シュパン經濟學説の根本的缺陷(二)-香川大学学術情報リポジトリ

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始け 男

田 住 て∵既に前に繰返へし引用せる文賓の中に於てシュ。ハンは、仝経済中に甥はれる意味充質的な事柄は、因果的 にのみ説明される様な機械的なもめではない︵﹃und㌢me阜S.巴ⅠⅠ︶といつてゐる。だが、資本主違約流通経済 の中に甥疲れるものが爾く藩味充質的なものであるかどうか。吾々は資本を各経の投資部門へ分配することを例 にとつて考へてみよう。元来資本とは観民経済の貯蓄であつて、経済用具を漸次に改善し建設して行くことを可 能ならしめるものである。然るに鹿分し得る資本額には限度あるが薦めに、その資本は闘民経済上最も有利なる 方法に於て分配される様にならざるを得ない。各節の経済部門︵農薬、林業、錬菜、エ柴、産業、商業、交通制 度︶が、金牌として叉その各部分が均等して頚展するか否かは、全く資本の分配如何忙依って決定せられる。資 本の分配がその皆を得ない叫経済内に於ては、必ず個々の繹臍部門や経臍領域は萎縮しなけれぼならない。斯様 に、資本の分配は経済金牌の構成上肝要なものである。そこで、意味充嘗的に資本の分配をなすとは、磨分し得 る資本が、希菅上、閲民耗臍的に最も有利なる方法に於て使用せらる1やう配癒するにある。然し、現在の経済 秩序の下忙於て之は可能なことであらうか。眈に柵甘﹃流通経済の磯構﹄︵S・二岩・⊥讐︶中に於て指摘せるが如 シJバン絆済襲説の根本的鉄隅

シュパン経済学説の根本的敵情 ︵二︶

︵二五︶ 二五

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第十二容 郡 山 訳 ︵二六︺ 二六 く、何等の利子も得られない坂合に誓特に緊要なる使用目的ありとしても、剛般に之に判トて少しの資本も向 ︵9︶ けられないものである。例へぼ天然の小川を埋立てるとか、河川の改修を行ふとか、氾濫や雪崩に封する防壁を 設ける等、自然的災害を防止する馬めの投資はみな之に威してゐる。故に此の種の投資は、すべて公共閣醒の手 に依ってなぶれぎるを得ない。流通控解約資本分配にあつては、之等の極めて粟野なる任務も、完全に拓香され て七まふ。然し、その鮎は論外に濃くと七ても、流通経済的資本分配は、大なる而かも叫般に倒知の詐欺陥を暴 露するものでぁる。只次の鋸は注患して置く必要がある。即ちそれは大戦前には髄大なる地面は未開拓のま1 に、交通制度は未畿展のまゝに、叉水力は未利用のまゝに、住宅は不完全のま1に政信せられたる事、並に農業 や手工菜が∵技簡約に後れて居たのにも拘らず、他方、荒†の過度にエ柴化の行はれたものや、商業の過度に敬 ︵ 10︶ 展したもの′の存したと云ふ寄である。 ︵9︶ かかる昌的忙役立つ資本を、余は、﹁防衛香木﹂つ芽−鼻骨邑︶と呼ぶ。それは、経済的破壊をl妨舘するために用ひ らるるに由る。︵ノ1eユ馬−岩警告tse貯p芦㌢一望⊥ ︵10︶ 資本主義的流通経済に於ける賓本分配に関する直に血暦詳細なる批判は・下記の拙潜の中に述べてある。ゝb家ヂ 一誌ngell一ndI\r旨eits−。Sig官許a訂Uaue⊇邑琶モニヨell・訂ip付着一浩のー00”豊芦 此の甚しく誤れる資本分配を意味充密的に説明するには如何にしたらぼできるものか。之は流通総柄に於いて は資本は、意味充書的に分配せられるものではなくして、純磯城的に収益性︵R邑abi家t︶に従って分配せらる

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J庵のであると説明してのみ正解が得られる用即ち上組の諸投資は収益件の立坂から見てあまり有望でないか ら、之等の目的を達する焉めに資本が投下され一るといふことはない。然るにシミハンは此の瓢を無税せんとする。 彼0著雷﹃固民経済蓼の基礎﹄︵﹃undament﹀S・−g︶に次の如く説いてある、即ち、﹁例へば錬柴、農薬、エ柴の如 き個々の経済内の部門たる諸モの細緻は︵国民経済の内に於ても欠張同じく︶〓狸織内の個々の槙能と同様の関係 を持ってゐる。而して此の相應銅係の背後には結局に於ては、各経済の許二が存在する。﹃統こといふものはそ の本質上完巷に厳密であるが如く、相應紺係も亦た、完全に腋鉾であり且つこ衷的である。この相應紬係の申に あつては絶てのものがその理念に綻ひ、畳金術で朴るが如く精密に分配せられる。故に閣民紆番畢徒にとつて最 大任務の∵は、凡ゆる機能部門がその生ける相互関係に基き精密に割常てられたる有様が、先金に敏速せる川肢 や鰐格の如きものであることを看取する様輿ぶことである、﹂と。斯様に、シてハンは−凡ゆろ控臍部門の鼎應性は、 流通経済に於ノいて巌も完全なる状態に賛現せられるものと考へてゐる。彼は、概念によつて鱒賢を形成し、現賛 によらて概食を形成することをしないのである。シュパンの学徒は、シモ︵ン以上の現質感︵.窯r賢ch打it蛋喜︶ を有してはゐるが、然かも現賓元よつて概念を構成しないが故にその師と同株紐解き輝き矛盾に陥るのである。 そこで例へばサッテル︵OtteCは、資本主義的流通経済に於ける資本分配を痛烈に批判して、次の如く云つてゐ る。﹁現存の文飾手段が、貨幣を求めてゐる諸経臍の閣に、市場を通じて分配せらる1眠り、従って、凡ゆる機 能部門が互ひ佐助別辞をなすに至る限り、その国民控臍上の機能的地位如何に拘らす、安彿能力の最大なるものが シュバン経済盟説の根本的欽隋 ︵二七︶ こ七

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第十二啓 発仙躾

︹ニ∧︶ こ八 勝利を占めること1なり、且つ銀行制度をトてその経臍の中に於て謀った地位を占めるものとせざるを杓なかつ ︵1〓し た、﹂と。叉、ハヰン日ソヒ︵H2−nricF︶も同様の意味で次の様に説いてゐる、即ち﹁囲民経済の内に於てあまり意 まれない領域も亦開拓されねばならない。ところが自由競寧の行はる1個人妻量的綬臍に於て、遂に慣格計算 が行はれる窃合にはこの鮎む怠か、或る経済感城︵例へぼポヘ、、、ヤ地方の鍼山など︶や或る階級唐及椒菜に慢性 ︵

12︶

的恐慌を招来するものである﹂と。是等の言葉はき﹂とに誇切である。而してその昔実の中には資本分配︵収益 性に基く分配︶.は、意味充塵的なものではなく、却って境域的なものであることが暗示されてゐる。然らば、是

等の言と、シ号ハンの主張する﹁凡ゆる機能部門を精細蒜畳する﹂といふ言葉、並に披の朗謂、・粂経僻中に規は

れる磯城的なものでなく、意味発奮的な関係といふ字句とは、如何なる摘備に在るであらうか。シュぺンの畢徒

は彼等のなす流通経済の批判が、塘て輝の畢詮を否認するものであることには、全然索伺いてゐない棟である。

とに.角シュパンはその畢徒に勤して、資本主義経臍に於ける絶ての機能部門が、完全に糞達した四肢や襟格の如

きものであることを納得させる迄に至ってゐないのである。

︵11︶ 心宗旨di邑−e≠e。計d2SGe−d2S㌔告勺旨こ︶tte−.Je−︼P音更√準一箪 ︵ほ︶ 芽u整蔓⋮i=e=ヨ1責Sal訂㌫警告enKriselニ2F完−Y〇−−W巴1eニ罫きー︸︼J2−︼︰琵、坪く、∽碍

今迄の鹿では、昏々は資本の分配のみを靭察して釆た。ところが、所得の分配に就いても亦仝然同様のことが

いへる。六人の家族を扶養すべき労働者が、恐らく未だ繭親の家に起居してゐる■猫身労働者と同額の袋銀を撞て

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偽るのである。そのことは、経済自的の達成即ち欲望の充足と云ふ立場から眺めて、果して意味充菅的であらう か。眞忙意味充嘗的な所得の分配をなすとすれば、第一の労働者︵扶養義蕗者︶に、必嬰とならぼ猫身労働者を犠 牲としても、造かに高層銀が輿へられるであらう。それは恰かも貧困億家庭に於て、重病にある子供の翳療費を 交野するために、魂飴の家族が餓を忍ぶのj重く同じである。然るに流通鮭臍に於ては牧谷は、﹁各人に封して その欲望に應じて﹂分配するといふ原則に従って意味充賓的に分配されるものではなく、寧ろ所得の大なる者が 大なる収益を得るといふ枝に純椀種的に分配せられる。そこで消費者が閲民粧臍の収益に就いて享ける分け前を 決定するものは、その消費者の欲望ではなくして、血の数字即ちその期得額といふ数字である。 次に、シュ。ハン白身が強く主張せる、慣格形成上の顕著な意味的矛盾性︵Sin−⋮−d息官it︶に閲して、別の方 ︵13︶ 画から二言しょう。鼓に何州箇の疑問がある、それは吾が経済上意味的矛盾性つ最高峰をなす栗柴、即ち之は嘗 に資本主義的流通経済の殆んど恒常的な随伴堺象であるが、之に勤してシュパンは如何なる態度をとるかといふ ことである。シュパンは此の鮎に閲しても亦、現資の前に眼を閉ぢて、失米問題をば取扱はぎることとして簡単 に片付けてゐる。彼の経済理論に関する二大主著、即ち﹁陶民経済撃の基礎し並に﹁生ける科畢と死せる料畢﹂の執 れの目次にも、凡そ﹁失莫﹂と云ふ語が或はれてゐない。それは流通経済の意味的矛盾性を諭するには便利な方法

である。ところが退憾ながら、それで失柴が、批界からなくなるものではない。 シそハンは、全く概念によつて現賓を形成する。蓋し彼にとつては経済は精紳

的なる或るもの、叉国英の珊界 シュパン経済聾説の根本的鉄隅 ︵こ九︶ 二九

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第十二巻 第 叫渋

⊇5︶ニ仙○

に封山登る目的の世界であるから、金紋洛中に規はれるものは機械的なものではなくして、意味充質的な閉路で

倭けれぼならぬわけであ営もし、シュパンが現賛を見極めたならば、彼は反封に次の如く結論したであらう。

即ち資本主盛的流通雛臍に於ては、幾多の意味的矛眉が存するから、此の総臍の申に作用するものは磯械主義

である、換言すれば意味先安的な或るものではなくして、却つて、機械的・1自然的な或ものでなければならぬ

と○

︵13︶ 故には詳説することを得ないけれども、意疎的矛盾性の第二の場裏がある。それは鱒得受領洛がその所得に應ずる

何等の反封給付をもなさずして受けるところの失薬師得である。シュパンは此の意味的矛盾件をも認めるととが出衆

な、い、蓋し、それは彼が﹁静拶﹂︵訂ist2n︶と﹁効用﹂とを泡同して周ひ、︵冒已琶2一−−﹀p00柏︺従って螢働する人間のみ

ならず生産車殴や宴楽財も亦﹁静拶﹂を提供するものとしてゐるからである。倫ほ詳組に閲しては、下記の拙著を象潤

せられたい。一台eぎds旨deder穿tぎ急ぎnOm琴︵葺︼a粥く○ロ写⋮夢鼓c言Wieロ⋮乙ト2ip忍一軍︶ =、シュパンは、教軍を経済蓼から放逐する。彼に依れぼ、﹁凡ゆる敵襲的−横械的な経満車や赦命螢は、根本 的に誤れるものである。﹂・・−﹁まことに敢合材拳の中には去来の機械的・・由果的法則性は存せす、従って敬啓的 法則性も存しない、﹂︵萄iss芸Cha許−S・歪巨d畠βのである。而して、彼は之が諭嬢として紅臍計算が﹁途

方もなく贋汎な洪つた領域﹂を占め、・従ってそれが﹁確定的でない﹂乙と、並に債格の中には常に非合珂的な要 ヾ

︵1日︶

索を包含せること、及び、その慣格が﹁計算し得ないものを計繋してゐ空ことの紹鮎を蓼げてゐる。

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∴14︶ 崇e巨獣羞de巧尋ert・gd㌘eis芽ge aus d空夢n註eit巴e−・蒜∵Il−Ja−き告−⋮誉穿︵1iO邑︵ぎn侶ie l一nd St已istik﹀一山〇.出dこ一雀p S・∽望・ シュパンは憤格の意義や本質を規定する際には、慣格は﹁意味充嘗的な或もの﹂をいひ表はすものとし、即ち それは諸機能姶督部門の意味虜資的表現︵.ヨ莞nSC訂葺S・笠und琵︶であると給明するが、然しそれでは債 格の大さの問題を説明する麹合に立ち至って、憤格形成の意味的矛盾性を充分明確にすることはできない。かく の如きはシュ。ハンの如く、その評明の必要忙應じて現欝を調基するといふ方法をとる時.には、莞し止むを得ない ︵15︶ 主ころであ驚彼は﹁大矛盾﹂とか、﹁奇怪な不均等性﹂とか、叉、慣格形成の﹁窒息性﹂といふことをいふ、そ れは、彼が憤格の計算し得ざるものであることを誇明し、且叉経済には数蓼的な従って亦機械的−因果的な法則 性の安督せざることを稚苗するため佐、かく云ふことを必要としたからである。ところが寄資上は此等め矛盾と いふものは、シュパンの考へるが如く、憤格が諸機能碑常部門の意塊充嘗的表胡ではなくして、却って、その時 々の市況の機械的、因兼的表現であることを詐明してゐるのみである。何となれば、慣柏は常に買手と質草との 競寧の下に於て、欲求せられた商品蚤︵需要︶と櫨供せらるゝ商品鼻︵供給︶とが、合致するところの仙鮎に於 て定まるものだからである。 ︵15︶ P㌘〇.S︸山望!∽∽.

シュパンの試みた個々の経済計算の不確定性の詭明に閲しては、兜づ、此の謹明に際して、﹁偶借形成﹂の概

シJパン絆済牽説の根本的鉄隅 ︵ニ〓︶一ニー

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罪十二容 第一鶉

︵三こ︶ 三こ

念と﹁憤格形成﹂の概念とが、歴々混同錯雑せられてゐることを指摘しなければ‰りぬ。控臍計欝の確定仲仕

大切点ることは、憤格計欝の確定性であ告ところがシコパンは、就中、次の鮎即ち﹁高順位の資本﹂の糠能︵例 へば通商條約︶及び、幾多の精紳的機能︵例へば著明老の思想︶などは、約托せぎるものであり、且、敬蚤的に ︵16︶

測定不可能なるものであるといふ鮎を馨げて憤格引算の確定性はないと諭する。然し、これに封トては次の如く

︵17︶

笹答ふペきである。﹁高順位﹂資本の磯能が、慣格計昇上考慮に入れられるのは、唯その機能が自ら回収を聾す

る費用の原因となるか、或はそれに伴ふて費用を聾するに至る場合のみに限ら打てゐる。此の費用は親粉、手数

料、其の他の公課を通じてか1つて釆るのであるが、これらは全く数的に規定せられたるものであり、従つて叉

充分に計算し得るものである。このことは、由窟せられたる費用、例へぼ通商低約忙依って定められたる関税の

如きに就いても同様に安督するところである。故に通商條約に依って、憤格の計算可能性が腰寒さるペしと云ふ

理由は認められない

もなく庶大なる誤れる領域﹂を偵格計算の中に捧ちこんだかを示してゐる、

ところが精細的創造力に関して

は次の如くた云ぬねばならぬ、即ち草稿や欒語や新城械の構成が完了すると、その作者の所動は路を督げる。そ

こで、右の書籍若くは楽譜の出版とか、創文は交響奥の演出とか、漸機械の製作とか、即ち略言すれぼそれを通

じて精神的創造力が利用せらるゝところの財や労務の産出には、作者は放早や協力しないのである。経つて精油

的労働陀依る所産の経済的特質は、次の鮎に存する→即ちこれらの所産はその作者の労作したる形︵原稿とか、

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振付など上しての形︶に放ては、利用されないか、若くは充分に利別されないと云ふ鄭に存する。︵遭形葵術の 作品は此の鮎を典にする。︶これらが流通傷裡に於て利用せらるゝためには、財や弊拷にまで.弊形されわばたら ぬ諭然るに、か1るもの1生産には、作者は液早や協力することなく、従って、若し著作樺に依りその作者に封 ︵18︶ して此の生産物についての利益の分け前を保障することなくば、 には算入せらるゝことはない。叉、若し精細的創造力が著作械の保護の下にあるとき、利益は著者に封する謝 渡、演奏者に射する利益分配、特許権使用料等として、支排はれなければならぬ。か1る支排は重く数的に確定 せられてゐるから、それは充分計算し得る憤格中の費用構成要素を形成するものである。之に反⊥て、精紳的創 造力が何等の保護をも受けないときは、利益の分配がなされる㌃ともなく、従って、精神的創迫力が一般に憤格 形成に閲興するところなく、、その故に偵梅計算の確定性をも妨げ得るものではない。 ︵16︶ ㌢a・〇J S・uNぴ・ ︵17︶ 余は、高順位の資本と云ふ名栴を敢も遠憾なものと考へる。然し今は之に就いて詳論するととができない。 ︵18︶ 拙著−︸どFnlln払Rente三∞βS.NN呪ぃ忙於て、此の補係をシュツフレ︵哲h艶苦︶に怖墟して詳細に論じて聡いた。 シ号ハンの考ふるところによれば、斯様に、↓高順位資本﹂の機能や精紳的労務の盈化し、又は消耗することの 不可能なることが、轡臍計算の申へ不確定性の山夢魔を導入することとなる。然るに、同様のこと鱒無数の消費 財に就いても常てはまる。即ち食卓や匙やナイフや縫針等の﹁機紺﹂も亦た、盈化し又は消耗するこ・とができな シュバン経済畢祝の根本的妖隋 ゆ ︵三≡︶ 三三

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い。ところがこのごとが、曾て之等の財の慣格計算可能性を妨げたことがあつたか。著し慣格が展に﹁錯機能槍 鹿部門の意味充資的表現﹂であつたとしたならば、その場合にのみ之を妨げたことがあつたであらう。然しなが ︵19︶ ら斯様な恨定は、正に慣格計静の可能なることの東資により明かなるが如く、全然綴った考へである。シュパン は此磨に於ても亦、概念に従つて現資を形成して偽るのである。彼の概念構造の圏内に於ては、憫格は横能部門 の表現と⊥てのみ存在してをり、∵之と偶格の計算可能性とは調和し得ないものだとすれば、偶格は計算可能のも のであつてはならぬわけである。.然し、若しシュパンが現瞥を石越めたならば、彼はその反到の結論に達したこ とであらう。即ち、多くの﹁機能↑は畳化したり消耗したりできないと云ふ軍寛があるにも拘らず、憤格の封算 は可能であるから、慣格は機能部門の意味充資的表現たり得す七て、その時々紅於ける市況の機械的表現たり得 るに過ぎないものであると。 ︵19︶ 此の訳れる思想応基く推論が如何忙現貰と没交渉なるかを最も明白に表明Lてゐ牒のは、シュパンの繰り返へし述 べてゐる次の〓試である、即ち﹁或え二定の農染状態に於て、その目的と手段との振り削を通常に行った場合に、牛 〓塀忙封して単十頭の割合になつたとすれぼ、十封一の朗係がその交換の基礎︵少くともやつと近似的なる基礎︶を なす﹂といふのがその説である。︵G−eieFw夢ti乳eitge的en㌢㌢呂星語n.im=Jph旨芳Feりり箸巧已iOn已α訂琶邑e 。。dS賢s鼻。芦一房一淫指√¶r山一♪亡nPdie聖賢e苫ngenhie喜a呈S・望m〇余は此の誠に劃して改めて反 致することをしない。それはビイリ蔓ゲイチ︵星im。″1ie︶が、此の説の如何にしても支持し難きものなることを、卓 抜した︼論文忙於て、扁人も得心のゆく方韓を以て論詮七.而かも余の看るところを以てすれば、シュバンは如何忙 第十こ巻 ︵三.四︶ ∵≡四

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苛敷革的、個人主義的憤格理論の繭飴の誤謬﹂として、シェ。ハンは次の諸鮎を指摘してゐる。︵尋issen筈訂ftr S・付設−岩舟︶即ち、 ︵こ﹁それは、寓賓、供給、費用を二義的な畳として取扱ってゐることである。然し軽臍には側義的な発とい ふものは存在しない。このことはーとに角決算法や原像計算の教科書が立諾してゐるところであり・、又すべての 物傾が日々に或は市瘍々ふで欒動すると之を鬼、て鴻わか牒十と。 右の鮎に就いては、次の如くに答へることが出来る。慣格の高さの詮明、.換言すれぼ、如何ぬして︵何磨からJ へm﹂ 債格はその計数的確定性里早受するかの画題.に封する答解は、㌦唯、均衡状態、即ち正しき持緯状態︵此の状態に 於ては憤格は勤栴せずし七安東してゐるものである︶を是認する慣格論が、それを典へて居り、叉輿へ得るもの しても之を論駁することができない鴻のと恩はれるかちである。︵盲e淳eis−告re召nq昔ma弓Sp眉︸:・営ど邑−e註 J註旨。C−て︷川芯JpF挙一浩〇二一・野のの∽謁し唯、余は極めて簡認なる〓畢を指潤するととを怠る揚げにほいかない、 それは各段家に劇匹の犬がゐセ、之に﹁屋敷番﹂々いふ特殊の蛮更なる機能部門を忠茸に黒すべ脅ことが委ねられて か㌃といふことがある。上例の請條件の下に於ては、 偶格に匹敵し、或はそれと牛二頭、若くは単二十頭の慣格に、眞に牛三窮、若くは半≡十蹄の僧格灯匹敵すかに相連 ないであらう。同様の事柄が各農家忙在って、t鼠を輪へざと\いふ機能部門を塘管する猫についても妥常するに相邁 ∵で℃ の解糟である1 シ旗パ㌢経済畢読の根本的欽隋 ︵ニー五︶ ≡五

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算十±巻∴第一携 ︵ニ芙︶ 言六 である。・この持繊状態に於ては、庖格は所得、需琴、供給、並に債格形成機構の総べての諸蜜素と同様に、持積 ︵21︶ 状態を規定する根掠や、叉、持績の催件に依ってヽ 二萄的に決定せられる。 益︶ 韓綬状態とは、ジエゲオ・γズ其他多ての単著の解したるが如く、交換の停血せむ状態どtてゞはなく、形が攣らな いで経済の運行する状態︵辞潜経済︶とし一て恕へらるべきものであ狛。下記参照、雲rkeh訪已旨ehaPS.忠−恭賀d S・担ご声及び拙稿ご葬≡邑e巨中才nkti。邑eNu夢m莞nh欝gei︸nWirtseb鉾暦mee訂ni讐票声]翌neA毒iロ当d苧 Set昌n閃mit巨岩S試Py2r:﹀浮i宮Fri詩蝿ぎ﹁冥已訂nむ欝OnOmie㌧小出d﹂づ二器∽.S.の追−雷〇. ︵巴 下記の革参照′もie野−i昌g善計des出2F賢un腎星野已e払芸un包も琵N針m針2nWirk2n del穿1imm嘗㌢de des出eh琶⋮ロg箪一St冒d¢∽・G出dder BeF胃r5笥bed肌身unge戸=こ雲rkeF誌Wi旨ehp写野望1二〇已nd S.逗黒r上㍍β ︷二︶﹁この憤格理論は諸機能それ自身、即ち需要、供給、費用並に之︵及び他の緒條伴︶に基き成立する憤格 等の、種々なる硯饗的若くは可能的なる盈的紺踊係の中に成立する優位関係を認めてゐない﹂と。 へ23︶ 如何に滝均衡理論は優位紺係を認めてゐない。′それ巧か1るものが存在しないからである。樽緯状態に於て は、寧ろ凡ゆる憤格、所得、青野、供給等は絶て相互的制約性の関係、即ち函数的関係を持つてゐる。而して、 ︵24︶ か1る紺係は、号へンが﹁磯髄郁門性﹂並びに﹁相悠性1の譜を以七云ひ表はしてゐると宣のものよりも遠 かに鋏小のものである︶故に囲民経済も亦此の関係を認めるとき、シ号ハンの考へるより以上に、緊密 たる﹁粂髄性﹂として表はれ来るのである。シでハンは只−種の﹁金牌性﹂たる有機餞を認めたるのみであつ て、爾飴の絶ての庵のは、疲の冒には﹁降珍積った雪﹂として映するので、ある。然るに嘗は、療二種の↓仝鰻性﹂

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即ち相互忙制約せられたる盈の牌系がある、ところがシそハンは全然之を看過してゐるのである。均衡論は市場 機構をか1る髄系として理解するが故に、遥かに包括的にして且つ厳密な意味に於ける﹁重機性理論﹂である。此 … ︵25︶ の鮎シ号サンの畢詮が︼、流通経済の中に現はれる幾多の多様性を、無紺地の蕊として観察するの此ではない。 ︵讐 シ言ンの畢説忙於ては、﹁優位闘係﹂といふ概念が甚だしく誤用せられてゐる。シュバン忙依れば、優位阻係は r等級の偶値的ゐ高下﹂.でも、﹁存在的なる︵現箕の︶従凝関係﹂でもなくして、﹁概念的なる優位脱線﹂と解きるぺき もので、之忙封しては、﹁概念的上位性とか、論理的優位性とか、概念的非﹂位性﹂といふ名稀を代用することが出 来たのである。︵ヨssenseh邑㌫・∽N−豊︶。従って鼓に問題となつてゐ牒のは、純論理的、概念灼な専級鰯係であっ て、之忙封しては、如何なる現欝的紅塵性の相臆するものもないのである。それにも拘らず、此の等級靭係は次の如 き具鰻的な経済現象、例へばノ金緒けは金融業のカが商染の方より・かよく、叉商染のカがエ染よ町も㌣く、エ琴の分析 農業よりもよいといふ現象を説明ナる倦めに、シ\ズンによつて用ひられてゐる。六苦nd琶en︷ふ・′一お︶シュンの弟 子のハヰンリヒに至っては倫之に止まらなト。彼は経済恐慌の撰大して行く仕方、その鹿園汲びにその撰大の可能性 は、部分金由の優位関係忙依って確定せらるるとの祝を樹て、而かも進んで﹁優位性の過度の緊張﹂といふことを試 き、之が恐慌を惹起する基礎をなすものであるとなしてゐる。︵。リP〇・野結N。nd∽NJ︶概念的上位性の過度の鱒 張、之ぞ即ち論理朝優位性からの恐慌の説明である。之以上紆概念的混乱があり得やうか。 ︵別︶ 序でに云へば、此のシュンの拳説笹於て非常に軍大なる役割を演じてゐる相應性の概念は、シ言ンが欺盈的観 察を排斥するにも蘭らず、経済忙於いて量的なもの一ゝ考緻を回遊してゐない▲ととを示すものである。﹁相應性﹂といふ 語は、之を明瞭に云ふと尊は、諸物が互に相臆す・る、といふ意味のみを持ってゐるのでi甲る。牢かち衣服の色と弟ク桑 シ.ネ.バン経済畢訊の根本的鉄隋 ︵三七︶ 三七

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︵三入︶ニ元 鱒†〓螢∴∵弟.∵鹿 イの色と忙相應性があり、畢校の課題の難易と畢生の理解力とに相應性があるなどといひ得るので奉るq然ら微、繹 浮上の﹁機能﹂例刈へば紡絞工の機能と機職工の機能とが、聞達なく相應Lてぁる筋合忙は、その秀め忙その繊維‡萄 に於ては何等の.障碑も起らないか。ととるが障碍が起る、就中、供給せられた紡糸の急に於て之・が起る・。.従て、∴﹁相 應性﹂の概念の中には塵的なものが包職せられてゐるのである。それ故にシュパンは、凡ゆる数畳的親賂を排斥する 際七優れんぽをやってゐるのである。彼は﹁相應性﹂の概念の中に盈的なるものを憾匿し、之を不明瞭の中に政常サケ ることによつてその牒れ坊所を監視し、然かも諸機能がその中忙於て相謄しなければならぬとなしてゐる。 ︵25︶、下鱒琴照日登同風ite−=ロ㌃H皆2n粥。i牒芽nd琶entderぎlks考iユsつb旨巴e官e㌫・一浩こ芦 ︵三︶﹁かの偵格理論は、需要、供給、費夙に関するすべての最は自ら弼立に攣化することを許すのに、爾飴の ものは等しとする ーゝascet乱sparib已S∧︿−富ひ換ふれば、爾除の最はその時々に轡化せざるものとするこ と、叉かくして、終に、需要、灘給が、而して之等の需蓼棋給によつて條件付けられて費用︵例へぼ賃貸像格の 接別に於ける︶が、直接に偵格を決定するものと考へ、僻叉効川が革猫でか、又は上記のものを通じて僧格取次 定するものと考へてゐる﹂と一。 然しながら一正しき憤格埋諭は、直接にも間接にも、需要及び供給が周格を決定するものとは考へす、既成前 に確言⊥たるが如ぐ、却って偶格及び所得をば幣婁や供給と同じく、特損條件並把持粒状態の規定根探から誘導 するので挙る、而して、慣絡も所得も語弊も供給も何れもが持緯状態の規定根接をなさないものであるとする。 結局、他の事情等し︵苫eris琶ribus︶とuふこと盈論難するに就いては、余も亦之を補助手段として利用する

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欒化法︵ぎriatiOnSmet訂de︶聖経脾単に適用することは、殆んど効魔のないものと考へてゐる。然し乍ら此 の溝準が適用せられないからと云って、直に敬啓全般が適用せられないと結論することはでせない。 シュパンの試み雪聴解計算の不確哀悼の誇明、並に耗沸上の諸関係へ敷革を適用し得ぎるととの簡明が﹂加 何に根城なきかは、上述せる主ころによつて明確である。然し以上緩々と七て述べたる説明も︵それに封んて 偲∵人ほ凡ゆる理論的詮明に封すると同様に論率することが椚釆る︶、公平無私なる躍済の槻察者にとつては礫 佗も明白なる罫茸、即ち﹁吾が経酒の中には、敬啓的に把来し得る合法則性が存在する﹂と云ふ革質に比較すれし ば﹁一とるに足らぬ程のものである。この事蜜は、商人の店頭に於ける箪慣︵仙個常り﹂遠雷り、こ苓欝ゆ、一け 富冒等︶の正札や相場表や窟慣衰がみな之を立記してゐる。蓋しこれらの正昭表の目的は、顧客をして柁多螢 の商品の代憎を、自身で計算することを得せしめやうとするに在る。 此の計算は、吋=m・アなる方棉式に依ってなされる、但しPは代偶驚mは商品量を、。ほ笹岡を滞す、、南 してこの方程式は、代慣は購入した商品の呑故に正比例して増すといふ、小栗取引に於て行はるる法則俸を∵教 蓼的陀表現したるものである。これは、加速度の仙定せるとき仙物鰭から拒たれる辟離を計算するに墾止づと去 ろの、ノ有名なる方程式S=C.tと全く同様の地位に在る。方程式S=C・叶が敷革的轄把潰せちれたる﹁法則性の一 家現であるならば、同様のことが方程式憎=m・pに就いても安督しなければなちぬ㍉トL・賓際摘発界の如何奉 る方面に於て・も、経済に於けるが如︿衝く多く計堺の行はるる鹿はない。経臍は経臍者に封七非常に多くめ計野 〆 〕 シュパン経済轟祝の根本的鉄陪 ︵三九︶ ≡九

(16)

第十二重 第山 野 ︵四〇︶ 四〇 課題を課するものであつて1算術の授業にも好んで経済の中から引例され︰てゐるのである。小劉校のとの黎術常

の中忙も、控臍から掠り氷った計算問題が充満してゐる。而して、之等の計欝にはすペてその根底に於て数学的

に把束し得る法則性が布衣しセゐる。もし黙らすとすれば、之等すべての計算関節は全然空尉味なもの・と患って

仕舞つ雲あらう。又、■方程式竿・甜丁即ち∵流通経由の行望ゝ限りの金地凍上▲に於て、利息の計算放こ

の方程式に基いて行はれるのであるが、之が数畢的法則性の表甥でないのか。それとも、シぷンぼ、利息′は資

本額の大小、利率の高低、期間の長短に誰比例して欒化するものなることに異論を挿まんと欲するものであらう

か? 余は思ふ﹂敵襲的に把廃し得る法則性の布布を否定することは、展に現賓の前に眠を覆ふものと謂ふべき

やあると◇

専賛シ‡ハンは、敢えて之を行ってゐる、蓋し彼は規賓を概念に従って構成するが故に此の如きは止むを得な

いところである。彼は之を敢えてする日的を以て﹁憤格は計鼻不可能なるものを計算することである﹂と云ふ軍

旗を弛耕するのでぁるが、上の逆説は他の多くの逆説と興り、その中に毘軸の閃きすらも楷んでゐないといふ断

が劣ってゐるヾ蓋七▼計算し得るものは計昇不可能でほあり梢ない、叉、計塀不可能なるものは計算し得ないか

らでるる。もし、シ号ハンが硯賓を把恕してゐたならば、彼は必すや経済の中に、数輿的に相克し得べ漕法則性

が布衣すること、従って叉、機械的、閏英的法則性の存春しなければならぬことを認識し得たに造ひ率い。

小′

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三、必ずしも自給自足によらぎる総ての控臍に於ては、産廃力分腑と収益分配とが何等かの什方で粍制せられ ︵25︶ てゐなけれぼならぬ。吾々の営む経済は、共産主義的雛臍とは州反して、何等蘭刷的な指導を受けることがない ︵26︶ がら、共産主義以外の絶ての経済畢訟は、この資本主薬的流通経臍に於ては生産力並忙収益の分配が︰自動的、 撰械的に、自己調整の方法に依って統制せちれ、そⅥ際、慣格や貸銀や利子がその調冬着たる徴割を流すること 宜自明なりと観てゐる。 ︵25︶ 余は﹁鹿屋カの分配﹂とは、種々の藤津部門並に経済段階に於ける労働力及び生産手段の分配なりと解L、叉﹁収 麟 金分配﹂とは、峯壁用の朗や静静に封す経済上の収録をその摘発者に分配することなpと解してゐる。 ︵26︶ サーフマン巳e旨買nは之が例外をなす。彼はシュパンと同じく、国民経済に於ける自己調整の思想弘に数畢的、 眉然科撃的方法の適用を排斥する。然L、シナバンの立場は彼が凡ゆる穏叛の由典的説明を排するせとろから生ずる 嘗然の静経であるが、サーフマンについては同様忙云ふことができない、蓋し彼は経済忙於ける国典的油鋤の存在を 認めるからである。 然るにシュパンは右に射し決然と反封するのである。彼は日く↓流通経済の﹃醤己調盤﹄を詮ぺ凡ゆる通説欄 次の鮎を考察したる場合に沈獣せざるを得ない﹂︵﹂琵莞nSCぎ葺S・∽のβと。即空蝉忙云ふそめ考察とは、﹁歴 史上、朗謂資本主義の出現は絶て、通常に塾序せられたる、即ち圃鰻的、身分的に持合せられたる経済に於て塵 ずることを世人が考察しなければならぬ、﹂といふことである。﹁か1る出現は年々に叉、他紙から世紀へと賛展 郵 シュバン経済拳祝の根本的鉄隔 ︵凹.≡ 四則

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葦†二攣 第 鵬 班 ︵四こ︶ 四二 七凍ったものであるが﹂結局はその時カの歴史的に空止せる経済の生計蛮が、僅かづゝ蟹化し来ったものに過ぎ 患いぺ⋮⋮然しながら、之等大部分の非常に綬漫なる進展でさへも、不断に、幾度となく恐るべき不秩序の状 態、・恐慌、大規模な経緯的破壊を招発した﹂。︵萄issen器ha葺S・ノ∽巴−∽琵︶と。叉、シュパンは同書第二版︵Ⅷ・監︶ に同様の意味で次の如く説明してゐる、﹁所謂、資本主義は決して東本主義として成立したのではない、否、資 本主鶉は概念的にも歴史的にも現前のふわふわした身分的秩序の泥床を土蔓とLてのみ可能たものである。﹂ − ﹁資本主義を存粒形式と観るのは夢想でるる、それは資本主義が身分的拘束を土釜としてのみ存摸し得るもので あり、叉、身分的拘束と云ふ遡塵によつてのみ生存し得るものだからである﹂と。従ってシュパシの見解に伐れ ば、資本主義的流通経済に於ては、何等固有の秩序原則も、叉何等の自己調盤も作用せす、却って資本主儀は、 ツンアト時代より機承したる拘束を土姦として、その上に発枯盛衰するものである。 之迄の論述によりシュ.ハンが如何に現在の躍臍を概念的に構成せるかがわかったとすれぼ、小池に於て更に彼が 経済史をも亦た彼の諭詮目的に膝じて如何修正したるかを示さう。余は、十九世紀中葉以釆の経消費展が﹁非常 ︵27︶ に綬損なる進展﹂でなく、驚くべき技術的進捗の結兼、聴めて疾風的なものであつた事は全然之を論外に雷て。 鋳造、汽船、更に全生産部門への機械の普及並に大工業の興隆、共他幾多のものが、梅期間に経済の容貌を根底 l から攣草した。然し乍ら蟹展の歩調は相封的なものであるから、之に就いては各人各様の見解があり得るわけで ある。よつて罪寛、突撃歩調の前進でも、矢張二歩々々の﹂前進だといへるのである。

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二㍗∵坤の問題に於て▲も、シュご・の畢従連は彼等の師シヌンに比し、より多くの現質感を有する。例へば宣ン”/と は﹁経済的進歩の狂躁的な歩調﹂といふこと宣寄ってゐる。㌘P〇・S・∽ム∽・

故に、余は意見の相違の生じ得ない欝賓を引詳し㌻うノと恩ふ。輩米利加合衆閻に於ては、近代叱於て初めて全

然新なる艇臍が成長した。而もそれは資本真義的教展の最高峰を示すもので参る。と七ろで此のアメリカ鮭臍も

亦た璧毘巷序せられたる経癖申べの資本主義の軋現であらうか? シュ。ハンは、インディアンの脛碑をも、・﹁適

常に整序せられたる紅野即ち困髄的、身分的軋拘束せられたろ経済﹂であると観察し、アメサカ資本重義が

今野もなほその状態の下に生存するものであるとなすのであらうか? 然し若しアメリカ資本主義が斯くの如き

ものでないとすれば予固有の秩序原理もなく自己調教も行はれすして∵アメリカ経済は如何絶してそれが建設せ

られ、維持せられ得たであらうか?

更にシ号ハレは、自己諷峯に封する反詮として、惑慌を指摘する。然るにこの恐慌こそ、かゝる調整作用の存

在を最も明白に詮明するものである。即ち、もしシモハジの考ふるが如く、資本主義経済に於こは何等固有め秩

序聯理が作用せす、而して、もし此の経済がツソフィ時代より侍承せる状態を基礎としてのみ増はわたるもの.よ

すれぼ、かゝる経臍は∴且恐慌に異はるゝや、劉薦秩序を恢復することは至難であらう。苦しかの状態があま少

に臨調にじて秩序を維祷し得ないものとすれぼ、一旦混乱せ㌧る秩序を回復する力は億吏持ち得ないわけである。

故忙凡ゆる資本卓義的経済は、それが〓且恐慌に肇はる1や、誉加速度を以て、蒋直に混乱の中に醜ひやむる シュパ・ン繹臍拳説の根本的欧隋 ︵四ニ〇 四≡

(20)

第十二審 義一㌍

︵匹−讐 四四

長相違ない。ノ飾るに事賓に於ては、戦前のすべての恐慌は﹂その中の多数の賜のは非常に強く且つ臍範囲なも

のであったが、それが克服せられてしまつたのである。も←経済忙自己調重力、即ち経済秩序を維持し、その破

壊せられたるとせは之を回復する力なしとすれば、右の尊資は如何にして詮明せらるべきであらうか? シュパ

蒜恐らく之に封して、戦前の恐慌は常局の干輿に依って発服せられたるものであるさ答へるであらう。然し斯

様な主張も、経済史上容易に説破し得るところであるが、それは響く措き、今日普く存する経済的行詰りをみれ

︵公︶

ぼ、その納税、▼即ち自己調整力を破成する本来の根本的原因が、那適把伏在するかを究めすしては、如何忙徹底

的なる普局の救済繁を以てするも、その秩序の回復に貢献し得ることの僅少なるを悟るであらう。斯様に馳前の

恐慌並に現に普く存する経臍的行詰りは、資本主義経済に於ける秩序が、自己調重力に基くことの最もよい誇梯

をなすのである。

︵讐余は、斯様畏定的根本的原凶ほ各階級︵公共圏讐も含めたる︶の併得欲求の過度なる緊警、それに戊ズて生

ずる慣絡、質銀の不動性の中に存するものと思ふ。遷し償格及び貸銀は、それが経済の調許省一た訂の任務を具すぺき

ものとすれば、可動的であらねばならぬからである○ 司e旨hrs卦1scト昇平∽の=﹃・亜忙拙稿もas穿dede巧 A旨星ikdesm賢才喜−−邑smus㌦∴ロJ賢g倉r詳穿−iO邑誉n邑e喜一S−註stiミ芦芦二琵㌫.N串

持象照。

此ノの串鷺を否定するは、轟尭、失張現賛の経済を誤り観察することに基く。即ちシ宗ンは、生産して市場虎

(21)

出すペき商品の種類や散漫を決定することが﹁ノ正しく企業者の自由に委ねられてゐる革質を香発する。彼は此の 事賛を以てイ1人蕊整家を一定の秩序に拘束するといふ現嘗に存する事柄を忽せ絶する 一 軍をる﹁藤岡﹂とし ケべ叉一﹁であるかの如き﹂.︵a訂各︶親察として安常するものとする甘︵﹃unda鷲鼻S.1箸︶成程企柴家が撹乱 鮭例佗於て幾多の拘朱を蒙ってゐるこせは確かである?即ち彼等は市場秩序の藷規定、取引慣習、社命政策的法 令等に服従しなけれぼならない。然しながら、之等はみな問題の核心に槻れておるものではない。商人は企菜家 の生産し且つ、市場に出すペき商品の種類や数量の決定にぼ拘束せらる1ことなくして自由である。之は、決し ′て﹁誕岡上ではなく、叉、﹁あるかの如き﹂ものでもない、それは 一 極く僅少な例外を除いてはー1女字通少 に安富するものである。すべての経済部門並に経済段階に於て、労働力や生産手段の分配は、︼にその経済内に 於て生産せちれたる財貨と努絡の種類及数畳ほ依存ナるから、・生産力の分配針亦、拘束や規定に依って規制せら る⊥ものではない。故に、もし市場機構に依る自動的調教が存しなかったとすれぼ、流通組臍は混沌に陥らざる を柑なかつたであらう。而しで牧益分配も亦自動的に︵所得の数字に應じて︶決定せらる1のであつて、ツンフ 一時代からの東膵に依って規軍せらる1ものでない萌は、既に前に之を明かにした。 かくして叉、流通総臍には何等固有の秩序原理など作用するものではないと云ふ妾張も亦無力なることが許明 せらる1のである。フォーゲルは、﹁現代の資本主義的流通経済は、機放せる身分的束縛といふ地殻皿の上に、そ の養分老吸収して、成長したるのみでなく、抑々之等の束縛を征服することに依つてのみ、今日の形態む岳する シュバン経済拳説の根本的映隅 ︵四五︶ 囲五

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第十j壷.罪 仙 新 へ四ふハ︶ 四大 へ29︶ 忙空つたのである﹂と開ってゐる。これは正常な富来である。而して叉それ故に、、流通紅臍は生産力並に収益の 分配正於て自動的自己訓重なくしてほ仙年も維持され得ないであらケ。 ∴29︶由Puptp邑le2de:heO邑i邑−eロノ、e旨eF読Wi旨cFarlsleF諾au鴫筈N已Or管ni邑−eりG⊇nd厨euくOn穿旨鼓芦 dOge︼u出eユiコ一浩一﹀仇.g. r以上﹁三薗の例に於て、シュパンの記述せる経済が如何に規貰を懸絶したるものであるかを明白ならしめた。.之 匠就ては、侍は幾多の例説を癖げることも出来るが、右の如き懸絶軋散りにも甚しく而かも朋々白々たるもので ぁるから.、ゝユパンには経済を硯賛に在るが変1に記述せんとする意闘がなかつたのだと不本意乍ら考へざるを得 ない。彼の著書を細くと音十人は、恰かもシミハンの有機的分析とは、全く現存の経済を記述するこどを目指した 協のでは敦ぐ、未来の物事の茂く治つた状態を喘侍するこ主を日精してゐるものであるかの如き印象を度々受け るのである。それにしても他の凡ゆる傾向の理論家に劃するシ号︵ンの決然たる態度には了解し挫きものがあるJ 麿し之等の禦㈹家は、規資に在るが牢1に贋臍を記適することを已.が任務としてゐるのである。それ故にこの経 臍が全然それとは別箇のものたるべしとの誇明佐依って、彼等の整調Ⅵ正常性が破壊せらるゝものではない。 唯バツ′ユパジは規資の経臍を論究するところの理論転封し激しく反封するととに伐つて、むしろ彼の概梼してゐ る事柄に患影響を輿へたの■である?もし、世人が経臍蛛﹁の■有機牒で参るペ.きこと、並にその有機豊の紹部分 へ30︶ 應魔例の虞の目的即ち欲望充足に充分買赦すべきものであるとの見解を看するならば1余も亦各然同意見︻卜

(23)

絶七わ問題は結局次の鮎に踵著する、即ち間躇は、現寛上如何に生産が収益性の原理に依って、叉従って如何忙 分配が朗待の数字に依って、全然機械的に規制せちれてゐるかを明かにするにある。而して現在の経臍を鏡にか けて、それが如何に共同健︵G00meinsc訂浮︶の眞の本質から遠ざかつてゐるか、叉その展の任務の達成、即ち欲 望め充足を如何に怠つてゐるかを蜜謹することに依ってのみ、普々は理論家として、より意味充質的なる経済形 態へ′の移行に刻して責離することが揖釆るのである。然るにシュパンは之と全然反射である。彼は資本主義的流 通経済の中へ、それに内在せざる㌻り意味を押入れることに依って、よ でぁる旬常態斯くの如くなるに、シュパンの拳詮が、経済塾に封し資本主養的流通総柄を、機械的、因果的に考 察することを妨げることはできない。 ︵嚢︶ ︷30︺ 拙著=Jle旨e訂伏象r訂cFa顎−S・い宗・参照。 ︹評者附記︺ Ott。C茎r乳の以上の併読を擁って、最近、極めて興疲深き論強が展開せられた。即ち、シュパン聾振の山人

WimelヨLrnd諾aeの 崇e鼠rEiehe Wiり訂ch乳汁已敬い害ecFanisヨ宏d嘗qn一乱誌c︸︸a≧ich訂it.︵JPh巧F誉繋pどn已穿.

戸Stat・出d・一息﹁出eft・N︶弧にOttO︵㌢nra包の Uer已2ebanism宏d21Er考e旨swirtsch茎l訂露eit・︵上掬番出d.一会.

目e芦0︶がそれである。故に之を紹介すべき飴自を有せぎることを造憾とする。

シュバン経済学説の根本的鉄隋

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参照

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