はじめに
よく知られた「リスク社会」論においてウルリッヒ・ベックは,1960年代以降におけるドイ ツ社会の変化についてつぎのように論じている.すなわち,社会的地位の獲得にとって出自よ りは教育が決定的になり,また,社会移動(階層間移動)のチャンス(ならびに強制)が高ま ることによって「階級」は意味を失った.いまや一人ひとりの人間が社会的リスクに直面する こととなり,社会的不平等は「個人化」しているのである,と(ベック 1998 : 165, 173-76, 193). こうした認識は以後ドイツ社会学の主流を成し,広く巷間にまで影響を及ぼした.もっとも, 異論がないわけではなく,とりわけ近年,格差と貧困をめぐる議論がふたたび活発になるなか で,階層の問題があらためて脚光をあびつつある(Wehler 2007 : 46f., 76f. ; Nolte 2007 : 95 f., 124f., 132f.).ドイツにおける社会移動の長期的推移と階層構造
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0世紀に関する研究史の総括 −
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*山井
敏章
† 要 旨 本稿は,19/20世紀のドイツにおける社会移動の長期的な動向を知ることを目的 とする.ドイツにおける社会移動の研究は,主として社会学と歴史学の二つの学問 領域において進められてきた.本稿は,その主要な成果の検討を通じて上の課題に 接近する.19世紀と20世紀のそれぞれにおける社会移動の特質,社会移動の地域差, 日本を含む他の工業諸国との比較におけるドイツの社会移動の特質などが論じられ る.また,19世紀以降におけるドイツ社会の階層構造の変化を,とくに労働者と職 員・官吏との格差の問題を中心に社会移動の観点から検討する. キーワード 階層構造,コーホート分析,社会移動,ドイツ,労働者と職員・官吏の格差,ログ リニア・モデル * 本稿は,平成18∼20年度日本学術振興会科学研究費補助金(基盤研究C:課題番号185027)による研究成果 の一部である. † 連 絡 先:山井 敏章 機関/役職:立命館大学経済学部/教授 機関住所 :〒525−8577 草津市野路東1−1−1 E - m a i l :[email protected] 査読論文 第19号 『社会システム研究』 2009年9月 1現代社会ははたして,より高いレベルの階層間移動をともなう「開かれた社会」に向かって いるのだろうか.この問題は,ドイツに限らず社会学の中心的研究テーマのひとつをなし,デー タ分析による膨大な実証研究が積み重ねられてきた.社会移動はまた,歴史研究の重要なテー マともなった.西ドイツ社会構造史の機関誌ともいうべき『歴史と社会』の創刊号(1975年) は,「社会階層と社会移動」を特集テーマとして掲げた.その巻頭論文でユルゲン・コッカは, 社会移動の問題を,「歴史的社会科学」が今後とりくむべき中心課題のひとつと位置づけてい る(Kocka 1975 : 32ff.).本稿は,社会学と歴史学による社会移動の研究成果を総括する作業 をつうじて,19世紀以来のドイツにおける社会移動の長期的推移を明らかにし,ドイツ社会の 階層構造の変化を社会移動の観点から検討することを課題とする1). もとより,一論文の限られたスペースは,主要な研究だけでも万遍なくふれることを許さな い.研究動向の網羅的な紹介はまた,本稿の意図するところでもない2).むしろ,上の課題に 即して筆者が重要と判断するいくつかの研究をとりあげ,やや詳しくその内容を紹介・検討す ることとしたい.結果として,社会移動研究におけるいくつかの重要な問題が抜け落ちること になっている.たとえば社会学においては,分析対象が長く男性のみに限られていたことに対 する反省から女性の社会移動に関する研究が近年多くあらわれているが,議論がふくれあがる ことを避けるため,以下では部分的にのみふれるにとどめた(e. g. Handl 1991).また,東 西ドイツの統一後,東ドイツについて論じる研究もあらわれているが,本稿では,戦後につい ては西ドイツのみを対象とする(e. g. Mayer/Solga 1994).最後に,1990年代以降の社会移動 の動きについては,この時期のクリティカルな意味を認識しつつも,研究がなお端緒的段階に あるため論じていない3). 以下,社会移動に関する社会学と歴史学の研究を交互に検討する.社会移動は,これら二つ の学問分野による学際的研究の対象となりうる(なりえた)テーマであるが,しかし,両者の 交流がつねに円滑に進んだわけではない.両者を隔てるバリアがいかなるものかについても以 下でふれるであろう4).
I.1
9世紀以降における社会移動の推移
1. 社会移動における19世紀と20世紀:クライニング vs.マイヤー/ミュラー論争 戦後西ドイツ社会学による社会移動の研究は,階層構造に対する第二次大戦の影響を関心の 中心にすえた初期の研究5)を経てまもなく,工業化と社会移動との関連を問うことを主たる テーマとするようになった.1970年代初めに出た G.クライニングの一連の論文と,これを批 判する K. U.マイヤー/W.ミュラーとの応酬はそのひとつのピークを成し,同時に,以後の研 究へのターニングポイントを成すものと見ることができる(Handl 1991 : 696f.).この論争に は,社会移動をめぐる中心的論点が集約的にあらわれており,本稿の議論の出発点を設定する 2 『社会システム研究』(第19号)のに好適である. クライニングの論文は,1969/70年に実施したサンプル調査を分析したもので,その結果は 表1のようにまとめられている. この表は,父親の生年グループ別に,被調査者であるその息子が父親と別の職業区分(自由 業,官吏,職員,自営業,農民,労働者など10区分)に移動したか否かの比率を示したもので ある.この集計結果についてクライニングはつぎのように言う.すなわち,世代間の社会移動 は,工業化の最初の波の時期に顕著に上昇した後,事実上停滞に転じた,と.たとえば表中の 「移動なし」の比率は最初の二つの時期のあいだで明確に低下しているが,その後はほとんど 変化がない.クライニングによれば,19世紀半ば頃からの工業化の初期段階は就業構造の大き な変化を伴い,それが移動率の上昇につながったが,しかし1920年頃以降の50年間,移動のチャ ンスはそれ以上改善しなかったのである.また,職業区分別に見ると,「閉鎖性」(子が親と同 じ職業に就く可能性)が最も高いのは自由業であり,農民,手工業者,官吏がこれに次ぐ.一 方,最も閉鎖性が低いのは,工業化の過程で就業者数が急増した職員と熟練労働者である (Kleining 1971a : 11, 15, 18, 29). 以上のような議論に対するマイヤー/ミュラーの批判は,クライニングの議論を根幹から揺 さぶる体のものであった.批判のひとつは,クライニングの分析の基礎となったサンプル調査 から得られる情報の信頼度,およびクライニングによるその加工法に関わる.すなわち,この 調査では,被調査者の父親と祖父の職業が尋ねられているが,その職業がいつの時点(年齢な いし職業経歴上の時点)のものなのかが確認されていない.たとえば,まだ若年の子の職業と, すでに年配の父親の職業を比べてもあまり意味はなく,この点が不明であることは社会移動の 調査として重要な問題といわざるをえない.また,表に見られるように父親の生年別にサンプ ルを区分けすると,各時期の父親の子の分布は3時期すべてに広がり,別の時期の子と大きく 重なり合う可能性がきわめて高い.このため,表の各欄の数値が,移動率の時系列的変化をど れほど反映しているか疑わしい(Mayer/Müller 1971 : 767-69, 775f., 788). もうひとつの批判は,社会移動の測定法に関するものである.表に見られるようにクライニ ングは,息子が父親と異なる(あるいは同じ)職業につく比率によって社会移動の高低を測ろ 息子の職業 区分間移動 父親の生年 1830−1860 (%) 1870−1890 (%) 1900−1920 (%) 移動なし 43.0 33.5 32.1 移動 57.0 66.5 67.9 N= 6112 3262 2694 表1 父親の生年別世代間移動 出所:Kleining 1971a : 12. 3 ドイツにおける社会移動の長期的推移と階層構造 −−19/20世紀に関する研究史の総括 −−(山井)
うとしている.しかし,社会移動について論じる際は,職業構造の変化による「構造移動」と, その要因を捨象した「機会の平等」を示す「循環移動」とを区別する必要がある.クライニン グ自身,「比率」による議論のほかに,結合指数(index of association)を用いて「機会の平 等」についても論じているが,しかしこの指数には,各職業区分の就業者の大きさ(周辺分布) によって値が左右されるという問題があり,構造移動の要因からなお自由ではない6).そこで マイヤー/ミュラーは,この問題をよりよく回避しうるクラメールの関連係数 V,安田係数な どを用いてクライニングのデータを分析しなおした.その結果は,上表の3時期すべてを通し て社会移動(循環移動の意味での)は高まりを示している,というものであり,したがって,20 世紀に入って移動機会の上昇が停滞に転じた,というクライニングの主張は支持しがたい.ま た,職業区分ごとの「閉鎖性」についても,それがとくに強いのは農民,自由業,熟練労働者 以外の労働者,そして手工業者であり,クライニングのように官吏を「閉鎖的」グループに含 めるのは妥当でない(Mayer/Müller 1971 : 771-75, 778-84). 以上のようなマイヤー/ミュラーの批判に対してクライニングは,親の出生年でなく子の出 生年を基準とした場合にも彼の主張が基本的に妥当であることを,別の指標をもちいて論証し ようとした(Kleining 1971b : 789ff.).さらに彼は,1974年に新たに実施したサンプル調査に もとづいて再度自身のテーゼを裏づけようとしている.ただし,論調はその際若干変わってお り,1910年頃に生まれた世代を境に移動率が大きく上昇したこと,そしてその後も高水準を維 持したことがクローズアップされている.その理由としてクライニングがあげるのは,戦時下 および敗戦直後の混乱期,そして「経済の奇跡」のもとでの経済構造の再編と就職口の拡大で あり,また,戦争による多数の死者と東欧等からの難民の流入という人口変動である.こうし た特殊な状況が移動率をひきあげ,それが以後も維持された.確かに高水準ではあるが,いわ ば「高止まり」しているのであるから,「ここ数十年のあいだ,移動のチャンスに変化はない」 という彼の主張の核心は確認された,と言うのである(Kleining 1975 : 273ff., esp. 287). 論争当事者のいずれに軍配をあげるべきかは,さしあたり重要ではない.むしろわれわれは この論争から,19世紀と20世紀の社会移動に関わる以下のような論点の所在を確認しておきた い.まず,表1に示されたような粗移動率のレベルで,20世紀が19世紀ほどの変化を示してい ないことはマイヤーらも否定していない.問題は,循環移動のレベルで,19世紀における移動 率の上昇が20世紀にもなお継続していたかどうか,つまり,上に見た「機会の平等」の意味で 「開かれた社会」に向かう傾向は20世紀にも持続していたかどうか,である.その際,第二次 大戦など特殊な歴史的事情が社会移動におよぼした影響の評価も問題となる.また,職業区分 ごとの「閉鎖性」の相違も,19/20世紀ドイツにおける階層構造の変化を知る上で重要な論点 となる.とくに,ドイツ社会の特質としてしばしば指摘される労働者と職員との間の「身分的」 障壁の行方が,社会移動研究のひとつの焦点となった. 上の論争が行われた1970年代初めは,合州国で開発されつつあった計量社会学の手法がドイ 4 『社会システム研究』(第19号)
ツにも導入され始めた時期であり,マイヤーやミュラーはその先端に立つ存在だった.ドイツ の社会学は以後,高度な数学的手法を駆使して,上にあげたような論点に関する実証分析にと りくんでいく.しかし,その動向を追う前に,歴史学による社会移動研究の検討を行っておこ う. 2. 社会移動の歴史研究 2−1 20世紀における社会移動 「20世紀の社会移動に関する歴史研究は,これまでほとんどもっぱら社会学者によって行わ れており,歴史家という職業に属する者はせいぜい周辺的役割を演じたにすぎない.」1983年 の著書でハルトムート・ケルブレはこう述べている(Kaelble 1983 : 63)7).本稿の冒頭でふ れたように,西ドイツ社会構造史は1970年代以降,社会移動の歴史分析に集中的にとりくみ, こうした欠を大きく補った.ケルブレの著書は,その最初の総括ともいうべきものである. ケルブレは,19世紀から20世紀の60年代までという二つの世紀にわたる社会移動の動きを検 討しているが,ここではまず20世紀に関する彼の分析を見ておこう. 上に見たクライニング論文をめぐる論争についてケルブレは,1945年以後移動率が停滞した か,それとも −− わずかに −− 上昇したのか,という狭い範囲の問題に集中しており,それに 父親→息子の 世代間移動 ドイツ帝国 1904/13 ワイマール共和国 1925/29 西ドイツ 1955 西ドイツ 1969 上昇移動 ①下層中間層→ 上層中間層 46% 44% 52% 38% ②下層→ 下層中間層 18% 23% 37% 32% ③下層→ 上層中間層 1% 2% 15% 22% 下降移動 ④上層中間層→ 下層中間層 8% 5% 3% 20% ⑤下層中間層→ 下層 28% − 20% 20% ⑥粗移動率 28% 24% 30% 44% ⑦構造移動率 12% 4% 2% 13% ⑧循環移動率 16% 21% 28% 31% ⑨クラメールのV 0.453 0.493 0.403 0.279 ⑩安田係数 0.397 0.437 0.574 0.696 表2 ドイツにおける社会移動 1904−1969 出所:Kaelble 1983 : 68f. 5 ドイツにおける社会移動の長期的推移と階層構造 −−19/20世紀に関する研究史の総括 −−(山井)
先立つ時期を含む社会移動の長期的動向は不問のままになっている,と批判する(Kaelble 1983 : 67, 111f., 271 : note7).そこでケルブレは,官庁統計や先行研究などから得た膨大なデー タを集約・加工して,第二帝政末期から1960年代にいたる社会移動の動きを表28)のようにま とめている.表のたとえば①の比率は,上層中間層のうち下層中間層出自のものがそれぞれの 時期にどれだけの率を占めているか(流入率)を示している.また,表の最下部のクラメール の V および安田係数はいずれも0から1のあいだの値をとり,前者は値が低いほど,後者は 値が高いほど社会移動 −− 循環移動の意味での −− が高い水準にあることを示す. 表の数値からは,第二帝政末期以降の数十年間,ほぼ一貫して移動率(粗移動率と循環移動 率)が上昇を続けていることが分かる(⑥,⑨,⑩).粗移動率(流入率)のレベルでは,と くに上昇移動の高まりが下降移動に比して顕著である.絶対数も考え合わせて最も大きな変化 が見られるのは下層(労働者や低位の職員・官吏)から下層中間層(中位の職員・官吏や手工 業者・商人など)への移動(②)であり,これが,全体としての移動率の上昇をもたらす大き な要因となっている.下層出身者の大半はなお下層にとどまる,というように,これらの変化 が完全な「機会の平等」をもたらしたわけではもとよりないが,「20世紀のドイツにおける垂 直的移動は,長期的に見て幾分高まり」,ドイツは「より開かれた社会への道」をたどったの である(Kaelble 1983 : 67-70, 122f.). ところで,社会移動の分析にあたりケルブレが意を注いだのは,移動率の変化の検証となら び,あるいはそれ以上に,上に指摘したような移動率上昇の原因の究明であった.表2の⑦・ ⑧の数値は,社会移動のうち循環移動によるものが構造移動よりかなり大きいことを示してい る.⑨の安田係数からも,循環移動が時期を追って高まっていることが知られる.したがって ケルブレによれば,しばしば抱かれる通念と異なり,経済構造(就業構造)の変化 −− 農業や 手工業・小売業における自営業者の縮小,職員・官吏の急増など −− を社会移動率上昇の主因 と見ることはできない.それでは,何が原因だったのか. ケルブレは,帝政期に社会移動の阻害要因となっていた一連の政治的・社会的障壁がワイ マール期以降崩されていった点に注目する.たとえば,民族や宗教・宗派,政治的信条や性別 によって上位の官吏への道が閉ざされるという帝政期の状況は,1918年以降しだいに改善され ていった.社会民主党員や労組加入者の公行政からの排除は,すでに1914年に廃止されている. また帝政期には,中位の官吏の半数および下級官吏すべてのポスト(技術職を除く)を退役し た下級士官にまわす「軍内候補者」(Militäranwärter)の制度があった.下級士官には農民・ 小ブル家庭の出身者が多く労働者はまれであり,結果として労働者に不利益が生じていた.こ うした制度もワイマール期に制限され,最終的には戦後西ドイツにおいて廃止される.官吏の 地位 −− その数は急増した −− のこうした開放は,労働者の社会的上昇にとって重要なチャン スとなった.さらに,ワイマール期の教育改革は労働者など下層および下層中間層の教育レベ ルをひきあげ,たとえば小学校(Volksschule)教師という社会的上昇のルートを彼らに開く 6 『社会システム研究』(第19号)
ことになった9).職員と労働者のあいだに人為的に築かれた一種身分的な障壁もしだいに崩れ, 労働者家庭出身の職員が増えていった.ワイマール以降におけるこうした民主化・平等化の進 展,身分的価値観の緩和により,ドイツはようやく,他の先進工業諸国に肩をならべるレベル の社会移動を実現するにいたったのである(Kaelble 1983 : 71-73, 80-84, 85-88, 92-94, 96-101, 111-22, 123f.). 以上のような議論は,歴史家としてのケルブレのまさに面目躍如たるところであるが,しか し彼自身認めるように,今後なお論証さるべき仮説の域を超えていない.社会移動の長期的推 移についての表2のデータも,気の遠くなるような膨大な作業の成果であるとはいえ,断片的 なデータの集積であり,そこから得られる結論も暫定的という性格を抜け出ていない10). ところで,すでにふれたようにケルブレは,19世紀における社会移動についても論じている. そこでは,企業家や上位の官吏,上級学校の教師や医師など上層の職業従事者,そして,中位 の職員・官吏,小学校教師など中層の職業従事者の出自が検討され,工業化と社会移動との関 連が問われている.ケルブレの結論はここでも,こうした関連に対して否定的である.すなわ ち彼の見るところ,工業化の過程における上の諸職業の拡大が,中・下層からそれぞれよ!り!上 の階層への社会的上昇を促進した,という主張を支持する材料はない.とりわけ,下層から中 層への上昇は中層から上層へのそれよりはるかに稀であり,下層とそれ以外を隔てる障壁の高 さは中層と上層とのあいだのそれを大きく上回っていた(Kaelble 1983 : 57-59).もっとも,19 世紀についてケルブレの用いたデータは20世紀のそれよりさらに断片的であり,以上のような 彼の結論は,さらなる議論の出発点と見るべき性格のものである. ケルブレ自身こうした限界を十分自覚しており,各地の事例研究の積み重ねによって実態を 明らかにしていくことを,今後とりくむべき課題の第一にあげている.実際,1970/80年代に おける西ドイツ歴史学の社会移動研究の最大の成果は,このような地域研究の蓄積に見ること ができる11).R.シューレンの1989年の著書はそれらを総括する内容をもっており,西ドイツ歴 史学による社会移動研究のひとつの到達点を示すものといえる. 2−2 社会移動と地域研究 シューレンは,三つの大都市(ベルリン,アーヘン,バルメン),三つの中都市(ビーレフェ ルト,オーバーハウゼン,ルートヴィヒスハーフェン),三つの小都市(ニュルトリンゲン, メーァス,ゲルダーン),三つの村落(クヴェルンハイム,ボークホルスト,ボルネ)という 性格の異なる計12地区の社会移動に関するデータを表3のようにまとめている.データは各地 の教会ないし戸籍役場の婚姻記録から得られたもので,結婚の際の本人(男性)の職業と父親 の職業が比較されている.たとえば表3左上隅のベルリンの数値は,父親と異なる職業区分に 移動した者の比率(粗移動率)が1825年頃12)に61.3%だったことを示す.ただし,これを含む 各欄上段の数値は,職業を,下位下層(不熟練労働者,日雇いなど),中位下層(農業労働者, 7 ドイツにおける社会移動の長期的推移と階層構造 −−19/20世紀に関する研究史の総括 −−(山井)
半熟練労働者など),上位下層(熟練労働者,手工業職人,低位職員・官吏など),下位中間層 (小農,手工業親方,中位職員・官吏など),上位中間層(大・中農,中規模企業家など),上 層(領主・大地主,大企業家,大学出身の自由業従事者など)の6区分にまとめた場合の移動 率である(Schüren 1989 : 35, 314).これに対して中段には,下位・中位・上位の下層とそれ 以外の中層・上層をそれぞれひとくくりにした2区分間の移動率,下段には,この2区分モデ ルにおける下層からの上昇移動率が示されている. 1825 1856 1882 1907 1925 1936 1956 Berlin 61.3 39.9 22.1 63.4 35.0 18.5 58.6 30.1 11.4 56.4 26.0 8.4 56.2 18.4 14.6 56.7 26.1 22.0 58.3 23.4 15.4 Aachen 53.3 41.8 31.0 49.3 36.1 22.7 48.1 21.2 9.6 57.0 21.8 11.4 Barmen 51.9 41.0 11.1 44.6 38.8 24.2 50.0 22.2 9.9 57.1 20.5 13.4 Bielefeld 52.6 25.5 17.8 64.3 25.9 17.1 62.2 24.7 10.7 58.6 25.4 16.7 58.5 29.1 32.2 61.1 27.8 32.7 Oberhausen 47.8 28.3 6.7 63.7 30.0 5.5 59.1 24.5 6.4 66.5 25.2 7.7 60.6 15.9 9.4 61.7 20.5 14.7 Ludwigshafen 49.3 25.8 10.1 54.6 27.8 8.6 65.0 24.8 5.4 66.3 30.2 10.7 Nürtlingen 40.4 25.1 21.5 41.7 32.3 27.5 44.8 34.3 26.3 62.2 39.6 23.7 Geldern 58.7 20.6 2.6 50.9 27.4 13.5 56.6 45.8 40.5 58.3 46.9 38.3 Moers 55.1 16.9 1,8 54.0 21.0 14.3 52.6 43.2 47.9 67.8 39.4 8.5 Quernheim 39.4 24.0 13.5 37.3 29.7 12.4 Borghorst 31.4 20.7 12.0 40.0 14.5 4.6 65.7 24.7 12.6 64.7 26.1 12.9 62.9 20.9 13.6 63.3 27.5 19.7 74.6 32.1 24.5 Borne 49.6 32.3 9.8 50.5 30.1 11.3 50.0 33.3 14.9 表3 12地区の世代間移動(粗移動率 %) *各地区の上段は 6 職業区分間,中段は 2 区分間の移動率.下段は 2 区分モデルにおける下層からの上昇 率. 出所:Schüren 1989 : 93, 104, 118 より作成. 8 『社会システム研究』(第19号)
まず6区分(上段)による移動率を見てみよう.地区ごとの相違は必ずしも明確でなく,ま た例外を含むとはいえ,全体として最も高い数値を示しているのは,ルートヴィヒスハーフェ ン,オーバーハウゼン,ボークホルストという19世紀にとくに大きな経済構造(就業構造)の 変化を経験した3地区である.これら各地区の経済構造の変化を簡単に確認しておこう. まず,ライン川・ネッカー川の合流地点にあるルートヴィヒスハーフェンは,もともとは人 口の少ない農村地帯だったが,19世紀半ばの港湾開設と鉄道敷設を機に発展が始まり,とくに 1870年 代 以 降,港 湾・商 業 都 市 か ら 化 学 工 業(1865年 に BASF : Badische Anilin- und
Sodafabrik 設立)および金属加工・機械製造業を中心とする大規模な工業都市へと変貌した. 主として外部からの流入によって人口は急速に膨張し,1910年には8万人を数えた.ルール地 方のオーバーハウゼンも,ルートヴィヒスハーフェン同様もともとは農村地帯で,炭田の発見 を契機に1850年代から製鉄業が急成長をとげた.第一次大戦前,この地域の工場労働者の85% 以上が製鉄会社 Gutehoffnungshütte(GHH)で働いていた.1910年時点の人口は15万人で ある. ミュンスター北東部のボークホルストは,上の2都市と比べればはるかに小規模な「村落」 であるが,しかし,繊維工業の発展によって大きな構造変化を経験している.1850年代までこ こでは,現地の織物商人が問屋制的に組織する亜麻・綿織物業が主産業だった.これら手織物 業は1860年代に他地域同様構造的危機に陥るが,しかしボークホルストでは,1850/60年代の 綿紡績工場設立,そしてとくに1870/80年代以降の機械織布業の発展により下層民の全般的困 窮は回避された.このような発展の結果,19世紀初めには人口2,000人程度の農村だったボー クホルストは,1910年には人口8,500人あまりの小都市に成長する(Schüren 1989 : 53ff., 56ff., 71ff., 119.1910年のボークホルストの人口は,Schüren 1980 : 214).以上のように,とくに 高い移動率を示すこれら3地区は,工業化によって大きな構造変動を経験した地区だったので ある. 工業化と高い移動率との対応関係は,シューレンによれば時期の点でも一定確認することが できる.たとえばビーレフェルトとオーバーハウゼンでは1850年代,ルートヴィヒスハーフェ ンとボークホルストでは1870年代に工業化が大きく進展し,社会移動もまたこの時期に高い数 値を示している.ニュルトリンゲンとメーァスは19/20世紀の境頃からようやく本格的工業化 を経験するが,移動率もまさにこの時点で高くなっている.一方,クヴェルンハイム,ゲルダー ン,そしてベルリンの数値は他で見られるような上昇傾向を示していない.これは,これらの 地区の経済構造の変化が相対的に小さく,また小営業的な性格を強く残していたことに対応す るものであり,工業化と高い移動率との対応関係を別の形で裏づけるものと見ることができ る13).一方,アーヘンとボルネでは1870年代に工業化が進むが,しかし移動率にはめだった変 化がない.もっとも,これら2地区の経済成長が相対的に緩慢であり,また人口増も他と比べ て緩やかだったことを考えれば,この現象もまた工業化と高い移動率との相関を逆の形で示す 9 ドイツにおける社会移動の長期的推移と階層構造 −−19/20世紀に関する研究史の総括 −−(山井)
ものといえる(Schüren 1989 : 41, 120). 先に見たようにケルブレは,工業化と社会移動との関連について否定的な見解を示している が,シューレンの示す数値は,それとは反対の結論にわれわれを導くように見える.ケルブレ の見解は誤りとして退けられるべきだろうか. われわれは,ケルブレの結論が,職業区分を上層,中層,下層という三つに大くくりにした 上でのものであったことに注意せねばならない.これに対して上に見たシューレンの議論は6 区分による移動率を問題にしている.職業区分を細分化すればするほど移動として表れる現象 が頻繁になるのは当然である.それでは,職業区分をより大くくりにした場合,シューレンの データから何が見えるだろうか. すでに述べたとおり,表3各欄の2段目には,職業区分を下層と中・上層との2区分にした 場合の移動率が示されている.2区分にすることによって見えるのは,「社会の開放性」につ いて論じる際とりわけ問題とされる下層(労働者および低位職員・官吏等)からの上昇可能性 に特化した情報であり,上の結論を導き出す際にケルブレが論じていたのも実はこの可能性の 変化であった.表3の各欄下段の数値(2区分モデルにおける上昇移動率)は,まさにその指 標である これらの数値を見ると,6区分の場合に見られる経済構造の変化の大きさと移動率との相関 は,2区分の場合はほとんど確認できなくなっている.たとえば,経済構造の変化がきわめて 大きかったルートヴィヒスハーフェンの移動率は,中段・下段とも他に比してとくに高いわけ ではない.むしろ注目されるのは,大・中都市の移動率と小都市・農村の移動率が1870年頃を 境に逆の動きを示していることである.つまり,中・下段のいずれの数値も前者,とくに大都 市の場合は1870年代以降低下するのに対し,小都市・農村では上昇している.別の言い方をす れば,ドイツにおける工業化の第一段階が終わるとともに,下層からの上昇可能性は大都市で は急速に低下したのに対し,小都市・農村では上昇したのである. この現象をどう理解すればよいだろうか.シューレンはつぎのように推論している.家内工 業であれ工場であれ,賃労働者のポストが十分存在するところでは,下層の人間は,しばしば リスクを伴う中間層への上昇をむしろ避けるだろう.たとえばルートヴィヒスハーフェンや オーバーハウゼンのような急速に成長する工業都市で下層からの上昇率が一貫して低いことは, これによって説明できる.1870年以前における小都市の低い上昇率も,そこで(1825年のバル メンでも)展開していたプロト工業化が賃労働者ないし家内労働者としての仕事を提供してい たことによって説明可能である.大都市で1870年代以降下層からの上昇率が低下するのは,こ の頃からとくに,工場労働等被傭者としての仕事が支配的就労形態になる一方,手工業親方等 としての独立は困難になり,あるいは魅力を失っていったためと考えられる.小都市・農村の 状況はこれとは逆であり,ここではむしろ,人口増にともなう商店開設など中間層の拡大とそ こへのかなりの規模の移動が見られた.つまり,「工業化は,都市化がさほど進んでいなかっ 10 『社会システム研究』(第19号)
たところでのみ社会の開放性を高めた」のである(Schüren 1989 : 92, 97, 105-7). 2区分の場合と6区分の場合の相違からさらにもう一点,興味深い論点が現れてくる.上に 述べたように2区分で見た場合,大都市および中都市における移動率は1870年代以降低下する のであるが,6区分の場合そうした変化はあまり認められないか,あるいはむしろ上昇してい る.表3には数値を示していないが,シューレンはさらに15区分にした場合の移動率も計算し ており,その場合は,大・中都市における1870年代以降の移動率の上昇がさらに明確に表れる. この一見謎めいた現象を理解する鍵は,下層と中・上層との境を超える移動に特定した2区分 モデルの特性にある.つまり,より頻繁になった移動はほとんどもっぱら下層,そして中・上 層それぞれの内部に限られ,下層,すなわち諸種の労働者および低位職員等からその上の階層 への敷居を超えることは困難なままだったのである.「下層と中間層のあいだの隔たりの拡大 と両者それぞれの内部における移動の増大.」(Schüren 1989 : 139f.)14)この指摘は,大都市と 小都市・農村とのあいだの移動率の動きの相違とならんでシューレンの最も注目すべき議論で ある. 以上,工業化と社会移動との連関に対して否定的であり,19世紀の工業化の過程で下層から の上昇可能性が改善したとはいえない,とするケルブレの見解にはかなりの修正が必要であろ う.なるほど工業化の大きく進展した地区とそうでない地区とのあいだで,下層からの上昇可 能性にほとんど違いは見られない.また,工業化が賃労働者としての就労機会を拡大すること を通じて下層出身者が下層にとどまる可能性が高まる,というシューレンの議論は,ケルブレ の主張を支える論拠を示すものと見ることもできよう.ただし,工業化の一定の段階までは都 市化の進展に応じて下層からの上昇のチャンスが高まる,という事態をシューレンは指摘して おり,二つの現象の連関を否定することは的確とは思われない.さらに何より,大・中・小都 市,農村の別に応じたシューレンの類型化の試みは,事態の多層的な把握の必要を示している. もっともそのうえで,下層とそれ以外を隔てる壁の高さというケルブレの中心的認識のひとつ はシューレンによっても確認されている.とくに労働者と職員・官吏のあいだの障壁について, われわれは以下でさらに論じるであろう. 20世紀についてはどうだろうか.先に述べたようにケルブレは,第二帝政末期以降1960年代 に至るまで,ほぼ一貫して移動率(とくに上昇移動)が上昇を続けた,と論じているが,シュー レンの結論はここでもやや異なる.上に見たようにシューレンによれば,下層からの上昇移動 率は,大・中都市では1870年頃から顕著に低下する.その後帝政期を通じて移動率は低い水準 にとどまり,1930年代になってようやくふたたび上昇傾向を示し始める.ただし,変化の度合 いは19世紀に比べてわずかである.6区分(ないし15区分)の場合も,19世紀におけるような 大きな移動率の上昇は見られない(Schüren 1989 : 135-37, 214, 218, 221).もっとも,20世 紀に関するシューレンの議論は19世紀に比してもさらにわずかな事例にもとづくものであり, 彼自身その限界を認めている.20世紀,とりわけ第二次大戦後における社会移動の研究は,現 11 ドイツにおける社会移動の長期的推移と階層構造 −−19/20世紀に関する研究史の総括 −−(山井)
状分析をこととする社会学において大きく展開する.次節においてわれわれは,社会学による 社会移動の研究にふたたび目を転じることにしよう ただしその前にもう一点,シューレンの分析における方法上の論点に言及しておく必要があ る.先に見たようにケルブレは,社会学における社会移動分析のいわば古典的方法である構造 移動と循環移動の区別,そして循環移動の変化を測定するいくつかの指数を用いて20世紀にお ける社会移動の変化を分析している.一方,シューレンの場合は,基本的に粗移動率にもとづ いて議論を展開している.方法的には後退とも見られかねないこうした立場をシューレンがと るのは,構造移動と循環移動が現実には密接に関連しており,両者を截然と区別するのは妥当 でない,との認識による.たとえば職員のポストの増大は労働者から職員への移動を促すが, このような構造移動が両グループの社会的距離を縮めることにより,労働者から職員への循環 移動も容易になる.シューレンはまた,彼のデータから循環移動率を算出し,とくに19世紀に は,経済構造の変化の大きい地区で循環移動率が平均以上に上昇し,構造変化の小さい地区で はほとんど変化していない,という両移動率の相関関係を析出している(Schüren 1989 : 10-12, 123ff., 139).現実を理解するための方法である二つの移動率の区別が現実から離れて一 人歩きする危険性 −− そうした傾向は,とくに社会学における社会移動の計量分析に往々にし て見られる −− に対する警鐘として傾聴すべき指摘ではあるが,移動率の変化の要因を探ると いう構造移動・循環移動の区別の目的が意味を失ったわけではない.実際たとえば,シューレ ンによる循環移動率の計算からは,経済停滞期,とくにワイマール期に平均以上の循環移動率 が確認される,というそれ自体さらなる検討に値すると思われる結果が出てきている(Schüren 1989 : 139).移動率変化の要因の分析は,これもまた社会学による社会移動の研究において とりわけ大きな進展をとげた領域である.次節では,そのすぐれた事例を追いながら,20世紀 ドイツにおける社会移動の動きを探ることにする.
!.戦後社会と社会移動
1. 1971年ミクロ・センサス追加調査と第二次大戦後の社会移動 1971年4月,ドイツ連邦統計局によって実施されたミクロ・センサスの追加調査は,社会移 動を含む20世紀ドイツ社会の変貌について未曾有の豊富なデータを提供するものとなった.「職 業および社会構成の変化」を副題にもつこの調査は,出自,教育,職業経歴,世帯構成など, 社会分析の要をなす問題に関する膨大なデータ(総サンプル数45万あまり)を含んでおり,こ れによってはじめて「連邦共和国における社会移動の過程を多面的かつ高い信頼性をもって分 析する可能性」(Mayer 1977 : 466)が開かれたのである15).以下では,この調査データを利 用した多数の研究のうち最も包括的かつすぐれたものと思われる W.ミュラーの著書(Müller 1978)によりながら,戦後ドイツにおける社会移動の動きを追ってみよう.先にもふれたよ 12 『社会システム研究』(第19号)農民および自営業を除いた全職業 全職業 うに,当時西ドイツでは,合州国で開発された計量社会学の新手法が積極的に導入されており, ミュラーはその先端に立つパイオニア的存在だった.社会移動の研究において以後主流となる 多変量解析のオリジナルな試みとしてもミュラーの研究は興味深い. 図1および図2は,ミュラーの研究の最もユニークかつ核心的な結論部分を成すものである. ミュラーはここで,被調査者である息子とその父親との世代間職業移動を,(1)1920−22年生ま れ,(2)1930−32年生まれ,(3)1935−37年生まれ,(4)1940−42年生まれという四つの出生コーホー トについて分析している(対象となるサンプルの総計は約47,000).ミクロ・センサス追加調 査では,被調査者が15歳のときの父親の職業が質問されており,父世代の職業はこれが用いら れる.息子の職業は28∼30歳時点のもので,これと父親の職業が対比される(したがって,分 析結果は1950年頃からほぼ20年間の変化に関するものとなる).28∼30歳という年齢は,通常 はまだ職業上の地位が確定していない年代であり,よい遅い年齢の方がよいことは確かだが, しかしそうすると,最近の状況を知る上で重要な若い年齢層が分析対象からはずれてしまう. また,15歳時の父親の職業といっても被調査者の記憶による申告であり,クライニングについ てミュラーらが指摘した元データの信頼性の問題は,程度の差はあれここでも残る(Müller 1978 : 188f., 235f. ; Mayer 1979 : 293f.).こうした制約をともないつつも,1920年から42年 までの出生コーホートを分析対象として設定することにより,戦後西ドイツにおける社会移動 の変化(ないし非変化)に関するかなりの信頼性をもつ分析が可能になった. ミュラーが行ったのは,被調査者の出自(父親の職業.学歴による細区分を含む),被調査 者の職業,被調査者の学歴,そして出生コーホートの別という四つの要因(因子)が世代間移 動におよぼす影響の大きさの特定である.そのために彼は,上の4因子がまったく無関係であ る仮想状態(独立モデル)を出発点とし,各因子のコンビネーションを順次組み入れたモデル のそれぞれについてログリニア・モデルによる χ2値を算出し,それぞれの場合に χ2値が低下 する(現実の測定値に接近する)比率によって各因子の寄与率を推定する16).図1の二つのグ ラフには,各コーホートそれぞれ2本の棒が描かれている17).右側の棒は,被調査者の学歴が 図1 出生コーホート別世代間移動に対する寄与率 出所:Müller 1978 : 216f., 219f.より作成. 13 ドイツにおける社会移動の長期的推移と階層構造 −−19/20世紀に関する研究史の総括 −−(山井)
職業決定に与える影響の大きさを示す.一方,左側の棒は,出自要因の影響度を,出自が子の 学歴を経由して現れるもの(グラフの棒の下部=色の薄い部分)とそれ以外の出自要因(グラ フの棒の上部=色の濃い部分)とに分けて示している. まず左のグラフを見てみよう.各コーホートの右側の棒が示すように,子の学歴が子の職業 を決定する度合いは6割から7割あまりと圧倒的に大きく,しかもその比重は時期を追って高 くなっている.また,出自要因を示す左側の棒を見ると,影響度を減じているのはとくに学歴 経由以外の部分であることが知られる.つまり,戦後の20年間に職業の決定は「より能力主義 的 meritokratisch ないし資格主義的 credentialistisch になった」(Müller 1978 : 215).逆に いえば,職業が出自によって決定される度合いが弱まったのであるから,この意味で社会はよ り「開放的」になったということができる. それではなぜ,学歴経由以外の出自要因は影響度を減じたのだろうか.ミュラーの見るとこ ろその答えは,農民,そして農業以外の自営業における家業継承の減少に求めうる.図1の右 のグラフは,そのような職業継承のケースを除いたうえでの計算結果を示したものである.こ れを見ると,左のグラフに比べて学歴経由以外の出自の影響度がきわめて低くなっており,こ こから逆に,この影響の大部分が,農業・自営業における家業継承の減少によるものだったこ とが知られる.そして,このような家業継承の減少は,なにより農民および自営業者の数自体 の減少によるものと考えられる18).就業人口が減れば当然家業継承者も減り,結果として,農 業・自営業以外を含む全体におよぶ出自要因の影響度の低下につながったわけである. つぎに図2は,職員・官吏および労働者の諸カテゴリーについて社会移動の状況を示したも のである19).図中の a∼h は,図の下に注記した父親の職業(=出自.学歴によって細区分さ れている)を示している.各グラフの一番右側に「全体」とあるのは,子世代における全就業 者中の当該職業従事者の比率であり,言いかえれば,当該職業への平均的な参入のチャンスを コーホート順に示したものである.a∼h まで八つのブロックの4本の棒は,それぞれの出自 をもつ被調査者が,この平均的参入率から想定されるよりどれほど多く(プラスの%)−− な いし少なく(マイナスの%)−− 当該職業についているのか,その比率を出生コーホート順に 示している.この4本の棒はさらに上下二つに分けられているが,これは,平均を上回る(下 回る)参入をもたらした要因のうち,子の学歴によって規定される度合い(下部=色の薄い部 分)と,そして学歴と無関係の出自によって規定される度合い(上部=色の濃い部分)を示し たものである.この度合いは,図1と同じログリニア・モデルによって計算されている.たと えば左上の「管理職職員・官吏」に関するグラフの一番左(第1コーホート)の棒を見ると, 上級教育(アビトゥア取得,技師専門大学,大学)の学歴をもつ管理職職員・官吏を父親にも つサンプルで父と同じ管理職職員・官吏となった者は,この職業カテゴリーが全就業者中に占 める比率から計算される数より40%弱多いこと,そしてそのうち29%程度は子の学歴によって, 他の10%は学歴とは無関係の出自によって規定されていることが分かる. 14 『社会システム研究』(第19号)
きわめて多くの情報を読み取れるこの図からここではまず,4番目の「不熟練・半熟練労働 者への移動」をのぞく三つのグラフで,e と f のあいだにプラスからマイナスへの転換がある ことに注目しておこう.e と f は職員・官吏と労働者との境目であり,この位置での転換は, 職員・官吏の子は平均より職員・官吏になりやすく,労働者の子はそうはなりにくい(逆もま た真)という意味で,両者を隔てるバリアの存在を示すものと見ることができる.また,4番 目のグラフで熟練労働者の子(f)が,それ以外の労働者の子と異なり平均より不熟練・半熟 練労働者になりにくいことは,労働者内部のヒエラルキーの存在を示唆する. 平均からの乖離をもたらす要因については,大半の場合,本人の学歴の影響と出自の影響と がともにプラス・マイナス同じ方向に存在する,つまり,両者が強め合っていることが確認さ れる.たとえば,左上グラフの a,b ブロックを見ると,管理職職員・官吏の子が父親と同じ 職業に就く可能性は,子の学歴に加えて出自要因によってさらに高められている.逆に,職員・ 官吏の子が労働者となる可能性は(下の二つのグラフの a∼e),子の相対的に高い学歴がそれ を阻むだけでなく,出自要因によってさらに低められる.一方,二つの要因がプラス・マイナ ス別の向きをとる場合も若干あり,たとえば管理職職員・官吏の子がより下位の現業職員・官 吏となる可能性は(右上グラフの a,b),その出自によって,子の学歴に見合う水準より低く 抑えられている. 図2 出自ならびに出生コーホート別社会移動 父親の職業:a=管理職職員・官吏(上級教育),b=管理職職員・官吏(中級教育),c=現業職 員・官吏(中級教育以上),d=現業職員・官吏(小学校および商業実習),e=現業職員・官吏 (小学校および製造業実習あるいは小学校のみ),f=熟練労働者,g=学歴に対応するより下位 の職業に就く半・不熟練労働者,h=不熟練労働者 出所:Müller 1978 : 225f., 290f.より作成. 15 ドイツにおける社会移動の長期的推移と階層構造 −−19/20世紀に関する研究史の総括 −−(山井)
つぎに,出生コーホートによる時系列変化を見よう.たとえば左上のグラフで,労働者の子 が管理職職員・官吏となる可能性を見ると(f∼h),時を追ってマイナスのレベルが高まる, つまり,そのような地位への上昇がより一層困難になっていることが分かる.その際,変化を もたらした決定的要因は出自ではなく子の学歴(色の薄い部分)である.また,管理職職員・ 官吏の子の場合(a∼b),第2コーホート以降の比率はすべて第1コーホートより高くなって いる.とくに学歴要因を示す部分(色の薄い部分)が第1コーホートから第2コーホートのあ いだで顕著に拡大したことが,こうした変化の主因である.全体としてこのグラフからは,職 業地位の上位と下位のあいだの距離が戦後広がっていったことが知られる.また,このような 距離拡大の要因として学歴が決定的な役割をはたしていることは,図1に即して指摘した「能 力主義」強化のひとつの表れと見ることができる. ただし,この事例をもって,社会が全体としてよ!り!閉鎖的な方向に向かった,と即断すれば 誤りになる.たとえば,「現業職員・官吏への移動」に関する右上のグラフを見ると,管理職 の場合とは異なり,おおざっぱに言って,すべての出自の出身者が「全体」の示す平均との距 離を後の時期ほど小さくしている.つまり,父親と同じ職業に子が就く傾向は低下している. そして同じ傾向は,労働者の二つのカテゴリーでも認められる(下の二つのグラフ).ところ で,これら三つのカテゴリーは就業者中のきわめて大きな部分を占めており,ここにおける流 動性の上昇が −− 先に指摘した自営業者・農民の比率低下に加えて −− 就業者全体における社 会の「開放性」の上昇につながる重要な要因となったと考えられる. このようにミュラーによれば,戦後の20年間に社会はより「開放的」な方向に向かって変化 した.1920年代以降の50年間,移動のチャンスに改善は見られなかった,という本稿の最初の 部分で検討したクライニングの結論は,したがって支持しがたい(Müller 1978 : 236f.)20). もっとも,変化が「軽微」であった,ともミュラーは述べている.先にふれた χ2値の計算で ミュラーは,独立モデルと飽和モデルの差の90%あまりが出生コーホート因子を織り込まない モデルによって説明される,と指摘している(Müller 1978 : 198f.).つまり,時間にともな う変化はその残余のわずかな部分を成すにすぎないのである. 以上,ミュラーの分析はきわめて斬新であり,かつ説得力に富む.ただし,いくつかの点で 限界をもつことも確かである.ミュラー自身指摘しているのは,先にふれたように子の職業を 28∼30歳時点のものとすることの問題性である.可能であればいくつかの年齢時点について分 析を行うことが望ましいが,資料はそれを許さない(Müller 1978 : 235f.).1950年以降20年 間というタイムスパンも,たとえば1920年代以降の50年間について論じようとしているクライ ニングとの対比でも,より長期であることが望ましいことは言うまでもない.ドイツにおける 社会移動研究は,このような限界を克服しうるようなデータの集積と,方法上のさらなる洗練 をともないつつ大きく発展していくことになる.ミュラーは一貫してその先頭に立つ存在で あった.近年発表された R.ポラクとの共著論文(Müller/Pollak 2004)は,戦後ドイツの社 16 『社会システム研究』(第19号)
会移動に関する研究の現時点における到達点ともいうべき内容をもつ.以下,節をかえて検討 しよう.
2. 第二次大戦後の社会移動:より「開かれた社会」へ?
上 の 共 著 論 文 で ミ ュ ラ ー ら は,ALLBUS(Allgemeine Bevölkerungsumfrage der Sozialwissenschaften), GSOEP(German Socio-Economic Panel)などドイツの代表的な社 会調査の結果を基礎データとして用いている.調査自体は現在まで継続しているが,論文で分 析対象とされた調査の実施年は1976年から1999年までの25年ほどの期間である.ただし,上に 検討したミュラーの著書同様コーホート分析の手法を用いることにより,戦時期からほぼ半世 紀におよぶ社会移動の変化が射程に収められている.
近年における社会移動分析の例にならいミュラーらは,社会移動を絶対的移動と相対的移動 (absolute and relative mobility)とに分けて論じている.まず絶対的移動(粗移動)につい て.ミュラーらは,J. H. ゴールドソープのシェーマにしたがってサンプルを七つの職業区分 に分け21),それらの間の世代間移動の比率を1976−80,1982−90,1991−99年の三つの時期につ いて計算している.結果として確認されるのは以下のような諸点である.たとえば流入率を見 ると,特に男性の場合,「農業以外のプチブル」(IVab)を除く他のすべての区分で同じ職業 区分から流入する者の比率がやや高まっており,したがって「階層ごとの集団形成 class formation」低下の傾向は認められない(Müller/Pollak 2004 : 90)22).また,職業区分間の上 昇移動と下降移動を見ると,男性の場合,下降移動がやや高まる一方,上昇移動の率はほとん ど変化していないのに対し,女性では,上昇移動が高まる一方,下降移動は低下しており(低 位および上位職員・官吏への移動が大きく働いている),男性より変化が大きい.もっとも, 全体としてはむしろ「驚くほど高度の安定性,変化の乏しさ」こそが主要な結論として確認さ れる(Müller/Pollak 2004 : 86-92.引用は p.92).分析対象となった20世紀最後の第4四半 期において,19世紀の工業化の時期におけるような(絶対的)移動率の大きな変化(上昇)は 遠い過去のものとなっているのである. つぎに相対的移動(循環移動.社会的流動性 social fluidity ともよばれる)について.ミュ ラーらは,データを調査年にしたがって整序した場合(period perspecitive)とデータを出生 年によって分類した場合(cohort perspective)の二つのケースについて,ログリニア・モデ ルによる分析を行っているが,以下では後者についてのみ論じる.図3は,その中心的結論を 示したものであり,1920年生まれから1969年生まれまでのサンプルを10年間隔の出生コーホー トに区分し,ログリニア・モデルによって計算された社会的流動性の変化が unidiff parameter によって男女別に示されている23).パラメーターの値の低下は社会的流動性の上昇を示す.コー ホート分析の場合,同じコーホートに属するサンプルであっても調査年が違えば当然ながらそ の時点での年齢が異なる(たとえば1940年生まれのサンプルは1976年の調査では36歳であ 17 ドイツにおける社会移動の長期的推移と階層構造 −−19/20世紀に関する研究史の総括 −−(山井)
1.30 1.20 1.10 1.00 0.90 0.80 0.70 0.60 0.50 1920−29 1930−39 1940−49 1950−59 1960−69 男 女 り,1986年の調査では46歳である).職業上の地位は年齢によって規定される側面をもつから, 異なる年齢の者をコーホート別に一括すればこうした偏差を無視することになりかねない.そ こでミュラーらは,各コーホートのサンプルをさらに27−39,40−49,50−59歳の三つの年齢グ ループに分けた上で,それぞれについて上と同じ分析を行っている24).煩雑をさけるため図3 にはその結果を示していないが,年齢グループ別に見ても図のグラフとほぼ同じ動きを示すこ とが確認されている.1971年ミクロ・センサス追加調査を用いたミュラーの研究では,先に述 べたようにサンプルの職業を28∼30歳という早い時点に設定せざるを得なかったが,上の手続 きにより,そうした問題は今回はクリアされている.また,先にもふれたように,コーホート 分析によって,1970年代半ば以降の25年ほどの調査データから,戦前生まれにまで遡るほぼ半 世紀におよぶ世代の社会移動の変化を知ることができる. まず男性の動きを見ると,社会的流動性は第1コーホートから第2コーホートにかけて顕著 に低下した後,以後一貫して高まっている.第1コーホートの社会的流動性の高さは,ここに 属する人々が,第二次大戦および敗戦後の混乱の影響を最も強く受けた世代であることによっ て説明しうる.とくに,東欧等からの難民の場合,余儀なくされた転職(農場相続機会の喪失 を含む)がきわめて高い流動性につながったであろうことは容易に想像される.実際,難民と それ以外との区別が可能な1971年ミクロ・センサス追加調査のデータを同じ方法で分析すると, 前者の社会的流動性は後者に比して格段に高く,後者に限ってみれば,第1コーホートの unidiff parameter の値は第2コーホートよりわずかに高く,また第2コーホートの値はつぎ のコーホートより高い.つまり,西ドイツ域内で生まれたものに限れば,第1コーホートから 一貫して社会的流動性の上昇を確認しうるのである(Müller/Pollak 2004 : 100f.). 女性については,男性に比して unidiff parameter の値が低い,つまり男性より一貫して社 会的流動性の高いことが目につく.また,男性の場合に見られた第1コーホートの特異性は女 性の場合は認められない.農場およびそれ以外の小営業の継承は女性の場合男性より一般に少 図3 出生コーホート別社会的流動性(unidiff parameter) 出所:Müller/Pollak 2004 : 102. 18 『社会システム研究』(第19号)
なく,したがって,上に指摘した戦争の結果としての「強制された移動」の影響が少なかった ことがその理由と考えられる(Müller/Pollak 2004 : 101f.)25). それでは,何が社会的流動性の上昇をもたらしたのか.ミュラーらは,父親の職業(出身階 級),本人現職(到達階級),コーホート,そして教育(学歴)という四つの因子から成るクロ ス表を作成し,さらにエリクソン/ゴールドソープの開発したコアモデル(ドイツ社会の特性 を反映した CoreG)を導入してログリニア・モデル分析を行い,この問いの答えを探ってい る.分析の中身に立ち入ることは断念して結論のみ示せば,社会的流動性上昇の決定的要因は なにより教育機会の不平等の後退に求めうる26).ドイツでは,義務教育の期間が1970年代にそ れ以前の7年から9年に延長された.また,高等教育の領域では専門大学(Fachhochschule) の設立が教育機会不平等の低減に貢献したと考えられる.周知のとおりドイツの教育制度は, 早期における進路の振り分けと,学歴と労働市場との密接な結びつきを特徴とする.学歴と職 業上の地位とのつながりの強さは,学歴を媒介とした階層格差形成の可能性を高める方向にも 作用しうるが,逆にその分,教育機会の不平等の低下は社会的流動性の上昇に強く影響すると 考えられる(Müller/Pollak 2004 : 83, 103-05, 108, 110). 1971年ミクロ・センサス追加調査を用いた先の研究でミュラーは,戦後の20年間に職業の決 定が「より能力主義的ないし資格主義的になった」と述べ,社会の開放性増大の決定的要因が 学歴にある,と論じていた.今回の共著論文でもこの点が確認されたといえる.ただし,「開 放性」増大の程度について,それが「軽微」であったことを強調していたかつての研究に比べ, 社会的流動性上昇の評価はかなり積極的なものに変わっている27).共著論文でデータとして用 いられた ALLBUS 等の調査は初めから社会科学的分析の基礎として設計されたものであり, 社会移動研究の基礎データとしての適合性はより高い.また,上にふれたコアモデルや unidiff parameter など分析ツールの進歩も,社会的流動性の測定精度の上昇をもたらした. 戦後西ドイツにおける社会的流動性が上昇傾向を示した,というミュラーらの分析結果はそ の後,他の研究によっても支持されている28).こうした上昇によって,ドイツの社会的流動性 は他の欧米諸国との差を一定程度縮小した.もっとも差が消滅したわけではなく,ミュラーら 自身,他に比して社会的流動性が低い,というしばしば指摘されるドイツの特質を変えるには 至っていないことを確認している29).さらに,本稿でたびたび指摘した労働者と職員・官吏と の障壁の存在について,彼らによれば,両者間の社会的流動性が上昇した証拠は見あたらない30). 戦後ドイツはより「開かれた社会」に向かって変化した.しかしそれは,このような限界のな かのものだったのである.
おわりに
19/20世紀のドイツにおける社会移動はどのように推移したか.日本との比較をまじえなが 19 ドイツにおける社会移動の長期的推移と階層構造 −−19/20世紀に関する研究史の総括 −−(山井)らこれまで見てきたところをまとめておこう. まず絶対的移動(粗移動率)のレベルでみると,19世紀の工業化の過程における移動率の顕 著な上昇は,20世紀に入ると見られなくなる.これに対して日本の場合,1960年代半ばにいた るまで絶対的移動率が急激に上昇し,その後上昇のカーブをゆるめた後,1975年以降ほぼ安定 状態に入った,と指摘されている.1950年代から60年代にかけての農業部門の急激な縮小,ブ ルーカラーおよびホワイトカラー層の急拡大がこうした変化をもたらす主因だった(石田 2000 : 238f.).実際,就業人口中の農業従事者の比率は,日本の場合,1950年時点でなお48.5% と高い水準にあったが,1970年には20%弱に落ち込んでいる.一方,ドイツでは,すでに1950 年時点で農業人口の比率は25%弱であり,1970年には8.5%にまで低下している.ドイツの農 業人口が1950年時点の日本とほぼ同じ水準にあったのは1880年代初めである31).農業社会から 工業社会への転換は,ドイツでは日本よりはるかに早く訪れている.「遅く始まり,しかし急 速に進んだ工業化」(Ishida 2001 : 587)という日本の工業化のプロセスが社会移動における 彼我の相違の基礎にあった,と見ることができる. つぎに相対的移動(循環移動)について.シューレンが指摘するように構造移動率と循環移 動率は密接に関連しており,高い構造移動率は高い循環移動率に基本的に対応すると考えられ る.たとえば日本については,絶対的移動率と同じく相対的移動率も60年代半ばまで幾分上昇 した後,その後はほとんど変化が見られなくなる,と指摘されている.もっとも,絶対的移動 率の顕著な上昇と比べれば,60年代までの変化もさほど明確なものとはいえない(石田 2000 : 242-44).ドイツの場合,ミュラーらの研究が示すように,相対的移動率は戦後ある程度上昇 したと考えられるが,しかしそれは,他の欧米諸国に比して社会的流動性が低い,というドイ ツの国際的位置を変えるまでには至っていない.絶対的移動率,相対的移動率ともにほぼ安定 的に推移するというのは欧米諸国に基本的に共通する傾向であり,1960年代にいたるまで絶対 的移動率の顕著な上昇が見られた日本は,この点で欧米諸国と異なっている(Ishida 2001 : 600).いずれにせよ,少なくとも欧米諸国においては,19世紀におけるほどの社会移動のダ イナミックな展開を20世紀は示さなくなった. 19世紀と20世紀の相違は,社会移動にとって教育がはたす役割についても指摘しうる.19世 紀ドイツの社会移動に関するある研究によれば,教育が社会移動に与える影響はこの時期わず かでしかなかった.人口の圧倒的多数は初等教育しか受けておらず,「学校教育は,20世紀後 半におけるほど各自の地位決定に大きな役割をはたしてはいなかった」のである(Lundgreen/ Kraul/Ditt 1988 : 165f., 174).一方,本稿で紹介したミュラーの研究が示すように,教育こ そは,第二次大戦後の社会的流動性の変動を左右する最も決定的な要因であった. ミュラーは,教育機会の不平等の低下が社会的流動性の上昇につながった,と論じているの であるが,しかし同時に,ドイツの教育制度の特質がこの国の社会的流動性を低位なものとす る重要な要因を成す,というしばしばなされる指摘も確認している.彼によれば,とくに1950 20 『社会システム研究』(第19号)