ミツバ チ 科 学23(3):123- 126 HoneybeeScience(2002)
ス ロヴェニ アの養蜂
一養蜂 は生活 その
もの-アルプスの南側, イタ リアのフ リウー リ地方 とクロアチアのスラグォニア地方 の間には,す ぼ らしい養蜂家たちの国がある.それがスログ ェニアだ. ヨーロッパで最小の国のひとつで人 口は200万 を少 し下回 り,ブカ レス トやケープ タウンといった一都市 に相当す る程度である. スログェニアには約8千人の養蜂家がお り,ざ っと計算 す ると国民千 人 に 4人 の割合で養蜂 家だということがわか る.つまり, スログェニ アは本当に養蜂家の国 とい うことなのだ.豊かな養蜂の伝統
砂糖が入手 しに くい時代 には, どの農家 も ミ ツバチを飼 っていた.蜂蜜 は唯一 の甘味料であ り,蜂 ろうはろうそ くの材料 と して欠かせなか った.当時,木製の巣箱 は背が低 く,互 いにぴ ったりと並べ られ長 い列 をっ くった. この巣箱 を"
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(カーニオ ラン) という.木造 の 小 さな蜂小屋が果樹園の木陰に造 られ,蜂群 は ひとつ屋根の下で飼われた.冬の雪や寒 さ,夏 の暑 さか らも蜂を守れ るこのよ うな伝統的な蜂 小屋 は, スログェニアで は今 日も広 く使われて お り (図 2),風景 に養蜂 の彩 りを添えている.F.Si
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村の画廊 18世紀中頃,
「巣門飾 り絵画」 とい うユニー クな民俗芸術が,当時オース トリア ・- ンガ リ ー帝 国の一部 であ った ス ログェニアで開花 し た.農民が家具やガラス器 に絵 を描 くことが広 く行 なわれた この時代,村の芸術家 は巣箱前面 の滑 らかな木板 に触発 され,そ こにも描 き始 め たのだ. これ らの巣門飾 りは今で もラ ドウ リツ アの養蜂博物館で賞賛を受 けづづけている. 素朴 な蜂小屋がやがて美 しい野外の画廊 にな って しまった.村人 は老 い も若 きも蜂小屋の周 りに集 まり,そこに描かれた歴史や聖書 の中の 出来事,あるいは村の 日常生活か ら題材を得た 色鮮やかな絵画を見て驚嘆 した. このような巣 門飾 りがあるので,蜂 は自分の巣箱 をよりよ く 見分 け られ,養蜂家 もそれぞれの巣箱 を識別 し やすか った. どの群がすでに分蜂 して しまった のかを覚えてお くのに役立 った.す ぐれた養蜂指導者
巣門飾 りの流行 と時を同 じくして, スログェ ニア出身の偉大な養蜂指導者 ア ン トン ・ヤ ンシ ャの仕事が始 まる.1734年 にプ レ ドに近 い ブ 図1 ヨーロッパの中央に位置する国土20,300km2,人口2百万人の小国だが,その中にアルプス地方,地 中海地方,カルス ト地方,パンノ二ア地方などヨーロッパの異なる世界が隣り合わせに存在 している.図2 リュブリャナ近郊の典型的なスログェニア式 蜂小屋 レズニカという小村で生 まれたヤ ンシャは農場 を手伝い,青年時代 には蜂を飼 っていた.画家 をめざ して ウィー ンへ行 き,1969年 に優秀 な 成績で美術学校を卒業 した. しか し有名な画家 になることが,彼 に用意 された運命ではなか っ た.当時オース トリアの女帝 マ リア ・テ レジア の命で帝都 ウィーン市内アウガルテンに養蜂学 校 が設立 され,小 さな木造 の蜂小屋 も造 られ た. この学校の初代養蜂指導者 にヤ ンシャは任 命 された.故郷か ら持 ち込んだ蜂の生態に関す る深い知識 と比類なき知覚力,そ して持 ち前の ウィッ トにより,彼 は養蜂のすぼ らしい理論家 であり実践家であるという名声を得た. ヤ ンシャには2冊の著書があり,当時一般 に は想像 もできない卓抜 した考えを幾っか述べて いる.つまりdrone(雄蜂)は水を運ぶ蜂では な く,女王 と飛行中に交尾する ミツバチの雄で あること,女王蜂はdroneも含むコロニーのす べての蜂の母親であること,旧女王はは じめの 分蜂で飛 び去 り,次の分蜂では新女王が飛 び立 つ こと, また重度の腐岨病 にかか った巣板 は他 の群-蜂を払い落 とし,数 日間飢えさせること で治癒 し得 ること,などである.細菌の知識な ど一般 にはほとんどなかった時代 に,今なお養 蜂技術 として通用するこの方法をヤ ンシャは推 薦 していた.39歳で早世 したこの誇 るべ きス ログェニア人が到達 した以上 ものを誰が知 って いるだろう.彼 はスログェニアのみな らず,莱 り多 く働 きそ して没 した国オース トリア, ウィ ー ンの養蜂家の輝か しき先人なのである. 図3 アルペンローズに訪花するカーニオラン 灰色 の蜂, カー ニ オ ラ ン 現在のスログェニア領は,灰色の蜂 カーニオ ラン(Apismelliferacarnica)の故郷である. 腹部の縁に光 る灰色の毛があることか ら,スロ ヴェニアの養蜂家は愛情を込めて 「灰色熊のカ ーニオラン(Carniolanglizzly)」と呼ぶ.この 蜂の性質 として,従順,勤勉でおとな しく,す ぼ らしい帰巣 ・定位能力を持つ ことが挙げ られ る.人に対 して非常に温和で人家の近 くで飼育 で きたのだろう.灰色の蜂の評判 は他の国に, と く に 在 来 種 の 黒 い 蜂 Apis mellifera melliferaが攻撃的だ った中欧諸 国へ と広が っ た.19世紀末 には生 きた蜂群や分蜂群の取引 が始 まり,後 には女王蜂 も貿易 の対象 とな っ た.Kranjicの名で知 られ る長方形で前後双方 か ら開 く巣箱 は,荷車 に積み重ね,遠 い目的地 へ輸送 しやす くするためにつ くられた.第一次 世界大戦勃発までに,数万群のカーニオランが 蜂専門のスログェニア商人 によって輸出され, 多 くの場所で土着の黒い蜂を完全に駆逐 した. 今 日この仕事 は女王蜂育種家に引 き継がれ,約 3万匹の女王蜂が主に中央 ・西 ヨーロッパへ さらに他の国々へ輸出されている. 蜂 蜜 の国 蜂群取引が盛んになると養蜂見本市が開催 さ れ るようになった. 毎年 8月 10日頃に, 夏季 の流蜜でいっぱいになった何千 もの巣箱を持 っ て養蜂家が集 まった.買い手 は蜂群販売業者や 蜂蜜 ・蜂蜜酒 (ミー ド)の販売人,そ してろう そ く商である.販売 された巣箱の蜂は通常硫黄 で殺 され,蜜巣板が切 り分 けられた.巣板 は特
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図4 民族衣装を着た著者 シビック氏と夫人 (左) 第37回7ビモンディ了が開催されるスログェニアの 首都 リュプリャナ (右) 殊 な圧縮装置でつぶ し,加熱溶解 して, ろうそ くの材料 と した.蜂蜜 は国内消費,隣国への輸 出のほか,一部 はハチ ミツ酒や ジンジャーブ レ ッ ドに利用 された.人類 の豊かな想像力やデザ イ ンの才能 は焼 き菓子作 りにも現れた. この独 特の技術 は代 々受 け継がれ, スコフヤロカの辺 りでは天才的な作 り手たちが,蜂蜜,ライ麦粉, コショウ, シナモ ン, クローブ,灰汁を原料 に ジンジャーブレッ ドを焼 き,上 に植物をモチー フに したカラフルな飾 りを描 く.かつては,紘 婚式 など特別 な機会 にだ け作 られたが,今では ユニークな土産物 と して売 られている. 風土 に適応 した種 話 をカーニオ ランに戻 そ う. この蜂 による養 蜂 は, スログェニア, オース トリア, クロアチ アに加え,中欧,東欧の国 々で もうま くいって いる.灰色の蜂 は何世紀 もの時間をかけて, ス ログェニアの気候や植生 によ く適応 し,寒冷多 雪な冬 に強 く,頻繁 な雨や強風の夏を耐え,雑 多な植物資源を うま く利用す ることを覚えた. トウヒやモ ミの森で,甘露 を見っけ集 める上手 さも他系統 を しのいでいる.衛生行動 はよ く発 達 し,病気 による被害 は少 ない. またカーニオ ランは比較的少 ない貯蜜で も, ちいさな越冬蜂 球 をっ くって冬を越せ る. しか し春 の建勢時 に は爆発的に成長 し, 5月にすでに ピークを迎え ること もあ る. これ は しば しば養蜂家 を驚 か す.急 いで巣板 を加え貯蜜 スペースを補わない と, コロニーは分蜂 して しまう. この分蜂傾向 は,大規模 な商業志向の養蜂家 には望 ま しくな い.だが適正 な選抜 と育種 により, リュブ リャ ナの養蜂研究所の専門家 は,世界中の養蜂家 に 好 まれ る,分蜂傾 向が低 い系統 をっ くりだ し た. さらに彼 らは遺伝的 に ミツバチへギイタダ ニに耐性のある蜂群 を選 び出そ うとしている. 蜂の輸送 ス ログェニアの約60%は常緑針葉樹 と落葉 樹 の混交林で覆われ,多かれ少 なかれ ミツ/ヾチ の良 い採餌場 といえる.最 も重要 な蜜源植物 は モ ミと トウヒで,次にク リ,シナノキ/菩提樹, カェデ,そ して野生のサ クラである.養蜂家 は 全国にいて,その蜂が栽培植物や野生植物の花 粉媒介を良 く果たすので,果樹園や大規模 なア ブラナや クローバーの農場で もポ リネ-ション 用の蜂 は必要ない.かつては, とくに森林地帯 で採餌条件が悪 いときに蜂群 をよそへ移動 させ た.古 い記録 によると,農民たちは大昔か ら標 高の低 い地域の牧草が刈 り取 られると,開花の 遅 い山岳地帯へ巣箱 を移動 させていた.蜂の輸 送用 に特別 な荷車を考案 し, 目的地が遠 い場合 には牛や馬 に引かせた. めざす先 は主 に リュブ リャナやスコフヤロカ, プ トゥイ周辺 の豊かで 広大 なソバ畑だ った.ソバ は7月末の小麦収穫 後に蒔かれ,8
月後半 に開花す る.天候がよけ れば蜂たちは
最上 の越冬食料を豊富 に集 め られ る.花蜜が大量 に入 るので,女王蜂 はムダ巣 に 産卵す ることさえあ った.蜂群 は若返 り,よい 状態で冬を待っ ことがで きた.126 樹木 か ら分 泌 され る甘 露 につ いての予 測 今 日では,養蜂家 は主 に森林地帯 に ミツバチ を移動 させて くる.モ ミと トウヒの甘露 出現 (mellowlng)は多かれ少なかれ毎年 あるが,場 所 により様子が異なる.そこで便利な出現予測 サー ビスがある.森内の観察巣箱 に集 まる甘露 の量がを随時発表 し,有望 な森の場所 と分泌程 度 の正確な情報を供給す る.それを もとに,秦 蜂家 は自分の巣箱をいっどこへ移動 させるか決 定する.輸送には貨物 トラックなど現代的な車 両 を用 い
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巣箱 を ドミノのよ うに積 み重ね る枠を使 う.AZ
巣箱 とは後 ろ側か ら開 く厚み のない巣箱で,前面 に絵の描かれたロマ ンチ ッ クな"kranjic"巣箱か ら百年以上 も前 にとって 代わったものである.隣のオース トリアと違 い スログェニアでは,新 しい移動用巣箱が全 く定 着 していない. これはわが国の養蜂家がよ く伝 統を守 っているということなのか ? それは誰 にも判 らないが,私たちも祖先 と同 様 に ミツバチを愛 していることは確かだ.蜂 は 乾 いて暖かな巣箱の中で飼 いたい,頑丈な屋根 をっけて悪天候か ら守 りたいと思 う. ミツバチ は死なない,死なせ られるのだ, とスログェニ 了では言 う. どんな動物 よ りミツバチに対 して 賞賛 と尊敬の念を持 っているのである. アマチ ュアによる養蜂 スログェニアの養蜂家 は年間2,000tの蜂蜜 を生産 し,国内消費を十分 まかなえるので,棉 入の必要 はない.モ ミや トウヒの甘露が豊富な ときは大量の蜂蜜が採れ,一部が輸出にまわさ れる.スログェニア森林蜜の品質 は, ドイツの シュパルツバル トやスイスの ジュラの林で採 る 蜂蜜にひけをとらない.生産者の大半 は余暇に 趣味 として蜂を飼 うアマチュア養蜂家である. 彼 らの小 さくで忙しく動 き回 る友人は,-チ ミ ツを作 るだけでな く,考えること,観察す るこ と,そ して喜ぶ ことを教えて くれる.巣で病気 が発生 したときは,悲 しみを分かち合 う. Varroa病 など克服 しに くい病気の出現 によ り,若者が養蜂に興味を失 って,養蜂組合の空 席を埋める若 い後継者がいない. この傾向はヨ ーロッパ各国共通であろう.スログェニアでは 養蜂に再 び活力を取 り戻 そうと,学校の選択授 業 として養蜂の基礎を教え るクラブがつ くられ た.ここで実践的な指導を受 けた生徒の5人に ひとりが,卒業後養蜂家 となるな ら, このコー スの目的は達せ られたといえよう. 養蜂組織 養蜂の主 目的は蜂蜜生産 であるが,養蜂家が 得 る蜂蜜以外の恩恵 も重みを増 している.養蜂 組織に加われば,仲間か ら歓迎 されて,我が家 にいるような充足感を得 られる.共 に意見を交 換 し,専門的な講義や品評会,記念祝賀会など 多 くの活動を企画する.仲間 との活動 は養蜂家 の生活を豊かに し,技術向上 にも貢献する.ス ログェニア養蜂協会 は130年前 に設立 され,覗 在傘下 に200の組合がある.ほとんどの組合 は 独 自の組合旗 をもち,組合員の結婚会場で使わ れたり,告別式で墓穴に横 たえ られた故人の前 で最後の敬意を表するために使われたりする. 「スロベニア ンビーキーパ ー」誌 も由緒 ある雑 誌で,その興味深 くていねいな記事 は養蜂界に とって貴重な情報源 となっている. 養蜂協会員を対象 とした社会学的調査か ら, 大変興味深い結果が得 られた. ミツパテを飼養 す る家庭 はよい状態にあることが多 く,その子 供達 は学校で平均以上の成績を修めているとい う.卒業後 は しば しば政治や経済,文化的な分 野で重要 な地位 に就 いている.子弟の多 くは別 の道 に進むが,養蜂家であ った両親を忍耐力, 勤勉 さ,慎み深 さ,そ して 自然や故郷への愛を 教 えて くれたよいお手本 であると認識 してい る. これ らが示すのは,スロブェニ了において 養蜂 は,単 に蜂蜜のために蜂を飼 うことではな く, もっと多 くのことを含むということだ. ミ ソバチは人々の暮 らしと共 にあり,養蜂 は生活 その ものなのである. (翻訳 原野健一 著者の住所 は下記参照)FRANCSIVIC.Beekeeping in Slovenia-A wayof livlng.HoIWybee Science(2002)23(3):123-126.
LocalOrgallizing Commlttee,Apimondia2003,