『地獄の季節』における「サタン」と「魔術師」
著者
田中 直紀
雑誌名
年報・フランス研究
号
14
ページ
151-164
発行年
2001-12-25
URL
http://hdl.handle.net/10236/9493
『 地獄 の季節 』 にお け る「 サ タ ン」 と「 魔術 師」
田中直紀 ラ ンポ ー の散 文 詩集『 地獄 の季節』(1873)は プロロー グを含 め九つのパー ト 全体 をも つて 一つ の物語 をなす。地獄巡 りとそ こか らの脱 出に至 る までの「 春」 か ら「 秋 」へ とい う季節 の推移 が その構成 上 の枠組 み と して設定 されて い る。 その 中で、さ まざ まな思念 が葛藤 を繰 り広 げ る「 精神 の戦 い」(最終パー ト「 別 れ」)を
描 いた 内的 な物 語が展 開 され るのであ る。 その物 語 の構 図 を理解 す るうえで、「 サ タ ン」の役割 と、 語 り手 の「魔術師 」 と して の 自己規定 は見逃せ ない要素 と思われ る。 プロロー グで は時 系列上物語 の最終展 開が描 か れ るが、 これか ら読者 に提 示 され る作 品『 地獄 の季節 』 はサ タ ンは語 り手 に課 した課 題 に よ るもの ら しい。 「おまえはハイエナのままでいろ、云々…」僕をあんなに愛らしい芥子の花で 戴冠させたデモ ンが声を荒げる。「おまえの欲望のすべて、エゴイズム、七つの大 罪の全部を背負い、死 をものにするがよい」。 ああ!そんなものはたつぶ りいただいた。一一だが、親愛なるサタンよ、たのむ からそんな苛立 つた目をしないで くれ!
一一 出遅れの卑劣なもの を待つあいだ に、物書きの描写力も教訓の才の欠けているのを好むあなた、あなたに僕の地獄墜 ちの手帖か らい くらかの醜悪な紙片を差出すことにしよう。 また、 時系列 か らみ れば プロ ロー グの手前 に位 置 す る と最終 パー ト「 別 れ」 では、「 魔 術師 」と して の 自意識 を捨 て去 るこ とが宣言 され る。つ ま り、語 り手152
「地獄の季節」における「サタン」と「魔術師」 は自らを「魔術師」(も しくは何 らかの天使)と
みなしていたのだ。 この僕!
すべての道徳をまぬかれ、魔術師とも天使とも称 したこの僕が、土に 還 るのだ、何か義務を求め、ざらついた現実を抱き締めに!
百姓だ! あ る一季節 をす ごす うち語 り手が魔術 師 と しての意識 を捨 てつつ、サ タ ンに 課題 の達成 を提 示 す るに至 る とい うような物語の筋が うかが え るのでは ない か。 「 サ タ ン」の役 割 と、語 り手 の「 魔術 師」 と しての 自己規定 について、主要な先 行研 究 に見 られ る諸説 を検 証 しなが ら、再考 察 してみ よ う。社会秩序 の担 い手 と して の キ リス ト教者への反逆 、語 り手 によるキ リス トの模倣 的態度 について 考察 は それ を抜 きには なされ な いで あ ろ う。 I 書簡 と作 品 との 区分 を超 え、 いわゆ る「 見者書簡」 と『 地獄 の季節』 のあい だには著 しい連続 性 が認め られ る。『 季節』は書簡 の理 論 の「 実践 」に よる作 品 であ る とされ る。しか し、作 中の語 り手は見者理論 を実践 す るラ ンポーの分 身の よ うな人物 で、 その実践 自体 が描 かれてい るので あ り、 よって「実践 」につい ての作 品 とも言え るのであ る。 ラ ンポー 自身の精神 的 自伝 とみ なされた 由であ る。そ こで『 季節 』の「魔術師 」は書簡 の「 見者」に相 当 して いる と見 られ る。 師 イザ ンパ ール と先 輩詩 人 ドメニーに宛 て た 1871年 5月付 けの二通 の書簡 で、ラ ンボー は 自 らを「 見者詩 人」たるべ きもの と知 った と言 う。「見者」の語 は、も とは 旧約聖 書の預 言者 を指 す語の一つであ るが、特 に フラ ンス・ロマ ン派 の間 では ドイ ツ・ロマ ン派の影響 のも と、詩人 をあ る種 の予言者 も しくは預 言者 た るべ きもの とす る風 潮が あ つた。書簡 当時 すで にユ ゴーが 自 ら「 見者」 を称 して い る。 ラ ンポー に よれ ば、ユ ゴーを超 えてポー ドレール こそが彼 自身に先 立つ「 第 一の見者 」であ る。 ラ ンポーの「 見者詩 人」 とは、 自 らに試練 を課 す ことで「 未知 な るもの」に到達 し、それ を人々の もた らす者であ る。「 信念 と超『地獄の季節』における「サタン」 と「魔術師」
153
人的力のすべてを要するえも言えぬ責め苦によ り、彼は 自らを とりわけ偉大な る病人、偉大なる有罪者、偉大なる呪われ人、一一 そ して至上の知者 となすの です!J
「 未知 なるもの」はプロメテウスの火に擬せ られる。「 それゆえ詩人 は まさ しく火を盗む者なのです。/人
間性について、動物たちについてさえ、 責務 を負 つているのです」。「火の盗み」によつて「詩人はその時代に普遍霊魂 のうちに目覚める未知なるものの分量を特定」し、「進歩を倍加 させる乗数 とな る」。また、その目的にふさわ しい「普遍言語」が構想 されるが、万物照応の原 理による言葉の魔術的効力が前提 となっている。ランポーがパ リ・コ ミュー ンに 参加 して、その内情におおいに失望 したに しろ、参加す らしていないに しろ、 目されているのは政治的変革を超え、人間精神のあ りかたそのものの変革であ る。 また、見者詩人はプロメテ ウスになぞらえられていることか ら、タブーを 犯す反逆者に して救済者 という属性 を付与されていると考え られる(1)。 『 季節』の魔術師はそのような理論の実践者である。プロローグを除 く本文 の第一パー ト「悪い血」では語 り手の反逆者 としての属性が顕れるにとどまっ てい る。魔術師的意識の最初に開示されるのは第ニパー ト「地獄の夜」である。 まさに「 人類」に「 未知なるもの」をもたらす野心が開示され るのである。 すべての神秘 を暴いて見せましよう、宗教的あるいは自然の神秘、死、誕生、未 来、過去、宇宙開開、ネアン。私は魔術幻燈の大家なのだ。 お聞きあれ! 私にはすべての才がそなわつている! 続 く「 錯乱 そのI」 にお いて は、例外 的に語 り手は魔 術 師 につ きそ う「 愚 か な 乙女 」に交替 してお り、従来 の語 り手、魔術 師 のあ り方が描 写 され るの は第 二者 の 目か らであ る。「一一彼 は生 を変 え る秘 密 を握 つて い る とい うの で し ようか?
い え、それ を探 し求 めてい るだけなのだ、 とわ た しは思 いか え しま した」。「 あ る朝 、わ た しが 目覚 め る と、法律 も風習 も変わ つてい るの154 F地獄の季節
Jに
おける「サタン」 と「魔術師」 じゃないか 一― あの 人の魔 法 の力で…」。 また直接 話法で地獄 の夫=語
り 手のセ リフが 示 され る。「 僕 は女 たち を愛 さない。愛は造 りなお さねばな ら ない、知 って の とう りさ」。彼 が「 法律 も風習 」を、 そ して また「 愛」(勾を、 「 生 」の何 もか も を根 本的 に変 えよ うと して い る者であ る こと、そのための 魔 法 の鍵 を握 つて い る、も しくは探 求 してい る者であ るこ とが示 され るので あ る。語 り手 のあ る種 の救 済者 としての意識 は以下のセ リフか らうかが えよ う。「・¨僕 はい ずれ遠 くへ去 らな ければな らない。 そ して他 の者 も救わねば な らない。それが僕 の義務 だ。あ ま り気 のすす まない こ とではあ るがね…、 お まえ…」。 た だ し変革実現 の可能性 に乙女は疑念 を抱 いてい るよ うだが。 「錯乱そ のI」 と対 をなす「 そのH」 の「 僕 の番 だ」 の 一声 をもつて語 り は従 来 の語 り手 に も どるが、やは りその ような 目的観 は表明 されて いる。ま た魔術 的 な詩 の 言語 について も語 られ る。 僕は夢みていた、十字軍を、報告書もない探検旅行を、歴史のない共和国を、隠 蔽された宗教戦争を、道徳慣習の変革を、種族 と大陸の移動を。僕は魔法の力のす べてを信 していた。 そ して僕は自らの魔術的詭弁を言葉の幻覚によって説明 した! 時制 には主 に半過 去時制 が もちい られ、事後 的 な回想 であ ることを うかがわ せ る。 このパ ー トを転 回点 と して、語 り手は見者=魔
術 師 に よる世界 変革の試 み の放棄 に向か つて い く。最終 パー ト「 別 れ」に至 り次 の よ うに述懐 す る。 あらゆる祝祭 を、あらゆる勝利を、あらゆる ドラマを僕は創 りなした。あたらしい 花々を、あたらしい天体を、あたらしい言語を作ろうと試みた。超 自然の力を獲得 したと僕は信 した。なのに何て事だ!
僕は自身の想像 と記憶の数々を埋葬 しな く てはならない!
芸術家の、語 り部の麗 しき栄光は奪いさられる!『地獄の季節」における「サタン」と「魔術師」 155 こ こへ 冒頭 に引用 した「 土に還 るのだ」 とい う部分が続 く。 プ ロメテ ウスの「 火」の ような「 未知 なるもの」 をもた らす ことで この世 の 「 生 を変 え る」、その 目的の ため に語 り手 は「 超 自然の力」の保持 者 た らん とし てい たので あ る。 もはや単 な る詩人ではない。見者詩人が『 季節』 では魔術 的 効 力 をもつ もの と して の詩 の言葉(3)を見 出 し操 ろ う とす る魔術 師 と して描 かれ とと らえて よい だ ろう(●。ただ し、 一見 した ところ暴 かれ るべ き「 未知 な るも の」 その ものについて よ りも、 その探 求者の苦難 こそに『 地獄 の季節』 の語 り の多 くが たや され てい るのであ り、 これ こそが見者理 論 の実践 につ いての物語 であ る由であ る。 いずれ にせ よ、魔術 師 としての意識 の称揚 とその廃棄 に至 る 過程 が物 語 をつ らぬ く筋 をなす こと言 え るであ ろ う。 書簡 にお け る「 普遍霊魂 」「 普遍知性 」と言 つた基本術 語の採 用、「 普遍 言語」 の構想 にお け る万物照応 の理論が示唆 な どか ら、 見者 の業 の構想 は新 プラ トニ ズム を主要 な源流 とす る神秘学 の思想類型 に属 す る と考 え られ る。見者
=魔
術 師 の あ り方の規定 自体 、特 にエ リフ アス・レヴ ィ流 の カバ ラ哲 学 の影響 、あ るい は少 な くともそれ との共通性 は特記 すべ きものが あ る(η。それ ら神秘学、 レヴ ィにお け る魔術 は 一神教的 な至高神 の崇拝の も とにお こなわれ る。魔術 をお こ な う者 を悪魔 と契約 を結 んだ者 とす るのは、 カ トリック教会側 の観念 に則 す る 魔術 師観 であ る。ところが、以下 に見 るように、『 季節 』の語 り手 は 自 らを悪魔 の も とにあ る と見 てお り、 それがいわゆ るカバ リス トや レヴィとの大 きな違い とい うこ とにな るであ ろう。H
書簡 で は キ リス ト教 が反逆 の 中心 的対象 と して あげ られ るこ とは なか った。 『 地獄 の季節 』 で はキ リス ト教 者が反逆 対象 と して導入 され、 見者 一魔術師 は 自身 をサ タ ンの も とに位置 づ け る。 第 一パ ー ト「 悪 い血 」では、語 り手は 自らを異教徒 の「 悪 い血 」 を引 く者 と「地獄の季節」における「サタン」と「魔術師」 規定す る。社 会 の秩序 、道徳 の担 い 手た るキ リス ト教者 が「良い血」の者 として 対置 され るこ とにな る。語 り手は先祖か ら 「すべ ての悪徳 を受 け継 いだ」 と し て、七つ の大罪 の二つ 、「怒 り」「色欲」「怠惰 」を列挙 し、キ リス ト教者 へ の反 逆 の意思 を表 明す る。まだサ タンは登場 しないが 、これ はサ タ ンの「七 つの大罪 のす べて を背負」つていろ との要求 に対応す る。「異教徒」「悪 い血」の者 との規 定が 自身 の反逆 の対象者 に由来す る点 を注意 され たい ゛ゝ 本 文 中でサ タンの最初 に現れ るのは次 のパー トの 「地獄 の夜 」 にお いてで あ る。 語 り手は 「かの名 高い毒 を一息 に呑 み こんだ」。「毒」 は臓腑 を焼 き、炎 に つつ まれ る地獄 の感覚 をあたえる。 しか し彼 の求 める 「ヴィジ ョン」はそのな かで こそ か きたて られ る。「幻覚 は数 限 りない」。「詩 人 た ち も幻視家 た ち も う らや む に ちが いない。僕 の方が幾倍 も豊 かなのだ 、海 の よ うに貪欲 でい よ う」。 「貪欲」は七つの大罪 の一つだ。果て しない 「幻覚」 をもた らす炎の担 い手が サ タ ンで ある。「サ タン、道化者 よ、お まえはその魔力 で僕 を とろけ させ よ うと す る。僕 は要求す る、要求す る
!
二股 の槍 の一突 きを、炎の一滴 を !」 サ タン と語 り手 の関係 について次 の部分 に注 目 したい。 僕に吹きこまれるあやまちの数々、魔術、まがい物の香 り、子供 じみた楽曲。そ し て、僕が真実を把握 している、正義を解 しているなんて。公正で確たる判断を有 し ている、完成の用意がととのっているなんて…、傲慢だ。 原 文は “。n me soume"だ が、 これ を 「人が吹 き こむ」 と訳 してはな らないの では ないか。何者 が 「吹 き こむ」のかが 問題 なので ある。「あや まつた改宗 」と 題 され た草稿 の該 当部分 を参照 しよ う) 黙れ !そ れ は僕 の耳に吹 き込まれ るあや まちの数 々、魔術、錬金術 、神秘主義、ま がい物の香 り、朴訥な楽曲。サ タンがその担い手なんだ。だか ら詩人たちは地獄墜 ちになるんだ。 いや、そ うではない。「地獄の季節』における「サタン」と「魔術師」 “。n"が サタ ンに対応 し、決定稿 では故意 にばか されてい るが魔術師の魔術の おお も との担 い手 と してサ タ ンが措定 され、語 り手はキ リス ト者か らみれば悪 魔 の も とにあ る魔術 師 で、魔術 は語 り手 に七つの大罪 の うち「 傲慢 」の罪 をも た らす、 とい うのでは ない だろ うか(7)。 カ トリック教会 による布教 の過程 で異教 の土着神 は、 キ リス ト教 の聖人な ど といわば「 習合」 して と りいれ られ るか、 さもな くば悪魔 とみ なされ、悪 とみ な され るべ きあ らゆ る要素 が異教の観念 に繰 り込 まれた。二元論的 なオ リエ ン ト宗教 の影響 下で悪魔 は神 に成 り代 ろう とす る敵対者 と しての属性 を得 てい く。 キ リス ト教会 は敗北 に定 め られてい る とみなすの であ るが。異教的傾 向は農村 にお いて女性 を担 い手 と して受 け継 がれたが、そ こで契約 によ り悪魔 につか え、 特殊 な智 識 と技能 とを授 か った者 と して・の魔 女像 が醸成 され る。教会 に よる悪 魔 学 的見地か ら言 えば、魔 女の神 は キ リス ト教 の神への敵対者 なのであ る。 旧 約聖書 の「 ヨ ブ記 」に顕著 な神 の許 可の も とに人類 に試練 をあたえ る役 人 と し ての それ とは対照 的な この悪魔観 が本論 では問題 とな る。 魔 女 の神 とい う悪魔 観 は、賎民 の神、敗者 の神 とい う観念 につ らな る。 また 文学 史上 では、 と くに ミル トンの『 失楽園』以来 、圧制者への反逆 者、深遠 な 智識 の保持 者 と して、サ タ ンに プロメテ ウスの面影が顕著 にな る(助。一九世紀 半ば、 プ ロメテ ウス的 な敗 者の神 とい う悪魔観 は、社会改革思想 と結びつ き、 ロマ ン主義的
=革
命 的悪魔 主義 が台頭 して いた。ボー ドレール の『 悪の華』(初 版 1857)の 、「 反逆 」のチ クルスの詩篇 にお け る悪魔 主義 にはそれが反映 されて い る(η。ユ イスマ ンスの『 彼 方』(1884)にお け る黒 ミサ の場 面はおお いに参 考 にな る。黒 ミサの 司教 ドー クル の祈祷 では悪魔 は「憤激 す る貧者の支柱、敗北 者 た ちの活力源、彼 らに偽 善 と忘恩 と傲慢 の素質 をあたえ、 もって神 の子 ら、 すなわ ち富者 か ら身を守 ら しめ る」「 論理 的な神、公正 な神」であ る(Ю)。 一方キ リス トは一向 に救 済 を実現 しない不実 な神、 ブル ジ ヨワ社会 の庇護 者 と して呪 証 をあびせ られ るの だ。158 「地獄の季節
Jに
おける「サタン」と「魔術師」 『 地獄 の季節』 にお いて は、魔 女のあ りか たを原型 に して、 その よ うな悪魔 の も とにあ る魔術 師 とい う図式 が成 立 してい ると思われ る。「 書簡 」で は見者詩 人は まさ しくプ ロメテ ウス にな ぞ らえ られて いた。「 第 一の見者」と称 え るボー ドレール か らの影 響は言 うまで もない。「 悪 い血」にその構成 上の明 らかな類似 が認 め られ る よ うに、 ラ ンポー は ミシュ レの『 魔 女』(1862)に
影響 を受けて い る と言われてい るが(11)、 上 の よ うな「 魔 女」観 はそ こに描 かれてい る。敗残 者へ の共感 は「 悪 い血 」か らほぼ『 地獄 の季節』の全体 を貫 いているものであ る。 「 悪 い血 」 の二項 対立図式 につ いて言えば、 キ リス ト教 の神 が「 良 い血 」の者 の神 なの に対 し、悪魔 は「 悪 い血」の者 の神 とい うことになろ う。語 り手が「 良 い血 」の者の神 に絶望 する過程 を「悪 い血 」第二節 に見 ることがで きる。「 異教 徒 の血 が たちか え る! 精 霊 は ちか くにい る、 なぜ キ リス トは僕 をた すけて く れ ないのか、僕 の魂 に高貴 さ と自由を授 け」。「 がつがつ と神 を まちつづ ける。 僕 は永遠 に劣等種族 の ままなの だ」。「 がつが つ と」《avec gourmanふse》 の表現 にも七 つの大罪 の一つが用 い られ てい る。第六節 で はキ リス ト者 の到来 が異教徒 に とって抑圧 的 な もの と して描 かれてい る。救済 の可能性 について キ リス ト教 の神 に失 望 し、別様 の救 済 の担 い手 と してサ タ ンが現わ れ る とい うわけ た。第 四節 の「 誰 につか え るのか?」 の草稿 にお け る該 当部分 が実 は「 どんなデモ ン につか え るの か?」 であ つた こ とも指摘 してお きたい。決定稿 では悪魔 が隠 れ る傾 向性 があ る、とい えるであ ろう。ア ン トワー ヌ・アダ ンは語 り手 に神秘 主義 と悪魔崇拝へ の傾 向性 を認 め、それ を血 に 由来 す るもの と指摘 する(12)。 これは 象徴 体 系上の図式 と して妥 当なのだ。語 り手 が 自 らを「 天使 」 と言 うに して も 堕天使 サ タ ンの も とにあ る「 天使 」 とい うこ とにな ろう。 「 地獄 の夜 」の炎 に も どろ う。マーガ レ ッ ト・デ イ ヴ ィスは語 り手が サ タ ンに 要求 する「 炎 の一滴」が、洗礼 の水 を思わせ るこ と、「 炎 の巣 」が「 不死 鳥 の巣」 を思 わせ るこ とを指摘 して い る(13)。 さ らに中地義和氏 は炎 が語 り手 に秘儀参入 の効 果 をもた らす と言 う(1●。実 際、炎 につつ まれ るような苦痛 は、語 り手が見 者詩 人
=魔
術 師 た るために 自らに課 す試練 その もの とみ な され よう。 ここで く『地獄の季節』における「サタン」 と「魔術師」
159
わ えて洗礼 の水のパ ロデ ィーが キ リス ト者へ の単 な る椰楡 に とどま らず、 まさ しく悪魔 礼 拝 の指標 とみ な され る とい うことを指 摘 してお きたい。「 悪魔礼拝 の儀 式 」は「 神 の敵対者サ タ ンを礼拝 す るのだか ら当然の ことなが らキ リス ト 礼拝 の反 対命題 で あ り、その倒錯 ない しパ ロデ ィーの形式 を とる」(1つのであ り、 また秘儀 参 入 の効 果 を もた らす炎 が悪魔 に属 して い るの で あ るか ら。「地獄 の 夜 」 の草稿 タ イ トル「 あや まった回心」 とは この逆 の洗礼 による「 回心」 を言 うのでは ない だ ろ うか。「地獄 の夜」 の 冒頭で語 り手が「 一息 に飲 干す」「毒」 こそその炎の感覚 をあたえ るものであ る。多 くの論者は「 毒」 をキ リス ト教 の 信仰 その もの とみ なすが、以上 を顧慮 す るな らば「 悪徳 の練磨 」 にむけたもの (Ю)、 悪魔 的 な もの とみ るべ きで あ ろ う。プロロー グで語 り手 が、なお も「七 つ の大罪Jを
背 負い込 む こ とをすすめ るサ タ ンに「 そんな ものは た つぶ りいただ いた」と拒否 す る ところ と、「 毒 」の杯 とのイメー ジ上つ なが りは、そのような 図式 あ って こそなので あ る(17)。 悪魔 を と くに「 デモ ン」 と言 うとき、 内な る命 令者 とい う点 で、 ギ リシャて きな「 ダイモ ン」 の意味 も見逃 してはな らない。苦行 を 自 らに課 し「 生 を変え る」魔術 師 た らん とす る語 り手 の内部のあ らがいがたい衝迫 とで もい うべ きも のが「 サ タ ン」の表象 をもつて示 されて い る とい うわけだ。見者書簡 に「私は 他 者 なのです」との フ レー ズが あ るが、「 他者」をいわば 内な る命 令者 と見 ると して、 サ タ ンを『 季節』 をつ らぬ く「他者」 と して措定 して もよいであ ろう。 作 中にサ タ ンが姿 をあ らわ す個所 はそ う多 くはないが、 その よ うな もの とみな され るか ぎ りにお いて、作 品をつ らぬいて最後 まで存在 してい るの だ。 ピエー ル・ブ リュネル はサ タ ンをや は り語 り手 を導 く心理 的審級 と して フ ロイ トの超 自我 であ る とみ なす(1助。 しか し語 り手は「地獄 の夜 」では「僕 は 自分 の受けた 洗礼 の奴 隷 だ。両親 よ、あなたがたが僕 の不幸 をつ くった」と言い、「 閃光」で は「 病 院 の寝 台」で「 聖者」や「殉教者」な どが脳裏に浮かぶ ことに「 子供時 代 の機 れ た教 育 の名残 」 を認め るの だ。異教徒 の血 を引 きなが ら、子供時代 に キ リス ト教 に教化 され、 よって心的葛藤 をかか え こんだ者 らしいのであ る。 す160 「地獄の季節
Jに
おける「サタン」 と「魔術師」 ると、あ えて フロイ トの図式 で 言えば、超 自我 はむ しろキ リス ト教 的モ ラルで、 サ タ ンは抑圧 され るエ スの側 で はないだ ろ うか。概 念 の適 用 と してはユ ングに お け る集合 無 意識 的な原型 (深層 的な コ ンプ レ ックス)概
念が よ り適 当では な いか。異教徒 的な もの、魔 女的な もの、悪魔 的な もの とは、西欧人の心性 にあ って は、 まさに抑圧 された集合 無意識的 な心象 なのであ るか ら。 以 上の よ うな図式 にサ タ ンの位 置付 けがお さ ま らない個 所 もあ る。 まず「悪 い血 」第五節 で語 り手が「 黒 人」(西欧文 明の拒 否者)と して社会秩序 の担 い手 たちを糾 弾 す る部 分 で、「 皇帝 」を「 サ タ ンの醸造所 で造 つた非課税 の酒 を飲 ん だ者 」 とす る ところだ。 これは「神 」の名 を語 る「 皇帝 」 こそ「 サ タ ン」の も と にあ る とい うのの し りの効 果 をね らった もので、 明 らか に例外 をな して いる と み な さよ う。 また、最終パ ー トの「別 れ」の前 のパ ー ト「 朝」では、 いつにな れば「暴 君 と悪魔 の退 散 」を向かえ るのか、「地上 にお け る降誕」を「礼拝」す るのか との語 り手 の 自間が見 られ る。 ここで彼 は もはや 自 らの業の放棄 に向か いなが ら、 キ リス ト者の思 い描 くよ うな何 らかの「救 済 」 は といえば何時訪れ るのか と、 あ らた に問 いなお してい るのであ つて、お の ず と悪魔 の位 置づけ も 異 な るわ けで あ る。この二箇所 にのみ注意 してお けば、『 季節』にお け る悪魔観 は上 に確 認 した よ うな もの を基盤 に して い る と言 え よ う。 III 語 り手 の態度 にはキ リス トヘ の模 倣性 が認め られ る。 それが顕著 なのは と り わけ「 地獄 の夜 」 と「錯 乱 そのI」 であ る。「 地獄 の夜 」には福音書 のお け るキ リス トの 日ぶ りの模倣 が見 られ る。「 それゆ え私 を信 じな さい、信仰 は重荷 を除 き、 導 き、癒 すので す。み な、 来な さい、一一 幼 子 た ち も、一― 私があなた がた を慰 め るため、心 を分 ちあ たえ るため、―一 すば ら しい心 を!」 「愚か な乙女」 の まなざ しを とお して描 かれ る「地獄 の夫」の言動 には、不治の病 を 癒 し死者 をも蘇 え らせ て 回 るキ リス トの影が認め られ る。 そ して「 乙女」はいつ か彼 がキ リス トの よ うに昇 天 す るだ ろう と想 像せ ずには い られ ないのだ(19)。『地獄の季節』における「サタン」と「魔術師」 悪魔 の も とにあ る魔術 師 にお いて、 キ リス トの模 倣 は何 を意味 す るのか。多 くの論者 が、 語 り手 の態度 にキ リス ト的救世 主性 と、サ タ ン的破壊性 との矛盾 した二 面 の分裂 を認 め る(2Q。 その よ うな解釈 にお いては、本稿 にお いて確認 し てい る図式 について、そ してキ リス トの模倣 その ものが持 ち うる意味 について、 充分意識 されて い ない よ うに思 われ る。 キ リス トの模倣 を、帰依 の標 識や単 な る椰楡 とばか り見ては な らないのだ。 キ リス ト教徒 に とって の決定 的 な救 い主 キ リス トに対 し、模倣 者はあ るいはそ れに成 り代 ろ うとす るもの なのであ る。模倣 は正 面切 つての大胆 な対抗意識の 現われ とみ な され る場 合 があ るのだ。語 り手 が救 世 主 た ろ うと して い るのは、 二元論 的悪魔 の も とでの こ とであ り、 キ リス ト教 とは別様 の救 済 を 目論むのだ (21)。 ベル ナールが このキ リス トの 日ぶ りの明 らか な模倣 部分 について「 神に成 り代 わ ろ う とす るル シ フェル的企て の頂点 」 を見 る とお りであ る
.そ
もそも教 会 の採 る態度 と して、何者 かが超 自然的 力 をふ る つて救 世 主然 とふ るまうな ら ば、彼 を神 に背 いて悪魔 と契約 を交わ し人心 を ま どわせ る偽救 世主 とみ な して 排撃 す る こ とは、 伝統 的な ものであ る(2均。「使徒 業伝 」 にあ らわれ る魔術師 シ モ ンは そ の よ うな偽救 世主の一例 とみな されて きた。語 り手は教会側 のその よ うな観 念 をす すんで受 け入 れて い るようだ。救 世 主性 こそが語 り手 の悪魔性 そ の ものの構成要素 を成 し、 また、救 済の希求 こそ彼 の悪魔 主義 の動機 なのだ。 語 り手 はキ リス ト者 の説 く救 済 に別様 の救 済 を対置 す る。「 七つの大罪」を背 負お うとい う態度 は、 一見 キ リス ト教 道徳 の正逆 の転倒 が 図 られて い るようで もあ る。 しか し単 な る破壊 では な く救 済 をこそが 目論 まれて い るの だ。語 り手 は「 良 い血 」の者 らの説 く「 正義 」「 愛 」「 完成(完徳)」「 慈愛」な どに対 し、「悪 い 血」の者流 のそれ らを提示す る。「 愛」についてい うと、「悪い血」第六節では「天 使 の歌声 」 に顕 れ る「 天上 の愛」 に「 地上的愛」 を対置 し、 その為 に「 死ね る」 と言 う。「 地獄 の夜 」の「 僕 に完成 す る準備 が ととの つて い る とは」 の一節 にお け る「 完成 」《perおction》 は 明 らか に キ リス ト者 に とって の「 完成/完徳 」に対置. され るべ きもので あ る。「 完徳 」 は キ リス ト者 に とって は「 慈 愛」「信 心」 とな162 「地獄の季節
Jに
おける「サタン」と「魔術師」 らぶ 三大徳 の 一つで あ るが、 語 り手 の「 完成 」は「傲慢 」 の罪 に結びつ くもの と して、「 悪 い血 」の者流 に特徴 づ け られ呈示 されてい るのであ る。そ こで彼 の 解 す る とい う「 正義 」も また別様 の もので あ ろ う。 また「 慈愛 」《charit6》 につ い て も、「錯 乱 そ のI」 の「 地獄 の 夫」は乙女か ら見 れば「 魔法 がかけ られ」たも の と見 え るよ うな「 慈愛」の実践 者であ る(23)。 それ らは別様 の救 済 にむ け組織 され るのであ る。 愛や徳 を否定 して い る とい うよ り、 それ らを問いなお し、何 らか の再解釈 を行 お うと してい る、 転倒 では な く、相 関物 が提 示 されて い る と 言え るのであ る。 そ して その こ と自体 が悪魔 的な反逆 とい うこ とにな るのだ。 そ こで あ るいは見者=魔
術 師 の救 済の試み はキ リス ト教 に根底 的 に規定 され て い る との解 釈 が な され る。 しか し、 そ もそ も反逆者 と反逆 の対象者のあいだ には思想 的源流 の共有が認 め られ るのだ。概 念史 的見地 か ら考 えると、見者理 論、 そ して『 季節 』 の語 り手の「 魔術」が、 多 くを負 って い る と考 え られ る概 念体 系の源流 の一 つ と して新 プ ラ トニズムは外 せ ない。 それは一方では明 らか にキ リス ト教 思想 の基礎 に もあ るが、他 方、 カ トリックか ら異端 や異教 とみ な され排 撃 され る諸神秘 思想 の基礎 を もな して い るのであ る。 そ もそ もの構想 に お いて、 見者=魔
術師 の思 考は反逆 の対象者 の思考 と相 関的なのであ る(2ぅ。 物 語 はお しまい に向けておお き く転 回す る。結局、何 らかの救済が達成 され たのか とい う とそ うでは ない ら しい。最終パ ー ト「別 れ 」で魔術師 と しての役 割 を捨 て る宣 言には敗北 の色彩 が濃厚で あ る。「 ともか く、嘘 で我 が身 を養 って い る こ とに許 しを請お う」 と言 うとき、語 り手は 自身が結 果的 には不実 な存在 で しか なか った と認 めてい るよ うだ。に もか かわ らずやが て突如 なん らかの「勝 利 」が宣 言 され る。 プ ロロー グの最 終場 面で は偽救世 主の役割 を放 棄 した語 り 手が、 そ こに至 る過程 を彼 のデ モ ンに対 して「 報 告」 して い る と見 られ る。 す る と「 僕 をあ んな に愛 ら しい芥子 の花 で戴冠 させ たデモ ンが声 を荒 げ る」、サ タ ンも態度 を翻 して い る らしい。「精神 の戦 い」の物語はいかな る局 面に辿 りつい てい くの か。「 生 を変 え る」業 の行 き詰 ま りと放棄、また「勝利」の宣 言な どの 展 開 につ いてはつ いては稿 をあ らためて 考察 しよ う。『地獄の季節』における「サ タン」 と「魔術師」 163 結語 『 地獄 の季節』 にキ リス ト教者である 「良い血」の者の説 く救済に対 し悪魔 のもとで 「悪い血」の魔術師の説 く救済 とい う図式を物語のは じめの基本図式 として見て取 りつつ、二者間に相関性 を確認 した。後者の探求にはキ リス ト教 が容認 しないすべての可能性が潜在 してお り、単なる一対一の対立ではなく一 対多 ととらえ られ るべき二項であると言 えよ う。『 地獄 の季節』がひ との内面で くりひろげ られ る 「精神の戦い」の物語であるな ら、それ を心理学的には意識 と無意識 との対立 と意識の拡大による人格の発展(2つを描 いたもの と解釈す る ことも可能ではないだろ うか(26)。
使用テキス ト:こ乃θ sa」isο″θ″α頑4 6dition critique par Pierre Brunel,corti,1987.
「書簡」については 二θ託
“ごυ yaya″ι ttθθι′5″arゴθ7以 6dit6es et comment6os par G6rald
Schaeffer,pr6c6d6es de 《 La voyance avant Rimbaud》 par Marc Eigeldinger,Droz・Minard,
coll.Textes lett6raires hancais,1975. ※テキス ト引用部はすべて拙訳
(1)中地義和『 ランボー 精霊 と道化のあいだ』青土社、1996年、第二部Ⅵ。
「見者」概念そのものについてはアイグルヂンガーの 「書簡」使用テキス ト所収の論考を参照。
(り(Fυ 7ras aο mplttιθ■6ditiOn 6tablie,pr6sent6e et annol過 e par Antoine Ada】 m,Gallilrlard,cOll.
Bibiliothさque de la P16iade,1972.註釈参照。
(3)ボ_ドレールの『 内面の日記』「火箭」に 「言語および書くこと」を、「魔術的活動、降霊の呪 術」とみなす記述がある。この思考は「ゴーチェ論」の展開 される。ボー ドレール と魔術について はGeorges Blin,La sadis″ θ dθ Baυdiaire′ corti,1948.
(4)湯 浅博雄氏は「地獄 の夜」の香具師 じみた口調の採用に魔術的なもの誇大妄想的な面への愚弄 を読み取 り、そもそも見者理論は 「新 しい文学」の創出こそが 目的であって書簡には 「『一切の神 秘を暴こう』などとい う口ぶ りはどこにもない」 と言 う(平井啓之、湯浅博夫、中地義和訳『 ラン ボー全詩集』青土社、1994年.註釈)。 しか し以上によればむ しろ事態は逆で 「文学」は精神を変 革する手段の位置に退いているのではないか。 (つ た とえば 「魔術の学の第一歩は自己の認識」であり「『 大作業』の原理 と1)いうべき作業は自ら の創造である」などの理論は「見者書簡」にも採 られている基本原則である。レヴィの説はEliphas L6vi,Dogmθθι Rメιυθノゐ ね μ2υ "ル麟`"′ Bussiさre,1977.(原 著:1855-56年 )その 「教理篇」 第一章。邦訳『 高等魔術の教理 と祭儀 教理篇』生田耕作訳、人文書院、1982年。 レヴィと象徴 主義との関連については特に鈴木啓司「エ リファス・レヴィのオカルティズムにおける象徴作用」、 宇佐美斉編『 象徴主義の光と影』、ミネル ヴァ書房、1997年。所収。 (6)拙 稿 「『 悪い血』における『 見者』の主題の展開」、『 年報・フランス研究』第33号、関西学院 大学フランス学会、1999年。参照。 (7)これが 「いや、そ うではない」のフレーズに打消 されているとは断定できまい。「地獄墜ち」 とい うことが打消 されているともとれるし、いずれにせ よ、試練の激 しい苦痛のなかで漏 らされる 迷い言なのだ。 (8)マ リオ・プラーツ『 肉体と死と悪魔』倉智恒夫他訳、国書刊行会、1986年.(原著1966年) (9)「サタン連祷」は│その神学的内容からすれば、蛇崇拝の祭式の主アワレミタマエをなす」。サ
164 『地獄の季節
Jに
おける「サタン」 と「魔術師」 タンは「深遠な知識の保管者、 プロメテウス的な技能の伝授者、強情で不屈なものの庇護者た」 Wベンヤ ミン『 ポー ドレール 新編増補』、野村修他訳、昌文社、1975年 。「カインとアベル」に おける悪魔は「ふたたび剣を執 つて激怒 し、富者の神、アベルの神 を『 地上へ投げ落とし』なが ら 天界へ上昇 してい く貧者の神」であ り「 ブルジヨワジーの神 とパ リアの神の対照は二月革命の現実 に通 していたが、同時にキ リス ト教的二元論の比喩 ともなる」種村前掲書。(1つJ‐K.Huysmans,Lふ・bas,Les 6ditions G.Crさ set Cm.
(11)Margaret Da宙 es,《拗 θ saおο″θ″θぼer》どИrttυr Rimbaυこ』
"a//sθどυιθχιθ′Minard,cOu. Archives des lettres modernes, 1975。
(1リ アダンによるプレイア ッド版註釈。
(13)Davies, op ocit.
(14)Yoshikazu Nakaji,の ぁ口baι,メ刀レッしυθノου JimЛ 口θ′,Sθ d6risJio″′」発sarご後″2/ySθ ιθχιυ」 物 ご
′ ζ 勧 “ sa」isο″ "θ′ルr,,∞rti,1987.と くに「 プロロー グ」の解釈 にお いて秘儀参入 に関 して 氏はM.エリアー デ を引用 して い る。 (1う 種村 前掲 書。 (リアダ ンに よるプ レイア ッ ド版 注釈 。 (り語 り手がキ リス ト教 的観念 に と らわれて い るこ と、 それが語 り手の 内的な「 精神 の戦 い」の 主 た る要素 であ るこ とは確 かであ る。しか し、それが現れ て い るのは、自らがサタ ンの も とにあ ると い う意識 自体 にお いて こそであ る。よつて「 毒」その ものがキ リス ト教 というわ けではあ るまい。 (18)使用テ キス ト序 文 。 (1)遡つては「 悪 い血 」第五節 において、語 り手が 自己同一視 の対象 とす る「死刑 囚」のあ りか た に模 倣 の伏線 を見 るこ とがで きよう。拙稿 「『 悪 い血』第五節 の反逆 者像 につ いて 」、『 人文論 究』 第五十 一巻 第 二号、 関西学院大学 人文学会、2001年。参照 。 (2っ デ ィ ヴ ィスは、語 り手にお いて キ リス トとサタ ンとが入 り混 じるとみ な し、それ を語 り手の「98t 乱 」ゆ えの もの と解釈 し、 キ リス ト崇拝 に 向か う心情 と背 く心情 のあいたの揺 れ に関連づけ る。 (Da宙es,op.cit。)プリュネル は語 り手が キ リス トの模 倣 を見せたか と思 うと態度 を変 え、サ タ ン 的 な素振 りに とどまると言 う。(使 用テキス ト註釈)中地氏 もやは り「地獄 の夫 」に救世主的側 面 と悪魔 的側 面 との 二面 を分か つて い る。(Naktti.Op cit) (21)もつとも「書簡 」では見者はキ リス トがそ うであ るように最終 的決定的 な とい うのではな く、 自 らが志 なかば に倒 れ「他 の驚 嘆 すべ き働 き手」に継承 され ることをも想定 されて い る。 (22)これは「奇跡 」 と「魔術」 との区別 に関わ る。「何事 によ らず,自然 のふつ うの な りゆ きか らは ずれて い るとみ な され るこ とが、人間の手で 引 き起 こされ る場合、 も し魔術師が 見物 人の宗教 に属 して いれば、 それ は奇跡 と呼 ばれ るが、 しか し、も し魔術使 いが別の宗教 に属 して いれば、 それは 魔術一― 多 くの場 合 黒魔術一一 なので あ る。 グ リムの言葉で いえば、F奇 跡 は神 の もの、魔術 は悪 魔 の もの』で あ る」。M.Aマレー『 魔 女の神』、西村稔訳、人文書院、1995年。(原著第 二版 1952 年)その第五章。 (23)拙稿 「『 悪 い血』 にお け る『 見者』 の主題 の展 開 」、『 年報。フランス研 究』第33号、関 西学 院大学 フラ ンス学 会、1999年.を参照 され たい。 (24)ょって、キ リス ト教思想 を「 通俗化 したプラ トン主義 」とみ な した上で、『 季節』の反逆 がキ リ ス ト教 を、また プラ トニスム を対象 とす る、とみ なすこ と (湯 浅氏 による註釈)もまた適 当ではな いで あ ろう。 (25)ュングは「錬金術 哲学 」 に心理学 の発展途 上 の前段階 を見て と り、 その「奥 義」を「 意識 と 無意識 との混合 と結 合 によ る人格の変容 にあ った」として い る。また「 よ り大 きな意識へ 向か う歩 み はすべて、一種 の プ ロメテ ウス的咎 であ る」 とも述べて い る。CG.ユング『 自我 と無意識』、松 代洋一 。渡辺 学訳、第 二文明社1995年。(原著:1928年) (26)心理 的要素 に限 らず、対 立図式 をあ らゆ る中心勢 力 と諸反 対勢 力の闘争 の フォ リュ ミュルそ の もの とみ なせば、読者 はそこに様 々な、思想、イデオ ロギー を投影 す るこ とがで きる。これが『 季 節 』 の解釈 の多様 性 を生 じさせ てい るので あ ろう。 (文学部非常勤講師)