アメリカ政治におけるシンクタンクの役割
――9.11 テロ以前の対イラク政策に焦点をあてて――小池 和雄
序章 第1 章 アメリカにおけるシンクタンクの役割 第1 節 非営利団体としての働き 第2 節 多様な影響力の行使の仕方 第3 節 シンクタンク研究員と官界の密接な関係 第2 章 イラク問題に対する保守系シンクタンクの影響力 第1 節 その政治的な色彩 第2 節 制裁体制のほころび 第3 節 対イラク「封じ込めプラス」戦略 第4 節 PNAC の存在と政策提言 第3 章 イラク問題に対する民主党系シンクタンクからの批判 第1 節 その政治的な色彩 第2 節 ブッシュ政権のアメリカ石油業界との結びつき 第3 節 先制攻撃ドクトリンへの批判 第4 節 軍産複合体への批判 終章序章
アメリカ政治においては、政策決定過程に多様な情報をインプットするチャンネルの役割を果たし、なお かつ政策の観点からいっても重要なアクターであるのが、シンクタンクである。鈴木崇弘によれば「シンクタ ンクは民主主義社会の中で科学的な政策形成を促進するための公共政策研究機関のひとつで、“知”と “治”を結ぶ装置」である1。まさにそのとおりでアメリカという民主主義社会において、シンクタンクという装置 は政策の執行者ではないが、政策形成過程においては重要な機関である。 シンクタンクの影響力というのはイラク、対中東問題をはじめとする外交問題だけではなく、もちろん内政 にも影響力を行使している。それはすなわちアメリカの政治制度の恩恵である二大政党制という制度を持ち 合わせている国であるということだ。シンクタンクというのは野党勢力が与党勢力を批判したり、与党勢力が 現政権に影響を与えたり、とても強く特徴的な政治システムの中に存在している。シンクタンクの研究員は 政治任用制度により、官僚予備軍とも見ることができ、また逆に政権が変わってもまた学術的なアプローチ ができる、といったように受け皿的な役割をも果たしているといえる。野党勢力が次なるチャンスを確実に持 てるところはアメリカ政治の最大の強みである、といえる。一旦官の世界に入ったとして、政権がかわっても その経験を生かしてまた学術的にアプローチができる、という意味でもアメリカ政治におけるシンクタンク研 究員の果たす役割は大きい。本論文ではそのシンクタンクの役割を考察した上で、特に対イラク政策に対して行使された影響力から、 とりわけ保守系シンクタンクに力点をおいて、その考察を深めていく。 何故9.11 テロ以降こじつけるようにイラクとテロとの関連性を主張したのか、また1日とかからないうちにイ ラクを敵とみなすアクションが起こせたのか、この背景には湾岸戦争以降の保守系シンクタンクの政策提言 の多大なる影響力がある。ブッシュ政権にとってのイラク問題は、父ブッシュ時の湾岸戦争もあり、またクリン トンでさえも強腰な姿勢で臨んでいたこともあり、常に関心度の高い政策課題であった。9.11 テロ以前から 各種のシンクタンクはイラクの危険性を示唆してきたし、強硬な政策提言も行っていた。そのような事実に焦 点を当てながらアメリカにおけるシンクタンクの役割を考察してゆく。 上記のようなシンクタンクの影響力を提示した上で、テロ以降のシンクタンクの対中東政策についての提 言だけではなく、テロ以前からの保守系シンクタンクの強硬な政策提言が存在したことを本論文において証 明する。
最近の先行研究においてはポラック氏の”The threatening storm”のように多少アメリカ帝国主義的思 想に傾倒している部分が、とりわけ保守系シンクタンクの政策提言には見受けられる。例として侵攻前から の「イラクを平和に導くためにはアメリカが積極的に介入し、イラクの政権を倒してから、民主的にたてた指 導者とアメリカの主導のもと再建する」というブッシュの発言があげられる2。イラクによる自己解決ではなく、 アメリカが介入することによって、民主化させてやろうという考え方が見え隠れするのである。実際にイラクの 現状を見ると、無益な殺戮は繰り返されているし、国連軍への攻撃ないし、アメリカ軍への攻撃はとどまるこ とがない。この状態では民主化を推進しているとは言いがたい。 本論文においては、このようなアメリカ帝国主義的思想を研究し、主に取り扱うのではあるが、なるべく公 平な立場、中立な立場に立って執筆を進めたいと思っている。少し離れたところから客観的に政策提言を しているシンクタンクの影響力を考察することによって広く一般の人々にアメリカという国の強み、そして弱 みを提示することができたら、と思っている。本論文のアメリカ研究論文としての意義というのはもしもこの論 文が不特定多数に読まれることになった時にアメリカの政治システムの強み(だと自分は思っている)である 民間からの圧力、すなわち NPO 団体の影響力が行使しやすい部分を主張できると思われる。これを読む ことによってアメリカの政治システムの優れている部分を読んでいる側に伝えられたらそれは幸いである。私 の目的は民間から影響力を行使できるという、本当の意味での“民主主義”の主張である。まずそのために 何が必要かといえば、グラスルーツ的に国民の意識を改革することであろう。その一端を担えればという目 的でアメリカ政治の特徴を広く客観的に知ってほしいと思っている次第である。
第 1 章 アメリカのシンクタンクの果たす役割
第 1 節 非営利団体としての働き 民主主義社会は変化、多様性、およびプルーラリズム、そして競争性を容認する社会である。そこでは、 言うまでもなく先例主義が基本の政府・行政による活動や利益追求を基本とする企業による活動だけでは 十分ではない。政治や、メディアの働きやNPO などの市民自体の活動など様々なチャンネルがあって、は じめてそれらの要素がうまく機能するのである。そのうちでも政策的な観点からいって重要なアクターであり、 政策形成過程に多様な情報をインプットするチャンネルとして重要なものが、シンクタンクであると言える。 「シンクタンク」は民主主義社会の中で科学的な政策形成を促進するための公共政策研究機関のひとつで、 学問としての“知”と政治としての“治”を結ぶ装置である。つまりシンクタンクとは次のような組織であるといえる。 1. 民主主義社会で政策の執行者ではないが、政策に関する活動を行う機関である。 2. アカデミックな理論や方法論を用い、適正なデータに基づく科学的な政策形成のための組織であ る。 3. 具体的活動として、実効性のある政策的な助言や提案、政策の評価や監視などを行う組織である。 4. 活動を通じて、政策形成過程に多元性と競争を生み、市民の政治参加を促進し、そこにおける政府 の独占の抑制を図る組織である。 もともとシンクタンクとは第二次世界大戦時のアメリカで、国防関係の科学者や、軍の作戦担当者たちが 「戦略を討議するために集うことのできる安全な場所や環境」を指して呼んだのがはじまりとされている。そ れがやがて「世論や公共政策に影響を与えることを主な目的とした独立の公共政策研究機関全般」を指す ようになった3。 アメリカという民主主義社会において、シンクタンクという装置は政策の執行者ではないが、政策形成過 程においては重要な機関である。アカデミックな理論や方法論を用いて、適正なデータに基づく科学的な 政策を形成する。アメリカも多くの他国と同じようにたくさんの問題を抱え入れるが、その他国とは違って、 様々な立場から的確な処方箋が作られ、時に具体的な政策となって、実施され、その評価もタイムリーにわ かりやすい形で提出される。それを担うのが、民間非営利組織(NPO)のシンクタンクである。いわば、企業 でいえば、ファイナンス(経営管理)といったところである。またシンクタンクの研究員とは国民であるがゆえ に直接民主主義のフィードバックを得る政治の対象者としてのアクターであるともいえる。そうした役割を考 えた時にシンクタンクおよびシンクタンクの研究員が政策形成過程に影響を及ぼすということは民意が反映 されているといえるのではないだろうか。 アメリカのシンクタンクの存在がいかにもアメリカン・デモクラシーのメカニズムを構築していると思われる のは、次の側面からである。 第一はシンクタンクの活動を支えるのが国税法のいわゆる501(c)(3)で規定される NPO であるため、法 人税が免除されるが、同時に寄付する側にも減税措置があるということである。誰もがシンクタンクを作れる と言えるのはこの制度のおかげだ。全くお金がなくても自らの指名と大義を掲げ、国税局に行って、NPO 登録をする。その後、財団名鑑から自らの主義主張に関心を持ち、お金を出してくれそうな財団を探して、 寄付を仰げばいいのである。 つまり、お金はないが、自らの社会正義を実現したいと望んでいる人たちにアメリカは道を開いているの である。これは社会の善意のお金が、最も民主的に配分されるメカニズムである。 第 2 節 多様な影響力の行使の仕方 第二にその役割は中長期の政策研究、政策提言、政策評価、知的ネットワークの構築、シンポジウム、 セミナーの開催、人材バンク、様々なメディア上での活動があげられる。シンクタンクそのものは、利益団体 のように組織票を持っているわけでも政治資金を持っているわけでもないので、その実際の影響力を確定 することは困難であるが、その財政的規模、政府への人材供給、政策提言の実施状況、議会証言の回数、 メディアにおけるプレゼンスから推し量ることができる。
シンクタンクの設立時期ごとに比較してみると、今世紀初頭から60 年代までに設立されたシンクタンクは いわゆる「学生不在の大学」とも呼ばれ、研究志向がきわめて強かった。多くの研究が個人的なイニシアチ ブによって行われていたことも「学生不在の大学」と呼ばれた一因であろう。ただし、学問の専門化という時 代の風潮にあわせ、総合的な知識ではなく、政策に直接役立つ専門化した知識に特化していたことが特 徴的であった。その意味で「学生不在の大学」であったとはいえ、政策的にインプリケーションの大きい研究 にその活動が限られていたことはいうまでもない。この時期には、今日にいたってもなお、全米を代表する シンクタンクのステータスを維持しているブルッキングス研究所、フーヴァー研究所、外交問題評議会など が設立されている。この時期に設立された研究所はいずれも第一次世界大戦を経て、大国として世界政治 に直面する米国政治のあり方に正面から取り組むべく設立されたといえる4。 この時期のシンクタンクの活動は、直接政治に関与するのではなく、政策運営に有用な社会科学的知識 を提供することにあり、党派性を超えた価値自由な道具としての知識の運用が可能であるとの前提にたって 運営されていた。 1970 年代以降に設立されたシンクタンクの多くは、それ以前のシンクタンクはそもそもの発想において大 きく異なっていた。初期のシンクタンクが多かれ少なかれ研究活動を中心的な業務と見なしていたのに対し、 1970 年代以降のシンクタンク、とりわけ保守系のシンクタンクは支援運動を研究以上にとはいわないまでも、 少なくとも研究と同様に重視した。このような新興シンクタンクを批判する者は、これを「アドヴォカシータン ク」と呼んだりもしている5。このような傾向を典型的に示していたのが1973 年に設立されたヘリテージ財団 であった。ヘリテージ財団のミッション・ステートメントは「ヘリテージ財団は、研究および教育機関であり、そ の目的は、自由企業、小さな政府、個人的自由、伝統的なアメリカ的価値観、そして強固な国防政策という 原則に基づいた保守的な公共政策を立案し、促進させることである」というような内容であった6。 第二次大戦後、シンクタンクの数は激増した。1945 年以前には 16 のシンクタンクが設立されたに過ぎな かったが、第二次大戦後から1970 年半ばまでにはおよそ 50近くのシンクタンクが設立されている7。これは シンクタンク間の財源および研究者の獲得、さらに影響力をめぐる競争を激化させた。また、これに伴いニ ューヨークや西海岸のシンクタンクがワシントンに進出し、ある特定の問題に特化した研究所をたくさん生み 出した。このような変化は、1970 年代に入り、シンクタンク業界の政治化という現象に帰結した。客観的な立 場から、幅広い研究を行うのでは乱立するシンクタンク群の中で自らを際だたせることが難しくなっていたの である。その意味においてシンクタンク業界の政治化という傾向は、シンクタンクの専門化という現象の一部 であるといえる8。 ではこの時期のシンクタンクの特徴とはどういうものだったのか。ヘリテージ財団を例に見てみると、それ は仕事の簡潔さと迅速さであったといえる。1970 年代前半はメディアの政治への影響力がますます増大し、 政治過程が従来の時間的余裕を失い、あらゆる政治事象がリアルタイムで国民の眼前に立ち現れたが、ヘ リテージ財団はここに生じた需要に的確に対応した。新たな情報空間の中で政治と政策研究の区別を意 識的にとりのぞき、「客観性」の効果より、「露出度」の効果が絶大であることを認識し、情報空間を闘争の場 とした。長い時間をかけて研究を行うのではなく、迅速さと簡潔さをその活動方針とし、次々とあらわれる政 策課題に対して、メディア関係者や政策担当者が実際に現場で使える、通常5000∼20000 ワード程度の 長さの簡潔なポリシーノートを次々に産出していった。 こうして世論が形成され政策に結びついていく。このようなシンクタンクの政策提言が世論の支持を受け て、政策につながるプロセスも、極めて民主的であるといえる。
第 3 節 シンクタンク研究員と官界の密接な関係 アメリカの強みは政治任用制度であるという意見もある9。つまり具体例を挙げるとシンクタンクの研究員が 官僚予備軍として備えており、一旦官の世界に入ったとして、政権が変わってもその経験を活かしてまた学 術的にアプローチができるという意味でもアメリカ政治におけるシンクタンクの果たす役割は果てしなく大き い。これはいわゆる「回転ドア」と呼ばれるもので、一人の人物が政府、行政、議会の機関、シンクタンク、学 会、実業界など、異なる分野の職種を数年毎に渡り歩くことであり、特にシンクタンクには異業種の経験者 が多い。それが政策立案のためやその実現のための人脈、ネットワーク作りのために極めて有効に働くの である。伝統的に二大政党制であるため、一つの議題に異なる政策を提案する複数のシンクタンクの存在 が有効に働いている。シンクタンクが大統領選に敗れた政党の高官にお金を稼ぐポストを提供することもあ る。 共和党から民主党に政権が移るときには多くの人はワシントンを去るが、その逆の時は民主党系の人は ワシントンで別の就職口を探して次ぎの機会まで待とうとする傾向が強い。これは共和党系の人は地方で 自分の事業や職を持っている人が多いのに対して、民主党系の人は連邦政府自体に生活の基盤を求めよ うとする人が多いからである。彼らはワシントンとその周辺の民主党系ロビイストの事務所や民主党系シンク タンクに再就職して次ぎの機会を待つことが多い。このようにシンクタンクは受け皿的な役割も持ち合わせ ている。つまり、常に官僚予備軍がシンクタンクには控えているのである。この点においてもアメリカ政治に おけるシンクタンクの影響力というものがどれだけ大きいかがわかる。 政治の町ワシントンには数多くのシンクタンクが混在し、セミナーや勉強会など日々活発な活動が繰り広 げられている。これらのシンクタンクは「非営利」という立場から独自の政策を提示することでワシントンの政 策論議、形成の重要な一角を担ってきた。シンクタンクを取り巻く国際環境、政治状況が刻々と変化するの に合わせて、シンクタンクも外部環境やニーズの変化に柔軟に対応し、必要に応じて改革をしていくことが 求められるものであろう。その基金や、支持母体、研究活動などはそれぞれのシンクタンクによって本当に 多様であることを感じる。中でももっとも色濃く出るのが政治的な色彩であろう。共和党・民主党の二大政党 に分かれるアメリカにおいては、シンクタンクの政治的な色彩も色濃く提言などに反映してくる。上記のとお り、政府高官時代に築いた人脈や情報は指示している党が野党になったとしても、個人に付随して、今度 は民間の研究所の中で議会対策などに活かされ、そして再び自分の指示する政党が政権についた時には シンクタンクの役職員がホワイトハウスの中枢に入っていくという図式である。これがシンクタンクの直接的に は政治に対する一番強い影響力の行使の仕方ではないかと思われる。二大政党の国とはいえ、野党勢力 が次なるチャンスを確実に持てることは大変な強みであると言える。
第 2 章 イラク問題に対する保守系シンクタンクの影響力
第 1 節 その政治的な色彩 シンクタンクの影響力の強さというのはイラク問題に対しても例外ではないのである。ブッシュ現政権の対 中東政策ひいては湾岸戦争以降のアメリカの対中東政策というのは常にホットトピックであったと言える。ヘ リテージ財団など、9.11 のテロ事件がなくても常にイラクに対する危険信号は発していたし10、アメリカン・エ ンタープライズ研究所などもまた然りである。9.11 のテロ事件というのはあくまでも爆発する引き金でしかな かったと言うことができよう。現実的に表立って9.11 に対する戦争、イラクに対する戦争というのが論議をか もしてきたのは9.11 以降であることは間違いない。しかしその前から、すなわち湾岸戦争以降から、共和党保守派のシンクタンクなどは常にイラクの脅威を警告してきたし、現に湾岸戦争以降もイラクに対して爆撃と いうものはずっと続けられてきているのである。もちろん現在はより多くの政策提言などの論文や、働きという のがあるに違いないが、9.11 以降こうした動きが強まったように感じるのは表立ったということに過ぎないの ではないかとさえ考えられる。 イラクが9.11 テロに関与していたという証拠を提出しないまま、ブッシュ政権は恐怖心に煽られたアメリカ 国民に対し、「襲われる前に襲え」という論理で、イラク攻撃と 9.11 テロを感情的に結びつけることに成功し たといえよう。しかし、この背景には共和党保守派のシンクタンクがあった。イラク攻撃は 9.11 テロが起こる ずっと前にブッシュ政権を牛耳るネオコン(新保守主義者)グループによって企てられていたのである。 これらのネオコングループに代表される米国保守系シンクタンクの当時の主張としては「イラクの脅威は すでに切実なものとなっており、対テロ戦争との関連からも見過ごせない」ため、イラクが核武装すれば非 常に厄介な問題となるので、アメリカはそれを回避するために大胆な行動に出る必要がある、という強硬な ものである11。ビンラディン率いるタリバンやアルカイダとの対テロ戦争が終盤にさしかかっていた当時、なさ れるべきことは対イラク政策に活路を見出すことであった。これはすなわちフセイン政権の打倒を意味する。 そして中東諸国をはじめとする隣国との平和共存を目指すイラクの指導者が表舞台に登場できる環境を作 ること、これがアメリカの急務であるというのが保守派シンクタンクの言い分であった。 フセインはギャンブラーであり、リスクをおそれずに都合のいいように状況を判断する独善的な政策決定 者である。実際に1980 年のイラン侵攻、90 年のクウェート侵攻、90∼91 年の湾岸戦争、94 年のクウェート 再侵攻の試みなどは彼の非合理性のあらわれである、としか説明のしようがない。また当時の査察を拒んで いた状況において、最低でもフセインが核兵器の獲得を目論んでいたことは間違いない。一方でイラクは 化学兵器、生物兵器をすでに保有していた上、自国の民間人に初めてそうした平気を使用しただけでなく、 イランに対しても使用している点を考えると、彼を野放しにしておいていつ使用されるかわからない核兵器 の開発を黙って見過ごすわけにはいかない。ここで保守派の性格はもともと民主化を唱える考えとは一線を 画し、国益や大国間の関係を重んじる現実主義的思想が根付いているため、強硬といわれる手段が支持さ れることが多かった12。 第 2 節 制裁体制のほころび イラク戦争以前の当時、反イラクの姿勢を強くするアメリカに対して、ロシア、フランス、中国はイラクへの 制裁の継続に反対であった13。これらの諸国はイラクへ多額の債権を所持しており、石油売却による債権の 返済と石油利権の獲得を期待していたのであった。長期に渡る制裁にもイラクがなかなか屈しようとしない 理由がここにあったと見ることもできる。実のところ、イラクに対する経済制裁が部分的に解除されても、国民 の生活水準の改善にはほとんど影響していないのが現状であった。むしろ経済制裁の部分的な解除によ って利益を得ているのはイラクよりもロシア、フランスなどの石油取引国や、これによってイラク国内での活 動費を賄える国連の方なのである。イラクはこうした利害関係を逆手にとってロシアや、フランス、中国など をアメリカによる対イラク攻撃や制裁緩和の働きかけの盾にして経済制裁の解除を目論んでいた14。これら の経済的に大きな利害関係を持つ国々や、アラブ諸国を中心とした対イラク同情論は、イラクの査察拒否 に対するアメリカ保守派の軍事制裁の方針に同調しない。アメリカとイラクの対立はこうして次第に戦争の様 相を増していった。 イラクの政府高官は国内に大量破壊兵器は存在しないと度々主張していた。政府高官はそう言っていて
も肝心のサダム・フセインはイラクの武装解除など一度も口にしていない。しかし国連安保理事会がイラク政 府に対して保有する大量破壊兵器を解体し、無害化することに協力するように要請してからすでに10 年の 月日が流れた。4 年前にはイラクは UNSCOM を国内から締め出して活動できないようにし、以来イラクの 大量破壊兵器については昨年まで査察も監視も行われていなかった。この点からわかるようにイラクは国際 法を破り続けていたし、大量破壊兵器の開発能力の維持を決意していた、というのが保守派の人々の主張 である。 第 3 節 対イラク「封じ込めプラス」戦略 対イラクの封じ込め政策というのはもはやその効力を失いつつあった。湾岸戦争が終結を迎えた時、アメ リカは敗北したフセインが権力の座から追放されることを期待していたはずだ。フセインの牙を抜いて孤立 させ、彼が政権ポストから失脚するのを待つ、これが当時のアメリカの姿勢であった。これが「砂漠の狐作 戦」である。この10 年間、イラク封じ込めの目標は侵略という野望にとりつかれたフセインが大量破壊兵器 を獲得したり、再軍備を試みたりすることを阻止することであった。アメリカと同盟諸国は、イラクの侵略を抑 止したり、撃退したりしなくても済むように、イラクが周辺諸国に脅威を与える手段を持てないようにしたかっ た。しかし、対イラク戦争がはじまる前の2,3年の間にイラク封じ込め政策にもかなりほころびが目立つよう になってきた。大量破壊兵器開発プログラムに対する査察はずいぶん前から中止に追い込まれていた。フ セインにルールを遵守させるために争うことに疲れ果て、国連の制裁を尊重しない国の数も増え続けてい た。ここで穏健派としては一旦同盟国に呼びかけ、国際協調を促し、それから対処すべきだと主張する。確 かに反フセイン連合を立て直し、封じ込めを強化するように他の諸国に働きかけるのは間違ってないように も思える。だが、状況を簡単に改善させることができるというのはあまりにオプティミスティックであった。イラク への包括的な制裁が効果を上げるにはもちろん多国間の国際協調が必要不可欠ではあるが、主要国の多 くが制裁を遵守しないために制裁がうまくいってなかったのが現実だったからだ。 ここで「封じ込めプラス」戦略という米外交問題評議会のシニア・フェローであるモートン・H・ハルペリンに よる政策提言があらわれてくる。これは国連の制裁の枠外でイラクがドルを得るのを防ぐとともに、大量破壊 兵器の製造や他の軍需計画に役立つ物資のイラクへの流入規制を強めることを目標としていた。同時に国 連による査察再開を強く求め、イラクがこれを受け入れない場合には安保理の決議に応じて、軍事行動に 向けた国際的コンセンサスを構築して、イラクの大量破壊兵器の使用およびテロリストへの提供を抑止する 必要がある、とした。この戦略では、イラクと国境を接する諸国に、アメリカの単独軍事行動のための基地使 用そして国境警備、およびイラクとの間の物資の出入りへの監視体制強化を支援することが重視される。こ れらの国には対イラク禁輸措置に伴う経済的損失を埋め合わせる大規模な経済援助を与え、一方で近隣 諸国、国連とともにイラク市民に人道支援が間違いなく届くように配慮する。加えてイラクでの人道的悲劇が 制裁措置によってではなく、イラク政府の政策によって引き起こされていることを世界の人々に理解してもら うため、大がかりな広報外交を展開する必要もある15。2001 年 7 月 31 日米上院外交委員会において、ハ ルペリンはこの「封じ込めプラス」戦略が果敢に実施されるならば、サダム・フセインによる大量破壊兵器の 使用および、テロリスト集団への提供という動きを抑止できる可能性は高いと思う、と述べ、湾岸戦争の終結 以来、サダム・フセインの政策の意図はイラクでの自らの権力を維持していくことであり、一歩間違えれば政 権を負われることになることを理解しているだろう、と述べた。ここで注目なのは二点。ハルペリンがフセイン とテロとのつながりを完全にあるものとして話を進めている点がまず第一点であり、第二点はこの「封じ込め
プラス」戦略というのは一見オブラートに包まれた融和政策のように見えるが、要はこのアメリカにとっての絶 対的に優位な条件の戦略を打ち出し、これを飲まなければ軍事攻撃に出るしか選択肢はない、と述べてい る点である。 「封じ込めプラス」戦略の代替案が「戦争」を意味していることは誰に目にも明らかであった。 第 4 節 PNAC の存在と政策提言 「米国の国家安全保障戦略はわれわれの勝ちと国益を調和させた明白なアメリカ国際主義にもとづく」昨 年9 月に発表されたブッシュ政権の国家安全保障戦略はこのようにうたいあげた16。自由と民主主義、自由 貿易と自由市場というアメリカ的価値こそ絶対的正義であって、それに逆らうものは悪に他ならず、その悪を 先制武力行使をも辞さずに撃ち滅ぼし、その価値を全世界化することこそ、アメリカ帝国主義なのである17。 このアメリカ帝国主義を主導するシンクタンクで、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官、ウォル フォウィッツ国防副長官、辞任したパール元国防政策委員会委員長など、ブッシュ政権の中枢を担う面々 が賛同者として名を連ねるものがワシントンDCにある。「アメリカ国際主義」を主導し、1997 年に設立された、 今日では広く知られるようになったネオコン派の右翼理論政策シンクタンク「新アメリカ世紀プロジェクト (PNAC)」である。PNAC の設立趣旨は「軍事力を積極的に行使し、アメリカの価値観を世界に普及させ る」18というもので、パックスアメリカーナを公然と唱えている団体である。PNAC が 2000 年の 9 月に作成し た「アメリカ防衛力の再建―新世紀に向けた戦略、軍事力、資源」が現ブッシュ政権の国家安全保障戦略 の基本となっていると言われている。ここでアメリカの対イラク攻撃が前から示唆されていたことを証明するこ とができる。同レポートにおいては、ブッシュ大統領が“悪の枢軸”と呼んだイラク、イラン、北朝鮮は危険国 として挙げられており、こうした危険な国を抑止するための軍事力行使がうたわれている。それに必要なの は「新たな真珠湾攻撃となる大惨事」だったのだが19、それが2001 年 9 月 11 日に訪れたのである。PNAC はテロの一週間後ブッシュ大統領に宛てた書簡20で同テロを「イラク政府が支援したかもしれない。たとえイ ラクとこのテロを直接結びつける証拠がなくても」テロ対策にはフセイン打倒を含まなければならない、と明 言している。ラムズフェルドはテロが起きた31 時間後に「アルカイダだけでなくイラクも攻めればいい」と叫ん でいた。ウォルフォウィッツに関してはテロが起こって24時間も経たない内にイラク攻撃を唱えていたという21。 それどころか、その3年前の98 年にはクリントン大統領に宛てた書簡22で、PNACはイラクの政権交代を 訴え、必要であれば武力をも行使する権限がアメリカにはある、と促していたのである。その年の12 月、クリ ントンはイラク爆撃を実行した。 実は上記のPNAC のレポートは父ブッシュ政権時の 92 年、当時のチェイニー国防長官の下でウォルフ ォウィッツ国防省政策担当次官が中心となって、冷戦終結後の新しい世界体制の青写真を描いた「防衛計 画指針」という方針が土台となっている23。ここでは潜在的競合国がアメリカのリーダーシップに挑んだり、地 域的にも、世界的にもより大きな役割を担うことを願わないような仕組みを維持することが必要だと説かれ、 主にイラクと北朝鮮が脅威とされていた。92 年当時には防衛費の増大を招くという批判を受けて葬られたこ の計画が11 年後の今、現ブッシュ政権の防衛計画として甦ったのである。 このネオコン集団PNAC のクリストル議長が昨年11 月、上院外交委員会で次のように証言した。「イラク での親米政権樹立がもたらす政治的、戦略的報酬は巨大である。親米的で自由な産油国イラクが誕生す れば、イランを孤立させ、シリアを脅えさせ、パレスチナ人はイスラエルとの交渉によって誠実となり、サウジ アラビアは中東と欧州の政治家に対する影響力を弱めることになるだろう。サダム・フセインを政権から追放
することは中東の政治的景観を根本的に変える真の機械を提供することになる。このことをブッシュ大統領 は知っている。」24 このことを受けてか、ブッシュ大統領は昨年11 月、ワシントン・ポスト紙とのインタビューで「我々はイラクを 体制変革し、次はサウジアラビア、続いてエジプト、シリア、その次にイラン、そしてパレスチナを民主化す る」と平然と述べている25。 また昨年12 月には PNACの発案で、上院のロット共和党院内総務、シェルビー情報特別委員長ら議員 9 人が、イラクのフセイン政権打倒を求める書簡を大統領に送った。テレビ番組で PNAC の動きについて 尋ねられたライス大統領補佐官は「フセインがいなければ世界はもっと明るいはず」と、賛同するかのような 返答をしていた26。 国防費増大もPNAC の持論である。呼応するかのように大統領は来年度予算案に 480 億ドルの増額を 盛り込むことを発表した。こうした一連の主張の根底に流れるのが米国帝国主義である。「軍事力を積極的 に行使し、自由や人権、民主主義、資本主義といった米国的価値観を世界に普及させる新保守主義」と、 PNAC のドネリー副事務局長は説明する27。 PNAC の思想を、レーガン元大統領の外交・安保政策への回帰と見る向きもある。ブッシュ大統領の「悪 の枢軸」演説は、レーガン大統領が旧ソ連を悪の帝国と呼んだことをほうふつさせる。
第 3 章 イラク問題に対する民主党系シンクタンクからの批判
第 1 節 その政治的な色彩 このように共和党系の強硬な政策提言が目立つ中で、反対に民主党系のシンクタンクからはイラク政策 に関しての批判がいくつかあったようだ。PPI を代表とする民主党系のシンクタンクはイラク問題などの外交 政策に対して、穏健派で多国間主義とされる。イラク問題に関しては「まず査察の結果を見るべきだ」「皆が 判断を下せるためには国際社会の議論が必要。それには世界に対して情報が示されるべきだ」と語り、国 際社会を納得させるためにも国連査察が「第一歩となるべきだ」と繰り返し述べられていた。また8 月 15 日付けのワシントン・ポストにはPPI のウィリアム・マーシャルによる「Don’t attack Saddam Hussein」という論文が寄稿され、これが載ってから単独軍事行動に傾いていた米政府は国連の対イラク 決議の採択を求める方針に転換し、国連の査察官はイラクに戻ったのである。パウエル国務長官が対イラ ク政策に関して発言権を強めはじめたのもこの頃であり、パウエルはこのような流れを受けて、チェイニー副 大統領に慎重に対イラク政策を運ぶように忠告したりもしている。 ブッシュ大統領は9 月 12 日の国連演説においては米国が 1984 年に脱退した国連教育科学文化機関 (ユネスコ)に復帰するとも発表した。これには国際社会への協調姿勢を示し、単独行動主義批判を和らげ る狙いがあった。ユネスコには国連加盟国の大半が加入しており、国連を通じて、イラク攻撃への指示をよ びかける以上、途上国対策に真剣に取り組む姿勢を見せる必要がある上、貧困撲滅がテロ対策にも欠か せないとの判断が働いたのであろう。ここまで強硬一辺倒だったブッシュ大統領の政策はこの時期丸みを 帯びていた。演説をする日の朝の記者会見では「これから私は国連に行ってイラク政策について演説をす る。これは国際的な問題であり、ともに対処しなければならないと感じるからだ」とまで述べている28。ブッシ ュ大統領はとりあえず国際社会の理解獲得の努力を優先しようという姿勢を強めたのである。これにも民主 党系シンクタンクの批判を無視できなかった、という点が見え隠れする。
第 2 節 ブッシュ政権のアメリカ石油業界との結びつき だがアメリカは、9.11 に対する怒りと復讐心にかられムキになって報復戦争をしかけたわけではない。ブ ッシュ個人はともかくアメリカ政府の世界戦略はそんなに単純なものであるわけがない。今アメリカが「帝国」 としての正体をさらしてまでもイラクへの拡大政策をとりつづけている最大の理由は実は“石油”という側面も あるのではないかという民主党系シンクタンクの批判もある。 産油国であると同時に、世界最大の石油消費国であるアメリカ。アメリカ的生活様式はありあまる石油の 存在を前提にしたものであった。しかし、そのアメリカにとってとりわけアメリカ石油業界とそのスポークスマン たるブッシュやチェイニーにとって、死活をかけた問題だったのかもしれない。ブッシュ戦争は産油国でな いアフガニスタンへの攻撃から開始されたため、当初は石油のための戦争という構造が見えにくかった。し かし、開戦から一年が過ぎ、世界第二位の産油国イラク攻撃を実施すると、それがようやく誰の目にも明ら かになりつつある。実際のところブッシュ政権はその誕生以来、石油のための戦争を開始するチャンスを虎 視眈々と狙っていたといっても過言ではない。あくまでも 9.11 は開戦にきっかけと口実を与えたに過ぎな い。 石油メジャーと軍産複合体をスポンサーとするブッシュ政権はイラク攻撃をかわきりに大規模かつ、継続 的な「石油のための戦争」に突き進んでいる。アメリカ国内の油田が枯渇しはじめ輸入原油への依存を急 速に深めているからだ。石油枯渇はアメリカ国内だけの問題ではない。2010 年から 20 年の間に世界の石 油需要は石油生産を上回り、世界中で深刻な石油枯渇がはじまるという29。ブッシュ政権のアメリカは、これ を見越して石油独占へと乗り出そうとしているのではないか、という批判もある。 第 3 節 先制攻撃ドクトリンへの批判 もうひとつ分析できる側面はアメリカのイラク攻撃に備えての先制攻撃戦略への根本的転換である。米国 ワシントン・ポストの昨年 6 月 10 日付けに掲載されたトーマス・E・リックスの書いた「Bush Developing Military Policy of Striking First」にブッシュ政権が先制攻撃の軍事政策を展開していると述べてあった
30。この記事に指摘されているように、ブッシュ政権はテロリストや「敵性国家」と自分達が断定したもの、つ まり自分達に屈服しひれふさない反米諸国に対しては従来の抑止と封じ込め戦略が効果を持たないと決 めつけ戦略を転換してこれらの国家に対する先制攻撃戦略をアメリカの軍事戦略の主要な柱として9 月に 発表された国家安全保障戦略の新ドクトリンとして加えた。もうすでに明らかなようにこの先制攻撃ドクトリン の改訂作業は直接対イラク攻撃を念頭において策定されたといえよう。「イラク攻撃は先制攻撃でいく」と戦 争挑発、戦争脅迫を行っていたのである。 アメリカは、米ソ冷戦時代にも、ポスト冷戦時代にも、侵略戦争を公然と宣言するに等しい先制攻撃戦略 を公式の戦略としてそれまでは採用できなかった。もちろん、そのことはアメリカが先制攻撃をしなかったこ とを意味するものではない。民主党系シンクタンクの主張は、アフガニスタンへ侵略し、軍事介入したのも先 制攻撃以外のなにものでもなかった、といわばブッシュ政権の軍事行動は卑怯なだまし討ちと先制攻撃の 連続であったと言っている。 しかし、つい最近まではそんなアメリカといえどもあまりに危険すぎて先制攻撃戦略を公式に採用するこ とはできなかった。米ソ冷戦時代にはソ連と社会主義諸国、世界中の反戦平和運動が黙っていなかったし、 冷戦の終焉後もそう簡単ではなかった。何よりも世界中を戦争と紛争で覆いつくすようなこのような戦争攻 撃の論理を倫理的・道徳的に国内外の世論が許さなかった。また、先制攻撃戦略を採用することは対ソ冷
戦の構造下ではただちに世界熱核戦争に結びつくことを意味していた。そんなことをすれば壊滅的な結果 を招くことは明らかであった。さらにはもしもキューバ危機の際、ケネディ大統領がミサイル基地爆撃の先制 攻撃を命じていたらどうなっていたことか、などとリックスはこれらのふたつの踏みとどまった例をあげて今回 のブッシュ政権の先制攻撃ドクトリンを批判した。ブッシュ政権のこの戦略は歴史上初めてアメリカの軍事戦 略に先制攻撃ドクトリンを採用することにとどまらず、言うまでもなく好き勝手に先制攻撃を他国に仕掛ける ことは侵略そのもの、国連憲章に真っ向から反すると述べた。「自衛」の場合を除いては他国を攻撃する権 利はない――これが戦後の国際関係の根本原則である。しかもアメリカという唯一の超軍事大国が率先し てこの根本原則を踏みにじったとすれば国際法秩序はどうなるのか。リックスは警告する。「それは世界にグ ローバル・アナーキーをもたらすものでしかない」と。要するに先制攻撃戦略とは戦後の国際法秩序を根底 から破壊し、世界中を戦争と紛争に巻き込むとんでもない戦略なのだと批判しているのである。 第 4 節 軍産複合体への批判 米ワールド・ポリシー研究所のウィリアム・D・ハートゥング氏は、昨年5 月に「ブッシュ政権の 20 年間の米 核政策の根本的な逆転における、兵器ロビーの役割」と題する長文レポートを発表した31。 この報告書は、米国の戦略的政策の形成に際しての兵器ロビーの役割を分析する一連の報告だが、同 年3月に暴露されたブッシュ政権の核戦略について軍需産業が果たした役割という観点から興味深い分析 と評価を行っている。ブッシュ政権と軍産複合体との様々な財政的、金融的、人脈的、融合・癒着構造が見 事に論証されている。 ハートゥング氏によれば、軍需産業に支えられた保守系シンクタンク NIPP(全米公共政策研究所)がま とめた一昨年1 月の報告が、翌年 3 月の米新核戦略のモデルになったと言う。しは、過去20 年間の米政 権の戦略が核兵器の比重を引き下げる方向であったのに対し、神格戦略は核兵器の役割を拡張すること で要求してきた保守的な理論家たちの大勝利であり、根本的な逆転だと評価している。そして、新核戦略 における①長距離攻撃システム、②ミサイル防衛、③再活性化した核兵器複合体の 3 本柱の開発のため に投入される莫大な予算がロッキード・マーチン、ボーイング、ノースロップ・グラマン、レイセオンなどの軍 需産業や、ベクテル、ハネウェル、ウェスティングハウスなどの原子力産業、要するに核兵器産業がいかに 巨大な利益を供給するものであるかを分析している。 フランク・ギャフニーは、1988 年にレーガン政権下のペンタゴンを去って、CSP(安全保障政策センター) を設立して以来ずっとミサイル防衛の中心的存在であり続けてきた。そして、多層化したミサイル防衛システ ムの開発へ向けて圧力をかけるために、保守系シンクタンクと、議会の兵器管理委員会のメンバーとロッキ ード・マーチンやノースクロップ・グラマンのような主要兵器メーカーを糾合してきた。現在ブッシュ政権で活 躍しているCSP出身者の中には国防省政策課次官ダグラス・フェイス、空軍次官ジェイムス・ロッシェ、そし て辞任した国防省政策局を統括していたリチャード・パールらがいる。CSP の 2001 年 11 月「炎の番人賞」 選考会ディナーでラムズフェルド国防長官はブッシュ政権で活躍しているCSP関係者の多さに「私はスタッ フ会議を招集しようと思っていたのだが、明日まで待たなくてはならないようだ」という冗談を言ったほどブッ シュ政権には強硬派が中枢に入り込んでいる。 フランク・ギャフニーなどといった保守的イデオローグは、ブッシュ政権の核政策を形成する際に先頭に 立ってきたのだが、その間ずっと武器契約者からの決定的に重大な支援を受けてきた。CSP は、1988 年 の設立以来、300 万ドル以上の法人寄付金を受け取ってきている。その主要なものはロッキード・マーチン
やボーイングのようなCSP が提唱する政策から直接利益を得る企業からの献金である。 ロッキード・マーチン社の副社長でミサイル防衛計画担当のチャールズ・クッパーマンはCSPとNIPP の 両方の取締役会の一員である。ロッキード・マーチンは、ミサイル防衛計画の主要な計画者であることからも わかるように、ブッシュ政権の核政策推進から主要に利益を享受している、とハートゥングは述べる。米の核 兵器産業は「ロビー活動をする必要がない」ほどにブッシュ政権に深く入り込んでいる、と氏は指摘する。彼 らは「ブッシュ政権そのもの」である、と。逆を言えば、ブッシュ政権は軍需産業、核兵器産業、軍産複合体 そのものであると述べているのだ。 ブッシュ政権は、新戦略と軍事予算の桁外れな増額によって、危機に瀕していた軍産複合体を復活させ ようとしている。それを進めるには、アフガンのような「小規模な」戦争では足りないと考えていて、使用できる 核兵器の課初で利潤をあげる軍産複合体の復活のためにはイラクへの攻撃が必要なのだ、と批判した上 で、ブッシュ政権の生成攻撃戦略、核使用戦略に反対する運動が極めて重要になっている、と述べてい た。
終章
今日、アメリカにおいてシンクタンクはこのようにホットな政策論議にいかにしてタイムリーに参加していく か、という課題と学問的な側面から質の高い研究を行い、政策提言を行うという二面性を持ち合わせてい る。 シンクタンクの乱立するワシントンではどれひとつをとっても同じものはなく、各々が得意とする分野を活 かしながら政策市場で競合しているのが実態である。民間の企業と同じようにアメリカのシンクタンクも、置 かれた環境の中で様々な限界を抱えながら生き残りを図っている。真実を探求しようとする「アカデミズム」と ワシントンのシンクタンクの宿命である「見える形での影響力」という両方の目標の間でいかにバランスをとる かということは永遠の課題であろう。シンクタンクなどの民間非営利団体が直接国家の政策に影響力を行使 できるこの政治システムこそがアメリカの最大の強みであるといえる。 本論文でとりあげたように、イラク戦争に対するシンクタンクからの圧力による政策転換というのは本当に 多種多様である。 ブッシュ政権の発足当時の公約は内政面が「思いやりのある保守主義」、外交面が「慎みある外交」であ った。その「慎みある外交」が先制攻撃ドクトリンへと姿勢が転換されてしまったのは何故なのか。これは果 たしてアメリカ本来の特質なのか、それともブッシュ政権の中で何かが変わったのか。答えは後者であろうと 私は考える。ブッシュ政権における外交・安全保障政策チームの思想・戦略的思考の背景にはそれを支え る保守のイデオロギーがあり、それを後押ししていたのがシンクタンクであることはもはや否定できない。そ の影響力を推し量るにあたって明確な基準は持てないが、影響力があったか、それともなかったかと問われ ればなかったとは言えないだろう。 9.11 テロ以前からアメリカはイラクに対して強硬な政策を行使していた。その背後にシンクタンクの影響 力があったことは自明の理である。しかしここで、私たちが注目すべき点はこれからのイラク再建に関するア メリカの動きである。そのアメリカという国において政策の流行、トレンドを握る重要なアクターであるシンクタ ンク。今後のアメリカのイラク再建政策を占う上で、シンクタンクの動向からは目が離せない。
1 鈴木崇弘、上野真城子「世界のシンクタンク」1994 年、p.5
2 KENNETH M. POLLACK: The Threatening Storm p.389 3 http://www.jiia.or.jp/pdf/america_centre/h12_nakayama.pdf 4 http://www.jiia.or.jp/pdf/america_centre/h11_nakayama.pdf 5 同上
6 http://www.heritage.org/whoweare/
7 JAMES E. MCGANN: Think Tanks and Civil Society in a Time of Change p.46 8 Ibid., pp.53-54 9 小池洋次「政策形成の日米比較」1999 年、p.73 10 http://heritage.org/defencepolicy.20001014.html/ 11 リチャード・N・パール「サダム追放策の全貌を検証する」2002 年 12 ケニース・M・ポーラック「イラク侵攻というアメリカのジレンマ」2002 年 13 F・グレゴリー・ゴーズ「イラク経済制裁の戦略的解除を」1999 年 14 同上 15 モートン・H・ハルペリン「対イラク『封じ込めプラス』戦略で戦争回避を」2002 年 16 http://www.ircl.net/web/frame03331e.html/ 17 ローレンス・F・カプラン、ウィリアム・クリストル「ネオコンの真実」2003 年、p.30 18 http://www.getglobal.com/war/iraqwar2.html/ 19 http://www.newamericancentury.org/RebuildingAmericasDefenses.pdf 20 http://www.newamericancentury.org/Bushletter.htm 21 田川勇一「イラク戦争を主導するネオコン」(グローカル 631 号、2003 年) 22 http://www.newamericancentury.org/iraqclintonletter.htm 23 http://www.nytimes.com/cfr/international/background.iraq031403.html/ 24 白石忠夫「イラク侵略計画とブッシュ政権の新世界戦略」(技術と人間 02 年 12 月) 25 http://www.ircl.net/web/frame03331e.html/ 26 同上 27 http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Bushwar/arrange/iraq_attack_16.html/ 28 読売新聞 2002.9.13 29 国防情報センターの資料 http://www.bund.org/1097-5.html/ 30 http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A22374-2002Jun9.html 31 http://www.worldpolicy.org/projects/arms/reports/reportaboutface.html 【参考資料】 <一次資料> * http://www.aei.org/ アメリカンエンタープライズ HP * http://www.bund.org/1097-5.html/ 国防情報センターの資料 * http://www.brooks.edu/ ブルッキングス研究所 HP * http://www.heritage.org/ ヘリテージ財団 HP * http://www.newamericancentury.org/ PNAC HP * http://www.ppionline.org/ PPI HP * http://umembassy.state.gov/ アメリカ大使館 HP * http://www.worldpolicy.org/ ワールドポリシーインスティテュート HP * The New York Times; Mar.14, 2003.
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* 日本経済新聞;2002 年 8 月 23 日、2002 年 8 月 28 日、2002 年 8 月 30 日、2002 年 9 月 5 日、2002 年 9 月 6 日、 2002 年 9 月 18 日
* 読売新聞;2002 年 1 月 25 日、2002 年 8 月 7 日、2002 年 8 月 14 日、2002 年 8 月 19 日、2002 年 8 月 23
日、2002 年 8 月 28 日、2002 年 9 月 2 日、2002 年 9 月 3 日、2002 年 9 月 5 日、2002 年 9 月 8 日 <二次資料>
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あとがき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小池和雄 大学生活四年間の中で学問に打ち込んだ、といえる時間が正にゼミの時間であった。自分にとってのゼミとは大学 生活における怠け防止であり、めんどくさいなぁと思うことも多々あったが、卒論に力をいれるこのゼミに入ってよかった、 今はそう心から思う。 卒論を書かなくても単位がもらえるゼミが多い中で我らが久保ゼミは2 年間の集大成として卒論にとりわけ力点をおく スタイルだ。我々13 期生が 25 名おり、その全員が 20000 字∼25000 字を書くことを考えると読む側の負担は想像を 絶する。2 年間の付き合いの中で久保先生はどちらかと言えばサドなのかと思っていたが、卒論を執筆するにあたって 久保先生にはマゾの一面もあるのだということを知った。全員分を読まなくてはいけない上に、添削して何回も書き直さ せるという作業を踏むからだ。本来ならば、出させてそれをほっておいても誰にもわからないし、現にそのようなことをや っている教授も間違いなくいるはずだ。サドであり、マゾ。そんな二面性を持ち合わせている先生を発見できただけでも 卒論を書いて本当によかったと思える。底の深い先生だ。 前置きはこれくらいにして、内容の方へ。 私は入ゼミ論文において、久保先生の演習の授業で研究していたブルッキングス研究所というシンクタンクを通して アメリカ政治システムを理解すること目的とした論文を書いた。いわゆる古きよき時代の古参シンクタンクであり、アメリカ を代表するシンクタンクのひとつであるがゆえに見えてくる部分は大きかった。これを通してアメリカ政治におけるシンク タンクの役割の概要を理解できた。 また、三田祭論文ではうってかわって「現政権の対イラク政策」というホットなトピックを扱った。強硬といわれているブ ッシュ政権の対イラク政策においての政策決定過程などに着目した論文を執筆した。 そしてせっかく研究してきたふたつのトピックを相互に生かさない手はない、と考え卒業論文においてはアメリカ政治 におけるシンクタンクの役割をとりわけ9.11 テロ以前の対イラク政策に着目して分析することにしたのである。 終わってみればゼミに入る前から今まで個人的に研究してきたことの総括のようなものが書けたのではないかと自負 している。卒論を書き始める前に執筆したふたつの論文を一本化し、より深い研究になるように努めた。より深く研究が できたことにより、書き終えた後の達成感はひとしおである。 これから長い人生を歩む中で実社会に出ようとしている私がこれほど長期間に渡ってひとつのことを研究するというこ とは恐らくないであろうと思われる。しかし、卒論を書く作業の中で培った能力は何事にも生かされよう。 学ぶことは生きること。卒論に取り組んだおかげで生涯「学生」でい続けられる、そんな気になれたことは私の中でひ とつの財産になった。 小池和雄君の論文を読んで 【小原康平】 現代アメリカ政治におけるシンクタンクの役割は多岐に渡っており、これを理解することはアメリカ政治の特徴的な側 面を理解する上で重要な意義を有しています。本論文はこのシンクタンクを定義するものとは何か、そして具体的に如 何なる活動を行っているのかをまず序章、第1 章で概説し、非常にわかりやすい切り口を設けていると感じました。第 2 章以降では、このシンクタンクの具体的な活動を現在進行形のイラク戦争を視野に入れた外交的側面から検証してい ます。第2 章では共和党保守派との連動の多い保守系シンクタンクを、第3 章では民主党系のシンクタンクの政権に対 する具体的な活動内容を紹介しており、論文の構成としては極めてよくまとまった展開になりえていると言えるでしょう。 執筆にあたって利用している一次資料では、イラク攻撃にまつわるタイムリーな情報源が不可欠であるだけに、インター ネットのHP などの活用がなされていることも特筆すべき事項であるといえます。総じて、現ブッシュ政権の内外の情報 源を有効的に活用し、歴史的な事象に沿った多角的な理論展開がなされた論文として評価できると思います。私も読 んでいて楽しませていただきました。 改善点をあげるとすれば、論文全体を通してシンクタンクが与える「影響力」とは如何なる度合いを指しているのか、 明確な定義がなされていないことが言えるのではないでしょうか。シンクタンクそのものが官僚予備軍としての機能を有 し、実際に現ブッシュ政権内の中心人物を複数送り出している点は確かに明確な「影響力」を実証しているといえるでし ょう。一方で、PNAC に代表されるこのようなシンクタンクに署名する人物たちが、単にシンクタンクとしての活動に重点 をおいていたのか、はたまたシンクタンクでの活動を起点として政権につくことになったのかは、実際のところ判別しにく いのではないかと思います。シンクタンクそのものの活動の内容が、実際にその後の政策上の意思決定と関連していた のかは、結果的には状況証拠でしかなく、厳密な意味での直接的な影響力を有していたと断言することはある意味で は難しいのかもしれません。論文の中では、少なくともこの点に言及しておく必要があるように思います。 具体的には、第3 章第 1 節にて、ブッシュ大統領が国際社会の理解を獲得する努力を結果的に優先した事実をもっ て民主統系シンクタンクの批判を無視できなかったとありますが、この直接的な影響力は議会民主党の圧力として表出 したという側面もまた存在したのかもしれません。この点に関しては、シンクタンクの活動を意思表明から政権に届くまで、 具体的な過程をもって提示出来れば更なる説得力を獲得することが出来るのでないでしょうか。 全体を通して以上の点を指摘させて頂きましたが、論文の内容は総じて具体的事実がよく検証され、シンクタンクそ のものに対する研究がよく行き届いた、非常に高度な内容であったと思います。最終提出までに更なる進化が見られる
ことを期待しています。 【喜久山顕悟】 小池君の論文ではアメリカ政治においてシンクタンクの役割が大きい、ということをイラク戦争を題材に論じられている。 特に 9.11 テロ以前の対イラク政策にテーマを絞って話を進めている点は、もう結果がでているだけにシンクタンクの政 治への影響が大きいということを証明する上ですぐれており、また現在のアメリカのホットな政策を取り上げているので具 体性、例に富んでおり、読み手の興味をそそるものであった。また、序章から終章までの章立てもわかりやすくスタイリッ シュにまとめられている点もすばらしいと感じる。具体的には第1 章でシンクタンクの起源が『第二次世界大戦時のアメリ カで、国防関係の科学者や、軍の作戦担当者たちが「戦略を討議するために集うことのできる安全な場所や環境」を指 して呼んだのがはじまり』である、等シンクタンクの概念的な知識を教科書的に読み手に伝え、第2 章では共和党保守 系の軍事問題専門のシンクタンクであるPNAC を例に挙げ共和党の主張を展開している。第 3 章では反対に民主党 の意見も取り上げている。このように共和党と民主党の両者の主張を取り上げ最終的にテロ以前からの保守系シンクタ ンクの強硬な政策提言が存在したことを証明している本論文は、判りやすいロジックで議論が進められており筆者の本 論文の意義の1 つとしてあげていた「本当の意味での“民主主義”の主張」はシンクタンクの働きを通して十二分に読者 に伝わるものと思われる。 しかし以下に何点か問題点を指摘したい。まず、シンクタンクの影響力があるという結論に達しているわけであるが、 その影響力は具体的にどのようにして計ったものなのだろうか?影響力のアル、ナシでいえば間違いなくあったと私も 感じるが、どの程度あったのかを計ることは学問上数値などを示せるとより説得力を増すことができるのではないかと思 う。この点に関してはご自身も第1 章の第 2 節で「その実際の影響力を確定することは困難であるが」と述べられている ので認識済みのことと思う。 また、第2 章第 1 節で「Heritage 財団など、9.11 のテロ事件がなくても常にイラクに対する危険信号は発していた」 とあるが実際にどのようなことを主張していたのか同じ節内でその主張を述べておくとより読み手に理解しやすかったの ではないだろうか。 できるだけ公正中立な立場で議論を展開しようとする筆者の思いは伝わってくるが序章の下から2 行目の「イラクを民 主化させてやろう」や第2 章第 1 節の「なされるべきことは対イラク政策に活路を見出すことであった。」などやや共和党 よりの記述が目についたので指摘しておきたい。 最終稿提出まで約2 ヶ月、2 年間のゼミの集大成となる卒業論文を書き上げられるようにお互い頑張りましょう! 【山中麻里江】 「アメリカ政治におけるシンクタンクの役割」ということで、アメリカ政治の特徴を非常によくつかんだテーマであると思 う。シンクタンクというのはアメリカ政治の中で他のどの国家の政治の中よりも大きな影響力を行使しているものであると 思う。そして、この卒業論文を通して、なぜアメリカにおいてシンクタンクは大きな役割を担っており、また担えているか、 アメリカ政治とシンクタンクとの関係の考察を通して学ぶことができてとても興味深かった。また、論文の構成も、はじめ にアメリカ政治全体の説明に加えてその中でのシンクタンクの位置づけを述べてから、9.11 同時多発テロ後のシンクタ ンクに焦点を当て具体的なシンクタンクを取り上げて考察するなど、アメリカ政治におけるシンクタンクの役割を論証す る良い構成になっていると感じました。シンクタンクはアメリカ政治の裏の主役であると言っても過言ではなく、終章でも 述べられているように、私もアメリカ政治の今後の動向を考察する上で無視できない存在であると思いました。 次に、私の卒業論文のテーマは小池君の論文の第2 章第 4 節のPNACというシンクタンクについてということもあり、 アメリカ政治とジェネラルな意味でのシンクタンクの結びつきという大きな絵が見えたことも非常に得るものが大きかった と思う。また、シンクタンクが時代やニーズに沿って常に姿を変えつつあるという点でもシンクタンクはアメリカ政治なら ではの役割を果たしており、今後どのように変わっていくのかも見ていきたいと感じました。 次にこの卒業論文の改善点についていくつか述べたいと思う。論文全体を通して、アメリカ政治の動向の中でのシン クタンクの影響力を考察し、立証しているところは非常に明快で分かりやすいと思うが、保守系シンクタンクの影響力の みでなく、民主党系の影響力についてもさらに詳しく言及されていると、よりバランスのとれた論文になるのではないか と思う。 2 点目としては、シンクタンクとはどのようなものであり、それを内側から考察し、言及していたのだが、具体例や実際 にどのようなことがシンクタンクでどのようなことが行われているか具体例などを織り交ぜながら執筆するとさらにわかり やすい、説得力をもった論文になるのではないだろうかと思う。 改善点など、自分の卒業論文を棚に上げて述べてしまったが、最終稿提出まであと残り 2 ヶ月弱、よりよい論文を書 き上げられるようにお互い頑張りましょう!