カ ンボジア経 済 :復 興 か ら成長
1 7 9へ の課題
I は じめ に 1992年に派遣 され た UNTAC(国 連 カ ンボ ジア暫定機構 )の 支援 に よる翌年 5月 の制 憲議会選挙 は,過 去20余年 にわた る社会 的混乱 と同 じ民族 同士 に よる 憎悪 と相 互不信 の歴 史が あ たか も嘘 であ ったか の よ うに国民和解 の精神 の も と 1 ) で 「カ ンボ ジア王 国」を成立 させ た (第 1表 参照)。 カンボジア和平 をめ ぐって 重要 な役割 を果 た して きた我 が国は もちろん,世 界の注 目を集め たカンボジア 新政権 の成 立 は,大 規模 な経済的支援 を国際社会 か ら引 き出す こ とに も功 を奏 し,カ ンボ ジアの経済復果作業 は順 調 に滑 り出 したか の よ うにみ えたが,経 済 と政治 の別 を問 わず復興へ の道 の りはけ っ して平坦 ではなか った。53年の対仏 独 立後約 17年間の いわゆ る 「シア ヌー ク時代 」 を除けば,93年 までの カンボジ ア史は戦乱 と残酪 な圧政 に よる筆 者 に尽 くしが たい混沌 の歴 史 であ り,同 国は この期 間,つ ま リアセア ン諸 国が経済発展 の基盤 を築 きア ジア太平洋経済の グ イナ ミズム を 自ら巻 き起 こ しつつ あ った時期 にお いて,統 合 的 な国民経 済 を建 設 し活性化 す るため の開発行政能 力 をつ いに持 ちえなか ったのであ る。特 に, ポル ポ ト政権下 での大規模 な粛清 と打 ち続 く内戦 に よって もた らされ た絶対 的 2 ) な人材不 足, そ して新政権発 足直後 か らの政府 内の政治的不協和 音 は, 国 を挙 1)い うまで もな く,ポ ルポ ト派が制憲議会選挙への参加 をボイコッ トし,そ の後の新生 カ ンボジアの方向を不安定にさせ続け今 日に至 っていることには留意 しなければならない。 2)ポ ルポ ト政権下,諸 説あるものの,百 万人以上 ものカンボジア人が粛清,戦 闘,地 雷被 害 そ して流浪の末の疾病 等に よって死亡 した といわれてお り,経 済開発 の観″くのみか らい うな らば,熟 練労働者層や企業家 といった人的資源の蓄積 を自ら投美 した大愚行 といわね │ゴな らない。 健 本 堂第 1 表 カ ン ボ ジア政 治略 史 カ ンボ ジア 1945 0 日 本軍進駐 あるいは 占領 を経てフランスか ら独立 ( 日本の敗戦後 に仏軍が再来 し独立闘争にはい る) 1953 ● フランスか ら独立→ カンポジア王国成立 1954 ● 3派 に よる内戦開始 ∼いわゆるシアヌー ク時代 ∼ 1959 1964 1 9 7 0 ● ロンノル ・クーデ ター→ クメー ル共和国成立 1973 1975 0ポ ルポ ト政権成立 ● 社会主義政権成立 1976 ● 民主 カンボジア国成立 1978 ● ベ トナムによる侵攻 1979 ● プ ノンペ ン政権成立→ カンボジア人民共和国成立 ●民主 カンボジア側 による国内各地でのゲ リラ戦 19826月 ●抗越 3派 (注)による 「民主 カンボジア連合政府」 結成 (於クア ラルンプール) 7月 ●同政府のカンボジア領 内での正式発足→内戦状態の継続 ●経済 自由化政策開始 と外国投資法整備 (カンボジア,ラ オス,ベ トナム) ●ベ トナム軍撒退 ●カンポジア国 (改称) O SNC(最 高国民評議会)設 立 ●パ リ和平協定 。国連 カンボジア暫定機構 ● 対 タイ関係改善の兆 し (UNTAC)派 遣 19934月 ●難民帰還作業終了 ●タイ等の外国民間投資急増 5月 ●制憲議会選挙 (ポルポ ト派は不参加) 6月 ●タイ政府 との電力融通協定署名 7月 ●カンボジア暫定国民政府成立 (GNPC) 9月 ●制憲議会 で新憲法採択 ●シアヌー ク殿下の国王即位 ●カンボジア王国政府成立 19942月 ●政府軍によるポルポ ト派 ● メコン橋開通 拠″点制圧 (後,奪 還 され る) 7月 ●ポル ポ ト派の非合法化 (同軍の投降増加) 注 :シ ア ヌー ク派,ソ ン・サ ン派,ポ ルポ ト派の 3派 。90年 2月 に「カンボジア国民政府」 に改称 した。 出所 :在 カンボジア 日本 国大使館提供 資料 に よ り作成。 1986 1989 1990 1991 1992 ●ジュネーブ協定によ り フランスよ り独立 ●対米武装闘争開始 0米 軍による北爆開始 ●パ リ協定 (米軍救退) ●サ イゴンFle落 ●南北統一 とベ トナム 社会主義共和国成立 ●カンボジア侵攻 ●日本 を含む西側諸国 援助凍結 ●対 中国国境紛争 ●対 中国国交回復 ●対韓国国交回復 0日 本の対越 ODA再 開
カンポジア経済 :復果から成長への課題 181 げ ての社 会 経済基盤 の再建 に とって今後 も大 きな制約 条件 とな る可能性 が大 き い と言 わ ざるを得 ない。本稿 は,カ ンボジア経済が長期 的発展軌道 に乗 るため に克服すべ き条件 の い くつか につ いて検討 し,今 後 の国際協 力の方 向につ いて 考 察 しよ うとす る もの であ る。 極 左 民族主義 的経済政策 を採用 した ポル ポ ト政権 に よる文字通 りの圧政 の後, ベ トナムに よる支援 の下 で79年に成立 したプ ノンペ ン政権 は社会主義的計画経 済政 策 を推進 した。 しか し,当 時す でにベ トナ ムや ラオスでは集 団農場経営 及 び国営工場経営 の失敗 が明 らか とな っていた。 カンボ ジアは,司 令経済 システ ム下での経済再建 を開始 してか らわずか 6年 を経過 したばか りの1985年か ら市 場経済原理 に基づ く経済開発政策 を採用 したのである。土地の個 人所有 。相続 を許可す るこ とに よって家族経営の 自営農 を増大 させ た り外資100%出 資 を認 め る外国投資法 を制定す るなど,当 時の ソ連 。東欧諸国における経済情勢の激 変 と隣国のベ トナムや ラオスにおけ る経済運営方式の大転換 を呪んだ戦略 を進 めたのである。 経済政策体系の転換 を行 いつつあるとい う意味では,カ ンボジア もまたいわ ゆ る 「移行経済」の一例 である。 しか し,例 えば,ラ オスやモンゴルなどアジ アにおけ る最貧国 と称 され る 「移行経済国」においては,経 済開発の議論の焦 点は 「転換過程」にあるのではな く,む しろ市場経済の 「建設過程」にあると いわなければならない。 カンボジア もまた,政 府部 門における組織 ・人材の施 弱性や後に述べ るような農業部 門の低生産性 を考慮すれば,「移行経済」である だけでな く 「低開発経済」の特質 を十分 に持 っている経済であって, 自由化政 策のみでは成長や発展 は望め ない,イ ンフラス トラクチャーや人的資源の育成 さらには国際経済関係の安定化 などを一定の政策的意図の下で積極的に行 わな D ければな らない経済であるとい うこ とがで きる。 人 口約9 9 0 万人, 一 人当 り所得約2 0 0 U S S , 国土面積約1 8 万齢 のカンボジアの 地勢上のポイン トは, 第 1 に 西側において発展著 しいタイ, 東 側においてタイ 3 ) ラ オスの経済移行過程 については, 拙 著 「ラオス : 経 済開発の現状 と国際協力の方向」 彦根論叢 ( 滋賀大学) 第 2 9 7 号 ( 平成 7 年 1 0 月) を 参照 されたい。
が 自国の輸 出マー ケ ッ トとして位 置づ け るベ トナ ム,北 側 にお いては タイ との 関係 で南部 の経 済発展 が見込 まれ るラオスに囲 まれ てい るこ とであ る。 第 2に , 将 来,運 輸 ・通信 関連 の インフ ラス トラ クチ ャーが十分 に整備 されれば,北 側 では ラオス を通 じて中国 (雲南省)と,そ して南側 では シンガ ポー ルや マ レー シ ア さ らにはいわゆ る華南経 済圏 との経済関係 が一層深 まる もの とみ られ るこ と であ る。 1993年時点 でカ ンボ ジアの最大 の貿易相 手国は シンガ ポー ルで,輸 出 では11.3%,輸 入では27。1%を 占めている。 い うまで もな く,カ ンボジアの長 期経済開発戦略の重要 な柱のひ とつは,周 辺国 との経済関係強化 を通 じてアジ ア大平洋経済の発展利益 を享受す ることであるが,冷 戦構造が崩壊 し東南アジ アにおいて もイデオロギー を軸 とした政治的対立がすでに消滅 した といい うる 現在, これ らの国々はカンボジアがアジア太平洋経済のダイナ ミズムに参加す るうえでいずれ も重要 な意味 をもっている国々 とい うことができる。 例 えば タイは,70年 代以降の急速 な工業化過程 で強 まった農工間生産性格差 そ して都市 。地方間所得格差問題解決の一環 としてタイ東部及び東北部の開発 を推進 してお り,ラ オス と共にカンボジアを自国経済の後背地 として位置づけ, 中央政府 ・関係各県政府連携の もと両国 との経済交流 を一層加速 させ るとの明 権 な方針 を有 している。特にラオス とは80年代末か らは貿易 ・民間直接投資の 増大 を通 じて,お 互 いの歴史的確執 に もかかわ らず緊密な関係 を強固なものに 4 ) しつつ あ る。 また,79年 のプ ノンペ ン政権 成立以降 その政 治的影響 力の下 にあ った カンボ ジアに とって,ベ トナ ムはい まや競合 国にな った とみ るべ きであろ う。 イ ン ドシナ 3国 の経 済移行過程 は,あ る意味 で貿易 ・投 資 ・援助 といった 国際経 済関係 を旧東側 か ら旧西側 諸 国ヘ シフ トさせ るこ とを意味 してお り, 日 本や NIEs,ア セ ア ン諸 国か らの民間直接 投 資導入 に大 きな期待 をかけ て い る カ ンボ ジアに とって,ベ トナ ムは外 国民間直接投 資の争奪相 手 であ り輸 出マー ケ ッ トを奪 い合 う強国 であ るこ とは まちが いない。 しか し,や や視 点 を変 えれば,NIEsや タイな どのアセア ン諸 国に とってベ ト ナ ム は これ らの国々が生産 す る工 業製 品の 巨大 な輸 出先 で もあ る。最近 の タイ 4)前 掲書。
カンボジア経済 :復興から成長への課題 183 の 経 済動 向 も踏 まえ る と, カ ン ボ ジアが ラオ ス と と もに東 西 方 向 で タ イ とベ ト ナ ム を, さ らに南 北 方 向 で 中 国雲 南 省 と南 シナ 海 を結 ぶ 中継 地 域 とな る こ とに 5 ) 国境 を越 えた経 済 開発 の可能性 が あ り, そ の進捗 次 第 では カ ンボ ジアの地理 的 重要性 が国際的 に高 まるこ とに よって同国の西太平洋経済 におけ るステイタス が改善 され る可能性 も膨 らんで くる といえ よ う。 タイやベ トナム とい った大 国
に取 り囲まれているという″
点で同じような地勢条件の下にある隣国ラオスは,
タイの急速な経済発展過程ないし国内市場深化の過程そのものを自国の経済開
発の起爆剤にしようと試みている。ラオスのタイとの経済関係改善の歴史はカ
ンボジアにとっても参考 となるであろう。
このように,長 期的に観て,国 際的な協調関係の維持 を前提 とすれば,カ ン
ボジア経済の将来は決 して暗指たるもの とはいえない。 しか しながら,現 状で
は,明 るい経済展望 を開 くことを妨げる要素が依然 として根強 く残ってお り,
国際社会はカンボジア王国自身がこれらをどのように克服 していこうとするの
かを注視 しているということができる。
H 制 憲議会選挙 後 の政 治動 向 1.選 挙 直後 93年 の制憲議会選挙 の結果 は,旧 プ ノンペ ン政権 に とって苦 い ものであ った ばか りで な く,当 時 も国民の敬 意 を集め新政権 の基本 的 な方 向 を定 め る うえで 国際社 会 か ら も期待 され て いた シア ヌー クに とって も悩 まし く,彼 の対応は, 当時 としては致 し方 なか った として も,そ の後 に大 きな 「禍根 」 を残す原 因の ひ とつ となった。 ベ トナムの仇儡 といわれ なが らも79年以来,カ ンボジア を統治 して きた旧プ ノンペ ン政権 は地方行 政 に関 して も十分 に統治力 を発揮 していた と評価 されて 5)1992年 に ADBに よって着手 されその後 も調査 と政策対話が継続 されてい るベ トナ ム, ラオス,カ ンボジア, ミャンマー, タイ,雲 南省 を対象地域 とす る運輸 ・交通,エ ネルギ ー,通 信,貿 易 ・投資に関す る経済協力調査の実施はここでの議論の方向性 と合致す るも の と考 えられ る。い る。 同政権 内で一種 の カ リスマ性 をもち若 くして首相 の地位 に昇 りつめ たフ ンセ ンは軍及 び警察機構 を も当時か らその強 い影響 力の下 においていたのであ る。 しか し,有 権 者 の90%も の人々が投票 した制憲議会選挙 の結果,シ ア ヌー クの実 の息子 の ラナ リッ トが率 い るフンシンペ ック党が,選 出議席 120のうち58 議 席 を獲得 して第 1党 とな り,フ ンセ ンの人民党 は51議席 で第 2党 となって し まった。 1970年の ロン ノル将 軍 に よる クー デ ター以来 の ソンサ ン派 は10議席 を 獲得 した。 シア ヌー クは,実 の息子 であ るラナ リッ ト以上 に フンセ ンに心酔 し彼の政治 家 としての能 力 を高 く評価 して い た といわれ て い る。 「国民和解 」 の精神 の も と,選 挙後 国王 となった シア ヌー クは大胆 に もラナ リッ トを第一首相,フ ンセ ン を第二首相 とし,共 同首相制度 を敷 いたのであ る。新政権成立後,両 首相 は 揃 って外遊 す るな ど緊密 な連携 を世 界 に示 していたが,前 述 の よ うに軍事 ・警 察 は もちろん一般行 政面 もフンセ ンの人民党 が完全 に これ を掌握 し実績 を積 ん でいた状 況 に ラナ リッ トの フンシンペ ック党が入 り込 んだ こ とに よって文字通 りの 「ね じれ た」組織が で きあが ったため,中 央省庁 レベ ルでは話 し合 いに よ る調整 が可能 では あ ったが,地 方 レベ ル では当然 の よ うに不協和音が聞 こえて きた。 もちろん,中 央 と地 方 の連携 に も支 障 をきた し,た とえポル ポ ト問題が 解 決 し地方農村 の地雷 が完全 に散去 され た として も,援 助 プ ロジェ ク トの地方 展 開 に とって大 きな問題 として浮か び上 が って きたのであ る。 2.各 党 派 におけ る勢 力争 いの頭在化
第 1図 は,96年 秋現在の政治勢力関係 をおおまかに描いたものである。政権
発足直後は希望に満ちたスター トをきったはずの連立政権は,現 在では,ラ ナ
6)現 状 では,中 央省庁の枢要 なポス トと県知事 については各党か ら一人の大臣を出 し合 う 形 でのパ ワー シェア リングが行 なわれている。軍に関 しては,シ ビ リアンコン トロール面 では ともか く現場 レベルでは人民党が依然 として圧倒的な権力 を保有 している。 また,97 年 内に郡 レベ ルの地方選挙 を行 い郡長のポス トに関す る再編 を行 う予定 といわれているが この実施 を確実視す る現地の意見は極めて少数 である。カンポジア経済 :復果から成長への課題 185 第 1図 カ ンボジア国内勢力図 出所 :筆 者作 成 の リッ トとフンセンの不イ中によって崩壊寸前であるともいわれている。筆者が95 年夏にカンボジア を訪問 し国連機関や各国大使館及びカンボジア政府 などを訪 シア ヌー ク国王 イエ ンサ リー ン シ ンペ ック ンセ ン第2首相 ラナ リッ ト第1首 チア シム国会議長 サルケ ン内相 サ ムランシー前蔵相 シ リウッ ト前外
問 し多 くの専 門家 と面談 した折 りに明 らか に なった こ との ひ とつ は,1998年 に 予定 され て い る第 2回 国会 議 員選挙 に向け て フ ンセ ンの人民党 が密 か に ラナ リ ッ ト派 を含 む各 派 の切 り崩 し工 作 を行 って い る とい うこ とであ った。 第 1図 は 96年秋現在 の勢 力関係 を示 してい るが,93年 の制憲議会選挙 時 とは様変 わ りし て い る。その要 点 を述べ れば次 の とお りであ って,UNTACを は じめ とす る国 際社 会 の支援 に もかか わ らず カ ンボ ジアにお け る政 治面 の不安 定要素 はむ しろ 増大 して い る。 そ して,開 発行政 基盤 の確 立 といった援助吸収能 力強化 の観 ″点 か ら も,今 後数年 間の見通 しは極 め て暗 い といわなければ な らない。 (1)ま ず,シ ア ヌー ク国王の権 威 の低下 と二人の共 同首相 との疎遠 であ る。 こ れ は,同 国王が新政権発 足後 も,選 挙 をボイ コッ トしたポル ポ ト派 を政権
内に取 り込 もうとしたことにフンセン及びラナ リットが反発 し, 結 局, 国
王の意に反 してポルポ ト派を非合法組織 としてしまったことに端を発 して
い る。 (2)ラ ナ リッ トには,第 1図 に示 されているように,高 潔 なサム ・ランシー前 蔵相 とシ リウッ ト前外相 とい う有能 な政治家がいた。 しか し,前 者は現政 権下 で噂の絶 えない汚職や腐敗 に関 して政府批判 をやめなか ったため フン シンペ ヽノク党 を除名 され,現 在は, 自ら設立 したクメール国民党党首 とな っている。後者は,シ アヌー ク国王の異母弟であ り,ラ ナ リッ トか らは叔 父にあたるが,サ ム ・ランシー除名 に抗議 して外相 を辞任,さ らにフンセ ン暗殺計画疑惑によって身柄 を拘束 されたが現在はフランスに亡命 してい る。 1 3 ) 国 王 の権 威 を低 下 させ , ラ ナ リッ ト自身 を取 り込 み なが らフ ンシンペ ヽノク 党 内の有能政 治家 を排 除 しえたフンセ ン も, 自 らの意 に反 して人民党 内の 勢 力争 いに巻 き込 まれ保 守 派 の チア ・シム国会 議長や サ ル ケ ン内相 と主導 権 争 い を展 開 して い る。 に)ソ ンサ ン派は国会 では10議席 しか獲得 で きなか った うえに,政 権発足直後 か ら派内の勢力争いが絶 えず,党 勢はいよいよ消長傾 向にある。最近は息 子の ソンスベール (国会副議長)が サムランシーの クメール国民党に接近カンボジア経済 ! 復興から成長への課題 1 8 7 を図 っ た が何 者 か に よ っ て 爆殺 され か か って い る。 (動 ポ ルポ ト派の動向は,カ ンボジア政治経済の安定度 を占う重要 な要素 とし て常に注 目を集めて きた。兵士の国軍へ投降が増大す る中で,ポ ルポ ト間 題 は 自然消滅 しつつあるといった意見や反対に少数精鋭化が行 なわれてい るといった意見があるが,ポ ルポ ト派の大幹部であるイエ ンサ リーが96年 8月 に現政権 に対 して恭順の意 を示 したことは,彼 一人のみならずポルポ 8 ) 卜派のなかに厭戦気分が高 まっていることを示 している。 に)イ エ ンサ リーの処遇 を巡 って政権 内に相応のポス トを用意 しようとす るラ ナ リッ トはフンセンと衝突 した。問題 はイエンサ リー と彼の部下が政治勢 力 としての ラナ リッ トに接近 を試みていることで,こ うした動 きに対 して フンセンのラナ リッ トに対す る不信感が頂″点に達 しているとの指摘がある。 プ ノンペ ン在住のひ とりの援助専 門家は, も ともと市場経済志向的で先進国 やアセア ン諸国 との経済関係 を拡大 したい と考 えているフンセンの政治的裏工 作が功 を奏 し,実 権 を握 った うえで98年の総選挙 を迎 え国会 での絶対 多数派 と なることがで きれば,あ る面では,経 済開発過程が促進 されるか もしれない と 述べ た。 しか し,上 で述べ たように,現 状 ではフンセン自身が権力争いの只 中 にいる うえ, シアヌー ク国王 と非 ラナ リッ ト派 ・非フンセン派の接近 などによ り,今 後の動向は全 く予断 を許 さない とい うのが実情であろう。 I I I 経 済復奥の実績 1 . マ クロ経 済動 向 第 2 表 は カ ンボ ジアの基本的 なマ クロ経済指標 の い くつか につ いて掲 げた も の であ る。今 後2004年までの年平均実質経 済成長率 を 7%に 維持 したい とす る カ ンボ ジア政府側 の 目標 か らみれば,最 近年 の経済成長率 は 目標 に比較 的近 い
8)Far Eastern Economic Review,August 29,1996,p.20-24.
9 ) F a r E a s t e r n E c o n o m i c R e v i e w , D e c e m b e r 5 , 1 9 9 6 , p . 2 3 - 2 4 .
1 0 ) 憲 法 の規 定 に よ り, 国 会 議 員 の任期 は5 年間 と定 め られ て い るの で, 次 期選挙 は1 9 9 8 年と い っこ とに な る。
第 2表 カ ンボ ジア :主 要 なマ クロ経済指標 1990 1993 1994(注 1) 経済成長率 (%) インフ レ率 (%) 政府歳入 (%) 政府歳 出 (%) 財政赤字 (%) 輸入 (%) 輸 出 (%) 貿易収支 (%) 経常収支 (%) (注 4)(注5) 為替相場 (riels/USS)(注0 債務残高 (百万 ドル) (注 の 7 . 6 7 . 0 3 . 9 5 . 2 87.9 176.8 31.0 26.1 4 . 4 6 . 2 5 . 2 9 . 0 7 . 8 9 . 8 1 1 . 0 1 4 . 8 - 3 . 4 - 3 . 6 - 5 . 8 - 5 . 8 1 2 . 9 1 7 . 5 1 8 . 0 2 5 , 4 1 1 . 2 1 3 . 2 9 . 8 1 2 . 9 - 1 . 7 - 4 . 3 - 8 . 2 - 1 2 . 5 - 1 . 5 - 2 . 5 - 6 . 1 - 1 1 . 8 7 0 3 1 , 2 5 3 2 , 4 7 0 2 , 5 8 5 4 1 5 . 7 3 9 3 . 7 3 8 3 . 2 -( 注2 ) ( 注3 ) ( 注4 ) ( 注4 ) ( 注4 ) ( 注4 ) ( 注4 ) ( 注4 ) 1 . 2 1 5 2 . 3 3 . 9 8 , 4 - 4 . 5 11.4 6 . 0 - 5 . 4 - 6 . 2 4 1 8 4 0 8 . 3 注 1:推 定値 注 3:対 前年 同月 (12月)比 による。 注 5:公 的援助流入額 を含 まない場合。 と 2:1989年 固定価格 シ リー ズによる。 注 4:対 GDP比 率 注 6:年 間平均 公的為替相場。 注 7:対 通貨交換可能地域 のみ。非交換可能地域 につ いては1993年末現在約 7億 5千 万 ド ル と推定 されている。 出所 :世 界銀行提供 資料 に よ り作成。 水準で推移 して きた とい うことがで きる。 インフレ率 も94年で26.1%と 依然 と して高い水準ではあるものの,90年 以降の傾 向をみ ると着実に沈静化の方向に あ り適切 な財政金融政策が採用 され始めた とみてよいであろう。貿易収支及び 経常収支の赤字規模,財 政赤字の規模 について も,こ れ ら自身は,例 えば隣国 の ラオス と同 じような水準であ り,カ ンボジアに対す る公的援助の流入が急速 に先細 らない限 り緊急に縮小 しなければならない赤字幅ではない と考 えられ る。 しか しなが ら,後 で述べ るように最近のカンボジアの比較的安定 したマ クロ経 済動 向は基本的には農業や製造業 など直接生産部 門の成長によるものではない ため,今 後,経 済が 「回復」段階か ら 「開発」段階に移行 し,農 業部 門におけ る濯漑投資や製造業におけ る設備投資需要,さ らに道路 ・通信関連のインフラ 投資需要が拡大 した場合,財 政金融部門においていわゆる量的な政策だけでな く制度 ・組織の改革や人材育成などの質的な政策 を迅速に実行 していかなけれ ば,生 産性上昇に結びつかない投資 を積み上げ ることあるいは必要不可欠 と判 12)カ ンポ ジアにおいて もIMFや 世 界銀行等の支援 に よって他 の発展途上 国 と基本的には /
カンボジア経済 :復興から成長への課題 189 断 され たはず の投 資条件 が完成 され ない こ とな どに よって財政 赤字 が さ らに拡 大 し対外債務 が 累積 す るこ とに もつ なが りか ね ない。 2.農 業 開発 の可能性 うえで述べ たように,カ ンボジア経済の発展の方向は国内直接生産部 門がい かに早 く活性化す るどうかに左右 され るとみてまちがいないであろう。経済活 動 人 口の 8割 ない し9割 を抱 えると言われ る農業部 門,特 に米作部 門は天水依 存型の粗放的 な経営が主体 であ り,同 部 門の生産性 向上がつ とに望 まれ る。製 第 3表 カ ンボ ジア :GDP ttF弓 別構成 (%) 1990
1994構
撲
躍 構桜
躍英
麒諜品
韮
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撃噺罷
晟
琵
農業 127.4 137.6 52,3 米 49,6 39.2 20.4 その他作物及び ゴム 24.4 31.1 10.0 畜産業 34.1 40,4 14.0 水産業 12.4 12,0 5.1 林業 6.9 14.9 2.8 工業 36.3 60.1 14.9 鉱業 2.8 3.6 1.1 製造業 17.2 22,1 7.1 電力 ・水道 0.5 0,7 0.2 建 設 15.8 33.6 6.5 サー ビス 80.0 109,1 32.8 運輸 ・通信 6.4 9.3 2.6 流通 30.5 44.8 12.5 ホテル ・レス トラン 0,7 1.5 0.3 政府サー ビス 11.0 11.8 4.5 不動産 15。 9 20.2 6.5 その他 15.5 21.5 6.4 合計 243.7 306.8 100.0 4 4 . 9 8 . 0 1 2 . 8 - 2 1 . 0 1 0 . 1 2 7 . 5 1 3 . 2 1 8 . 5 3 . 9 - 3 . 2 4 . 9 1 1 5 . 9 19.6 65.6 1.2 28,6 7.2 28.5 0.2 40.0 11.0 112.7 35.6 36.4 3.0 45.3 14.6 46.9 0 . 5 1 1 4 . 3 3 . 8 7 . 3 6 . 6 2 7 . 0 7 . 0 3 8 . 7 1 0 0 . 0 2 5 . 9 4 . 2 1 6 . 2 - 4 . 3 - 1 6 . 5 2 . 7 1 0 . 6 2 . 6 1 0 . 0 - 0 。2 - 0 . 6 3。3 12.7 9.8 37.8 0 , 3 1 . 3 2 , 0 7 . 8 0 . 1 0 . 3 7.3 28.3 11.9 46.2 1 . 2 4 . 6 5 . 9 2 2 . 7 0 . 3 1 . 3 0 . 3 1 , 3 1 . 8 6 . 8 2 . 5 9 . 5 2 5 . 9 1 0 0 . 0 注 :1989年固定価格系列 に よる。 出所 :世 界銀行提供 資料 に よ り作成。 ヽ 同 じ性格 の経済政策 自由化 と制度組織改革が実施 されて きている。 しか し,カ ンボジアに おいて これ ら支援 プ ログラムの実行 を非常 に困難に している要素が, まさにポルポ ト政権 時代 の大量虐殺 に よる人材の絶対的不 足 と新 たに生 まれた連立政権下 での人材配分 の在 り 方 を含む政策調整の困難 さであ るとい うこ とがで きる。造 業部 門の発展 も極 め て初期 の段 階 にあ る とみ られ るので外 国民間直接投 資 に 対 して も当面 は あ ま り期待 はで きないのが実情 であ る。 第 3表 は国内総生産 の 経 済部 門別構成 と最近年 におけ る部 門別 成長寄与率 を極 め て暫定 的に算 出 した もの で あ る。同表 に よって1990年と94年の GDP構 成 を比較す る と,ま ず,明 ら か に工業部 門 (建設業)と サー ビス部 門 (運輸 ・通信,卸 ・小売業)が 相 対的 に拡 大 してい るこ とが であ る。 これ ら 2部 門の拡大 と94年の大水害 の 2つ の要 素 に よって農 業部 門の規模 は大 き く減少 して い る。相対的規模 だけ ではな く同 表最右欄 に示 した成長寄与率 をみ る と,卸 ・小売業 と建 設業 の寄与率 が非常 に 大 きい とい うこ とが わか る。 長期的経済発展の観″点か らは,天 候 に大 きく左右 され る食糧生産部 門を抱 え ていること,製 造業の成長寄与率 は特に農業部門 と比べて まだ小 さいこと,そ して近代的ではない卸 。小売業の寄与率が極めて大 きいことなどを考慮す ると, カンボジア経済は まさに 「建 設過程」に踏み入ろうとしている経済であって, 運輸 。通信関連のインフラの十分 な建設 と直接生産部門の育成が今後の基本的 な開発課題 となるもの と考 えられ る。 I V 成 長 への基本 的課題 1 . 援 助 吸収能 力の強化 前節 で述べ た よ うに, マ クロ経済 あ るいは部 門別経済の いずれの動 向か ら も, カ ンボ ジアにおけ る開発課題 は,国 を挙 げて インフラ建 設 と直接生産部 門の活 性 化 に努 め るこ ととい うこ とが で きる。 しか しなが ら,現 状 で も政府 資本支 出 の80%以 上 と政府経常支 出の20%以 上 を公的援助 に依 存 してい るカンボ ジアに とって最 も重要 なの は援助 吸収能 力の強化 とい う一 ″点につ きる。現在 の経済発 展段 階 を考慮 す る と, 当 面 は, 政 府 が公共投 資 に よって インフラを整備 し,外 国民 間資本 に よって製造業や農業 の生産拡大 をはか る とい った方 向が一応考 え られ るが,い ずれに して も,調 達 資金 を効率 的 に利用す るこ と,そ して直接 ・ 1 3 ) イ ンフラ部 門を政府が, 直 接生産部 門を民間企業が担当す るといった考 え方は, す でに 実態に即 していない。 民間企業が国際的 な共同体 をつ くるな どして商業ベー スで発展途上 ノ
カンボジア経済 :復果から成長への課題 191 間接 に生 み 出 され た貯 蓄 を再 投 資 に まわす ため の貯 蓄投 資機構 (銀行制度等) を十分 に構築 してお くこ とが重要 であ り,公 共投 資及 び民間投 資の効率 的 な実 施 運営管理 と財政金融機構 の整備 且つ それ らの円滑 な運営 といった全 ての局面 に必要 なあ らゆ るレベ ルの人材確保 と制度組織 の整備 を実行 しなければ な らな い。 このような意味での援助吸収能力の強化 をいかに着実に実現で きるかが, 今後のカンボジア経済の行方 を大 き く左右す るといって もよいであろう。 2.国 際経済関係の再構築 と強化 カンボジアの周辺に位置す るタイ,ベ トナム,ラ オスは, 自国の経済発展 を お互 いの相互依存関係の中で,さ らにはイン ドシナ半島に隣接す る経済地域 (中 国雲南省, ミャンマー,華 南経済圏など)と の国際経済関係 を一層強化す るな かで推 し進め ようとしている。 カンボジアは東南アジアにおいて経済地理的にはむ しろ有利な位置にあると 考 えられ るので,そ の効果的な経済開発は,経 済部 門間の投資配分 と同時に空 間的な投資配分 を考慮 した ものでなければならず,例 えば,タ イ,ベ トナム, ラオス との間で どの ような経済取引関係 を築 きどの ような運輸 ・通信ネ ッ トワ ー クを整備 することがカンボジア経済を有利に導 くのか,政 府は常に考慮 し関 係国 との政策対話 を推進 しなければならない。 カンボジアは,ラ オス と同様 に1997年にアセアン加盟が予定 されている。ア セアンや AFTA(ア セアン自由貿易地域)へ の参加が,カ ンボジアに独立的に 発言で きる多 くの機会 をもたらす とすれば,同 国が経済地理的な有利性 を顕現 させ 国際的なインフラ・ネ ッ トワー クのなかで経済発展 を遂げ る可能性がある。 当面の問題 は,そ うした発言の機会 を最大限有効 に活用す るための人材,つ ま リベ トナムや タイだけでな く国際地域社会の議論 を リー ドさえで きる人材の確 ヽ 国のインフラ整備 を推進 している例 は世界的に観 て も少 な くない し,最 近は 日本において も政府開発援助 の枠組 において一定 の条件や環境の下 でこ うした開発条件 の実施 を支援す る といった考 え方が明 らかに されている。 14)ア セアン加盟に必要 な事務費用の結 出 と制度組織改革が焦眉の急 となっている。
保 であ る。 3。 開発計画指針 の作成 と政策調整 今 後 の経 済開発 の諸局 面 では,政 府部 門が引 き続 きイエ シアテ ィヴを とらざ るをえない。長期 的観 ″点か ら政府 自身の機能 強化 を含め た具体 的 な開発戦略や 部 門別 開発指針 を作成す る必要 が大 きい。 その うえで政府 開発援助や外 国民間 直接投 資 を受 け入れ るのでなければ,い たず らに援助条件 に関わ る財政支 出が 増大 した り,ニ ー ズ とシー ズの ミスマ ッチ等 に よって外 国民間企業が事業半ば で撤 退す るな ど,カ ンボ ジアの長期 的 な経 済発展過程 を阻害す る恐れが拡大す る。 カンボ ジア国民経 済の長期 的 な発展 と国土整備 の方向 を念頭 において,投 資案件相互 の連 関 を保持 し投 資資金 の効 果的 な配分 の枠組 を提示す るこ ととそ れ を 「透 明性」 を もって順 守す るこ とが必要 であ る。協 力 をす る側 に とって も, こ うした枠組 を踏 まえた うえで設計 した案件 を提示す るこ とに よ り,カ ンボジ ア側 のユー ズに適合 した国際協 力 を実施 で きる余地が拡が る もの と考 え られ る。 また,政 府 内にお いて,単 に開発指針 を立案 。提示す るだけでな く国際協 力 の受 け入れ窓 口 とな り,援 助条件 のエー ズ適合性 を検討 し実施状況 をモニ ター で きる強力 な援助 調整機 関が重要 であ り,カ ンボジアにおいて もこれ を担 当す るCDCを いか に強化 してい くか力垢呆題 であ る。 幹 線道路 の整備 ,電 力開発,国 内航 空網 の整備,国 際 。国内通信サー ビスの V 国 際協 力の方向 1 . 大 規模援助 と小規模援助 のバ ランス確保
15)短 期的的な視点か らは,以 下の計画文書が公表 されている。The Royal Government of Cambodia,Implementing the National Programme tO Rehabilitate and Develop Cambodia,February 1995.
16)カ ンボジア政府においては,カ ンボジア開発委員会 (Council for the Development of Cambodia)が 援助条件のス クリーエ ングや政府内の援助調整 を担当 している。しか し,閣 僚 級 メンバー に よるハ イレベ ル組織であ り, メンバー相互の政治的思惑の違いが前面に表 れが ちで有効 な援助調整は行 われていない との評価が一般的である。
カンボジア経済 :復 興か ら成長への課題 供給 など大規模 インフラス トラクチュア ・サー ビスに対す る需要は拡大す るで あろ う。 しか し,一 方では,飲 料水確保や医療サー ビス普及などベー シック ・ ヒューマ ン・ニー ズ (BHN)を 満たすための需要 もまた大 きい。低開発国であ るがゆえに, また,厳 しい内戦 と混乱 を経験 して きたこと,そ していまだ政権 内部 で権力争いが絶 えないがゆえに,人 材や財政資金の不足 さらに条件実施の ための制度的組織的能力 とい う点でカンボジアの援助吸収能力が極めて限られ ていることを踏 まえると,カ ンボジアに対す る国際協力特に BHN分 野への支 援 の在 り方 を考 えるうえで重要 と思われ るのは, ラオスのケース と同様に,第 1に ,著 しい財政不均衡や腕B5な徴税機構に配慮 し大規模 なローカル ・コス ト 負担 を強いるこ とのないコス ト節約的な 「草の根無償援助」,第 2は 「住民ある いは地方政府参加 (participatry development)」の推進である。 カンボジアの 経済社会が置かれている状況 を踏 まえると,こ れ らはいずれ も非常に重要 なス キームや概念 と思われ る。例 えば,直 接の受益者だけでな く現地の中小建設業 者や流通業者が資材の調達等 を通 じ条件実施過程 に参加す ることによって,組 織的にプ ロジェ ク ト管理の ノウハ ウを体得 し訓練 ・教育の必要性 をも実感す る こ とが,該 当分野のための人材 を蓄積す るうえで是非 とも必要である。援助案 件 として も,基 礎的 ・初歩的知識 と経験 を有す る人材の育成 を支援す るような コンポーネン トを含む内容の ものが望 まれる。 2.NIEs及 びアセアン諸国 との協調による経済協力の推進 援助実施 コス トの節約や カンボジア側のニーズに適合 した援助の在 り方 を考 えるうえで もうひ とつの視点は, タイや シンガポールなどとの協調による経済 1 7 ) わ が国の場合, 政 府開発援助 の枠組 で各国に対 して 「草の根無償援助」が実施 されてい る。伝統的な流通経路 を強化 ない し改善す るうえで, また,都 市や農村の市街地 を援助の 受 け手のニー ズに適合 した形で実施 で きるロー カルの業者 を育成す ることに も直結す るこ の スキームは, カ ンボジアの ように未熟な段階か ら国民経済の建設 を開始 しなければなら ない段 階にある国々に とって非常 に有益 なスキーム と考 えられ る。 ただ し,同 国の場合 は, カンボジア側による条件の 自主的な実施 ・管理 ・運営全般 にわたる適切 なモニ タ リングと 評価 システムの整備が求め られ よう。
協 力 であ る。 我 が 国 は1 9 9 2 年1 2 月以来, カ ンボ ジアにお いて総合 農 村 開発 計画 の一 環 でアセア ン諸 国か ら招 いた インス トラクター に よる職業訓練教育や公衆 衛 生教 育 を行 ってお り, カ ンボ ジアだけ でな くアセア ン諸 国か らも高 い評価 を
得ている。このような試みは,技 術水準格差や自然 ・文化条件での適合性を考
慮する単なる効率性志向型の援助条件 というよりは,カ ンボジアの経済復果を
国際地域的な問題 とするための試みであり,参 加国政府のこの地域に対するソ
フ トなコミットメントを喚起するといった重要な効果が期待できる。
さらに,す でに述べ たようにタイは,官 民挙げて 自国内の市場 を深化 ・拡大 す るためにカンボジアや ラオスを経済的に重要 な地域 ととらえてお り,例 えば タイ東部 に位置す るウボンラチャタニ県のやは り我が国の援助で開設 された職 業訓練所 には,す でにラオスか ら研修員 を受け入れつづ けてお り,今 後はその 数 を増加 させ ラオスに対す る技術協力 を強化 してい く予定 であるとい う。 カン ボジア も遠か らず タイ財界の具体 的かつ正式な 目標 となることはまちがいな く, 特 にポル ポ ト派問題 との関連 では,タ イ東部の経済開発が進むに したがって, タイ企業がカンボジア との通常貿易取引の拡大 を望む ようになれば,ポ ルポ ト 派の経済力の相対的 な低下 を通 じてカンボジア経済 自身は勿論 のこ と,イ ン ド シナ経済が加速的に新 たな展開 を示 してい くこともあ り得 よう。 カンボジア国内におけ る開発援助条件の実施 に関 してタイなどアセアン諸国 の協力 を仰 ぎ連携 を強化 してい くことは,ひ とリカンボジアのみならずイン ド シナ地域全体 の経済発展ひいては政治的な安定に寄与す るもの と考 えられ る。Cambodia:Constraints for EconoIIlic
Reconstruction and]Development
Ketti Domoto
This paper attempts to clarify the constraints for econornic
development of Cambodia frorn short and long term vie、 v points.
Three years and half after UNTAC operation in the country shows that reconstruction process in Cambodia has been a process to
make a political comprornise among people 、 vith significantly
different backgrounds and ambitions. lrhe p01itical stability as
presumption for steady econonlic reconstruction and gro、 vth has
been getting worse and it is still difficult to give clearly a prospect about the"take一 off"of CambOdian economy.Ho、 vever an attempt was placed on specifying cOnditions and constraints for further
econoHlic development to be tackled、vith by lnajor political parties and their leaders to keep up the fruits of、vorldwide collaboration for CambOdia in 1993.