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胡椒が歴史を動かした
今回の課題について
前回の課題では、イブン=バットゥータの旅を通して 14 世紀の交易について理解を深めていただきま した。「世界の一体化」が始まったとされる大航海時代よりも前の時代からすでに、オアシスの道(シル クロード)や海の道(海のシルクロード)を通して地中海から中国にかけて人やモノの交流が盛んに行わ れていたことを学びましたね。前回はイスラーム世界から中国にかけてをメインにしていたので、地中 海についてはあまり深く勉強しませんでした。今回は三部だてです。「その①」と「その②」では 14 世紀 の地中海の交易から大航海時代の前半にかけてをメインに勉強したいと思います。みなさんにとって身 近な「胡椒」(様々な香辛料がありますが、胡椒を代表としたいと思います)が今回の主役です。胡椒を 通して、なぜヨーロッパが大航海時代に乗り出したのかを理解し、大航海時代がどのように進展してい ったのかを見ていきましょう。「その③」では 16 世紀から 18 世紀にかけて世界の枠組みがどのように変 わったのかを見ていきたいと思います。ここでは、主役が「胡椒」から「茶」へと移っていきます。「茶」 が貿易の主役になることで、なぜ世界の枠組みが変わっていくのでしょうか。 さて、皆さんは、「大航海時代が始まったとされる 15 世紀、より豊かだったのはヨーロッパかアジア (インドや中国)か?」と聞かれたらどのように答えるでしょうか。ヨーロッパの方が豊かだったと思う 人も多いでしょう。15 世紀、より豊かだったのはアジアです。大航海時代から現代史にかけての大きな 流れの一つは、「豊かなアジア」と(アジアに比べて)「貧しいヨーロッパ」という関係の逆転です。その 関係が逆転し始めるその第一歩が大航海時代なのですが、大航海時代であってもヨーロッパは概ね商品 を輸入する立場にありました。ヨーロッパが輸出できたのは銃等の武器くらいでしょうか。誤解を恐れ ずに言えば、「豊かなアジア」はヨーロッパのモノを求めずモノは概ね東から西へ流れていたのです。い ままでアジアから流入していたモノの流れが逆転し始める転換点が産業革命でしょうか。皆さんが共通 課題で扱った、15 世紀から 18 世紀を通してモノの流れが東から西から西から東へ逆転していくのです。 こうした大きな流れを踏まえた上で共通課題の内容を振り返るのもいいでしょう。では、その始まりで ある大航海時代について、背景から学んでいきましょう。今回のテーマ
なぜヨーロッパが大航海時代に乗り出したのか理解しよう(お肉と香辛料の話) 大航海時代がどのように進展したのか理解しよう(胡椒を求めて海に出た、胡椒から茶へ) 胡椒や茶が世界の枠組みをどのように変えたのか理解しよう(胡椒を求めて海に出た、胡椒から茶へ)2
「胡椒が歴史を動かした その① お肉と香辛料の話」
ここでは、胡椒がどうして必要だったのか、どのようにして胡椒がヨーロッパにもたらされたのかを考 えていただきます。 「胡椒が歴史を動かした」というと皆さんは驚くでしょうか。実は皆さんの身近なものが歴史を大きく 変えたモノだったりします。一杯の紅茶が、一杯のコーヒーが、スプーン一杯の砂糖が、一枚の布が、歴 史を変えてきたのです。一粒の胡椒もまた、歴史を大きく変えてきました。 胡椒の話をする前に、14 世紀のヨーロッパの食卓の話をしましょう。ヨーロッパは日本よりも寒い環 境で、冬に作物がほとんど育ちません。ヨーロッパでは○a 三圃制が普及していたかと思いますが、冬に問 題となるのは牛や羊、馬、豚などの家畜をどうやって養っていくかということです。冬に作物が育たず自 分たちの生活も苦しいのに、彼らを満足に養う餌を用意することは当然できません。だから、家畜たちの 多くを冬の前に殺し、毛皮などをとって肉を塩漬けにして保存していたのです。塩漬け肉がだんだん腐 っていくのは想像に難くないですが、春になるまでの数か月間、腐った肉を食べるしかなかったのです。 さて、胡椒やクロー、ナツメグ、シナモンなどの香辛料は肉の臭みを消しさらに美味しく味付けしてく れます。イスラーム世界では香辛料で味付けされた肉が食されていましたが、○b イスラーム世界でこれ を味わったヨーロッパの人々が香辛料とその味を故郷に伝えます。腐った肉を食べていた人たちはその 美味しさに絶句したことでしょう。14 世紀以降肉食が普及するにつれてみんなが胡椒をはじめとする香 辛料を求めるようになり、○c 香辛料の需要は高まっていきました。 参考文献 ・稲垣栄洋『世界史を大きく動かした植物』、2018 年、株式会社 PHP 研究所 ・玉木俊明『先生も知らない世界史』、2016 年、日本経済新聞出版社3 問 1 知っている香辛料を一つ挙げて、その香辛料について調べたことをまとめなさい(産地、どのような 料理に使われているか、その香辛料の歴史 etc…)インターネットで調べても良い。インターネットで 調べた場合はサイトの URL あるいはサイトの名前を記載すること。 問 2 胡椒、クローヴ、ナツメグ、シナモンなどの香辛料の原産地を調べ地図に書き込みなさい。書き込む 際は、その地域を○で囲いその横にその香辛料の名称を書き込むこと。重なる場合は一つの○の横に 二つの香辛料の名称を書き込むなどすれば良い。Cf.詳説世界史 170-171p、タペストリー p86
4 問 3 ○a 三圃制に関して、どのような農業方式か説明しなさい。Cf.タペストリー142p 問 4 ○b イスラーム世界でこれを味わったヨーロッパの人々に関して、彼らがなぜイスラーム世界に来て いたのか推測しなさい。Cf.詳説世界史 137-138p 問5 ○c 香辛料の需要は高まっていきましたに関して、以下の問いに答えなさい。 ①ヨーロッパの人がどのように香辛料を手に入れていたのか調べてまとめなさい。Cf.詳説世界史 170-171p ②①で、ヨーロッパの香辛料貿易で莫大な利益を得ていたヨーロッパの都市の名前を 3 つ挙げなさい。 ③①においてカーリミー商人が果たした役割とカーリミー商人が②の商人たちと交易していた代表的 な港の名前を挙げなさい。 役割: 港:
5 「胡椒が歴史を動かした その① お肉と香辛料の話」まとめ 中世ヨーロッパでは(① )という農法が普及しており、冬に家畜たちを屠殺して肉を塩漬 けにして保存していた。日を追うごとにその肉は腐っていくが、ヨーロッパの人たちはそれを食べる しかなかった。 (② )に従事した人たちが(③ )で味付けされた肉料理をヨーロッパに 伝えると、ヨーロッパで(③)の需要が高まった。(③) の原産地は(④ )や (⑤ )であり、そこから(⑥ )が(③)を運んだ。(⑦ ) や(⑧ )、(⑨ )などのイタリア都市の商人が(⑩ ) で(⑥)から(③)を得てヨーロッパにもたらしていた。こうして、14 世紀、ヨーロッパにおける(③) 貿易を独占したイタリア都市が繁栄したが、この香辛料を求める動きが大航海時代につながっていく のである。
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「胡椒が歴史を動かした その② 胡椒を求めて海に出た」
先ほどはなぜ香辛料が求められたのか、どのようにヨーロッパに香辛料がもたらされたのかを考えて 頂きました。次は、なぜヨーロッパが大航海に出たのかを考えて頂きます。同時に、なぜ大航海が可能だ ったのか、大航海時代がどのように進展していったのか、ということも関連して理解していきましょう。 ○a 香辛料は高く売れたから、ヨーロッパの多くの 商人が香辛料を求めて海に出ました。その中で、香 辛料貿易を独占して栄えたのがヴェネツィアやジェ ノヴァなどのイタリア諸都市でした(今の感覚で言 うと、当時のイタリアの都市はそれぞれ独立した国 家に近いです。当時のイタリア人が自己紹介すると き恐らく「私はイタリア人です」ではなく「私はヴ ェネツィア人です」「私はフィレンツェ人です」と言 うでしょう)。それらの都市は莫大な利益を得て繁栄 することとなります。そうした状況の中で、彼らの手 を経ずに香辛料を入手することができれば莫大な利 益を得ることができるのではないか、と考えた人た ちがいました。ポルトガルの国王とスペインの国王 です。そうして、彼らは地中海を経由しない航路を模 索する事業を推進していくこととなるのです。当時、 ヨーロッパでは香辛料の取れる一帯から中国辺りにかけてを漠然と「インド」と呼びました。だから、○b 大航海時代に彼らが香辛料を求めて開拓した航路を○c 「インド航路」と呼ぶのです。余談ですが、後にオ ランダやイギリスが設立する「東インド会社」の「インド」もこの「インド」です。 ポルトガル商人は 15 世紀初頭からアフリカ西岸の探検に出ていましたが、○d 「航海王子」エンリケが 熱心にこの地域の探検事業を進め北アフリカの○あセウタを獲得します。これは、ローマ帝国除いてヨー ロッパが獲得した初の植民地でした。その後、バルトロメウ=ディアスが○い喜望峰へと歩を進め、○e ヴァ スコ=ダ=ガマがついにインドの○うカリカットに到達します。1498 年のことでした。その後、ポルトガル は香辛料貿易の拠点として○えゴアを獲得します。こうして、インド航路の開拓に成功し、香辛料を直接手 に入れることでポルトガル王室は莫大な利益を得ることとなったのです。ポルトガルの首都○おリスボン は繁栄を極めることとなりました。 ポルトガルと競っていたのがスペインですが、スペインのインド航路の開拓はポルトガルよりも出遅 れることとなりました。そこで、○f スペイン女王は、1492 年、ジェノヴァ生まれの船乗り、○g コロンブ スを「インド」に向けて派遣しました。彼は○h 「新大陸」に上陸することとなるのですが、彼は自分が上 陸した地を「インド」と信じて疑わなかったのです。 ヴェネツィア(自写)7 スペインとポルトガルは競争するように航海に出て、到達した先々で互いに紛争を繰り返していまし た。そうした状況を解決するためにローマ教皇が大西洋の西側をスペイン、東側をポルトガルの勢力圏 と境界線を引くこととなりました(1493 年)。○i 翌年、境界線が西にずらされてブラジルよりも西側がス ペイン、東側がポルトガルの勢力圏となりました(1494 年)。境界線の西側がスペインの領域となったの で、スペインは西回りの航路を開拓していくこととなります。そこで、スペイン王室の命令を受けて西回 りでモルッカ諸島を目指したのが○j マゼラン一行です。マゼラン自身はフィリピンで死亡しますが、マ ゼラン船団の内の一隻が史上初の世界周航を成し遂げることとなります。また、○k ブラジルを除く「新大 陸」はスペインの勢力圏となったので、この条約が結ばれてから 30 年ほど後、○l スペインは「新大陸」 を征服していきます。 こうして、香辛料を求めて大航海時代は始まりました。大航海時代が始まった当初、やはりヨーロッパ はインドやアジアに比べて後進地域でした。ポルトガルやスペインのインド・アジア進出は、数ある商業 勢力の一つとしてムスリム商人や中国人商人の商業ネットワークに参加する形となり、拠点を獲得する のが精一杯だったのです。一方で二カ国の海外進出は、ラテンアメリカでは武力をもってその地を征服 する方向ですすむこととなりました。大航海時代の始まりは、インドやアジアとの実力差を如実に示し ながらも、その後の、植民地を築く方向性を内包していたのです。 参考文献 ・稲垣栄洋『世界史を大きく動かした植物』、2018 年、株式会社 PHP 研究所 ・玉木俊明『先生も知らない世界史』、2016 年、日本経済新聞出版社
8 問 1 ○a 香辛料に関して、東南アジアの香辛料については、「世界の記述」の中でも言及されていた。 「世界の記述」について以下の問いに答えなさい。 ①「世界の記述」の記述が東方(インド、東南アジア、東アジア等)への関心を引き立てた側面がある。 では、「世界の記述」はどこの国の誰の証言をもとに作られた著作か答えなさい。Cf.詳説世界史 168p ②↓の文章は「世界の記述」の中の「ジパング」について言及した部分である。 「ジパングは、カタイ(中国北部)の東の海上 1500 マイル(実際は 500 マイル(800 ㎞)くらいです) に浮かぶ独立した島国で、莫大な金を産出し、宮殿や民家は黄金でできているなど、財宝に溢れてい る」(wikipedia より引用) ○ ⅰ「ジパング」とはどこの国か。 ○ ⅱこの記述はイメージや伝説を含むため必ずしも正確ではないが、ヨーロッパの人々の「アジア」のイ メージを形成する際に影響を与えたとされている。この記述を読んだヨーロッパの人々が「ジパング」 についてどのようなイメージをもったのか、推測しなさい。Cf.詳説世界史 201p 問 2 ○b 大航海時代に関して、以下の問いに答えなさい。 ①大航海時代の遠洋航海を可能にしたのは、航海技術の発展であった。以下の問いに答えなさい。 ○ ⅰ航海技術の発展と最も関わり深いルネサンス3大改良(発明)を選びなさい。Cf.詳説世界史 209p、 タペストリー160p ○ ⅱ○ⅰはどこで発明され、どこを経由してヨーロッパにもたらされたか、説明しなさい。Cf. タペストリ ー160p
9 ②↓の二つの地図はどちらも大航海時代に作られた地図であるが、一つは 15 世紀後半、一つは 16 世 紀前半の地図である。地図Ⅰと地図Ⅱではどちらが先に作られたか推測しなさい。 ・先に作られた地図: ・理由: 地図Ⅰ 地図Ⅱ
10 問 3 ○c 「インド航路」に関して、ポルトガルが開拓した航路○あ~○おを以下の地図に記入し、航路を線 で結びなさい。 問 4 ○d 「航海王子」エンリケに関して、「彼が進めたアフリカ西岸の探検事業の目的はインド航路の 開拓ではなかったのでないか」という論もある。では、彼の目的は一体何だったのだろうか。以下の問 いに答えなさい。 ①当時、ヨーロッパはあるモノをムスリム商人の手を経て入手していた。そのあるモノはマリ辺りで 産出されサハラ砂漠を越えてモロッコと取引されていた。マリとモロッコでされていたこの貿易につ いて説明しなさい。Cf.詳説世界史 114p ②エンリケ王子が西アフリカ沿岸の探検事業を進めていた目的を推測しなさい。
11 問 5 ○e ヴァスコ=ダ=ガマに関して、彼の航路に関して以下の問いに答えなさい。 ①アフリカ東岸からカリカットにかけての彼の航路と 13 世紀の交易路を比較して、気づいた点をまと めなさい。 ②ヴァスコ=ダ=ガマは①の地域を航海するとき、水先案内人を雇い航海した。当時この地域で誰が活 躍していたのかを踏まえた上で、誰を水先案内人としたのか推測しなさい。
12 問 7 ○f スペイン女王に関して、以下の問いに答えなさい。 ①彼女の名前と、彼女の夫の名前を答えなさい。Cf.詳説世界史 147-148p ②彼女たちはイベリア半島のイスラーム勢力最後の拠点を陥落させた。 ○ ⅰこの都市の名前を答えなさい。Cf.詳説世界史 109p、147-148p ○ ⅱ○ⅰでもって、8 世紀にイスラーム勢力によって征服されたイベリア半島を再びキリスト教の支配下 に入れる運動が完成したとされる。この運動の名称を答えなさい。Cf.詳説世界史 109p、147-148p ○ ⅲスペインとポルトガルが航海に出た一つの要因として、キリスト教の海外布教に対する意欲が高か ったことが挙げられる。この二カ国で海外布教の意欲が高かったのはなぜか、○ⅱと関連させて推測し なさい。Cf.詳説世界史 202p
13 問 8 ○g コロンブスに関して、以下の問いに答えなさい。 ①彼が大西洋を西に向かって航海したのはなぜか説明しなさい。Cf.詳説世界史 203p ②コロンブスが「新大陸」に上陸して以降、ヨーロッパ人の交易によって各地の動植物や病気までもが 世界規模で広められ、世界中の生活が変わることとなった。この現象をそのきっかけとなった人物に なぞらえて「コロンブスの交換」とよぶことがある。以下の問いに答えなさい。 ○ ⅰアメリカ大陸からアジア・アフリカ・ヨーロッパにもたらされた作物はどのようなものがあるか答 えなさい。 ○ ⅱヨーロッパ人は、アジアやアフリカの作物を移植し、栽培した。その代表的な作物は何か、3 つほど 上げなさい。
14 問 9 ○h 「新大陸」に関して、次の問いに答えなさい。 ① 「新大陸」に「」がついて表記されるのはなぜか考えなさい。「新大陸」は誰の目から見て「新大 陸」なのか、という点に着目して考えること。 ② 15 世紀のヨーロッパ人ではじめて「新大陸」に上陸したのはコロンブスである。しかしこの大陸 は「コロンビア」と名付けられずに「アメリカ」と名付けられた。それはなぜか説明しなさい。Cf. 詳説世界史 203p 問 10 ○i 翌年、境界線が西にずらされてブラジルよりも西側がスペイン、東側がポルトガルの勢力圏とな りました(1494 年)に関して、この条約の名前を答えなさい。Cf.詳説世界史 202p 問 11 ○j マゼランに関して、以下の問いに答えなさい。 ① 彼に出航を命じたスペイン王は誰か答えなさい。Cf.詳説世界史 216p の左下の家系図 ② ①の人物が争っていたフランス王は誰か答えなさい。Cf.詳説世界史 215p 問 12 ○k ブラジルに関して、ブラジルで現在話されている言語は何語か推測しなさい。Cf.詳説世界史 233p 上の地図
15 問 13 ○l スペインは「新大陸」を征服について、以下の問いに答えなさい。 ① 次の語を二つのグループに分けなさい。Cf.詳説世界史 204p 【コルテス、ピサロ、インカ帝国、アステカ帝国、クスコ】 ② なぜ①のように分けたのか説明しなさい。 ③ 16 世紀、「新大陸」の先住民の人口の 98%が失われた。それはなぜか推測しなさい。Cf.詳説世界 史 204p ④ ヨーロッパ人が問 8-②-○ⅱの作物を栽培するには労働力が必要であった。しかし、③の結果アメ リカ大陸では労働力が不足することとなった。ヨーロッパの人々は不足した労働力をどこからアメ リカ大陸に運んだのか答えなさい。Cf.詳説世界史 235p 「胡椒が歴史を動かした その② 胡椒を求めて海に出た」まとめ 背景 ・『① 』に刺激されて豊かな(② )や(③ )に対する憧れが あった。 ・(④ )の改良などによって遠洋航海が可能になっていた。 ・ヨーロッパで(⑤ )が普及したことによって(⑥ )の需要が高まって いた。 ・(⑦ )を経験したスペインやポルトガルで(⑧ )の意欲が高か った。 展開 ・ポルトガルは(⑨ )廻りでインド(アジア)をめざし、(⑩ )の開拓に成 功した。 ・スペインは(⑪ )廻りでインド(アジア)をめざし、(⑫ )を発見し、その後征 服した。
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「胡椒が歴史を動かした その③ 胡椒から茶へ」
「胡椒が歴史を動かした その② 胡椒を求めて海に出た」では、大航海時代の始まりの部分、時代で 言うと 15 世紀の後半から 16 世紀の前半辺りまでを学びました。このように始まった大航海時代は、主 役となる商品を変えながらやがて帝国主義の時代へと姿を変えていきます。「胡椒が歴史を動かした そ の③ 胡椒から茶へ」では、香辛料から茶へと主役が交代します。香辛料から茶へ、主役が交代していく なかでどのように世界の枠組みが変わっていったのかを見ていきましょう。皆さんにおなじみの茶は、 世界をどう変えていったのでしょうか。 インド航路を開拓し、香辛料の産地であるスリランカやマラッカ、モルッカ諸島まで進出していたポル トガルはムスリム商人や中国人商人の交易路に乗って 1517 年、○a 明の広州に至ります。当時、明は○b 北 虜南倭という事態に陥っており、中国沿岸では密貿易が盛んに行われていました。こうした状況のなか で密貿易網にのって倭寇船に乗ったポルトガル人が 1543 年○c 種子島に漂着します。これをきっかけにポ ルトガルは日本と通商関係を持つようになり、○d フランシスコ=ザビエルが日本に訪れるのです。その後、 ポルトガルは明からマカオの居住権を与えられ、マカオを拠点に○e アジアの交易に参入し大きな利益を 上げることとなりました。 一方、西回りでアジアを目指したスペインはマニラを拠点にアジアの交易に参入します。○f スペインは ラテンアメリカの植民地から銀を輸送し、中国で絹と交換し持ち帰りました。1580 年、スペインはポル トガルを併合すると「日の沈まない国」を実現し、ヨーロッパ経済の中心となりました。 ポルトガル・スペインの繁栄は長続きしませんでした。ここに台頭してくるのが○g オランダです。オラ ンダには多くの貿易会社があり、彼らはバタヴィアに拠点を置き各々活躍していました。そうした中で、 1602 年、それらの会社を統合したオランダ東インド会社がに設立されます。その後、ポルトガルの交易 路を奪うようにインド・アジアに進出し、香辛料貿易を独占します。さらに中国、日本との交易において も重要な役割を果たすようになり、1609 年、オランダは日本からヨーロッパにこの後の世界を変える飲 み物をもたらすのです。その飲み物こそが、皆さんなじみの茶だったのです。茶は当初、オランダの貴族 の間に流行します。当時ヨーロッパの貴族にとって、中国や日本の文化は憧憬の対象でした。○h 茶や陶磁 器をはじめとする中国・日本に由来する物品を所有していることは彼らにとって名誉なことだったので す。彼らは単にモノを輸入していたのではなく、憧憬の対象である中国・日本の文化を輸入していたので す。そして、○i 中国や日本からもたらされた陶磁器や漆器はヨーロッパの宮廷で大流行することとなり ます。○j 1630 年代、オランダはヨーロッパ勢力の中で唯一日本との交易を許された存在となります。香 辛料貿易の独占と対日貿易の独占を要因の一つとしてオランダは世界中の交易で中心的な役割を担うよ うになりました。こうして、オランダは首都のアムステルダムは世界経済の中心となりました。 オランダが覇権を握っていた時代、茶はアジア貿易の主要な商品ではありませんでした。茶がアジア貿 易の主要な商品となるのは、○k 17 世紀から 18 世紀にかけてイギリスがオランダから世界商業の中心の 座を奪ってからのことです。18 世紀、イギリスは東アジアからインド、ヨーロッパ、南北アメリカにか けての交易において優位に立ちます。イギリスといえば紅茶を想像する人も多いと思いますが、イギリ スで紅茶が広く飲まれるようになるのは 18 世紀のことです。17 世紀後半にはロンドンの○l コーヒーハ17 ウスで茶が提供されていたと言 われていますが、17 世紀後半に ポルトガルや○m オランダの宮廷 から飲茶の習慣がイギリスの宮 廷にもたらされたことがイギリ スに○n 紅茶の文化が根付くきっ か け で あ っ た と 言 え る で し ょ う。宮廷で飲茶が流行したこと で、貴族や地主階級の間で飲茶 の流行が広がります。そして、そ の流行が庶民まで広がっていく のです。18 世紀、イギリスは茶 の輸入のほぼ全てを○o 清に頼っ ていました。一方で、イギリ スは清が欲する商品を持っ ていませんでした。18 世紀 中ごろには、イギリスに紅茶 の文化が浸透していたとさ れます。文化として定着して いる以上、紅茶を輸入しない わけにはいきませんし、その 消費量は増える一方でした。 イギリスは赤字を抱えてで も茶を輸入せざるを得なか ったのです。こうした状況 が、次の時代、○p イギリスが 中国を侵略する土台を作っ ていったのです。 参考文献 ・稲垣栄洋『世界史を大きく動かした植物』、2018 年、株式会社 PHP 研究所 ・角山栄『茶の世界史 緑茶の文化と紅茶の社会 改定』、2018 年、中公新書 ・玉木俊明『先生も知らない世界史』、2016 年、日本経済新聞出版社
18 問1 ○a 明に関して、以下の問いに答えなさい。 ①当時、明が行っていた海禁政策について説明しなさい。Cf.詳説世界史 179-180p ③ 海禁政策をとりつつも貿易による利益を増大させることを目的に、永楽帝によって行われた事業は 何か。Cf.詳説世界史 179-180p 問 2 ○b 北虜南倭に関して、北虜と南倭がそれぞれ何を指すのか答えなさい。Cf.詳説世界史 182p 北虜: 南倭: 問 3 ○c 種子島に関して、以下の問いに答えなさい。 ①この時に伝えられた武器は何か答えなさい。Cf.詳説世界史 184-185p ④ ①から数年後、日本は①の武器の国産化に成功する。その結果、大量の①の武器の使用が可能とな り、日本の戦術は一変することとなる。下の図は世界史上初めて①の武器が大量に投入されたとさ れる長篠合戦を描いたものである。どちらの陣営が織田氏でどちらの陣営が武田氏の陣営か、右陣 営、左陣営で答えなさい。 織田氏: 武田氏:
19 問 4 ○d フランシスコ=ザビエルに関して、以下の問いに答えなさい。 ①彼が属していた組織の名前を答えなさい。Cf.詳説世界史 184p、詳説世界史 212-213p ③ 彼が日本に来る経緯を当時のヨーロッパの情勢と合わせて述べなさい。 「宗教改革、対抗宗教改革、①の答え、布教」の語句を使用すること。Cf. 詳説世界史 184p、詳説 世界史 212-213p 問 5 ○e アジアの交易に関して、以下の問いに答えなさい。 ①以下の文章は、ポルトガルとそれに続くオランダは中国と日本の間でどのような貿易を行ったかを 説明したものである。空欄○ⅰ~○ⅲに適切な語を入れなさい。Cf.詳説世界史 182-183p 中国は日本に(○ⅰ )や(○ⅱ )を輸出し、日本はその対価として (○ⅲ )を支払った。ポルトガルの商人はこれらの商品を運ぶ仲介者として日本とアジアの貿 易に参入した。これに続くオランダ東インド会社も同様の役割を担うこととなった。 ②下の地図は 16 世紀のポルトガルで作られた日本の地図である。以下の問いに答えなさい。 ○ ⅰここに記されている「Hivami」とは日本の何を指しているのか答えなさい。Cf.タペストリー303p ○ ⅱなぜその地名が記されることとなったのか推測しなさい。Cf.タペストリー303p ヒント:島根県にある世界遺産
20 問 6 ○f スペインはラテンアメリカの植民地から銀を輸送し、中国で絹と交換に関して、以下の問いに答 えなさい。 ①この貿易の名称を答えなさい。Cf.詳説世界史 200p、タペストリー113p ②この貿易の銀を供給した鉱山の名称を答えなさい。Cf. タペストリー113p ③②の銀はヨーロッパに大量に流入した。その結果、銀の価値が下がり物価が上昇することとなった。 この現象を何と呼ぶか答えなさい。Cf.詳説世界史 204-205p ④①と問 5-①の結果中国に大量の銀が流入した。16-18 世紀をかけて中国は常にモノを輸出する立場 にあった。その代価として支払われたのが銀であった。こうして、16-18 世紀銀は常に中国に流入し 続けたのである。以下の問いに答えなさい。 ○ ⅰ大量の銀が流入したことで明代に新たに成立した税制を答えなさい。Cf.詳説世界史 183p ○ ⅱ16 世紀、明の富裕層の間で毛皮の需要が高まった。明の商人がその対価として支払ったのが銀であ った。この結果毛皮の交易に従事していた民族が台頭することとなる。後に清朝を開くその民族の 名称を答えなさい。Cf.詳説世界史 185-186p ○ ⅲ18 世紀の清ではどのような税制が導入されたか答えなさい。Cf. 詳説世界史 191p
21 問 7 ○g オランダに関して、以下の問いに答えなさい。 ① 当時のオランダで広まっていたプロテスタントの宗派は何か答えなさい。Cf.詳説世界史 211p、タ ペストリー162p ②16 世紀、オランダはスペインに従属していた。1568 年この地域で反乱が起き、これをきっかけにオ ランダとスペインはおよそ 40 年間争うこととなる。なぜ反乱が起こったのか述べなさい。 「フェリペ 2 世、カトリック、①の宗派」の語を使うこと。Cf. 詳説世界史 217p ② 1581 年オランダは独立を宣言し、1609 年の休戦協定で実質的な独立を勝ち取る。オランダの独立 が正式に承認されたのは 1648 年のことであった。ある戦争の講話条約でもあるこの条約の名前を 答えなさい。Cf.220-222p 現在のアムステルダム 運河が張り巡らされている可愛らしい街でした
22 問 8 ○h 茶や陶磁器に関して以下の問いに答えなさい。 ①明の時代、中国で陶磁器の生産地として有名だった場所の地名を答えなさい。Cf.詳説世界史 183p ③ 緑茶と紅茶の違いを「発酵」という言葉を用いて説明しなさい。自分で調べること。 検索ワード「緑茶 紅茶 違い」「紅茶 歴史」etc… ⑤ 当時、茶の生産は中国と日本などの中国周縁の温帯の地域でしかされていなかった。そのため、19 世紀半ばになるまで、イギリスは紅茶のほぼすべてを中国から輸入していた。下の「イギリスの紅 茶輸入の推移」図から読み取れる変化を述べなさい。
23 問 9 ○i 中国や日本からもたらされた陶磁器や漆器はヨーロッパの宮廷で大流行に関して以下の問いに答 えなさい。 ①このような潮流を何と呼んだか答えなさい。Cf.詳説世界史 239p ②①の流行は 18 世紀ヨーロッパで愛好されていた美術様式と相まっていた。この美術様式は建築にお いて植物のモチーフを多く用いていた。この美術様式の名称を答えなさい。Cf.詳説世界史 192p、 239p 問 10 ○j 1630 年代、オランダはヨーロッパ勢力の中で唯一日本との交易を許された存在に関して、以下の 問いに答えなさい。 ①江戸幕府のこのような政策をいわゆる何と呼ぶか答えなさい。Cf.詳説世界史 185p ②スペインやポルトガルが排除された理由を宗教的な側面から推測しなさい。Cf. 詳説世界史 185p ④ ②でないにも関わらず、イギリスは日本との貿易から撤退することとなる。それはこの地域の交易 の実験を握ったのがオランダ東インド会社で、イギリス東インド会社がインドの拠点経営に力を注 ぐようになったからである。そのきっかけとなったモルッカ島で起きた事件の名前を答えなさい。 Cf. 詳説世界史 233p ←サンスーシー宮殿
24 問 11 ○k 17 世紀から 18 世紀にかけてイギリスがオランダから世界商業の中心の座を奪ってに関して、以 下の問いに答えなさい。 ①17 世紀半ば、オランダはある法律の制定によって打撃を受ける。オランダの経済を支えていたのは、 中継貿易であった。当時、ヨーロッパ各国から輸出される商品の多くはオランダ船が運んでいた。こ れに対してオランダは輸送量を徴収していたのである。イギリスは、オランダの対イギリス貿易で これを封じたのだ。この法律の名称と、制定した人物の名前を答えなさい。Cf.詳説世界史 224-225p 法律: 人物: ②①に対して、オランダはイギリスに対抗し、戦争が起きる。この戦争の名前を答えなさい。 問 12 ○l コーヒーハウスに関して、ここでは茶のほかにどのような商品が提供されていたか答えなさい。 Cf.詳説世界史 240p 問 13 ○mオランダの宮廷から飲茶の習慣がイギリスの宮廷にもたらされた に関して、イギリスの宮廷に飲茶の習慣をもたらしたのは、チャールズ 2 世(1660-1685)に嫁いだポルトガル王の娘キャサリンと、オランダ から王として迎えられた人物であった。以下の問いに答えなさい。 ①オランダから王として迎えられた人物の名前を答えなさい。Cf.詳説世界史 225-227p ②①の出来事を何と呼ぶか答えなさい。Cf.詳説世界史 225-227p
25 問 14 ○n 紅茶の文化に関して、以下の問いに答えなさい。 ①イギリス人は紅茶にあるものとミルクを入れて飲んだ。これはイギリス独自の飲み方であり、これ こそが中国や日本の飲み方と決定的に違った点であった。そのあるものとは何か答えなさい。 ②イギリス以外のヨーロッパでは何が主に飲まれているか答えなさい。 ③紅茶や②に入れられた①はどこで生産されたものか答えなさい。Cf.詳説世界史 235-236p ④ ①を作る労働力として③の地域に運ばれたのはどこ地域のどのような人々か答えなさい。Cf.詳説 世界史 235-236p、タペストリー171p 地域: 誰: ⑤ ①から④を踏まえて、当時ヨーロッパと西アフリカ沿岸、アメリカ大陸の間でどのような貿易が行 われていたのか説明しなさい。Cf. Cf.詳説世界史 235-236p、タペストリー171p ⑥ アジアとの貿易や⑤によって西欧の人々の消費生活が大きく変化したのは今まで見てきた通りで ある。このような現象を何と呼ぶか答えなさい。Cf.タペストリー176p
26 問 15 ○o 清国に関して、18 世紀後半、乾隆帝は貿易を王朝の管理下に置いた。この政策について説明しな さい。 「広州、公行」の語を使うこと。Cf.詳説世界史 191p 問 16 ○p イギリスが中国を侵略に関して、以下の問いに答えなさい。 ①貿易赤字を抱えたイギリスが銀を回収するために行った貿易について説明しなさい。Cf.詳説世界史 295-296p ②①をめぐって清とイギリスは対立した。この延長線で、イギリスと中国の力関係が逆転していたこ とが判明する。力関係が逆転していたことが判明する、その転換点となった出来事は何か答えなさ い。Cf.詳説世界史 295-296p
27 問 17 「胡椒が歴史を動かした その③ 胡椒から茶へ」の文章は、ウォーラーステインの「近代世界シス テム論」に基づいている。「近代世界システム論」とは、世界を「中核(世界の中心となって繁栄した 国・地域)」と「周辺(食料や原材料、労働力の供給地として中核の発展を支え富を吸い上げられた地 域)」に分け、なぜ西欧が近代化しアフリカやラテンアメリカの近代化が遅れているのかを説明した論 である。以下の問いに答えながら、「近代世界システム論」に沿って、17 世紀の世界を説明しなさい。 ①中核の中でも他国に対して生産・商業・金融で優位にたった国を「覇権国家」という。17 世紀の「覇 権国家」はどこか答えなさい。Cf.タペストリー184p ②17 世紀の「中核」は西ヨーロッパである。「周辺」を「労働力の供給地」と「食料や原材料の供給地」 に分けたとき、それぞれどの地域が当てはまるか答えなさい。Cf.タペストリー184p 「労働力の供給地」として「周辺」に置かれた地域: 「食料や原材料の供給地」として「周辺」に置かれた地域: ③「近代世界システム論」に沿って、①②を踏まえたうえで 17 世紀の「覇権国家」「中核」「周辺」の 構造を説明しなさい。Cf.タペストリー184p 「胡椒が歴史を動かした その③ 胡椒から茶へ」まとめ 16 世 紀 か ら 18 世 紀 に か け て 、 ア ジ ア 貿 易 の 首 位 は ( ① ) か ら (② )、(②)から(③ )へと移った。彼らは(④ )の植民地 で産出された銀と(⑤ )で産出された銀とを中国の(⑥ )や(⑦ ) と交換した。 (②)がヨーロッパにもたらした茶はやがて(③)で(⑧ )の文化として成立する。(⑧) 以外にヨーロッパでは(⑨ )などが消費されるようになったが、(⑧)や(⑨)は (⑩ )やミルクを入れて飲まれた。(⑩)はブラジルなどの植民地で栽培されたが、その労 働力となったのが(⑪ )たちであった。 大航海時代を経て、様々なモノがヨーロッパに流れ込みヨーロッパでは(⑧)や(⑨)のような文化 が成立したが、それは(⑪)たちの犠牲の上に成り立っていたのである。ウォーラーステインは(⑩) の 生 産 や ( ⑪ ) の 供 給 を し た 地 域 を 「 周 辺 」 と し た が 、 こ の よ う な 構 造 を 説 明 し た 論 を (「⑫ 」)という。