本報告では,原子間力顕微鏡(atomic force microscope, AFM)の光学系として,力検出用カンチレバーの変位(た わみ,ねじれ)や速度の検出にヘテロダインレーザードッ プ ラ ー 計1)を,振 動 励 起 に レ ー ザ ー ダ イ オ ー ド( laser diode, 以下 LD)の光量変調を用いた光熱励振2―5)について 報告する.原子間力顕微鏡の性能は,基本的には使用して いる探針の先端の状態と,探針を支持しているカンチレ バーの機械的特性によって決定されるが,振動検出系や作 動パラメーターも重要な要素である.一般的に,カンチレ バーの周波数を高め,振幅を小さくすることは,いくつか の利点をもたらす.具体的には,( i )カンチレバーの振動 周波数を高めることにより,実用的撮像速度を維持しつつ 複数の変調周波数を用いた変調技術の導入が可能になる, (ii)周波数を高めることはカンチレバーの質量分解能向上 に有効である,(iii)カンチレバーの振幅を小さくするこ とによって場の線形近似がしやすくなるとともに,より近 接力に限定した表面のマッピングが可能となる,(iv)低 振幅化は試料への擾乱の低減に有効である.また,励振方 法に着目すると,励振力をカンチレバーに直接作用する方 法,例えば,光励振や磁気励振を用いることは,スプリア スの少ない励振を可能とする利点がある.特に後者の場 合,DC 的な力のヌル制御も可能となる6). 高分解能化とは,トポグラフィー像の位置分解能の向上 に限定されず,とらえにくい物理量の分布の可視化,撮像 しにくい試料の撮像,試料への擾乱の低減,時間分解能の 向上などを広く指すと考えている.広い周波数レンジや高 次モードの使用,振動の低振幅化はこの高分解能化に有効 である.これらの要件を満たす光学系の一例として,ドッ プラー計測と光熱励振の組み合わせを示し,それにより得 られる成果を,AFM を中心に紹介する. 1. 光 学 系 図 1 にヘテロダインレーザードップラー計と光熱励振系 の光学系を示す.ドップラー計測の光源としては,0.3 mW から 1 mW 程度の周波数安定化ヘリウムネオンレー ザーを用いている.ヘテロダイン計測のためのキャリヤー 発 生 に は,AOM( acousto optic modulator ),も し く は レーザー管自身の縦モード間ビートを用いている.1 GHz
原子間力顕微鏡を支える先端光学技術
解 説
光熱高周波振動励起を用いた超高分解能原子間力
顕微鏡
川 勝 英 樹
Ultrahigh Resolution Atomic Force Microscopy Using High Frequency Low
Amplitude of Drive with Photothermal Excitation
Hideki KAWAKATSU
The paper reports on heterodyne laser Doppler interferometry and photothemal excitation applied to atomic force microscopy. The combination of the above mentioned interferometry and excitation methods allow the use of small and sti› cantilevers or higher oscillation modes up to the 100 MHz regime, as well as the use of multimodal vibrations and amplitude of drive in the 10 pm order. Since excitation acts directly on the oscillator, spurious free excitation is implemented in liquids, air and vacuum. Phase rotation around modes is clean, allowing multiple modulation schemes such as phase modulation and frequency modulation to be employed simultaneously.
Key words: optics for atomic force microscopy, multimodal operation, photothermal excitation
以上のキャリヤー発生には,AOM をカスケードにする か,縦モード間ビートと AOM を併用する.光熱励振には 強度変調した LD を用いている.以上の光学系を用いて, キャリヤー周波数が 1.1 GHz のものでは,200 MHz までの 振動励起と振動検出を行っている.計測光と励振光を同時 に照射するだけで振動の計測が可能であるため,いままで に,各種シリコン振動子,AFM カンチレバー,タングス テンサブオクサイドウイスカ,グラフェンなどの振動特性 の計測に用いられている.光熱励振用レーザーの強度は 1 mW 程度であり,一般的な AFM の光てこ光学系の光量と 同程度である.これは,AFM で一般的に用いられる 0.1∼ 1 nm 程度の探針振幅発生には,この程度の強度変調で十 分であるからである. このような光学系を採用した理由は,想定として,カン チレバーの大きさが数ミクロンからそれ以下になり,カン チレバーの固有振動数がメガヘルツ帯以上,振幅が 10 pm 程度になった場合,カンチレバーへの光の位置決め,計測 光の集光,高周波数化などの観点から,対応しやすいもの と考えたからである.ドップラー計測は,速度を計測して いるため,一定のカンチレバー振幅に対して,周波数が高 くなるとそれに比例して信号強度が増加する.ノイズフロ アの周波数特性は使用している素子や検波方法などによっ て異なるが,実機で確認する限り,数 MHz までの範囲で は,周波数が高いほど信号とノイズレベルのマージンがよ り多く取れる傾向が保たれている.数 fm/ Hzのノイズレ ベルを 1 MHz で確認している.一方,励振に関しては, 160 MHz 程度まで光熱効果による励振を確認している. ピエゾ素子のように,ピエゾの厚みと音速で決まる励振し にくい周波数は基本的に存在せず,比較的周波数特性のフ ラットな加振が可能となっている.いままでに,LD の波 長として 405 nm や 780 nm を用いている.表面コートのな いシリコンカンチレバーに関しては,前者の励振効率が後 者の 3 倍程度である.この理由は,780 nm において,励 振光がシリコンを透過してしまい,温度分布の勾配が取り にくいからであると考えている.また,同一光量の場合, 照射スポットをなるべく小さくすることが振幅を増す上で 有効である.詳しくは検証していないが,1 mW 程度の光 量で,真空中で励振光を回折限界程度まで絞った場合,温 度上昇によりカンチレバー表面の変色が認められる.これ は金属コートカンチレバーの場合に特に顕著である.こ の”焼け”によりカンチレバーが黒化すると,励振効率が 向上することが複数のグループで確認されている. 2. 高次モード励振 構想の光学系を用いて,光熱励振を AFM カンチレバー 図 1 ヘテロダインレーザードップラー計と光熱励振を液中 AFM に適応したもの. 図 2 純水中でカンチレバーの振動計測をヘテロダインレー ザードップラー計と光熱励振で行ったもの.振幅はおおむね 1 Å(一次)程度である.ここでは,たわみのみを示している.
に対して行った.その結果を図 2 に示す7).液中,真空中 を問わず,光熱励振はピエゾ励振と比してノイズやスプリ アスの少ない励振が可能であった.また,カンチレバーの 共振モード近傍の位相の回転が光熱励振の場合素直であ り,位相変調(phase modulation, PM)を用いた計測に適 している.今までに,( i )30 pm の励振振幅を用いたシリ コン(111)7×7 構造の観察(図 3)8),(ii)カンチレバーの たわみの三次モードを用いた,5 MHz での原子分解能撮 像9),(iii)カンチレバーのねじれを用いた原子分解能撮像 (図 4)10―11),(iv)液中でカンチレバーのねじれを用いた原 子分解能撮像(図 5 ),などを確認している.作動周波数 がメガヘルツ帯であるため,超高真空の高 Q 値環境で あっても,振幅変調を用いた AM 撮像で,一般的な走査時 間を達成することも可能である12).同光学系を用いて,常 温でのシリコン単原子マニピュレ─ションを示してい る13).図 4 に示した結果は,シリコンの表面で探針先端を 試料面方向に 1 Å 程度振動させ,そのときの周波数シフト をプロットしたものである.佐々木による計算11 )と非常 によい一致を示した.これにより,表面の力の場が三次元 的に直接計測可能であることが示された.図 5 に示す結果 は,純水中で雲母表面を観察したものである.ねじれモー ドを用いた場合,表面が揺らいでいる様子が観察されると ともに,格子以下の分解能でフィーチャーが観察された. 3. 多モード励振 カンチレバーのたわみとねじれ振動を用いることによ り,探針先端を試料法線方向と試料面内方向に位置変調す ることが可能である.ねじれは摩擦の計測や,力勾配の試 料面内成分の計測に有効である.液中の場合,探針先端の 振動方向によって,探針や試料表面に生じていると考えら れる構造化した液体分子に与える影響は異なると考えられ る.その影響を調べる目的で,たわみとねじれの量を連続 的に変化させた.光熱励振の場合,LD に複数のモードに 対応する周波数の強度変調を行い,その振幅を変えるだけ で意図した振幅掃引が可能となる. 4. 複数の変調周波数を用いた計測への応用 AFM カンチレバーを自励振動させながらその探針に試 図 4 シリコン(111)7×7 表面を,カンチレバーのねじれ振 動を用いて撮像したもの.探針の試料面内方向振幅は 1.3 Å 程度.試料探針間制御にはトンネル電流を用いた.7×7 構 造を反映したパターンが観察される.探針振動方向は誌面上 下方向である. 図 3 シリコン(111)7×7 構造をヘテロダインレーザードッ プラー計を有する AFM で撮像したもの.振幅は,順に, 0.12 nm,0.11 nm,0.088 nm,0.070 nm,0.034 nm,0.028 nm である. 図 5 液中 AFM をもちいて純水中で雲母を観察した例.2 MHz 近傍で,探針を試料面内方向に 1 Å オーダー振動させて いる.像取得のたびにぼやけた部分が移動する様子が観察さ れた.また,格子間に繋がったフィーチャーが観察された.
料を近づけると,探針先端と試料の間に働く力の勾配に よってカンチレバーの周波数が変化する.この自励周波数 と距離をプロットしたカーブを,一般にフォースカーブと 呼んでいる.フォースカーブは探針の先端の原子,探針直 下の試料原子の種類,探針の先端近傍の体積や物質によっ て異なった傾向を示す.試料中原子ごとのフォースカーブ の差異を撮像中に抽出することができれば,原子種を反映 した撮像を実現できる可能性がある.Lantz(2001 年),森 田(2007 年)14)の研究では,試料中原子種によってフォー スカーブの谷の深さが異なることが示されている.このこ とは,原子種の組み合わせによってポテンシャルの谷の深 さが異なることを力学的計測で示したものである.リアル タイムの計測で谷の深さを計測する場合,谷の位置を認識 することが必要となる.これは,計測や制御でしばしば求 められる極大点や極小点の検出に類するもので,よく用い られる手法として,作動点に位置変調を加え,位置変調に 伴う影響が最小となる点をもって極点とする方法がある. 例 と し て,原 子 同 士 の 相 互 位 置 決 め 制 御 が 挙 げ ら れ る15―16).実際の実現のためには,試料台を 10∼100 pm の 振幅で位置変調し,それに伴う周波数変化をロックイン検 出することで一種の微分計測を実現する.周波数の位置変 化率がゼロとなる点をもってフォースカーブの極小点を知 ることができる.ここで問題となるのは,ロックイン検出 を導入したことにより,ある程度の時定数でロックインア ンプの出力を平均化する必要が生じる点である.ロックイ ンアンプの出力は,場合によっては制御に用いられるた め,制御帯域を確保するためには,全体の作動周波数や, 変調周波数を高める必要がある.前述の通り,ヘテロダイ ンレーザードップラー計測と光熱励振は,高周波数化,低 振幅,低位相ノイズの点で本手法に適した構成である.図 6 にフォースカーブとその微分値を同時に取得した例を示 す.カンチレバーはシリコン,試料は KBr である.微分 値のゼロクロスから安定して極小点を検出できることが確 認されている.いままでに,原子レベルの組成を反映して いると思われる像が合金や不純物を含んだシリコンで観察 されており,他の同定手法との比較を通じてその信頼性が 評価されている. 5. 他の顕微鏡との複合機 図 1 に示したように,本報で紹介した光学系は,対物レ ンズの焦点位置にカンチレバーを位置決めすることにより 比較的高性能の AFM を構築することが可能となる.上述 以外にも,超高真空透過電子顕微鏡( transmission elec-tron microscope; TEM)と AFM の複合機(図 7)や,アト ムプローブ電界イオン顕微鏡(field ion microscope; FIM) と AFM の複合機(図 8 )を実現している.TEM-AFM で は,各種粗動機構を TEM 磁極にアンカリングし,探針と 試料の相対振動が低減されるように配慮している.現在 ルーチン的にフォースカーブの取得が可能となっており, 前章の原子レベルの組成コントラスト撮像と,ビーム法に よる元素同定の対応付けの準備を進めている.FIM-AFM においては,AFM 試料台に穴が空いており,探針,もし くはエミッターから放出された電子やイオンはその穴を 通って試料台反対側に配置したマイクロチャネルプレート (micro-channel plate; MCP),蛍光板,飛行時間計測装置 へ導かれる.本装置では,AFM 探針や金属探針をいまま でに確立されている修飾方法でさまざまな分子を修飾し, その分子の振動を FIM で観察することが可能となってい る.AFM は非常に有用な道具であるが,他の手法と組み 合わせることにより,力計測だけでは得られない多くの情 図 7 TEM-AFM の AFM ユニットを調整台に固定したとこ ろ.図中 6 時方向が対物レンズ移動機構,3 時方向がカンチ レバーホルダー移動機構と試料台移動機構である.後者は試 料と探針を TEM の焦点に三次元的に位置決めする. 図 6 KBr をシリコン探針を用いて計測した場合のフォース カーブ.実時間でフォースカーブ(青)とその微分(赤)が 計測されている.微分カーブのゼロクロス点がフォースカー ブの極小点に対応していることが確認できる.
報が得られる.AFM と分光の組み合わせ,AFM へのポン ププローブ法の導入など,組成同定や時間分解能の向上 など,なお多くの成果が期待される. 6. センシングへの応用 カンチレバーアレイを用いたターゲット物質の捕捉検出 は,AFM の発明後盛んに行われている.AFM の発明者の 一人,Gerber のノーズプロジェクト17 )などが有名であ る.非常に多くのカンチレバーアレイの読み取りの実現方 法 と し て,MEMS( micro-electro-mechanical system )加 工的にあらかじめ変位や周波数センサーをカンチレバーご とに仕込んでおくことが考えられるが,診断用などの使い 捨てカンチレバーアレイを想定した場合,レーザースキャ ンなど検出チップを簡便にする方法が検討可能である.図 9 にカンチレバーアレイを示す.ガルバノスキャナーを用 いて計測光と励振光をカンチレバーを横切るようにスキャ ンすることによって,周波数でアドレッシングを行いなが ら各カンチレバーの周波数変化をトラッキングすることが 可能となっている(図 10).便宜上このセンサーシステム をナノピアノと呼んでいる.各種物質検出への応用が始 まっている16). ここで紹介した光学系では,カンチレバーの励振と計測 をともに光学的手法で行っており,また各光スポットを対 物レンズを用いてカンチレバーに位置決めするだけで計測 が可能となるため,簡便にさまざまな応用への展開が可能で ある.ここで紹介した,液中 AFM,TEM-AFM,FIM-AFM, UHV( ultra-high vacuum )-AFM などはすべて同じ光学モ
ジュールを用いている.数少ない差異としては,対物レン ズが真空中にあるか,液浸対物レンズであるか,AOM の 周波数が数十 MHz であるか,GHz であるか,という程度 である.AFM ヘッドの設計の自由度の高さや,励振用ピ エゾ素子を有さないため,高温でカンチレバーのアニーリ ングが可能であることや,探針に 10 kV オーダーの高電圧 を印加できる点も利点として挙げられる.極低振幅での撮 像,高速元素同定撮像,マルチモード撮像等,AFM によ り可視化可能な領域を広げる道具として今後とも有用であ ると考えられる. 本報告で示した結果は多くの共同研究者の成果をまとめ たものです.ここに諸氏の貢献に深謝いたします.超高真 空の成果は川井茂樹氏,制御系と回路系は小林大氏,液中 の撮像は西田周平氏,シミュレーションは佐々木成朗氏, 光学系はネオアーク(株)の目黒栄氏,高野修氏,小林善 紀氏,斎藤順一氏のご協力によるものです.ここに記して 感謝いたします. 図 9 両持ち梁をシリコン加工で作製した例.計測光 と励振光を同軸にしたものをガルバノスキャナーで走 査し,振動子アレイの周波数変化の追跡を行う.ナノ ピアノと呼んでいる. 図 10 ナノピアノの計測結果.アドレッシングの簡便化の ため,周波数で棲み分けを行っている. 図 8 FIM-AFM のエミッター部分.構成としては AFM ヘッ ドと同様で,試料台がエミッション用の穴を有する.カンチ レバーホルダーがエミッターホルダーとして機能し,10 kV 程度の耐圧を有する.
文 献
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