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農業開発論の課題[ Some Problems of Agricultural Development]

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火南-/ジ′研兜 16巻 1号 1978年 6JJ

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TakeshiM oTOOKA 私 は1938年京都帝国大学農学部農林経済学 科を卒業,農業経済学専攻 の大学院学生 とし て,故橋本伝左衛 門先生 ご指導の もとに満州 開拓問題 の研究 に従事 した。 これが私 の農業 開発 に関す る研究のは じま りである。戦後は 国内農地開拓 問題 の研究 に携わ り, さ ら に 1961年以来京大東南 アジア研究計画 に参加, 主 として東南 アジア農業開発の実証的 ・政策 的研究をお こな った。私 の研究生活 は大学卒 業後今 日で40年 に及ぶ。必ず しも農業開発の 研究 に集 中 した とはいえないが,旧満州国は じめ中国本土,東南 アジア諸国, さ らにイ ン ドや イランに至 る実地調査 や, アジア開発銀 行, 国連食糧農業機関な どの勤務を とお し, 一貫 して農業開発問題 について興味を もち続 けた。 いま農業開発 に関す る半生 の研 究 を 総 括 し,農業開発論の課題, と くに発展途上国の 農業開発の問題 と戦略 (strategy)について , 私見を明 らか に したい。 Ⅰ 発展途上国農業開発の必要性 発展途上国における農業開発問題 は, まず *本稿は,昭和53年3月18日京都大学 楽友会館で おこなわれた東南アジア研究センター主催定年 退官記念講演をまとめたものである。 **京都大学名誉教授 それが必要であるか どうか との観点 か らとり あげ られねばな らない。 この必要性 はふたつの立場か ら 論 ぜ ら れ る。第 1は人 口増大 に対す る食糧供給の役割 とい う,いわば絶対的な食糧供給 の見地か ら であ り,第2は経済発展 のための農業開発の 必要 とい う, いわば相対的な見地 か ら で あ る。 このふたつは区別 して論ぜ られな ければ な らない。 1. 人 口増大 と食糧供給 (1) 短rgj的視点 と長期的視点 世界的にみて食糧 の需給関係は変動 してや まない。 と くに短湖的 にみ ると, ときには需 給 関係が逼迫 し, ときには緩和 され,変転 き わま りない ものである。 これは国際的に も国 内的に もそ うであ る。 それ に したが って穀物 の国際相場は激 しく変動を くりかえす。 現在では世界的な食糧需給 関係は一応バ ラ ンスが とれてい るといえよう。 1960年代後半 にはイ ン ドの不作を契機 として,世界的需要 は きわめて逼迫 していた。 しか し, その後は 比較的需給 のバ ランスが とれ,食糧需給関係 はいまの ところ平静であ る。 た しかに短期的視点か らすれば,食糧需給 は現在 それ ほど深刻な問題 ではない。 そのた め, 目下 の ところ国連食糧農業機構(FÅo) の存在 の影 は うすい といえ る。私 は同機構 に 157

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東南アジア研究 1974年9月か ら1977年2月未 まで勤 務 し た が,FAO はその当初 の 目的である全世界的 規模 における食糧増産の必要 性 が う す ま っ て きた ことを認めざるを得ず, そのかわ り発 展途上国の農業開発 に対す る技術援 助を とり あげたので あ る。 具体的 には, FAO活動 の 中心が これを担 当す る開発局 (Development Department)に移 り,食糧需給調節 のための 調査を担 当す る経済社会 局 (Departmentor Economicand SocialArrairs)の担 当部局で あ る商 品部 (Commodity Division)は重視 さ れな くな ってい る。 この食糧需給バ ランスの見通 しとして注意 すべ きは,短 期的見通 しと長期的見通 しとの 区別で あ る。 短期的見通 しとして は,いま述 べ たよ うに現在 は楽観 的で あ る。 これ は,人 口増加率以上 に食糧増産率が大 きい ことが少 な くともここ10年 はつづ くのではない か と思 われ るか らであ る。 食糧 増産 は,一方では既 耕地 の単位面積 あた り収量増加 とい う内延 的 耕境 の前進,他方では未墾地 の開拓 とい う外 延的耕境 の前進 による。 と くにこの

耕矧 拍 進 において,耕転行程 と収穫貯蔵運搬行程 に おける農業機械化,新高収量品種普 及 と結び つ く施肥 および病虫害防除の発展 とがはたす 役割 は きわ めて大 きい。 すなわち,物理的 ・ 化学的 ・生 物的な農業革新 に大 きな期待を置 くことがで きよう。 しか し, これ までの農業 増産 は主 として先進国 と くにアメ リカ, カナ ダ, オース トラ リア, ニ ュージー ラン ド, ア ルゼ ンチ ンな どにおいて営 まれて きた。ソ連 , 中国の2大共産主義国家 およびその他 の開発 途上国 においては画期 的な増産が進 め られて いない。それだ けに短 期的楽観 論が必ず しも 長期的楽観論 にな り得 るとはいえない。 もうひ とつ には これ ら楽観論か悲観論かの 問題 は,全世界的考察 は ともか く, 国別 にみ るとひ じょうに差があ る。た とえば,楽観論 があて はま るのは先進農業国 に限 る。 発展途 16巻 1号 上田 についてい うと, た とえばかつての米 の 輸 山地帯た る東南 アジア大陸部 は, タイをの ぞ くとほ とん ど米 の輸 出能力を喪失 し, タイ で さえ も全輸 出中に占める米 の輸 出の ウェイ トは激減 してい る。 このよ うに発展途上国の農業開発 の必要性 は短」机内祝点か らで な く,長期的な, しか も グローバ ルでない国別の地域的な視点か ら論 ぜ られな ければな らない。 (2) 楽観論 と悲観論 発展途上 国 における農業開発 と くに食糧増 産を予測す るとき, と りわ け重要な問題,す なわ ち人 口増加の有 限性,需給 の高級化 に伴 う需要食糧 カロ リーの飛躍的増大,潜在的農 業資源開発 の有 限性 の3点を とりあげたい と 思 う。 (i)人 口増加の有 限性 長期的傾 向 として,現在年率2- 3%で増 加 しつつあ る発展途上 国の人 口増加が将来 そ のままつづ くで あろ うか, あ るいは減退す る で あろ うか。 この予測 をたて ることは理論的 に も実際1伽 こもひ じょうにむずか しい。 しか し先進国の例が示す よ うに,長期的傾 向 とし ては,発展途上国の人 口増加率 もその経済 の 成長 と安定 とに伴い,早晩,増加率減少 の転 向点 に到達す ると思 われ る。 と くに中国, イ ン ドのよ うな巨大国 における産児制限政策 は 効果 があが るであろ う。 したが って,若干 の 特定 の国 (た とえば, フィ リピン) は別 とし て,人 口増加率 は比較的 に近い将来 において 漸減 しは じめ るといえ る。 その意味で人 口増 加 は有 限であ ると考 え得 る。 しか し,発展途上国の経済成長 の現実, そ れ に伴 う食生活 の改善,急速 な保健衛生施設 の普及, さ らに飢鰹 に対す る交通運 輸手段 の 発達や国際的援助施設 の整備な ど を 考 え る と, た とえ人 に口曽加率 の減少 が予想 され ると して も, それ はかな り先 の ことで あろう。 し

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本岡 :農業開発論の課題 たが って,問題 はいつ人 口増加の転換点が く るのかではな くて,転換点 の くるまでに食糧 需給 のバ ランスが崩壊 しは しないか とい うこ とにある。 この崩壊があ と20年 あま りのちの 今 世紀末 には じま らなければ,われわれの幸 せ とす るところである。 この点,農業開発学 者 が人 口学者 と密接 に協力す る必要があ ると 思 われ る。 残念なが ら,今 日までの ところ私 は,国連機 関において この人 口と食糧 との関 係 に関す る権威 ある総合的予想をお こな って い るところを知 らない。 これはこのPlE.]題 のむ ずか しさによるものであろう。 (ii)所得上昇 に伴 う需 要食糧 の質的変化 これは と くに植物食糧か ら動物食糧へ需要 が転化す る際 に生ず る食糧需要の飛躍 的増大 を意味す る。 簡単 にい うと,植物食 糧をその まま摂取す ることに くらべ, この植物を飼料 として成育 した動物を摂収す るな らば, もと の カロ リーの少 な くとも10倍 も多 くの カロ リ ーが必要 にな るとい うことである。 所得増大 は食生活改革 を意味す る。 食生活 改善 は植物質食糧 に動物質食糧が とってかわ ることを意味す る。 したが って,食糧 のほと ん どが植物質食糧である発展途上国では,動 物質食糧 に高級化 され るにつれて,飛躍的な 食糧需要の増大が生ず る。 これは単 に発展途 上 国のみな らず,世界的規模 においての食糧 需給 のア ンバ ランスを もた らす。 もちろん, このためのア ンバ ランスが今世紀 に起 こるほ どに,発展途上国の国民 ひ とりあた り実質所 得 が急速 に高 まるとは予想 し得 な

。しか し, この所得増大 に伴 う動物質食糧摂取は遠い将 来 の食糧需給バ ランスに大 きな影響を与 える であろう。十分 に注意 され るべ きであ る。 (iii)潜在的農業資源開発 の有限性 農業資源開発の可能性 は,私 にはかな り有 限的であると思われ る。 これ には内延 的耕境 と外延的排境 とがあ る。 私 の これ までの開発 途上 国での経験では, この外延的耕境 にかな り速やか に到達 し得 ることと思 う。 その 端 的 な 例 は タイである。 かつて タイ は200万 トンの米 の輸 出 と耕作者権利 (squat -ters'right)とを誇 った国であ った。私が調査 を しは じめた1960年代は じめは,すべて文献 が 「自作農の国」 タイを誇 っていた。それか ら10数年 の今 日, タイの深刻な問題 のひ とつ は小作農問題である。 これは外延的耕境 に限 界を生 じた ことを意味す る。 またイ ン ドネシ アのジャワ, スマ トラ, カ リマ ンタ ンな どの 魔人な海岸沼沢地 は開発 の可能性が ほとん ど ない。潮汐干満利用干拓方式 も考 え られ る が, その適用範囲は限 られてい る。 したが っ て,主 として地形,つづいて水 と土壌条件 と のために,東南 アジアにおける農業開発の外 延的耕境の前進はかな りきび しく制約 されて いる。 私 の限 られた経験では, アフ リカ, 中近東 において も外延的耕境の前進は容易な らざる ものがある。 したが って, これか らの発展途 上国の農業開発はその内延的耕境の前進 に政 策の重点が置かれ るべ きではなかろ うか。い いかえ ると,現在の米 の収量は東南 アジアで 日本の約 3分の 1であるが, これを,国際稲 作研究所(IRRI)のね らうha・あた り10トンは ともか くとして も, 日本 の もつ 6 トン近 い水 準 まであげることが大切ではないだ ろうか。 この ことは技術水準を高 め諸投入を改良増 大す ることによって,かな りの程度 まで可能 になる。 しか し, この内延的投入 の改善増大 の限度 にいつ到達す るか, そ して その投入 に 時間のかか ることがひ じょうに重要な課題で ある。その意味で,単 に物量が無限でないば か りでな く,時間的に も農業資源開発の可能 性 はきわめて有限的であ るといえよ う。

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南アジア研究 16巻 lI'3・

2.

経済発展 における農業の役割 (1) 先進国 ・産油国 ・発展途上国 ・社会 主義国 経済発展を論ず るとき,従来 は全世界を先 進国 と後進国 とに大別 した。 しか し,

合 に よって社会主義国を先進国 と後進国のいずれ のグループ に も含めず別 に一括す る方法 もあ る。 この場合,社会主義国の多 くは後進国的 であるが, ソ連や中田 と同一 にあつか って よ い ものであろ うか。 ソ連や東 ドイツはそのひ とりあた り国民所 得 の面か らみて も,後進国 として とりあっか い得ない。 とい って も, これ ら諸国の経済組 織 は先進国 とは異 な る。 また中国はそのひ と りあた り国民所得では明 らかに後進国的社会 主義国 に属す るが, その他の後進国 とともに 一括す るにはあま りに も巨大す ぎる。しか し, その他 の後進国的社会主義諸国については, 概 して,一般 の発展途上国 と同 じようにとり あっか って も差 し支 えなかろう。 た とえば, ベ トナムはその政治 ・経済体系 こそ非共産主 義国 とは異 なるが,発展途上国 としての議論 や諸問題があて はまるであろう。したが って , 発展途上国論 においてほ ソ連,東欧諸国およ び中国は社会主義国家 として区別 さ れ 得 る が, その他 の群小の社会主義国は発展途上国 の中に含ま しめ られよう。 もちろん,発展途 上国の うち どれが社会主義国であるか どうか は,ス リランカやエチオ ピア,ナイジェ リア, その他のアフ リカ諸国のようにその判定が き わめて因姓であるが, とりあえず 世 界 は ソ 逮,東欧, 中国をのぞ くと先進国 と発展途上 国 とに二分 し得 ると考え られ る。 ところが,発展途上国の うち最近急激 に国 民所得 が上昇 して きた産油国をいか にとりあ つか うか も,開発経済学 においては重要な問 題であるo開発戦略を議論す るうえでは,冒 民所得が異常 に大 きな産油国は開発途上国か 160 らはず したほうがよい と思 う。 た とえば,サ ウジア ラビアや クェ- トのような世界最高水 準のひ とりあた り国民所得を もっ た 産 油 国 を, もはやその他の貧 困になやむ発展途上国 と同一 にとりあつか うことはで きない。 しか し,産油国 といえどもひ とりあた り国艮所得 が低い国 も少な くほない (た とえば,大国 と して イ ン ドネシア, ナイジェ リアな の 。した が って, そのひ とりあた り国民所得が発展途 上国の常識 的な最高限 (ただいまで は約1,000 ドル) よ りも低い場合 には, 当然 に発展途上 国 に入れ られ よう。 そ うす ると,サ ウジア ラ ビア, クェ- ト, ア ラビア湾岸首長諸国およ びイラン, リビア,ベ ネズエ ラな どをのぞ く かな りの産油国は,やは り発展途上国の枠 の 中にはまることにな る。 そ こで発展途上国 としての範聞であるが, その限界を きめることは,理論的根拠 におい て も現実へ の応用性 において も, ひ じょうに むず か し い。 た と え ば,貧 窮 線 (poverty line)を きめるような ものである。 しか も 注 意すべ き点 として, 1国内の povertylineを きめるの とは異 な り国 によって生活習慣 にい ち じるしい差異があ り, また個 々の商品や用 役の価格 もちがい,換算基準 とな る為替相場 は必ず しも物価水準 に対 応 していない。 した が って, どこまでを発展途上国に含 ま しめる かば厳密 に規定で きないであろうが,今 日で は, さきに指摘 したよ うに,年 ひ とりあた り 国民所得 を 1,000ドル とす るのがほぼ妥 当で あろう。 そ して,3,000-4ユ000ドル以上を先 進国 とみな し, その間を中進国 とみなすのが よかろう。 しか しこの範囲の中進国に属す る 国の数は少 ないか ら,特定 の社会主義国 とと くに富裕 な産油国をのぞ けば,上 述 の よ う に,全世界 はだいたい先進国 と発展途上_国 と に二分 し得 るわ けであ る。

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本l均 :飽選粥先論の課鵜 (2) 発展途上国における基本的経済問題 発展途上国 に共通 しての経済問題 には,上 述のよ うに,国民所得 の低い こと,所得 の不 平等な こと, および所得 の不安定な ことな ど があ る。 所得 の不安定性 は さてお くとして, 発展途上国 において所得 の増大 と平等化を同 時並行的に達成 しようとす ることは, 開発戦 略的にきわめてむずか しい。 そのいずれかに 重点を置かねばな らないであろう。 私 は,発展途上国の現実 としては所得 の増 大 に重点を置 きなが ら,か くして得 られ る拡 大所得分をで きるだ け所得平等を もた らす よ うに配分す る2段的戦略が講ぜ られ るべ きだ と思 う。また この際,開発戦略 として,開発 途上国における自己資本蓄積の重要性 も指摘 されなければな らない。 ところが現実 にはそ れ はむずか し く, イン ド,パ キスタ ンをは じ め多 くの開発途上国は債務償還 が きわめて困 難な状態 にさえおちい ってい る。 その償還 の ための外資 の再導入がお こなわれてい る。 発展途上国では所得の分布平等 よ りも増大 を 当面の 目標 に置 くことが, この現実か らし て明 らかであ る。 とはい うものの, これは決 して所得分配 についての配慮を放置 して よい とい うのではない。 発展途上国に しば しばみ られ るよ うな, ひ とにぎ りの富裕階層 と莫大 なプ ロレタ リアー トが対択的 に存在 し中流階 級を欠 くとい う状態は, あ らゆる対策を もっ て是正 されな ければな らない。 (3) 経済発展 における農業の役割 さて,発展途上国における経済発展 に際 し 最優先順位 の置かれ るものが農業か工業か と い うことは,第2次世界大戦終了後つ ぎつ ぎ と新興国 (new nation)があ らわれて くるに 伴 い, きわめて深刻な問題 にな った。おそ ら く理論的には, 農業 ・工業のいずれ に もとら われない均衡 の とれた発展 (balanceddeveト opment)が望 ま しいであろう。 しか し, 実 際の政策樹立 にあた って は,均衡の とれた発 展をはか ることはむずか しい。 したが って農 業か工業か, そ

o

)いずれかに重点を置かなけ ればな らない。 これ について,戦争直後か ら1966,67年 ご ろのイン ド亜大陸の不作 に伴 う食糧危機 に至 るまでは,全世界的に工業化が新興国家経済 発展の重点であるとして, ひ じょうに高 く評 価 された。 これ は,第 1次世界大戦後の ソ連 の工業化 とその契機を一 にす る。 すなわち工 業 化は本来,次の三つの契機 によるといえよ う 。 第 1は, 根本的理由 といえよ うが,経済発 展すなわち近代化のためには工業, と くに重 化学工業が推進 されねばな らない とす る経済 発展論 ・経済政策論であ る。 これは,先進諸 国は工業国であるので先進諸国に追いつ き追 い こすためには工業化を しな ければな らない とす る,単純 かつ盲信的な工業絶対 必要論で ある。 第2には, よ り貝体的に, 工 業 化 に よ ってのみ急速な経済発展がはか り得 るとす る,比較的に現実的 ・相対的な経済計画論の 立場か らであ る。 そ して第3は,最 後 には工 業化によって国家が prestigeousなプ ロジェ ク トを もっ ことがで きるとす る, 国家虚栄的 な立場である。 これは発展途上国に共通的に み られた現象で,豪華 な どル,ホテル,病院 , 大学や広大な製鉄工場を誇 るのが そ れ で あ る。 そ して, これ ら工業化論 には共通 して, 国民の70-80%を 占める農民, この農民 の住 んでい る農村, そ して この農民 によって営ま れ る農業が軽視ない しは無視 されている。 ところが上述のイ ン ド亜大陸の大凶作を契 機 として, 農 業 の 哀史性 が 見なお され るに 至 った。 この場合, さきにあげた巨大産油国 は別であるが,一般の発 展途上国は, まず第 1にその食糧の

保,第 2に国民の過半を占 め る農民 の生活

準の上昇 こそ,な によ りも

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東南アジア研究 16巻1号 重 要であることにいま さ らなが ら気 づいたの で あ る。 これ は, 食糧増産の軽視 に伴 う国民 的飢餓状態到来 の必然性 が認め られ るに至 っ たためで もあ る。 ところで この点注 目すべ きことが あ る。第 2次世界大戦 以前 まで は発展途上 国 の 多 く は,主 として食糧供給 国であ った。発展途上 国は, 自国か ら原料 と食糧 とを輸 出 し,外 国 か ら完成品を輸入す るとい う貿易パ ター ンを とって きた。 ところが現在,発展途上国の多 くは食糧輸入 国 にな って しま った。 あ るいは そ こまでゆかな くとも,東南 アジア諸国 にみ られ るよ うに,発展途上 国か らの食糧輸 出力 は激減 したので あ る。 したが って発展途上国 において は, 自国の経済発展の最小 限の必要 として食糧供給 の確保を はか る必要があ る。 た とえば, イ ン ドネシア経済 の安定 と発展 とのためには食糧 と くに米 の 自給 が最 も重要 であ るとして,1969年 か らは じま った第 1次 経済5カ年計画以来, この国で は米 の増産が 最重点的 に とりあっかわれて きてい る。 これ は1945年以来20年以上つづいたスカル ノ政権 の工業優先政策 と くらべて, 180度 の転換で あ った。イ ン ドネシアが食糧 自給計画 に重点 を置いた ことは高 く評 価 して よい。 私 は1968 -70年, ア ジア開発銀行派遣 イ ン ドネシア農 務省顧 問団団長 として, この危機的な ときイ ン ドネシアに滞在 し政府 の計画樹立 に対 し援 助 したが, まさに食糧 自給 の確保 こそ発展途 上国 として不可欠 な経済発展の条 件 で あ っ た。 しか し, この食糧 自給 は今 日に至 るまで 成功をみていない。 ここにイ ン ドネシア経済 発 展のひ とつ の重要な問題 がひそむ。食糧 自 給達成がいか に困難であ るか,十分 に思い知 らされ るで あろ う。 発展途上 国の経済発展 において,農業が食 糧増産を中心 として リーダー的な役割をはた すべ きことが,今 日では幸 いに広 く承認 され るに至 ってい る。 この場合注意すべ きは, こ こでい う農業 とは,単 に食糧 のみな らず,比 較生産費説 の立場か ら相対 的 に有利な非食糧 農産 物, た とえば綿花 ・ジュー トな どを も指 す ことであ る。 と くに湿潤開発途上国の多 く は農業 に相対 的に有 利 に利用 され得 る資源, す なわ ち降水を もつ。 それが積極的 に開発 さ れ ることが必要であ る。 その意味で私 は相対 的 に決 して有 利でない乾燥地帯 における農業 の積極的開発 には緯距す る。 現在,農業 に経済開発 の主導的役割を課 し てい ることは単 に理論 的 に正 しい だ け で な く,実践 的 に もしか りである。 た とえば世界 銀行の1976/77年 の借款 の うち35%近 くは農 業部門 にあて られてお り,農業部門が最優先 部門 として とりあっかわれてい る。 このよ う に,絶対 的 ・相対 的 に農業開発 の重 要性 は高 まることで あろ う。 ⅠⅠ 発展途上国農業開発の条件 発展途上国農業開発 にあた って注 目すべ き は, それを とりま く, いわゆ る与 え られ た諸 条件 についてであ る。 この条件の実態 につい ての正確 な分析 と認識 とが,農業開発論 あ る いは具体 的 には開発戦 略設定 のな によ りの課 題 とな る。 この条件 の調査分析 は,広 くは1 国の総合開発計画 の基礎条件 ともなれば, ま た狭 くにはひ とつのプ ロジェク トの フィージ リビ リテ ィ ・スタデ ィの主要調査項 目ともな る。 農業開発 の条件 は複雑であ るが, まず開発 の基礎をなす ものは 自然 と くに土地条件であ り, これ に労働力が働 きかける。 それ には資 本が必要で あ る。 さ らに技術水準 が問題 にな る。 また単 な る労働力 の問題 のほかに,開発 経営の主体 としての開発主体 あ るいは組織 の 問題 が入 って くる。 私 はいま,農業開発論の 課題 として それぞれの条件 について重要かつ 普遍 的 と思 われ る問題 の所在を指摘 したい。

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本圃 :盛業開発論 の課題 1. 自然質淑 農業開発 にあたって まず第 1に問題 とな る のは 自然資源である。 自然資源 は 森 林 ・水 産 ・狩猟 ・鉱産な ど, い ろいろな資源か らな るが,農業開発 において と くに問題 とな る資 源 は,土地 と水である。 農業開発はい うまで もな く, この土地 と水 とを利用 して広い意味での農業生産 を は か る。 この場合,上述のよ うに,農業 の増産は ふたつの耕境,すなわち内延的耕境 と外延的 耕境の前進 として進め られ る。 この桝境を決

定 す る ものは没入 (input) と症出 (output)

との価格関係であるが, これを規制す るもの として 自然条件 と技術条件がある。 この 自然条件 として と くに注 目されなけれ ばな らないのは,上述の土地すなわち土壌条 件 と地形条件 のほか,水すなわち気候条件 と 水利条件である。 この 自然条件 について第 1に注 意 す べ き は, これ らの諸 条 件の うち, 比較的に修正 (modify)しやすい条件 とそ うでない もの と があることで ある。 いわば絶対的条件 と相対 的条件 といい得 よ う。 絶対的条件 にほぼ近い もの としては,漕排水によって制御 し得 る降 水関係をのぞ く気候条件である。 もちろん温 度 の制御 も先進国では実験室的 に あ り得 る が,現場 において お こない得 ない。地形条件 も濃排水工事 によって制 御 し得 る部分 もある が,概 して地形条件の変更 はむずか しい。土 壌 条件 は施肥 あるいは土壌改良 によってある 程度変化 し得 るが,大規模な土壌条件 の改善 はむずか しい 。 したが って地形 ・気候 および 土壌条件 は, いわば絶対 的な条件 に近い もの と考え られ る。 これ に対 して農業開発 として比較的 に実行 可能 な 自然条件 の改善は,水利条件 の改善で あ る。 と くに, その うち大 きな役割を 占める のは, 自然降雨 に依存す る天水農業を港就農 業 に改善す ること,あ るいは不完全な水利農 業を完全な ものにす ることである。 これが発 展途上国の米作地

削 こおける農業開発の最 も 重要な政策手段 とな ったの も必然的だ と思わ れ る。 この藩政農業 にお くれてではあるが, 排水農業 もこれか ら大 きな課題 とな ろう。 と くに東南 アジアの大河川の河 目地 に展開す る 干満潮汐地 の干拓 は,上述のよ うに, イン ド ネシアの海岸地帯 と くにカ リマ ンタ ンのバ リ トー河流域 の開発計画 に代表 され るよ うに, きわめて困難であ るが, なおかつ これか らの 東 南アジア 農業 開発 の 主要 課題 を なすであ ろう。 また従来の水利条件の改善は,主 として水 田造成あるいは水 田濃藍用水確保 のためにお こなわれて きた。 しか し東南 アジアの農業開 発 にあた り,水 田開発 については相対的な限 度が存在す る。 水 田にかわ って畑地開発が こ れか らの大 きな問題 にな る。 この畑作農業の ためどれだ けの水分が確保 され るべ きか, と い ういわゆ る畑作濯概 の問題 がある。 これは これ まであま りとりあげ られなか ったが,臥 は必ずや問題 にされ ることと思 う。 さらに進んで,東南 アジアにおいてはほと ん ど問題 にな らないが,世界の大半 の開発途 上国では降雨不足 とい う問題 もある。 すなわ ち,乾燥地,半沙濃地 あるいは沙漠地 の状態 においての ことである。 したが って,乾燥地 農業をいか にお こな うか, と くに水分の供給 は, さきに も述べたよ うに,相対的有利性 の 原則か ら私 は望 ま しい とは思わないが,実 際 の国際政治や経済の関係か らして大 きな研究 課題をなすであろう。 第2に, そのために重要な ことは,開発 に あた って 自然条件を精査 し,それ に もとづい て 自然条件 の克服を正確 に計画化す ることに ある。 これ は開発主体 ・技術水準 ・資本提供 な どのその他の農業開発 の問題点 と関連す る が,従 来の発展途上国開発計画 においては こ

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面アジア研究 16巻 1埠 の点 についての配慮があま りな さ れ て いな い。プ ロジュク ト別 にコンサルタン ト会社 に 任 され ることが多い。 コンサルタ ン トはきわ めて短期的に調査 しなければな らない し, ま たプ ロジェク トが フィージブルであ るとの結 果 を出すのが普通であるか ら,客観 的に精密 に調査 された とはいいがたい。 しか も,個 々 のプ ロジェク トが国全体 の開発計画 とどう関 連す るか,必ず しも国全体の開発計画が十分 に調査 されていない ことも多い。したが って , 農業開発 として最 も重要な 自然資源 の総合利 用が必ず しも満足な調査 の もとで計画 された とはいいがた

。 ここに農業開発論 のひ とつ の重要な課題があ る。 その意味で私 は,農業開発のための基礎調 査, と くに土地 と水利 とについての長∋紺内総 合的調査の必要を,農業開発論の実践的立場 か ら, とくに力説 したい と思 う。 第3に,発展途上国の うちと くに東南 アジ アについて注意すべ きは,東南 アジアの 自然 条件は必ず しも農業生産 に対 し恵まれた もの であるとはいえない ことである。 これは拙著 『東南 アジア農業開発論』(1968)において指 摘 した ところであるが, た とえば と くに,熱 帯作物は温

作物 よ りも一般 に気候条件-の 適応力に欠 けてい ること,降水の年間な らび に季節的分布の変動の激 しい こと,強風 に見

われ樹木作物が影響を受 けやすい こと,気 温 と湿度 とが高す ぎること (と くに稲作の場 令),畜産部 門に不適 当な ことな どがあげ られ よう。 私 は,東南 アジアを その豊かな降水 と 高 い気温のため農業開発の楽土であ るとす る 見方を きび し く戒 めねばな らない と思 う。 第4に, これ に関連 してではあるが,東南 アジアはつい最近 まで, その巨大隣国たるイ ン ド亜大陸 の諸国や中国 に くらべ, ジャワを のぞ くと人 口疎放 と広大な未開拓地 の広が り を特徴 として きた。 しか し最近の諸調査研究 の結果,広大な末開墾地 は,地形条件 ・土壌 条件 ・水利条件な どのために必ず しも有利な 未開墾地でない ことが明 らかにな って きた。 あるいは既耕地, と くにその農耕生産の中心 をなすデルタの米作においては,生産力を高 めるためには水利調節が どうして も必要な こ とが明 らか にな った。た とえば, タイ農業開 発の うち大成功 と思われ るチャオプ ラヤ河流 域の開発 は, このチ ャオプ ラヤの本支流の水 利調節 にあ る。 したが って, この経験をメコ ン河や イラワジデルタに生かそ う と す る と き,技術 とな らんで資本投下 の必 要 性 が ひ じょうに高 まって くるのである。 すなわち 自 然条件の克 服は,な によ りも技術水準の上昇 とむすびついた資本投下 のいかん に関わ ると いえよう。 2. 質本 lで論 じた ことか ら,資本 は農業開発論の 最 も重要な問題 とな る。 具体的に農業開発 に おいて資本が論ぜ られ る

合つね に問題 とな るのは, タイの輸 出米 にプ レ ミアムを賦課す るケース以外,国内で それがひ じょうに蓄鎖 され調達 され に くい との事実であ る。これは, 明治以来 日本が主 として農業部門か らの税収 で もって経済発展をはか った, とい う古典的 かつ模範的ケースとは全 く相反す る。 つま り 日本の場合 とは異な って,現在 の発展途上国 では,農業部門あるいは農村部門 において国 民経済拡張再生産 に必要な資本蓄積が実際に ほ とん どお こなわれて こなか った し,また近 い将来 おこなわれ そ うでない。 なん らかの外 部か らの資本投下 がない限 り,農業部伸 こ関 しては停滞的な単純再生産過程 しかあ り得な い。 と くに東南 アジアの場合,熱 帯 プ ラ ン テーシ ョンに対す る外 国人資本の投下が第2 次世界大戦 とともに終わ って しま ったので, 民間資本の投下 はきわ めて限 られてい る。 し たが って農業開発,農業発展 における資本の 制約はきわ めていち じるしい。 そ して,農業

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本岡:農業開発論の課題 発展を農民 の 自己資本蓄積 に依存す る限 り, そのテ ンポは きわめておそい といわ ざるを得 ない。 なぜ,発展途上国 における農民 の 自己資本 蓄精が, 日本 の場合 と異 な って きわめて限 ら れてい るのか とい うことは, た しか に興味あ る設問であろ う。私 はやは りこの ことは土地 な らびに, と くに労働 の低位生産性 に帰せ ざ るを得 ない と思 う。 その低位生産性 の原因 と しては技術水準,勤労意欲や能力を合 めての 労働の質の問題, そ して循環論法 にな るが資 本 の欠如があげ られよ う。 それだけに,農業生産を して拡大再生産 に ふみ き らせ るためには, どうして も刺激 とし て農業外 部か らの資本投入が必要 とな る。 と ころが発展途上国は,

産油

園をのぞ くと主 と して農業国である。 もはや中進国に属す る稗 田,台湾の場合をのぞ くと,工業 発 展 は ひ じょうにお くれてい る。 したが って,農業以 外 の部門つま り工業部r判 こ質本蓄精を求 める ことは, きわめてむずか しい。 しか も,農業開発は もちろんの こと一般経 済拡大再生産 のための質材は, 国内工業のお くれのため主 として輸入を持たね ば な ら な い。 それだけに, 甲に農本が必要であ るだけ でな く外貨が必要である。 しか も,

油国の 場合をのぞ くと,発展途上国では一般 にこの 外焦が きび し く不足 してい る。 したが って,農業開発のための外国資本の 投質あるいは借款 による導入が必要不 可欠 と な る。 外国資本導入 には私 的ベー ス と 政 府 ベ ース とがあ るが,森林伐採や水産業 のよう な部門をのぞ く狭義の農 業開発の場合,私的 ベ ースでの民間投資や民間借款 に期待す るこ とは,あ とに も指摘す るどと く,残念 なが ら むずか しい。企業ベースでの農業開発 は,節 2次世界大戦後はいろいろな理由で有利でな くな ったためであ る。 た とえば,わが国の数 少 ない農業開発の民間粒質 のケース として, イ ン ドネシアのスマ トラ島南端の ランボ ン開 発が1968年 か らは じめ られ,現在三井物産, 伊藤忠,三菱商事が それぞれプ ランテーシ ョ ンを もってい る。 しか し,地域開 発 に は ひ じょうに貢献 してい る ものの, 3社 とも会社 としての経営はなかなか容易でない。 ランボ ン開発は農業開発 に対 す る民間投 資 の モ デ ル ・ケース といわれたのであ ったが, これ に よって も現在,少 な くとも東南 アジアにおけ る農業開発の民間投質 はいかに困難 であるか が うなず けよう。 したが って,残 された可能 な資本導入 は, 2開閉および多国間 レベル,すなわ ち国際金 融機関による政府ベースでの資本 導 入 で あ るO これは,民間ベース投資の減退 と反比例 して,今後農業開発 にあた っていよいよ重要 な役割をはたそ う。 しか も,国際機関ベース での農業祭本投下 にあた り,OPEC や IFAD (国際農業開発機構) あ るいは2国問ベース でのサ ウジア ラビア基金のよ うな産油国のは たす役割 は大 き くなる もの と思われ る。 それ だけに,農業開発 における資本は, いよいよ 国際政治的な性質 の ものにな るであろう。私 は これは決 して望 ま しい傾 向 とは思わない。 む しろ,経済ベ-スにの る民間資本 の投下 が 一層はか られ るよ う計画すべ きではなか ろう か。農業開発 のお くれはまさに民間資本導入 の制約 にこそあ るといえよ う。 本質 的に政府 曽木は民間資本の呼び

的役割をはたすべ き である。 3. 労働力 農業開発諭における農業開発のための労働 力は, その質 と鼠 とに分 けて,検討 されねば な らない。 最の視点か らい うと,発展途上国では同 に よって異 な り,雇傭不足 の場合 と雇傭過剰の 場合 とがある。 しか しアジア諸国では,労働 力過剰の場合が普通であ る。 と くにイ ン ド, 165

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東南 アジア研究 パ キスタ ン, セイ ロン,バ ング ラデ ッシ ュな どのイ ン ド亜大陸諸国や中国はその典型をな す。 これ らの諸国は絶対 的な人 口過剰状態 に あ るといえよ う。 したが って,農業開発 のた めの労働力不足の問題 は もうとう 存 在 し な い。過剰労働 力をいか に農業開発 に吸収す る かが問題 とな る。 あ るい は,過剰労働 力解 消 のための農業開発が考 え られなけれ ばな らな い。 そ こで,労働集約農業-の発展 は もとよ り, 中国でみ られ るよ うな農業生産施設, と くに漕翫排水 のための高度 の労働集約化 もお こなわれねばな らないで あろ う。 農村副業 あ るいは農村工業 もまた,過剰労働 力吸収のた めに必要であろ う。 まさに農業開発 は過剰労 働 力吸収対策 とさえいえ よ う。 しか し,発 展途上国農村 において必ず しも 労働過剰で あ るとは限 らない。 ア フ リ カ, オース トラ リア,南 アメ リカにおいて は労働 力不足が農業発展の制約条件をなす。 また,東南 アジアについてみ ると, 農村労 働 力が過剰で あ るとみ られ るのはジ ャワだ け であ る。 この 島は絶対的な労働力過剰 に悩ん

でい る。 それだ けに外 硫 (outerislands)

-の移住 が深刻な問題 にな る。 ただ, この場合 注意すべ きは, イ ンフラス トラクチ ャーの整 備が必要な ことであ る。 と くに交通手段が整 備 されな けれ ばな らない。ひ とたび交通条件 が改善 され る と,急速 に移住 が進 め られ る。 これが, ここ10年 にみ られ るスマ トラ南端 の ランボ ン州の事例であ る。 しか し注意すべ き は, ランボ ン州は 自然的 ・交通地位 的条件か らみて, イ ン ドネシア として は と くに恵 まれ た外領開発適地であ る。 私 は これ に比肩す る 開発適地を知 らない。 ほ とん どの イ ン ドネシ アの末開発地 は単に 自然条件 (と くに排水や 地形条件) が劣 ってい るだ けでな く,交通条 件 に恵 まれていな

い。

したが って,外聞 の開 発移住 のためには莫大な先行投資が必要 とさ れ る。 しか も, この投資効果 あ るいは門用便 16巻1号 益計算結果 だけでは有利でない場合 が きわめ て多い。外領移住 によるジ ャワの過剰農村人 口の解決 とい う方法 は,少 な くとも資本制約 のために, さしあた って きわめてむずか しい といわ ざるを得 ない。 しか し,イ ン ドネシアをのぞ く東南 アジア, と くにその大陸部 において は広大な可耕未墾 地 が残 されてい る。 これが タイを して 「自作 農の国」た らしめた理 由であ る。 くりかえ し い うが, ジ ャワをのぞ くと農村過剰労働力問 題 は,大陸部諸国は もちろん ,マ レーシア, フィ リピンな どの半 島島峡 部諸国 に お い て も, いまの ところ存在 しない とい って よい。 これ ら増大 してゆ く労働力を吸収す る自然的 可耕地 は人 口過剰国 に くらべて は相対的 にき わめて広 い。 そのため, これ らの諸国の高い 人 口増加率 は,今 までの ところ経済発展の樺 稽 ではな く, む しろ促進要因にな ってい ると いえよ う。 とはい うものの,すで にタイの都 市近郊で 小

農問題 が激 し く論 じは じめ ら れ た よ う に,高 い人 口増加率が農民生活水準上昇 の大 きな檀稽 とな る事態がいずれ遠か らず生 まれ る もの と思 われ る。 したが って,東南 アジア 諸国 における高 い人 口増加率を決 して そのま ま楽観す るわ けにはゆかない。 当面 の農業開発論 の課題のひ とつ としての 労働力政策 は, た しか に量的 に地域的移動を はか ることにある。 いわば内国植民 の問題で あ る。 ビ ルマのf 部デ ルタやタイの東北部開 発 はた しか にその重要な対策であ るといえよ う。 しか し注意すべ きは,東南 アジア諸国が この労働力対策 にあま り関心を もっていない ことであ る。た とえば,上述のよ うに, イ ン ドネシアの

合 は外領植民 のための調査活動 が ほ とん ど皆無 に近い。 したが って,計画移 住 はほ とん どお こなわれていない。 外銃-の 移 出よ りも外駈か らの移入が多いので はない か とさえいわれてい る。いずれ にせ よ, 農業

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本岡 :農業開発諭の課題 開発論の-課題 として,労働力の地域的配分 が十分 に注意 されなけれ ばな らない。 それ とともに,農業開発 にあた りこれか ら と くに注意 されなければな らないのは,労働 力の質 の問題である。 これは率直 にい うと, 東南 アジアの労働者が本質的 に怠惰 であ るか どうか との問題 に関わ る,ひ じょうにむずか しい問題であ る。 しか し,私 は東南 アジアの 農業労働者が その置かれ た諸条件, た とえば 気候あるいは栄 養条件を考慮す ると, と くに 怠惰であるとは思 われない。 しか し, その質 を改善す るための余地はひ じょうに大 きい と 思 われ る。 そのためには,栄養水準の向上を とお しての体 力の改善や,医療施設 の改善, また初等教育 のほか,職業教育を主 とす る教 育制度の普及 も考え られな くてはな らない。 いかに効果的 に農業労働者の質を改善す るか は,農業開発 論の重要な課題であ る。 労働力の質的改善 としては,1967年 以 来

UNESCO,FAO,I

LO

の農業教育 と訓練の 合 同諮問委員会の委員を数年 にわた って勤め た私の経験か らい って も,初等教育の充実, それ に もとづ く中等職業教育の必要性を痛感 してやまない。 この点,発展途上国全体 とし て,いまなお初等教育が と くに質的に劣 って い ること

,

中等職業教育が軽視 されてい るこ とが指摘 されねばな らない。東南 アジア諸国 において もしか りである。 この問題 について は深 く立 ち入 らないが, ここでは職業教育 の 重要性を強調 してお く。 この職業教育 として の農業教育拡充 にさしあた って最大の障害 と な るのほ,意欲的かつ能力ある教 員が不足 し てい ることであ る。 4. 開発主体 農業開発の主体 は農業開発論 においてつね に最 も重要な問題 とされ る。 発展途上国にお ける農業開発 の主体,すなわち リーダーとし て の役割をはたす ものは,今 Hにおいてはそ の政治 ・経済体制 のいかんを問わず政府であ る。 もちろん, かつて は企業農経営 (planta -tion)の担 当者であるプ ランター (planter) もそ うであ った し,部分的には地主 や 自営農 民 もそ うであ った。 さきに も指摘 したどと く,植民地時代 ,東南 アジアに限 らず,広 く発展途上国の農業開発 にあた ってプ ランテーシ ョンのはた した役割 は大 きい ものであ った。た とえば ,わが国の場 合で も,台湾 における糖業会社 による甘庶 プ ランテーシ ョンの経営, あ るいは南朝鮮 にお ける拓殖会社や個 人地主 による水 閏開発は, まさにその典型であ った といえよう。 また, 東南 アジアのプ ランテーシ ョンにおけるゴム や油 ヤシをは じめ とす る熱帯作物栽培 は,東 南 アジア農業開発 その もので さえあ った。 しか し,第2次世界大戦後,外国人資本の 経営を本質 とす るプ ランテーシ ョンは, まさ に終息を告 げん としてい る。 かつて砂糖 の島 と い わ れ たジ ャワの甘庶 プ ランテーシ ョン も,一 部の国営をのぞいてほほとん ど消滅 し て しまった。 世界的にみてプ ランテーシ ョン は消え うせ たのではな く,東 アフ リカでは新 しく形成 されてい るが, と くに東南 アジアに おいてはプ ランテーシ ョンによる農業開発は ほぼ終わ りを告げた とい って よかろ う。 発展途上

那 円発 においては現住 自営農民 も 開発主体 の役割をはた してお らず, ほとん ど が フォロワー (従属者) の地位 にあ る。 現住 農民がなぜ フォロワーで しかあ り得 ないかに ついては,い ろいろな理 由があげ られよ う。 根本的には, その経営 は零細であ りしか も借 地農の場合が多いので,拡大再生産 のための 資本蓄積がほ とん ど不可能である。 また,企 業能力, と くに資本調達 のための金融能力を 欠いてい るほか,金融市場 も整備 されていな い。 さらに,農業技術水準 も低い。 これ ら諸 特質の原

がいずれ にあ るかは問 題 で あ る が,端的にい って,

農民,借地 農民のい

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東南 アジア研究 ずれ もが農業発展の担い手 にはほとん どな り 得 ない。 なお,発展途上国における地主が農業開発 の担い手であ り

るか どうか もきわめて興味 があるところだ。概 してい うと,第2次世界 大戦前まで発展途上国の地主 は農業開発 に大 きな役割をはた した といえよう。 と くにプ ラ ンテーシ ョンも一種 の地主経営であ るO それ 以外 に,地主が移民を招致 して開発をはか っ た南米の場合 も地主経営 の典型であ る。 東南 アジアにおいて も, タイのバ ンコク北部の ラ ンシ ッ ト開発 はその一例である。 しか し,農 業開発 における地主の機能 も第2次世界大戦 後 ,後退 してい った。そ して多 くの地主は これ まで とは変わ って, その蓄積資本を農業以外 の産業部門に投下す ることに意欲的である。 したが って,実質的な農業発展 の担い手は 好む と好まざるとにかかわ らず,主 として政 府以外ではあ り得 な くな って しまった。すな わち,発展途上国が発展を志 向す る限 り,政 府がそれを担 当 しなけれ ばな らない。 政府が 担い手 にな り得 ることの理由は,根本的 には 政府以外 の農業発展の担い手がない ことにあ る。 あるいは,農業開発のための資本が政府 以外では賄い得 ない ともいえよう。 企業者が 農業開発 に意欲的だ とす ると, その資本調達 能力か らみて企業者資本を農業開発 に導入 し 得 る。 しか し,上述のように,企業者 は農業 開発か ら後過 してゆ く。 同 じく地主 に資本提 供を

待 し得 るとして も, その蓄積資本が限 られてい るだけでな く,地主 自身農業投資 に 興味を喪失 してゆ く。 したが って,主 として 政府のみが農業開発のための資本調達が可能 であ り, それゆえ農業開発論では政府の機能 が きわめて大 きな問題 とな る。 この場合,政府の租税 その他の財政収入は 限 られてい るか ら,借款 や投資 に依存せ ざる を得 ない 。 発展途上国では,国内借款 は産仙

以外無理であるか ら, どうして も外「lqか ら 16巻1号 の借款や投資 に依存せねばな らない。 この対 外借款 による資本調達は第2次世界大戦後の 農業開発の主流 とな った。資本調達 において はたす政府 の役割 は,農業開発を左右す るの である。 政府が農業開発をにな う場合注意すべ きこ とは, 政府 に資本 調達能力 のほか 調査, 企 画,つづいて実施をお こな うだけの十分な能 力があ りや否や,いいかえると政府が企業者 としての役割をはた し得 るか どうか とい うこ とである。 率直 にい うと,第2次世界大戦後独立 した 多 くの新興国において は,政府 にこの農業開 発のための諸能力が欠 けて きてい る。 それを 補 ったのが,旧植民地時代か ら居残 ったかつ ての宗主国の官吏であ った。 しか し, これ ら 官吏 も漸次 引き揚げるにつれ,新興国は 自ら の手 によって農業開発の調査,計

,遂行を お こなわねばな らな くな った。 そのため,い ろいろな問題が生 まれてい る。 第 1は, 中央段階における企画担 当の官僚 の能力であ る。東南 アジア諸国についてみ る 限 り,戦後 エ リー ト官僚 の水準はひ じょうに 改善 された といえよう。 しか し, このエ リー ト官僚 について も問題がないわけでない。 と くに,かれ らが農村の実態 にどこまで通 じて い るかが問題であろう。 それだけに, よ り一 層只休的な調査研究や統計の整備が必要であ る。 それ に して も,エ リー ト官僚を戦後30年 ここまで養成 し得 た ことは,万事テ ンポの緩 慢な東南 アジアとして は大成功であ った とい えよう。 しか し第 2に,地方官僚組織は,中央官僚 組織が比較的に活動的 ・進歩的なのに対 し, きわめて受動的 ・停滞的である。 実際に農業 生産が営まれ る場であ る地方 の行政は, きわ めて ルーズであ り沈滞 している。 積極的な中 央政府 に対 し,地方政府が消極的な ことに し ば しば驚か され るoLll央政府の一群 のエ リー

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禾岡:農業開発論の課題 トに くらべ,地方政府 のほ とん どすべての官 吏 の行政能力が低 くかつ行政意欲 に乏 しい。 私 はここ20年 にわた って東南 アジア諸国の農 村を しば しば訪ね,地方官吏 にい くたび とな く接触を もったが,地方 の官吏 にそ う大 きな 変化があ った とは思われない。 したが って, 官吏 の再教育あるいは現場教育がひ じょうに 必要であ り,官公吏 の昇進 ・給与を含 めての 行政管理の改善が きわめて深刻な問題 である と思われ る。 第3に,政府 として と くに必要なのは 「清 潔」な政府 たることであ る。 発展途上国に共 通 して広 く腐敗汚職がみ られ るだけに, これ は深刻な問題である。 官吏 の多 くが職務を通 じていかに 自分の利益を得 るか にかれ らの唯 一 の関心を示 していることは,残念なが ら現 実 なのである。 この腐敗汚職 の問題 は単 に官 吏 だけに限 らず,農業開発の実際において重 要な役割をはたすべ き村役場や農業協同組合 の役職員 について もいえ る。私 は1968年か ら 70年 にかけて イ ン ドネシアのいわ ゆ る ビ マ ス ・ゴ トンロヨン計画 に従事 したが,最 も驚 か された ことは,正確 に事務を とる能 力が官 吏組織の上か ら下 まで欠 けて お り (い わゆる キ ラキ ラの精神),あ らゆる機会を利用 して汚 職 をはか ることである。役得を得 ることは常 識 なのである。 このイ ン ドネシアの経験 は終 生忘れ ることがで きない。 第 4には, 農業 開発 を 国家 が 担 当 す る以 上, その担い 手たる官公吏 の質 と量 について 十分 に注意が払われねばな らない ことも,農 業開発論の貝体 的な課題のひ とつ とな る。 と くにこれ と関連 して,政府官吏 に対す る農業 開発 の担い手 たるべ きための専門的訓練 ・教 育の実施 とい う問題が十分 にとりあげ られ る べ きである。いいかえ ると,国家は農業開発 のための資本提供者 にとどま らず,新農業技 術 の提供者 た らねばな らない。 これ について は,次 に, 農業技術の水準 と関連 させつつ述 ベ よ う。 5. 技術水準 農業開発を望むな らば,理論的には, その 内延的 ・外延的耕境前進のために農業技術水 準を上昇 させなければな らない。農業技術の 上昇 こそ農業開発論のひ とつの重要な課題で ある。 農業技術 の上昇,いいかえればその革新の ためには, その担い手 あるいは改革者 (i n-novator)が問題 になる。わが国においては こ の担い手 として筒農家があ ったが,発展途上 国において は残念なが ら篤農家を見 出す こと はむずか しい。 したが って,農業技術の進歩 は主 として国の担 うところにな る。各 国にお ける中央および地方農業試験場 における農業 技術者 が この役割をはたす。 ところが1960年代 に入 って,東南 アジアで はさきに述べた国際稲作研究所 (IRRI)が設 打 られ,IR5,IR8な どをは じめ とす る 稲 の 新品種 の育成 に大 きな成功を収めた。現在世 界 にはIRRIを含 めて七つの国際農業研究所 があるが, これが農業技術の研究な らびに教 育 にはた している役割 はひ じょうに大 きい と い うべ きで ある。 現在 の農業技術 に関す る研 究が国際協力の もとに進め られてい ることは 正 しい。 しか し,反面,農業は地域 的 自然条 件 に左右 され るところが大 きい か ら, これ ら 国際的な研究所で育成 された新品種 も,各 々 の地方の条件 に合致 した ものに現 地 化 す る (localize)必要がある。 いわゆ る現地化 (l o-calization)の問題である。それだけに,各国 の中央な らびに地方農業試験場の試験研究 に もとづ く農業 改良普及の役割 は大 きい。 ところが,発展途上国全般 に,農業技術水 準の上昇 について最 も中心的な役割 をはたき ねばな らない農業試験場 に対す る関心が残念 なが ら低調だ。試験研究 の実態は旧植民地時 代 よ りも, 今 日概 して後退 した とい って よか

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東南 アジア研究 ろ う。 農業技術の試験研究 にあた って も,農業の 地域化のために,農業試験場の地域分場ある いは地方試験場が必要 とな る。私 はタイの地 方試験場をかな り細か く歩 き回 った経験 があ るが,地方研究施設はお しなべて 貧 弱 で あ る。 それだけでな く,試験研究のスタ ッフが 量 ・質 ともに劣 り, またその研究 意 欲 も低 い。 これ には, タイの試験研究が中央で完全 に統制 され,地方試験場 に自主性が与え られ ていない ことも関連 してい る。 かつてプ ラン テーシ ョン経営者が個人 あるいは組合で農業 技術開発 にいそ しんだが, これは今や国家の 手 によって営 まれねばな らない。したが って , 農業試験研究 の地方化 と中央 ・地方を通 じて の質 ・量 の改善が強 く要請 され る。 さ らにこの新 しい農業技術水準を農家 に も た らすために,農業改良普及組織が もたれな ければな らない。 この普及組織は,研究組織 とあい並んで重要である。 ところが,東南 ア ジアを含め発展途上国においては, お しなべ て農業改良普及組織 は低調である。 その理 由 は, これまた農業開発論の課題であ るが,節 1に政府が この重要性を十分 に認識 して お ら ず, これにほ とん ど予算を割かない。第2に 改良普及員の育成が十分でない ことがあげ ら れ る。 はなはだ しい場合, イン ドネシアで出 会 ったケースであるが,小学粒卒業生をた っ た 1年だけ訓練 して普及員 にあててい る。質 的 に訓練 された改良普及員の量的供給を可能 にす るためには, まず中等農業教育 の拡充を はかることが必要であ る。わが国でのかつて の農学校,現在の農業高校が これ にあたる。 ところが東南 アジア諸国では,地方 レベルで の中等農業教育はあま り普及 していない。 こ れは予算関係 もあ っての ことだが, もうひ と つ には農科大学卒業生が地方 の農業高校赴任 を嫌 が るとい う事実のゆえで もある。 その意 味か らい って も,発展途上国の中等 農業教育 16巻1号 は全教育体制 か ら全体的 に見直 されねばな ら ない。 これ には改良普及員の待遇 の問 題 が 関 わ る。 改良普及員の質的向上をはか る た め に は, その給与水準を改善 し,かつ昇進方法を 工夫 しなければな らない。 ところが この点 に ついての配慮が欠 けて お り,勤務条件が一般 にきわめて悪い。十分 に反省 され るべ きであ ろう。 ⅠⅠⅠ 発展途上国農業開発の戦略 農 業 開 発 論 の 課題 とす るところのひ とつ は,発展途上国の農業開発の戦略である。 そ れ には,発展途上国の 自主的戦略 と先進国の 援助戦略 とがある。 1. 発展途上国の 自主的戦略 まず発展途上国側の 自主的開発戦略につい てである。 発展途上国の力だけで経済開発が 可能なのは,離陸段階後の発展途上国,すな わち中進国的段階においてである と い え よ う。 したが って, この 自主的戦略だけで開発 をはか るためには, まず その国の経済が停滞 段階か ら離陸 しなければな らない。 そのため に も後述のように先進国か らの援助が必要 と され る。 しか し, ここで強調 したいのは,離 陸段階前の発展途上国 において も先進国か ら の援助 に全面的に依存す るべ きでな く, その ためつねに戦略を 自主的 に準備 しなければな らない ことである。 この 日主的戦略 において注 目さ れ る べ き は,第 1に計画的開発 とい うことであ る。 こ の場合,国家が積極的 に経済を リー ドしてゆ くだ けの 自主的な計画をたて る体制の完備が 必要である。 そのため, ひ とつ には,調査機 能 ・計画機能が強化 されなければな らない。 具体的には各現業官庁のほかに, 中央 に,経 済開発計画官庁が設 け られなけれ ば な ら な

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本岡:農業開発論の課題 いOイ ン ドネシアの経済企 画庁(BAPPENAS) は これ にあた る。 しか し,計画が きめ細か く 地方 の事情 に適応す るために,地方の調査計 画官庁 も完備 されなけれ ばな らない。 このよ うに 自主 的な開発計画をたて, これ を実践 に移 してゆ くため には, あ くまで計画 が実行可能 な ものであ ることが大切で あ る。 いいかえ ると,むやみ に過大 な計画 目標を与 えて はな らないのであ る。 発展途上国 の多 く はあま りに も計画 に期待を もちす ぎることに よ って, かえ って失敗 に終 わ ることが多い。 計画が現実 に即 した ものであ ることこそ, 強 く要求 され る。 注意すべ きは,政情安定 が開発 計 画 の 設 定,実践 にあた ってなによ りの先決条件をな す ことであ る。 政治情勢の変動 は短期的 には かな り予知 しやすいが,長射 1勺にはひ じょう にむずか しい 。 独裁 国家 において も政権 の転 覆 があ り得 る し,議会政治国家 において も支 配政党 の交替 によ って政情 が激 し く 変 動 す る。 この政治的不安定性 は,長期的経済開発 の 計画化 を 徹底的 に 混乱 させ る。 したが っ て, 農業開発 と政情の安定 とが密接 な関係 に あ ることに と くに注意 しな ければな らない。 自主 的戦略 において注意すべ き 第 2の 点 は,所得 の増大な らび に所得 の分配 の 平等 と 安定 とに開通 した問題 であ る。 短期的 ・長Ⅲ 的な政策戦略 は区別 されな ければ な ら な い が,農業開発 に関 してい うな らば,短 射 内戦 略 として は, た とえば農地 制度改革を とりあ げ るべ きではない。 もしと りあげれば, さき に も触 れ た とお り徒 らに混 乱を招 くだ けだか らであ る。私 自身1974年か ら77年 に か けて FAO で農地制度改革を主管 したが, 発展途 上国 における農地改革 は実 際にはいか にむず か しいか,十分 に思 い知 らされた。 しか し, 長期的な 自主 的開発戦略 においては, と くに 離陸段階後に この農地制度 改革問題が とりあ げ られ得 るし, また社会主義国以外 において は,ぜ ひ と りあげ られね ばな らない問題 であ る。 第3に, 同 じ く農業開発の戦略 として ほ, 農業技術水準 の上昇 と普 及 とが組織的 にはか られねばな らない。 これ は農業技術専 門家の 育成 あ るいは一般農民 の教育 とい う,農業 ・ 農民教育 との問題 と結びつ く。 第 4には,

業開発のための基礎整備や交 通条件改善 とい う, いわゆ るイ ンフラス トラ クチ ャーの整備改善 のための本格的な資本投 下 が とりあげ られねばな らない。デ ルタ開発 の場合, その部分をなす ひ とつずつのプ ロジ ェク トについて も,少 な くとも10年 以上 の時 間 の経過が必要 とされ よ う。 自主 的開発戦略 としては, それ だ けの資本投下 をで きるだけ 自 らのカで お こな うことが切 に望 まれ る。た とえ困難 といえ ど も,少 な くとも,原則 とし て は 自己質本 の蓄精がはか られな けれ ばな ら ない と くりかえ し強調 したい。 そ して第5に, この 自主的開発戦 略 におい て は,農業開発 は農業外 の諸部 門の開発 とあ い ま っては じめて進 め られてゆ くべ きで, む しろ開発 の重点 は農業以外-漸次移 るであろ う。 さ らに, 自主 的戦略 としては輸 出向け農 産物の開発, 農村信用機構 や農産物販売機構 の整備 な ど,長〕紺仰戦略 として はその因の農 業 の基礎構造 か らの対策 がたて られねばな ら ないであろ う。 さきに も触 れたが, 自主的戦略の樹立 のた め には, な によ りも国土資源 について徹底 的 かつ総合的な調査 が望 ま しい。発展途上国 に おいて は,プ ロジェク ト別の個 々の調査 は最 近 しき りにお こなわれ るよ うにな った。 これ は もちろん喜ぶべ き傾 向である。いかな るプ ロジェク トを たて るにあた って も基礎的 に必 要な事項, た とえば水利や地 力に関す る徹底 的な調査 が必要であ るO ところが,発展途上国では総合計画官庁 も 口々の業務 に追われてい る感じが強い。また,

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東南 アジア研究 現在開発戦略のために重要な役割をはたす2 国間 もしくは多国間援助機関 も,個 々のプ ロ ジェク ト調査以外, この開発戦略 として の 自 主 的 ・徹底的 ・総合的調査研究 については, 比較的無関心である。いずれ にせ よ, この開 発戦略は発展途上国 自体 の自発性の もとにお いてお こなわれ るか らである。 2. 先進国の援助戦略 もうひ とつの重要な農業開発の戦略は,揺 助国あるいは援助機関による戦略である。 こ れ は,発展途上国つま り被援助国の 自主的戦 略 とは区別 されな ければな らない。 この先進国の開発援助戦略 として第 1の問 題点 にな るものは, さきに も指摘 し た よ う に,被援助国の政治 ・経済的安定 の問題であ る。 政治 ・経済情勢 の不安定な場合,援助の 受 け入れ体制 がで きない ことや不安定な こと のために,援助計画をたて ることがひ じょう にむずか しい。また無理 に援助計画をたてた として も, その実行が不可能 にな る。 とりわ け農業開発 は,災害復 旧な どの緊急援助計画 をのぞ くと,長期的な時間の経過を必要 とす る。 政治 ・経済情勢が不安定 になる ときは計 画が実行途 中で挫折す ることが, しば しば起 こり得 る。南ベ トナムや カンボジアに対す る 過去の援助計画がその通例である。 かつて ス カル ノ統治下 のイン ドネシア援助の多 くが無 に帰 したの もー例であろう。それゆえに,援 助計画をたて るにあた って, その被援助国の 政治 ・経済情勢 の安定 に万全の注意を払 う必 要がある。 第2には,開発援助プ ロジェク トの選定で ある。まず,発展途上国の経済開発計画 の企 画 ・立案その ものに対す る援助が望 ま しい。 1968年以来世界銀行が イン ドネシアに対 して お こな ってい るものが適例である。 世銀はそ の他 の国 に対 して も計画樹立を援 助 し て い る。私 は この経済開発計画作成 に対す る援助 172 16巻 1号 の必要性 とその効果を認める。 これ は農業開 発分野で も促進 され るべ きだ と思 う。 さ らに, この総合開発計画 にもとづいて決 定 され る個 々のプ ロジェク トについて も, そ の計画段階か らの援助が必要 となる。 プ ロジ ェク トのフィー ジビ 1)テ ィやアプ レイザル ・ スタデ ィスは,援助がプ ロジェク トの選定 に あた り必要 不可欠 な 条件 とな る。 これは 具 体的 には コンサルタン ト会社 の 仕 事 であ る が,発展途上国が コンサルタン ト会社 に依頼 す るためには,普通は先進国の資本 および技 術援助が必要 とな る。 いかに貝体的に開発プ ロジェク トを選定 し 計画す るかは,決 して容易な問題でない。現 荏,それ にふ さわ しいだけの十分な注意が払 われているか どうかは,疑問であ る。 第3に,先進国の農業開発援助戦略 として 大 きな問題 は,資本協力か技術協力かの点 に ある。私 は農業開発 において先進国の技術協 力のはたす役割 はひ じょうに大 きい と思 う。 この農業技術 協力 には,農業技術試験研究 と 農業教育 とのふたつが考え られ るが,農業教 育 について の技術協力は と くに言語 関係か ら 考 えてひ じょうにむずか しい。おそ らく可能 な教育援助は高等農業教育の場合だけに限 ら れ るであろう。 これに対 し,農業技術試験研 究 について は援助の余地 はきわめて大 き く, その効果 も大 きい。IRRIをは じめ とす る国 際的農業技術試験研究 の成功は著名な事実で あるが,わが国の熱帯農業研究セ ンターの発 展途上国に対す る農業技術試験研究 について も大 きな期待が もたれ る。 しか し技術協力について注意すべ きは, そ れが試験研究段階か ら実施段階に発展す ると きには,ひ とつ には多数の改良普及員な どの 技術指導者, そ して農業教育の普及を必要 と す る。また必ずや新 しい固定資本 ・流動資本 の投下 のために,資本協力を伴わなければな らない。新品種が試験研究段階で再成 された

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