目 次
単線型連続生産と複線型連続生産 ・・
−﹃資本論﹄ 第n巻第二篇第 一 五章の一解明−
はしがきI問題の所在 -一 一 -一 一 四 単線型連続生産をめぐる論争小史 単線型連続生産に内在する経済法則 単線型連続生産と複線型連続生産の関係 単線型連続生産と複線型連続生産の関係 むすび (二)(−) はしがきI問題の所在 周知の通り、﹁資本論﹂第n巻第二篇第一五章﹁回転期間が資本前貸 の大きさに及ぼす影響﹂の根本前提は生産過程の連続性の想定にある。 どころが、ここで翻って根本的に反省してみるならば、第一五章でマル クスが想定した連続的生産形態はそれ自体としては連続的生産形態の特 殊的な︸方法にしかすぎないのである。因みに、マルクスが第一五章で 想定した連続的生産形態は第1図に指し示す通りである。 みられるように、マルクスの想定した連続的生産形態では確かに第︸ 二三 頭 − − J ︵人文学部経済学科︶ 博 回転期間に所属する第一生産期間が終了後直ちに第二回転期間に所属す る第二生産期間が接続して、年間を通じて絶え間なく生産過程の連続性 が維持される。いうまでもなく、生産過程の連続性が維持されるのは、 原資本に対して追加資本が投下され、前貸総流動資本が最初に進行する 生産過程部分と流通期間中に進行する次の生産過程に必要な部分とに分 割ざれる限りでのことで払乱。しかし、一歩突っこんで考えるならば、 マルクスの想定した連続的生産形態では肝腎要の生産過程の連続性が達 成されるのは特定の限定的条件の下でしかないのである’。単刀直入にい えば、マルクスの想定した連続的生産形態が文字通り生産過程の連続性 を保証するのは、すべての労働者が同時に同一種類の労働に従事して同 じ完成生産物をつくる単純協業という特殊的な場合・でしかありえないの である。というのも、生産過程の連続性が含む本質的含意は、流動資本の 複数回転を包括する固定資本の遊休化に伴うその物質的摩滅の回避にある が、マルクスの想定した連続的生産形態において設置された固定資本の継 続的な稼動が可能な場合は、すべての労働者が同時に同一種類の労働を同 一種類の固定資本に依拠して行なう場合に限定されるからで払麗。逆に いえば、マルクスの想定した連続的生産形態の場合九週間の生産期間が もし相異なる一連の発展段階にある九個の生産工程から成り立つものと 想定するならば、部分生産物は週の進行とともに一段づつ上位の生産工二四 生産期間 流通期間 | ニ 叫j 高知大学学術研究報告 第三二巻 社会科学 引同間←十川 細側聞¥⇒{≒・{十一任│ 第1図 マルクスの想定した連続的生産形態 1 十 複線型連続生産 第2図 程の8週間づつ放 置される羽目に陥 り、生産過程の連 続性達成の目的で ある固定資本の遊 休化の回避が実現 できなくなってし まうのである。い うまでもなく、資 本主義的生産の完 成した姿は、分業 にもとづく協業に 基礎をおく機械制 大工業にほかなら ない。機械制大工 業では一つの完成生産物は工場内分業を構成する各 生産工程での部分労働の積み重ねの上記成り立ち、 各生産工程は部分生産物を次から次へと一段上位の 生産工程に供給することによって空間的に同時に稼 動する状態にある。﹁それぞれの部分機械は、すぐ その次にくる部分機械にその原料を供給する。そし て、それらはみな同時に働いているのだから、生産 物は絶えずその形成過程のいろいろな段階の上にあ ると同時に、また絶えず一つの生産段階から別の生 産段階に移ってゆくのである。﹂︵﹁資本論JI、四 〇七ページ﹂従って、機械制大工業の基礎上での生 産過程の連続性は、主として工場内分業を構成する 各生産工程が同時に稼動し続ける複線型連続生産によって表現されねば ならない。ここでいう複線型連続生産は上の第2図で示される。。 みられるように、複線型連続生産において工場内分業を構成する各生 産工程は最初の例外的な創業時を別とすれば常住不断に稼動状態にあっ て固定資本の遊休化を発生せしめる各生産工程の空隙が存在しない。従っ て、機械制大工業が工場内分業を基礎に成り立つことを前提とすれば、 工場内分業の構成要素としての各生産工程で固定資本に遊休化か生じな い場合の連続的生産形態はあくまでも複線型連続生産形態でなければな らない。換言すれば、機械制大工業が主として工場内分業の構成要素と しての各生産工程の同時稼動状態から成り立つ限りでは、マルクスによっ て想定された単線型連続生産形態の設定はそれ自体として根本的な誤り であるようにわれわれに映じるのである。そもそも単線型連続生産形態 における生産過程が工場内分業から成り立つと考える限り、そこでは一 般に各生産工程に設置された固定資本に物質的損傷が生じる遊休状態が 発生し、生産過程の連続性の本来的目的である固定資本の物質的摩滅の 回避を達成できない羽目に陥るからである。しかし、マルクスの想定し た単線型連続生産形態の中に工場内分業を恣意的にもちこんでそこから 生産過程の連続性達成の不完全さを導き出す主張は、短絡的かつ機械的 な思考方法に起因するにすぎないようにわれわれ忙は思われる。けだし、 機械制大工業では工場内分業を構成する各作業工程が同時に稼勁状態に あるという事実は、マルクス自身が﹁資本論﹂第n巻第二篇第一五章以 前の至る所で強調した事柄にはかならないからである。 ﹁作業場を一つの全体機構として見れば、原料はすべてその生産段階で 同時に見いだされる。いろいろな細部労働者が結合されてできている全 体労働者は、道具で武装された彼のたくさんの手のなかの一つの部分で は針金をつくっており、同時に別の手や道具では針金をまっすぐに伸ば しており、更に別の手ではそれを切ったりとがらせたりしている。いろ
いろな段階的過程が時間的継起から空間的並列に変えられている。それ だからこそ、同じ時間でより多くの完成商品が供給されるのである。﹂ ︵﹁資本論﹂I、三六五ページ︶ ﹁生産物が一つの段階から他の段階に移って行くあいだに、つまりこの ような実体的な変態を経て行くあいだに、同時にそれは各段階で生産さ れているのである。織布工が糸を織っているときに、それと同時に紡績 工は綿花を紡いでいるのであって、新たな綿花が生産過程にあるのであ る。﹂︵﹁剰余価値学説史﹂Ⅲ、二七五ページ、傍点−マルクス︶ 右の引用文が雄弁に物語る通り、マルクスにとっては機械制大工業に おいて工場内分業を構成する各生産工程が常に同時稼動状態にあるとい ・つ事情は既知の根本前提であ゜︷挺・従゜てヽ第︸五章でマルク’Kが想定 した単線型連続生産をめぐる問題の焦点は、マルクス自身が複線型連続 生産を熟知しながら何故に単純協業に基礎をおくだけの単線型連続生産 をあえて設定したのかという点にあることになる。一体マルクス自身再 三複線型連続生産の存在そのものを指摘しながら何故に単線型連続生産 を分析対象に据えたのであろうか。なるほど単線型連続生産に貫徹する 。経済法則が何の変容も受けずにそのまま複線型連続生産において実現さ れるとすれば、形態上の著しい相違に反して単線型連続生産の考察は概 念上そのままで複線型連続生産の考察としての普遍妥当性をもちうる。 しかし、後論’で本格的に示すように、複線型連続生産には単線型連続生 産とは違った経済法則が外観上貫徹する。先ず第一に、複線型連続生産 では遊休貨幣資本の遊離は解消される。第二に、遊休貨幣資本の遊離が 解消される事情と表裏︼体の問題としてI本の生産過程の継続に必要な 流動資本量が減少する。従って、単線型連続生産の考察は外観上そのま ま直接的に複線型連続生産。の考察を意味しないのである。それゆえマル クスが単線型連続生産を分析対象に据えた真の理由を謎解きしないなら ば、単線型連続生産を分析対象とした考察そのものが根底から覆される 二五 単線型連続生産と複線型連続生産︵頭川︶ ことになる。 それゆえに、本稿の課題は、マルクスが複線型連続生産を熟知しなが らなおかつ単線型連続生産を分析対象に据えた真の理由を謎解きするこ とに払び。以下、先ず第一節でマルクスの想定した単線型連続生産をめ ぐって展開された論争の基本的輪郭を浮き彫りにして単線型連続生産を 想定した真の理由が従来未解決であることを突きとめ、続く第二節にお いて単線型連続生産が連続的生産の一般的形態であることを確定する論 理的前提として単線型連続生産に内在する経済法則を析出することによっ て﹁資本論﹂第U巻第一五章の主題を明確化する。更に、第三節では単 線型連続生産と複線型連続生産との関係を分析して前貸総流動資本量が 剰余価値生産に従事する生産資本量より必然的に大きくなるという単線 型連続生産に内在する基本的経済法則は複線型連続生産に妥当する普遍 性をもつことを確定する。最後の第四節では複線型連続生産を︸見すれ ば遊休貨幣資本が生成しないようにみえるが、実は単線型連続生産に内 在する一経済法則としての遊休貨幣資本の遊離は複線型連続生産の場合 にも発生することを究明する。本稿の積極的な考察によって、マルクス が第一五章で分析対象として設定した単線型連続生産を否定する一部の 批判の取り違えが明らかになると同時に理論的な抽象にもとづく単純な ものの分析がそれ自体としてもっ積極的な意義が改めてクローズーアッ プすることになろう。 ︵1︶ マルクスにとって生産過程の連続性達成の条件が前貸総流動資本の分 割にあることはすでに﹁経済学批判要綱1 以来明確であった。 。﹁資本の二重でしかも矛盾した条件、すなわち生産の連続性と流通時間 の必然性、あるいはまた流通︵流通時間ではない︶の連続性と生産時間 の必然性とが媒介されうるのは、資本が諸部分にわかれるということ。 χ%lχ一一lχlsisち41 すなわちそれら諸部分のうちの一方が完成生産物として流通し、他方が 生産過程で自己を再生産するということ、そしてこれらの諸部分が交替 するということ、八言いかえるなぷ︾前者が局面P︵生産過程︶’へ還流
二六 高知大学学術研究報告 第三二巻 社会科学 するならば、後者はそこを立ち去るということによってだけである。﹂ ︵﹁経済学批判要綱Jm、五五三ページ、傍点−マルクス﹂ ︵2︶ マルクスの想定した単線型連続生産において設置された固定資本が文 字通り流通期間の進行中も稼動するのは単純協業が行なわれる場合であ る。しかし、理論上は工場内分業が行なわれる場合でも各生産工程で同 時に仕上がった部分生産物が生産過程の末に一瞬にして完成生産物に転 化するような場合があるとすれば、単線型連続生産でも固定資本の継続 的な稼動という条件は満足される。因みに、瀬戸広明氏は、マルクスの 想定した単線型連続生産の具体例として﹁一〇〇ポンドづつ毎週投下と いう意味がマルクスにあっては、機関車製造業︵機械製造業︶では、9 週間かかって一輛の機関車が完成するのだが、全工程が同時に9’週間ひ きっづいて稼動し、その結果やっと一輛が完成する﹂ ︵︹4︺八七ペー ジ︶ケースを挙げられる。但し、マルクスの単線型連続生産に工場内分 業を想定できるのはあくまで理論上考えられる特殊的な場合でしかない。 ︵3︶ マルクスが複線型連続生産を熟知していた事実そのものに関しては第 一五章の分析対象として単線型連続生産を否定する人々によっても承認 された事柄である。﹁もちろんマルクスが並列的連続生産方法を知らな かったということはできない。﹂ ︵公文俊平︹5︺ 一五九ページ︶ ︵4︶ われわれは、前稿﹁資本の回転と資本の価値増殖﹂ ︵︹H︺︶において マルクスが複線型連続生産を熟知しながら何故にあえて単線型迎続生産 を分析対象に据えたのかという一つの根本問題を不問に付したままで ﹁資本論﹂第稼n巻第一五章に極力内在して、連続的生産形態の基礎上 での回転期間と前貸資本mとの間の固有な関係についての積極的見解を 提出した。それは、マルクスが単線型連続生産を分析対象に設定したの は何故かという基本論点の解決は第一五章の主題の確定を論理的前提と すると考えたからである。従って、本稿は前稿で出発点に据えた単線型 連続生産という前提条件の正当性を第一五章の中心テーマとの関係から 検証する位置にある。 一 単線型連続生産をめぐる論争小史 はしがきでのべたように、本稿の課題はマルクスが複線型連続生産を 熟知しながらあえて単線型連続生産を分析対象に設定した真の理由を謎 解きすることにある。しかし、マルクスの想定した単線型連続生産の是 非をめぐってわれわれは一連の論争史の蓄積をもつ。そこで、本節では、 さしづめマルクスの想定した単線型連続生産をめぐって論争史の基本的 骨格をフォローして従来の論争史の到達点を確認する。 われわれのサーヴェイによれば、マルクスの想定した単線型連続生産 に対する最初の積極的な検討は経営学の領域の藻利重隆氏によって加え られた。従って、マルクスの想定した単線型連続生産の正否をめぐる論 争史は事実上藻利氏のシャープな問題提起によってその幕が切って落と されたのである。単線型連続生産をめぐる議論が主として経営学の領域 で展開された一半の理由はその出発点での藻利氏の問題提起にある。単 線型連続生産に対する藻利氏の疑問点は大別して二つあった。藻利氏の 第一の疑問点は、マルクスの想定した単線型連続生産では生産期間の継 続性が考慮されている反面流通期間の継続性が無視されているという点 にある。そして、第二の疑問点は、マルクスの場合回転期間が単純にも 原資本部分の回収に要する期間として規定され、回転期間の概念規定の 中から追加資本の回収に要する期間がドロップしているという点にある。 ﹁われわれがここでとくに注意したいのは、マルクスにおいては、労働 期間ないし生産期間の継続を中心として問題が展開せられ、その。ための 追加資本に関して詳細な論述が行われているわけであるが、それにもか かわらず、第一には、流動期間の継続が度外視せられていること、およ び第二には、労働期間継続のために投下を必要とせられる追加資本の回 収が、回転期間の算定に・おいて度外視せられていることの二点てある。﹂ ︵︹2︺三三ページ︶ そこで、藻利氏は、先ず第一の疑問点をみずから解決するために資本 の内的本性からすれば生産期間と流通期間とがともに継続する資本の回 転運動こそが現実的であると主張して、第3図にみられる藻利図式をマ ルクスの単線型連続生産に対置された。
A過程4ぷ≧4JZj
B部1{・4・帥{斗り・+・ト
C過り≒●4・{≒⇒●S・日刊
D過叫{≒⇒叫一{≒・川刊
E過り肖⇒・¥{{一川刊
第3図 藻利図式
る。従って、藻利図式における注意点は連続 過程︵第一−三週︶へと投下されることにな ︵第六−九週︶ ・D過程︵第四−六週︶・E 〇の貨幣資本は三分割されてそれぞれC過程 部分か貨幣形態で還流することになり、九〇 一二週間が経過するならば、九〇〇の原資本 等しいからである。因みに、A過程の開始後 とC過程の六〇〇とD過程の三〇〇の総計に 還流するまでに必要とされるB過程の九〇〇 最初投下された原資本九〇〇がこ一週間後に 合必要な投下流動資本の大きさは、・A過程に 二七〇〇必要になる。。けだし、藻利図式の場 二〇〇に比較して一五〇〇だけ増加して総計 貸総流動資本量は単線型連続生産の場合の一 流通期間の継続性がともに満足されるが、前 みられるように、藻利図式では生産期間と 的に進行する生産過程が三本に増加するに反 して投下総流動資本量が三倍化しないところ にある。生産過程が三本に増加するのに反して前貸総流動資本が三倍化 しない理由を藻利氏が掘り下げて遊休貨幣資本の有効活用に求めたのは 注目してよい事実である。しかし、﹁資本論﹂第Ⅱ巻第一五章の論理次・ 元上で流通期間を継続化せしめる連続的生産形態を分析対象に据えるべ きであるという藻利氏の主張は必ずしも肯繁に当っていないように思わ れる。というのも、後論で詳しく考察する通り、第一五章での中心テー 4 4 x 一一 sisx x%一 lx sxxs ssx 一一一 ゝマは生産過程が継続的に営まれるという限定的な条件の下で回転期間が 前貸資本量に’如何なる影響を与えるかを純粋に分析することにあるから である。 次に、藻利氏は、第二の問題点を止揚するために、資本の回 二七 単線型連続生産と複線型連続生産︵頭川︶ 転期間をもって投下された流動資本のすべてが回収されるのに必要な全 期間と概念規定されるべきであると積極的に主張された。つまり、藻利 氏によれば、生産期間プラス流通期間としての回転期間の概念規定は前 貸総流動資本が全額一挙に投下される断続的生産形態の場合にしか通用 せず、連続的生産形態の場合には前貸総流動資本全額が還流するのに必 要な全期間こそ断続的生産形態の場合の回転期間に相当するというので ある。しかし、連続的生産形態の場合には回転期間をもって前貸総流動 資本全部が還流するのに必要な全期間として規定すべJびあるという藻 利氏のマルクス批判は概念上成立しがたいように思われる。それは以下 の理由からである。すなわち、本来断続的生産形態の場合に回転期間が 生産期間と流通期間の総和として規定されたのは、その期間中に前貸総 流動資本がすべて還流することと概念上関係がない。それは前貸総流動 資本が全部還流するか否かに関係なく生産期間プラス流通期間の総計に 等しい期間中に前貸しされた資本価値が本質的に剰余価値を伴って還流 する期間であるからにすぎない。けだし、資本の価値増殖とは前貸資本 価値が剰余価値を伴って還流する運動に尽きるからである。つまり、資 本の価値増殖運動の一単位は、前貸資本価値が前貸総流動資本の全部で あるか否かに関係なく、それが剰余価値を随伴して還流するまでに必要 な一定期間に等しい。だから、断続的生産形態の場合には前貸資本価値 が剰余価値を随伴して還流する特定期間によって回転期間の概念規定が 与えられるのであって、その回転期間は前貸総流動資本が全額一挙に投 下される関係からそれが全部還流するのに必要な期間と結果的に等しく なうたにすぎない。逆にいえば、連続的生産形態の場合には前貸総流動 資本のすべてが一挙に投下されない関係上、前貸資本価値が剰余価値を 伴って還流する回転期間と前貸総流動資本が剰余価値を伴って還流する のに必要な特定期間とは一致しなくなるのである。従って、断続的生産 形態の基礎上で通用する回転期間の概念規定は連続的生産形態の基礎上二八 高知大学学術研究報告 第三二巻 社会科学 でもそのまま通用する。 以上みたように、藻利氏は、従来白紙の状態に近かった単線型連続生 産の想定に対して十分検討に値する積極的アンチーテーゼを提起された。 われわれの立場からいえば、藻利氏の功績は、単線型連続生産の想定を 単純に鵜飲みにせず、素朴な疑問の提起によってマルクスの想定のより 深い含意発掘のための材料を提供した点にある。 これに対して、藻利氏の問題提起を真正面から受けとめ藻利図式を更 に理論的に徹底化されたのは同じ経営学の領域に属する馬場克三氏であっ た。馬場氏の主要な主張点は、マルクスの想定した連続的生産形態にお いて九週間の生産期間が九個の相異なる生産工程から成丿拉つと仮定す れば、各生産工程の連続性が達成されないという指摘にある。勿論、マ ・l 十一1 トト 第4図 馬場図式 ルクスの想定した単線型連続生産 に妥当することはそれぞれを先行 する生産期間より三週間遅れて後 続の生産期間が接続する藻利図式 にもそのままあてはまるという。 そこで、馬場氏は、工場内分業を 構成する各生産工程が継起的に部 分生産物を次から次へと送り出す 本来の機械制大工業を想定するな らば、連続的生産の基本形態は以 下のように図式化されるべきであ るとして藻利型連続生産をより徹 底化させる考え方を提唱された。 みられる通り、各生産工程での 部分生産物の完成に等しく一週間 を必要とすると想定する馬場図式 では、第一週目に始まる第一生産工程から部分生産物が供給されるとす ぐに第二週目にはまた同じ第一生産工程で新たな部分生産物の加工が始 まるから、各生産工程に設置された固定資本の遊休化は完全に回避され、 工場内分業体制の下での生産過程の連続性が十分に表現されることにな る。馬場氏によれば、馬場図式に示される厳密な意味での複線型連続生 産の達成に必要な前貸総流動資本量の計算式は次のよう。に定式化される。 すなわち、前貸総流動資本量は第一回転期間の完了時までに各生産過程 に投下される流動資本の総計に一致する。けだし、第一回転期間が完了 すれば貨幣形態で還流する流動資本を次に始まる各生産工程に転用でき るからである。そこで、先ず第一生産期間の終了までに、一単位期間 ︵たとえば一週︶に要する流動資本の大きさをmとし生産期間をn単位 期間とすれば、ふに三コ十こヨの流動資本前貸が必要である。次に、流 通期間をZ単位期間と仮定すれば、第一流通期間進行中に投下すべき流 動資本量はコ’ヨである。従って、複線型連続生産に必要な前貸流動資 本総量を計算する一般的定式はしヤコ号十二’ヨ十∼∃=∃三しや︵コ+。二 十z)とに祉。たとえば、毎週一生産工程に投下される流動資本量がI ○○で生産期間と流通期間とがそれぞれ九週間と三週間であると仮定す れば、前貸総流動資本量は一呂・里十︵口十二十じ=心呂とな る。藻利図式に対する馬場図式の特色は、各生産工程の連続性がより完 全に達成されることを別とすれば、遊休貨幣資本の遊離が完全に解消さ れる点にある。けだし、第二一週末に還流する九〇〇の貨幣資本は直ち に第一三週初めに九本の生産過程を構成する九個の相異なる九個の生産 工程にそれぞれI〇〇づつ投下され、以降同じ投下が毎週反復されるか らである。 以上、論争の第二段階を形成した馬場克三氏の見解を概観したが、馬 場氏の貢献は、複線型連続生産こそ各生産工程が休みなく継続的に稼動 する生産体制の表現であることの指摘にあるように思わ忙妃・かくてヽ
藻利氏によって口火が切られ馬場氏によってその極点にたどりついた単 線型連続生産をめぐる論争の成果は、われわれの立場から要約すれば、 以下の一点にある。 ’` すなわち、工場内分業を構成する各生産工程が同時稼動状態にある連 続生産は、馬場図式に示される複線型連続生産によって表現されるとい うこと、これである。 ’ しかし、これまでの単線型連続生産をめぐる論争過程を回顧すれば、 最も基本的な論点に関してその不十分さを否めないように思われる。す なわち、馬場氏は、一方でマルクスの想定した単線型連続生産に対して 各生産工程が同時稼動状態にある複線型連続生産を対置されたが、他方 で﹁マルクスが資本循環の重複的進行の事実を知らなかった筈はない﹂ ︵︹1︺四三ページ︶こともきわめて正当に強調されている。ところが、 マルクスが複線型連続生産の事実を熟知していたことを不動の根本前提 として認めるならば、解決すべき問題の要点はマルクスが何故にあえて 事実上工場内分業を捨象した単線型連続生産を分析対象として設定した かという点にあることになる。従来マルクスが複線型連続生産を熟知し ながら何故に単線型連続生産を討析対象として据えたのかという最も肝 腎な基本論点は等閑に付されてきたように思われる。なるほど、馬場氏 には、マルクスが単線型連続生産を分析対象に据えた理由づけに関して ﹁流通期間が前貸資本の大いさに及ぼす影響ないしは貨幣資本の遊離に 作用する影響をとり出すためには、却ってもっとも単純なケースを想定 する方がよいと考えられたのではないか﹂ ︵︹1︺四三ページ︶という 推論がある。しかし、先ず第一に、﹁流通期間の存在が前貸資本の大い さに及ぼす影響﹂とは具体的にはどういうことかに関して馬場氏は立ち いった説明を展開されていない。換言すれば、単線型連続生産が分析対 象に据えられた﹁資本論﹂第n巻第一五章の主題は何かがそもそも明確 化されないままに、単線型連続生産をもって複線型連続生産の原型とみ 二九 単線型連続生産と複線型連続生産︵頭川︶ なす断定があるように思われる。﹁流動期間の存在が前貸資本の大いさ に及ぼす影響﹂は単線型連続生産の場合も複線型連続生産の場合も同じ であるといっても、マルクスが何故に第一五章で複線型連続生産を具体 的に分析しなかったかというごくプリミティブな疑問は少しも解消され ないように思われる。第二に、﹁流通期間の存在が⋮⋮貨幣資本の遊離 に作用する影響﹂に関していえば、馬場氏自身が指摘される通り、複線 型連続生産では遊休貨幣資本の遊離が完全解消されるのだから、単線型 連続生産が複線型連続生産の最も単純なケースであるとは単純に言い切 れないように思われる。逆にいえば、遊休貨幣資本の遊離が複線型連続 生産にも発生する場合のみに、単線型連続生産が遊休貨幣資本の遊離に 関して複線型連続生産の単純型であるということができるにすぎない。 けだし、一般に単純な事物がより具体的で複雑な事物に対してその原型 たりうるのは、複雑な事物の内部に単純な事物がもつ本質的な規定性が 内包されている限りでのことにすぎないからである。従って、従来の論 争史においてはマルクスの想定した単線型連続生産が複線型連続生産の 原型であるというそれ自体絶対的に正当な主張が示唆されていながら、 単線型連続生産が複線型連続生産の原型たる具体的内容に関して必ずし も十分な説明が存在しないように思われる。われわれの推論によれば、 従来単線型連続生産が分析対象に据えられた所以の曖昧な原因は、究極 的には第一五章の主題そのものの不分明さにある。というのも複線型連 続生産に関する議論はその実マルクスの想定した単線型連続生産の是非 を出発点にして展開されながら、論争の起点の位置を占める第一五章の 主題は一体何かに関して本格的な考察が存在しないからである。つまり、 極言すれば、従来の単線型連続生産をめぐる論争では、マルクスが単線 型連続生産を分析対象とした第一五章の基本課題は何かが厳密に確定さ れないままで、複線型連続生産こそ工場内分業を盛りこんだ機械制大工 業での連続的生産形態の表現であると主張されて単線型連続生産に対置
三〇 高知大学学術研究報告 第三二巻 社会科学 されてきたにすぎないので鉦砧・しかし∼マルクスが単線型連続生産を 分析対象に据えた第一五章の主題を本源的に確定しない限り、単線型連 続生産を複線型連続生産の基本形態として位置づけることも単線型連続 生産をマルクスが分析対象として設定した真の理由を謎解きすることも ともに理論上不可能である。そこで、次節では、マルクスが単線型連続 生産を分析対象に据えた第一五章そのものの主題を厳密に確定する。 ︵1︶ 回転期間とは前貸総流動資本がすべて回収されるのに必要な全期間で なければならないという見解は藻利氏のほかに公文俊平氏にみられる。 ﹁資本の回転期間という概念は、最初に投下された前貸資本とひとしい だけの価値額が、生産物の売上の中から費用として回収されてくるまで に要する期間を意味している。﹂ ︵公文︹5︺ 一四六ぺf︲ジ︶ ︵2︶ 馬場︹1︺四四−五ページ。 ︵3︶ 一般的に前貸流動資本総mは一つの回転期間の長さに対応する期間中 に含まれる生産期間に比例して増減するという必然的因果関係がある。 たえば、週投下資本量をI〇〇として生産期間と流通期間とをそれぞれ 九週間と三週間と仮定すれば、マルクスの単線型連続生産と藻利図式と 馬場図式の三者における前貸流動資本八mの比は一回転期間に等しい期間 ︵こ一週︶中に含まれる生産期間数の比に等しい (12呂:27呂: 7200= 1 + :3:8)°前貸流動資本岳一が一回転期間に相当する期間中に含ま れる生産期間数に比例して増減する必然的因果関係については、浦野平 三︹7︺を参照せよ。 ︵4︶ 時間的前後関係からいえば、複線型連続生産の指摘とその下での遊休 貨幣資本の完全解消の指摘とは高木暢哉氏をもって唱矢とするように思 われる。因みに、高木氏にはすでに一九四八年刊行の著作において﹁投 資も回流もともに連続的である場合には投資と回流とは交錯し、貨幣の 休息は阻止される﹂ ︵︹9︺七三ページ︶という明確な主張がある。 ︵5︶ 本節でのべた単線型連続生産をめぐる論争史はあくまでも何故にマル クスが単線型連続生産を分析対象に据えたのかという問題の所在そのも ・のを明確化しようというわれわれの特定の立場からの限定されたサーヴェ イにすぎない。単線型連続生産をめぐる論争の委細については︹3︺∼ ︹8︺の文献をみよ。 ︵6︶ マルクスの想定した単線型連続生産の場合には︸本の生産過程の連続 性達成にこI〇〇の流動資本が必要であるのに対して、馬場図式に表現 される複線型連続生産の場合には九本の生産過程の連続性が七二〇〇の流 動資本によって達成されるから、一本の生産過程の迎続性達成には 九〇〇の流動資本で事足りる計算になる。 ︵7︶ 従って、﹁概していえば、それ自体としては﹁資本論﹂の体系的認識 を志向するものではない﹂ ︵︹8︺七七ページ︶という従来の単線型連 続生産をめぐる論争に対する浜田好通氏の論評は正鵠を射た評価である ように思われる。 一 一 単線型連続生産に内在する経済法則 われわれは、前節において、マルクスの想定した単線型連続生産をめ ぐる論争史の基本線をフォローし、マルクスが何故に複線型連続生産を 熟知しながら単線型連続生産を分析対象に据えたのかという根本的な論 点は依然として未解決である現状を見定めた。実際、単線型連続生産の 是非をめぐる従来の論争史の上で複線型連続生産それ自体に関する議論 が先行した事情とマルクスが単線型連続生産を分析対象に据えた第一五 章の主題の明確化がなおざりにされた事情とは表裏一体の関係にある。 因みに、第一五章の主題把握に曖昧さがあるならば、そこでマルクスが 想定した単線型連続生産に複線型連続生産を機械的に対置して短絡的に も分析対象としての単線型連続生産を否定しようとする取り違えが論理 必然的に生じるのである。けだし、複線型連続生産は、機械制大工業に 適合的な連続的生産形態として単線型連続生産とは表面上相異なる外観 を呈するからである。そこで、本節では、マルクスが単線型連続生産を 分析対象に据えた第一五章の主題を明確化することによって、単線型連 続生産をあえて分析した謎を解くための理論的布石を固める。 マルクス が単線型連続生産を分析対象に設定した第一五章の中心テーマの明確化 のうちに即自的に単線型連続生産が設定された秘密を解く鍵が含まれて いるのである。
い’うまでもなく、資本の規定的目的は飽くことなき剰余価値の追求つ まり貨殖にある。そして、資本の本質的機能をなす剰余価値生産は生産 過程における資本の固有な存在形態である生産資本によって担当される。 ところが、剰余価値生産に直接従事する生産資本を構成する固定資本と 流動資本のうち、流動資本は生産期間と流通期間との総計から成り立つ 一回転期間中に一回転を完了するのに対して、固定資本は流動資本の複 数回転のうちに初めて一回転をとげるにすぎない。だから、もし固定資 本が流動資本の複数回転を包括する耐用期間中に流通期間を長期に亘っ てもてばもつほど、その遊休化に必然的に伴う物質的損耗を大きく受け ざるをえないことになる。従って、最大限の価値増殖を追求する資本に とっては、流通期間中に不可避的に生じる固定資本の物質的損耗を回避 するだめに生産過程を連続的に維持することが一つの至上命令として要 求されることになる。 ﹁固定資本の価値が再生産されるのは、ただそれが生産過程で消費さ れるかぎりでだけである。利用されなければ固定資本は、その価値が生 産物に移行することなしに、その使用価値をうしなう。だから⋮⋮固定 資本の発展規模が大きければ大きいほど、生産過程の連続性または再生 産の不断の流動が、ますます資本に立脚する生産様式の外的強制条件と なる。﹂ ︵﹁経済学批判要綱﹂Ⅲ、五九︸ページ、傍点Iマルクス︶ 生産過程の連続性によって、超歴史的にして唯︸の生きた現実的労働 である具体的有用労働は、固定資本の物質的存在形態たる機械に対象化 された特定の死んだ具体的有用労働に合目的的に働きかけることによっ て、︸方では特定の死んだ具体的有用労働を新生産物に移転させIる半面、 他方では機械のもつ特定の使用価値を自然界からの物質的摩損の脅威か ら保護するという二重的役割を果たすので払乱・そこで、いま一つの工 場内部において全労働者が同一種類の完成生産物を単純協業にもとづい て生産するものと想定すれば、生産過程が毎週同一規模で連続的に行な 三一 単線型連続生産と複線型連続生産︵頭川︶ われうるのは次の二つの場合に限定される。すなわち、生産期間と流通 期間とがそれぞれ九週間と三週間で毎週投下される流動資本量がI〇〇 であると仮定すれば、ぞの第一のケースは、第︸回転期間に属する第一ヽ 生産期間完了後直ちに第二回転期間に属する第二生産期間が始まり、第 一〇週から第一二週に亘る流通期間中に生産過程の連続性が維持される ために、九〇〇。の流動資本をごI週間に配分替えして毎週投下流動資本 量を七五に縮小する場合である。しかし、第一のケースは非現実的であ る。というのも、第︸のケースが成立するための基本条件は固定資本の 縮小にあるが、固定資本の縮小は各生産部面内部で固定資本が最低必要 資本量に従属的に規定された特定の大きさとして存在するという諸資本 の競争によって強制される︸経済法則と抵触する関係にあるからである。 第二のケースは、諸資本の競争上与えられた固定資本の大きさを前提し た上で原資本九〇〇に加えて流動期間中も生産過程を継続できるだけの 追加資本三〇〇を投下する場合である。第二のケースでは、第一生産期 間に投下された原資本九〇〇は一。二週末に貨幣形態で還流するから、第 一流通期間と並んで行なわれる第二生産期間へ投下すべき追加資本量は 三〇〇となる。つまり、原資本︵但し固定資本部分を捨象する︶と流通 期間中も生産過程を継続するのに要する追加資本との比率は、︸回転期 間中に占める生産期間と流通期間との比率に等しくなる召呂一`呂∼ 必︰ご。そこで、単線型連続生産の基礎上での前貸総資本二I〇〇の 回転運動は以下のようになる。先ず、単線型連続生産の基礎上では、第 一回転期間︵第一週︱第二一週︶中の第一生産期間︵第一週丿第九 週︶が完了して第一流通期間︵第一〇週丿第一二週︶が開始されるや 否や直ちに第二回転期間︷第一〇週丿第二︸週︶に属する第二生産期 間︵第一〇週−第一八週︶が同時平行的に始まり、第二生産期間が完 了して第二流通期間︵第一九週i第二一週︶が開始されると間髪をお かずに第三回転期間︵第︶九週−第三〇週︶に属する第三生産期間
三二 高知大学学術研究報告 第三二巻 社会科学 生産期間 流通期間 叩町ぶト十j 900投下 900回収 (300準備 郷l←ト+1 300投下600投下 900回収 (300準備 卿j←ト+1 900回収 300゛(昌昌 運動 単線型連続生産の下での前貸総資本の回転 第5図 ︵第一九週︱第二七週︶が始まるというよ うに、それぞれの連続的な回転期間が一部分 折り重なりつつ進展することになる。従って、 第5図にみられる通り、前貸総資本二I〇〇 のうちの原資本丸〇〇は第一生産期間に投下 され、第二生産期間には追加資本の三〇〇と 第一流通期間後還流する最初の原資本九〇〇 のうちの六〇〇とが投下され、第三生産期間 には第一流通期間後還流した九〇〇の残りの 三〇〇と第二流通期間後還流してくる九〇〇 のうちの六〇〇とが投下されるというように、 前貸総資本一二〇〇の回転運動は行なわれる のである。 ところが、われわれは、連続的生産形態の 基礎上での前貸総資本の回転運動をみる際や やもすれば年間を通じて生産過程が継続する という一点にのみ眼が奪われ、前貸総資本が 一回転期間中にすべて生産資本として機能す ることができないという連続的生産形態に内 在する基本法則を閑却しがちになる傾向を免 れないのである。しかし、マルクスにとって 連続的生産形態の基礎上では断続的生産形態 に比較して流通期間相当分だけ前貸流動資本 量が増加するという事柄は、本質的には前貸 総資本が全額一回転期間に生産資本としては 機能できないという一つの基本的経済法則を 意味するものにほかならないのである。すな わち、先ほど簡単に触れたように、連続的生産形態の基礎上では、一般 的に表現すれば、第n回転期間に属する第n流通期間の開始と同時平行 的に第ぶ]回転期間に属する第J]・生産期降が始まるのである・つまりヽ連 続的生産形態とは、第n回転期間に属する第n流通期間の開始と同時平 行的に第 つところ 叶回転期間に属する第叶生産期間が始まることによって成り立 の反復更新される資本の回転運動にほかならない。’従って、連 続的生産形態の基礎上での前貸総資本は第n生産期間中に機能する一方 1 の部分と第卜生産期間中に機能する他方の部分との総計から構成される ことになり、前貸総資本の一方の部分と他方の部分とでは生産資本とし て機能する回転期間を異にするのである。それゆえ、連続的生産形態の 基礎上では前貸総資本の一部しか一回転期間中に生産資本として剰余価 値生産に従事できないのである。逆にいうならば、連続的生産形態の基 礎上では前貸総資本は一回転期間中に剰余価値生産に直接従事する生産 資本よりも不可避的に大きくなるのである。従って、翻っていえば、マ ルクスが連続的生産形態の場合には断続的生産の場合に比して前貸総資 本が増加することを力説した本質的含意は、連続的生産形態の場合前貸 総資本が一回転期間中に機能できる生産資本よりも必然的に大であると いう点にある。 かくて、われわれは、以上において、連続的生産形態の基礎上では前 貸総資本が一回転期間中に機能することのできる生産資本よりも常に大 きくなるという一経済法則を析出したが、これまでの考察を踏まえれば、 第一五章﹁回転期間が資本前貸の大きさに及ぼす影響﹂の表題のもつ含 意つまり第一五章の主題はおのずから解けるように思われる。すなわち、 利潤率︵t、=紳︶に表現される資本の価値増殖度合の規定要因は前 貸総資本と年間生産剰余価値量の二つであるが、第一六章﹁可変資本の % sx i x l s s 4 11 xi t ssx s x x 4 1 4 xx回転﹂の主題は前貸総資本の一構成部分たる可変資本の回転が年間生産 s 1 4 1 4 剰余価値量に及ぼす影響の考察にあるのに対して、第一五章の主題は回
転が前貸総資本に及ぼす影響つまり連続的生産形態の基礎上では前貸総 資本がT回転期間中に機能する生産資本よりも不可避的に大になるとい ・ブー経済法則の析出にある。 ところが、前貸総資本が全額一挙に生産資本としては機能できないと いう必然的関係は確かに連続的生産形態そのものに内在する基本的な経 済法則であるが、連続的生産形態の基礎上では前貸総資本の︸可除部分 か周期的に遊休貨幣資本として遊離するというもう一つの経済法則が必 然的に貫徹することになるのである。因みに、第5図にみる通り、第一 回転期間中の第一流通期間を完了して還流した九〇〇の貨幣資本のうち の三〇〇は第二回転期間中の第二生産期間に投下されずに第三回転期間 開始まで遊休状態にはいり、同様にして第二回転期間中の第二流通期間 から排出された九〇〇の貨幣資本のうちの三〇〇は第四回転期間開始ま で遊休状態にはいりこむというように、総じて一二〇〇のうちの三〇〇 という前貸総資本の一可除部分は遊休貨幣資本として資本の回転運動か ら周期的に遊離するのである。ここからわかるように、連続的生産形態 の基礎上で前貸総資本の一可除部分が遊休貨幣資本として周期的に遊離 するのは、前貸総資本のうちの原資本部分と追加資本部分とが第一生産 期間を除いて互いにいりまじって回転運動することに起因するのである。 なぜならば、一般に前貸総資本を構成する原資本部分と追加資本部分と が互いに混和して第n生産期間に投下されるI生産資本△前貸総資本 の関係に注意せよIとするならば、前貸総資本の残りの部分は必然的 に貨幣形態で第 る。逆にいえば `n+1 回転期間開始まで遊休状態に陥ることになるからであ 前貸総資本を構成する原資本部分と追加資本部分とが 資本の回転運動の途上で混交せずに相互に独立的な回転運動を行なう場 合には、遊休貨幣資本の周期的な遊離は発生しないということになる。 たとえば、毎週投下資本がI〇〇で生産期間と流通期間がともに五週間 である場合には、二つの相等しい五〇〇の流動資本部分の単純かつ機械 三三 単線型連続生産と複線型連続生産︵頭川︶. 生産期川: 流通期間 第1回転期間 ±jSiWllfl iト十・ト八 500回収
囃飛
第2胱聯jS4μ1日刊刊 500投下 500回収 第3回転鄙jM4嚇叫什出 500投下 500回収 第6図 生産期間=流通期間の場合の前貸総資本の回転運動ぷニ聶ぷマヤ隔
500投下 500回収 ' 皿頼吻7?II川石仕出工 回収 (叫≒力711剛斗行十トト臨 収 禁?410十仕出斗j 00【叫 流通期間が生産期間の2倍の場合の前貸総資本の回転運動 第7図 的な交替が資本の回 転運動において規則 正しく行なわれるか ら、遊休貨幣資本の 周期的な遊離は発生 しない︵第6図︶。 また、生産期間と流 通期間とがそれぞれ 五週間とI〇週間で ある場合も遊休貨幣 資本の周期的な遊離 は生じない。けだ し、流通期間が生産 期間の二倍の長さを もつ場合祀は、前貸 総流動資本は三等分 され、三等分された それぞれの流動資本 部分はあたかもそれ 自体独立的な資本の ように相異なる回転 期間中に機能する回転運動を繰り返すからである︵第7図︶。一般的に 表現すれば、流通期間が生産期間の整数倍をなす場合、前貸総流動資本 は△流動期間が生産期間に対してもっ整数倍プラス︼▽の大きさに等分 され、均等分された前貸総流動資本の個々の構成部分はそれぞれが貨幣 形態で還流する度毎に直ちに次の生産期間に全額独立的に投下される回 転運動を周期的に反復更新するのである。しかし、流通期間が生産期間三四 高知大学学術研究報告 第三二巻 社会科学 の単純な整数倍をなすのは例外的な場合でしかないから、連続的生産形 態の基礎上では通常遊休貨幣資本の周期的遊離が発生すると考えてよい。 従って、前貸総資本が一回転期間中に機能する生産資本よりも常に大で ある必然的関係が連続的生産形態に内在する第一の経済法則であるとす れば、資本の回転運動から生じる遊休貨幣資本の周期的遊離はその第二 の経済法則であると規定することができる。なお、理論的厳密性を期す 目的でのべておけば、流通期間が生産期間の単純な整数倍をなす場合で も、均分された前貸総資本の個々の構成部分は各回転期間中の生産期間 に現実的に投下されるまでの一定期間貨幣形態のままで留まることから、 遊休貨幣資本の遊離が生じるかにみえる。たとえば、毎週投下資本量が 一〇〇で生産期間と流通期間とがともに五週間である場合、一方の五〇 〇の流動資本部分も他方の五〇〇の流勁資本部分もそれぞれ貨幣形態か ら生産的形態へと転化を完了するまでに五週間を要するのである。しか し、流通期間が生産期間の単純な整数倍をなす場合となさない場合とで は、前貸総資本の一可除部分が同じ貨幣形態に一定期間留まるといって も両者の間には概念的相違が実在することに注意すべきである。という のも、流通期間が生産期間の単純な整数倍をなす場合に前貸総資本の一 部分が一定期間貨幣形態に留まるといっても、それは貨幣形態にある資 本の全額が現在進行中の生産期間に支払われるべき資本部分であるのに 対して、流通期間が生産期間の単純な整数倍をなさない場合にマルクス のいう遊休貨幣資本とはその還流時点で進行中の生産期間に支払われな い資本部分であるからにほかならない。従って、遊休貨幣資本とは、単 に実際に充用されるまで一定期間をもつ貨幣資本︸般を指すのではなく、 還流時点で進行中の生産期間に支払われるべき貨幣資本として拘束され ︵2︶ていない状態にある固有な貨幣資本を意味することを銘記すべきである。 翻っていえば、遊休貨幣資本の周期的遊離という連続的生産形態に内 在する第二の経済法則は、前貸総資本が一回転期間中に機能できる生産 資本よりも必然的に大になるという第一の基本的経済法則から派生的に 生じたものにほかならない。すなわち、資本の回転通動の途上で遊休貨 幣資本の周期的遊離が生じるのは、第n回転期間終了後還流してくる貨 幣資本の一部分が第川回転期間中の生産期間に投下されないことに起因 する。ところが、第n回転期間終了後還流してくる貨幣資本の一部分が 1第叶回転期間中の生産期間に投下されないという事実は、前貸総資本の 一部しか一回転期間中に生産資本として機能できないという一つの必然 的関係の裏返しの表現にほかならない。従って、マルクスにとっては、 連続的生産形態の基礎上での遊休貨幣資本の周期的遊離という事実は、 前貸総資本が全額一挙に一回転期間中生産資本としては機能できないと いう基本的な経済法則に対してそこから必然的に派生する経済法則とし ての位置づけをもつ。それゆえに、前貸総資本が連続的生産形態の基礎 上で一回転期間中に機能できる生産資本よりも常に大であるという第一 の経済法則と遊休貨幣資本の周期的遊離に関する第二の経済法則とは連 続的生産形態に内在する二つの同格の経済法則として並列的な位置にあ るのではないことに最大限注意すべきである。 以上、われわれは、本節において、第一五章の主題が究極的には連続 的生産形態の下で前貸総資本が一回転期間中に機能できる生産資本より も常に大になるという必然的関係の析出にあることを明確化した。 一一 一 ゝ一 一χ ︵1︶ 不変資本の価値移転が生きた具体的有用労働によって媒介される理論 的根拠に関する本格的考察については、拙稿﹁古典派の価値概念とマル クスの価値概念﹂ ︵︹10ど二IIニページをみよ。 ︵2︶ 念のために付言しておけば、流通期間が生産期間の整数倍をなす場合 に前貸総資本の一可除部分が現実に生産資本に転化するまでに生じる貨 幣資本の滞留現象は、流通期間が生産期間の整数倍をなさない場合にも 同じように生じる。たとえば、生産期間と流通期間とがそれぞれ九週間 と三週間で毎週投下資本量がI〇〇の場合、第二回転期間中の第二生産 期間には追加資本三〇〇と還流してくる原資本九〇〇のうちの六〇〇と が投下されるが、九〇〇の貨幣資本が生産資本に転化し終わるまでには
一 九週間を要するのである。しかし、流通期間が生産期間の整数倍をなす ’。場合にせよあるいはなさない場合にせよいずれの場合も、前貸総資本の ノー可除部分が現在進行中の生産期間に投下されるべく予定された貨幣資 本であるときには、その貨幣資本が生産資本に転化するまでの一定期間 。の状態をもってマルクスのい、う遊休貨幣資本と規定できないことは本文 でのべた通りである。 j 三 単線型連続生産と複線型連続生産の関係 一 ぐ われわれは、前節に‘おいて、単線型連続生産に内在する経済法則を析 出して第一五章の中心テーマを確定した。ところが、すでに指摘した通 りJ第一五章でマルクスが想定した単線型連続生産そのものは機械制大 工業内部に事実上単純協業が想定されているという点では非現実的なモ ・デルにすぎない。従って、マルクス自身が複線型連続生産を熟知しなが ’ら何故にあえて工場内分業を捨象した単線型連続生産を分析対象に据え たのかというごくプリミティブな疑問は、。第一五章を繕く際に根本的に解 決すべき基本論点である。。われわれが到達した結論を先回りしていえば、 マルクスが単線型連続生産を分析対象に据えた所以は、回転が前貸資本 量に及ぼす影響という面からみる限り、複線型連続生産が単線型連続生 産に対七て異なる差別性をもっていない点にある。換言すれば、連続的 生産形態の基礎上での回転と前貸資本量との関係とは資本の価値増殖と いう面からみる限り前貸総資本が一回転期間中に機能できる生産資本よ りも常に大きくなるという必然的因果関係に尽きるがゆえに、マルクス は複線型連続生産を理論上単線型連続生産に還元して回転が前貸資本量 に及ぼす影響を純粋に考察したのである。そこで、本節では、資本の価 値増殖という面からみる限りでは回転と前貸資本量との関係は単線型連 続生産でも複線型連続生産でも相異なるところが存在しないことを分析 して、マルクスが単線型連続生産を分析対象に据えた所以を本質的に確 三五 単線型連続生産と複線型連続生産︵頭川︶ 定する。なお、遊休貨幣資本の遊離という単線型連続生産に貫徹する第 二の経済法則が実は複線型連続生産にも妥当することについては次節で 論証する。従って、回転が前貸資本量に及ぼす影響という面からみる限 り単線型連続生産も複線型連続生産も同じであるという事柄に関するわ れわれの論証は、本節と次節とでの考察の総体によって最終的に完了す る。 上来指摘してきたように、単線型連続生産はそれ自体としては工場内 分業を捨象した生産過程の連続性の表現形態であるのに反して、複線型 連続生産は工場内分業を盛りこんだ本来の機械制大工業における連続的 な生産過程の表現形態である。しかし、複線型連続生産討、’それが回転 と前貸資本量あるいは回転と資本の価値増殖との関係という面からとら えられる限りでは、単線型連続生産と区別される概念上相異なる差別性 をもっていないのである。すなわち、先例を用いていえば、複線型連続 生産の場合九〇〇の流動資本が毎週還流してくるとともに次の週には直 ちに生産過程に投下されてしまうことから、あたかも流通期間の存在そ のものが止揚されてしまい前貸総資本が全額一挙に生産資本として機能 できるかのような現象を単線型連続生産の場合よりもI層強くわれわれ に与心乱。しかし、複線型連続生産の場合に前貸総流動資本が全額恒常 的に生産資本として機能するというのは実は単なる虚偽の仮象にすぎな いのである。というのも、複線型連続生産は、その仕組みの複雑さにも かかわらず、原理的には単線型連続生産と同じであるからにほかならな い。つまり、連続的に進行する生産過程の背後に流通過程が不断に進行 する限りでは、複線型連続生産は原理的に単線型連続生産に帰着する。 けだし、連続的な生産過程の背後で流通過程が不断に進行するというこ とは、これを裏返していえば、複線型連続生産の中には前貸総流動資本 が生産過程で機能する生産資本よりも恒常的に大であるという必然的関 係が含まれていることに等しいからである。いくつかの回転期間がそれ
三六 高知大学学術研究報告 第三二巻 社会科学 ぞれ一週間づっずれて行なわれる複線型連続生産の場合、一つの回転期 間中に必らず流通期間が含まれる限りでは、前貸総資本の一可除部分は 恒常的に価値も剰余価値も形成されない流通過程上にあるからである。 因みに、複線型連続生産の一断面としてどの一週間をとってみ乙腿、前 週末に貨幣形態で還流してきた流動資本はすべて今週初めには生産資本 に転化する反面、以前に投下された前貸総資本の一部分は商品資本から 貨幣資本への転化過程にあって剰余価値生産には従事できない不妊の状 態にある 0それだから、複線型連続生産の場合には、前貸総資本量は、 回転期間中に全然流通期間が含まれない連続的生産の場合と比較して必 然的に増加することになる。いま生産期間=九週間を共通として流通期 間が三週間の場合の複線型連続生産と流通期間がゼロの場合の複線型連 続生産とにそれぞれ必要な前貸総流動資本量を比較すれば、以下のよう になる。生産期間が九週間で流通期間がゼロの場合に九本の生産過程が それぞれ継続するためには、最初に始まる第一生産期間を経て九〇〇の流 動資本が還流してくるまでに残りの八本の生産過程に投下すべき流動資 本をあらかじめ準備しておかねばならない。従って、毎週投下流動資本 量をI〇〇とすれば、生産期間が九週間で 流通期間がゼロの場合に複線型連続生産を 達成するために必要な前貸総流動資本量は、 ︸ ︵ ︶ ︵ ︶ ・ ミコ十ご I
と。。ニ求け。
第8図 流通期間 連続生産る︵心呂1ぷ呂心べ呂︶。いうまでもなく、 流動資本量に二七〇〇の差が生じるのであ ロの場合の複線型連続生産とでは、前貸総・ 間の場合の複線型連続生産と流通期開かゼ 生産期間が同じ九週間でも流通期間が三週 ぷ呂である ︵コ=肝肺醤翌︶。従って、 生産期間が同じでも流通期間の有無によっ て複線型連続生産を達成するのに必要な前貸総流動資本量に相違が生じ るのは、流通期間が存在する場合には生産過程の規模が同じであっても、 前貸総資本の一部分が恒常的に流通過程に緊縛されるためにはかならな い。つまり、同じ複線型連続生産でも流通期間が存在する場合と存在し ない場合とでは、前者の場合の前貸総流動資本の方が後者の場合のそれ よりも流通期間中に滞留する流通資本部分だけで必然的に大きくなるの である。それゆえ、前貸総資本が一回転期間中に機能できる生産資本よ りも必然的に大きくなるという単線型連続生産に貫徹するその基本法則 は、複線型連続生産の場合には前貸総資本の︸部分が恒常的に流通過程 に緊縛され、同一規模の生産過程の連続性を維持する流通期間=ゼロの 場合の前貸総資本に比べて流通期間に拘束される部分だけより大きな流 動資本を投下しなければならないという形態で貫徹することになるので ある。従って、前貸総資本が一回転期間中に機能できる生産資本よりも 必然的に大きくなるという単線型連続生産に内在する基本法則は、工場 内分業が生産過程に盛りこまれた複線型連続生産にも貫徹する連続的生 産形態一般の絶対的法則である。それは、如何なる具体的有用労働であ れ、商品生産の基礎上ではそれが物質的財貨に対象化される限りでは、 市場において抽象的人間労働に客観的に還元され価値形成労働としてあ らわれるのと同じ絶対的法則をなす。それだから、翻っていえば、複線 型連続生産の場合、前貸総流動資本は恒常的に全部の生産過程で機能す る生産資本といくつかの流通過程で機能する流通資本との総計によって 成り立つのであるから、生産資本と流通資本とをそれぞれひとまとめに して考えれば、複線型連続生産は理論上単線型連続生産に帰着すること になる。 かくして、われわれは、本節全体の考察を小括して以下のようにいう ことができる。すなわち、回転が前貸資本量に与える影響とは本質的に は前貸資本量が流通過程に拘束される資本部分だけ増加しなければならないということに尽きるがゆえに、マルクスは複線型連続生産から工場 内分業を捨象して単線型連続生産に還元しそこに貫徹する基本法則を純 粋な形態で考察したのである、と。いうまでもなく、これは、あくまで もマルクスが複線型連続生産を熟知しながら何故に複線型連続生産を分 析対象に据えたのかという本稿の課題に対して本節の考察の範囲内で導 出されうる暫定的な結論にすぎない。なぜならば、回転が前貸資本量に 与える影響という而からみる限り複線型連続生産が単線型連続生産と区 別される概念的な差別性をもってはいないことを論証するためには、遊 休貨幣資本の遊離という単線型連続生産に内在する第二の経済法則が複 線型連続生産にも妥当することの考察を不可欠とするからである。 ︵1︶・﹁重複進行の結果、いまやこ一週間︵労働時間九週間プラ。ス流通期間 三週間︶を経過したのちにおいては、毎週の資本投下額︵九〇〇ポン’ド︶ と毎週の資本還流額︵九〇〇ポンド︶とが等しくなるという結果を生じ、 流通期間の作用が消え失せたかのような事態をもたらす。﹂ ︵馬場︹1︺ 四三ページ︶ ︵2︶ ここで複線型連続生産の歴史的一断面としての一週間とは、創業績か ら数えて第一三週目以降における一週間である。 ︵3︶ 瀬戸広明氏は、マルクヽスが分析対象とした単線型連続生産の正当性を 主張する立場から次のように問題提起された。 ﹁﹁資本論﹂第2部第2篇第15章﹁資本投下の大きさに及ぼす回転時間 の影響﹂における単線型連続生産を基礎とした第3部への発展は、重複 生産によって修正を要求されるのか否か。﹂︵︹3︺ 一四八ページ︶ いうまでもなく、瀬戸氏の先駆的な問題提起は絶対的に正しい。しか、 し、単線型連続生産の正当性の根拠として、回転期間の短縮によって前 貸資本11が縮小して価値増殖度合が高まるという単線型連続生産に貫徹 する関係は複線型連続生産にも妥当することを挙げる瀬戸氏の具冰的主 張については、われわれと見解を異にする。 、。 三七 単線型連続生産と複線型連続生産︵頭川︶ 四 単線型連続生産と複線型連続生産の関係 に) われわれは、前節において、回転と資本の価値増殖との関係という特 定の面からみる限り、複線型連続生産は単線型連続生産と区別される概 念的差別性をもっていないことを分析して、マルクス、が単線型連続生産 を分析対象に据えた所以に関するわれわれ自身の一応の結論を提出した。 しかし、われわれの結論を最終的に確定するためにはまだ一つの末解決 論点がわれわれの前に立ちはだかっている。、それは、単線型連続生産の 4 合に遊休貨幣資本の遊離という一つの経済法則が貫徹するのに反して、 複線型連続生産の場合には遊休貨幣資本の遊離という固有な現象が発生 しないかにみえる点にある。もし遊休貨幣資本の遊離という単線型連続 生産に内在する一つの経済法則が複線型連続生産に貫徹しないとするな らば、複線型連続生産は単線型連続生産と固有に区別される概念的差別 性をもっていないがゆえに、マルクスは複線型連続生産を熟知しながら もそれを単線型連続生産にあえて還元したのであるというわれわれの立 論が完全には成立しなくなってしまうことになる。従って、マルクスが 単線型連続生産を分析対象に据えた謎に関するわれわれの考え方を最終 的に結論づけるためには、・遊休貨幣資本の遊離という単線型連続生産に 内在する一つの経済法則が複線型連続生産にも貫徹することを論証する 必要がある。そこで、本節では、複線型連続生産においては遊休貨幣資 本の遊離は発生しないというこれまでの前提条件を根本的に再検討して、 複線型連続生産の下でも遊休貨幣資本の遊離現象が発生することを解明 する。 すでに指摘した通り、複線型連続生産をその絶えざる更新の流れの中 でとらえるならば、先週末に還流してくる貨幣資本は今週初めにその全 額が同時平行的に行なわれる各生産工程に投下されることから、遊休貨