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安井広済先生の逝去を悼みて

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Academic year: 2021

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一九九五︵平成七︶年三月八日、安井先生は七十九歳 のご生涯を終えられた。その間、数多くの学生をお育て になるとともに、数々のご業績を残された。先生がその 生涯を捧げられたご研究の広さと深さを顧みるとき、講 筵の末席に列した一人として、感慨無量のものがある。 一九七四︵昭和四十九︶年にはじめて先生のゼミに参 列したときは、チャンドラキールティの﹁中論﹂の注釈 書叩画旨苫琶§園§の第二十五章を読んでいるところであ ったと思う。その後は、爵罫言、胃§§各動き︵法華経︶、 尽画蔚旨冨畠倉営喝自首︵摂大乗論︶、雨§昌昌守言§︵琉伽師 地論︶などをつぎつぎと読んでいただいた。チベット語 訳を参照しながらサンスクリットのテクストを厳密に読 み進んでいくというスタイルは、終始一貫していた。こ のようなゼミを通してわれわれ学生はテクストにはりつ くかのようにして読むことを身につけていった。しかも 先生のご関心は、それらのテクストの思想を読みとるこ とにあった。したがって、サンスクリットに対応する漢

安井広済先生の逝去を悼みて

宮下晴輝

語を当てはめて訳し終わったとする態度には厳しく注意 され、一つの言葉をどのように理解しているのか確かめ られることがしばしばあった。 先生は、いきざごミミ§曽昌︵梠伽経︶から研究をはじ められ、山口益先生と鈴木大拙先生がその卒業論文の審 査にあたられたことを光栄とされ、われわれにまでよく そのことを話された。後年それが﹁梵文和訳入拐伽経﹄ ︵一九七六︶として全訳公刊されている。また、とりわ け山口博士の﹃仏教における無と有との対論﹂をよき指 南書とされて、中観学派の研究へとその矛先を向けてい かれた。そしてチベット語訳で伝えられているバーヴァ ヴィヴェーヵの甲ミョミミ昌曾︵般若灯論︶とアヴァ ローキタヴラタのその註釈をとりあげられた。とくにそ の第二十五章の翻訳と解釈的研究は、先生のその後の研 究を決定的に方向づけるものであった。 ’九五三︵昭和二十八︶年の﹁二諦説と三性説﹂︵大 谷学報第三十三巻一号︶という論文を皮切に、﹁中観思 想と琉伽唯識思想との対決﹂をテーマにつぎつぎと重要 な論稿を発表されていった。それがやがて一九六一︵昭 和三十六︶年の学位請求論文﹁中観思想の研究﹄として 結実することになる。 85

(2)

先生の生涯のお仕事は、ナーガールジュナ︵龍樹︶の 二諦説の研究であったといってもいいだろう。そのこと を、先生がおそらく生前に自ら選ばれたのであろう、 ﹁中観院釈広済﹂の法名がよく物語っている。静かなご 生涯のなかで、研究への熱い情熱と強い自負が伝わって きて、われわれを勇気づけてくださる思いがする。研究 の名をもって荘厳されたご生涯を念ずるとき、先生の穏 やかな笑みが心いつぱいに広がってくる。 最後に、三月十日のご葬儀に参列したおりに読ませて いただいた弔辞を、ここにあらためて掲載させていただ くことにする。

弔辞

先生の突然のご逝去を悼み、一言御礼の言葉を申し上 げます。 先生は、昭和十四年︵一九三九年︶に大谷大学をご卒 業になり、それ以来永年にわたり、大学での教育と研究 にご尽力くださいました。特に、昭和三十六年︵一九六 一年︶に﹃中観思想の研究﹂と題するご著書をまとめら れ、文学博士の学位を取得されました。そして、昭和三 十九年︵一九六四年︶に山口益先生のご退職後、その後 を次いで、インドの大乗仏教の研究を中心に、数々のご 業績を発表され、また数多くの卒業生をお育て賜りまし た。また、昭和五十三年︵一九七八年︶から二年間、大 谷大学図耆館長のご重責を果たされ、昭和五十六年︵一 九八一年︶にご退職され、大谷大学の名誉教授となられ ました。 先生のご業績は、﹃中観思想の研究﹂をはじめとして、 ﹃梵文和訳入榴伽経﹂、﹃唯識二十論講義﹄、﹁維摩経略 解﹄などのご著書、そのほか数多くのご論稿があります。 そしてその研究領域の幅広いこと、奥深いことは、その まま先生がつねに堅持された学問研究の姿勢からくるも のと拝察いたします。 インドのサンスクリット語原典にもとづいた仏教研究 を中心にして、さらに厳密にテクストを読むため、チベ ット語訳、漢訳を参照するという仏教研究の方法は、先 生が師事されました山口先生の確立されたものでありま す。先生もまたこの厳密な文献学研究を続けられ、私た ちの前に展開して見せてくださいました。 先生から学ばせていただきました大きな宝は、決して 妥協することなく、徹底して事柄そのものを明らかにし ていこうとする研究姿勢と方法であります。それは、文 86

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献研究とは思索し意味を明らかにすることであり、その ために現代の言葉で表現するための努力を惜しまないこ とであります。 そしてまた先生がその研究生活の厳しさを身をもって お示しいただきましたことは、私たち門下生にとってか けがえのない一大事でありました。ときには、ご息女を 背負いながらあの大きなサンスクリット語辞典をひき、 着物が擦り切れるほどに研究に打込まれたことなどをお 聞きすることもありました。学問は、知力ばかりでなく、 気力と体力にもよるのだということをも学ばせていただ きました。先生の学問に対するこのような純粋な情熱は、 私たちに分かち与えてくださいましたもっとも大切な宝 物でございます。 私たちは微力でございますが、先生のご遺志をついで 精進してまいりたいと思います。 先生、ありがとうございました。 安井広済先生 一九九五年三月十日 門下生代表宮下晴輝 87

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