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レッド・パージ研究の意義 : 「思想・良心の自由」をめぐる現況から

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(1)Title. レッド・パージ研究の意義 : 「思想・良心の自由」をめぐる現況から. Author(s). 明神, 勲. Citation. 釧路論集 : 北海道教育大学釧路校研究紀要, 第38号: 71-83. Issue Date. 2006-11. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/1395. Rights. 本文ファイルはNIIから提供されたものである。. Hokkaido University of Education.

(2) 釧路論集一北海道教育大学釧路校研究紀要一第38号(平成18年) KushiroRonshu,−JournalofHokkaidoUniversityofEducationat Kushiro−No.38(2006):71−83.. レッド・パージ研究の意義 −「思想・良心の自由」をめぐる現況から− 明 神. 勲. 北海道教育大学釧路校教育学研究室. SpecialSignificanceofthe Study on theRed Purgein the PostwarPeriod ofJapan:. InRelation to thePresent Condition of“Freedom ofThought and Conscience” Isao MYOJIN Department of SchooIEducation,Kushiro Campus,Hokkaido University of Education. 要 旨. 占領下におけるレッド・パージ研究の意義を考察するため、三つのアスペクトからの接近を試みた。一つ は、占領史研究の視点からで、レッド・パージが占領政策転換の“転轍手〝 ともいうべき重要な意味を有し ていたにもかかわらず研究の空白部分とし残されていることを明らかにし、占領の全体像を明らかにしさら に占領史像の再構成を試みる上でレッド・パージ研究が大きな意義を有していることを明らかにした。第二 に、JR採用差別事件とイラク人質事件及び東京都における「日の丸・君が代」問題をとおしてそこに映し 出される日本社会における「思想・良心の自由」の現況を明らかにし、それを 〈窮境〉 と特徴づけた。最後 に、日本社会における21世紀目標=〈希求〉として、「ディーセントな日本人」(大江健三郎)および「ディー セント・ワーク」(ILO)をとりあげ、そこにおける「思想・良心の自由」の決定的な重要性を指摘した。最 後に、「思想・良心の自由」の〈窮境〉 と未来の〈希求〉 に架橋する作業の参照対象、あるいは補助線として、 戦後史において「思想・良心の自由」の最大の受難史であったレッド・パージをとりあげそれを研究する意. 義を明らかにした。. 「イラク人質事件」を考察する。さらに、教育界における. はじめに. 動向を把握するために東京都を中心に「日の丸・君が代」. さっきの秘密をいおうかね。なに、なんでもないこと だよ。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってこ とさ。かんじんなことは、目にみえないんだよ。. 問題をとりあげる。第三に、21世紀の日本社会のあり方に かかわって提起されている「ディーセントな日本」概念(大 江健三郎)と仕事・労働の場のあり方にかかわり提起され. ている「ディーセント・ワーク」概念(ILO)を紹介し、こ. (サン=テグジェペリ作/内藤濯訳『星の王子さま』岩 波書店1962年). れらの21世紀目標と「思想・良心の自由」の関係を考察す. る。最後に、日本社会における「思想・良心の自由」の現 本稿は、占領下におけるレッド・パージ研究の意義を三 つのアスペクトから考察することを目的としたものである。 第一に、占領史研究の研究蓄積との関係でその意義を考察 する。第二に、「思想・良心の自由」をめぐる日本社会の現 況からレッド・パージ研究の意義を考える。日本の企業社. 況と未来の21世紀目標である「ディーセント」概念との関 係で、レッド・パージ研究の第二の意義を論及する。. なお、本稿は、別稿「レッド・パージ研究の現状と課題」(1)と あわせて、筆者の研究テーマである教員レッド・パージ研 究の序章に置かれるべき部分のスケッチを試みたものであ る。. 会における「思想・良心の自由」の現状を明らかにするた. めに、戦後における≠第二のレッド・パージ〝 ともいわれ. ているJR採用差別事件をとりあげる。また、市民社会に おける「思想・良心の自由」の現状を明らかにするために. 一71−.

(3) 明神 勲. ずしてレッド・パージという形で公然と躁欄されることに. 1 占領下におけるレッド・パージとレッド・パージ研. なった。レッド・パージとは、1949年7月から1951年3月. 究の意義. の間、アメリカ占領軍の示唆・指示にもとづき日本政府と. 1−1「思想・良心の自由」の意義. 企業とが共産主義者とその同調者・支持者とみなした者を 企業・官公庁・学校等から強行的に追放・排除した措置で. あった。レッド・パージは、アメリカ的自由の伝統やアメ リカ民主主義の精神を裏切るものであり、日本国憲法の許. ヴオルテールをして次のように書かせた精神に献ぐ 《貴方のいうことにはひと言も賛成できるところはな. いが、貴方にそれをいう権利があることは、死を賭し. 容するところではなかった。なぜなら、レッド・パージは、. ても私は守るつもりです》. 外部的・具体的行為ではなく、内心が「アカ」であるとい う思想・信条そのものを処罰の対象として裁くものであっ. たからであり、その点でレッド・パージはアメリカにおけ るマッカーシズムと共通しており、さらに実質的には戦前. アメリカ的自由・民主主義の伝統を擁護する立場からマッ カーシズムを厳しく批判しその凋落の端緒をつくったと評. 価されるサマヴイルは、その著書の扉にこう印し、「個人は 自分の好きなことをいい、書き、また考えていいのだ。そ れらのことに対して政府は、さまざまな制約は設けないの だ。(中略)観念や学説、思想や教えそのものに関するとこ. 治安維持法体制下の弾圧との継続性を復活させるものであっ. ろに、犯罪は成立しないのだ、と。以上が、アメリカ的自. のであり、人間をして人間存在たらしめる《人間のしるし》. へと変質」(5)し転換させられた時点で、超憲法的占領権力を 後ろ盾とし、また占領権力の直接行使をも伴って強行され たものであった。それは具体的には三つの段階を経て実施 された。第一は、1949年7月から始められた定員法にもと. であることについて、宮田光雄はつぎのように述べている。. づく官公庁における「行政整理」と民間企業における「企. た。. レッド・パージは、GHQの唱える「自由」、「民主主義」 という言葉が「反軍国主義のシンボルから反共主義のそれ. 由の伝統だったのです」(2)と述べている。 「思想・良心の自由」は「精神の自由」の中核をなすも. 業整備」の名のもとに強行された大量人員整理である。こ の背景には、対日占領政策を「『処罰・改革・民主化』の政. 人権こそは、人間をして人間的存在たらしめる本質な のです。それは、人間を人類の一員たらしめるもの、い わば《人間のしるし》であり、人権を保障するとは、人. 策から『反共・規制・従属的日本資本主義復活』の政策へ と大きく転換」させる≠旋回機軸〝(6)としてのドッジ・ライ. ンと「経済九原則」の実施があった。ドッジ・ラインと「経 済九原則」の実施は、マッカーサー自身が公言しているよ うに、労働者と国民に多大の犠牲を強い、失業をはじめと する社会問題の発生、労働運動の激しい抵抗を予想させる ものであった。労働運動と共産党の抑圧、弱体化、排除は GHQにとって至上命令としての「九原則」実施の不可欠 の条件であった。「行政整理・企業整備」の実施にあたって GHQは、大量の人員整理の対象者のなかに共産主義者や. 間であることの本当の内容を形づくることなのです。. まず、第一の思想の自由についていえば、人間の主体 性や責任感を自覚するにあたって不可欠なのは、自由に 考え自由に信ずることができるという体験でしょう。人 間の尊厳性と独立性とを真に構成するのは人間における. この《内なる自由》です。その意味では、思想の自由に 代表される精神的自由権は、人間としての私たちのアイ デンティティの根幹をなすものということができます。 じっさい、人権にはいろいろな中身があるのですが、思 想の自由は、市民的自由権の中核をなすものです。それ なしには他のいっさいの市民的自由も権利も存在しない、 といってよいほど重要なものなのです。(3). 同調者を含めて追放する事実上のレッド・パージの遂行を. 政府、経営者に内密に示唆した。これを受けて、吉田内閣 は、1949年7月22日、閣議においてレッド・パージを行政. 整理に含めて実施する方針を決定し、事実上のレッド・パー ジが全国を席捲することになった。「行政整理・企業整備」 のなかで強行されたレッド・パージは、労働運動の指導権. 1−2 レッド・パージと「思想・良心の自由」. 戦後、憲法に規定された思想・良心の自由は、サマヴイ. を戦後の労働運動の中心となってきた産別路線から反共・. ルが擁護するアメリカ的自由・民主主義の伝統の精神を基. 労使協調を基本とする民同路線・総評に移行させることを. 礎にしたものではなかったのか。すなわち、「人間の尊厳に. つうじて、占領政策転換の≠旋回機軸〝の≠転轍手〝 とい う役割を果たし、その後の日本の針路に大きな影響を及ぼ. とって根底的な自由であり『何びとも思想のゆえに罰せら. れることはない』との原理は、民主主義が民主主義たるた めに最低限必要なことがら」(4)であることを、戦前の治安維. すことになった。. 持法体制の批判の上に確認した宣言(マニュフェスト)で. けるイールズ演説に端を発する大学に向けられたレッド・. あったはずである。. パージである。初等・中等教育段階のレッド・パージが行. レッド・パージの第二段階は、1949年7月新潟大学にお. 政整理の⊥環としてGHQ内ではGSの主導のもとに閣議. しかしこの憲法が「人類普遍の原理」と謳い規定した個. 人の尊厳、思想・良心の自由という価値原理は、数年を経. 決定・文部省指示の線でなされたのに対して、大学等の高. −72−.

(4) レッド・パージ研究の意義. 等教育段階のレッド・パージはCIEの発案と主導のもと になされたという特徴がある。CIEは、1949年初頭ころ から教育・文化分野、とりわけ大学における共産主義の影. ぶ共産党員と活動家が、不当に職場を追われたことは確実 である。その日本の労働運動にあたえた大きな打撃、『民族. 響力の大きさに危機感をいだきこれに対抗する方策を検討. の深さは、戦後五十余年の今日、あらためて問い直されね ばなるまい。」(12)と指摘している。. 的悲劇』あるいはまた『戦後史の恥部』ともいわれる問題. していたが、アメリカにおいて共産主義者を教職不適格者 とするNEA決議がなされたことを直接的契機としてCI. レッド・パージ研究の現状について、別稿で明らかにし. たように、それはなお占領期における空白部分として残さ れており、それを埋めることをつうじて占領期の労働運動. E局長ニュージェントの示唆と承認のもとに大学に対する. レッド・パージの方針が決定される。(7)イールズは新潟にお いてそのメッセンジャーとしての役割を果たし、その後は 政府・大学にたいする督促者して全国を巡ることになる。. 史をはじめとする占領史の全体像をより豊かに描くことが. この結果、山梨大学、山形大学などでレッド・パージが実. 分を埋めるということにとどまらず、レッド・パージ研究. 施され、さらにこの時期が旧制から新制大学への移行期で あったという特殊な事情を利用し、共産主義者と目された. を通じて、たとえば占領史研究において通説とされている. はじめて可能となるだろう。さらに、単に占領史の空白部. 「逆コース論」の再定義をおこなうことによって、占領史 像の再構成を期待することができる。. 教員を新制大学に移行させず旧制高等学校・専門学校の廃. 止に伴い自動退職=「罷免でない罷免」という巧妙な形で. 占領史研究におけるレッド・パージ研究の意義をこのよ. のレッド・パージが神戸大学、茨城大学等でなされた。大. うに確認することができる。. 学に対するレッド・パージは1949年9月から旧制大学が新. 制に移行を完了する1952年3月までつづき、この間に推定 で数十名の教員が追放され、さらにこれに抵抗した学生及 び教員の犠牲者も出した。 レッド・パージの第三段階は、1950年6月、朝鮮戦争に 前後する国際的緊張が頂点に達する時期に、マッカーサー 指令による共産党中央委員24名の公職追放を出発点に、新 聞、放送を皮切りに全産業、官公庁に拡大した文字どおり の公然たるレッド・パージである。この段階では、共産主. 2 「思想・良心の自由」をめぐる現況とレッド・パー ジ研究の意義 「思想・良心の自由」をめぐる現況を明らかにするため. に、JR採用差別事件とイラク人質事件および東京都の学 校における「日の丸・君が代」問題の三つの事例を取り上. げる。JR採用差別事件は大企業における「思想・良心の 自由」をめぐる一般的状況を明らかにすることを目的とし、. 義者を「企業破壊者」「公職不適格者」として追放すること. イラク人質事件は市民社会における現況を明らかにするこ. が政府、経営者から公然と語られ、マスコミはこれを「赤 色分子追放」「赤追放」と報じていた。政府は9月の閣議に. とを目的としたものである。また、教育現場における「日 の丸・君が代」問題は、「思想・艮JL、の自由」と最も密接な. おいて「共産主義者等の公職からの排除にかんする件」を. 関係を有しかつ広範な影響力をもつことに注目しこれを取. 決定し、これにもとづきレッド・パージを強行した。第三. りあげた。. 段階のレッド・パージにおいて「企業破壊者」「公職不適格. 2−1JR採用差別問題と「思想・良心の自由」. 者」の格印を押され追放された者の総数を、三宅明正は控 え目な値として「民間企業一万一八九三人、政府機関関係 一一セ七人、合計一万三○七○人」(8)と推定している。. 2−1−1 “第二のレッド・パージ〝 戦後史上、レッド・パージにつぐ第二の「思想・良心の. 自由」をめぐる重要事件は、中曽根内閣のもとでの「国鉄 分割・民営化」(以下、鍵括弧つきの「国鉄改革」とする) にともない生起したJR採用差別問題である。「国鉄改革」 方針により、30万7000人の国鉄職員を9万2000人削減して 21万5000人とすること、つまり三人に一人が事実上の人員 整理の対象とされることになった。政府は「国鉄改革」を、. 三次にわたるレッド・パージによって追放され者の総数. は未だ正確には判明していないが、平田哲男はそれを「二 万七三00人を上回っている」と推定し、(9)レッド・パージ が、「日本近現代史上最大の政治・思想弾圧事件であり、そ の規模の点では世界史上にもほとんど類例のない反民主主. 義的事件である。」(10)と指摘している。平田の指摘にはいく つかの保留が必要と考えるが、(11)少なくとも戦後史におい. 「戦後政治の総決算」路線の突破口=「三○三高地」(13)と. てレッド・パージが最大の思想・政治弾圧事件であったこ. 位置づけ、「戦後の労働運動史の終焉を、国鉄分割によって. とは明らかであり、「思想・良心の自由」にとって戦後最初. 目指す」(14)として国労などの戦闘的組合の弱体化・解体を. の、そして最大の受難史であった。また、レッド・パージ. つうじて労働運動の体制内化を戦略的課題として設定した。 人員整理の対象者の選別にあたって当局は、いったん国鉄. は、占領政策転換の転轍手として、またその延長線上に構 想されることになった講和独立後の日本の支配体制である. を全員解雇して新会社であるJRに選別のうえ採用という. サンフランシスコ体制構築の促進者として、占領改革と戦 後史において重要な位置を占めているといえよう。、戸木田 嘉久は、「全体として少なくとも二万名、多くは四万名に及. 方式のもとに選別を行ったが、その過程では所属組合差別、 思想・信条による差別と選別は俄烈を極め、労働者はこれ を≠第二のレッド・パージ〝と呼んだ。(15)「分割・民営化」. −73−.

(5) 明神 勲. 方針が現実化した1986年初頭の国鉄職場の状況を、あるジャー. から反対者を一掃し、職場の専制支配を確立することであっ. ナリストは次のように描いていた。. た。最後に、これがもっとも重要なことであったが、「人活 センター」に配置されていない多数の労働者にたいしては、. いま、国鉄労働者三○万人に≠レッドパージの恐怖〝. かれらを当局に反対することに対する見せしめとして晒し、. がおそいかかっている。第二次大戦の敗北と、それに続. 雇用不安を煽りつつ当局への屈服を強いる脅かしの狙いが. く飢餓と瓦磯の時代からようやく立ち上がろうとしてい. あったということである。. た一九四九年と五○年、つまり時代の屈折点で吹き荒れ たあの赤狩りの≠恐怖〝である。あれから三七年目。経 済的にも社会的にも大きく変貌したとはいえ、やはり時 代の屈折点にさしかかっている今日、国鉄の職場を吹き. 「人括センター」設置から9ケ月後の1987年4月、国鉄 民営化・分割化によって新会社JRがスタートしたが、こ の時点でJRへの採用者と不採用者の第二の選別が行われ た。選別の結果は、当局への忠誠度を基準とする所属組合. 荒れているのは、≠レッドパージの恐怖〝だった。「分割・. による差別が歴然としていた。. 民営化の強大な力」(国労幹部)によって、いま国鉄の労 働組合内部がきしみ、その摩擦音が高まるとともに、国 鉄の職場から組合役員、役員経験者、活動家、積極的発 言者、そして彼らの支持者が徹底的に選別され、はじき 出されつつある。(16). すなわち、「国鉄改革」・「労使共同宣言」路線に反対した. 国労、全労働の採用率は50%以下であったのに対して、最 初からこれに賛成の方針を鮮明にしていた鉄道労連の採用. 率は、北海道、九州ともに99%台でほぼ全員採用であった。 また、JRへの職員採用が決定される直前に国労を脱退し これまでの自らの主張を翻し「国鉄改革」・「労使共同宣言」. 比喩的に表現するなら、この時点から国鉄労働者全員が 当局の「保護観察」下に置かれ、日本全国の国鉄職場全体 が一つの大きな 〈収容所〉 と化したのである。その体制の. 路線への協力を誓った鉄産労は80%前後の採用率であった という。(18)また、労組役員のケースで見た採用差別の実態 について、立山学は次のように指摘している。. 下に当局による職場の専制的支配と採用に向けての差別的. 選別が同時進行で展開されることになる。. 国労門司地本の国鉄職員籍をもつ役員六名のうち、三 名が八七年一月国労を脱退して鉄産労に走った。この三. 2−1−2 思想・信条による差別的選別過程. 名は全員JR九州に採用されたが、国労に残った三名は. 人員整理の選別は、「人材活用センター」と「清算事業団」. 全員JR九州に不採用になった。…門司地本の組合員に. という二つの選別施設、〈踏み絵〉としての「労使共同宣言」. 「国鉄民営分割反対闘争の取組み方」の指示が出されて. とそれを基準にした評定書「職員管理調書」を一連の装置. いた。この指示に従って行動した多くのヒラ組合員はJ. として、三段階をへて展開する。 まず、分割・民営化に向けての「合理化」計画による「余. Rに不採用となり、「国鉄民営分割反対」の指示を出し指 導してきたリーダーたちは、一晩で従来の自分の主張を. 剰人員」を職場から分離して一括管理する「人材活用セン. 変えて「国鉄・JR」への帰順を誓うや否や、JRに採. ター」(人括センター)が1986年7月に設置され、同年11月. 用されていった。この国鉄民営分割化の過程では、数多. 現在で全国1458ケ所に18510人が配置された。人括センター. くの国鉄職員の生きざまが試された。平時には見られな. に酉己置された約2万人は、当局への全面的協力と絶対的忠. い人間ドラマが、全国の国鉄職場・地域で繰り広げられ. 誠を内容とする「労使共同宣言」を踏み絵として「職員管. たのである。(19). 理詞書」(勤務評定書)をもとに選別された「国鉄改革」に. 反対する組合役員・活動家が大部分であり、彼らを一般組 合員から隔離し、当局の徹底的な管理と監視のもとに労働 者本来の仕事を奪い、一日中机に向かって座っていること を命じたり、草むしり、文鎮づくり、各種清掃作業などへ の従事を強制した。それは労働者としての誇り、人間とし ての尊厳を深く傷つけるものであり、労働者は「人括セン ター」を「格子なき牢獄」、「現代の≠アウシュビッツ〝」な どとこれを呼び批判していた。(17)「人括センター」は、人. つけ.屈辱的な扱いを強いられる「ガラスのオリ」であっ. 員整理をはかるための対象者の「実質的振り分け」=「人. た。. 員整理予定者の収容所」であり、反対者を非人間的に扱う ことによって精神的苦痛をあたえ、いわば「精神的拷問」. 節をまげずに残っていた1047人の解雇を行った。「二度目の. により彼らを屈服させ「転向」を促す「意識・思想改造」. 首切り」であった。その所属組合の内訳は、国労966人、全. 機関としてのねらいがあり、第二に、彼らを一般組合員か ら隔離することによって組合弱体化と解体を促進し、職場. 労働64人、千葉動労9人、その他8名で、「労使共同宣言」. 差別的選別によってJRに不採用とされた7628人は、3ケ 年期限で再就職対策として設置された「清算事業団」に配 置されることになった。再就職対策とは名ばかりで、清算 事業団は「人括センター」の性格とねらいを事実上継承し たもう一つの「強制収容所」であった。「自学自習」などの 名のもとで労働者から価値ある仕事を奪い、職制の監視の もとで何もせず一日中座らせるなど人間精神と人格を痛め. 最後の段階として、1990年3月、清算事業団は最後まで. を結んだ組合所属者は100%その対象外とされていた。. −74−.

(6) レッド・パージ研究の意義. 2−1−3 結果と影響. 路線として継承され、本格的・全面的に展開することになっ た。また、中曽根内閣時代には現実性が乏しく未だ宿願に. 2−1−3−1 「戦後政治の総決算」 中曽根元首相は、自民党50年史における中曽根内閣の位 置について回想するなかで、「国鉄改革」について次のよう にその成果を誇っている。. すぎなかった憲法・教育基本法の改変問題は、今では法案. が準備される段階にまで至っている。このように中曽根元 首相が唱えた「昭和維新」は、小泉内閣のもとで「平成維 新」として継承され今やその実現がはかられようとしてい. る。この点からすると、中曽根内閣の時代は、現在と直接 連続するひとまとまりの時代の出発点、戦後史における画. 私は戦後政治の総決算と称して、行財政改革を中心に、 今までの整理をやったつもりです。土光(敏夫元経団連 会長)臨調、前川(春雄元日銀総裁)委員会でいろいろ な政策を発表しました。国鉄も分割民営化した。それが 日本の政局を大きく変えたんです。国鉄労働組合がつぶ れ、それが総評の崩壊、社会党の没落につながった。5 5年体制を支えていた一方の政治勢力が解体され、総決 算路線の一番大きな改革となった。. 期であり、そこにおいて国鉄分割・民営化問題が一つの時 代の転換を起動させる重要な役割を演じさせられたといえ る。. 2−1−3−2 「思想・良心の自由」と安全問題一大惨 事はなぜおきたのか一. (20). 戦後史において、国鉄と国鉄労働組合は、一公企体・一. 事故の頻発と労働者のクビをかけた抵抗は、政府と財 界の想像力を超えたものであった。それでもいま、「欲望 という名の電車」は、生命の危険と民主主義の危機を満 載して、利益という終点にむかっている。(22). 労働組合という存在を超えて日本社会と日本の労働運動全. 体の命運を左右するという重要な鍵的存在であった。 占領下の1949年、定員法にもとづき国鉄は95000人の大量 人員整理(60万人の職員、6人に1人の整理)を強行した が、それが事実上のレッド・パージあったことは今日では あきらかである。1949年の第一次レッド・パージにおいて は国鉄の動向が天王山であったが、これをめぐる闘争の過. 鎌田慧はJR発足3年後の1990年に、JRの状況をこの ように描いていた。. JRの利益第一主義にともなう安全性への危倶は、国鉄 労働者をはじめ多くの識者から早くから指摘されていたと. 程で「三鷹事件」「下山事件」「松川事件」など奇怪な事件. の連続的な発生によって闘争は挫かれ、レッド・パージが. ころであり、現実に「群発事故」現象が生じていた。(23)こ. 遂行され、労働組合の主導権は反共・労使協調路線の「民 同」(民主化同盟)に移行する。国鉄を始点にレッド・パー ジと労働組合の主導権の移行は全産業・分野に拡大し、労. れらの危倶や指摘が、不幸なことに2004年についに107名の 人命を奪い549名の負傷者を出したJR尼崎の大惨事という. 形で現実化した。 大惨事がなぜ発生したのか、その対策について、JR当. 働運動における首座は「産別」から「民同」を母体にした. 回機軸」にした占領政策転換の転轍手としての役割を果た. 局はATS(自動列車停止装置)などハード面の問題とし、 その改善を強調した。しかし、最大の原因と不可欠の対策 がソフト面=「職場の精神文化」にあることは、惨事にい. すことになった。. たる具体的経過の分析やヒューマン・エラー防止のための. 時代状況の変化があるとはいえ、1980年代の中曽根内閣 下における国鉄問題も、占領下における定員法によるレッ ド・パージの結果と影響を二重写しするものであった。渦 中にあった労働戦線再編問題は、総評の解体と連合への合 流という形で一気に決着した。政局においてそれはやがて. 常識に照らしてあきらかである。事故を起した若い運転手. 「総評」に移行する。1949年の第一次レッド・パージは、 労働運動の右旋回という結果をつうじて経済九原則を「旋. が列車運行の遅れを取り戻すために危険を承知で制限速度. を三十キロメートルも超える高スピードでカーブに突っ込. んだ直接の動機は、「日勤教育」の恐怖であったといわれて いる。ミスをおかすと「日勤教育」をうけさせられるが、 その実態は、技術・安全の再教育ではなく上司からの罵声、. 社会党の解党という戦後政治史における一転機の要因とも. なり、「55年体制」の崩壊と「86年体制」(21)の出発が喧伝さ れるようになった。分割・民営化にともなう人員整理=「第 二のレッド・パージ」は、労働運動の右旋回=「戦後労働 運動史の終焉」をつうじて、「臨調・行政」路線を「旋回機. 桐喝や「1日三つの反省文」を書くことなど見せしめ的懲 罰の場であり、第二の「人括センター」、「清算事業団」で あった。若い運転手は既にオーバーランで「日勤教育」を. 憲法・教育基本法の改正を中心とする「国家改造」構想). 受けており、つぎにくる乗務外しの厳しい処分に怯え自殺 行為ともいえる無謀な運転に走ったのである。野田正彰は、 航空機事故防止対策の検討をつうじ、不可避ともいえるヒュー. に向かう 〈転轍手〉 としての役割を果たしたと表現できよ. マン・エラーを防止・減少させるには権威的人間関係では. う。. なく、自由にものを言うことができ「気づき」を共有でき. 軸」として中曽根元首相が呼号した「戦後政治の総決算」(=. る民主的人間関係の大切さが重要視されるようになったが、. 「小さな政府」と「民間活力の活用」を唱えた中曽根「臨. 調・行革」路線は、その後小泉内閣のもとで「構造改革」. それは安全にかかわるすべての職場で必要不可欠な組織論. −75−.

(7) 明神 勲. であり安全哲学であることを強調している。(24)その意味で. そして「精神の自由」を考える上でさらに重要なことは、 このような彼らの存在と運動が、それにふさわしい重さで の取り扱いを日本社会から一一般市民からも、マスメディ アからも、そして労働運動からさえもーこれまで一度も 受けたことがないという事実である。国労と闘争団が、解. 「労使間題と安全問題は密接に結びついている」(25)のであ. る。この点でJRは決定的な弱点を抱えていた。超過密ダ イヤどおりの運転が無理なこと、それが事故につながるこ とは現場の労働者にはだれにも分かっていた常識であった。 しかし、それを自由に主弓長することを許さない権威的人間 関係の職場、相談し話し合える同僚関係の欠如、「労使共同. 決策としてこれまでの自らの主張と闘いをむげにしかねな い屈辱的な「四党合意」になぜ一時期翻弄されなければな. 宣言」路線で当局と一体化した労働組合−それが「国鉄改. らなかったのかということを挙げるだけで、彼らが日本社. 革」をへて発足したJRの実態であった。「国鉄改革」の過. 会において少数派でいかに世間の無関心のなかで孤立させ. 程で横行した当局に恭順を誓わない労働者の差別的解雇と. 。(29)そしてこのよう られていたかを理解することができる な現実は、人間の尊厳と精神の自由に対する無関心と無視、. 人権抑圧、「労使共同宣言」体制化の労使協調の無力な労働 組合、職場の専制的支配体制は、そのままJRの「職場の 精神文化」として歴史的に引き継がれ,JRの職場は依然 として「保護観察」下の 〈収容所〉 だったのである。その 意味でJR尼崎大惨事は、「まさに起こるべくして起こった 事故」(26)であり、「国鉄改革」の過程で犯した「原罪」に起 因する一つの結果であった。JRは、労働者の権利と職場 における自由、国鉄労働者としての仕事への誇りと人権と. 人権感覚の衰退・希薄さという思想の自由をめぐる日本社. 会の「精神的気候」(30)を反映したものであり、その実像を 浮き彫りにするものでもあった。 2−2 イラク人質事件に映し出された「精神・思想の自 由」の現況. イラクにおける「日本人人質事件」(2004年4月)をめぐ. 人間の尊厳、思想・良心の自由、民主主義、これら人間の. る一連の動向は、日本の社会における「精神の自由」・「思. 存在と人間の労働にとって大切な多くのものを踏みにじり、 切り刻み、破壊してその屍の上に利益効率原理至上主義の 旗を掲げて誕生したのであった。さらにこの時期に、百人 を超える国鉄労働者が自殺に追い込まれた悲痛な事実− それは大惨事の死者とほぼ匹敵する人命−をつけ加える なら、それらの行為が「原罪」に相当すると表現してもあ ながち見当はずれとはならないであろう。このように考え るなら、事故防止の抜本的で不可欠の対応策が、JR誕生 過程で犯した「原罪」を償い、職場に「思想・良心の自由」 を保障し、民主主義的・親和的な人間関係をつくりあげる. 想・良心の自由」の問題状況を白日のもとに明らかにする. ことになった。とりわけ、解放され帰国した被害者たちが、 自宅前で家族と並.び深々と頭をさげ謝罪する姿−テレビに 映し出されたその異常な光景は、私たちの国における「精 神の自由」・「思想・良心の自由」の現在を象徴的に暗示す. るものであった。 これについて4月23日付「ニューヨーク・タイムズ」は、 「イラクで人質から解放された日本人 帰国しいっそう苦 痛に」の見出しで「イラクで人質となった日本の若い民間. 人は、黄色いリボンの抱擁の暖かさではなく、非難に満ち た国の冷たい視線のもと、今週、故国に戻った」「犯罪者の ように扱われた彼らは、人目を避け、事実上、自分の家に 囚人のごとく隠れている」と報じていた。また、約10分間続. ことにあることはいうまでもない。. 2−1−4 「国鉄改革」と「精神の自由」をめぐる“光〝 と Ⅵ影〝. いたイラクでのナイフ事件のストレス・レベルを10ランク. 戦後史において「国の形」が変えられようとする時代の転. とすると日本に帰国してニュース番組をみた後のそれは12. 換期は、同時に「精神の自由」、「思想・良心の自由」が試 練にさらされる時期、厳しい受難の時代であった。重要な ことの第一は、筆舌につくせぬ苦難にも耐えて、人間の権. の監禁のあいだに体験したものよりもより重いものである」. 利と精神の自由を放御することなく「人として生きる」(27)こ. イラク民衆と苦難を分かち合い危険をかえりみず地道な人. とを柾げずに、闘い続けている人間集団がこの日本社会に 過去にも、そして現在も存在するという事実である。「人括 センター」、「清算事業団」という二つの「強制収容所」に 送られ、「二度目の首切り」という処分を受けて職場を追放 された1047人の労働者は、闘争団を組織し、アルバイトや 物品販売で生活を支えながら「解雇撤回・JR復帰」を求. 道支援をわが身に引き受けた彼らの志と献身は、「日本人の. め現在も闘い続けている。彼らは「『国鉄改革』の生き証人」. グにもよるが、それ以上に深刻なことは多数の国民がこれ. ランクであり、「彼らが現在耐えているストレスはイラクで という彼らを診察した精神科医の談話を紹介している。(31). 勇気ある人道精神を世界に知らしめた誇るべき」(32)行為で. あり、彼らは「黄色いリボンの抱擁の暖かさ」で「英雄」 として迎えられるべきであった。しかし、全く逆の事態と なったのは、政府による「自己責任論」の名によるいわれ なき誹誘・中傷とこれに同調したマスメディアのパッシン. (28)としての存在である。彼らの存在と闘いは、危機に瀕す る日本の民主主義、人間の尊厳、精神の自由を救い出し、. と一体となって彼らや家族の攻撃や非難に加わったという. 事実である。これについて、「人質のときより、帰国してか らの方がきつかった。世間の威圧感を感じていた」(33)と彼 らの一人が後に語っている。彼らは拘束時に死の恐怖に怯. 日本の社会に定着させる上でのフロント・ランナーとして. のかけがえのない役割を果たしている。. −76−.

(8) レッド・パージ研究の意義. えさせられたはずである。しかし、解放後に帰国した日本. 二段階に区分することができる。 第一段階の画期は、2003年10月23日付の東京都教育委員 会(以下、都教委)による「入学式、卒業式等における国 旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」と題する通達である。 この通達では、「▽国旗掲揚は式当日の始業から終業まで▽ 司会者は「国歌斉唱」と発声し、起立を促す▽国歌斉唱は ピアノ伴奏などで行う▽教職員の服装は厳粛、清新な雰囲. において彼らはそれ以上の恐怖に怯えねばならなかったと. いう。この事実をどのように考えたらよいのだろうか。彼 らと家族がパッシングの対象とされたのは、彼らがイラク 問題について政府とは異なる考え方と信念をもち、それに よって行動し発言したということによるものであった。こ の国には、思想の自由や言論の自由は、偏在しているのか もしれない。テレビのバラエティ番組での空疎で退屈な餞 舌、料理を食べての空騒ぎ、軽薄さを競い合い無意味なこ とに嫡声をあげふざけ笑い合う光景、ここでは自由は過剰 なほどに配給され、彼らが攻撃の対象となる心配はまった くない。他方で、真理や正義や人道にかかわる「かんじん. 気の式典にふさわしいものにする」などと卒業・入学式等 学校行事における実施について教職員のいかなる逸脱も許. さぬよう一挙一動を規定している。(36)それはまさに戦前の 天皇制教育推進のため「教育勅語・日の丸・君が代」によ る儀式を定式化した「小学校祝日大祭日儀式規定」(1891年. 明治24年)を思い起こさせるものであり、その現代版と もいえるものであった。. なこと」(サン・テグジェペリ)や国策に抗することを考え. たり実行する少数者は「権力による弾圧だけでなく、市民 社会からの攻撃と排除の脅威にもさらされて」(34)おり、時. 教職員は入学式等においてこの通達の規定に従い「起立・. 斉唱」等が義務づけられ、これに反すると処分の対象とさ れることが明示された。2004年3月の卒業式から、教員一 人ひとりに校長から職務命令書が渡され、当日は教育委員. には死の恐怖に劣らぬ恐怖をも覚悟しなければならないこ. とは、イラク人質事件の動向が如実に示しているとおりで ある。ここでは、思想の自由や言論の自由は過小なほどに しか与えられていない。与えられた自由の≠過剰〝 と ≠過 小〝 − これが、イラク人質事件という鏡に映し出された. 会から派遣された指導主事などの監視のもとに各学校の式. 典が開催され、通達の逸脱者に対しては容赦なく処分がく. この国の「精神の自由」・「思想・良心の自由」の大情況で. わえられるという 〈命令・監視と処分〉 という図式のもと. あった。そこでは「弱者に対する思いやり、危難の渦中に あるひとびとに対する同情や連帯、マイノリティや意見を. に学校現場における「日の丸・君が代」の強制が進行する。 2004年の卒業式と入学式では、通達にしたがわなかった. 異にするひとびとに対する寛容といった人間らしさを支え. として不起立や不斉唱などの教員248人の大量処分が行われ. ている想像力の働きがメディア社会によってなし崩しにさ. た。戦後教育史上、「日の丸・君が代」問題では最大の処分 であった。さらに2004年8月からは処分された教員を対象 に「服務事故再発防止研修」が、9月からは一人でも不起. れる」(35)日本社会における心の荒野ともいうべき風景が存. 在していた。. 立者等を出した学校を対象にその学校の教職員全体の研修. が開始された。一人ひとりが思想・良心に従い決断した行. 2−3 「日の丸・君が代」問題と「思想・良心の自由」. 1989年学習指導要領において、従来の「国旗を掲揚する. 為は「非違行為」として断罪され「不適切教員」(人事考課. とともに、国歌を斉唱するよう指導することが望ましい」. における最低ランクの「C・D評価」)の烙印をおされ「反. から「指導するものとする」と義務付けに転換する前後の. 代」強制に悩み広島県立世羅高校長が自死するという痛ま. 省」と「改善」が求められ、それに従わなければ再度の研 修とより重い処分が課せられた。それはJRにおける「日 勤教育」の学校版であり、「思想改造」を迫る強制措置であっ た。こうした 〈命令・監視・処分・再教育〉 という形での. しい事件が起こった。1999年8月「国旗国歌法」の制定は、. 執拗な権力行使が日常化するなかで現場での表立った抵抗. 学校現場における「日の丸・君が代」強制の動きを一段と. は次第に減少し、2005年の処分者は61人、2006年は41人と なっている。しかしそれは、教師たちの批判や抵抗がなく なったことや、ましてや都教委の方針を多くの教師が納得 したことを意味するものではないことは、後に示すとおり. 時期から、「日の丸・君が代」強制をめぐる紛争が北九州、. 広島県などで生じ、1999年2月には卒業式における「君が. 加速させる画期となった。その先頭に立ったのが東京都で あった。. 2−3−1 東京都における「日の丸・君が代」問題. である。. 2003年以降、東京都においては「日の丸・君が代」を〈踏. 次には児童・生徒の「起立・斉唱」とこのための教員の指. 問題は、命令と指示、強制と脅迫を基本原理とした都教 委の措置が、教師たちの尊厳や誇りを傷つけ、切り刻むこ とによって教育の活気を喪失させているということである。 なぜなら、教師の人間としての尊厳と専門家としての誇り を尊重すること、そして学校における自由と自主性の保障. 導が義務とされるという具合に次々と高く設定されていく. は教育における生命であり学校のエネルギーの源泉である. ことになる。そして、その度に「思想・良心の自由」との きしみや衝突の度合いを大きくする。その経緯は大きくは. からである。それについて、戦後教育改革の導きの典拠と された第一次対日アメリカ使節団報告書は、次のように格. み絵〉 とする命令・強制と処分・再教育の嵐が吹き荒れて. いる。踏み絵のハードルは、 施に始まり、次は教職員の「起立・斉唱」が、そしてその. −77−.

(9) 明神. 勲. 生徒への指導の徹底策が行きつく先を示す一つの事例は、 町田市教委の声量指導通知である。2004年12月、市教委は. 調高く謳っていた。それは戦後教育の初心であり」改革の. 新しい教育哲学とされた筈であった。. 卒業式等で君が代を校歌などと同じ声量で歌えるよう事前. 教師たると行政官たるとを問わず、教育者の職務につ. に指導を徹底することを求める通知を発した。この時点で は式当日の声量報告までは求めなかったというが、声量指 導の次には評価、報告をというのが市教委の望むところで あったろう。事実、広島県では2005年の卒業式・入学式に. いて、ここに教訓とすべきことがあるのである。教師の. 最善の能力は、自由の空気の中においてのみじゆうぶん に現わされる。この空気をつくり出すことが行政官の仕 事なのであって、その反対の空気をつくることではない。 子供のもつ測り知れない資源は、自由主義という日光の 下においてのみ豊かな実を結ぶものである。この自由主 義の光を与えることが教師の仕事なのであって、その反 対のものを与えることではない。(37). おいて「式場内に響き渡る歌声であった」「響き渡るとはい. えないが、歌声は十分聞こえた」「歌っているとはいえない 歌声であった」の三段階での声量報告を求めていたのであ. る。(38)笑うに笑えぬおぞましい喜劇であり、それ以上に深 刻な悲劇である。 「あまり聞いたことがない」(39)と文部科学省をして言わ. 東京都における「日の丸・君が代」強制の第二段階は、「起 立・斉唱」を児童・生徒に強制する段階である。2004年5 月25日、都教委は卒業式・入学式で不起立の生徒がいた学. 愛国心教育の徹底という目標と同時に「日の丸・君が代」. 級の担任に生徒への指導不足として厳重注意の指導をする. 体制を確立し「学校自治」を解体するというもう一つの狙. と発表、5月27日都議会では「学習指導要領には国旗・国 歌の内容も、かけ算の九九も入っているが、これらを指導 要領に基づいて指導するのが教員の責務」と答弁し、さら. いがあった点にも注目すべきである。たとえば、「都教委の. しめた都教委の常軌を逸した「日の丸・君が代」攻勢は、 を 〈踏み絵〉 にして学校現場に教育委員会による専制支配. 『教育改革』への最大の抵抗勢力である組合運動にたいし. て、『日の丸・君が代』によって≠踏み絵〝を踏ませ、組合 多数派を従順にするとともに、少数派の頑強な活動家層を あぶりだし、排除すること。これが今回の都教委のねらい の一つであった。」(40)「従来型の学校運営原理を壊し、現場. に6月8日の都議会では「今後、学習指導要領や通達に基 づいて児童・生徒を指導することを盛り込んだ職務命令を. 出し、厳正に対処すべきだと考える」と答弁した。そして 2004年9月7日、都教委は校長に対して「学習指導要領に. レベルでの強引なリーダーシップによって教職員全体を都. 基づき適正に生徒を指導すること」の一文を教師に対する. 教委の教育目標−それは新自由主義的な教育改革であるが. 職務命令に加筆するよう指示した職務命令を出すに至った。 さらに2006年3月には、都立高校の卒業式において生徒の. 起立に対する責任も「指導力不足」「職務命令違反」として. …−へと駆り立てること。そのための≠踏み絵〝として、『日 の丸・君が代』が利用されたのである。‥・『学校自治』を 壊すことが、今回の強制・処分の核心であったと考えられ る。」(41)という指摘がある。この指摘に符合するかのごとく、 2006年4月、都教委は「学校運営の適正化について」と題 する通知において、職員会議において議決により校長の意. 問われることになり「思想・良心の自由」の領域は一層狭. 思決定権を拘束する運営は認められないとして「『挙手』『採. められることになった。他方、児童・生徒は、一方的な「日 の丸・君が代」教育を教師によって実施され、「起立・斉唱」 を事実上強制されることになったが、それは、児童・生徒. 決』などの方法を用いて、職員の意向を確認するような運 営は不適切であり、行わない」と具体的に指示を出した。. の内心の自由に立ち入り「思想・良心の自由」を侵害する. する文化的営み」である教育においては「教育内容に対す. 2−3−2 教育基本法改変と「思想・良心の自由」 都教委は、2001年の基本方針策定にあたり「日本国憲法 及び教育基本法の精神に基づき、また児童の権利に関する 条約等の趣旨を尊重して」という文言を敢えて削除した。「日. る…国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが. の丸・君が代」攻勢の第二段階と職員会議の議決禁止通知. 要請されるし…子どもが自由かつ独立の人格として成長す. は、それに基づく教育の一つの終着点であり、教育基本法 改変後の先取りの光景をも示すものであった。もし政府案 をもとに教育基本法の改変がなされたとすると、東京都の 「異常」とも映る突出した教育状況は全国に拡大し、やが てそれが「正常」とされる恐れがある。また、どのような 表現に決着するにしろ「愛国心」教育の法制化は、「国家に 対して思想・良JL、の自由が設定する壁をのりこえるための トリックとして利用」(42)され、「愛国心教育」は学校行事を 超えて全教育活動に拡大し、学校のすべての時間と空間を. 大半が起立しなかったことを受けて再度高校長に「生徒へ. の指導を教職員に徹底するよう」命ずる通達をだした。こ の段階で教師は、自らの不起立だけでなく児童・生徒の不. 不法行為であった。これについて最高裁はかつて次のよう な判断を示していた。すなわち、「本来人間の内面価値に関. ることを妨害するような国家的介入、例えば誤った知識や 一方的観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施す. ことを強制するようなことは、憲法26条、13条の規定上か らも許されないと解することができる」(1967年5月21日. 最高裁学テ判決)と判じている。これに照らしても、子ど もへの「日の丸・君が代」の強制指導が「教育を受ける権 利」「思想・良心の自由」に反するものであることは明らか である。. ー78−.

(10) レッド・パージ研究の意義. 命令と監視が覆い尽くすという可能性がある。その先に、. れたミュンヘン大学の女子学生、ゾフィー・ショールがそ. ジョージ・オーウェルが『1984年』で描いた全体主義的社. の一員だったナチス抵抗組織「白バラ」と重なり合い清楚. 会が大きく口を開いていないと断言することはできない。 ここにおいては、「思想・良心の自由」は完全な機能マヒに 陥り、仮に憲法にそれが掲げられていたとしてもそれは画. に輝いて見える。. 心の自由」の危機に際して教師としての「良心ヲ取リテ」. 餅と化すだろう。. 柾げざる抵抗者たちであった。. かれらは内村鑑三のまっすぐの後継者であり、「思想・良. 周知のように、かつて内村鑑三は第一高等中学校におけ る教育勅語奉読式(1891年 明治24年)において「教育勅. 3 二十一世紀の課題としてのくディーセントな日本〉. 語」の「展署」への「奉拝」を躊躇し最敬礼しなかったた. へのく希求〉. め、「不敬」との攻撃を浴び辞職させられた(「内村鑑三不 敬事件」)。この時の状況を内村は「小生ハ小生ノ基督信徒 ノ良心二取テ安全ナル方ノ途ヲ取レリ、而シテ六十人ノ教 員…トー千人以上ノ生徒ノ威儀ヲ正シ居ル面前ニテ、小生. 大江健三郎はストックホルムにおけるノーベル賞受賞 記念講演において、「あいまいな日本人」に対置し、それに ディーセント. かわる日本人の未来像として「品の良い人間としての日本. ハ小生ノ立場ヲ取り、オ辞儀ヲ為サザリキ!ソレハ小生に. 人」という提起をしていた。(46)「ディーセント」という言. 取リテ伯ロシキ瞬間ナリキ」(43)と描いている。それから一 世紀以上経た現在、東京都や広島県、北九州市の教職員た. 葉は、大江が自ら述べているように、『1984年』の著者とし. ちは再び内村鑑三が体験した「伯ロシキ瞬間」に晒されて. もので、「品の良さとか、人間らしさとか、寛容であるとか、. て知られるイギリスの小説家ジョージ・オーウェルに拠る. いる。この状況下で、正面きって抵抗するものは少数派に 押しこまれ、表面的には大多数が教育委員会の指導に従う という現実がある。しかし、それはあくまでも心ならずの ことであって、多様でしなやかな抵抗を試みる教師たちが. そうした多くの意味をふくめて」使われた言葉であるとい プリティカメント う。(47)それは 〈窮境〉(48)の中にあって、日本の未来、きる. べき21世紀の社会への大江の 〈希求〉 として発せられた 大きなメッセージであった。大江は、あるオーウェル評伝. 存在することを以下の新聞記事からも確認することができ. 者の《未来を耐えやすいものにすることのできるただひと. る。. つの方法は、おそらく、過去の時代の人間を人間的にして ディーセンシー いた、思いやりと正義とを身につけて未来に向かってゆく 「今回は立たざるを得ない」。区部の普通科高校で国語. ことなのだ。》(49)という言を紹介し、そこに自分の未来社会 デイーセンシー. を教える男性教師(41)は、12日の卒業式を前にそう話 す。「処分をちらつかせて少数者を排除するのは許せない」 と考え、昨春の入学式で起立を拒み、戒告を受けた。だ が、今年は不起立を続ければ処分が重くなる。「我々がカー ドを使えるのは1回だけ。今後は校長に抗議するぐらい しかできない」10歳年下の同僚が思い詰めていたので、「立っ たほうがいい」と助言した。「後輩たちがカードを使う機 会は、もっと先にある」と考えている。《中略》別の高校 の男性教員(42)は、まだどうするか決めかねている。 昨春は悩んだ未、立たなかった。・‥生徒から「君が代を. 像を重ねていた。「品の良さ」と「正義」がそのキー・ワー. ドであった。オーウェルは『1984年』においてそのような 未来社会を希求しつつ自由を失った全体主義国家を痛烈に 皮肉り批判していた。一般に、「精神の自由なしに真のデモ クラシーは存立しえない点で、精神の自由を実質的に保障 しているか否かは、体制の民主制の度合いを測定する最良 の尺度となるというべきであろう」(50)という憲法学者の指 摘のとおり、「品のよさ」と「正義」が生きる社会は、精神 の自由が確立された真の自由社会でなければならないだろ う。まさに、「いちばん肝心なのは、個人の自立という問題、. 歌いたくない」と相談を受けると、「それぞれの判断でい. そこから出てくる思想の自由という問題」であり(51)、それ. い」と助言している。生徒のことを考えると、今年も式 場に入ったら立てないと思う。一方、昨年は起立したが、 今年は立たなかったという男性教員(59)もいる。…定年 まであと1年。担任として卒業生を送り出すのは今年が 最後だった。「間違いだと思うことには声をあげるよう教 えてきた。それを身をもって示したかった」とはなす。(44). がある社会の「「自由社会」度を測る物差しとして、いちば んきびしい物差し」(52)なのである。 大江が提起したディーセントな日本人とディーセントな 日本社会の可能性は、大部分の人間が日常的にかかわる仕 事・労働の場におけるデイーセンスイのありように深くか. かわっている。この点で、ILOのこれに関する最近の提言が 注目される。. また、起立しながら抵抗の意思を示した例として、「区部 の普通科高校では起立した教職員の中で4人が胸に白いバ. この報告書は、現在の世界的な過渡期におけるILOの主. ラをつけた。都教委は通達で『式にはふさわしい服装で』 と規定しているが、『花では処分できないだろう』と考えた。」 (45)ケースを紹介している。式場で教師たちの胸につけられ た白いバラは、ヒトラー批判のビラをまいて逮捕・処刑さ. 要な目標である、あらゆるところの女性および男性にディー. セント ワーク(decent work)を確保することを提案 しています。それは、あらゆる社会における、また、す べての発展段階における、人々、家族そして地域社会に. −79−.

(11) 明神 勲. よって共有され、最も広く行きわたったニーズです。ディー セント ワークは、今日、世界中の政治および実業界の 指導者たちに付き付けられている世界的な要求です。我々 が共有する探求の多くは,我々がこの挑戦にどのように. このような状況のなかで、個人の人生と社会における根 幹に位置している仕事・労働のありかたにおいて日本が「普. 通の国」になるという課題が21世紀目標として課されてい. る。「今日、世界中の政治および実業家の指導者たちに突き. 応えるかにかかっています。この報告書は、ILOのエネル. 付けられている世界的な要求」(第7回ILO総会(1999年). ギーを我々の時代のこの主要な問題に収束させることを. 事務局長報告書)に、日本はどのように応えようとしてい るのだろうか。高い目標とあまりに低い現実−この絶望的 ともいえる落差を、何で、どのように埋めることができる のか問われている。少なくとも、すべての働く場において. 目指しています。(53) 「DECENT WORK(ディーセント ワーク)∼働く価 値のある仕事の実現をめざして∼」と題する第7回ILO総会. 「思想・良心の自由」を中心とする「精神の自由」の保障. (1999年)事務局長報告書において、フ≠ァン・ソマビア ILO事務局長はこのように指摘し、ILOの21世紀目標が「ディー セント・ワークの実現」にあることを宣言した。「ディーセ ント・ワーク」とは、「権利が保護され、充分な収入を生み 出し、適切な社会保護が与えられる生産的仕事」(54)と定義 されていた。さらに2年後の第89回ILO総会(2001年)事務 局長報告では、「世界中の人々に共通の願い−自由と平等、 保障、人間としての尊厳を保てる生産的な仕事をしたいと いう人々の願望を、ディーセント・ワークは明瞭に反映し ている」として、「それは、仕事と将来の見通しであり、働 く労働条件であり、仕事と家庭生活の両立であり、子ども を学校に通わせることであり、児童労働からの解放である。 《中略》多くの者にとって、それは、貧困から抜け出る最 初の道筋であり、より多くの者にと っては、毎日の生活中 で自分の願望をかなえ、他者との連帯を実現することであ. と確立が不可欠の課題であることは明確である。. おわりに 憲法と戦後民主主義を支える最も重要な価値の一つであ る「精神の自由」・「思想・良心の自由」が大きな危機にあ. ることを明らかにしてきた。今や新生日本をめざした戦後 改革の初心が総否定され、戦後日本の基本レジームである 憲法と教育基本法の改変によって日本の「国の形」が大き. く変えられようとしている。大江健三郎の表現を借りるな らば、われわれは再び〈窮境〉 の時代を強いられている。 このような思想の自由の受難の時代のなかで、ディーセン ト・ワークとディーセントな日本社会を 〈希求〉 すること. る。そして、どこであろうと、すべての人に、人としての 尊厳を保障するのがディーセント・ワークである。」と再定 義している。(55)「ディーセント・ワーク」の核心は、充分. は極めて困難な課題である。しかしこのような 〈窮境〉 の なかにあっても、〈希求〉に向けての一歩を踏み出すために、 戦後史において「思想の自由」をめぐる最初の、そして最 大の受難史であったレッド・パージを参照対象とし、また それを補助線として研究することは不可欠の作業であると. な労働条件の保障とあわせて人間として大切にされ、誇り をもって働くことを通じて、人としての尊厳を保障し確立. 考えられる。 また、〈窮境〉が真っ暗な闇だけではなくそこに一条の光. するという意味での「人間らしい尊厳をともなう仕事・労. がある事実にこそ注目したい。たしかに、個人の尊厳、思. 働」という点にある。報告書は「仕事の意義」という項目 を特別に設定し、「我々は、すべての人にとって、仕事には. 想・良心の自由という価値原理を、「それをかかげてたたか. 人間の存在の根幹にかかわる意義があることに気づかされ. る。それは、生活を維持し、基本的ニーズを満たすための 手段である。また、個人が自分のアイデンティティーを自 分自身そして周りの人々に確認する活動でもある。個人の. す。」(57)というのは事実である。同時に、これまで見てきた ように、想像を絶するような苦境のなかにあっても人間と しての尊厳を失わず、思想・良心の自由を堅持して歩んで いる人々の存在は、われわれに 〈窮境〉 から 〈希求〉 への. 選択として、家族の幸福にとって、また、社会の安定のた. 希望を与えてくれる。たとえば、宮田光雄は、韓国の独裁. めにきわめて重大なのである。」(56)と説明している。. 政権下にスパイ容疑で投獄され非転向釈放となった徐俊植. う人びとがいたるところでたいへんな困難に直面していま. 仕事・労働にかかわる21世紀のグローバル・スタンダー. の「出獄メッセージ」を紹介しつつ次のように指摘してい. ドは「ディーセント・ワーク」であるが、この視点から日 本の仕事・労働の場を見たならば、その目標・理念との落 差は歴然としている。既に見たJRの光景は日本の企業に おいて突出したものではなく、程度の差こそあれ普遍的な 現象といわなければならない。むしろ、国鉄・JRの会社 への絶対的服従や異端者の差別と排除の手法は、一般企業 から導入したものであったからである。日本の大企業にお いては、憲法と「思想・良心の自由」は門外の存在とされ、 それは「憲法番外地」とも評されるようになっている。. る。. 転向拒否の理由とはひとりの人間の「人格それ自体」. なのだ。…それは(思想転向は)人間を何らかの主義か そうでないか、北か南かに暴力的に還元してしまう殺伐 かつ非人間的な‥・政治権力の質問枠なのだ。われわれは ‥・このように非人間的で硬直した質問枠を人間の尊厳の. 名において、より人間化されるべきわれわれの未来のた めに拒否しなければならない。. −80−.

(12) レッド・パージ研究の意義. 糾明」を求めるという共同作業の一端に、学問研究という. 方法をつうじて参加することが求められている。くわえて、. 転向拒否という彼の闘いが、まさに《人間のしるし》をめ ぐる闘いだったことを強く感じます。まさに、あらゆる理 由づけを越えて、自分が人間であることを未来の世代にた いして証明するために、転向しないという闘いをしたので す。人間である誇り、人間であるしるしを立てるというこ とが、こんな力強い抵抗の根拠になるということは、ほん とうに驚きでした。このように、人権のために苦しい闘い をつづける人びとは、普遍的な〈人間のしるし》を打ちた てる証人といってよいでしょう。人権の思想を生きるもの. 「思想・良心の自由」を 〈窮境〉 より救出しそれに新たな. 生命を吹きこむことをつうじて、「かんじんなこと」をみる ことのできる「心」を一人ひとりの内面に立ち上げるとい. う壮大な事業に列することも期待されているといえよう。. 〔注〕. (1)明神勲「レッド・パージ研究の現状と課題」『北海道. 教育大学紀要A』第57巻第1号,2006年.. の姿がここにあります。(58). (2)サマヴイル/久野収・市井三郎訳『試練の現代文明』. みすず書房,1958年,2頁. 占領下において転向を拒否しレッド・パージされた何万. (3)宮田光雄『いま人間であること』岩波書店(岩波ブッ. 人もの犠牲者たち、「人として生きる」ことを選択し「労使 共同宣言」という踏み絵を拒否してJR差別不採用となっ た1049人の国鉄労働者たち、自らの危険をかえりみずイラ クで人道支援に献身した3人の若者たち、そして「日の丸・. クレット恥.312),1993年,24−25頁. (4)浦部法穂「第19条 思想および良心の自由」(樋口陽. 一・他著『注釈 日本国憲法 上』青林書院新社,1984 年),386−387頁.. 君が代」問題で処分の脅しのなかでも良心を柾げず抵抗を. (5)坂本義和「国際存在としての戦後日本」(加藤周一・. 模索している東京都の教員たち−われわれはまだそのリ. R.P.ドーア監修『国際シンポジュウム 戦後の日本』 講談社,1978年),99頁.. ストを書き連ねることができるのだが−これらの人々は、 まさに 〈普遍的な《人間のしるし》を打ちたてる証人〉 で. (6)竹前栄治『アメリカ対日労働政策の研究』日本評論. あり、人間にたいする尊敬、信頼を植えつけ、呼び覚まし. 社,1970年,210頁. (7)その経緯については,明神勲「占領下日本の大学と レッド・パージ(その2)−W.C.イールズの新潟大. てくれるディーセントな未来への伝達者である。かれらを 孤立させず、その名誉を回復し、歴史における正当な復権 をはかることは、日本における「思想・良心の自由」を〈窮 境〉 から救出し普遍化するうえで重要な課題となっている。. 学演説の経緯−」『北海道教育大学紀要 第1部C』 第47巻第1号(1996年)を参照. (8)三宅正明『レッド・パージとは何か』大月書店,1994. たとえば、レッド・パージ犠牲者たちは、今なお名誉回. 復と国家賠償を求めて国会請願などの運動を続けている。. 年,12頁.. ポツダム宣言において「永久二除去セラレザルベカラズ」. (9)平田哲男『レッド・パージの史的究明』新日本出版. と宣告されたはずの軍国主義者・超国家主義者の追放はわ. ずか数年にした解除されたのに対し、不法・不当なレッド・. 社,2002年,22頁. (10)平田哲男,同前,12頁.. パージによる数万人の追放は未だに「解除」されていないこ. (11)国際的には,ソルジェニーツィン『収容所群島』に. 占領という時代が犯した歴史の「誤審」は正されなければ. 描かれ,ソ連共産党第20回大会のフルフチョフ秘密報. ならない。世界ではすでに、過去に犯した誤りを誤りとし. 告で告発されたスターリンによる政治的大粛清や毛沢. て清算する時代に入っている。たとえばカトリック教会に おいては、前教皇ヨハネ・パウロニ世は、1980年以降、カ. 東の「文化大革命」の名よる思想的政治的大弾圧事件. があり,国内では戦前の治安維持法体制下の大規模な 思想的政治的弾圧をどう評価するかという問題がある.. トリック教会が過去に犯した個々の過ちを認め謝罪を繰り. 返してきた。そしてキリスト生誕2000年の「大聖年」にあ たる2003年3月、過去千年問にカトリック教徒が犯したす べての罪−イスラム教徒に対する宗教戦争の「十字軍遠 征」、植民地先住民の抑圧、ガリレオ・ガリレイ裁判などの. (12)戸木田嘉久『労働運動の理論発展史一戦後日本の. 歴史的教訓−』(上)新日本出版社,2003年,146− 147頁. (13)鎌田慧‘『国鉄改革と人権−JRは安全か−』岩 波書店(岩波ブックレット恥.160),1990年,33頁. (14)亀井正夫国鉄再建監理委員会委員長の弁.内藤国夫 「国鉄落城前夜の修羅場」『文嚢春秋』1985年9月,112 頁.. 異端審問の宗教裁判、第二次大戦中のユダヤ人虐殺の容認 など−を認め全世界にむかって謝罪(メア・クルパ)す. るという形で自ら「誤審」を正し、「カトリック教会の全面 的な『良心の糾明』」(59)を求めた。前代未聞ともいえるカト リック教会の 〈メア・クルパ〉 は、文明の対話をめざした 人間の誠実の証としてなされたものであった。 レッド・パージ研究は、歴史の「誤審」を正し「良心の. (15)レッド・パージという用語は,占領下においGHQ の権力を背景に共産主義者・同調者とみなされた者を 不法・不当に企業・官公庁等から強行的に排除・追放. 一81−.

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