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日本語の「話法」考

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Academic year: 2021

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(1)日本語の「話法」 考 余 門. 弦 倉. 正. 美. ( キーワード ). 直接話法、 間接話法、 引用、 場 」の二重性、 初級日本語テキストの「話法」 「. 表現. はじめに. 他人. ( ないしは自分 ). が言ったことを 引用して表現するときに、 その発話を. そのまま伝える 場合と、 引用者がその 発話を自分の 言葉にひき直して 伝える場. 合があ る。 よく知られているように、 西欧語の文法では、 前者を直接話法と 呼 び 、 後者を間接話法と 呼んで 、 る 。 学校英語で「話法の 変換練習」をさせられ し. た. 26 に、 英語の間接活法では 引用部の双に 接続詞の that をおき、 人称や指示. -百ョ 、 あ Ⅱ. る種の時の副詞等のダイクシス 表現を引用者の 視点で変換し、 時制を一. 致させる。 ところが、 日本語の引用表現では 時制の一致の 必要はないし、 直接 話法表現も間接話法表現も「∼と」で 引用部を示しており、 接続詞 that の有無 といった指標はない。 書き言葉においては、 引用符の有無で 話法を識別するこ ともあ るが、 日本語では直接話法の 表現においても 引用符を使わないこともあ る。. それに、 日本語の引用符号は 語句の強調や 部分引用といった 別の用途もあ. る上に、 引用符が必ずしもその 内容が元の発話の 忠実な表現であ ることを保証 していない場合があ る. ( 注 1)0. これらの理由から、 以前は、 三上草 の 「折衷話法」といった 言い方が代表し ている よう に、 「日本語では 直接話法・間接話法の 区別は英語ほど 明確ではな ぃ 」という見解が 支配的だった。 しかし、 寺村秀夫は「∼と」という 引用表現. の折衷的性格を 指摘した上で、 だからと言って 日本語に話法がないわけではな. く、 「ただわれわれの 観察がまだ日本語独特の『話法Ⅱを 秩序立てるに 至って いないだけであ る」. ( 注 2). と述べている。 そして、 この寺村の展望に 応、える. 一 60 一.

(2) かのように、 1980年代から日本語の「話法」に ようになってきている. (注. 関する重要な 知見が蓄積される. 3)0. 以下、 本稿では、 「話法」に関する 80 年代以降の議論の 要点を整理し、 それ に 若干のコメントを. 付し、 最後に 、 主な日本語テキストにおける 話法表現の提. 出の仕方について 吟味することにしたい。. ] .. 直接話法とは「そのまま」の 伝達か. ?. 英語と違って 日本語には直接話法,間接話法というような「言舌法 」の別はな い 、 という極端な「話法否定論」に 対して、 廣瀬幸生 (1988) は 、 次のような. 両義文をあ げて簡潔に反論している。 Ⅲ. 太郎は僕が東京へ 行くと言った。. この文は、. 文中の「 僕 」が誰を指すかという 点で両義的であ る。 つまり「 僕. 」. は 「太郎」とも、 この 女 全体の発話者であ る伝達者ともとれるのであ る。 前者 は、 この文を直接話法として 理解しているのに 対して、 後者は間接話法として 理解しているわけであ る。 こうした両義性が 生じること、 つまり時に、 直接話 法 と間接話法が 混清してしまうということ 自体が、 日本語における 間接話法の. 存在を立証しているのであ る。 では、 日本語において、 直接話法と間接話法はそれぞれどのような 特徴をもっ. ているのだろうか。. ( 橘豊 ). 「日本文法大辞典」. の定義は、 冒頭であ げた常識. 的な了解とほぼ 同じだが、 そこから出発することにする。 それに し 手が他人のことは. ( または自分の 過去のことば ). ょ. れば、. 「. 話. を伝えるのに、 言った通り. をそのまま伝える」のが 直接話法であ り、 「その趣旨をとって 自分のことばに 直して伝える」のが 間接話法であ. る. ( 注 4) 。. したがって、 直接話法では、. 「話. し手の主観性がまじることがなく、 もとの発話の 語気やニュアンスが 忠実に伝. 達されるという 特長があ る」。 まず直接話法の「直接性」を 吟味することによって、 間接話法の「間接性」. を浮き上がらせてみたい。 橘によれば、 「直接性」とは「もとの 発話の語気や ニュアンスまで 含めて、 そのままを忠実に 伝達する」ところにあ る。. 一6 一 Ⅰ.

(3) Ⅲの文が直接話法であ るとしよう。 伝達者が伝達部分の 話者. ( 以下、 「元話. 者」と呼ぶ ) であ る太郎の発話を「語気やニュアンスまで 忠実に」再現できる ものだろうか。 熟練の声帯模写. 師 でもなければ ム. りな話であ る。 直接話法の要. 水 する「直接性」がそれほどのものだとしたら、 熟練の声帯模写 師 以外には直 接話法が使えな い ことになる。 では、 「そのまま」というのは、. 声色や声調は. ともかく「もとの 発話の一字 - 句を正確に再現することであ る」というのでは、. どうだろうか。 これも多くの 場合、 ム りな注文であ る。 記憶のよしあ しの問題 だけではない。 伝達者の話のスタイル. と 元話者の話のスタイルの. 鎌田修. 組轄 という 問. 題 があ るからであ る。. (1988) は 、 テ レ ビ ・ドラマのセリフから、. 次のような興味深い 例を. あ げている。 (2) (伝達者、 男. あ る宴会の席で、 その場に出た 食物について 話している. そうなんだよ。 ほら、 わかめのぬたっちのんだろう. ?. ). これが食いたくっ. てね。 「作れ」っても、 「この酢味噌の 具合が分かんねえ」って 、 言うんだ ょ、. う. ちの奴が。. 「この酢味噌の 具合が分かんねえ」は 、 明らかに直接話法としての 引用なの だが、 伝達者の妻が 東京方言使用者であ れば、 「分かんねえ」という を 使ったとは考えられない。. 男性表現. 「この酢味噌の 具合が分かんないわ」といったよ. うな元話者の 表現が、 伝達者の男性表現に 同調させられているのであ る。 この例では、 「「作れ」っても」という 部分もがもしろい。 これも、 話の流れ からすれば直接話法として 語られているが、 伝達者がいくら 男っぽい男性であ っ ても、 妻に「わかめのぬたを 作れ」と頭ごなしに 命じたとは思えない。 おそら くは、 「わかめのぬたって いう の 、 作ってみてくれないか」などと. ろう。 また、 かりにもしそ. う. 言ったのだ. 命じたとしても、 「わかめのぬたを」までは 省略. されているわけであ る。 つまり、 直接話法においても、 元の発話は伝達の 文脈 に 即して省略されたり、 変形されたりするのであ る。 この逆に 、 女性の伝達者が 男性の元話者の 乱暴な 男 言葉を枠 丈 に同化する ケ一. スを 遠藤 (1982) が指摘している。 日本語の小説では、 会話部分の話し 手が誰. 一 62 一.

(4) であ るかを一々示さなくても、 異言葉・女言葉の 別 や 、 敬語や階層 詔使用など. によって「 」を連ねていくだけで、 スト. 一. リーを進展させることができると. よく言われる。 そうした事情は、 直接話法の引用部の 変形にも働いてくるよう えⅠ 。 ,0. 直接話法は 、 必ずしも「元話者の 発話の忠実な 再現」ではないとしたら、 そ の 特徴はどこにあ るの た ろ うか 。 直接話法の「直接」たるのえんは、 元話者の. 発話総体の再現というよりも、 元話者の発話の「 場 」や「視点」の 再現にあ ( 注 5)。. る. もちろん、 そうした「 場 」や「視点」を 表現しているのは、 あ くまで. 元話者の発話なのだが、 発話を逐詩的に 再現しなくても、 その中心的な 部分を 再現すれば直接話法たりうるのであ る。 逆に言えば、 元話者の発話の「 場 」や 「視点」を伝達者の「 場 」や「視点」に「引き. 寄せる」. ( 注 6). ことによって 、. 間接話法が成立する。 2. 間接話法の特徴 では、 間接話法における、 そうした「 場 」の「引き寄せ」はどのようにォ 了わ れるの た ろ うか 。. (3) (伝達者 : 学生、 発話 時 : 昨日、 発話場所 :306 番教室 ) 先生 : 明日、 午後Ⅰ時からここで 試験をします。. この発話を聞いた 学生が翌日、 その発話を伝達するとしたら、 直接話法、 間 接 話法はそれぞれ 次のようになるだろ つ、. (3a) 先生は、 「明日、 午後 1 時からここで 試験をします」と 言った。 (3b) 先生は、 今日午後 1 時から 306 番教室で試験をすると 言った。 (3a)は、 「明日」や「ここ」が 特定できるような 文脈の中で語られなければ 情報価値がなり。 このことは、 直接話法が元の 発話の場を伝達の 発話の場にと りこむという「場の 二重性」にさらされていることを 明らかにしている。 それ に対して、 (3b) は、 の. 「. 「明日 +. 場 」を基点とする 表現. 今日」、. 「ここ +306 番教室」というように. ( ダイクシス表現 ). 元話者. を客観的表現に 直すことによっ. て、 元話者の「 場 」を伝達者の「 場 」に引き寄せているわけであ る。 (1)の文の. 一-63. --.

(5) 間接話法の解釈における 人称変換も同じ 理由に よ る。 英文法では、 枠 文の過去時制にあ れせて伝達部の 動詞も過去に 直す. ( 時制の. 一致 ) が、 日本語では従属節の 動詞の時制は 主文の動詞の 時制との相対的な 先 後 関係によって 決まるため、 そうした一致は 起こらない。. (3b) に見られるもう 一つの変換は、 「試験をします. + 試験をする」であ る。. つまり丁寧 体 が普通体に変換されている。 これは、 丁寧 体 が元話者の発話時の 発話 丈 に対する心的態度. ( モダリティ ). を表しているため、 中立的な普通体に. 変えることによって、 「場の引き寄せ」を 行っているのであ る。 同様の理由に よって 、. 「. ね. ・. よ. ・. さ. ・. ぞ 」等の終助詞も 間接話法では 削除される。. (3)と同様な場面で、 先生がこう言ったとする。 (4) 先生 :. 明日のクラスで、 試験をするよ。. (4a) 先生は、 「明日のクラスで、 試験をするよ」と 言った。 (4b) 先生は、 今日のクラスで 試験をすると 言った。 この他、 感動詞、 間投詞、 呼びかけ、 挨拶ことばも、 元話者の モ ダリティ表 現として間接話法の 伝達部からは 除かれることが、 これまでの論者たちによっ て 確認されている。 「だろう」という 推量の助動詞については、 鎌田 (1983,. 1988) と廣瀬 (19㏄ ) 、 は、. 「. (. 『私』のあ. 屯が. )ll(1㏄ 9) の間で意見が 分かれている。 鎌田 (1983). 『だろう』を 含めた. ). これらの要素はいずれも. 文 全体の話者であ. る. る命題に対する『私自身』の 個人的態度を 表すものであ り、 それを. 第二の話者が 、 別の立場から『翻訳』. し 、 r 間接的』に伝達することは. 出来な. いものなのであ る」と主張する。 しかし、 廣瀬 (19㏄ ) は次のような 例をあ げ て反論している。. (5) 太郎は僕がおそらく 東京へ行くことになるだろうと 言った。 廣瀬に よ れば、 鎌田の立場からはこの 文は「だろう」を 含むので、 直接話法 的な解釈、 すなわち文中の「 僕 」は「太郎」を 表すという一義的な 理解しかあ り得ないことになるが、 実際には「 僕 」を (5)の 文 全体の話者すなわち 伝達者自 身と理解する、 間接話法的な 解釈も可能であ る。 そして、 さらに次のような 反 倒る. 3. つあ げている。. 一 64 一.

(6) (6) 僕には十分なアリバイがあ るのに、 太郎はひょっとしたら 僕が犯人かも しれないと思っている。 (7) John (8) Mary. says. that the. is probably true.. news. thinks that John. may. possibly be a spy.. たしかに、 こうした例を 見れば、 廣瀬の言うように、 間接話法は元話者の モ ダリティを必ずしもすべて 排除するものではないと 言えそうだ。 しかし、 この ことは鎌田. (1㏄ 3) の全体的論旨を 損ねてはいないように 思える。 鎌田はその. 中で、 遠藤裕子 (1982) の「間接話法は 視点が第二の 話し手一つしかなく. …」という観察は 妥当しない、 としている。 感情形容詞の 間接話法表現を 分析 すると、 そこには元話者の 視点と伝達者の 視点が共在しているのであ る。 感情形容詞については、. よ. く知られている 26 に、 「私は悲しい」とは 言え. るが、 「彼は悲しい」とは 言えず、 「悲しがっている」. ど言わなくてはならない。. つまり、 話者の「視点」を 本質的に含んだ 表現なのであ る。 そこで、 鎌田は次 のような状況を 設定する。 (9) a. 太郎「中村君は 悲しがっている b. 花子「そ. う. ょⅡ. かしら」. そして、 この会話を耳にした 当の中村君が、 このやりとりを 誰かに間接的に 伝えるとすれば、 次のようになる、 と言う。 ㈹. 先日、 耳にしたんだけど、 太郎が花子に a. 私が悲しい. b. 私が悲しがっている と言っていたんだよ。 もし間接話法文が 伝達者の視点のみで 統括されているとするなら、 a の文が. 適格とならなければならないが、 実際には、 「悲しがっている」というところ に 元話者であ る「太郎」の 視点を含んだ. b. の文の方が適格なのであ る。 鎌田は、. この他にも、 「∼てほしい」や「∼たい」といった 欲求を表す形容詞や 授受動 詞といった「視点」を 含んだ表現の 間接話法化を 検討して、 間接話法に残存す る 元話者の視,点を摘出している。. 一 65 一.

(7) つまり、 間接話法であ っても、 元話者の「 場 」や「視点」を 完全に伝達者の それに統括しているわけではなく、 「話法」表現ないし「引用」表現一般の 根 庇は 、 砂川のいう「場の 二重性」という 問題系が横たわっているのであ る。 で は 、 「間接化の程度により、. ( いくつかに分類できるが ). この区別はそれほど. 厳密なものではなく、 むしろ濃淡のグラデーションのようなもの」. ( 遠藤. 1982). なのだろうか。 とするなら、 三上草 の 「折衷話法」に 逆戻りしてしまうことに なるが、 そうではないが るぅ 。 遠藤自身の分類も、 鎌田の分類も、 廣瀬の「 公 的 表現・私的表現」とう. 分類軸も十分に 整合的かつ明瞭なものとは 言えないが、. それらの研究によって、 日本語における「話法」の 輪郭が徐々に 浮き上がりつ っ あ ることは確かであ る。. 3. 日本語の「話法」研究へのコメント 筆者のひとり. (金 ). は、 日本語における 話法研究の蓄積を 中国における 日本. 語教育の現場に 生かすとともに、 中国語における 話法研究に応用することを. 目. 指している。 今回は、 対照研究にすすめ 余裕がなかったが、 今後の課題とした ぃ 。 以下、 そうした視点から 日本語の話法研究について い くつか気づ い た点を. 記しておきたい。. 1). 「です・ます」といった 丁寧 体 が元話者の モ ダリティであ るなら、 元話者. がもとの発話で 用いた敬語表現も 元話者の モ ダリティとは 言えないが るぅか 。 もし、 そうなら、 鎌田 (19 ㏄ ) があ げている次の 文のように、 敬語表現が普. 通俗化して伝達部に 残る場合も元話者の「 場 」ないし「視点」の 残存と言え るのではないか。. (1 り. お母さんが明日お 見えになるっておっしゃってますよ。. 2) 日本語教育の 現場の観点からは、 鎌田と砂川の 一連の論文から 示唆される ものが多かった。 特に、 砂川 (19㏄ b) の述部動詞における「∼と」と「∼ と 」の使い分け、. こ. 砂川 (1989) における命令、 質問、 依頼文の間接化の 分析、. 上述の鎌田 (1983) の「視点」を 含んだ表現の 間接化の観察、 鎌田 (1㏄㈲ における間接話法と 様態の助動詞や「∼だって」との 比較、 英語母語話者 学. 一 66 一.

(8) 智 者の間接話法にかんする 誤用の分析 ( 注 ド (Ⅰ. 997) による、. 弓. l月表現と「∼という. 7)は有益であ る。 泉子・. メィナ一. N 」表現の連関の 指摘も興味深い。. 鎌田の研究が 示している よう に、 「話法」研究は 日本語教育の 教授項目と密 接に連関しているテーマが. 多く、. 日本語教育の 現場に即した「話法」研究が. さらに展開されることを 期待したい 0. 3) これまでの「話法」研究は 、 元の発話が平叙文のものがほとんどだった。 命令文・疑問文の. 間接話法化については、 2)で述べた砂川 (1989)がわずか. だが鋭 い 指摘をしている. 他は、. 遠藤. (1982)に間接化の若干の 定式が示され. ているだけであ る。 この領域の開拓が 期待される。. 4). 「話法」とは、 話しことばと 書きことばのどちらを 本拠地とした 現象なの だろうか。 「伝達」といえば、 話しことばの 現象というニュアンスが 強いの に 対して、. 「引用」というと、. 書きことばの 現象というニュアンスが. るように思える。 「話法」研究者は、 的であ るべきだろう. ( 注8) 。. て話しことはにない. (あ. 強くな. どちらに焦点をあ てているのかに 自覚. 引用符の問題ひとつとっても、. 書きことばにあ っ. るいは、 その逆の ) 道具立てがあ るので、 注意を要. する。 話しことはにおいては、 場合によっては、 どこからどこまでが 伝達部 分なのかを、 声の調子やイントネーション、 特殊な語彙で 表す必要が生じた りする. ( 注 9) 。. きことば中の「. また、 泉子・メイナード (1997) が分析しているように、 書 」は必ずしも 直接引用ではない、 さまざまな機能を 果たし. ている。 話しことばにおける「話法」現象を. 土台とするなら、. 小説の会話文やテレ. ピ ・ドラマのセリフや 著者が作りだした 会話文だけでなく、 相当量の会話デー. タにおいてどのような「話法」現象が 展開されているかを 実証的に紹介する 研究がもつとあ っていいのではないか。 その点 、 メ イナード. (1997) による. 少女マンガのセリフの 中の自己引用の 分析は、 現代の若者ことばの 反映が見 られるようで 興味深い。 5). たしかに、. メ. イナード. (1997) の言うように、 「日常の言語表現は 文学作. 品の縮図とも 言える」が、 だからと言って、 文例をもっぱら 小説作品から 拾. 一 67 一.

(9) うというのには 少々疑問を感じる 点もあ る。 特に、 「話法」研究で、 小説の 「会話文」の 中での引用文例をとるのはまだ 納得できるが、 作者のナレーショ. ンと会話部分との 間の叙述の機微をさぐるのは、 小説における「語り」や 文 体の研究に移行してしまう 危うさを感じる. ( 注 10). 。 ナレーションの 主体で. あ る作者は、 日常の言語表現における 伝達者とは違う「万能」の 存在だから. であ る。 その - つの証拠としては、 西欧語における「折衷話法」とも 高 6 べ. (style indirect libre) は、 小説におけるナレーショ. き、 「自由間接話、法」. ンの 技法として生じたのであ り、 日常の言語表現では 使用できな 、 表現であ し. る、. という事実をあ げることができょ ぅ 。. 4. 初級日本語テキストにおける「話法」表現の 提出の仕方 最後に 、 主な初級日本語テキストにおいて「話法」表現が. 学習項目として 提. 出される枠組みと 場面を概観し、 「話法」にかんする 議論を日本語教育の 現場 に引 ぎ寄せる - 放 としておきたり。. まずそれぞれのテキストについて、 「話法」表現であ る「∼と言う」が 提出 される課、 伝達の内容、 「∼と思う」が 同じ課に提出されているかどうか、. そ. の課の他の学習項目は 何か、 および普通体の 初出 課は ついて表で整理してみよ ぅ. ( 注 11). 。 なお、 順番は初版刊行年順を 表している。. 「∼ と 思. 提出 課 / 全体. 1)@ MJ 2). 日本語初歩. 3) 文化初級. 9/. 伝達内容. 0. 電話. 1@ 5/3@. 4. 復唱. 1@7/3@. 7. 会話. 3. 一-68- 一. う. 」の並行. 他の関連項目. 普通体の初出 課. 0. V. 推量「でしょう」. x (lg). 0. Vた / る. る. N. 時、 佃丁とい. 9. jか?. 推量「でしょう」伝聞田れ. 1. 2. 1 2.

(10) 4)@ SFJ 5) みんなの日本語. 6) げんき. 2. ( 診察 ). 9/2. 4. 1/5. 0. 二 ユース. 7/2. 3. 伝言. X(11) 0. 接続「∼ て 」敬語. 確認, ト でしょう?. 0. 5. 0. 2. 」. 否定形. 7. テキストの中で 文法説明がなされていない 2L 、 3) 、 5) については、 それぞれ. 2) 「日本語初歩. 0 凡人社、 1 ㏄8 年 ). 文法説明』. 、 m)教師用手引き 書 板 、 5)別. 冊のⅠ文法解説 版 』を参考にして、 これらのテキストの 中で、 学習項目「∼ 言う」の文法説明を 見てみよう。 すると、 これらの ついて説明しているのは、 4)SFJ あ る。. 内、. と. 直接話法・間接話法に. 、 5) みんなの日本語、 6) げんき、 の. 4) を皮切りに、 5L、 6) という新しいテキストが「話法」の. 3. つで. 説明にふみいっ. ていることがわかる。 特に、 4) が「言いましたⅠ言っています / 言います」に よる伝達のアスペクトの 相違に注意を 促しているのは 注目に値する。 1 は. 「∼. と言う」を「話法」としては 紹介しておらず、 むしろ「∼ と思、う 」の用法の中 で 「∼ないと 思、う 」とし ) うように、 否定のおき方が 英語と異なることの 説明に. 力点がおかれている。 3)では、 「∼と言っていた」と 伝聞の「そうだ」の 違 い を 説明している。. 2)のテキストでは、 人の言ったことを 復唱する直接話法のみがとりあ げられ ている。 直接話法での 報告のみでは 幼稚な感じがするが、 それが「いただきま す 」「しつれいします」といった. 重要な挨拶表現の 導入や擬音語・ 擬態語の導. 入と結びつけられていることを 考えると仕方ないのかもしれない オ. ( 挨拶表現や. / マト ベイ ア は間接化できない ) 。 また、 「本は英語で book といいます」「何. というくだもの」というように、 語彙をふやすストラテジ ーと 連関させている ところは参考になる 「. 夜 ねる 時. ・. ( 注 12) 。. ただ、 すでに普通体を 学習していて、 同じ課で. 朝 おきた 時 」といった動詞句の 連休修飾を学習するのに、 間接話. 法 での報告を学習しないのは. 片手落ちのように 思える。. 一 69. 一一.

(11) 「∼と思う」を「∼と 言う」から離して 導入しているのは、 2) と 4) であ る。. 2Hはもっぱら「∼ようと 恩、う 」という意向形と 結びついて意思を 示す表現に限 定しており、 ここでも間接話法にはふれていない。 4) は 、 「∼と言う」が「 医. 師の診察をうける」という 場面設定で、 病人にかわって 症状を説明するという 脈絡で提出されている。 それに対して、 「∼と思う」は 自分の判断・ 見通しを 述べるという 脈絡であ る。 4) が文法項目でなく、 「場面 situation . 機能 func-. tion 」を主軸として 構成されているため、 両者が離れて 紹介されるのはやむ をえな い だ る. 辞書形を含む 普通体を初級のどの 段階で、 どんな学習項目によって 教えるか. は重要な問題だが、 m) と 6K が「∼と言う」とともに 導入しているのが 目につく。 lH は早 い 時期のテキストとしては 珍しく普通体を 早い段階で示していたが、 全. 般的にはこれも 4) を皮切りとして、 ょり早い時期に 普通体を紹介するようになっ たようだ. 5) は前作『しんにほんごの 基礎 ] を土台としているので、. ( ただし、. 普通体の導入は 比較的遅い ) 。 私見では、 日本で学ぶ学習者が 日常のカジュア ルな 会話で い やお. う. なく耳にする 普通体は早 い 段階で示す方がいいように 思え. るので、 この傾向は歓迎したい。 1) が 先 mE 的に示した、 間接話法的伝達で 普通 体を理解させるというやり 方を、 最新の 6) が受け継いでいるところが 興味深い。. 文法的関連項目として 推量の「∼でしょう」があ がっているのは、 う. 「∼. と思、. 」との連関であ る。 「∼と言う」と 関連させられる 学習項目としては、 まず. 第 - には「∼ と 思. う. 」と結びつけて「話法」の 観点を導入することだが、 その. 他では、 まず上で述べたよ. う. に、. 「. N という N 」、 「英語 ( 日本語 ) で∼という」. との関連であ る。 もうひとつは、 3)がとりあ げている伝聞の「∼そうだ」との 関連だ。 「∼ と 言. う. 」と「∼そうだ」の 関連は、 3) ではまだ小さな 扱 い でしか. なかったが、 6) の第 17 課「 ぅ わさ 話 」では、 全体的な学習項目となっているの が 目につく。 ただし、 そこでは「メアリーさん、 何て言って た ?. 今週は , にし. いって。」という、 「∼って」で 文を終える形が 主となっている。. 6H が 、 「∼って」で 終わる表現にスポットライトをあ てているのは、 高く評 価できる。 もっとも、 すでに 4) が第 9 課の文法説明のところで、 「山田さんは. 一 70 一.

(12) 3. 時に来るって。」という例をあ げて、 カジュアル 々 会話で「∼って」がよく. 使われることに 注意を促していたし、 また第 11課の「ストラ テジ 一説明」でも Ⅱ日本の会社経営 ]. っていう本」というように、. た 形を用いていた。. いずれにしても、 日本滞在中に 日常会話やテレピのセリフ. 「∼っていう」というくだけ. で頻発される「∼って。」や「∼っていう」に 接して、. 日本語のテキスト 中の. 表現があ まりにかしこまっているものばかりであ ることに気づかされた 筆者の (金 ). ひとり. としては、 初級テキストが「生きた 会話表現」をできるだけ 積極. 的に取り入れていこうとする 傾向は歓迎したい。 本稿では、 日本語における「話法」研究の 主に 80 年代以降の生産的な 議論を 紹介して、 若干のコメントを 付し、 さらに主な初級日本語テキストにおける 「∼と言う」の 導入を上 ヒ較検討してみた。 「話法」研究がきり 開くべき処女地は かなり豊穣なもののように 思える。 今後も「話法」研究の 動向をみまもりっ っ 、. 中国語の「話法」研究に 生かしていきたいと 考えている。 ( 付記 ). 本稿は、 余弦. 10月まで約 中、. 1. ( 中国遼寧省遼寧大学助教授 ). が 1998年 10 月から 1999年. 年間横浜国立大学留学生センタ 一に客員研究員として 滞在. 指導教官であ り、 本稿の共著者であ る門倉正美教授と 語用論の動向. を 共同研究した. 成果の一部であ る。. Y主. 1). K . メイナード. 泉子・ 7. 章に引用符「. て、. 「. [ 談話分析の可能性 J (. くろしお出版、 1997 年. ) 第. 」についての 興味深い考察がみられる。 日本の小説にお い. 」がいつ頃 からどのような 含意で使われるようになったかというよ. うな、 引用符の歴史的考察もがもしろいのではないだろうか。. 2) 寺村秀夫「日本語の 文法. (下 ). 』、 大蔵 省印刷局、 1981年、 p.148. 3) 重要なものを 発表年代順に 列挙しておこう。 久野 暉. 1978 「談話の文法』大修館 一 71 一.

(13) ま Ⅱ. g. ht tho. p. : 4 t. t n@e. ㎎ r⑨ S. ㏄ nb d d も・. 舐. 話間 ℡ euh. 本本㎎㎎℡ ﹁ K. 日 ﹁日. ⅠⅠ上 ⅠS. 会 の 申. て 照し つ し こ 北中 Ⅱ Ⅰ 三仁エ仏を 日﹂ のと. 生 幸 瀬 廣. 表 的 私. 日 P@@. 五口 ン タ 用 ㏄㏄㏄ ル 引博 ㎎㎎ マ 子. ﹁ 葉虫里宰 ェ 特幸有保ピ 988 瀬川田 リ 1 学 廣砂藤ォ き 口 Ⅰ互 本山㈲㈹㈲. Ⅰ "、 @ 前提 テ 3 テ 7、 百 時 @ % 語 1 の 舌口 14. づ治語. 用 ﹁引用目ノ ﹁ ㏄ a 9 Ⅰ 工 1 子 幸 里 束 4 有 田 一勝 刊げ. 法 文 の. 4 、. 不明く. 日 Ⅰ﹄ 年 と︶ 件 Ⅱ. の講 ・外泊 五口 @Ⅰ 話明 吾 一 Ⅰ 談﹂. Ⅰ印 ド編 一明 ナ村 イ松 メ. 9キ 1 二 何ロ コ ト 1法 と. 修用. 鎌子. 里 ㈲有. 砂. 4. 一 72 一.

(14) 5). 久野 曄. (1978)が話法と「視点」の 連関を指摘し、. 砂川有里子. 1g㏄ b) が引用文における「 場 」の二重性を 閲明した。 泉子・. メィ. (1987, ナード. (1997) は、 「視点」や「 場 」の二重性を、 バフチンの りぅ ところの「 声 の 」. 多重性として、 捉えかえしている。. 6). 「直接引用の 場合は元の発言や 思考の場がかなり 忠実に復元されなければ ならないのに 対し、 間接引用の場合は 多かれ少なかれ、 もとの発言や 思考の. 場に引き寄せられた 形に調整されなければならない」 砂 Jll(1989)0. 7) 市川保子『日本語誤用例文小辞典 J. 1997年 ) は、 間接話法表現. ( 凡人社、. にかんする外国人学習者の 誤用の傾向と 特徴およびその 正し方について、. コ. ンパクトにかつ 的確に示していて、 参考になる。. 8) 泉子・メイナード (1997) の新聞コラムの 引用と、 少女マンガのセリフに おける自己引用の 研究には、 そうした方法論的自覚をはっきりと 感じ、 興味 深かった。. 9) 鎌田 (19㏄ ) は、 (6@ 例で、 「直接話法が. 続くということを 表. ( それに ). 示するためにのみ 使われているように 考えられる」表現に 着目している。. 10) 刺激に富む論述ではあ るが、 オリビエ・ビルマン (1988) の夏日漱石作品、 寺村秀夫 (1981) の山本周五郎作品への 言及にその気味を 感じた。. 11) ここであ げた各テキストの 書名、 出版社 ( 発売元 ). 名、. 初版 川 行年は以下. の通りであ る。. l) M J (An Introduction to Modern. 2) 日本語初歩 3) 文化初級. I. ・Ⅱ. Japanese). みんなの日本語. 1981 @i. 凡ノ ネま. 1987%i. ィ. Ⅰ. 6) げんき. 凡人社 1. .. Ⅱ. 1IlI ・Ⅱ. (第 5. 1991-92 年-. スリーエーネットワーク. 1998 そ戸-. ジャパンタイムズ、. 1999 年,. 12) 語彙をふやすストラテージーは 4)SF かたちで学習項目化した. 1977 年,. 凡人社. 4)@ S@F@J@(Situational. 5). 、ジャパンタイムズ. J. が後にもっと 洗練された、 実際的な. 課 ) 。 なお、 N 「. と 引用表現の本質的共通性については、. メ. 一 73 一. ( ないし名詞節 ). イナード. という N. (1997) 参照。. 」.

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参照

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