[
研 究ノー ト]
東 南
ア
ジ
ア の
上
座 仏
教
研
究
石 井米 雄 論
の回顧
と
展
望
奥 平 龍
二Theravada
Buddhist
StUdies
in
the
Southeast
Asia
Made
by
the
Late
Professor
Yoneo
Ishii
0
daira
,Rynj
i
Ths
paper
,first
of all, willintroduce
the epoch −making methodolQgyfbr
thearea stUdies estal)
lished
by
the
late
Professor
Yoneo
lshii
, a man of
profound
Ieaming
.Then
,fbcusing
uponhis
studies on theTheravEda
Buddhism
in
Southeast
Asia
based
on that ofThail
跏d
,it
will summarize
his
individual
research work which was
finally
orgallized as thebook
entitled かozの 麗一bu
蜘
o η082 醒一shakc ガ9
α 一1
(θ髄
ソo ηoKozo
− (‘‘The
Political
sociology ofthe
Therav
互da
Buddhism
with special reference to the structure of the statereligion ”
)which analyzed
the
relationship ongSangha
(member ofBuddhist
Order
), state and society .This
paper
willfUr
山 er reviewhis
various works mainly related tollis
new
interpretation
for
such a cultUralphenomenon
occurredin
the
thirteenth
centuly
in
the
continentalSoutheast
Asia
as ‘Sinhalization
’or ‘Pali
−ization
’or‘
Theravada
Buddhici
−zation ’where once was widely
Indian
−ized
in
the earliercentUries .
Finally
,this
paper
willbriefly
present
various research works whichProfessor
Ishii
left
f
〜)rhis
successors .88
パ ーリ学 仏教 文 化学 は じ め に本稿
で はわ が 国 が輩 出
した東南
ア ジア研 究の 碩学, 故石井 米 雄 教授
に よっ て打ち 立て ら れ た独自
の 「地域 研 究」 の 方 法 論を教 授の発 言 に依 拠 して紹 介 す る。 っ い で, そ れ を 土 台と して進め られた タ イ を中
心 とす る東南
ア ジ ア地域
に関
す る諸 分 野の 研 究の 中で , 特 に, タ イ を中
心 と した 「仏 教研 究 」 に焦 点 を当て , その 集大成 と も言 うべ き 『上座部 仏 教 の 政 治社会学一 国教の構 造 一 』 を構 成す る諸 論 文の 内容を, 直接 著作
の記述
を引用 しな が ら検 討 する。 さらに, その後 発表
さ れ た東 南ア ジア 仏教 研 究に関
す る諸々 の研 究成 果の 中 心 テーマ で あ る東 南ア ジ ア地域の 「上座 仏 教 化」, す な わ ちス リラ ン カ系上座仏
教ない しパ ー リ仏 教を受 容 し た こ とを根 拠 とす る 「シ ン ハ ラ化」 ない し 「パ ー リ化」 論を考 察す る 。 最後に 同教授
が後 進 に遺 された 上座 仏 教 研 究の 今 後の 課 題に言及 する。序
地
域
研
究
の方法論
先生 の 東 南ア ジア研 究へ の きっ か け は, 言語 と宗教へ の 興 味 と関心か らだ とい わ れ る。 大 学で 言語 学を専 攻 した
際
東
洋の 言 語を も学ぶ必要 性か ら タ イ語を学ん だの がきっ か けで, 次第
に タ イへ の興 味 と関心が 深ま り タイに留 学 さ れ た。 ある新 聞紙(
方 法 論)
上で, イ ン タビユ ーに応え た中で , 先 生 は, 「タ イ を ま るご と理解
したい とい う強い 希 望」 が沸 き起こ っ て きて, そ の た め の 「い ろんな 手 立 て 」 を考
え た と述べ られて い る。まず, タ イ社 会を 「 あ るが ま ま」 観 察 し理解す るこ と を念
頭
に置
き, その 理 解の た め にい ろい ろ と 「方
法論
」 を模 索 した。 「使え る もの は何
で も使
え ぼよい 」 と。 た だ し, 「鉛 筆は小刀で , 大 木は ナ タで 」 切 るのが 理 に か なっ て い る。 まず, 対象物
を見て, こ ち らが使 うべ き道 具を決
める必要
が ある と。 その 「方法論
」 の 特徴 は,きっ か け,
事
実
の収集
,理
論
の構築
及 び理論の活用で ある。 はっ ま らない こ とで 学
問
で はない が学 問を支えて くれ る。 つ ま り, 「感情 移入 」 な くし て, 地 域研
究は不可 能で ある とい うこ東 南アジアの上座 仏 教 研 究
89
と。は
文献収集
や フィ ール ドワー クの こ と 。 その際
文献
テ キス ト ・ ク リティークが重 要で あ るこ と。は個々 の 事 実 関係の 関 連性や全 体像 を
解
明 す るこ と。は事 実の
中
の 「偶
有 性 な もの 」 と 「本 質 的な もの 」 を もっ て ,概
念作
りの作
業を行 うこ と。 その 作 業を通じて , 体 系へ 組み立 て ら れ , こ こ に理論が 誕生す る。 結局, 「方 法 論 」 とは 「理論の 手 助け とな る, 正 し い認識
へ導
く道具 (
デ ィ シ プリン)
であ る」 と 。 加えて,地 域研 究に は学 際的
な 「共
同研究
」 が不可 欠
で あ るこ とも強
調され た。[
詳細
は本誌第24 号拙
稿 :116
−118
参 照]
こ うして,現 地 語を駆 使 す るタイ 地域 研 究の創 始 者 とし て, 「タ イ学 」 か ら, やが て 「東 南アジア学 」 の確立へ 布 石が敷か れ た。なお , 先生 の 研
究
は宗
教的関心か らタイ 社会 と仏
教の 研究
へ と向か っ た が ,3
ヶ月間
の 出家体
験 による仏 教の経
験 的研
究のパ イ オニ ア と して, タ イ仏
教研
究 を段階
的に発展
さ せて い っ た。 す な わ ち ,在
タ イ 生活
と出家僧体
験(
1958
年)
以 降〜1970
年 代 半葉
にお ける仏 教 研 究の 集大 成と して , 『上座 部 仏 教の 政 治社 会 学』 を 上梓 し, その 間,い わ ば啓 蒙書 とし ての 『戒 律の 救 い 』(
1969
年)
を 刊 行 した。 以 降2000
年 にか けて多岐 にわ た る テ ーマ の東 南 ア ジ ア仏教研究
の成果
が次
々 と発表
さ れ た。1
.タイ 社 会 研 究 に不 可 欠 な 上 座 仏 教研 究
(
1
)
「あるがま まの仏教
」 の理解
「… … タ イ の 人 び とに とっ て, 宗教 とは,求め て得る もの で はな く, その な かに生 ま れ, その な かに生活す る とこ ろ の , い わ ば 生得の 環 境 なの で あ る」 と。 「そ れ故
, タ イ社会
の研 究
上 , そ こ に興隆
してい る仏教
の 研究
は不 可 欠で は あ るが , そ れ を , まず, あ るが ま まに観 察す る」[(
仏
教)2
.:
18]
こ との 重要 性に言及
した。特
に, 在 家者 の仏教
つ ま り, 民衆
レ ペ ル の仏教
を とら え よ う とす るとき, い み じ く も, 「出家者
の仏教
の分析
に用い る メス の 刃先
を , とりか える必 要が あ る」 と指摘 した。 こ こに, 先に紹 介 した 「鉛筆は小刀で , 大 木はナ タで 」 とい う方 法論の 一端が窺い 知れ る 。 さ らに, 「わ た くしは , まず, 上座 仏 教に つ い て もっ て い るす べ て の先 入観
を捨て て90 パ ーリ学 仏 教 文 化学 し ま お うと思 う。 わ れ わ れの 目 的 は, 民衆の 生
活
に おい て仏教
が何で ある か を知るこ とで あっ て, 民衆
の仏教
の 正 し さを テス トす る こ とで はない か らで あ る。 あるべ き姿
の仏
教 像を あ ま りに も意 識 しすぎると,つ い つ い , 正 しい 実践 と か, 誤っ た 理解
とい うか, 価値 判 断がい りこんで, 現 実の 認識を ゆ が め るこ とにな りが ち だ」[(
仏教 )2
. :138
−139]
と。 還元すれ ば, ゴ ー タ マ ・ブッ ダの言 説を 「あるべ き姿の仏 教」 とす れ ぼ, タ イの 仏 教は 「 あ る が ま まの 仏 教」 なの で あ る。「タ イ学 」 の創 始者
タ イ
仏
教を在 家の 立場か ら観察
した先
生 は,1958
年4
月か ら3
ヶ 月間
, タマ ユ ッ ト派(
改革派)
で , モ ンクッ ト親王(
の ちの ラ ーマ 四 世 王)
が住職 を務
め, ま た , ブー ミポ ン 現 国 王 が出家
したバ ン コ ッ クの由緒
あるワ ッ ト ・ ボ ー ウォ ン寺 院で 出家 した[(
方法論)4
.:105
]
。 その 印 象を 「わずか3
ヶ 月の経
験だっ た が, 出家の 経験 はその後の 人生 に とっ て も, ま た タ イ 人の 価 値 観や 生活を知る上で も, たい へ ん 役 に たっ た」[
同上 :105]
と述懐
してい る。 こ の3
ヶ 月の 出家生活
の実 体
験 とい うフ ィ ール ドワ ー ク を 土台 として , 教理研 究に は見られ ない斬新
的 な手法で上座 仏 教を分析 した が , その啓 蒙 書 とし て 刊行され たの が前述 し た 『戒 律の救い3 [(
仏教)2
,]
で あ り, こ の 書は現 地 語を駆 使 し, 現地体
験を土 台とした 「地域研
究」 の幕開
けの 象徴で あっ た 。 先生 は, ソシ ュ ール 言語 学か ら出発 し同時に宗教 , と りわ けその 組 織 論 に強い 興味と関
心 が あ り, その意 味で ディ シ プ リン は言 語学 と宗教 社 会 学で タ イ地 域を対象
とする方法 論で あっ た と見なせ るが , そ の研 究 成果 とし て 結実
し た 「上座
部 仏 教の政 治 社 会 学国教 の構 造一』
[(
仏 教 )2
.コ は, 単に宗 教 社 会学の み な ら
ず
, 言 語 学, 歴 史学, 政治学
,宗
教学, 仏教 学, 法制史学
, な ど多様
な方 法 論を照 射 して分析
さ れ た 「タイ地域 研 究 」 の成 果で あ り, ま さに 「タ イ学」 その もの で あっ た。東 南アジアの上 座 仏 教 研 究
91
2
.上
座仏 教研 究
の諸
理
論
の活用
以 下, 先生 が発 表 した論 考 の 内容を時 系 列に 略説す るが, 全て の
論考
が 『上 座部
仏 教の 政 治 社 会 学 』 の 集 大成
に向
かっ て , 順序
立て て執筆
さ れてい るこ とが分か る。 まずタ イ仏 教の構 造, 次い で サ ンガ と社 会の構 造, そ して サ ン ガ と国家構造
につ い て論
じられてい る。(
1
)
「文献
学 的 」 問題 関心へ の 批判「わ が国に お ける仏 教 学 者の , 南 方 上 座 部 仏 教に 対 す るこれ まで の 関 心は す ぐれて 文献 学 的で あっ た」 と し, また, 西 欧に お ける南 方仏 教研 究の 主 た る
問
題 関心 も文 献 学 的で, 彼 等の関 心が もっ ぱら テ キス トそ れ 自体 に向け られてい た旨指摘
して い る。 す な わ ち, 「こ れ らの テ キス トを ,今
日に伝
え た, 南方仏教諸 国に お ける宗 教の現 実が, どのよ うな 状 況 に あるか とい う問題
は,結
局, パ ー リ学者
の 主た る関
心 とはな りえ なか っ た」[
(
仏 教)1
,:
36
]
と し, 文献 学 的 関 心に偏 重 して きた 内外の仏 教研 究 を批 判 的に捉 えた。(
2
)
リーチ による 「思弁 的 宗教}
と 「実 践 的 宗教 」 の区分次い で, 英 国の人 類 学 者 リ ーチ
(
E
.R
.Leach)
がパ ー リ語 聖 典の解 釈にも とつ く 「思弁的宗
教 」(
philosophical
religion)
へ の偏
重を批
判 し, 「実
践 的宗 教」(
practical
religion)
へ関
心 を抱い た こ とに対 して 一定の 理 解を 示 す一方 で,文献
よ り も研 究者
の直接
の観察結果
か らの帰納
を重視
し, ま た,仏教
の 具体相
の み を重視
す る人類学
的接
近姿勢
に対
して , 別の極端
を生む危険性
を は らん で い る との 警 鐘 を鳴ら して い る。 そ れは, 「民衆の 実 践 する仏 教 とい え ど も, イ ン ドに おい て成 立 し, セ イロ ン に おい て , 独 自の 発 展を とげ,11
世紀
以降
,東南
ア ジ ア の各
地に弘通 した , あの 南 方 上座 部 仏 教 と無 縁で は あ りえ ない か らで あ る」[
同 上 :37]
とす る。
92
パ ーリ学仏 教 文 化 学(
3
)
レッ ド ・フ ィール ドの 「大 きな伝 統」 と 「小さ な伝 統」 の概 念
さ らに, レ ッ ド ・フ ィ ー ル ド (
Robert
Redfield
)の 「大 き な伝 統
」(
the
Great
tradition)
と 「小 さな伝統」
(
theLittle
tradition
)
とい う次 の二 つ の概 念を
提
示す る。 (d
) 「大き な伝 統 」「
内
省 的な少数 者に よっ て伝承 さ れ る」, 「学 校や寺 院の 中で 培わ れ , 自覚 的に伝
承 さ れ る とこ ろ の 伝統
」, お よ び(
ロ)
「小さ な伝 統 」「非 内
省
的な多数
の 手で 伝え られ る」, 「村 落社 会に住み ,文字
に う とく, 非 思索 的な 民衆が , 与 え られた もの として 受容
し, これ らの 日常生活を通じて 無 自覚の うちに伝
承 す るとこ ろの伝統
」 とい う二 つ の伝 統 は, 「相 互に依 存 し影 響 し合 う 」 とい う。 著 者の 問題関
心 は, こ の 二 つ の概 念を敷 衍 し, そ れ らの か か わ り合いが, タ イ仏 教の 中で, どの よ う な形 態を とっ て発 現 して い るか を提示 し, そ れ に よっ て , 「タ イ仏教
」 の 構 造を明 ら か にす るこ とで あっ た[
同 上 :38
]
。 そ こ で , 南方 上座
仏 教を出家 (サ ン ガ) と在 家 とい う編 成原理 を 異に す る二 つ の 信 仰者 集団に分
類 した。 それは, 解 脱を 目的とす る機 能集団(
サ ン ガ)
:「成 員は一定の 手続
き を経て , 自覚 的に その 集 団に加入」 お よび@在家
者の 形 成す る基 礎集
団 : 「仏 教徒 として 留ま る以上, 無 自覚
状 態」, 「し き た りに し た が うこ とが , す な わ ち仏 教徒で ある こ とを意 味す る」 の 二 つ で ある。3
.タ
イ 仏 教
の構
造
解明
タイ仏 教を 「大 き な 伝統」 と 「小さ な伝 統」 に分類 し以下の よ うに分
析
が なさ れ た。(
1
)
「大き な伝統
」の ち に, タ イ 王 室の 底
本
とな っ たパ ー リ語
三蔵 聖典
の1788 年結
集 版が タ イ仏 教 聖 典を基 盤 とす る。 そ こ で は,(
イ)
厂苦
」 よ り解 脱の道 を 示 す教理 が説かれ, ブッ ダの教説
で あ る 「人生 は苦
な り」 が認
識さ れ る。 ま た, 回解 脱へ の 手段 として出家
の道
が示され, ブッ ダの教説
は出家
者
のた め の 教え で あ るこ とが 示 さ れ る。 さ らに, 的 タ イの 「サ ン ガ 」 の 特 徴 と して, それが「 国家 教 会」
(
aNational
Church
)
で あっ て 「普 遍i
教会 」東 南ア ジ ア の上座 仏 教研 究
93
(
theCatholic
Church )
で はない こ と,従
っ て,他
の上座仏
教諸
国 とは教団 として は 上座
部
と して 同志だ が,組織
上は無関係
で あ るこ と, また,「カ ナ ・ソン グ ・タ イ」 と
呼
ぼれ る単
一 の組織
に統 合
さ れて お り,1902
年
の第
1
次
サ ン ガ法施行
以来今
日まで存続
して い る[(
仏教)
1
.:
40
−41
〕
と解説
して い る。「小 さな伝 統 」 一 民衆の 仏教 の こ とで あ り, そ れ を
3
つ に分 類 して 説 明し て い る。(
t
)
功 徳 追 求 型 仏 教「プン 」
(
b
, 功徳 )
と 「バ ー プ」(
bap
,罪
障
)
とい う一対の 概 念 [Tambiah
], すな わ ち 「タ ン ブン」 (thambun
, 積 徳 行
)
を重 視 し て い る。 在 家者の た め に は戒 (5
・8
戒 )は あ るが , タイ人は 倫理的徳 目の 実践に, 余 り興 味を示そ うとは しない 。 す なわち, 功徳 を得 る た め の最 上の 方 法は 出家
と寺 院の建
立で あっ て , 現 世 的世界に お け る幸福の 追 求, 業の 死 滅 を 目指さず, これ を改 善し向上させ るこ と を目指す とい う も の で, 出家 者 と在 家者 を結合 する絆
, そ れ は 「福田思 想 」 すな わ ち 「サ ン ガ は福田」 とい う考え方で あ る。 従っ て , タ ン ブン の特徴
はサ ンガ の維持
に 向 か っ て 収斂 して い く。 出家者 と在 家者 は 「福田思想 」 を媒
介 と して 一種
の 共 生関係にある と説 く。 ただ し, タン ブン の 手段 として の 出家行 為は建 前か ら変質
し,「一時
出家
」 の慣
習が定着
し て, 「涅 槃 型 仏教 」 の 論理 的帰 結 と して成
立 してい る はずのサ ン ガに重大な性 格 変更を迫 る結 果を招来 する, と分析 してい る[
同上 ;42
−44
]
。(
ロ)
攘 災 ・招福
型 仏教民衆の 宗 教 的 関心が もっ ぱ ら日常生活の レベ ル にお ける禍福に向 け られ ,災 禍を避 け幸 福を招き寄せ るための方 途の 追 求に
向
け られる。 す な わ ち, 民衆
はサッ クシ ッ ト(
霊 験 あるもの)
の介
入 によ る 災禍
払い と招福
に期 待を寄せ る。 サ ンガ は 「プラ ・パ リッ ト護 呪経 典 」,「ナ ム ・モ ン 」(
聖水 )の 誦 成, 「プラ ・ク ル ア ン グ 」 (お 守り一 小仏像 )な どの様
々 な形態 の 呪術 ・呪物
を通 じて その 「霊
験」 を民衆に分 与 する, と説 く。サ ンガの
非宗教的機能 歴史 的存在
と して の サ ン ガ にお け る若 干の94 パ ーリ学 仏教 文 化 学 重 要な非 宗教 的機 能, す な わ ち , サ ン ガ は学 芸 ・技 術の 貯 蔵 庫 として の
機
能, と俗 人の 教 育機 能 と して の 二 つ の重 要 な社会 的機 能を有
する とす る。なお, 先 生 は 「非
仏
教 的 」信 仰形 態
, す な わち, 「ピー 」(
精
霊)
ない し 「クワ ン 」(
霊魂)
な どの 「非 仏 教 的」 形 態に あえて 言及 しない 立 場 を取っ た が, 「それ は , こ う した要素
を排
除 し, 仏 教の相 貌 を示す もの の み に対象
を限
定す るこ とに よっ て, タ イ仏
教の 構 造を, よ り明確
に浮彫 りに できる と考 えた か ら」[(
仏
教)1
.:
50]
であ る と付 言 して い る。(
3
)
上座仏教
の社会
的構
造の理 論 化(
/)
次に, タ イ仏 教を素 材 に し て, まず, 南方 上 座 仏 教 の社 会構 造 に焦 点 を当て, そ れ を明 ら か にす るため の モ デル を構成
した[(
仏 教)2
.:
54
−55
;同1
.]
。(
ロ)
その モ デル とは, 上座 仏 教 は,(
図1
)
の通 り, ス パ イ ロ 説[
Spiro
,19
フ0]
を敷 衍 し, サ ン ガ組織 体を結節
点とす る 「四つ の下 位 体 系 」 で構
成さ れ る一つ の 体 系を な して い る[
同上 :55]
と説 く 。 四つ の 下 位体 系と は大よ 上座 部仏 教の社会構 造 図1
サン ガと社会 出 典 :[(仏 教)2. :55]東 南ア ジ ア の上座 仏 教 研 究
95
そ以下
の通りであ る。第一 は, ス パ イロ の い う “
Nibbanic
Buddhism
”(
「涅槃
型仏教
」)
で, これ は, ゴ ータマ ブ ッ ダの時代の初期 仏 教の本 来 「あるべ きす がたの仏 教」 で あ る。第二 は, ス パ イ m の い う “
Kammatic
Buddhism
”(
「功 徳 型 仏 教」)
で, これ は, 時代の 経 過 と共に, 一時 出家 制度 が定 着 する , サ ンガ仏 教に矛 盾 するも 変質 を余 儀な くさ れて きた仏教の こ とで ある。第
三 は, ス パ イ ロ の い う “Apotropaic
Buddhism
” に か え て “Magical
Buddhism
”(
「呪術 的仏教
」)
とい う用語
を使
用 して い るが, こ れ はス パ イ ロ は 「攘 災の み を強 調 し, 招福 とい う積極的側面
を表
現 してい ない う らみが あ る」 た め と し 「仏 教 と呪術とい う二 っ の上位体 系の双方に帰 属 し, その接 点 を な して い る」 と。 そ して 「仏教
的呪術
で は , 聖性
を もつ存在
と して, サ ン ガ に 呪 力 の源泉
が求め られ る点に特 徴が認め られ る」 と した。第
四 は, 「伝 統 社 会に お け る知 的エ リー トを内包す る集団で あ っ た とい う歴史
的事実
の結果
と して現
れ るもの で, サ ン ガの世 俗 的諸機 能 をその要 素 と す る。 と くに, サ ン ガの教育
機能
は, タン ・プン と並んで, サ ン ガに対
す る 一般 社会か らの成
員補
給 回路と して重要で あ る 」[
同上 :56
]
とす る。上
座仏教社
会の構
造のモ デル は, 以上の 四 つ の下位体系
を もっ て 一つ の 体 系 を な す との 仮説を 立てた が, タ イ仏教を素材 と して構
成さ れた もの で ある故, ミャ ン マ ー , カ ン ボジア 等,他の 上座 仏 教 圏諸 国の 事例に よ る験 証 を行っ て は じめて , その モ デル の 有効 性が確 認されるが, 目下の とこ ろ作 業仮説
の 域を出ない[
同上 :57]
旨付言 して い る。(
4
)
「国 家と宗教
に関 する一考 察
」 関連三部作論
文次 い で, 上座
仏
教社
会の構
造に その国家構
造に焦点を 当てた三 点の論
文が 発表
さ れ た。(
/)
「ラーマ1
世
王 に お ける仏教
の 「擁護
」」[(
仏教)
1
.]
本 論 文 は,『三 印 法 典 』 な ど の根 本 史 料 を 用 い て , ラ ー マ1
世 王
96
パ ーリ学 仏 教 文化 学(
1782
−1809)
に お ける仏教擁
護の 具 体 的検 討を通じて, 国王 と サ ンガ の 関係 を考 察 した もの で あ る。 「タ イ国王 は , 伝 統 的に 「宗教の擁
護 者 。 … … こ こ で宗 教(
sasana)
とは, 「仏 教」(
phuttasasana
)
に外
な らな い 。 「宗 教の擁 護
者
」 とは , 「仏 教に擁
護(
upathem)
を与える者
」 の意。 すなわ ち, タ イ 人の伝統
的思 想 に したが え ぼ, 国王 は仏 教を 「擁護
」 す る賣任を有し, また, 仏 教 は, 国 王の 「擁 護」 を受 けるべ き存 在 と して あ る」 と説 く。 こ こ で , 二 っ の 方 向が ある。 「一つ は , サ ン ガ に物 質
的支持
を与え るこ と によ り,定義
上非 自
立的な出 家者集 団の 安 定 的存 在を 保証す るこ と」,今一つ は, 「サ ンガ の 清 浄 性の 護 持。 サ ン ガ に 内蔵さ れ た 浄化
装 置の機 能が そ こ な わ れ た と きに は,仏
教の 「擁 護」 者た るべ き国王 は, その 浄髭
に協 力すべ き もの と考
え ら れた」[
同上 :406]
とす る。(ロ) 「ス コ ータイ に お け る大寺 派上座
部
仏 教 をめ ぐる諸問
題」[(
仏教)1
,]
本 論 文は, 刻文 史 料に則 し, ス コ ー タ イ 王朝に お ける上 座部 仏教の受 容 と 発展を め ぐ る諸 閲題を考 察 しな が ら, タ イ国の国家 仏教の
性格
を解
明した も の で ある。 こ こで は, 国家仏
教の4
つ の 特 徴 を述べ て い る。 す な わ ち ,「上座仏 教の 特徴の ひ とつ は, 「サ ン ガ中心 主義」。 … … 「サ ンガ 」 も 「三 宝」 の一構 成 要 素にす ぎない が , 「サ ンガ」 を 通 じ て 師資 相 承さ れ るの で あ るか ら, 制 度 と して の
側面
か ら上座部
仏 教 を取 り上 げる場合に は, 「サ ンガ 」 の 考 察が 一義的 重 要性を もつ 。「超俗 的 」 で ある こ と。 … …出家
者
とは , 本 来, 「乞 う者」(
bhikkhu)
。の特 徴 は, 「出家 者の 団
体
で あ る 「サ ン ガ 」 が福
田(
pufifiakhetta
)
とし て位置
づ け られ, 非 自立 的存在で ある 「サ ンガ ] の 支 持 行為 に, 宗教的価 値が付与 さ れ て , それが 「在 家者
」 に お ける実 践 的宗 教(
practical
religion)
の 中枢的部 分を なす点で あ る」 。国王 か ら奴 隷に至 る 「全
階層
の宗
教 的 欲 求を充 足さ せ る機 構 を具 備 してい る こ と」 [同上 :9]
の4
点 を明らか に して い る。(
7 x)
「タ イ仏 教に おけ るEcclesia
の 成立 とそ の 意 義」[(
仏教)
1
.]
本論
は 「サ ン ガ統 治法」 お よび 関連法 令 を 通 じて, タイの 仏 教エ クレ シ東 南ア ジ アの上座 仏 教研 究
97
ア(
教 会)
成立 の状
況 を解 明
し よ う とす る一つ の試
みで ある。 こ こで は,1920
年
サ ンガ 法 とエ ク レ シ ア の 関係を分 析 してい る。 「今 日 の サ ンガ を め ぐ る種々 の 問題は, まず, 「エ ク レ シ ア」 となっ たタ イ ・サ ンガ の性格
を解
明 するこ とによっ て は じ めて よ く理解
で きる で あろ う」 と し, ま た, サ ン ガ へ の 参 加 規制の 強化, サ ンガ官僚 制の 成 立,及 び正統
的教
理 の確立 の 三面か ら 検 討を加 えた もの で あ る。 「 ラ トナコ ー シ ン暦
121
年[
1902
年6
月]
の サ ン ガ法 制 定によっ て 導か れ た事
態は,仏教
に よる国家統制
の 強化
と, タイ ・サ ンガ の 「エ ク レ シ ア」化
へ の道 を着 実に歩み続けて い る」 と。 そ して 、 「「サ ンガ法」制定
の意義
は, 『宗教
の擁護者
』 として も国王の権
威が全国
に及
び, 整 備 さ れ た サ ン ガ の 官僚機構
を 通 じて ,首 都の 大 寺 院か ら辺 境の 一小寺 に い た る まで, すべ て の寺
院と僧 侶 とが 王権の 支 配 下に お か れ る体 制の基 礎が築
か れ た点に求
め られ る」[
同上 :203
] と し, 「… …その結果
,1920 年
な か ご ろまで に は, タ イのサ ン ガは か っ て見られ ぬ ほ ど高度
な集 権体 制を確立」 [同 上 :204]
す るに至っ た と説
く。 とこ ろ で, 「「サ ンガ 統 治 法 」 は, 「個 人 カ リス マ 」 の否
定で あ る。 こ の法律
は , た だ ,僧
侶の 「官 僚カ リス マ 」 のみ が, 民衆
の信
仰の支
点 と なる状
況を 生み 出し た。 その結 果, 民衆 は, 「教 会 の 外に救
い を見出
す こ とは不 可 能… … となっ た。 こ れは, タ イの 仏教 に安 定 を もた ら した が, 同 時に ,精 気を失 わせ る原 因 ともなっ た」[
同上 :211]
と 述べ て い る 。 さ らに , 「… … タ イ仏
教は ,19
〜20
世 紀に か けて , 大 き く変 容 し た。 それ は, サ ン ガ に対す る王権
の統制
が強ま り, サン ガの 「エ ク レ シ ア」化
が進行
した こ と。今
日の タ イ ・サ ン ガの 斉 一 【生は, この過程
の所産
で , 「ラ トナコ ーシ ン暦 121年
サ ン ガ法 」 の論 理 的帰 結 とみ るこ とがで きる」 [同 上 :212
]
と論 じてい る。以 上の
3 編
の論
文につ い で , 以下
の よ うな 「教法 試験 」 に関 する論考
が発
表
された。(
5
)
「タ イ国
におけ る 『教法試験
』 につ い て」 [(仏 教)
1
、]
「教 法
試験
」 の沿革
と現 状を考
察 し, タ イ 国 にお け る 「教 法 試 験 」 の 諸 特98 パ ーリ学 仏教文 化 学 徴 を明らか に した もの で あ る。
(
その 饅 付記 され た もの につ い て は,[
同2
.]
参 照)
「「教理試 験 」 と は, 「サ ン ガ 」 に属
する出 家者の 仏 教 教 理 理 解の 水 準を高めそ れによっ て 「サ ンガ」 の発展をはか ろ うと制 定さ れ た制度
で あ るに もか か わ らず, 「 サ ン ガ」 の管理機 構の整備に とも ない , 「サ ンガ 」 が よ く訓 練され た 「僧官
」 を 必要
とす るよ うにな る と, 「教理試験
」 が僧 官位
を 得 るた めの 手段 と して自
己 目的化 する傾 向を示 し姶め た。 さ らに, 「教 理試 験」 は, 採 点,合 否の決定とい う手 続きに よっ て , 受験者
に画
一的 回答
を要 求す るた め,結
果 的に, 「サ ン ガ 1 の 正 統 的 教 理 を普 及 させ るため の, もっ と も有効
な機構
と して機 能す る に い た っ て い る」[
同2
.:
168
−169]
と指 摘 してい る。「サ ンガと国 家 」 (初 出 [(仏 教 )
2
. ])本論
は, サ ン ガ と国家 構 造の 関係を明 らか に し た もの で あ り, 国 家 と仏教
国 家 とサ ンガの 正 しい 理 解の 必要 性 を強調
してい る。(
d
)
憲法 と仏教先の上座 部 仏教の 社 会 的構 造の 分
析
で は, サ ンガ の存在
場所が, 「国 家 と い う政 治 的枠 組み」 の 中に位 置 する事 実が意図的に捨象
さ れてい た。 そ の理 由は,信 仰の 形 態を個 人の レペ ル に 限定す るこ とに よっ て, サ ンガの 果す社 会 的機 能を, よ り明確に な る と考え た が故
で あ る。 「しか し , 歴 史 的サ ン ガ は, 常に, な ん らかの 形に お ける国家の中
に存在
し て い た ばか りか, む し ろ 国 家 との 闘に, 積極 的な関係を結ぶ こ とに よっ て, その 繁栄を保 証されて き たの で ある。 すなわ ち, 上座部仏教
の構造
モ デル を構 成 しよう とするわ れ わ れ に とっ て は, 国 家 と仏教
国家 とサン ガ との関係
が正 しく理解さ れ ない か ぎり, その作 業は完結 しない で あ ろ う」[
同上 :58
]と論 じて い る。 因み に, 現 在 タイ国家の 基本
法で あ る憲 法で ,「あ えて 仏 教を 「国教」 とす る明示的
規 定 を欠い てい る の は,仏教
はすで に 一般
人 の 意 識に上 ら ない ほ ど に,「タ イ民族に内属」 して い る」[
同 上 :67
]
か らだ とい う。(
ロ)
サ ン ガ ・国王 ・正法東 南ア ジア の上座仏 教研究
gg
次 に , 国王, サ ン ガ, 正 法の 三者は どの よ うな関係に あ る の で あろ う か。 「… … 「ブッ
ダ
」 の説示
し た 「正 法」 は, それ自
体に よっ て 存 続 するの で は な く, 「サ ン ガ 」 の 中に保存
さ れ ,「サ ン ガ」 に よっ て 伝 承さ れ る。 一方 , 「サ ン ガ 」 は, 出家 者の 集 団で あるか ら,第
三者
, す な わ ち在 家 者の 支 持を 待っ て は じめ て その 存 在が 可 能 とな る。 こ の 場合
,規模
の拡
大 した 「サ ン ガ」 の 繁 栄を可 能に したの は, 「仏 教の擁護者
」 と して の 国王 に よっ て 与え ら れ た保 護で あっ た。 国王 は, サ ンガ を支え るこ とによっ て , 間接 的に, 正 法の存続
に貢献
した」[(
仏 教)
2
.:
75
]
とした。「プラ タマ サー ト」 と 「正 法王」 の 関係
古代
イ ン ド法体系
に属
す る もの の, 「パ ー リ化」 の 所 産 と して 「プ ラタマ サ ー ト」(
タ イ伝 統 法)
の 存 在がある。 王 は永 遠 不滅の 法 「プラタマ サ ー ト 」 を戴い て , 世 俗社 会に お ける紛 争の 調停 と解 決を図る立場にあっ た。 そこで は, 十種
の 王 法 く1)を 備え た統治は, 厂ダ ン マ(
法)
」 に よ る統 治であ り, 理想 的統 治で あ り, 「正 法」 と は , 国王 に よ る支 配の 正統性
原理 を な す もの で あ る。 「国家が サ ンガ を支え , サ ンガ が正 法 を嗣 続 し,正 法は国王 に よ る支 配 仏教国ICおける伝統的な国家と宗教の基 本構 造 を示 す概念 図 図2
サンガと国 家 出典 :[(仏 教 )2 . :81]
100
パ ーリ学 仏麩文化 学 の正 統性
原理 と して機 能す る。 こ の よ う な構造
を備 え た国 家を, 「仏
教 国家
Buddhist
State
」 と規 定す る な らぼ, タ イは,「仏 教 国家1 の 一典
型 を 示 す も の と考え られ る」 [(仏教 )2
.:
79
−82]
と説 く。 「仏教 国家 」 にお け る伝
統 的 な国家 と宗教の 基本構
造を 示 す概念
図(
図2
参 照)
は, 今 日研究者
に よ り 頻 繁に活 用さ れ るが, タ イ 以 外 にも前 近代の ス リ ラ ン カ, ミ ャ ン マ ー, ラ オ ス及びカ ン ボジ ア 等もこ の範疇
に入 る と考え られ る。(=
)
「仏 教エ ク レ シ ア 」 とその構造
16
世 紀ヨ ー ロ ッ パ の 宗 教 組 織 を , その 経 験 的諸特
徴に基 づ い て 「教 会」 と 「セ ク ト 」 に二 分 した トレ ル チ(
Ernst
Troeltsch
)
以降
1920
年 代 末か ら , とくにア メ リカ の社
会学者
や宗
教 学 者の 業 績を中心 と して発展 し た宗 教 的組 織 体類 型論
は,類型概 念精 緻 化 志向 とキ リス ト教以外の宗 教組 織へ の 適用の 可 能 性の 探 求の2
方 向 が あ り, 後 者の ラ イ ン に沿っ て,教 会(
エ クレ シ ア)
の概
念を 「タ イ国にお けるサ ン ガの 構 造の解明 に用い て み よ うと思 う」[
(
仏 教)2
.:
83
−84
]
と述べ てい る。 その結果
「タ イの サ ンガ は , カ トリッ ク 教 会に代 表さ れ る 「エ ク レ シ ア」 が , 「正統
・カ ト リッ ク教 会 と同様 に, 恩 寵へ の参
与は完全 に合理 化 され制 度 化され てい る故に , 極めて , 「エ ク レ シ ア」 的特 徴 を備えて い る」 [同上 :84
&87]
との結 論を導き出 し た。 「サ ン ガ」 法 は全国に散在す る寺 院を,単
一の管
理組
織の 中に統 合す る こ とを 目的 タイ国サン ガ の 「エ クレ シ ア」化 図3
サンガのエ ク レシ ア化 出 典 :[(仏 教)2. :89]東 南アジアの上 座 仏 教 研 究 101 とし て制 定さ れ た結 果, あ ら た に成 立 した統一サ ン ガ に所 属 しな い 出家
者
は, 出家 者 として認め られ ない とい う事
態が発
生 した。 こ の こ とは, 在 家 信者
に とっ て , サ ン ガの 統一組織 化は, 救済の手段 に選択
の余
地が な くなっ た こ とを意味
す る。 こ こ に, タイ国サ ン ガ の 「エ ク レ シ ア」化
の重要
な証
拠を 認め る」[
同 上 :90
] (
図3
参照)
と論じてい る。(
7
)
タイ に お け る千年
王国運動[(
仏
教)
1
.コ
従 来,仏 教 研 究 者か ら無 視 さ れて き た タ イ の
千年
王 国的運動
(
後
述)
に つ い て は, 最 近の 歴 史 研究
で,20
世 紀初 頭
, ラオ系
住民 の 居 住す る貧 困地 域の 東 北タ イに起こ っ た反乱 (
1902 年
の 「ピー ・プン の 反 乱」)
が, 千年王 国運動 の装 い を とっ て 発生 した 事 実を指 摘 した[
同上 :353
]
。 「そ の 反乱の 『参
加者
た ち は, すべ て 仏 教 的 文脈 に お い て行動 し て い る ことに気 づ く。 起源 的にはバ ラモ ン教
で あ る が,現在
で は民衆仏
教の不
可 分の構
成 要素
となっ て い る 「ナ ン モ ン 」 儀 礼が ,「ミロ ク仏
」(
タ イ語
で は 「シ ー ・ ア ー ン 」)
あ る い は転輪
聖 王」 信 仰 と結 合 して, 特 殊タ イ 的 な 「千年王 国論 」 が成立 し う る こ と が 「ピー ・ プン 」 に よっ て実 証 さ れ たこ とは ,仏
教の中
に も また, タイ の 社 会 統 合の 分 解 要 因が 内 包 さ れて い る もの と して注 目 さ れ」[
同上 :367
]
る, と述べ て い る。(
8
)
タイ ・ナ ショ ナ リズム と仏教 [
(
仏
教)
1
.]
本論
は, 植 民 地 型ナ シ ョ ナ リズ ム で は社会
主義
が導
入 さ れ た こ とに言 及 する一方で , 「非 植 民 地 型ナシ ョ ナ リズム 」 パ タ ー ン を もつ タイの ナ シ ョ ナ リ ズ ム に お ける仏 教の 役 割ない し位 置 を解
明 し よ う と し た論 考
で あ る[
同 上 :59
]
。 タ イで は, 「タ イ的な原理(
ラ ッ ク ・タ イ)
一 「民族 」, 「国王 」, 「宗教
」 の 三 つ を国体
の根 本
理念
とす る思 想」[
同 上 :86
]
, サ リッ ト に よ る 「ラ ッ ク ・タ イ 」 的秩序
の 実 現を 目指す 理想 的統 治 目標 [
同上 :86] (
図4
参 照)
を掲
げた と し, 「… … タ イの ナ シ ョ ナ リス トたち は… …伝 統 的価 値の う えにナシ ョ ナ リズ ムを展 開 して きた。 仏教は, そ れ が支 配の正統性
を統
治者
102 パ ーリ学 仏教 文 化 学 ラ ッ ク ・ タ イ 政 府 rラッ ク ・タイ 」と 「立憲的政府」 との関 係 「ラッ ク。タ イ」の内都 搆造 図
4
タイ的統治原理 出典 :[(仏 教 )2. :296 ] に与え る とい う構造
の ゆ えに ナ シ ョ ナ リズム の シ ン ボル とし て よ く機
能 して き た。 … … お そ ら くは今 後も, か な りの 長 期にわ たっ てその機 能を保ち続
け るで あ ろ う」匚
同上 :90
]
と説い て い る。タ イ に お ける国民統 合と仏 教サ ン ガの役 割 [(仏 教 )
1
]
本論
は, 人口の90
%強が タ イ族で 占め る タ イ国に も社 会 統 合 を脅
か す… っ との存
在 として の少 数民族 問題 に よっ て しぼ しば弛緩せ しめ られ る社 会 統 合の強化 要 因とし て仏教の 果たす役 割を サ ン ガの 新 しい 動きに即 して検
討し た論 考で ある[
同上 :339]
。 「サ ン ガに よっ て 実現 さ れ て い る仏教が タ イ人 の 「根 源 的愛着心」 の対象とな っ てい る事 実, お よび, サ ンガ が伝
統 的に も つ 宗 教 的機 能と相 即不離
の関
係に あ る世 俗 的機
能によ り, サ ンガ を社 会 的に 威信 ある存在
た ら しめ て い る状 況につ い て考 察」[
同 上 :352
]した もの で あ る。 さ らに, タ イ 人の仏
教 あるい は サ ン ガ に対す る 「根 源 的 愛 着心1 に着
目東 南ア ジア の 上座 仏 教 研 究 103 した政 府が 自己 開発 計
画
の末端
へ の協
力を要請
し , サ ン ガ も社 会 的権
威 回復 の機 会 と捉 えて 自発 的に協 力す る状況 を解
説 してい る。 こ う した情 勢の 中 で, 「山地民を仏 教徒 に 改宗させ る こ と を通 じて , 彼 らに タイ人 とし て の自
覚
を持
た せ よ う とす る 「タマ ー チ ャ ー リッ ク計画
」 が構
想され た」[
同上 :359
]
旨に言及 して い る。 同様
の仏
教へ の改宗 計画
が, ミャ ンマ ーで も1994
年
, 政府
・宗務省
に新設
された宗教推
進 局が中
心 となっ て 国家仏
教学
大 学の学僧
の応援
も得
て 目下 進 行 中である。4
.上座仏 教
研
究
の集大成
一 『上座
仏教
の政治社会学
一国教
の構造
一』[
(
仏教
)
2
.及
び]
本 書は, 以上 で見た諸々 の論考を 一冊に ま とめ , タ イ を
事
例に歴 史 的 上座 仏教 諸 国の 国家 と社 会の構造
を 理論化
し よ う と した試みで あ る。 個々の 項 目 につ い て はその 概 要 を上記2
お よび3
で紹介
したの で , こ こ では構成
と内容
(
大 項 目)
の み 以下に掲 げる。なお, 人
類学者林
行夫は, 本著が, スパ イ ロや メ ン デル ソ ン, タ イのタ ンバ イア等の業績
と共に, 時代 を経て今 日 も,内
外に様
々な形で継
承 さ れ発
展さ れ て い る, と評し て い る [林(
編)
2009
:7
(
『〈
境域〉
の 実 践仏 教 』 京都
大 学 出版 会)
]。(
1
) (
問題関
心)
「仏教
とりわ け仏教
サ ン ガ が国家
お よび社 会 と結ぶ関係の解 明」
[
P
、1
]
構
成第一部
タ イ仏教を材
料
に, サ ンガ と社会
及 びサ ン ガ と国家
の関係
を考 察 し, 上座 部
仏
教の存在
の構
造を解
明第二 部
サ ン ガ ・国
家
・社
会タイ
仏教史
に現 れ様
々 な歴史的事件
を,第
一部
におい て構築
した
枠組
みに照応さ せ なが ら考 察[
同上 :90
]
附 論 第
一部
タ イ仏教 研 究 解題第
二 部タイ 仏 教 関係 法制 史資 料
104 パ ーリ学 仏 教 文 化 学
(
3
) 内容
大項
目第
一部序 論 的考 察一 国教の
構
造 第一章 サ ンガ と社 会 第二 章 サン ガ と国 家第二 部
サ ン ガ ・国家 ・社 会一歴
史
の なか の仏 教一第一
章
ス コ ータ イ期に お ける王権 とサン ガ第二 章
アユ タヤ ・ラ トナコ ーシ ン期に お ける王
権
とサ ン ガ第三章
タ イに お ける仏 教エ ク レ シ ア の成立
第
四章
「教法試験
」制度
の成
立 とその意 義第五章
民主 主
義体制
下に お ける 「サ ンガ 統 治法」 とその 変 遷第六章
国 民統 合 とサ ン ガの役 割
第
七章
タ イ ・ナシ ョ ナ リズ ム と仏 教第八 章
タ イ 国に お ける千 年王国運 動
(
4
) 英 訳 本1986
年ベ イ ・ハ ワ イ大 学 よ り , 上 記著
の 英 訳がSangha
,State
andSociety
:The
Thai
Buddhism
inUistoT
v.Honolulu
.The
University
ofHawaii
Press
,1986
.(
Translated
by
Peter
Hawkes )
と題 し て 出版 された。 この 英 訳 書 は
1993
年 , マ レ ー シ ア語 訳がマ レ ー シ ア 国民大 学 よ り出版 され, 同
年 10
月マ レ ー シ アで 翻 訳賞
, さ らに,1994
年 度マ レ ー シ ア国 民大 学
出版賞
を各受賞
し,excellent study とい う書 評を得た。他 方,
Journal
OfSoutheast
Asian
Studies
Vol
.46 (
1987
)で, タ イ研 究者
グレーグ ・レイ ノ ル ズ
氏
が 「タ イで起こ っ た急激な社 会変化
と,それ に伴 っ て 発生 した様々 な宗 教 運動
サ ンガ と それ につ い て の研 究が,英訳に は まっ た く反 映 さ れて い ない 」 と批判 した こ とに対し, 著者
が 「手 厳 しい が ,極
め て適 切 な書 評
」 で あ る と して 本 書の 再 版の中
で, 「英
訳が原 著 その も の の翻 訳で あ る以 ヒ, そ の後
の変化
が入 っ て い ない の は当然で ,批判は感受せ ざる を え な い が , この書 評は読者に とっ て 誠に有
益 な指 摘で あるの で, その 要 点を中心 に, 原著
の 不 備 を, 復 刻 を手にす る新
しい 読者 の た め に紹 介 して お き たい 。 云 々」[
上 記:
3
]
と述べ て い る。 因み に レ イ ノル ズ氏の書
評は,1975
年東 南ア ジア の上座 仏 教研究 105