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台裔作家が描く台湾表象 ‐陳舜臣・東山彰良を中心に‐

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(1)台裔作家が描く台湾表象 ‐陳舜臣・東山彰良を中心に‐. 台裔作家的台灣書寫 ‐以陳舜臣、東山彰良為中心‐. 垂水千恵 キーワード:台裔作家、台湾表象、直木賞、ミステリー小説、トリック 外国語キーワード:台裔作家、台湾書寫、直木賞、推理小説、trick. 要旨 2015 年 7 月、東山彰良が『流』によって第 153 回直木賞を受賞したことは、邱永漢、陳 舜臣に続く三人目の台湾出身者の直木賞受賞として、台湾でも大きな話題となった。本 稿はこれら三人の作家のうち、特に「ミステリー」作家という観点から陳舜臣と東山の 類似性に着目し、「台裔」という身分が彼等のエクリチュールにどのように反映してい るのか、という問題を、台湾表象に注目して論じるものである。 中国語要旨 2015 年 7 月、臺灣出身的東山彰良(王震緒)以作品《流》獲得第 153 屆直木賞一事、在 臺灣所掀起的熱潮。東山是繼邱永漢、陳舜臣之後,第三位得到直木賞的台灣人。本論文 將從這三位直木賞得獎作家中,以「推理小說」作家的觀點,聚焦於陳舜臣和東山彰良的 相似性,進而探討「台裔」之身份如何反應在他們的作品上的臺灣書寫。. 20.

(2) 1.. はじめに1 2015 年 7 月、東山彰良が『流』によって第 153 回直木賞を受賞した。選考委員北方謙三. の「二十年に一度の傑作!」という謳い文句といっしょに、 『流』フィーバーが沸き起こり、 新聞各紙には大きな広告が掲載され、インターネット上にも多くの記事があふれた2。 手元にある 2015 年 5 月 12 日第一刷発行の帯文の文句を借りて内容を紹介すると、 『流』 は「1975 年、偉大なる総統の死の直後、愛すべき祖父は何者かに殺された。無軌道に生き るわたしには、まだその意味はわからなかった。大陸から台湾、そして日本へ。歴史に刻. 1. 本稿は 2016 年 5 月 25,26 日に台北で開催された国立東華大学華文文学系主催「第七 屆「文學傳播與接受」國際學術研討會」における報告論文、垂水千恵「台裔作家的台 灣/中國書寫――以陳舜臣、東山彰良為中心」の日本語原稿に加筆訂正を加えたもの である。主催の国立東華大学華文文学系の関係者及び、コメンテーターの林淇瀁(向 陽)台北教育大学教授にこの場を借りて謝意を表する。なお、日本においては海外中 国系人(Overseas Chinese)の呼称として華僑、華人という呼び方が比較的定着して いる。濱下武志は「「華僑」とは移民元の国籍を有しているものであり、「華人」は移 民先に生まれた第二世代として、より現地化しており、現地に強い帰属意識を持つ世 代である。そして「華裔」とは、第二世代の華人を前提として、そこからさらに移民・ 移動を企てる人々である」 『華僑・華人と中華網―移民・交易・送金ネットワークの構 造と展開』岩波書店、2013、p.ⅴと定義している。一方で台湾において在外同胞を所 管する中華民国僑務委員会は「海外華人及臺僑」という呼称を併用した上で、華人に ついては特に説明していないものの、台僑に対しては「海外台僑とは台湾からの移民 およびその子孫である(臺灣僑民係指從臺灣(即臺澎金馬)移出之僑民及其後代)」とい う. 説. 明. を. 加. え. て. い. る. 。. http://www.ocac.gov.tw/OCAC/Pages/VDetail.aspx?nodeid=33&pid=10 2017 年 3 月 16 日ダウンロード。岡野翔太「華僑・台僑をめぐる歴史的位相―台湾「天 然独」の抬頭に至るまで」陳來幸・北波道子・岡野翔太編『交錯する台湾認識. 見え. 隠れする「国家」と「人びと」』勉誠出版、2016、pp.181-200.が伝えているように僑 務委員会のサポート対象を台僑に限定すべきではないか、という議論が台湾の国会で 行われる等、 「華/台」の区別は政治的イシューとなる可能性をもったものではあるが、 本稿では「台湾出身あるいは台湾を経由して海外に渡った華僑・華人の子弟」という 地理的意味合いに限定して「台裔」という呼称を用いる。 2. 2016 年 3 月 27 日時点で google 日本に「東山彰良・流」とキーワードを入力して検索 をかけると 80,600 件の記事がヒットした。 https://www.google.co.jp/?gfe_rd=cr&ei=PUH3VuqgL6f98weGuYvYDg&gws_rd=ssl#q=%E6 %9D%B1%E5%B1%B1%E5%BD%B0%E8%89%AF%E6%B5%81。. 2016 年 12 月 31 日時点では、169,000 件にヒット数は増えており、その関心が衰えてい ないことを示している。 https://www.google.co.jp/?gfe_rd=cr&ei=YwdnWIjHCqnD8AfexILoCg#q=%E6%9D%B1%E5%B1 %B1%E5%BD%B0%E8%89%AF%E3%83%BB%E6%B5%81 21.

(3) まれた、一家の流浪と決断の軌跡」を描いた物語である。さらに「故郷・台湾を舞台に描 く青春ミステリー。この熱き激流に、立ち向かえるか―!!」という文句も加えられてい る3。ここで「故郷・台湾を舞台に」とあるのは作者東山彰良が台湾生まれであるからであ ろう。もっとも、 『流』の奥付にある作者紹介には「1968 年台湾生まれ。5 歳まで台北で過 ごした後、9 歳の時に日本に移る。福岡県在住。」とあるが、国籍については明言されてい ない。 一方、台湾でもいち早く東山フィーバーが巻き起こった。当時は総統候補者であった現 総統蔡英文までが 2015 年 7 月 16 日付けの自身の facebook で東山の受賞に言及したことは よく知られたエピソードである4。以下冒頭の一部を引用しておこう。 日本文壇盛事「直木賞」在昨天晚上揭曉,欣聞旅居日本多年,仍持有台灣護照的作家王 震緒(筆名/東山彰良),以描繪台灣時代故事的小說《流》榮獲大獎。這是繼邱永漢先生、 陳舜臣先生之後,第三位得到直木賞的台灣人。 (日本の文壇イベントである「直木賞」が昨晩発表になり、嬉しいことに長年日本に居 住しつつも台湾パスポートを保持している作家王震緒(ペンネーム東山彰良)が、台湾時 代の物語を描いた小説『流』で受賞した。これは邱永漢氏、陳舜臣氏に続く、台湾人とし ては 3 人目の直木賞受賞となる。). 直木賞の選考会が開かれ、受賞者が発表されたのが 7 月 16 日であることを考えると、 非常に早い反応であることがわかる5。さらに、興味深いのは、このコメントの中に、他の 報道との共通する点がはっきりと示されていることである。 筆者が 2016 年 2 月時点で確認 した台湾における代表的なネット報道はこの蔡の記述を含めて 20 本であるが、それらの報 道の大きな特徴はまず「作家王震緒(筆名/東山彰良)」と言う風に必ず東山の中国語名が 先に紹介されることである6。少なくとも日本での受賞直後の報道においては東山の中国語 名は発表されていない上、台湾生れであるとはされているものの、国籍については明言さ れていないことは前述の通りである 7。もっとも国籍については台湾の報道も前述の蔡の. 3. 東山彰良『流』東京:講談社、2015 年 5 月 12 日第一刷発行. 4. https://www.facebook.com/tsaiingwen/photos/a.390960786064.163647.46251501064 /10152805696241065/?type=1&theater. 2016 年 3 月 26 日ダウンロード。. 5. 『朝日新聞デジタルニュース』 http://www.asahi.com/articles/photo/AS20150716005350.htm. に拠れば発表は 7 月 16 日 19 時 55 分である。2016 年 4 月 2 日ダウンロード。 6. 検索においては政治大学台湾文学研究所の呉宗祐同学の協力を得た。記して謝意とする。. 7. 直木賞受賞後に『朝日新聞』に寄稿した談話でも「68 年、台湾生まれ」とあるだけで 22.

(4) 「仍持有台灣護照的作家(台湾パスポートを保持している作家)」という表現の他、「台 裔作家」 「旅日華裔作家」 「旅日台籍作家」 「台湾旅日作家」 「台籍作家」 「移居日本的台湾籍 作家」など、様々な表現がある。 もう 1 点、蔡のコメントで重要なのは、「這是繼邱永漢先生、陳舜臣先生之後,第三位 得到直木賞的台灣人。(これは邱永漢氏、陳舜臣氏に続く、台湾人としては 3 人目の直木 賞受賞となる)」と東山の前に直木賞を受賞した二人の作家に言及している点である。前 述 19 本の報道のうち、8 本もまたこの点に言及している8。 邱永漢、本名邱炳南(1924~2012)は 1924 年台南において、台湾人の父・邱清海と日 本人の母・堤八重の間に生れている。香港在住を経て、1954 年から日本に移住、1956 年に 「香港」で第 34 回直木賞を受賞している9。受賞作「香港」をはじめとする邱の初期作品 は二二八事件以降国民党の弾圧を避け香港や日本に亡命した本省人を主人公としたもので ある。一方、 『流』は国共内戦およびその後の国民党の台湾撤退を背景とした外省人一家の 物語であり、省籍および政治的ポジションの違いはあるが、中台近代史を背景にスケール の大きな物語を日本語で紡ぎ出した、という意味で両者の共通点は多い。 『流』の冒頭は排 便シーンから始まるが、邱作品の底流に流れる亡命者とならざるを得ない旧植民地人の悲 哀を文字通り「糞ったれ」と吹き飛ばし、敢えて越境の痛快さだけを引き受けたのが『流』 とも言える。 もう一人の直木賞受賞者、陳舜臣(1924~2015)は 1924 年神戸において台湾出身で貿 易会社「泰安公司」を経営する父・陳通と母・蘇嬌の間に生れている。自伝『道半ば』の 記述に拠れば、「我が家は全部日本に居を移していて、台湾にいるのは父の従兄弟が最も 国籍および本名については明確にしていない。羽田圭介・東山彰良「寄稿. 『芥川賞・. 直木賞に決まって』」『朝日新聞』2015 年 7 月 22 日、朝刊 34 面。何故、本名ではなく日 本名で作家活動を開始したか、という点に関して、東山は「我一開始並没有將自己家族 的淵源小說化的打算,而是想寫像美國小說家埃爾莫爾・倫納德(Elmore John Leonard Jr.)那種好萊塢式的小說。在日本要以這種小說來一決勝負的話,比起用中國名不如取個 日本名,讓讀者們比較不帶偏見、不知道我是臺灣出身,而以為我是日本人。如此一來, 我才能真正公平地進行角逐。」とインタビューで答えている。蔡雨杉/採訪・翻訳「越 界共感放眼世界的作家」『聯合文学』371 号、2015.9、pp.104—111.また蔡雨杉こと謝惠 貞はその後『流』で使用された中国語・台湾語の語彙に着目した論文「互相註解、補完 的異語世界―論東山彰良『流』 中的文化翻訳」 『台湾文學學報』 第 29 期 2016.12、pp.111-146. を発表した。 8. 前掲『聯合文学』371 号ではいち早く東山彰良特集を組んでおり、そこに所収の阮斐. 娜「日本台籍作家文学創作略談」でも邱炳南、陳舜臣について触れられている。pp.120- 123.日本では文芸誌『新潮』における書評で筆者がこの点について論じた。垂水千恵「第 三個拿到直木賞的台湾人』『新潮』112(10)号、2015.10、pp.236—237. 9. 邱永漢『わが青春の台湾. わが青春の香港』東京:中央公論社、1994 23.

(5) 近い親戚である。その親戚の住んでいるのは、台北に近い新荘というまちのはずれだった」 「小学校に上がる前に、私は二度か三度台湾に帰省したようである」とあるが、1946 年 3 月から 1949 年 10 月までの約 3 年半の台湾滞在を除くと、そのほとんどを神戸で過ごして いる10。台湾出身の両親を持ちつつも少年期を日本で過ごしたという点では邱以上に東山 と生い立ちが似ている。東山の紹介には「仍持有台灣護照的作家」「台裔作家」 「旅日華裔 作家」「旅日台籍作家」など多くの形容が使われていることは前述したが、「台裔作家」と 呼ぶに最もふさわしいのは陳であろう。 さらに、陳が『青玉獅子香炉』で第 60 回直木賞を受賞したのは 1969 年であるが、1961 年に長編推理小説 『枯草の根』で推理作家への登竜門として知られている江戸川乱歩賞を、 また 1970 年には『玉嶺ふたたび』『孔雀の道』で日本推理作家協会賞を受賞するなど、推 理作家としてキャリアを開始した。この点でも 2002 年に「タード・オンザ・ラン」で第1 回『このミステリーがすごい!』大賞銀賞・読者賞を受賞し、2003 年にそれを改作した『逃 特に TURN ON THE RUN』で作家デビューした東山と重なる点が多い11。. 亡作法. 本稿ではこれら三人の直木賞受賞作家のうち、特に「ミステリー」作家という観点から 陳舜臣と東山の類似性に着目し、 「台裔」という身分が彼等のエクリチュールにどのように 反映しているのか、という問題を論じたい。. 2. 東山彰良『流』におけるトリック さて、前述のように単行本『流』の帯文には「故郷・台湾を舞台に描く青春ミステリー」 と言う言葉があり、もともとこの作品はミステリーとしてのジャンルを意識されていたこ とがわかる。堀啓子は『日本ミステリー小説史』において、「ミステリーは一般に、『謎 を論理によって解明する操作をおもな筋とする小説』と定義される。それに、さらに犯罪 マ. マ. やその操作を取り扱ったもの、という要素が加味されることもある。だが広義では、論理 的操作以外にスリルやサスペンスを含んだものや、探偵が登場するもの全般も意味し、怪 奇、幻想小説や、スリラー、冒険、スパイ小説なども含むこともある」と説明している12。 10. 陳舜臣『道半ば』東京:集英社、2003.引用部分は pp.11-12.. 11. 『流』以前の東山作品について論じたものには和泉司「探求東山彰良的世界」前掲『連 合文学』371 号、pp.100-103.がある。. 12. 堀啓子『日本ミステリー小説史』東京:中央公論新社、2014、p.3.また新保博久は『日. 本ミステリー事典』の冒頭において「日本のミステリーについての情報を網羅した偉業 としては、すでに中島河太郎氏の『日本推理小説辞典』がある。」「(項目の選定におい ては)評論家や、推理ファンにも親しまれているホラー作家なども含めたが、SF作家 については積極的に推理・冒険小説を手がけている一部作家を除き、ミステリーとの境 界が不分明だった時期に活動を開始した、いわゆるSF第一世代作家に限定した」と述 べており、ミステリー小説の核が「推理」にあることがわかる。権田萬治・新保博久監 24.

(6) 「謎を論理によって解明する操作をおもな筋とする小説」として見るなら、確かに「1975 年、偉大なる総統の死の直後、愛すべき祖父は何者かに殺された。」 、その犯人誰か、とい う謎解きが物語の骨子となっている『流』はミステリー小説と言えるだろう。ただ、 『流』 の特徴はその謎が解かれるのは 1984 年、1975 年当時 17 歳だった主人公が成人した後のこ とであり、それまでの 10 年間は謎解きとはほぼ無縁(と思われる)主人公の青春成長物語 とその背景としての 70~80 年代の中台関係を含む台湾社会が中心的に描かれている、 と言 う点である。 もっともこうした台湾/中国表象が『流』への高い評価に繋がっていることは、直木賞 選考委員北方謙三の「欠点の付けようがない青春小説」「 (『流』の魅力は)血でしょうね。 台湾からきた血、大陸的な血。この小説を読めば台湾というものがよく分かる」と言う言 葉に端的に表れている13。また、文芸誌『すばる』において「日本語小説の場所としての 「台湾」」というリービ英雄と東山の対談が企画されたことも、注目に値する。リービは莫 言をも引き合いに出しながら、「『流』の冒頭は大陸から始まるし、最後にまたその山東省 に行きますね。あれらの部分は絶対に必要だということを考えさせられました。現代社会 そのものではなくて、歴史を書いている部分ですから」と発言している14。 この点でも推理作家として出発しながら中国を題材とした歴史小説家として大成した 陳舜臣を彷彿させる東山であるが、本稿では敢えてミステリー作家としてどういうトリッ クを使ったか、ということから二人の共通点および相違点を論じてみたい。 ミステリーの核心が謎解きにあること、また『流』における謎とは、未解決の祖父殺し であることは前述した。ちなみに祖父は中国大陸で「国民党に加担して共産主義者を殺」 (p.20)し、「ころがる石のように敗走する国民党に合流して台湾へと渡っ」た後、「迪化 街で布屋を営」 (p.22)していた人物と設定されている。ではその犯人とは誰なのか。犯人 はどういう動機で祖父を殺し、なぜ 10 年もの間その謎は解かれなかったのか。別の言い方 をすれば、犯人はどういうトリックを使って逃げおおせたのか。 結論から言うと、 『流』の祖父・葉尊麟殺害の犯人は尊麟の養子で、主人公秋生の叔父、 宇文である。宇文については祖父の経歴・家族の紹介とともに、主人公秋生の語りのよっ て、まず以下のように登場する。 「祖父は小梅叔母さんの大学進学については、文句も言わ ないかわりに学費もびた一文出さなかった。叔母さんの学費を工面したのは、わたしの父 と宇文叔父さんである。」 (p.23)この一文によって宇文と主人公一家との良好な関係が暗示 修『日本ミステリー事典』新潮社、2000、pp.4-5.. 13. 「選考委員が講評」『朝日新聞』2015 年 7 月 28 日夕刊、3 面。. 14. リービ英雄・東山彰良「日本語小説の場所としての「台湾」 」 『すばる』第 38 巻第 4 号、 2016.3、pp.168-182. 25.

(7) された後、宇文が「祖父の兄弟分の忘れ形見」であって実子ではないため祖母にはいじめ られたこと、しかし祖父は「だれよりも宇文叔父さんを可愛がっていた。腕っぷしが強く、 根っからの反共主義者で、義理人情に厚い宇文叔父さんを若かりし日の自分と重ね合わせ ていることは、 だれの目にも明らかだった」 「宇文叔父さんの船が台湾に帰ってくるたびに、 祖父はいつでも高粱酒で一杯機嫌になって「血はつながってなくとも、わしのほんとうの 息子はおまえだけだ」と吼えた。すると宇文叔父さんが育ての恩を恭しく述べ、祖父は膝 をぴしゃりとたたいていつものキメ台詞を吐く。/『なあに、三人も四人も変わらん、茶 碗が一つ増えるだけのことよ』」(p.24)と祖父と宇文の非常に友好な関係が語られるので ある。 松島征は『物語の迷宮. ミステリーの詩学』において、ロラン・バルトの『S/Z』を引. 用しつつ、作者は読者にたいして「まやかしのメッセージ」を発するものであり、 「とりわ け探偵小説の場合、作者が読者に仕掛ける罠は、叙述のディスクールのレベルに見出され ることが多い」と指摘している15。 『流』は全編「わたし」という秋生の一人称の語りで構 成されており、秋生の知りえない情報を読者が知ることはできないという構造になってい る。この秋生の語りにおいて、作者東山は二つの「まやかしのメッセージ」を発している。 一つは前述のように祖父と宇文の非常に友好な関係であり、もう一つは宇文が「祖父の兄 弟分の忘れ形見」の「根っからの反共主義者」である、という点である。実はここにすで にトリックが仕掛けられているのであるが、作者の「まやかしのメッセージ」に乗せられ た読者は、秋生同様まったく宇文を疑うことがない。秋生および読者が真相に近づけない ことは、戒厳令下の 1975 年の台北に暮らす 17 歳の秋生が、まったく中国大陸と隔絶され ていたこととパラレルな関係にあると言える。 しかし、成長とともに、秋生は真相に近づいていく。それは「鄧小平が改革開放路線を 打ち出し」 (p.314)たことによって、中国との距離が近づき、新たな情報がもたらされる ようになったためである。 『流』における秋生と真相の距離は、台湾と中国の政治的距離と 重なるのである。秋生は中国大陸に残る祖父の親友・馬爺爺から送られてきた写真に、祖 父が一家皆殺しにした漢奸・王克強の子供、として宇文が写っていることに気づく。疑惑 を抱いた秋生は 1984 年、日本経由で中国に渡り、宇文と再会する。そして、宇文が実は王 克強の息子王覚であったこと、王覚は家族の敵討ちのために祖父の親友・許二虎の家族を 皆殺しにした後、 「おまえのじいさんが来たとき、おれ(宇文=王覚)はやつ(本当の許宇. 15. 山路龍天・松島征・原田邦夫『物語の迷宮 (初版は 1996)、引用は松島征「第4章. ミステリーの詩学』東京:東京創元社、2013. 読者への罠-探偵小説のナラトロジー」pp.123. -160. 26.

(8) 文)を肥え壺に沈めて」(p.384)おり、肥え壺に隠れていた許宇文のふりをして秋生の祖 父に助けられたのだった、という真相を知るのである16。 被害者の祖父にもっとも親しいと思われ、全く動機がないと思われた宇文が、実は復讐 という強い動機も持つ王覚であった、という設定は、いわばミステリーの常道である「一 人二役」トリックのバリエーションであると言えるだろう。日本を代表する推理作家・江 戸川乱歩は「類別トリック集成」 (1953)の中で、 「人間入れ替わりのトリック」として「戦 友が金持の戦死者になりすまして、又は難船の生き残りが、素性を知悉した金持の死亡者 になりすまして(中略)入れ替わっておいて重罪を犯すというトリック」を使った作品を クロフツの「ポンスン事件」ほか、9 例紹介しており、ミステリーの手法として非常に独 創的だというわけではない17。ただ、この入れ替わりトリックが興味深いのは、仇と味方 であるだけでなく、その民族的立場も全く逆な二人が入れ替わった、という点である。王 覚の母は日本人であり、父はそのため日本軍の手先となり中国人の村を全滅させた。しか し、そうした漢奸である父に対して王覚は「だけど父さんはまわりに黒狗と呼ばれても、 どんなに蔑まれても、家族を守ることを優先させた。おれはそんな父さんのことが大好き だったよ」 (p.387)と祖父殺害の動機を語っている。 東山は直木賞受賞後のコメントで「人間のアイデンティティというものは、大雑把に言 って三つの層をなしている」として、一番土台となるのが、家族、その上が「地域に対す るアイデンティティ」 、そして一番上層が 「仕事や生き方といった雑多なアイデンティティ」 である、とした上で、 「台湾で生まれ、日本で育ったわたしは、国家や地域に対する執着が 薄い。すなわち、第二の層がはなはだ曖昧なのだ」 「そんなわたしに残されている唯一揺る ぎない場所が、そう、家族なのだ」と述べている18。民族的立場は入れ替わっても、家族 の復讐だけは忘れないという宇文こそは、こうした東山の思考を表象した人物であり、 「人. 16. ミステリーには必須のラストシーンにおける真相の解明は秋生と宇文の対話の形で進 められる。正直言うと、推理的にはご都合主義的な詰めの甘さが残るのだが、そうし た疑問は秋生と宇文の感情ほとばしる対話の中でかき消されてしまう。この点はまさ に前述の帯文句にあるように『流』が「青春」ミステリーたるゆえんかもしれない。. 17. 江戸川乱歩は 821 の推理小説におけるトリックを 9 つに大別した後、さらに細分して いる。 「人間入れ替わりのトリック」は「第一. 犯人(又は被害者)の人間に関するト. リック」の中の 8 種類の「一人二役」の分類のさらに 4 つの下位分類の一つ(甲のロ) である。また、宇文のアリバイ作りには船乗りであるという彼の職業を利用した、 「犯 行の時に現場にいることが時間的に不可能だったという情況を拵えてアリバイを作る」 「第二. 犯行の時間に関するトリック」の一つである「乗物による時間トリック」が. 使われている。江戸川乱歩「 「類別トリック集成」 『江戸川乱歩全集. 第 27 巻. 続・幻. 影城』東京:光文社、2015(初版 2004)、pp.158-243.初出は『宝石』1953 年 9,10 月号。 18. 前掲「寄稿. 『芥川賞・直木賞に決まって』」 27.

(9) 間入れ替わりのトリック」を作品の根底に据えたところに、中国/台湾/日本と輻輳する アイデンティティを生きる、東山の本質が垣間見えていると言えるだろう。. 3. 陳舜臣『枯草の根』におけるトリック では、元祖台裔作家とも言える陳舜臣の場合はどうであろうか?全 27 巻の『陳舜臣全 集』を刊行するほど多作な陳の思考の軌跡を全て追うことは、不可能である。従って本稿 では陳のデビュー作であり江戸川乱歩賞受賞作である長編推理小説『枯草の根』 (1961)に おけるトリックについて分析する。 『枯草の根』は神戸の街を舞台に、料理店「桃源亭」の店主陶展文が高利貸し徐銘義殺 しの犯人を突き止めていく物語で、重要な登場人物は、シンガポールの大富豪の席有仁、 上海出身の元銀行家の李源良、アメリカ華僑のマーク・顧、李喬玉夫妻とそのほとんどが 華人である。しかし、不思議なことに台湾出身の台裔は登場しない19。この後も陳舜臣作 品でおなじみの名探偵となる陶展文については「華僑には珍しい陝西の産で、官吏をして いた父の任地福建で育った。若いころ日本に留学して法律を学んだ。高等学校も大学も東 京だったので、標準語は達者である。数年間帰国したが、どういうわけかまた日本にやっ てきた。政治運動に深入りして、それにいや気がさしたのだ、と憶測する人もいる。とに かく、二十数年間、彼はなんとなく日本に居ついてしまい、日本の女性と結婚した」 (p.27) と説明されている20。陳舜臣の台湾表象の問題は次章に譲るとして、まず本章では『枯草 の根』における犯人およびそのトリックについて論じることとする。 結論から言うと、徐銘義殺しの犯人は上海出身の元銀行家である李源良である。実は彼 は本物の李源良の死後、李に成りすましていた元秘書の李東昌であった。そのため、自分 の本性を知っている旧知の徐銘義の口を封じる必要があった、というのが殺人の動機であ る。つまり、 『枯草の根』で使われたのは『流』と同じく、 「一人二役」トリックの一つ「人 間入れ替わりのトリック」なのである。さらに、李は徐銘義殺害後、マスクや赤いジャン バーなどで徐に変装し、後ろ姿だけを目撃者にみせて、犯行時間をごまかす、というトリ ックによってアリバイを作っており、動機・アリバイの両面ともに「一人二役」トリック が使われている点は着目すべきであろう21。. 19. 次作『三色の家』(1962)にも登場する陶展文の友人で、いわばワトソン役である朱漢 生が台湾を経由した福建出身者かもしれない。が、少なくとも『枯草の根』では貿易 商「安記公司」の経営者としか明かされていない。. 20. 引用に際しては陳舜臣『枯草の根. 陳舜臣推理小説ベストコレクション』東京:集英. 社、2009 を使用した。 21. 江戸川乱歩はこのトリックを「一人二役」トリックの中でも「被害者を殺したあとで 28.

(10) また、自殺した李源良が陶展文宛に出した「告白書」および、それに続く陶展文と関係 者の会話という二種類のエクリチュールにおいて真相が読者に開示される点も『枯草の根』 がミステリーの名作と言われる所以と思われる22。特に二章 37 ページにも及ぶ「告白書」 は、 入れ替わりを選択せざるを得なかった李源良の心理を縷々と語って圧巻である。以下、 引用しつつ、入れ替わりの動機について詳しく見てみよう。 李東昌は、坊ちゃん育ちで「享楽主義者」である二代目董事長・李源良に代わって戦前 の上海において実質的に興祥隆銀行を経営していた。 「李源良はわたしの仮面なのだ。その 仮面を通じて、私は銀行の独裁者となった」(p.301)というのが二人の関係であり、その 関係は戦後東京に移住した後も続いていた。しかし、李源良が交通事故で死亡した時、李 東昌は「李源良に死なれて、私は全身の力が抜けるのを感じた。なるほど彼はわたしが自 由に操ってきた人形だったかもしれない。しかし、観衆が今まで見てきたのはこの人形な のだ。うしろにかくれた人形使いの顔を、誰がおぼえているだろうか?. 私はこわれた人. 形のまえで、茫然と立ちつくした」 (p.308)。ちょうどその頃、戦前に興祥隆銀行が援助し たシンガポール華人の席有仁の事業が発展し、 「昔の恩人李源良を駐日総代理人に指定」 (p.311)する話が進んでいた。「私は人形使いだったが、人形がこわれてしまったいま、 自ら新しい人形となってはいけないのだろうか?」 「これまで人びとが李源良のものだと思 っていたものは、ことごとく私のものだったのだから。乗っ取りではなく、収復なのだ」 (p.310)と考えた李東昌は、 李源良に成り代わることを決意し、神戸に移住するのである。 ところが、あいにく旧知の徐銘義に再会し、席有仁への紹介をせがまれたため、仕方なく 殺害した、というのが事の真相であった。 推理作家土屋隆夫は『推理小説作法』において、 「一人の作家を研究しようと思ったら、 まず、彼の処女作を読まなければならない。そこには、彼を知るための重要な手がかりが ひそんでいるからだ」 (p.39)とした上で、 キーティングや木々高太郎の言葉を引用しつつ、 推理小説が芸術性を持つためには「トリックも、犯罪も、それぞれの人物にふさわしい方. 犯人自身が被害者に化けて、まだ生きていたと見せてアリバイを作る」例(乙のイ) として「人間入れ替わりのトリック」 (甲のロ)とは分別している。前掲江戸川乱歩「「類 別トリック集成」、p.170. 22. 新保博久によると『枯草の根』は 1975 年「決定版・推理小説ベスト 20≪日本編≫」で 19 位、1985 年「日本ミステリー・ベスト 100」では 50 位に入るなど、「安定して高い 評価を得てきた」。また、1961 年の乱歩賞受賞に当たっては、江戸川乱歩の「これとい う欠点がなく、長所だけが心に残った。 (中略)純本格もので、トリックもよく考えて あるし、そのトリックを見破る手掛かりに面白い着想が使われている」と激賞を得て、 全員一致で選ばれたという。新保博久「解説」陳舜臣『枯草の根 ストコレクション』東京:集英社、2009、pp.461-468. 29. 陳舜臣推理小説ベ.

(11) 法」 (p.71)である必要を強調している23。 「私は人形使いだったが、人形がこわれてしま ったいま、自ら新しい人形となってはいけないのだろうか?」 「これまで人びとが李源良の ものだと思っていたものは、ことごとく私のものだったのだから。乗っ取りではなく、収 復なのだ」 (p.310)と言う李東昌の「告白書」には「入れ替わり」の哲学がある。さらに、 それを決定的にするのは『枯草の根』というタイトルである。これはもし自分が李東昌を 悼む「祭文」を作るなら『枯草の根』という題で、 「地中深く張り、まわりの土壌とすっか りなじんだ強靭な根が、にわかに草を失ってしまった。これまで人びとは、土のうえの草 しかみていない。根はなおも、いやこれからもっと強く生きつづけようとするのに」 (p.345) という内容にするだろう、という陶展文の内面独白に由来しているのだが、ここには存在 の不安を抱えつつ生きざるをえなかった根=李東昌への深い共感が込められている。と同 時に、 「まわりの土壌とすっかりなじんだ強靭な根」が身分を変えてでも生き続けることへ の肯定の哲学が示されている点において、芸術性を備えた推理小説として、その後の陳舜 臣の飛躍を予想させる処女作であると言えるだろう24。. 4.. 陳舜臣作品における台湾表象 さて、前章では陳舜臣がデビュー作『枯草の根』で、東山彰良『流』と同じ「一人二役」. トリックの一つ「人間入れ替わりのトリック」を使ったことについて指摘した。東山が『枯 草の根』を読んでいたかどうかはさておき、これは二人が作家として何らかの根本的な類 似性を有していることを示唆していると思われる。それは中国から台湾へ、そして日本へ と言う、世代を跨る移動の中で培われた「台裔」としての感覚—言わば、アイデンティティ の絶対性への懐疑—と無関係ではあるまい。人は入れ替わり得るものなのだ、という感覚が、 デビュー作において(無意識のうちに?)800 を超えるトリックの中から、 「人間入れ替わ りのトリック」をこの二人の台裔作家に選ばせたのではないだろうか。 しかし、前述のように陳舜臣は『枯草の根』では全く台湾に言及していない。そこで、 『枯草の根』の翌年である 1962 年に発表された『怒りの菩薩』を取り上げることで、「台 裔」という身分が陳のエクリチュールにどのように反映しているのか、という問題を論じ た後、東山との相違点について考察することとする。 『怒りの菩薩』は 1962 年 12 月に桃源社から刊行された書き下ろし長編作品であり、陳 23. 土屋隆夫『推理小説作法』東京:光文社、1992.. 24. 曹志偉は「文学の根差しと文化の融合―陳舜臣の推理小説『枯草の根』について―」 ( 『愛 知淑徳大学論集―コミュニケーション学部・コミュニケーション研究科篇―』第 8 号、 2008、pp.1-11)において「『枯草の根』という作品は陳舜臣の作家としてのすべての可 能性が秘められている作品であると思う」と述べているが、蓋し同感である。 30.

(12) にとっては 4 冊目の著作に当たる25。1985 年に集英社文庫として再刊されているものの、 1986-88 年にかけて講談社から刊行された『陳舜臣全集』全 27 巻には収録されていない。 その事情について詳細はわからないが、松本清張は『影は崩れた』 (1966)の「解説」にお いて「神戸ばかりを舞台にしていた作者として、台湾にふさわしい謎は是非書きたかった ものだろうが、これを読んだ観音村出身の留学生から、 「拝啓陳舜臣殿」という七十枚の詰 問状が舞いこんだ。作者の政治意識を弾劾したものだったそうだが、お陰で氏は、エンタ ーテイメントの作品には台湾を使うまいと決心した由である」と述べている26。確かに台 湾を舞台としたミステリーは『怒りの菩薩』しかないだけに、陳の台湾表象を考察する上 では抜かすことのできない重要な作品であると言える27。まずは簡単に内容を紹介してお こう。 主人公の「私」(楊輝銘)は終戦後、新婚の妻の林彩琴とともに台湾に帰国する。大稲 埕の実家に滞在した後、妻の実家である「菩薩庄」へ里帰りした際に、日本人将校殺害事 件の調査に来た「中国軍」 (p.46)の「警備司令部の軍人」である崔上校と葉中校と知り合 う。 「訛のある福建語」(p.123)を話す崔上校は「私が気に入った」らしく、二人は明朝、 菩薩山に登ることになる。ところが、二人が戦時中の思い出話に「戦乱の時代を、よくぞ 生きのびてきたという感慨」 (p.132)を分かち合っている時に銃声が響く。殺されたのは その前の日に中国大陸から帰ってきたばかりの妻の兄、林景維だった。 『怒りの菩薩』で使われているアリバイ・トリックは前述の乱歩の類別に従えば「音に よる時間トリック」 「死体及び物の替玉」であり、その動機は「秘密保持」のためである28。 その「秘密」とは戦時中に「重慶でも軍首脳の一人にかぞえられていたが、のちに汪精衛 陣営に寝返った。戦後は、むろん売国奴、つまり「漢奸」として追及を受けた」(p.183). 25. 1962 年に陳は『三色の家』 (講談社、1962.4)、 『弓の部屋』 (東都書店、1962.7)、短編 集『方壺園』 (中央公論社、1962.11) 、 『怒りの菩薩』 (桃源社、1962.12) 、 『割れる』 (早 川書房、1962.12)の四冊を刊行している。なお、本稿では引用に際し、 『怒りの菩薩』 東京:集英社、1985 版を使用した。. 26. 松本清張「解説」『影は崩れた』東京:読売新聞社、1966.pp.323-334.. 27. 伴野朗は文庫本『怒りの菩薩』の「解説」で『虹の舞台』も「陳さんは、台湾を舞台 として、いくつかの小説を書いておられる。現代ものの長篇では、インド独立運動の 志士チャンドラ・ボースの遺宝をめぐる『虹の舞台』がある、と記述しているが、 『虹 の舞台』は終始神戸を舞台としたミステリーであって、台湾は登場しない。伴野朗「解 説」 『虹の舞台』東京:集英社、1985、pp.293-300.なお、管見の及ぶ限りでは独立し た『怒りの菩薩』論は日本では発表されていない。. 28. 前掲江戸川乱歩「類別トリック集成」p.193,p.205 および「探偵小説に描かれた異様な 犯罪動機」 『江戸川乱歩全集. 第 27 巻. 続・幻影城』東京:光文社、2015(初版 2004). pp.109-157.ただし、このトリックは筆者にもすぐわかったほどであり、あまり成功し ているとは言えない。 31.

(13) 陳百文の「投汪」(p.274)に関係した人物が、その秘密を知る共犯者の口を封じることで あった。前述の松本清張は別作『影は崩れた』 (1966)の「解説」でわざわざこの作品を取 り上げ、 「台湾の風物、戦後の台湾の情勢、それを取り巻く人物などは、さすがに生き生き と描かれている。スパイ・スリラー的要素を加味しているが、伏線を丁寧に書きこんだ本 格物であった」と評価している。さらに、松本は菩薩山は「故郷の新荘から見える観音山 がモデル」で、「故郷を舞台としたため、詠嘆が多かったと述懐している」とも述べてい る29。確かに、主人公の「私」には、1946 年 3 月から 1949 年 10 月までの約 3 年半を故郷 の新荘で過ごした陳自身の心境がかなり投影されていると考えていいだろう。 汪精衛陣営に寝返った漢奸、国民党の将校、日本帰りの台湾人留学生、中国大陸で抗日 活動に参加した台湾人、皇民化運動に協力した台湾人有力者、そして引き揚げを待つ日本 軍兵士など、終戦直後の台湾における様々な民族的立場の人物が書き込まれているという 意味でも、 『怒りの菩薩』は非常に興味深い作品である。「観音村出身の留学生」は一体ど ういう立場から「作者の政治意識を弾劾」したのだろうか。 まず、考えられるのは、『怒りの菩薩』の随所に現れる、国民党および外省人に対する 距離感である。まず台湾に帰郷したばかりの「私」には「中国の兵隊」が「見ばえがしな い」 「間のびのした顔つき」(p.27)に映る。また「戦後、大陸から渡ってきた連中は、き わめて評判がわるい。台湾に帰って二日もたたないうちに、私は彼らをののしる「ブタ」 という言葉を、なんべんも耳にした」(p.77)。崔上校と葉中校に対しては最初は好印象を 持ち、 「これが中国人だ。これこそ中国人だ」 (p.78)と「感激」するものの、本音では「印 象は悪くないのだが、なんとなく気が許せないのである。われわれが胸襟をひらいて語り あえるのは、結局、環境や生活様式を同じくする人たちだけではないだろうか?」 (p.192) と考えている。やがては「植民地的な統治に、われわれ台湾人がどんなに抵抗を感じるか、 蒋介石は知らんのでしょうな?」(p.260)と国民党政府に対する批判をはっきりと口にす る。しかも、結局林景維の犯人は崔上校であり、もし、その手紙を書いた留学生が国民党 寄りの人物であれば、確かに「作者の政治意識を弾劾」したくなるかもしれない。が、逆 に「観音村出身」の非常に本土意識の強い「留学生」であれば、日本帰りの「私」と国民 党の軍人が「戦乱の時代を、よくぞ生きのびてきたという感慨」(p.132)を分かち合い、 「これが中国人だ。これこそ中国人だ」 (p.78)と感激する、という設定に腹を立てたのか もしれない。 実際、この「私」の語りには一貫性がなく、その設定も成功しているとは言いがたい。 「戦乱の時代を、よくぞ生きのびてきたという感慨が、二人のあいだに共通している。相. 29. 前掲松本清張「解説」 。松本が触れている陳の談話が、何かからの引用なのか、それと も直接陳から聞いた話しなのかは、残念ながら現在のところ未詳である。今後の調査 としたい。 32.

(14) 似た経験をもつ者同士は、強い共感と親しみを、互いに抱くことができるらしい」 (p.132) などという「ひとの話を信じやすい純な青年」 (p.283)であるため、崔上校のアリバイ作 りに利用される人物と設定されていながら、その後では特に理由もなく「中国の版図に復 した台湾人は、新しい不幸を背負った」 「(外省人とのつきあいは)まことにわずらわしい ことである。ことに、疲れているときなど、彼らの相手をする気にはなれない」(p.193) などと逆の感想を漏らしたりもしている。つまり、 「私」の語りには設定をはみ出して、作 者陳舜臣の本音が現れた、と思われる部分が多い。まさに松本が伝えているように「故郷 を舞台としたため、詠嘆が多かった」のであり、そのことを陳自身も自覚し、失敗作とし て全集には収録しなかったのかもしれない30。. 5.. まとめ 以上、「台裔作家」東山彰良と陳舜臣が、ミステリー作品において台湾を如何に描いて. いるか、という問題について論じてきた。真相への距離が台湾と中国の政治的距離と重な られている東山『流』に対し、陳の場合は、台湾表象において忌避や混乱が見られる、と いう違いがある。それはこの両者が同じ「台裔作家」といえど、1987 年の戒厳令解除をは さんだ全く異なる時代を生きてきたことによるものである。 一方、両者には「一人二役」トリックの一つ「人間入れ替わりのトリック」を使用する、 という共通点を持っている。もっとも、このトリックに関しても、 『流』では国民党兵の父 を持つ少年と、日本人・中国人の混血で、漢奸の父を持つ少年が入れ替わる、という風に、 民族的立場の逆転が重ねられているが、陳の『枯草の根』の場合は、同じ上海人同士の入 れ替わりであり、トリックそのものに民族的立場の問題は重ねられていない。ただ、 「人間 入れ替わり」を単にトリックとしてだけではなく、存在の不安と生の肯定という文学的深 さにまで高めた点では、『枯草の根』に軍配が上がるだろう。 陳舜臣は、 「変わりつつある推理小説」という一文の中で、「めぼしいトリックが出尽く. 30. ちなみに陳舜臣の作品の多くは中国語訳されており、特に台湾の遠流出版からは 1996 ~99 年にかけて全 13 冊の『陳舜臣作品集』が刊行されている。しかし、その中にも『怒 りの菩薩』は収録されておらず、2016 年 5 月 25,26 日開催の「第七屆「文學傳播與接 受」國際學術研討會」のために本稿を構想した段階では翻訳は刊行されていなかった。 ところが偶然にも学会当日の 2016 年 5 月 25 日付けで游撃文化から「大時代下的陳舜 臣三部曲」の一冊として游若琪訳『憤怒的菩薩』が刊行された。同書には路那による 「 【解説】菩薩為何憤怒」が収録されており、表題にある「菩薩」とは「台湾人的化身」 である、という見解を示している。但し、なぜ 2016 年まで『怒りの菩薩』の翻訳が刊 行されなかったか、という点については言及されていない。 33.

(15) した」今、 「これからの推理小説は、これ以上は譲れないという核のまわりに、どれほどゆ たかな新しい肉をつけるか、どんなふうにうまくつけられるかという、課題に取り組まね ばならない」、 「機械の体質」を持つ推理小説を「ふつうの小説」の持つ「生物的体質」に 変えることが志向されるべきだ、と主張している。さらに興味深いことは、 「ふつうの小説 では、登場人物のからみ合いで、そこからプロットが分泌される」のに対して、 「結末がき まっているという、宿命的な構造をもっている」推理小説では、 「人物がプロットのための 道具となり、将棋の駒のようにうごかされ、プロット次第では、前半と後半とで主人公の 性格が変わっているようなことさえある」と述べている31。これはまさに『怒りの菩薩』 のケースであろう。 陳は、台湾を題材としては『枯草の根』の水準を維持したミステリーを描くことはでき なかった。だが、それは決して陳が神戸育ちで、台湾を知らなかったからではない。むし ろ事情は逆であって、自伝『道半ば』に詳述されているように、20 代前半の 1946 年 3 月 から 1949 年 10 月までを故郷新荘で過ごし、自ら二二八を含む戦後台湾の激変を体験した からである32。さらに何既明、李登輝を含む 5 人の仲間で「啓蒙運動」のために「台湾の 『岩波』」をめざした書店設立に動いたことすらあったと言う33。この台湾体験を作品化 するのにふさわしいジャンルは、「生物的体質」を持つ「ふつうの小説」でなければなら なかった。しかし、1987 年まで続いた台湾での戒厳令が影響したのであろうか。陳が「ふ つうの小説」において戦後の台湾を正面から描くことはなく、台湾への思いを封印したま ま、彼の関心は中国歴史小説へと向かっていった。もし 2015 年 1 月に死去した陳舜臣が、 同年 5 月刊行の『流』を読んでいたらどんな感想を持ったのだろうか?. 戒厳令解除以降. の台湾民主化を背景とする東山の闊達さに、深く羨望の吐息を漏らしたのではないだろう か。 ただ、『怒りの菩薩』刊行の約 10 年後、陳は自分は日本人か、中国人か、というアイデ ンティティの不安を抱えた神戸の華僑・関修平を主人公とした歴史小説『残糸の曲』(1971) を発表している34。あまり論じられることのない作品であるが、1961 年「枯草の根」でデ. 31. 陳舜臣「変わりつつある推理小説」 『現代推理体系1. 江戸川乱歩』東京:講談社、1972、. pp.410-413. 32. 笹沼俊暁は「国家を超える学問の力を―陳舜臣ノート―」(『社会文学』42、2015、 pp.25-41)において新荘との行き来をもとに「『残糸の曲』 『桃花流水』 『山河在り』な どの近代東アジアを描いた小説のなかで、陳舜臣は、日本統治時代の台湾のようすを しばしんば描いた。そして、そこで主に登場したのは、日本による植民地統治に憤激 する台湾人たちの姿だった」と指摘している。但し、『怒りの菩薩』への言及はない。. 33. 前掲『道半ば』pp.289-290.. 34. 陳舜臣『残糸の曲(上)(下)』東京:朝日新聞、1971.同作品は『週刊朝日』に 1970 年 1 月 2 日~12 月 25 日まで連載された後、1971 年 4 月に朝日新聞社から刊行された。 34.

(16) ビューして以来、推理小説を中心に執筆してきた陳が中国歴史小説に向う分水嶺に位置す る作品と言える35。 陳はこの自作に対して 「元号が大正から昭和に変わる 1926 年の早春から、 満州事変(1931) や二.二六事件(1936 年)を経て、盧溝橋事件の翌日までを描いています。つまり、昭和 の初めから日中戦争にいたる時代の風を「残糸の曲」では書いたんです。その主人公も、 自分のアイデンティティを求めるというテーマです。自分がはたして日本人なのか、中国 人なのか……。/中国人なのか日本人なのか、どちらともいえる立場の主人公がその時代 を見つめているわけです。それは、私の目でもあったんです」と語っている36。 「中国人なのか日本人なのか」という主人公の修平が「中国人」としてのアイデンティ ティを指向していくことは明らかであるが、一方で、陳は修平が上海で台湾独立運動を行 う実姉と再会し、自らの進む道を決意する、という結末を用意している。陳が東山のよう に正面から戦後台湾を描くことはなかったかもしれない。しかし、 「中国」歴史小説家とし て大成していく軌跡の中にも、台湾は常に彼の「根」として存在していたのである。. 参考文献 江戸川乱歩(2015)『江戸川乱歩全集 邱永漢(1994) 『わが青春の台湾. 第 27 巻. 続・幻影城』東京:光文社. わが青春の香港』東京:中央公論社. 権田萬治・新保博久監修(2000)『日本ミステリー事典』東京:新潮社 陳舜臣(1985) 『怒りの菩薩』東京:集英社 陳舜臣(2003) 『道半ば』東京:集英社 陳舜臣編(2003)『陳舜臣読本 陳舜臣(2009) 『枯草の根. Who is 陳舜臣』東京:集英社. 陳舜臣推理小説ベストコレクション』東京:集英社. 土屋隆夫(1992)『推理小説作法』東京:光文社 東山彰良(2015)『流』東京:講談社 堀啓子(2014) 『日本ミステリー小説史』東京:中央公論新社. 筆者は 2016 年 7 月 24 日にバンコクで開催された留中总会文艺写作学会和皇太后大学孔 子学院主催、 「“ ‘一带一路’与泰国华文文学”国际学术研讨会」において垂水千恵「從 陳舜臣《殘絲曲》看日本華僑文學」と題する報告を行い、1972 年の日中国交回復、日 華断交直前に執筆された同作品の意義について論じた。 35. 陳舜臣編『陳舜臣読本. Who is 陳舜臣』付属の「単行本リスト」に拠れば、1961 年か. ら「残糸の曲」連載開始前の 1970 年末までに 27 冊の単行本を刊行しており、うち 22 冊が推理小説であり、歴史小説は『阿片戦争(上) (中) (下)』 (1967)の三冊のみで ある。 36. 陳舜臣「自作の周辺『桃花流水』」前掲『陳舜臣読本 Who is 陳舜臣』、pp.89-94. 35.

(17) 山路龍天・松島征・原田邦夫(2013) 『物語の迷宮. 36. ミステリーの詩学』東京:東京創元社.

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参照

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