円測の五性各別思想―円測思想に対する従来解釈の
再検討と基教学との比較―
著者
橘川 智昭
学位授与大学
東洋大学
取得学位
博士
学位の分野
文学
報告番号
乙第129号
学位授与年月日
2001-03-14
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00003997/
Ⅲ 円 測 の 一 乗 観
A 実 説
一
乗 仮 説
三
乗 と実 説
三
乗 仮 説
一
乗
1 実 説一乗 仮説三乗 と 実 説三乗 仮説一乗 前章にお い て 、円 測 が一性 皆 成 を 主 張し た も の と し て 従 来 考 え ら れ て き た『解 深密経 疏』巻 四 の、 続 蔵一 一 三四-一一四 ・三八 八左下 ・一四 行 目 か ら三九 一 左 下 ・-一一〇行 目 に至る 部 分 ([∩ ∼[IVl) を 取 り 上げ て 再 検 討 し 、 実 は そ の よ うな 主張 は 行 わ れ て い な い こ と を 論じ た。し か し も う一つ 残 さ れ た 点 と し て 、 その直 後 に 続 い て 説 か れ る 部 分 、三九一左 下 ・一一〇 行 目 か ら三九二右 上 ・ 五 行 目に至る 部 分 の 問 題 が 有 り 、 こ れ に つ い て 、一性 皆 成 説 と 五 性 各 別 説 と の 調 和 の思想 が 円 測 によって 表 さ れ て い る 、 と い う 見 解 が 従 来 研 究 にお い て 広 く 行 わ れて いる 。 本 章 で は 、 こ の問 題 を 再 検 討 し 、 さ ら に 、一乗 教 に 対 す る 円 測 の 諸 説を 見て い く こ と に す る 。 『解深密経疏』にお いて、[rv]の直後に説かれている内容は、次のようで ある。 弁 仮実 者 諸 教 不 同 。 有 処 実 説 一一乗 仮 説 三 乗 。 如 法 華 経 云 、トト 方 仏 土 中 唯 有 一 乗 法 無 二 亦 無 三 除 仏 方 便 説l」 又 云 、「 唯 此 一 事 実 余 二 則 非 真 ヤト 又勝 鬘 云 、「 声 聞 縁 覚 皆 入 大 乗3」 又 涅 槃 経 第 二 十 五 云 、[ 一 切 衆 生 皆 帰 一 道。 一 道 者 謂 大 乗 也 。 諸 仏 菩薩 為 衆 生 故 分 之 為 三4] 等 。 有 処 実 説 三 乗 仮 説 一 乗。 如 即 此 経( 解 深 密 経)第 二 巻 云 、「一 切 声 聞 独 覚 菩 薩 皆 共 此 一 妙 清 浄 道5」 等 。 又 〔 解 深 密 経 〕 第 四 巻云 、「如 世 尊 説 若 声 聞 乗 若復 大 乗 唯 是 一 乗、 此 何 密 意6」 等 。 又 出 生 菩 薩 心 経 ( 出 生 菩 提 心 経 )、「爾 136時迦葉波羅門白仏言、『世尊、解脱解脱有差別不』仏言、『解脱於解脱無 有差別、道於道無有差別、乗於乗而有差別。讐如王路有象撰者有馬饗者有 駿東者等次第行於彼路同至一城』7」 如是等教、誠証非一。 (ir解深密経疏,1]巻四、続蔵-・-一三四一四・三九一左下-一三九二右上) 仮実 を 弁 ず れば 諸 教 不 同 な り 。 有る 処 に は 実 に一一乗 を 説 き 仮 に 三 乗 を 説 く 。 法 華 経 に 云 ふ が 如 し 、「 十 方 の 仏 土 の 中 、 唯一一乗 の 法 の み 有 り 、 二 も 無 く 亦 三 も 無 し 、 仏 の 方 便 説 を 除 く 」と 。 又 云 は く 、│ 唯 此 の 一 事 の み 実 な り 、 余 の 二 は 則 ち 真 に あ ら ず 」 と。 又 勝 鬘 に 云 は く 、│ 声 聞 縁 覚 皆 大 乗 に 入 るj と。 又 涅 槃 経 第 二 十 五 に 云 は く 、[ 一 切 衆 生 皆 一 道 に 帰 す。 一 道 と は 謂 は く 大 乗 な り 。 諸 仏 菩 薩 は 衆 生 の 為 の 故 に之 を 分 か ち て 三 と 為 す ] 等 と 。 有る 処 に は 実 に 三 乗 を 説 き 仮 に 一 乗 を 説 く 。 即 ち 此 の 経 ( 解 深 密 経 ) の 第 二巻に ム ふ が 如 し 、[ 一 切 声 聞 独 覚 菩 薩 皆 此 の 一 妙 清 浄 道 を 共 に す ]等 と 。 又 〔 解 深 密 経 〕 第 四 巻 に 云 は く 、「 世 尊 の 、 若 し く は 声 聞 乗 、 若 し く は 復 大 乗、唯 是 れ一一乗 の み な り と 説 き た ま ふ が 如き は 、此 れ に 何 の 密 意あ る やj 等と 。 又 出 生 菩 薩 心 経 ( 出 生 菩 提 心 経 ) に は 、「 爾 の時 、 迦 葉 波 羅 門 、 仏 に 白し て 言 さ く 、『 世 尊 、 解 脱 と 解 脱 と に 差 別 有 る や あ ら ず や 』 と 。 仏 言 はく 、『 解 脱 は 解 脱 に 於 い て 差 別 有 る こ と 無 く 、 道 は 道 に 於 い て 差 別 有 る こと 無 く 、 乗 は 乗 に 於 い て 差 別 有 り 。 讐 へば 、 王 路 の 、 象 車 有 る 者 、 馬 車 有る 者 、隨 東 有 る 者 等 、次 第 に 彼 の 路 を 行 き て 同 じ く 一 城 に 至 る が 如 し 』」 と。 是 の 如 き 等 の 教、 誠 証一一 に あ ら ず 。 ここ で は 、 一 乗 と 三 乗 と の 問 題 に つ い て 、 そ の 仮 ・ 実 を 弁 ず る な ら ば 、 諸 教 にお い て 全て 同 じ な の で は な く 、 実 に 一 乗 を 説 い て 仮 に 三 乗 を 説 く よ う な 教 え も有 れば 、 反 対 に 、 実 に 三 乗を 説 い て 仮 に 一 乗 を 説く よ う な 教 え も 有る 、 と し て、そ の 両 者 の 教 え の 例 を 示 し て い る 。 こ れ は 、 所 謂 、「 一 乗 真 実 三 乗 方 便 」 ト三乗 真 実 一 乗 方 便 」 と 言い 換 え て も 良 い と 思 わ れる 。 そ し て 円 測 は 、「 是 の 如き 等 の 教、 誠 証 一に あ ら ずj と 述 べ る だ け で 、 ど ち ら が 正し い か と い う 点 に つい て決 択 し て い な い の で 、 両 者 の 教 え を 調 和 さ せ て い る 、 と 見る こ と は 可 能 であろ う と 考 え ら れ る 。
2 従 来 研 究 にお け る 解釈 円測のこのようなまとめ方について、円測は五性各別説と一性皆成説とを調 和融合させている、とする説明が羽渓了諦氏によって行われている。 慈 恩 宗 に 依 れ ば 、 五 性 の 区 別 は 本 有 無 漏 種 子 の 有 無 及 び 優 劣 に 由 っ て 生 ず る の で あ る か ら 、 こ の 五 種 性 は 永 遠 的 差 別 と な る 、 所 被 の 機 す で に 永 別 で あ る 以 上 は 、 能 被 の 三 乗 教 も 亦 永 別 で あ っ て 、 三 乗 別 立 が 真 実 と な る の で あ る 。 然 る に 、 他 の 一 乗 家 に 於 て は 種 性 の 永 別 を 認 め ず 、 本 具 仏 性 を 許 す の で あ る か ら 、 所 被 の 機 に 於 て 区 別 が な い 、 所 被 の 機 す で に 同 一 性 で あ る 以 上 は 、 能 被 の 三 乗 教 も 亦 永 遠 的 別 立 の も の で は な く て 、 終 極 に は 帰 一 す べ き も の で あ る 。 従 っ て 一 乗 と 説 く の が 真 実 で あ っ て 、 三 乗 別 立 は 方 便 と な る の で あ る 。 か や う に 、 慈 恩 宗 と 他 の 一 乗 家 と は 二 の 論 点 に 於 て も 相 容 れ な い の で あ る が 、 西 明 は そ の 「解 深 密 経 疏 」 巻 四 に 於 て 之 等 の 両 反 対 説 を 巧 み に 調 和 し て 次 の や う に 弁 じ て を る 。 是 故 三 乗 非 、無 乙差 別 一、 弁 ・。仮 実 者 、 諸 教 不 レ同 、 有 処 実 説 こ一 乗- 、 仮 説 三 乗 、 如 乙法 華 経 云- 、 十 方 仏 土 中 唯 有 こ一 乗 法 、、 無 。二 亦 無 、三 、 除 うイム 方 便 説- 、 又 云 、 唯 此 一 事 実 、 余 二 則 非 レ真 、 又 勝 鬘 云 、 声 聞 縁 覚 皆 入 、大 乗- 、 又 涅 槃 経 第 二 十 五 云 、 一 切 衆 生 皆 帰_ 二一 道- 、 一 道 者 謂 こ大 乗 也 、 諸 仏 菩 薩 為 う衆 生 、故 、 分 レ之 為 こ三 等- 、 有 処 実 説 う三 乗 ・、 仮 説 ・ 。一 乗 ・、 如 こ即 此 経 第 二 巻 云 。、 一 切 声 聞 独 覚 菩 薩 皆 共 此 一 妙 清 浄 道 等 、 又 第 四 巻 云 、 如 こ世 尊 説- 、 若 声 聞 乗 、 若 復 大 乗 、 唯 是 一 乗 、 此 何 密 意 等 、 又 出 生 菩 薩 心 経 云 、 爾 時 迦 葉 波 羅 門 白 い仏 言 、 世 尊 解 脱 。 ゝ ゝ ゝ ゝ ゝ ゝ ゝ ゝ ゝ ゝ ゝ ゝ ゝ ゝ ゝ ゝ ゝ ゝ 解 脱 有 嵯 別 不 、 仏 言 解 脱 於 ・ 。解 脱 無 レ有 こ差 別 、、 道 於 レ道 無 レ有 こ差 別 、 乗 於し乗 無 レ有 こ差 別 、、 讐 如 二E 路 、、 有 し象 輿 一者 、 有l 馬 輿 、者 、 有 縫 輿 一者 等 、 次 第 行 こ於 彼 路 、、 同 至 こ一 城 、、 如 し・是 等 教 、 誠 証 非 レ一 、 然 説 づー‥一乗 ・、 意 趣 不 レ同 、 故 諸 聖 教 、 種 種 有 レ異 、 西 明 か 斯 る 調 和 説 を 立 て 得 だ の は 、 全 く 彼 が 唯 識 宗 に 立 場 を 据 ゑ な が ら 而 も 一 乗 教 の 根 本 観 念 た る 一性 皆 成 説 を 取 入 れ て ゐ た か ら で あ る こ と は 言 ふ ま で も な い 。 吾 人 は 此 の 点 に 於 て も 彼 の 学 説 の 調 和 的 傾 向 を 認 め る こ と が 出 来 る 。 要 す る に 、 西 明 か 所 被 の 機 及 び 能 被 の 教 に 永 別 を 許 さ ず 、 一 切 衆 生 皆 仏 果 を 得 べ く 、 三 乗 は 一 乗 に 帰 す べ き も の で あ る と い ふ 一 乗 家 と 同 じ 見 解 を 抱 い て ゐ た こ と は 疑 ひ を 容 れ な い 。 ゛ 138
( 傍点 羽 渓 氏) 同 様 の 見 解 は 、 鄭炳 杓 氏 の 所 論 を は じ め と レ 今 日 ま で の 諸 研 究 にお い て も 発表さ れ て き てお り 、 や は り 定 説 と な っ た 見 解 と 見 て 良 い と 思 わ れる 。9 こう し た 解 釈 が ど う し て 行 わ れ た のか 、と い う 点 に つ い て 考 え て みる な ら ば 、 次の諸点 が あ げ ら れ る 。 ①例えば 、 リ ー乗 貞 実 三 乗 方 便 」 = 天 台 教 学≒ j 三 乗 真 実 一 乗 方 便」 = 法 相 教学’の ご と く 、‘ト 一乗 真 実 三 乗 方 便 」= 一 性 皆 成 説≒ ‘「 三 乗 真 実 一 乗 方 便 」 =五性 各 別 説 ’ とし て 、 定 型 的 に 固 定 化し て 一 般 的 に は 用 い ら れ て い る 点 。 ②上記の説は、『解深密経疏』の中では、一性皆成思想と五性各別思想との学 説紹介の箇所( □  ̄│∼[IV])の直後に提示されている、という点。 ③新羅仏教の特色として、趙明基氏によれば、通仏教、或いは総和仏教と言わ れる。10 これは元暁教学に和謬思想が見られることからも明らかであり、今 日ではまた、朝鮮仏教の最も大きな特色であるとも言われる。円測は新羅の出 身者であるが、そういった民族的な見地から、通仏教・総和仏教という枠組み において、円測を捉えようとしてきたと思われる点。 次に 、 従 来 の 円 測 研 究 にお い て 着 目 さ れ て こ な か っ た 問 題 と し て 、『 解 深 密 経疏』 が 経 の 注 釈 書で あ る 、 と い う 問 題 が あ げ ら れ る。 例 えば 、 基 の 『 大 乗 法 苑義林 章 』 のよ う に 自 由 に 思 想 を 表 明 し て い く の で は な く て 、 注 釈 対 象 の 経 文 に少な か ら ず 制 約 を 受 け て い る と 筆 者 は 考 え る 。 そ れ 故 、『 解 深 密 経 』 の 本 文 や円測 の 科 段 の 立 て 方 、随 文 解 釈 に 注 意 し て 見 て い く べ き で あ ろ う と 思 わ れ る 。 「実 に 一 乗 を 説 き 仮 に 三 乗 を 説 く 」 と 「 実 に 三 乗 を 説き 仮 に 一 乗 を 説 く 」 と の問 題 に つ い て 、 以 下 、『 解 深 密 経』 の 本 文 と 『 解 深 密 経 疏 』 の 科 文 、 解 釈 を 中心に 見 て い き た い 。
3 実 説一乗 仮 説三乗・ 実説三乗 仮 説一乗 の再 検討 『解 深 密 経』に 対 す る 円 測 釈 と の 関 連-a 対 科 まず 本 項 で は 、『 解 深 密 経 』 巻 二 、 無 自 性 相 品 中 の 密 意 一 乗 説 を 含 む 箇 所 に 対する 円 測 の 科 段 の 立 て 方 か ら 検 証 す る 。円 測 は 以 下 のよ う な 経 文 に 対 し て「 約 三無性 弁 一 乗 義 」 と 科 を 立 て 、 こ れ を 大 き く 三 段 に 分 け る 。 経 文 と 『 解 深 密 経 疏』 の解 説 と を 会 し て 示 せ ば 次 の よ う で あ る 。 1 『 解 深 密 経 』 a 復次勝義 生、 諸声聞乗種性有 情亦由此道此行述故証得無上安穏 - 140 − 『解深密経疏』 釈曰、此下第四約三無性弁一乗義 義 。於中有三。 -( 釈し て 曰 は く 。此 の 下 、第 四 に 、 三 無 性 に 約 し て 一 乗 義 義 を 弁 ず 。 中 に 於 い て 三 有 り ) 1 初 約 聖 道 弁 一 乗義 。第 一 段 中 、 約 三 種 姓 如 来 方 便 説 為 一 乗 、 就 実 正 理 具 有 三 乗。各 証 無 余 究 竟 涅 槃 。 勝 鬘 経 意 亦 同 此 説。 ( 初 め に 聖 道 に 約 し て一乗 義 を 弁 ず 。 第一段 中 、三種 姓 に 約 し て 如 − 来は方便に説きて一乗為すも実の 正理に就いては具に三乗有り。各 無余究竟涅槃を証す。勝鬘経の意 も亦此の説に同じ) a 明三乗 各 証 自 乗 無 余 涅 槃 。
涅 槃。 諸 独 覚 乗 種 性 有 情 諸 如 来 乗 種 性 有 情 亦 由 此 道 此 行 述 故 証 得 無 上安 穏 涅 槃OII (復次に勝義1 、諸の声聞乗種性 の有情も亦此の道、此の行述に由 るが故に無上安隠涅槃を証得す。 諸の独覚乗種性の有情、諸の如来 乗種性の有情も亦此の道、此の行 述に由るが故に無上安隠涅槃を証 得す) b 一切 声 聞 独 覚 菩 薩 皆 共 此 一 妙 清 浄 道 、 皆 同 此 一 究 竟 清 浄 、 更 無 第 二。我 依此 故 密 意 説 言 唯 有 一 乗。 (一切の声聞、 独覚、菩薩は皆此 の一妙清浄道を共にし、皆此の一 究竟清浄を同じふし、更に第二無 し。我は此れに依るが故に密意に 説きて唯一乗のみ有りと言ふ) C 非於 一切有情界中無有種種有 情種性。 或鈍根性、或中根性、或 利根性有情差別。 (一切 有 情 界 の 中 に 於 い て 種 種 の 有 情 種 性 有 る こ と 無 き に あ ら ず 。 或 い は 鈍 根 性 、 或 い は 中 根 性 、 或 い は 利 根 性 に し て 有 情 差 別 す) 2 (三乗 は 各 、 自 の 乗 の 無 余 涅 槃 を 証 す る こ と を 明 か す) b 約 聖 道 方 便 説一。 ( 聖 道 に 約 し て 方 便 に一と 説 く ) C 明 理 実 三 乗 差 別 。 ( 理 と し て 実 に 三 乗 差 別 す る こ と を 明 か す) 2 次 善男子下、明趣寂声聞定不 成仏。(中略)第二段意定性二乗 唯証二 乗無余涅 槃必無後時 成仏 義。 故喩伽云、二乗所証無余涅槃
a 善男 子、 若一向趣寂声聞種性 補特伽羅、雖蒙諸仏施設種種勇猛 加行方便化導、終不能令当坐道場 証得阿糎多羅三貌三菩提。 ( 善男 子 、 若 し 一 向 趣 寂 の 声 聞 種 性 の 補 特 伽 羅 な ら ば 、 諸 仏 の 施 設 し た ま ふ 種 種 の 勇 猛 な る 加 行 方 便 の化 導 を 蒙 る と 雖 も 、 終 に 当 に 道 場 に 坐 し て 阿 抑 多 羅 三 貌 三 菩 提 を 証 得 せし む る こ と 能 は ず) b 何 以 故 。 ( 何 を 以 て の 故 に) c' 由 彼 本 来 唯 有 下 劣 種 性 故 、 向 慈 悲 薄 弱 故 、一向 怖 畏 衆 苦 故 。 ( 彼 れ は 本 来 唯 下 劣 種 性 の み 有 る に由 る が 故 に 、一一向 に 慈 悲 薄 弱 な るが 故 に 、一向 に 衆 苦 を 怖 畏 す る - 142 − 唯 有 真 如 清 浄 法 界 。 ( 次 に 「 善 男 子」 の 下 、 趣 寂 の 声 聞 は 定 ん で 成 仏 せ ざ る こ と を 明 か す 。( 中 略 ) 第 二 段 の 意 、 定 性二 乗 は 唯二乗 の 無 余 涅 槃 を 証 す る の み に し て 必 ず 後 の 時 に 成 仏 す る 義 無 し 。 故 に 喩 伽 に 云 は く 、「二乗 の 所 証 の 無 余 涅 槃 に は 唯 真 如 清 浄 法 界の み 有 り 」 と ) a 標 。 b 徴 C 釈 ど 総 標三因 。 ( 総 じ て三因 を 標 す)
が 故 に ) (ぐ 由 彼 一一向 慈 悲 薄 弱 、 是 故 一一向 棄 背 利 益 諸 衆 生 事 。 由 彼 一 向 怖 畏 衆 芳 、是 故 一 向 棄 背 発 起 諸 行 所 作 。 ( 彼 れ は 一 向 に 慈 悲 薄 弱 な る に 由 っ て 、 是 の 故 に 一向 に 諸 の 衆 生 を 利 益す る 事 を 棄 背 す 。 彼 れ は 一 向 に衆 苫を 怖 畏 す る に 由 っ て 、 是 の 故に 一一向 に 諸 行 を 発 起 す る 所 作 を 棄 背 す) c' 我 終 不 説 一 向 棄 背 利 益 衆 生 事 者一一向 棄 背 発 起 諸 行 所 作 者 当 坐 道 場能 得 阿 糎 多 羅 三 蔵 三 菩 提。 (我は終に、一向に衆生を利益す る事を棄背する者と、一向に所行 を発起する所 作を棄 背する 者と を、当に道場に坐して能く阿糎多 羅三貌三菩提 を得べし とは 説か ず) d 是 故 説 彼 名 為一向 趣 寂 声 聞 。 ( 是 の 故 に 彼 れ を 説 き て 名 づ け て 一刊句趣 寂 の 声 聞 と 為 す) 3 (づ 牒 前二因 顕二過 失。 ( 前 の 因 を 牒 し て二の 過 失 を 顕 は す) ど 挙 前 二 失 釈 不 成 仏 。 ( 前 の 二 失 を 挙げ て 成 仏 せ ざ る こ と を 釈 す) d 結 3 後若廻向下、明廻向声聞定得 成仏。(中略)第三段意不定 種姓一 廻向声聞必当成仏。 是故法華方便 品 説為二乗種 姓理実決定 得成仏 果。若依此説方便説三就実為一。 故法華云、「十方仏土中唯有一乗
a 若 廻 向 菩 提 声 聞 種性 補 特 伽 羅 、 我亦 異門 説 為 菩 薩 。 ( 若し 廻 向 菩 提 の 声 聞 種 性 の 補 特 伽羅 な ら ば 、 我 は 亦 異 門 に 説 き て 菩薩 と 為 す) b 何以故。 (何を以での故に) C 彼既解脱煩悩障已、若蒙諸仏 等覚悟時、於所知障其心亦可当得 解脱。 ( 彼 は 既 に 煩 悩 障 を 解 脱 し 已 つ て - 144 − 法 、 無 二 亦 無 三 、 除 仏 方 便 説」 法 華 勝 鬘 各 拠一一義 。 今 此 一 部 義 倶 有 故 解 深 密 是 最 了 義 。 ( 後 に 「若 し 廻 向 」 の 下 、 廻 向 声 聞 は 定 ん で 成 仏 を 得 る こ と を 明 か す 。( 中 略 ) 第三段 の 意 、 不 定 種 姓 の 廻 向 声 聞 は 必 ず 当 に 成 仏 す べ し 。 是 の 故 に 法 華 方 便 品 に 説 き て 一 二乗 の 種 姓 は 理 と し て 実 に 決 定 し て 仏 果 を 成 ず る こ と を 得 と 為 す 。 若し 此 の 説 に 依 ら ば 、 方 便 に 三 と 説き 実 に 就 い て は 一 と 為 す 。 故 に 法 華 に 云 は く 、「十 方 の 仏 土 の 中 、 唯 一 乗 の 法 の み 有 り 、 二 も 無 く 亦 三 も 無し 、仏 の 方 便 説 を 除 く 」と。 法 華 と 勝 鬘 と は 各 一義 に 拠 る 。 今 此 の 一 部義 倶 有 す る が 故 に 解 深 密 は 是 れ 最 了 義 な り ) a 標 b 徴 C 釈
若し諸仏等の覚悟を蒙る時、所知 障に於いて其の心亦当に解脱を得 べし) d 山彼最初為白利益修行 加行脱 煩悩障、是故如来施設彼為声聞種 性。 ( 彼 は 最 初 に 自 の利 益 の 為 に 修 行 し 加 行 し て 煩 悩 障 を 脱 す る に 由 っ て 、 是 の 故 に 如 来 は 彼 れ を 施 設 し て 声 聞 種 性 と 為 す) (『 解 深 密 経 』 巻 六 九 五 中 一一下) 大 正一六 ・ d 結 。 (『 解 深 密 経 疏 』 巻 四 、 続 蔵 一 一 三 四 一 四 一三 八 八 右 下 一 三 九 三 左 下 ) b 経 文 に 対 す る 円 測 釈 1) 経 文 内 容 と 円 測 釈 の 内 容 『解 深密 経』巻二の 無 自 性 相品 で は 所 謂三無 性 説( 相 無 自 性 性 、生 無 自 性 性 、 勝義 無 自 性 性 ) が 展 開 さ れ 、 こ の 中 に 密 意一一乗 の 教 え が 説 か れ て い る 。『解 深 密経』は 密 意一乗 義 を 説 い た 経 典 とし て 知 ら れ る が 、 こ こ は そ の 例 証 の一つ で ある。 上記 の 第一段 ∼ 第三段 の 経 文 に 対 し て 円 測 は 、三無 性 に 約 し て一乗 義 を 弁 ず るものと し て 科 を 立て る 。 経の 第一一段 で は 、 勝 義 生 菩 薩 に 対し て 仏 が 、 諸 の 声 聞 乗 種 性 、 独 覚 乗 種 性 、 如来 乗 種 性 は 、 此 の三無 自 性 の 道 、 此 の 行 述 によ っ て 各 々 が 無 上安 隠 涅 槃 を 証 得する の で あ り 、 こ の点 にお い て そ れ ら の 人 々 は一つ の 妙 清 浄 の 道 を 共 にし 、 一一つ の 究 竟 清 浄 の 果 を 同 じ く し 、 さ ら に 第二の 道 、 果 は 無 い と し て 、 こ の 点 に 依る 故 に 仏 は 密 意 を 以 て一一乗 を 説 く と 教 え る 。 だ が 実 際 に は 、一切 の有 情 界に は鈍根、 中 根 、 利 根 の 性 あ っ て 有 情 の 種 性 は 差 別 す る と 教 え る 。 円測 は こ の 段 に 対 し て 、 如 来 が 方 便 に一乗 を 説 き 、 実 の 正 理 に つ い て三乗 を
説いたものであるとして、この段は『勝鬘経』の意に等しいと考える。ただ、 ここでは『勝鬘経Jlからの引文は無く、『勝鬘経』の内どの箇所を言うのか明 らかになっていない。 『解深密経』では第二段に、一向趣寂の声聞は、その下劣なる種性のために 仏の加行方便の化導によっても阿栴多羅三貌三菩提を証得することはないと説 かれる。 これに対して円測は、定性二乗は二乗の無余依涅槃を証するのみであり、そ の後においても成仏することはないと解説して、『喩伽論』の、二乗の証する のは無余依涅槃であり真如清浄法界が有るのみである、という説を引く。】2 次に第三段では、廻向菩提の声聞種性ならば、仏によって異門では菩薩と説 くことも出来、その人は煩悩障を脱した後に所知障をも脱することが出来ると 説かれる。 円測はこれに対して、不定種性の菩提に廻向する声聞が成仏し得ることを示 したものであり、方便に三乗を説き実について一乗と説いたとし、そして『法 華経』の トト方仏 土中唯有一乗法。無二亦無三、除仏方便説13」が同じ 意味で あると考える。 そして最後に、こうした『法華経』や『勝鬘経』に説かれる一乗は、各々一 つの義によるものとし、これらの義を倶有する『解深密経』こそ最了義の教え であると述べている。 2)円 測釈の問題点 上記の円測釈から、問題点を考えてみる。 まず、上記の説に関する先行研究として、鄭炳杓氏の所論があげられる。 鄭氏は、次のように論じる。 まず 、 第 一 段 の 経 文 に つ い て ( 五 姓 各 別 を 立 て て い る 三 乗 家 の 主 唱 と 同 じ よ う な )I 三 乗 真 実 一 乗 方 便 ] を 説 い て い る と 釈 し 、 そ れ は 『 勝 鬘 経 』 で 説い て い る 意 と 同 じ も の で あ る と い っ て い る 。 次 に 、 第 二段 の 経 文 に つ い て は 経 文 の 一 向 趣 寂 声 聞 を 定 性 二 乗 と し て 置 換 え な が ら 、 や は り 、 三 乗家 の 主唱 と 同 じ よ う な 定 性 二 乗 は 成 仏 で き な い と い う こ と を 説 い て い る と 釈 し 、 そ の 根 拠 と し て 『 喩 伽 論 』 を 挙げ て い る 。 次 に、 第 三 段 の 経 文 に つ い て、 経 文 の 廻 防]菩 提 声 聞 を 不 定 種 姓 廻 向 声 聞 に 変 え て 表 現 し 、 そ の 不 定 種 −146 −
姓廻 向声聞 は 成 仏で きるとい い な がら、それ は 即 ち『法 華 経』で 説いてい る「三乗真 実 一乗 方 便」を 説 いてい る と 釈 し ている。そ の 次に、 円 測 は 総 釈の結び と し て 。三乗家の主唱 の 根 拠としての『勝鬘経』の説 と、一一乗家 の根 拠とし て の 『法華経』の 説とは み な 同 じ ト 一義 」に 拠っ て いる も の と 述べ、さ ら にr 解 深密経j にはこの義が 倶 有 さ れて いる から 最了義の 経で あ る と 結んで い る 。総 釈で のこ の 部分 に 、 ま ず 、一乗 ・三乗家両 側 の主唱 に対す る円 測の見 解が み られ る と 思 わ れる。そ れ を みる と 、円 測 は ま ず「一 義j に依って両 側を融合し よ う とし て いるこ とが わ か る。そ れでは 彼が い って い る ト 一義│ とは 何ん で あろう か。( 中 略)円 測が い っ て いる「義J000000000000000 と は[全 衆 生 を悟らせる た め の仏の 密 意 ]即 ち 、 仏の衆生に 対 す る 本意、 或い は 方便の理を いって いるの で はな か ろう か。円 測 は このよ う な意味の ト ・義 」 によって 一乗・三乗家の説を 対等 に み と めようとし て いるし、又 『解 深 密 経J ( 特 に 上 に 挙げ た 経文の 部分と思 わ れ るが ) には この両説 が 倶 に 入って い る と 思って い る か ら「最了義 経」と い っ だ の で はなかろう か 。 ( 中略) 円 測 は一一乗 家 の一性 説 と三乗家 の 五 姓 説 と の どれに も 傾 かず、両 側の 教 説 を 経 論 の典 拠に よ り 方便とし て対等 に みとめようと す る 客 観的で あり融 合 的 な 立場 を 持って い た こ と が言え る014 (○印 鄭 氏 ) 鄭氏によれば、第一段の『勝鬘経』と同義としている箇所については、三乗思 想と位置づけ、第三段の中の『法華経』を引用している箇所については、 一性 説と位置づけて、これら両者の思想を対等に認めようとしているとされる。 円測 釈 を 順 に 見 て い く と 、 第 一 段 に 対 す る 、 如 来 が 方 便 に 一 乗 を 説 き 実 の正 理につ い て は 具 に 三 乗 有 り 、 と す る 解 説 に お い て 、『 勝 鬘 経 』 の 説 が こ れ に 同 じであ る と し な が ら 経 文 の 引 用 を 行 っ て い な い た め 、『 勝 鬘 経 』 の ど の 部 分 を どのよ う に理 解 す る こ と に よ っ て 一 乗 方 便 と 述 べ た の か 解 り にく い 。 こ の 理 解 叫t 方 の 可能 性 と し て は 、 次 の 二 つ が 考 え ら れ る 。 ① 『 勝 鬘 経 』 は 、 な一 乗 義 に 対 し 、 一般的には一乗真実が説かれる経典とされており、そのよう 実は方便説であると円測自身が批判的に解釈を行った。 ②『勝鬘経』自体に一乗方便の思想が表れているとして、円測かそのまま受け 取って解釈を行った。
『勝鬘経』にはその一乗章において一乗説が説かれているが、種性差別の様 子が説かれる のは、摂受 章の、 又 如 大 地 持 四 重担 。 何 等 為 四 。 一一者 大 海 、 二 者 諸 山 、三 者 草 木 、四 者 衆 生。 如 是 摂 受 正 法 善男 子 善 女 人 建 立 大 地 堪 能 荷 負 四 種 重 任 喩 彼 大 地 。何 等 為 四 。 謂 離 善 知 識 無 聞 非 法 衆 生以 人 天 善 根 而 成 熟 之 、 求 声 聞 者 授 声 聞 乗 、 求 縁 覚 者授 縁 覚 乗 、 求 大 乗 者 授 以 大 乗。 是 名 摂 受 正 法 善 男 子 善 女 人 建 立 大 地 堪 能 荷 負 四 種 重 任 。 ( 大 正 一 二・ こ ・八 中) 又大地の四の重担を持するが如し。何等をか四と為すや。一には大海、二 には諸山、三には草木、四には衆生なり。是の如く摂受正法の善男子・善 女人は大地を 建立し て四種の重任を荷負するに堪能にし て彼 の大地に喩 ふ。何等をか四と為すや。謂はく善知識を離れたる無聞非法の衆生には人 天の善根を以て之を成熟し、声聞を求むる者には声聞乗を授け、縁覚を求 むる者には縁覚乗を授け、大乗を求むる者には授くるに大乗を以です。 是 れを摂受正法の善男子・善女人大地を建立して四種の重任を荷負するに堪 能なりと名づく。 という 説 で あ る 。 こ の 四 重 担 説 が 示 す 種 性 差 別 の 側 面 を 強 調 し て 捉 え て 見 る な らば 、一乗方 便三乗 真 実 と 解 釈し た 可 能 性 が 考 え ら れ る。 そ れか ら 、『勝 鬘 経.1 の一乗 章 に お い て、 若如 来 随 彼 所 欲 方 便 説 、 即 是 大 乗 無 有 三 乗。 三 乗 者 入 於 一 乗 。 一 乗 者 即 第 一一義 乗。15 と説か れ る 部 分 の 問 題 が あ げ ら れる 。一般 的 に は こ の 文 は、 若し如来彼の所欲に随って方便に〔三乗を〕説かば、即ち是れ大乗にして 三乗有ること無し。 とし て 、 一 乗 方 便 の 意 味 で は な く て 一 乗 真 実 と し て 読 ま れ る も の で あ る が 、 唐 代の華 厳 系 か ら の 法 相 宗 批 判 に お い て 、 三 乗 家 は こ の 文 に つ い て 、「方 便 」 を 下の「 一 乗 」 に 連 ね て 読 んで 誤 読 し た と 指 摘 し 批 判 し て い る 。 1(V す な わ ち 、 - 148 −
若し如来彼の所欲に随って方便に「即ち是れ大乗にして三乗有ること無し」 と説かば、…… と法 相 教 学 にお い て 解 さ れ た と 考 え ら れ る 。 こ の問 題 に つ い て は 、 改 め て 、 基 の 『勝 鬘 経 』 解 釈 の 所 で 論じ る こ と に す る が、 二 種 類 の 逆 の 読 み 方 が 行 わ れ た 事 実 は 有 る の で あ り 、 も し 円 測 か こ の 文 を 一乗真 実 の 意 味 と し て 読 ん だ の な ら ば 、 上 記 の 内 ①が 理 由 と な る で あ ろ う け れ ども、 一 乗 方 便 の 説 と し て 読 ん だ の な ら ば 、 ② が 理 由 と な る 。 鄭氏 の 所 論 に よ れ ば 、第 一 段 で『 勝 鬘 経 』と 同 義 と し て い る 箇 所 に つ い て は 、 そのま ま 三 乗 思 想 と し て 受 け 止 め て 問 題 視 し て い な い が 、 こ こ に は 上 記 のよ う な問 題点 が 含 ま れ て い る と 筆 者は 考 え る 。 次に。第三段に対して、方便に三乗と説き実については一乗と為す、とする 箇所で、r 法華経、│の「十方仏土の中に唯一乗の法のみ有り。 二も無く三も無 し。仏の方便説を除く」という説を同義として引いている点 について見る。 鄭氏の説では、ここにおいて一性説の肯定が表れたものと見ていると思われ る。しかし、円測は、不定種性の廻向声聞すなわち廻小向大の声聞が所知障を 断じて最終的に仏果を得ていく内容を考えているのであり、それを『法華経』 所説の一乗真実の意味として見ていく解釈であるから、「一乗真実三乗方便」 という言い方が行われていても同じく五性各別説であるし、伝統的な法相教学 における『法華経』の会通の仕方に照らしてみても特に問題無く同じ解釈と言 える。p このようにして、『法華経』の一乗真実説をそ のまま受け入れて五性各別説 の則って会通しているという面に着目するならば、先の第一段の『勝鬘経』に 関しても、やはり、経文にそのまま一乗方便が表れている(前述の②)と円測 が考えたと見るのが自然であろうと思われる。 次に 、( 法 華 と 勝 鬘 と は 各 一 義 に 拠 る 。 今 此 の一一部 義 倶 有 す る が 故 に 解 深 密 は是れ最y 義 な り 」 と い う 点 に つ い て 見 る 。 上記 の 円 測 釈 に よ れば 、 こ の 内 『法 華 経 』 は 、 不 定 種 性 の 廻 向 声 聞 に 限 定 し た意味 とし て の 「一一乗 真 実 三 乗 方 便 」 で あ り 、『 勝 鬘 経 』 は 、「 三 乗 真 実一一乗 方便」 で あ る 。『 法 華 経 』 と 『勝 鬘 経 』 と は そ れぞ れ 一 つ の 義 し か 説 か れ て い ないが 、『 解 深 密 経 』 こ そ は 両 方 の 義 を 倶 有 す る 点 に お い て 最 了 義 の 教 え で あ ると言 う。 鄭氏 は 、「 一義 」 と い う 言 葉 に 着 目 し 、ト ・義 ] の 意 味 に つ い て 、「 全 衆 生 を
悟ら せる た め の 仏 の 密 意 」 と 解 し 、 一 乗 家 の 一性 説 と 三 乗 家 の 五 姓 説 と の 両 者 を方 便と し て 対 等 に 認 め よ う と し て い る 、 と 論 じ る が 、 筆 者 は そ のよ う に は 考 えな い。「 一 義 」 と は 、 意 味 上 は 「 倶 有 」 の 対 語 で あ り 、 不 定 種 性 の 廻 向 声 聞 に限 定さ れ る 「 ・乗 真 実 三 乗 方 便」 か 、 或 い は 「三 乗 真 実 一 乗 方 便 」 で あ り 、 した がっ で い ず れ か 一 方 の義 ’ で あ る と 筆 者 は 考 え る。 こ の 『 解 深 密 経、』を 最 了 義 と 述 べ る 部 分 は 、 円 測 の 言 葉 で あ り 円 測 自 身 の 考 えで あ る 。 し た が っ て 、「 一 乗 真 実 三 乗 方 便 」 と 「 三 乗 真 実 一 乗 方 便 」 と を 融 合さ せ て い こ う と す る 考 え 方 自 体 は 、 円 測 の 思 想 と し て 認 め ら れ る も ので は あ るが、 決し て 一性 皆 成 思 想 と 五 性 各 別 思 想 と の 融 合 を 意 味 し て い る の で は なく て、 五 性 各 別 思 想 の 範 囲 と し て 行 わ れ た 融 合 解 釈 で あ る と 言 え る 。 上 記の 円 測 釈 に つ い て 、 さ ら に 次 の 点 が 指 摘 さ れ る 。 『解 深 密 経 』 の 第 三 段 の 経 文 上、 一 乗 真 実 の こ と は 説 か れ て お ら ず 、 元 来 会 通の必 要 の 無 い 場 所 で 、 な ぜ 「一 乗 真 実 三 乗 方 便」 と 表 し た の か 、 と い う 点 に ついて 考 え て み る な ら ば 、 一 つ に は 、‘ 不 定 種 性 の 廻 向 菩 提 の 声 聞 の 作 仏 ’ と いう『 法 華 経 』 の 一 乗 真 実 説 を 会 通 す る の と 同 内 容 で あ る 点 を こ こ に 見 出 し た ので あ ろ う し 、 一つ に は 、‘「 一 乗 真 実 三 乗 方 便 」 = 一 性 皆 成 説 ’ と 考 え る 旧 来の思 想 が 最 初 か ら 想 定 さ れ て い て 、 そ のよ う な 思 想 を 前 も っ て 否 定 し た い た めに ト一乗 真 実 三 乗 方 便 」 とし て 示 し だ ので は あ る ま い か 。 そ れ か ら 、 第 一 段 ∼ 第 三 段 の 全 体 に 対 し 、‘ 三 無 性 に 約 し て 一 乗 義 を 弁 ず ’ と最 初 に 科 を 立 て て 、 一 乗 義 を 柱 に し て 理 解 し て い る 点 も 問 題点 と し て 指 摘 さ れる。 す な わ ち 内 容 上 は 、 第一一段 で 「三 乗 真 実 一 乗 方 便 」 と し 、 第 三 段 で 「一 乗真実 三 乗 方 便 」 と し て お り 、 し か も 両 義 と も 五 性 各 別 思 想 に お い て 考 え る 内 容であ る か ら 、 三 乗義 の 方 を 主 に 置 く か、 少な く と も 一 乗 と 三 乗 と を 均 等 に 解 する べ き で あ る よ う に 見 え る 。 一 乗 義 の 方 を 主 に 置 い て 解 し た 理 由 と し て は 、 やはり 、‘ 一 乗 説 =一一性 皆 成 義 ’ と す る 思 想 を 最 初 に 否 定 し て お き た い 考 え が 有っ た も の と 思 わ れる 。 C 実説一乗仮説三乗・実説三乗仮説一乗の意味 以 上の 検 討 か ら 、最 初 に あ げ た『 解 深 密 経 疏 』の│ 実 説 一 乗 仮 説 三 乗 ]と「 有 処実 説三 乗 仮 説 一 乗 」 の 意 味 を 考 え て み る 。 150
①はじめに‘有る処には実に一乗を説き仮に三乗を説ぐ 教えを挙げて、続い で 有る処には実に三乗を説き仮に一乗を説ぐ 教えを挙げ るが、円測自身は いずれかについては決択せずに、「是の如き等の教、誠証一にあらず」と述べ るだけであるから、円測は両者を均等に認めており、また、調和させようとい う考えが有ったと思われる。 ②前章で 見た よ う に 、一一性 皆 成 思 想 の 最 後 の 箇 所 、 す な わ ち [H ] の最 後 の 箇 所にお い て 、 此 の 諸 経 に 由 れ ば 、 実 に一乗 を 説 き 仮 に二乗 を 説 く18 と記されている。このことから、「一乗真実三乗方便 」を説いた教えが一性皆 成思想の根拠になっていたことを円測が知っていたと言える。 ③円 測 は 、『勝 鬘 経 』 に 表 れ て い る よ う な し三 乗 真 実 一 乗 方 便j と 、『法 華 経』 に表れ て い る よ う な 、 不 定 種 性 の 廻 向 菩 提 声 聞 に 限 定 し た 意 味 と し て の「一 乗 真実三乗 方 便 」 と を 倶 有 し て い る 点 に お い て 、『 解 深 密 経 』 こ そ が 最 了 義 の 教 えで あ る と 述 べ て い る。 し た が っ て 、 そ うし た 五 性 各 別 思 想 に 則 っ た 意 味 にお いて、「三乗 真 実一一乗 方 便 」 と 「 一 乗 真 実 三 乗 方 便 」 と を 調 和 さ せ て い く こ と に円測 自 身 は 最 も 賛 成し て い る と 言 え る 。 こ のよ う な 諸 点 を 考 え る と 、‘ 有 る 処 に は 実 に 一 乗 を 説 き 仮 に 三 乗 を 説ぐ とは、 一 性 皆 成 思 想 の 根 拠 に さ れ て き た こ と を そ れ ま で の 経 緯 と し て 認 め て い ると同 時 に、 円 測 の 立場 は そ の よ う で は な く て 、 不定 種 性 の 廻 向 菩 提 声 聞 に 限 定し た 意 味 にお い て 受 け 止 め て い る も の で あ る 。 し た が っ で 有 る 処 に は 実 に 三乗を 説 き 仮 に一一乗 を 説ぐ 教 え と 調 和 さ せ て い る と 見て も 、 五 性 各 別 思 想 の 範囲 にお い て 行 わ れ た 議 論 で あ る と 結 論 づ け ら れ る 。
B
一
乗教 に関 す る円 測 学 説
1 円 測 の一乗 教理 解 本節では、一一乗の教えに対する円測の学説内容を詳しく見ていきたい。 前章に示した『解深密経』の1 b の経文の箇所において、一乗教に関する円 測の学説が簡単ではあるが組織的に要点が示されている。 〔経 〕 一 切 声 聞 独 覚 菩 薩 皆 共 此 一 妙 清 浄 道 皆 同 此 一 究 竟 清 浄 、 更 無 第 二。 我 依 此 故 密 意 説 言 唯 有 一一 乗19 〔測 疏 〕( 中 略 ) 総 説 意 云 、 謂 彼 三 乗 皆 共 此 一 妙 無 性 道 。 即 説 此 道 名 究 竟 浄。20 唯 有 此 道 、 更 無 第 二 。 故 約 一 道 説 為 一 乗。 故 深 密 ( 菩 提 流 支 訳 『深 密 解 脱 経 』 巻 二 ) 云 「唯 有 一 清 浄 道 。 更 無 第 二21」 而 不 別 説 究 竟 清 浄。 故 知 、 究 竟 清 浄 即 是 妙 清 浄 道 也。 又云 、 一 言 自 有 三 種。 一 道 一 故 名 一 、 二 果 一 故 名 一 、 三 理 一 故 名 一。 今 依 此 文 有 其 二 種。 妙 清 浄 道 即 是道 一。 究 竟 清 浄 即 是果 一。 依 此 二 一 。 更 無 第 = ○ 故 深 密 意 説 唯 有一一乗 而 不 同 下 第 四 巻 中 約 理 無 別 故 説 一 乗22 然 一乗者唯一 仏 乗。故勝 鬘 経 云、「 声聞 縁覚皆 入 大 乗。 大乗 即 仏 乗 也23」 又法 華 経 云 、「十方 仏土中 唯 有一乗 法。無二亦 無三。除 仏方便 説24」 或 可 法身以 明 一 乗。故 法華論云、[以 如 来 法 身与 声聞 法 身 法 身 無異。故与 授記25]後当 分別。 此即 六 中 帯 数 釈也。 論体性 者 、 若受 用身 四 智 心 品 所 摂 羅等、 若 就 法 身真如 為 体。 総相出体、 於 一 乗門 教 理 行 果 以 為一一乗。 ( 続 蔵・‥--一三 四一一四 ・三八 八左 上一三八 八左下 ) [ 経]一一切 の 声li}]、 独 覚 、 菩 薩 は 皆 此 の一妙 清 浄 道 を 共 に し 皆 此 の 一 究 竟 清 浄 を 同 じ ふ す 、 更 に 第二無 し。 我 は 此 れ に 依 る が 故 に 密 意 に 説 き て 唯一 乗 の み 有 り と言ふ 。 〔測 疏 〕( 中 略 ) 総 じ て 意 を 説 き て 云 は く 、 彼 の三乗 皆 此 の一妙 無 性 道 を 共 に す る を 謂 ふ 。 即 ち 此 の 道 を 説き て 究 竟 浄 と 名 づ く 。 唯 此 の 道 の み 有 り て、 更 に 第二無 し 。 故 に一道 に 約 し て 説 き て一乗 と 為 す。 故 に 深 密 ( 菩 提 流 支 訳 『 深 密 解 脱 経 』 巻二) に 「唯一清 浄 道 の み 有 り。 更 に 第二無 し」 と −152 −云 ひ て ㈲も 別 に 究 竟 清 浄 を 説 か ず 。 故 に 知 る 、 究 竟 清 浄 と は 即 ち 是 れ 妙 清 浄 道 な り と。 又 云 は く 、一の 言 に 自 ず か ら三種 有 り 。一に は 道一一な る が 故 に一と 名 づ け 、 二に は 果一な る が 故 に一一と 名 づ け 、三に は 理一な る が 故 に一と 名 づく 。 今 此 の 文 に 依 ら ば 其 れ に二種 有 り 。 妙 清 浄 道 と は 即 ち 是 れ 道 の一な り。 究 竟 清 浄 と は 即 ち 是 れ 果 の一一な り 。 此 の二に 依 っ て一な り 。 更 に 第二無し 。 故 に 深 密 の 意 に 唯一一乗 の み 有 り と 説 く 。 而 も 下 の 第 四 巻 の 中 に 理 に 約し て 別 無 き が 故 に一乗 と 説く と は 同 じ か ら ず。 然る に 一 乗 と は 唯一の 仏 乗 な り 。 故 に 勝 鬘 経 に 云 は く 、「声 聞 縁 覚 皆 大 乗 に 入る。大 乗 と は 即 ち 仏 乗 な り 」 と。 又 法 華 経 に 云 は く 、「十 方 仏 土 の 中 、 唯一一乗 の 法 の み 有 り。二も 無 く 亦三も 無 し 。 仏 の 方 便 説 を 除 く」と。 或い は 法 身 を 以 て一乗 を 明 か す べし 。 故 に 法 華 論 に 云 は く 、「如 来 の 法 身 と声 聞 の 法 身 と 法 身 に 異 な り 無 き を 以 て の 故 に 授 記 を 与 ふ」と。後 に 当 に 分 別 す べ し。 此 れ は 即 ち 六 中 の 帯 数 釈 な り 。 体性 を 論 ず れ ば 、 若 し 受 用 身 な ら ば 四 智 心 品 所 摂 の 蘆 等 な り 。 若 し 法 身 に 就 かば 真如 を 体 と 為す 。 総 相 出 体 に は 、一一乗 門 に 於 い て は 教 ・ 理 ・ 行 ・果 を 以 て一乗 と 為 す 。 1 b は 、第一段 の三乗 真 実一乗 方 便 を 説 く 箇 所 の一説 で あ る 。こ れ に つ い て 、 第一の 解 釈 と し て 、 道一に 約 し て 説き て 一 乗 と な す と し て い る 。 道 と は 経 文 の 「妙清 浄 道」す な わ ち 三 無 性 を 修 す る 道 で あ り 、 こ れ が 三 乗 に 共 通 す る 意 味 に おいて一一乗 と す る 。 玄 奘 訳 の 『 解 深 密 経 』 によ れ ば 、 さ ら に「一 究 竟 清 浄 の果 を同じ く す る 」 と も 説 か れ 、 無 上 安 隠 涅 槃 ( 果 ) と し て三乗 に 共 通 し て い る 点 も‘ご の 意 と し て 理 解 さ れ る が 、 こ の 第 一釈 で は 、 そ の よ う な 果 の面 に つ い ては一乗 の 意 味 か ら 除 外 さ れ る 。 こ れ は 、 菩 提 流 支 訳 『 深 密 解 脱 経 』 で は「一 究竟清 浄 の 果 を 同 じ す る 」 に 相 当 す る 部 分 が 無 い こ と が 根 拠 に な っ て い る 。 第二釈 と し て 、一乗 の 「一 。│に は 、 道 と し て一つ で あ る こ と 、 果 と し て 一つ である こ と 、理 と し て 一 つ で あ る こ と 、の三種 が 有 る とし 、1 b にお い て は「一 妙清浄 道 」が 道 と し て の 一 、「一究 竟 清 浄 道 」が 果 と し て の 一 に 相 当 す る と し 。 『解深 密 経 』 巻四 に 説か れ る 密 意一一乗 説 は 理 に 約 し て 説 か れる も ので あ り 、1b の説 と は 同 じ で は な い と す る 。 こ の 理一の 意 味 に つ い て 、『 解 深 密 経 』 巻 四 の密 意一乗 説 の 箇 所 を 見 る と 、 観自在菩薩復白仏言、「世尊、如世尊説若声聞乗若復大乗唯是一乗、此何
密意 」仏 告 観 自 石 菩 薩 曰 、「 善男 子 、如 我 於 彼 声 聞 乗 中 宣 説 種 種 諸 法 自 性 、 所 謂 五 菰 或 内 六 処 或 外 六 処 。 如 是 等 類 於 大 乗 中 即 説 彼 法 同 一 法 界 同 一 理 趣 故我 不 説 乗 差 別 性 。( 中 略 ) 如 是 名 為 此 中 密 意 」 ( 大 正一六 ・ 七 〇 八 上 ) 観 自 在 菩 薩 復 仏 に 白 し て 言 さ く 、│ 世 尊 、 世 尊 の 『 若 し く は 声 聞 乗 、 若し く は 復 大 乗 も 唯 是 れ 一 乗 の み な り 』 と 説 き た ま ふ が 如 き は 、 此 れ に 何 の 密 意 あ る やj と 。 仏 、 観 自 在 菩 薩 の 告 げ て 曰 は くr 善 男 子 、 我 彼 の 声 聞 乗 の 中 に 於 い て 種 種 の 諸 法 の 自 性 を 宣 説 す る が 如 き は 、 所 謂 五 薙 、 或 い は 内 の 六 処 、 或 い は 外 の 六 処 な り 。 是 の 如 き 等 の 類 を 、 大 乗 の 中 に 於 い て 、『 即 ち 彼 の 法 は 同一一法 界、 同 一 理 趣 な り 』 と 説 く が 故 に 我 は 乗 の 差 別 性 を 説 か ず0 ( 巾 略 ) 足 の 如 き を 名 づ け て 此 の 中 の 密 意 と 為 す ] と 。 となっ て い る。 こ こ で は 、 五 菰 、 内 の 六処 、 外 の 六 処 等 、 諸 法 に 関 す る 教 え が 大乗と 声 聞 乗 と に 於 い て 共 通 す る 点 にお い て 一 乗 と 言 わ れ 、 そ こ に 乗 の 差 別 性 が説か れ な い 点 にお い て 密 意 と さ れて い る 。 し た が っ て こ の 経 文 に 照 らし て 考 えるな ら ば 、 理- と い う の は 、 真 如 の 理 と い う よ う な 意 味 で は な く て 、 諸 法、 或いは 諸 法 に 関 す る 教 説 と い う 意 味 で あ る よ う に 思 わ れ る 。 次に 、「然 る に一乗 と は 唯一の 仏 乗 な り 」 とし て 、『勝 鬘 経』の「声 聞 縁 覚 皆大 乗に 入 る。大 乗 と は 即 ち 仏 乗 な り」と い う 説 と『法 華 経』の「十 方 仏 土 の 中、唯一乗 の 法 の み 有 り。二も 無 く 亦三も 無 し 」 と い う 説 と を 引 用 す る 。 こ の 「唯一の 仏 乗」と は 、‘ 声 聞 乗一縁 覚 乗一一仏 乗 ’ と い う三乗 差 別 を 超 え た 所 に 「唯一一の 仏 乗」を 考 え て 声 聞 乗 や 縁 覚 乗 が そ の ま ま で 仏 乗 で あ る とし て 見 て い く ので は な く 、‘声聞 乗一縁 覚 乗一仏 乗 ’ と い う 対 比 に お い て 、 そ の 中 の 仏 乗 の所 の み に ‘一乗 ’ を 位 置 づ け て 、 声 聞 乗 の 者 や 縁 覚 乗 の 者 が そ の一つ の 仏 乗 に入って い く こ と で あ る 。 こ れ は1 b の 経 文 、 す な わ ち三乗 真 実 一 乗 方 便 の 部 分を 釈し て 述 べ た も の で は な く て 、 先 に 見 た3 a ∼d に お い て 説 か れ る 、 不 定 種性 の 廻向 菩 提 声 聞 がー一乗 の 教 え に よ っ て 廻 小 向 大 し て 最 終 的 に 仏 果 を 得 る 点 につ いて 行 わ れ て い る 解 釈 で あ り 、 し た が っ て一一乗 真 実三乗 方 便 に お け る一乗 義を解 釈し て い る と 考 え ら れ る 。『 勝 鬘 経 』 は 、 既 に 見 た よ う に 、 円 測 は 基 本 的には三乗 真 実一乗 方 便 の 経 と し て 見 て い る の で あ る が 、一部 分 に お い て こ う し た 説が 有 る こ と を 認 め て い る も の と 思 わ れ る 。『 勝 鬘 経 』 と 『 法 華 経 』 と の 引文は 、 先 の 、[ 実 説一乗 仮 説三乗 ] の 箇 所 で 引 か れ て い る 経 文 と一致 し て い る。 - 154 −
さら に 別 釈 と し て 、 法 身 の 面 か ら 一 乗 義 を 明 か す こ と も 出 来 る と し 、 世 親 の 『法華 論』 の 、 如 来 の 法 身 と 声 聞 の 法 身 と が 異 な ら な い 故 に 声 聞 を 授 記 す る 、 という 説 を 引 く 。法 身 は 真 如 の 理 で あ り 、一 切 衆 生 に周 遍 す る も ので あ る か ら 、 種性 の 差 別 を 超 え た 所 に 一 乗 を 見 て い く も の と 思 わ れ る が 、 こ れ に つ い て は さ らに 説明 さ れて い な い 。 こ れ ら の 二 解 の 最 初 の 、「 然 る に 一乗 と は … … 」 と い う 述 べ 方 か ら 考 え る な らば、 円 測 は 、‘ 道 ご 或 い ぱ 道 一・果 一 ・ 理 一 ’ に よ る 一 乗 義 よ り も 、[ 唯 一の仏 乗j l法 身 を 以 て 一 乗を 明 か す ] と い う 、 こ の 二 解 の 方 に 比 重 を 置 い て 一乗義 を 考 え て い る よ う に 見 え る 。 次 に 、 乗 」 は 六 合 釈 の 帯 数 釈 で あ る と す る。 最 後 に 、 体 性 を 論 じ る な ら ば 、 受 用 身 な らば 、 四 智 心 品 ( 大 円 鏡 智 、 平 等 性 智、 妙 観 察 智 、 成 所 作 智 ) の 摂 せ ら れ る 薙 等 、 法 身 な ら ば 真 如 で あ る と す る。 さらに 総 相 とし て一一乗 の 出 体 に つ い て は 、教 ・ 理 ・ 行 ・ 果 て あ る と 述 べ て い る 。 一乗の 本 体 論 に 関 し て は 、 さ ら に 解 説 さ れ てお ら ず 、 意 味 内 容 は は っ き りし な い。 以上の文面から考えるならば、円測の考える一乗義としては、この‘仏乗’ としての一乗ど 法身’としての一乗とを主に置いているように見える。 以上より、円測は、一乗の問題について、まとまった教理体系を有していた と考えられる。 整理しておくと次のようである。 2 『顕 揚 聖 教 論 』『摂 大 乗論 』の 一 乗義 前節 に 見 た「実 説一一乗 仮 説三乗 」 と「実 説三乗 仮 説一乗 」 と の 各 々 の 諸 教を 挙げ る 箇 所 に 続 き 、 円 測 は 、一乗 の 意 趣 は 同 じ で は な く 、 諸 の 聖 教 には 種 々 の 異な り が 有 る とし て 、『顕 揚 聖 教 論 』『 大 乗 荘 厳 経 論 』『摂 大 乗 論 』 に 説 か れる 一乗義 を 引 用 し て 示 す 。 直 前 ま で の 内 容 は 、 基 本的 に は『解 深 密 経』 の 解 釈 に 即し た 形 で 議 論 が 行 わ れて い る も の で あ る が 、 こ こ で は 、『 解 深 密 経j の 解 釈 を 離 れ て 、 円 測 か 学 ん でき た 論 書 に お け る 多 様 な 考 え 方 を 提 示 し た 箇 所 と し て 位 置づ け ら れ る 。 は じ め に 、『顕 揚 論J か ら 、一一乗 が 説 か れ る 六 つ の 因 の 箇 所 が 引 か れ 、次 に、
『荘 厳 論J か ら 十 義 が 示 さ れ ( 初 め の 八 義 の 引 文 は 省 略 、 最 後 の 二 義 の 部 分 の み引用 )、 次 に 、『摂 大 乗 論J ( 玄 奘 訳、 本 論 ・ 世 親 釈 ) か ら 十 義 が そ の ま ま 引 用さ れる 。「月測 は 、無 著 が『 摂 大 乗 論 』を 造 っ て 『 荘 厳 論 』 の 一 乗 十 義 を 引き 、 後に 世親 、 無 性 が 釈 論 を 造 っ て そ の 十 義 を 釈 し た と し 、『摂 大 乗 論 』 の 本 論 及 び 世親釈 か ら 、 全 文 が 引 用 さ れ て い る 。 円 測 は 、r 摂 大 乗 論 』 の 十 義 の 由 来 と して 『 荘 厳 論 、』 を 簡 単 に 引 用 す る の み で あ り 、 そ れ 故 、 こ こ で は 『顕 揚 論 』 の 六義 と 『 摂 大 乗 論 』 の 十 義 と が 主 に 示 さ れ て い る と 言 え る2f) 『顕 揚 論 』 の 箇 所 の 割 注 に お い て 円 測 は 、『 摂 大 乗 論 』 の 十 義 と の 対 応 を 述 べてお り 、 そ の 対 応 関 係 に も と づ い て 『 顕 揚 論 』 と 『摂 大 乗 論 』(本 論 ・ 釈 論 ) との内 容 を 対 比 す れば 、 以 下 の よ う で あ る 。 六 因 十 義 『 顕 揚 聖 教 論 』27 問 、 何 故 如 来 宣 説 一 乗 。 答 、 由 六 因 故 。( 問 ふ 、 何 故 に 如 来 は 一 乗 を 宣 説 す る や 。 答 ふ 、 六 因 に 由 る が 故 に)-『 摂 大 乗 論 本J ( 玄 奘 訳 ) 『 摂 大 乗 論 釈 』( 玄 奘 訳 、 世 親 釈 )" 論 曰 、 若 此 功 徳 円 満 相 応 、 諸 仏 法 身 不 与 声 聞 独 覚 乗 共 。 以 何 意 趣 仏 説 一 乗 。 此 中 有 二 頌 。 為 引 摂 一 類 及 任 持 所 余 由 不 定 種 性 諸 仏 説 一 乗 法 無 我 解 脱 等 故 性 不 同 得 二 意 楽 化 究 竟 説 一 乗29 ( 論 じ て 曰 は く 、 若 し 此 の 功 徳 と 円 満 と 相 応 す れ ば 、 諸 仏 の 法 身 は 声 聞 独 覚 乗 と 共 に せ ず 。 何 の 意 趣 を 以 て 仏 は 一 乗 を 説 く や 。 此 の 中 に 二 頌 有 り 。 一 類 を 引 摂 し 、 及 び 所 余 を 任 持 せ ん が 為 に 、 不 定 種 性 に 由 っ て 諸 仏 は 一 乗 を 説 く 。 法 と 無 我 と 解 脱 と 等 し き が 故 に 、 性 不 同 な る と 二 の 意 楽 を 得 る と 化 と 究 竟 と 〔 の 故 に 〕 一 乗 を 説 く ) ① 即 彼 諸 法 約 無 差 別 相 説 故 。30 (即 ち 彼 の 諸 法 の 無 差 別 の 相 に 約 し て 説 く が 故 に)- ←--②往 魁 誼 出 且 翌 竺 。( 無 分 別 行 相 に 約し て 説 く が 156
故に ) − l −−〃 皿皿 − − 一 一 ③衆 生 無 我 及 法 無 我 平 等 故。( 衆 生 無 我 及 び 法 無 我 平 等 な るが 故 に) 釈目 、 此 中 二 頌弁 諸 仏 説 一 乗 意 趣。 ( 釈 し て 日 は く 、 此 の 中 の 二 頌 は 諸 仏 の 一 乗 を 説 く 意 趣 を 弁 ず) ① 為 引 摂 一 類 、 謂 為 引 摂 不 定 種 性 諸 声 聞 等 令 一 趣 大 乗。31 云 何 当 令 不 定 種 性 諸 声 聞 等 皆 由 大 乗 而 般 涅 槃。 ( 一 類 を 引 摂 す る 為 に と は 、 謂 は く 不 定 種 性 の 諸 の 声 聞 等 を 引 摂 し て 大 乗 に 趣 か し め ん が 為 な り 。 云 何 か 当 に 不 定 種 性 の 諸 の 声 聞 等 を し て 皆 大 乗 に 由っ て 般 涅 槃 せ し む べ き や) ② 及 任 持 所 余 者 、 謂 為 任 持 不 定 種 性 諸 菩 薩 衆 令 住 大 乗 。 云 何 当 令 不 定 種 性 諸 菩 薩 衆 不 捨 大 乗 勿 声 聞 乗 而 般 涅 槃 。 為 此 義 故 仏 説 一 乗 。 ( 及 び 所 余 を 任 持 す と は 、 謂 は く 不 定 種 性 の 諸 の 菩 薩 衆 を 任 持 し て 大 乗 に 住 せ し め ん が 為 な り 。 云 何 か 当 に 不 定 種 性 の 諸 の 菩 薩 衆 を し て 大 乗 を 捨 て ず 、 声 聞 乗 に し て 般 涅 槃 す る こ と 勿 か ら し む べ き や 。 此 の 義 の 為 の 故 に 仏 は 一 乗 を 説 く) 由 不 定 等 句 義 已 説 法 無 我 解 脱 乃 至 広 説 。 ( 不 定 等 の 句 義 に 由 っ て 已 に 法 、 無 我 、 解 脱 を 説 き 、 乃 至 広 説 す) 一---- 一一一- 一一一一一一一一- 一一一一一一一- 一一一一一- 一一一- 一一一一一一一一一・ 一- 一 此 中 復 由 別 意 趣 力 唯 説 一 乗 何 別 意 趣 謂 法 等 故 等 。 ( 此 の 中 復 別 の 意 趣 力 に 由 っ て 唯 一 乗 の み 有 り と 説 く 。 何 の 別 の 意 趣 な る や 。 謂 は く 法 等 し き が 故 に 等 な り) ③ 法 等 故 者 、 法 謂 真 如 。 諸 声 聞 等 同 所 帰 趣 。 一 所 趣 平 等 故 説 一 乗 。 ( 法 等 し き が 故 に と は 、 法 と は 謂 は く 真 如 な り 。 諸 の 声 聞 等 の 同 じ く 帰 趣 す る 所 な り 。 趣 く 所 は 平 等 な る が 故 に 一 乗 を 説 く) ④ 無 我 等 故 者 、 謂 声 聞 等 補 特 伽 羅 我 皆 無 有 。 由 無 我 故 此 是 声 聞 此 是 菩 薩 不 応 道 理 。 由 此 無
④解 脱 平等 故。 謂 差 別 求 者 有 事虚 妄分 別 煩 悩 対 治 所 縁 法 性 不相違 故。 ( 解 脱 平 等 な る が 故 に。 謂 は く、 差 別 し て 求 む る 者 に 虚 妄 分別 の 煩 悩 に 事 ふ る こ と 有 る も所 縁 を 対 治 す れば 法 性 相 違 せざ る か 故 に) 一一 一一 我 平 等 意 趣 故 説 一 乗 。 ( 無 我 等 し き が 故 に と は 、 謂 は く 声 聞 等 に 補 特 伽 羅 の 我 皆 有 る こ と 無 し 。 我 無 き に 由 る が 故 に 、 此 れ は 是 れ 声 聞 、 此 れ は 是 れ 菩 薩 な り と は 道 理 に 応 ぜ ず 。 此 の 無 我 平 等 の 意 趣 に 由 る が 故 に 一 乗 を 説 く ) 一一一一‘- 一一一一一-- 一・ 一一一一一一--- 一一一一一一- 一一--- 一一一一一- 一一● ⑤ 解 脱 等 故 者 、 謂 声 聞 等 於 煩 悩 障 同 得 解 脱 故 一 説 一 乗 。 如 世 尊 言 「 解 脱 解 脱 無 有 差 別 」32 ( 解 脱 等 し き が 故 に と は 、 謂 は く 声 聞 等 は 煩 悩 障 に 於 い て 同 じ く 解 脱 を 得 る が 故 に 一 乗 を 説 く 。 世 尊 の 「 解 脱 と 解 脱 と 無 有 差 別 有 る こ と 無 し 」 と 言 へ る が 如 し ) ⑥ 性 不 同 故 者 、 種 性 差 別 故 以 不 定 性 諸 声 聞 等 亦 当 成 仏。 由 此 意 趣 故 説 一 乗 。 ( 性 不 同 の 故 に と は 、 種 性 差 別 の 故 に 不 定 性 の 諸 の 声 聞 等 も 亦 当 に 成 仏 す べ き を 以 て な り 。 此 の 意 趣 に 由 る が 故 に 一 乗 を 説 く ) ⑦ ⑧ 得 二 意 楽 故 、 得 二 種 意 楽 故 。 ⑦ 一 摂 取 平 等 意 楽 。 由 此 摂 取 一 切 有 情 言 「 彼 即 是 我 。 我 一 即 是 彼 」 如 是 取 已 此 既 成 仏 彼 亦 成 仏33 由 此 意 趣 故 説 一 乗 。 ⑧ 二 法 性 平 等 意 楽 。 謂 諸 声 聞 法 華 会 上 蒙 仏 授 記 得 仏 法 性 平 等 意 楽。34 未 得 法 身 由 得 如 是 平 等 意 楽 作 是 思 惟、35「諸 仏 法 性 即 我 法 性 」 復 有 別 義 。 謂 彼 衆 中 有 諸 菩 薩 。 与 彼 名 同 蒙 仏 授 記。由 此 法 如 平 等 意 楽 故 説 一 乗 。 ( 二 の 意 楽 を 得 る が 故 に と は 、 二 種 の 意 楽 を 得 る が 故 な り 。⑦ 一 に は 摂 取 平 等 の 意 楽 な り 。 此 れ に 由 っ て 一 切 有 情 を 摂 取 し て 、[ 彼 れ は 即 ち 是 れ 我 な り 。 我 は 即 ち 是 れ 彼 れ な り ] と 言 ふ 。是 の如 く 取 り 已 っ て 、此 れ 既 に 成 仏 し 、 彼 れ も 亦 成 仏 す 。 此 の 意 趣 に 由 る が 故 に 一 乗 を 説 く 。 ⑧ 二 に は 法 性 平 等 の 意 楽 な り 。 謂 は く 諸 の 声 聞 は 法 華 会 上 に 仏 の 授 記 を 蒙 り 、 仏 158
の法性平等の意楽を得る。未だ法身を得さる も 是 の 如 き 平 等 の 意 楽 を 得 る に 由 っ て 是 の 思 惟 を 作 す 、36「 諸 仏 の 法 性 は 即 ち 我 が 法 性 な り 」 と 。 復 別 義 有 り 。 謂 は く 彼 の 衆 の 中 に 諸 の 菩 薩 有 り 。彼 れ と 名 同 じ く し て 仏 の 授 記 を 蒙 る 。 此 の 法 如 平 等 の 意 楽 の 故 に一乗 を 説 く ) ⑤置 良 良 化 註 故37( 善 に し て 能 く 変 化 し て 住 す る が 故 に) ⑨ 言 化 故 者 、 謂 仏 化 作 声 聞 乗 等 。 如 世 尊 言 「 我 一 憶 往 昔 無 量 百 返 依 声 聞 乗 而 般 涅 槃 」 由 此 意 趣 故 説 一 乗 。 以 声 聞 乗 所 化 有 情 由 見 此 故 得 般 涅 槃 。 故 現 此 化 。 ( 化 の 故 に と 言 ふ は 、 謂 は く 仏 は 化 し て 声 聞 乗 等 と 作 る 。 世 尊 の 「我 往 昔 を 憶 へ ば 、 無 量 の 百 返 に 声 聞 乗 に 依 っ て 般 涅 槃 す 」 と 言 へ る が 如 し 。 此 の 意 趣 に 由 る が 故 に 一 乗 を 説 く 。 声 聞 乗 を 以 て 化 す る 所 の 有 情 は 此 れ を 見 る に 由 る が 故 に 般 涅 槃 を 得 。 故 に 此 の 化 を 現 ず ) ⑥行 究 竟 故 。( 行 究 竟 な る が 故 に) ⑩ 究 竟 故 者 、 唯 此 一 乗 最 為 究 竟 。 過 此 更 無 余 勝 乗 故 。 声 聞 乗 等 有 余 勝 乗 、 所 謂 仏 乗 。 由 此 意 趣 諸 仏 世 尊 宣 説 一 乗 。( 究 竟 の 故 に と は 、 唯 此 の 一 乗 を 最 も 究 竟 と 為 す 。 此 れ を 過 ぎ て 更 に 余 の 勝 れ た る 乗 無 き が 故 に 。 声 聞 乗 等 に は 余 の 勝 れ た る 乗 有 り 、 所 謂 仏 乗 な り 。 由 此 の 意 趣 に 由 っ て 諸 仏 世 尊 は 一一乗 を 宣 説 す) 『解深密経疏』では引文が主であり、割注において諸説の相違点及び共通点 が示される。これらの説は円測の解説として見て良いように思われる。特に注 意されるのは以下の諸点である。 はじめに、『顕揚聖教論』の第二義について、 此 約 能 証 平 等 智 説 。 意 同 此 経 。 道一故 説一一乗 。 … ‥ 此 れは 能 証 の 平 等 智 に 約 し て 説く 。 意 は 此 の 経 に 同じ 。 道一の 故 に一一乗 を 説く ○ ゜・゜゛・゛
と述 べ ら れ る 。 こ れ に よ れ ば 、『 顕 揚 聖 教 論 』 の 第 二 義 「 無 分 別 行 相 に 約 し て 説く が 故 に 」は 、能 証 の 平 等 智 に 約 し た も の で 、道 一 の 故 に 一 乗 が 説 か れる『解 深密 経 』 と 同 じ で あ る と す る 。 道 一と い う 解 説 か ら 、『 解 深 密 経 』 の 説 と い う のは、前 に 示し た 、1 a ∼c で あ る こ と が 知 ら れ る 。そ し て こ れ は『 摂 大 乗 論 』 の十義 に は 含 ま れ て い な い と 見 る 。 こ う し た 点 か ら 『 解 深 密 経』 の 所 説 は 、 諸 の一乗義 の 一 部 分 で あ る と さ れ る と 同時 に 、そ の 解 釈 にあ た っ て は『 摂 大 乗 論 』 の十義 が 中 心 に 据 え ら れ た も の で は な い こ と が 解 る 。 次 に、 玄 奘 訳 世 親 釈 『摂 大 乗 論 釈 』 の 引 文 箇 所 で 注 意 さ れる の は 、 そ の 笈多 共行 矩等 訳、 真 諦 訳 、 ま た 、 無 性 釈 、『 大 乗 荘 厳 経 論 』 と の 対 比 に よ っ て 、 主 とし て 、 真 諦 訳 に は 依 る べ き で は な い 、 と い う 解 説 が 行 わ れ る 点 て あ る 。 38 内容 をあ げ る と 次 のよ う で あ る 。 第一義、 第二義 ( ・類 を 引 摂 し 、 所 余 を 任 持 せ ん が 為 の 故 に ) に つ い て 已L 二義 大 業 及 無 性 荘 厳 論 亦 同 。 梁 論 意 別 。 故 彼 論 本 頌 云 、「 未 定 姓 声 聞 及 諸 余 菩 薩 於 大 乗 引 摂 定 姓 説 一 乗 」 釈 曰 、「 有 諸 声 聞 等 於 大 乗 根 姓 未定。 欲 引 令 信 受 大 乗 摂 令 修 行 大 乗 」 乃 至 「仏 説 一 乗。 引 摂 令 入 住 大 乗 」 [ 有 諸 菩 薩 於 大 乗 根 姓 未定 。 云 何 安 立 彼 於 大 乗 令 不 捨 大 乗 ] 乃至 「仏 説 一 乗。 引 摂 令 人 住 大 乗 」[ 有 諸 菩 薩 於 大 乗 根 姓 已 定 無 退 異 意 。 為 此 菩 薩 故 説 一乗 ]解 云 、本 論 及 釈、仏 為三 人 説 為 一 乗 。前 二 未 定 第 三 已 定 。 諸 論 皆 無 。 故 不 可 依 也 。39 已 上 の二義 は 大 業 ( 笈 多 共 行 矩 等 訳 世 親 釈 ) 及 び 無 性 ( 玄 奘 訳 無 性 釈 ), 荘 厳 論 も 亦 同 じ。梁 論 ( 真 諦 訳 本 論 、 世 親 釈) の 意 は 別 な り。 故 に 彼 の 論 の本 頌 に 云 は く 、「未 定 姓 の 声 聞 と 及 び 諸 の 余 の 菩 薩 を 大 乗 に 引 摂 す る と 、 定 姓 と に一乗 を 説 く 」 と 。 釈 し て 曰 は く 、[有 諸 の 声 聞 等 の 、 大 乗 に 於 い て 根 姓 未 だ 定 ま ら ざ る も の 有 り 。 引き て 大 乗 を 信受 せ し め 、 摂 し て 大 乗 を 修 行 せ し め ん と 欲 す 」乃 至「 仏 は一一乗 を 説く 。引 摂 し て 大 乗 に 入 住 せし む」 と。「諸 の 菩 薩 の 大 乗 に 於 い て 根 姓 未 だ 定 ま ら ざ る も の 有 り 。 云 何 か 安 立 し て 彼 れ を し て 人 乗 に 於 い て 大 乗 を 捨 て ざ らし む る や│ 乃 至「仏 は 一 乗 を 説く 。 引 摂 し て 大 乗 に 人 住 せ し む」 と。[諸 の 菩 薩 の 、 大 乗 に 於 い て 根 姓 已 に 定 ま り て 退 異 の 意 無 き も の 有 り 。此 の 菩 薩 の 為 の 故 に 一 乗 を 説 く」と。 解し て 云 は く 、 本 論 と 及 び 釈 ( 真 諦 訳 本 論 、 世 親 釈 ) と に は 、 仏 は三人 の 為に 、 説 き て一乗 と 為 す。 前 の二は 〔根 姓 の 〕 未 だ 定 ま ら ざ る も の、 第三 - 160 −
は〔根姓の〕已に定まれるものなり。 諸論には皆無し。故に依るべがらざ るなり。 第六義 ( 性 不 同 の 故 に ) に つ い て 大 業 無 性 意 同 此 論。 梁 論 云 、I 有 二 乗 人 於 自 乗 位 根 性 未 同 。 此 人 雖 求 二 乗 道 未 得 二 乗 。 山 二 乗 根 性 未 定 故 可 転 作 大 乗 根 性 。 為 化 此 人 故 説 一 乗」 若 荘 厳 論│ 引 人 大 乗故 説 一 乗」 者 、 意 同 梁 論。 解 云 、 此 意 引 摂 不 定。 即 同 第 一 引 摂 一類。 与 諸 論 異。 故 不 可 依 也 ■Hi 大業( 笈 多 共 行 矩 等 訳 世 親 釈 )と 無 性( 玄 奘 訳 無 性 釈 )と の 意 は 此 の 論( 玄 奘 訳 世 親 釈 ) に 同 じ 。 梁 論 ( 真 諦 訳 世 親 釈 ) に 云 は く 、「 二 乗 の 人 の 、 自 乗 の 位 に 於 い て 根 性 の 未だ 同 じ か らざ る も の 有 り 。 此 の 人 は 二 乗 の 道 を 求 む と 雖 も 未 だ 二 乗を 得 ず 。 二 乗 の 根 性 の 未 だ 定 ま ら ざ る に 由 る が 故 に 転 じ て 大 乗 の 根 性 を 作 す べ し 。 此 の 人 を 化 せ ん が 為 の 故 に 一 乗 を 説 く 」 と 。 若 し く は 荘 厳 論 の 、「 大 乗 に 引 人 す る が 故 に 一 乗 を 説 く 」 と は 、 意 は 梁 論 に 同じ 。 解 し て 云 は く 、 此 の 意 は 不 定 を 引 摂 す 。 即 ち 第 一 の 一 類 を 引 摂 す る に 同じ 。 諸 論 と 異 な り 。 故 に 依 る べ が ら ざ る な り 。 第九義 ( 化 の 故 に ) に つ い て 諸 論 皆 同 。 梁 論 云 、「復 次 仏 化 舎 利 弗 等 声 聞 為 其 授 記 。欲 令 已 定 根 性 声 聞。 更 練 根 性 為 菩 薩 、 未 得 定 根 性 声 聞 令 直 修 仏 道 由 仏 道 般 涅 槃 ] 余 本 無 也 。 41 諸論は皆同じ。梁論(真諦訳世親釈) に云はく \復次に仏は舎利弗等の 声聞を化して其れが為に授記し、已に根性の定まれる声聞をして更に根性 を練りで菩薩為らしめ、未だ根性を定むるを得ざる声聞をして直に仏道を 修し仏道に由って般涅槃せしめんと欲す」と。余の本には無きなり。 第一義 ・ 第二義 か ら 見 て い く と 、 玄 奘 訳 で は 、 本 論 の 頌 に お い て「 一類 を 引 摂し 及 び 所 余 を 任 持 せ ん が 為 に 、不 定 種 性 に 由 っ て 諸 仏 は一乗 を 説 く 」と あ り 、 そ れを 世 親釈 で 、 不 定 種 性 の 声 聞 を 引 摂 し 、 同 じ 不 定 種 性 の 菩 薩 を 任 持 す る と いう 意 味 で 解 釈 す る。 こ れ は 未 だ 大 乗 に 転 向し て い な い 段 階 の 不 定 種 性 声 聞 を 大乗に 引 き 入 れ て や る こ と と 、 既 に 大 乗 に 転 向 し て い る 不 定 種 性 の 菩 薩 が そ こ から小 乗 に 陥 ら な い よ う に 保 持 す る こ と と の二種 類 の 人 の た め に一乗 の 教 え が
説か れる と す る 。 こ れ に 対 し て 真 諦 訳 で は、 本 論 の 頌 に「未 定 姓 の 声 聞 と 及 び 諸の余 の 菩 薩 を 人 乗 に 引 摂 す る と 、 定 姓 と に一乗 を 説 く 」 と し 、 そ れ を 世 親 釈 では、 未定 根 姓 の 声 聞 を 大 乗 に 引 き 入 れて 大 乗 にお い て 修 行 さ せ る よ う に す る こと、 ま た 同 じ く 未定 根 姓 の 菩 薩 が 大 乗 を 捨 て な い よ う に す る た め に 大 乗 に お いて 住さ せ よ う と す る こ と 、 さ ら に 、 既 に 菩 薩 と し て の 根 姓 が 定 ま っ て 、 も う 小乗 に戻 ら な い よ う な 大 のた め に も一乗 の 教 え が 説 か れ る と し 、 こ のよ う な三 種類 の 人 の こ と と し て 解 釈 さ れ る 。 こ こ で は 、 諸 論 に は こ のよ う な 文 が 無 い か ら依る べき で は な い 、 と す る。諸 論 と は 玄 奘 訳 の ほ か に 笈 多 共 行 矩 等 訳 、 ま た 無性 釈等 を 指 し て い る と 考 え ら れ る 。 た だ、 こ こ で はl 種 類 の 大 か三種 類 の 大 か と い う 問 題 だ け で は な く て 、‘ 未 だ根 姓が 定 まって い な い 大’ と い う 考 え 方 も 否定 す る 意 味 が 含 ま れ て い る も の と思 わ れ る。 42『摂 大 乗 論』巻一一五 に よ れ ば 、 諸 仏 の 法 界 に は 恒 時 に お い て 、 ①有 情 の災 横 を 救 済 す る 、②悪 道 を 救 済 す る 、 ③ 非 方 便 を 行 ず る を 救 済 す る 、 ④身 見( 薩 迦 耶 見 ) を 行 ず る を 救 済 す る 、⑤乗 を 救 済 す る 、 と い う 五 種 の業 が あると さ れ、こ の 五種 の 項 目 につ い て は 、基 本 的 に は 諸 訳 にお い て 共 通 で あ る 。 しかし 第 五の 、 乗 を 救 済 す る 、 と い う の は 、 真 諦 訳 に よ れ ば 、 大 乗 の 解 と し て 見る ならば 、'SI」乗 に 進 も う と す る 菩 薩 ’ ど 未 だ 根 性 の 定 ま っ て い な い 声 聞 ’に対 し て 、 大 乗 を 修 行 さ せ よ う と す る こ と と し さ ら に 、 真 諦 訳 の 世 親 釈 に よれば 、 未 だ菩薩 道 を 専 修し な い 大 こ そ が ‘ 未 だ 根 性 の 定 ま っ て い な い 大’ で あり、 そ れ 故一切 の 声 聞 は 小 乗 を 捨 て て 大 乗 に 転 向 す る こ と が 可 能 で あ る と 釈 される /3 こ の、‘ 未だ 根 性 の 定 ま っ て い な い 声 聞 ’と い う の は 、玄 奘 訳 の『摂 論』に よ れば 、‘ 余 乗 に 趣 こ う と 欲 す る 菩 薩 ’ ど 不 定 種 性 の 諸 声 聞 等 ’ に な ってい る か ら 、定 性二乗 の 問 題 が 除 外 さ れ て い る こ と が 解 る。“ こ のよ う に、 真諦 訳 に は、 定 性二乗 と い う 先 天 的 な 種 性 差 別 の 問 題 が 否 定 さ れ る 意 味 が 含 ま れて い る の で あ り 、『解 深 密 経 疏 』 にお い て は そ う し た 説 を 斥 け た い 意 味 が あ った と思 わ れ る。45 次 に 、 第 六 義 に つ い て 見 る と 、『摂 大 乗 論 』 で は「性 不 同 の 故 に 」 と さ れ 、 玄奘訳 世 親 釈 に よ れ ば 、「 種 性 差 別 す る が 故 に。 不 定 性 の 諸 の 声 聞 等 も 亦 当 に 成仏 す べ き を 以 て な り 」 と あ り 、 ま た 無 性 釈 に よ れ ば 、「諸 の 声 聞 の 不 定 種 性 に差 別 有 る が 故 な り。謂 はく 菩 提 に 廻 向 す る 声 聞 身 の 中 に 声 聞 種 性 と 仏 種 性 と を 具有 す 」 と あ り 、 す な わ ち 仏 種 性 を 含 め て 複 数 の 種 性 を 具 有 し て い る 不 定 種 性 の大 が 仏 果 を 得 る 可 能 性 を 有 し て い る 意 味 にお い て一乗 が 説 か れ る と す る 。 しかし 真 諦 訳 世 親 釈 に よ れば 、二乗 に 進 ん で い る 大 で も 実 際 に は そ の 乗 にお い て根 性 の 定 まって い な い 大 が い て 、 そ う し た 未 だ二乗 と し て の 根 性 の定 ま っ て いな い 大 に 対 し て 大 乗 の 根 性 を 作 ら せ る と い う 意 味 に お い て一乗 が 説 か れ る と −162 −