一 中国社会科学院訪
日文化交流団記念講演-中国社会科学院世界宗教研究所 仏教文化芸術研究室主任 王志遠 日時 : 2002 年 10 月 4 日 (金) 午前 10: 30 場所 : 同朋大学成徳館 12 階ホール キー ワー ド 趙朴初、 宗教政策、 人間佛教中国佛教の現状 と展望
1 。 趙朴初会長の、 中国佛教の回復 と発展のた めの歴史的な貢献
中国佛教協会の趙朴初会長は、 傑出 した愛国的な宗教領袖で あ り、 国内は勿論、 国外の 宗教界にも大きな影響を及ぼ し、 多 く の佛教徒や宗教者か ら尊敬 されて きた。 趙朴初会長は、 青年の時代か ら社会主義を詳 し く 研究 した。 長年にわた る研究の結果、 中 国人に と っ て は、 中国共産党は、 最 も 中国人の意識 と利益 を代表で き 、 中国で は社会主義 だ けが 「繁栄富強」 の新社会を建設で き る、 唯一の 「道」 で ある と確信 した。 趙朴初会長 は、 新 中国一代の宗教界の代表者 と し て 、 佛教の教義 を 、 中国共産党が建設 して い る、 偉大な 中国特有の社会主義の大事業 と巧みに一致 させた。 そ して √佛教の教義 を。 民族 と国家 と の尊厳に圓融 し、 国家の国土 と主権を守るため、 国家の平和 と統一の偉 大な大事業 を促進す る こ と と に圓融 し 、 中国の佛教界 と世界各国の佛教界 と の友好往来を 促進す る大事業 と圓融 し た。 犬 趙朴初会長 は、 宗教は、 どのよ う に社会主義社会 と協調す るのか と い う 問題 を突き詰め て論述 し た 。 要 旨は以下の通 り で あ る。 共産党 と 国家は、 政策上 と法律上 と の両面か ら。 民衆の宗教信仰の 自由の権利 を尊重 し。 保護す るべき で ある。 従 っ て、 宗教者 も 国を愛 し宗教を愛す るべ きで あ り。 法律を守るべ 三 五 二第一節
現代中国佛教発展期 9 年の回顧
新中国の佛教は、 い ろ い ろ な歴史的な段階を経て き た。 も し 「文化大革命」 (1966-1976) の終結か ら 1993 年まで の約 17 年 を 、 中国佛教の回復期 とす る な らば、 1993 年以降の 10 年の中国佛教 は、 発展期 に あ る と考 え られ る。 私は、 発展期の特徴を、 8 点に総括 し たい と考え る。きで あ り、 共産党の指導を擁護す るべきで あ り、 国家の恩に報い るべ きで あ り、 衆生の恩 に報いるべきであ り、積極的に社会主義の物質文明と精神文明のために貢献す るべきである。 趙朴初会長は、 佛教徒 に対 し て 、 佛教の利益は、 必ず民衆の利益 と 一致 し な ければな ら ない と戒 めた。 例 えば、 私た ちの生命は一滴の水 と 同 じ に、 一滴の水 が人民 と い う 大海に 入れば、 一滴の水で も永遠に生 き る こ と がで き る と説いた。 趙朴初会長 は、 一貫 し て共産党中央政府 が定めた宗教に関す る様々な方針 ・ 政策 ・ 指示 を擁護 し、 党 と政府が定めた宗教信仰の自由の政策に積極的に協力 し、 宗教事務の管理を 強化 し、 宗教が社会主義社会に合わせ る大切 さ を説明 し強調 した。 趙朴初会長は、 強い責 任感を も っ て、 社会主義にお ける初期の宗教の理論 と実践について 、 真剣に多 く の重要な 提案 を提示 し た。 趙朴初会長は、 全国の各宗教界 と の相互団結 と 安定のた めに積極的に尽 力 し た。 趙朴初会長は、 バ ンチ ェ ン ・ ラ マ十世が、 チベ ッ ト仏教文化の発展のた めに、 チ ベ ッ ト仏教大学な どを建立 し 、 祖国の統一 と 、 民族の団結 を図 り、 外国か ら祖国を分裂す る働 きかけを阻止す るな ど、 様々な面で暖かい心で協力 した。 趙朴初会長は、 宗教儀軌 と 有史以来の制度で ある 「金瓶即題」 の方法を擁護 し、 中央政府にバ ンチ ェ ン ・ ラマ十一世 の認定 を積極的に働 き かけた。 そ して 、 バ ンチ ェ ン ・ ラ マ十一世の教育に も尽力 し 、 宗教 が社会主義社会に どのよ う に従 うべきかの理論立て と実践化に貢献 した。 趙朴初会長が佛教の事業 と 関わ り を も ち、佛教の事業の興隆に勤 めたのは半世紀にわた っ た。 人柄 は高尚で あ り 、 学識は広 く 、 国のた め、 佛教のた めにすべて を投げ捨て て貢献 し たので 、 中国各民族の佛教徒か ら尊敬 され愛 され、 世界 中の平和 を希望す る多 く の人々か ら尊重 さ れて き た。新 中国に特有な歴史環境の中で 、中国佛教史上特別な影響 を及ぼ し た。 中国佛教は、 趙朴初 を育成 し た が、 趙朴初会長は、 中国佛教の発展 を育成 し た。 特 に改革 開放後、 党 と政府 に協力 して宗教信仰の 自由の政策に大 き な貢献 を し た。 外国 と の交流 と 友好発展 を促進す るた めに、 特に中 ・ 日 ・ 韓三国の佛教界の交流往来に対す る貢献は広大 で あ る 。 中国は、 「改革開放」 と市場経済の影響で、 物質的な生活はますます豊かにな り、 さ ま ざ まな文化 と相互に交流 し て い る が卜今 日で は、 佛教の特色 を保持す るた めに、 趙朴初会長 は、 多 く を指示 し、 多 く の仕事を こ な して きた。 そ の成果に対 して、 高僧大徳や世界中の 友人か ら高 く 評価 され賞讃 されて い る。 一 一
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2 . 党の宗教政策実施 に よ る歴史的な成果
「文化大革命」 の終結後の佛教の回復期 にあっ て は、 最 も普遍で 、 最 も重要な、 しか も最 も 困難な 問題 は、 すみやかに宗教政策 を実施す る こ と で あっ た。 こ の宗教政策に よ っ て 、 佛教が蘇 るか ど う かが大切な点で あっ た。 数十年にわた る 「極左路線」 の影響 と既得権益 部門 と の障害 と に よ っ て、 宗教政策をなかなか実施に移す こ と がで きな かっ た。 反面、 宗教政策 を実施 して欲 しい と い う 声が絶 えな かっ た。 宗教政策 を実施す る こ と は、 政府の権 限で あるが、 佛教の側か ら も積極的に声 を上げ、 多方面で協力 し、 宗教政策の実施実現に 全力 を尽 し た。 趙朴初会長は、 宗教政策の実施 には、 他の誰 も が代行 で き ない役割 を果 さ れた。 多 く の寺院の復興 と い う難 し い問題 を、 趙朴初の直接交渉に よ っ て解決 さ れた こ と はい う ま で も な い。 党 と政府の努力に よ っ て 、 中国全土の各地域で宗教政策が実施 さ れた。 実施 された宗教 政策は広範囲にわた り、 宗教人員、 宗教場所、 宗教活動、 宗教制度、 宗教教務、 宗教教育、 宗教外事、 宗教 自立な ど、 多方面の問題にわたっ た。 全面的に党の宗教政策を実行で きた こ と は、 中国共産党の英明偉大 と 「遠見卓識」 を体現 し て い る。 宗教界 も 、 党 と政府が宗 教政策 を実施す るた めに、 積極的に協力 した。 佛教界か らは、 宗教政策 を実施 した成果が こ のよ う に広範囲にわた っ た こ とは、 夢のよ う で あっ た と評価 してい る。 私はこ のよ う に、 中国の宗教政策が実施 さ れた状況 を評価 し たが、 問題 はすべて解消 さ れた と い う こ と で はな い。 事実、 ある地方の宗教政策の実施状況は、 理想通 り にい っ て い ない。 解決で き ない問題がまだ残 っ て い る。 特に、 歴史的な原因か ら園林が寺院にな って いる佛教寺院、 文物寺院にな っ てい る仏教寺院の多 く は、 佛教関係の機関に戻っ ていない のが現状で ある。 こ れ らの問題は宗教政策の範囲で あるが、 多 く の方面 と複雑にかかわっ てい るか ら、 宗教政策を根拠 と して解決す る こ と は非常に困難 と な っ てい る。 将来、 中国 の宗教政策は、 ます ます正確 に実施 で き る こ と が期待 され る。 中国佛教の発展期の有 り様 か ら、 未来に広い展望を期待 で き る と考 えて いる。
3 。 佛教の社会主義社会への適応化理論の深化 と実践上の成果
趙朴初会長は、 宗教 と社会主義社会 と の適応の理論立て と実践化のた めに、 大き く 貢献 を し た。 中国佛教協会は。 趙朴初会長の直接の指導の許で、 積極的に佛教が社会主義社会 に適応す る道 を網索 し て い る。 佛教の社会主義社会への適応化 とい う のは、 宗教の社会主義社会への適応化 とい う主題 か ら産み出 し た論点で ある。 言い換 えれば、 佛教は他の宗教 と 同 じ よ う な歴史的な課題に 当面 してい る。 どの宗教 も、 も しそ の社会に適応 しな ければ、 その社会に生き、 その社会 で発展す る こ と がで き な い。 佛教 も例外で はない。 1998 年、 私た ち は、 盛大に 「中国佛教 二千年」 の記念行事 を行な っ た。 こ の記念行事の最 も重要な意義は、 佛教は、 中国社会に 適応す る こ とがで き る こ と で ある。 適応す る こ と がで き るだ けで な く 、 圓融無碍の有 り様 で 自由自在に一体化 し、 中国伝統文化の一部分と して再現す る こ と で ある。 中国佛教はこ れまで 、 それぞれの時代に合わせて 、 その時代の社会に適応 して きたので、 社会主義社会 にも適応で き た ので ある。 佛教が社会主義社会 と適応化す る こ とがで きた は、 佛教界 と 中国共産党や中国社会やそ 三 五 〇の他 の各界 と に、 共通す る政治基礎 があるか らで ある。 中国共産党に、 「建設有 中国特色社 会主義」 とい う考え方があるが、 これは、 佛教徒を含む多 く の中国人民の根本利益に応え る こ と で ある。 重大な政治原則の問題 で は、 佛教界 と 中国共産党 と の関係は、 「休戚相関、 栄辱与共」 にある。 ある時代、 あ る僅かな 問題で 、 あ る個人が協調 し な かっ た こ と はあっ たに し て も 、 それ らは、 中国佛教が社会主義社会に適応す る政治的な基礎 を動揺 さ せ る も ので はな い。 こ のよ う な基本的な点で 、 中国佛教徒 は、 必ず政治の立場 に正 し く 立つべ き で あ り、 正 しい信仰 を持つべ き で あ る。 新 中国の佛教徒は、 建国の初 めか ら、 趙朴初会長や大徳高僧 等の指導で 、 「愛国愛教」 の道 を歩いて き た。 9 年前以来、 佛教徒は、 政治的には中国共産 党を擁護 し、 社会主義を擁護 してい る。 宗教上で は、 「愛国愛教」 の原則を遵守 して き た。 日常の仕事 と生活の中で法律 を守 り 、 宗教政策で規定 さ れた範囲内で宗教行事に従事す る と い う 、 高度な政治的な能力 を体具 し て い る。 また、 党 と国家は、 宗教信仰の 自由の政策を徹底的に実行 してい る。 宗教界の人々 と多 く の信教者は、 積極的に現代的な社会主義 を建設 し て い る。 佛教 を社会主義社会に適応す る た めの基本的な保証が、 こ こ にあ る。 20 世紀の 80 年代の十数年の経験 を ま と めてみれば、 特に文化大革命後、 中国の社会主 義理論の専門家は、 明確に 「宗教将在相当長的歴史階段中存在」 とい う よ う に、 宗教は相 当長 い歴史の中に存在す る と考えて い る。 「相 当長的」 と い う数字は正確で はな い。 し か し これは、 今 日まで で最 も 冷静に、 最 も客観的に、 最 も 正確な科学的な論述で あ っ た と いえ る。 中国が実行 し て い る宗教政策は、 上述の基礎の上に定めた制度で ある。 1982 年、 中央 政府が発行 し た 《関於我国社会主義時期宗教問題的基本観点和基本政策》 (19 号文件) の 中に十分現われて い る。 も し 、 党 と政府 と に、 宗教に対 して科学的な認識が欠如 し て いた ら、 宗教信仰の 自由の政策 を徹底 し て 実施す る こ と はあ り得な い。 従 っ て 、 佛教 も社会主 義社会において健全に生る こ と がで き ない。 9 年前か ら、 中国佛教界 は、 社会主義の現代化 に積極的に尽力 し て い る こ と は、 周知の 通 り で ある。 1998 年、 佛教界 は、 洪水災害の復 ¦日に参加 し た。 世の人々は驚いた。 これ は、 党 と政府が提供 し た基本保証の う ち の最高の証明で も あ り 、 ま た佛教界が、 積極的に 主体的に社会主義社会に適応 した 、 最高の証明で あ る と考え られ る。 佛教は、 適応性が強い宗教で ある。 特に最近の 17 年間の回復期 、 10 年間の発展期の中 で、 中国佛教が主体的に改革を遂げ進歩 してい る原因は、 政治的な面で根本的な変化 を産 み出 した こ と にある。 従 っ て 中国佛教界は、 社会主義社会に適応す る重要な条件を具備 し て い る 。 あ ら ゆる重要な条件の中で 、 政治上の立場 が第一条件で あ る。 9 年前か ら、 中国佛教界 は、 中国国民 と して、 社会主義社会の家族の¬一員 と して 。 高度的な政治的な素質を現わ し 三 四 九
て き た。 「法輪功」 に対す る批判 闘争 につ いて も 、 先ず佛教界か ら声 を上げ、 立場 も 最 も はっ き り し てお り 、 批判闘争す る意欲 も最 も続いてい る。 佛教の理論 と 実践 と は、 自己の内にある合理性 で ある。 佛教は、 社会主義社会に適応す る重要な条件で ある。 歴史的に考 えて も 、 佛法は 「博大精深」 で あ り 、 佛教の諸行無常 ・ 諸法無我の世界観、 縁起性空 ・ 如実観照の認識論、 無我利他 ・ 普渡衆生の人生観、 諸悪莫 作 ・ 衆善奉行の道徳観、 三学並重 ・ 止観双修の修行方法、 自己のた めに安楽を求めず、 衆 生が苦 しみか ら離れ る こ と を願 う奉献精神、 及び佛教 にお け る哲学、 文学、 芸術、 倫理、 道徳、 自然科学、生命科学等の領域で積み重ねて きた成果は、人類文明の宝貴財富で ある。 今 日で も 。 「建設有 中国特色的社会主義」 が、 特 に社会主義の精神文明を建設す る 中で 、 一 貫 し た旺盛 な生命力 と積極的な原動力 と な っ て い る。 将来的に も 、 発展 し て い る東方文明乃至世界文明の中で光彩 を放射す る こ と がで き る と 考 え る。 ( 中略)
4 。 佛教寺院の建設 と 経済発展の新局面
佛教寺院は、 佛法を高揚す る道場で ある。 歴史上で考えて も 、 「興佛 と滅佛」 は、 何れも 直接寺院の隆盛 と破壊に関連 し て い る。 20 世紀の 80 年代以前、 佛教は衰退 に向かっ た。 多数の寺院が多年にわた っ て修復で きず、 政治勁乱で破壊 された ままで あっ た。 佛教寺院 を工場に した り学校に した り し た影響か ら、 寺院のあ り方 を失っ た。 「文化大革命」 の終結 後、 佛教が復興 した。 始めは、 経済面な どの原因か ら、 佛教寺院を全面的に修復す る こ と がで きなかっ たので √部分的に修復 して 、 信仰者の宗教行事 を行な っ た。 しか し、 中国の 佛教発展期以後、 全国各地の佛寺で は、 広範囲に寺院を修復 した。 そ して更に、 新 し く 多 く の仏堂や僧舎な どを増建 し た。 全部を新築 した寺院も少な く ない。 例 えば、 霊山祥符寺、 三亜南山寺、 深切¦弘法寺、 藍毘尼 (ネパール) の中華寺な どを挙げる こ と がで き る。 これ らの新 し く 建築 さ れた寺院の規模 は広大で、 「金碧輝煌」 と称 さ れ、 設備の完備 し た現代的 な大仏教寺院にな っ てい る。 近年、 各地の寺院は、 各地方の党 と政府の援助で 、 寺院の落 慶法会を執 り行 っ て い る。 僅か 10 年余 り で 、 中国佛教寺院は。 衰退か ら隆盛 に向かっ て いる。 これは中国共産党の宗教政策の英明偉大な具現で ある とい え る。 太平盛世によ る佛 教の福沢で あ り 、 こ のよ う な盛況は、 過去 120 年間で 、 未曾有のこ と で あっ た。 寺院の復興には、 経済的な財力が必要で ある こ と を再認識 し な ければな らな い。 寺院の 経済が豊かにな っ て は じ めて 、 寺院が興隆す る ので ある。 こ のよ う な条件が備 っ て は じ め て、 寺院は 自立で き るだ けな く 、 社会福祉な どの慈善事業や佛教文化の教育事業に も従事 す る こ と がで き る。 ( 中略) だか ら私は、佛教寺院の経済の繁栄を佛教発展期の主要な特徴で ある とす るだ けで な く 、 寺院の経済を系統的に深 く 研究 し な ければな らない と考 えて い る。 三 四 八5 。 佛教界 自身に よ る建設 の成果
第 6期 中国佛教会議の重要な議題は、 佛教界 自身に よる建設 とい う佛教盛衰の重大な問 題で あっ た。 趙朴初会長 は、 会議で次のよ う に述べて い る。 対外 開放 と市場経済の大潮の中で は、 拝金主義、 享楽主義、 極端な個人主義 と い う腐敗思想が起 る こ と を 回避す る こ と がで き な い。 こ のよ う な状況の下で は、 佛教 界で は信仰心が薄 く な る人が出る。 戒律 を守れな い、 ある人は道徳 に欠 け、 徒党を 組み私利私欲のた めに悪事を行な う 。 追名逐利、 奢侈享楽、 あるいは腐化堕落 し、 寺院の僧侶の中には法律に違反 し 、 刑事事件 を起 し た りす る。 こ のよ う な邪悪な こ と は、 佛教に甚大な悪影響 を及ぼす。 佛教のあ り様 と名誉 を極 めて害す る。 も しそ のま ま続いて い けば、 佛教の事業が駄 目にな る こ と は明 らかで ある。 佛教 自身によ る建設 を強調す る こ と は、 そ のま ま信仰の建設にな り、 道徳の建設にな り 、 教制の 建設にな り、 人材 の建設にな り 、 組織の建設にな る。 こ の五つ の建設は、 信仰の建 設が核心にな る。 信仰の建設が道徳の建設の根本にな り、 人材 の建設が進み、 教制 の建設の基礎 と な り、 組織 の建設を保証す る。 趙朴初会長の佛教界によ る 自身の建設に関す る発言は、 大き な反響を巻 き起 こ した。 参 加者 は、 こ の発言に賛成 し 、 多 く の具体案 を提出 し た。 第 6 期 中国佛教会議以後 、 各地方の佛教協会か ら も 、 先ず信仰の建設を強調す る運勁が 始ま っ た。 寺院の僧尼は正信 を具足 し 、 三学 を勤修 し 、 戒律 を守 り 、 道徳 を厳粛に し、 佛 教寺院は絶対に朝課 と晩課を勤めるべ し と定めた。 すべて の学修活動は、 で き るだ け制度 化 し 、 規範化 し 、 経常化すべ し と決 めた。 第 6 期 中国佛教会議で は、 『全国漢伝佛教寺院 管理弁法』 と 「全国漢伝佛教共住規約通則」 と を発行す る こ と によ っ て、 佛教寺院 自身に よる建設に大きな影響を与えてい る。 自己の不足を承認 し、 不足を正視 し、 不足を矯正す るこ と によ っ て 、 進歩す る こ と がで き る と考えて い る。 9 年前以来、 佛教界 自身に よ る建設に大 き な成果 を得た。 こ の五つ の建設は、 佛教界に 大いな る喜び を与えて き た。 これ らの喜びは、 佛教発展期の重要な特徴 と な っ て い る。 三 四 七6 。 佛教文化における百花斉放の新 しい傾向
佛教文化は、 佛教の重要な法門で あ る。 佛教が中国に伝来 して 以後、 中国の離塑、 絵画、 音楽、 建築、 哲学、 倫理な どに重大な影響 を及 ぼ し 、 中国の伝統文化 と融合 して い っ た。 これ らの歴史に悠久な佛教文化は、 中華民族の伝統文化の重要な組成部分で あるだ けでな く 、 そ の中の不捨身命の利他の思想は、 時代の美徳 と融合 し 、 社会主義の精神文明の一部 分 と な っ て い る。 第 6 期 中国仏教会議で は、 趙朴初会長は。フ。 佛教教育 と優秀な青年僧侶の輩 出と い う 新 しい状勢
趙朴初会長 は、 第 6 期 中国佛教会議において 、 大いな る力で合格 さ れた僧侶 を養成す るべ き で あ る。人材の建設を強化す る こ と は、 中国佛教の運命 を支配す る一番大事な こ と で ある。 これ は、 中国佛教教育 と発展のた めに最 も 緊急の、 最 も重要な任務で あ る。 と述べて い る。 1980 年か ら佛教教育が始 ま り 、 20 年余の努力が継続 さ れた。 特 に第 6 期 中国佛教会議 以後、 各地方で佛学院が 34 ヵ 所に建立 された。 佛教院で多 く の優秀な僧侶 を養成 し てい る。 現在佛学院出身の青年僧侶が、 リー ダー と し て活躍 し て い る。 各佛教会、 各佛学院、 各地方の寺院の リーダーの多 く は、 中年の僧侶が占めて い る。 青年の僧侶は、 高い教育を 受けて い る。 中国佛教が発展 し、 興隆 し て い る大 き な原 因は、 寺院の管理 が青年化 し て い る こ と と直接の関係がある。 こ れが、 中国佛教の発展期の特徴で あ る こ と を無視 して はな らな い。 中国佛教の特徴は民衆性、 民族性、 国際性、 複雑性、 長期性の 「五性」 を備 えた顕 著な 文化性 を も っ て い る。 と述べて い る。 第 6期 中国佛教会議以来、 佛教に関す る書物は雨後の竹の子のよ う に、 破土而出 し て出 版 されてい る。 宗教文化出版社以外、 各出版社で 出版 してい る佛教文化芸術に関す る書籍 と して は、 中国佛教協会が発行 して い る全国版の 「法音」 『佛教文化』 『佛学研究』 で ある。 各地方の佛教協会 と佛教寺院が発行 し て い る佛教雑誌は。 40 種 を超 えて い る。 こ れ らの雑 誌の出版発行が、 中華佛教文化 を高揚す る重要な役割 を果 して い る。 私た ちは、 中国全土で、 多数の佛教文化研究所、 佛教博物館、 佛教電子数据倉庫、 佛教 図書館、 佛教文化ホームペー ジな どが建設 さ れて い る こ と を喜んで い る。 佛教文化芸術に 関す る展覧会な どは数え切れない。 ( 中略) 三 四 六8 。 対外往来の専題化 ・ 深化 ・ 多元化 に よ る新 し い問題点
漢伝佛教 と蔵 (チベ ッ ト) 伝佛教は。 中国に発祥 した。 中国雲南省には、 南伝上座佛教 の流れが今 日も残 っ て い る。 「三大語系佛教」 を完備 し て い る のは、 中国佛教の最大の特徴 である と考え られる。 昔か ら今 日まで、 経典翻訳、 刻印、 流通、 教派の形成 と発展、 ある いは寺院規模、 仏教徒な ど、 どれ を取 り上げて も世界中のどの国も 中国 と は比較にな らな い。 だ か ら、 世界の各地域の佛教が、 中国を佛教の第二の故郷 と し 、 根本祖庭で ある と尊 重 し て い る。 そ し て 、 中国佛教界 と友好往来 を深 めよ う と望んで い る。 当然のこ と で ある が、 祖国が繁栄 し隆盛 してい る こ とが、 大き な背景で ある こ と は、 忘れて はな らない。 そ三 四 五 の上で 、 外国 と の交流は、 平等互敬で ある こ と が大切で あ る。 中国の佛教が、 外国に往来す る場合で も 、 国を愛 し 、 佛教 を愛 し 、 平和 を愛す る と い う 「愛国愛教愛好和平」 の方針の下にあ り、 平等互恵、 双向交流の原則に よっ て、 世界中の中 国に好意 を も つ佛教徒 と 互い に尊敬 し合い団結 し な が ら、 中華民族 が世界各民族 の林に立 つ こ と に貢献 し た い と 考 えて い る。 中国佛教が、 外国 と 交流す る と き 、 常にダ ラ イ ・ ラ マ 亡命政府か ら干渉 を受ける。 ダ ラ イ ・ ラ マ亡命政府は、 中国人民 と チベ ッ ト族の意識 を無視 し、 祖国 と分裂 し、 統一を破っ てい る。 中国佛教界は、 絶対 こ れ を寛容で き な い。 ( 中略) 中国には、 2 件 「挙世聞名」 の聖な る佛教聖物があ る。 一つ は扶風法門寺に供奉 さ れて いる釈迦牟尼佛の真身指骨舎利で あ り 、 も う 一つ は北京霊光寺に供奉 されて い る釈迦牟尼 佛の真身牙舎利で ある。 第 6 期中国仏教会議以来、 中国政府の支持によ っ て 、 佛牙舎利は、 メ ンマ 政府 と メ ンマ佛教徒 と の要請で 、 1994 年 と 1996 年に 2 回にわた っ て 、 メ ンマ 国に 巡礼 し供奉 さ れた。 佛指舎利 は、 1995 年に泰国に巡礼 し供奉 さ れた。 聖な る佛陀聖物 を通 して 、 中国 と世界の佛教国家 と の友誼を促進す るのに、 深い意義が ある と 考え られ る。 佛牙舎利 は、 1999 年に香港 に も供奉 さ れ、 2002 年 には台湾で 、 37 日にわた る巡礼 と供 奉がな さ れた。 そ の際、 台湾地 区で佛指舎利 を礼拝 し た仏教徒 は、 400 万人 を超 えた と い う。 巡礼 と 出迎 え の道で も 、 約 50 万の人々が礼拝 し た と い う 。 台湾政府 の要人 も礼拝 し た こ と で 、 影響 が大 き かっ た と い え る。 ( 中略) 1993 年 10 月、 趙朴初会長 が 日本 を訪れて い る。 そ の際、 過去 を 回顧 し 、 未来 を展望す る提案 を し 、中 日関係 を、更には韓国 と の友好関係 に帰納す る こ と が必要で ある と考えた。 中 ・韓 ・ 日三国佛教友好関係は、 「黄金紐帯」 のよ う な 関係で ある と議案 し た。 趙朴初会長 の議案の影響で 、 中 ・ 韓 ・ 日三国の佛教者が集い 、 1995 年 5 月 22 日か ら 23 日にわた り、 北京において 三国佛教友好関係の象徴 で あ る 「黄金紐帯」 を主題 と し て 、 佛教友好交流会 議を 開催 し た。 こ う し て 毎年、 中 ・ 韓 ・ ・日三国佛教友好会議が開催 さ れて い る。 第 6 期 中国佛教会議以来、 中国佛教界が外国の民間 と積極的に交流 し て き た こ と を忘れ るこ と がで き ない。 これは、 中国佛教発展期の、最も注 目を集 めてい る特徴の一つで ある。 新中国の成立以後、 中国佛教が、 社会主義社会にそ っ て きた こ と は、 佛教が中国に伝来 して 2000 年の間に、 今だ かつて なかっ た問題で あっ た。 佛教が社会主義社会に適応で き るか ど う か、 どのよ う に し て 中国の社会主義社会に特色ある佛教 を創建で き るか、 こ れ は、
第二節
21世紀 を迎え て時代 と と も に進む中国佛教の偉大な復興
新中国佛教界が直面 し な ければな らな い重大な課題で あ る。こ の課題 を解決ナ る た めには、 階級性がある と思われる。 社会主義には、 それぞれの歴史の段階がある。 社会は、 い ろい ろ な 改革 を実行 し な ければな らな い。 こ れ らの改革に よ っ て 、 社会の各方面に大 き な影響 が及ぶ も の と考 え られ る。 そ の中に佛教 も入 る。 だ か ら、 佛教の適応性 も調整 し な ければ な らない。 適応 した点 も 、 適応で き なかっ た点 も あっ た が、 適応で き なかっ た点は修正 し、 新 し く 適応す る よ う に努力 し な ければな らい。 これ こ そが、 佛教が社会主義に適応す るた めの規律 と軌跡 で ある。 こ れ らの調整は、 一方で は、 当時の時代の要求で あ り、 佛教界か ら主動的に努力す る こ と で ある。 適応の主旨は、 概括的に言えば、 国を愛 し。 佛教を愛 し、 平和を愛 し、 佛法のため、 人類のた め、 佛 と な るた め とい う 愛国愛教愛好和平、 為法為 人為証菩提 の思想 を体現す る こ と にある。 こ の考 え方は、 既に 中国佛教協会の第一人者 で ある会長圓瑛法師が、 1950 年代に提案 した もので ある。 「愛国愛教愛好和平、 為法為人 為証菩提」 と い う 思想 は、 歴史は長 く 、 今に生 きて お り 、 「歴久弥新」 とい う よ う に、 今 日 にまで全面的、 客観的。 現実的な意義 を与 えて い る。 私た ち の時代は、 飛躍的な発展の時 代で ある。 私た ちの国家は、 ま さ に 「天翻地覆」 の天が驚 き、 地が喜び、 これ以上の喜び がないほどに現代化が進歩 してい る。 こ のよ う な状況の中で、 江沢民主席は、 マル ク ス主 義の基本精神 を、 時機にかな っ だ 与時倶進 と提案 した。 石 を く だ き。 天を驚かが 「石 破天驚」 のよ う に、 全世界で ある大地を揺 るが した。 中華民族の古 く て長い歴史のある文 明の佛教 も奮い立たせた。 これは歴史が、 私た ちに与えた最新の使命で ある。 佛教が社会 主義社会に適応す るた めの最 も新 しい課題で ある。 20 年以来中国佛教は、 回復期か ら発展 期に転換 して い る。 現在、 社会主義現代化国家は、 佛教がすみやかに社会主義の新 しい時 代に適応す る こ と を要請 して い る。佛教の現代化は、時代の発展に要請 され る こ と で ある。 私たち は、 人間佛教思想 と社会主義の現代化 と を結合 してで き る、 新 しい道を探索 しな け ればな らな い。 中国佛教が、 ど う よ う に し て時代の要請に合致 させ るか と い う 与時倶進 が、 第 7期 佛教会議の主な課題 にな っ てい る。 佛教 と社会主義社会 と の適応の経験は、 既に半世紀を 経てい る、佛教界の知識人は勿論老若に至るまで、その時代の要請に従っ て進展 して きた。 中国佛教界は、 中国佛教の現状 と未来について、 以下の 6 点を提案 してい る。
1。 優良な伝統の継承 と正知 ・ 正信の確立
佛教が各国各地域に伝播 し て以来、 2500 年が経て も衰退 し な い根本的な原 因は、 佛教の 教えが広大で 。 奥深 く 、 精徴で ある 「博大精深」 と、 人の考え方に合わせ、 素質能力に合 わせ る 「契理契機」 にある と考えて い る。 佛教の基礎は、 正 しい信仰の正信にある。 釈尊 に対ナ る信仰、 佛教の核心教義に対す る信仰、 佛法の戒律への信仰は、 改変す る こ と がで きない。 も し、佛教が正信 を失っ た ら、佛教それ 自体が存在す る価値 も ない し意義 も ない。 三 四 四これが原則の問題で ある。 し か し 、 いかに佛法 を高揚 し 、 いかに国土を荘厳 し 、 いかに生 き と し生ける一切 の有情に喜び を与 え るかにつ いて は、 深 く 追求す る こ と が必要で あ る。 改革は可能で あ り、 変化は可能で あ る。 私た ち が、 佛教が時代の要請にそ っ て発展す る と 述べて い る こ と は、 佛教の核心教義 を指 し て い るので な い。 佛教が、 当時の社会に適応す る こ と と 、 当時の社会に貢献す る た めの、 外面的な形式の改革 を指 して い る ので あ る。 例 えば、 佛教寺院の管理や、 佛教組織の構築や、 慈善事業の推進や、 佛教文化の展開等が挙 げ られ る。 佛教に内在す る根本性 を深 く 理解で きた と こ ろ で、 佛教の外面的な発展形式を 正確に選択す る こ と がで き る。 外面的な形式の改革は、 佛教徒 と し て 正信 を忘れな い方便 で あ る。 外面的な形式 に と らわれない。 形式のた めに。本質 を犠牲 にす る こ と はで き な い。 だか ら、 一世紀が経て い る が、 佛教は、 時代にそ っ て ます ます発展 し て い る。 し か し 、 核 心にあ る佛教の教義は、 信仰 の面で 片寄 り を起 こ し た こ と はな い。 信仰 を確立す る のは、 佛教徒の基本的な 要求で あ る。 今 日の佛教寺院は、 公園や、 観光名所や、 重要文化財な ど多 く の社会関係 を兼ね具えて いる。 し か し 、 佛教界 に と っ て は、 寺院の本質は佛教の道場で あ り、 佛法 を高揚す るた め の聖地で ある こ と を忘れて はな らな い。 だ か ら、 寺院の管理者は、 信仰 を確立す る こ と と 、 寺院の戒律 を 正す ご と を 、 寺院管理の第一の任務 と し な ければな らない。
2 。 時代 に適応す る必要 と 自身の確立の強化
中国佛教が時代に適応で き るた めには、 自身の確立 を強化 しな ければな らな い。 そ のた めには、 次の四つ の要素 を明確 に把握 し な ければな らな い。 第一は寺院で あ り、 第二は僧侶で あ り、 第三は佛教協会で あ り、 第四は居士で ある。 佛教界は。 歴史的な経験 を主張 し 、 現代的な管理機構 を運用 し 、 佛教の方法 を用いれば、 佛教の事務を管理す る こ と がで き る。 こ の面で は、 中国佛教文化には、 資料 を豊富に揃え てい るか ら、 十分参考にす る こ と がで き る。 ア ジア諸国の佛教の組織の管理経験 も参考に す る こ と がで き る。 (1) 寺院の組織 を強化す る こ と は、 佛教の事業 を順調に展開す る た めの保証で あ り 、 伝 統的な叢林にお ける僧俗によ る管理制度は、 遅れて はいない。 今 日の時代に符合す る こ と が要請 さ れて い る。 寺院は、 堂宇 を建て直 した り 、 必要な箇所 を修理す る こ と が要請 され てい る。 僧俗で ある両序大衆は、 時期が巡 っ て く る と、 住持を選挙 し、 住持就任を要請す る こ と と 、 住持の満期退位の制度 を定 めな ければな らな い。 住持は、 班首や、 執事の任命 や、 重大な寺務に対す る僧俗によ る会議の開催や、 叢林の僧団の組織制度を保留す る必要 がある。 重大な事務について は、 常住 して い る僧侶 を集 めて検討 し た上で決定 しな ければ な らない。 住持や、 班首や、 執事を選任す る場合、 賢い人で あ り、 徳 と力 を兼ね備 えた 「徳 材兼備」 を原則 と し、 国を愛 し佛法 を守 る 「愛国守法」 の人で あ り、 正信 を具 え、 戒律を 三 四 三保持す る 、 真面 目な人で あ り、 一定の佛学の水準を保 ち 、 事務能力にた けて い る人 と い う 条件が満 し て い る人 を選ばな ければな らな い。 (2) 僧侶の資格 を認定す る こ と は、 僧宝 を樹立す る こ と で あ り 、 佛教の社会的な影響 を擁護す る こ と にある。 僧侶の地位 を高める こ と は、 「三蔵法師」 と して の権威 と地位を高 める こ と にな り、 僧 団内部 を積極的に構築 し 、 体制を確立す る こ と が、 大切で あ る。 コ ン ピュ ー タ を導入 して 、 教務の重要資料や配布資料 を作成保存 し 、 証明書の偽造の防止等の 現代化の管理方法を取 り入れ る。 歴史的な経験を基に して、 外国 と交流を結び、 大小の寺 院の間で 、 考察制度 を確立す る こ と と 、 立場 を定 めて 、 そ の普及 を 図る制度 を確立す る こ と が考 え られ る。 寺院は、 叢林の制度 を確立す る こ と に よ っ て 、 寺は寺 ら し く の 寺像寺 を保証す る こ と がで き る。 僧侶 は考察制度を確立す る こ と に よ っ て 、 僧 は僧 ら し く の 僧 像僧 を保証す る こ と がで き る。 「剃了頭髪就是和尚」 のよ う に、 頭を剃 るだ けで僧侶で あ る とい う 、 世間の偏見を治 さ な ければな らない。 こ のよ う な偏見を生 じた原因は、 多年に わた っ て佛教に僧侶の資格認定の制度化がなかっ た こ と にある。 これは、 規範化や、 現代 化の考察お よび普及 に関係がある と考え られ る。 罷免の制度の確立を進 めな ければな らな い。 寺は寺 ら し く 、 僧は僧 ら し く 考察の基準に合致せず、 しかも一定の限期内に修行が完 成 しな ければ、 僧籍 を剥奪す る こ と が必要で ある。 こ うすれば、 僧侶の教団を浄化す る こ とがで き る。 「魚龍混雑」 のよ う に、 僧俗 を 区別 し ない現状 を改善す る こ と がで き る と考え られ る 。 1996 年無錫で 中国佛教協会は、 「教制工作委員会拡大会議」 を開催 した。 こ の会議で は、 第 6 期 中国佛教会議の議案 を実施す る た めに、 佛教の機構 を確立す る こ と に よ っ て佛教を 規範化 し、 制度化す る こ と を検討 した。 こ の会議は有意義な道を開 く も ので あ り、 い く つ かの問題を部分的に実施す る こ と がで きた。 特に、 受戒儀式の制度 と 、 僧尼の 「度牒」 配 布の制度は、 よい結果 を挙げる こ と がで きた と考えてい る。 しか し、 ある制度の実施は理 想通 りにはいかず、 問題 を残 した と思われる。 原因は多方面にある。 寺院の組織 と寺院の 管理の面で、 解決 しな ければな らない問題が多 く 残っ て い る と考えてい る。 (3) 特に 申し上げな ければな らないのは、 各地域の佛教協会の組織 を確立 し な ければな らない こ とで ある。 現在、 中国各地域で は、 政府の直接の管理に よ っ て、 中央か ら地方ま で 「卓有成敗」 とい う 、 す ぐれた成果があげる佛教協会が組織化 されて い る。 これは、 中 国の社会主義社会において 、 佛教が最も 中国色 を顕わ してい る面で ある。 他のどの国で も 真似ので き な い こ と で あ る と考 えて い る。 中国の佛教協会だ けが、 語系が違い、 継承が違 い、 宗派が追っ てい る佛教四衆弟子を、 佛陀一つ の旗の下で 団結す る こ とがで き る。 これ は、 強大な多民族の統一国家が団結和合 し、 平等共生 してい る有 り様が、 中国佛教への福 祉で あ り、 恩寵で ある証で ある と考え られ る。 これは、 中国共産党が佛法の最大な護法で あるか らで ある。中国共産党がな ければ、中国には統一 し安定 した社会環境はあ り得ない。 三 四 二
従 っ て 中国佛教 も 、 一致団結 した今 日の有 り様 にな い と考 え られ る。 (4) 歴史の潮流へ恒順 し 、 居士佛教の組織 の強化す る。 居士佛教の組織 の確立は、 佛教 自身の確立 と い う課題で ある。 有史以来佛教は、 僧団 と檀家 (檀越) と の関係 を重視 して きた。 すべて の佛教徒 を 「四衆弟子」 と呼んで い る。 こ れ は、 佛祖釈尊の前で は、 人はす べて 学生で ある こ と を 明 らかに し て い る。 因縁 によ る違いで 、 学生 と し て の身分 と い う レ ベルが違っ て い るだ けで ある。 佛教の四衆弟子 と っ て は、 佛法が信仰の核心で あ り、 出家 の僧侶が主法で あ り、 在家の檀家が護法で ある。 僧侶教団の権威が確立 された時点で は、 護法で ある檀家の責任は軽 く ない と考え られ る。 なぜな らば、 過去 ・現在 ・未来を通 して、 在家の檀家の人数は多い。 具体的な事務にあずかる檀家の人数が多い。 人が人にな る こ と が佛教の責任 とい う 人間佛教 を提案 して以来、 在家佛教徒の佛教を広め人に利益する 「弘法利生」 の務めは、 困難で はあるが、 重大で ある と考え られ る。 趙朴初会長は、 在家居 士の最高の模範で あ り、 中国佛教の大護法で ある。 すべて の居士は、 趙朴初会長 に学習す る必要があ り、 人間佛教の旗 を 引き続いて高 く 挙げて 、 佛教を護持す る こ と と 、 弘法利生 の善事がよ り多 く 実践 された ら と願 う。 佛教が、 社会主義社会に適応す る と い う のは、 社会主義社会の精神 と物質 との二つの文 明の確立に貢献す る こ と で ある。 人間佛教 の理想 を実現す るた めの重要な点は、 佛教の 慈 ・悲 ・喜 ・捨 と、 有情に利楽す る精神 を も っ て社会に貢献す る こ と で ある。 こ うすれば、 居士佛教の組織が大き く 役立つ人生の舞台にな る と考え られ る。 出家の僧侶は、 主導者 と し て居士組織の管理事務 に参画 し て き た が、 佛教が現代社会に 入っ て か ら、 管理体制の面で変化がある のは当然のこ と で ある。 現代の佛教で は、 寺院の僧団 と居士の組織 と が協力 し合っ て初 めて 、 相互 を理解 し 。 そ れぞれの特色を発揮ナ る こ と がで き る。 出家の僧侶は人天導師の身分で あ り、 人々の能力 に応 じて指導 し、 監督 し、 布教 し、 い ろい ろ な事業を、 居士組織 と十分に協力 し合っ て実 施す るべ き で ある。 慈善事業は、 佛教の弘法利生の事業の一部分で あ り 、 これ を商品化 し た り、 商業化 した り こ と は厳禁で ある。 借佛斂財 のよ う に、 佛教を利用 して金 を集める 悪行を禁止 しな ければな らないか らで ある。 社会の発展に適応す る こ と が要請 されて いる が、 同時に佛教の清浄荘厳 を保持す る こ と も不可欠で ある。 今 日で は、 外国在住の華僑の 佛教寺院の多 く は、 財団法人によ る董事会制度を敷いてい る。 寺院の管理 と財務の収支の すべて を 、 董事会で決定 し て い る。 中国内の佛教には、 寺院管理委員会 と い う組織 がある が、 現代管理法に一歩進んでい る。 しか し、 まだ成熟 していない。 今後、 佛教の寺院管理 に対 し て 、 全面的に、 深 く 研究 し 、 国内外の佛教界 が取得 し た成果 を受 け入れて 。 中国の 社会主義社会の中で 、 健全で現代化 し た 中国佛教寺院の管理制度 を確立 し、 同時に条件整 備 された寺院を例 と して 、 次第に科学的な管理に進む よ う に努力す る こ とが必要で ある。 科学的な管理 と い う こ と は、 伝統的な基礎 を継承 し な が ら、 制度化 し 、 規範化 し 、 民主化 三 四 一
法輪功 は、 宗教で はない。 そ の形成の歴史も複雑で ある。 明 らかこ と は、 佛教の名 目 や法相 の文字の教 えや、 概念や教理 を盗み取 り 、 大 き く ね じ ま げて 曲解 し た のが、 法輪 功 で あ る。 国家 と社会 に大 き な危害 を も た ら し ただ けで な く 、 佛教 に も相 当な混乱を も た ら し た。 一部の地方で は、 人々に思想上大き な混乱を もた ら し た。 邪教で ある 法輪功 は、 中国の多 く 地方にまで宣伝 されただ けで な く 、 そ の影響は一部には外国にまで及んで いる。 法輪功 の被害にあっ た人々は、 自分 と家族の命を損な うだ けで な く 、 他人の命 を も害 う ほどで あっ た。 法輪功 は、・危険で邪悪な力がある と考えな ければな らない。 正を助 け、 悪 を祓 う こ と が 「扶正舷邪」 で あ る。 善 を助長 し 、 悪 を除去 し 、 苦悩す る人々 を助 ける と い う 「救苦救難」 が。 佛教の使命で あるので 、 法輪功 は佛教の天敵で あ る。 国を愛 し、 佛教を愛 して い る正 しい信仰 を もつ佛教徒は、 勇気を も っ て立ち上がっ て 、 佛 教の純粋性 を守 らな ければな らな い。 佛教の正法輪 に よ っ て 、 邪教の偽法輪 を破 らな けれ ばな らない。 佛教の教団 と居士の組織 と は、 正信の佛教 を守 り 、 異端の邪教に反撃 を加 え る とい う責任 をはた さ な ければな らない。 法輪功 のよ う な邪教の組織は、 厳 し対処す れば変わるが、 手を抜 く と悪人を増長 させ る 激則生変、 怠則養奸 とな るか ら、 佛教の 教えが広大で、 奥深 く 、 精微な 「博大精深」 の心 と、 佛教に特有な忍耐心を も っ て正 して いかな ければな らな い。被害にあっ た人 々を、正 しい見方に導いて いかな ければな らな い。 そのた めには、 佛教寺院や佛教の居士林な ど、 国家が認可 して い る宗教法人の道場 を十分 活用 し 、 法師や善知識に要請 し て 、 説法 し 、 修行 を実際に体験 さ せ る こ と が大切で あ る。 こ う して 、 政府 と協力 し で 法輪功 に瑕 さ れた人々に明確に善悪 を 区別す る こ と がで き る よ う に、 教化す る役割 を はた さ な ければな らな い。
第三節
時代の要請 を受 けて 「扶正怯邪」 の実践 を
し 、 現代化 を実現 し て いかな ければな ら な い。 いかに居士、 あるいは一般民衆の登録の制度 と 、 現代社会に適応す る組織形式 を確立す るか と い う こ と に関 して は。 ある地方で成功 した例があ り、 今後更に研究 し、 改善す る こ と が要請 され る。 こ うすれば、 広 め られ る。 こ れが、 佛教が時代 の発展 に適応す るた めの、 重要な有 り様で あ る と考 え る。 中国佛教の教育を一層進 める と き には、 知識が広大な 内涵を具備す る こ と と 、 深 く 研究第四節
佛教教育の深化 と教育対象の拡大
三 四 〇す る こ と と 、 広範囲に放射す る こ と が必要 と され る。 1. 「広博の内涵」 と は、 佛教が宗教で あ り 、 広大な学問で あ り、 佛教が広範囲の分野に及 んで い る こ と をい う 。 中国佛教協会は、 過去には、 佛教の教育面 と し て 。 漢伝佛教教育に 注 目し て き た。 蔵伝佛教教育 と南伝佛教教育について は、 余 り注 目し て こ な かっ た。 中国 佛教協会は、 漢伝 ・ 蔵伝 ・ 南伝 の三大語系佛教に属す る各民族の佛教徒が、 共同 し て参加 す る愛国佛教の組織で ある。 理事会 と常務理事会の席 を、 蔵伝佛教 と南伝佛教の代表者が 多く 占めてい る。 蔵伝佛教事務委員会 と南伝佛教事務委員会 と が設立 されて い る。 これ ら の研究機構に十分に注 目し 、 蔵語系の佛教教育 とパー リ語系の佛教教育 と を強化す る必要 があ る。 漢伝 ・ 蔵伝 ・ 南伝 の三大語系の佛教は、 互い に孤立す る こ と な く 、 相互に交流す る こ と に よ っ て 、 ホ目互に理解 し扶助 し合 う こ と がで き る。 三大語系の佛教が共に全面的に 発展す る こ と に よ っ て 、 中国佛教の真の繁栄 と 隆盛 を図る こ と がで き る。 佛教教育の広範な知識は、 五明 の文化 を標準 とす る こ と にある。 佛教教育は、 佛教の 義理に精通 し だ 内明 を保証す る こ とだ けで はな く 、 因明 ・ 工巧明 ・ 音律明 ・ 医方明に 精通す る こ と にな ければな らない。 現代の言葉 を用いて言えば、 遁輯学 ・ 建築工芸学 ・ 音 楽学 ・ 医薬学等 を網羅 し な ければな らない。 広 く 言 えば、 人類文明の一切の精華を網羅す る こ と が必要で ある。 世間 と 出世間 と に精通 し た人天の導師にな らな ければな い。 昔の中 国の僧侶の中には、 大天文学者 ・ 大数学者 ・ 大建築学者 ・ 大書道家 ・ 大画家 ・ 大詩人及び 大梵唄歌手が出現 し 、 大活躍 し た こ と があっ た。 中国佛教は、 現代化の時代 に入 っ て か ら、 弘法利生の方法は、 ます ます多種多様 とな り、 人々に利益を もた ら してい る。 佛教界で は、 小 さ な も のに拘わ らな い よ う な人材 を養成す る と い う 、 不拘一格降人財 が要請 さ れ る。 佛教教育は。 必ず時代の要請にそ っ て 、 佛教教育の広い知識で ある 「広博の内涵」 を開拓 し な けれ ばな ら な い。 2 . 佛教教育の研究 を深化す る。 印度が佛教の源流で ある とすれば、 佛教の繁栄 と発展は 中国にある と考え られ る。 有史以来、 中国の佛学の研究水準は、 高い レベルに到達 してい る。 各宗各派に よ っ て 、 それぞれ深い研究に よ っ て 多大な成果 を上げて き た。 しか し、 現 在の佛教教育 と佛学研究は、 系統的な システ ム とな っ ていない。 広 く 深 く 研究がな されて いな い。 一宗派の研究 し て も 、 全面的な詳細な深い研究が行なわれて いな い。 こ の問題 を 解決す るた めには、 佛教教育は、 高い水準にある佛学の研究者 を速やかに育成 し な ければ な らない。中国の佛教学の研究領域を、世界の佛教研究の レベルに上げな ければな らない。 佛教の優れた文化 を継承 し 、佛教 を高揚す る こ と に尽力 し な ければな らない。 こ のた めに、 各方面にわた る改革案 を提出す る必要がある。 従来の佛教学者の研究成果 を理論の基礎 と す る こ と が大切で あ る。 中国佛教文化研究所は、 中国佛教協会が佛学を研究す るた めの専門研究機構で ある。 趙 朴初会長健在の時に、呉立民が所長 と して直接に指導 したので、研究成果 も多少上がっ、た。 三 三 九
第五節
祖庭で あ る 中国佛教が果 たすべ き 国際的な役割 り
しか し 、 佛教教育全体にわた る 要請 を考 え る と距離が大 き い。 今後、 どのよ う に研究所 と 佛学院 と互いの利点 を合わせ、 関係 を改善 してい く のかが、 真剣 に考えな ければな らない 火急 の問題点で あ る。 3 . 佛教教育を 「広認轜射」 す る。 広認幅射 と は、 佛教教育を佛教団体の管理人や、 佛学 の研究者 に広 く 協力 を求める よ う に宣伝す る こ と で あ る。 現在、 佛教 を管理 し て い る人た ち と佛教学を研究 し て い る人た ち は、 出家の僧侶以外、 ほ とん どは (還俗 された者以外) 正規の佛教教育 を受 けて いな い。 現状で は、 佛教の現代化発展の要請に応 え る こ と がで き ない。 佛教はすべて 。 佛教徒の佛教で あ るか ら、 佛教教育は僧侶だ けの教育に限 られ るは ずがな い。 佛教は社会 に向かい、 社会に貢献 し よ う と し て い るか ら、 当然、 僧侶以外の佛 教事業携わる人た ち に、 系統的に正規に佛教教育を行 な う べ き で ある。 こ の問題は、 時代 の要請で も ある し、 今後の佛教の発展 を 図るた めに も 当然行 な われな ければな らな い こ と で も あ る。 佛教管理学院の創立は、 計画の範囲にある大切な 問題で あ る。 佛教大学大学院の創立 と 、 外国に留学生を派遣す る こ と は十分要請 されてい る こ とで あ る。 中国佛学の高い水準にある佛教研究者 を養成す る こ と が喫緊の要務で ある。 こ うすれ ば、 中国佛教が佛教祖庭で あ る こ と を発揮す る こ と がで き る。 中国佛教 も 、 外国の留学生 を受 け入れ る施設を確立 し 、 諸外国の佛教青年が、 佛教祖庭で あ る 中国に赴いて深 く 研究 す る希望を実現す る こ と がで き る。 無論、 佛教教育は、 新 しい道を開拓 し な ければな らない。 高い水準、 高い素質、 高い学 歴があ り、 高い教授陣か ら成 る教育組織が必要で ある。 人間佛教教育の教科書 と して、 優 れた内容の教科書を編纂す る こ と が重要で ある。 こ う した上で、 中国の特色のある佛教教 育の系統 を確立 し 、 高い水準の佛教人材 を育成す る こ と がで き る。 佛教は、 時代 と と も に 進む と い う 与時倶進 が。 理想通 り に実現す る こ と がで き る。 三 三 八 中国佛教は、世界の佛教史の上で そ の地位 と役割 はひ と し く 世界が認 めて い る。 しか し 、 こ の認識は、 歴史上の認識に と どめてお く わけにはいかない。 現在、 中国佛教は、 世界の 佛教史上の地位 と役割 を認識す るだ けで は物足な い。 近年、 中国佛教は、 世界 中の各国、 各地域の佛教界 と広範囲に交流を行な っ て い る。 多 く の国の佛教界 と多 く の地域の佛教界 は、 中国を佛教の祖庭で ある と し て 、 心か ら尊崇 し、 佛教の聖地 と し て い る。 だ か ら、 中 国と 中国佛教界に対 して濃密な感情を も っ て い る。 交流を強めたい とい う 希望が高ま って いる。 具体的には、 参拝や、 学術研究会や、 佛教文化芸術に関す る展示会や、 共同書籍の第六節
情報 ネ ッ ト ワー ク に よ る世 の中の 「佛化」 の実現 を
出版事業や、 留学生の相互派遣な どがある。 現在、 漢伝佛教 と蔵伝佛教は、 世界で ます ます注 目され、 影響が広 ま っ て い る。 南伝佛 教は、 中国 と東南ア ジア佛教 と の交流 も図っ て いる。 三大語系の佛教寺院は、 世界の多 く の国や地域に存在 し て い る。 し か し 、 世界の各地で佛教高揚の事業 に活躍 し て い る のは、 華僑佛教組織や、 台湾や、 ダイ ラ イ ・ ラ マ 亡命政府で ある。 中国佛教界が、 外国に建立 し た佛教道場 と し て は、 ネパール にある藍毘尼の中華寺一箇寺だ けで ある。 過去は、 こ の面で の事業を あま り重視 しなかっ た。 だか ら、 多 く の交流の機会を失っ て きた。 中国佛教が。 外国 と友好往来を行な う こ と は、 佛教界のみな らず 、 中国国家の重大 な利益に連動 して く る。 特に世界平和の擁護や、 祖国統一の擁護や、 民族の団結のた めに 重要な使命を果たす も ので ある。 更に現在は、 法輪功 とい う邪教の組織 と戦 う責務も ある。 第 7期中国佛教会議後、 中国佛教は、 新 しい姿で世界佛教の大家族の中に現われる も の と 考 えて い る。 三 三 七 こ こ で は、 まず情報化 を強調 し な ければな らな い。 ネ ッ ト ワー ク化 を確立 し な ければな らない。 現代化 と は、 「一句空話」、 つ ま り絵空事で はない。 現代化は、物質面の整備 によっ て具現す る こ と がで き る もので あるか ら、 私た ちは、 物質文明を発展 させた時点で は、 精 神文明を考慮す る こ と がで きない。 精神文明だ けを強調 し、 実現 して、 物質文明を無視す る こ と はで き な い。 佛法の伝播 と交流 と い う面か らみ る と 、 私た ち の今 日の時代ほ ど、 便利 な時代はこれ ま で に存在 し な かっ た。 阿修羅は、 こ のよ う な便利 さ を利用 し て戦争 を起 こ し て い る。 阿修 羅が世界の人々の心に恐怖 を造 っ て い る こ と に対 し て 、 佛教徒が現代化 に よ っ て人 々の心 を浄化 し、 人類の平和 を護 っ て い る。 理論を創設 して 100年にな るが、 人間社会を佛化す るこ とがで き る時代は、 実に今 日をおいて他にはない。 なぜな らば、 現在は便利な条件が 具備 し て い る。 佛教は、 新 しい技術や新 し い科学 を排斥す る ので はな く 、 積極的に、 十分 に、 新 し い技術や、 新 しい科学な どを利用 し て 、 人間社会の佛化浄土を実現す る こ と を 目 標に努力 し て い る。 佛教の知識人たちは、中国佛教協会の最新の理事会において、次のよ うな案を提出 してい る。 各地方の佛教協会 と協力 して 、 3 年間を 目途に。 全国の各佛教寺院に コ ン ピュ ータ を購 入 し てネ ッ ト ワー ク と し て利用す る こ と がで き る よ う にす る。 そ し て 、 各寺院は、 寺院の ホームペー ジ を 開設す る と い う こ と で あ る。 これが完成すれば、中国全土の佛教は、各佛教寺院のホー ムペー ジか ら佛教徒個人のホー(翻訳 : 中国社会科学院世界宗教研究所 ・ 同朋大学仏教文化研究所客員所員 嘉木揚凱朝) ムペー ジま で をネ ッ ト ワー ク化す る こ と がで き る よ う にな る。 佛教の事業に従事す る佛教 徒は、 中国佛教徒の名義で 、 必ず 中国佛教のホー ムペ ー ジ を 開設す る よ う にな る。 『華厳経』 が、 重ねて重ねて尽 く す こ と がで き ない も のが出現す る と 「因陀羅網重重無 尽」 を説いて い る よ う に、 ネ ッ ト ワー ク は、 「因陀羅網重重無尽」 を私た ち の今 日の時代に 実現す る こ と にな る。 中国佛教は、 ネ ッ ト ワー ク を利用 して 、 自己の確立を強化 し 、 全体 の素質や能力を高め、 同時に正 しい佛教を高揚 し、 一人一人を教化す る こ と によ っ て 、 一 人一人が国家に も民族にも大いな る貢献 をす る こ と がで き る と考 えて い る。 第 7 期 中国佛教会議 を、 全国的に開催す る こ と がで き た こ と は、 中国佛教が、 既 に現代 化社会に適応す る こ と がで き て い る象徴で ある と 考え る。 三 三 六
一
中国社会科学院訪
日文化交流団記念講演-中国社会科学院世界宗教研究所 仏教文化芸術研究室主任 王志遠 日時 : 2002 年 10 月 4 日 (金) 午前 10 : 30 場所 : 同朋大学成徳館 12 階ホール キー ワー ド 趙朴初、 宗教政策、 人間佛教中国佛教的現状輿展望
当代中国佛教友展期九年回順
(一) 赳朴初会長対 中国佛教的恢隻和友展作出万史性的貢献
赳朴初会長是恣出的愛国宗教領袖, 在国内外宗教界有着拡乏的影哨, 深受拡大佛教徒和 信教群余的尊敬和愛戴。 他双青年吋期升始, 就汰真研究社会主叉学悦, 鐙辻漫長的求索, 他逐歩汰i只到, 只有中国 共戸党最能代表 中国芳苦大余的意志和利益, 中国只有走社会主文道路才能建成繁茉富強的 新社会。 作力新中国一代宗教界領袖, 越朴初会長把佛教的教叉圓融于中国共戸党領尋的建没有中 国特色社会主叉佛大事並之中; 圓融干錐択民族和国家的尊坪, 捧ヱ国家領土和主枚的完整, 促避祖国和平銃一的体大事並之中 ; 圓融干促辺中国佛教界与世界各国佛教界友好交往的伴 大事並之中。 他充分地蛇述了宗教与社会主叉社会相扮凋的向題, 指出 : 党和国家駄政策上, 法律上充 分尊重和保炉公民宗教信仰 自由的枚利, 宗教徒則要愛国愛教, 遵妃守法, 掬炉党的領尋, 扱国家恩, 扱余生恩, 釈扱力社会主叉物叙文明和精神文明建没倣貢献。 他告滅佛教弟子, 佛教的利益必須与人民的利益結合起来。 我伯的生命好比一滴水, 只要我伯肯把官放到人民 的大海 中去, 這一滴水是永坦不会干涸的。 越朴初会長堅決掬炉党中央制定的芙于宗教工作的一系列方針政策和重要指示, 釈扱俳助 三 三 四 一 新 中国佛教睦丿万了若干介不同的訴 史隋段, 如果悦駄 文革 結束到 1993 年的+ 余年同 是中国佛教的恢腿期, 那ふ, 駄 1993 年至今的近十年向則是中国佛教的友展期。 以下我就辺介友展期的特征作八点概括。党和政府全面正硝地徘徊抗行宗教信仰 自由政策, 加強対宗教事各的管理, 釈援引尋宗教与 社会主火社会相這痘。 赳朴初会長以高度仇責的精神, 対社会主叉初級隋段的宗教理沿和工 作, 坦滅提出汗多宝貴意兄和建以。 他釈援促辺全国各宗教界的目路和稔定。 他熱情支持十 世班禅力友展蔵怖佛教文化, 建立蔵怖佛教正常秩序, 力推炉祖国銃一, 民族国鈷, 反対境 外勢力分裂祖国的活劫所升展的各項工作。 他釈板捌炉按照宗教佼軌和万史定制, 睦金瓶即 答, 扱 中央政府批准汰定的十一世班禅, 井熱情芙心十一世班禅的培莽教育工作。 他恪尽取 守, 弾精喝慮, 力宗教与社会主文社会相廼座的理洽与実践倣出了恣出的貢献。 朴老μ,事佛教事並半金多世妃, 他品徳高尚, 学i只洲博, 力国力教元私奉献, 臓得了我国 各民族佛教徒的崇敬和愛戴, 世界抱大多数愛好和平人士的尊重。 他在新中国特定万史坏境 下, 在 中国佛教史上友揮了特殊的作用。 可以悦, 中国佛教造就了赳朴老, 朴老又推劫了中 国佛教的友展。 特別是改革升放以后, 在悟助党和政府撹乱反正, 落実宗教信仰 自由政策方 面, 朴老作出了不朽的貢献 ; 在対外交往方面, 他力促辺 中外佛教友誼的友展, 特別是 中斡 日三国佛教界的交往貢献至巨。 在国家実行改革升放和市埓経済, 人割物叙生活 日益半富, 多元文化相互交融的今天, 力 保持佛教的特色, 朴老対此有許多指示, 也作了大量的工作, 成敗皿著, 因此也臓得了許多 高僧大徳和国豚友人的戸認焚誉。
(二) 落寅党的宗教政策取得万史性的成就
在 文革 詰束后的佛教恢説期, 面胞的最普遍, 最迫切, 最困道的向題就是尽快落実宗 教政策。 迭是佛教是否能荻得新生的前提。 由于几十年扱左路銭的影咆和一些既得利益部[ ] 的阻読, 在長法十多年的吋同里, 落実宗教政策的呼声始洛不抱干耳。 挺然貫勅落実宗教政 策是政府収能部「」的工作, 但是, 佛教組銀辺是熱心呼呼, 釈扱配合, 多方俳助, 喝尽了全 力。 赳朴初会長在落実宗教政策辻程 中, 友揮了任何其他人都元法替代的作用, 許多寺院的 老大道向題, 都是在朴老的直接呼呼和干預下才得到解決的。睦辻各汲党和政府的不解努力, 全国弛大多数地区的宗教政策已得到貫勅携行。 落実宗教政策所渉及的方面非常戸認, 官包 括了宗教人員, 宗教埓所, 宗教活劫, 宗教制度, 宗教教各, 宗教教育, 宗教外事, 宗教 自 詐等方面的向題。全面貫初携行党的宗教政策, 既体現了中国共戸党的英明伴大与逸 見卓i只, 也体現了宗教界在協助党和政府落実宗教政策方面所友揮的釈扱作用。 佛教界汰力, 宗教政 策貫勅落実得如此戸乏和深入, 這是辻去道以企望的。 我這祥汗伶宗教政策貫佃執行情況, 不等干悦已睦不存在向題。 事実上介別地方宗教政策 的貫佃撰行情況迩不能尽如人意, 一些老大走向題 至今辺元法解決。 特別是丿万史原因所造成 的圓林寺院, 文物寺院落央旧属向題, 大多恩而未決。 迭些挺然是落実宗教政策茫時内的事, 但由干牽渉方面太多, 情況辻干説余, 所以也不是佼依据宗教政策就可以改変官伯現在的求 属芙系井恢笈万史原貌。 但是, 随着厨史辺程的友展, 事物在不断変化, 解決向題的理念和 三 三 三方式也将友生変化、我椚相信不久的将来、 貫徊抗行宗教政策一定会逐漸成力没有辻多障碍、 阻力和岐 又的事。 我伯 已μ、佛教的友展期看到了官的未来趨勢。
(三)
佛教与社会主叉社会相這痘
在理洽上 日廸成熟。 在実践 中日趨完善
赳朴初会長力宗教与社会主文社会相週位的理治与実践倣出了然出的貢献。 中国佛教跡会 正是在朴老的直接領尋下, 釈根地探索出一条佛教与社会主文社会相週位的道路。 佛教与社会主文社会相這庖 是駄 宗教与社会主叉社会相週庖 這介息命題推演而出的 沿点。 也就是視, 佛教与其他宗教一祥, 面吻着同祥的万史渫題。 元治嘔一抑宗教, 如果不 能与某令社会相這庖, 都不能在這令社会生存友展下去, 佛教也不例外。 1998 年, 我イ0挙行 了隆重, 熱烈的妃念中国佛教二千年的活劫, 這介妃念活劫的最重要的意又, 就在于官表明 佛教是能侈週庖 中国社会的, 不便能侈, 而且圓融元碍, 渾然一体, 成力中国俸銃文化的有 机的組成部分。 中国佛教在毎令万史吋期都出色地這庖了当吋的社会, 也一定能週庖社会主 文社会。 佛教与社会主叉社会相週庖, 首先在干佛教界与中国共戸党, 与 中国社会其他各界具有共 同的政治基軸。 中国共戸党建没有中国特色社会主叉, 符合包括佛教信余在内的庁大人民群 余的根本利益, 在一切重大政治原則回題上, 佛教界与 中国共戸党的芙系都是休戚相芙, 茉 辱与共。 尽管在某些万史吋期, 某些介別向題, 某些介別人物 中, 曾出現不格凋的音符, 但 是, 這些都不能劫揺中国佛教与社会主叉社会相這庖的政治基軸。 基于迭一点, 中国佛教徒必須姑稔政治立坊井端正信仰。 新中国佛教徒以建国之初就在越 朴初会長等一批大徳高僧帯領下走上 愛国愛教 之路。 9 年来, 拡大佛教徒在政治上抑炉 中国共戸党, 掲炉社会主叉 ; 在宗教上奉行愛国愛教原則 ; 在 日常工作和生活中也能遵妃守 法井在宗教政策規定的苗圃内駄事宗教活劫, 表現出高度 自党的政治素莽。 其次, 党和国家全面正硝地貫徊宗教信仰 自由政策, 凋劫了宗教界人士和拡大信教群余投 身于社会主叉現代化建没的釈扱性, 力佛教与社会主叉社会相週位提供 了基本保江。 上介世妃 80 年代初, 在忌詰了数十年鰹論, 特別是 文革 的教洲之后, 我国的社会主 叉理治家明硝断言 : 宗教将在相 当長的汚史階段中存在。 相 当長 是介不哨定的数字, 但官 是迄今最冷静, 最客現, 最正硝的科学治断。 我国現行的宗教政策, 就是在這一憶断的基軸 上制定出来的。 這在 中央 1982 年的 《芙干我国社会主叉吋期宗教向題的基本現点和基本政 策》 (19 号文件) 中有充分体現。 如果没有党和政府対宗教的科学汰沢, 就不会有宗教信仰 自由政策的貫初携行, 佛教也就進以在社会主叉社会健康生存。 近 9 年来, 中国佛教界在投身干社会主叉現代化建没中所表現出的釈扱性, 是有 目共暗的。 1998 年佛教界参与抗洪賑爽, 使世人普遍刮 目相看。 這是党和政府提供基本保征的最好正 明, 也是佛教界釈根配合, 主劫週庖的最好征明。 第三, 佛教是一介這庖性非常強的宗教, 特別是在近 20 年来的恢笈期, 友展期 中, 更表 三 三 二現出中国佛教通辻 自身的改革和避歩, 政治面貌退一歩友生了根本的変化, 這表明中国佛教 界具各了与社会主又社会相廷位的重要条件。 在各項重要条件 中, 政治立坊是首要的条件。 9 年来, 中国佛教界充分表現出作力中国公 民, 作力社会主文社会大家庭成員的高度政治素芥。 対干 法給功 的批判斗争, 首先是佛 教界友起的, 井具有最堅定, 最持久的斗争精神。 佛教理迫和実践 自身的内在合理性, 也是佛教与社会主叉社会相這痘的重要条件。 厨史和 現実都正明, 佛法博大精深, 佛教的諸行元常, 諸法元我的世界理, 録起性空, 如実現照的 汰i只沿, 元我利他, 普渡余生的人生理, 渚悪莫作, 余善奉行的道徳理, 三学井重, 止呪双 修的修莽方法, 不力 自己求安系, 但悪余生得萬苦的奉献精神以及佛教在哲学, 文学芝木, 絵理道徳, 自然科学, 生命科学等領域内所釈累的牢碩成果, 是人契文明的宝貴財富。 在当 今建没有中国特色的社会主文, 特別是社会主文精神文明建没中働然具有旺盛的生命力和特 殊的釈扱作用, 将在今后不断友展的布方文明乃至世界文明中放射昇彩。 赳朴初会長在六届 佛代会上曾睦反笈強凋的這些佛教本身的仇越条件, 爛明了佛教与社会主文相廷痘的訴史仇 勢和現央仇勢。 当前, 佛教与社会主叉相這位已成力佛教徒 自党遵守的原則。 根据佛教庄坪国土, 利系有情的根本精神, 佛教界痘力国家与社会低出更大貢献。 央阪上, 佛教界已経在国阪和国内的各項事並中倣 出了成痰, 其中包括促退世界和平, 錐炉祖国銃一, 塘弧民族団鈷, 升展慈善事並等。 事実正明, 近年来, 佛教与社会主叉社会之向的芙系正在 向更加深入這痘的方向友展, 佛教将力国家的長治久安, 民族的繁茉昌盛, 社会的稔定祥和, 倣出新的貢献。