琉球の創造力 一チャンプルー創造文化論(一)―
著者
比嘉 佑典
著者別名
HIGA Yuten
雑誌名
アジア・アフリカ文化研究所研究年報
巻
32
ページ
27-50
発行年
1997
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00010093/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja琉球の創造力
〆~、一
、._"││チャンプル
l
創造文化論││
は じ め に 1 1 創造力の冒険 この論文は、沖縄の文化について、民俗学、文化人類学等から研究しょ うとするものではない。 それはまったく別の視点から、沖縄の文化を把握 する試みである。誰も手をつけなかった試みだけに、 一 種 の 冒 険 で あ る 。 あ え て 、 そのことに挑戦してみたいと思う。 まず、挑戦する視点をあげておこう。 て沖縄の文化を創造学の視点からとらえる。 二、沖縄の独自の文化は、 どのようにして創造されたのか、 その文化創 造 力 を 解 明 す る 。 一 二 、 実 証 的 研 究 で は な く 、 一種の解釈論であり、意味付けであり、 イ メ ー ジ で あ る 。 したがって、論文らしからぬ論文になってしまうおそれはまぬがれない。 そのことも承知の上で、あえて冒険を試みてみたいと思う。 これまでの沖縄の文化に関する民俗学の調査に対して、皮肉って﹁文化比
嘉
佑
典
の古道具あさり﹂とき一口う人もいる。しかし、私はこの文化の古道具の中に、 秘められている︽創造力︾に注目してみたいと思う。 い か な る 文 化 に も 、 その文化を創造した﹁創造性﹂が潜んでいるものである。 その創造力を文 化の︽生命力︾として、あらためて把握し、再生させる試みがこの論文の 目的の一つでもある。 一、チャンプルl
創造力 沖縄の最も代表的な料理は、 チャンプルーである。豆腐チャンプルl
、 ゴ l ヤi
(
苦瓜)チャンプルi
、 マ l ミナ(ヤエナリモヤシ)チャンプルi
、ソ l ミン(そうめん﹀チャンプルI
等である。食材の下にチャンプル ーをつけて﹁OO
チャンプル l L と 呼 ん で 、 その料理名をあらわしている。 チャンプルは方言で、 その意味は﹁かきまぜる・かき合わせる﹂という ことである。いろいろ食材をかきまぜて、料理を作り出す。食の創造であ る このチャンプルーこそ、創造の異名である。創造は、ものとものとを 二 七琉球の創造力(一) ﹁かけ合わせ﹂﹁結び合わせ﹂﹁組み合わせ L て 、 新しいものを生み出すこ とである。事物の新しい結合が、創造の本命である。 そもそも、結合・結び合わせるという︽結び︾の語源をたずねると、 れは﹁陰陽相対的なものが和合して新しい活動を起す﹂ことだといわれて いる。わが国では、男女の和合によって生まれた子どもを、﹁むすこ﹂、 ﹁ む す め L と呼ぶが、これは﹁むすびひこ L 、 ﹁ む す び ひ め ﹂ の略称だといわれている。生成の神の名が、﹁タカミむすびノカミ﹂﹁カム むすびノカミ﹂であることは﹃古事記﹄にも明記されているという。 ということば 額田巌氏によると、 そ の ﹁ ︽ 結 び ︾ こそは人聞が習得した最初の建設的 な技術である。二つ以上のものを一つにまとめる技法が︽結び︾なのであ る。人聞が結びの技法を発見したとき、彼等は最初の文化をもったのであ り、他の動物から離脱して、その後の繁栄への道を約束されたといっても 過言ではあるまいにと述べている。 つまり、文化創造も結びから始まる。 農産物・畜産の創造原理は、異なった種と種をかけあわせ(結合)て新 品種をつくることにある。 料理の創造は、 いろんな食材をあつめ、 チャンプル
l
(
結合)にして新 しいごちそうをつくることにある。 ひところ、文化鍋、文化包丁、文化風呂などと、 なんでも文化をつける ことがはやった。文化包丁で文化を料理し、文化鍋でチャンプル l にすれ ば、チャンプルi
文化、文化の創造である。 では、創造性研究、この道の大家の意見どみてみよう。 一、創造とは、既存の要素から、彼にとって新しい組み合わせを達成す 二 八 る 人 で あ る 。 二 、 創 造 と は 、 この新しい組み合わせである。 そ 三、創造することとは、既存の要素を新しく組み合わせることにすぎな ( 2 ﹀ i v (ヴァン・ファンジエ) 創造性とは、新規な組み合わせを作り出す能力である。創造性とはすで に頭の中にあるこつもしくはそれ以上の概念から新規な組み合わせを形成 する能力として定義される。 ( J -w ・ェ!フル) 創 造 性 と は 、 われわれの過去の経験を深く掘りさげて、 これらの選択さ れた経験を結び合わせて、新しいパターン、新しいアイデア、 ( 4 ﹀ い所産をつくり出すことである。 または新し ( J ・ A-スミス) 発明(創造)を説明することは、 つねに既知の諸要素、もしくは古い諸 え る と で そ あ(れ る旦を 。 分 解 す る と で あ り 要 素 に 、 それらの要素を異なる順序に並べか ( ベ ル グ ソ ン ﹀ ( 6 ) その他、創造性開発技法の大家ゴードンは﹃シネクテイクス﹄を著わし て い る が 、 それはギリシャ語で﹁異なったそして一見関連のない要素を結 びつける﹂という意味である。 ( 7 ﹀ その他、ァl
サi
・ケストラi
の﹁二元結合 L 。湯川秀樹博士の﹁同定 と結合﹂論等がある。 つまり既存の諸要素を新しく結合する、 これが創造である。人間の精神( 観 念 ﹀ と 身 体 も 、 そして文化も常に︽既存の新規な結合︾、 つまり創造に その基礎をおいている。 いってみれば、文化を創造する人類は、分離と結合をトンテンカン ンテンカンと繰り返す文化のカンジヤヤ
l
(
鍛冶屋)である。 な ぜ か 琉 球 人 は 、 チャンプルi
が 大 好 き で 、 カンジヤヤl
の血がはげし く 流 れ て い る 。 四海を乗り越えて、東西南北の国々から、文化を積んで持ちきたりて、 それをチャンプルl
にして、自らの文化に作りかえた。あの黄金の十四、 五世紀・大航海の時代は、正に琉球文化創造の全盛期であった。 独自の琉球文化を創り出したレキオス(琉球人)。 ウミンチユ ( 海 洋 民 族﹀のスピリット(セl
ジ ・ 霊 力 ) 、 ムl
大陸の生存者か。 ともあれ、この島はチャンプルi
(
創造)のセl
ジ(霊力﹀をもった、 神々の住む島なのである。 神々の住むこの島に、 一ライカナイ(海の彼方)よりまっ先にやってき たのが民俗学者たちであった。琉球の文化に驚嘆し、 その採集に多大なる 成果をあげたことは、世間の知るところである。 そのことは、民俗学や歴・ 史学者にゆだねることとして、私はこう言いたい。 島は創造大陸である。 島は、文化、貿易の﹁中継地点﹂だとよく一言われている。 はたしてそう か。いな、中継地点ではなく、文化の︽合流地帯・チャンプル l 地点︾で あ る 。 それが、私の観点である。 文化の核融合・チャンプルl
創造の原点、このチャンプルi
の根源にア ブローチすることが私のねらいである。 つまり、琉球の﹁セl
ジ ・ 霊 力 ﹂ 琉 球 の 創 造 力 ( 一 ) にではなく、琉球の︽創造力︾にせまってみたいのである。 ト ニ、万国津梁の鐘と創造力 沖 縄 を し て 、 レキオス・琉球人 海人・ウミンチユ 海洋民族・海のボヘミアン(遊牧民) サ パ ニI
(
船)・進貢船・大洋 海の商人 こうイメージしてみる。次に、 まったく異質なものと︿置換・結合﹀し 連 想 し て み る 。 モンゴル・アラビア・大陸人 騎馬民族・草原の遊牧R
ラクダ・キャラバン・砂正 砂漠の商人 馬 、 ラ ク ダ 、 サ パ ニ 1 0 サ パ ニl
はラクダ。海のシルクロードを、文化 を積んで往来した。 海の商人は、このサパニi
(
進貢船、山原船を含めて象徴的に呼ぼう﹀ を 利 用 し て 、 七つの海を乗り越えて、文化をいっぱい積んで、海のシルク ロードを往来した琉球人・ウミンチユ ( 海 人 ) で あ る 。 史実にしたがえば、琉球人は﹁四海を股にかけ、 日本本士、中国、朝鮮 はもちろんのこと、安南、 シ ヤ ム 、 パ タ ン 、 マ ラ ッ ヵ 、 ジ ャ パ 、 ル ソ ン 、 ボ ル ネ オ 、 スマトラなど、極東全域と貿易を営んでいた。当時の沖縄住民 ニ 九琉 球 の 創 造 力 ( 一 ) は、海洋民族として、勇敢闘達で回目険心に富み、自主独立の精神がきわめ て旺盛であったが、その反面、温和で非好戦的な性格の持ち主であったと い わ れ て い る 。 ﹂ ( 宮 良 高 弘 ) 北は大和の国 西は唐の国 南は南蛮 東はニライカナイ これら、東西南北の中心にあって、 四方八方をわが庭として雄飛した。 西のシルクロードは西洋と東洋を結ぶ砂漠の道であれば、東のシルクロ ードはアジアの文化を結ぶ︽海上の道︾であった。 この海上の道にあって、縦横無尽に羽ばたいたのが琉球人・レキオスで あった。先祖を崇拝し、太陽を信仰し、自らテダヌフア(太陽の子)とし て、海洋民族のバイタリティー・霊力を思う存分に発揮して南海の王国・ 琉球王朝を築いたのである。 万里の波濡 洋々たる大海 錨を上げて進む 琉球の船団 万国津梁の鐘を鳴らして 琉球国は南海の勝地にして三韓(朝鮮)の秀を鍾め、大明(中国)を し ゃ し ん し 以て輔車となし、日域(日本)を以て唇歯となす。このこの中間に在 ょ う し ゆ っ し ゅ う し ゅ う りて湧出するの蓬来島なり。舟栂を以て万国の津梁となし、異産至宝 は十方剰に充満せり し ん り ょ う 首里城正殿にかけられた﹁万国津梁の鐘 L と通称される究鐘に刻まれた
。
文句である。意味はこうである。 わが琉球は、南海のすぐれた地点に立地し、朝鮮・中国・日本と親しい 関係をむすび、幸福このうえない土地である。船(舟樟)をあやつって世 界(万国)のかけ橋(津梁)の役割を果たしており、 その結果として、世 界中のすばらしい商品(異産至宝﹀がいたるところ(十方剥)に満ちあふ れ て い る 。 自画自賛してはばからないほどのこの繁栄。琉球王朝の誇りと栄華がこ め ら れ て い る 。 こ の 党 鐘 の 文 句 は 、 そのまま創造の定義そのものである。朝鮮の文化、 中 国 の 文 化 、 日本の文化、南方の文化を寄せ集め、これら異産至宝(異質 の 文 化 ) を 結 合 さ せ 、 チャンプルi
にして新しい琉球王朝文化を創造した の で あ る 。 さて、地図を聞くと、東支那海、大平洋、琉球海溝とある。これは、地 理学者が名付けた名称である。この海図をこう読み換え・置き換えてみて は ど う だ ろ う 。 創造海図・チャンプルI
海図 文化の創造海流が流れていると仮定しよう。すると、図ーのような文化 の海流が、琉球に流れていることがわかる。 北方文化圏(日本﹀から流れてくる北方文化海流。西方文化圏(中園、 朝鮮)から流れてくる西方文化海流。南方文化圏(南方諸国﹀から流れて くる南方文化海流。これらの海流が三つ巴になって、渦潮をまきあげ合流 す る 海 域 、 そこが琉球、文化創造のうすくぶ(つむじ﹀・真っただ中である。文化創造海図 図
1
明 ( 中 国 ) そういえば、琉球国旗が﹁巴旗 L で、白地に青、赤、黄の左三つ巴であ る 。 琉球国旗「巴旗」 図2 琉 球 の 創 造 カ ( 一 ) その旗は、美と仁と柔の三徳、 無慾の大道と純潔の衿りが表徴さ れていると伝えられているが、私 はその三色にこう言いかえてみた ぃ。赤は日本・日の丸、黄は中国 -皇帝色、青は南方の緑の因。赤、 育、黄の色の違った異質の文化が 琉 球 に 流 れ 込 み 、 そこで三種混合 をなして新しい独自の文化を創造 し た の で あ る 。 かきまぜる力、台風、台風銀座琉球、 まるで竜がのたうちまわる迫力で もって、異文化をかきまぜて新しい文化に仕上げる。台風は、 いってみれ ぱ琉球の精神力・創造力のようなものである。 巴旗はその形からして、回転をイメージさせる。一二色が内に向って、求 心力で回転しているように見える。もし、 その巴旗をシンボルとしてみる と、琉球の生命力・創造力は、求心力型と呼んでよいだろう。平たく雪?え ば、︽取り込み型創造︾である。 四方の文化を取り入れて、 それを島のか じ屋で島向けに加工(創造)するのである。 この取り込みとは、受容のことである。島は文化の受容器である。 チ ヤ ン プ ル l 文 化 を つ く る 、 チャンプルl
文 化 鍋 で あ る 。 島 は 、 でっかいチャンプル l 鍋 で あ る 。 ニライカナイ 琉球王国の信仰のシンボルである。 一般に、来訪神と呼ばれ、海の彼方 から幸福を呼び寄せる神、海の彼方から幸福を持ってやってくる神、 い ず れにせよ幸福を海の彼方に求める信仰である。受容的である。 こ の 信 仰 的 観 念 も 、 ま た 、 ︽受容型創造︾の典型だといってよい。自問 的で鎖国的な態度ではない。 むしろ開放的・歓迎的な態度である。 つ ま り 、 ﹁めんそうれ型 L な の で あ る 。 創造性の観点から言うと、受容性というのは重要なことである。まず創 造は、受容からはじまる。すべてを受け入れておいて、 そ れ ら を 自 由 に 、 柔軟に、流暢に取り扱うことによって、独自な新しいものを生み出すから で あ る 。琉 球 の 創 造 力 ( 一 ) この受容性・自由性・柔軟性・流暢性・独自性は、創造性の一族(属性) で あ り 、 キ
i
概念でもあるからだ。 ニライカナイ的観念を基礎に、多様な文化を受容し、 由にでっかいチャンプルl
鍋 で 、 琉 球 は 、 それを自 アチラシケ l ラシ(かきまぜ﹀して、独 自の文化を創造した。 琉球王朝時代は、 チャンプルl
文化の黄金時代でもあっ い っ て み れ ば 、 た。太洋も、金波銀波の時代であった。 万国津梁の鐘を鳴らして、 四海より黄金の文化を集め、異産至宝の華を 咲かせ、うるまの島に、独自の文化を創造したのである。 三、琉球の創世神話と創造カ 創造神アマンチュ! 琉球がまだ混沌として、 カオスの状態にあったとき、天地は隔ててな く一つになっていた。 その天地のわずかなすきまに、琉球の島の人々が、 腹ばいになって蛙のように歩いて暮していた。太陽も月もない、 あみす︿ な状態であり、人々は天底を目ばかり光らせていた。 まっ暗 琉球の島の近くに、 なんでも天から来たという、大男のアマンチュ l がいた。このアマンチュl
は の ん き 者 で 、 いつも、天びん棒に太陽と月 を ひ っ か け て 、 これはおれの宝物だと誇らしげに、自慢して歩いていた。 あ る 日 の こ と 、 あまり調子にのりすぎて、 天びん棒をふりまわして踊 っていたら、棒が天のはじにぶつかったのか、ピシシッと折れてしまい。 太陽は東の海に、月は西の海に落ちてしまった。 ア マ ン チ ュl
は、宝物 をなくしてしまい、 くやし涙がとめどもなく出てきた。その一棋は、滝の なだが それは涙川といって、国頭郡本部間切 ようになって落ちて川となった。 を流れる川となった。 ア マ ン チ ュl
は、あきらめて帰ろうとすると、足もとの地底から人々 の声がするので、腹ばいになって天地のすきまをのぞくと、島の人々が、 士戸をはり上げ、天をおし上げようとしていた。 そこでアマンチュl
は 、 よし手をかしてやろうと、堅い岩場を足場に し て エイヤッとばかり、天をいっきに持ち上げた。あまり力が入った も ん だ か ら 、 ア マ ン チ ュ ! の 足 、 が 岩 に め り こ ん で 、 そこにでっかい足あ と が で き た 。 島の人々は喜び、 はるかに上がった天をあおいで踊った。 ところが、島はまだ暗くて、足もとが見えない。なんとかならんもん か と 言 っ た 。 それを聞いたアマンチュ1
は、東の海に向って太陽に出て くるよう、頭をさげてお願いした。すると、水平線をこがして燃えるよ うな太陽がのぼってきた。琉球の島は、パーツと明るくなった。 喜んだのもつかのま、毎日まぶしくて、こうも暑いのに参ってしまい、 人々は日かげをさ、がしてうろうろしていた。 それを見たアマンチュ!は、 こんどは、西の海に向って、手を合わせて月を呼び出した。 やがて、太陽が海へ沈み、月が静かに上がってきた。 それから、島に は、昼と夜が創られた。 ア マ ン チ ュl
は、自分の宝物が役立ったことを 喜 ん だ 。 だが、世の中がはじまったばかりの島には、やる仕事がいっぱいあった。この島が気にいったアマンチュ l は、島をもっとよくしようとして 働いた。仲泊の山にのぼって、岩をひったくると、 エ イ サ l コ ラ サ
1
と、かついで海辺を埋め立て、美しい岬や入江を作った。 アマンチュi
は、特に東の海に浮んでいる浜比嘉の島が気にいってい た。ここも埋め立てて、陸つづきにしようと思った。 雨の降る夜だった。 アマンチュ 1 は、背中に大岩を背負って山をおり、 金武湾の浜に立った。浜比嘉が、すぐ目の前に見えた。ここからなら、 ひとまたぎできると思ったアマンチュl
は、浜比嘉をねらって、ドl
ン と踏み込んだ。 ところが、足の指先きが、島にかすったかと思うと、 たちまち深い海 へ、大岩をかついだまま、海の底へ沈んでしまった。 今、浜比嘉の島には、 アマンジ丘というのがあるが、 そ こ に は 、 ア マ ン チ ュ l の墓が、浜比嘉を見おろすように立っている。 〆「 の 佐 両 喜 者 真 を 興 参 英 考 『 に 女 し 人 た白政 '--'~治 考 霊 の 島 々 』 萩坂昇﹁ア!マンチュI
L
この島マつくりの創世神話は、創造性に富んだ物語である。 アマンチュ I ( 天 の 人 ) という大始祖神をもっ琉球は、 そのアマンチュ l 的スピリット の血を引くことによって、 その創造性をいかんなく発揮したと言ってよい だ ろ う 。 そ れ は な ぜ か 。 アマンチュi
は 、 まず島マつくりをする時に、天と地を分 割・分離したのである。自らもっていた宝物を、天びん棒が折れて東と西 に分離してしまった。 そ こ で 、 アマンチュI
は、分離した天と地の中に、 琉 球 の 創 造 カ ( 一 ) 再び太陽と月を結び合わせて統合したのである。分離と結合という創造・ 創造力を発揮して、︽壮大なる創造空間︾島宇宙・うるま うふゅう 大世を創ったのである。 ( 沖 縄 の 名 称 ﹀ そしてまた、創造神アマンチュ l 自身が、琉球の島の地底深く沈み、島 をささえている。 いってみれば、島の母体はアマンチューであり、 そこは ︽創造の島︾である。 創造的霊 いたるところ創造性にみちあふれでいる。 気が漂っている。 アマンチュ 1 の本性は創造性。 島のセ l ジ・霊力は創造力。 創造的スピリットは島の精神。 琉球・沖縄思考の原型も、 アマンチュl
思 考 。 島宇宙は創造空間である。 生命力は創造的エネルギー。ギラギラ太陽のごとく、洋々たる大海のご と く 。 創造的大感情は島に宿り、温和な心の泉となる。 うふゅう このうるま大世の創造空間において、先祖は頭の中だけで物考えをした のではない。創造力というのは、 そんなちっぽけなものではない。 天と地、太陽と月、風と雨、水と火、岩と樹木、これらすべてをかき集 天と地と人が一体となって全心全霊をかけて直観する︽宇宙的思考 うふゅう 力・うるま大世思考︾なのである。心理学でいう、自我の頭の中にのみに め て 、 閉 じ 込 め た 、 ちっぽけな等身大の思考力ではない。 つまり、創造力というのは、単なる頭の中で、手のひらの中であっかう ものではない。人と環境とのダイナミック(カ動的)な関係の中で、燃え琉 球 の 創 造 力 ︿ 一 ﹀ 出す思考であり、全心全霊をゆさぶる思考である。 人聞が、この世で創造した最高の悦楽・歓喜は︽遊び︾である。遊びの 中でさらに最高の遊びは︽神遊び︾である。神遊びとは、今ふうにいって ︽宇宙遊び・宇宙遊泳︾と名付ておこう。この神遊びは、創造的根源への 回帰としての遊びである。 神 遊 び 、 ィ 、 ザ イ ホ ー が そ う だ 。 し ま ん ち ゅ ア マ ン チ ュ 1 に島をつくってもらっただけでなく、島人はまた、 ア マ ン チュ!と同じように、島に最高のパラダイス・神遊びを創造したのであっ た 。 島の空間を、地理のみでみれば、大平洋に顔だけ出して、今にもおぼれ たよりない島である。土地の広さだけでみようとす うふゅう る地主的偏見をやめて、うるま大世に目を向けるべきである。大洋を航海 てんとう し、天頭まで思索を広げる身体と心のスケール。アマンチュ!のスケール そ う な 、 ち っ ぽ け な 、 であり、ティダヌファ
l
(
太陽の子)のスケールである。 う る ま 大 世 、 おなり国家(信仰)、生者と死者(先祖﹀、神との共生共同 体。そこからの発想が、大世的思考である。 四、うるま大世思考・発想と創造力 大世思考とは、神と人が、天と地にあって︽神人合一︾により、合体し て思考することであり、発想することである。 ウチナ l ンチュは、島のいたるところに神をおき、海のかなたにニライ カ ナ イ を お い て 、 それらと向き合って、発想し思考した。 常に、神や先祖と一緒にいたいという希求は、神々の原郷意識、先祖返 四 り、根源なるものへの回帰の念を燃えたたせ、 ついには神人合一への道、 その方法をあみだしたのである。 しまんちゅ その方法の形式は︽神遊び︾である。神や先祖にこがれてやまない島人 は、祭りという神遊びを創造したのである。この神遊びの代表的なものが、 イザイホーである。 ィ 、 ザ イ ホ1
神遊び 創造性 この三点セットは、大世思考・発想の根源をなすものである。 イザイホ l は、今世紀最大の神遊びとして、世の注目をあびた。古代を 今に残すということは、民俗学の驚異である。すっかり文明化された沖縄 に で あ る 。 アマゾンの奥地ならともかく、 コンピュータを使うハイテクの 社会でのことである。驚異としか、 い い よ う が な い 。 以前、西表山猫が出現して、世をさわがせたかと思うと、次は、 ヤ ン パ ル ク イ ナ で あ る 。 さ て 今 度 は 、 ム ! 大 陸 説 。 ひ ょ っ と し て 、 ア マ ン チ ュi
は 、 アマ(あそ こ ・ ム l 大陸)のチュI
(
人間﹀じゃなかったかと、 つい発想したくなる。 不思議な石板もあるし、何かまた出てきそうな気がする。琉球大学の木村 教授は、邪馬台固とム l 大陸が沖縄にあったと、奇想天外の仮説を立てて イ メ ー ジ す る 。 い う ま で も な く イ 、 ザ イ ホi
は、久高島の神遊びである。このイ、ザイホi
という神遊び(秘祭)の本質的意味は、こうである。 三O
才を迎えた島の全女性に神に奉仕するミコとして資格を与えるため の 祭 式 儀 礼 で 、 ニライの神という海の彼方からの来訪神を迎えて歓待 し、その神の祝福を受け、次いで神人共食を行うための祭式儀礼である と思われている。五日間行われるが、第一日目は、 ユ ク ネ l ガミアシビ (タ神遊び)。第二日目は、朝神遊び。第三日目は、花さし遊び。第四日 目は、船漕ぎの神事(綱引き)。第五日目は、 ( リ 比 ﹀ 事 と な っ て い る 。 ( ﹃ 沖 縄 文 化 史 辞 典 ﹄ ) このように説明されると、創造性・創造力の入る余地はほとんどない。 祭 り の 後 始 末 、 後宴の行 この遊び自体が、祭式儀礼でかたずけられてしまう。本当にそうなのか。 それを創り出した創造力は、 一 体 何 だ ろ う 。 創造学は、変革(再結合)の学であると同じに破壊(分割・分離)の学 である。両刃の刃の学である。常に変革しようとして、現実(あるもの) を否定もしくは疑ってかかる学でもある。すべて、良しとしたら、創造な ど あ り え な い 。 神 遊 び は 、 はたして祭式儀礼のみか。 多くの学問の落し穴は、自らの学にワクをはめ、限定するところにあ る 。 学の上に自らのワクをはめて、神学、宗教学、民族学、民俗学、文化人 類学、歴史学といったように、学を固定して解釈・定義する。 太 古 の 根 源 的 な 遊 び 、 その神秘性・不可思議な遊びに、霊力、秘儀性、 呪 術 性 、 鎮 魂 性 、 シ ャ ー マ ニ ズ ム 、 アニミズム等の用語で解釈し、神事、 呪術、鎮魂等のレッテルをはりつけた、 いわば、学問の商品名である。 イザイホ
i
神遊び 琉 球 の 創 造 カ ( 一 ) 祭式儀礼 民俗学の三点セットである。はたして、 それだけか、創造学はそれに疑 い を か け る 。 イ ザ イ ホ l は、何かごく自然な子どものごっこ遊びに似ている。この場 合違うのが、遊び手が三O
才以上だということである。この場合のごっこ は︽神ごっこ遊び︾と名付けておこう。始原の太古の遊びに近いように思 われる。この太古の遊びを︽宇宙遊び︾とでも名付けておこう。宇宙遊び とは、大自然・宇宙まるごと抱えた壮大な遊びだと考えるといいだろう。 何故こんな大げさな遊びをするのか、 それは、人聞が根源的な宇宙・大自 然と一体となって遊ぶことにより、宇宙の創造的根源へと永遠回帰したい 願望から生まれたものである。 大自然・宇宙のリズムに戯れ、 その揺り龍にゆられて遊ぶうちに、魂も ゆさぶられ、陶酔しエクスタシーの境に入り、創造的宇宙の生命と人の生 命とが一体(合一﹀となって、宇宙の根源からふき出す喜びを全身に充満 させ、永遠の創造的生命への回帰、 つまり︽遊戯三味︾に入るのである。 太古の遊びは、汎神論というより、︽汎遊論︾ではなかったのか。 そのことによって、古代人は、根源的遊びを通して、自己を解放し、根 源的なものとの合体を通して、自己を超越し、新たな自己を再構成(創 造)したのではないだろうか。この人間の、自己解放と、自己超越機能に 注目してみる必要があろう。 言 つ ド て イ い ( ツ る~の 。 詩 人 シ ラI
は、遊ぶ時人は全き存在(完全な人間﹀となると 太古の遊び論を持ち出すと、実証主義者からにらまれそうである。 五琉球の創造力(一) 実証は難かしくとも、 いい方法がある。個体発生は、系統発生をくり返 えすという論法があるので、 その方法で現代の子どもたちの遊びを観察す る こ と も 、 一 つ の 手 法 だ ろ う 。 自然をまるごとかかえて生まれてくる幼児は、人間になる以前に、自然 性を多く内包している。この自然児には、神の観念はない。自我意識すら 明確にもっていない。 そこには、宗教性も鎮魂性も呪術性も労働の観念も ない。ただあるのは、遊びだけである。遊戯性なのだ。無垢で天真欄漫な 幼児の遊びの世界は、森羅万象が口をきき、遊びの友となる。 犬、猫、うさぎ、 あひる、きつね、 た ぬ き 、 く ま 、 ら い お ん 、 ル ﹂ p り 、 びなどの動物がしゃべり、石ころ、草木、風、雲、水、雨、月、星、太陽 も口をきく。小人、巨人、 お化け、怪獣たちは大の仲良しである。おとぎ 話の世界、童話の世界、民話の世界も大好きである。 そして、玩具・人形 と 遊 び 戯 れ 、 リズムに合わせて踊りまくる。音楽大好きで、歌もよく唄う。 泥んこ遊びに我を忘れ、水遊びに歓喜の声をあげ、虫を追っかけて騒ぎ、 鬼ごっこに悲鳴をあげる。 大人顔負けの熱中性、没頭性。空想・夢・白昼夢。すべて丸ごと遊びの 宇宙・世界の真っ只中で、自分を燃焼させる。 そこでは、神意識はまったくなく、神秘性や呪術性や鎮魂性などもうと うない。ただ宇宙の揺り龍にゆられて遊んでいる小児なのである。 そ れ は 、 まさに太古の遊びの姿(原型)ではなかったか。 いってみれば、現代の古代人である。 西山松之助氏の﹁遊びの日本的一典型﹂の中で、 幼 児 は 、 ﹁ 遊 芸 ﹂ をとりあげて 論じているが、この遊芸の遊びは、 その本来的・根源的なところでは、す 一 」 ノ 、 べて自分で演じ、自分で創造し、自分ですべての始末をする自演のもので あると指摘しながら、こう述べている。 この日本人の古来からの遊びの実演と理論というのは、神遊びとか、 祭りの遊び、盆踊りの遊びのように、 日常性を断ち切って、非日常的な 別世界を現出し、 そのあそびをあそぶことによって、無目的な人間行動 の原点に還元され、上下貴賎の身分差も、貧富の差も零下され、 そこで 人間としての本来性に生きる一時をもつことが出来た。こういう日常性 としての﹁け﹂の状態から、非日常性としての﹁はれ﹂の状態に転生す
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ることによって、無目的な本来的人間性をとりもどすことが出来た。 氏は、封建時代の遊芸の遊びには、積極的な自己解放の哲学があり、 本の原始以来の人間解放の行動原理があると指摘している。 日 神を発見したのは、人間の偉大な業績の一つである。さらに偉大なのは、 遊びを創造したことである。 そ の ヨ 遊 ハ び ン こ そ ホ 、 イ 文 ジ 化 ン 創 ガ 造 で の あ(根 る立源 。 だ そ と し 言 て つ 私 た は の は﹃ホモ・ルI
J
ア ン ス ﹄ の 著 者 、 言 い た い 。 遊びは、創造・自己産出的創造である。 遊びは二つの世界、二つの次元から成立する。 一つは、現実の世界、客観的な現実である。 二つには、想像の世界、主観的な非現実である。 西 山 氏 の 言 う 、 け(日常性)と、 はれ(非日常性)である。 遊戯の大半は、 その﹁はれ L つまり想像した非現実の世界で行われる。 現実を想像力の力で、非現実化して遊ぶのである。 イザイホ!の神遊びも、 神と遊ぶという想像的な仮想の世界をつくり、祭礼という形をとって遊ぶのである。現に神は実在しないが、 いるものと想像して遊ぶのである。 遊びの世界は、人間の想像力によって生み出された世界である。この遊 びの世界は、現実をこえる(超越)力をもっている。想像は、現実をこえ る思考であるからである。 遊びが、自己産出的創造であるというのは、人が神と合一し、 一 体 化 す る遊びを通して、人をして神の高みにまで引き上げるからである。子ども カ ミ スーパーマンごっこ遊びをしたがるのは スーパーマンに自己を一体 化・同化して、自らの内にスーパーマンを実現する願望に外ならない。 の願望を遊びにおいて充足し、 スーパーマンに変身することによって︿精 神的成長﹀をとげるのである。精神力の飛躍である。 想像力は、精神の超越機能をもっている。 労働が人聞をつくった。 遊びも人聞をつくった。 労働は、道具を使って、対象を加工(作る)することによって、人をつ く る 。 遊びは、対象に同化し、 そのものになることによって、人をつくる。 遊びの人間創出・産出(人間形成)は、労働よりももっと根源的なもの である。そこでは、道具を使用せず、自らを道具として、対象に全生命を 投入するからである。道具の発見・製作は、後のことである。人は遊ぶこ とによって人となる。遊びを通して自己を超越し、新たな自己を産出(創 造﹀するのである。 おそらくイザイホ
l
は、根源的には、人間の自己解放・自己形成・自己 産出のために創り出された、壮大な遊戯・神遊びではなかったか。 その側 琉 球 の 創 造 カ ( 一 ) 函を、指摘しておきたいのである。 その遊戯こそ、偉大な想像力から生み出されたものである。 人は、この想像力によって、自らの心の中に、 とてつもない大きな想像 世界をうちたてた。特に、琉球人・ウチナl
ン チ ュ は 、 己 の 心 の 大 平 洋 に 、 壮大な︽想像大陸・想像王国︾をつくったのである。そして内と外に大き な世界をもつことによって、常に両者の聞を行き来し統合しつつ、うるま 大世的思考・発想をはたらかせたのである。神遊びは、 その原型であると そ い っ て よ い だ ろ う 。 残念ながら、神遊びであるイザイホ l は 、 一 九 九O
年をもって中止とな っ た 。 お り し も 、 その年は第四十二回日本民俗学会が、沖縄において開催され た 年 で も あ っ た 。 シ ン ポ ジ ウ ム の 、 報告者のひとりであった山下欣一氏は、 ﹁ 久 高 島 の イ ザイホ│の中止にみられるように、祭組そのものの衰退化、形式化も進ん でおり、この現状を厳しく受け止める必要がある。信仰、祭把を取り上げ る視点としては従来、比較を主体としてきたが、沖縄社会の急激な変化と 信仰・祭杷の変容も新たなる研究主題であり、変化・変容というキ lワ!
、ドを必要としているのではないかに(沖縄タイムス、 一 九 九O
年 十 月 八 日 '--' それに対してフロアから、﹁村落共同体の崩壊と祭りの形がい化は一体 のものと考えられるが、現代社会において防ぐ手立はないのか﹂という質 聞が出たが、山下氏は、 ﹁ 祭 杷 や 習 俗 、 芸能などはそれを支える村落共同 体に必要であるゆえに伝えられる。時代のなかで消滅していくのを防ぐ手 七琉 球 の 創 造 カ ( 一 ) 立てはないというのが基本的な考え方ではないか﹂と語り、民俗研究の直 面する厳しい一面をうかがわせた。 また一つ消えた伝統的な神遊び。と同時に、創造的なうるま大世思考・ 発想の火も消えていくのだろうか。創造的エネル、ギ!も、枯れてしまうの だ ろ う か 。 創造研究の視点からすると、変容はあたりまえである。研究のキ l ワ
i
ドは新しい創造︽変容・変革︾であるからである。 そ し て 、 そのエネルギ ーは姿を変え、所を変えて燃え出すのである。枯れることなく、生命があ るかぎり永遠に燃えつづけるのである。 イザイホ l 中止の一九九O
年、時を同じくして沖縄コンベンションセン タ ー が 完 成 し た 。 ﹁世界のウチナl
ン チ ュ 大 会 ﹂ という国際規模のお祭り を 行 っ た 。 沖縄コンベンションセンターは、 いってみれば現代のアサギ(祭場)で あ る 。 現代のウチナi
ン チ ユ は 、 そこで何をしているのか。 ︽文化の遊び・祭 り︾をしている。 それは地域的なものから国際的なものまで含め し か も 、 て、でっかい祭り・文化遊戯をしているのである。 各地域のカルチャーセンターもまた、 アサギである。村興しに︿神﹀で はなく︽文化︾と変容し、文化による活性化を指向している。 神行事ではなく、 文化交流の時代である。︽カルチャー・ス 文 化 行 事 、 ピリット︾これが現代沖縄人の魂・精神である。 現代、何故人は文化に走るのか。文化行事、文化産業花ざかりである。 文化とパーソナリティーの問題は、教育の世界のテーマである。神遊びが、 八 パーソナリティーと深くかかわったように、文化もパーソナリティーと深 い 関 係 に あ る 。 ︽神性︾というより︽文化性︾である。 この文化の生命が ︽ 創 造 性 ︾ な の で あ る 。 現代、世界が、文化交流という地球規模の文化の祭りをはじめた。この 波は二十一世紀に向って、大きなうねりをつくっている。 うるま大世思考・発想は、今や国際的・地球規模の思考・発想を要求さ れ て い る 。 四海をわが庭とした琉球王国。 豊かな文化国家琉球。 新たな創造の波動。 そのエネルギーを、うるま大世・アマンチュl
の ス ピリットに求め、大きく飛躍する時である。 五、琉球・沖縄 ニつの顔と創造力 琉球銀行、沖縄銀行。琉球大学、沖縄大学。琉球新報、沖縄タイムス。 琉球テレビ、沖縄テレビ。琉球00
、沖縄OO
。OO
琉 球 、00
沖 縄 。 島は、二つの名前をもっている。 ﹁うるま﹂も入れると三つ。 普 通 は 、 二つをよく使用しているので、こつとしておこう。 このように二つの呼び名が林立している県は、沖縄県をおいて他にはな いという。あっても、こう名前を頻繁に使用していることはない。琉球・ 沖 縄 、 われわれにはなじみ深いこの名前が、他県の人に言わせると、不思 議にみえるようだ。芝居なら、 一人ニ役といったところだろう。 これは、島ばかりではない。羽地朝秀││向象賢︿唐名) 具志頭文若
!
l
察 温 ( 唐 名 ﹀ 名護寵文││程順則(唐名) かつては、人もこうであった。年号も、大和年号、中周年号を使ったと ﹁二つの顔をもっ男﹂といえば、 いう。大和向きの顔、唐向きの顔。 映 画 の題名にもなりそうだ。 琉球の顔、沖縄の顔。同体にニつの顔をもっ島、怪獣ではないか。しか しまて、次のことに注目してみよう。 アメリカの精神科医アルパl
ト ・ ロl
ゼンパl
グ博士は、創造がおこな われる過程を解明する試みに長年たずさわった人である。彼は、数千にお よぷ一連の面接調査で、創造的な人びとが活動するさまを観察した。その 中 に は 、 ノーベル賞受賞者、ピュl
リツツアI
賞作家も含まれている。面 接 調 査 の 結 果 、 ロl
ゼ ン パl
グ博士は、創造性の基礎になると考えられる ふたつの思考過程を確認した。 同じところに二つの顔、︽ヤヌス的思考︾と︽同空間的思考︾である。 ローマ神ヤヌスには二つの違った方向を向いた顔があった。この神は、 同時に世界の数多くの異なったものを見ることができた。 博士は、創造性の必須要素の一つは対立する考えを同時に捉えることがで ロI
ゼンパi
グ き、いずれもが、妥当であり真実であると認める能力であると考えた。彼 はアインシュタインが、相対性理論を押し進めて重力効果まで研究をして いたときの経験を例に引いている。 アインシュタインは人が落下するとき、 同時に静止していることに突然気づき、 それが一大躍進となった。 ﹁ 家 の 屋根から自由落下する当人にとっては、落下中は重力の場が存在しない。 琉 球 の 創 造 カ ( 一 ) -・ ゆ え に 、 自分はある種の n 静止 u 状 態 に あ る と 考 え る ﹂ 。 ロl
ゼ ン パ ー グ 博 士 は 、 そのことを w ヤヌス的思考 u と 呼 ん だ 。 二番目の思考過程をロl
ゼ ン パl
グ博士は w 同空間的思考 M るが、名前が示すように、同じ知的空間に複数の異なる考えを抱くことの とよんでい できる能力を意味する。彼は、同空間的思考は、比臨鳴を考え出すときには とくに重要であると言っている。比喰の本質の一部は、なじみのないもの をすでに知っていて理解できるものと結びつけて示すことだ。たとえば、 月を﹁鏡﹂、好きな人の目を﹁宝石﹂ と表現することである。 新たな比喰 を考え出すように、同空間的思考はそれまで無関心であった考え、概念、 あるいは物体を組み合わせ、新しい印象的な結びつきをつくりだすことで あ る と い う 。 ロl
ゼ ン パl
グ 博 士 は 、 また別にことばの連想テストを用いて自分の考 えをたしかめた結果、創造的な人々は、同時に異なった考えを頭の中に抱 く能力があるようだということと、ことばが一つ与えられると即座にその ハ 国 ﹀ 反対語をいう傾向があることが判明した。 ノーベル物理学賞受賞者の江崎玲於奈博士も、彼の著﹃個性と創造﹄の 中で、﹁双顔の神と日本の選択﹂でヤヌス双面について述べている。﹁変革 を志向しよう。自発的に自己改革していく新しいパラダイムを作ろう。未 知へのチャレンジが創造カを育てる﹂として、 ヤヌスの神をかつぎだして い る 。 ﹁ヤヌスはニつの顔をもって洞察力にすぐれ、 抜かりなく物事の表 裏を突き止める﹂ことを顕示している。このニ面性が、対立する両面の触 発が活力の源泉であるとしている。 同 体 に 二 つ の 顔 、 ローマ神ヤヌス。二つの顔をもっ琉球、琉球創世神ア 九琉 球 の 創 造 力 ( 一 ﹀ マンチュ!と呼んでおこう。 同根双頭、左脳右脳型人問、複眼的人間・トンボの目玉。複合的人格・ 性格。宮本武蔵・二刀流。 タ
i
チ マi
チ ュ l ( 二つつむじ)はジンブナi
( 秀 才 ﹀ 。 これらはみな、創造性と深い関係にある。 唐、大和、南蛮。これらの文化をみる複眼的人間・ウチナl
ンチュの中 に、複合的パーソナリティーがつくられた。 つまりチャンプル 1 パ l ソ ナ リティーである。この人問、何んでもチャンプル l にしなければ、気がす まない性格をもつようになった。 方言と標準語、 ウ チ ナ ア ヤ マ ト グ チ アチラシケl
ラシ・チャンプルl
にして、沖縄大和口を もつくった。ニつの言語をもっ琉球・沖縄。 沖縄がこのように、二つの顔をもつように条件づけられたことが、 そ も そも創造性をもっきっかけとなった。 大和文化と唐文化、大和文化と南蛮文化、この対立する文化を同時に捉 える沖縄の二つの顔。方言と標準語を同時にたくみに捉えるこつの口。自 分は程順則だが、名護寵文でもあるという二重人格。これらは、創造性に とって重要な意味をもっ。 従来、この手のものは、雑種的だとみさげる傾向にあった。二重人格な どは、裏表のある性格と見られがちであった。 しかし、創造性にとっては、 これがないと、自己の中で結合させる創造力はなくなってしまう。純粋培 養では、創造性は育たない。 ゃんぱる 昔、山原で子どものころ、こんな遊びをした。 トl
ダ 1 ガ 四 O ヤマト l ダ ガ ト l ダ l ガ l ( 唐は何方)遊びである。虫のさなぎを指先でつまんで、 さなぎに聞くのである。 唐はどちらの方向かいな 大和はどっちの方向かいな するとさなぎは、 その方向をちゃんとおしりで指すのである。山原には、 この虫のさなぎがわんさといたので、 こいつでよく遊んだものである。沖 縄の虫のさなぎだって、唐と大和はちゃんと知っている?その遊びのく ( 却 ) わしい論文が、鳥袋全発著﹃沖縄童謡集﹄に掲載されている。内容はそこ に ゆ ず ろ う 。 この遊びは本土でも行われているが、唐とか大和なんでいう文句はない。 遊びの中でわれわれは、唐と大和を意識するようになった。 つ ま り 、 一 一 つ のものをとらえる目を子どものころ遊びの中でなんとなく身につけていっ た の で あ る 。 人は唐かぜ、大和かぜひいたと冗談を言う。この冗談の中にも、唐と大 和は意識されているのである。 創造神アマンチュ!の、 天びん棒の太陽と月もそうだ。 アマンチュl
の 同体に、月と太陽、陰と陽、夜と昼の二つのシンボルをもっている。異質 のものの結合という、創造性をもっているのである。 アマンチュI
は、対 立概念・反対概念をたくみにあやつる創造神である。 さて、多くの創造的人聞が使う手がある。 類推・類比・アナロジー(似ている点にもと守ついて、 ある物ごとから 同種の他の物ごとをおしはかること)置き換え・置換(ある物を他の物におきかえること) 比喰(たとえること﹀である。 ロ ー ゼ ン パ
l
グ博士の言っている通りである。 独自の琉球文化を創造する時、琉球人は自ら取り入れてきた他国の異文 化 を 、 あれこれと類推、置換を試み、独自の文化を創り出したのである。 ニつの顔で、琉球の文化的空間内で、同空間的思考をはたらかせ、文化的 独自性を創造した。 戦 後 、 アメリカ軍がやってきた。 アメリカ文化の混合である。カルチア ショックに、﹁アメリカ世は逆さまだ﹂は流行語になった。 そ こ か ら 、 縄はまた別の文化を生み出した。 USA 、 メリケン粉の袋に押されたレッテル。あのパl
マ の よ う に 、 がりくねったアルファベットを、 われわれ子どもは、あれを﹁ミミンジヤi
(
みみず)字﹂と呼んだ。 USA とみみず、置換してミミンジャージーと名命したのである。英字 とはまったく違った、沖縄スタイルのネーミングである。 創造、これはまた違った見方をすることでもある。 六、琉球の台風と創造力 琉球、地球のつむじ。 台風の道、台風銀座沖縄。 か き 回 し 屋 、 チャンプルl
の 権 現 。 太平洋の洗濯機。 琉 球 の 創 造 カ ( 一 ) そ う 、 イメージーしてみる。 沖縄の怖いもの何んですか。 本土の人に聞くと、﹁台風﹂と即座に返答。 正 解 で あ る 。 それが、沖縄 に一度も行ったことがない人がである。 それほど知られている、泣く子も 黙 る 台 風 。 太平洋を舞台に、地球規模の劇場で、 まるで狂人活劇を演ずる。人は、 ちっぽけな葉っぱの腰掛にすわって見ているようなものである。 荒れ狂う大海原、ごう音をたて、 まるで竜がのたうちまわり、象の大群 沖 が吠えながら、すべてをふみつぶしていくような光景である。 その中で、格闘する人間・レキオス。 いくら強くても、歯が立たない相 ま 手なのに、盲蛇に怖じずというか、くそ度胸というか、 いくらなんでもほ んとにアキサミヨ(大変﹀だ。 命 を か け た 、 ( 幻 ) 漂 流 琉 球 船 ﹄ レキオスの壮烈な海のドラマ。 ﹃波高し/ (比嘉朝進著)は、海とたたかいつづけた男たちの漂流誌である。 台風にうのみにされたかと思うと、海賊、襲撃、略奪、殺人。漂流、難 破、病死、水死。こころざし半ばで、海のもくずとなった。 うみんちゅ いくら海難にあっても、こりない海人。荒々しくたたかい、苦難を乗り 越えてきた海人・レキオスの底力。やさしい沖縄人どころか、バイキング を 連 想 さ せ る 。 レキオスの血管を、海流がしぶきをあげて流れている。 そ う で な け れ ば 、 ああもたたかえないし、 また七つの海なんか渡れっこない。 そこに、琉球人の厳しくたくましい性格の一面がある。琉球人の魂の底 に眠るこの烈しい気性は、琉球の創造力のパワi
・爆弾なのである。創造 四琉球の創造カ(一) なんでいうのは、 そうなまやさしいものではない。格闘の中から生まれて くる一面をもっている。 にこにこ、沖縄おりこうさん やさしいおひとよし 南方ボケ こんなイメージなんか、 ふっ飛ばす台風サイズの気性・レキオスパ
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ソ ナリィティーは、 また、やさしい琉球人の心の奥に隠しもった、伝家の宝 刀なのである。 ところで、台風は清掃屋さん。 そうじむや。東支那海の大そうじ。お願 いしたわけではないのに、自ら買ってでた感じ。人の迷惑も知らずに。 だがこの台風、沖縄に恵みの雨をもたらす。 そればかりか、島に巣くう 害虫どもをふっ飛ばしてそうじしてくれるから、 みんな悪者あつかいには で き な い 。 しかし、手のやける相手である。手加減しないから。 琉球の、伝家の宝刀は、時代とともにさびてしまったのだろうか。 し か し、先祖の DNA( 遺伝子物質)なんて、こう簡単にさびるものではない。 この血が再び、騒ぎ出す時がやってきた。台風以上に、身も心もうち砕い たあの戦争の後に、うちひしがれた悲しみの奥底から、不死鳥のごとくよ みがえったレキオスの魂に、再度血をかき立てるエネルギーが燃え出した のである。焦土からの再生、村興しのエネルギーもそうだが、注目したい のが占領下の沖縄の民衆生活・密貿易である。 ふたたび貿易・大航海の時代といいたいところだが、 そうはいかない。 外からやってきた為政者が、勝手に海域を作り線引きしたからである。 う な る と 、 それを越えると密貿易になった。 四 つまり、激動の時代を、海 の禁止線を越えてどうどうとやった﹃大密貿易の時代﹄ そ そ hフ 、 その密貿易の時のエネルギーである。 ( 石 原 昌 家 著 ) 図3 占領初期沖縄の主要な密貿易ルート (1945~52年〉 大 'f ¥'!< 琉球王国交易ルート 図4
で q s伊 1脚 同 石原昌家「大密貿易の時代」より 高良倉吉「琉球王国」より密貿易ルートと国別密貿易人 1945~52年 図5 マカオ・香港 琉球の創造力(一) 註・太線は密貿易三大ルート ある。この著書には、当時の沖縄人のしたたかさが充満している。 い さ ま しい内容は書にゆずるとして、ここでは密貿易のル
l
トをあげておこう。 つ い で に 、 あの大航海時代の琉球王国の交易ル l トも比較のためにあげて お こ う 。 時代をへだてて、 なんと、同じ軌跡をたどっている。隠れて、こんなに はでに、遠方まで足をのばしている。まるで、 わが屋敷内のようにである。 この人たちのすることときたら、 アッサイヨ(大変だ)である。 石原昌家「大密貿易の時代」より ところで、創造とは、違ったものを結合させて、新しいものをつくると いうことであった。おそらく台風は、異質のもののかき回しの名人である。 あの迫力でかき因されたら、 またたくまに別のものに出来上ってしまう。 チャンプルi
回転カ 世界には、台風があちこち発生するところがあるが、沖縄台風はちょっ とかわっている。この台風、 まわりをくるくる回転ばかりしている能なし 台風ではない。おそろしい︽縦軸回転力︾をもっている。これを、 チ ャ ン プ ルl
ジャンプ力と言っておこう。 つまり、弁証法台風なのである。 正・反・合。対立する異質(矛盾)を、統一する台風である。創造とは 弁証法である。これが、 ソ連派の創造性研究者らの一致した意見である。 弁証法といっても、正反の両者を統一するには、 そこへの︿飛躍﹀が必 要である。つまり、ジャンプカである。このチャンプル l ジャンプ力でもっ て、新しいものへと結合させる。沖縄の台風は、この力が特に勝っている。 台風できたえられた琉球人・創造主体の中に、大型台風なみのチャンプ 四琉球の創造力(一) ル
l
回転カとチャンプルl
ジャンプカを創り出した。 こ チ れ ヤ が ン フ l琉:ル球;
1 人ス創 造 沖2
カ
縄2
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のゆ 創 造 力 で あ る さて、これまでレキオスの心の中に潜在している、烈しい気性について そして、もう一つの顔は︽やさしさ・情︾ みてきた。これは一面である。 だろう。荒っぽさだけでは、創造はありえない。破戒のみである。 や 沖 さ 縄 し の さ ソ 、 フ 情E
ト 千け 〆ヘ 心Z
ゃ 美3
わ しらら さ か で さ あ ) る は 。 何 ん で す か なさけ 民謡に心をのせ、舞踊に美をこめる。情の島の心である。これは、沖縄 のもう一つの顔である。 おおらかさ、おだやかさ、とほうもないのんびり、心に鍵をもたないあ けっぴろげ、底抜けに明るい性格・テl
ゲ!主義。 外のシマの人がつけた形容詞である。たしかにそうだ。 そうなった原因は、三つあると思う。 一つは簡単である。ティダヌフアの心は太陽だからである。または、太 陽が地の底、心の隅々まで照らすので、何も隠すものがないという自然現 象 二つは、辛苦をなめ、島の痛みをこらえ、苦闘の中から生まれた明るさ、 し、 三 た つ わ は り 美3
や ら さ さ し の さ 文 化 で あ る いちゃりぱちょ l で l の 心 。 この三要素がつくり出したのだろう。こうした性格スタイル を 〈 お 沖;そ 縄2
ら 自l く 然 体 v と 呼 ん で おっ
四 四 強力なチャンプル l 回転力の中から創造されるものに、やさしさの調味 料を加えて味付けして、琉球の文化を創造したのである。 なによりも、島の痛みを明るさに転換して生きることこそ、最高の創造 力 で あ る 。 七、私の中のチャンブル 1 文化 私はちっぽけな人間・沖縄の普通人だけど、 まぎれもなく琉球王朝の血 を引く人間・ウチナ l ン チ ユ (沖縄人)である。この小さなからだで、海 外を歩いて、自分のからだの中に流れている先祖の血を発見した。ちっぽ けな自分の中に、 とてつもない琉球文化の血が流れているのを確認したの で あ る 。 そのことを話す前にまず、 フランクリン・王堂氏(ハワイ大学教授・広 島系三世)が﹁世界のウチナ1
ンチュ大会﹂で語った次の記事に注目しょ ヤ 円 ノ 。 ﹁ た だ 長 年 、 ハワイのウチナ 1 ンチュコミュニティーを研究する中で、 ウチナ l ンチュのエネルギーについてずっと考え続けています。仮説で すが、ウチナi
ンチュのエネルギーの発生源は独立国だという歴史でし ょうね。戦前の沖縄人の解放運動、戦後の復帰還動は沖縄人の独立を求 めるエネルギーに支えられていたからでしょう。政治的には日本の一県 に組み込まれてしまったが、文化的には独自性を保とうとする強い傾向 があると思います。だから二千人余の海外ウチナ 1 ンチュが参加したの はけっして驚くべきことではないですね。 ハワイ県出身別人口では、沖 縄は広島、山口、福岡につぎ四番目です。 ハワイで本土出身者から差別を受けたのは沖縄県出身者だけで、逆にそのことが団結心を固めたと思 い ま す O i -また、広島県、山口県、福岡県には独立国だったという歴 史を持つてないことです。だから本土出身者は皆、 日本人ですよ。沖縄 人が持っている強いウチナ
1
ンチュアイデンティティー、県民意識はな いわけです。沖縄スピリットは親切さ、あたたかさではないでしょうか。 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 初期の日本人移民で、ハワイの先住民と気軽に接触できたのは大和人よ りもウチナ l ンチュなんです。なぜかについては、今後研究しなければ はっきり言えません、が、沖縄の文化に起因すると思います。 L ( 沖 縄 タ イ ム ス 、 一 九 九O
年九月六日、傍点引用者) 文化的独立性、外国人と気軽に接触できる﹁いちゃりばちょ l で l ﹂と い う 優 し い 心 根 、 なんでかね?。これ、がまた私自身の聞いたいところであ っ た 。 さいわいなことに、私はそのことを体験的に確認する機会を得た。日本 私学振興財団学術研究振興資金助成を受け、韓国とインドネシアの調査と、 学術協定校である中国武漢市にある華中理工大学に、 一年間交換研究教員 として滞在したことである。 しかも、東京(日本)の生活も長年経験して いることも含めて、身をもって︿私の中の文化性﹀ということに気付いた の で あ る 。 韓 国 で の 経 験 を 二 一 つ 。 済洲島の済洲大学校耽羅文化研究所を訪問した時のことである。最初は 四人のメンバーをくるめて日本人として対応していたが、 そのうち﹁済洲 島は沖縄みたいですね L と言ったことがきっかけで、私が沖縄出身だとわ かると、親しみのこめ方ががぜん違ってきた。なぜか島の雰囲気が、沖縄 琉球の創造力(一 ν に似ているのである。これが、私の最初の印象であった。 ﹁韓国と沖縄はね、歴史的にも深い結びつきがあってね。ここ済洲島にも 昔沖縄人が来たり、 また嵐で漂流した事実もあるね。 L 所長の達者な日本弁。私が﹁柳宗悦の民芸でも:::﹂と言いかけたとた ん。私のことばをさえぎって、 ﹁そうそう、柳先生は朝鮮と沖縄の民芸にとても関心をもたれて、:::﹂ と い う わ け で 、 なぜか意気投合して、 あれこれしゃべりまくったのであ っ た 。 その時の私の気分は、外国に来たというよりも、隣のシマ(村)に来た 感じだった。向うもこちらも、 はじめて会った気、がしないというほどにう ちとけたことである。 こ れ は 、 あちら様とこちらのパーソナリティーのせいだけではすまされ ぬ、説明しょうもない感覚的・本能的なものであると思った。 二つには光州でのことである。某大学の研究所での懇談を終えて、夜は 歓迎会(宴会)となった。 はじめは歓迎の気分であったが、 そ の 内 酔 い 、 が ま わ る と 、 かつての日本軍のことが出て反日感情が多少出たが、 そ の 時 も 、 私に対して同じ仲間意識をもっていたことを酔っぱらってからしみじみわ かった。もちろん沖縄の戦災に対する同情の念はあっただろうが、 そ の こ とを差し引いても、なぜか、 そのことをのりこえて感じられるものがあっ た 。 一 つ め は 言 語 で あ る 。 しゃべっていることは、さっぱりわからない。わからなくても、私の身 体のリズムが何かしら共鳴している。沖縄の方言に、 どこか似ているので 四 五琉 球 の 創 造 力 ( 一 ) あ る 。 ソウルの民族村で、ゥチナ
l
グチでしゃべりまくったら、韓国語が 非常にうまいと外国人観光客からほめられ、仲間からは﹁韓国語とそっく り﹂といわれて気付いたことだが、 なぜか知らないが似ているのである。 言語学的には全然違うのだろうが、音声リズム的には実によく似ているの だ。
中国ではどうか。三度目の訪中だが、一二度目は一年間の長期滞在であっ た 。 私を迎えた中国の大学では、私が何ヶ月で日本に逃げ帰るか、注目して いたそうである。事実、多くの日本人が、逃げるように帰っていっている の で あ る 。 私 も 、 その中のひとりだろうとみていたようだ。 最初に来た教員が、 一年のつもりが三ヶ月の内に逃げ帰った。 二年の留学のはずが、 一年で神経をすりへらして帰国した留学生。 日本語講座で毎年日本人講師が、中国の各大学に派遣されてくるが、多 くの人が、特に男性は、中途でダウンして帰国するそうである。あなたも、 特に男性だから、きっとそのうちに逃げ帰えるだろうと、相手はきめてか かっていた。なぜだ、 と私は聞いてみた。理由がこうである。 第一に油物にまいってしまうこと。中華料理は知つての通り、油をたく さん使う。はじめの一週間は、 お い し い 、 おいしいと食べるが、 - 4﹄ 、 戸 、 、 J/ し﹁ LV の日本人は二週間でまいってしまい、自炊をはじめる。淡白な味ごのみの 日本人には、泊は耐えられないことだという。 第二は、自炊はじめたのはよかったが、 ひとり部屋にとじこもると、心 理的におかしくなるとか。おまけに、言語がほとんど理解できないことも 四 六 手伝って、失語症的・自閉症的になり、 そのうち神経症的になってしまい、 日本に逃げ帰えるというのである。 第三点は、文化というよりは、生活環境や習慣やマナ l 等の違いから、 どうしてもなじめないことらしい。中国の四千年の文化遺産には感激する が、現実の生活にはついていけないとのこと。 多くの外国人は、外事所のゲストハウスのレストランで食事をとる。米 国 人 、 イ ギ リ ス 人 、 ヨーロッパ系の人、 カ ナ ダ 人 、 オーストラリア人、 日 本人と国際色豊かである。共通語は、私の苦手な英語、大学時代単位を保 留して四年間かかったくらいだから、 はじめはおされ気味だった。 ビフテキをペロツとたいらげるあの外国人でさえ、 一ヶ月で自炊するし まつである。来た当初は、 とてもにぎやかだったレストランも、二ヶ月た ってみると、閑古鳥が鳴くしまっ。がらんとしているのである。結局、 年通してレストラン通いをしたのは私ひとり、表彰ものである。 なぜか、理由は簡単だ。琉球料理は中国料理だからである。豚肉のマシ サl
(
赤肉)にアンダブトプトウ(自身)。 山羊なんかはヒi
ジャl
グス イ ( 山 羊 の ご ち そ う ) 。 みんなごちそうである。 新一撞・ウイグル自治区で まあ山羊と似たようなものである。中国人でさえ、羊の肉をい ゃんばる やがる人は多いというのに、山原育ちの私なんかは、 は 羊 料 理 、 い つ も 、 ベ l ベ l ヌ (山羊の)草刈りをして、 スi
ジ(祝い)の時はヒl
ジ ャl
グスイしたも の で あ る 。 ということで、食文化は、特に私の幼少のころと同じ。ム l ト ヤ l ( 本 家)の料理を食べているようなものである。私の舌は中国舌。これは、先 祖のおかげである。食文化の共通性を、十分味わった次第。自閉症はどうか。欧米人のいいところは、パーティー好きだということ である。何かにつけてミニパーティーを聞いて、楽しくやっているから、 彼らは一年もっし、生活の処方を心得ている。食は口に合わなくとも、人 間関係がみたされておればなんとかなるものだ。日本人はつつしみぶかい から、﹁人類みな兄弟﹂というわけにはいかない。 私はどうか。中国人でさえ、私を中国人だと間違えたくらいだ。湖北省 全体の外来講師をあつめての旅行が何度かあった。各大学の外事所の職員 が一緒についてくる。最初の旅行のはじめての夜食、食卓をかこんで乾杯 で あ る 。 ﹁ い ち ゃ り ば 、 ち ょ