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バロックと歌舞伎

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Academic year: 2021

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バロックと歌舞伎

著者

藤井 康生

雑誌名

研究論集

79

ページ

131-148

発行年

2004-02

URL

http://doi.org/10.18956/00006307

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バ ロ ッ ク と歌 舞 伎

1.歌 舞 伎=バ ロ ッ ク 演 劇 論 の 展 開 1960年 代 に 世 界 的 に 巻 き起 こ った 文 化 革 新 の動 向は 文 学 ・演 劇 の実 践 面 のみ な らず 、 研 究 方 法 の領 域 に も大 き な影 響 を 及 ぼ した 。 そ れ まで は 作 者 ・作 品 を 中 心 に した 実 証 的 な個 別 研 究 が 主 流 を 占め て い た のに 対 し、 個 的 な作 家 ・時 代 ・国 を 越 え た テ ー マ研 究 に 比 重 が 移 り、 構 造 的 な系 統 研 究 が 注 目され だ した ので あ る。 歌 舞 伎 の よ うに 日本 国 内 の純 粋 培 養 研 究 しか あ りえ な い と思 わ れ て い た 分 野 に 対 して 、〈バ ロ ッ ク〉 とい う ヨー ロ ッパ の 美 学 的 尺 度 を 当 て は め る研 究 の可 能 性 が 示 され た と き、 そ れ は 新 鮮 な驚 きを も って 迎 え られ た 。 歌 舞 伎 は もは や 日本 一 国 に 限 定 され た 特 殊 な演 劇 で は な く、 グ ローバ ル な系 統 研 究 の なか に 組 み 込 まれ る こ とに な った ので あ る。 こ う した 歌 舞 伎=バ ロ ッ ク演 劇 論 を 早 くか ら唱 え 、 数 々 の業 績 を 残 して こ られ た のが 、 早 稲 田大 学 の河 竹 登 志 夫 名 誉 教 授 で あ った 。 そ のF矢 と な る研 究 論 文 は 昭 和36年(1961年)の 筑 摩 版 日本 古 典 文 学 全 集 『歌 舞 伎 名 作 集 』 鑑 賞 編 に 書 か れ た 「外 か ら観 た 歌 舞 伎 」 で あ るが 、 こ の 論 文 は タイ トル を 「歌 舞 伎 のバ ロ ッ ク的 性 格 」 と改 め て 昭 和42年(1967年)に 刊 行 され た 大 著 『比 較 演 劇 学 』 に 収 録 され て い る。 ヨ ー ロ ッパ に お い て バ ロ ッ ク ・ブ ー ムに 火 を つ け る こ とに な る ジ ャン ・ル ーセ のrフ ラン ス ・バ ロ ッ ク期 の文 学 』 の初 版 が1953年(邦 訳 は1970年)、 比 較 的 早 くか らバ ロ ック演 劇 研 究 に 関 心 を 示 した ドイ ツに お け るユ ニ ー ク な研 究 書 で あ るR.ア レ ヴ ィン/K.ゼ ル ツ レ著r大 世 界 劇 場 』 の 出版 が1959年(邦 訳 は1985年)で あ る こ とか ら し て 、 河 竹 論 文 が 発 表 され た1961年 か ら1967年 に か け て の60年 代 は 、 ヨ ー ロ ッパ で は50年 代 に 出 た バ ロ ッ ク本 に 刺 激 され た バ ロ ッ ク ・ブ ー ム の只 中 に あ った のだ が 、 日本 に お い て は バ ロ ッ ク 関 係 の翻 訳 本 が 未 だ 出て い ない こ と もあ って 、 バ ロ ッ クの概 念 は 一 般 に は 十 分 に 知 られ て い な か った 。 そ う した 時 期 に お け る河 竹 論 文 で あ るか ら、 そ の価 値 は 高 く評 価 され ね ば な ら ない 。 こ こに 、 そ の論 文 の一 部 を 引 用 して み よ う

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各 分 野 に 通 ず る バ ロ ッ ク の 特 色 は 、 一 口 に い え ば 、 古 典 主 義 の 端 正 さ 、 秩 序 性 、 構 成 的 性 格 に 対 して 、 自 由 奔 放 、 流 動 性 、 非 構 成 的 性 格 に あ っ た 。 プ ラ トン 的 に 対 す る デ ィ オ ニ ュン ス 的 性 格 と い う こ と も で き よ う。 演 劇 に つ い て 具 体 的 に い え ば 、 イ タ リ ア の コ メ デ ィ ア ・デ ラ ル テ 、 ロ ー ペ ・デ ・ヴ ェ ガ や カ ル デ ロン の ス ペ イン 劇 、 マ ー ロ ウ 、 シ ェ ー ク ス ピ ア の イ ギ リ ス 演 劇 、 そ れ に イ タ リ ア や ドイ ツ 、 オ ー ス ト リ ア に お け る オ ペ ラ の 創 生 な ど ま で 、 ひ ろ く バ ロ ッ ク演 劇 に 含 ま れ る の で あ る 。 そ う して 複 雑 な 西 洋 演 劇 史 の 種 々 相 も ご く大 き く分 け て 、 古 典 主 義 の 流 れ と 、 非 古 典 主 義 、 す な わ ち い わ ば バ ロ ッ ク的 流 れ と に ふ り分 け る こ と が で き る で あ ろ う。 古 典 主 義 の 系 譜 は 、 ギ リ シ ャ 悲 劇 に は じ ま り、 ロ ー マ 古 典 劇 を 経 て 、 中 世 を く ぐ りぬ け 、 17世 紀 の フ ラン ス 古 典 劇 に 復 活 結 晶 し、 や が て イ プ セン の 近 代 古 典 で 新 しい 展 開 を 見 せ る そ の 流 れ 。 バ ロ ッ ク的 演 劇 の 系 譜 は 、 ギ リシ ャ の ミモ スか ら ロー マ の ミム ス、 パン トミム スを 経 て コ メ デ ィ ア ・デ ラ ル テ 、 そ の 他 の い わ ゆ る バ ロ ッ ク演 劇 を 生 み 、 ゲ ー テ 、 シ ラ ー 、 ワ グ ナ ー な ど に 片 鱗 を 示 し、 表 現 主 義 ・構 成 主 義 あ る い は ブ レ ヒ ト、 アン チ ・テ ア トル な ど に も 流 れ こ ん で い る も の 。 古 典 主 義 が も っ と も 極 端 化 さ れ た の は17世 紀 フ ラン ス 演 劇 だ っ た が 、 演 劇 の 世 界 に あ っ て そ の 端 正 ・秩 序 ・構 成 的 な る 特 色 は 、 何 よ り も 戯 曲 の 合 理 性 、 貴 族 性 、 単 一 性 に あ ら わ れ た 。 で き る だ け 品 よ くル イ 王 朝 の 貴 族 社 会 に 適 し、 か つ 理 性 に 訴 え る べ く心 理 的 内 在 的 な 劇 の 展 開 が 求 め ら れ 、 しか も 合 理 的 尺 度 に 照 ら して 矛 盾 を 感 ぜ しめ な い よ う な 単 一 性 筋 と 時 と 所 に 関 す る い わ ゆ る 三 単 一(三 一 致 ま た は 三 統 一 と も い う)の 法 則 が 規 則 と さ れ た の で あ る 。 そ の よ う な 古 典 主 義 的 規 準 か ら は 、 同 時 代 の ス ペ イン 劇 や 、 シ ェ ー ク ス ピ ア 劇 は 無 秩 序 き わ ま る 野 卑 低 俗 の 芝 居 と して 非 難 さ れ た 。 元 来 フ ラン ス 古 典 主 義 は 、 こ う した バ ロ ッ ク演 劇 に た い す る アン チ ・テ ア トル と して 、 秩 序 と 合 理 性 を 重 ん ず る フ ラン ス 王 朝 の 指 導 理 念 を 反 映 して 、 確 立 さ れ た も の だ っ た の で あ る 。 しか しバ ロ ッ ク演 劇 は 本 来 、 そ の 即 興 性 、 流 動 的 性 格 、 自 由 奔 放 な ど を 特 色 と し、 内 在 的 構 成 的 詩 的 で あ る よ りは 外 在 的 非 構 成 的 絵 画 的 で あ る 。 そ の も っ と も 端 的 な 現 れ は 、 三 単 一 な ど を 無 視 した 自 由 な 作 劇 法 で あ ろ う。 ・・・… そ れ は 心 理 的 に 、 論 理 的 に ド ラ マ を 展 開 す る の で な く、直 接 感 覚 に 訴 え か け て い く も の で あ っ た 。そ れ は 従 っ て バ ロ ッ ク戯 曲(drama) と い う よ り も 、 ま さ し く劇 場 に お け る バ ロ ッ ク 演 劇(theatre)と し て と ら え ら る べ き"劇 場 芸 術"だ と 言 っ て い い で あ ろ う。 表 現 主 義 以 後 しば しば 演 劇 の 再 演 劇 化 な ど と い う こ と が 叫 ば れ 、 併 行 し て 演 劇 性(theatricality)の 回 復 と い う よ う な こ と が 唱 え ら れ る が 、 そ れ は い わ ば バ ロ ッ ク的 精 神 の 回 復 だ と い っ て も い い1)。

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こ の文 章 は 河 竹 学 の 根 幹 を な す も の で あ っ て、 多 少 の文 言 の 修 正 を 加 え て 同 一 趣 旨 の もの が r続 比 較 演 劇 学 』(南 窓社 、 昭 和49年 、151-153頁)に も収 録 され て い る。 このバ ロ ック精 神 の発 揚 を 説 く論 文 は 、60年 代 に お け る演 劇 の革 新 運 動 に 対 応 して い た こ とか ら も、 意 味 のあ る も ので あ った 。 そ の頃 の フ ラン ス の新 しい 演 劇 運 動 が 〈バ ロ ッ ク〉 を キ イ ワー ドに して 展 開 し、 〈バ ロ ッ ク〉 とい う言 葉 こそ 使 わ れ なか った が 、 日本 もそ れ に 連 動 して い た こ とは 、 他 で 論 じ た こ とが あ る ので 省 略 す る2)。 日本 に お い て 〈バ ロ ッ ク〉 とい う言 葉 は 実 践 面 で は 定 着 しなか った が 、 研 究 面 で は 叙 々に 影 響 が 見 られ 、 一 般 に 開 か れ た も の と して は 、 学 燈 社 の研 究 雑 誌r国 文 学 』 の昭 和50年6月 の臨 時 増 刊 号 を あ げ る こ とが で き る。 こ の雑 誌 は 「歌 舞 伎 ・バ ロキ ス ム の光 と影 」 とい う特 集 を 組 み 、 歌 舞 伎 のバ ロ ッ ク性 を 明 るみ に した のだ が 、 内容 的 に は バ ロキ ス ムに 触 れ た 論 文 が 一 つ も な く、 ヨ ー ロ ッパ の概 念 の咀 噛 の不 十 分 さを 暴 露 す る こ とに な った 。 以 後 、 わ が 国 で は バ ロ ッ クの問 題 が と き ど き浮 上 は した が 、 ヨ ー ロ ッパ の よ うに ブ ー ムを 招 くに は 至 ら なか った 。 そ れ かぶ は 何 故 な の か 。 そ の 理 由 の一 つ と して 考 え られ る の は 、後 に 見 る よ うに 、 「傾 く」 か ら転 用 さ れ た 「か ぶ き」 とい う用 語 に は 、 す で に 「バ ロ ッ ク」 の原 義 が 含 まれ て い た か らで は ない だ ろ うか 。 とは い え 、 ヨ ー ロ ッパ に お い て も 〈バ ロ ッ ク演 劇 〉 とい う言 葉 が 認 知 され た のは20世 紀 の半 ば 以 降 の こ とで あ って 、 こ の言 葉 が 定 着 す るに は 激 しい 論 争 が あ った こ とを 知 る必 要 が あ る。 1950年 代 か ら60年 代 に か け て フ ラン スを 中 心 に バ ロ ッ ク ・ブ ー ムが 起 こ り、 バ ロ ッ ク演 劇 とい う言 葉 もそ の過 程 に お い て 浸 透 して い った のだ が 、 こ の ブ ー ムが フ ラン スを 中 心 に 起 こ った こ と の意 味 が 日本 で は 十 分 に 理 解 され て い なか った 。 そ れ は バ ロ ッ クの対 立概 念 で あ る古 典 主 義 を 偏 重 して きた フ ラン スに 対 す る固 定 観 念 が 根 強 くあ った か らで あ ろ う。 例 え ば 、 バ ロ ッ クの 概 念 、 あ るい は バ ロ ッ ク演 劇 の普 及 に 孤 軍 奮 闘 され て きた 河 竹 登 志 夫 氏 に して も、 先 ほ ど引 用 した 文 章 に 見 られ る よ うに 、 フ ラン スは 古 典 主 義 一 辺 倒 の国 で あ って 、 バ ロ ッ ク的 な演 劇 は 存 在 しない か の よ うに 述 べ られ て い る。 これ は 河 竹 氏 だ け で な く、 多 くの古 い 文 学 史 や 演 劇 史 に も見 られ る のだ が 、 こ う した 傾 向 に対 す る反 動 が50年 代 か ら60年 代 に か け て 起 こ っ た バ ロ ッ ク ・ブ ー ムで あ った こ とを 忘 れ て は な ら ない 。 従 って 、 長 い あ い だ ヨ ー ロ ッパ(と くに フ ラン ス)の 正 統 演 劇 と して 君 臨 して きた 古 典 主 義 演 劇 に 対 抗 す るバ ロ ッ ク演 劇 の再 評 価 が なぜ20世 紀 の半 ば に 起 こ った のか 、 そ の ブ ー ム の文 明史 的 な意 味 を 問 い 直 す 必 要 が あ る ので あ る。 こ の 点 に つ い て は 後 に 再 び 触 れ る こ とに して 、 こ こで は バ ロ ッ クと歌 舞 伎 の関 係 に つ い て 見 て い く こ とに しよ う。 先 ほ ど引 用 した 河 竹 氏 の文 章 で は 歌 舞 伎 に つ い て 触 れ られ て い ない が 、 そ れ は 歌 舞 伎 を バ ロ ッ クの系 譜 に 入 れ る こ とを 前 提 に して 論 じられ て い るか らで あ る。 同氏 は 昭 和46年10月 に 発 行 され た 松 竹 の季 刊 雑 誌 『歌 舞 伎 』 の なか で 、 す で に 引 用 した ヨ ー ロ ッパ に お け る二 つ の演 劇 の

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系 譜 を 述 べ た 後 、 次 の よ うに 書 い て い る 古 典 主 義 は フ ラン ス の ポ ワ ローに よ って 理 論 的 に 体 系 化 され た が 、 そ の主 な条 件 は 、 劇 的 展 開 は 理 性 に も とづ き合 理 的 な る こ と、 万 事 自然 で 本 当 ら しい こ と、 上 流 社 会 向 きに 美 的 で あ る こ と、 堅 実 健 全 で 社 会 的 に 有 用 な るべ き こ と、 題 材 は 古 代 の古 典 に の っ と るべ き こ と、 の五 か 条 に 要 約 す る こ とが で き よ う。 具 体 的 に は 、 た とえ ば 第 一 、 第 二 条 に つ い て は 、 時 と 場 所 と筋 の単 一 性 を 旨 とす る、いわ ゆ る三 単 一(三 一 致)の 法 則 とな って あ らわ れ る の で あ る。 バ ロ ッ ク的 演 劇 は こ と ご と くこれ ら の対 極 に あ る とお もえ ば い い 。 す なわ ち、感覚的官能 的 、 フ ィ クシ ョンだ らけ で 時 も場 所 もで た らめ に か わ り、 主 人 公 も雑 多 で 筋 も変 化 に 富 む 、 上 品 な美 で は な く卑 俗 で ケバ ケバ し く、 しば しば 血 の惨 劇 や エ ロチ シ ズ ムを 好 む 、 した が っ て 反 道 徳 的 反 秩 序 的 で 体 制 側 か らは 害 悪 視 され が ちで あ る、 題 材 は 現 代 社 会 庶 民 感 覚 か ら手 あ た り しだ い に ひ ろい あ げ る … 。 これ が バ ロ ッ クな のだ 。 なん と 「か ぶ き」 に 似 て い る こ とで あ ろ う。 む しろ 「か ぶ き」 こ そ バ ロ ッ ク演 劇 の典 型 で は ない か と さえ 、 お もわ れ て くる。 が 、 さ らに 重 要 な一 、 二 の点 を 、 昨 昭 和45年 に 訳 出刊 行 され た ジ ャン ・ル ー セ著rフ ラン ス ・バ ロ ッ ク期 の文 学 』(筑 摩 書 房) を 参 照 す る こ とに よ って 、 つ け 加 え ね ば な ら ない 。 原 書 は1953年 刊 だ そ うだ が 、 著 者 自 ら もい うよ うに フ ラン スは 元 来17世 紀 い らい 古 典 主 義 信 奉 観 念 が つ よ く、 バ ロ ッ クを 独 自 の様 式 と して 同一 平 面 上 に 評 価 す る こ とを 好 ま なか った 国 で あ る。 バ ロ ッ クを 最 初 に み とめ た ドイ ツ と本 性 的 に 相 容 れ ない ので もあ るが 、 そ れ は と もか く、 フ ラン スや イ ギ リスで も近 年 よ うや くバ ロ ッ クとい う一 時 期 の独 立 した 評 価 の必 要 を 痛 感 した も の ら しい 。 さて 、 本 書 は フ ラン ス文 学 を 対 象 と して は い るが 理 念 的 に は 十 分 一 般 性 を もつ とお も うの で 、 必 要 な と こ ろだ け み る と、 第 八 章 に お い て ル ー セは 、 「バ ロ ッ ク的 作 品 を検 証 す る規 準 」 と して つ ぎ の四 条 を あ げ て い る。(一)不 安 定 、(二)動 性 、(三)変 身 、(四)装 飾 の優 位 。… これ ら と対 比 して み る とき、 「か ぶ き」 が そ の 原 初 状 態 に お け る特 殊 な要 素 の か ぶ き性 に と ど ま らず 、 む しろ人 類 の演 劇 的 発 想 のひ とつ バ ロ ッ ク的 演 劇 傾 向 の 日本 的 発 現 で あ る と い う こ とが 、 理 解 され る で あ ろ う。 「か ぶ き」 の本 質 も こ うみ る こ とに よ り、 い っそ うひ ろい 場 に お い て 、 つ ま り大 げ さに い え ば 汎 人 類 的 汎 演 劇 的 な座 標 軸 の なか で 、 と らえ 得 る の で は ない だ ろ うか3)。 こ の文 章 も部 分 的 に 修 正 して前 記 『続 比較 演 劇 学 』(193-194頁)に 収 録 され 、 さ らに 最 近 の 論 集r河 竹 登 志 夫 歌 舞 伎 論 集 』(演 劇 出版 社 、平 成ll年)に も転 載 され て い る のだ が(18-19 頁)、 後 者 に お い て は バ ロ ッ ク絵 画 の常 套 句 で あ る 「静 的(ス タ テ ィ ッ ク)で な く動 的(ダ イ

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ナ ミッ ク)」 とい う文 言 が 追 加 され て い る。 こ こに 見 られ る よ うに 、 河 竹 氏 は演 劇 の系 譜 を 古 典 主 義 系 とバ ロ ッ ク系 に 分 類 し、 「人 類 の演 劇 に お け るバ ロ ック的発 想 の系 脈 の 中 に歌 舞 伎 を 位 置 づ け る」(『続 比 較 演 劇 学 』、198頁)と こ ろに 論 述 の ポイ ソ トが あ った ので あ る。 さ らに 同 氏 は 、 昭 和52年 に 「大 南 北 の世 界 」 とい う論 文 の なか で 、 前 記 と 同様 のバ ロ ッ ク論 を 展 開 しな が ら、 次 の よ うに 述 べ て い る 元 来 人 間 とい うも の 自体 、 完 全 な 円 また は 球 で は な く、 古 典 主 義 的 傾 向 とバ ロ ッ ク的 傾 向 とを 二 焦 点 とす る楕 円 の よ うな 、 「双 極 的 」 存在 だ と思 う。 世 界 の 演 劇 を 二 分 す る古 典 主 義 とバ ロ ッ クの流 れ も、 結 局 は こ の人 間 自体 の双 極 性 の反 映 だ と私 は 考 え て い る。 が 、 そ れ は そ れ と して 、 とに か く南 北 は バ ロ ッ ク劇 の典 型 と して 、 人 類 の創 造 した 演 劇 全 体 の中 に 位 置 づ け られ る も ので あ り、 しか も人 間 洞 察 の深 さ、 人 間 描 写 の鮮 烈 さ、 作 劇 技 巧 の精 妙 さに お い て 、 誇 張 で な く、 世 界 最 大 のバ ロ ッ ク作 家 の一 人 とい え るで あ ろ う4)。 こ のあ た りか ら鶴 屋 南 北 が 日本 の代 表 的 なバ ロ ッ ク作 家 と言 わ れ る よ うに な る のだ が 、 一 方 で 主 張 され て い る演 劇 の系 譜 を 二 つ に 分 類 す る方 法 そ れ 自体 は 旧来 か らあ る も ので 、 そ れ ほ ど新 しい も の で は な い 。 例 え ば 、 古 くは 「悲 劇 」 と 「喜 劇 」、 時 代 が 下 って 「言 葉 の演 劇 」 と 「目 と耳 の 演 劇 」、 あ る い は 「不 規 則 演 劇 」 と 「規 則 演 劇 」、 さ らに は 「ス トレー ト ・プ レイ 」 と 「メ ロ ドラ マ」 な ど、 演 劇 の二 分 法 は さ ま ざ まあ るが 、 こ の なか で ラ シ ー ヌに 代 表 され る言 葉 のみ で 成 立 す る 「言 葉 の演 劇 」 と オペ ラに 代 表 され る スペ クタ クル 性 に 富 む 「目と耳 の演 劇 」 とい う分 類 は 、 す で に17世 紀 か ら存 在 し、 前 者 は 理 性 に 訴 え 、 後 者 は 感 性 に 訴 え る と こ ろか ら、 古 典 主 義 に 与 す る理 性 尊 重 派 の知 識 人 は 、 感 覚 的 な演 劇 で あ る 「目と耳 の演 劇 」 を 蔑 ん で きた 歴 史 が あ る5)。 この 「目 と耳 の 演 劇 」 が 今 日で は バ ロ ック演 劇 と言 わ れ て い る の だ が 、 バ ロ ッ ク とい う言 葉 を 使 うか ど うか は さて お き、 「言 葉 の演 劇 」 と 「目 と耳 の 演 劇 」 に対 す る評 価 の 逆 転 現 象 が20世 紀 の半 ば に 起 こ った と こ ろに 問 題 が あ った ので あ る。 2.フ ラ ン ス に お け る バ ロ ッ ク 演 劇 の 再 発 見 フ ラ ソ ス に お い て バ ロ ッ ク と い う言 葉 を 演 劇 に 転 用 す る こ と を 最 初 に 提 案 した の は 、 レイ モ ソ ・ル ベ ー グ と い うル ネ サ ソ ス 演 劇 の 研 究 者 で あ っ た 。 彼 の 「フ ラ ソ ス の バ ロ ッ ク演 劇 」 と 題 す る 論 文 は1942年 に 発 表 さ れ て い る の だ が 、 こ の 論 文 が 注 目 さ れ だ した の は 、 戦 後 に な っ て か ら で あ る 。 そ の 一 部 を 紹 介 して み よ う [1580年 か ら1660年 の 間 に は]古 典 主 義 と い う レ ッ テ ル に 全 くそ ぐわ な い 作 品 が た く さ ん

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あ る。 今 で は そ れ らは 古 典 主 義 的 作 品 ほ ど有 名 で は ない が 、 そ の作 者 た ちを 〈異 分 子 〉、 〈時 代 遅 れ 〉、 〈は ぐれ 者 〉 と呼 ぶ のは 全 く不 正 確 で あ る し、 不 当 で あ る。 私 は 、 何 故 そ れ らに バ ロ ッ ク小 説 、 バ ロ ック詩 、 バ ロ ック演 劇 とい う名称 を与 え ない のか、 不思議 に思 ってい る。・・・… バ ロ ッ ク精 神 に対 す る フ ラン ス 人 の無 関心 に 対 して戦 わ ね ば な らな い。 そ れ は 残 念 な こ とで あ る。 何 故 な らば 、 彼 らは 、 外 国 に お い て バ ロ ッ ク文 学 に つ い て な され た 業 績 を 知 らず 、 フ ラン ス の 〈前 期 古 典 主 義 文 学 〉 に 含 まれ て い る数 多 くのバ ロ ッ ク的 要 素 を 研 究 しよ うと しない か らで あ る。 私 は 、 そ の要 素 を17世 紀 の フ ラン ス の演 劇 の中 に 探 って み よ う と思 う。・・・… 文 学 に お け る 〈自由 〉 へ の 趣 味 は バ ロ ッ クで あ る 規 則 、 節 度 、 作 法(ビ アン セ アン ス)、 ジ ャン ル峻 別 とい った もの に対 す る軽 蔑 。 〈不 合 理 な も の〉 は バ ロ ッ クで あ る 論 理 と理 性 が 欠 け て い る知 的 遊 戯 、 自然 の魅 力 へ の趣 味 、 神 秘 的 な も の と超 自 然 的 な も のに 対 す る趣 味 、 そ して 感 情 と情 念 の激 発 。 こ う した さ ま ざ ま な特 徴 の間 に は つ な が りが あ り、 そ れ らは16世 紀 の終 わ り頃 か ら フ ラン ス の演 劇 に お い て 発 展 し、1635-1640年 以 後 消 滅 した 。 こ の半 世 紀 は 、 わ れ わ れ の演 劇 史 で は 全 く不 遇 の時 代 で あ る。 こ の時 代 の作 品 の大 部 分 は17世 紀 以 後 再 版 され た こ とが ない 。 古 典 主 義 的 な悲 劇 と喜 劇 の傑 作 が そ れ らを 忘 れ させ て しま った ので あ る6)。 20世 紀 の 半 ば ま で に 書 か れ た 少 し古 い 文 学 史 に お い て 「異 分 子 」、 「時 代 遅 れ 」、 「は ぐれ 者 」、 あ る い は 「不 規 則 派 」 と して 軽 蔑 さ れ て い た 作 家 た ち の 時 代 は 、 宗 教 戦 争 に よ る 混 乱 期 か ら 戦 争 終 結 後 の 不 安 定 な 時 期 に あ た り、 こ の 時 代 の 文 学 ・演 劇 を バ ロ ッ ク と い う用 語 を 用 い て 再 評 価 し よ う と し たR.ル ベ ー グ の 論 文 が 第 二 次 世 界 大 戦 の 最 中 に 書 か れ て い る こ と か ら し て 、 そ れ は 危 機 的 状 況 に あ っ た16世 紀 の 後 半 か ら17世 紀 前 半 に か け て の バ ロ ッ ク時 代 と20世 紀 の 半 ば と が 共 鳴 し合 っ て い た こ と が 分 か る 。 こ のR.ル ベ ー グ の 趣 旨 を 引 き 継 ぐ形 で 、1950年 代 に バ ロ ッ ク に 関 す る 二 冊 の 画 期 的 な 書 物 が フ ラン ス で 出 版 さ れ た 。 そ れ は ジ ャン ・ル ー セ のrフ ラン ス ・バ ロ ッ ク期 の 文 学 』(1953年) と ヴ ィ ク トー ル ・L・ タ ピ エ のrバ ロ ッ ク と 古 典 主 義 』(1957年)で あ る 。 ル ー セ の 方 は 翻 訳 が 出 て い る が(筑 摩 書 房 、1970年)、 タ ピ エ の 方 は ク セ ジ ュ文 庫 の 簡 略 版 の 翻 訳(白 水 社 、 1962年)し か 出 て い な い 。40年 代 の ル ベ ー グ か ら 始 ま っ て50年 代 の ル ー セ 、 タ ピエ を 経 て60年 代 に 入 る と 、 フ ラン ス に お い て 次 々 と バ ロ ッ ク関 係 の 本 が 出 版 さ れ 、 バ ロ ッ ク ・ブ ー ム を 引 き 起 こ す 。 そ の 書 物 の な か に は バ ロ ッ ク的 な も の を 封 じ込 め て き た フ ラン ス の 国 家 政 策 の 実 態 と 弊 害 を 暴 い た ミ シ ェル ・フ ー コ ー のr狂 気 の 歴 史 』 も 入 れ る こ と が で き る だ ろ う。 こ の60年 代 の バ ロ ッ ク ・ブ ー ム は 、 コ ル ネ イ ユ の 『イ リ ュ ー ジ ョン ・コ ミ ッ ク』(邦 訳 は 『舞 台 は 夢 』 と して 定 着)と か ロ トル ー の 『聖 ジ ュ ネ 正 伝 』 と い っ た フ ラン ス ・バ ロ ッ ク演 劇 の 代 表 作 を 再 発 見 して 上 演 し、 フ ラン ス は 古 典 主 義 だ け の 国 で は な い こ と を 世 界 に ア ピ ー ル す る こ と に な っ た 。

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そ れ まで 古 典 主 義 時 代 と言 わ れ て い た17世 紀 後 半 のル イ 十 四 世 の時 代 も、 ル イ 十 四 世 が 催 し た 祝 祭 の スペ クタ クル が バ ロ ッ クの観 点 か ら見 直 され 、 古 典 主 義 様 式 の典 型 と言 わ れ て い た ヴ ェル サ イ ユ宮 殿 もそ の常 軌 を 逸 した バ ロ ッ ク的 構 想 に 基 づ く建 築 と の見 方 が 容 認 され る よ うに な り、 もは や ル イ 十 四 世 の時 代 を 古 典 主 義 の概 念 を も って 捉 え る こ とは 不 可 能 に な った 。 演 劇 に 関 して も、 古 典 主 義 演 劇 の代 表 と見 られ て い た ラ シ ー ヌ の戯 曲に も超 自然 的 なバ ロ ッ ク的 要 素 が 認 め られ る と こ ろか ら、 古 典 主 義 作 家 とい う見 方 は 崩 れ 始 め た 。 従 って 、 バ ロ ッ ク演 劇 の 系 譜 か ら フ ラン スを 排 除 して きた 従 来 の考 え 方 は 修 正 され ね ば な ら な くな った ので あ る。 3.バ ロ ッ ク 演 劇 の マ ニ フ ェ ス ト 以 上 に 述 べ た こ と を 裏 付 け る 根 拠 と して 、 フ ラン ス の バ ロ ッ ク演 劇 の マ ニ フ ェ ス トと も い う べ き 演 劇 理 論 書 を あ げ る こ と が で き る 。 そ れ は1628年 に 出 版 さ れ た シ ェ ラン ドル のrテ ィ ロ ス 国 と シ ドン 国 』 第 二 版 に 付 さ れ た フ ランン ワ ・オ ジ エ の 序 文 で あ る 。 そ の 一 部 を 引 用 して み よ う 詩 、 と くに 演 劇 のた め に 書 か れ た 詩 は 、 快 楽 と気 晴 ら しのた め に 作 られ て い る。 こ の快 楽 は 、 上 演 され る 出来 事 の多 様 性 か ら生 ず る。 そ う した 出来 事 は 一 日で は なか なか 解 決 を 見 な い ので 、 詩 人 た ちは あ ま りに も狭 い 制 限 の なか に 閉 じこ も って い た 先 駆 者 た ち の方 法 を 少 し ず つ 離 れ ざ るを え な くな った 。・・・… 従 って 、 古 代 人 で さえ 、 自分 た ち の演 劇 の欠 点 を 知 り、 出来 事 の変 化 が 乏 しい と観 客 の気 を 滅 入 らせ る こ とが 分 か った ので 、 幕 間 劇 の形 で サ チ ュ ロス劇 を 導 入 せ ざ るを え な くな った ので あ る。 彼 らが 用 い た そ うい う演 劇 の構 造 と配 置 か ら して 、 わ れ わ れ は イ タ リア人 に よ って もた ら され た 悲 喜 劇 の創 案 を 弁 護 す る のに 少 しも 苦 労 は ない 。 そ れ は 一 連 の話 の なか に 深 刻 な事 柄 とふ ざけ た 事 柄 を 混 ぜ 合 わ せ 、 そ れ らを 同 じ主 題 の寓 話 や 物 語 の なか に 盛 り込 む 方 が 、 何 ら統 一 的 な関 連 性 を もた ず 、 観 客 の 目と記 憶 を 混 乱 させ る こ とに な るサ チ ュ ロス劇 とい う付 け 足 しと悲 劇 を 結 び 付 け る よ りは 、 道 理 に か な って い るか らで あ る。 従 って 、 ま じめ で 、 重 大 で 、 悲 劇 的 な事 件 のす ぐ後 で 、 卑 俗 で 、 く だ ら ない 、 喜 劇 的 事 件 に 関 わ りを もつ 同一 人 物 を 同 じ戯 曲 の なか に 登 場 させ る のは 当 を 得 な い と言 うのは 、 人 間 の生 活 状 態 を 知 ら ない とい うも ので あ る。 人 間 の生 活 の一 日一 日、 一 刻 一 刻 は、 彼 らが 幸 運 、 不 運 に もて あ そ ば れ る のに 応 じて 、 しば しば 笑 い と涙 、 満 足 と苦 悩 で 寸 断 され て い る ので あ る。 神 々 のあ る も のは 、 か つ て 喜 び と悲 しみ を 混 ぜ 合 わ せ て 一 つ の作 品 を 作 ろ うと して 果 た さ なか った が 、 そ れ ら の尾 と尾 を 結 び 付 け て お い た ので あ る。 そ れ ゆ え 、 そ れ らは い つ も互 い に 非 常 に 近 い と こ ろに 隣 り合 って い る ので あ る。 そ して 、 自然 も、 そ れ らが 互 い に ほ とん ど異 な って い ない こ とを 証 明 して い る。 とい うのは 、 画 家 の観 察 に よ

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る と、 顔 に 笑 い を 作 る筋 肉 と神 経 の働 きは 、 わ れ わ れ に 涙 を 流 させ 、 極 度 の苦 しみ を 味 わ う よ うな悲 しい 境 遇 に わ れ わ れ を 陥 らせ る も の と 同 じだ か らで あ る7)。 こ こ で は 当 然 の こ と な が ら バ ロ ッ ク と い う言 葉 は 使 わ れ て お ら ず 、 悲 喜 劇 と い う ジ ャン ル を 擁 護 して い る に 過 ぎ な い の だ が 、 こ の 悲 喜 劇 こ そ 典 型 的 な バ ロ ッ ク演 劇 な の で あ る 。 な ぜ な ら 、 そ の 内 容 が 明 ら か に 後 に ポ ワ ロ ー の 『詩 学 』 に ま と め ら れ る 古 典 主 義 美 学 と こ と ご と く対 立 し て い る か ら で あ っ て 、 そ の 意 味 に お い て オ ジ エ の 序 文 は バ ロ ッ ク演 劇 の マ ニ フ ェ ス トと も 言 う こ と が で き る の で あ る 。 4.バ ロ ッ ク 演 劇 と 歌 舞 伎 日本 に お け るバ ロ ッ ク演 劇 論 の弱 点 は 、 河 竹 氏 の論 考 も含 め て 、 ポ ワ ロー な ど の古 典 主 義 理 論 か ら逆 算 して バ ロ ッ ク演 劇 の特 徴 を 類 推 して い る と こ ろに あ った 。 フ ランン ワ ・オ ジエ とい う作 家 は 今 なお 一 般 に は 知 られ て い ない が 、 ポ ワ ロー の古 典 主 義 理 論 に 匹 敵 す るバ ロ ッ ク演 劇 理 論 を バ ロ ッ ク時 代 に 提 示 した 点 に お い て 、 も っ と注 目され て 然 るべ きで あ ろ う。 同時 代 に お け るバ ロ ッ ク演 劇 の理 論 は オ ジエ の マ ニ フ ェス トの他 に も コル ネイ ユ の幾 つ か の戯 曲 の序 文 な ど、 か な りの数 の文 献 を あ げ る こ とが で き るが 、 実 践 面 で は イ エ ズ ス会 劇 の影 響 を 見 る のが 近 年 の傾 向で あ る。 ル タ ー の宗 教 改 革 に 対 抗 して イ グ ナチ ウ ス ・デ ・ロヨ ラが 創 立 した イ エ ズ ス 会 は 、 積 極 的 に 演 劇 や 音 楽 を 取 り入 れ た 布 教 を 行 った 。 そ して 、16世 紀 に 来 日 した のが イ エ ズ ス会 の一 派 で あ り、 そ の布 教 時 期 とお 国 か ぶ き の成 立 時 期 が 一 致 す る と こ ろか ら、 両 者 の影 響 関 係 が 取 り沙 汰 され る よ うに な った 。 例 え ば 、 最 近 の翻 訳 書 『スペ イン 黄 金 世 紀 演 劇 集 』 に 対 して 、 丸 谷 才 一 氏 は 書 評 の なか で 次 の よ うに 書 い て い る 私 は か つ て 、 来 日 した 神 父 た ち、 欧 州 に 旅 した 少 年 使 節 た ちは 同時 代 の西 方 の ドラ マを わ が 国 に 伝 え た 、 歌 舞 伎(先 行 す る演 劇 形 態 で あ る能 と ま った く異 質)は 日本 のイ エ ズ ス会 劇 に 触 発 され て 成 った 、 出雲 のお 国 は キ リシ タン の教 会 劇 を 見 た のだ 、 と述 べ て 河 竹 登 志 夫 の 賛 同を 得 た こ とが あ る。 お 国 が 京 都 で 歌 舞 伎 踊 りを 演 じ、 人 気 を 博 した1603年 が 、 イ ギ リス ・バ ロ ッ ク劇 の代 表 作 rハ ム レ ッ ト』 が は じめ て 刊 行 され た 年 な のは 、 象 徴 的 だ ろ う。 わ が 戦 国 期 の人 心 は 、 当 時 の西 方 の時 代 精 神 と よ く似 て い た か ら、 海 彼 の新 しい 作 劇 術 と演 出法 を 受 入 れ る条 件 は 、 す で に 整 って い た 。 カ ブキ の語 源 の カ ブ ク(奇 矯 な服 装 を す る)も 、 バ ロ ッ クの語 源 のバ ロ ッ コ(歪 ん だ 真 珠)も 、 と もに 生 命 力 の過 剰 に よ る逸 脱 を 意 味 す る。 デ カ ダン スに よ る人 間 性 へ の批 評 は 南 北 あ た りを 連 想 させ るが 、 スペ イン 演 劇 は 二 世 紀 の

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あ い だ に 途 方 も な い 欄 熟 へ と 達 した の だ ろ う。 ロペ と カ ル デ ロン を 生 む 伝 統 の 花 や か さ を 見 る と 、 こ の エ ネ ル ギ ー が 遠 く東 方 へ 達 して も 不 思 議 は な い と い う気 に な る 。 しか しふ た た び 言 う。 状 況 の 一 致 と い う こ と が あ る 。 カ ル デ ロン は 『人 生 は 夢 』 と い う題 の 戯 曲 を 二 篇 も 書 い た 。 そ して 『閑 吟 集 』 に 収 め る 小 唄 に は こ うあ る 。 「一 期 は 夢 よ、 た だ 狂 へ 」8)。 こ の歌 舞 伎 の発 生 に イ エ ズ ス会 劇 の影 響 を 見 る丸 谷 氏 の論 考 は 、 か ね て よ り氏 が 披 渥 して きた 独 自 の見 解 を 集 大 成 した 感 が あ る。 これ は 単 な る思 い 付 きで は な く、 こ こに 歌 舞 伎 の発 生 に 関 す る近 年 の注 目す べ き論 点 が あ る こ とは 、 歌 舞 伎 研 究 の服 部 幸 雄 氏 も認 め る と こ ろで あ る。 丸 谷 氏 が イ エ ズ ス会 劇 とお 国 歌 舞 伎 と の関 係 を 最 初 に 示 唆 した のは 、1996年 の雑 誌 「オ ー ル読 物 」 (10月 号 、 文 藝 春 秋)の エ ッセイ 「男 も の女 も の ・9」 で あ った が(後 に 文 春 文 庫r男 も の女 も の』 に 収 録)、 これ を読 ん だ服 部 氏 は、:丸谷 氏 が謙 遜 して書 い て い る 「取 る に足 りな い妄 想 」 とは 思 わ ず 、r新 カ ト リッ ク大 事 典 』(第 一 巻 、1997年 、 研 究 社)の 「イ エ ズ ス会 劇 」 の項 目を 執 筆 したT・ イン モ ー ス(元 上 智 大 学 教 授)の 学 説 を 踏 まえ た 丸 谷 氏 の 「燗 眼 と発 想 の豊 か さ に 瞠 目」 し、 まだ 決 定 的 な実 証 資 料 が ない とは い え 、 「:丸谷 の大 胆 な 仮 説 に 賛 意 を表 わ し」 て い る9)。そ れ は、 大 胆 な仮 説 こそ が 「行 き詰 ま った学 問 を 活 性 化 させ 、 目を未 来 へ と向 け させ るた め に 、 い つ の 時 代 に も有 効 」 だ か らで あ り、 「よ うや く動 きは じめ て い るか に み え る東 西 演 劇 の接 点 を 考 え るた め の研 究 に 、 大 い に 期 待 す る心 が あ るか ら」 で もあ る。 服 部 氏 が 丸 谷 氏 の論 考 に賛 同 す るの は 、r歌 舞 伎 図 巻 』 に見 られ るお 国 の胸 の十 字 架 に つ い て論 じた 小 宮 豊 隆 の論 文 「十 字 架 の頸 飾 り」(r能 と歌 舞 伎 』 所 収 、 岩 波 書 店 、 昭 和10年)や 日本 最 初 のキ リシ タ ン大 名 で あ った 大 村 純 忠(バ ル トロ メ ウ)に よ る イ エ ズ ス 会 劇 上 演 の記 録(r耶 蘇 会 年 報 』 長 崎 叢 書 本)な どを 渉 猟 し、 丸 谷 氏 の学 説 の方 向性 の確 か さを 確 認 した 上 で の こ とで あ って み れ ば 、 丸 谷 氏 が 投 げ か け た 波 紋 は 大 きい と言 わ ね ば な ら ない 。 しか し、 ヨ ー ロ ッパ に お い て バ ロ ッ ク演 劇 は イ エ ズ ス会 と の濃 密 な関 係 が 明 らか に され る一 方 で 、 そ の背 景 に あ る懐 疑 思 想 と の関 連 が 指 摘 され て い る よ うに 、 わ が 国 の場 合 もイ エ ズ ス会 の影 響 の み な らず 、 「風 流(ふ りゅ う)」 とか 「婆 娑 羅(ば さ ら)」 とい った 美 意 識 の延 長 上 に あ る 「か ぶ き」 の 気 風 が 常 軌 を逸 した 「異 相(異 装)」 を 表 わ して い る と こ ろか ら(こ れ は 「バ ロ ッ ク」 の 原 義 に 近 い)、 時 代 思 潮 を視 野 に 入 れ た 「か ぶ きの詩 学 」 が 構 築 され 、 そ れ が 「バ ロ ッ クの詩 学 」 に 重 な る こ とが 期 待 され て い る ので あ る。 5.フ ラ ン ス に お け る バ ロ ッ ク ・ブ ー ム の 意 義 こ の 問 題 を 考 え る と き に 無 視 で き な い の は 、 バ ロ ッ クを 発 見 した の が20世 紀 で あ る 、 と い う 点 で あ る 。 そ して 、 も う一 つ は 、 そ れ ま で バ ロ ッ クに 対 して 好 意 的 で あ っ た イ タ リ ア 、 ス ペ イ

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ン、 ドイ ツ以 上 に 、 長 い あ い だ バ ロ ッ クに 対 して 沈 黙 を 守 って きた フ ラン スに お い て ブ ー ムが 起 こ った とい う点 で あ る。 フ ラン ス のバ ロ ッ ク演 劇 の実 態 は60年 代 のバ ロ ッ ク ・ブ ー ムを 通 し て 徐 々に 明 らか に な って きた のだ が 、 そ もそ もバ ロ ッ ク的 な も のを 掘 り起 こ した フ ラン ス のバ ロ ッ ク ・ブ ー ム の原 因 は 何 だ った のか 。 一 つ は 近 代 国 家 建 設 のた め に 不 合 理 思 想 を 排 除 して き た 国 家 意 思 に 対 す る反 発 、 あ るい は 理 性 を 尊 重 す る知 識 人 に よ って 築 か れ た 近 代 合 理 主 義 に 対 す る批 判 な どが 考 え られ る のだ が 、 バ ロ ッ ク時 代 と現 代 と の関 係 に お い て 考 え れ ば 、 戦 後 の多 くのバ ロ ッ ク研 究 者 に 共 通 して 見 られ る第 二 次 世 界 大 戦 の体 験 が 、 戦 乱 の世 を 一 種 の終 末 観 と して 捉 え 、 そ れ が 同 じ く終 末 的 な混 乱 の時 代 で あ った バ ロ ッ ク時 代 に 共 感 を 覚 え 、 そ の こ とが バ ロ ッ クを 抑 圧 して きた 近 代 合 理 思 想 へ の反 発 と な って 現 れ た 、 と見 る こ とが で き る。 フ ラン ス のバ ロ ッ ク ・ブ ー ムは ヨ ー ロ ッパ の中 で は 後 発 的 で あ った が 、 そ れ ゆ え に そ れ が ポ ス ト ・モ ダン の近 代 批 判 の時 期 と重 な り、 バ ロ ッ ク演 劇 の復 活 運 動 は 、 す なわ ち近 代 批 判 で もあ った の だ が 、 こ う した ヨ ー ロ ッパ の事 情 を 考 え る と、 わ が 国 で は 歌 舞 伎 を バ ロ ッ ク演 劇 の系 譜 に 入 れ る こ とに よ って 、 そ こに 〈近 代 劇 〉批 判 の要 素 を認 め る こ と もで き な くは な い が 、 〈近 代 〉 そ の も のを 批 判 す る要 素 は 希 薄 で あ ろ う。 つ ま り、 明治 以 後 のキ ッチ ュな近 代 しか もた ない 日本 に と って 、 歌 舞 伎 が 近 代 と対 峙 し うるバ ロ ッ ク性 を も って い た か ど うか と な る と、 疑 問 な しと しない ので あ る。 17世 紀 に デ カル トの合 理 思 想 が 出 現 して 以 来 、300年 を超 え る ヨ ー ロ ッパ の近 代 は 良 くも悪 くも近 代 文 明を 築 き、 そ れ に 対 応 す る 〈言 葉 の演 劇 〉 を 生 み 出 して きた のだ が 、 こ の 〈言 葉 の 演 劇 〉 に対 す る批 判 的 要 素 が 〈目 と耳 の演 劇 〉、 す なわ ちバ ロ ック演 劇 に あ った とす れ ば 、 そ う した も のを 復 活 させ よ うとす る意 思 の背 後 に 近 代 批 判 が あ って 当 然 で あ ろ う。 日本 の場 合 、 明治 以 後 の借 り物 の近 代 に 対 応 す る演 劇 が ヨ ー ロ ッパ の 自然 主 義 系 の翻 訳 劇 か 、 あ るい は そ の 亜 流 で あ った こ とを 考 え る と、 そ の未 熟 な近 代 を 批 判 す る上 で 歌 舞 伎 は 有 効 か ど うか 、 論 ず る まで も ない だ ろ う。 あ るい は 、 次 の よ うに 言 うこ と もで き る。 ヨ ー ロ ッパ の正 統 な古 典 主 義 演 劇 に 対 す る異 端 的 な要 素 が バ ロ ッ ク演 劇 に は あ る のだ が 、 日本 の場 合 の正 統 な演 劇 は 歌 舞 伎 で あ って 、 これ に 反 す る異 端 的 な も の と して ヨ ー ロ ッパ の正 統 派 の 自然 主 義 演 劇 が 入 って きた の だ か ら、 演 劇 の系 譜 と して 歌 舞 伎 が バ ロ ッ ク系 に 属 す る こ とは 認 め て も、 正 統 と異 端 の立 場 が ヨ ー ロ ッパ と逆 転 して い る と こ ろに 、 わ が 国 に お け るバ ロ ッ ク受 容 の難 しい 問 題 が あ る こ とは 指 摘 して お か ね ば な ら ない 。 6.バ ロ ック演 劇 と歌 舞 伎 の 宗 教 性 こ こで 宗 教 と の関 係 に つ い て 述 べ て お こ う。 す で に 見 た よ うに 、 バ ロ ッ ク演 劇 に は イ エ ズ ス 会 の理 念 が 反 映 して い る と言 わ れ て い るが 、 バ ロ ッ ク演 劇 の特 徴 を 古 典 主 義 の規 則 に 反 す る も

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の と い う形 式 的 観 点 か ら の み 捉 え る と 、 宗 教 と の 関 係 が 希 薄 に な っ て く る 。 確 か に ヨ ー ロ ッパ の 場 合 も バ ロ ッ ク演 劇 の 定 義 は あ い ま い な と こ ろ が あ る の だ が 、 大 雑 把 に 三 つ く ら い に 分 類 す る こ と が で き る だ ろ う。 一 つ は 形 式 的 に 三 単 一 の 法 則 を 始 め と す る 古 典 主 義 の 理 念 に 反 して い る も の 、 二 つ 目は コ ル ネ イ ユ の 『イ リ ュ ー ジ ョン ・コ ミ ッ ク』 の よ うに 劇 中 劇 を 取 り入 れ て 世 界 劇 場 的 世 界 観 の ヴ ァ ニ テ ィ ー 思 想 を 強 調 す る も の 、 三 つ 目は 、 二 つ 目 と 関 係 す る の だ が 、 ロ トル ー の 『聖 ジ ュ ネ 正 伝 』 の よ うに 劇 中 劇 を 取 り入 れ な が ら 、 ヴ ァ ニ テ ィ ー 思 想 の 背 後 に 殉 教 の テ ー マ を 浮 き 彫 りに す る 護 教 的 な も の で あ る 。 で は 、 歌 舞 伎 の 場 合 は ど うか と い う と 、 い ま 分 類 した 一 番 目 の 古 典 主 義 の 規 則 に 反 して い る も の に す べ て が 集 約 さ れ 、 宗 教 色 が 全 く な い よ うに 見 ら れ て い る の だ が 、 は た して そ れ で よ い の だ ろ うか 。 例 え ば 、 河 竹 登 志 夫 氏 は 「か ぶ き 性 」 の 主 な 要 素 を 七 つ あ げ 、 そ の な か に 「無 宗 教 、 非 宗 教 、 反 宗 教 性 」 を 入 れ て い る 。 そ の 七 つ を 列 記 して み る と 、 次 の よ うに な る 。 す な わ ち 、(一)、 新 奇 、 華 美 、 け ば け ば し さ 、(二)、 生 々 しい 官 能 美 、(三)、 ダ イ ナ ミ ズ ム と 共 感 性 、 (四)、 刹 那 的 な 現 世 享 楽 主 義 、(五)、 反 自 然 、 不 条 理 性 、(六)、 反 秩 序 、 反 体 制 的 性 格 、(七)、 無 宗 教 、 非 宗 教 、 反 宗 教 性 、 で あ る10)。 ヨ ー ロ ッパ の 場 合 も 、 こ の 問 題 は 微 妙 な と こ ろ が あ る 。 例 え ば 、E.フ リ ー デ ル は 、 教 会 は 感 覚 主 義 の 力 を 借 り て 不 倶 戴 天 の 敵 で あ る 合 理 主 義 を 追 い 払 い 、 「こ う し て 生 ま れ た 奇 妙 な 精 神 病 が 、 バ ロ ッ ク と名 づ け ら れ た 」 と し、 し ば し ば バ ロ ッ ク彫 刻 の 典 型 と さ れ る ベ ル ニ ー 二 の 「聖 女 テ レサ 」 に つ い て 、 次 の よ うに 述 べ て い る バ ロ ッ ク芸 術 は あ りとあ らゆ る も のを 、不安で重苦 しい、ふ くれあが ろ うとす る感情 の雰 囲 気 、 内に こ も った エ ロテ ィー ク(色 情)の 雰 囲 気 に つ つ み こむ 。… 人 間 は 、 ル ネサン ス に お い て は た ん に 解 剖 学 的 に 見 て 美 しい だ け の も のだ った が 、 今 や セ クシ ャル な美 しさを 獲 得 した 。… 残 酷 さ と 肉欲 とが た が い に 入 り混 じ りあ った 。 流 血 場 面 、 肉体 の責 め 苦 、 傷 つ け られ る こ とに 浸 りき って 、 苦 痛 の甘 美 さを 美 化 した 。 あ げ くのは て に エ ロテ ィー クと疹 痛 淫 乱 症(ア ル ゴ ラ グ ニ ー)と 、 超 自然 的 な も のへ の憧 憬 とが 一 つ に 合 わ さ って 奇 怪 な混 合 物 が で きあ が った 。 これ を 他 の何 に も ま して 強 烈 に 表 現 して い る のが ベ ル ニ ー 二 の 『聖 女 テ レ サ 』 で あ って 、 これ は 劇 場 の舞 台 で しか 表 しよ うの ない ほ ど の技 巧 の冴 え を 見 せ た 幻 想 的 な 効 果 に よ って 、 永 遠 に 人 類 の記 憶 に 残 りつ づ け るに ちが い ない 作 品 だ 。… 真 面 目に 情 熱 的 に 劇 場 に 奉 仕 す る者 た ちす べ て に と って 劇 場 とは 一 種 の宗 教 で あ り、 宗 教 とは そ の感 覚 的 な 祭 祀 に お い て 一 種 の テ ア トル ム ・デ イ(神 の劇 場)、 神 の偉 大 さを 誇 示 す る い とな み な ので は あ る まい か?11) こ の フ リ ー デ ル の 原 著 は1928年 に 出 て い る の だ が 、 ヨ ー ロ ッパ に お い て1910年 代 か ら20年 代 に か け て は 第 一 次 バ ロ ッ ク ・ブ ー ム の 起 こ っ た 時 代 で あ っ た 。 従 っ て 、50年 代 か ら60年 代 に か け

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て の バ ロ ッ ク ・ブ ー ム は 第 二 次 と い う こ と に な る の だ が 、 い ず れ も 大 戦 後 で あ る と こ ろ に 特 徴 が あ る 。 こ こ で 、 バ ロ ッ ク時 代 の 特 徴 を 知 る 意 味 に お い て 、 も う一 人 、 ド ミ ニ ッ ク ・フ ェル ナ ンデ ス の 文 章 を 引 用 して お こ う こ と不 幸 に 関 して 、 こ の時 代 〔17世紀 〕 は 豊 か だ った 。 疫 病 のみ な らず 、 数 々 の戦 争 が ヨ ー ロ ッパ を 荒 廃 させ て い た 。 そ れ に ケ プ ラ ーに よ る天 文 学 上 の諸 発 見 が 、それ まで人 々が 抱 い て い た 世 界 観 を 根 底 か ら くつ が え しつ つ あ った 。 人 間 は 、 もは や 太 陽 が 中 心 を 占め て い るわ け で は ない 宇 宙 のた だ なか で 、 突 然 孤 立 し、 方 角 を 見 失 った よ うに 感 じて い た 。 パ ス カ ル の有 名 な言 葉 「これ ら無 限 の空 間 の永 遠 の沈 黙 が 、 私 を 恐 れ させ る」 は 、 人 々 の精 神 的 混 乱 を 雄 弁 に 表 現 して い た 。 こ の よ うな大 き く激 しい 恐 怖 に た い して は 、 二 つ の反 応 が あ りえ た 。 ひ とつ は パ ス カル あ るい は ジ ョル ジ ュ ・ ド ・ラ ・ トゥール に み られ る よ うな、 こ の うえ な く厳 格 な禁 欲 主 義 で あ る。 後 者 の セバ ス テ ィア ー ノ(ベ ル リン)は 、 横 臥 した 姿 勢 に もか か わ らず 、 ジ ャン セ ニ ス ト的 苦 行 の象 徴 で あ る。 も うひ とつ の反 応 は 、 与 え られ た ご く短 い 時 間 に 、 人 間 の味 わ い う る最 大 の快 楽 を 熱 狂 的 に 追 い 求 め る こ とで あ る。 死 が 間 近 に 迫 って い る の な ら、 急 い で 生 を 楽 しも う!歴 史 の痙 攣 とそ こに 由来 す る激 しい 不 安 とは 、 言 い 古 され て 陳 腐 な も の と な った エ ピキ ュ ロス の 格 言 を 復 活 させ る。 セ バ ス チ ィア ー ノの 主 題 の なか に は 、《快楽至上 主義的 なペ シ ミズ ム》 と呼 べ そ うな も の の主 要 な特 徴 が 、 い わ ば 白熱 状 態 に まで 熱 せ られ た 形 で 見 出 され る。 つ ま り、 人 の生 命 のは か な さ の感 情 、 事 物 の も ろ さ と時 間 の短 さ の意 識 、 陰 欝 さ と官 能 と の結 合 、 陶 酔 へ の耽 溺 、 震 え る よ うな官 能 性 な どで あ る。 刑 に 苦 しむ 若 く美 しい 顔 に は 、 愛 と死 の結 合 、 エ ロス と タ ナ トス の結 合 が 、 華 麗 に 封 じこめ られ て い る ので は ない だ ろ うか?12) こ こ に 見 ら れ る 「言 い 古 さ れ て 陳 腐 な も の と な っ た エ ピキ ュ ロ ス の 格 言 」 と は 「今 を 楽 しめ 」 (carpediem)で あ り、 そ れ は 「死 を 思 え 」(mementomori)と 裏 腹 の 関 係 に あ っ た 。 こ の よ うに 、 ヨ ー ロ ッパ の 場 合 は 世 俗 的 解 釈 を 許 す よ う な 苦 行 と 享 楽 主 義 、 残 酷 さ と エ ロ テ ィ シ ズ ム が 超 自 然 的 な も の と 合 体 して 、 か ろ う じて 宗 教 性 を 保 っ て い る の だ が 、 そ の 宗 教 性 が 「こ の 世 の 空 し さ 」、 す な わ ち 「ヴ ァ ニ テ ィ ー 」(「 ヴ ァ ニ タ ス 」)に 通 低 し、 こ の 世 を 舞 台 と 見 る 世 界 劇 場 的 な も の で あ る と す れ ば 、 江 戸 時 代 に バ ロ ッ ク的 シン ボ ル の 一 つ で あ る 「シ ャ ボン 玉 」 (「空 し さ」 の 寓 意)が 流 行 し た こ と は 注 目 され て よ い 。

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7.「 シ ャボ ン 玉 」 の 宗 教 性 と バ ロ ッ ク 演 劇 「シ ャ ボ ソ玉 」 と 「歌 舞 伎 」、 こ の 意 外 な 結 び 付 き は 、 歌 舞 伎 の な か に バ ロ ッ ク 的 な 宗 教 性 を 読 み 取 る カ ギ に な る よ うに 思 わ れ る 。 タ イ モ ソ ・ス ク リ ー チ は 、 江 戸 時 代 の 「シ ャ ボ ソ 玉 」 の 流 行 に つ い て 、 次 の よ うに 述 べ て い る シ ャ ボ ソ玉 売 りは ご く 日常 的 に 見 られ た が 、 昔 か らあ った も ので は ない 。 当 時 の記 録 に よ れ ば シ ャ ボ ソ玉 売 りが 初 め て 姿 を 現 した のは1673年 頃 で あ る。 初 の シ ャ ボ ソ屋 が 江 戸 に 開 店 した のが そ れ か ら4年 後 。18世 紀 初 め に は シ ャ ボ ソ商 人 の数 は 急 増 した よ うで あ る。 シ ャ ボ ソ玉 遊 び は 習 慣 と して 広 く普 及 して い き、 こ の 流 行 は 江 戸 時 代 の終 わ りま で 続 く。… 大 人 で あ れ 子 供 で あ れ 、 シ ャ ボ ソを 吹 く人 の姿 は よ く絵 画 に 描 か れ 、 こ の こ とか ら もい か に 人 気 のあ った 遊 び で あ るか は 分 か る。 しか し、 読 み 取 れ る のは そ れ だ け で は ない 。 文 化 的 象 徴 と して の シ ャ ボ ソ玉 の重 要 性 を も解 釈 す る こ とが で き る。 これ ら の絵 に 表 現 さ れ た イ メ ー ジは 目に 見 え る当 時 の街 の様 子 を 伝 え て い るに 留 ま らず 、 そ こに 生 き る人 々 の思 考 の根 底 に あ った も のを も示 して い る。 彼 らが 、 存 在 のは か な さや 世 界 の移 ろい や す さに 想 い を 巡 らせ て い た こ とを 、 シ ャ ボ ソ玉 とい うこ の気 ま ま な遊 び は 示 して は い ない だ ろ うか 。 シ ャ ボ ソ玉 は 人 の短 くて は か ない 人 生 を 暗 示 して い る とい うよ うに 。 シ ャ ボ ソは か な り明確 に こ の隠 喩 に 使 用 され て い る13)。 一 般 に は 子 供 の遊 び の よ うに 思 わ れ て い る シ ャ ボ ソ玉 遊 び だ が、 そ れ が 大 人 の遊 女 の なか で 流 行 り始 め る ので あ る。 ス ク リーチ は 、 礒 田湖 龍 斎 とい う浮 世 絵 師 の描 い て い る憂 い 顔 で シ ャ ボ ソ玉 を 吹 く遊 女 の絵 を 掲 げ て 、 次 の よ うに 書 い て い る一 礒 田湖 龍 斎 は 軒 下 で シ ャ ボ ソ玉 を 吹 く女 性 の姿 を 描 い て い る。 シ ャ ボ ソ玉 、 時 間 、 秋 そ し て は か な さ とい う組 み 合 わ せ は 驚 くべ き も ので は ない 。 しか しなが ら、 わ た した ちが 問 い た い のは 、 画 中 の こ の連 想 が 何 に 由来 して い るか で あ る。 鴨 長 明 の時 代 か ら五 百 五 十 年 、 そ し て シ ャ ボ ソ売 りが 現 わ れ て か ら一 世 紀 の間 、 こ の主 題 は 全 く想 起 され なか った 。1770年 頃 か ら突 如 と して 、 こぞ って こ の場 面 が 描 か れ 始 め た のは 何 故 だ ろ うか 。… こ の女 性 に は 象 徴 的 な意 味 合 い が 込 め られ て い る ので は ない だ ろ うか 。… こ の女 性 は 一 人 で シ ャ ボ ソ玉 を 吹 き なが ら暇 を つ ぶ して い る のだ 。 美 は 永 遠 で は ない し、 こ の女 性 は 死 に 至 る年 齢 か らは か け 離 れ て い る。 つ ま り、 鑑 賞 者 は こ の よ うな女 性 の美 も永 遠 で は ない とい うは か な さに 気 づ く 仕 掛 け と な って い る ので あ る。 湖 龍 斎 は こ の よ うな逆 説 を 用 い て 、 は か な さを よ り劇 的 な も の と して 表 現 して い る。 シ ャ ボ ソ玉 を 吹 く気 だ るい 遊 女 の表 情 が 目前 に 迫 った 美 の崩 壊 を わ

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た した ちに 暗 示 して い る ので あ る。… 浮 世 絵 に 描 か れ た 女 性 の多 くは も ち ろん 遊 女 で あ るが 、 こ の こ とを 考 え れ ば 、 シ ャ ボン 玉 が 暗 示 して い るは か な さは い ず れ 消 え ゆ く女 性 の美 しさだ け で は ない 。 こ の女 性 の腕 に 抱 か れ る男 性 の快 楽 のは か な さを も読 み 取 る こ とが で き る。 ま さに 快 楽 の真 髄 で あ る。 遊 び の世 界 、 歌 と酒 の浮 世 の世 界 は 、 江 戸 時 代 の一 般 生 活 の法 や 慣 習 か ら解 き放 た れ た 、 浮 遊 す る生 活 感 の ない 場 所 で あ る。 同様 に 遊 女 は 家 庭 を 持 た ない 根 無 し草 で あ る。 湖 龍 斎 のは るか 以 前 か ら遊 女 は は か ない も の の象 徴 で あ り続 け た 。 シ ャ ボン 玉 を 吹 く遊 女 の姿 は 、 自己 存 在 の本 質 を 知 り、 シ ャ ボン の よ うなは か ない 人 生 を 懸 命 に 受 け 入 れ て い る様 子 と も見 え る。… 仏 教 は 天 空 に あ るは ず の創 造 主 の存 在 を 説 くわ け で は ない 。 実 際 が 空 虚 な も ので あ る こ と を 説 く。 神 が 何 らか の不 変 な安 定 した も のを もた ら して い る と説 くので も ない 。 美 徳 さえ も が 空 虚 な輪 廻 の中 に 囚 わ れ て い る と説 く。 つ ま り、 仏 や 、 宇 宙 に あ る神 々で さえ もが シ ャ ボ ンの よ うな も の な のだ 。 事 実 、 仏 教 の宇 宙 観 に よれ ば 、 これ らす べ て は 仏 に よ って 眺 め られ て い て 、 す べ て の生 き物 は 個 性 的 で 流 転 の法 則 の下 に 位 置 して い る ので あ る14)。 こ の よ うに 見 て く る と 、 歌 舞 伎 が しば しば 遊 里 を 舞 台 と し、 な ぜ あ れ ほ ど 遊 女 が 描 か れ た の か が 分 か っ て く る 。 ス ク リ ー チ の 説 を 応 用 す れ ば 、 そ れ は ヴ ァ ニ テ ィ ー(は か な さ)の シン ボ ル と して あ っ た の で あ る 。 シ ャ ボン 玉 が バ ロ ッ ク時 代 の 絵 画 ・詩 の 主 要 な テ ー マ で あ っ た こ と は つ と に 知 ら れ る と こ ろ で あ り、 森 洋 子 氏 は 次 の よ うに 書 い て い る 17世 紀 に フ ラン ドル で 活 躍 した イ エ ズ ス 会 の 神 父 ヤン ・ダ ヴ ィ ッ ドが 、 アン トウ ェル ペン の ヤン ・ム ー レン トル フ の 出 版 社 か ら 著 した 『キ リ ス ト教 の 真 理 の 書 一 簡 潔 に 理 解 で き る キ リ ス ト教 徒 の 信 仰 と そ の 基 本 原 理 』(1602)の 図 版 編 に 、 「世 の 虚 栄 は 無 以 下 の も の な り」 と 題 さ れ た ペ ー ジ が あ る 。 図 の 左 上 に 四 人 の 子 供 た ち が シ ャ ボン 玉 を 飛 ば して 遊 ん で い る 情 景 が み ら れ る 。 中 央 に 「無 、 無 」Niet、Nietと 書 か れ て い る の で 、 シ ャ ボン 玉 が 「無 」 の 象 徴 と し て 書 か れ て い る こ と が 分 か る 。 下 の 余 白 に は ラ テン 語 で 、 「一 体 、 現 世 と は 何 か 。 た と え 全 世 界 を ま と っ て も 、 こ の 現 世 以 上 に 空 しい も の は 無 い 。 そ れ ば か りか 無 よ り も 一 層 虚 し い の だ 」 と 書 か れ て い る 。 ・・・… ダ ヴ ィ ッ ド神 父 が 主 張 す る よ う に 、17世 紀 に お い て シ ャ ボン 玉 は 、 現 世 の 虚 栄 が 「無 よ り価 値 の な い も の 」 で あ る こ と を 具 体 的 に 示 す 表 象 と な っ て い た の で あ る15)。 河 竹 氏 は 「か ぶ き 性 」 の 要 素 の 一 つ に 「無 宗 教 、 反 宗 教 性 」 を あ げ て い る が 、 バ ロ ッ ク時 代 の ヴ ァ ニ テ ィ ー に 通 ず る 世 界 観 は 歌 舞 伎 に も 通 底 し、 そ れ は 一 つ の 宗 教 観 と して 捉 え る べ き で は な い の か 。 バ ロ ッ ク演 劇 は 「見 せ か け 」 と か 「嘘 」 を 意 味 す る 「lafeinte」 に よ っ て 成 り立 つ

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演 劇 で あ る が 、 そ れ は 「実 は … 」 と 言 っ て 仮 体 と本 体 を 入 れ 替 え 、 人 間 の 営 み を 演 戯 と み る 歌 舞 伎 の ド ラ マ ツ ル ギ ー に 通 じ 、 ひ い て は こ の 世 の 「は か な さ 」、 「空 し さ 」、 す な わ ち ヴ ァ ニ テ ィ ー を 表 して い る の で は な い の か(「 シ ャ ボン 玉 」 は 「は か な さ 」 の シン ボ リ ッ ク ・イ メ ー ジ の 代 表 だ が 、 バ ロ ッ ク時 代 に は 他 に も 「花 火 」、 「雲 」、 「夢 」、 「泡 」 な ど も 同 類 の イ メ ー ジ と し て 扱 わ れ た)。 こ の ヴ ァ ニ テ ィ ー が 宗 教 的 で あ る こ と は 、 バ ロ ッ ク 時 代 に ヴ ァ ニ テ ィ ー の 効 用 を 説 い た 『キ リス トの ま ね び 』 が 広 く読 ま れ た こ と に も 表 れ て い る 。 『キ リス トの ま ね び 』 の な か に は 、 次 の よ う な 言 葉 が あ る 富 に 富 を 重 ね る空 しさ。 名 誉 に 飢 え て 思 い 悩 む 空 しさ。 最 高 の幸 福 のた め に 肉体 と感 覚 の 憎 む べ き愛 撫 を 選 ぶ 空 しさ。 日々 の流 れ を 統 御 す る こ と な く、 命 の永 らえ る こ とを 願 う空 しさ。 長 き人 生 を 愛 して 清 き生 活 を 無 視 し、 未 来 を 配 慮 せ ず に 現 在 を 抱 き しめ 、 究 極 の幸 福 を 期 待 す る よ り、 今 とい う時 を 大 事 に す る空 しさ。 (キ リス トの言 葉) 私 に 由来 す る も の以 外 は 、 す べ て が 過 ぎゆ き、 す べ て が 飛 翔 す る。 す べ て が た ち ま ち の うちに 真 の虚 無 と な って 解 消 す る。 一 言 で す べ て を 言 え ば わ が 子 よ、 す べ て を 棄 て る のだ 。 そ うす れ ば す べ て が 見 つ か るだ ろ う16)。 こ のrキ リ ス トの ま ね び 』 は 、 イ エ ズ ス 会 の 学 院 で 学 ん だ 劇 作 家 の ピエ ー ル ・コ ル ネ イ ユ に よ っ て 仏 訳 され 、1651年 に 出 版 され て ベ ス トセ ラ ー に な っ た 。rキ リス トの ま ね び 』 の 作 者 が 誰 で あ る か は1651年 版 の 序 文 に 「ジ ャン ・ジ ェルンン な の か トマ ス ・ア ・ケン ピ ス な の か 不 明 」 と あ る よ うに 、 定 か で は な い の だ が 、 こ こ で 作 者 は 問 題 で は な い 。 ち な み に 、 こ の コ ル ネ イ ユ に よ る 『キ リ ス トの ま ね び 』 は 長 ら く忘 れ 去 ら れ て い た の だ が 、 第 二 次 世 界 大 戦 中 に 再 版 さ れ て 広 く読 ま れ た と こ ろ に も 、 す で に 触 れ た バ ロ ッ ク時 代 と 第 二 次 世 界 大 戦 期 と の 関 連 性 を 窺 う こ と が で き る 。 筆 者 は か つ て 劇 中 劇 を テ ー マ と す る 殉 教 劇 で あ る ロ トル ー 作 『聖 ジ ュ ネ 正 伝 』 に 触 れ な が ら 、 バ ロ ッ ク時 代 の 演 劇 と ヴ ァ ニ テ ィ ー と の 関 係 に つ い て 、 次 の よ うに 書 い た こ と

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が あ る 〔キ リ ス ト教 が 弾 圧 さ れ て い た 時 代 に キ リ ス ト教 徒 の 役 に 共 感 した 役 者 の 〕 ジ ュ ネ は 、 劇 中 劇 の 「見 せ か け 」 の 世 界 を 棄 て て 、 現 実 と い う 「真 実 」 の 世 界 へ 躍 りで た の だ が 、 そ こ は 「世 界 劇 場 」 と い うや は り一 つ の 舞 台 で あ っ た 。 ジ ュ ネ 自 身 、 次 の よ うに 言 っ て い る一 「は か な い こ の 世 、 そ して そ の 取 る に 足 ら な い 栄 光 、 そ れ は 喜 劇 だ 。 私 は こ れ ま で 自 分 の 役 を 知 ら ず に い た の だ 」。 こ の よ うに 、 神 の み が 実 在 で 、 神 の 視 点 か ら す れ ば 「こ の 世 は 劇 場 、 人 生 は 芝 居 」 と い う観 念 は 、 「ヴ ァ ニ タ ス 」 思 想 と 結 び つ い て 、 バ ロ ッ ク演 劇 の 世 界 観 を 形 成 す る の で あ る 。 ・・・… こ う して 劇 中 劇(演 劇)=世 界 劇 場(こ の 世)=虚 栄(見 せ か け) と い う等 式 が 成 り立 つ の で あ る 。 『聖 ジ ュ ネ 正 伝 』 の 第 四 幕 に お い て ナ タ リー が ヴ ァ ニ タ ス 思 想 を 長 々 と 説 く の も 、 そ う した 世 界 劇 場 的 世 界 観 と 無 縁 で は な い 。 彼 女 は 言 う一 「こ の 世 は 最 も 堅 固 な 状 態 で も 常 に 変 わ り易 く、 存 在 も 非 存 在 も ほ と ん ど 同 じ一 瞬 の こ と で す 。 一 世 紀 を か け て 作 り 出 さ れ た も の も 瞬 間 に し て 焼 き 尽 く さ れ て し ま い ま す 」。 こ こ で 「存 在 (1'etre)も 非 存 在(lenon-etre)も 同 じ一 瞬 の こ と」 と 言 うあ た りは 、 ハ ム レ ッ トの 有 名 な 台 詞 「tobe,ornottobe… 」 を 想 起 さ せ 、 従 来 さ ま ざ ま な 解 釈 を 許 し て き た こ の 名 文 句 が 、 バ ロ ッ ク的 ヴ ァ ニ タ ス 思 想 と の 関 連 に お い て 捉 え ら れ る 必 要 が あ る こ と を 示 唆 して 興 味 深 い も の が あ る の だ が 、 そ れ は 当 時 の 汎 ヨ ー ロ ッパ 的 な 時 代 思 潮 だ っ た の で あ る17)。 そ して 、 こ う した ヴ ァ ニ テ ィ ー 思 想 は 懐 疑 主 義 と 結 び つ い て 、 バ ロ ッ ク時 代 特 有 の 演 劇 形 式 を 生 み 出 す の で あ る 。 こ の 点 に つ い て 、H.キン ダ ー マン は 次 の よ うに 述 べ て い る バ ロ ッ ク時 代 に な る と、 ル ネサン ス の楽 天 主 義 は 後 退 し、 世 界 懐 疑 が これ に 取 って 代 わ っ て くる。 あ らゆ る価 値 の無 常 さが バ ロ ッ ク時 代 の根 本 的 な認 識 で あ り、 神 的 な も のに 対 して も、 また 、 悪 魔 的 な も の、 魔 神 的 な も のに 対 して も人 間 的 な も のは 不 十 分 で あ る とい うこ と が 、 バ ロ ッ ク時 代 の根 本 的 な認 識 で あ る。 す べ て の現 実 的 な も のが 、 そ れ 故 に 、 しば しば 仮 象 と看 倣 され る。 こ こで は 、 仮 象 を 現 実 性 へ と高 め る演 劇 が 中 心 的 芸 術 と な ら ない 訳 が ない 。 しか し、 内面 的 な不 安 の こ の精 神 か ら、 また 、 こ の仮 象 を 現 実 性 へ と高 め る こ とか ら ル ネサン ス の静 力 学 の代 わ りに バ ロ ッ ク演 劇 の視 覚 的 に 強 調 され た ダイ ナ ミ ッ クな力 が 生 まれ て くる ので あ る。 従 って 、 舞 台 の変 化 ・転 化 が 、 装 飾 的 な も の の領 域 に お い て 、 そ して 、 今 や 迅 速 に 交 換 で き る と こ ろ の側 面 書 割 の領 域 に お い て 、 新 しい 魅 力 と な って くる。 飛 行 す る機 械 、 迫 り出 し、 車 、 船 が 、 舞 台 空 間 のあ らゆ る次 元 を 横 断 す る。 しか し、 個 々 の演 技 者 や 群 集 の合 唱 団 は 、 ど こ まで も、 天 国 と こ の世 と地 獄 の間 の途 中 に 位 置 して い る18)。

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こ こに 見 られ る よ うに 、 懐 疑 主 義(無 常 観)を 背 景 に して 、 仮 象 の現 実 性 を 説 くバ ロ ッ ク演 劇 が 、 視 覚 的 に ダイ ナ ミ ッ クな力 を も ち、 変 転 す る舞 台 に よ って 新 しい 魅 力 と な った ので あ る。 そ れ は 正 に 歌 舞 伎 の ドラ マ ツル ギ ーに 通 ず る も ので あ ろ う。 歌 舞 伎=バ ロ ッ ク演 劇 論 は 河 竹 登 志 夫 氏 の提 唱 以 後 、 十 分 に 論 じられ て い ない が 、 ヨ ー ロ ッパ のバ ロ ッ ク研 究 の成 果 を 取 り入 れ る こ とに よ って 、 歌 舞 伎 のバ ロ ッ ク性 を 発 展 的 に 証 明す る こ とが 可 能 で あ る こ とは 、 これ まで 見 て きた こ とか ら 明 らか で あ ろ う。 (本稿 は 平 成15年5月 に 関 西 外 国 語 大 学 に て 開 催 され た 日本 演 劇 学 会 全 国 大 会 に お い て 口頭 発 表 した 内容 を 大 幅 に 加 筆 ・修 正 した も ので あ る。) 注 1)河 竹 登 志 夫 著r比 較 演 劇 学 』、 南 窓 社 、 昭 和42年 、60-61頁 。 2)フ ィ リ ッ プ ・ボ ー サ ン著rヴ ェ ル サ イ ユ の 詩 学 一 バ ロ ッ ク と は 何 か 一 』(拙 訳 、 平 凡 社 、1985年)の 解 説 と し て 収 録 さ れ た 拙 論 「バ ロ ッ ク の 系 譜 」 参 照 。 3)r歌 舞 伎 』 第 十 四 号 、 松 竹 株 式 会 社 、 昭 和46年 、67-68頁 。 4)r鑑 賞 日 本 古 典 文 学 ・第30巻 、 浄 瑠 璃 ・歌 舞 伎 』、 角 川 書 店 、 昭 和52年)、425頁 。 5)「 目 と耳 の 演 劇 」 に 関 し て は 、 拙 著rフ ラ ン ス ・バ ロ ッ ク 演 劇 研 究 』(平 凡 社 、1995年)お よ びr幻 想 劇 場 一 フ ラ ン ス ・バ ロ ッ ク 演 劇 の 宇 宙 』(平 凡 社 、1988年)を 参 照 。

6)R.Lebもgue,L.〃 ∼灘 惚 わ醐o興6e;Franc(1942)inEtudes%7銃4δ 惚F名 朋 ραお1,Nizet,1977, p.p.341-343.

7)FrangoisOgier,ノ4%166孟8%7(1628)inJeandeSch61andre,乃 ノ7eS掘o%o.16sF%%6s'6samour d.B610α76'1吻1繍6,e乃 〃ES麦10%,伽 卿60痂 伽 伽 ∫s46e;46礁 知 耀 痴6s,Ed.prepare.par J.W.Barker,Nizet,1975,p.153. 8)丸 谷 才 一 に よ るrス ペ イ ン黄 金 世 紀 演 劇 集 』(牛 島 信 明 編 訳 、 名 古 屋 大 学 出 版 会 、2003年)の 書 評 、 r毎 日 新 聞 』、2003年6月29日 。 9)服 部 幸 雄 著 「歌 舞 伎 成 立 と キ リ シ タ ン の 時 代 」(『 国 文 学 、 江 戸 の 劇 空 間 一 比 較 演 劇 の 視 点 』、 學 燈 社 、 平 成12年2月 号 、16頁)、r江 戸 歌 舞 伎 文 化 論 』(平 凡 社 、2003年)に 収 録 。 10)河 竹 登 志 夫 著r憂 世 と 浮 世 』、NHKブ ッ ク ス 、1994年 、178頁 。 11)エ ー ゴ ン ・フ リ ー デ ル 著 、 宮 下 啓 三 訳r近 代 文 化 史 ・2』 、 み す ず 書 房 、1987年 、45-46頁 。 12)ド ミ ニ ッ ク ・ フ ェ ル ナ ン デ ス 著 、 岩 崎 力 訳rガ ニ ュ メ デ ス の 誘 拐 』、 ブ ロ ン ズ 新 社 、1992年 、185-186頁 。 13)タ イ モ ン ・ス ク リ ー チ 著 、 村 上 和 裕 訳r江 戸 の 思 考 空 間 』、 青 土 社 、1999年 、165頁 。 14)前 掲 書 、167頁 、 お よ び195頁 。 15)森 洋 子 著rシ ャ ボ ン 玉 の 図 像 学 』、 未 来 社 、1999年 、137頁 。

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16)L7勿 ∫如 ガo%dルsz4s-Chris,〃 σ4z4∫セeparaphrase6%の6/rspa;P.Co7%6∫ 〃6,pr6sent6eetannot6e parF.Ducaud-Bourget,AlbinMichel,1948,p.57,p.343.(拙 訳)

17)拙 著r幻 想 劇 場 一 フ ラ ン ス ・バ ロ ッ ク 演 劇 の 宇 宙 』、 平 凡 社 、1988年 、227-228頁 。

18)ハ イ ン ツ ・キ ン ダ ー マ ン 著 、 清 水 健 次 訳rヨ ー ロ ッ パ 演 劇 の 特 質 と 発 展 』、 東 洋 出 版 、1980年 、71頁 。

参照

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