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日本における企業経理近代化の系譜(両頭正明教授退官記念論文集)

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円 r ト ト ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー

日本 にお ける企業経理近代化 の系譜

久 保 田

秀 樹 I は じめに 日本では証券取引法会計 において,連 結決算の他,個 別決算 も行われている。 証券取引法適用会社 を前提 とすれは,個 別決算 に係 るデ ィスクロージャーに関 しては,商 法 と証券取引法 による規制が,い わば 「二重」に行われている点が, 制度上の 日本の特徴 といってよい。歴史的経緯 を振 り返れば,特 に,明 治期来 の商法会計 と第二次大戦後 に成立 した証券取引法会計 との調整 という,戦 後の 日本の企業経理の課題が達成 された結果 として 「二重」の制度が成立 した とい うべ きであろう。 筆者 は,以 前,会 計類型 としての 「アメリカ型」 と 「ドイツ型」 とについて 論 じたことがある (久保 田1994)。そこでは,資 本主義の類型化 との関わ りで, 会計制度の類型化 を試み,制 度がその上壌 と不可分の関係 にあることを確認 し た。そのことを踏 まえていえば, 日本の証券取引法会計 をアメリカ型 との比較 において,そ の 「不備」 について指摘 してみて も,制 度 とい うものがその上壌 の影響 を受けざるを得 ない,ま たそれな りの 「改造」 を加えないと異質の上壌 に移植することが不可能であるとすれば,そ の指摘 には最初か ら限界があると いえるだろう。む しろ,そ の 「不備」 または 「改造」 こそが 日本的特質である とみて,積 極的に評価すべ きであろう。 戦前か ら戦後 にかけての日本経済全体の変化の節 目を 「産業合理化運動期」― 「戦時体制期」 ― 「戦後経済改革期」 と理解するならば,こ れ らの各時期 に企 業会計上 も重要な基準が登場 している。『財務諸表準則』,『会社経理統制令』 お よび 『企業会計原則』がそれぞれの時期 に対応することになる。 これ らの基 準の特徴 は,当 時 も現在 も企業経理の規制の中核 に位置する商法の経理体系の

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外 で経済官庁主導 中心 で展 開 された点 にある。つ ま り,戦 前 は,『財務諸表準 貝J』一 「商工省」 と 『会社経理統制令』 ― 「大蔵省」等 (個別事業法 に規制 さ れる法人については,各 主務官庁)と い うように,経 済官庁中心 による会社経 理規制が行 われた。戦後 も,商 法会計の所轄が法務省であるのに対 して,証 券 取引法会計 に関 しては,当 初 は経済安定本部,そ の後 は大蔵省 によって企業経 理規制が行われて きた。 この ように,経 済官庁 による会社経理制制 とい う点で は,戦 前戦後 に承継性が存在する。 また,商 法 とは別個のフイール ドで,商 法 を補完するもの として会計基準が制定 されるとい うや り方 も,『財務諸表準則』 に始 ま り,そ の後の 『会社経理統制令』や 『企業会計原則』 において継承 され ている。 本稿 では,産 業合理化運動期,戦 時体制期及び戦後経済改革期 において,そ れぞれ企業経理近代化の実験場 としての役割 を担 って きた,『財務諸表準則』 や 『会社経理統制令』そ して 『企業会計原則』 について,「 日本型」企業経理 近代化の系譜 として考察す ることを課題 とする。 工 産 業合理化運動期一 『財務諸表準則』 第一次大戦後の各国は,経 済復興のため合理化運動 に努めていた。 日本で も, 昭和の金融恐慌 に始 まった不況か ら抜 け出す ことな く,そ の後の世界的大不況 に晒 された経済の打 開策 として,産 業合理化運動が開始 される。具体的には, 1930年(昭和 5年 )6月 に商工省 に臨時産業合理局が新設 され,そ の指導の下 に 産業合理化が展開された。産業合理化 について,当 時,臨 時産業合理局第二部 長 と商工省工務局長 を兼任 していた吉野信次 は,次 の ように説明 している。 「言葉其物 よ り論ずれば,産 業合理化 とは読んで字の如 く産業 を合理的に経営 す ることを意味す るにす ぎない。合理的 と云 うのは科学的 と云 うの と略々同 じ であって,科 学的精神 に依 って事業 を経営する意味であろう。…従来の科学的 管理法 は主 として私経済的であ り,所 謂産業の合理化 は国民経済の全局か ら考 慮す る と云 う点 にある と思 う。」 (通商産業省編1961,第 9巻 ,4-5頁) 日本の産業合理化運動 は,欧 米 に比較 して遅 く開始 された。運動の中心は,

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日本における企業経理近代化の系譜 105 企業統制 と貿易振興であった (安藤1965,117頁) 。そのための具体的施策 とし て,様 々な規格統一がはか られた。例 えば,紙 片や食品容器の規格統一等であ る。先の吉野信次の証言 によれば,貸 借対照表の様式統一 もいわばその一環 と もいえる (安藤1965,126頁) 。 科学的管理法 として,動 作研究,時 間研究等 とともに,原 価計算等の財務関 係 の具体的事項 も等閑で きない として,財 務管理委員会が設置 され,当 委員会 が企業経理の合理化 を担 当 した。当委員会の審議項 目は以下の ものであった ( 通商産業省編1 9 6 1 , 第 9 巻 ,57頁 )。 一、事業会社の財産目録,貸 借対照表,損 益計算書及び損益金処分書の内容 を統一,明 確又は精細 にすること 一、各種業別の標準的簿記を定むること 一、中小商工業の簡便なる標準簿記を定むること 一、適正なる損益金算出の基準方式 を定むること 一、財産評価に関する一般的原則 を定むること 一、固定資産の減価償却の合理的方法 を定むること 一、各種事業別に標準的原価計算方法を設定すること 一、事業会社の財務及予算 に関する研究 一、帳簿,伝 票,書 類 を標準化すること 当委員会は,1930年 8月 の設置以来,標 準財務諸表の草案 を未定稿 として以 下の ように精力的に公表 した。 1 9 3 0 年 標 準貸借対照表 1 9 3 1 年 標 準財産 目録,固 定資産減価償却準則,標 準損益計算書 1 9 3 2 年 資 産評価準則 1 9 3 3 年 原 価計算基本準則 関係各方面か らの意見聴取の後,こ れ ら草案の うち,標 準貸借対照表,標 準 財産 目録お よび標準損益計算書の内容 を一括 し確定稿 として,1934年 (昭和 9

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年)に公表 されたのが 『財務諸表準則』である。尚,『資産評価準則』 は,1936 年 (昭和 11年)に 『財産評価準貝J』として,ま た 『原価計算基本準則』は,1937 年 (昭和 12年)に 『製造原価計算準則』 として確定 。公表 されている。『財務諸 表準則』の構成 は以下の通 りである。 序 貸借対照表 財産 目録 損益計算書 『財務諸表準則』の内容 は,財 務諸表の形式 を規定 しようとするものである。 それについては,次 の ような当時の事情があった。明治32年に大陸系の商法が 制定 されたが,商 法の規定 によつて作成 される貸借対照表等の書類は,会 社 ご とに様式が異 なっていた。 イギ リス, ドイツでは,『財務諸表準則』公表当時既 に法令 において貸借対 照表の様式 を規定 していた。その ことは,『財務諸表準則』の序 において も指 摘 されている。 したが つて,商 法の体系の上部 として命令で規定することは, 十分 あ りうる選択 であ った。1931年(昭和 6年 )の商法改正要綱では,「財産 目 録,貸 借対照表及び損益計算書 は命令 を以て定むる様式 に準拠 して之 を作成す べ き旨の規定 を施行法 中に設 くること」 (第百三十三)と して,様 式統一が計 画 されたが実現 されず,財 務諸表の様式 に関す る初の公的プロナウンスメン ト としては,商 工省主導の合理化運動 の一環 という形で,『財務諸表準則』が現 れたのである。 なお,商 法の様式 を法令 として規定す る 『計算書類規則』 (法 務省令)力浦J定されるのは,第 二次大戦後の1963年(昭和38年)であった。 『財務諸表準則』は,直 接的には,商 法の書類および公告の貸借対照表等の 様式統一を目的としている。すなわち,「第一 総 則」において次のように定 めている。 「一 本 準則 に定 むる貸借対照表 は商法第26条の規定 に依 り,決 算 に際 して作 成 すべ き貸借対 照表 に付 之 を走 む。其 の他 の場合 に於 ける貸借対照表 も,

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日本における企業経理近代化の系譜 1 0 7 之 に準 じて作 成す る を可 とす 。 二 本 準則 は株式会社 に於 いて株 主総会 に提 出すべ きもの に付 之 を定 む。商 法 第 1 9 2 条第2 項の規 定 に依 り公 告 す る もの も亦事 情 の許す 限 り之 と同一 た るべ し。」 『財務諸表準則』 自体 は,産 業合理化策の一環 として制定 されたものである が,企 業経理の問題 に限定 していえば,ア メリカ型銀行条例 とイギ リス型経理 実務慣行 にルーツを有する産業界の実務慣行 と,大 陸系商法の規制 との調整 と い う課題 を担わされることになった (片野1968,149頁)。だが,『財務諸表準則』 は,法 的拘束力 を得 なかったため直接,企 業 に普及するには至 らなかった。大 田 (1968)の回想 によれば,実 務家代表の委員か ら強制適用 に関 しては強い抵抗 が表明 された とい う(大田1968,118-119頁)。 しか し,当 時の会計教科書の三分 の一以上 または多 くの会計学文献が,そ の教科内容 に 『財務諸表準則』 を採用 し,大 会社 の相当数は,『財務諸表準則』 を参照 して決算書類の様式 を改善 し た (黒澤1990,258頁)。尚,財 務管理委員会は,戦 後の企業会計審議会 に幾分 その流 れ をとどめた とい う (大田1968,97頁)。 『財務諸表準則』は財産 目録 について も規定 しているが,そ れは,当 時,貸 借対照表が,財 産 目録 に基づいて作成 されるべ きもの とする 「財産 目録主義」 を とっていたためであった (黒澤1990,242頁)。 しか し,財 産 目録の評価額 に ついては,次 のような規定が設けられ,貸 借対照表上の評価額以外の額 も付す ることがで きることが示唆 されている。 「資産及負債 の各科 目に付すべ き金額 は,貸 借対照表 に記載すべ き金額 と同一 たるべ きもの とす。但 し必要ある場合 には之 と異なる価格 を参考 として説明に 加 えることを得。」 (第一 総 説,八 ) 先述の1930年に公表 された 『標準貸借対照表草案』 に対 して も,既 にアメリ カ会計士協会 (AIA)の特別委員会の貸借対照表 に関す るモデル ・ステー トメン ト 『財務諸表の検証』 (“VerFication of Financial Statements",in:拘物物 aι ザ ムCCθ物物ιattcy,May 1929)が大 きな影響 を与 えている とい う (黒澤1990,

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2 0 7 頁)。また,損 益計算書の標準様式 については,当 時の 日本の大会社その他 ほ とんどすべての会社が損益状況 を明細 に報告することを回避する秘密主義 を とっていたので,イ ギ リスの伝統的な様式が採用 された (黒澤1990,258頁)。 この ように,少 な くとも,骨 格 においてはアメリカの影響 を受けつつ も,商 法 の計算規定 との整合性 をはかるための変更や,他 国の制度の一部接合 といった 「改造」がなされている。 これ らはいずれ も,ア メリカ型か らの 「乖離」 とし て理解するよりも,ア メリカ型制度の 「日本化」 として積極的に評価 されるベ きであろう。 片野 (1968)は, 『財務諸表準則』 について次の ように評価 している。 「昭和 9年 の商工省 ・財務諸表準則 は,明 治初年 ア ングロ ・アメ リカン系 の 『損益及 び利益処分混合計算』 を中核 とする会計方法の導入 によって発足 した 日本の株式会社会計制度が,そ の後20年を経てゲルマ ン ・フランコ系の債権者 保護 目的の財産 目録計算 を中核 とする会計方法 を吸収 し,さ らに,40年 の経験 を通 してこの二つの系統の会計方法が調整融合 されて成 った 日本式株式会社財 務諸表制度 の規範 としてで き上がった ものであった。」 ( 片野1 9 6 8 , 1 7 0 頁) 戦後の ドイツ型商法会計 とアメリカ型証券取引法会計 との調整 に見 られる, 異 国にルーッを持つ制度間の調整 とい う課題 は,既 に明治32年商法制定時以来 の ものであ り,そ の調整の成果が 『財務諸表準則』であったとの評価 は興味深 い。 回 戦 時体制期一 『会社経理統制令』 1932-1933年頃の統制 は産業振興がその 目標 であったが,そ の後,著 しく軍 国調 を帯 びて,次 第に強化 されていった (大田1969,138頁)。すなわち,産 業 合理化運動が恐慌か らの脱出を目的 として,個 別資本家お よび官僚の指導の下 に行 われたのに対 し,企 業経理 に対する統制強化 は,当 時の 「新産業合理化運 動」の一環 として軍部 を中心 に行 われた (通商産業省編1961,第 11巻,441-442 頁)。 日中戦争下での経済統制の目的で,陸 軍 と海軍は,そ れぞれ軍需品工場事業

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日本における企業経理近代化の系譜 109 場 に対 して,経 理統 制 の体 制 を整備 してい く。陸軍 は,『陸軍軍需品工場事業 場 原 価 計算 要綱』 (1939年:昭和 14年)を ,海 軍 は,F海 軍軍需 品工場事業場原 価 計算準則 』 (1940年:昭和 15年)を 作成 した。 また,こ れ らを前提 に,「陸軍 省 」 経 理局 は,『陸軍 軍 需 品工 場事 業場財務 諸表準則』 (1940年)を ,そ して 「海軍省」経理局 は,『海軍軍需品工場事業場財務諸表作成要領』 (1940年)を 公表 した。 陸海軍 による経理統制は,強 制力 を伴 うという点で 『財務諸表準則』 とは一 線 を画す る ものであ り,そ の意味で も影響力 は大 きかった。例 えば,陸 軍の 「会計監督官」や海軍の 「監査官」の大部分 は,「・・。それぞれ軍の経理学校で 訓練 を受けた後,現 職の主計将校 とともに,全 国各地の工場事業場に派遣 され, …会計監査,原 価監査,適 正価格の形成に関する業務に従事」 (黒浮1990,417 頁)し たのである。こうした経理統制が,戦 時下の軍事 目的の もの とはいえ, 企業経理の近代化 について一定の影響 を及ぼ したことは事実であろう。軍需工 場 に対す る,陸 軍省や海軍省 による経理統制に呼応 して,一 般会社 に対 しても 『会社経理統制令』 (1940年:昭和15年)に 基づいた大蔵省 をは じめ とする官 庁 による経理統制が開始 される。 『会社経理統制令』 は,1939年 (昭和14年)4月 1日 から実施 された 『会社利 益 配当及資金融通令』の うち,資 金融通 に関する部分 を 『銀行等資金運用令』 として分離 し,他 方,従 来の F会社職員給与臨時措置令』 を吸収 して公布 され た。つ ま り,企 業資金統制 としての配当制限 と,物 価統制の一環 としての賃金 ・給与統制 を企業経理にまで踏み込んで実現 しようというものである。大蔵省 が主 な所轄官庁 となっているの もそのため と考えられる。 同功令 は,そ の第一章総則の第一条 において,『国家総動員法』 にもとづい て公布 されたことを明 らかに した上で,第 二条で,会 社が 「国家 目的達成ノ為 国民経済二課セラレタル責任 ヲ分担スルコ トヲ以テ経営 ノ本義」 としている。 この国民経済的目的にのために経理 に関 して,以 下の事項 を守るべ きことを規 定 している。 1 . 資 金及び人的 ・物的資源の有効 な活用

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2.経 費支出及び資産償却の適正化 3.給 与及びその支給方法の適正化 4.利 益配分の適正化 と自己資金の蓄積 そ して,そ の具体的方針 として,第 二章以下,次 のような規定 を置いている 第二章 利 益配当及び積立金における利益配当の適正化 と企業の基礎の堅実化 第三章 役 員及び社員給与 における給与の適正化 第四章 経 費及び資金 における経理監督及びその一部 を構成する臨時資金調 整法の補足的金融統制規定 第五章 経 理検査 における経理統制の基本 となるべ き書類の調整及び実地検査 第六章 雑 則 第二章か ら第四章 までの当勅令の主要部分 は,利 益処分 ない しは人件費 とし て会社か ら流出す る資金 に対 して歯止めをかけるための規定 となっている。そ こでは,利 益処分や人件費の細 目について,そ の上限を丹念 に定め,社 外流出 を防ごうとしている。経理検査や,財 務諸表の作成 については,第 五章 におい て ようや く,そ うした歯止めを実効あるものにするための手段 として規定 され ているにす ぎない。つ ま り,経 理統制体制 は,臨 時資金調整法体制 と相補的に 企業資金 に統制 を加 えようとした ものであった (柴田1992,12頁)。 したがって, 企業経理の近代化 を直接,目 的 としたわけではない。「目的」 は,あ くまで資 金統制や賃金 ・給与統制であって,会 社経理はその 「手段」で しかない。 しか し,『会社経理統制令』 によって一般社会 に対す る大蔵省の経理統制権限が確 立 され,そ れは戦後 にも承継 されてい く (柴田1992,37頁:千葉1998,97頁)。 因み に,『会社経理統制令』の第36条に規定 された閣令 として,企 画院によ る 『財務諸準則』が準備 され,1941年 (昭和16年)に 草案が公表 されたが,確 定稿 として法制化 されることはなかった。

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日本における企業経理近代化の系譜 111 1 V 戦 後経済改革期 一 『企 業会計原則 』 戦前か ら戦後にかけての 日本経済全体の変化の節 目を 「産業合理化運動期」― 「戦時体制期」 一 「戦後の経済改革期」 として整理す るな らば,『財務諸表準 則』,『会社経理統制令』お よび 『企業会計原則』力ざそれぞれの時期 に対応す る ことになる。戦後の改革 について,基 本的な体制 は 「戦時体制」の継続であっ た とい う見方があるが (野口1995,15頁),企 業経理 に関する限 り,戦 後改革の ルーツは,戦 時体制 にあるとい うより,戦 時体制以前の合理化運動 に求め られ るべ きであろう。つ ま り,戦 後改革は,戦 時体制の継続 とい うよりも,昭 和初 期 の産業合理化が,戦 中,戦 後 と徐 々に高度化 されてい くプロセスの一環 と見 る方が妥当の ように思 える。 産業合理化 は,先 に引用 した吉野信次発言 にあるように,産 業 における 「科 学的精神」の発露であ り,そ の後の経理統制 も,そ の上 に築かれた科学的精神 の一段 の進展 といえよう。例 えば,戦 後の 『企業会計原則』 について も 「企業 会計原則の設定 について」 において 「…,先 ず,企 業会計原則 を設定 して,我 が国国民経済の民主的で健全 な発達のための科学的基礎 を与 えようとするもの である。」 (傍点筆者)と 述べ られている。 産業合理化運動で提起 された企業経理近代化 とい う問題 は,戦 時体制 によっ て,そ の一部 とはいえ,実 現 した。例 えば,近 代会計 は,製 造業の利益計算 と して展 開 され,具 体的には原価計算の利益計算への接合 として顕現 した。 した が つて,原 価計算 は,価 格決定等の内部 目的にとってのみ重要なのではな く, 財務会計 に とって もその精級化 と普及 は決定的な意味 を持つ。戦時下での原価 計算 は,軍 需品工場での適正利潤の決定等 にとって不可欠であ り,そ の精級化 ・普及が図 られた。それが結果 として近代会計,つ まり製造業の利益計算の精 級化の素地 となったのである。 しか し,国 家総動員法体制下で軍部の要求 を契機 に,『会社経理統制令』 に よつて出現 した,大 蔵省主導の会社経理統制 も,そ の統制権限は未だ強力では なかった。戦時体制 とい う契機 を以て して も実現で きなかった改革は,第 二次

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大戦後 ,占 領軍総司令部 (GHQ)と い う 「外圧」 によつて実現 した。 この点 に ついて,大 田 (1968)は次のように証言 している。 「売上高 は勿論,仕 入高 も原価計算の総括 もこれによれば明 らか となるのであ る。 この ような情勢 に導いたことについては,占 領時代 の米軍の圧力が強力で あったことは事実であるに して も,企 業経理 に関す る認識 と理解の進歩 したこ とについては感慨無量 なものがあるのである。」 (太田1968,119頁) 『財務諸表準則』力S掲げた財務諸表の様式統一 という目的は,結 局,未 達成 の まま第二次大戦後 に持 ち越 された。「企業会計原則の設定 について」の文頭 では, 日本の企業会計制度 について以下の ように述べ られている。 「我が国の企業会計制度 は,欧 米のそれに比較 して改善の余地が多 く,且 つ, 甚 しく不統一であるため,企 業の財政状態並びに経営成績を正確に把握するこ とが困難な実情 にある。」 1949年(昭和24年)に設定 された 『企業会計原則』 は,「公認会計士が,公 認 会計士法及び証券取引法 に基 き財務諸表の監査 をなす場合において従 わなけれ ばな らない基準」 (二の 2)と して,市 場指向型の会計 を確立す るための もの であった。 しか し,同 時に商法や税法の計算規定の近代化 も最初か らその目的 に含め られていた。すなわち,「企業会計原則 は,将 来 において,商 法,税 法, 物価統制令等 の企業会計 に関係ある諸法令が制定改廃 される場合 において尊重 されなければならない もの」 (二の 3)で もあった。 『企業会計原則』 は,以 下の構成か ら成 る。 第一 一 般原則 第二 損 益計算書原則 第三 貸 借対照表原則 損益計算書 と貸借対照表の様式 を規定 している第二 と第三 に関 しては,構 成 上,『財務諸表準則』 を承継す るもの ともいえる。財産 目録の様式規定が除か れてい る点,及 びその上位原則 として 「第一 一般原貝J」を冠 している点 に 『企業会計原則』の構成上の特徴がある。

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日本における企業経理近代化の系譜 113 戦後の会計制度の改善 に関 して, ア メリカの制度 にならいたい旨を述べ た黒 澤 (1979/80)は, 「 しか し日本 にはA m e r i c a n l n s t i t u t e o f A c c o u n t a n t s のよう な有力 な民間団体 はない。急 に会計制度 を組織せ よといわれた ところで,そ れ はで きない相談である。」 とし,そ の理由 として,日 本の公認会計士制度や証 券取引委員会が,ア メリカの ような長い歴史の所産ではな くて,戦 後の民主的 改革の機運 に乗 じて急激 に作 られた ものであるか ら,機 構や形式はで きて もそ の内容が未だ存在 しなかったことを挙げている (黒澤1979/80〈5〉 ,101頁)。 そ して,ア メ リカの証券取引委員会 (SEC)の役割 を担 う,一 定の権限を有 した 「会計基準委員会」の設立が主張 されている (黒澤1979/80〈5〉 ,101頁)。 結果 としては,「会計基準委員会」 は実現せず,ア メリカの民 間団体 に期待 される役割 を当初 は経済安定本部,そ の後は大蔵省が担 うことになる。この意 味 で も,『会社経理統制令』 による大蔵省主導の経理統制 は,戦 後の証券取引 法 に基づ く経理規制の下地 となった とみなす ことがで きるだろう。 V 結 び に代 えて 現行 の会計制度 について、「トライアングル体制」 に起因する硬直性が批判 の対象 となっている。そ うした現状 に対する批判 について,そ もそ も何故そう した 「不合理」 な制度が存在するのだろうか。特 に、個別財務諸表 に関 して、 商法 と証券取引法 とが完全 にダブっている点 について、現行の制度 だけを見る 限 り、不合理 に しか見 えない。 しか し、それが不合理 として従来意識 されてこ なかったのは、歴史的経緯 ゆえであろう。結局、現行制度 に対する批判の直接 的契機 は、国際化 とい う 「外圧」である。そ うした 「外圧」がなければ、 ド メ ステイックな基準 としては 「トライアングル体制」は、良 くできた制度である。 それは以下の理由による。すなわち,第 二次大戦後導入 された証券取引法会計 のみならず,申 告納税制度が第二次大戦後導入 されるにあたって,税 務会計 も 実質的に新規 に整備する必要があった。つ ま り,証 券取引法会計 と税務会計の 一か らのスター トと,商 法会計の近代化 とを同時に図るという計画が成功 した 結果が,「 トライア ングル体制」 とい うことがで きよう。証券取引法会計や法

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人税法 が詳細 な計算規定 を整備 し,そ の詳細 な規定 を もって商法会計 にお ける 会計処理 を補完 して きたのであ る。 市場指 向型会計 と しての証券取引法会計が アメ リカにルーッを持つか らといっ て,モ デル となったアメ リカの制度 をあ るべ き姿 と して,日 本 の制度 の不備 に のみ着 目す る必 要 はない。その ルー ツ とは異 質の ものであ る とい うの は,あ る 意味 で当然 の こ とであ り,そ の異 質性 こそが 「日本化」 を示す ポ イ ン トであ ろ う。そ こには,日 本の経済,及 びその構成要素 としての企業の特徴が反映 され ているとか らである。 例 えば,会 計制度の 目的が国民経済の適切 な運営 にあるとい う点は,『財務 諸表準則』において も,そ の 「序」 に伺 うことがで き,ま た 『会社経理統制令』 では第2条に明記 されているが,こ のことは今 日で も変わ りはない。この点は, 「日本型」会計の特徴の一つ として掲 げることがで きよう。例 えば,新 井 ・白 鳥 (1991)は海外 向けの 日本の会計制度の解説の中で以下の ように述べている。 「…,会 計基準や会計法令は,究 極的は,国 民経済全体の発展に貢献 しなけれ ばならない とい う点 については,一 般的理解があると思います。」 (新井 ・白鳥 1 9 9 1 , 1 7 頁) 商法サイ ドか ら証券取引法会計お よびその実体規定 としての 『企業会計原則』 並 びにその後の企業会計審議会 による公表物 (以下では 『企業会計原則等』 と 総称す る)を 眺めると,商 法の近代化 の実験場 とみることがで きる。「実験」 の後,そ の一部が商法改正の際,逐 次導入 されて きた。例 えば,会 社の計算 に 関す る,第 二次大戦後の主な商法改正 としては以下の ものがある。 1 9 5 0 年(昭和25年)ア メリカの法制度導入のための大改正,新 株発行費用の資 産計上許容,法 定準備金 を利益準備金及び資本準備金の 2種 に区別。 1 9 6 2 年(昭和37年)損 益法原理の大幅導入,資 産別評価規定 を新設 (流動資産, 固定資産,金 銭債権,社 債その他の債券,株 式その他出資,の れんの評価規 定),繰 延資産の範囲 を拡大 (開業費 ・開発費 ・試験研究費 ・社債発行費の 繰延処理規程 の新設),引 当金規定の新設等。昭和38年に商法計算書類規則

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日本における企業経理近代化の系譜 115 を制定 。 1 9 7 4 年(昭和 49年)公 正 なる会計慣行 の掛酌規定 の新設,財 産 目録 の作成義務 の廃止 ,商 法計算書類規則 を改正 。 1 9 8 1 年(昭和56年)会 計 監査 人監査 の強制 ,営 業報告書 ,引 当金規定 の改正 , 商法計算書類規則 を改正等 。 1 9 9 0 年(平成 2年 )最 低資本 金,株 式分割等。 これ らの改正 の うち,特 に,昭 和37年改正 における損益法原理の大幅導入, 昭和 5 6 年改正 にお ける会計 監査 人監査 の強制等 は,証 券取引法会計 お よびその 実体規定 としての 『企業会計原則等』での 「実験」 を経た後 に商法に導入 され た,企 業経理近代化の成果 とみなす ことがで きよう。まさに,「・・・,『企業会計 原則』お よびそれか ら導 き出 された会計諸基準 との間に,複 雑かつ密接 な交互 作用 (ない しは相互浸透)が 生 じ, 日本特有の会計制度が発展 したのであった。」 (黒澤1979/80く9〉 146頁) 近年,『企業会計原則等』の存在意義が不明確 といわれる。その理由として, 商法の計算規定の近代化が実現 した結果,『企業会計原則等』の役割が不明確 化 した とい うこともで きよう。 しか し,そ れはあ くまで個別財務諸表のみにつ いてである。証券取引法会計の開示情報の うち未だ商法 に導入 されていない, 中間財務諸表,連 結財務諸表,キ ャッシュフロー計算書等 については,『企業 会計原則等』の企業経理近代化の 「実験場」 としての役割は依然 として生 き続 けている。

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参考文献 新井清光 ,自 鳥庄之助 ,1991「日本 における会計の法律的及び概念的 フレームワーク」,日 本 公認会計士協会。 安藤 良雄,1965『昭和政治経済史への証言 上 』毎 日新聞社。 大 田哲三,1968『近代会計側面誌 :会計学の六十年』中央経済社。 片野一郎,1968『日本財務諸表制度の展 開』同文舘。 久保 田秀樹 ,1994「会計類型 としての Fアメリカ型』及 び 『ドイツ型』の特色」 『彦根論叢』 第289号。 黒澤清,1979/80「資料 :日本 の会計制度 く1〉 ∼ 〈16〉」 F企業会計』第31巻第 1号 ∼第32巻 第 4 号。 一一一 ,1990『日本会計制度発達史』財経詳報社。 黒澤清編著, 1 9 7 8 『わが国財務諸表制度の歩み一戦前編 一』雄松堂。 柴 田善雅 , 1 9 9 2 「戦時会社経理統制体制の展開」 F 社会経済史』第5 8 巻第3 号。 千葉準一, 1 9 9 8 F 日本近代会計制度 ―企業経理体制の変遷』中央経済社。 通商産業省編, 1 9 6 1 『商工政策史』第九巻, 第 十一巻,商 工政策史刊行会。 野 口悠紀夫, 1 9 9 5 『一九四〇年体制』東洋経済新報社。

参照

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