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自然科学教育と科学史
松
原
武
夫
・ Education of Natural Science and History of Science. Takeo Matsubara This treats of Natural science in General Education for university students and its relation to the History of science. The contents are as follows; g 1. lntroduction sg 2. The idea of a university and the development of humanism. sg 3. Objectives of Natural Science in General Education. (1) to realize the scientific method and to know what science is. ’ (g) to understand some of the important laws and principles of science. (皿) to explain the social functions of science. L (IV) to indicate and explain the related problems of Natural science to literary and social.sciences. (V) to humanize Natural Science. 6. 4. The importance of history of science. g 5 . A course−plan, ‘Atomic Energy and Humanism’ 〈Homo Sum; humani nihil a me alienum puto> (Terentius) 私は人間である。人間の事は何物も私に無関係とは思 はない。(テレンテaウス)1序 言
今秋京都大学に於て開催せられた日本物理学会に際. して,各分科に亘って数々の研究が発表されたと共に 二つの劃期的事件が起つた。一つは我国にも原子力委 員会を設置すべきか否かに隔ての討論会であり,他は 日本物理教育学会の発足であった。後者に隔ては昨年 度の物理学会に於て始めて科学教育シムポジウムが開 かれたのであるが,今年度も科学教育に就ての研究発 表と討論があって,途にこの学会の発足となったので ある。物理教育学会と云っても軍に物理学プロパーの 教育のみでなく,之を契機として科学教育一般にも亘 るべきことは論を侯たない。原子力委員会に就ては, 原爆の非入道的惨隅を身を以て受けた我国として,原 子力を人類の平和と輻祉のためにのみ用うべく世界入 類の良心に訴え,叉自らも原子力文化の建設に対して 寄與すべき使命と責任を有する我国民として,夙に取 上げるべき問題であったのである。之が学術会議に於 て取上げられたのを契機として,專門上最:も関係の深 い物理学会に些の問題が提起され九ことは誠に憲嚢i深 いものがあると言わねばならない。と云うのは,世界 史の危機に立つ今日,物理学者もその学会も,軍に分 化された挾い專門の中に閉籠っているだけではすまさ れないと云うことであり,大にしては日本が肚界の原 子力文化に貢献する可能陸と希望に関ずる事件である からである。物理学会が,原子力の行方に対して專門 的立場からは固よりtt会文化的立場から深甚な考察を 行い,之に対する見解と決意を社会に訴えその推進力 とならなければならないし,叉物理教育を契機として 弱く科学教育の問題に虞創な考究をしなければならな いのも,第二次世界大戦後に於る入類の歴史的必然の 然らしめるところであろう。私は如上の事実を契機と して,大学に弱る自然科学教育と科学史の問題に就 て,いささか論及し度いと思う。 2大学の理念とヒューマニズムの発展 衆知の如く,我国の大学ほ明治初年ドイツの大学に 範をとって設立せられ,今次大戦後アメリカ教育使節 團の助言により所謂新制大学に切換えられたものであ って,我国の大学の歴史は未だ浅い。併し西孜に於け (一) る近置大学の起源は遠く13世紀に遡る。それはRe− naisance と密接な関連の下に発足し,その理念は遠 くギリシャのヒューマニズムの精肺に立っていること ほ衆知のことであるqヒューマニズムとは,固よりその内容に於て歴史的発展はあるが,要するに人聞の自 覚であり,入間性を.肯定しその発展と充実とを目標と する生活態度であると言えよう。從って入間の償値を 積極的に認め,叉,人間をその全署性に於て見る。こ のヒューマニズムの立場に立ってこそ.かのパドヴァ 大学に於けるガリレオを先達とする近世の自然科学的 探究も,中世的権威主義の姪樵を排しつつ,勇敢に進 められたのである。叉,入間性を全入的に見るヒュー マニズムの立場から,入聞の全人的教育に相豪しく, 当時の諸学は未だ学部に分化せデ,何れも綜合的構造 を有っていたのである。尤もそれは專門の分化が未だ 多岐でなかったことにもよる。近世大学の設立によ り,学問は僧侶と云う特権階級から漸次市民階級に浸 透するに到った。併しその学科内容は所謂 11iberal artsであり,その撫育はLiberal Educationであっ た。ここにルネッサンスの一部分とも見られる宗教改 革が近世教育思想に及ぼした影響は無関することが出 來ない。地上的宗教的権威として千数百年に亘って君 臨していた法皇の媒介を排して,肺と人間との直接的 交渉を自由な個人の良心の内奥に求めんとする宗教改 革の精聯は,個人の入格の尊嚴を確立すると共に,融 の前に於ける万人の不等を宣言したのである。その心 入合一のIk.一.の手懸りとしての天賦の良心を万入に共 通の心(Sensus communis)と見るに到った。この .歯入に共通の心を培5ことこそ,宗教改革が近匿教育 の理念に及ぼした影響であるQかのルッターが聖書の ドィッ語訳を始めて完成して,之を民衆のものとして 論り出し,各個人自ら聖書を味読することによって,紳 と入とが直結するの道を開いたこと,叉,階級と男女 を問わず普通教育の必要性を強調して,所謂Volks− schuleの設立を推進したことはその著い・業蹟と言 わねばならない。イタリャを中心とするルネッサンス は古典:文化の鑑賞によって入格的教養を高めようとす ることに重点がおかれて未だ貴族的臭味を脱しなかっ たが之により高等教育の発達を促進した。而も,その 根源は,ギリシャの特権階級たる貴族や自由市民の ’Liberal Educationであった。彼のペリクレスの時代 ギリシャに於ては全人口の約七割は,奴隷階級に属し ていたと云う。然るに,ドイツを中心とする宗教的改 革は庶民的であり,所謂‘共通の心,としての道徳的 宗教的意識の覚醒によって一般民衆の教養を高め普通 教育の発蓬を躍進せしめたのであるQニュートンの不 朽の名著‘Principia’は1687年{こ出版せられて,近 世科学はここに確立せられ,更に18世紀は,ニウトンカ (2) 学の形式的並に憲用的発展の時代であった。而して, 機械的自然観は思想界を風靡するに到った9一方,自 然科学と知性を中心とする啓蒙主義が18世紀に撞糊 したが,之は丈学,藝三等の他のN文贋値を軽即する 傾向があった。この没文化の時代を救わんとして登場 したのが18世紀後牛のNeu−humanismusである。ド イツのゲソテインゲソ大学を中心として展開された新 蓮動であり,ハイネ,ヘルデル,ヴィンケルマン,ゲ ーテ,ブソボルトを始め哲学者カント等により代表さ れる。教育学者ペス白化ッチもこの中には入る。 Neu−humanismusにより,入間性に於ける論理的,倫 理的及び美的と云う三大性格が解明せられたのである が,その哲学的基礎付はカントによって與えられた。 この三大入間性の調和と均衡のとれた発達が教育の目 標とせられ,その美わしい調和的発達が実践理性の優 位の下に道徳的根本力の基調に顧て可能であるとす る。而して,その究極的根拠が.入間の自己意識の中に 確立されたのである。かくして, Neu−hOumanismUs の足跡は,ヒューマニズムの発見史上大きい意嚢を有 する。扱19世紀は,大学の理念にも教育の理念にも大 きい変革期であった。181Hl紀中葉以後19世紀前面}こか けて産業;革命が相継いで行われた。之により分業が進 展するに亡い学問の分化が進み,このことによって各 專門分野の学問も急速に進歩の足跡を印した。この分 化の傾向は大学に煽ては学部の分立となった。かくし て大学は全入教育から次第に離れて挾い專門の教育に 集中するに至る。而してN聞は視野の挾い特殊專門家 となり,或は労働力を壷る商品と堕しつつ,人聞は皮 肉にも重創聞化されて行ったのである。正に入聞の人 間性の喪失である。アメリカの天文学者シャプレF一 は,科学の極端な分化をたとえて,地上に並び立つ塔 のようであり,科学者は夫々專門の塔の尖端によぢ上 ろうと一途つとめているが,血豆にもその塔の立って いる地盤のことを考えないことに対して警告してい (3) る○ここに2ぴ世紀の問題が提起される。かくして20’W_ 紀は更に新しいヒューマニズムの時代には入る。印ち 夫はヒュ・’一マニズムへの復帰である。但しそのヒュー マニズムは最:早や旧いヒュ・・マニズムではない。 Neu−humaniSmusの縞入主義的ヒューマニズムを止 揚して,民主的社会に於ける社会的連帯性を自覚した ヒューマニズムである。入間の個入的契機のみでなく, 優れて社会的i契機の自覚に立つたヒューマニズムこそ 現代のヒューマニズムでなければならない。第一次世 界大戦後,実存哲学の碩学ヤスパースは,‘Die Idee der Universitaビなる論文に於て,大学の三大目標を 家の如く規定している。即ち,(一)職業のための專門 教育 (二)廣い競野に立つ罪報教育 (三)学問の研究 の三つである。併し彼も述べている通り,之等三つの
自然科学教育と科学史(松原)
89 目的は三位一体的である。もし之等が互に孤立するな らば大学の全一的使命は失われるであろう。大学に於 ける研究と教育の一体化が主張されていることは当然 ながら,特に注目すべきことほ,産業革命後の專門並 に職業の高度の分化に対詳して,三門教育と職業教育 との両立を図ると共に,一面この極端な專門分化の弊 害に鋭い批到を加えて,廣い硯野に立つ入間教育によ る学問並に職業と人間の統一を主張している点であ る。而も彼の言う人聞教育は,專門教育や学問の研究 と相並んで大学の三大目的の一つをなしていることで ある。併し乍らヤスパースの考えていた入間教育とは 遺憾ながらi日態依然たるLiberal Educationに外な らなかった。生口ち夫は彼のギリシャの特権自由市民階 級の知的教養であり,或は新人文主i養の個人的,審美 的教養の謂に外ならなかったのである。Liberal Edu− cation も原理i約には, ヒューマニズムに根ざすもの ではあるが,今日並に將來に於ける自由入の教育は, 貴族的,個人的有閑性を脱却して,入類天賦の基本的人 権に基く自由と平等とを享有し,普く加入に要比する 現代ヒューマニズムの精淋に立脚した‘General Edu一 (4) cation’へ止揚されなけれぼならないQ 醗って我国の高歌を省るに,今次の鳶職の結果,幸に も民主憲法と民主的教育基本法とは整備されたが,欧 米の如く,民衆自らが幾1量紀に亘る思想的経済的政治 的苦闘を経て戦いとったデモクラシイとはその由來を 異にする。明治維新後筒ほ牛封建制の樫楷下に在った 我国は,未だ員の意味に於て個人主義の油鼠もなく, 社会意識も亦頗る稀簿なることが其の山相である。デ モクラシイの前途は程遠しと言わざるを得ないQ吾々 は憲法と教育基本法の精榊に則り,我国の民主化に向 って確固たる二歩を進めるべき使命を有する。かかる 積極的な民主的蓮動に主体的に参加することの出來る 面桶の贋い叡知と判断力と実践力に富む入間を育成す るには入聞性の個入的契機と共に優れて社会的契機を 活かす新時代のGeneral Educationこそ不可敏の要 件であると確信する。そして,夫は,入文,社会,自 然の三大科学の部門に亘って,赤い記田の下に行われ なければならないことは論を侯たない。 3 一般教育に於ける自然科学の目的 入聞は一生物として自然に属し,自然の必然性に規 定せられそれによって支配される。併し逆に入間は自 然に働きかけて之を変革し,之を支配する。入聞は無 から有を生み出すことは出來ない。併し天地を貫く理 法即ち自然科学の法則に二って自然に働きかけ之に工 作して,入類の幅祉厚生のために自然物を変革するこ とが出來る。‘Homo Faber ’(工作人)とは正にかか る意昧の人間性を意味する。F.ベーコンは,‘Scientia est potentia’と言ったが,之は正に近代科学の知識 に要当するであろう。今日の機械文明,電磁文明は固 より,大さ1G−12 cm.程度の極微なる原子核に潜む エネルギー・を解放して新しいエネルギー資源を作り出 す等,その実例は枚挙に耐えない。自然科学の発展に よるHomo Faberとしての人心性の発見とその拡充 こそ,正にヒューマニズムの発展史に於て特筆すべき 事件と言わねばならない。かくして自然科学の発展と その慮用が,経済,政治は固より,哲学,文学,藝術 二二の凡ゆる諸文化形態に大きい影響乃至変革をもた らすことは論を侯たない。1942年12月12日シカゴ大学 に於て人類最初のAtomic−Pileが働くようになり, ここに人類は‘第二の火’たる原子力の時代に突入し たのである。入類の將來は,この現実的な‘プロメチ ウスの火’を如何に用いるかにかかっているのであ (r)) る。1・イソビーの憂うるが如く,入類の歴史は現代を もつてその終末どし,將來の世界は鼠か羽蟻の支配下 に入るのであろうか,それとも人類が文化の再調整を 首尾よく行って,新しい世界秩序を作り得るか今やそ の巖頭に入類は立っているのである。自然科学の発展 により世界の物理的室旧時問は急速に縮小しつつあ る。僅か数十年前には一月余もかかったヨーロッパへ の航海が,今日僅か=二日の航室ですまされるのであ る。ニューーヨークの事件は電波に乗って直ちに日本で 見聞することが出來る。科学は世界が愈々一つである ことを教えている。科学の成果も‘世界が一つになら (G) んため’に用いなければならない。 かかる現代に直面しつつ,自然科学のe一一般教育は如 何なる日的に漕うて行わるべきであろうかQ自然科学 は学問の性質上,人交,社会の学問に比し,より高度 に分化專門化している。併し一般教育はその本丸の意 昧から考えて,三門的知識の不易化された注入でもな ければ,、叉専門教育のための入門コースでもない。二 って,二二教育とは趣の異る独自の工夫と研究が必要 (7) である。私見によれば,一般教育に於る自然科学の目 的は次の五つに要約される。 (D 自然科学の研究法を明らかにし,自然科学と は如何なるものかを理解させる。 (皿) 自然科学の重要な法則や原理を理解させる。 (皿) 自然科学の社会的機能を明らかにする。 (IV) 自然科学と入文,社会の両科学との交渉と関 蓮を指示し,:文化の綜合的理解に資する。 (V)自然科学をhumanizeする。 次に,この五つの目的について,いささか訟明し度 いと思うQ(1)事実にEPして,物事を正確に考え処理する態 度,実証的,合理的.且つ批判的な思考法が先ず明らか にせられねばならない。そして軍に事実を蒐集するだ けでなく,事実から濡納的に法則を発見する方法, 叉,‘思考実験’(Gedanken Experiment)を通して 演繹的に理論を展開する方法,而もかくして得た帰納 的法則も理論的帰結も結局繰返し事実と照合して瞼証 して行くと云う自然科学の方法を明らかにするQ事実 と言っても箪に観察的な事実だけではない。近代科学 に於ける事実とは優れて実瞼的事実である。実話とは 道具を媒介として入間が主休的に自然に働きかけ,現 象を起させる。そして,現象を要素に分析し,普遍的 要素相互聞の普遍的関係を再構成して,所謂法則に到 達する。之を更に実瞼によって再審するのである。か くして,自然の法則,EPち自然のメカニズムを洞察す るのである○ギリシャの自然哲学の認識は自然の形相 の直観であったが,近代科学の認識は自然の機構の構 成的認識である。而して,更にこの自然の機構に從っ て自然には無い機械をも工作すると云う入間の主体的 積極的行動へと発展する。かかる客観的積極的構成主 義が近代自然科学を一貫する自然認識の仕方であるQ ガリレオは‘自然は数学により書かれたる書’である と云い,又,Kantは‘数学が適鴫される程科学性を 増す’と云5が,近代の精密科学が数学的表現をとる ことは,精密科学の論理的精密性に対心することであ るが,科学の精密性は軍なる‘論理的精密i生,ではな く,近代的な機械帥ち自然物の軍なる模倣や利用でな く,自然物を変革して自然的なもの以上の機能を発揮 することを目標とする機械の構成を可能ならしめるよ うな‘工作的精留生’である。精密なる現代の核物理学 によb原子爆心が構成された事例を考えればこの溝憲 は解明するであろう。爾,自然科学の知識体系は弁証 法的に発展ナるものであり,且つ累積的に進歩する唯 一一フ知識体系であることを明かにする。この点は,特 (Q,) に,人交科学や社会科学の知識体系とは異る点である。 自然科学の実証的合理的な研究法は近代の学問の一般 的方法でもあるが,同時にこの方法では到達せられな い知識の分野のあることも明らかにする必要がある。 さもなければ,かつて機械的唯物論者ラ・メトゾーの 著‘L’homme−machine ’のように自然科学から形而 上学への逸脱をするのであり,叉その逆に,ヘーゲル, シェリングの‘Natur−Philosophie ’に於けるが如く, 形而上学から自然科学への逸脱を敢てするのである。 最後に,民主的社会の建設にほ,先入主に拘われない 実証的合理的批判的な態度や思考法が不可欠である が,自然科学の研究法の体得によって,かかる母考態 度が育成され,これが社会生活日常生活にも懸用され る様になることが望ましい。 (K) 重点的に,重要な法則や原理は充分理解させ る必要がある。例えば物理学に例をとればエネルギー の原理,=ウトソ力学,ファラデー・マックスウェル の電磁氣学の根本法則,量子論の思想等である。勿論 その理解は(1)で述べた科学の研究方法を明らかにす ると云う目標との関連に於て獲得されるようになされ なければならない。そして,これがためには,その法 則や原理に到達する蓬の理論的実瞼的過程を歴史的に・ 展開せざるを得ない。ここに科学教育の歴史的方法が 日程に上る。ウェスレイアソ・カレヂのアブラハムス 撤授はこの歴史的方法の有用なる所以を次のように述 ({) べている。第一一に,科学は説明されない事実や関連の ない方法の集積としてよむは,むしろ発展的・生長的 過程の学問としてよくその本質が示される。第二に, 科学と他の諸知識との関連は科学的概念の起源を究明 することによって容易に理解される。第三に,科学の 新しい概念はそれが展開される過程に於て必要であっ た特殊の問題と共に展望されるときによく把握され る。第四に,現在の複難でより抽象的な考は過去のよ り軍純でより具休的な考から導かれる。第五に,科学 の歴史は他の:交化の歴史と同じくそれ自身重要な消磁 をもつものである。このよ5な理由の下にこの大学で は,古代から現代語を,十箇のブロックに分けて科学 発展の経路が示されている。訓声ヴァード大学学長コ (10) ナント撤授は,その科学教育に関する名著に於て次の 見解を述べている。郎ち科学教育は科学約知識を教え 込むことではなく,科学の戦術戦略 (Tactics and strategy of science)を体得させることであるが,そ れがためには,比較的酒虫で分り易いCase−historyを 手がかりとするのが最もよいと主張する。case−his・ toryとは科学史上の事例(case)であるが,これを如 何に亡ぶかについては,科学の分野に亘って,教育的 見地から,近代科学の初期に於る科学考達の研究に重 点をおいて,科学の本質や方法を理解するのに役立つ 事例を択ぶのがよいとしている。‘室氣力学に於ける ボイルの実瞼’,‘Phlogiston Theoryの顛落’‘原子 分子説’‘バストウールの忠心の研究’等がその事例 の中に挙げられている。 (tl) (厭) コントの実証哲学(Positivism)によれば, 入漁の知識は三つの段階を経て発展する。自IJち,紳学 的,形而上学的,実証的の三段階である。自然科学特 に物理学はこの実証的段階に於る知識の代表者である ことは論ずる迄もない。処で,そのPositiveとは, ‘実証的’を意味すると共に,‘積極的’をも意昧す
自然科学教育と科学史(松原)
91 る。近代科学は実証的合理的であると共に積極的であ り、その積極性は,‘技術’を蝶介として具現化され る。 (1)に於て述べたような,自然のメカニズムに 從って自然物を変革し,機械を構成する働である。か くして科学は技術を媒介として社会の基盤たる生産力 の増強に二丁する。三二に社会の生蓬力は科学の研究 に問題と手段を提供する。ガリレオの‘Discorsi’に も記されているように,彼はヴェネチヤの造兵廠の現 場の技術的問題をi契機として,材料強弱,自由振子,横 桿の原理等を取上げているし,叉,1引lt紀以來発達し た砲術に関連して拠物休の蓮動を取上げている。運動 の三法則と万有引力論と云う純科学的な研究成果を, その不朽の名著‘Principia’に残したニウトソも,当 時の技術上の問題一一例えば,当時盛になりつつあっ たインドとの貿易航海に於る船休の腐蝕の防止法,操 舵の機構,船舶操縦法,航海中国の位置を知るための 経度の決定に振子時計の利用等一に深い関心を持つ (12) て居たのである。当時の新しい商業資本の発展には, 技術的生産的要素が不可欠となり,ここに按術を契機 とした新しい科学が発足せざるを得なかったのであ る。かくして新しい自然の認識は思弁的方法を棄てて 実証的方法を採らねばならず,箪なる自然の観察や観 照ではなく,自然への実験を通しての働きかけとな り,構成的認識となったのである。上述のようにガリ レオもニウトンも当時の技術上の問題を契機としてい ても,技術と科学との間にけじめをつけて,科学の独 自な性格をはっきり打出していることは注目すべきこ とである。邸ち蓮動の三大法則と万有引力の法則の体 系を樹立して,機械的自然像を確立したのである。こ の体系的法則を個々特殊な場合に適用することによっ て,技術が飛躍的に進歩することが可能となるQ例え ば,般体のDynamic balancingの問題もニウトソ力 学を根底として解決せられ,之によって安定度の高い 船が近代的量産の形式に撃て生産されるに到ったので ある。かの産業革命も新しい作業磯,動力機場に工作 機械の発明なくしては不可能であったし,而して,そ の発明の背後にほ純科学的研究の基礎付がなければな らなかったのである。例えば,ワットによる蒸氣機関 の改良にしても,当時の物理学者J.ブランクの潜熱 の研究に負うところ大いなるものがあるのである。扱 自然科学の発展をより置く社会的な観点に立って考察 する眼を開くことが一般教育上必要であると思われ る。例へばギリシャの物理学は欝力学に関するものの みであり,動力学は未だ見るべきものがない。アリス トテレスのPhysicaに於ける Phoraも軍に思弁的 な蓮動学に過ぎない。ユ・一 ?リッド幾何学も静的な円 と直線の幾何学である。このstaticな性格は,ギリ シャの他の:交化にも現われる。例えば,コリント建築 はゴシソクに比し静的な感じを與えるし,ギリシャ演 劇はしぐさに乏しい。このような静的な性格は,ギリ シャ入の認識の:方法が形相の直観と云うstaticなも のであったことにもよるが,当時の社会状態にもよる と考えられる。帥ち当時の知識階級は少数の貴族及び 自由市民であり,生産労働は凡て奴隷に任せて,一途 形相の直観を事としていたのである。動力学はルネッ サンス以後の時代に於てガリレオを先駆者としてニウ 1・ソに於て完成したのであるが,之は当時の動的な思 (13) 想的,社会的動向と呼懸しているQ流通産標(current coordinates)を使用して,座標の変動の中に不変の函 数的関係を求めて曲線を動的な姿に於て把握せんとす るデカルトの解析幾何学も,優れて動的な概念である 極限の概念に立つライプニソツやニウトソの微積分法 の発見も凡てこの時代の産物である。量子論は19世紀 後牛から20世紀初頭にかけての熱輻射の研究から誕生 したのであるが,之に與つた物理学者は,キルヒホフ, ステファン,ボルツマン,ウィーン,ルムマー,プリ ングスハイム}及びプランク等,鈴々たるドイツの心 々であった。之は,普佛戦争によるドイツの勝利,鉄 鉱地帯アルサス・ロレンのドイツへの帰属,ドイツ帝 国の完成,1890∼1900にかけて,製鉄製鋼は世界第一 位となったの.を始め,響町,機械,化学工業並に軍需 工業の世界的躍進によって所謂ドイツの‘鉄鋼時代, を現出した社会的地盤によるのである。以上二三の例 を述べたが自然科学の重要な法則や理論を契機とし て,当時の社会的基盤に触れつつ,科学按術と社会と ゐ弁証法的関蓮性を展開して行くことは一般教育上必 要であると思う。そして,如何なる社会が科学技術の 発展を助長するか,如何なる社会が之を圧迫するか罷職行川ものにするか蹴囎簿を提起し歴史的
に明らかにすることが重要であるQ (N) 自然科学と入:交科学,社会科学との学問的関 蓮性についても,出当る限り,之を指示し,問題を提 出し,かくして,科学の綜合的理解を助長することが 望ましく思われる。併.しこのようなことは,余りにも 專門の分化している今日,一教師の到底なし得ないこ とであろ5。自然科学部門の中でさへ,少くも物理部 門と生物部門があり,その両方に通ずることさえ困難 であるが,まして,入文,社会の部門迄一敏師が見透 を持つことは到底不可能であると言わねばならない。 併し,自然科学の重要な問題を契機として,他の科学 部門に於ける関連事項を指示し,若干の解説を與える ζとは,班究と努力次第で可能であり,叉,一般教育の本質上,その努力をなすべきであると思5。更に深い 解読と研i究は,他の部門プロ2〈・一の問題となるのであ り,唯,橋渡しの役割をするだけでも大いに有意義で ある。物理学に於ては,主として,哲学との関連性に 触れる場面に悪まれている。例えば,ニウ1・ン力学と カント批判哲学,時聞塞講論;相対性原理と新しい時 室論;量子力学と因果律;物理学的認識と弁証法の問 題等である。叉生物学に於ては,進化論と進化思想の 問題も興味あるテr・一・Vである。ニウトソ物理学を大陸 に紹介したヴォルテー・ルとその思想,ハーシェルによ る天EF.星の発見とその星を歌った詩入キーツのソネッ ト等,色々問題を見出すことが出來よう。科学と社会 については,(皿)にいささか触れておいたが,も少し 学問的な自科科学と社会科学の交流に触れるならば更 ar)) に意i養深いものがあろ50 (V)近代科学は,凡て存在を客観化し,現象の要 素との間に成立つ客観的因果関係穿ち自然の法則の認 識を目標とする。かかる客観的認識は,その成果を如 何に用うべきかとの人間の意志から一宇独立な認識と なる。例えば原:子力の研究の成果そのものは,人類の 福祉と平和のためにも用い得るが,叉その自滅のため にも用いられるであろ5。換言すれば,科学的知識そ のものには何等倫理的性格はなく,倫理的問題には中 性的な知識である。ここに現代交化の根本的問題が内 在する。近代科学の成立以前には,各時代の学問は倫 理と内面的な関係をもつていた。近世科学の創設者達 であるコペルr一カス,ガリレオ,ケプレル,ニウトソ, ボイルの如き人々も宗教的倫理的心情を以て,淋の被 (16) 造物たる自然の探究を行ったのであったDコペルニカ ス,ガリレオは catholicの信仰者であり,叉ケプレ ル,=ウトソ,ボイル等はProtestantに属する信仰 者であった。彼等の自然科学的研究の労働は神からの 召命による神聖なBerufSarbeitであり,淋の創造に なる自然を探究ずることほ紳の栄光を肥えることであ った。かのRoyal Societyの創立精瀞は (科学は融 の栄光のため入類の幅祉のため)であった。然るに18 世紀に入るに從い,三門は愈々分化し科学者は訳第に specialist乃至technicianとなって, Berufは最早 や軍なる職業となってしまったのである。かくして近 代科学は倫理との関係を喪失したのである。ここに現 代の根本問題として,科学のhumanisationの聞題 (17) が日程に上るのである○科学は本來優れてヒューマニ ズムの所産であり,人間を人間化し人問を解放すべき ものである。然るに科学の成果が却て下問を機械の虜 となし或は原爆の三牲と化する等,正に人間を非人聞 化するが丸めに用いられるとは,何たる入間の矛屠叉 ag) 悲劇ではなかろ5かQこの矛盾を止揚することこそ, 現代ヒューマニズムの課題でなければならない。そし て夫は科学の人生に於ける意義と贋値を積極的に認 め,潔く人類愛の精粛申に根ざして,入間の人間化のた め,入間の自由とtTFqの実現のため科学を積極的に活 用するが如き科学的ヒュP・ Vニズムに侯たなけ’ればな らない○この立場に立って科学はhumanize される であろうQそして,この事は軍に思想上の問題ではな く,責任ある社会的実践の問題である。ここに,吾々 は,科学的ヒューマニズムを契機として,更に深く入 門性の問題に突当る。人間内在的ヒューマニズの一つ である科学的ヒューマニズはその能力と限界を問わな ければならない。かくして,科学的ヒューーマ=ズムは (19) 新しい時代の倫理と宗教に蓮るのである。一般教育に 於る自然科学に於てかかる現代の切実な問題を少くも 提出することは是非なすべきであると思う。 4 科学史の重要性 かく考えて來ると,吾々は特に科学史の重要性を痛 感せざるを得ない。科学史は大体次の三段階に大別す ることが出回るであろう。 (1)個別的科学史:特定の時代或は特定の科学者 の業蹟を調査し,その叙述と解釈と現代的説明を目標 とするものである。 (2)專門学的科学史:特定の平門科学の内部に於 ける,実瞼,理論,方法,思想,技術等の発展の過程 を研究するものである。 (3)綜合科学史:科学の発展経路の研究は必然的 にその科学者の時代的社会的環境との関連性に発展す る。科学の発展を他の交化形態との関連性に於て研究 する綜合的な科学史である。而して, (3)の中に(1) (2)は包擢1される。 (入間精瀞の一一般史と結付いている個別的の歴史を 研究しないでは,如何なる科学もそれを我が物とする ことは出帰ない)と云5コントの言葉には意味深いも のがある。処で科学教育に歴史的方法を取入れるにも 色々のやり方があり得るODirect−History・Method (科学史そのものを直接展開する),Biography−Method (特定科学者の濾出を傳記的に肢扱う),His士orical− Survey・Method(特定科学の歴史を概観的に取扱う), case−history−method (特定問題をとり上げてその発 展のプUセスを辿る)等である。教授者の工夫によっ て,其他色々の方法が考えられよう。 5 一つのコースプーン 私が試み尚改善しつつある一試案を次に掲げるQそ