第 131 号 2015 年 3 月 キーワード:防災・減炎・避難訓練,地区防災計画,住民参加型,防災教育,弱さゆえの協 働,地域内連携,地域間連携,水平方向のネットワーク,ハザード・マップ, セーフティ・マップ,ソーシャル・キャピタル,科学研究費 防災研究会:2004 年に発生したマグニチュード 9.1 というスマトラ島沖地震とその際に発生し た津波は,インド洋周辺国で 22 万人を超える犠牲者を出した.このことを契機に,本学でも何 人かの教員が,自然災害(自然現象としての災害だけでなく,社会構造の弱い所に災害の衝撃が 直撃するという社会災害の視点を含む)をそれぞれの講義や演習で取り上げ始めた. 2010 年 10 月の本学と美浜町共催による美浜町防災シンポジウムでは,これらの教員(大場, 磯部,生江)とそのゼミ学生たちによる報告がなされ,これを機会に,引き続き教員有志で自然 災害に関する研究会を持つことになった. そして 2011 年 3 月の東日本大震災の衝撃は,こうした防災・避難という観点からの大学教育, さらに本学のある地元美浜町での実証的な研究の必要性を痛感させた.教育面においては,上記 3 人の教員が担当してオンデマンド科目『地震と減災社会』が 2013 年秋に開講した(受講生は 2013 年度 751 名,2014 年度 623 名).また,研究面においては,2011 年夏健康科学部大場和久 (システム工学)1,子ども発達学部磯部作2(地理学;2015 年 3 月退職),経済学部生江明3(政治 学;2014 年 3 月退職)の3名と,高齢者施設の災害対策や福祉避難所の地域連携を調査研究対 象としていた経済学部吉田直美4(高齢者福祉論)の計 4 名で科研費申請を行う研究チームを立 ち上げた.これが防災研究会である. 防災研究会は,2012 年度は学内の福祉社会開発研究所課題研究費を受け,東北被災地及び美 浜町および周辺の調査研究を行った.翌 2013 年度には 2 年間の文科省科学研究費の採択を受け た(『挑戦的萌芽研究』課題名「小学生による学区ハザード・マップの作成を中核とする,南海 〈調査報告〉
地域の子どもたちと大人たちが作る
地域の防災・避難訓練の案作り
美浜町布土学区 防災への取り組み
生 江 明
トラフ地震に対する地域防災計画の立案手法の調査研究」研究代表者吉田直美経済学部准教授) が始まり,それまで研究会メンバーが美浜町とその周辺地域で蓄積してきたものを生かす共同研 究が本格的にスタートした. 2014 年 10 月に,これまで防災研究会がサポートしてきた美浜町布土区と時志区(両区で布土 小学校区を構成する)は,美浜町役場防災安全課の支援を受けて,内閣府「地区防災モデル事 業」(後述)の全国 15 カ所のモデルの一つに選定された.本年 3 月に仙台市で開催する第 3 回国 連防災世界会議での報告を予定し,2015 年度内の地区防災計画立案を目指している. 地図 1 国土地理院地図より明治期以後の布土地区土地利用状況を見る
はじめに
本報告は,前述の科学研究費『挑戦的萌芽研究』に採択された共同研究の中間報告の一部であ る(最終報告は 2015 年 3 月に刊行予定).第一章では本研究の基本コンセプトとなる三つの視点 について解説し,第二章では,それらの視点から進められている地域の防災・減災・避難計画作 りを,布土学区の事例を取り上げて報告する.さらに第三章では,試行錯誤を重ねながら進めて いる本研究が見出した困難と課題について論じ,最終章で,本研究の今後の展望について論じる.第一章 防災・減災・避難計画立案の基本コンセプト
私たち防災研究会の設立とその後の共同研究は,2011 年 3 月に発生した東日本大震災とその 後大きく展開した「南海トラフ巨大地震」想定の衝撃を契機に始まった.この参加型社会開発の 手法を基本とする地域防災計画立案手法の調査研究において,私たちの基本コンセプトは三つの コンセプトから構成されている.第一のコンセプトは,「地域防災計画の基本単位を小学校区と する」こと.第二のコンセプトは,「子どもたちや災害弱者(災害時要援護者)の発見したハ ザード(危険・不安)」を,「安全・安心に転ずるのが地域の大人たちの役目」と受け止め,この 危険・不安を解消するために地域住民が動くことで,結果として総合的な地域防災計画を得るこ とを目的とすること.第三のコンセプトは,「地域内の連携そして時には自治体境界を越える地 域間連携を重視する」ことである.これらは参加型社会開発のキーとなる「住民が積極的に関わ る仕組み」の模索・検討と言い直すことができる. 1. 第一のコンセプト「地域防災計画の基本単位を小学校区とする」の意味 災害は,地域ごとにその姿が変わるものである.自然災害は地域のそれぞれの自然条件の上に 発現する.激しい地震の揺れを第一の災害とするなら,地形の傾斜角度や地質の違いによってが け崩れなどの第二次の災害が起き,場合によってはため池の擁壁の崩壊が下流域の水害を引き起 こすことになる.そして,こうした崖崩れやため池の下流域に住宅地が存在するという社会条件 があるなら,自然現象としての崖や擁壁の崩壊が人々の生活基盤を押し流し,災害となる.この ことを前提とする時,町村合併で巨大化を続けてきた自治体を単位とするなら,現在の自治体範 囲は災害発生の前提となる自然条件・社会条件の異なる災害パターンを,多く含み込むことにな る.つまり,極めて多様な地域特性によって災害の様相は個別的であり,巨大化した自治体範囲 を一律に括る防災対策では,個別的な地域災害の多様化に対処しきれないという認識である. かつて 1889 年(明治 22 年)の市制町村制施行時には 7 万 1 千余あった市町村(基礎自治体) は「明治の大合併」,「昭和の大合併」,「平成の大合併」と続いた合併により今や 1 千 7 百余まで 減少した5.これは基礎自治体の広さが拡大し続けたことを意味する.基礎自治体(市町村)単位での防災対策では,包含する多様な地域特性を無視した大きな括りとなり,住民の立場から見 た時,基礎自治体の防災対策からは,自分の暮らす地域の災害特性が見え難くなることを意味す る.従って,防災対策(防災・減災対策)や避難対策は,より小さな小学校区規模(実際は小学 校も統合化が進み,自治体内にあった 7 小学校区を 1 小学校区にした愛知県東栄町のような事例 が各所にあるので,正確に言えば,旧小学校区6と呼ぶべきと考えられる)で進められることが 適切であると考えた. 2.第二のコンセプト「子どもたちの発見した危険・不安を安全・安心に転ずるのが地域の大 人たちの役目」の意味 この二つ目のコンセプトは,防災・減災計画そして避難計画の要に,小学生を置いて考えるこ とである.「小学生にそのような計画を立てることができるだろうか」という疑問を持つ向きも あるだろうが,私たちの趣旨の眼目は,こうした疑問とは別のところにある.私たちは各地の 様々な防災計画やマニュアルを見てきたが,そこで直面している困難は,地域住民のライフ・ス タイルの多様化の中で,担い手を見出しきれないままに計画だけが立てられていることに由来す ると考えている.すなわち,市役所や役場の担当者やコンサルタントがこうした防災・減災・避 難計画という正解集を書き出しても,ほとんどの人は読み切れず,また災害が発生したときにこ れらの計画が有効に生かされる確信を持てぬまま,全国どこでも同じような防災対策・避難対策 の書面やパンフレットが積み上げられているのが実際ではないのか,という懸念である. 東日本大震災においては,各事業所や地域の災害対策本部・消火班・誘導班・救護班・炊き出 し班・避難所設営班のような垂直型指揮系統による分業体制が,実際には寸断され機能しえなく なったことを見てきた.分厚い「防災マニュアル」が書棚にあれば,いかなる大規模災害が起き たとしても大丈夫と過信することが如何に無力であったかを知ったのが,今回の東日本大震災で あった.毎年繰り返される災害訓練を見るならば,ほとんど消火訓練が主体であるが,大規模火 災の発生した時に,そのような消火活動よりは,避難をまず第一の優先事項とするか,建物や家 具の倒壊による避難不能事態の発生を大規模災害発生時の訓練として行うことこそ,リアリティ のある訓練となる場合もある.お茶を濁す程度の訓練を毎年重ねることで,人々が「大規模災害 と言ったって,たいしたことはない」と思い始めるのであるなら,そのような訓練は逆効果をも たらすことになる. そこで,私たちが考えたのは,リアリティのある災害を想定するために必要なことは,誰かの 指示によってだけ動く防災・避難計画ではなく,「他者の立場に立って災害を想定し,その他者 が生きて避難できるための方策」を自分たち自ら考えだし,工夫を深めていくことであった.い わば,指揮系統が寸断されても,それぞれの水平方向のネットワークでこれに対処する防災・避 難訓練である. 私たちが注目したのは,小学生や中学生である.特に小学生は,朝は上級生がリーダーとなっ て登校班で集団登校し,下校時は低学年生だけで集団下校する.小学校区全体から子どもたちが
小学校に集まるということは,その登下校時に震度 7 の地震が発生したなら,子どもたちにどの ような事態が発生するのだろうか.またその場から緊急避難場所に避難することは問題なくでき るのか,あちこちでブロック塀や家屋の倒壊が起き,場合によっては火災が発生し,避難路を塞 がれ,さらに迂回する必要が起きる場合もあるだろう.子どもたちは無事に緊急避難場所に辿り つけるだろうか.家を出発し,あるいは家を目指している途中で災害に直面した子どもたちの避 難動線とは,地域に暮らすすべての人々の避難動線と重なることが想定された. 我が子や我が孫たちの安全を図るために,大人たちが自分たちの町の危険や不安箇所を見直 し,解消していく作業としての地域の防災・減災・避難計画が浮かび上がってきたのである.こ れがこの第二のコンセプトの意味するところである. 3.第三のコンセプト「地域内の連携・地域間の連携を重視する」ことの意味 上記のように,小学生が作る通学路ハザード・マップそして「緊急避難場所」7 への避難ルー トマップなどを,地域の大人たちが受け止め直し,問題の解消のために知恵を寄せ合うこととな る.そのプロセスは地域内の資源(物ばかりではなく,住民たちがそれぞれに持っている専門性 や経験)の再発見のプロセスとなることが予想される.自分が必要としているが有していないも のを他者が有している場合,それは相互の結びつきの基盤となる.そのような他者を発見するこ とが,自分や自分たちの持てるものの活用を可能にする場合,互いに必要としあう人々が姿を現 わすだろう. このことは,換言すれば,小学生や在宅要介護者,障がい学生など災害時の災害弱者の目線で ハザードを捉え,日常的ネットワーク(ソーシャル・キャピタル)の組み換えや利活用によっ て,災害の中で,互いを支えあう基盤となる可能性を見出すことに,地域形成の新たなあり方を 提起することが期待されると言える.すなわち,金子郁容が指摘する「コミュニティ・ソリュー ション」8や政治学者ヴィンセント・オストロムが指摘する「弱さゆえの協働」という概念9がキー ワードとなる.それぞれの個人や組織の資源や能力の限界・限度こそが,互いを必要とするネッ トワークの発生,つまり「つながりゆくポイント」の発生と展開の場所を生む構造と捉え,新た な社会形成の核としてこのネットワークを捉える社会理論を展望する視点を意味する. そして,災害に対応して生まれる,必要としあう他者の存在は,狭い地域内で閉じるものでは なく,地域境界を越えてさらに周囲へと広がる可能性がある.日常的にも,人々のネットワーク は特定の地域内にとどまるものではなく,異なる地域の人々とともに形成されているネットワー クを含めて,私たちは社会を形成しているが,災害においてはダメージを受けた地域内部あるい は近郷近在のような近接地域では,相互扶助の機能が実質的に破壊されてしまうことを想定せざ るを得ない.日常的な近隣地域の助け合いを「近助」とし,遠隔地域間の助け合いを「遠助」と する斎藤友之(埼玉大学教授)の指摘が現実性を持つことになる10. そうした「遠助」の事例として宮城県仙台市宮城野区福住町会11 が上げられる.東日本大震災 以前に,この町会が連携関係を持った他地域の町会の所在地は,愛知県西尾市,岐阜県中津川
市,新潟県小地谷市,山形県尾花沢市などと仙台市域を大きく外れた遠隔地域にある.2003 年 の宮城県北部連続地震(M7.2)をきっかけに,福住町は大規模地震災害の時に,近隣地域は同 時に被害に遭い,助け合うことができないことを知り,これへの対応策として遠隔地の姉妹都市 ならぬ姉妹町内会との連携を本格的に探し始めた.2004 年の新潟県中越地震(M6.8)に際して は,現地からの依頼を受けることなく,またつてもない見ず知らずの被災地に救援トラックを送 り出していた.2005 年には宮城県沖地震(M7.5),2008 年岩手・宮城内陸地震(7.2)と続く地 震の中で遠隔地との連携必要性が確信されていった.「何かあったら助け合いましょう」という シンプルな「災害時相互協力協定」を結び,これらの地域の町内会でお祭りや防災訓練があれ ば,互いに人や炊き出し食を提供する店などを派遣してきた.東日本大震災の直前の 2011 年 1 月には,宮城県蔵王山の山懐にある豪雪地七ヶ宿町役場へ福住町会は大雪見舞いに訪れたが.今 度は震災後の 2011 年 4 月,七ヶ宿町役場から野菜を満載したトラックが,この福住町集会所に 横付けされた.このように,今回の大災害の時に各地から救援物資を積んだトラックが福住町会 に集まってきたことは,長年の関係つくりの一つの成果であった12.まさに「なさけはひとのた めならず」である. 仙台市の「指定避難所」となっていなかったこの福住町集会所には,市や県の救援・支援物資 は来なかったが,この集会所に集まった多くの救援・支援物資は,福住町会によって岩手県大船 渡を始めとして 130 ヵ所の避難所などにさらに届けられたという.地域内連携の追求が,その不 可能な面を明らかにし,地域外連携を模索することで,「支え合うネットワーク」が姿を現わし た例である. そして,注目すべきは,こうした地域内連携も地域間連携も,行政などの命令で行われた「業 務」によって実現した上からのネットワークではなく,行政の動きを待つことなく,人々の自発 的で主体的なネットワークとして生まれた共助=水平方向のネットワークであったことである. 指揮命令ではなく,動けるところで自発的に迅速果敢に人々が動くことが,大規模災害において は不可欠であり,不可避であることを私たちは東日本大震災で学んだのである.「自助・共助・ 公助」と並んで称されることが多いが,共助を近隣地域内のそれに限定するならば,共助の可能 性を無用に狭めることになるだろう. 4.「住民が積極的に関わる仕組み」の重要性 参加型社会開発のキーとなるこの仕組みは,自分たちの弱点(ハザード)を解消しようとする 時に立ち現れるものである.人々同士が孤立している時,他者そして自己の有用性は見え難いも のである.地域内の多様な資源の再発見と,他の地域の多様な資源の再発見という上記のプロセ スは,互いが互いの資源として頼もしく見えてくるネットワークを意味する. この導入として用いられることが多いのが住民参加型ワークショップと呼ばれるものである. 「住民のみなさんが参加して作りました!」という結論で終わるだけで,後はそれを受け止めた 有識者たちが意味づけるだけというケースも無いわけではない.あるいは,その場に集まった人
たちの合意形成にはなるが,だからと言って,それを「地域の合意形成」とも「地域の結論」と も見なすこともできない.合意形成とまではいかないまでも,地域の課題をワークショップに集 まった人々と一緒に考え,多角的に検討した成果として得た「共通の理解」とすることはでき る.しかし,これらはあくまでその場に集まった人たちの緩やかな合意であり,ある意味ではイ ンフォーマルなものである13. むしろ,こうした緩やかな合意を受けて,家々に戻って自分の家族との話し合いが始まった り,自分の所属組織の中で再度議論を行ったりして,組織の合意としていくことができるなら ば,その場の「緩やかな合意」や「共通理解」が,徐々に地域全体に広がっていくことになる14 . つまり,住民参加型ワークショップとは,人々の間である課題に関する合意や共通理解を形成す る時に用いる一つの道具であり,そこから先に進むためのきっかけを生み出すものである. そのことを理解した上で,私たちは住民参加型ワークショップにおいて,いくつかの注意点を 持つことにした.その第一は「誘導型ワークショップ」を行わないということである.これは始 める前から辿り着くべき結論や落し所を決めてワークショップを行うことである.ファシリテー ター,あるいはこの結論を理解している外部のメンバーが,ワークショップに直接参加もしくは 介入して,参加者を誘導していくというタイプである.「みんなでこの結論に辿り着きました!」 という体裁はあるが,内実は初めから筋書きが決まっているものである.こうした誘導型ワーク ショップは,限られた時間の中で,スムースに結論まで至りやすいので,主催側からすれば便利な ものであり,ワークショップを請け負った側は発注者(主催者)の意を受けて,進んでこうしたタ イプのワークショップ・デザインを取りやすい場合もある.特に,私たちは教員であり,ややもすれ ば正解を示したがり,教えたがる可能性が強いので,自戒の念も含めて,お互いに注意をしてきた. 二つには,上記とも関係するが,私たちファシリテートする側の役割を,「あくまで場の設定 と整理の手伝い」とし,住民のみなさんの議論を丁寧に進める裏方に徹しようというものであ る.時間や手間暇は掛かるかもしれないが,住民自身が選んだ「始まりのきっかけ」となること に力を注ぐことである.メンバーの一人である磯部が指摘するフィールド・ワークのポイントが ある.「地域で,地域に,地域を学ぶ」15という,「現地で,地域の現実から,地域のあり方を学 ぶ」=「学ぶのは私たち自身である」という姿勢を強調する指摘を心にとめて私たちは地域に入 ることにした. 次ページは私たちが地域のみなさんに配布した防災研究会の取り組み方の説明である.子ども たちの作るハザード・マップを地域の大人たちが受け止めて,深めていくことと,問題の解消に 向けて,危険を安全に,不安を安心に変えて行く作業の先に,地域独自の防災計画と避難計画が 生まれることを示している.それに基づいた防災訓練や避難訓練を繰り返すことで,よりリアリ ティのある訓練が,また計画が生まれていくことを狙う私たちの基本的なあり方を描くものであ る.次の第二章では,具体的にどのような作業を行い,さらに,どのような課題や問題が見えて きたかを第三章で描くこととする.
“地域の子どもたちと大人たちが作る
地域防災計画および地域の防災・避難訓練の流れ”
〈子どもたちのハザード・マップ作り〉 1.町歩き,道歩き,山歩き,場所の記録,写真記録,トランシーバー通信実験. 2.ハザード・マップ⇒「白地図に危険な場所や不安に思う場所あるいは事柄を書込む」 その他 大事な場所(消火栓,防災倉庫,消防団詰所,公民館,井戸,高齢者施設, 学校など),避難ルート ( 第一避難場所,第二避難所,福祉避難所などの書き込み 3.地域の大人たちへの報告 〈大人たちのハザード・マップ作り〉 1.子どもたちのハザード・マップを持ちながら,「危険・不安な場所や事柄」の確認を 行う町歩き・道歩き・山歩き,写真記録,トランシーバー通信確認 2.大人たちの気づいた 「 危険・不安な場所や事柄 」 の記録を付け加えて 3.大人たちのハザード・マップ作り 4.「 危険を安全 」 に,「不安を安心」にするためにできることを検討する. 5.災害が起きる前にできること⇒地域防災計画 6.災害が起きたら行うこと⇒地域避難計画 7.「 危険を安全 」 に,「不安を安心」にできなかったことをどう解決していくか. ⇒ 他の地域との連携,町役場との連携など 〈避難計画〉 1.自分たちで作った避難計画にもとづいて「避難訓練」を行う. 2.うまくいった点,うまくいかなかった点の洗い出し. 3.防災計画・避難計画の見直し地域の防災計画・避難計画
子どもたちの 地域ハザード・マップ 子どもたちが見つけた 危険な場所 不安な場所や事柄 地域の大人たちが 危険を安全に 不安を安心に!第二章 美浜町布土学区における地域防災・減災・避難計画つくり
私たち防災研究会はその活動領域を美浜町およびその周辺領域として活動を続けてきた.特に 大学の美浜キャンパスがある奥田地区(多くの学生が暮らしてもいる),学生アパートなどが点 在する野間地区,上野間地区,南知多町内海地区,これらの地区に挟まれた美浜緑苑地区におい て様々な調査や活動を行い,さらに常滑市小鈴谷地区にも調査範囲を広げ,地域住民の防災への 取り組みを学んできた.その中で,町内会自身がこれまで防災・避難計画などに熱心な取り組み をしてきている布土地区への関心が高まり,知多半島東岸(三河湾に面している)にある布土地 区住民防災活動の調査を開始した.2012-13 年度の布土前区長と現区長からの熱心な要請と協 力もあり,防災研究会としてこの地域の防災・減災・避難計画作りに全面的に協力することを決 めた.そして,布土地区にある布土小学校の学区を共に構成する時志区も含めた布土学区支援と いうことになった. 平成 22 年 10 月1日現在 町丁・字名 人口(人) 年齢別人口(人) 世帯数(世帯) 総数 男 女 15 歳 未満 15 ~ 64 歳 65 歳 以上 うち一般 世帯数 65 歳以 上比率 知多郡美浜町 大字布土 大字時志 北方 大字北方 大字浦戸 河和台 大字河和 新浦戸(大字古布の一部含む) 大字古布(新浦戸の一部含む) 大字豊丘 大字小野浦 大字野間 新栄 大字奥田 大字上野間 美浜緑苑 25,178 2,701 197 439 1,157 308 1,885 4,110 828 792 942 237 3,215 364 4,848 1,851 1,304 12,328 1,318 97 211 574 154 955 1,987 405 395 470 111 1,563 162 2,357 922 647 12,850 1,383 100 228 583 154 930 2,123 423 397 472 126 1,652 202 2,491 929 657 3,177 339 19 81 216 31 395 473 112 125 140 17 367 36 400 232 194 16,344 1,622 128 307 724 186 1,332 2,490 539 516 573 141 1,900 281 3,573 1,180 852 5,539 740 50 49 216 91 156 1,145 172 142 229 76 939 37 802 437 258 9,700 932 71 170 393 99 639 1,458 289 251 288 88 1,144 207 2,605 626 440 9,689 932 71 170 393 99 639 1,453 289 251 288 88 1,140 207 2,603 626 440 22.0% 27.4% 25.4% 11.2% 18.7% 29.5% 8.3% 27.9% 20.8% 17.9% 24.3% 32.1% 29.2% 10.2% 16.5% 23.6% 19.8% 表 1 国勢調査による美浜町区別,男女別人口,年齢別人口及び世帯数 出典:美浜町役場 HP http://www.town.aichi-mihama.lg.jp/1. 布土学区現在の概要 153 人の小学生が通う(2014 年 4 月 1 日現在)布土学区の概要を見てみよう.美浜町東岸の三 河湾に面した両地域は,平成 22 年 10 月 1 日現在の国勢調査統計では,布土区は世帯数 932 であ り,時志のそれ 71 と合わせて両区でおよそ 1,000 世帯を数え,総人口 2,898 人(女性 1,483,男 性 1,415)と,この町の総人口の約 1 割を占める地域である. その内訳から見ると,65 歳以上の高齢人口比率は 27.3%と美浜町全体の 20.0%よりも 7 ポイ ント余り高く,美浜町の中では高齢化が進んでいる地域であることが判る.これに対して 15 歳 未満人口は 12.4%と町全体の 12.6%より僅かに少ない程度であり,次の世代が特に少ない地区 ではないことが判る.その中間の労働人口(15 ~ 64 歳)は 60.4%と,高齢人口が多い分だけ, 町全体の 64.9%よりも 4.5 ポイント低くなっている. 美浜町内には,2015 年 1 月 1 日現在で,115 世帯 215 名の外国籍住民が暮らしているが,この 学区内には 5 世帯 14 人の外国籍居住者が住んでいる.防災計画において,こうした外国籍住民 への情報伝達が日本語以外で行われる必要性があることも忘れてはならない. こうした住民台帳記載の基本情報以外に,75 歳以上の高齢者独居世帯数 20 世帯がある他に, 65 歳以上の高齢者夫婦のみの世帯数などが防災計画における要援護世帯の基本情報として必要 になってくる.昼間人口と夜間人口の差から,もし昼間に災害が発生した時に,地域の避難や救 援で動ける人々の数が激変する可能性が極めて高いものと考えられる.車椅子での移動が必要な 人々の数なども発災以前に地域で考える基本情報となるだろう.現在のところはこうした地域の 基本情報だけを防災研究会が自分たちで性急に集めることはせず,地域住民の方たちの防災計画 作りのプロセスに委ねている. 2.布土学区のなりたち,そして防災への取り組み 明治初年にあった布土村,時志村,北方村の三村は,郡区町村編成法が施行された明治 11 年 に合併して富沢村となるが,その後,再び三村に分かれ,「市制及び町村制」が施行されて「明 治の大合併」が行われた 1889 年(明治 22 年)10 月に再度三村は合併し,布土村となった16.敏 腕の愛知県知事深野一三の指揮の下で進められた愛知県の町村合併政策に沿って,1906 年(明 治 39 年)7 月に,布土村は豊岡村の一部と共に河和町と合併した.1906 年の愛知県町村合併は, その前年の県下町村数 667 町村が 1906 年末には 265 町村にまで減った大きな流れの中で起きた ことであった17.日露戦後の国家経営の中で,地方の基礎自治体の規模を拡大することで基本財 産を増加させることを優先する,その後の「地方改良運動」の先鞭となる政策である.以後昭和 30 年に「昭和の大合併」の下で,河和町が野間町と合併して美浜町となる. 布土学区は,「明治の大合併」の後で生まれた布土,時志,北方という三つの村が作った布土 小学校をベースに作られている(旧布土村北方は,現在はこの学区から離れ河和小学区に入って いる).明治 5 年の学制発足時の当初は,宝林寺や浄仙寺内に間借りしていたが,明治 15 年に布 土区大池に校舎を建設し,移転した.そして,昭和 59 年(1984 年)に布土小学校は現在の所在
地である海抜 20 メーターを超す丘の上に移転するまでここにあった.この旧布土小学校(地域 の人々が土地を提供し,資材を供出して建てた村立布土尋常小学校)の跡地が海沿いの平坦地に 今もあり,一部は社会福祉法人みはま福祉会のデイサービス・センター「セルプ・アゼーリア」 として運営されている. 河和町から美浜町へと変わった昭和 30 年の翌年に「布土小学校区会」が設立され,今も継続 されている.小学校行事への布土区・時志区の区長の参加を始め,平成 5 年からはそれまで別々 に行われていた布土学区民運動会と布土小学校運動会が学区・小学校合同開催となった.美浜町 内の小学校ではこうした例はなく,学区と小学校の結びつきが理解される.平成 14 年(2004 年) には学区との自主防災訓練が始まるなど,防災への意識が地域の中で,小学校と協力しあいなが ら高められていく様子がうかがえる.翌平成 15 年には県教育委員会「親子で学ぶ参加体験型地 震防災教育」の研究推進校に指定され,さらに翌平成 16 年には文科省「地域ぐるみの学校安全 推進モデル事業」の研究推進校に指定された.学区と小学校が共同で行う地域防災の取り組みが 続いてきたことが判る. そして,20011 年の東日本大震災の後で,美浜町各地区で防災・避難計画への関心が高まり, 特に当時の布土区長は地域の防災計画や防災教育の重要性に着目し,小学校と協力して地域独自 に活動を行うことを進め始めた. このように,地区と小学校の協力関係が深く,今も学区と小学校が連合運動会を開催している 布土学区が,「地区防災計画」のモデルとなるベースを有していることが理解される.この地域 をベースに,小学校と協力して,学区と大学の研究チーム(防災研究会)が子どもたちの地域の ハザード・マップ作りを支援することが可能となる.地区には町内会をベースとした自主防災組 織が編成されているが,ここに災害弱者の視点(特に小学生の子どもたちの目から)を導入し, 地域のハザード・マップ(危険個所地図)を作成することが本研究の第一の柱になる. さらに要介護高齢者や障がい学生などの作成するハザード・マップと合わせたものに,地域の 大人たち(個人だけでなく,諸組織も含む)がこれに対処することを通じて,地区防災計画と防 災訓練案を作成すること,そしてその汎用性のある普及モデルを作成し,その手法と成果を記 録・理論化し,広くこれを発信することが防災研究会の課題である. この手法が,地域ごとで異なる災害に生かせる理由は,「住民が積極的に関わる仕組み」ゆえ に,地域の独自性を映し出す手法であるからである.他地域で生かせるような防災・減災・避難 計画の立案モデルを得ることが目標となる.そのノウハウを示す,地区の人々(子どもから大人 まで)による「ハザード・マップ作りからセーフティ・マップ作りへ」という磯部ゼミが提起し た標題は,本研究の標題でもある. 3.布土学区防災計画支援の始まり……地震発生!町中,危険個所ばかりであった 布土学区の児童は 153 人(2014 年度)であり,北端の布土区上村地区から布土川沿いに出て 布土小学校に至るルートと,南端の時志区から布土区大池地区に入り布土小学校に至る二つの幹
線ルートがある.そこに至る幾本かの支線ルートがあり,子どもたちは途中の集合場所まで家々 から集まり,登校班ごとにそれぞれのルートを子どもたちだけで小学校へと登校する.そして低 学年の児童は下校時にもそれぞれの登校班ごとに下校していくことになる.
写真 1 小学生の通学路ハザードマップ作り―川沿いの道―(2014. 7. 23)
この子どもたちに集まってもらい,簡単な地 震・防災知識を確認した上で,それぞれの登校 ルートを点検してもらった.ポストイットに気 が付いた点を書き込んでもらい,それを壁に 貼った大きな紙の上に貼りだしていく.その結 果,多くの隠れていた危険が浮かび上がってき た. 天井裏が露出した空き家となっている家屋, 大きなガラス窓があちこち割れている朽ちかけ た木造の元織物工場,両側に迫るブロック塀, 逃げ場のない川筋の道(写真 1 参照),頭の上 を走る名鉄電車(写真2参照),両側に古い家 屋や塀が連なる細い道,子どもたちは次々に危 険な場所,不安な場所にマークをつけておこ なった. この通学路のどこかを歩いている時に,震度 7 の大きな地震が襲ったら,いかなる事態が生 まれのか,怪我をして動けなくなることはない のか,自宅へ逃げることを選ぶのか,それとも 「緊急避難場所」のある高台へ向けて逃げるべ きか?と戸惑いが大きくなった. 子どもたちの祖父にあたる年齢層の住民たち と,子どもたちの歩いた場所をしらみつぶしに 歩くと,さらに様々な懸念が出てきた.かつて この地域が塩田を業としていた時代があり,そ の跡地が今では住宅地となり,液状化が心配で あること,山際に家を建てた時,大工の棟梁か ら「このあたりの地盤は軟弱である」と告げら れたこと,何十年も前に立てられた消火栓位置 では,現在の家々の向きが違い,消火するのに ホースが伸びず,使い物にならない可能性があ ること,消火栓と対であるべきホース収納箱が 建築の関係で移動してしまい,今では互いに見 えない場所に離れており,探せない可能性があ る,などなどである.次から次へと懸念材料が 写真3 細い通学路の両側は古い家屋 写真4 通学路脇で,ここは大丈夫か? 写真 3-2 廃業した古い工場のガラス窓はあちこ ちが壊れている
出てきた.高齢者が多い自主防災会メンバーたちは,私たち防災研究会のメンバーと一緒に町の 路地から路地へと,かつての子ども時代を思い出しながら町歩きの範囲を広げていった. 4.緊急避難場所をつなぐトランシーバー・ネットワーク 地震発生直後から,携帯電話がつながらない中で,みんなが避難を開始する.高台にある 「 緊 急避難場所 」 に辿り着いたとして,谷筋や川筋に下りて,向こう岸の布土小学校に移動を開始す ることがいつ可能なのだろうか?誰と,どう連絡を取ればいいのか? 布土学区の場合,「緊急避難場所」は時志区で 2 カ所,布土区で 3 カ所の計 5 カ所である.伊 勢湾岸の他の学区ごとに,4 から 10 か所の「緊急避難場所」が設定されている.そして,海岸 に近い小学校では,小学校そのものが津波の危険に曝されるため,子どもたちを連れて校外の 「緊急避難場所」に避難することが想定されている.このことは,親や家族が 4 から 10 か所の 「緊急避難場所」のどこかに逃れ,子どもたちは学校や学校近くの「緊急避難場所」に逃れるこ とを意味する.携帯電話などの連絡手段が通話不能となっている状態下で,子どもたちと家族が 直面する安否確認の不安は極めて強いものとなることが懸念される.情報取得困難のため「緊急 避難場所」相互の避難・被災情報が孤立することになる. 私たちはこの疑問に答えるために,布土小学校の屋上に親局を置いて,布土・時志両区で 27 カ所ほどのポイントと親局,あるいはポイント同士の交信可能性をチェックするトランシーバー 実証実験をおこなった.防災研究会メンバーの大場研究室に保持している 40 台のトランシー バーはロング・アンテナの特定小電力ハンディ・タイプで,見晴らしの良い場所では 4 キロメー 写真5 交信実験に用いたトランシーバー ターの交信性能を有している.そして,小学校に は,役場との交信が可能な MCA 無線機があるの で,役場からの情報を元に,小学校から各「緊急 避難場所」に情報を送ったり,情報を受けたりす ることが可能になる.役場を MCA 無線ネット ワークとそれぞれの地区内の交信ネットワークが 接続することになるものと期待された.この実証 調査の詳細な結果は,本研究最終報告書に詳述す るが,布土・時志両区では,交信不能な場所が各 地にあること,より高い位置に中継局を置かない 限り,緊急避難場所を完全につなぐことは難しい ことも判った.美浜町布土学区における地域防 災・減災・避難計画作りは,まさに手探りで地域 の路地を歩きながら始まっている. 一方,美浜町野間区はほとんどの「緊急避難場 所」相互が交信可能なだけではなく,奥田にある
大学本部キャンパスとも交信可能であることが判った.ただし,野間区の中で小野浦地区(「緊 急避難場所」は「青少年の家」と諏訪社の 2 カ所で,相互に交信可能)だけは他の地区と交信が 不可能で孤立する可能性が高い.奥田地区は大学との交信は可能だが,それぞれの「緊急避難場 所」相互の交信は難しい.こうした緊急交信網が予め判っていることが緊急事態を発信し受信す ることを可能にし,災害への備えとなることが期待される. 私たちは,学区内交信ネットワークを数地区で構築してきたが,これは『学区内相互支援関 係』を可能とする試みの一つである.場合によっては,美浜町に含まれない近隣地区としか連絡 のつかない地区あるいは交通が孤立する地区も発生する可能性があり,地域間連携を核とする 『地域間相互支援関係』が基礎自治体の境界線を越えて必要になる場合も想定される.相互の非 常時連携という観点から,市町村あるいは広域の「自治体防災計画=地域防災計画」へと至る具 体的な道筋が明らかになるだろう.
第三章 防災調査から見える地域社会の課題
愛知県美浜町を現場とし,参加型社会開発の手法を基本に,小学生や要援護者(災害弱者)の 視点から小学校区単位でそれぞれの地域独自の防災・避難計画を見出そうとするこの研究では, 写真 6 野間地区富具崎公園からのトランシーバー交信実験 (2014. 1. 29)「住民が積極的に関わる仕組み」の模索・検討が進められた. ポストイットに気が付いたことを書き出し,他の人が書き出したカードへの疑問も意見も,同 様に書き出すことで,貼りだしのボード上には多くの意見が集まってくる.それを対象として議 論が展開する.布土学区会を中心とする防災チェックの町歩きを何回か重ねた上で,2014 年 10 月 4 日には,それまでで最も大きな 50 人程の検討会を持った.布土学区会(布土区と時志区の 区会メンバー),自主防災会,布土小学校の先生たち,教育委員長,町会議員,みはま福祉会ス 写真 7 海側から山側へ行くには一車線のガー ドを通るしかない. 写真 7-2 時志・布土区で緊急避難場所への唯一の二車線道路.海が見える. タッフ,消防団,町役場防災安全課そして防災研 究会と学生たちが集まり(大半が男性),子ども たちが作ったハザード・マップを前に,この地域 の抱える困難についてポストイットで議論を重ね た.この議論の報告は,2014 年 11 月 16 日に本 学学園祭企画の一つとして,シンポジウムで報告 された(詳しくは,最終報告書).この章では, この議論から浮かび上がったこの地区の防災・減 災・避難計画の困難と課題について検討する. 1.地域の自然・社会条件上の困難 現在名鉄河和線が布土地内を通っているが,昭 和 7 年(1932 年)に当時の知多線が初めて成岩
写真 8 海側から山側へ線路を越える細 い道は,誰も通る人がいないため 草薮の中に埋もれていた. 写真 9 草に埋もれたがけ崩れ危険看板は草に埋も れて見えなくなっていた 写真 10 既に半壊して室内が見えている空き家 町(現在の半田市成岩)から河和口駅(布土)まで延伸 し,昭和 10 年(1935 年)には河和(現在の河和線終点) まで伸びて現在の河和線が完成した.2006 年に布土駅 が廃止され,地区内には河和口駅だけが開業している. この地域を南北に走る鉄道道床の盛り土が,地域を南北 に分断し,海岸と山側をつなぐように東西方向に走って いた幾つもの道を閉ざしてしまい,現在の布土地区では 数カ所の通路がこの線路を越えてあるに過ぎない.この ため,布土地区では,海岸側から山側への避難路は狭 く,しかも本数が少ない上に,自動車が行き交える 2 車 線道路は一本だけとなっている.このことはこの布土地 区全体が避難ルートの確保に困難があることを示唆して いる. 建築基準法が改正される 1981 年以前に建造された建 物(そのほとんどが震度 7 で倒壊する可能性 が高いものと見なされている)は,美浜町内 では 85%に上るが,この学区においては, 戦前からの建物も含め古い建物が圧倒的に多 い.特に海岸沿いに走る国道に沿った地域に はこうした古い家々が続いている.4 メー ターの津波がこの地区を襲う可能性が想定さ れているが,それ以前に,震度 7 で激しい揺 れが襲った時に多くの家屋やブロック塀が倒 壊し,その下敷きになった人々の避難それ自 体や,その後の避難路の確保が 極めて困難になることが懸念さ れる.およそ 11,500 棟(8,500 世帯)ある美浜町内で想定され ている 1,000 棟の火災発生は, 町の世帯数のおよそ 1 割を占め る布土学区では,およそ 100 棟 に近い火災発生18 に相当する. この火災が避難路の数をさらに 狭める可能性がある.津波到達 時間は 50 分余りだが,以上の
写真 11 つたに覆われた空き家
写真 12 後ろ側に支えの無いブロック塀の左 は子どもたちの通学路
地域の人たちとの懇談の中で,多くの人が 2 キロほど川の上流域にいくつもある溜池が,過去 に何度か崩壊し,下流域の家屋が流失した事例があったことを心配していることが判った.津波 の水流が海からやってくることを恐れ,海側を警戒する前に,山の上流域から大量の水が押し寄 せてくる場合があることを懸念する必要があることも分かった.美浜町は現在こうした溜池の補 修工事を進めているが,こうした警戒を怠らずにいる地域の人々のことを忘れてはならない.美 浜町内に 500 弱の溜池があることは,あながち杞憂とみなすにはあたらないことを示唆するだろ う. 2.人々の分散化がもたらす困難 ほぼ 1,000 世帯あるこの学区には 30 人の消防団員がいる.小さな地域の割には河川数が多く, 比較的大きめの河川 2 本とそれ以外の小さな河川があり,全部で 11 の水門が地域にある.巨大 地震発生時に閉めなければならないならない水門が多いことは,消防団の負担を大きくしている 写真 15 ハザード・マップの検討作業(2014 年 7 月 31 日 布土公民館にて) 写真 14 道の両側が生垣……安心できます. ような避難行動を阻害する様々な要因 があり,私たちの想像以上に実際の避 難には多くの困難が立ち現れるだろ う. この地域を構成している土壌の性質 は固い岩盤ではなく非常にもろい土壌 であるため,地域内各所ががけ崩れ警 戒区域に指定されている.従来の避難 集合地点には,そうした崖崩れの可能 性の高い崖下にあることが防災研究会 の指摘で判り,これらの緊急避難場所 という災害時に目指す地域住民の集合 地点を,より安全な場所へと布土区や 時志区の人々は移転することにした. このような「緊急避難場所」の安全 性という問題は,この地域に限らず美 浜町内各所に懸念されることである. 特に,台風などの避難場所・避難所と 津波災害に備えた避難場所・避難所が 異なっていることを住民すべてに周知 されている訳ではないことが,本研究 会の各地で開いた地域ワークショップ で明らかになっている.
が,取り分け,昼間時間帯に発生した時に,この地域の消防団員 30 名の内で活動に参加できる 当該地内在勤者の数は,わずかに 3 名であり,消防団の役目は,地震発生から 50 分余りの津波 到たち時間内に水門を閉じることだけで終わるものと考えられている.昼間は他の地域に働きに 出かけている消防団員が大半であることを示している.社会組織の希薄化が実際の適応力を削い でいることは,時間帯が異なれば,同一の地域に極めて異なる姿を持たせ,画一的な分業計画を 困難にしているのである.地震発生の衝撃に対応する地域の適応力は,その発生時間によっては とてつもなく低い場合があることを,私たちは理解しておく必要がある.地域に中学生以上の頼 りになる現役就学者・就業者たちがもぬけの殻になっている時間帯に,私たちはどのように安全 を図ることができるのだろうか,という問題は極めて深刻な課題である. 他方で,河和口駅近くの旧布土小学校跡地に建つ社会福祉法人みはま福祉会の運営する知的障 害者デイサービス(月曜から土曜日まで朝 9 時から夕方 4 時まで)の施設セルプ・アゼーリアの 入所者 39 人とそのケアをする 20 人ほどのスタッフたちの避難を見てみよう.強度の揺れがもた らす衝撃を利用者とケア・スタッフが受ける中で,しかも倒壊家屋などや火災などの中を布土小 学校まで避難することには想像以上の困難があることは想像に難くない.災害時要援護者の避難 を含めて,激しい地震の揺れで身動きが付かなくなった人の救出などの可能性に大きな困難が生 まれることが危惧される. しかし,この福祉施設の人々がみな無事に避難しえるなら,この地域の子どもたちや災害時要 援護者もまた無事に避難しえる可能性が高まっていることを意味するだろう.私たちは街のユニ ヴァーサル・デザインが特定の人のためではなく,災害によって怪我や疾病を受けた災害弱者に とっても心強い街となることを忘れてはならないだろう.そして,福祉や教育を学ぶ大学にある 学生たちや教職員がこの町の一角に控えていることも忘れてはならない.それは,ハードの機材 を持たぬけれど,ソフトの可能性を手にする人々の果たす可能性の大きさであり,災害が発生す る前に,私たちが工夫を必要とすることの多さである. 3.住民の参加のあり方 「小学生の作るハザード・マップ」を大人たちが受け止めるという私たちの基本姿勢は,「住民 が積極的に関わる仕組み」という本研究の最も大事な仕掛けであるが,防災の集まりへの住民の 参加状況は大きな問題であった.殆どの企画が日曜日に行われたが,参加者は限定的であった. 地区の広報が誘っても地域住民の参加は 5%から 10%をわずかに超える程度(100 人から 300 人) であった.中でも女性の参加,若い親世代の参加は極めて少ない.地区の呼び掛けに応えるの は,多くは男性高齢者の役割であった.この数字を多いと見るか少ないとみるかを性急に判断す ることはしないが,一回限りのものでなく,様々な機会をとらえて,参加の層を重ね,広げてい くことが不可欠であることは確かである. 私たちは,自分たちの防災のための組織やイベントに多くの人たちを集めることを狙うより も,地域内で日常的に活動している既存の社会組織やイベントに,防災・減災の要素を導入して
もらうことの大切さに気が付いた.多くの人々に防災・避難の取り組みを知ってもらうことを試 みる必要である.私たちの土俵に「人々を参加させる」のではなく,私たちが「人々の集まると ころに参加する」ことである.これは,「時々開く防災企画への人々の参加を待つこと」から 「人々の日常への防災企画自身の参加」という逆転の発想である.幾重にも重なる人々の日々の ネットワークへの防災チームの参加が,地域の防災・減災への関心と具体的対応の広がりを支援 していくことにつながることを期待するものである.一枚岩の防災組織ではなく,複数の多様な 社会ネットワークが相互に災害時の協力関係を結んでいくことが,ソーシャル・ネットワークや ソーシャル・キャピタルの勘所であることを私たちは今回の研究で学んだ. そのように捉えた時,この布土・時志には普段から多くのチャンスがあることに気が付く.例 えば,平成 5 年から始まっている布土学区の地区運動会は,布土小学校の運動会と共同開催であ る.その場にあるもので即席の担架を作成し,これを用いて人を搬送する救援レースや,トラン シーバーを用いた連絡連携によって,避難時の持ち物を集める「買い物レース」など,運動会の 種目の中にも,私たちが工夫する余地がある.これはその他の地域においても言えることであ る. PTA や老人会の集まり,健康体操の会,少年野球やサッカーなどこの地区ならではの集まり がある.この集まりの場を活用して,防災・減災ゲームや対策の企画,地域行事の中での「避難 所炊き出し」実践など,現在のネットワークの中に非常時の基礎となる試みを行うことも可能で あるだろう.そう考えると,この地域で行われている多くの集まりやネットワークが,いざとい う時のネットワークとして生きてくる場面が見えてくる.大学生たちのクラブ活動も,避難所運 営の大事なエンタテイナーのスタッフとして見えてくる. 小学生や在宅要介護者,障がい学生など災害時の災害弱者の目線でハザードを捉え,日常的 ネットワーク(ソーシャルキャピタル)の組み換えや利活用によって,災害の中で,互いを支え あう基盤となる可能性を見出すことが,地域形成のあり方のデザインにとって意味のあることと して浮かび上がってくる. 4. 合意形成の不可欠性 大人たちの議論の中で,地域内の各所にあるブロック塀の危険性,そして崩壊寸前と思われる ような空き家の数々が話題になった.それは私的所有物件でありながら,災害時には他の人々に 危害を及ぼす可能性があるものへの対応の難しさである. ブロック塀は,生垣化する方向で解決するものであるが,初めから壊してくださいと要求する なら,話しはこじれるばかりであるだろう.当事者も含めて防災・減災・避難の検討が気長に行 われることなしに,展望は開けない.また,倒壊の可能性が高い老朽家屋の耐震化耐久化も大き な課題である.行政の支援などを受けつつ,地域の防災計画を現実化して行くためには,私たち の前にある課題はとてつもなく大きいものがある. 私たちが議論を重ねていく中で,地域としての合意を形成しておく必要があることは上記のこ
とばかりではないことが浮かび上がってきた.子どもたちだけで行動している登下校時において 被災した場合,自宅に向かうのか,それとも,「緊急避難場所」に向かうのか,という問いは, その一つである.はっきりしていないなら,子どもたちも家族も大きな混乱の中に巻き込まれ る.その合意は家族や地域で行われておく必要があるだろうが,加えて,近くにいる大人たちが 子どもたちと共に「緊急避難場所」に逃げるという「地域の合意」があるかなしかで,家族の安 心は異なってくる. そして,地区の「緊急避難場所」には津波の恐れが去る 6 時間程度は待機することが想定され ているが,どの「緊急避難場所」も路上か原っぱに置かれており,この緊急避難に対応する食 品・飲用水・応急処置のための医薬品・毛布などの備蓄は,現状では何一つない.備蓄用の小さ な倉庫と備蓄品の用意が町内会によって進められ,町内で 300 ヵ所余りある三重県紀北町や南伊 勢町の事例19が参考になると思われる. あるいは,時間帯によっては無人となり,施錠されている小学校に,避難者が集まってきた 時,誰がそのカギを開け,避難所を開設するのかについて決まりがないことも分かった.地域と 写真 16 美浜福祉会「セルぷ・アゼーリア」(旧布土小学校 跡地)は海から 80 m 写真 17 緊急避難場所は道路の上(備蓄はなし) 小学校,行政の間での合意が判然とし ていないことは,緊急時の無用な混乱 をもたらすことになるが,幸い,当事 者の参加した場で行われた議論である だけに,今後の展開は実りあるものと なるだろう. 同じように,美浜町の福祉避難所に 指定されている「セルプ・アゼーリ ア」は,海から直近にあるため,災害 直後は福祉避難所の開設はおろか,自 分たち自身が避難せざるを得ない.避 難場所である布土小学校に臨時の「セ ルプ・アゼーリア」を開設し,そこを 「臨時の福祉避難所」とすることも考 えられる.当事者を含めた更なる検討 が必要である. 津波浸水エリアにある医療機関が, 布土小学校あるいは別な場所で臨時の 救護所を開くとして,その具体的な合 意がまだできていないことも分かっ た.そして,布土小学校(他の町内の 小中学校もだが)の備蓄倉庫には,飲
用水も非常食も備蓄されていないことも分かった.(喜ばしいことに 2015 年 3 月に関係者の努力 で全校で備蓄を開始する運びとなった.) 早急に地域内で合意を形成する必要のあることが,次から次へと明らかになってきた.「誰か がやっているだろう」ということが「誰もやっていない」ことにならぬよう,私たちの議論や検 討と合意形成を必要としていることがまだまだあることが明らかになってきた.それを議論し確 認する場としての区会(布土学区区会)の重要性が,この合意形成の困難と共にいっそう明らか になってきた.
第四章 内閣府主催「地区防災計画モデル事業」と今後の展望
布土学区の防災・避難計画作りはまだその緒に就いたばかりである.それはこの研究の都合や 計画に従って地域の人々の合意が得られるわけではないことを意味している. しかし,押さえるべきポイントと,全体の大きな流れの方向は見えてきた.特に,2014 年 10 月末に内閣府の「地区防災計画モデル事業」に選ばれたことは,布土学区にとって大きな意味を 持つものと思われる. 1.災害対策基本法改正と内閣府「地区防災計画モデル事業」 私たちの科研費研究が始まってから 2 か月後の 2013 年 6 月に,災害対策基本法が改正された. その改正点として注目すべき事柄は,基礎自治体単位の防災計画の根底に,自治体(市町村)を 構成している各地区毎に防災計画を立てることが,基礎自治体の防災計画の基本であると明示し たことである.新しく誕生した『地区防災計画制度』がそれである.しかも,この地区単位の防 災計画は行政(基礎自治体)が行うのではなく,地区単位でボトムアップ型住民参加により作成 することを謳っている.翌 2014 年 3 月末には,防災計画作成のガイドライン『地区防災計画ガ イドライン~地域防災力の向上と地域コミュニティの活性化に向けて~』が内閣府より公表され た.このガイドラインに沿った地区防災では,地区毎に災害の様相が異なるがゆえに地区独自の 自由な防災計画が奨励され,そのモデルとなる防災に取り組む地区が全国で募集された. 私たちが取り組んできた科研調査(『挑戦的萌芽研究』)は,その実証調査の手法として,1) 小学校区を一つの災害単位として捉え,2)巨大地震発災時の小学生の通学路の安全性や危険性 を,まず子どもたちが点検し,3)それら子どもたちが感じ取った危険事項や不安事項に対し今 度は,安全事項・安心事項に変えて行く方策を,地域の大人たちが練っていく,というプロセス の積み重ねが,やがて,地区全域の防災・減災計画や避難計画の基礎となるというものであっ た.これは,2011 年秋に防災研究会が発足した時から,科研費申請書で展開した私たちの調査 および計画手法であり,これは 2014 年 3 月に内閣府が示したガイドラインが示す方向に一致す るものであることがわかった. 私たちが美浜町布土学区の防災・避難計画立案のために一緒にやってきた道筋は,このモデル事業に先行して既に行っていたものであることから,布土学区の皆さんとこれに応募することを 決めた.美浜町の支援も得られ,これに申請する運びとなり(申請者は美浜町である),2014 年 10 月末に平成 26 年度内閣府地区防災計画事業の全国モデル地区(全国で 15 の地区)の一つに 「布土学区」が認定された.このことは,今後の布土学区の防災・避難計画づくりに弾みをつけ るものと思われる. 今後,布土学区の防災計画の骨子が学区内で合意を得られたなら,布土学区防災計画案が学区 (時志,布土両区)から美浜町に申請し,町の承認が得られるなら,改正災害基本法が規定する 布土学区の「地区防災計画」が成立することになる.基本的な枠組みとしての「布土学区防災計 画」のもとで,今後はその時々の防災・減災と避難計画及び訓練が具体化されて行くことが期待 される. さらに,この布土学区の防災計画の手法が,内閣府の全国のモデル事業の一つとなることで, 他の地域のモデルとして普及していくことが考えられる.『挑戦的萌芽研究』としての「小学生 による学区ハザード・マップの作成を中核とする,南海トラフ地震に対する地域防災計画の立案 手法の調査研究」が他の地域の「地区防災計画」の参考になるなら,私たちのこれまでの実証調 査研究が一つの役割を果たすことになる. 2.『布土モデル』=「地域独自の防災計画」作りの手法 防災研究会が布土学区で始めている防災・避難計画の特徴は,案そのものを提供配布するもの ではなく,当該地域の想定されるハザードの発見,それを小学生の子どもたちの通学路チェック を通して行ってもらい,その成果を地域の大人たちが受け止める,という道筋を示すことであっ た.換言すれば,地域住民自身が,他人の身になってハザード(危険の原因・危険物・障害物そ して危ない状況)マップを作成し,想定されるハザードによって不可能となった事態や状況に対 する代替案の集積として,地域防災計画を作成し,ここで捉えられたハザードを踏まえた防災訓 練の企画実施を支援するのが私たちの役目である. そのステップごとに私たちは,本研究参加者がこれまで行ってきた参加型手法や「目黒巻」20 など多様な手法を用いてきた.そして今後試みるであろう新たなゲーム型避難・救援訓練などと ともに,工夫と試行錯誤を重ねていきたい.場の設定と共に,そこでどのような発見を住民と私 たちが見出せるかが,このプロセスの意味するところであるからである. 「住民が積極的に関わる仕組み」につながるこの一見多くのステップを必要とし,合意までの 手間暇が掛かるやり方は,関わる人たちが多ければ多いほど,地域の個別的で多様な危険が見え てくるばかりではなく,地域に存在する人々の多様な資源が見えてくるものと考えられる.それ は,いざという時に力を発揮するものと期待される.垂直型の分業システムが,大規模災害の発 生で立ち行かなくなった時でも,人々の協業が生き残り続ける可能性を追求するからである. このことを別の観点から見るならば,この合意形成のプロセスこそ,地区や地域の公共性を生 み出す基盤であり,他から与えられる公共性ではなく自分たちで生み出す公共性こそ,新たな地
域コミュニティの基盤となるものと期待されるからでもある.内閣府ガイドラインが強調する 「地域防災力の向上と地域コミュニティの活性化に向けて」というポイントの示唆するところで もある. この迂遠な道筋は,やがて布土学区全体の防災・減災・避難のあり方を,地域で暮らす多くの 人々自身が理解した上で,ひとたび大規模災害が起きた時に,同時にそれぞれが動き出し,手を 横に広げて作る幾重もの水平方向のネットワークが,人々を支えるという実践的な課題を追求す るものである.ハード(施設あるいはフルセット型の組織)面を重視する従来型のリスク・マネ ジメントとは異なり,ソフトな相互連携によるクライシス・マネジメントを提起するものである. あるいはまた,垂直方向の指揮系統を強化することで防災・避難を計画するのではなく,発災 後の混乱の中にあっても,人々が全体の動きを理解した上で,全体として犠牲者を出さずに済む 方向で動くことを重視する計画づくりである.それは,人々の自発的な実践と地区内外の相互の 連携を導くものである. こうして,自分たちの想定に基づいたハザードを前提とした防災訓練により,自分たちの地域 の防災計画を点検し続けることを不可欠とする一連の流れを持つ立案手法が,私たちの「布土モ デル」である. 3.地域独自の学校防災教育……小学校と地域と大学の協力 この地域に個有のハザード(危険や障害)を洗い出すこと(=ハザード・マップつくり)から 自分たちの対処のありかたを追求する(=セーフティ・マップつくり)へと進む「布土モデル」 にとって,重要な柱の一つは,小学校の防災教育である. 子どもたちの登下校時の防災・避難を出発点とするのが「布土モデル」の特徴であるが,この モデルが浮かび上がらせる地域独自の危険や不安,そしてそれらへの地域独自の対応を学ぶこと は,小学校の防災教育の大事な柱となるだろう.すなわち,「地域独自の防災・避難計画」を反 映した「地域独自の小学校防災教育」が登場するものと期待される. 地震・津波の基本的情報,災害時の危険と身の守り方を学ぶ防災教育だけでなく,地区の図形 模型(等高線ごとにボール紙を切り抜いて作る地形立体模型を磯部ゼミ学生たちが作成した)を 使い,土砂崩れ警戒地域,津波の予想経路,想定震度7による建造物倒壊などの地域特性を理解 する地区型防災教育の始まりである. そして,いよいよ地域ハザード・マップ作りである.子どもたちの居住地別グループ,通学路 別グループで,地域内ハザード・マップが作られる(これは,地域の大人たちの努力で危険不安 箇所が改善されることを踏まえ,児童の在学期間中に2回は改定されることが望ましい).子ど もたちの朝夕の通学路歩行中や,遊ぶ場所にいる時に震度 7 の地震が発生した場合の避難路の確 保や,的確な避難場所の選択に関わる課題が,これまで行われてきた一部地域で行った子どもた ちと大人たちのハザード・マップ作りでは見えてきた.今後は,布土学区(布土地区と時志地 区)全域でのハザード・マップ作りである.
子どもたちのハザード・マップつくり は,様々な影響を地域の大人たちに与え るだろう.PTA の大人たちは通学路の あちこちに直近の避難場所への誘導看板 を作り始め,町内会では,避難路を確保 するために,ブロック塀の撤去と生垣の 促進を進め,あるいは,火災から避難路 を守るために,家々だけでなく,街角に 多くの消火器を設置し始めるかもしれな い. こうして,小学校の教室の中だけでな く,地域の暮らしの中で毎年子どもたち の防災訓練が行われることで,子どもた ちばかりではなく,地域の大人たちの防 災意識が強化されるだろう.暮らしの中 の防災教育は,大規模災害時に子どもた ちの命を守ることに資するからである. そして,「地区防災計画」をベースとす るこうした「防災教育の拠点小学校」が 生まれるなら,長年にわたる地域の防災 力育成と継続の力になることが期待され る. 布土学区と防災研究会は,こうした小 学校防災教育への協力を今後も続けてい くつもりであり,毎年布土小学校でインターンシップを行わせていただいている本学子ども発達 学部の学生たちの協力にも期待したい. 4. 地域に固有のハザード要因 布土学区は美浜町の中で平均的な地区であるわけではなく,また防災・避難の標準化モデルと なるわけではない.手法としてのモデルであって,それぞれの地域が持つ大規模災害時の困難は 地域によって大きく異なってくる.その良い事例が,奥田区(旧奥田村)や野間区である.両地 区には,地域住民だけでなく,ここに居住する学生約 2,000 名(視覚・聴覚・身体障害学生など も含め),在留外国人 70 名弱,さらに通学生および教職員約 3,500 名,観光客をこの地域に在留 する人々と捉える時,従来の町内会自治会だけで防災計画を立てることには大きな無理がある. 特に奥田中地区にあるビーチランドの一日の観光客は少ない時で 100 人から多いときで 9,000 人 写真 18 布土・時志区立体模型(磯部ゼミ制作) 写真 19 磯部ゼミ制作風景