ て人々に影響を与えたが,いわゆる「活字」を書き習うこと自体は現実性に乏しい 行為であろう。しかし,ここに例示しているのが「手書き風」の毛筆系活字フォン トであることを考えれば,手書きする際の「手本」や「モデル」として着目される 恐れが充分にあるということになる。 1993年に株式会社写研から刊行された『字の見本帳』には, 113の「和文書体」 (漢字と仮名を有する)と25の「かな書体」が例示されているo 「かな書体」の少 なさが気になるが, 「本書には,写研で発売している書体の中から,一般的なもの.

(9) 152. を紹介してあります。」との注が巻頭に施される通り,抜粋という理由による結果 であろう。通常は字種の限定された仮名フォントの方がデザインも容易で創出され やすい。 「和文書体」のうち50, 「かな書体」のうち10が「手書き風」の活字フォン トである。中には下掲のような造形性に傾斜した異様なスタイルの字体も例示され ている。 「LUMRウメール」には「一見するとゆらゆらと病的なイメージがする, 独特な書風の書体。」と, 「KLTUKL艶L大かな」には「書体名のとおり,一見 しただけで,つやっぱいイメージを受ける書体。」と, 「LOKUおくぎ」には「錆 びた釘を連想させる個性的な書体。」との注が付されるが,いずれの活字フォント にも字形構造上の原理・原則を見出すことはできない。書表現において「素材とし ての文字」についての論争が繰り返されるのと同様,既に伝達記号としての機能性 は忘れ去られていると考えることができよう。表現性の強い活字フォントであるだ けに,大きな課題が残されている。 「LUMRウメール」. 奥ク車を 「KLTUKL艶L大かな」. W:づ)て 「LOKUおくぎ」. 更o)ある 3.2活字フォントと手書き文字の相似について かつてのような結果中心の学習指導ではないが,未だに「字形」は小・中学校国 語科書写の中心的単元である。視覚を通じて認知・認識,判読される文字言語とい う特性からすれば形態を扱うのは当然のことではあるが,学習の在り方への批判は 多い. 「個性化の時代に模倣するという学習は馴染まない」などは,その第一の批 判であろう。確かに,いわゆる「手本」と呼ばれる作例を参照しながら反復練習を 行なう場面も多い。しかし,それを「模倣」といって一概に否定するのは誤りであ ろうO書写とは文字の,特に文字を手書きする際の規則性を学ぶ学習である。それ を「模倣」というならば,文字は個人的レベルで自由に書いてよいことになる。文 字の形を個人で左右されてはかなわない。いわゆる「手本」との絶対的近似を求め るなどは愚挙である。作例は-事例に過ぎないが,手書きによる理想的な字形モデ ルが未定着な状態では,その習得を標準となる字体で行なうのが当然であろう。し.

(10) 153. かし,活字フォントが蔓延する昨今の文字環境においては,この「手書きによる理 想的な字形モデル」自体が極めて見えにくくなっている。 活字フォントで示される文字が,実際に手書きされたときにはどのような形態と なるのか。既に特定の学習場面を除いて, 「手書きによる理想的な字形モデル」を 見つけることは困難になっている。現実,会津八一のような「活字を習う」という 方法が行なわれ,手書き文字が活字フォントに相似し始めている。特に縦横の情報 格差が少なく現代社会に適合しやすい「ゴシック体」で生じるバネやハライの実線 化の字例は,身近な実態の中に数多く見出すことができる。掲げている2例は,本 来は次画へと連続する意識的ストロークとして形象化されているハライが実線化し ている例と,活字フォントの概形が手書き文字に影響を与えている例である。 【ハライの実線化の字例】 明朝体丸ゴシック体教科書体手書き文字(大学生). にににIこさ‖拭 【活字フォントの概形への影響】 明朝体丸ゴシック体教科書体手書き文字(大学生). 書書書. 奮吉倉. 注一一手書き文字の字形モデルとして書写教科書に掲載されているのは, 次のような作例である。 (教育出版). [亘園 「あたかも活字が手書きされたような字形」という問題には,書字・書写する人 間の脳裏に措かれる字形イメージと硬直化した用・運筆が深く関わっているO前者 は本論の活字フォントと直接的に関わるものであるが,後者は運動性を要因とする ものなので,ここで扱うことをしない。 字形イメージは,繰り返し与えられる刺激によって形成される。その刺激が活字 フォントによるものであれば,その形態が定着しイメージ化される。文字習得期で ある小学校段階で,手書きできるような形に活字を変形させて考案された「教科書 体活字」が用いられるのも,その字形イメージの構築を理由としている.石井茂吉 によって作成された教科書体活字は,当初,毛筆書写されたものを基盤としていた が,時代の変容に従って昭和30-40年代にかけて硬筆による手書き文字の風へと転 換し現在に至っている。この字体は文字習得期の児童への字体見本という立場で作 成されており,小学校学習指導要領に学年別漢字配当表の1,006字を表示するのに.

(11) 154. 用いられている。しかし,問題は明らかである。配当漢字を表示するということは, 仮名用の字体がないということなのである。さらに手書きを意識して作成された字 体は,漢字仮名交じり文という日常表記にして配置すると,漢字より仮名が大きく 見えるという不調和を生じる。児童書などの作成者たちが, 「教科書体は美的でな い」として用いない一因ともなっている。就学前,あるいは小学校段階の子どもた ちにどのような字形モデルを与えるかo以降の字形イメージの形成と合わせ,考え ていかなければならぬ課題であろう。 おわりに 活字が無機質で無表情であった時代には問題は生じなかった。しかし,今や活字 フォントは「手書き風」等々の多岐にわたる付加価値をもちながら,人間の字形イ メージに確実な影響を与え始めている。前出の株式会社写研などは,作家名を多様 な活字フォントで表現し, 「作家に合う書体」というイメージ調査を継続して行っ ている。会津八一の時代には特異な私論であった「活字を習う」という立場も,今 や日常的な文字学習となりかけていると言っても過言ではあるまい。人間に機械が 歩み寄っていた時代から,人間が機械に歩み寄る時代への転換が確実に始まろうと している.平成9年に株式会社アスキーが発売した『HA・YA・RI系文字マスター ノート』という文字練習帳は,かつての「丸字」 「変体少女文字」が問題視された 時代とは極度に異なった意識構造を見せるものであろう。異体の文字群が,そのマ スターノートの中には溢れている. しかし,それを「時代の趨勢」と呼ぶのは危険であろうO人間の運動機能によっ て効率的に創出された文字である。イメージ化を促進するためのデザイン重視で考 案され,運動性など視野にさえ入れていない活字の書き習いが,果して人間に何を 与えるのであろうか。それは,左から右へと展開する英語等の配列を優先して日本 語の縦書きを失った,かつての「公用文作成の要領」の失敗を繰り返す愚行にしか 過ぎないのではないか。即物的な現象への対応と文化の崩壊は,未来の日本人に取 り返すことのできない確実な打撃を与えるものであろう。 主要引用・参考文献 『会津八一書論集』長島健編二玄社1967年 『絵本づくり』月刊絵本別冊すぼる書房1978年 『デザインの現場10特集絵本をつくる』株式会社美術出版社1988年 『デザインの現場12特集いま,文字感覚』株式会社美術出版社1988年 『文字とコミュニケーション』ロベール・エスカ)i/ピ末松毒訳白水社1988年 『字の見本帳』株式会社写研1993年 『HA・YA・RI系文字マスターノート』株式会社アスキー平成9午 (しのみつお・兵庫教育大学).

(12)

参照

関連したドキュメント

睡眠を十分とらないと身体にこたえる 社会的な人とのつき合いは大切にしている

問についてだが︑この間いに直接に答える前に確認しなけれ

噸狂歌の本質に基く視点としては小それが短歌形式をとる韻文であることが第一であるP三十一文字(原則として音節と対応する)を基本としへ内部が五七・五七七という文字(音節)数を持つ定形詩である。そ

  まず適当に道を書いてみて( guess )、それ がオイラー回路になっているかどうか確かめ る( check

Instagram 等 Flickr 以外にも多くの画像共有サイトがあるにも 関わらず, Flickr を利用する研究が多いことには, 大きく分けて 2

管理画面へのログイン ID について 管理画面のログイン ID について、 希望の ID がある場合は備考欄にご記載下さい。アルファベット小文字、 数字お よび記号 「_ (アンダーライン)

の知的財産権について、本書により、明示、黙示、禁反言、またはその他によるかを問わず、いかな るライセンスも付与されないものとします。Samsung は、当該製品に関する

点から見たときに、 債務者に、 複数債権者の有する債権額を考慮することなく弁済することを可能にしているものとしては、