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留学体験記 「留学で得たもの」

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Academic year: 2021

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インターナショナルフェスティバルにて(後列右から3番目)

18

留学で得たもの

Study Abroad Report

留学体験記

留学の目標

 留学するにあたって、出発する前に私は3つの目標を掲げ た。英語力を伸ばすこと、視野を広げること、自律することだ。  私はずっと英語が好きで、英語を常に使う環境に身を置き、 英語をツールとして使えるようになりたかった。また、国際交 流、異文化理解に興味があり、大学へ入学した頃から留学し たいと思っていた。また、異文化に長期間身を置き、ものの見 方を広めるとともに、日本よりも困難だと言われる授業にチャ レンジし、納得いくまで勉強したいという思いもあった。  一年留学すること で、卒業が遅れてし まうというためらい があったが、何事も 経験したほうが、しな いよりも絶対に良い と考え、交換留学を することを決心した。

授業の大変さ

 私が留学したのは、アメリカ、ミシガン州にあるフェリス州 立大学というところだ。比較的小さな大学で、かなりの田舎に あり、周りに本当に何もないことに驚いた。  アメリカの大学はハードだと聞いていたが、本当にその通 りだと実感した。授業中には積極的な発言を求められ、毎回 大量のリーディングが課され、テストがセメスター中に何回も あった。ほかにも、エッセイを何枚も書き、プレゼンテーション をしなければならなかった。終わら ない!と嘆き、朝までテストの勉強 をしたり、エッセイを仕上げたりす ることもたびたびあった。それに加 えて、英語という言語の違いのため に、現地の学生よりも時間がとても かかった。講義を毎回録音し、部屋 に帰って聴き返し、ノートを整理し、 分からないところは積極的に質問 をするようにした。

様々な人との出会いと進歩

 留学中には様々な人との出会いがあった。最初は、コミュニ ケーションの面でも困難が多く、英語が聴き取れない、英語が 出てこないという悩みをいつも抱えていたが、様々な場所に 出かけ、いろいろな人と交流をするように心がけた。  大学には、いろいろな国から留学生が来ており、文化の違 いを超えて、様々なことを話したり、意見を言い合ったりした。 そこで感じたことは、文化の違いはあれど、最終的には人と人 とのコミュニケーションに行き着くということだ。私はこれま で、国際交流に興味があり、アメリカを含め、いろいろな国の 人とコミュニケーションを深めたかった。しかし、実際、文化の 違いというものが予想以上に大きく、何気ない一言に傷つい たり、日本のやり方が通用しないことで、相手に苛立ちを覚え たりした。しかし、たくさんの言葉をかわし、時が経つことで、し だいに違いも受け入れられるようになり、また、英語を使う際 も気負わずにいられるようになった。

留学を振り返って

 この留学で、私は最高に苦しいこ とと、最高に楽しいこと両方を体験 することができた。いろいろなこと がありすぎて、この留学が私にとっ てどのようなものであったか、まだ 言葉で表すことは難しい。しかし、 振り返ってみると私が留学する前 に掲げた目標は、ある程度達成す ることができたかと思う。必死に教科書を読み、たくさんの英 語に触れたことから、少し、英語に対し、自信が持てるように なった。真剣に人と向き合い、いろいろなものの見方を知っ た。困難の中、自分で物事を考え、解決する力がついた。私を 成長させてくれたこの留学、してよかったと心から思う。  最後になりましたが、留学を決意し、無事終えることができ たのは、両親、先生方、友人、国際センターの方、その他たくさ んの方々が支えてくださったおかげです。本当にありがとうご ざいました。 キャンパス内 19

表紙解説

広報誌『しがだい』をご愛読いただきまして、誠にありがとうございます。 読者の皆様の声を誌面に活かして参ります。率直なご意見・ご感想をお聞かせ下さい。 なお、「読者アンケート」にご記入いただいた情報は、本誌編集の参考にさせていただくためにのみ使用し、他の目的には一切使用致しません。 ご回答はホームページからお願いします。 滋賀大学公式HP[

http://www.shiga-u.ac.jp/

]から「大学紹介」→「刊行物・グッズ」→「広報誌しがだい」 広報誌『        』 第42号  読者アンケートご協力のお願い からさき  かた た 休日のピクニック(左) 教育学部 4回生

小泉 知里

こ いずみ ち さと

女子向けの修身教科書―『 修身女訓 生徒用』

(明治26〈1893〉年)

 江戸時代の寺子屋では、「女範」・「女訓」・「女鑑」・「女大 学」など女子向けの修身、作法・礼法の教科書が多数使用さ れて、封建時代の女性の心構えを教えていました。明治に なっても儒教思想に基づく女子向け修身教科書が多数発行 され、男子と女子とは別の修身が教えられました。明治10年 代には千河岸貫一『 女子善行録』、小谷時中『 女児礼 式』、岡本賢蔵『修身女訓』、木澤成粛『 女子修身書』、若林雅 太郎『 女子修身要録』などが刊行されました。  明治20年代の検定期になると、高等科用の女子生徒向け 修身教科書が刊行されていきます。末松謙澄『 修身女訓 生 徒用』巻1∼4(精華舎)は、明治20年代の代表的な女子修身 教科書です。巻1の目次は「孝行、七郎とすゑ女、橘逸勢の娘、祖父母を大切にすべし 附孝女きそ、兄弟の親み、松平定信と種 姫、……」の28課の構成になっています。古今東西の説話から女子としてあるべき修身を取りあげており、第4巻には女子礼式 を配置しています。 木全 清博(滋賀大学名誉教授・元教育学部教授)

唐崎と堅田

 今回は、唐崎と堅田をご紹介しま しょう。唐崎は琵琶湖に突き出た小さ な岬のような地形の場所で、そこでは 唐崎の松が雄大に枝を広げています。 堅田は古くから水運の拠点として栄え た集落で、湖面に浮かぶように建つ浮 御堂で知られます。ともに古くから名 高い景勝地であり、夏の夜に唐崎の松へ雨が降りかかる「唐崎夜雨」と、晩秋に浮御 堂の彼方の空から雁の群れが舞い降りる「堅田落雁」の情景が、それぞれ近江八景 に選ばれています。「湖水浦廻り 名所・寺社便覧図蹟」では、松の絵に雨を示す斜 線を引いて「唐崎夜雨」を、浮御堂の絵の脇に小さな鳥の列を描いて「堅田落雁」を 表わしています。  松尾芭蕉も、唐崎と堅田を美しく詠み上げました。「辛崎(唐崎)の松は花よりおぼ ろにて」と「鎖あけて月さし入れよ浮御堂」の二句がそれです。なお唐崎の松は天正 元(1573)年の風害で倒れ、同19(1591)年に植え直されています。「花より朧」の句 は貞享2(1685)年作なので、芭蕉が眺めたのは再植樹から約90年目の松でした。 (現在の松は、大正時代に植え替えられた3代目ということです。) 青柳 周一(経済学部附属史料館教授) からさき かた た こ すいうらめぐ びんらん ず せき じょう うき み どう 安政3(1856)年 「湖水浦廻り 名所・寺社便覧図蹟」より 多様性とは?アメリカ人学生と イベントにて(右) 末松 氏 教訓 絵入 小学教科 小 学 小 学 末松 氏 インターナショナルフェスティバルにて(後列右から3番目) 18

留学で得たもの

Study Abroad Report

留学体験記

留学の目標

 留学するにあたって、出発する前に私は3つの目標を掲げ た。英語力を伸ばすこと、視野を広げること、自律することだ。  私はずっと英語が好きで、英語を常に使う環境に身を置き、 英語をツールとして使えるようになりたかった。また、国際交 流、異文化理解に興味があり、大学へ入学した頃から留学し たいと思っていた。また、異文化に長期間身を置き、ものの見 方を広めるとともに、日本よりも困難だと言われる授業にチャ レンジし、納得いくまで勉強したいという思いもあった。  一年留学すること で、卒業が遅れてし まうというためらい があったが、何事も 経験したほうが、しな いよりも絶対に良い と考え、交換留学を することを決心した。

授業の大変さ

 私が留学したのは、アメリカ、ミシガン州にあるフェリス州 立大学というところだ。比較的小さな大学で、かなりの田舎に あり、周りに本当に何もないことに驚いた。  アメリカの大学はハードだと聞いていたが、本当にその通 りだと実感した。授業中には積極的な発言を求められ、毎回 大量のリーディングが課され、テストがセメスター中に何回も あった。ほかにも、エッセイを何枚も書き、プレゼンテーション をしなければならなかった。終わら ない!と嘆き、朝までテストの勉強 をしたり、エッセイを仕上げたりす ることもたびたびあった。それに加 えて、英語という言語の違いのため に、現地の学生よりも時間がとても かかった。講義を毎回録音し、部屋 に帰って聴き返し、ノートを整理し、 分からないところは積極的に質問 をするようにした。

様々な人との出会いと進歩

 留学中には様々な人との出会いがあった。最初は、コミュニ ケーションの面でも困難が多く、英語が聴き取れない、英語が 出てこないという悩みをいつも抱えていたが、様々な場所に 出かけ、いろいろな人と交流をするように心がけた。  大学には、いろいろな国から留学生が来ており、文化の違 いを超えて、様々なことを話したり、意見を言い合ったりした。 そこで感じたことは、文化の違いはあれど、最終的には人と人 とのコミュニケーションに行き着くということだ。私はこれま で、国際交流に興味があり、アメリカを含め、いろいろな国の 人とコミュニケーションを深めたかった。しかし、実際、文化の 違いというものが予想以上に大きく、何気ない一言に傷つい たり、日本のやり方が通用しないことで、相手に苛立ちを覚え たりした。しかし、たくさんの言葉をかわし、時が経つことで、し だいに違いも受け入れられるようになり、また、英語を使う際 も気負わずにいられるようになった。

留学を振り返って

 この留学で、私は最高に苦しいこ とと、最高に楽しいこと両方を体験 することができた。いろいろなこと がありすぎて、この留学が私にとっ てどのようなものであったか、まだ 言葉で表すことは難しい。しかし、 振り返ってみると私が留学する前 に掲げた目標は、ある程度達成す ることができたかと思う。必死に教科書を読み、たくさんの英 語に触れたことから、少し、英語に対し、自信が持てるように なった。真剣に人と向き合い、いろいろなものの見方を知っ た。困難の中、自分で物事を考え、解決する力がついた。私を 成長させてくれたこの留学、してよかったと心から思う。  最後になりましたが、留学を決意し、無事終えることができ たのは、両親、先生方、友人、国際センターの方、その他たくさ んの方々が支えてくださったおかげです。本当にありがとうご ざいました。 キャンパス内 19

表紙解説

広報誌『しがだい』をご愛読いただきまして、誠にありがとうございます。 読者の皆様の声を誌面に活かして参ります。率直なご意見・ご感想をお聞かせ下さい。 なお、「読者アンケート」にご記入いただいた情報は、本誌編集の参考にさせていただくためにのみ使用し、他の目的には一切使用致しません。 ご回答はホームページからお願いします。 滋賀大学公式HP[

http://www.shiga-u.ac.jp/

]から「大学紹介」→「刊行物・グッズ」→「広報誌しがだい」 広報誌『        』 第42号  読者アンケートご協力のお願い からさき  かた た 休日のピクニック(左) 教育学部 4回生

小泉 知里

こ いずみ ち さと

女子向けの修身教科書―『 修身女訓 生徒用』

(明治26〈1893〉年)

 江戸時代の寺子屋では、「女範」・「女訓」・「女鑑」・「女大 学」など女子向けの修身、作法・礼法の教科書が多数使用さ れて、封建時代の女性の心構えを教えていました。明治に なっても儒教思想に基づく女子向け修身教科書が多数発行 され、男子と女子とは別の修身が教えられました。明治10年 代には千河岸貫一『 女子善行録』、小谷時中『 女児礼 式』、岡本賢蔵『修身女訓』、木澤成粛『 女子修身書』、若林雅 太郎『 女子修身要録』などが刊行されました。  明治20年代の検定期になると、高等科用の女子生徒向け 修身教科書が刊行されていきます。末松謙澄『 修身女訓 生 徒用』巻1∼4(精華舎)は、明治20年代の代表的な女子修身 教科書です。巻1の目次は「孝行、七郎とすゑ女、橘逸勢の娘、祖父母を大切にすべし 附孝女きそ、兄弟の親み、松平定信と種 姫、……」の28課の構成になっています。古今東西の説話から女子としてあるべき修身を取りあげており、第4巻には女子礼式 を配置しています。 木全 清博(滋賀大学名誉教授・元教育学部教授)

唐崎と堅田

 今回は、唐崎と堅田をご紹介しま しょう。唐崎は琵琶湖に突き出た小さ な岬のような地形の場所で、そこでは 唐崎の松が雄大に枝を広げています。 堅田は古くから水運の拠点として栄え た集落で、湖面に浮かぶように建つ浮 御堂で知られます。ともに古くから名 高い景勝地であり、夏の夜に唐崎の松へ雨が降りかかる「唐崎夜雨」と、晩秋に浮御 堂の彼方の空から雁の群れが舞い降りる「堅田落雁」の情景が、それぞれ近江八景 に選ばれています。「湖水浦廻り 名所・寺社便覧図蹟」では、松の絵に雨を示す斜 線を引いて「唐崎夜雨」を、浮御堂の絵の脇に小さな鳥の列を描いて「堅田落雁」を 表わしています。  松尾芭蕉も、唐崎と堅田を美しく詠み上げました。「辛崎(唐崎)の松は花よりおぼ ろにて」と「鎖あけて月さし入れよ浮御堂」の二句がそれです。なお唐崎の松は天正 元(1573)年の風害で倒れ、同19(1591)年に植え直されています。「花より朧」の句 は貞享2(1685)年作なので、芭蕉が眺めたのは再植樹から約90年目の松でした。 (現在の松は、大正時代に植え替えられた3代目ということです。) 青柳 周一(経済学部附属史料館教授) からさき かた た こ すいうらめぐ びんらん ず せき じょう うき み どう 安政3(1856)年 「湖水浦廻り 名所・寺社便覧図蹟」より 多様性とは?アメリカ人学生と イベントにて(右) 末松 氏 教訓 絵入 小学教科 小 学 小 学 末松 氏

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