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大正大学研究紀要100号特別号(201503) 049.星野 壮「外来仏教の日本進出に関する一考察」

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大正大學研究紀要   第一〇〇輯   特別号 一

外来仏教の日本進出に関する一考察

大正大学 非常勤講師

星 野   壮

1.はじめに

1) いきなり私事で恐縮だが、筆者は修士論文執筆時より主に移民研究や宗教社会学の先行研究を参照しながら、日 本における在日ブラジル人の生活と信仰実態について調査するために、主にキリスト教に注目してフィールドワー クを行ってきた。その間リーマン・ショックによる世界的な景気後退、東日本大震災と発生し、在日ブラジル人を 取り巻く環境は激変した。また通称 BRICs と呼ばれる新興国の1国であり、サッカー・ワールドカップ、オリンピッ クなどの開催により、さらに活況を呈する母国ブラジルと日本の経済状況は、80 年代後半とは逆転したようにも 思える。そして実際に在日ブラジル人の数はここ数年で3分の2に減少した。 在日ブラジル人の減少と相対的に、アジア諸国からの移民は堅調を維持している。そして日本との関係において 複雑な過去を持ち、地理的にも日本に近い旧植民地からの移民も、近年の日本との関係悪化などもあり、再びクロー ズアップされている。つまり地政学的に日本と強い連関関係が認められるこれらの国々からの、日本への移民は今 後も一定数見込まれる。そして今後も以上のようなエスニック・グループと日本社会では、田中雅一氏がしばしば 提起する「「交渉」や「交流」といった調和的で平和的な概念でくくれない、暴力や権力、葛藤や抵抗含みの「コ ンタクト・ゾーン2)」」(田中 2007)が生成してしまう可能性も、残念ながら否定できない。 上記のような興味関心のもと、本稿では台湾の仏教系 NGO である「台湾佛教慈済基金会」(以下「慈済会」とする) の日本支部を取り上げる。まずは、移民研究における宗教研究の欠落などを指摘しながら、慈済会を取り上げる意 義を確認する。次いで「慈済会」台湾本部の歴史を、海外進出を中心に振り返る。そして日本支部について先行研 究では触れられていない、ホスト社会とのかかわりかたを簡単に記述していく。 もちろんこのような作業のみで、掲げた問題関心すべてに答えられるわけできない。また、本稿も残念ながらあ くまで調査・分析の中途での報告となってしまっている。つまり、今後の研究に向けた予備的研究として本稿が位 置づけられることも明記しておく。

2.ニューカマーと宗教研究の現況

1970 年以降、日本に来日し、ある程度長期間 日本にて過ごすことになった外国人は、一般的に 「ニューカマー(新来外国人)3)」と呼ばれる。駒井 洋らの見解によれば、1980 年代に「興行」ビザで 入国しエンターテイナーとして繁華街で働くことの 多かったフィリピン人、1980 年代半ばに中華人民 共和国が私費留学を自由化することによって増えた 中国人の留学生や就学生、日本との間にビザ相互免 除協定が結ばれていたことからビザ無しの観光目的 で入国し、そのまま働くこともあったというイラン 人・パキスタン人・バングラディシュ人、韓国にお 表1:ニューカマー到来期における外国人人口増加について(出典:本川 裕「社会実情データ・外国人数の推移(国籍別)」 http://www2.ttcn.ne.jp/ honkawa/ 2014 年3月アクセス)

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外来仏教の日本進出に関する一考察 二 ける 1989 年の海外渡航自由化後、来日傾向が高まった韓国人、そして 1990 年の「出入国管理及び難民認定法(入 管法)」により日系人とその配偶者に単純労働への従事を認める在留資格が与えられたことによる南米系日系人ら が、代表的なニューカマーと目されている(駒井ほか編 1997)。 実際にこのニューカマー到来期の外国人人口増加は、表 1 のようになっている。まず総数としては、1965 年に は在留外国人全体で 665,989 人であったものが、2010 年には 2,134,151 人となっている。また彼/彼女らの出 身国・送り出し国について考えると、戦前からの歴史的経緯から、かつては朝鮮半島出身者中心だったものが、ニュー カマー到来期以降は全アジア、南米など、出身地の広域化と多様化が進行している。 上記のような「日本社会の国際化」ともいえる状況の中で、日本人研究者が在留外国人の日本における動向に注 視するのも無理もなかった。実際に法学、経済学、教育学、社会学、文化人類学などの諸分野にて、研究が進ん だといえるだろう。しかし、宗教学もしくは諸分野における宗教研究の蓄積について考えると、あまり蓄積がなさ れなかったという答えが正解となる。それは研究者たちが外来宗教団体や、在日外国人の宗教生活について等閑視 してきたからではない。どちらかといえば、研究者たちはその重要性を認めつつも、研究の中心に据え置いてこな かったのである。それは都市社会学者の奥田道大氏たちが、「(新宿や池袋といった集住地域における)外国人居住 者にとっての日常生活、精神構造にとって信仰、宗教の果たす役割はたいそう大きい。ところで、地域社会の教会、 寺院、モスクなどの存在は、いわば広域化と狭域化とが再結合するエスニック・ネットワークの結節点としての役 割を果たしている」と述べていることからも明らかである(奥田・田嶋編著 1993; 奥田・鈴木編著 2001)。ただ、 そのような全体的趨勢の中でも、飯田剛史氏や谷富夫氏による分厚い研究は、よく知られている(飯田 2002; 谷 1994)4) 近年徐々に状況は変わりつつある。つまり「「ニューカマー」と宗教」という領域も問題系として認知されてき たのである。たとえば櫻井義秀氏ら日本人研究者と李元範氏ら韓国人研究者による日韓両国における韓国系宗教・ 日系宗教に関する共同研究、三木英氏と櫻井氏らによる日本におけるニューカマーの宗教生活に関する研究、吉原 和男氏らによる論集と事典の編さんなどが、代表的な業績と挙げられる(櫻井・李編 2011; 三木・櫻井編 2012; 吉原編 2013; 吉原ほか編著 2013)。これらの研究で対象となっている教団やエスニシティを概括すると、南米系・ 韓国系・フィリピンのプロテスタントやカトリックの教団の動向や信徒の趨勢、さらにムスリムのネットワーク構 築過程などが研究の射程に入っている5) ただ、日本の移民研究を推し進める原因となったニューカマーの代表格である在日ブラジル人らラテンアメリカ からの移民は、東京・大阪などの大都市圏には少なく、東海や北関東の工業集積地域に集住している。結果的に宗 教研究も上記の地域に限定されてしまう。大都市に目を転じて見ると、そこでのニューカマーや外来宗教について の研究では韓国系プロテスタント教会についての研究が多いことが分かる。 たとえば、東京における外国人集住地域といえば、東京都新宿区の歌舞伎町地区6)や、池袋地区などが挙がる。 実際にこれらの地域には、数多くの韓国系プロテスタント教会が存在する。しかしそのような状況を追随する形で 韓国系プロテスタント教会のみに研究が限定されてしまうのは、あまり好ましいことではない。むしろこの地域の 在日外国人と外来宗教の諸相を把捉するためには、違ったエスニシティの違った信仰生活、異なった宗教伝統を受 け継ぐ教団の趨勢についても注視され、多角的に検討される必要がある。 以上のような案件を勘案すると、台湾系の仏教教団である「慈済会」日本支部について研究するということは、 研究史的にも意義が認められると思われる。

3.慈済会とは?(台湾での概要と略史)

それでは、慈済会とはいかなる団体なのか。慈済会については、すでに日本でも主に金子昭氏、川村伸寬氏、 村島健司氏らによって研究が着実に積み重ねられており、その概要は明らかになりつつある(金子 2005, 2011, 2013; 川村 2008; 村島 2012, 2013)。以下ではその金子氏、川村氏、村島氏らの研究を適宜参照しながら、慈済 会の概要と略史について振り返りたい。 慈斎会とは、尼僧である釈証厳氏(1937-)が代表を務める、利他主義の理念にもとづく社会貢献事業を国際的

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大正大學研究紀要   第一〇〇輯   特別号 三

に展開する FBO(Faith-Based Organizations)、NGO(Non-Governmental Organizations)団体であり、台湾東部 の花蓮市郊外に本部を置いている。重要なのは宗教教団ではなく NGO 団体である、ということにある。実は団体 において設立当初から証厳氏を含めた出家者たちは成員の少数にとどまり、数多くの在家の女性会員を中心にして 慈済会は構成されている。設立以後、慈済事業を台湾国内で展開させ、その後は海外にも広めていき、現在 38 カ 国に慈済会支部、あるいは連絡所がある。 1986 年にわずか 800 人のみであった会員数は、80 年代後半以降急速に増加し7)、1990 年には 100 万人を突破、 その後も成長を続けており、現在では台湾を中心に全世界において 500 万人もの会員を有する世界最大の仏教系 NGO となっている。 創始者の証厳氏が出家した理由であるが、彼女が 23 歳の時、 父が脳卒中で急逝した。父親の死が1つの契機となって、彼 女は出家し、仏門へ入り、東部花蓮の普明寺で修行を開始さ せた。その後 1963 年には、印順氏のもとで受戒したという8) 今でも台湾は日本ほど充実した社会保障制度が完備されて いるわけではないが、60 年代当時はさらに劣悪環境にあっ た。特に地方での医療環境の劣悪さは言葉にできないほどで あった。そのような社会的ニッチを埋め合わせてきたのが宗 教である。特にキリスト教の役割は非常に大きかった。証厳 氏もカトリック教会による社会活動、慈善活動を目の当たり にして刺激を受けたという。1966 年には花蓮にて弟子たち と 30 人の主婦を率いて、「佛教慈済功徳会」を設立した。 証厳氏は会の事業を主に貧困者の生活支援からスタートさ せた9)。その後徐々に事業を拡大させていく中で、転機となっ たのは 1980 年1月、花蓮に佛教慈済総合病院を建設したこ ととなる。その後医療施設を台湾各地に建設していくが、医 療に関する事業は「医療志業」と呼ばれている。その後も幼 稚園から大学院に至るまでの教育機関整備(「教育志業」)、 慈済会の実践を世界に知らしめていくための活動(「文化志 業」)などへと事業を拡大させていった10) 上記のように慈済会が展開する社会事業における理念とし て、前述の < 四大志業 >(慈善・医療・教育・人文)を掲げ ている11) さて、以上のような慈済会の成長を、台湾の歴史に即して 理解してみよう。 五十嵐真子氏によれば、日本統治期の前からキリスト教が 台湾に到来し、社会にインパクトを与えてきたという。戦後 日本支配から脱すると、本格的にキリスト教諸派が信者獲得 に奔走し、活動の規模を拡大させていった。しかし、1960 年代後半になると、キリスト教の教勢が停滞してしまう。 実はこの 60 年代から 70 年代にかけては、国際社会にお ける台湾の地位が低下していく時代と重なっている。すなわ ちこの時期に台湾(中華民国)にかわって中国本土を支配す 図1:慈済会台湾本部のホームページ (http:www.tzuchi.org/ 2013 年 12 月アクセス) 図2:台湾地図と慈済会本部の場所(google map (https://maps.google.com/ 2013 年 12 月アクセス) を元に筆者作成) る共産党政権、つまり中華人民共和国が多くの国と国交を結んでいく時期であった。このような国際社会における 地位低下と孤立が、欧米に対する反発・無関心に結びつき、欧米からもたらされたキリスト教そのものの衰退を招 き、人々の関心もひかなくなったのではと推測されている。 かわりに仏教がキリスト教の社会活動や布教活動などの影響を強く受け、その結果内部からの改革運動が生まれ、

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外来仏教の日本進出に関する一考察 四 高学歴層を中心に信者を増やしていったといわれる、と五十嵐はいう(五十嵐 2006)。五十嵐氏は「仏光山」と いう仏教教団がこの潮流に位置するというが、慈済会も同様に位置していた、といえるだろう。 さて、このような歴史の影響を受けてきて成長してきた慈済会であるが、他の成長要因としてはどのようなもの が考えられるだろうか。金子氏、川村氏、村島氏の意見を総合すると以下のようになる(金子 2005; 川村 2008; 村島 2012, 2013)。 ① 政治的に中立。 ② 台湾における国家による社会福祉政策の遅れ(1992 年で慈済会の福祉関係の支出は国家のそれの 2.5 倍)。 ③ 台湾の経済的成長。 ④ 台湾人の、宗教的なものへの尊敬、信頼の念の強さ。 ①については、他の諸宗教が積極的に政治活動に参画しており、宗教運動が政治運動を強力に後押しする局面が 散見されるのに対して、積極的に政治活動にかかわる事がない慈済会は、逆に台湾社会における一定の信用を勝ち 取ってきたということである12)。②に関しては前述したとおり、社会福祉政策の不備という社会のニッチを宗教教 団が埋めてきた。そして慈済会もそのような中で力強く結果を示してきたということである。③については、60 年代以降の国際的孤立を契機として、国民党政権のもとで、輸出志向の著しい産業成長を持続させ、台湾は東アジ アにおける四つの「小龍」の1つとして、いわゆる経済的な奇跡を起こしたのである(Shih 2012=2013)。④に ついても多くの論考にて明らかにされている通りである。 次に、慈済会はなぜグローバルな展開を見せることができたのかを考えてみよう。実は 60 年代以降の台湾から の出移民は増加していく。前述したように 60 年代以降台湾は、経済成長を遂げたが、1985 年における実質的な 失業率は 15%程度と高かったため、家族の一部がアメリカや日本などに移住して就職するケースがあったという。 また、台湾における過剰な受験競争を避けて、諸外国で国際的な教育を受けさせようとする層が存在し、子どもだ け外国の親族に預けるというパターンも富裕層中心に見られたという。また、国際的な孤立と戒厳令下の息苦しさ も、国外脱出を後押ししたとも思われる。このように家族の一部が移住した後も、台湾に残った家族・親族と密接 なつながりを持ち続け、本人不在のまま、台湾社会での社会的上昇を成し遂げるケースも見られるようになる13) こうした人々の活動やネットワークを背景にして、60 年代に勃興した仏教系団体のネットワークも海外に広がっ ていったのではないか、と五十嵐氏はいう(五十嵐 2006)。ただし、日本とは移住に関しては、植民地支配の影 響による諸要因や物理的距離の近さ、文化的にも近接していることを考えていく必要があるだろう14)

4.日本支部について

15) 以下では日本支部について見ていこう。日本支部は謝富美氏を中心 に、1991 年に発足した。謝氏は初代日本代表に就任している。その 時から遡ること 10 年前に、台湾にて交通事故に巻き込まれ、謝氏は かろうじて一命を取り留めたという。そのような経験をしたのち、謝 氏は証厳氏と出会い、台湾慈済会の会員となる。そして日本と縁があっ た謝氏は、日本支部(分会)を設立にかかわることになったという。 初期は本郷にある東大仏教青年会の部屋を借りて、もしくは会員 の家などで集まっていたという。そして三軒茶屋に移転したのちに、 2001 年より新大久保に7階建ての独立ビル(現・慈済ビル)を買い取 り改装し、そこに支部が置かれるようになった。設立からの約 20 年で の日本支部の伸張ぶりについては、表2を確認すればよく分かる。委 員と呼ばれる会の中核的存在は 20 倍以上に、ボランティア従事者は 10 倍、そして会員数に至っては 90 倍にも増加しているのである16) 写真1:慈済会日本支部の外観(星野撮影)

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大正大學研究紀要   第一〇〇輯   特別号 慈済会日本支部17)では、どのような事業を行っ ているのだろうか。前述したホームページや委員た ちからの聞き取りを総合すると、① 3 大イベント(花 まつり、中元、感恩会)などの各種イベント、②路 上生活者向けの炊き出し、③通訳の提供、④日本語・ 中国語教室、⑤各種医療施設に出向いて掃除や入所 五 委員・慈誠(男性委員)数 ボランティア従事者数 会員数 1992 年 3 名 約 30 名 約 50 名 2010 年 72 名(慈誠 12 名) 約 300 名 約 4500 名 表2:慈済会日本支部のメンバー数の変化(慈済会日本支部ホームページ (http://tw.tzuchi.org/jp/ 2013 年 12 月アクセス)より星野作成) している台湾人らの支援、⑥障がい者らとの食事会、⑦経典についての勉強会・証厳氏の著作を読む読書会の実施、 ⑧在日台湾人や中国人の相談窓口、⑨孤独を解消するために友人を紹介、国際結婚に関する悩み相談、⑩葬儀社の 紹介・値段交渉・葬儀の運営、⑪その他の金銭的な援助、などとなっている。 ①についてはそれらの盛大さが日本における台湾人コミュニティでは知られており、歌舞伎町地域に住む日本人も参 加することもあるという18)。②については山谷地区や代々木公園にて慈済会単独で行ったり、先行して炊き出しに従事 してきた日本の NPO などと協働関係を構築したりして、週1, 2回のペースにて行っている。現在では日本人スタッフ も重要な役割を担うようになってきている。③と④については当然ながら台湾人に対してのみ行われる事業ではなく、 台湾人との交渉を必要とする日本人側からの依頼や、中国本土出身者からの依頼に応える場合もあるという。⑤・⑥に ついては、日本にて高度医療を必要とする在日台湾人、もしくは台湾から高度医療を必要としてきた台湾人を支援する ことからはじまり、やがて中国人などの他の在日外国人や、日本人の障がい者に対しても行うようになっていったという。 また NGO としての慈済会の力強さを見せた事例としては、東日本大震災における活動を触れざるをえないだろ う。各国の支部は、台湾本部から金銭・物資の援助を受ける。 石巻市、釜石市、陸前高田市などで、世帯あたり 3 万円〜 7 万円で義援金を配布したのはよく知られている。この義援金の費用や被災者に配布された衣服や印刷物、 また寄付されたスクールバスの費用なども、台湾本部からもたらされたという(金子 2013)。 以上を俯瞰して見ると、①から⑥、さらには東日本大震災での活動は、台湾人のみならず、中国人を中心とした日 本に存在する他エスニシティ、さらにはホスト社会の住民たる日本人に対してまで範疇が広がっている事業である。 また非常に在日台湾人に向けてのみの自利的活動ではなく、利他的な活動であるといえよう。それに対して、⑦のよ うな勉強会や、⑧・⑨・⑪といった相談窓口・援助事業、⑩のような「異国」での死にかかわる問題は、基本的には メンバー、または在日台湾人コミュニティという閉じられたエスニック集団に向けての事業であることが分かる19) 現状ではメンバー内では台湾出身者という均質性が保たれている。よって会話では主に台湾語(閩南語)を用い られるものの、多くのメンバーが必要に応じて、北京語や日本語を使用している。これはどうしても台湾人が多い ため、会話が自然と台湾語がメインになってしまう。そのため、日本人が来ても、なかなか溶け込めないという問 題を抱えている。それを解消するため、日常的にも日本語を使うように心がけているという20)。また男女比につ いては、表 2 に示されているように女性が中心であり男性はわずかである。これは台湾本部と比べても、日本で はより一層女性の主婦がほとんどを占めているという。

5.まとめにかえたい

まだまだ調査分析ともに不足しているのであるが、 とりあえず本稿において判明したこと、さらには今後 望まれる調査分析の指針を示して、本稿のまとめにか えたい。 台湾宗教文化の歴史的文脈の中から生まれ、グロー バルに展開してきた利他を是とする仏教系団体が慈済 会であるが、90 年代の日本進出以降、日本でもその 文脈にあわせた利他的な活動を模索してきた、といえ るだろう。 ただし、そのような利他を中軸に据える団体も、母 写真2:代々木公園での慈済会日本支部の炊き出しの様子(星野撮影)

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外来仏教の日本進出に関する一考察 国から離れると、「広域化と狭域化とが再結合するエスニック・ネットワークの結節点」としての役割を帯びるよ うになる。実際に慈済会も在日台湾人に向けた閉じられた事業というのも展開していた。これは海外に進出した宗 教団体の教会などが、エスニックなコミュニティセンターとして機能していることを指摘した先行研究と外れるも のではない21) ここで興味深いのは、証厳氏や慈済会の活動に感動して、宗教的な動機に支えられた利他的な活動に加わり、慈 済会のメンバーになることによって、同時に日本社会において自分たち在日外国人にとって非常に重要な互助的エ スニック・ネットワークに参画できるという事実である。つまり在日台湾人に限定されない利他的な活動への参画 が、慈済会日本支部内部の紐帯を一層強くしているのではないか、ということである。これは、メンバーたちの語 りでも個人の意味世界の中で「自利」と「利他」を強く結びつけて解釈しているケースが多いのである22) 本稿ではこの大きな問題について、詳しく検討することができなかった。よって今後は以下のようなことが望ま れるだろう。 ① コアとなるメンバー、ライトなメンバー、メンバー以外、活動に参加する日本人、など、また来日時期な どによる腑分けを行って、属性の違った人間へのインテンシブなライフ・ヒストリー・インタビュー。 ② そのようなミクロな個人史から「日本と台湾」の関係の特殊性を析出すること。 ③ 他国の慈済会支部と日本支部の比較検討。 ④ 日本における他宗教教団、他エスニシティとの比較検討(教団レベル、ミクロな個人史レベル)。 など 以上の事を通じて、今後も日本における外来宗教(特に仏教)について把握・分析していく。そして本稿が、で きるかぎりコンフリクトが起こらないような状況で日本国内に数多くの「コンタクト・ゾーン」が生まれることに、 わずかでも資することになれば幸いである。 (付記) 本稿の著すにあたって、大塚伸夫先生、金子昭先生、村島健司先生には大変お世話になりました。心より御礼申 し上げます。 参考文献など

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Pratt, M. L., 1992, Imperial Eyes: Travel Writings and Transculturation, London: Routledge.

Shih, Fang-Long, 2012, “Generating power in Taiwan: nuclear, political and religious power,” Culture and religion, 13 (3). pp. 295-313.(=星野壮訳、2013、「台湾にわきおこる力――原子力・権力・宗教の力――」『現代宗教』 2013、秋山書店。) 飯田剛史、2002、『在日コリアンの宗教と祭り――民族と宗教の社会学――』、世界思想社。 五十嵐真子、2006、『現代台湾宗教の諸相――台湾漢族に関する文化人類学的研究――』、人文書院。 井上順孝、1985、『海を渡った日本宗教――移民社会の内と外――』、弘文堂。 奥田道大・鈴木久美子編、2001、『エスノポリス・新宿/池袋――来日 10 年目のアジア系外国人調査記録――』、ハー ベスト社。 奥田道大・田嶋淳子編、1993、『新宿アジア系外国人――社会学的実態報告――』、めこん。 金子昭、2005、『驚異の仏教ボランティア――台湾の社会参画仏教「慈済会」――』、白馬社。 ――――、2008、「日本的風土における台湾生まれの宗教福祉活動――慈済基金会日本支部の活動事例を通じて」『天 六

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大正大學研究紀要   第一〇〇輯   特別号 理台湾学報』17、天理台湾学会。 ――――、2011、「東日本大震災における台湾・仏教慈済基金会の救援活動」『宗教と社会貢献』1(2)、「宗教 と社会貢献」研究会。 ――――、2013、「世界最大の仏教 NGO、震災支援大規模に――50 億円直接配る――」『中外日報』2013 年1月 24 日号、中外日報社。 川村伸寬、2008「慈済会について」『日本仏教社会福祉学会年報』39、日本仏教社会福祉学会。 駒井洋ほか編、1997、『新来・定住外国人がわかる事典』、明石書店。 櫻井義秀・李元範編著、2011『越境する日韓宗教文化――韓国の日系新宗教・日本の韓流キリスト教――』北海 道大学出版会。 田中雅一、2007、「コンタクト・ゾーンの文化人類学へ――『帝国のまなざし』を読む――」『Contact Zone』1、 京都大学人文科学研究所人文学国際研究センター。 谷富夫、1994、『聖なるものの持続と変容――社会学的理解をめざして――』、恒星社厚生閣。 樋口直人・稲葉奈々子・丹野清人・福田友子・岡井宏文、2007、『国境を越える―滞日ムスリム移民の社会学―』、 青弓社。 藤井健志、1997、「台湾における日系新宗教の展開(4)」『東京学芸大学紀要 第2部門』48、東京学芸大学。 三木英・櫻井義秀編著、2012、『日本に生きる移民たちの宗教生活―ニューカマーのもたらす宗教多元化―』、ミ ネルヴァ書房。 村島健司、2012、「台湾における生の保証と宗教――慈済会による社会的支援を中心に――」、『関西学院大学社会 学部紀要』114、関西学院大学社会学部。 ――――、2013、「台湾における震災復興と宗教――仏教慈済基金会による取り組みを事例に――」稲場圭信・黒 崎浩行編著『震災復興と宗教』、明石書店。 森幸一、1999、「ブラジルからの日系人デカセギの 15 年」『ラテンアメリカレポート』16(2)、日本貿易振興機 構アジア経済研究所。 吉原和男編著、2013、『現代における人の国際移動――アジアの中の日本――』慶應義塾大学出版会。 吉原和男・吉原直樹・蘭信三・伊豫谷登士翁・塩原良和・関根政美・山下晋司編著、2013、『人の移動事典――日 本からアジアへ・アジアから日本へ――』、丸善出版。 1)「1.はじめに」「2.ニューカマーと宗教研究の現況」にて示される詳しい数値などは、すべて「法務省 在留外国人統計」(旧「登録外国人統計」)の各年度統計より(http://www.moj.go.jp/housei/toukei/toukei_ ichiran_touroku.html、2014 年3月アクセス)から引用した。また上記サイトのデータを同じく用いた、本 川裕氏による表1も参照されたい。 2)なお、「コンタクト・ゾーン」は簡単には「異なる文化的背景を有する人びととの接触が生じる領域」と定義され、 プラットが『帝国へのまなざし』にて最初に学界に提出したといわれている(Pratt 1992)。 3)それに対して、20 世紀前半に強制連行などで来日した日本の旧植民地出身者、もしくは彼/彼女らの子ども 世代以下の人びとは、「オールドカマー(旧来外国人)」と呼称される。 4)飯田氏、谷氏ともに「オールドカマー」でコリアンを研究対象としている。よって数十年の居住歴を持つコリ アンたちの宗教生活を描き出すために用いた両氏の分析枠組みを、そのまま継承するのは憚られるとも考えら れる。 5)またムスリムについての有力な研究としては樋口直人らの共同研究も挙げられる(樋口ほか 2007)。 6)ここで、慈済会日本支部が存在する新宿区についてのデータを記しておこう。2013 年7月1日付新宿区の総 人口は 322,895 人であり、そのうち外国人登録者数は 33342 人となっている。つまり約 10%が外国籍住民 である。国籍別に見てみると、一位が中国籍で 12,408 人(台湾人を含む)、二位以降は、韓国又は朝鮮(11,865 人)、ネパール(1,336 人)、ミャンマー(1,047 人)、ベトナム(1,008 人)となっている。ちなみに上記の「法 七

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外来仏教の日本進出に関する一考察 務省在留外国人統計」では、2012 年末より「中国」と「台湾」を分けて表記している(2013 年6月末の時点で、 中国 647,230 人、台湾 29,466 人となっている)。以上の諸データは「新宿区住民基本台帳人口・外国人住民 国籍別男女別人口」(2013 年7月・12 月アクセス、http://www.city.shinjuku.lg.jp/kusei/file02_00029.html) より得た。 7)これには、戒厳令が 1987 年に解除されたことも大きな影響を与えていると思われる。 8)ちなみに印順氏は 1971 年に大正大学にて福井康順氏のもとで『中国禅宗史』を提出して、博士号を取得している。 9)これを慈済会では「慈善志業」と位置づけている。 10)特にプロテスタントのメガチャーチなどで特徴的な「テレバンジェリズム(Televangelism)」(テレビなどを 用いた福音伝道)にヒントを得たと思われる「大愛テレビ」を各国で放映している。大愛テレビでは証厳氏の 法話や勤行以外にも、分かりやすく仏教の教えを説く番組などが用意されている。 11)さらに4つの事業(環境保全・骨髄バンク・地域ボランティア・国際救援)を加えて、< 八大足跡 > と表現さ れる場合もある。 12)これは良く指摘される事象ではあるが、台湾における政教問題全体を概観しながら、特に反原発運動と宗教活 動についてまとめた論文として、施芳瓏のものが挙げられる(Shih 2012=2013)。 13)このような移民のスタイルは、「トランスナショナルな移民」と呼ぶことができるだろう。「トランスナショナル」 という言葉を用いて学界にて最初に言及したのは、グリック・シラーらだといわれる( Glick-Schiller, Basch, and Szanton-Blanc 1992)。以下のような記述が「トランスナショナルな移民」についてよく説明している。「つまり これまでの国際労働力移動現象は、「一時的出稼ぎ」―「永住移民」という枠組で認識されてきた。しかし、「現 在のような交通・通信手段の格段の発達などを特徴とするグローパル世界における移住現象は、この 2 分法的 な枠組では把握できないようなタイプの移住のあり方を生み出しているのではないか」という問題関心から概念 である。実際にどのような移民のことを「トランスナショナルな移民」と呼びうるのか。それは、将来における 自国への最終的帰国意図を保持しながらも、自国と移住先国間の往復を繰り返し、二国にまたがる社会的世界を 構築するような移民たちのことを、一般的にはいう。具体的には、送金・通信手段・一時帰国を通じての自国と の強固な結びつきの維持し、自国を「不在」のままの社会的経済的上昇の達成し、帰国準備を行ないながらも同 時に移住先国で就労し、生活を行なうというような「生き方」である。」(森 1999: 2-3) 14)「植民地支配の影響による諸要因」としては、日本語を解する世代の存在、戦前から日本に存在する在日華人 たち、台湾の近代化をもたらした主体としての日本に対しての独特な感情などが考えられ、それらを丁寧に読 み解いていく必要があるだろう。これは今後の課題として、いずれ別稿を設けたい。 15)以下の日本支部の成り立ちについては、慈済会日本支部のホームページ(「慈済日本」ホームページ、2013 年7月、 11 月アクセス、http://tw.tzuchi.org/jp/)や、日本支部副会長や他の委員への聞き取りによっている(2010 年 10 月、 11 月、2013 年6月、11 月)。また、慈済会日本支部についても、金子昭氏による充実した先行研究が存在している(金 子 2008)。本稿も金子氏の研究に大きな影響を受けていることを明言しておく。 16)これらのメンバーシップの違いであるが、委員が中心となって事業を行うメンバーと解してよいと思われる。 委員には、3〜5年の勉強をするとなることができるようだ。 17)なお本部と日本支部の関係であるが、通信環境の整備、また元々地理的にも近く移動も容易なため、本部との 結びつきが非常に強いという。つまり日本支部は、基本的に本部の指示に従い、教材や経典なども本部のもの を使用するという。 18)慈済会日本支部に訪れた非会員の台湾人女性より証言を得た。①については、より確かな情報を今後も収集したい。 19)メンバーのエスニシティは、基本的には台湾出身者が圧倒的多数なのであるが、東日本大震災における現地で の救援活動や、他の事業を通じて、本土出身者などもメンバーとして参画するようになってきているという。 20)ちなみに 2010 年、2013 年もインタビューは日本語で行った。 21)このような事実について確認する先行研究は膨大に存在するものの、日本における代表的な研究として、井上 順孝氏のものを挙げておく(井上 1985)。 22)このような解釈がきわめて仏教的なのかどうかは、とりあえず本稿では問わないことにする。 八

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