Psychology and Teleology
教育′b理学教室 田 丸 敏 高
Toshitaka tramaru*:Psychology and teleology.(」 ourna1 0f the Facultyof Education,Tottori University,〈 Education Science〉 ,1988,30-1)
は じaウに 心理 学 は
,心
理 的活動 の法則 を明 らか にす る科学 で あ るが,そ
の こ とに よって,人
間 の諸行 動 を 因果論 的 に説明 しよ う とす る。 で は,そ
の ときの原 因 とはいったい何 だ ろ うか。 自然科 学 で使 われ てい るような言葉 の意味 において,そ
の ときの原 因 を理解 して もよいのだ ろ うか。 この問題 は,行
動 の説明の段 階 以前 にお いて,人
間 の諸 行動 を どの よ うな言葉 で記述 す るか とい う段 階 か ら,心
理 学 とい う科学 に とって本質 的 な問題 を提起 してい る。 話 をわ か りや す くす るた め に, 1つ
の例 を取 り上 げてみ よ う。 ある男が,目
の前 の テー ブルの上 にあるグラス に手 を延 ば し,フ
イ ンを飲 もう とす る場面 を思 い浮 かべて欲 しい。 この場面 を どの よ うな言葉 で記述 す るこ とが適切 なのだ ろ うか。A,有
機体0(あ
る男)が,刺
激S(ワ
イ ン)に
対 して接近反応R(飲
む)を
した。 これ は,従
来 心理 学 で用 い られ て きた「刺 激 ―反応(S―
R)J図
式 に よる記 述 の仕 方 で あ る。刺 激 と反応 の結合 の反復 に よって有機体 の行動 を説明 す る ものである。刺激 と反応 との間 に有機体 の 嗜好 性 を入 れて,「S― O―
R」図式 に よって説明 して も,要
は変わ らない。行動 の原 因 は,現
前 し て い る束」激 とされ る。 しか し,人
間 の行 動 は,
この ような単純 な記 述 に よって理解 され うるのだ ろ うか。B'そ
の男 は,グ
ラ ス を左 手 で取 り上 げた。 どこか に まだ,不
自然 さが残 って い る。 しか し,
も う来 て しまった。 窓越 しに灰色 の 日本海 をなが めなが ら,男
は,昨
日 まで の人 生 に別 れ の乾杯 を した。 小説や文学 は,人
間 の行動 を緻密 に描 写 す る。 架空 の 出来事 であ って も,読
者 は,
リア リテ ィを 感 じる。登場人物 や場面 に対 して,何
らかの感情 が引 き起 こされ る。小説 や文学 は,心
理 学 な どよ り人間や人生 について何倍 も多 くの ことを語 り,ま
た教 えて くれ る。 しか し,建
築 にお け る芸術性 と科学性 とが異 な る ように,人
間行動 の記 述 にお い て も文 学 的芸術田丸敏高:心理学 と目的論 性 と心理学的科学性 とは異なる。芸術が
,事
態 を形象化す るとした ら,科
学 は,事
態 を抽象化 し単 純化する。 どの ように美 しい ものが どのように美 しい動 きをしていようとも,物
理学 は,そ
れ を物 体の運動 として,重
さや距離,時
間の関数 として記述するだろう。 これ と同様 に,心
理学 も抽象化 や単純化 を行 うし,ま
た,行
わな くてはな らない。人間 も 1つ の自然であ り,そ
の心理 も自然史の 発展の中で生 まれて きた ものである以上,心
理的活動 は自然の法則 にしたがって営 まれていると考 えざるを得 ない。 その法則 を捉 えるためには,抽
象化や単純化 は避 けられない。問題 は,そ
れが ど のような抽象化 であ り,単
純化であるか とい う点 にある。芸術的 リア リティと科学的真理性 とは異 なる。 問題 はもとに戻 った。人間の行動の記述 に際 して,抽
象化や単純化 は避 けられないに して も,そ
の本質的特徴 を失わないためにはどうした らよいのだ ろうか。人間の本質 については,哲
学の世界 において,様
々 な議論が続 けられて きた。 その1つ として,人
間の行動の目的的性格 をあげるもの がある。た しかに,目
的 を持 って行動す るとい うことは,人
間が社会的であることや言語 を持 って いることと並んで,人
間 を人間 として際だたせている重要 な特徴である。人間の行動 は,刺
激 に対 する受動的な もの としてではな く,能
動的,意
識 的,目
的的に行われる。 しか し,そ
れ を心理学が, 科学 として どう取 り扱 うか とい う問題 は,実
は非常 に厄介 な問題 なのである。本稿 の課題 は,人
間 の行動の目的性 をどの ように理解 し,科
学的研究 として どの ように取 り扱 うべ きか を巡 って行われ た論争 を検討 しなが ら,人
間の行動 にふ さわ しい記述の方法 と説明の方式について考察 することで ある。1.行
動 の原 因 論 心理学 は,種
々の行動の事実 を問題 にし,そ
の原理や原因を求めてきた。 そして,近
代科学 とし ての自立 を求めて,現
在 い くつかの行動の説明様式 を持つに至 っている。 こうした心理学の原因論 を広い意味での原因論の中に位置づけてみよう。 ア リス トテレスは,物
事の原因について次のよう に述べている。 一― なお,ア
イテ ィオン[原因]と いうの も,こ
のアルケー と同 じだけ多 くの意味 に用 い られ る。 とい うのはアイティオ ンはすべてアルケー [原理]だ
か らである。一一 さて,こ
れ らでみ ると,
こ れ らすべての意味でのアルケーに共通 しているのは,そ
れ らがいずれ も当の事物 の「第1のそれか ら」であること,す
なわちその事物の存在 または生成 または認識が「それか ら始 まる第1のそれJ であることである。 しか し,こ
れ らの うち,そ
の或 るものはその当の事物 に内在 してお り,他
の或 るものはそれの外 にある。 さて,そ
れゆえに,事
物 のフィシス [自然]も
原理であ り,ス
トイケイ オン [元素,構
成要素]も
そうであ り,ま
た,そ
れのためにであるそれ[目
的]も
同様 である, というのは,善
や美 は多 くの物事の認識や運動 の始 まりだか らであるP
こうして,ア
リス トテレスは,物
事の原因 を大 き く4つに分類す るP
①事物 がそれか ら生成 し且つその生成 した事物 に内在 しているところのそれ [すなわ ちその事物 の内在的構成要素] ②事物 の形相 または原 型,そ
の事物のな にで あ がぷ[本質]を言い表す説明方式 な らびに これを包摂す る類概念 お よびこの説粥方式に含 まれ る部分 [種差] ③物事の転化 または静上の第 1の 始 まりがそれか らであるところのそれ [始動因
,出
発点] ④物事の終 わ り,す
なわち物事がそれのためにであるそれ [目的] これ らは,①
質料因②形相因③始動因④ 目的因 と呼 ばれ,ア
リス トテレスの哲学のなかでは,そ
れぞれ重要な意義 を持 っている。 しか し,近
代科学のなかでは,こ
れ らがすべて同等な意義 を持 っ たわけではない。近代科学 は,ア
リス トテレスの言 う始動因 を主たる科学的な原因 とした。そして, とりわ け,目
的囚に対 しては,非
科学的な もの とい うことで敵対的な態度 をとった。心理学 におい ても同様 な傾 向がみ られ る。 では,心
理学 において行動の原因はどのように説明 され るのであろうか。A.刺
激 (stimulus) 行動の原因 を刺激 に求めるのは,最
も一般的な説明方式である。ある行動が生 じたのは,
これ こ れの刺激に因 っている とされ る。 その際,行
動 は反応 と呼 ばれ る。その典型が,行
動主義の心理学 の立場である。S―
Rと いうのがその図式である。 この図式 は,現
在行動主義以外の心理学 におい てもよ く用い られている。 とりわけ,学
習心理学では,中
心的な説明方式であ り,刺
激の種類 と提 示順序 をコン トロールすることによって学習 を成立 させ ようとする。行動の原因が刺激 に求め られ る以上,行
動の記述 においては対応する刺激の記述 を欠かす ことはで きない。B.
含ヒ芝〕(competence) 同 じ刺激 を与 えて も,赤
ん坊 と成人 とでは反応が異 なる。人間は,年
齢 とともに成長 するか らで ある。 この とき用い られ るのが,能
力による説明方式である。すなわち,行
動 はある発達的能力の 発現 として説明 され る。 その際,行
動はパ フォーマンス と呼 ばれる。発達心理学 において,優
勢 な 説明方式である。 したが って,子
供の行動の記述 においては,対
応する能力が仮定 されなが ら記述 され ることになる。なお,能
力 は,人
間の様々な行動領域 (運動,適
応,言
語,社
会性 な ど)に
応 じて,あ
るいは,心
理機能 (感覚,知
覚,思
考,感
情,人
格な ど)に
応 じて,記
述 され る。 C。 ノペ、程子(persOnality) 人間の場合,同
じ刺汝場面 におかれて も,人
によって示 される行動が大 きく異なることがある。 人間は個性的存在だか らである。この とき用い られ るのが,人
格 ないし性格 による説明方式である。 すなわち,行
動の違 いは,人
格や性格の違いが もた らした もの とされ る。 その際,行
動 は特性 とし て呼ばれることが多い。人格心理学や性格心理学 において,よ
くみ られ る説明方式である。 したが って,行
動の記述 においては,一
人ひ とりの特性 の違 いが念頭 におかれることになる。 以上,心
理学の主だった,行
動の説明 と記述の様式 をあげてみたが,こ
れ をア リス トテレスの原 因論 に対応 させてみよう。刺激 は,近
代科学同様 の始動因に当たるものであろう。 ここでは,行
動 は物理現象の よ うに取 り扱われ る。能力 はどうだろうか。大脳の働 きを前提 として考 えれ ば,こ
れ は質料因 と言 えるだろう。発達 は,行
動の潜在的な可能性 として想定で きる。人格 は,そ
の人間の 本来の姿,す
なわち本質 に関連 している。 これは,行
動の形相因 と言 って もよかろう。図1は,
こ うした関係 を全体 として図式化 して示 した もので あ る。 この よ うに,心
理 学 は,他
の近代科学 に比 べ て まだ多様 な原因論 を持 っている と思われ る。 それ は,人
間 の科学 の 未熟 さだ けで は な く,人
間 の行動 の複雑 さに も起 囚 して い るの で はないか。 そ して,さ
らに考 えなけれ ばい けない問 題 として,目
的 因 の問題 を付 け加 えることにす る。 刺激 → 反応;行
動 心理 学 能力 → パ フ ォー マ ンス;発
達心理 学 人格 → 特性;人
格 心理 学 図1
心理 学 にお ける説明方式田丸敏高 :心 理学 と目的論
2.目
的 論 論 争 一般に目的囚 は,科
学的説明においては排除 されて きた。心理学 に隣接 している科学である生物 学の歴史 において も,目
的因を排除することが科学 としての発展の条件で もあった。 しか し,心
理 学の対象である人間 は,明
らかに目的を持 って意識的に行動 している。 この問題 をどう解決 した ら よいだろうか。1940年代 に,こ
の問題 を巡 って,す
でに重要 な論争がなされてい る。 これは,後
に サイバネテ ィクスの発展 をもた らす ものであったが,心
理学のなかでは,あまり注 目されていない。 そこで,本
稿では この論争 を振 り返 りなが ら,心
理学 において目的因をどの様 に位置づ けるべ きな のかについて検討 してみたい。 ウィーナー らは,目
的 (purpose)ゃ 目的因(teleology)と いった概念が行動研究 に とって必要で あ り,有効であ ることを強力 に主張 したp彼
らは,行動主義的方法が専 らインプ ッ トとアウ トプ ッ ト との関係 だ けを問題 に してい るのに対 して,「研究対 象の特有 の構造 (structure)や 本来 の体制 (organization)Υ に接近す ることが必要であるとして,選
択的機能的方法 を提起 した。これによれ ば,行
動体 の現在の状態 と最終の状態 との関係 か ら,行
動 をい くつかの種類 に分類す ることがで き る。例 えば,行
動体Aと
目標物Gが
あるとする。 その とき,(1)Aは
自ら動 いているか どうか(2)Aは
Gに
到達す るという最終の状態に向かっているか どうか0).Aは
Gが
動 いた場合 自ら軌道修正 してGに
到達するか どうか は)Aは
Gの
動 きを推定 し先廻 りした行動 をとるか どうか 等が,行
動 を分類 しその法則性 を考 えるうえでの基準 になるのである。図2は,ウ
ィーナー らの行 動分類の仕方 をしめ した ものである。 的 的 期 期 予 予 非 的 的 動 動 活 活 非 ∼ t 動 行 図2
行動の分類(1)活
動 的 (acte),行
動体 が,あ
る特定 の反応 に含 まれ てい るアウ トプ ッ トエ ネル ギーの源 で ある行動 鬱)目
的 的(purpOSeful):行 動体 が,他
の物体 や事 象 と時間 的 あるいは空間 的 に一定 の相 関 に到 達 す る とい う最 終 の状 態 へ向か って い る と解 釈 され た行動0)目
標 制御 的 (tele01ogical):ネ ガ テ ィヴ フ ィー ドバ ック (行動 の過程 で物体 の活 動 を修正 す る, 日標 か らの信 号)に
よって制御 された行動 は)予
期 的 (predictive)i目 標 の動 きを推定 して行 う行動。 この行動 は,推
定 す る動 きの数 に よ りさ らに分類 され る。こうしてウィーナー らは
,動
物 も人間 も機械 も同一の原理で説明で きる とした。 つま り,目
的的 概念の導入 によ り,あ
る完全行動系列の研究 と理解 を前進 させた ことになるp
た しかに,イ
ンプ ッ トとアゥ トプッ トとだけによって行動 を説明す るよ り,日
標 との関係 か ら行 動体内部の心理的諸機能 を追究 した点,ウ
ィーナー らの考 え方の重要 な意義が認 め られ る。 ところ が,こ
うした考 え方 は,か
な り機械論的な傾 向にあることに も気づ くであろう。すなわ ち,人
間の モデルを取 り入れ ることによって,機
械の人間化 には大いに役立つか もしれないが,人
間の特有性 の理解 に とっては,不
満足 な点 も目につ きやすい。 テイラーは,ウ
ィーナー らに対 し,目
的的な概 念 (purposeゃteleology)の 無効性 を示 しなが ら反論 したp(の テイラーの批判の要点 は,次
の通 りである。(1)ウ
ィーナー らの基準では,行
動 を分類 しえない。た とえば,ウ
ィーナー らは,あ
る行動が目 的的であるか どうか を最終状態へ向かっているか どうかによって判断 しようとしているが, ど んなもので もなん らかの最終状態 に達す るのであるか ら,そ
れは判断基準 にはな り得 ない。 修)ウ
ィーナー らは,観
察可能な行動か らその行動の目的を確定 しようとしてい るが,そ
れはで きない。 目的の確定のためには,推
理が必ず必要 となる。 俗)ウ
ィーナー らの方法では,人
間特有の目的的行動 を説明で きない。た とえば,か
つての科学 者 は錬金術 に取 り組 んだが,
この ような無 い ものを求める行動 を説明で きない。 こうして,テ
イラーは,あ
る行動パ タンが 目的的 (purpos e)であると見 なせ る条件 として,行
為者の側 に以下の3つが存在することを掲 げた。(1)願
望 ,実 際 に感 じているか どうかは別 に して,あ
る物体,事
象,将
来の事態 に対 する願望(2)信
念 ;潜 在的か顕在的かは別 にして,あ
る一定の行動系列が,そ
の物体,事
象,将
来の事態 の実現のための手段 として有効だろうとい う信念(3)問
題 となる行動パ タン ウィーナー らは,サ
イバネティクスの立場 か ら,人
間か ら機械 まで一貫 して行動系列 として研究 しうる方法 を開発 した。 その際,目
的的概念 を導入する有効性 を示 した。 しか し,ウ
ィーナー らの いう目的的概念 とは,大
システムを構成する諸部分が相互作用 していることを示すに とどまった。 その点,人
間特有の目的的行動 を記述 した り,説
明 した りするには不十分であった。 テイラーはそ こを突 いたので,批
判 としてはなかなか説得力 あるものであった。ただテイラーの場合,自
らはど の様 な研究方法 を提起 で きたか といえば,「願望」とか「信念」とかいう主観的概念 を用 いるという ものであった。 この方法 は,客
観性 を目指 してい る心理学 に踏襲 されなかった。 ウィーナー らの提起 のなかで,
とりわけ重要だ と思われることは,行
動の記述や説明 においてシ ステム的関係 を考慮す ることである。行動 をそれ単独で研究するのではな く,目
標物 に関わ る諸関 係のなかで研究す るとい うことである。チャーチマ ンとアッコフは,こ
の方向 をさらに進 めていっ た。彼 らは,ウ
ィーナー らのい う目的的行動 (purposeful behavior)を さらに3種
類 に区分 した伊(1)拡
張的機能 (extenS e ftlnction)i広範囲な環境のなかで比較的不変 な行動 を示す場合 鬱)集
中的機能 (intensive funcdon);環 境が変化すれば,自らの行動 を変化 させ ることによって田丸敏高 :心理学 と目的論 目標 を達成するが
,一
定の条件下では, 1つ
のタイプの行動 を示す場合(3)目
的 (purpose);環境が安定 していて も異な ったタイプの行動を示す場合 上記の修)集中的機能 は,ウ
ィーナー らの目標制御 的行動 にあたる。()の目的型の行動 の特徴 につ いて,チ
ャーチマ ンとア ッコフは,次
の ように言 う。(1)機
械論的ではない。(2)選
択過程が存在する。(3)あ
る期間内で研究可能である。 化)行
動体が最終的結果の潜在的な生産者である。 この うち,(2)の選択過程 に関わって,「手段一 目的」関係 に言及 した点は,重
要 な指摘であった。3.人
間 の 目的 的 行 動 の 基 本 的 特 徴 目的論論争 は,行
動主義的方法の批判の うえに展開 された。 ウィーナー らは,目
的的概念の必要 性 は強調 したが,外
的に観察可能な方法で行動 を研究で きるとした。 これに対 してす テイラーは, 主観的状態 を推理す ることな しには人間的行動の研究 はで きないことを主張 した。 ウィーナー らの 主張は,継
承 されサイバネティクスの発展 につなが っていった。しか し,い
ずれの場合 も,目
的的 概念の必要の指摘 においては共通 している。 そもそ も人間の行動の記述の段階か ら,目
的的な もの 抜 きには不可能 なことであった。批判の対象 となった行動主義の心理学者たちで さえ,人
間の行動 を扱 うときには,暗
暗裏 にどのような目的で行動 しているのか という観点か ら分類 し記述 を行 って いた。 この点,ムーア とルイスの指摘 は的を射た ものであったp彼
らによれば,ハル学派や トールマ ン学派の ような学習理論 においてさえ,目
的論 (tele010gy)を無意識的に使 っている。 たしかに,S― Rの
法則樹立過程で は目的論 を排除 していたが,学
習理論 は,実
験の構成 や行動の分類の際 に は行動の 目的を考慮 していた。た とえば,電
撃か ら逃避するための行動 というように。 目的の問題 をどう取 り扱 うかは,人
間の心理学 においては避 けて通 ることのできない問題 なのである。 さて,目
的論論争 は,目
的因の必要性 を提起 したが,人
間本来の目的的行動 の記述や説明の問題 の解決 には及 ばなか った と考 えられ る。 ウィーナー らもテイラー も,目
的 を単純化 ない し一面化 し 過 ぎていたのではないか。人間の行動 は,自
然史の発展のなかか ら生 まれた。 そ して,他
の動物 と の共通性 を持 ち続 けているが,そ
の一方,他
の動物 には見 られない特徴 を持つに至 っている。人間 的自然 は,社
会的自然である。当然人間の行動 も社会的に営 まれる。 ここか ら,人
間の 目的的行動 には, 2つ
の重要な性格が生 じる。以下,そ
れについて述べてみよう。 その第 1は,人
間の行動 は,階
層的であるとい うことである。 したがって,目
的的行動 といって も,人
間の行動 を研究する際には,階
層の違 いを捨象 して しまうような単純化 をす ることはで きな い。 その前 に,少
な くとも3つの層 に分 けて考 える必要があろう。第 1に,随
意運動の レベル。第 2に,意
図的行為のレベル。第3に,人
格的活動の レベル。グラスをとリワイ ンを飲 む とい う行動 は,研
究課題 に応 じて,
こうした3つの レベルか ら記述 され うる。 ある男の行動 は,手
を随意的に 動か し,あ
るいは動かせずにグラス を国まで運 ぼ うとしたという点か らは,第
1の レベルの出来事 として記述 されなければいけない。 また, どのような目的の もとにワインを飲 もうとしたか という点か らは
,第
2の レベル の出来事 として考 えられなければならない。確かに,彼
は喉が渇いていた のか もしれない。 しか し,そ
の渇 きは単 なる水分補給 によっては癒 えないような渇 きであつたのか もしれない。 とすれ ば,ワ
インを飲 む とい う行動の隠 された目的を解明す る必要が生 まれ る。 さら に,自
分の前 に現れた困難 を一杯の ワインとともに忘れ去 ろうとす るのは,ま
さに彼の人格的な活 動で もある。 この行動 によって,彼
は自らの社会的関係 を生産 ない し再生産す る。 こうしたい くつ かの層の全体 として,あ
る男の行動 は遂行 されてい る。刺激 に対する反応 と言 っただけで は,人
間 の行動 にとって本質的な ものは失われているのは もちろんの こと,階
層の違いを無視 して同 じ目的 的行動 として整理 して も正 しい記述 にはいた らない。 第2は,目
的の2重
性である。社会的である とい うことは,行
動の 目的が当の個体一人 に関わっ ているというものではな くて,他
者 にも関わっているとい うことである。人間は,環
境 に対 して対 象 として働 きか けるが,そ
の対象は,自
分に とっての対象であるだ けで はな く他者 に とっての対象 で もあ る。人間は,自
分 のために行動するとき同時 に他者のためにも行動 している。 ここに,人
間 の 目的 の2重性 の根拠 がある。人間は, 1つ
の行動 において, 2つ
の目的に関わ るし,関
わ らざる を得な ぃ。 ヮィンを飲 む とい う行動 は,個
体 に とって喉の渇 きを癒す という目的 を持 っている。 し か し,そ
れは同時 にある社会的な関係 において行われている。一人の乾杯 は,自
分の人生 に対す る 区切 りの象徴で もあった。昨 日までの人々 との別れ も意味 していたか もしれない。人間の 目的的行 動の典型 とされている労働活動 においては,目
的の2重
性の基本的性格が最 も明瞭 に示 され る。た とえば,あ
る人が稲 を育 てるとす る。それは,米
を収穫 す るためである。彼 は,米
を得 る とい う目 的 を持 って行動す る。 その 目的のために,彼
は自然法則 に したが う。 ここでは,人
間 と自然の関係 が前面 に出る。 と同時 に,米
は自分が食べるためだけではな く,む
しろ他人 のために生産 され る。 彼 は,米
を生産 しなが ら,相
応の人間関係 をも生産す る。米 を得 るという目的は,他
人 となん らか の関係 を取 り結ぶ とい う目的 と2重化 されている。彼 は,米
を意識 するとき,自
然 物 としての米 を 評価 すると同時 に,社
会の評価 を評価する。 ここでは,人
間 と人間 との関係が現れ る。 以上,目
的の階層性 と2重化についての理解 は,人
間に特徴的な目的的行動 を研究す る際 に欠か す ことがで きない。 それは,行
動の原因を明 らか にす る段階だけでな く,す
でに記述の段階 におい て も言 える。 さらに,人
間の心理学に とって,「目的」は研究の前提であるとともに,む
しろ研究の 対象で もある。文
献
ア リス トテ レス 出隆訳 形而上 学 上 岩波文庫1959 p154
同上p155
Rosenblueth,A,ヽViener,N,and Bigelo、 v,J,Behavior,purpose,and teleclogy, Ph■ Osophy of Science
10, 1943
同上
Rosenbluth,A andヽViener,N,Purposeful and non― purposefui behavior,Philosophy Of Sctence 17,1950 Taylor, R,COmments on a mechanistic conception of purposefuiness, Ph■ osophy of Science 17, 1950
Tay10r,R,Purposeful and non―purposeful behavior i reioinder, Philosophy Of science 17, 1950
Churchmani C llr and Ackoff,R L,Purposive behavior and cybernetics,Social Forces,29, 1, 1950 Moore,O K and Lewis,D J,PurpOSe and learning theory,Psychological RevieMた ,60, 1953