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精神予防性無痛分娩法をめぐる産婦人科医たちの論争 1954〜57年の産婦人科学術雑誌上で展開された議論の分析と検討

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(1)

精神予防性無痛分娩法をめ ぐる

産婦人科医たちの論争

-1954∼

57年 の産婦人科学術雑誌上で展開された議論の分析 と検討――

藤原

聡子

1),月

澤美代子

い 長野県看護大学/11貫天堂大学医学部医史学研究室 つ 順天堂大学医学部医史学研究室 受付 :平成 26年8月 17日

/受

理 :平成 27年2月 27日 要 旨 :無 痛分娩 は,「薬物 に よる無痛分娩」 と,「薬物 に よらない無痛分娩」に大別 され,日本 では, 1950年 代前半 に この2種類 の実施が本格的 に始 ま った。 1954年 か ら 1957年 にか けて, 日本赤十字 本部産 院院長 の久慈 直太郎

,慶

応義塾大学産婦人科 教室主任教授 の安藤董― を中心 として,「薬物 に よらない」方法の一つであ る精神予防性無痛分分絶法 の「実用性」。「科学性」。「独創性」 について 産婦人科学術雑誌上 にて議論 が展開 された

.こ

の中で

,久

慈 直太郎 は, 日本 の医療法下 で助産 師に よ り実践 され る正常分あ亀介助 におけ る「精神予防性無痛分娩法 の実用性」 を主張 し

,ま

た安藤蓋一 ヤよ「和痛分娩」 の考 え方を提唱 し, ともに精神予防性無痛分娩法 と「薬物 に よる」方法を併用す る 使用法 を模索 した. キー ワー ド :精 神予防性無痛分娩法

,実

用性

,薬

物 に よる無痛分娩

,薬

物 に よらない無痛分娩, 和痛分娩 日本医史学雑誌 第 61巻 第 2号 (2015)131-144

1.は

じめに

無痛分娩 は,「薬物 に よる無痛分娩」と,「薬物 に よ らない無痛分娩」に大別 され

,日

本 で は

,1950

年 代 前 半 に この

2種

類 の無 痛 分 娩法 の臨床 実践 が本格的 に始 まった。 この うち,「 薬物 に よらな い 無痛 分 娩」 の一 つ

,精

神 予 防 性 無 痛 分 娩 法1) (PsychoprOpllylaxis method,本 稿 で は以下

PPMと

略称 す る

)に

つ い て

,筆

者 らは前 報りに 'も ‐い て, 中国大陸 に留用 された医師 らを含む引揚 げ事業が 1953年に再 開 された ことを背景 として導入 され, 1953∼64年にい た る 日本赤十宇社 本部産 院

,な

らびに

,大

森赤十字病院での産科医・助産師を中 心 としたチー ムに よ り実践 され

,正

常分娩 に 'も ‐ け る妊婦管理法の形成 に大 きな役割 を果た した こと を切 らかに した。 本稿 で は

,PPM導

入 時 の産婦 人科 医た ちに よ る評価 に関 して検 討 す る

,1954年

2月 に行 わ れ た産婦人科学会での座談会での議論 を契機 として 展 開 され た「薬物 に よる無痛分娩」と「薬物 に よ らない無痛分娩」双方 をそれぞれ実践す る産婦人 科 医たちの議論 を

,産

婦人科学術雑誌での座談会 速記録や誌上討論資料 によ り追 う。

PPMは

,日本 で開始 されたため座談会で話題 とな り

,双

方 の無 痛分娩法 の推進者た ちに よって

,そ

の「実用性」。 「科学性」。「独創性」 につ いて

,引

き続 い て学術 雑誌上 で烈 しい議論が展開 された。 その議論 の内 容 を 明 らか に し

,我

が 国の1950年代 の正 常分娩 へ の無痛分娩法導 入にあた って検討 された課題 に つ いて考察す る.

2.「

薬物による無痛分娩」 と

「薬物によらない無痛分娩」

戦後 日本 にお け る「薬物 による無痛分娩」 の臨 床実践 の本格 的 な紹介は

,慶

応義塾大学産婦人科 教室 (安藤書 一°主任教授

)所

属 の長 内国臣つが,

(2)

1946年に新薬 「デ メ ロー ル」 につ い ての翻訳 記 事 を読 ん だ こ とが き っか けうとな り

,1946∼

49 年 まで の

3年

間 に国内で 自身が行 った 「薬物 に よ る無痛分娩」100余例 を比較分析 して学位論文° とし

,そ

の成果 を慶応義塾大学講師尾島信夫 との 共著うとして発表 した ことに始 まる。 この著書 の 中で

,長

内国臣・尾 島信夫は

,麻

酔使用 の技術 は 産婦 の産痛 を防止す るだ けでな く「日本の旧態依 然 た る助産制度 の中で放置 されていた正常分娩 に 産 科医師が関心 を もち関与す る気持 ちを高め るこ とに な る」8)と無 痛分 娩法導 入の産科 医師 に対す る効 用 につ い て も述 べ てい る。 そ の後長 内区l臣 は

,横

浜 警 友病 院オoおよび北 里大 学病 院 で

,1952

年 か ら30年にわ た って2万

5千

余 例 の 「薬物 に よる無痛分娩」 を主導 し

,今

日の「薬物 に よる無 痛 分夕)絶」管理 の基本 とな る方式 を確立 した". 一 方 「薬物 に よらない無痛分娩」 につ い ては, 京 都 大 学 教 授 の三 林 隆 吉 が

,1949年

の『産 科 と 婦人科』誌 において

,産

前教育 として イギ リスの デ ィ ック・ リー ド (Grantly Dick_Read)1890∼

1959)の

「 自然分娩法 (natlirЛ chld biHh)」 を紹 介 し, アメ リカ

,

イェール大学 の弛緩法 プ ログラ ムの採 用 を提 唱 したЮ)が

,

これ は医 師・ 助産 師 に よ り実際 に活用 され るには至 らなか った

,日

本 にお ける「薬物 によらない無痛分娩」 の本格的 な 実 践 は

,1953年

に 日本赤十 字 本部産 院長 久慈 直 太 郎・ )の 指 揮下

,菅

井正 朝Iか を中心 とす る 日本 赤十 字 本部産 院無痛 分娩研究会1)による

PPMの

実践 を晴矢 とす る。無痛分娩研究会は

,発

足 直後 の 1953年 5月 か ら ■ 月 までの336症例 の正 常 分 娩 につ い て

PPMに

よ る産前 教 育 (産痛 の予 防) と分娩時の産痛防止のケアを実践 しその無痛効果 を追試 して

,

この成果 を『産婦人科 の実際』誌 に 掲載 した1つ . この よ うに「薬物 に よる無痛分娩」 と「薬物 に よ らない無痛 分娩」 は

,1950年

代 前 半 のほぼ 同 時期 に 日本 で本格的 な臨床実践が開始 され

,

と く に

PPMに

つ い ては

,1953年

に再 開 された中国大 陸 に留用 され た 医師I° らを含 む引揚事業 を背景 として メデ ィアに喧伝 されたため

,そ

の疼痛防止 効果 や有用性 につ いて双方 の推進者 の間で議論が 起 こ った。 1954年 2月 に順 天堂 大学 で 開催 され た 日本産科婦 人科学会 の座談会1° の席 上

,安

藤 董 ― が

PPMの

実用 性 を否定 した こ とを契機 とし て

,久

慈直太郎 は

,同

年 8月 「精神性無痛分娩 は 実 用 性 な りや 実用性 な り」 とい う論 文1の を『産 科 と婦人科』誌 に掲載 し,「 薬物 による無痛分娩」 を推進 す る産科 医達 との誌 上討論 の 口火 を切 っ た

.こ

の誌 上 討論 は

,医

学 雑誌 の一 回のみ の ト ピ ックス として終わ らず

,1954∼

57年の あ しか け

3年

にわた る

,学

術雑誌 としては異例 の長期 の 論戦 とな った

.こ

の 日本産科婦人科学会 の座談会 が 開始 され るまで に発表 され た 「薬物 に よる分 娩」 と「薬物 に よらない分娩」 に関連す る主要 な 文 献 を表1にま とめ た が

,1949∼

53年にか けて 集 中 してい ることが読み取れ る。 表 1 1946∼ 54年 までの 日本における「薬物による分娩」と「薬物によらない分塊」について翻訳・著述された関連文献 1946 1949 1949 1950 1952 1953 1953 1953 1953 1953 1954 西暦 (年) 1946∼1954年 までの 「薬物による介娩」 と「薬物によらない分娩」の関連文献 ポール・ ド・ クライフ

,一

九四六年の霊薬.リ ーダーズダイジェス ト1(3)t18疵4 長内国臣

,尾

島信夫

.無

痛分娩

.セ

リオメデ ィナーナ 13.東 京 :杏 林書院 リー ド グラン トリー・デ ィック

.恐

怖のないお産.リ ーダーズダイジェス ト4(5):6 15 三林隆苦

.母

親学級に就て

,産

科 と婦人科17(8) 高良 とみ。私は見て来た, ソ連・ 中共

.朝

日新聞在1 尾島信夫

.無

痛分娩 と自然分娩

,医

学書院 東大 ソヴエ ト医学研究会

,現

代の ソヴエ ト医学

.蒼

樹社 長橋千代

,小

沢豊

,相

良 日出夫

.座

談会中国の無痛分娩

.婦

人公論39(7),152-157 尾島信夫

.無

痛分娩 と和痛分娩

.産

婦人科の実際 2(1):806810 菅井正朝,日赤産院に於 ける “精神予防性

"無

痛分娩法の実施成績

.産

婦人科の実際2(12):1481■ 484 安藤董―

,久

慈直太郎

,長

谷川敏難

,安

井修平 ら

.座

談会

.無

痛分娩

.臨

床婦人科産科 S(5)1289306

(3)

3.発

:1954年

の順天堂大学 にて

開催 された「無痛分娩」座談会 について

3-1)1954年

の「無痛分娩」座談会の経緯 1954年2月 19日

,順

天堂大学 で開催 された 日 本産科婦人科学会IS'東京地方部会第36回例会 で, 「無痛 分娩」 につ いての座談会19)が行われ た。 司 会 は順天堂大学 の水野重光2ω で

,座

談 の メンバー は発言順 に

,長

谷川敏雄〕)(東大

),長

内国臣 (横 浜警友

),尾

島信夫 (慶大

),宮

信一 (東大産婦人 科

),竹

内繁 喜 (築地産院

),安

井修平2)(東京逓 信

),謝

国権2)(日赤産 院

),久

慈 直太郎 (日赤産 院

),安

藤書― (慶大

),岩

田正道 (三井厚生病院) であ る。 司会 の水野重光 は

,座

談会 での導入 として「昨 今無痛 分娩法 の臨床研究が活況であ るが

,実

際 に は 日本 は家庭分娩が多 く

,分

娩 に対す る考 え方が 外 国 とは違 うとい う実態があ る。一方で

,(正

常) 分娩 に麻酔 を導 入す るのには

,何

らかの考 え方が あ る とは思 うが

,実

数 は少 ない と考 え る。①経 口・ 皮下・ 筋 肉注射法

,②

吸入麻酔法

,③

硬膜外 麻酔法

,④

サ ドル麻酔法

,⑤

陰部麻酔法

,⑥

精神 予 防性無痛 分娩法

,の

順 で各識者 よ り紹介後

,

自 由討議 をす る」 と述べた。 これ に よ り

,

まず長谷川敏雄 が 「産痛 の機序」 を述べ,「 各種麻酔薬 の特徴」 を説 切。長 内国臣 │ま「経 口法

,

また は皮下

,筋

肉内注射法」 のテー マで

,

自身が行 ったモル フ ィン とス コポ ラ ミン併 用法

,デ

メ ロールの使用

,バ

ル ビタール経 口剤 に つ いて解説 した。 尾 島信夫 は吸入麻酔 で トリクロールエチ レン, 笑気 の説 円ジ]を行 い

,

さらに長谷川敏雄 の 「産痛機 序」 の説 明に疑義 をは さんだ2つ

.宮

信― は 「硬膜 外 麻 酔分娩」

,竹

内繁 喜 は 「サ ドル麻酔 (脊髄 麻 酔)」

,安

井修 平 は,「 陰部神経麻酔」 につ い て述 べ

,最

後 に謝 国権が 「精神予防性無痛分娩法の実 施 のため の理 論 と産前教 育」 につ いて語 り,「産 前教育を受 けた産婦」 と「産前教育を受 けない産 婦」 の産痛 の感 じ方 の違 い,「 介助者 と産婦 の信 頼状態 の形成」 に よる

PPMの

効果 を説 明 した. そ の後

,

自由討議 とな り

,そ

の議題 は

PPMに

藤原聡子・月澤美代子 :精 神予防性無痛分娩法をめ ぐる産婦人科医たちの論争 133 対す る疑間 に集中 した。 まず尾島信夫 は東北大学 で

PPMを

実践 してい た菊池健治 の論文2)を引 き 合 い に出 し,「 菊池氏 は『従来 の産痛 は本 当は痛 くない』 と述べてい るが

,産

痛 は現 に存在 してお り

,痛

い ものは痛 いのだ」2° とし

,菊

池健 治 に よ り説 明 された

PPMは

暗示 的効 果 を狙

)非

科 学 的 な方法 とし,「今度 の戦争 で吾 々が血 を流 して獲 得 した ものは『痛い ものは痛い』 と言 え る自由で あ るはず だ」'つ と強い批判 を展開 した

.こ

れ に対 し久慈直太郎が 「疼痛 の伝導路 と神経 の走行だ け で

,痛

み を説 明は しえない と考 える

,疼

痛 へ の中 枢 神経 の細胞 の関与 を聞 明す るのが今後 の課題 で

,そ

の点

,謝

国権の説 明はその部分 に触れてい た

.精

神予 防性無痛分娩法 が非科学的 とはいえな い」 と応酬 した20。

_方,長

谷 川敏雄 は,「 精 神 予防性無痛分娩法 は リー ド法のや きなお しだ

,な

ん ら新 しい ものではない。 また

,

リー ドの 自然分 娩法 は現段階では

,欧

米 で も普 及 してい ない」 と 批判 し2の

,

また尾 島信夫 の 「第1期の産痛が子宮 下部か ら起 きる」 とい う持論 に対 して も「第 1期 は子宮体部か ら産痛が始 こる と考 える」 と釘をさ した。 安井 修平 は

,PPMは

「 日本古 来 の功 産 の 方法 であ り

,そ

れ には賛成す る。 しか し『精神予 防性無痛分娩』の名称では,イ メージが良 くない」 と述べ

,ま

た陰部神経麻酔の メ リットを述べた。 安藤董― は

,慶

応大学産婦人科教室 の方針で正 常 分 娩 で は希 望 者 以外 には麻酔 を用 い ない こと を

,教

室所属の尾島信夫・長 内国臣 もよ く理解 し て い る は ず で あ る こ とを まず 述 べ た。 そ して

PPMは

「サ ィ コッー マチ ックメデ ィス ン として 科学的方法 であ る」 と述べた。 しか し無痛分娩 と しての手技 や準備 にお け る優 劣 を述べ るな らば 「 リー ドは

,妊

婦 に対 して教育や準備等が必要で, その必要性がない トリクロールエチ レンの使用 と 比べ実用性がない

,ま

た リー ドと類似 した精神的 無痛分娩法 も実用性が ない」 と述べたSω . 「 リー ドには実用性 が ない

Jと

す る根拠 につ い て

,安

藤 董 ― はそ の普 及 の面 か らも挙 げてい る。 1953年安藤 書― は国際不妊学 会31)出席 のため欧 米 に出発 したが

,そ

の 目的の一つ は リー ドの「自 然 分娩法」 に関す る知見 を得 るためで もあ った.

(4)

安藤 茎 一 は リー ドに面 会 を求 めたが結局叶わず, また, アメ リカでは

,一

箇所 の施設 で しか リー ド の 「 自然分娩法」が実践 されていなか った。安藤 董 ― は この体験 を述べ,「 欧米で普 及 してい ない 事 実 か らも リー ドは実用的で ない.」

PPMも

同 じ ことで,「話題 として興味 はあ るが

,に

しい人間 にはで きない ことであ る」 とダメ押 しを した3). 座 談 会 の最 後 に久慈 直太 郎 は

,PPMは

「助 産 師 に よ り昔 か ら 日本 で行われ て きた ことであ り, ソヴェ ト式 とい う評判 に拘泥せず

,偏

見 を持た な いでほ しい」 と要望 を出 した詢.

3-2)PPMの

「実用性」「 科学性」「独創性」への 疑 問 この座談会の討論 では

,水

野重光 が前提 とした 「薬物 に よる無痛分娩法」 の臨床 (正常 分娩

)適

応 につ い て

,座

談 メンバー達 は安藤 を除 きその是 非 に対 す る各 自の考 え方 を明 らか に しなか った。 そ して尾 島信夫 による

,菊

池 の説 明す るパ ブ ロフ 学説 を応用 した産痛論 に納得 で きない ことや産痛 へ の 暗 示 使 用 の疑 い

,

とい う

PPMの

「科 学 性」 へ の疑間

,長

谷川敏雄 に よる「 リー ドとの区別が で きない」 とい う

PPMの

「独 創 性」 へ の疑 問, 安藤董― に よる 「準備 に時間がかか り

,普

及 して い ない」 とい う

PPMの

「実用 性

Jへ

の疑 間が提 出された. この座談会での議論 に関 して

,筆

者 は

,異

常分 娩 で は な く正常分娩 のみ に用 い る

PPMに

つ いて, 他 の 「薬物 に よる無痛分娩」 と比較す る以上

,た

とえば「実用性」に関 しては次 の

3点

につ い て検 討 され る必要 が あ った と考 える。 ①正常分娩に「薬物を用いる」 ことの可否を聞 う倫理的検討 安藤董―は「本来麻酔薬は正常分娩に使用 され るべ きでない。私は賛成 しない

.ど

)し てもやる のな ら希望者 のみであ る」 と述べたが

,尾

島信 夫・長内国臣はもちろん

,他

メンバー もこれに対 して自分の意見を述べなか った。 また無痛分娩法 実施後の深亥Jな後遺症例 (母体死亡

)に

ついて, 岩 田正道が報告 したが

,

これについて

,

さらに検 討され ることはなかった. ②正常分娩介助 の主た る担 い手 に関す る検討 安 井修平 のみが,「 毎年 日本 で

200万

人 生 まれ る と して

,150万

人 は家 庭 の中で の分 娩 で あ る」 と現 実 の 日本 で は開業助 産 師た ちが分 娩介助 を 行 ってい る ことに触れ てい るが

,

これには久慈が 反応 したのみで

,ほ

とん ど黙殺 された。 ③産婦 自身か らの疼痛 の訴 え

,反

応 の面か らの 検討 謝 国権 のみが産痛 に関す る産婦達 の感 じ方 の変 化 を

,産

婦 の イ ンタ ビューか ら述べた。 しか し, 竹 内繁喜 は正常分娩への麻酔を女性への機嫌取 り と捉 え

,尾

島信夫 が女性 は暗示 に誘導 されやすい と述べてい るよ うに

,男

性 目線 の想像の域 を出な い言辞 もあ り

,産

婦 自身 の感想や希望を伝 える意 見 はなか った。 す なわ ち正常分娩での麻酔薬使用 の可否

,助

産 担 当者 の問題

,産

婦 の感想 の検討 が され ない ま ま

,

この議論 は

PPMへ

の一方 的 な批判 として終 わ った ことにな る。 以上 の経緯 か ら

,そ

の後 に続 く1954∼57年の 『 産 科 と婦人 科』 誌 の一連 の誌上 討論 は

,

この座 談会 の内容が発端 になってい ると考 える。 と くに 「精神性無痛 分娩 は実用性 な りや実用性 な り」 の 久 慈 直太郎 の論文標題 に付 け られた くどい程 の 「実用性」言辞 は

,

まさに この座談会で安藤言一 の発 した言葉 に

,久

慈直太郎 が強い抵抗感を示 し た もの と推察す る。次章 にて久慈直太郎の安藤書 ― に対す る反論 を述べ る。

4.PPMの

「 実 用 性 」 を 問 う議 論 に つ い て 牛1)『産科 と婦人科』誌の沿革 と座談会

,誌

上討 論 の企画 につ いて 『 産 科 と婦人科』誌 は

,1932年

に久慈直太郎 と 安藤 書― が 「診 断 と治療社」:° 社長 の藤実人華 と 企画 し

,東

大 医局 に所属 していた安井修平を編集 に加 えう°1933年に創刊 された

.久

慈 直 太郎

,安

藤董一

,安

井修平 は

,誕

生 した ばか りの この学術 誌 の原稿集 めの方策 として

,関

東・近畿 の産婦人 科学 会の地方部会 で

,座

談会 を設 けその速記録 を 載せ る こととした

30.こ

の座談会 は今 日の学会 シ ンポジ ウムの元 とな るもので非常 に人気 とな り,

(5)

藤原聡子・月澤美代子 :精神予防性無痛分娩法をめ ぐる産婦人科医たちの論争 その速記録 は『産科 と婦人科』以外 の後続の学術 誌 の誌面作 りに も影響す るよ うにな った。 『産 科 と婦 人 科』誌 は大 戦末期 に は一 時休 刊 し たが

,九

州か ら東京大学 に赴任 した長谷川敏雄が 1947年か ら新た に編集 に加わ り『産科 と婦人科』 が復刊 した。 また長谷川敏雄 は

,同

時期 に安藤董 一 が単独で編集 していた『臨床婦人科産科』誌の 編 集 も兼任 す ることとな った3の

.順

天堂大学 に 'も ‐ け る 「無痛分娩」 の座談会 は,『 臨床婦人科産科』 誌 の企画で あ ったが

,

この座談会の内容掲載 の形 式 は

,久

慈直太郎

,安

藤書一

,安

井修平 によって 考 案 された ものであ る。 順天堂大学 におけ る「無痛 分娩」 の座談会終了 後

,久

慈直太郎 は『産科 と婦 人科』 で新 た な企画 として,「 誌上 討論」 を開始す る30。 そ の次 号で 長 谷川敏雄 は,「 編集で相談 して誌上討論 を企画 したが

,

これ は (身内同士 の

)八

百長 ではない」 と読者 に断 ってい る3の 。 これ は久慈直太郎 も長谷 川敏雄 も編集 同人 であ ったか らで あ る. 表

2に

,「 PPM」 の誌 上討論 の テー マで『産科 と婦人科』誌 に掲載 された主 な論文 を示 した。 本稿 では

,久

慈 直太郎 が表

2(1)論

文 で 「実用 性」 について安藤茎― に反論 したのを以て一連の 誌 上 討 論 の始 ま りとす るが

,1954年

4月 に尾 島 信夫が『産婦人科 の実際』 に掲載 された菊池健治 の論文1° の 「精神予防性無痛分娩法 の非科学性」 につ い て

,再

度 非難す る論 文 を『産 科 と婦人科』 誌 に投 稿・ )し

,久

慈 直 太 郎 は これ も踏 ま え て, 1954年8月 に誌 上 討論 を開始 して い るた め

,尾

島論文

,お

よびその批判の対象 とな った菊池論文 につ い て も

,分

析 の対象 とす る

.表

2(4)の

津 田

槙男の論文は, この尾島信夫の論文を賛助する論

文であ り

,(5)の

永江清三は

,尾

島信夫 と津田槙

135 男 とが菊 池健治の論文 に対 して提 出 した疑 間 に応 じ

,津

田槙男の論文 を批判す るものであ る。

4-2)久

慈直太郎の安藤豊―に対す る反論 久慈 直太郎 は

,表

2(1)論

文 冒頭 で,「 精 神予 防性無痛 分娩法開始1年目の記念会」を 日赤 で開 催 した こ とを述 べ

,会

に集 った母子 の姿 を紹 介 し

,現

,体

験者か ら非常 に喜 ばれ歓迎 され る状 況 を以て

,安

藤董一 の 「普 及 してい ない」 とい う 発言 にまず反論 した. 久慈直太郎は, 自身が 日本赤十字社本部産 院で 「薬物 に よる無痛分娩法」 を採用せず

PPMを

開始 した理 由について「薬品による無痛分娩法 には必 ず何等かの副作用を伴い

,た

とえ軽少な りとも幾 分 の危険 を蔵す ることは周知 の事 で あ り

,殊

に我 国の よ うに助産 の大部分が助産婦 の手で行われ て い るところでは

,助

産婦 に薬剤 の使用が禁ぜ られ てい る為 に実際上実行不可能 な ことはその最大 の 欠点 であ らねばな らぬ」 と述べ てい る4)。 す なわ ち久慈直太郎 は

,法

律 にて「薬 を使 うことを禁 じ」 られ てい る助産師がで きない ことは実行 しない と した。 この久慈直太郎の言葉 には

,尾

島信夫 ・長 内国臣 ら「薬物 に よる無痛分娩法」 を志 向す る医 師たちの立脚点へ の批判 も込 め られ てい る

.尾

島 信 夫 。長 内国臣 らは,「 薬物 に よる無痛 分娩」 が 普 及 しない のは,「 本邦 の動産制度 が無痛 法 の実 施 に真 に不適 な状態 にあ るか ら」 とし

,

日本では 「産科 的経験 の乏 しい医師 と

,医

学 的知識 の低 い 助産婦 とが第一線 にあ るわ けで

,専

門の産婦人科 医 は正 常 分 娩 に関与 す るに は余 りに多忙 で あ る (中略

)本

邦 の無痛 分娩 の障害 はむ しろ現行 の助 産婦制度 にある」 とその著書で述べ てい る1♪

.こ

れ に対 し

,久

慈直太郎 は

,現

行 の 日本 の助産制度 表

2『

産科 と婦人科』誌の誌上討論 として掲載 された論文 (1)久 慈直太郎

.精

神性無痛分娩は実用性な りや実用性 な り 産科 と婦人科 1954,21(8):64卜643 (2)長 谷川敏雄

.所

謂 “精神予防性無痛分娩法

"に

就て 産科 と婦人科 1954,21(9):726聟32 (3)篠 田糸し

,精

神性無痛分娩は実用性な りや。産科 と婦人科 1954;21(11)1909910 (4)津 田槙男

.精

神性無痛少娩の批判

.産

科 と婦人科 1955122(1):6659 (5)永 江清三

.精

神予防性無痛分娩法の批判に対す る批判

.産

科 と婦人科 1955,22(10):41単4 (6)菅 井正朝

.精

神予防性無痛分娩法の実際

.産

科 と婦人科 1957;24(4):26弓1

(6)

の上 で 「薬物 に よらない無痛 分娩」 を もっ とも 「実用」的 とみてい る。 また篠 田糸し4)も表

2(3)論

文 で,「 母 児 に絶対 無害 であ る こと

,副

作用 も絶対 にない こと

,器

具 も薬 品 も使わず助産婦 で で きる こ と

,

日本 の従 来 の慣 習 に も適合 し家庭分娩 に適応 で きること, 従 って 日本 の よ うな国情 で は普遍性 が あ る こ と, こ とに助 産婦 の知識 と経験 とが 向上 し

,妊

産 婦 の教 育指導 が これ に よって徹底 す る よ うにな る とい う社会的に大 きな利益があ る」ために

,PPM

は「実用性充分あ りと賛意 を表す る次第」と述べ て

49,久

慈直太郎 の主張 を支援 した。 また

,久

慈直太郎 は

,

自身が妊婦 に聞いた妊婦 の産痛 の感 じ方 につ いて も記述 し,「此感覚 は甚 しい 緊張感

,又

圧迫 感 の よ うな もの で あ る ら し い。下痢す る時の腹痛

,又

はその他 の疾病 の とき に起 る癌痛 な どとは勿論進かに異 なった性質の も のの如 くであ る

.而

して此感覚 は陣痛発作時 に深 呼吸 を行 うこと

,又

は或局部 を摩擦す ること又 は 少 し く圧迫す ることに よって緩和 され る ものであ る。分娩 の ときに婦人の感ず る感覚の如何 なる性 質 の ものであ るかは

,今

後 尚心理学 的 に も生理学 的 に も研究 を要すべ き点で あ る と考 え る」 と述べ てい る`6). 久慈直太郎が 「薬物 によらない無痛分娩」 に積 極 的 に助産 師を関わ らせ ること, また

,妊

婦 の心 理 を研究 しなければな らない と述べ

,

これ に対す る「薬物 に よる無痛分娩」派 の反論 はなか った。

5.PPMの

「 科 学 性 」 を 問 う議 論 に つ い て 5-1)『 産婦人科の実際』 に投稿 された菊池健治の 産痛論 に対す る尾島信夫の反論 菊池健治 は

,天

津第一軍 医大学 臨床 医院の副院 長劉民英 とともに中華人民共和 国で初めて ソ連 の

PPMを

追試 した 医 師 で

,

日本へ の帰 国後 「パ ヴ ロフ高級神経活動学説を基礎 とした無痛分娩法 の 紹 介」 を執 筆 し,『 産婦人科 の実際』誌 に発表 し た4の 。 その理論部分で

,パ

ブ ロフの高次神経学説 の解説

,上

海第二軍 医大学 な どで追試 された ソ連 の研 究 につ い て紹 介 し

,PPM実

践 に関 して は ソ 連・上海・ 天津での実践 の 「無痛 の有効性」 にお いてそれぞれ比較 してい る。 菊池健治 はその論文 中で 「産痛」 を「在来の産 痛」 と称 し

,そ

の機序 とパ ブ ロフ高次神経学説 の 関係 を

,以

下 の表3のよ うにま とめてい る。 この菊池健治の説 明は

,尾

島信夫 に よ り批判 さ れ た。 尾 島信 夫 は この菊 池健 治 の論文 が 出 るま で

,

どち らか とい えば

,好

奇 心 と期待 を もって, この

PPMの

産 痛防止 の理論部分 の詳細がR月か さ れ るのを待 っていた

40.と

ころが

,中

国で初 め て

PPMを

実施 した こ とを無 邪 気 に 自賛す る菊 池健 治の論調 に

,尾

島信夫 の態度 は一変す る。 と くに 1954年2月 の順 天堂大 学 で の座談 会 で

,尾

島信 夫が菊池健治の論文を根拠 に「精神予防性無痛分 娩法 は非科学」 と発言 した ことで久慈直太郎 と論 争 にな り

,安

藤言― に奢め られた後

,尾

島信夫 は 座談会終了後 に菊池健治を鋭 く批判す る論文を書 きあげ,『 産科 と婦人科』誌 に投稿す る. 表

3

菊池健治の挙げた在来の産痛の機序 (出典 :菊 池健治

.パ

ヴロフ高級神経活動学説を基礎 とした無痛分娩法 の紹介

.産

婦人科の実際 1953;2(12):3牛35) (1)在来の分娩の疼痛 は必発の もの とは考 えられない

.分

娩痛 は強 きも性質 も各人各様であるばか りでな く, 統計上lo∼20%の産婦は無痛であること 在来の分娩痛の大部分は

,不

可避のもの とは考 えられない. (2)在 来の産痛は

,大

部分は

,第

二信号系統作用に依 る言語性条件反射性疼痛である. (3)在来の産痛は

,恐

怖や不安や無知のために

,大

脳機能失調状態に於て分娩す る. (4)妊娠時

,分

娩時の各変化は

,皆

分娩に有利な方向に起 っている. (5)大脳の健全な機能下では

,生

理的範囲内の内臓の拡張収縮は無痛である。 これ等内臓刺戟は皮質下中福か ら大脳皮質に伝達 され るが, これは刺載閾下の刺戟 となる。 (6)言 語文字に依 る第二信号系統の刺戟を以て

,大

脳機能を著 しく改変す ることが出来 るし

,又

それに依 って 内臓感覚に影響を及ぼす ことが出来 る。

(7)

藤原聡子・月澤美代子 :清神予防性無痛分娩法をめ ぐる産婦人科医たちの論争 尾 島信夫 は 「薬剤 によらない 自然分娩法 につい てはあま り実施者のない所へ

,同

じ傾 向の精神予 防性 無 痛 分 娩 法 が 中共 か ら帰 った菅 井 氏

4)ゃ

菊 池 氏50によ って熱心 に実施せ られ 山田氏SI)等の 批 判的見解 もあ るが

,同

胞帰遠 とい うトビックと 共 に ジ ャー ナ リズ ムの波 に乗 り

,恰

も無痛分娩の 代表 的方法 であ るかの様 な印象 さえ与 えるに至 っ た」 と批判 した`つ

l.津

田槙 男が これ を承 けて表2

(4)論

文 に て,「 バ ヴロフ学説 の応用 だ とい う本 法 が紹 介 され る と

,た

ち まち これ に と りつか れ, 新F耳弓

,

ラジオ

,雑

誌 等 に誇大 に宣伝 された。黙 々 として長年 (麻酔分娩 の

)研

究 され てい る尾 島氏 等 の反論 も

,

もっ ともな こと」 と

,マ

ス コ ミの脚 光 を浴 び る留用 医師達 に

,強

い反感 を示 したSめ , 尾 島信夫 は

,さ

らに菊池の産痛論 について

,次

の よ うに主張 した。 137 に よる「非科学 的方 法」 で はな く,「 教 育」 に よ る 「科学的方法」 であ るとい う反駁であ る。

5-2)久

慈直太郎の「暗示」に関す る考え方 と「精 神予防性無痛分娩法 は非科学」 の否定 1952年高 良 とみ55)はモ ス クワ経 済会議 出席 の た め 日本女性 としては じめ て共産 圏 の ソ連 に足 を 踏 み 入 れ

,

ソ連 で の

PPM実

践 を 見 学 した。 高 良 とみ は

,か

つ て ア メ リカ の ソー ン ダ イ ク (Thomdikc,Edward L 1874∼

1949)に

師事 して心 理 学 の学位 を得 てお り

,

ソ連 の

PPM実

践 につ い て

,通

訳 か ら英語 に よる説 明を受 けた とき,「 暗 示 で はないか」 とい う疑間を抱いた。 しか し

,高

良 とみ は

,そ

の実際をみて

,む

しろ理論 よ りも効 用面 について 目が開か された と述べ てい る5° . 高 良 とみ と同様

,

日本赤十字本部産院医師の長 橋 千 代Sの も

,PPMと

暗示 とを 区別 で き る根拠 に ついて関心を持 った。長橋千代 は

,1953年

の『婦 人公論』 の座談会で

,高

砂 丸で帰国 したばか りの 留 用 医 師 で あ る相 良 日出夫

,小

沢 豊 に対 して,

PPMと

暗示 との違 い につ い て質問 してい るS° . 「暗示 の疑い」 は

,鉄

の カー テ ンに隠れた東側 の技術 を実際 に見聞 した この時代 の 日本人の共通 す る気持 ちだ った と推測 され る。す なわ ち暗示 は 催眠術 の一種 であ り

,催

眠術 は科学的根拠がな く 人 を踊すのに使用す るとい う先入観であ る。高良 とみの出版物 はたちまち各方面 に反響 を招 き

,久

慈直太郎 も強い関心 を抱 いた。久慈 直太郎 もまた 精神予防性無痛分娩の暗示的要素 を疑 うが

,そ

れ を払 し ょ くした の は菅井 正朝 だ った。 菅井正朝 は

,暗

示や催眠が一方的 な意志 に よ り被動的にな され るの に対 して

,PPMに

お け る産前 教育 は受 講者 自身 の 自主的 な理解 と意欲 を必要 とす る と述 べ てい るSの。 また

,東

大 ソヴエ ト医学研究会 によ り1953年に刊行 された『現代 の ソヴエ ト医学』6ω に も

,PPMは

,催

眠術 や 暗示 の よ うに注意 を あ る一点 に集 中させ て

,大

脳 の大部分 のはた らきに ブ レーキをかけ

,痛

みを感 じさせ ない よ うにさせ る方 法 とは違 うとして

,PPMと

暗示療 法 との差 異 が強調 され てい る。 久 慈 直太郎 は表

2(1)論

文 で,「 此精 神的無痛 東北大学 の菊池氏 は

,在

来 の産痛 は根拠 が な い と述べ てい る。(中略

)私

は無痛分娩 を終戦 直後 に思立 った時

,産

痛 につ い て調 べ てみ た。 そ して色 々な点か ら開 口期 の疼痛 は子官下部及 び預部

,そ

の周囲等か ら組織の圧迫・伸展等 に よって生ず るものであ り

,娩

出期 のそれ は睦以 下 の軟産道及 びその周 囲か ら生ず る もので あろ うと考 えざ るを得 なか った。(菊池 氏 が

)産

痛 を否定す る論拠 は薄目目の様 に思われ る

.(中

略) 医療 は療術 と違 うか ら納 得 のい く方法 を とらな ければ な らない

.も

し説 明す る医師が正 しい と 信 じないで

,方

便 として説 明す るな らばそれ は 単 な る暗示療法 で あ って警戒 しなけれ ばな らな い

.と

い うのは産婦が 自己の正 しい感覚を病的 と錯覚を持た され ることであ り

,遂

には助産婦 や医師迄が暗示 にか ゝって しま うか らであるS° . 尾島信夫の論点は次の

2点

にまとめ られる

.①

菊池健治は「従来の産痛 とい うものはない」 とし ているが

,そ

れは根拠がない。②医療的根拠のな い ものに基づいた

PPMは

単 なる暗示であ る。尾 島信夫の『産科 と婦人科』誌への投稿論文を受け て

,久

慈直太郎は

,

この尾島信夫の非難に対 して も

,反

駁を用意 していた。すなわち

PPMは

「暗示」

(8)

分娩 はパ ブ ロフの条件反射説か ら出発 して

,教

養 に よって分娩 に対す る誤 った考 を除去 し

,分

娩時 に於 ける補助動作 な どの助 けによって感覚閾を高 くす る方法 で あ る」 と結論づ け る

.そ

して

,PPM

が “暗示

"で

あ るのか否か,とい う疑間 に対 して, 「或 人 は之 を催 眠 術 の一 種 の如 く考 え

,暗

示 に よって無痛 にな る と想像 してい るよ うであ るが, 若 し教育 が催眠術 であ って

,そ

の結果 を暗示す る な らば

,そ

の通 りであ るが

,此

精神的無痛分娩法 は催眠術 ではな くて教育である。正 しい分娩機転 を教 え

,之

に対す る誤 った考 えを除去 し

,そ

の時 の処理法 を習熟 させ ることに よって無痛 になるよ うに指導す る方法 であ るか ら

,此

方法 は精神的無 痛分娩 とい うよ りも

,教

養性無痛分娩法 とい う方 が よい と思 う程 であ る」 と述べ て

a),精

神予 防性 無痛 分娩 の 「教育」的要素を強調 し

,暗

示 を否定 した。 久慈直太郎 は この教育的効果 につい て

,産

婦教 育 のみ な らず

,医

師 の診断力向上・助産 師の保健 指導教育 とい う面 につ いて

,

この精神的無痛分娩 法 が新機軸 を拓 くと考 えていた。 こ うして

,PPM

と「暗示療法」 との区別をつ けて以来

,久

慈直太 郎 の

,理

論 その もの には こだわ らず実践へ の展開 に強い関心を抱 く態度 は

,そ

の後一貫 して変わ ら なか った。 しか し

,そ

もそ も

,尾

島信夫 が菊池健治 の 「産 痛論」 を非科学 と非難 したのは

,産

痛 は存在 しな い とい う菊池健治 の説 明不足 に端 を発 してい る。 そ して

,

これは

,表

2(5)永

江 清三 に よ りその産 痛論 を補完 され ることにな る。

5-3)永

江清三6の のニ コライエ フ引用 による菊池 の産痛論の補完 永江清三 は

,表

2(5)論

文 で

,尾

島信夫

,長

谷 川敏雄

,津

田槙男が「菊池健治が正常分娩 は産痛 を伴わ ない と述べた」 としてい る点 に誤解があ る と し

,1951年

4月 に発表 され た レニ ング ラー ド の医学院産婦人科研究所 のニ コライエ フ教授 の論 文60ょ り抜粋 し論文 に掲載 した。す なわ ち,「 分 娩痛 にはその物質的基礎が あ る ことは疑いのない ことであ り

,子

官 内部の感覚器 を刺戟 して分娩痛 を起す直接 の原因は次の如 くである」 としその分 娩痛 の起 る理 由を表

4に

述べ られた もの とした。 そ して

,永

江 清 三 は,「 今 まで の考 え方 で は, 分娩痛

=産

痛 十子宮収縮 の感覚 であ ったが

,パ

ブ ロフ学派 の考 え方では

,分

娩痛

=『

産痛 十子官収 縮 の感 覚』×大 脳 皮 質 の感 覚 閾 の高 低 ×条 件 反 射 性 疼 痛 ×大 脳 皮 質 の 内抑 制 及 び外抑 制 の強 弱 とな る」 と述べてい る60. 「疼痛へ の中枢神経 の細胞 の関与」 として

,パ

ブ ロフ学派 は「条件 反射 と疼 痛 閾値 の組 み合わ せ」 とい う非常 にユニー クな枠組みを提示 し

,そ

れ はパ ブ ロフの弟子 ヴ ィコフ ら多 くの ソビエ トの 科学者 に よる動物実験 に裏打 ち され ていた。 これ 表

4

永江清三が要約 したエコライエフ論文の「分挽痛の機序」(出典 :永江清三

.精

神予防性無痛分娩法の批判に 対す る批判

.産

科 と婦人科 1955;22(10):41単4) (―

)子

宮頚管の拡張

,子

宮内口及び子宮下部には非常に多 くの知覚神経装置があるため (二

)巨

大 な妊娠子宮が収縮す る時には

,子

官の諸靱帯や腹膜を牽引 した り伸展す る事は避けられない。腹膜 の痛覚の高度である事は一般に衆知である (三

)内

腔 を有す る臓器 (子宮

)が

その内容を排出す るに当 り阻碍す るものがある時 (子宮頚

,骨

盤底

,時

に は骨盤入 日の阻碍

)に

は強烈な収縮が発生す る。 (四

)子

宮の収縮の時にはその中にある無数の血管を圧縮す る

.こ

の血管 には敏感な神経感覚末端がある。子 宮が比較的長時間収縮す る時には強烈 な疼痛を引起 して もよい筈である

.そ

の他 にも子宮組織の或 る程 度の局所貧血及びその物質代謝障碍 も重大な作用をなすであろ う. (五

)組

織化学的変化

,即

ち子宮収縮 の結果蓄積 された代謝産物亦た子宮や血管や漿膜 の化学感覚器を刺戟す るであろ う

.こ

れ らの分娩痛の物質的原因は当然すべての産婦に発現す るものであるが

,但

し分娩痛の 表現の程度や痛覚の強弱は個 々の産婦によって非常に不同である. 一部の産婦 (7∼14%)は完全 に分娩痛 を感 じない。それは彼女達の神経系統 は特異的で非常に高い感 覚閾を有 してい るか らである

(9)

藤原聡子・月澤美代子:精神予防性無痛分娩法をめ ぐる産婦人科医たちの論争 に よ り永江 清三 は

PPMに

は「科学性 はあ る」 と した。 また永 江 清三 は

,PPMに

於 け る最 大 の欠 点 は

,疼

痛 の強弱を測定す る科学的方法 が発見 さ れ てい ない事 である

,

と分析 を加 えてい る69. く りか え しに な るが

,尾

島信 夫 が

PPMの

「科 学 性」 を疑 った の は

,

この

PPMの

疼 痛評 価 で は な く

,PPMは

産 痛 を ど う解釈す るのか

,

とい う ことであった

.既

に述べた よ うに

,ニ

コライエ フ の根拠 を示す ことに よ り永江清三 は尾島信夫か ら の批判 に反駁 し得ていた。 139 が あった と筆者 は考 える。

PPMの

「独創性」の問題 については

,論

2(5)

で永江清三が 「 リー ド氏法 よ リソ連 のパ ブ ロフ学 派が ヒン トを得 て現在 の精神予 防法 を作 り上 げた もので あるか ど うか と云 う事 については

,残

念午 ら只今考証 の材料 を持 ってい ないので解 らない」 と述べ てい る'°。終戦 と引揚 げ とい う歴 史上 の大 事 件 のた め

,30年

間 の隔 た りの あ る リー ド法 と

PPMと

い う二つ の「薬物 に よらない無痛分娩法」 の存在 をほ とん ど同時 に認めた 日本の産婦人科医 達 の間で は二つ の方法 の違 いが問題 にな る ことは あ って も

,PPMの

推 進 者 達 に とっては

,

リー ド の 自然分娩法 との差別化を図 ることは余 り意味の ない ことであ った

,

と思われ る。

7.「

和 痛 分 娩 」 と

PPMに

つ い て

7-1)菅

井正朝 の誌上討論 のふ りか え り 永江 清二 の後任 として本部産 院か ら大森赤十宇 に赴任 した菅井正朝 は

,表

2(6)論

文 で

,本

部産 院 で実践 した産 前 教 育 と

PPM開

始 後約

3年

半 の 5000症例 の実施成績 を記述 し,『 産 科 と婦 人科』 の「誌 上 討論 で賛成

,反

対 の意 見 を見 て きたが (中略

),吾

々は本法を以てすべ ての産婦 の問題 を 解 決 し得 る完全 な方 法 と考 えてい るわ けで は な い。(中略

)産

婦 みず か らの意 識 的 支 配 の下 に, 積極 的

,

自主的 に分娩 を行わ しめ

,

自然 な分娩行 為 を通 して

,母

性 としての 自覚 と喜 びを強 く感 じ させ る点 に本法 の意義 が あ るの で はないか と思 う」 と述 べ た'1)。 そ して

PPMが

奏 効 しない

,

も し くは腰 の部分 に痛みを強 く訴 え る正常分娩妊婦 に「薬物 に よる無痛分娩法」併用 を講 じ

,皮

下浸 潤麻酔 を行 った 14症 例 の記述 を付 け加 えた。 こ の浸潤麻酔 については

,腰

や恥骨上部

,肛

門部 に 限局す る産痛 について

,菅

井正朝 はマ ッケンジー の仮説

7D,す

なわ ち放散痛 の可能性 を考 え

,そ

の 麻酔効果 をね らって実践 したが

,但

し産痛 は放散 痛 ばか りで な く

,内

臓 自体 の感覚 としての痛み も あ る と してい る。 安 井修 平 は

,す

で に 1954年 の 座談会時に

,陰

部神経麻酔 と「薬物 に よらない無 痛 分 娩 法」 の併 用 を提 案 してい た'う が

,菅

井 正 朝 自身 も この論文 中で

PPMが

奏 効 しない場合 の

6.PPMの

「独創性」を問 う議論

:

PPMと

リー ド法 との差別化について

長 谷 川敏 雄 は

,順

天堂 大学 の座談会 で

PPMの

独創性 を否定 した

.従

って誌上討論で も

,そ

の結 論 か ら出発す る。長谷川敏雄 は

,表

2(2)の

論文 に て

,PPMは

「結局Readの所 謂natllral childbin11 に外 な らぬ もの」 として論 を展開 してい く蒟

).久

慈 直太郎 が否 定 した 「暗示」 につ い て は,「Read は 明 らか にsuggestionと 云 う表 現 を用 い てお り, 矢 張 リー種 暗示 法 と見倣 してい る」 とし,「 教 育 と雖 も暗示 をその内容 とす ることが必ず しも稀で はな く」

,ま

た,「 暗示法が必ず しも非科学的 とし て」排斥 され るべ きもので はない と主張 す る6の . す なわ ち,「 術前 に於 ける医師の慰安 に依 り」

,妊

婦 たちに対す る「麻酔効果 も或程度助長 され る こ とは一 般 に知 られ るところで」 あ り,「 本討論 の 対 象 た る無 痛 分 娩 と云 う診 療 行 為 に就 て云 って も

,斯

の如 き暗示法 は(中略

)当

然 の処置 として」 従来 か ら慣用 され て きてお り何 ら 日新 しい ことで はない と主張す る69. 長 谷川敏雄 の論 は

,い

わ ば

,PPMの

「独創性」 の全面否定 とい って も良い ものだが

,尾

島信夫 と 異 な る立場 を と り

,暗

,す

なわ ち

,

リー ド法 で の `suggcmon'を

,非

科学 として排斥 され るべ き で はな く

,薬

物 に よる無痛分娩 の導入 に 「必要 欠 くべか らざる もの」 として積極的価値 を見 出 して い る。長谷川敏雄 の議論 の中で

,

リー ドの 自然分 娩 法6の が 「薬物 に よる無痛 分娩法」 の導 入時 に 役 立 つ ことが再 認識 され た こ とは,「 薬物 に よる 無痛 分 娩」 推進 者 た ちの

PPM理

解 にお い て意義

(10)

7-2)「 和痛分娩」 と

PPM

順 天堂大学 の座談会では

,尾

島信 夫か ら,「薬 物 に よる無痛分娩法」では完全無痛 の達成は不可 能 で 「和痛」 も選択肢 に加 え る とぃ ぅ提案)が あ つた。「和痛」 とは

,痛

み を無 くす のではな く , 痛 み を緩和す る

,

とぃ 多意味の安藤董―の造語 と ヽれ る70. 仮 に分娩期 の全過程 の無痛をめ ざす ならば

,分

娩進行 に伴い産痛部位が移動す るため

,多

量 の薬 剤 の使用が必要 で

,母

児 に対 して有害

,不

経 済で あ る。 また

,麻

酔 に よ り分娩第

2期

に産婦が覚醒 せず娩 出力が弱い と

,娩

出時 に圧 出法や鉗子使用 が併用 され母体を損傷す る可能性がある。そのた め分娩第

2期

の麻酔量 を調節 し

,多

少 の痛み は感 じて も

,産

婦 が充分覚醒 し自力で娩出できる「和 痛分娩」 をめ ざした

.座

談会で安藤書―が トック ロールエチ レンを推奨 したのは

,①

(麻酔が

)早

く奏効 し早 く醒め分娩時の覚醒が確保できるとぃ う特性があ ること

,②

サ ドル麻酔 (など作用調節 がで きず陣痛徴弱を惹起す ること

)に

よ り

,鉗

子 分娩 になることを嫌 ったためである。 また

,産

自らの娩 出力 を維持す ることは,「産婦が 自Z′ J`の 力で子供 を産 む」 ことに価値を置 く日本の文化に 根 ざ し

,座

談会で安井修平 の述べた「伝統的分娩 へ の回帰」 に折 り合いをつけられ るとぃぅことで 意味があ った。 しか しそのためには

,産

婦 の 「自 力で生むための意思

Jの

保持 と

,分

娩第

2期

の娩 出力 を維持 す る指導 と支援 が前提 となる。医師 においては正常分娩第

2期

の看護 の知識

,産

婦 に お い ては「産 前教 育」 が必要 となるのは 自男で あ る。 したが つて

,安

藤 董 ― の

,PPMは

「準 備 に時 間が かか るか ら実用でない」 との発言にはゃは り 本質的 な問題があ った。分娩期 に特化 した産前教 育

,産

婦 管理 に関す る

PPMの

方 法 を

,そ

の後 の 安藤董一 と久慈直太郎 とい ぅ二人の手で始めら れた 「薬物 に よる無痛分娩」 と「薬物によらない 無痛分娩」 についての論争 は

,座

談会 とその後 に 続 く誌上討論 とい ぅュニー クな形 を とり

,無

痛分 娩 が 日本 の助産 に適応す る形を見 出す努力を続け る こ とを促 した。 この論争か ら

60年

た った 日本 の妊婦 に 自らの望む分娩 を手に入れ る選択肢を拡 大 した とぃ ぅことで

PPMの

実践 に よ り引 き起 こ された産婦人科医達 によるこの論争は意味があっ 陰部神経麻酔併用 の可能性 を肯定 した。 ここで

,菅

井正朝が正常分娩で「薬物による無 痛分娩法」 を必要あれば用いるとしたのは

,な

ぜ か。 それ は1954年の順 天堂大学 の座談会のあ る 提案 に帰着す る。

のである

8.

おゎ り「こ

た と考 え られ る 最後 に本稿 で明 らかになった ことを示す

(1)1954年

の順 天 堂 で開催 され た座談会では ,

PPMの

「実 用 性」「科学 性」「独 創性」 に対す る疑間が

,参

加 した産婦人科医たちか ら提起 さ

,久

慈 直太郎 はその反駁のために『産科 と婦 人科』誌上討論 を開始 した。 (2)「 精神予防性無痛 分あ亀法 の実用性」への批判 に対 して

,久

慈 直太郎 は

,本

部産院での盛 んな 普及

,す

なわ ち

,体

験 した妊婦 自身たちか らの 支持 と

,

日本 の医療法上 の問題

,す

なわ ち

,助

産 の実質的 中心 を担 ってぃ る助産師が「薬物」 を使用 で きない現状 とい ぅ実践的根拠に基づい 「和痛分娩」 を行 う推進者達 は

,学

んでぃ くこと になる70. 一方 で,「和痛」 の提案 に関 しては

,一

連 の誌 上 討論上 にて

PPM推

進 者側 か らも接近す る姿勢 がみ られ た。篠 田糸とは表

2(3)論

文 で 「私 は「精 神性」 とか 「教育性」 とかの名称を附 して「無痛 分娩」 とは云わ ず に「和痛分娩」「防痛分娩」 と 言 いた ぃ」 と述べ てぃ るク"。 また永江清三 も表2

(5)論

文 で 「「無痛」 とぃ ぅょ り

,安

藤 教授 の提 唱 され る「和痛」

,即

ち痛 み を和 げ る分あ絶とぃ ぅ 方 が適 当」 と述べ てぃ る70。 また菅井正朝 も

,表

2(6)論

文 に て「減痛・和痛」効果 とい ぅ単語を 用 い てぃ る!7".っ ま り,「薬物 に よらない無痛分 娩」の推進者たちは

,PPMを

「無痛」ではな く「和 痛」 の枠組 みの中で とらえてぃ くことに共鳴 した

(11)

藤原聡子・月澤美代子 :精 神予防性無痛分娩法をめ ぐる産婦人科医たちの論争 て,「精神予 防性無痛分娩法」 には「実用性 あ り」 と反駁 した。 (3)「精 神 予 防性 無 痛 分 娩 法 は暗示療 法 で あ る」 とい う疑義 に対 して

,久

慈 直太 郎 は

,PPMの

「教育」 的要素 を強調 し

,暗

示 を否定 した。 ま た,「精神予防性無痛分娩法 は

,産

痛 は存 在 し ない とい う非科学的な前提 に基づいてい る」 と い う疑義か ら提起 された 「精神予防性無痛分娩 法 の非科学性」 につ い ては

,永

江清三が

,産

痛 は存在す るが,「 精神予 防性無痛分娩法 は大脳 の疼痛 を感 じる閾値を高 くし

,疼

痛 を感 じさせ ない よ うにす る」 と反駁 した。 (4)「精 神予 防性無痛 分娩法 は リー ド法 と区別 が で きず

,独

創性 が ない」とす る批判 に対 しては,

PPM推

進者側 か らと くに反応 はなか った。

(5)PPM推

進 者 は

,安

藤 董 ― の造 語 で尾 島信 夫 が提 案 した 「和痛 分 娩」 に共 鳴 し

,PPMが

奏 効 しない場合 の正常分娩 に「薬物」導入を検討 す る よ うに な った。 また,「 薬物 に よる無痛分 娩」 推 進 者 た ち は

,産

前 教 育 の方 法 を

PPM推

進者 か ら学 んでい くことにな った。 141 娩研究会 (のちの 日本産科麻酔学会の前身

.日

本赤 十字社本部産院の無痛分娩研究会 とは異 な る団体) 会長をつ とめた。 5)ポール・ ド・ クライフ

.一

九四六年の霊薬.サ ー ダーズダイジェス ト1946;1(3):1824 この記事は

,サ

タデー・ イヴニング・ ポス ト紙か らの 転載で,1946年にアメ リカに登場 した「デメロール」 が痛みのある症仰に試 され劇的に効果を発現 し, ま た覚醒後の副作用が種めて少 な く

,無

痛分娩法 に新 しい時代が訪れた ことが記述 されてい る

.長

内国臣 が この記事に啓発された ことは

,以

下の文献を参考 とした。(長谷川敏雄

,長

内国臣

,尾

島信夫

,宮

信一, 竹内繁喜,安 井修平,謝国権,久慈直太郎,安藤茎―, 岩 田正道

,水

野重光

.無

痛 分 娩

.臨

床帰 人科 産 科 1954;8(5),289弓06)

6)長

内国臣『無痛分娩の研究』博士授与年月 日 昭 和 25年1月20日 (学位授与大学 ;慶応義塾大学

)長

内国臣はこの博士論文で

,100例

の症例数の うち

,21

例 につ いて

,デ

メロール邦製品を用いその効果を検 証 した。

7)長

内国臣

,尾

島信夫

.無

痛分娩.セ リオメデ ィチー ナ

13

東京 :杏林書院 ;1949.(安 藤謹―の序あ り). 共著者 の尾 島信夫 (1910∼1997)は

,当

該著作 の執 筆時 は慶応義塾大学講師で

,横

浜警友病院産婦人科 医長 を兼任 し,1952年か ら慶応 義塾 大学助 教授 と なった。 8)同上.p.8件91

9)長

内国臣

.無

痛分娩 30年 の歴史 と将来・ 北里医学 1981 ; 11:331-336 lo)三林隆吉

.母

親学級 に就 て

.産

科 と婦人科1950; 17(8):23つ7 三林隆吉 (1898∼1977)は

,当

該論文執筆時 は京 都大学 医学部教授

.当

該論文中で

,厚

生省母子衛生 課 よ り母親学級 を指導す る助産師教育のプログラム 作成を依頼された こと

,及

び 1949年 の リーダーズダ イジェス トに掲載 された リー ドの「恐怖のないお産」 の 日本語訳を読 んでいた ことを記 してい る。三林隆 吉の読 んだ )― ダーズダイジェス トの リー ドの 日本 語訳は以下; リー ド グラン トリー・デ ィック

.恐

怖のないお産. リーダーズダイジェス ト194914(5):6-15

H)久

慈直太郎 (1881∼ 1968),1906年 東京帝国大学医 学部卒業,1923年金沢医科大学産婦人科教授,1927 年 日赤本部社本部産院 々長

,戦

後東京女子医科大学 学長を兼任. 12)菅井正朝 (1915∼1998),1940年 金沢医科大学卒業 後, 日本赤十字社本部産院に入局。その後応召 して 終戦 後 も留用 され 中華人民共和 国統 治下 で国策 と なった精神予防性無痛分娩法を実践 した.1953年に, 高砂丸で帰国 し

,本

部産院嘱託職員 として

,本

格的 に精神予防性無痛分娩法を指導す ることになった。 注 1)1949年に ソ連 でパ ブロフの高次神経学説 を応用 し ヴェ リヴォフスキーによ り創案 され

,ユ

コライエフ によ り名づ け られた もの

,精

神予防性無痛分娩法 の ロシ ア語名称 の英訳 語 はPsychOpЮphylaxis method, 以下, これをPPMと略称す る

.PPMは

日本では1953 年 に導入 され, 日本赤十字社本部産院お よび大森赤 十宇病院で 20年 以上にわた って実践 された.

2)藤

原聡子,月澤美代子

.精

神予防性無痛分娩法 の 導入 と施設分娩におけ る妊婦管理への影響-1953∼ 64年 の 日本赤十字本部産院および大森赤十字病院に おける実践―.日本医史学雑誌2014;60(1):4964

3)安

藤豊― (1885∼1968),1911年 京都帝国大学医学 部卒業,1934年岡山医科大学か ら転任 し慶応義塾大 学産婦人科教室主任教授 として着任 した。本論のテー マである,「精神予防性無痛分娩」の誌上討論の舞台 となった『産科 と婦人科』誌 には,1933年の創刊時 か ら安藤 は久慈直太郎 とともに編集同人 として編集 に携わ った。

4)長

内国臣 (1915∼1988),長 内国臣は慶応義塾大学 産婦人科教室 に所属 して無痛分娩 の研究 を開始 し, 1952年 横浜警友病院産婦人科,1971年北里大学医学 部産婦人科に勤務 し

,安

井修平の後任 として無痛分

(12)

13)無痛分娩研究会は

,本

部産院副院長三谷茂を会長 とし,1953年 5月に発足 した。 チー ムの中核 とな っ たのは

,女

医の長橋千代

,菅

井正朝

,謝

国権 で

,そ

の他 医師 。助産師 に よ り構成 された。(前掲 :注2) 論文参照) 14)菅井正朝。 日赤産院に於 ける “精神予防性

"無

痛 分 娩 法 の実 施 成績

.産

婦 人 科 の実 際 1953;2(12): 1481-1484 15)精神予防性無痛分娩を 日本で推進す ることになっ た菅井正朝

,菊

池健治

,佐

々木守夫

,永

江清三 らは 中華人民共和国で終戦後か ら留用 してお り,1953年 に帰国 した. 16)1954年 2月 19日

,順

天堂大学で開催 された 日本産 科婦人科学会東京地方部会第 36回 例会 17)久慈直太郎

.精

神性無痛分娩は実用性 な りや実用 性 な り

,産

科 と婦人科 1954;21(8):641巧43 18)日 本産科婦人科学会は,1902年に設立 された 日本 婦人科学会 (おもに東大を中心 とす る関東地区

)と

, 1915年 に発足 した近畿婦人科学会 とが 1949年 に統合 されて現在の名称 となった。 この統合にあた っては, 初代 日本産科婦人科学会長篠 田糸とが

,久

慈直太郎の 尽 力があった ことを 日本産科婦人科学会 30年記念講 演 で述 べ てい る (日 本産科婦 人科学 会雑 誌1979; 31(8):937940参 照

).な

,PPMに

ついて『産科 と 婦人科』誌上で論戦 した医師達 は

,総

て この 日本産 科婦人科学会に所属 していた。 19)長谷川敏難

,長

内国臣

,尾

島信夫

,官

信一

,竹

内 繁 喜

,安

井修平

,謝

国権

,久

慈直太郎

,安

藤蓋一, 岩 田正道

,水

野重 光

.無

痛 分娩

.臨

床婦 人科 産 科 1954;8(5):289-306 20)水野重光 (1905∼1991),水 野重光 は 1931年 東京 帝 国大学 卒業,1950年か ら順天堂 医科大学 教 授 と な っていた。 1969年 順天堂大附属病院長・順天堂高 等養護学校長就任. 21)長谷川敏難 (1897∼1989),1947年 に東京大学教授 に就任 したのを契機 に

,久

慈直太郎・安藤蓋―・ 安 井修平 らとともに『産科 と婦人科』の編集 に参加 し, 安藤書一 とともに『臨床婦人科産科』誌の編集を行 っ た。1961∼72年 日本赤十字社中央病院院長 となった. 22)安井修平 (1893∼1983),安 井修平 は座談会当時, 東京通信病院産婦人科部長.1961年に 日本産科麻酔 学会の前身である無痛分娩研究会の初代会長を勤め ,こ. 23)謝国権 (1925∼2003),1949年 東京慈恵医科大学卒 業,1950年よ り日赤本部産院医局に勤務 し,1953年 菅井正朝

,長

橋千代 とともに 日本赤十字社本部産院 無痛分娩研究会の初期 メンパーの一人 とな った。謝 国権が 1960年 に出版 した『性生活の知恵』 は 200万 部を突破す るベス トセラーになった。 24)尾島信夫 は

,長

谷川が開 口期の子宮体部 の収縮か ら産痛が起 こるとしたのに対 し

,開

口期終末の子宮 頚管 の部位 に産痛が起 こると述べ た。(前掲 :注19): 292-293) 25)菊池健治

.パ

ヴ ロフ高級 神経 活動 学説 を基礎 と し た無痛 分 娩法 の紹 介

.産

婦 人 科 の実 際1953;2(12)! 29-36 菊池健治 (生没年不詳),1933年東北大学 医学部 を 卒 業 し

,満

鉄 系 病 院 に 赴 任

.終

戦 後 も留 用 さ れ, 1953年に高 秒 丸 に て帰 国 し東 北 大 学 産 婦 人 科 教 室 (篠田礼教授

)に

復帰

.篠

田糸との指示 にて東北大学 で 精神予防性無痛分娩法 を開始 した。 26)長谷 川敏 雄

,長

内国臣

,尾

島信 夫

,宮

信 一

,竹

内 繁 喜

,安

井 修 平

,謝

国権

,久

慈 直太 郎

,安

藤 蓋 ―, 岩 田正 道

,水

野 重 光

.無

痛 分 娩

.臨

床 婦 人 科 産 科 1954; 8(5) p 301 27)同上 28)同上 29)同上

,p302

30)同上.p.303 31)安藤蓋― は1953年米 ニ ュー ヨー クで開催 された第 一 回国際不妊学 会 に参加 し, この機 会 に欧米 を視 察 した。 32)長谷川敏難

,長

内国臣

,尾

農,信夫

,宮

信 一

,竹

内 繁 喜

,安

井 修 平

,謝

国権

,久

慈 直 太 郎

,安

藤 茎 ―, 岩 田正 道

,水

野 重 光

.無

痛 分 娩

.臨

床 婦 人 科 産 科 1954; 8(5). p 304 33)同上.p.305 34)「 診断 と治療社」 は

,そ

の ホー ムペー ジ上 で『 産科 と婦 人科』 につ い て,「 日本初 の産婦人科専門誌」 と 解説 してい る。(litpよ蕊 wshindan,cojP/company/index, php参照) 35)安井修 平

.久

慈 直太郎 先 生 を偲 ぶ

.小

林 隆編

.久

慈 直 太 郎 先 生 を偲 ぶ

.東

京 !診断 と治 療 社 ;1970.

p4447.安

井 修 平 は 日本初 の市 販 学 術 雑 誌 で あ る 『 産科 と婦 人科』誌 で

,発

起人 の久慈 直太 郎 。安藤蓋 一 か らは『産科 と婦人 科』誌 と安 井修 平 の所属 した 東大産婦 人科 医局 との連絡調 整 役 として の役割 を期 待 された と述べ てい る. 36)同上

.p45単

6 37)長谷川敏雄

.著

述報 国の一生 安藤 さんを偲 んで, 臨床婦人科産科1968i22(12).p7 38)久慈 直太郎

.精

神性無痛 分 娩 は実用性 な りや実用 性 な り

.産

科 と婦人科1954;21(8):641≦43 39)長谷川敏難.所謂 “精神予 防性無痛 分娩法"に就 て. 産科 と婦人科1954;21(9),p726 40)菊池健治

.パ

ヴ ロフ高級 神経 活動 学 説 を基礎 と し た無痛 分 娩法 の紹 介

.産

婦 人 科 の実 際 1953;2(12): 34-35 41)尾島信夫

.無

痛分娩のあゆみ

.産

科 と婦人科1954; 21(4):252-25ヱ

42)久

慈 直太郎

.精

神性無痛 分 娩 は実用性 な りや 実用 性 な り

.産

科 と婦人科1954;21(8).p642

(13)

藤原聡子・月澤美代子 :精神予防性無痛分娩法をめ ぐる産婦人科医たちの論争 43)長内国臣

.尾

島信夫 無痛分娩.セ リオメデ ィチー ナ13.東京 :杏林書院

;1949,p8弊

90 44)篠田糸し(1892∼1987),1917年 東京帝国大学医科大 学医学科卒業,1948年東北大学医学部付属病院院長 就任

.菊

池健治帰国後の1953年

,東

北大学に

,PMを

導入 した

.初

代 日本産科婦人科学会会長,1956∼74 年 まで岩手医科大学長を務めた 45)篠田糸し 精神性無痛分娩は実用性 な りや

.産

科 と 婦人科1954,21(11).p910 46)久慈直太郎

.精

神性無痛分娩 は実用性 な りや実用 性な り 産科 と婦人科 1954,21(8).p.643 47)菊池健治

.パ

ヴロフ高級神経活動学説を基礎 とし た無痛分娩法 の紹介 産/帰人科の実際 1953,2(12): 34-35 48)尾島信夫 無痛分娩 と自然分娩・東京 :医学書院; 1953 p 52-57 49)尾島信夫 は菅井の論文中に記載 された菅井正朝 の 実践を指 してい る 菅井正朝論文は以下

.菅

井正朝. 日赤産院に於 ける “精神予防性

"無

痛分娩法の実施 成績

.産

婦人科の実際 1953;2(12):25整8 50)尾島信夫 は菊池健治の論文中に記載 された菊池健 治の実践 を指 してい る。菊池健治の帰国後の

PPMの

実践 については論文 中の最末尾に表記 され てい るの でその部分 を示す。菊池健治

.パ

ヴロフ高級神経活 動学説 を基礎 とした無痛分娩法の紹介

.産

婦人科の 実際 1953;2(12).p.36 51)山田正 巳

.無

痛分娩の実相

.産

科 と婦人科1953; 20(9):607-609 52)尾島 信 夫

.無

痛 分 娩 の あ ゆ み。 産 科 と婦 人 科 1954 ; 21(4):252-257 53)津田槙男

.精

神性無痛分娩の批判

.産

科 と婦人科 1955 ;22(1) p 67 津 口槙男 (生没年不詳

)は ,当

該論文執筆当時東京医 科大学産婦人科教室に所属. 54)尾島信 夫

.無

痛 分 娩 の あ ゆ み

.産

科 と婦 人 科 1954;21(4). p.257 55)高良 とみ (1898∼1993),1922年 コロンビア大学の ソーンダイク(Thomdike,Edward L 1874∼ 1949)に 師 事 し

,ジ

ョンズホプキ ンズ大学 を経 て博士論文「飢 餓 と行動 の関係」に よ り学位 を受 け る。 1952年, 日 本女性 として初めてモス クワ経済会議 出席 のため東 側共産圏に足 を踏み入れ

,中

国を経 由 して帰国 そ の旅行記中の

PPMの

見聞は

,医

療関係者の注 目す る ところ となった また, 日赤本社社長の島津忠承 と ともに中国側か らの指名 によって,1953年か らの後 期引揚げ交渉の主要な役割を果た した。 56)高良 とみ 私 は見て来た, ソ連・ 中共 朝 日新 聞 社1952 57)長橋千代(1908∼1982),1945年 東京女子医専卒業, 1946年 本部産院入局,1953年に本部産院無痛分娩研 究会 に所属,1957年に久慈 ら とともに中国に訪れ, 143 周恩来 と会談す る,1959年開業. 58)長橋千代

,小

沢豊

,相

良 日出夫

.座

談会中国の無 痛分娩

.婦

人公論1953;39(7).p153 59)菅井正朝

.精

神予防性無痛分娩法 における産前教 育の実際

.保

健 と助産 1954i8(2):←11 60)東大 ソヴエ ト医学研究会編

.現

代の ソヴエ ト医学. 蒼樹社

1953.p1516に

この記述があ る。 な,も‐この 著作 は高良 とみの著作同様

,産

婦人科医の間で反響 をよび

,篠

田礼 は この著善を読み

,東

北大学産婦人 科へ

PPMの

導入を決定 した 61)久慈直太郎

.精

神性無痛分娩 は実用性 な りや実用 性な り

,産

科 と婦人科1954,21(8).p643 62)永江清三 (生没年不詳),1953∼ 1956年 の間大森赤 十字病院産婦人科部長 永江清三 は引揚 げ後, 自身 が大陸で経験 していた

PPMを

大森赤十字病院産婦人 科で実践 した

,の

ちに菅井正朝は永江清三の後任 と して大森赤十字病院に赴任

,以

後大森赤十宇病院は 本部産院 と同 じく

PPM実

践の拠点 となった。 63)永江清三 の言 うニコライエフ教授 の文献 は

,以

下 の文献か ら引用 した と考 えられ る 尼古泣也夫

.章

志青評

.巴

甫洛夫學読運用於産科理論典賃践方面的 若干絡結

.華

東医務生活社編

.無

痛分娩法文献績編, 上海 :華東医務生活社出版;1952,p15ヽ9 64)永江清三

.精

神予防性無痛分娩法の批判 に対す る 批判

.産

科 と婦人科1955;22(10)。

p43

65)同上

.P44

66)長谷川敏難.所 謂 “精神予防性無痛分娩法"に 就て 産科 と婦人科

1954;21(9)p726

67)同上

.p728

68)同上 69)長谷川敏雄の論 じる産科麻酔薬導入に役立つ リー ドの 自然分娩法の暗示的効果 とい うのは, リー ドの 弛緩法 と睡眠導入を誘 う心理的安静であ る。 リー ド の 自然分娩法は

,医

師 と妊婦 の一対―の関係 におい て相互の信頼を醸成 し

,分

娩前 「筋肉の弛緩法」練 習に よ り

,お

産への恐怖 に対す る心理的ス トレスを 軽減す ることが記述 され てい る.(リ ー ド グラン ト リー・ デ ィック

.恐

怖のないお産.リ ー ダーズダイ ジェス ト1949,4(5):615) 70)永江清三

.精

神予防性無痛分娩法の批判 に対す る 批判

.産

科 と婦人科 1955;22(10),p.43 71)菅井正朝

.精

神予防性無痛分娩法の実際 産科 と 婦人科 1957;24(4). p29 菅井正朝 は, この論文中で

,大

森赤十字病院で14例に 1%塩酸 プロカインの皮下浸潤麻酔を行 った ことを述 べている. 72)マ ッケンジーの仮説 とは子宮体部か ら下部

,産

道 に生 じた インパ ルスが関連痛 として体表 に放散 し, 腰や仙骨部

,肛

門部 に産痛 として感 じられ るとい う もの. 73)長谷川敏雄

,長

内国臣

,尾

島信夫

,官

信一

,竹

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