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インターネット上での個人の表現の自由と名誉毀損罪の成否 : グロービート・ジャパン対平和神軍観察会事件にみる相当性判断の相対性

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Ⅰ.はじめに ある者の「名誉」と他の者の「表現の自由」とは、その性質上、衝突が不可避である。それ ぞれが憲法上の重要な「人権」として認められており、両者が衝突した場合の調整に関しては、 民法上で不法行為としての名誉毀損が規定され(同710条、同723条)、刑法上でも名誉毀損罪 が規定されていることを踏まえれば(同230条)、法秩序自体が両者の衝突を予め想定している とも言えよう。 この様な関係上、憲法学においては名誉毀損的表現の保障ないし規制が人権論における重要 問題として従来から多くの関心を集め、古くから民法学や刑法学においても研究がなされてい る1。また、憲法学や刑法学の基本書においても、この点に関するリーディング・ケースとして 「夕刊和歌山時事」事件最高裁判決(最大判昭44年 6 月25日刑集23巻 7 号975頁)がほぼ定着し ている。 当然のことながら、従来の名誉毀損的表現の保障ないし規制の問題は、新聞社等の報道機関 を発信主体とする場合を素材として考察されてきたが、近時におけるインターネットの普及 は、その個人利用者による名誉毀損事案を大量に生み出し、法的問題として顕在化させる2 中でも、「夕刊和歌山時事」事件最高裁判決で提示された「相当性の基準」に関して、インター ネットの個人利用者による名誉毀損事案においても、新聞社等の報道機関と同等の調査水準が 要求されるかという問題は、新規の興味深い法理論的問題であると考える。 近時におけるインターネットの普及は、報道機関に従事する者ではない一般の個人利用者に 1 古いものとしては、小野清一郎『刑事法論集第 2 巻-刑法に於ける名誉の保護』(有斐閣/1934.9)、宗宮信次『名誉 権論』(有斐閣/1939.10)、日本新聞協会編『新聞の責任-名誉棄( マ マ )損を中心として』(岩波書店/1956.4)、大野文雄・矢 野正則・今西勇『名誉・プライバシーの裁判基準-民事・刑事判例実例』(酒井書店/1963.11)、五十嵐清・田宮裕『名 誉とプライバシー 』(有斐閣双書/1968.5)などが挙げられる。 2 同様の観点から判例分析を展開するものとして、和久一彦他「大阪民事実務研究-名誉毀損関係訴訟について-非 マスメディア型事件を中心として-」判例タイムズNo.1223(2007.11)49-92頁が挙げられる。同論文では、民事訴訟 として提起された名誉毀損による不法行為のうちマスメディアの関与しない事件が「非マスメディア型事件」と総称 されており、インターネットによる名誉毀損的表現が非マスメディア型事件に含まれるとされつつも、当該表現行為 の広範性や即時性、大量性等の点ではマスメディア型事件に類似する点があり、非マスメディア型事件の中でも「特 殊な配慮を要するところがある」との指摘がなされているが、本格的な考察からは除外されている(同論文50頁脚注 1 )。

【研究ノート】

インターネット上での個人の表現の自由と

名誉毀損罪の成否

-グロービート・ジャパン対平和神軍観察会事件にみる

相当性判断の相対性-

田 代 正 彦

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も表現の自由(憲法21条 1 項)を行使する場を提供する反面で、インターネット上で他者の名 誉(同13条後段)を毀損する問題表現を従来よりも安易且つ深刻に生じさせており、「夕刊和 歌山時事」事件当時では、およそ想定することができなかった事案を生じさせていると言え、 その法的対応が迫られている。 本稿は、この様な問題意識に基づいて、以下の「グロービート・ジャパン対平和神軍観察会 事件」に着目し、インターネット上での個人の表現の自由と名誉毀損罪の成否に関して考察を 試みるものである。 【対象】 名誉毀損被告事件 平成21年(あ)第360号 最高裁第一小法廷決定平成22年 3 月15日 / 刑集64巻 2 号 1 頁 判例時報2075号160頁 / 判例タイムズ1321号93頁 裁判所website: http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20100317094900.pdf 【上告申立人】被告人X 【被 告 人】被告人X 同弁護人 紀藤正樹ほか  【第  1  審】東京地裁判決平成20年 2 月29日(判例時報2009号151頁 / 判例タイムズ 1277号46頁) 【第  2  審】東京高裁判決平成21年 1 月30日(判例タイムズ1309号91頁 / 東高刑時報 60巻10頁) 判示事項 1  インターネットの個人利用者による名誉毀損と摘示事実を真実と誤信したことについ ての相当の理由 2  インターネットの個人利用者による名誉毀損行為につき、摘示事実を真実と誤信した ことについて相当の理由がないとされた事例 決定要旨 1  インターネットの個人利用者による表現行為の場合においても、他の表現手段を利用 した場合と同様に、行為者が摘示した事実を真実であると誤信したことについて、確実 な資料、根拠に照らして相当の理由があると認められるときに限り、名誉毀損罪は成立 しないものと解するのが相当であって、より緩やかな要件で同罪の成立を否定すべきで はない。 2  インターネットの個人利用者が、摘示した事実を真実であると誤信してした名誉毀損 行為について、その根拠とした資料の中には一方的立場から作成されたにすぎないもの もあることなどの本件事実関係(判文参照)の下においては、上記誤信について、確実 な資料、根拠に照らして相当の理由があるとはいえない。

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Ⅱ.事実の概要 本件は、被告人Xが開設したインターネット上のホームページ内において、フランチャイズ による飲食店の加盟店の募集及び経営指導等を業とする被害会社が、カルト集団である旨の記 載をした文章や、同社が会社説明会の広告に虚偽の記載をしている旨の文章を不特定多数の者 に閲覧させたとして、名誉毀損罪(刑法230条 1 項)に問われた事案である。 刑法第230条(名誉毀損) ①  「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲 役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。」 原審及び原々審が認定した本件の事実概要は、以下の通りである。 グロービート・ジャパン株式会社(平成14年 7 月 1 日に「株式会社花月食品」から商号変更) は、FCによる飲食店「ラーメン花月」の加盟店等の募集及び経営指導等を業とする企業であ り、平成 6 年 6 月 8 日に、Y-1とY-2を代表取締役として設立されている3 日本平和神軍はY-3が主宰している団体で、そのHPによれば、「日本精神の体得と錬磨、そ のために肉体と精神の訓練をおこなう」ことを建軍の目的とし、「日本の中心は天皇であり日本 国は世界の中心である」などという考えをその理念と哲学に掲げた団体とされている4。尚、グ ロービート・ジャパン代表取締役Y-1は、Y-3の長男であり、同じくY-2は、Y-3の娘婿である。 被告人Xは、グロービート・ジャパン株式会社等と法的関係を有する者ではないが、イン ターネット上の掲示板の種々の書き込みを見るなどして、Y-3や日本平和神軍の思想や活動に 興味を抱くに至り、同株式会社の名誉を毀損しようと企て、平成14年10月18日頃から同年11月 12日頃までの間、東京都大田区内の被告人X方において、PCを使用し、インターネットを介 して、プロバイダーから提供されたサーバーのディスクスペースを用いて開設した「平和神軍 観察会-逝き逝きて平和神軍」と題するホHP内のトップページに5、「インチキFC花月粉 砕!」、「貴方が『花月』で食事をすると、飲食代の 4 ~ 5 %がカルト集団の収入になります」 等と、同社がカルト集団である旨の虚偽の内容を記載した文章を掲載し、また、同社の会社説 明会の広告を引用したページにおいて、その下段に「おいおい、まともな企業のふりしてん じゃねえよ。この手の就職情報誌には、給料のサバ読みはよくあることですが、ここまで実態 とかけ離れているのも珍しい。教祖が宗教法人のブローカーをやっていた右翼系カルト『平和 神軍』が母体だということも、FC店を開くときに、自宅を無理矢理担保に入れられるなんて ことも、この広告には全く書かれず、『店が持てる、店長になれる』と調子のいいことばかり」 と、同社が虚偽の広告をしているがごとき内容を記載した文章等を掲載し続け、これらを不特 定多数の者の閲覧可能な状態に置き、もって、公然と事実を摘示してグロービート・ジャパン 3 グロービート・ジャパン株式会社HP: http://www.globeat.jp/ [visited Jan. 15 2019]

4 日本平和神軍HP: http://www.oocities.org/tillamook21/Shingunhome.htm [visited Jan. 15 2019]

5 平和神軍観察会 逝き逝きて平和神軍HP: http://homepage3.nifty.com/kansatsukai/ [visited Sep. 07 2013] (*)2019 年現在は確認できない。

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株式会社の名誉を毀損した(以下「本件表現行為」という)。 Ⅲ.訴訟の経過 弁護人は、被告人Xが本件表現行為に及んだ事実は争わないものの、概ね以下の様な主張を 展開させて、名誉毀損罪の成否を争っている。 即ち、(1-1)起訴自体が差別的で不当であるとして控訴棄却の申立を行いつつ、(1-2)被告 人Xがインターネット上で行った本件表現行為がそもそも刑法230条 1 項所定の名誉毀損罪の 構成要件には該当せず、(1-3)仮に構成要件該当性が認められるとしても、本件表現行為は公 共の利害に関する事実に係り、被告人Xは公益を図る目的で行ったものであるから、摘示した 事実は真実であり、刑法230条の 2 第 1 項が適用され、(1-4)被告人Xが摘示した事実が真実 であるとの証明が十分でないとしても、本件表現行為は、被告人Xが公共の利害に関する事実 について公益目的のもと、確実な資料ないし根拠に基づいて行われたもので、被告人Xが摘示 した事実を真実であると誤信したことには相当性が認められること、(1-5)本件表現行為は社 会的意義を有し、被告人Xが脅迫を受けつつ行われた対抗言論であることなどを考慮すると、 本件表現行為には可罰的違法性が欠如しているといった各主張である。 これらの弁護側の主張のうち、特に重要となるのは(1-3)刑法230条の 2 第 1 項の適用によ る無罪の主張と(1-4)誤信につき相当性が認められるとの主張であるが、周知の通り、名誉 毀損罪に関する以下の特例規定を前提としている。 刑法第230の 2 (公共の利害に関する場合の特例) ①  「前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることに あったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰 しない。」 ②  「前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、 公共の利害に関する事実とみなす。」 ③  「前条第一項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、事実 の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。」 本件の訴訟経過は、概ね以下の通りである。 【第  1  審】東京地裁判決平成20年 2 月29日 原々審は、被告人Xによる本件表現行為が名誉毀損罪の構成要件に該当することを認め、被 告人Xが摘示した事実は、公共の利害に関する事実に係り、その主たる目的は公益を図ること にあったと認められるものの、重要な部分が真実であると証明されたとは言えず、公共の利害 に関する場合の特例である刑法230条の 2 第 1 項は適用されないとした。 その上で、原々審は、「夕刊和歌山時事」事件最高裁判決で示された「行為者がその事実を 真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があ

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るときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しない」という従来の基準によれば、被告 人Xに名誉毀損罪の故意がなかったとは言えないものの、「加害者が、摘示した事実が真実で ないことを知りながら発信したか、あるいは、インターネットの個人利用者に対して要求され る水準を満たす調査を行わず真実かどうか確かめないで発信したといえるときにはじめて同罪 に問擬する」という自ら新たな基準を定立し、被害会社には本件表現行為に対する反論を要求 しても不当とは言えない状況にあり、被告人Xがインターネットの個人利用者に対して要求さ れる程度の情報収集をした上で本件表現行為に及んだものと認められることからすると、名誉 毀損の罪責は問えないとして、被告人Xに対して無罪を言い渡している。 原々審判決では、インターネット上での表現行為の被害会社は、名誉毀損的表現行為を知り 得る状況にあれば、インターネットを利用できる環境と能力がある限り、容易に加害者に対し て反論することができること、マスコミや専門家などがインターネットを使って発信するよう な特別な場合を除くと、個人利用者がインターネット上で発信した情報の信頼性は一般的に低 いものと受け止められていることなどが理由とされており、「夕刊和歌山時事」事件最高裁判 決で提示された従来の基準(所謂「相当性の基準」)に代わる「新たな基準」が定立されたも のであるとの評価がなされ、注目を集めた6 原々審判決に対して、検察官が控訴したが、その論旨は概ね以下の通りである。 即ち、(2-1)被告人Xは主として公益を図る目的で本件表現に及んだとは言えず、原々審判 決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があること、(2-2)原々審が、結論として 被告人Xに対して名誉毀損罪の罪責は問い得ないと判断した点は、刑法230条の 2 第 1 項の解 釈及び適用を誤ったものであり、原々審判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用 の誤りがあるというものである。 これに対して、弁護人は、検察官の論旨につき争うとともに、以下の諸点を主張し、被告人 Xが無罪であると主張した。 即ち、(2-3)本件表現の重要な部分が真実であることは証明されていること、(2-4)仮に証 明不十分であったとしても、被告人Xは本件表現に及ぶに当たり必要な調査義務を尽くしてお り、名誉毀損罪は成立せず、被告人Xは無罪であるとの主張である。 【第  2  審】東京高裁判決平成21年 1 月30日 原審は、被告人Xが本件表現に及んだ主目的が公益を図ることにあったと認定した点(2-1)、 摘示した事実の重要な部分が真実であることの証明があったとは言えないと認定した点(2-3)、 真実性の誤信につき確実な資料、根拠に照らして相当な理由があったとは認められないと認定 6 原々審判決を肯定的に評価した評釈として、園田寿「ネット上の名誉毀損に無罪判決-東京地判平成20年 2 月29日 判時2009号15頁-」法学セミナー 53巻12号(2008.12)41頁、同「インターネット上の名誉毀損」ジュリスト1376号平 成20年度重要判例解説(2009.4)189頁、他方で、その判断に懐疑的なものとして、永井善之「インターネットと名誉・ わいせつ犯罪-東京地裁平成20.2.29判決および盗撮画像公開事案を素材に-」刑事法ジャーナル15号(2009.2)13-14頁、 前田聡「インターネット上での個人の表現行為と名誉毀損罪の成否-いわゆる『平和神軍観察会』事件-」流経法学 9 巻 1 号(2009.8)104-105頁が挙げられる。

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した点(2-4)に関しては、原々審判決の判断がいずれも正当として是認できるとした。 その上で、原審は、刑法230条の 2 第 1 項の解釈及び適用に関して、原々審が「新たな基準」 を定立した点(2-2)については是認することができないとして、原々審判決を破棄し、被告 人Xに対して名誉毀損罪のできる成立を認めて、被告人Xを求刑通り罰金30万円に処してい る。その論理は、以下の様にまとめることができる。 高裁判旨(1)被害者保護に欠け相当でないこと インターネット上の全ての情報を知るのはおよそ不可能であり、自己の名誉を毀損する内容 の表現が存在することを知らない被害者に対しては反論を要求すること自体が不可能である。 また、反論可能な被害者においても、現実に反論をするまでは名誉を毀損する内容の表現がイ ンターネット上に放置された状態が続く。 仮に、被害者が何らかの形で反論を行った場合、その問題表現の存在を知らない第三者に対 しその様な表現が存在することを自ら公表して知らしめることを要求するのに等しく、被害者の 中には更なる社会的評価の低下を恐れてやむなく反論を差し控える者が生じることもあり得る。 被害者の名誉を毀損する内容の表現をするに当たり、加害者が常に自らの身分を特定し得る に足りる事項を明らかにするとは限らず、匿名又はこれに類するものによる表現に対しては、 有効且つ適切な反論を加えることが困難な事態が生じ得る。 また、被害者が反論をしたとしても、被害者の名誉を毀損する内容の表現を閲覧した第三者 がそれに対する反論を閲覧するとは限らないばかりか、その可能性が高いとも言えず、被害者 の反論に対し加害者が再反論を加えることにより、被害者の名誉が一層毀損され、時にはそれ がエスカレートしていくことも容易に予想される。 高裁判旨(2)インターネット上の情報と信頼性 インターネット上の情報の中には信頼性が低いと見られるものが多数存在することは否定で きないが、その様な情報が存在するのはインターネット上に限ったことではない。逆に、イン ターネット上の情報の中にも確実な資料、根拠に基づいた信頼性の高いものも多数存在し、こ のことは個人利用者が発信する情報であっても同様であるから、インターネット上で個人利用 者が発信する情報だからといって必ずしも信頼性が低いとは限らない。 インターネット上の情報を閲覧する者としても、個人利用者の発信する情報は一律に信頼性 が低いという前提で閲覧する訳ではない。また、全体的には信頼性が低いものと受け止められ る情報であっても、閲覧する者としては全く根も葉もない情報であると認識するとは限らず、 むしろ幾分かの真実が含まれているのではないかと考えるのが通常である7 7 原審判決を肯定的に評価した評釈として、進士英寛「インターネットを用いた表現行為と名誉毀損罪の成否に関す る東京高判平成21・ 1 ・30の意義」NBL915号(2009.10)60-61頁、緒方あゆみ「インターネット上の名誉毀損」同志 社法学61巻 6 号(2010.1)160-164頁、佐藤結美「インターネット上の名誉毀損行為における真実性の誤信」北大法学 論集61巻 1 号(2010.5)328-337頁、他方で、主任弁護人による評釈として、紀藤正樹「ネット書き込みで名誉棄( マ マ )損は 成立するのか」法学セミナー 54巻 7 号(2009.7) 6 - 7 頁、原々審の新たな基準につき独逸連邦憲法裁判所との共通性 を指摘するものとして、上村都インターネットによる名誉毀損-東京地判平成20年 2 月29日と東京高判平成21年 1 月 30日」法学セミナー 54巻11号(2009.11) 4 - 5 頁が挙げられる。

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原審判決に対して、被告人Xが上告し、弁護人は上告趣意において、被告人Xが一市民とし てインターネットの個人利用者に対して要求される水準を満たす調査を行った上で、本件表現 行為を行っており、インターネットの発達に伴って表現行為を取り巻く環境が変化しているこ とを考慮すれば、被告人Xが摘示した事実を真実と信じたことについては相当の理由があると 解すべきであり、被告人Xには名誉毀損罪は成立しない等の主張を展開させている。 Ⅳ.判決の紹介 上告棄却。 所論は、被告人Xが一市民として、インターネットの個人利用者に対して要求される水準を 満たす調査を行った上で、本件表現行為を行っており、インターネットの発達に伴って表現行 為を取り巻く環境が変化していることを考慮すれば、被告人Xが摘示した事実を真実と信じた ことについては相当の理由があると解すべきであって、被告人Xには名誉毀損罪は成立しない と主張する。 しかしながら、「個人利用者がインターネット上に掲載したものであるからといって、おし なべて、閲覧者において信頼性の低い情報として受け取るとは限らないのであって、相当の理 由の存否を判断するに際し、これを一律に、個人が他の表現手段を利用した場合と区別して考 えるべき根拠はない。そして、インターネット上に載せた情報は、不特定多数のインターネッ ト利用者が瞬時に閲覧可能であり、これによる名誉毀損の被害は時として深刻なものとなり得 ること、一度損なわれた名誉の回復は容易ではなく、インターネット上での反論によって十分 にその回復が図られる保証があるわけでもないことなどを考慮すると、インターネットの個人 利用者による表現行為の場合においても、他の場合と同様に、行為者が摘示した事実を真実で あると誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らして相当の理由があると認められると きに限り、名誉毀損罪は成立しないものと解するのが相当であって、より緩やかな要件で同罪 の成立を否定すべきものとは解されない(最高裁昭和41年(あ)第2472号同44年 6 月25日大法 廷判決・刑集23巻 7 号975頁参照)」。これを本件についてみると、原審判決の認定によれば、 被告人Xは、「商業登記簿謄本、市販の雑誌記事、インターネット上の書き込み、加盟店の店 長であった者から受信したメール等の資料に基づいて、摘示した事実を真実であると誤信して 本件表現行為を行ったもの」であるが、この様な資料の中には一方的立場から作成されたに過 ぎないものもあること、フランチャイズシステムについて記載された資料に対する被告人Xの 理解が不正確であったこと、被告人Xが被害会社の関係者に事実関係を確認することも一切な かったことなどの事情が認められるというのである。以上の事実関係の下においては、被告人 Xが「摘示した事実を真実であると誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らして相当 の理由があるとはいえない」から、これと同旨の原審の判断は正当である。 よって、刑訴法414条、386条 1 項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文の通り決定する。

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刑事訴訟法第414条 「前章の規定は、この法律に特別の定のある場合を除いては、上告の審判についてこれを準用する。」 刑事訴訟法第386条 ① 「左の場合には、控訴裁判所は、決定で控訴を棄却しなければならない。  一 第三百七十六条第一項に定める期間内に控訴趣意書を差し出さないとき。  二  控訴趣意書がこの法律若しくは裁判所の規則で定める方式に違反しているとき、又は控訴趣意 書にこの法律若しくは裁判所の規則の定めるところに従い必要な疎明資料若しくは保証書を添附 しないとき。  三  控訴趣意書に記載された控訴の申立の理由が、明らかに第三百七十七条乃至第三百八十二条及 び第三百八十三条に規定する事由に該当しないとき。」 ② 「前条第二項の規定は、前項の決定についてこれを準用する。」 Ⅴ.判例の検討 本件は、インターネットの個人利用者による表現行為の場合においても、他の表現手段を利 用した場合と同様に、行為者が摘示した事実を真実であると誤信したことについて、確実な資 料、根拠に照らして相当の理由があると認められるときに限り、名誉毀損罪は成立しないもの と解するのが相当であるか否か、換言すれば、インターネットの個人利用者による表現行為の 場合には、より緩やかな要件で同罪の成立を否定すべきか否かが問われた事案であり、その性 質上、憲法学と刑法学の双方に渡る論点を内在させている。 以下、まず(ⅰ)名誉と表現の自由との調整につき概説した後、本件の主要論点となる(ⅱ) 所謂「対抗言論の法理」と(ⅲ)インターンネット上の個人発信情報の信頼性につき、その問 題点を概観しながら、それぞれの論点につき若干の検討を加えることとする。 (ⅰ)名誉と表現の自由との調整に関する整理 改めて説明するまでもなく、「名誉(権)」とは、人の名声ないし信用等にについて社会から 受ける社会的評価のことであり、憲法13条後段の幸福追求権により保障された「人格権」の一 内容を形成していると解されている。 日本国憲法第13条 「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、 公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」 名誉ないし名誉権は、古くから法的保護の対象とされてきたが、現行法上も、刑法において 名誉毀損罪が規定され(同230条)、民法において不法行為としての名誉毀損が規定されている

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(同710条、同723条)8 民法第710条(財産以外の損害の賠償) 「他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるか を問わず、前条の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をし なければならない。」 民法第723条(名誉毀損における原状回復) 「他人の名誉を毀損した者に対しては、裁判所は、被害者の請求により、損害賠償に代えて、又は損 害賠償とともに、名誉を回復するのに適当な処分を命ずることができる。」 他方で、名誉ないし名誉権の保護は、権力者に対する批判など、公共性や公益性のある問題 についての表現の自由(憲法21条 1 項)を不当に制約する恐れを有している9 日本国憲法第21条 ① 「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」 ② 「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」 そこで、現行刑法では、人の名誉を毀損する様な表現であっても、即座に名誉毀損の成立を 認めることをせず、「公共の利害に関する特例」という調整規定が置かれている(刑法230条の 2 第 1 項)10 調整規定たる刑法230条の 2 第 1 項の規定により、 3 つの要件を満たす場合には、名誉毀損 罪には当たらないこととなる。即ち、要件①当該表現が公共の利害に関する事実にかかわるも ので(「表現の公共性」)、且つまた、要件②公益を図る目的でなされたものであって(「表現の 公益性」)、要件③真実であることの証明がなされること(「表現の真実性」)が、その 3 つの要 件である。 従って、ある表現につき、名誉毀損が疑われる場合には、当該表現につき、要件①「表現の 公共性」が認められるか、且つまた、要件②「表現の公益性」が認められるか、要件③「表現 の真実性」が認められるかという 3 つの各要件で判断して、各要件を充足したと認められる場 合に、「公共の利害に関する場合の特例」として処罰を免れることになるが、 3 つの要件のう ちいずれかの要件を充足していない場合には、名誉毀損罪が成立することになるのである。 8 本件に関しても、被害会社側から被告人Xに対して不法行為に基づく損害賠償を求める民事訴訟が提起されてお り、第一審は110万円(慰謝料100万円、弁護士費用10万円)の損害賠償を命じ(東京地裁判平15年10月30日)、第二審 は77万円の損害賠償を命じている(東京高裁判平17年 5 月25日)。これに触れるものとして、松井芳明「インターネッ トを利用した名誉毀損行為について-最決平22・3・15を題材に-」植村立郎判事退官記念論文集『現代刑事法の諸問 題』 2 巻 2 編実践編(2011.7)52-53頁などが挙げられる。 9 尚、本件事案に関して言えば、実際に侵害対象となったのが「必ずしも個人の人格ではなく、むしろ企業の信用や 業務である」として、刑法上の保護対象とたる名誉の意義につき再吟味の必要を指摘するものとして、金澤真理「イ ンターネット上の名誉毀損に対する刑法的規制-ラーメンフランチャイズ事件判決-」法律時報82巻 9 号(2010.8)21 頁が挙げられる。 10 本条の沿革に関しては、大塚仁他『大コメンタール刑法〔第 2 版〕』(有斐閣/2003.3)第12巻39-40頁(中森喜彦執 筆)のほか、金光石「インターネット上の名誉毀損法の再構成-憲法的考察の試みとして」名古屋大學法政論集256号 (2014.6)100-102頁が挙げられる。

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この様な刑法230条の 2 第 1 項の法的性格をいかに解するかに関して刑法学上、学説が対立し ており、主として、処罰阻却事由説、違法性阻却事由説、構成要件該当性阻却事由説の 3 説が 挙げられるが、細分すれば、違法性阻却事由説が無限定説と限定説とに区分されることになる。 まず、第一説の処罰阻却事由説によれば11、およそ人の名誉を傷つける行為はそれ自体犯罪 であり、真実の証明がある場合には単に処罰を免れるに過ぎないと解されることになる。立法 当時の政府見解であり、かつての最高裁判例の立場でもあった見解であるが(最一小判昭34年 5 月 7 日刑集13巻 5 号641頁)、当該見解に従うと、真実の証明がない限り処罰を免れることが なくなり、表現の自由を尊重しようとする立場から批判が向けられることになる。 次に、第二説の違法性阻却事由説の無限定説によれば12、真実の証明があったことによって、 当該行為の違法性が阻却され、事実を真実と誤信した場合には、違法性阻却事由を構成する事 実の錯誤のある場合に該当し、誤信したことにつき相当の理由を問わず、常に故意が阻却され ることになる。当該見解に従うと、行為者が軽率に誤信した場合であっても故意が阻却され、 不可罰となる点で免責の範囲が不当に広がるという批判を受ける。 更に、第三説の違法性阻却事由説の限定説によれば13、真実の証明があることにより当該行 為の違法性が阻却されると解する点では第二説と同じであるが、事実を真実と誤信した場合に 関して、当該誤信につき相当な理由がある場合に限って故意がないとする見解である。後述す る様に、当該見解が現在の判例の立場と言える見解である(最一小判昭41年 6 月23日民集20巻 5 号1118頁)。 最後に、第四説の構成要件該当性阻却事由説によれば14、公益目的の為の真実の言論は定型 的に違法性がなく、構成要件該当性そのものが阻却されることになる。行為者が客観的に証明 可能な程度の資料、根拠をもって信実と誤信したのであれば、現実に真実の証明ができなかっ たとしても、故意がなく、犯罪も不成立ということになる。 この学説対立は、要件③「表現の真実性」において、真実性の証明ができなかった場合に行 為者の救済をどの様に理論構成するかという相違の現れであるが、現実の場面でも、真実であ ることの証明は必ずしも容易ではなく、これを厳格に要求すれば、表現の自由に対し萎縮的効 果(chilling effect)を招くことになる。 そこで、判例上、表現された事実に真実であることの証明がない場合であっても、以下の 2 つの修正要件を満たす場合には、名誉毀損罪が成立しないとされている。それが、修正要件③ -1表現を行った行為者がその事実を真実であると誤信し、修正要件③-2当該誤信について相当 11 代表的な見解として、植松正『刑法学各論』(勁草書房/1952.5)340頁、平野龍一『刑法概説』(東京大学出版会 /1977.3)198頁、岡田好史「インターネット上の表現行為と名誉毀損罪における真実性の誤信」専修ロージャーナル 8 号(2013.1)68-74頁などが挙げられる。 12 代表的な見解として、牧野英一『刑法各論(下巻)』(有斐閣/1955.9)509頁、柏木千秋『刑法各論』(有斐閣 /1966.2)408頁などが挙げられる。 代表的な見解として、大塚仁『刑法概説各論〔第 3 版〕』(有斐閣/1997.12)145頁、 曽根威彦著『表現の自由と刑事規制』(一粒社/1985.1)202頁などが挙げられる。 13 代表的な見解として、大塚仁『刑法概説各論〔第 3 版〕』(有斐閣/1997.12)145頁、曽根威彦著『表現の自由と刑 事規制』(一粒社/1985.1)202頁などが挙げられる。 14 代表的な見解として、団藤重光『刑法各論(法律学全集41)』 (有斐閣/1961.11)291頁、中義勝『刑法各論』(有斐 閣/1975.9)117頁などが挙げられる。

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の根拠ないし理由があることである。この修正要件を刑事事案において確立させた有名な判例 が「夕刊和歌山時事」事件最高裁判決(最大判昭44年 6 月25日刑集23巻 7 号975頁)である15 本件は、「夕刊和歌山時事」紙上に、別の新聞社の経営者が脅迫行為を行っているかのよう な記事を掲載し、同人の名誉を毀損したとして「夕刊和歌山時事」の発行人が起訴された事件 であり、第一審が名誉毀損罪の成立を認めたので(和歌山地裁判昭41年 4 月16日)、被告人X 側は証明可能な程度の資料、根拠をもって事実を真実と誤信したとし故意阻却を主張したが、 第二審は当該主張を斥けている(大阪高裁判昭41年10月 7 日)。 最高裁は、刑法230条の 2 第 1 項にいう事実が真実であることの証明(要件③)がない場合 であっても、行為者がその事実を真実であると誤信し(修正要件③-1)、その誤信したことに ついて確実な資料、根拠に照らし相当な理由があるときは(修正要件③-2)、名誉毀損罪の故 意がなく、同罪は成立しないと判示している。 刑法上、故意犯処罰の原則が規定され(刑法38条 1 項本文)、過失犯処罰については「法律 に特別の規定がある場合」にいわば例外的になされるに過ぎないとされているところ(同条同 項但書)、「名誉毀損」に関しては「過失名誉毀損罪」という「特別の規定」が存在せず、従っ て、故意でない限りは罰されることがないということになるが、理論構成としては、第三説で ある違法性阻却事由説の限定説に立脚したものと解されている16 刑法第38条(故意) ①  「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りで ない。」 ②  「重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らな かった者は、その重い罪によって処断することはできない。」 ③  「法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはでき ない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。」 尚、名誉毀損の免責事由に関して、特に「表現の公共性」(要件①)及び「表現の公益性」(要 件②)に関しては、私人の私生活上の行状であってもそれらの要件を充足し、「公共の利害に関 する事実」に含まれるか否かが問題となる。この問題につき、最高裁は、「月刊ペン」事件にお いて、私人の私生活上の行状であっても、当該私人の携わる社会的活動の性質及びこれを通じ て社会に及ぼす影響力の程度などの如何によっては、その社会的活動に対する批判ないし評価 の一資料として、「公共の利害に関する事実」を構成することがあり得ることを認めている17 15 評釈としては差当り、上村貞美「言論の自由と名誉毀損における真実性の証明-『夕刊和歌山時事』事件」別冊ジュ リスト217号憲法判例百選Ⅰ〔第 6 版〕(2013.11)144-145頁を挙げることができる。また、周知の通り、民事上の不法 行為においても相当性の判断がなされるが(最一小判昭41年 6 月23日民集20巻 5 号1118頁)、時系列で言えば、「夕刊 和歌山時事」事件最高裁判決はこれを刑事事案において追認したものと言える。 16 この様な理解を示すものとして、「夕刊和歌山時事」事件最高裁判決の調査官解説である鬼塚賢太郎「事実を真実 と誤信したことにつき相当の理由がある場合と名誉毀損罪の成否」最高裁判所判例解説刑事篇昭和44年度(法曹会 /1971.10)260頁を挙げることができる。 17 最一小判昭56年 4 月16日刑集35巻 3 号84頁。

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また、「夕刊和歌山時事」事件最高裁判決以後、最高裁が、事実誤認についての相当の根拠、 理由の有無(「修正要件③-1」及び「修正要件③-2」)に基づいて、名誉毀損罪の成否について 判断を示した事案としては、以下の 2 件が認められるが、いずれの事案においても、事実誤認 についての相当の根拠ないし理由が否定されており、運用上、「相当の根拠ないし理由」の有 無に関しては、「確実な資料、根拠に照らし」という点に重きが置かれているとも言える18 判例(1)松川事件第一審裁判長名誉毀損事件最高裁判決 本件は、ビラ配布により公然事実を摘示して「松川事件」(昭和24年に東北線松川駅付近で 起こった列車転覆事故に関する刑事事件で、労使対立の世情を背景に、国鉄労組員らが逮捕及 び起訴された事案)の第一審裁判長の名誉を毀損した者が、摘示事実を真実であると誤信した としても、その誤信が、係属中の刑事事件の一方の当事者の主張ないし要求又は抗議等で断片 的な客観性のない資料に基づくものであるときは、その誤信は相当の理由があるものとは言え ないとし否定された事案である19 判例(2)丸正事件最高裁記者クラブ室会見事件最高裁判決 本件は、所謂「丸正事件」(昭和30年に静岡県三島市の丸正運送店の店主が絞殺された殺人 事件で、起訴された 2 人に冤罪疑惑があるとして注目された事案で、特に主犯として立件され た人物が在日韓国人であった為、差別問題としても注目を集めた事案)の弁護人が、最高裁判 所内の記者クラブ室に各社の新聞記者を集め、被害者は被告人らによって殺害されたものでは なく、被害者の兄A及びその妻B又は同夫婦と意思を通じた者が犯人である旨の発表したこと について、同事件が被告人らの犯行であることについては、合理的な疑いを容れる余地のない 証拠があるのに対し、Aらの犯行であることについては「合理的な疑いを容れることのできな い証拠はもとより、証拠の優越の程度の証拠すら存在しない」と判断せざる得ず、摘示事実を 真実と誤信する相当の根拠はないとして否定された事案である20 本件最高裁決定は、原審判決と同様、インターネットの特性を踏まえた上で、インターネッ トの個人利用者による表現行為での名誉毀損の場合においても、事実誤認に関する相当の理由 の有無(「修正要件③-1」及び「修正要件③-2」)については、他の情報媒体を用いた場合と異 なる基準により判断すべきではないことを明確にしたものであると解され、インターネットの 個人利用者による表現行為での名誉毀損の場合に関しては、「新たな基準」により判断すべき であるとして被告人Xを無罪と結論付けた原々審判決を否定している21 18 鬼塚・前掲注(16)260頁では、単に「相当の理由」としただけでは表現がやや曖昧で「実務上の解釈が放漫にな るおそれがあるので」、「確実な資料、根拠に照らし」という客観的な枠のあることを注意的に明らかにした趣旨では ないかと推測するという記述があり、この点に触れるものとして、加藤俊治「インターネットの個人利用者による表 現行為につき、行為者が摘示した事実を真実であると誤信した場合において名誉毀損罪の成立が否定されるための要 件」研修744号(2010.6)27頁が挙げられる。 19 最二小決昭46年10月22日刑集25巻 7 号838頁。 20 最一小決昭51年 3 月23日刑集30巻 2 号229頁。 21 尚、加藤・前掲注(18)18頁では、原々審により提示された「新たな基準」が、①インターネットの個人利用者 が公共の利害に関する事実につき主として公益を図る目的でインターネット上で名誉毀損的な表現行為に及んだ場合 において、②名誉毀損的な表現がなされた前後の経緯等に照らして当該表現に対する被害者による情報発信を期待し

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そこで、以下では、原々審判決の理論構成に則って、インターネットの個人利用者による表 現行為での名誉毀損の場合においても、「夕刊和歌山時事」事件最高裁判決で採用された「相 当性の基準」が妥当すると解するべきか否かにつき、検討することとする。 (ⅱ)所謂「対抗言論の法理」に関する若干の考察 原々審は、所謂「対抗言論(more speech)の法理」を根拠の 1 つとして、「相当性の基準」 を緩和したものと解される22。ここでいう「対抗言論の法理」とは、言論により名誉を毀損さ れた被害者は、更なる言論(反論)によりある程度まで毀損された名誉を回復させることが可 能であるから、被害者が加害者と同等のメディアにアクセスが可能で、且つ、被害者に反論に 係る負担を課しても衡平を失しないという事情が認められる場合には、両者いずれの言い分が 正当であるかの判断は聴衆に委ね、国家ないし司法の介入を回避すべきであるとする法理論で ある23 仮に、「対抗言論の法理」を採用した場合には、現実に被害者から反論がなされて名誉が回 復したかどうかは問われず、加害者の名誉毀損的表現に対して被害者が言論で対抗することが 可能であったか否かという「対抗言論の可能性」が問題となる。 本件の様なインターネット上の名誉毀損的表現に関して、「対抗言論の法理」を是認すべき か否かという点で学説が対立している24 まず、積極説と呼べる見解であるが、他のメディアに比べて、インターネットの場合には、 「公人」であれ「私人」であれ、そこへのアクセスが可能である限り、加害者も被害者も平等 な立場に立てることを重視し、インターネット上の名誉毀損には「対抗言論の法理」がより典 型的に妥当し得ると解する見解である25 もっとも、積極的な導入と言っても、「対抗言論の法理」が妥当するのは、被害者が自らの 責任で名誉毀損的表現を誘発する立場に身を置いた場合に限定されるべきであり、被害者が反 論を加え続けても、執拗に同じ内容の人格攻撃を受け続けている様な場合には、被害者の対抗 言論の責務も解除されるべきであるとして、積極説の中にはその主張内容を限定ないし修正さ せるものが多いと言える26 てもおかしくないと言える様な特段の事情があるときには、加害者が摘示した事実が真実でないと知りながら発信し たか、インターネットの個人利用者に対して要求される水準を満たす調査を行わず真実かどうかを確かめずに発信し たときに限って名誉毀損罪が成立するというものと整理されている。 22 同様の理解を示すものとして、永井・前掲注(6)12-13頁、前田・前掲注(6)99-104頁、平川宗信「インターネッ トの個人利用者による表現行為と名誉毀損罪の成否」刑事法ジャーナル24号(2010.8)99頁などが挙げられる。 23 この「対抗原理の法理」を紹介するものとして、高橋和之「インターネット上の名誉毀損と表現の自由」高橋・ 松井他編『インターネットと法〔第 4 版〕』(有斐閣/2010.1)64-70頁が挙げられる。それによれば、「対抗言論の法理」 は、いわば「場」(フォーラム)の論理ということになり、「その場に平等な立場で参入している以上、言論に対して は言論で対抗する」ことが原則となり、名誉が毀損されても、より重要な公益の為に被害者に我慢を強いる「公共の 利益」のアプローチとは理論上は異なるものになるとしつつ、実際上は両者が重複して生ずるという理解になる。 24 学説状況に関しては、潮見直之「情報社会と名誉毀損」竹田・堀部編『新・裁判実務体系第 9 巻名誉・プライバ シー保護関係訴訟』(青林書院/2001.1)61-64頁、髙部眞規子「インターネットの個人利用者による名誉毀損と摘示事 実を真実と誤信したことについての相当の理由」法の支配160号(2011.1)55頁などにも整理されている。 25 代表的な論者として、松井茂記『インターネットの憲法学』(岩波書店/2002.9)200頁以下を挙げることができる。 26 例えば、高橋・前掲注(23)67-68頁が挙げられる。

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これに対して、消極説と呼べる見解は、インターネット上の名誉毀損に「対抗言論の法理」 が適用される理論的可能性は認めつつも、インターネット上の表現内容の性質や特徴という観 点から、「対抗言論の法理」が適用される実際上の範囲は狭いと主張する27。この様な消極説の 前提認識は、大きく 3 つにまとめることができる28 まず、インターネットの普及によって表現行為に関する技術的容易性が高まり、表現内容の 吟味過程が形骸化ないし喪失した一方で、インターネット上の表現に対する受け手側の反応が 発信者側の五感に伝わらないこと等から発信段階における緊張感を減少させており、名誉毀損 的表現が横行する状況にあることである。 次に、インターネットの特性故に、読者ないし聴衆に冷静且つ公正な論争判断を期待するこ とは容易ではなく、かえって不正確な認識の下に感情的な論争がより過激化し、正確な判断を 求めることを不可能な事態に陥ることがあり得ることである。 最後に、仮に被害者から適切な反論が加えられても、一度、インターネット上に掲載された 加害者側の表現内容は残り続け、淘汰され難く、その様な不当な表現内容が第三者の行為を介 するなどして、全世界に伝播される危険性さえ有することである。 この様に、インターネット上の名誉毀損的表現についての「対抗言論の法理」の適用に関す る積極説と消極説の対立は、その現状認識に関する相違に起因するものであり、積極説の多く がその主張内容を修正させる結果、結論的には大きな相違が認められないとも解される。 この点につき、若干の考察を加えれば、インターネット上の名誉毀損的表現に関する現状認 識については、積極説があくまでも観念論的ないし理想論的な認識を出発点にしているように 解されるのに対して、消極説のそれは全てが妥当であるか否かは別として、少なくとも現状の 問題点をなるべく正確に認識しようとする姿勢が認められるという点で、積極説のそれよりも 消極説の方が優っているように思われる。 この様な学説状況に対して、判例はどの様な立場に立脚しているのかという点についても、 概説しておきたい。まず、パソコン通信における名誉毀損を理由とする損害賠償請求事案の民 事裁判例の中には、「対抗言論の法理」に依拠して、不法行為の成立範囲を限定したものと読 むことができる下級審裁判例がある。 判例(3)ニフティサーブ「本と雑誌フォーラム」事件東京地裁判決 本件はパソコン通信で会員相互が対等に議論できる場における名誉毀損事案で、加害者Aと の議論により名誉が毀損されたとする被害者Xが、当該不法行為につき適切な措置を採らな かった提供者Yに債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償を求めた事案であり、東京地裁 は、対抗言論の法理を採用し、加害者Aの発言が名誉毀損に当たらないとして請求を棄却して 27 その先駆け的な論者として、中村嘉宏「名誉毀損」サイバーロー研究会編『サイバースペース法』(日本評論社 /200.4)159頁を挙げることができる。 28 同様の認識を有するものとして、高木篤夫「インターネット上の名誉毀損とプライバシー侵害」法律のひろば55 巻 6 号(2002.6)35-36頁が挙げられる。

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いる29 判例(4)ニフティサーブ「現代思想フォーラム」事件東京高裁判決 本件も同じくパソコン通信における名誉毀損事案で、加害者Y-1の表現内容により名誉を毀 損されたとする被害者Xが、当該表現を行ったY-1に対し不法行為としての名誉毀損、主催者 Y-2から当該電子会議室の管理運営を委託された管理者Y-3を削除義務の懈怠による不法行 為、主催者Y-2を使用者責任等で訴えた事案であり、東京高裁は、対抗言論の法理を応用的に 展開して、主催者Y-2及び管理者Y-3に対する請求を棄却している30 他方で、インターネット上の名誉毀損的表現に関する損害賠償請求事案の民事裁判例の中に は、「対抗言論の法理」に依るべきとする主張を排斥している裁判例も確認される。 判例(5)動物病院対 2 ちゃんねる事件東京高裁判決 本件は動物病院を経営する会社X-1とその代表取締役X-2が、管理者Yの運営するインター ネット上の電子掲示板「 2 ちゃんねる」において、その利用者らの表現内容によりX-1らの名 誉が毀損されているにも関わらず、管理者Yがこれを放置していること等を不法行為として訴 えた事案であり、東京高裁は、管理者Yが展開させた電子掲示板における論争には「対抗言 論」による対処を原則とすべきとする主張を排斥している31 判例(6)産業能率大学事件東京地裁判決 本件は産業能率大学等を運営する学校法人Xが、元助教授で教員組合の代表者兼執行委員長 を務める設置管理者Yに匿名掲示板「産能ユニオン会議室」の設置及び運営、同所での表現行 為が名誉毀損又は業務妨害に当たるとして、不法行為に基づく損害賠償を請求した事案であ り、東京地裁は、設置管理者Yが主張した「対抗言論の法理」による違法性阻却の主張を排斥 している32 思うに、パソコン通信の電子掲示板は、加害者と被害者の双方が対等な言論手段を約束され た空間であり、且つ、その読者ないし聴衆も電子掲示板への参加が許可された者に限定された ものである為、インターネット上のそれとは、自ずとその性質を異にするものであり、その点 がまた、「対抗言論の法理」の採用に関する是非を峻別するポイントの 1 つになっていると解 される33 また、これらの裁判例はあくまでも民事訴訟において不法行為の成否が問題とされた事案の ものであり、本件の様な刑事訴訟における名誉毀損罪の成否をめぐる問題において、どの程度 29 東京地裁判平13年 8 月27日判時1778号90頁判タ1086号181頁。 30 東京高裁判平13年 9 月 5 日判時1786号80頁判タ1088号94頁。 31 東京高裁判平14年12月25日判時1816号52頁。 32 東京地裁判平20年10月 1 日判タ1288号134頁。 33 同様の指摘を行うものとして、本件の調査官解説である家令和典「 1 インターネットの個人利用者による名誉毀 損と摘示事実を真実と誤信したことについての相当の理由 2 インターネットの個人利用者による名誉毀損行為につき, 摘示事実を真実と誤信したことについて相当の理由がないとされた事例」最高裁判所判例解説刑事篇平成22年度(法 曹会/2013.10)23-24頁を挙げることができる。

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の参照価値を有するものであるかは別途の考察を要するとも解されよう34 仮に、「対抗言論の法理」の採用を肯定する積極説に立脚するとしても、本件事案に関して 言えば、同法理が妥当する事案ではないと解される35。原々審判決の事実認定によれば、「関係 者と思しき人物らから、ときには脅迫的な内容のものも含めて数多くの書き込みやメールを受 信し、これに対してまた対抗するということを繰り返すうち、本件表現行為に及んだものであ ること」、被害会社の代表取締役と団体代表とが親族関係にあること、団体代表は「会長を自 認し、他方、週刊誌やインターネットなどでも同人が度々同社のオーナーであるなどと指摘さ れてきたこと」、実際に「事業活動に関して対外的折衝等に当たることが度々あって、少なく ともそのことを黙認し続けてきたこと」が挙げられるが、「関係者(被害者側)」とは断定でき ない事実認定で、被害者側に対抗言論をもって対応することを要求することは衡平を失してい ると言えよう36 (ⅲ)インターンネット上の個人発信情報の信頼性に関する若干の考察 原々審はまた、「相当性の基準」を緩和する根拠を「インターネット上で発信される情報の 信頼性についての受け取られ方」を挙げている。それによれば、「インターネットを利用する 個人利用者に対し、これまでのマスコミなどに対するような高い取材能力や綿密な情報収集、 分析活動が期待できないことは、インターネットの利用者一般が知悉しているところであって、 マスコミや専門家などがインターネットを使って発信するような特別な場合を除くと、個人利 用者がインターネット上で発信した情報の信頼性は一般的に低いものと受けとめられているも のと思われ」、「対抗言論の法理」と併せて鑑みると、加害者が主として公益を図る目的で、「公 共の利害に関する事実」につきインターネットを使って名誉毀損的表現に及んだ場合には、「加 害者が確実な資料、根拠に基づいてその事実が真実と誤信して発信したと認められなければ直 ちに同人を名誉毀損罪に問擬するという解釈を採ることは相当ではなく、加害者が、摘示した 事実が真実でないことを知りながら発信したか、あるいは、インターネットの個人利用者に対 して要求される水準を満たす調査を行わず真実かどうか確かめないで発信したといえるときに はじめて同罪に問擬するのが相当と考える」と帰結されている。 これに対して、原審は、「インターネット上の情報の中には、信頼性が低いと見られるもの 34 やや考察角度は異なるが、「対抗言論の法理」を伝統的な刑法学における名誉毀損罪の理論、具体的には抽象的危 険犯としての性格との整合性、及び、危険引受け論との整合性を検討するものとして、佐藤・前掲注(7)327-334頁 が挙げられる。しかしながら、米国判例上の理論を独逸法学的な刑法理論に導入しようとしている点にそもそもの無 理があるようにも思われる。 35 積極説と言える立場を採りながら、本件事案に関しては「意見の当否よりも事実の真否が問題である」為に「や や困難な側面もある」との理解を示すものとして、宍戸常寿「言論空間への認識は妥当か-ネット名誉毀損事件の最 高裁決定を読む-」新聞研究707号(2010.6)70頁が挙げられるほか、本件事案への同法理の適用につき疑問を示しつつ、 「名誉毀損に対する反論という負担を課してもよい局面についての具体的な検討が必要」とするものとして、鈴木秀美 「名誉毀損罪と表現の自由-憲法の視点から-」法律時報82巻 9 号(2010.8)24頁が挙げられる。 36 これと異なり、本件の事情を考慮して、「対抗言論の法理」の実質的な根拠とも言われる「危険引受け論」の観点 から被告人Xの可罰性評価の中で問題を処理することもできたとするものとして、西土彰一郎「インターネット上の 表現についての名誉毀損罪の成否」ジュリスト1420号平成22年度重要判例解説(2011.4)24頁が挙げられるが、被告人 Xの言論相手が被害者ではなく、「関係者と思しき人物ら」でしかないことを踏まえると、妥当とは解されない。

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が多数存在することは否定できない」としつつ、その様な情報が存在するのはインターネット 上に限ったことではなく、逆に、「インターネット上の情報の中にも、確実な資料、根拠に基 づいた信頼性の高いものも多数存在するし、このことは個人利用者が発信する情報であっても 同様である」とし、インターネット上で個人利用者が発信する情報だからといって、必ずしも 信頼性が低いとは限らず、「インターネット上の情報を閲覧する者としても、個人利用者の発 信する情報は一律に信頼性が低いという前提で閲覧するわけではない」として原々審とは異な る判断を示しつつ、「インターネットを使った個人利用者による情報に限って最高裁大法廷判 決が判示している基準を緩和する考え方には賛同できない」と結論付けている。 この点、本件最高裁決定は、「個人利用者がインターネット上に掲載したものであるからと いって、おしなべて、閲覧者において信頼性の低い情報として受け取るとは限らないのであっ て、相当の理由の存否を判断するに際し、これを一律に、個人が他の表現手段を利用した場合 と区別して考えるべき根拠はない」と簡潔に述べながら、原審の判断を肯定している。 そもそも、原々審のこの点に関する判断に関しては、学説上、当初から疑問が投げかけられ ているが、その論旨は、個人利用者がインターネット上で発信する情報に対する信頼性が低い ことをもって、加害者が表現活動を行うに際して要求される調査水準を緩和することが妥当か 否かというものである37 確かに、受け取る側の信頼が得られていない「場」での表現行為であるから、その際に、個 人の表現者に求められる調査水準は通常の表現に求められる調査水準に比して、緩和されると いう理論構成を採用するならば、軽率な名誉毀損的表現を誘発する事態を招くことになろう。 恐らくは、原々審もこの様な事態を承認する趣旨のものではなく、本件事案の様な企業や団 体等と個人との対立構造の下で38、「企業や団体等の活動実態や他の企業、団体等との関係性、 資金の流れなど」につき、公共利害事項に属する事実についての「相当性の基準」に限った緩 和という判断を提示したものと解されるが、憲法21条 1 項によって保障された「表現の自由」 を可能な限り尊重し、情報や思想の自由な流通を確保しようとする姿勢自体は一定の評価に値 するものの、その理論構成に関しては、なお検討すべき課題が多いように思われる。 この点と関連して、米国判例で確立された「現実の悪意(actual malice)の法理」も検討に 値する。原々審において提示された「新たな基準」、即ち、「加害者が、摘示した事実が真実で ないことを知りながら発信したか、あるいは、インターネットの個人利用者に対して要求され る水準を満たす調査を行わず真実かどうか確かめないで発信したといえるときにはじめて同罪 に問擬する」という基準が、この「現実の悪意の法理」を想起させるものであるからである。 元々、憲法学においては、「夕刊和歌山時事」事件最高裁判決において提示された「相当性 の基準」に対する批判も多く、名誉毀損的表現の中でも公務員又は公的存在に対する名誉毀損 37 例えば、永井・前掲注(6)12-13頁、前田・前掲注(6)103-105頁などが挙げられる。 38 この対立構造で本件を捉えた際、本件最高裁決定を歓迎する企業の法務担当者による評釈として、進士英寛「イ ンターネットを用いた表現行為と名誉毀損罪の成否に関する最高裁決定」NBL927号(2010.4) 7 頁は、興味深い。

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的表現に関しては、米国判例であるニューヨークタイムズ対サリバン事件以降39、判例法上で 発展させられてきた「現実の悪意の法理」を導入すべきであるとの主張も学説上は有力になさ れてきた40 米国判例でいう「現実の悪意の法理」とは、公務員や著名人などの公的存在に対する名誉毀 損については、その表現が虚偽であることを行為者が知っていて行なったものか、或いは、虚 偽であるか否かを全く考慮せずに行なったものであるかを被害者側が立証できない限り、名誉 毀損は成立せず、損害賠償を得ることができないとする理論である。 日本の判例においても、「北方ジャーナル」事件最高裁判決に付された谷口正孝裁判官の意 見と伊藤正巳裁判官の補足意見において、「現実の悪意の法理」に関する言及がなされている ほか、特に前者はその導入を提唱していることが確認される41 しかしながら、その後の下級審判例(大阪高裁判平元年 5 月26日判タ713号196頁)おいては 「現実の悪意の法理」の主張が明確に排斥され、また、現在の学説においても日本の法令解釈 として「現実の悪意の法理」を採用することには無理があるとの異論も強く展開されている42 その理由は、大きく 2 点ある。即ち、まず、米国において「現実の悪意の法理」が生成ない し発展させられた背景には推定的損害賠償(presumed damages)や懲罰的損害賠償(punitive damages)等の制度があるが、日本には存在しないこと、次に、ニューヨークタイムズ対サリ バン事件も当時の公民権運動をめぐる報道に深く関連する特殊な事情の下で判決が下されたも のであり、現在の米国では報道機関の保護に傾き過ぎているという批判が存在することの 2 点 である。 更に言えば、主として英米法系、特に米国判例法における民事訴訟で展開してきた「現実の 悪意の法理」を、大陸法系、中でも独逸法系を継受して発展されてきた日本の刑法学における 名誉毀損理論に導入することの困難さも挙げられよう。 この点、「憲法的名誉毀損法理論」を採り入れつつ、「現実の悪意の法理」という主観的要件 を客観的に再構成し、「相当性の基準」自体を緩和させようとする試みが注目される43。それに よれば、「夕刊和歌山時事」事件最高裁判決において提示された「相当性の基準」、即ち、行為 者がその事実を真実であると誤信し(修正要件③-1)、その誤信したことについて確実な資料、 根拠に照らし相当な理由があるときは(修正要件③-2)という修正要件が、「事実が真実であ ることを一応推測させる程度の資料、根拠」があれば(修正要件③-2’)、「相当の理由」があ るものとして免責を認めるべきということになる。 もっとも、本件被告人Xが判断材料としたものとして認定された「商業登記簿謄本、市販の 39 New York Times v. Sullivan, 376 U.S. 254 (1964)、本判決の邦語文献として、堀部政男「New York Times Co. v.

Sullivan 名誉毀損と言論の自由」英米判例百選〔第三版〕(1996.11)50頁が挙げられる。 40 例えば、樋口陽一ほか『注解法律学全集 2 憲法Ⅱ』(青林書院/1997.8)46-48頁(浦部法穂執筆)、佐藤幸治『憲法 〔第三版〕』(青林書院/1995.4)526頁などが挙げられる。 41 最大判昭61年 6 月11日民集40巻 4 号872頁。 42 例えば、高橋和之『立憲主義と日本国憲法〔第 4 版〕』(有斐閣/2017.4)185頁などが挙げられる。 43 平川・前掲注(22)97-100頁、同『憲法的刑法学の展開-仏教思想を基盤として』(有斐閣/2014.12)294-300など が挙げられる。

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