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真宗哲学序論 利用統計を見る

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(1)

真宗哲学序論

著者名(日)

井上 円了

雑誌名

井上円了選集

6

ページ

181-246

発行年

1990-04-10

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00002899/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

一il﹁   iー

ドー哲學幡獲

(3)

1.冊数

  1冊

2.サイズ(タテ×ヨコ)   187×127mm 3.ページ   総数:189   緒言: 3   目次: 3   資料:16〔真宗各派本山他〕   本文:166 4.刊行年月日   初版   明治25年5月5日   底本:再版       明治27年10月31日 5.句読点   なし 年全月蒸日旗繊 規夫 / (巻頭) 6.その他   (1)底本は成田山仏教図書館所   蔵本を用いた。   (2)「資料」(16ページ)は再版   から加えられたものである。   (3)章のはじめに列記されてい   た節の見出しを,節ごとに配置   するなどの変更を行った。   (4)この本はr禅宗真宗二宗哲   学大意」(四聖堂,明治34年2月   27日)に再録され,その際に読   点などの加筆訂正がなされたの   で,本書では同書を参考にした。

(4)

真宗哲学序論 緒 言 一 余はかつて﹃仏教活論﹄中に仏教諸宗はおのおのその長所あることを説けり。今この編は真宗の長所を説き たるものなれば、真宗をもって最勝完美の教となせり。もし他宗の長所に至りてこれをみれば、その宗また仏 教中最上の教たるを知るべし。これ余が﹃顕正活論﹄各論において論明せんと欲するところなり。 一 余は﹃宗教新論﹄ならびに﹃仏教活論﹄において仏教と哲学との関係を論じて、仏教は哲学的宗教なりとい いたるに、この編は仏教は宗教にして人智以上道理以外にわたるものなることを論じたれば、前後矛盾すると ころあるがごとしといえども、哲学上よりこれをみれば、仏教は徹頭徹尾哲理の応用にあらざるはなく、宗教 上よりこれをみれば、全教ことごとく釈尊の啓示にあらざるはなく、表裏その見を異にするものなり。しかる に他書にては表面一方よりこれを論じ、この編にては表裏相対してこれを論じたるをもって、その論理に二様 相反をみるに至れり。しかれどもその実、一様の道理なり。故にもし哲学上よりこれをみれば、そのいわゆる 啓示もみな道理以内の理なるを知るべし。たとえば宗教は道理一方にて講究すべからざるものなりというも、 絶対の本体は知識の知る限りにあらずというも、啓示は信ぜざるべからずというも、理外の理ありというも、 これを証明するは一として論理によらざるはなし。いやしくも論理によれば道理以外の理も道理以内となり、 人智以外の体も人智以内となり、その講究はみな哲学に属すべし。これこの編を﹃真宗哲学﹄と題するゆえん なり。 一 この編は余が﹃顕正活論﹄各論中真宗編を講述するに当たり論明せんと欲する意なりしも、すでに本編端緒 181

(5)

論において一言せるごとく、目下一日も早く真宗の哲理を世人に示さざるを得ざる事情ありたれば、諸県巡回       82 中各地において、あるいは公衆に対して演説し、あるいは質問に対して応答したるものを、日夜繁忙の中、寸 1 閑をぬすみそうそう編成せるものなれば、定めて謬誤疎漏も多かるべしと信ず。 一 本書初版は明治二五年四月これを発行し、本年これを再版するに及び、真宗分派伝灯等をその前に加え、も  って一覧に便にす。その目次、左︹前出︺のごとし。

(6)

真宗哲学序論 真宗各派本山および開祖        一 本願寺派︵末寺一〇四二七力寺︶  本山は本願寺と称し、京都市下京区西六条堀川にあり。開山は見真大師すなわち親鷺聖人にして、聖人の滅後=年す なわち文永九年季女覚信、孫如信と共に洛東大谷にこれを創立す。そののち諸方に移住せしも、天正一九年、今の堀川の 地に移住せり。宗祖の伝記はのちに出だす。        二 大谷派︵末寺八八五四力寺︶  本山はもと東本願寺と称し、京都市下京区常葉町にあり。その創立全く本願寺派に同じ。しかるに第一一世顕如上人三 男あり。長を光寿といい、季を光昭という。文禄元年顕如没して光寿これをつぐ。同三年光寿故ありて退隠し、弟光昭こ れをつぐ。しかるに徳川家康、光寿をして復職せしめんとす。これにおいて慶長七年光寿更に東六条■丸の地に一寺を創 設す。これすなわち大谷派本願寺なり。光昭は本願寺第一二世准如にして、光寿は大谷派第一二世教如なり。        三 高田派︵末寺六二六力寺︶  もと専修寺派という。明治一四年=月改称して高田派という。本山は高田山専修寺と称し、伊勢国奄芸郡一身田村に あり。その初め嘉禄元年見真大師、下野国大内荘柳島すなわち芳賀郡高田に一寺を創建し、その弟子真仏にこれを譲る。 真仏はその弟子顕智をしてこれにおらしむ。これを第三世とす。そののち第一〇世真慧は実に中興の祖にして、寛正元年 本山を伊勢国一身田に移せり。これすなわち今の専修寺なり。開山真仏は承元三年常陸国真壁に生まれ、嘉禄元年春秋一 七歳にして見真大師に従って得度し、後深草天皇正嘉二年三月八日に入寂す。大師にさきだつこと五年、寿五〇歳なり。        四 仏光寺派︵末寺三三七力寺︶  本山は渋谷山仏光寺と称し、京都市下京区新開町にあり。見真大師建暦二年山科に一宇を建立して、これを真仏に付属 す。ときにその名を興正寺と称す。第七世了源に至りて京都東山渋谷に移す。ときに元応二年なり。嘉暦二年五月勅命に よりて興正寺の号を廃して阿弥陀仏光寺の額を賜る。天正一〇年豊臣秀吉故ありて寺基を五条坊門すなわち今の地に移 す。 183

(7)

 第二祖真仏は後堀河天皇安貞元年一二月高祖大師の命によりて当寺に住職し、貞永元年七月一八日法席を源海に譲り、 正嘉二年下野国芳賀郡高田にて入寂す。よろしく高田派の下を参見すべし。       捌        五 木部派︵末寺五四力寺︶  本山を錦織寺と称す。近江国野洲郡木部村にあり。もと天台宗にして慈覚大師の草創なりしが、見真大師これを真宗に 改む。第三世に至るまで伝灯本願寺に同じ。第四世光玄︵存覚︶に至りて自ら一派をなす。開祖存覚は後円融天皇応安六 年二月二七日寂す。寿八四。        六 興正派︵末寺二五ニカ寺︶  本山を興正寺という。京都市下京区華園町にあり。仏光寺第一二世性善の長子経豪︵蓮教︶これを創し、仏光寺の旧号 を用いて興正寺と称す。明治九年九月一五日別派独立本山となり、興正派と公称す。        七 出雲路派︵末寺四四力寺︶  本山を出雲路山毫摂寺と称す。越前国今立郡清水頭村にあり。初め高祖六一歳のとき一宇を京都出雲路に創し、自画の 影像と共に慈心房善驚に伝えしが、五世善幸に至りて光明天皇暦応年中、今の地に移す。開祖善鴛は親鷺の第三男にして、 後宇多天皇弘安元年三月二二日入寂す。寿七四。        八 山元派︵末寺一〇力寺︶  本山を証誠寺と称す。越前国今立郡横越村にあり。本宗三世浄如、文永五年をもって丹生郡山元に創建す。後二条帝の とき証誠寺の号を賜い勅願所とし、明治=年派名を公称す。開祖浄如は花園天皇応長元年九月五日寂す。寿七六。        九 誠照寺派︵末寺四四力寺︶  本山を誠照寺という。越前国今立郡鯖江下深江町にあり。高祖大師の開基にして、これを二世道性に伝う。道性は大師 の第五男にして、後宇多天皇弘安九年九月八日逝く。寿六四。        一〇 三門徒派︵末寺三〇力寺︶  本山は専照寺と称す。越前国吉田郡福井にあり。高祖大師の開基にして、如導︵または如道︶実に一派の開祖なり。如 導は光明天皇暦応三年八月一 日寂す。寿八八。

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真宗哲学序論 真宗祖師略伝        一 見真大師略伝  釈親驚、字善信、自ら愚禿と号す。姓は藤原氏。その先鎌足より出づ。父を日野有範という。母は源氏なり。承安三年 四月一日生まる。幼名若松麻呂、叔父範綱のために養わる。八歳にして母の喪に会う。悲泣禁ずるあたわず、よって出塵 の志あり。明年三月叡山青蓮院慈鎮の室に投じ、剃髪して範宴と名付け、天台の教相を学び、広く三観仏乗の理を探り、 深く四教円融の義を極む。登壇受戒し、ついに聖光院の主となり、大僧都に補せらる。すでにして自ら感ずるところあり。 建仁元年吉水に隠遁し、法然の弟子となり、名を紳空と改む、時に春秋二九歳。法然は浄土宗の開祖なり。親鴛のきたり 投ずるをもって喜びてこれを上足第 となす。親驚一日夢む。六角堂の観音、容顔端厳の僧形に現じて、四句の文を告げ て曰く、﹁行者、宿報にてたとえ女犯せんに、われ玉女の身となりて犯ぜられん。一生の間よく荘厳し、臨終に引導して極 楽に生ぜしめん。﹂︵行者宿報設女犯、我成玉女身被犯、一生之間能荘厳、臨終引導生極楽︶と。親驚もって奇とし、深く 胸に蔵して人に告げず。このときに当たり法然の唱うるところの浄土の宗義海内にあまねく。門徒三百余、関白藤原兼実 また深く法然に帰す。一日法然に問うて曰く、師は持戒にして念仏す、弟子は噸肉蓄妻もって念仏す、すでに僧俗の別あ り、その功力勝劣ありや否や。法然曰く、﹁もと凡夫のためにして、兼ねて聖人のためなり。﹂︵本為凡夫兼為聖人︶。ある いはいう、コ切善悪の凡夫、生を得るもの﹂︵一切善悪凡夫得生者︶もあに聖凡の別あらん、加うるに同一念仏なり、な んぞこれを分かつべけんやと。兼実曰く、末代の人情澆滴にして、恐らくは難行の法を修するあたわざらん、これを救う、 ただ在家易行の法あるのみ、弟子幸い一女あり、玉日という、願わくば一上足を屈して婿となし、もって易行の宗を起こ し、もって天下後世の惑を解かん。法然曰く、可し。これにおいて法然は親鷺をもって兼実のもとめに応じ、もって在家 一向宗を立たしめんと欲す。親鷺固辞す。法然うなずかず曰く、汝いまだ知らずや、昔日夢に六角堂の観音を拝せるを、 汝いまだ人に告げずといえども、われまたこれを夢みたり、救世菩薩の示現あにむなしうすべけんやと。すなわち親鶯が さきに夢みるところの四句の文を書し、もって親鶯に示す。親鶯辞することを得ず、ついにその命に従う。兼実喜び、女 85       1 玉日をもってこれに妻し、五条西洞院に居らしむ。ここにおいて紳空名を善心と改め、のちまた善信と改む。元久元年四

(9)

月一四日法然﹃選択本願念仏集﹄の題字ならびに﹁南無阿弥陀仏往生之業念仏為本釈紳空﹂の字を書して親鶯に与う。け だし衣鉢を伝うるの意なり。この時に当たり南都北嶺の学徒、浄土宗の盛大に赴くをにくしみ、これを妨げんと欲して朝 鵬 に証奏す。朝議ついに法然およびその弟子を遠流に処することに決し、親鴛また座せられ、越後の国府に流さる。時に承 元元年なり。居ること五年、建暦元年赦免に会い、明年京師に帰り、一宇を山科に建て、のち今の地に移る。興正寺これ なり。すでにしてまた越後に赴き、北陸関東の間に行化遊歴すること二五年なりという︵あるいはいう。勅免ののち帰京 せずして関東に行化すと︶。その常州稲田にあるや﹃無量寿経﹄により浄土真宗の名を立て、﹃教行信証﹄六巻を著し、大 いに宗旨を弘通す。これを立教開宗の本となす。実に法然入滅後一三年、その春秋五二歳の時なり。これより浄土真宗盛 んに興る。嘉禄元年下野国大内荘柳島に高田専修寺を創立す。貞永元年春秋六〇歳にして帰洛し、嘉禎元年近江国野洲郡 木部村に錦織寺を造立し、弘長二年︵すなわち西暦紀元一二六二年︶=月二八日平安押小路南万里小路東善法院に遷化 す︵今の法泉寺これなり︶。寿九〇。鳥辺野に茶毘し、廟を大谷に建て影像を安ず。滅後真宗日に盛んなり。文永九年= 月勅して久遠実成阿弥陀本願寺の号を賜わるという。明治九年一一月二八日勅して見真大師と誼す。大師の選述にかかる もの﹃教行信証﹄の外に漢文和語の選述数十部あり。        二 慧灯大師略伝  本宗第八世蓮如は本宗中興と称せらる。世に御文︵仮名文にて綴り、鈍根の衆生をして本宗の宗義を知りやすからしめ たるもの︶あり。これ実に上人の手になれるものなり。上人字兼寿、信証院と号す。第七世存如の長子なり。母はなんび とたるを知らず。応永二二年二月二五日生まる。幼名布袋麿という。永享三年得度して蓮如と名付け、法相宗を学び、宝 徳中東北地方に行化し、多く祖師の遺跡を興し、長禄元年宗務をつぎ、再び東北に行き、当時宗門大いに振るう。朝廷日 華門を賜い、大谷正門となし、その荘厳を増す。山徒これをねたみ、寛正六年正月大谷坊舎を殼つ。上人わずかに開山の 像をもって免れ、近江大津の近松寺にかくれる。応永元年参州に赴き、本宗寺を創し、居る三年文明二年より諸国に行化 し、一日も寧処せず。その足跡、畿内および北陸道にわたり、越前にありては吉崎寺を立て、畿内にありては河内の光善 寺、摂津の教行寺、和泉の真宗寺を立つ。文明一二年ついに地を山科に相し、本願寺を再造し、応仁二年宗務を光助に譲 り、文明一五年光助死するをもって再び宗務を司り、延徳元年また光兼︵八子実如︶に譲り、再び各地に遍歴す。その至

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真宗哲学序論 る所つまびらかならずといえども、播州の本徳寺、和州の本善寺、大阪の坊舎等はこのとき創する所たり。 二五日山科坊舎にありて長逝す。寿八五。明治        三 本願寺歴代 本願寺派 高祖大師親鷺聖人 第二世如信上人 第三世覚如上人 第四世善如上人 第五世紳如上人 第六世巧如上人 第七世存如上人 一五年勅して慧灯大師の誼号を賜わる。 第八世︵中興︶蓮如上人誰兼寿号信証院法印大僧都誼号慧灯大師 第九世実如上人 第一〇世証如上人 第=世顕如上人 第一二世准如上人 第一三世良如上人 第一四世寂如上人 第一五世住如上人 第一六世湛如上人 第一七世法如上人 第一八世文如上人 入滅より明治二七年まで六三三年 正安二年正月四日寂 謀宗昭号毫摂法印権大僧都 観応二年正月四日寂 誰俊玄法印権大僧都 康暦元年二月二九日 諄時芸勅号周円上人法印権大僧都 明徳四年四月二四日 誰玄康号証定閣法印権大僧都 永享一二年一〇月一四日 誰円兼法印権大僧都 長禄元年六月一八日       明応八年三月二五日 諒光兼号教恩院法印権大僧都 大永五年二月二日 譲光教号信受院法印権大僧正 天文二三年八月=二日 誰光佐号信楽院法印権僧正 諄光昭号信光院法印大僧正 諄光円号教興院法印大僧正 諄光常号信解院法印大僧正 誰光澄号信順院法印大僧正 謀光啓号信暁院法印大僧正 誰光闇号信慧院法印大僧正 諄光暉号信入院法印大僧正 文禄元年一一月二四日 寛永七年=月三〇日 寛文二年九月七日 享保一〇年七月八日 元文四年八月六日 寛保元年六月七日 寛政元年一〇月二四日 寛政一一年六月一四日 明応八年三月 187

(11)

  第一九世本如上人  諒光摂号信明院法印大僧正   第二〇世広如上人  譲光沢号信法院法印大僧正 大谷派︵第二世までは本願寺派に同じ︶ 第一二世教如上人 第=二世宣如上人 第一四世琢如上人 第一五世常如上人 第一六世一如上人 第一七世真如上人 第一八世従如上人 第一九世乗如上人 第二〇世達如上人 第二一世厳如上人 文政九年一二月一二日 明治四年八月一九日 講光寿号信浄院信楽院長子法印大僧正 慶長一九年一〇月五日 謀光従号東泰院法印大僧正 万治元年七月二五日 謹光英号淳寧院法印大僧正 寛文一一年四月一四日 諺光晴号泥恒院法印大僧正 元禄七年五月二二日 謹光海号無磯院法印大僧正 元禄=二年四月二日 誰光性号功徳聚院法印大僧正 延享元年一〇月二日 謀光超号清浄光院法印大僧正 宝暦一〇年七月一一日 諒光遍号歓喜光院法印大僧正 寛政四年二月二二日 謀光朗号無上覚院法印大僧正 慶応四年=月四日 謀光勝号真無量院 明治一七年一月一五日 真宗相承および教典 釈迦牟尼仏   インド   同   シナ   同   同

善道曇天竜

導紳鴛親樹

真宗相承祖師 ︵仏滅後七〇〇年南インドに出づ︶ ︵仏滅後九〇〇年北インドに出づ︶ ︵後魏承明元年に生まれ、東魏興和四年に寂す︶ ︵後周保定二年に生まれ、唐大宗貞観一九年に寂す︶ ︵晴場帝大業九年に生まれ、唐高宗永隆二年に寂す︶ 188

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真宗哲学序論  日本  源信  ︵恵心僧都と称し延喜 二年生、永観三年寂す︶  同   源空  ︵浄土開祖法然上人すなわち円光大師にして、実に見真大師の師なり、          八〇歳︶ 以上、これを七祖と称す。       二 真宗所依教典 真宗所依の教典は経論釈の三種あり。すなわち左表のごとし。

経︵ー圭部経︶︷購壁攣︶

論籠難鱒。.︵立尾樹作︶

   浄土論註 釈 宗祖大師および中興蓮如選述、     ︵曇驚作︶ 讃阿弥陀仏侮︵同上︶ 安楽集︵道緯作︶ 観経疏、即玄義分、序分義、 定善義、散善義︵善導作︶ 浄土法事讃、往生礼讃、 般舟讃、観念法門︵同上︶ 往生要集︵源信作︶ 選択集︵源空作︶        左のごとし。 長承二年生、建暦二年寂、寿 189

(13)

中興蓮如選述縫⋮意等

   真宗統計 寺院 一万九一四六力寺︵明治二四年調査︶   仏教各宗寺院、総計七万一八五九力寺に比すれば、真宗はその一〇〇分の二六・七に当たる。 住職 一万六七八四力寺  ︵同上︶   仏教各宗住職、総計五万二五一一人に比すれば、真宗はその一〇〇分の三二に当たる。 管長 一〇管長 教師 一万二=二七人 各府県真宗寺院一覧表、左のごとし。   東 京   二七九  神奈川   一二四  埼 玉    二六  千 葉    三五

  茨城 

=二四 栃木  四二 群馬  二二 長野 

二四六

  山梨 

九九 静岡 

九七 愛知 九五九 三重 

八一六 190

(14)

鹿福愛島兵京山富岐

島岡媛根庫都形山阜

一〇二八 =八八 二〇四 四八三 八七五 五〇四  九九 八〇七  三二

沖熊高鳥岡大秋新滋

縄本知取山阪田潟賀

一六二二 一二五七 一七二 一三六四  九八  四二  七四 六六五

 一

北大長徳広奈岩福福

道分崎島島良手島井

八五六 九五 六四 六四四 七一九 八〇

=三

五七九 六四

総宮佐香山和青宮石

     歌

計崎賀川口山森城川

 八八三

 五七

 五五

 三二四  六四四  二三二  二八〇

 六三

一九一四六 真宗哲学序論 191

(15)

192

第一段端緒論

      第一節 発 端  隣村に大火あり。延びてわが村に及ばんとす。しかして全村みなわが親戚朋友なれば、だれの家を焼失するも わが家を焼失するに異ならず。故に一家を挙げて出でて力を消防に尽くし、幸いに親戚朋友をして無難ならしむ るを得たるも、帰りてわが家に至れば、火片飛びてその家に落ち、全棟すでに猛炎の中にあるを見る。これにお いて一家の失望一方ならず、あにその財産を焼失せるを遺憾とするのみならず、後日世間の笑柄とならんことを 恐る。これ余が一夜の夢のみ。さめて頭を挙ぐれば一家異状なし。これにおいて余はその全く夢中の妄見なるを 知る。しかりしこうして今日わが宗教界の事情を観察するに、やや、これに類するものあるをみる。近世文明の 烈火ひとたび欧米諸国に発し、ついでわが国に入り、百般の事物これによりてたちまち類焼し、その猛勢当たる べからず。わが旧時の文物のごとき一朝にして灰儘に属さんとし、その余炎延びてわが仏教の上に及ぼし、諸宗 共に実に危急の際に迫り、このときにあたりて、仏教中の諸宗諸派はみなこれ同胞兄弟なれば、真宗の門下に住 するものにして、諸宗にさきだちて外難防御に全力を尽くし、道理に考え事実に照らし、仏教は文明社会の宗教、 学術世界の哲学なることを証明し、世界またすでにこれを是認するに至れり。これあたかも一村をして無難なら しめたるに異ならず。しかして顧みて真宗そのものをみれば、聖道諸宗はこの尽力によりて文明学術の宗教とな るを得たるも、ひとり浄土諸宗はこれがためにかえって下等愚民の宗教に陥るに至れり。果たしてしからば、仏

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真宗哲学序論 教の危難を救いたるものは真宗の人にして、真宗の危難を招きたるものもまた真宗の人なりというも、あにあえ て過言ならんや。これあたかも親戚の火難を救いて自家の焼失を知らざるものに異ならず。余はただにこれを真 宗一家の不幸とするのみならず、真宗門下の人の他日世間の笑を招かんことを恐るるなり。これに至りてこれを みるに、余が一夕の夢想は全く睡眠中の妄見にあらざるがごとし。けだし余はこの夢の因縁によりて本編を起草 するに至れり。故にそのことを冒頭に掲げて本論の発端となす。        第二節 本編起草の旨趣  近年わが国の仏教と西洋の学術とを比較して、仏教は哲学上の宗教なりと論じ、ヤソ教の妄説と同一視すべか らずと唱えたるものは果たしてだれそや。けだし世間その人多きも余もまたその一人なれば、その結果、他宗を 助けて真宗を害するに至りたるの責めは、ひとりこれを他人に帰すべからず、余ももとよりその一部分を負わざ るを得ず。そもそも余が先年浅学をはからず天下にさきだちて破邪顕正を唱道したるは、当時世間にありていや しくも多少の学識を有するものは、みな仏教を目して妄誕不経の説となし、蛮民愚俗の教となし、これを伝道す る僧侶はもちろん、これを奉信する徒までも損斥せんとする勢いなりしによる。しかして当時仏教の門内にある ものは頑眠迷夢の間に彷復して、いまだ文明の新天地を知らざりしをもって、世間よりいかに按斥せらるるも五 里霧中に経過し去らんとせり。余ここにおいて憤然として志を立て、日夜仏教の探究に拮据し、その教内に真理 の宝珠を胚胎せるを発見して以来、余が平素の赤心これを秘蔵するに忍びず、微力を奮いてこれを天下に発表し、 もって内には僧家の不学を呵責し、外には世間の無識を喚起し、仏教界内に学術講究の新道を開馨せり。すなわ       93       1 ち﹃仏教活論﹄これなり。しかしてその論は余が真理を愛し国家を思うの衷情より流れ出でたるものなれば、仏

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教中更に宗派の異同を問わず、いやしくも多少の真理を包有せるものはことごとくこれを啓発して、広くその光 輝を天下に放たしめんことを目的とせり。故をもって当時一宗一派の小利害を顧みるのいとまあらざりき。しか れども余が意あえて真宗を道理城外の塵芥中に捨つるの意ならんや。すでに﹃︹仏教︺活論序論﹄中において、聖 道浄土の二門を比較して、聖道門は智力的宗教にして浄土門は感情的宗教なり、その一は智者学者に適し、その 二は愚夫愚婦に適すと説きたるも、そののち更にその意を敷術して、仏教の本体は智力的宗教なれば、たとえ浄 土門のごときは感情の性質を帯ぶるも、あたかも智力の骨髄を覆うに感情の皮肉をもってしたるに過ぎず、その 教理はもとより余宗と同じく道理をもって講究すべきものなることを論じきたりて、仏教の浄土門とヤソ教の教 理と同日の比にあらざるゆえんを証せり。故に余は決して真宗をもって単に下等愚民の宗教なりと信ずるものに あらず。しかるに浄土門中にありて真宗の教義を伝うるもの、陽に仏教は学術上の真理なりと唱えながら、陰に 真宗の哲理に合せざるを許すがごとき風あり。その故は余、近ごろ真宗僧侶の公衆に対して演説するところを聞 くに、あるいは法体恒有と題し、あるいは三界唯心と題し、あるいは頼耶縁起、あるいは真如縁起と題して、喋々 聖道諸宗の哲理を弁明し去りてまた余組なく、実に人をしてその高妙に感ぜしむるも、浄土一門の教義に至りて は、その人の演説中一言半語のこれに及ぶことなし。しかして転じて愚夫愚婦の前に至れば、演説たちまち変じ て説教となり、真宗一流の安心を述べ、他力成仏、極楽往生の道を説ききたりて尽くさざるところなしといえど も、更に学理に関してその宗義を論明するにあらず。説教と演説とは、なんぞかくのごとき径庭あるや。説教は 愚者を目的とし演説は智者を目的とするによるか、しからば何故に真宗の教理を演説壇上において学理に照らし ていちいち論明せざるや。これによりてこれを考うるに、真宗の僧家、自らその宗は愚俗浅近の宗教なれば、智 194

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真宗哲学序論 者学者の前に講述すべからざるものと信ずるがごとし。これ余が深く怪しむところなり。他日﹃顕正活論﹄の真 宗編を講述するに及び、その教理の学理に基づくことを弁明せんと欲するも、今日の勢い一日も早くその哲理を 世間に報道せざるを得ざる場合に至りたれば、即時に余が思うままを筆して一小冊子となす、すなわちこの書な り。これを総題して真宗哲学と名付くるは、浄土門の智力の骨髄と感情の皮肉との組織中より、特に骨髄の部分 を取り出して、真宗一家の原理を論定せんことを試みたるによる。しかしてその原理はすなわち浄土諸宗の原理 なれば、真宗哲学と題するも、その実、浄土門哲学なり。故にもしこれを講述し終われば、更にその原理より分 派せる真宗一家特有の諸説をいちいち証明せざるべからず。これ実に真宗哲学の本論にして、余が他日起草せん と欲するところなり。故に今その本論に対してこの編を﹃真宗哲学序論﹄と題するなり。        第三節 護国愛理の二大義務  かくのごとく真宗哲学を講究するに序論と本論とを分かち、序論は浄土門一般の原理を総説し、本論は真宗一 家の組織を別述するを期するも、その実、哲学上の講究は主としてこの原理の上にあり。もしその細目に至りて は一宗所立の規則制度に関するをもって、理論よりはむしろ実際に属する問題なり。換言すれば哲学よりはむし ろ単純の宗教に属する部類なり、智力の骨髄よりはむしろ感情の皮肉に属する部分なり。しかるに今日世間の論 者は、一般に宗教の実際は仏教諸宗中真宗に過ぎたるものなきを許すも、ひとり理論上の講究に至りては、真宗 を損斥してはるかに他宗の下にありとなす。故に余が特にここに証明を要する点は理論上の原理にあること明ら かなり。これ余が多忙の際、この一編を論述するに至りたるゆえんなり。およそ余が畢生の志願は世間すでに知 るがごとく、国家を護し真理を愛する二大目的を達するに外ならず。今真宗は実際上国家の隆運を補翼するに適 195

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する宗教なることは世間すでにこれを許す以上は、余は更に理論上その原理の講究すべき価値あることを世人に 報道するをもって、余が第二の目的たる真理に対する本務なりと信ず。余はもと真宗の家に生まれしも、維新以 後、社会の事情を観察するに及びておもえらく、今日は仏教の全家まさに転覆せんとする時なり、あに一宗一派 の隅位に立ちて一小柱石を支うるに汲々するの時ならんや、むしろ局外に出でて仏日回天の功を立つるにしかず と。しかしてまた近年泰西の実況を見聞するに及び、国家将来の独立の難きを感じ、余輩いやしくもこの国の人 民たる以上は国家百年の大計を立てざるべからざるを知り、進みて少年教育の道に当たり、国家有為の人物を養 成するをもってこれを任じ、天下公衆に対して人世の義務は護国愛理の外に出でざるゆえんを唱道し、さきに﹃仏 教活論﹄を著してその赤心のあるところを発表せり。故に余がここに真宗哲学を講述するは、真宗一局部のため に思うところありてしかるにあらず、余が平素懐抱せる護国愛理の一念あふれ出でてここに至るなり。真宗すで に哲理の講究すべきものを有して世間これを知らざるときは、いやしくも学術に志あるもの、あに黙々に経過し 去るに忍びんや。またかくのごとき真理を含有する宗旨がわが国に開立せる新宗にして、わが多数人民の奉信す る宗教なるを知るときは、いやしくも国民たるもの国家のためにあにこれを不問に付するを得んや。今余はこの 精神をもって真宗を論評するものなれば、自然に一宗一派の局位にありて講究するものと、その意見を異にする ところあるべし。かつ余が目的は真宗門外の人にその哲理の一斑を示すにあれば、務めて世間の学術上に用いき たれる文字をもって説明し、真宗一家相伝の語法にならわざるも、これまたやむをえざるなり。        第四節真宗哲学講究の必要  まず余が真宗哲学講究上において局位にある二、三の論者と意見を異にする点を述ぶべし。その論者は近年仏 196

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真宗哲学序論 教を学術上講究するの風行われて以来、聖道門諸宗の教理は大いに利益を得たるも、真宗の教理に至りてはかえ って不利を感ずるをみて曰く、宗教は理外の理なり、哲学をもって是非を判ずべきにあらず、仏教は仏教なり、 哲学は哲学なり、この二者あに混同すべけんやと。これ真宗を愛念する赤心より出でたるものなれば、その衷情 誠に嘆称すべしといえども、畢寛論者は、哲学は西洋一種の学にして仏教と全く関係を異にするものと偏信し、 哲学をもって仏教を論ずるは、寒暖計をもって物の寸尺を計らんとするがごとく想像するによる。しかるに哲学 は道理、思想の学にして諸学の真理を判定する学なり。故に仏教にても儒教にても、道理上いやしくもその真理 を論定せんと欲すれば、必ず哲学の講究法によらざるべからず。あたかも西洋にて空気の温度を計るに寒暖計を 要し、わが国にて空気の温度を計るに同じく寒暖計を要するに異ならず。たとえその空気は東西おのおの異なる も、その温度を計るに寒暖計を要するは東西同一なり。今、哲学は諸学諸教の真理の温度を測定する寒暖計なり。 仏教全体の真理を判定するにもこの学を要し、真宗一家の真理を判定するにもこの学を要するなり。もし仏教家 にして哲学を用いざるときは、なにをもってその教と他教との優劣を判ぜんや。真宗論者にして哲学によらざる ときは、なにをもってその宗と余宗との長短を定めんや。しかるに真宗学者はだれにても必ずわが宗の教義は真 理なり、ヤソ教は真理にあらずと自ら信じ、また人に公言するにあらずや。これ表面に哲学を排斥しながら、裏 面に哲理を応用するものというべし。もしまた真宗学者にして、真宗の学は哲学上講究すべからざるものなりと いうときは、これ真宗は道理によりて論究すべからざるものと自ら許すに異ならず。語を換えてこれをいえば、 真宗は道理智力の宗教にあらずと自ら信ずるものなり。果たしてしからば世の文明は道理の文明にして、その進 歩の目的は今日の世界を一変して道理の世界とするにあれば、真宗の教義は文明の進歩に伴うことあたわざるも 197

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のといわざるべからず。これあに真宗そのものの性質ならんや。かつ余がみるところによるに、真宗は哲学上講 究すべき全然の真理を含有するを知る。しかるにこの真理を冥々の中に埋め置きて、世間より真宗は愚俗の宗教 のみ、不道理の妄説のみとの批評をきたすも更に顧みざるがごときは、これ果たして真正の護法家と称すべきや。        第五節本編論述の順序  余はかく真宗哲学講究の必要を唱うるも、あえてみだりに哲学上より真宗を論評して、その一家所立の教義を 破壊せんとするにあらず。世の論者は学理上真宗を論究するときは、聖道門の哲理を直接にその宗門の上に応用 し、一宗の骨髄たる原理を破壊し去りて曰く、これ真宗の哲理なりと。すなわち真宗の阿弥陀仏のごとき、西方 極楽のごとき、これを真如唯心の理をもって解釈せんとするもの、これなり。余が真宗を論ずるはたとえ哲学上 の講究によるも、決してかくのごとき破壊主義をとるにあらず、真宗をその開立以来用いきたれる基礎の上に建 設せんとするにあり。今これを論述するに当たり、まず哲学一般に用うる原理を論究し、これを仏教の上に照合 しきたりて仏教総体の原理を論定し、これより浄土一門、真宗一家の原理を審定せんとす。故にその順序左の三 段に分かる。   一 哲学原理   二 仏教原理   三 真宗原理  かくして哲学上の原理を論定し終われば、真宗実際上の組織にわたり一、二言を加えてこの一編を結ばんとす。 しかしてその原理論のごときも、他日、真宗哲学本論を起稿する意あれば、その方に余地を与えんがために、今 198

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はただその要点のみを論述するものと知るべし。

第二段哲学原理論

真宗哲学序論        第六節 哲学上の大難問  南窓風清く気朗らかなるのところ、静座沈思し、理想の望遠鏡内に現見する古今東西の哲学諸家の光景を観察 するに、おのおの一家の卓見を出し、異論百端相争うて今日に至り、いまだこれを統一せる学説あるをみず。こ れ真に統一すべからざるものなるや、また将来果たして統一すべき日あるや。いまだ判定すべからずといえども、 その異説のよりて分かるるゆえんを探求するに、哲理に二様の相反するものありて、これを合一すること難きに 起源せざるはなし。その二様とは理論実際の相反なり、主観客観の相反なり、思想感覚の相反なり、有形無形の 相反なり、本体現象の相反なり、絶対相対の相反なり、可知不可知の相反なり、有限無限の相反なり、単一雑多 の相反なり、平等差別の相反なり。たとえば古来の学者が理論の一方より論究してその原理を発見し、これを実 際に応用せんと欲して適合すべからざるところあるをみるは、すなわち理論実際の相反にあらずや。政治にても 道徳にても宗教にても、理論上より論定せるものと実際上に応用せるものと、常に相合せざるはみなこの理によ る。理論上論定するところの神と実際上応用するところの神と一致せざるもまたしかり。実際上の神は理論に入 りてその形を失い、理論上の神は実際にきたりてその性を変ずるは、全く理論実際の性質互いに相反するゆえん       ㎜ を示すものなり。これを心理の上に考うるに、感覚上の境遇と思想上の観念と一致せざるところありて、感覚上

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より論ずるものは客観界に千差万別の現象あるを見、思想上より論ずるものは主観界に単一平等の理体あるを想 するに至る。しかして客観上の現象は彼我自他の相対よりなり、わが智力によりて識量すべきも、平等無差別の 本体に至りては実に絶対無限にして、全く人智の外にあり。すなわちいわゆる不可知的なり。そのうち本体論者 は平等単一の道理あるを知るも、その理より万差の諸象の開発現立するゆえんを解するあたわず。また現象論者 は万差の諸象の実在並存を知るも、その裏面に一理の普遍するありて差別をみざるゆえんを解するあたわず。こ れ哲学上古来の大難関にして、いかなる哲学者もこの二様相反の理を統合するに苦しむところなり。もしこれを 理論実際の相反の上に考うるときは、その平等の理法は理論上より知るところにして、差別の現象は実際上にお いてみるところなり。故に以上挙ぐるところの種々の相反は、要するに一対の相反に外ならず。古来、経験論と 本然論の相合せざる、先天論と後天論の相合せざる、主観論と客観論の相合せざる、直覚教と功利教の相合せざ る、有神説と無神説の相合せざる、進化主義と退化主義の相合せざる、演繹論法と帰納論法の相合せざる、宗教 と哲学の相合せざる、これを帰するにみなその根本の原理とするものに二様相反の理を有するによる。この相反 の一致統合を計るは、ひとり古来の論題なりしのみならず、また将来の疑問なり。        第七節 一一様並存一体両面の真理  余は数年前より哲学を専修し、つとにこの疑問の一大惑星ありて哲学世界の中天に懸かるをみて、その講究日 なお浅しといえども、静かに理想の鏡面を払い、半夜天心の澄みわたるに際し、意を観測一方に注ぎ、やや惑星 の真相を発見するを得たり。これ実に哲学の難関を開くべき要鎗なりと自ら信ずるところなり。すなわち平等差 別二様並存の理、これなり。従来の学者はその二様のうち、ひとり一方の理によりてあくまで他方を会通し去ら 200

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真宗哲学序論 んと試みしをもって、ついに一致統合の目的を貫徹することあたわざりき。これ畢寛一方の偏見僻説に過ぎざる なり。すでに二様並存する以上は、一方をもって他方を会通し去るあたわざるは、当然の理にしてすこしも怪し むに足らず。また古来の学者あくまで一方によりてその理を貫徹せんと欲して、いまだ一人のその目的を達せざ りしは、すなわち二様並存の理を証明せるものに外ならず。余はこれにおいて二様並存の哲学上の真理なるを知 る。しかるに古来の学者が二様並存を許さざりしは、真理に二途なきことを信ぜしによる。余も真理に二致なき を信ずるものなれども、二様並存の理は決して真理その体に二様あるをいうにあらず、一体の真理にして二様の 道理を具有するをいう。あたかも一物に表裏両面を具有するがごとし。表裏両面あるはその体二様あるによるに あらず、一体の物にしてただその外面に二様を示すのみ。今哲理もこれと同一の関係を有し、表面に差別の現象 を示し、裏面に平等の理法を具し、しかしてその体同一なり。これをあるいは一理、万象を離れず、万象、一理 を離れずといい、あるいは平等、差別を離れず、差別、平等を離れずという。その意一体にして両面を具し、両 面にして一体によるを義とす。故にあるいはこの関係を一にして同時に二なり、二にして同時に一なりというも 可なり。この一体両面の関係は、実に哲理の極致にして諸法の至理なり。古来哲学上の相反問題の難関はひとた びこの理に照合しきたらば、たちまち会通し去ることを得べし。これ実に哲学界の関門を通過すべき鑑札と名付 くるも、不当の称にあらざるなり。        第八節 この真理の証明法  この鑑札を証明する方法に二様あり。その一は事実の上に考うる法にして、これを帰納的、もしくは後天的証 明法という。その二は理論の上に考うる法にして、これを演繹的、もしくは先天的証明法という。まず後天的証 201

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明法によるに、人類に老少男女、彼我自他の差別あるも、もしその人類の人類たる理法に至りては、ただ平等の 一理あるをみるのみ。また人類と禽獣草木を較するに、その間画然たる区域あるも、生物の生物たる理法に至り ては、人獣共有、動植一致の平等の一理存するをみるのみ。更に日月星辰、山川土石を較するも、同一の関係の その間に存するをみる。しかしてこの差別平等の二者共に一物一類の上に並存することは、すこしも表裏両面の 一物体の上に存立するに異ならず。果たしてしからば、差別の現象ひとり実にして平等の理法全く虚なるか、平 等の理法ひとり真にして差別の現象全く妄なるか、二者中いずれをとるもその関係を明示すること難し。これ畢 寛二様並存、一体両面の真理を証明するものにあらずしてなんぞや。これによりてこれをみるに、一体両面の真 理は、実に宇宙の大法にして万有の通則なること明らかなり。つぎに先天的証明法によるに、人智は彼我自他の 差別よりなり、右を知るは左あるにより、温を知るは冷あるにより、富貴を知るは貧賎あるによる。これを相対 の智識という。人智果たして相対ならば、相対差別の境遇そのものを知るには、これに相対する絶対平等の本体 なかるべからず。すなわちわが智力が相対の性質を有しながら、相対の外に絶対を知ることを得るは、絶対は相 対に対し、相対は絶対に対し、二者並存相対なるによる。他語にてこれをいえば、平等は差別に対し、差別は平 等に対し、二者の間におのずから相対差別ありて並存両立するによるものなり。故に絶対相対の二法すなわち平 等差別の二様は、必ず並存両立せざるべからず。しかしてこの二者両立するもその体別なるにあらず。もし果た してその体別物なるときは、我人差別相対の境遇にありて、絶対平等の本体を知量すべき道理あるべからず。し かるに我人は差別の境遇にありて平等の理法を知り、相対の智力をもって絶対の本体を知るは、平等は差別を離 れず、差別は平等を離れず、相対絶対、二様同体なるゆえんを証見するものなり。故に二様並存、一体両面の真 202

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真宗哲学序論 理は、実に諸学諸法の原理原則なること、あに疑いをいれんや。        第九節 哲学諸論の調解  以上、先天後天の二法によりて哲理に二様あるゆえんを知れば、この理によりて古来哲学諸家の異説を統合調 解すべきゆえんを知ることを得べし。たとえばここに甲論起これば必ずこれに反する乙論起こり、ここに甲乙両 論を合したる丙論起こればまた必ずこれに反する丁論起こるべし。これすなわち哲理に二様あるによる。しかし て哲学上の争論は、常にこの相反の点の永く一致すべからざるものと偏信するをもって調和し難きなり。もしそ の二様相反の理の一体両面の関係によりてなり、甲論の裏には乙論あり、丙論の裏には丁論ありて、この二論は 一理一体の上に成立せるゆえんを知るに至れば、たやすく和解することを得べし。今その理を近く男女同権論の 上に考うるに、同権ひとり真理にあらず、異権ひとり真理にあらず、同権の裏には異権を具し、異権の裏には同 権を存し、二論その致一なることを知るもの、これいわゆる一体両面の真理なり。語を換えてこれをいえば、平 等の裏には差別あり、差別の裏には平等あり、二者その体一なりと知るもの、これ真理なり。かくのごとく二様 相反の点よりその一体の理に体達する、これを中という。相反の一面を知りて他面を知らざる、これを偏という。 故に真理は中を得るにあり、その中にまた絶対相対の二種あり。すなわち人智の進歩に従ってその位置を変ずる は相対の中なり。たとえば甲乙の間に存する中、一歩進んで丙丁の間に存するに至るがごとき、これなり。もし 相対の中、進み窮まりて絶対の中に達すれば、また変遷することなし。たとえまた相対の中は変遷すというも、 もし中の中たるゆえんに至りては始終一定して常に変遷することなし。これ相対の中に絶対の中を具有するによ       03       2 る。さきにいわゆる相対絶対、同体一理なるゆえんなり。その一理なるゆえんまたこれを中という。中の上にも

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中あり、その中の上にも更に他の中ありて、これより以上際限あるべからずといえども、中の中たるゆえん、中 の真理たるゆえんに至りては、前後を貫きてただ一あるのみ。これ理論上のことのみ。もし実際上にありて考う るときは、中も必ずしも中を得るにあらず、偏もかえって中を得ることあり。たとえば世論異権の一方に偏する ときは、これをしてその中を得せしむるは、同権説を主唱するにあり。また世論同権の一方に偏するときは、異 権を唱えて始めてその中を得べし。けだし世論常に権衡中正を得るものにあらざれば、政教を当時に布かんと欲 するものは、世論の右に偏するをみれば左をとり、左に傾くをみれば右を選ぶことあるも、その目的は常に中を 維持するに外ならず。故に理論上にありては、差別に偏せず平等に偏せざるは中の中たるゆえんなれども、時宜 によりては平等かえって真理なることあり、差別かえって真理なることあるを知らざるべからず。しかしてこれ と同時に差別の裏に平等あり、平等の裏に差別あることを忘るべからず。これを哲理の妙致とす。けだし高妙な る理想の望遠鏡によるにあらざれば、その真相を直覚することあたわざるなり。        第一〇節 宗教諸説の一致  かくのごとく二様並存、一体両面の真理は実に哲学上の膠漆にして、よく東西の異説を接合することを得るの みならず、また宗教上の勇刀にして、よく古今の争論を裁断するを得べし。そもそも宗教は古来種々の宗派あり ておのおのその旨意を異にするをもって、これに与うる義解一定せずといえども、けだし世に人智を標準起点と 定めて研究するものと、人智以外の絶対無限、不可知的の本体もしくは理性を標準として論定するものとの二種 あり。その一は学術にして、その二は宗教なり。故に宗教の性質は、人智以外より人智以内に及ぼすものなれど も、全く人智をもって論究すべからざるものにあらず。ただ人智はその体の一面を知るのみにて、他の一面は人 204

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真宗哲学序論 智以外の講究を待たざるべからず。故に古来宗教に自然、顕示の二教を分かち、あるいは智力、感情の二種を分 かつなり。自然教は人智自然の発達に伴うて起こるものなれば、道理によりて講究すべきも、顕示教は聖賢、神、 仏の啓示によりて起こるものなれば、道理以外に属するところ多しとす。また智力的宗教は道理的宗教を義とし、 感情的宗教は想像的宗教を義とすれば、その一は道理によりて講究すべく、その二は道理によりて講究すべから ざるものとす。これをもって古来この二教相反の間に争論を起こし、その調解のいずれの日になるを知らざるな り。しかれどももし前に挙ぐるところの二様一体の真理によりて進行するときは、数千年来困難を感じたる険道 もたやすく通過することを得べし。まず智力的宗教は平等の道理に基づき、感情的宗教は差別の境遇によりて組 織せるものなれば、二者一致合同することあたわざるがごとしといえども、もし平等差別その理一なるゆえんを 知るときは、この二教の相離れざるゆえん、ならびに一方ひとり真理にして他方全く非真理なるにあらざるゆえ んを知るべし。また自然教は相対の人智によりてなり、顕示教は絶対の神智に基づきて起こるものなれば、二者 全く相反するがごとしといえども、絶対は相対を離れず、相対は絶対を離れざる道理によるときは、その相反の 点の一理に出つるゆえんを知るべし。しかりしこうして、二様並存、一体両面の関係の真理なるゆえんを知れば、 完全の宗教は必ず自然、顕示もしくは智力、感情の一対相反の両面を兼有並存するものならざるべからざるゆえ んを知るべし。すなわち道理にて究め尽くすべからざるところあれば、啓示をもってこれを補い、感情にて信じ 難きところあれば、智力にてこれを助け、両者相待ちて始めて完全の宗教をみるべし。もしその一方を有して他 方を有せざるものは、偏頗不完の宗教たるを免れざるなり。これを非真理の宗教とす。なんとなれば、両者兼有       05       2 の真理なるを知れば、一面偏有は真理に反すればなり。これ余がかつて仏教、ヤソ教の上に真非の裁決を下し、

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仏教は両面兼有の宗教にして、ヤソ教は一面偏有の宗教なりと審判すると同時に仏教は真理にしてヤソ教は非真 理なりと論定したるゆえんなり。しかりしこうして、余が前節に述ぶるがごとく、一面偏有も時宜によりては真 理となることなきにあらず。すなわち世教の権衡を失うに当たりては、智力的宗教の適することあり、感情的宗 教の適することあり。しかれどもヤソ教のごとき本来一面偏有をもって組織せる宗教は、時宜に応合することあ たわざるのみならず、感情の裏面に智力あり、啓示の裏面に道理あるゆえんを対照することあたわざるものなれ ば、断言して真理の範囲内に入るべからず。今仏教にありては両面兼有と同時に、時宜に応合してその一方をと り、またその裏面に存するものを対照並存してその中を失わざることを得るをもって、宗教中の最も完全なるも のというべし。その果たしてしかるや否やは、余がまさしく次段に述べんとする論題なり。 206

第三段 仏教原理論

      第一一節 仏教総説  荘々たる哲学海上、一夕風静かに波穏やかなるに会し、思想の大船に駕し、論理の長帆を掲げ、左進右行する の際、はるかに一点の微光を煙波深き所に見るを得たり。これすなわち仏教の陸端なる灯台より発したる真理の 光輝なり。錨を投じて上陸すれば、土地広くして住民多く、実に宗教世界無二の大国なり。今余がこれより論述 するところのものは、すなわちこの大国の案内記なり。まずその国内の区域、都邑、駅路の名称順序を説明すべ し。およそ仏教はその説の深浅高下に応じて小乗、大乗の二部に分かれ、大乗また権大乗、実大乗の二段に分か

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真宗哲学序論 る。しかして小乗を有門とし、権大乗を空門とし、実大乗を中道とす。その有とは相対差別の現象の成立をいい、 その空とは絶対平等の無現象の状態をいい、その中道とは差別の中に平等を存し、平等の中に差別を存し、二者 の中を得るをいう。すなわち余がさきにいわゆる中、これなり。この中を解して非有非空、亦有亦空の中道とい う。その意、中道とは有現象の有にあらず、無現象の空にあらず、差別平等、相対絶対、並立兼有の中道を義と す。これいわゆる二様並存、一体両面の関係を示すものなり。その関係を示すに種々の語句ありて、あるいは真 如即万法、万法即真如といい、あるいは相即不離、融通無磯という。真如とは平等の理体を義とし、万法とは差 別の現象を義とす。その理体はこれを理性と名付け、その現象はこれを事相と名付く。理体と現象の同体不離な る関係を示して、真如即万法、万法即真如といい、理体の中に現象を存し、現象の中に理体を存して、二者相通 自在なる状態を示して、事理無擬という。これみな非有非空、亦有亦空の中道の性質作用を表現したるものなり。 けだし仏教の真理はこの有空中三段の道理の外に出でず。その中について中道を真実とし、有空を方便とす。故 に有門の小乗は方便なり、空門の権大乗もまた方便なり、中道の実大乗ひとり真実なり。しかれども有の裏に空 あり、空の裏に有あり、有空の裏に中道あるをもって、その方便は全く真実を離れたる方便にあらず。故に方便 すなわち真実なりという。これ理論上のことなり。もしこれを実際に徴するときは、人の性質と世の機運とに応 じて有空の方便かえって中道の真実なることあり。たとえば時弊差別の有に偏するときは、これを正すに無差別 の空をもってせざるべからざるがごとし。けだし一仏教中に小乗あり大乗あり、有門あり空門あり、諸説並存す るは、世と人との事情に応じて中道の権衡正平を保持せんとするの意に出でたるや疑いなし。以上の有空中三段       07 の道理によりて組織したる宗旨は、倶舎宗、法相宗、天台宗等なり。これみな理論宗なればよろしくこれを智力 2

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的宗教もしくは道理宗と名付くべし。これに対して実際宗あり。すなわち浄土宗、真宗、禅宗、日蓮宗等これな        08 り。余はこれを﹃顕正活論﹄において通宗と称せり。そのうち浄土宗、真宗はこれを浄土門と名付け、これに対 2 して自他の諸宗は総じて聖道門と名付く。余はこの二者を実際的感情宗、実際的智力宗と称せんとす。畢寛する に仏教中にこの二門兼備するはその完全の宗教なるゆえんにして、二様並存の真理に適合するゆえんなり。        第一二節 有空二門の大意  かくのごとく論定して、これより理論宗の有空中三段の諸宗について、その大要を略述すべし。まず小乗倶舎 宗は有門にして、現象差別の境遇にありて組織したる宗旨なり。しかれどももしこれを世間の彼我差別の妄見に 比すれば、一歩進みたる差別論にして、通俗の妄見を破りて真理の一部分を示したるものなり。およそ世間の妄 見は人々おのおのの差別を固執し、千万無量の差別を偏信するものなれども、倶舎宗においては七五種の原理を 立てて、千万無量の差別はこの原理の外に出でずとなす。これを七十五法という。この諸法を大に分かちて有為、 無為の二法となす。有為法とは変遷生滅あるものに名付け、無為法とはその反対に名付く。この二種の諸法共に その体おのおの恒存実在せるものなりと説ききたりて、いわゆる法体恒有説を論定せり。故にその宗はなお万有 の差別を立て、諸法の成立を許すものなれば、これを有門と名付くるなり。もし進みて権大乗に入れば、法相宗 の﹃唯識論﹄のごときはこの差別を空無に帰して、外界の現象は識心の作用に外ならざることを示せり。これを 唯識所変という。すなわち識心の作用を離れて一物一現象の実存恒在することなしとなす。これその空門の名あ るゆえんなり。これより更に一歩を進めて実大乗に入り、そのすでに経過せる境遇を回想すれば、小乗は有に偏 し、権大乗は空に偏するをみる。故に実大乗にありては、その二者の中をとりて中道説を唱うるに至る。これ実

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真宗哲学序論 に仏教国の都城なり。今この中道説を論ずるにさきだちて、更に一言を要することあり。すなわち法相宗の空門 なお差別の見を脱せざること、これなり。およそその宗にありては、百法すなわち一〇〇種の原理を立てて唯識 所変の理を示すものなれども、その百法中の有為法、すなわち変遷生滅を有する諸法は、識心中に阿頼耶識と名 付くる一種の心体ありて、その中に含蔵せる種子の開発によりて現立するものなれば、その心体を離れて一物の 存することなしというも、もし変遷生滅を有せざる無為法に入れば、別に真如の本体ありて諸法はこの上に依立 するものなりという。しかして真如と阿頼耶識とはその体一にして、真如は阿頼耶識の依立する本体なりと説く も、有為の諸法は真如より開現することを説かず。これを﹁真如は凝然として諸法を作さず。﹂︵真如凝然不作諸法︶ という。これによりてこれをみるに、法相宗は倶舎宗の差別論を一変して、有為法の差別を空無に帰したるも、 なお有為と無為の間に差別を存して、真如開発の理を説かざれば、これまた差別論の一種たるを免れず。しかる に全くこの差別を絶無に帰したるものは別に三論宗あり。これ空門中の空門なり。この空に有を兼説して、正し くその中を立てたるものは、中道の諸宗に限る。        第=二節 中道の大意  中道の主義を唱うるものは、さきに天台宗なりといいたるも、その他、華厳、真言等もみな中道宗なり。今、 法相宗の差別論の一変して中道論となりたる順序について考うるときは、まず﹃起信論﹄の説を略言せざるべか らず。﹃起信論﹄は実大乗に入るの関門にして、真如開発の理を開示したるものなり。すなわち法相宗は阿頼耶識 の作用を論ずるのみにして、いまだ真如の作用を説かざれども、﹃起信論﹄はただちに真如自体の上にその作用を 説きて、一切有為無為の諸法は真如開発に外ならざることを証明せり。この真如開発説は実に仏教の主眼にして、 209

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そのヤソ教と異なる要点なり。しかしてその論なおいまだ全く差別の見を脱するあたわず。なんとなれば、真如       10 開発の前後に差別を存して、開発以前と以後と一致せざるところあり。これ古来起信の難問と称して学者の常に 2 苦しむところなり。すなわちその疑問は開発以前は平等の一理あるのみにて、開発以後に差別の万境を現ずるは、 これ一より偶然万を生じたる理なり。その理解すべからずというもの、これなり。この点はひとり仏教中の疑問 なるのみならず、諸哲学の疑問なり。しかしてその疑問は開発の上に前後の差別を立つるより起こる。もしその 差別を除き去れば、その疑点もまた同時に滅すべし。これ天台宗の理具説の起こるゆえんなり。理具とは平等の 理性に本来差別の事相を具有するをいう。これを体性本具説、あるいは因心本具説と名付く。その意、一理開発 して万境を現ずるも、万境本来無なるにあらず、一理に具有して前後併存するによるをいう。これ畢寛天台にて はあらゆる差別をことごとく除き去りて、その極、無差別中に差別をみるに至り、一理万境、二様並存を唱うる に外ならず。故に天台の中道は空中に有を現じ、平等中に差別を存する論なり。これを空仮中三諦の法門と名付 く。その仮とは空中に有を現ずるをいう。この理を推してさきにいわゆる相即不離、融通無磯の論意を了解すべ し。これ実に中道の極致至理なり。これに至りて余がさきに述ぶるところの二様並存、一体両面の関係の全く一 大仏教中において完成せるをみたり。故にその説は完全の真理を有するものと断定して可なり。        第一四節 理論宗の批評  天台以上に至りては、華厳宗あり真言宗あるも、その説は天台の理論を差別現象の上に応用したるものに外な らず。けだし天台は平等論の最上に達したるものにして、平等差別の中道を説くも、その実、平等を本とし差別 を末とする傾向あるをもって、自然反動の勢い、差別の上に平等を立つる説起こらざるを得ず。すなわちその平

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真宗哲学序論 等の理をただちに差別の一事一物の上に適用して、事々物々の融通自在なることを説きたるものは華厳宗なり。 これを事事無磯論と名付く。また更に事々物々の方を本として平等の理を説くに至りたるものは真言宗なり。そ の宗に六大所成説あるもの、これなり。しかれどもこれらの諸説は天台の論理の方向を転じたるものに過ぎざれ ば、余は天台をもって理論の極点とす。以上は理論宗の大要なり。その論理の順序は差別より平等に向かいて進 み、平等より差別に向かいて出で、平等極まりて差別を生じ、差別極まりて平等を生じ、二者並存不離の関係を 証明せるものなり。すでにかくのごとく論理進達して中道の真理なるを知れば、さきにいわゆる万法即真如、真 如即万法、あるいは差別即平等、平等即差別の原則の真理なることを知るべし。もしその真理なるを知ればわが 目前の事々物々その体みな真如にして、この世すなわち真如世界なることを了すべし。果たしてしからば我人は もちろん、禽獣草木、山川日月に至るまで、みな真如の理性すなわち仏性を具し、この変化生滅の世界はまさし く不生不滅の極楽世界ならざるべからず。これ中道宗において我身即仏、此土即極楽と唱うるゆえんなり。これ を煩悩即菩提、生死即浬葉という。天台にて﹁国土山川、ことごとくみな成仏す。﹂︵国土山川悉皆成仏︶を説くも、 全くこの理に外ならざるなり。        第一五節 実際宗の起源  果たしてしからば、わが輩なんぞこの世界の外に極楽を願い、わが身の外に仏を望まんや。我人は生まれなが らこの身のままにて、すなわち仏なりというものあるべし。しかるに天台等の中道宗は理論の外に実際を説きき たりて、我身即仏とは理論上のことのみ、実際上にてはわれわれは行を修め善を積みて始めて仏となるべしとい う。故に実際上にありては、天台、華厳の中道宗も、倶舎、法相の非中道宗も、更に異なることなし。これ理論 211

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宗に反対して実際宗の起こりたるゆえんなり。実際宗中、浄土諸宗も日蓮宗もみな天台の理論実際の契合せざる をみて起これり。けだし天台宗は差別平等の中道を説きながら、平等の上に理論を立てたるをもって、浄土諸宗 はこれに反して差別の上に理論を立つるに至り、また天台宗は平等の上に理論を立てながら差別の上に実際を説 きたるをもって、日蓮宗はこれに反して平等の上に実際を説くに至れり。つぎに禅宗は天台より出でたるものに あらざるも、その理論はやはり中道の真理に基づき﹁三界はただ一心のみにして、心の外に別法なし。﹂︵三界唯一 心、心外無別法︶等の唯心の原理に照らし、わが心の本体すなわち真如の理性なれば、我人その本性を観見して成 仏すべきゆえんを説けり。これを見性成仏の法という。この説と浄土諸宗の説との異同は、禅宗は主観界裏に成 仏の道を立て、浄土諸宗は客観界上に成仏の法を立つるの点にあり。日蓮宗も主観上の説にあらずして客観上の 説なれども、その浄土門に異なるは客観上に平等論を立て、即身成仏、此土即極楽の説をとるにあり。しかるに 浄土門は客観上に差別論を立てて、わが身の外に仏あり、此土の外に極楽あることを説く。これ実際宗の中にあ りて諸宗おのおのその主義を異にするゆえんなり。しかして浄土一門の哲理は真宗の原理なれば、次段において 論明すべし。 212

第四段 真宗原理論第一

     第=ハ節真宗原理の分類

仏教の大陸に入りてその山河の大勢を望見するに、倶舎、法相の山脈は広く有空二門の境遇にまたがり、天台、

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真宗哲学序論 華厳の高嶺ははるかに真如実相の中天にそびえ、その妙その美、一望の下実に人をして仰嘆に堪えざらしむ。し かれども世間よくその山顛に登り、その真景に接したるもの果たして幾人かある。老弱婦女子の輩はいうに及ぼ ず、強壮健全のものといえども、山至って高うして道極めて険なれば、容易によじ登るべからず。しかるに浄土 一門はあたかも長江大河のごとく、遠く源を天台中道の高嶺に発し、有空二門の幽谷を過ぎ、流れて噴原平野に そそぎ、村落至る所その恩沢に潤わざるはなし。ことに真宗に至りては、いかなる愚夫愚婦もその慈水に浴せざ るはなし。その世間を益するや、実に大なりというべし。今謹んでその教の原理とするものを考うるに、法相、 天台等の聖道諸宗の原理と全く相反するもののごとしといえども、その実、平等差別中道の真理に外ならず。ま ず聖道浄土の異点を挙ぐれば、聖道門は我身即仏、此土即極楽を唱うるをもって、此土にありて成仏することを 説き、浄土門は西方の極楽、西方の阿弥陀仏を立つるをもって、未来かの土に至りて成仏することを説く。また 聖道門は自力の修行なれば難行道なり、浄土門は他力に依葱するものなれば易行道なり。更に浄土諸宗の原理の 聖道諸宗に異なる要点を挙ぐれば左のごとし。そのうち第一条は純正哲学上より判定し、第二条は心理学上より 観察し、第三条は宗教学上より論評するものなり。   第一 平等論をとらずして差別論をとること︵純正哲学上︶   第二 智力によらずして感情によること︵心理学上︶   第三 道理を本とせずして啓示を本とすること︵宗教学上︶  この三条中、第一条は要点中の要点にして、他の二条はこれに付属せるものに過ぎず。すなわち第一条の純正 哲学上より論定せる原理は、第二条、第三条を貫通して浄土一門の教義を組織するものなり。その他、浄土門は 213

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