樋口一葉後期作品における〈妻〉 : 「十三夜」「この子」「われから」を中心に
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(2) 目次. はじめに⋮ 第一章 ﹁十三夜﹂一お関の自覚・ 第一節 ﹁十三夜﹂の先行研究⋮−⋮⋮ 第二節 ﹁上﹂に見る原田勇と斎藤家が考える妻のズレ 第三節 ﹁下﹂に見るお関の自覚:. 第二章 ﹁この子﹂i夫への再認識・:− 第一節 ﹁この子﹂の先行研究−夫婦和解の物語⋮−⋮ 第二節 実子が受けた教育と思想・⋮−⋮. 第三節 実子が望んでいた夫婦関係・⋮. 第四節 ︿子﹀の働き1夫への再認識−:. 第五節. 第四節. 第三節. 第二節. 第一節. お町の人物造型に沿った二念﹂の解釈−. お町の夫−恭助の限界. お町に対する女中の視線. 美尾の物語1﹁悪婆﹂像の前景化・. 夫婦の同権を求めるお町. これまでのお町像・. 第三章 ﹁われから﹂ お町の﹁一念﹂. 第六節 おわりに−. 参 考 文 献 一 覧・. 3. 3. 8. 70 68 56 52 47 40 35 34 34 28 26 23 22 22 13.
(3) 凡例. *﹁十三夜﹂﹁この子﹂﹁われから﹂本文の引用は前田蓮華﹃全集 樋ロ一葉② 小説編二﹄︵小学館、一九七九. 年一ケ月︶に拠る。引用に際して旧字は新字に改め、振り仮名、傍点等も適宜省略した。なお、引用文における 傍線及び注は引用者に拠るものである。.
(4) はじめに. 樋口一葉は、明治二七年一二月から二九年一月までの﹁奇蹟の期間﹂︵、︶に、﹁大つごもり﹂﹁にごりえ﹂﹁十三. 夜﹂﹁わかれ道﹂﹁この子﹂﹁中止﹂﹁たけくらべ﹂など、代表作も含めた作品群を完成させた。 一葉の作品は主. に女性問題を取扱い、数多くの独身女性を描いたが、﹁奇蹟の期間﹂の作品群において、女性をく妻Vとして登. 場させた夫婦の物語も少なくない。未完のまま中絶した﹁裏年﹂を除けば、﹁十三夜﹂、﹁この子﹂、最終作の﹁わ. れから﹂がその作品として挙げられる。晩年の一葉が︿妻﹀の物語を書き、家庭内の女性に注目するようになっ たのは次のような時代背景を考えなければならない。. 明治期の前半においては、家庭内の女性のあり方に関して、様々な議論がなされてきた。. まず、明治一〇年頃までの啓蒙期を経て、西欧の思想や制度の影響を受け、政治、学術、経済などの諸領域で. 活発な議論が行われ、家族思想の領域へも及んだ。そこに、夫が妻を蔑視する習俗や固有の蓄妾の慣行などを批. 判し、夫婦の不平等関係への改善を狙った男女同権論が現われる。その後、明治一〇年代の末ごろに欧化政策が. 実行され、各女学校などで欧化主義に応じた教育が行われると同時に、婦人改良論も盛んとなる。婦人改良論で. は、婦人の経済的自立、家庭内での夫婦平等関係が推し進められる一方、男性の仕事の領域にどう進入すべきか. という女性の社会進出の方法も取り上げられる。議論の具体性が強くなり、男女同権思想より一歩進んだ動きと. 見られる。しかし、二〇年代に入り、再び男尊女卑の思潮が台頭し、儒教主義的な女子教育が強まると、﹁夫は. 外、妻は内﹂という夫婦の性別分業論が主流となる。さらに日清戦争前後、国家の発展という観点から、次代の. 国民養成のため女性の家庭における教育者としての役割の重要性が認識されるようになる。. このように、明治期の前半において、家庭内での女性に対する思潮は二転三転する。﹁十三夜﹂︵﹃文芸倶楽部﹄、. 明治二八年 二月︶、﹁この子﹂︵﹃日本の家庭﹄、明治二九年一月︶、﹁われから﹂︵﹃文芸倶楽部﹄、明治二九年五. 1.
(5) 月︶︵、︶という三作品の執筆期間から見れば、ちょうど日清戦争が終わり、良妻賢母主義に基づく女子教育を実. 施する体制が整えられていく時期に当たる。三人の︿妻﹀はそれぞれ高級官吏、裁判官、政治家の夫を持つ中上. 流社会の家庭に置かれ、そうした社会情勢の強い影響下にある位置にいる。その︿妻﹀たちがどのような生き方. を強いられていたのかを解明するには、右のような同時代の言説に添って検討する必要がある。. 三人の︿妻﹀には、一葉の他作品のように、下流社会に生きる女性の窮屈さは見られない。しかし、彼らは必. ずしも夫婦円満の満ち足りた家庭で過ごしてはいない。﹁十三夜﹂のお関は夫の侮りに堪え続け、﹁この子﹂の. 実子は夫婦の不和に苦しめられる。また、﹁われから﹂のお町も最後に夫婦の破綻を迎える。三人とも夫との間. で、人間関係や権力関係の不条理さに悩まされている。先行研究のほとんどは、彼女らの迎えた結末について、. お関は絶望の意識に至り、実子は妥協の態度を取らざるを得ないと指摘してきた。また、お町の抱えた苦悩の正. 2一. 体や﹁一念﹂の意味も、これまでの研究では十分に検討されていない。. このように、従来の読みだと、作品世界の悲哀の性格だけが強調され、︿妻﹀たちの心理的な成長や内面に潜. んでいる意識は不明のままとなる。本論文は、同時代の女をめぐる言説に合わせ、先行研究の見落としたく妻﹀ たちの内面を追求し、 一葉の後期に行き着いた︿妻﹀の特質を明らかにしたい。. に拠る。. ︵2︶岩見照代・北田幸恵・関礼子・高田知波・山田有策編﹃樋口︸葉事典﹄︵おうふう、﹁九九六年﹁﹁月︶. 蹟の期間﹂といわれる=集の豊熟期の始まりであった﹂という。. 一一月︶では、前田愛の解説に、﹁﹁奇蹟の期間﹂の始まり﹂という小見出しがあり、﹁﹁大つごもり﹂は﹁奇. 説﹂で﹁奇蹟の期間﹂と名づける。また、前田掌編﹃全集 樋ロ一葉① 小説編一﹄︵小学館、一九七九年. ︵1︶樋口一葉﹃日本近代文学大系 第8巻 樋口一葉集﹄︵角川書店、一九七九年九月︶では、和田芳恵が﹁解. 注.
(6) 第一章 ﹁十三夜﹂一お関の自覚. 第一節 ﹁十三夜﹂の先行研究. ﹁十三夜﹂の作中人物像を﹁葉身辺の人物に求める意見はいくつかの研究に見られる。代表的なのは、中心人. 物のお関、原田勇、録之助を、 一葉と渋谷三郎の関係 彼は 方的に一葉との婚約を破り、三年後に彼の求婚. に一葉は断った︵﹂−に重ね合わせる説である。. まず、前田愛︵・︶の論では、 ︸葉の他の作品の女性と同じように、お関の﹁哀しみには一葉自身の苦悩を投影. しなければならなかっ﹂たとする。また、渋谷の裏切りへの復讐が他の作品に仮託されるように、﹁奏任官原田. の性格に渋谷の不実さが投影されていること﹂と読む。そして、録之助の愛情に応じなかった﹁下﹂の逆照射に. よって、原田から差別待遇を受けるお関が、﹁被害者から加害者へと逆転﹂したと論じる。これらの見解は後の. 研究にも引き継がれる。例えば、山田有策︵・︶は、 一葉が渋谷三郎の﹁妻になったにしても不幸にならざるを得. なかったろうと想像し、その姿を原田とお関として形象化﹂し、そこで、 皿葉は﹁求婚を拒否した己れの行為を. 正統化﹂すると読む。また、高良留美子︵・︶は、二人の男性登場人物を﹁お関が愛しているのに結婚しない男︵録. 之助︶と、愛してはいないが金のために結婚する男︵原田勇︶﹂と指摘する。その上、婚約を破る男︵渋谷三郎︶. を女︵お関︶に置き換え、﹁愛してはいない﹂原田勇と結婚するお関に﹁一葉はもっともきびしい批判をしてい. る﹂と指摘し、録之助とその家族も、原田勇と太郎も、結局はお関の被害者であると論じる。. このように、作中人物を作者の実人生と関連付けることによって、原田勇またはお関が批判的に扱われている。. だが、実人生での経験を下に作中人物について﹁被害者﹂﹁加害者﹂だと解釈するのは、純粋に作品を分析する. 3.
(7) ことを妨げ、偏った見方をしてしまう危険性を孕んでいる。これらと論点を異にし、作品世界を一歩踏み込んで. 論じるものは高田知波︵−︶の論考である。彼は﹁上﹂における父親の説得に着目し、こう分析する。. 亥之助が﹁腰弁当﹂以上の地位を獲得することは彼にとって願望の域をこえた切実な課題であったに違い. ないからである。そしてささやかながらその展望を拓いてくれたのがお関の結婚だったのである⋮:・義兄に. コネクションによってどこかの省庁に雇員として採用された亥之助少年は、やはり義兄の威光によって課長. が可愛がってくれていることに励まされつつ、おそらく当面の目標を吏員への昇進に置いて﹁夜学﹂での勉. 強に精を出していたものと思われるが、﹁口の重い質﹂でおそらく愛想にも愛敬にも欠ける少年を課長に可. 愛がらせることができるほどの原田勇の実力をもってすれば、もしも﹁機嫌﹂をそこねた場合官界から追放. することもまた簡単にできるに違いないという要素も含めて、亥之助の﹁行末﹂、つまり斎藤家の家名回復 の可能性は全面的に﹁婿﹂の掌中に握られていたわけである。. つまり、結婚して七年間で、弟亥之助の出世は智の原田勇の手中に収められていることになる。これはお関の. 婚姻後の新しい現実でもあった。お関はこの新しい現実に気付かされ、﹁﹃嫁入せぬ昔し﹄という”過去”への. 回帰の不可能性に対する絶望的認識﹂を与えられる。最後に彼女が自覚させられたのは、原田勇の妻であり続け. ることでしかないという﹁悲しい現実﹂である、と高田は指摘する。同じく父親の言葉に着目し論を展開したの. は小森陽一︵・︶である。彼は高田が指摘する家名の論理と違い、斎藤家の経済状況からお関の置かれる状況をこ う述べる。. 父親の言葉は、実はあけすけに原田勇の﹁妻﹂であり、原田太郎の﹁母﹂であるが故に、お関が実家に﹁娘﹂. 4.
(8) としてもたらす経済的有効性を言い含めているのだ。血縁・家族ですら、最早資本制下においては、貨幣の. 流通を効率よくする擬制の装置でしかない。﹁経済﹂は人と人との心のうちのつながりを崩し、﹁女﹂を貨幣 と交換される商品にしてしまう。. 小森は、斎藤家の家運復興のためにお関は﹁つの道具として使われたとする。結局、お関は自分の決心の内実. を語ることもなく、﹁自分の身にかぶせられた﹁女﹂をめぐる制度の網の目にからめとられてしま﹂い、﹁自暴. 自棄に﹂原田家に戻ることを選んでしまうことを小森は指摘する。高田と小森の論は﹁上﹂の父親の説得論理の. 解明に主眼を置き、それまでの論考より作品世界に忠実に分析されていると言え、双方お関が迎えた運命の悲惨. さを説く点で一致している。このようなお関の悲惨さに関する見解は九〇年代の論考にもつながっていく。. 例えば、松下浩幸︵・︶は、嫁ぎ先も実家も根を持たない︿嫁﹀の位相から、主体的な生の選択を許されなかっ. た時代のお関の﹁自己放棄﹂、﹁︿断念﹀の深さ﹂を論じる。また、井上理恵︹・︶は、夫に虐げられても貧しいが. ゆえに原田のそばにいなければならないお関の﹁二重の苦痛﹂、﹁近代を新しく生きた女たちの抱え込まなけれ ばならなかった不条理性﹂を指摘する。. 一方、お関を肯定的に扱う見解もある。笹川洋子︵・︶は、お関について、十七歳のお関が義理や人情に引き裂. かれることなく録之助への自分の想いを断ち切り両親の希望通りに嫁ぐこと、七年間苦しみに閉じ込めてきたの. は親、弟、子供のためであること、そういった行動からお関を﹁近代的自我意識を持つ女性﹂だと評価する。ま. た、その﹁近代的自我﹂は﹁人情や義理のために自分の行く末に悩み続ける﹂という苦しみの中にいると指摘す. る。しかし、笹川のお関評価説は結局彼女の結末を、﹁自我の崩壊﹂、﹁精神的死を意味する生活への旅立ち﹂と、 論の出口を封じ込めてしまう。. お関の結末を悲惨であり、﹁自己放棄﹂や﹁断念﹂がなされていると読むこれらの研究には、 一つの土ハ通点が. 5.
(9) 見られる。それは、離縁を決意したお関が実家の父親の説得の下で翻意させられてしまうことに着目するところ. である。確かに、﹁千度も百度も考へ直して、二年も三年も泣尽して今日といふ沙蚕、どうでも離縁を貰ふて頂. かう﹂ほどの決意の固さを、実家の論理によって崩されてしまう現実は残酷ではある。しかし、それは﹁上﹂の. 展開で示されたまでのものである。﹁上﹂によってお関の﹁自己放棄﹂の結末を断言すれば、﹁下﹂を設けられ. る意味が不明になる。﹁下﹂に録之助との運命的な出会いが配置されている以上、﹁下﹂によってお関に働きか. けるものに重点を置いて検討すべきと考える。次に﹁下﹂の効果を論じるこれまでの説を見る。. まず、山田︵m︶は、紙幣を渡す場面を通し、お関は﹁まさしく︵上︶における父親の立場に完壁に身を移行さ. せて﹂おり、その態度が﹁︵上︶の最後に記された忍従と諦念の意志の固さを証明するもの﹂とする。また、高. 田︵・︶は、少女時代を蘇らせることや録之助から得た新情報によって、お関に﹁﹁嫁入せぬ草し﹂への未練の情. が胎動﹂する可能性が充分あると指摘する。しかし、お関は録之助の﹁荘然とせし顔つき﹂に、﹁嫁入せぬ昔し﹂. への回帰不可能を再確認し、原田家に戻る決意の﹁絶望的な固さ﹂を持っていると読む。この二つの論は﹁下﹂ の効果を﹁上﹂の再確認であるとする点で類似する。. 他にも、お関と録之助二人のすれ違いの関係を論じるものが多い。代表的な論考として、前田︹E>の、﹁ひと. りは︵お関︶過去の夢を誘いだされ、ひとりは︵八之助︶現在の夢に我を忘れるというすれちが﹂いが生じると. いう指摘がある。九〇年代の論考にも、録之助の無表情から、彼を︿過去﹀にのみ生きる﹁精神的に空虚な︿亡. 霊﹀﹂とし、お関とは︿記憶﹀を共有しないすれ違っていく人間同士である、という松下︵B︶の見解が見られる。. 滝之助は﹁何を思ふか荘然とせし顔つき、時たま逢ひし阿関に向かって、さのみは嬉しき様子も見え﹂ない。. この描写が表すのは三之助の精神的な虚無であると先行研究は指摘してきた。確かに、彼は七年ぶりに会うお関. に進んで会話を行う意欲が見られず、ただお関の問いかけに答えるだけである。しかし、二人の出会いが単なる. すれ違いであれば、お関の心情に変化はないまま婚家に戻ってしまうことになる。﹁下﹂が再確認の効果を持つ. 6一.
(10) ているとする見解は﹁下﹂の必然性が見えなくなり、妥当ではないと考える。. ﹁下﹂をめぐるそれまでの指摘と違って、戸松泉︵兇は、﹁下﹂の効果を上げる見解を示す。お関は録之助と. の会話を行うことより、﹁︵他者である︶録之助を自分との関係のなかで理解しようとしている﹂、そして、﹁人. と人との関係のなかで生きざるを得ない自分のく現実ごが見えてくることで、理解不可能であった他者の夫を. ﹁他者として認め、向き合うことから一原田との夫婦の関係が始まると指摘する。これは﹁下﹂の効果を拡大さ. せて捉える論ではある。しかし、﹁他者﹂である画品助はお関とどういつだ関係性の中にあるのかは明らかにし ないまま論を閉じてしまう。. また、関礼子︵路︶の﹁時間﹂論がある。関は﹁下﹂の場所を﹁新坂や上野の森﹂にあることに着眼し、そこは. ﹁開化の推進者とそこからこぼれ落ちる者、というように両義性に満ちた曖昧なゾーンである﹂と解釈する。し. たがって、﹁そのような自由と危険の土棚存する両義的な場所こそ、﹁家族﹂から排除された者たちが出会えるほ. とんど唯一のトポスでもあ﹂り、そこに、﹁家族を自ら壊した録之助と、家族から排除されたお関が出会う﹂の. だとし、﹁下﹂の出会いの必然性を論じる。やや新しい論考では、伊藤佐枝︵61︶は、﹁箇のやうに暮して居まする﹂. という表現に着目し、﹁録之助自身が﹁服の﹁煙草﹂になって、十二年前から七年前までの交流でいつもしてい. たように、お関に煙草を贈った﹂と説く。そしてそれが、﹁これから十三夜の向うの寒々とした日常をお関が生. きていく上で、行く先々で一瞬立ち止まり、完全に自分の所有物である息をするため﹂であると指摘する。した. がって、﹁下﹂によって、﹁﹃十三夜﹄は現実から離陸しエアポケット的時間﹂が開示されるという。﹁下﹂の﹁エ. アポケット的時間﹂はお関のこれからの生活にも生かされ、お関の苦痛を緩和するという見解であるが、観念的. な論理であり根拠が少ない。結局﹁下﹂はお関の意識レベルに何の変革を与えたかは看過されてしまうのである。. これまで見てきたように、﹁十三夜﹂に関する先行研究は二つの流れに分けられる。 一つは、﹁上﹂の揚面に. 重点を置き、お関の絶望的な境地を説くものである。もう一つが、﹁上﹂と﹁下﹂の二部構造の断層を意識し、. 一7一.
(11) ﹁下﹂が﹁上﹂の再確認であるという見解や、﹁上﹂﹁下﹂それぞれ違う世界が呈示されるという見解である。. 本論文は﹁上﹂﹁下﹂に分けて論証を展開するが、特に、﹁下﹂に重点を置き、これまで見落とされた﹁下﹂の 必然性の検討を試みる。. 第二節 ﹁上﹂に見る原田勇と斎藤家が考える妻のズレ. 七年間婚家での不条理な生活に堪えかねて、お関は十三夜の夜、離縁を願いに実家に戻る。そこで、親に向か. って夫から受けた差別的な待遇を語る。娘の不運に母親は憤りを示し、娘の嫁入り当時の状況を振り返る。お関. はまだ一七の年に、旧家の家の前で通りかかった原田勇に見初められた。その後原田はお関を妻にもらいたいと. 言う。しかし、斎藤家は貧しい家計に低い家柄、その相手は奏任官を勤める上流階級の人である。身分の不釣合. に斎藤家はこの婚姻を拒絶したが、原田はこう語った。﹁何も舅姑のやかましいがあるではなし、我が欲しくて. 我が貰ふに身分も何も言ふ事はない﹂という。自分の婚姻に、舅姑のやかましい関与が存しないというのである。. 当時の婚姻では、男女同事者の意思を問わなく親が自由に取り決めることが普通︵η︶である中、子は親の意思に. 従わなければ最大の不孝と思われる。原田は上流階級の人間に属し、身分から推測すれば、原田の親は嫁を迎え. る際に身分相応の相手を望んでいることが考えられるだろう。しかし、彼は婚姻を決めることにおいて自分の意 思を貫こうとし、身分を関係なくお関を妻に迎えた。. 家の束縛が大きい当時の社会で、原田はなぜそのようなことができるのか。明治二〇年代の前半には、若者た. ちの中に、明治初期の開明的な教育あるいは西欧的な教育を受けて、古い家族制度の不合理を批判し、婚姻や親. 子の関係における支配服従関係から離脱しようとするものがいた。ただし、彼らはたとえ恋愛の自由を主張して. も親や親族からの﹁激しい非難に堪えうる強い精神力、親の経済的援助がなくても自立できる経済的基盤を必要. 一8一.
(12) とする﹂f︶のである。高級官吏の職業を持つ原田の場合、経済的な基盤を有する条件は言うまでもなく備わっ. ているのだろう。身分にこだわる親がいるにしても、原田は決して自己の意志を抑制しようとしない。その姿勢 を見れば、彼は自己の主張を大事にし、自主性を持つ人であることが窺える。. 自由な恋愛を通しての婚姻に、原田は夫婦円満な結婚生活をも望んでいるのだろう。ところが、始めはお関に. ﹁下へも置かぬ﹂ような態度で接しているが、年月が経つと、お関のことを﹁詰らぬくだらぬ﹂、﹁張も意気地. もない愚うたらの奴﹂とばかり責め立てる。その変貌にお関は原因も分からず、ひたすら﹁気に逆らはぬやう心. がけ﹂て、﹁何も言葉あらそひした事もござんせぬ﹂と自分の考える理想な妻を勤める。しかし、その心がけは. 却って原田を飽きさせてしまう。﹁言条を立て﹂ず、﹁異背せず、唯々と御小言を聞いて﹂いるだけの妻は、た. だ人の言うがままに行動し、個としての自主性も持たず、﹁詰らぬ﹂のである。夫婦の不和は、二人の性質の違 いによるものとも考えられる。. また、お関は原田から﹁教育のない身﹂と嘲られる。夫の相談相手になれないほか、﹁太郎の乳母として置い. て遣はす﹂とあるように、母としての立場までも奪われる。つまり、原田は教育があるか否かということは理想. 的な妻や母をなす必要な条件だと考えている。しかし、﹁稽古は引取ってからでも充分させられるから、その心. 配も要らぬ事﹂というお関の母親の回想によると、妻に教育が必要かどうかということは、結婚前の原田は考慮 していなかったことが分かる。. 日清戦争前後から、国民の一員としての女子という新しい女性観が形成し、女性の愛国心が要求されるように. なる。そこに、次代の国民養成のため、女子の家庭における教育者の役割、いわゆる﹁賢母﹂養成の重要性が認. 識されるようになる。この時期、国家的観点を基調とする良妻賢母主義の理念が提唱される。その中、妻の役よ. り母役割のほうが重点を置かれている︵B︶という。作品の執筆時期から推測すれば、原田はそういう﹁賢母﹂養. 成の観点に影響を受けている人物であると考えられよう。太郎の成長とともに、太郎の教育も緊要な課題として. 9.
(13) 目の前に現れてくる。そのため、教育の担い手である妻、お関の教養も原田は改めて見直すことになるのだろう。. お関の告白によって、原田の求める画像がはっきりと示される。だが、お関を含めて斎藤家の人間は必ずしも 原田の真意を分かっているわけではない。. ﹁物言ふは用事のある時、樫貧に申しつけられるばかり、朝起まして機嫌をきけば、不図脇を向ひて庭の草花. を態とらしき褒め詞﹂というのは、夫婦の生活での原田の振る舞いである。夫のすることならばお関は何も苦情. を言うことなく辛抱する。高級官吏の立派な身であれば、﹁芸者狂ひ﹂や妾を囲うことにもお関は嫉妬をしない。. これだけ自己犠牲を払って夫の自由を答めることはしないのである。だが、お関の﹁する事とては一から十まで. 面白くな﹂いと夫に思われる。妻のあるべき温順さ、規律正しさは却って夫から軽蔑の目を向けられる結果とな. る。﹁くら暗の谷へ突落されたやうに、暖かい日の影といふを見た事﹂のない日々であるが、それでも太郎の可. 愛さに引かれながら、夫に逆らおうとしない。﹁こうもしたら出てゆくか、あ︾もしたら離縁をと言ひ出すか﹂、. ﹁負けぬ気に御返事をしましたら、それを取てに出てゆけと言はれるは必定﹂とあるように、夫に離縁されるの ではないかとお関は恐れているのだ。. 離縁されるお関は何を恐れているのだろうか。貧しい斎藤家の娘でありながら奏任官の原田の正妻になるお関、. そして、姉の縁引きで、いま夜学に通ってこれからの出世が期待される弟の亥之助、娘と息子二人は﹁いつれも. 柔順し﹂く、﹁育てるに手は懸らず人には褒められる﹂子供と、父親は見ている。離縁による親や弟への影響を. お関はいつも気にかけている。娘だからこそ﹁原田の奥様﹂として親を喜ばせてやりたい。しかし、﹁原田の奥. 様﹂を勤める自分は、夫の侮蔑に﹁苦めて苦めて包め抜﹂かれる。その上、﹁実家の悪るいを風聴﹂され、身の. 上をも軽蔑される。そのような状態で﹁原田の奥様﹂であり続けるべきかどうかという葛藤をお関は抱えて、実 家を訪れるのだ。. 実家や娘の身が軽蔑されると聞いた母親は、﹁身分が悪いの、学校がどうしたの﹂、﹁身分が何であらうが父も. 10.
(14) ある母もある﹂と憤りを示す。お関に対する原田の態度はすべて身分の差異によるものだと、母親はお関と同じ. ように捉えているのだ。父親は母親と違って、智を責めようとしない。﹁勇さんだからとてあの通り、物の道理. を心得た、利発の人ではあり、随分学者でもある﹂と智を誉めたてる。しかし、智の立場に立つ発言は結局母親. と同じく﹁身分が釣合はねば思ふ事も自然違ふ﹂というように、身分差を意識したものである。. それを種々に思ふて見ると、父さんだとて私だとて、孫なり子なりの顔の見たいは当然なれど、余りうる. さく出入りをしてはと控へられて、ほんに御門の前を通る事はありとも、木綿着物に藩儒子の洋傘さした時. には、騙すくお二階の簾を見ながら、 旺、お関は何をしてみる事かと思ひやるばかり行過ぎてしまひます る。︵上︶. ⋮⋮御前の縁にすがって贅の助力を受けもするかと、他人様の論議が口惜しく、痩せ我慢ではなけれど、 交際だけは御身分相応に尽して、平常は逢いたい娘の顔も見ずにゐまする。︵上︶. 両家の格差や世間体を気にして親は常に原田家と距離を取っている。孫や娘の顔を見ることさえそうした周囲. の視線によって控えざるを得ない。嫁になった娘との付き合いも恐らくお関が実家を訪れる時に限られるのであ. る。結婚して一年遅経たないうちに夫婦の関係が悪化したが、六、七年間続く夫婦仲の悪さを親は全く察しても. いなかった。そうした事実から見れば、父親にしても母親にしても智のことを正しく理解することはできていな. いだろう。﹁物の道理を心得た﹂という父親の判断はそうした事実によって誤認だということが分かるのである。. ﹁得て世間に褒め物﹂だが、﹁恐ろしい我ま㌧物﹂と智に対する評価に矛盾が生じるのも、父親の無理解を示す ものである。. 11 一.
(15) 原田の性質を理解していない父親は、原田が妻に何を求めているか、 論理解できない。彼はただ自分の考える妻のあり様をお関に説く。. お関はなぜ苦しめられているのかをも無. なれどもあれほどの良人を持つ身のつとめ、区役所がよひの腰弁当が釜の下を焚きつけてくれるのとは格. が違ふ。随ってやかましくもあらう、六つかしくもあろう、それを機嫌の好い様にとンのへて行くが妻の役、. 表面には見えねど、世間の奥様といふ人達の、いつれも面白くをかしき仲ばかりはあるまじ。身一つと思へ. ば恨みも出る、何のこれが世の勤めなり、殊にはこれほど身がらの相違もある事なれば、人一倍の苦もある. 道理⋮⋮今日までの辛棒がなるほどならば、これから後とて出来ぬ事はあるまじ。︵上︶. このように、﹁苦﹂に堪える、﹁辛棒﹂をすることは父親の考えている妻のあり様である。﹁骨が折れるからと. てそれだけの運のある身ならば、堪へられぬ事はない筈﹂とあるように、お関に言う言葉から見て、彼は妻とな る娘に忍従、忍耐という儒教的な家庭教育︵・・︶をしていることも垣間見られよう。. 父親は、お関に﹁原田の妻﹂であり続けよと説得する。彼はお関の苦悩や不幸を妻の辛抱すべき﹁苦﹂と見て. 正当化する。さらに、その辛棒は﹁一つは親の為、弟の為﹂、﹁口に出さんとても親も察しる、弟も察しる﹂と、. 斎藤家のためであると強調する。お関もまた父親の説得を受けて、﹁魂一つがあの子の身を守る﹂、﹁弟の為にも. 好い片腕﹂と、離縁をあきらめる。原田の妻である自分に戻るが、その実質は太郎の母として、斎藤家の娘とし. てだと表明する。原田の性質を理解できない親はお関の問題を解決できない。﹁十三夜﹂の実家の時間を経て、 お関はただ斎藤家の娘としての立場を一層強く確認させられただけである。. 12.
(16) 第三節 ﹁下﹂に見るお関の自覚. お関は実家を訪れても、自己の課題を解決できなかったまま婚家に引き返す。人力車に乗って上野の森へと入. る途端、思いもよらない車夫の急停車に、お関は﹁胸をどっきりとさせ﹂られる。﹁我ま\の車夫さん﹂、﹁増し. は上げやうほどに骨を折っておくれ﹂とあるように、上野の森という危険と犯罪の生まれる空間︵刀︶において、. お関は車夫に取り残されることを恐れている。そして、それはまた﹁我まン﹂の車夫を見つめる契機となる。. ﹁二十五六の色黒く﹂、﹁小男の痩せぎす﹂と、お関は始めて目の前の車夫をじっくりと見た。記憶を辿って. いくところ、目の前の車夫は七年前の幼馴染の録之助であった。ところが、人力車を引く身は七年前の高坂の録. 之助のイメージとはあまりにも差が顕著であるため、お関は彼への認識を﹁車夫﹂から見知りの﹁男﹂にしか転. 換できなかった。そして、﹁頭の先より爪先まで眺め﹂るほど﹁男﹂を見つめて、お関は七年間の接触の空白を 埋めようとしている。. しかし、唯一録之助の消息を知り得るのも﹁他処﹂の噂だけであり、消息の真相を確かめる手段もない。そう. いう中で録之助の印象は七年前の姿に止まっている。七年前の共有の過去は、小川町の勧工場に姻草中を持つ録. 之助、また子供時に学校の行き返りに﹁巻姻草のこぼれを貰ふて、生意気らしう吸立てた﹂お関である。姻草屋. の商売をしている録之助と人力車を引く目の前の﹁男﹂、その転落の激しさの故に、お関は原因究明に急ぐので. ある。﹁伯母さんが田舎へ引取られ﹂ること、﹁小川町のお店をお嵩め﹂のこと、さらに﹁お内儀さん﹂や﹁小. 児﹂など、録之助にかかわるすべてのことをお関は連想し、七年間録之助に何が起こったのかを知ろうしている のである。. お関の回想はどれもこれも録之助の昔の姿である。だが、﹁男﹂はただ今のままの自分をお関に説明する。﹁浅. 草町の安宿﹂、﹁姻のやうに暮﹂すこと、いずれも生甲斐のない放蕩を尽す姿である。いまの自分はお関の知る. 13 一.
(17) 昔の自分とはかけ離れた姿、境遇であり、﹁男﹂はその共有した過去を語ろうとしない。更に言うと、車夫に堕. 落した自分の身の悲惨さと原田家の奥様になったお関の高貴な身との落差が大きすぎるが故に、﹁男﹂はお関と. 共有した過去を振り返る勇気もないのだろう。七年間の空白を埋めることで距離を縮めようとするお関に引き替. え、﹁男﹂は﹁命があればこその御対面﹂と、逆に上下関係にあるような発言をし、遠ざかってしまう。 お関の進んでの詰問の中、﹁男﹂はやっと自分の堕落の経緯を語り始めた。. ﹁男﹂は放蕩をつくすのは、お関の﹁嫁入りの噂聞え初た頃から﹂という。恋する相手に気持ちを伝えない悔. しさは甘いっぽいである。しかしその悔しさは結局﹁やけ遊び﹂の形を通してしか表現できない。自分の思いが. 親類や母親に﹁勘違ひ﹂されるが、﹁勝手になれ﹂と他人の意志の下で行動する。そして、また自分の﹁勝手﹂. で家が潰されていく。家を維持できない失敗が結婚前の悔しさと重ねて﹁男﹂が身の破滅に陥って抜け出せない。. ﹁男﹂はお関と共有した過去を振り向かず、ひたすら自分の﹁つまらぬ身の上﹂を語り続ける。この﹁男﹂に. はもはや﹁小気の利﹂き、﹁愛敬もあ﹂る昔の昏惑助の影は見当たらない。それでも、彼は自分にとって﹁忘ら. れぬ由縁のある人﹂であったのだ。﹁十二の年より十七まで﹂五年間、お関と彼は思いを寄せ合っていた。﹁︵録. 之助の︶店の彼処へ座って、新聞を見ながら商ひする﹂と将来を考えているように、お関は﹁男﹂と結婚すると. ころまで思いを巡らせていたのだ。だが、親から縁談の話を持ち出されると、彼女は﹁男﹂への愛情を諦めるこ とにした。. 孫々の言ふ事なれば何の異存を入られやう。姻草屋の録さんにはと思へど、それはほんの子供ごンろ、先. 方からも口へ出して言ふた事はなし、此方は猶さら、これは取とまらぬ夢の様な恋なるを、思ひ切ってしま. へ、思ひ切ってしまへ、あきらめてしまはうと心を定めて、今の原田へ嫁入りの事にはなったれど、その際 までも涙がこぼれて忘れかねた人。︵下︶. 14.
(18) お関の結婚前の状況を回想する内言である。原田家に嫁ぐと定める前にお関には内心の葛藤が起こった。それ. はこの内言が呈するように墨之助への思いを断念することである。﹁思ひ切ってしまへ、思ひ切ってしまへ﹂と. あるように、思いを断ち切ることは決して容易なことではなかった。だが、﹁黒々の言ふ事﹂によってお関は決. 心する。﹁涙がこぼれて忘れかね﹂るほどの録之助への思いを断念させた﹁親御の言ふ事﹂の内実に注目すべき である。. 母親の言葉﹁出世は出世に相違なく、人の見る目も立派なほどしによると、原田との結婚はお関の出世になる. と母親は見なしている。そのため、実家に戻る際、お関は常に親から﹁奥さま扱かひ﹂をされる。お関はそれを. 情けないことだとは受け止めるが、彼女自身もこの婚姻を出世と考えないわけでもない。. ﹁和らかひ衣類きて手車に乗りあるく時は、立派らしくも見えませう﹂とお関は語る。着物は﹁綿銘仙﹂であ. り、﹁裡がけの水仕業﹂をする以前の生活とは異なり、経済的に豊かであり、上品の生活であったことが分かる。. また、結婚して半年ばかりの間、﹁関や関やと下へも置かぬやうにして下さった﹂とお関は夫の態度を語る。原. 田は奏任官の身だけあって、お互いの身分差を意識しなければならない。恋女房の正妻ではあるが、原田は自分. を妻として対等に見てくれるのだろうかといった不安はお関の心の中にあったのである。原田家に嫁ぐことはつ. まり身分の上昇をもたらしてくれる出世を意味している。しかし嫁になるだけで出世できるというのはあまりに. も簡単すぎる。お関には出世の望みがあるが故にそれに対する不安が生じているのであろう。そして原田に﹁下 へも置かぬやうに﹂されたということは彼女の不安を解消したのだ。. また、お関の出世意識は彼女自身だけのものではない。斎藤家に戻った夜に、お関は﹁あの子も替らず勉強で. ござんすか﹂と不在の弟亥之助の行方を確かめる。一人息子である亥之助の﹁勉強﹂は斎藤家の未来にとって大. きな意味を持つ。母親の話では、亥之助の勤め先での昇給は﹁原田さんの縁引があるから﹂であったという。も. 15 h.
(19) ともと、娘の﹁縁にすがって餐の助力を受け﹂、実家の﹁つまらぬ活計をしてゐ﹂る状況を変える打算は既に母. 親の中に見られる。弟の﹁勉強﹂に関心を示し、離婚が成立したら自分も弟の﹁片腕になられるやう﹂と語るお 関は亥之助の出世そして実家全体の再興を意識していることが窺えよう。. 幼馴染の厚之助は結婚前のお関にとって﹁涙がこぼれて忘れかねた人﹂であった。結婚後、原田の奥様である. ことや夫にまつわる両親の自慢と弟の行末など、自分と実家の出世問題をお関は抱え込むようになった。その前. 後の心境の違いをさせるのはまさに﹁寸々の言ふ事﹂である。原田家へ嫁入りする事は実家の大きな出世となる、. この親の勧誘の下でお関は懸章助への愛情を諦念し、嫁入りという出世の道を選択したのだろう。. 位の高い家の妻としての要領はまだ充分に身につかない、それでも自分は﹁人の上に立つもの﹂の原田の妻で. ある。﹁奏任の智がある身﹂と親の自慢とともに自分は安逸な生活を送った。やがて身分不相応の夫婦関係に問. 題が露出してしまい、絶えず受けざるを得ないのは夫の侮りの言葉であった。﹁教育のない身﹂や﹁張も意気地. もない愚うたらの奴﹂などという言葉を投げかけられたお関は心の中で弁解するが、夫の前ではひたすら卑屈な 態度を取る。. 出際に召物の揃へかたが悪いとて、いかほど詫びても聞入れがなく︵上︶. 男の身のそれ位はありうち︵上︶. よしや良人が芸者狂ひなさらうとも、囲い画して御置きなさらうとも、 そんな事に恪啓する私でもなく、 侍どもからそんな噂も聞えまするけれど、あれほど働きのある御方なり、. 家事に関しては自分が悪いかどうかはともかく、詫びて夫の機嫌を取る。夫は奏任官の身だから当然﹁囲い者﹂. を置いても彼の論理が成立する。不満をこぼされても、自分を弱い立場に置きながら夫のことを常に﹁立派﹂だ. 一16.
(20) と認める。母として太郎から離れるのが悔しいが、妻として立派な夫に離縁されることは﹁残りをしい﹂とも理. 不尽とも思わない。こうして、夫を唯々見上げていると同時に、お関は無自覚のうちに原田の妻としての自分を. 否定してきた。自分のやる事を気に入ってくれない原因は相手が立派な原田であり、理解のしようもできない. ﹁鬼﹂だからである、とお関は思うのだ。離縁の決意をあきらめた時、お関は﹁私さへ死んだ気にな﹂る、﹁今. 宵限り関はなくなって﹂と語る。それは太郎のために原田家に戻ることはできるが、原田の妻であり続けること. は精神的に不可能だという、切実な思いを表現する言葉であろう。つまり原田の奥様であるという意識をなくし. た上で自分は原田家に居続けられる。原田の妻に相応しくないという自己否定の感情はここで極限に至ったのだ。. 真の愛情をあきらめて親の意志で一家の出世を叶わせてくれる原田家に嫁ぐ。始めは﹁関や関やと下へも置か. ぬやうに﹂されることを自己の出世だと夢見して結婚生活に安住していた。夫のいよいよの悪化した態度に苦し. められるが、親の自慢と弟の出世のためならば辛抱ができる。しかし、限度の見られない我慢は、遂にお関に出. 世が本物かどうかという疑念を抱かせるようになった。立派らしく見える奥様の姿が実は﹁自分の皮︸重﹂であ. り、つまり形だけの出世にしか見えなくなってきた。﹁我身ながら我身の辛棒がわか﹂らない生活は自己喪失の. 無限の継続である。﹁あの人の思ふままに何となりして貰ひましょ﹂という気持ちを持ったまま原田家へ戻った ところで、これまでの過ちを繰り返すだけであると彼女は気付いたのである。. 親の言うままにお関は出世の道を望んだ。しかし、そこでお関は挫折感と自己喪失感を覚える。七年間生きて. きた道を振り返ってみたところ、自分の生き様は目の前の﹁男﹂、録之助といかに似ているかにお関は驚いた。. 彼もお関への愛情を断念せざるを得ないという失意の中で、周囲に言われるがまま結婚した。そして、家を維持. できず、その失敗と自責は彼を破滅の身に墜落させる。昔の量之助が﹁放蕩﹂男に転落した原因をお関はやっと. 把握することができた。同時に、これまでの自分に対する認識も深まってきた。失敗の原因はそれぞれ違うが、. 他人の言動に流されるところに二人の根本的な共通点がある。﹁私が思ふほどはこの人も思ふて、それ故の身の. 一17一.
(21) 破滅﹂というのは、お関が録之助に出会って得られた認識と言える。. 明治五年太政官布告の﹃学制﹄や、同年出版された﹃学問のすすめ﹄により、学問や、学問による立身出世が. 奨励された。学問次第では大臣にもなれるという情勢に、 一番敏感に反応したのは下級士族、没落士族︵絶であ. った。斎藤家は没落士族の一員として、家名を次代の手で再興させようとしていることは既に高田知波の論考︵おv. で指摘されている。斎藤家の親は息子の亥之助を﹁夜学﹂に行かせることは言うまでもなく、娘のお関を妻とし. て原田家と結びつけることにおいても、次代の立身出世の可能性を見ていたからだと考えられる。実際、﹁出世. は出世に相違なく、人の見る目も立派なほど﹂という母親の台詞では、娘のお関の嫁入りを一つの出世と見なし ていることが窺える。. しかし、娘の出世は結局息子の官員任用の一つの手段に過ぎない。そして、息子が官員になろうとする出世も. 結局斎藤家の家名回復にしかならない。つまり、このような立身出世観はあくまでも親の家名の論理であり、お. 関の自己実現の︿出世﹀とは言い難い。前に述べたように、お関が録之助への愛情を断念したのは親の意志で︼. 家の出世を叶わせるためである。この親の論理の制約の中で、原田家に嫁ぐことや夫に忍従することはすべてそ ういった出世が原因で、つまり家のためだとお関は考え付いた。. 七年後の再会で、お関は落首した運之助の姿から自分の自己喪失の危機を見出した。そして、再度﹁黒々の言. ふ事﹂を実行し、望んでいた出世の空しさを痛感した。だがこの思いを録之助に伝えようとしても、彼はお関の. 丸髭姿をただありのままに受け止め、つまらぬ自らの身を高貴な奥様の身から離そうとする。﹁何を思ふか荘然. とせし顔つき﹂と描写されるように環之助の表情は虚ろである。その録之助にお関は紙幣とともに、﹁どうぞ以. 前の録さんにおなりなされて、お立派にお店をお開きになります処を見せて下され﹂と言い渡す。﹁お立派にお. 店をお開きにな﹂るということは、つまり放蕩を尽す前に戻ることである。堕落した録之助を見かねて、お関は 彼に自己を取り戻すことを勧めたのだろう。. 一18.
(22) 録之助を激励するお関は同時に自分の問題をも直視しなければならない。録之助に出会うまで、お関は斎藤家. の出世にばかり悩まされる。斎藤家の娘であるからという思想の限界を乗り越えられない。その有様はこれまで. の自己喪失の原因と見極めて、お関はこれからどのように自己実現をするのかを考えざるを得ない。離婚をあき. らめ婚家に引き戻す十三夜に、お関には七年前の結婚の原点にさかのぼり、改めて妻としての自分のあり様を考. え直すことが期待される。録之助との再会によってお関はこれまでの自分を自覚するようになる。. ﹁上﹂では、お関は離縁の決意を親によって覆され、今まで通り原田に忍従し生きていかざるを得ないことに. なる。しかし、録之助との出会いによって新たな自覚がお関に引き起こされる。お関と録之助の出会いは単なる. すれ違いではなく、お関の心境の変化に作用していることが分かる。それが﹁十三夜﹂における﹁下﹂の必然性. 一19一. であり、役割であると考える。. ︵5︶高田知波﹁﹃十三夜﹄ノート﹂︵﹃近代文学研究﹄第一号、 一九人四年十月、五九頁︶. 一九九三年一二月、 一六頁︶. ︵4︶高良留美子﹁樋口﹁葉﹃十三夜﹄と月の暗示−父の沈黙、娘の沈黙i﹂︵﹃城西文学﹄第﹁﹁三寸︸号、. ︵3︶山田有策﹁﹃十三夜﹄の世界﹂︵﹃学芸 国語国文学﹄第=二号、一九七七年二月、一九頁︶. 摩書房、 一九八九年九月、二五三頁︶. ︵2︶前田愛﹃十三夜﹄︵﹃国文学﹄第一三巻第五号、 一九六人年四月。引用は、前田愛﹃樋口一葉の世界﹄筑. に拠る。. ︵1︶樋口﹁葉﹃日本近代文学大系 第8巻 樋口﹁葉集﹄︵角川書店、﹁九七〇年九月︶の﹁樋口﹁葉集解説﹂. 注.
(23) ディスク ル ラング ︵6︶小森陽一﹁囚われた言葉/さまよい出す言葉一一葉における﹁女﹂の制度と言 説﹂︵﹃文学﹄第五四巻. 第八号、 一九人六年八月、七五頁︶. ︵7︶松下浩幸﹁﹃十三夜﹄小論i記憶のドラマー﹂︵﹃明治大学日本文学﹄第一八号、一九九〇年八月、八 三頁︶. ︵8︶井上理恵﹁無限の闇一﹃十三夜﹄﹂︵﹃樋口一葉を読みなおす﹄千尋書林、 ︸九九四年六月、 一六八頁︶. ︵9︶笹川洋子﹁﹃十三夜﹄試論iジェンダーと言語行為をめぐって﹂︵﹃親和国文﹄第四一号、二〇〇六年一 二 月 、 一九九頁︶. ︵10︶前掲、注︵3︶に同じ、二一頁。. ︵11︶前掲、注︵5︶に同じ、六三頁と六四頁。 ︵12︶前掲、注︵2︶に同じ、二六一頁。. ︵B︶前掲、注︵7︶に同じ、八七頁。. ︵14︶戸松泉﹁樋口一葉﹃十三夜﹄試論1お関の︿決心﹀﹂︵﹃複数のテクストへ 樋口一葉と草稿研究﹄翰林書. 房、二〇一〇年三月、二五一頁。初出は﹃相模女子大学紀要﹄第五五巻、 一九九二年三月︶. ︵15︶関礼子、﹃十三夜﹄の時間と空間﹂︵﹃文学﹄第四巻第三号、 一九九三年七月、=二二頁︶. ︵16︶伊藤佐枝﹁あなたのいた時間を憶えていることi樋口一葉﹃十三夜﹄のお関のために・補遺1﹂︵﹁論 樹﹂第二一号、二〇〇八年一二月、 一二頁︶. ︵17︶有地亨﹃近代日本の家族観i明治篇﹄︵弘文堂、一九七七年四月、六四頁︶ ︵18︶前掲、注︵17︶に同じ、人六頁。 ︵19︶小山静子﹃良妻賢母という規範﹄︵勤草書房、 一九九一年一〇月、四六頁︶. ︵20︶小林輝行﹁近代日本の家庭教育に関する一考察そのIl士族の﹁家﹂意識、とくに立身興家思想との連. 20.
(24) を中心として一﹂︵﹃横浜国立大学教育紀要﹄第8集、 一九六八年一二月、五人頁︶では、明治初期に育つ. た士族の娘の実例を挙げ、娘達は一家の妻として心得べきものは勤倹、従順、衿持、忍耐、分限意識などの 教育がなされている、という。. ︵21︶前掲、注︵15︶に同じ。関の論考によると、夜更けの上野公園は森というのがふさわしいほど、閑寂で、. 木の間から漏れる月光がいっそう濃い闇を浮き上がらせている不透明な空間である。そこは家族の灯火から. 離れ、月光と闇の交錯する世界であり、都市の危険と犯罪の生まれる空間でもある。. ︵22︶福地重孝先生還暦記念論文集刊行委員会編﹃近代日本形成過程の研究﹄︵雄山閣、一九七八年五月、一九 一頁︶. ︵23︶前掲、注︵5︶に同じ、六〇頁。. 21.
(25) 第二章 ﹁この子﹂1夫への再認識. 第一節 ﹁この子﹂の先行研究一夫婦和解の物語. ﹁この子﹂は明治二九年一月に﹃日本の家庭﹄第二号に発表された作品である。﹃日本の家庭﹄は、家庭一1婦. 人天職という論に基づいて、﹁家庭の風をさらに良くし、婦人の地位をさらに高むる﹂ことを目的とする雑誌で、. 当時流行していた﹁良妻賢母﹂論に添った﹁女徳系女性誌の知的中間層版﹂︵,︶と言われている。また、創刊号 の﹁発刊のことば﹂︵、︶で次のように謳っている。. ﹃はなし﹄﹃たのしみ﹄﹃小説﹄の諸欄は、野卑ならずして、面白く人情世態の陰微を穿ちて、而かも飽ま. で罪なきものを撰み、無事なる時人の心を慰め、或は家族団面して茶呑話などする折の和楽を増すの幕助た. らしめ、かの卑狸淫靡のことを揮からざる小新聞、小説本などの家庭に二二るを抑へんとす。. ﹁発刊のことば﹂が謳う﹁罪なきもの﹂を選び、﹁家族団簗﹂に資するという掲載誌の性格をそのまま作品の. 読解に反映させて、多くの先行研究は、﹁この子﹂を悪妻の妻と夫との和解の物語だと解釈してきた。例えば、. 関礼子︵,﹀は、赤児をあやす若妻を描いた初出誌の﹁この子﹂の挿絵から、﹁ハッピーエンド﹂が示唆されると. 言い、作品に﹁︵実子が︶現在すっかり悔い改め、家庭にも平和が訪れているという枠組が明示されている﹂と. 論じる。また、小森陽一︵、︶は﹁子供の存在が、危機にあった夫と自分︵実子︶の間をつなぎあわせ﹂、﹁かつて. の自分︵実子︶の性格をも大きく変えたことを物語る﹂のが実子の語りである、と説く。両論とも実子が最後に. 22 一.
(26) 自省したという結論を出す。やや新しい研究となると、菅聡子︵,︶は﹁何と言っても女ですもの﹂という実子の. 語りは﹁男の領域に口出しするには及ばない﹂という姿勢を表明すると指摘し、﹁この子﹂は同時代のなかで、. ﹁国家との共犯関係を結ぶ危うさをはらんでいる作品である﹂と読む。細谷朋代︵,vも﹁この子﹂を、﹁自らの. 人生を︿理想の奥様﹀というひとつの枠の中に封じ込めた女の自己回収の物語であるとともに、イデオロギーに. 囲い込まれた女が主体性を表出することの限界を示したテクストでもある﹂と、これまでの研究の指摘する夫婦 和解の観点を継承した。. このように、﹁家族団攣﹂をキーワードに、そして﹁良妻賢母﹂論に立脚する発表誌の性格に引きずられ、先. 行研究はほぼ実子の物語に円満な結末を見ている。その円満な結末や夫婦の和解を示唆する根拠は、いわゆる子. 供の﹁無心の笑顔﹂である。この笑顔は実子の狂う心を静めて、離婚まであきらめさせた。さらに、子供の存在. によって、夫も実子に﹁高声の大笑ひを遊ばした﹂という事実が生み出され、二人の仲が和解を迎えたという。. しかし、果たして子供の可愛い笑顔だけで実子は簡単にこれまでの自分を反省し得るのか。仮に反省ができたと. したら、離婚しないでくれる夫に対して﹁何時までも︵実子を︶濫の中へ置いて苦るしませてやらう﹂としてい. るのではないかという疑惑を抱えるだろうか。子供を授かった今の時点でも実子は﹁心として犯した罪がない﹂. と表明する。これは決して彼女の反省や改心の言葉とは見られない。本章では、実子の主張を明らかにし、子供. からの﹁教え﹂の内実を解明した上で、﹁この子﹂は夫婦円満な結末でよいのかを検討する。. 第二節 実子が受けた教育と思想. 実子夫婦を不和に導くものは何なのかを知るために、語りの中にある表現に注目したい。. 23.
(27) それですが、あの時分の私の地位に他の人を置いて御覧じろ。それはどんなあきらめの好い悟ったお方に. したところが、是非この世の中は詰らない面白くないもので、随分ともむごい、つれない、天道さまは是か. 非かなどと言ふ事が、私の生意気の心からばかりではありますまい、必らず、屹度、誰様のお口からも洩れ ずにはおりますまい。. そのうちにも女の勝気、中へつつんで諸事を心得ていたらよいかも知れませぬけれど、私のやうな表むき. の負けるぎらひは、見る人の目からは浅ましくもありませう。つまらぬ妻を持つたものだと言ふ感は、良人. 万一お役処の事でも聞かして下さらうなら、どのやうの詰らぬ事を仕出来. の方に却って多くあったのでござりませう。. あの時代のやうな蓮葉な私に、 すか。. 語りの中に﹁生意気﹂、﹁負けるぎらひ﹂や﹁蓮葉﹂など似た表現が見られる。こういつた自分を軽蔑する言. 葉は実子の本心より発するものかどうか後に検討するが、ここでまずこれらの言葉を借りて実子の教養や思想を 推測したい。. 明治初年に、アメリカの宣教師が来日し、キリスト教主義の女子教育を試みた。後にミッション系の女学校が. 創立され、アメリカにおける女子教育をモデルにし、かなり程度の高い教育が行われたという︵,︶。こういうミ. ッション系女学校は明治一〇年代に入ると時代の先端を歩むようになり、一八年からの欧化主義の時代において. も、中上流階層の家庭から絶大な人気を得ていた︵,︶。また、ミッション系女学校のほか、東京高等女学校も、 西洋的な教養に基づくかなり高いレベルの教育を行ったという︵,︶。. 一24.
(28) こうした西洋教育が進む中で、女学生には女子の有する権利を目覚めさせられ、自己主張の強さや行動力のあ. る特徴が備わっていく。だが、後に欧化主義批判が高まる中で、こうした女学生に対して﹁生意気﹂であるとか ﹁蓮葉﹂であるとかという批判が寄せられるようになる。. 欧化主義の女子教育と併行して、﹁風俗改良、道徳改良、生活改良、男女交際の改良など﹂という社会改良論. も流行している。その社会改良論の一つと見られる婦人改良論は明治一七年からはじまり、明治一九年にピーク. を達した︵ゆ︶という。抽象的な男女同権論と違い、この婦人改良論にあっては、婦人の具体的な作法など、新聞. や雑誌を通して盛んに議論されていた。その一つである中江篤介の﹁婦人改良の一策﹂には次のような記述があ る。. 計を案出したり、此上に名策無しとまで信ずるなり、女人をして成丈け早く成丈け多く極々の生意気と. 成らしむること坐れなり、夫れ此生意気と云ふことは吾等が云ふ所の生意気には非ざるなり、世上多数の男. 子が云ふ所の生意気なり、即ち男子どうしの重しの最中に女人が横から飛び込むことなり、経済も噺し、法. 律も噺し、文芸も白し、何にても有れ、男子の議場に女人が進入して議案を提出し討議してハニカマぬこと. なり、世上多数の男子が此くの如き女人を生意気なりと論決するが故に、女人の中幽閑貞静の資本を持し居. る者は沮喪し、差恥し卑屈と知りながらも差し拍へて敢て進み入らざるなり︵・︶。. 当時、男たちは﹁良妻賢母﹂が婦人の美徳であると主張し、婦人が経済、法律、文芸などの議論に参加するこ. とが生意気だとしていた。それに対して、右に引用した中江篤介は、男女同権を実現するには、婦人は生意気だ. と非難されてもそれに立ち向かうべきだと主張する。婦人向けの職業が少なく、婦人は特殊な能力や資格を持た. ないかぎり、家の内に制約されるという現状を破り、婦人の価値を向上させるため、右のような提案がなされた. 一 25.
(29) のである。また、明治二〇年の﹃読売新聞﹄の﹁寄書﹂欄には、﹁婦人は男子の仕事の領分のうち、手近なもの. を少しずつ自分の領域内に取り込む努力を行い、婦人の職域を拡大せよ﹂︵臣︶といった婦人の職業進出の具体的 な実現方法を提示するものも見られる。. こうして、男女同権への具体的な手立てが論じられる。それは、欧化主義の女子教育と併行して進行され、明. 治二〇年前後の女権拡張の世論を強めていく。テキストにおいて、実子は自分の教育事情についてこう語る。. 学校で読みました書物、教師から言ひ聞かしてくれました種々の事は、それはたしかに私の身の為にもな. り、事ある毎に思ひ出しては、ああであった、こうであったと一々顧られまするけれど. ﹃この子﹄は明治二九年﹁月に﹃日本の家庭﹄に掲載されたが、脱稿したのは前年の=一月だとされる︵・︶。. 実子の語る現時点が明治二八年とすると、﹁嫁入つたは三年の前﹂という記述によれば結婚は二五年頃だと推定. される。そうすれば彼女が教育を受けた期間は明治二〇年前後より二五年までの間にあり、西洋教育が進められ、 女権拡張の世論が高まる期間に当たっているのである。. 実子の教育を受ける期間、また、﹁生意気﹂、﹁負けるぎらひ﹂や﹁蓮葉﹂といった自己を表現する言葉、そし. て夫の﹁務め向き﹂の情報を求める行動など、そういうテキストに呈示される情報から、彼女が欧化主義の女子. 教育を受け、男女同権思想に影響されているということが窺えよう。﹁学校で読みました書物﹂、教師が教える ﹁種々の事﹂は婦人の権利を主張するものが含まれると考えられる。. 第三節 実子が望んでいた夫婦関係. 一一 26 一.
(30) 第二節で述べたが、婦人が職業に就くのは困難であったため、婦人が夫の仕事の領域に関与することは、自己. の価値を向上させる一つの方法として提案された。実子は結婚当初の自分が﹁六欲﹂が満たされず、﹁不足だら. け﹂であったと語る。﹁心安だてに旦那さまが家計で遊ばす事にまで口を出﹂すとあるように、自分の﹁不足﹂. を埋めるために夫の﹁務め向き﹂に口を出すようになる。夫の仕事の領域を知ることによって、自己の視野を広 げ、自己の価値を向上させたいという願望は実子の中にあるだろう。. しかし、夫は﹁務め向き﹂の事を妻と共有するどころか、﹁隠しだて﹂をし、嘘をつき、実子を相手にしない。. 期待外れの夫の振る舞いに実子は﹁どうしても上手に思ひとく事が出来ませんかった﹂とあるように、夫の心が. 理解できなかった。この状態が続く中、二人の間に壁が出来るようになる。﹁物言はず睨め合ふやう﹂になり、. ﹁涙﹂をこぼすのである。ここでの﹁涙﹂は単にお互いが理解し合えないためではなく、自らの身の不遇を悔や むためである。. 夫婦関係の悪化の原因を夫に押し付けていた実子は、自分の運命を不幸に思うようになる。﹁詰らない﹂、﹁情. けない﹂のは﹁私﹂の現在の有り様と語る。そして、嫁入ってきた時点からすべてが間違いだと実子は判断する。. 此家へ嫁入りせぬ以前、まだ小室の養女の実子であった時に、いろくの人が世話をしてくれて、種々の. 口々を申込んでくれた、中には海軍の潮田といふ立派な方もあったし、医学士の細井といふ色白の人にも極. まりか\つたに、引違へて旦那様のやうな無口さまへ嫁入って来たは、どうかいふ一時の間違ひでもあらう。. いまの﹁無口﹂な夫と昔縁談があった人とを比べ、後悔とともに回想している。そしてこの夫と別れさえずれ. ば、自分はもっと﹁美くしく好い処へ出られる﹂のではないかと実子は夢想する。結婚する前に、実子に寄せら. れる縁談に、海軍や医学士という身分の人がいる。裁判官の夫は海軍や医学士より出世の程度は違うが、当時工. 27.
(31) リートの一員として上流階級の象徴とも見なされている。エリート層の中から結婚相手を選ぶ、それは実子が結 婚前から既に上流階級と結びつこうとする意志を持っていたことが窺える。. 明治二﹂年、青少年向けの文芸誌として創刊された﹃少年園﹄第五号に饗庭篁村の﹁紅葉﹂という劇作小説が 連載された。中に女学生お杵と姉の会話がこう書かれる。. ママ. ⋮・:姉さんはいつもチヤーンと御書を読んでサ、今ま私がボンジュールと云ツたのを御存じ、アラ彼を知 ママ. らないの、姉さんは英語ばかりしかた出来なさらないの子、英語は意いと云ツて貴婦人の社会では佛語が流. 行まそよ。夫でなければアノ猫逸語、どんな者でも二国や三国の語に通じなくツてはレディの交際は出来ま. せんよ⋮⋮姉さん貴方もチツト会話をなさいよ、ろうして上流社会に立交はらないと婦女の権利の伸るとき は あ り ません︵M︶. お杵は﹁二国や三国の語﹂を習得することで、上流社会との結びつきを求める。そしてその結びつきが婦女の. 権利の実現につながると考えている。実子は結婚した後、﹁心安だて﹂に夫の世界を共有することを求めていく。. 夫の仕事の領域を取り込んで自己価値を向上させることは婦人の権利を高めようとする行動でもある。ここから. 見れば、実子はなぜ上流階級と接近するのかは明らかとなろう。欧化主義の女子教育を受ける、そして裁判官と. 結婚する縁談話を持ち寄せてくれる伯父さまを﹁神様﹂と呼ぶ、お杵と同じように、実子は西洋の知識を習得し、 婦人権力の実現できる夫婦関係を望んでいることが分かる。. 第四節 ︿子﹀の働き1夫への再認識. 一28一.
(32) 夢見ていた夫婦の同権を叶えてくれない夫との関係も含めて、実子は自分の置かれた状況を﹁光もない﹂、﹁詰. らない﹂と語る。﹁坊やの生れて来ようと言う時分﹂、実子はまだ夫との不和に苦しみ、実家へ帰ろうとしてい る。ところが、子が生まれて間もない問、実子は夫のある変化に気付く。. 夏時旦那さまは、髭をひねって、﹃お前もこの子が可愛いか﹄ と仰しゃいました。﹃当然でございます﹄と. て、つんと致してをりますと、﹃それではお前も可愛いな﹄ と例に似ぬ滑稽を塾しやって、高声の大笑ひを 遊ばしたそのお顔、此子が面ざしに争はれないほど似た処がございました。. 子供の生まれる前と比べて、夫が自分に見せた顔に大きな差が見られる。家内の不和が起こるたび、夫は﹁私. の顔をば尻目にお睨み遊ば﹂す﹁恐ろしい凄い、にくらしい﹂顔つきであった。これが夫の常の顔とすれば、﹁滑. 稽を仰﹂る、﹁高声の大笑ひを遊ば﹂す夫のいまの顔は﹁例に似ぬ﹂ものである。夫の態度から夫婦の﹁和解﹂. が読み取れ、この後二人の仲が回復されていくとする先行研究が多く見られる。しかし、実子は、夫の示した態 度をこれからの夫婦の関係の回復につながるものだと受け止めたのだろうか。. 子供の可愛さによって、いままで実子になかった母性が引き出される。子供を可愛がる実子は母としての役割. を果たし、妻の分限内に身を置くことで、夫はいままで見られなかった打ち解けた笑顔を見せてくれるのである。. 子供を介した夫の変貌に、実子は新たな現実に気付く。夫はこれまでの﹁私﹂を理解できないのではなく、そも. そも彼には彼なりの妻事を持っているのである。それはつまり、子供を可愛がることを含め、家の内の事に専念. するというあり方である。その上、務め向きなど夫の権限内に口を出すのは妻のあるべき行動ではないと彼は考 えている。. 実子は夫の求める妻像を確認できた。そして、今まで夫を含めて結婚生活のすべてが﹁詰らない﹂としてきた. 一29一.
(33) が、﹁つまらぬ妻を持つたものだと言ふ感は、良人の方に却って多くあったので﹂あると、現在の実子は語って. いる。﹁隠しだて﹂の真実を追求すればするほど、実子の恨みが止まらない故、役所から帰った夫に一言も打ち. 解けた話ができない。それもまた、夫を不愉快な気分にさせ、遂に﹁家を外にするという道楽もの﹂にならせた。. 奥様らしい愛想がない故に、召使いは次々に替り、また、家に来るお客にも悪いイメージを抱かせてしまう。と. あるように、夫の求める妻像から背馳する﹁つまらぬ妻﹂の仕業を実子は回想している。. 夫はなぜ﹁隠しだて﹂をするのか、実子の辿った原因について、﹁何と言っても女ですもの﹂という述懐があ. る。女であるから家事などに専念し、夫の職領域に口出すことは論外である。そのような夫の理屈に、﹁旦那様. の価値﹂、﹁なるほど﹂と実子は納得しているようである。ところが、結婚前の実子がいかに婦人の権利を欲し. たとへには三ツ子に浅瀬と言ひますけれど、私の身の一. ていたかということから推測すれば、実子は簡単に納得できないはずである。. 私がよくすれば旦那さまもよくして下さります。. 生を教へたのは、まだ物を言はない赤ん坊でした. ここで、﹁私がよくすれば旦那さまもよくして下さります﹂というのを、実子がかつての過ちを省察する︵路︶. と読むのは妥当とは言えない。﹁旦那さまがよくして下さ﹂る前提が、﹁私﹂が心身とも母親としての勤めをや. り遂げることにあるのだと実子は語っているだけである。つまり、限られた妻の枠内にあることを要請される現. 実を実子が認識できたのである。この独白は実子の自省ではなく、むしろ言外に不満を込めた言葉だと解釈した ほうがよい。. 自分のあり様を﹁反省﹂し、夫との和解につながるとするこれまでの読みは実子にとってむしろ一種目残酷な. 解釈とも言える。ここで彼女はただ夫の論理を意識し、皮肉を込め、自分が夫の立場にすり替わって語っている. 30.
(34) に過ぎない。その語りも彼女がどのように夫の論理の再認識に辿り着いたかという過程そのものを示すのである。. 夫の論理から照射される妻の﹁私﹂のあり様は﹁︼つとして取柄のない困り者﹂で・はあるが、﹁心として犯した. 罪がない﹂と実子はいままでの夫に対する行為を否定しない。その姿勢は実子に備わった女学生風の性格に由来 するとも見られる。. 妻の領分を守り、夫の領域に口出さないという夫の論理を実子は子を介して知り得た。夫のことが理解しがた. い、﹁無口さま﹂と見ている昔より、夫の論理を再認識できたことは彼女にとってむしろ成長を遂げたことと捉. えられる。再び先行研究が意識嘗てきた発表誌の性格に戻るが、﹁罪なきもの﹂を選び、﹁家族団攣﹂に資する. といった発刊の言葉より、﹁この子﹂は夫婦が円満を迎える物語と言われてきた。つまり、﹃日本の家庭﹄に発. 表するため、作品も発表誌の性格に迎合しなければならないというのはいままでの見解である。しかし、円満の. 一31一. 根拠とされる子供は、夫への再認識のきっかけをもたらしただけであることが右のような論証より明らかとなる。. 再認識に辿り着く過程において夫の論理に添う語り方をしているからこそ、物語が円満で﹁罪なきもの﹂のよう. に捉えられてきた。そして、そういう語りの仕掛けを通してこそ、実子の確固とした主張を読者に呈示できるの. である。﹁この子﹂は発表誌の性格に迎合し作り上げられた作品ではなく、実は﹁家庭一1婦人天職﹂という観点. による﹁家庭の風をさらに良くし、婦人の地位をさらに望むる﹂という雑誌の目的に対する否定を暗に内包して. いる作品である。さらに、婦人の地位を向上させる手段として、夫を媒介にして家庭外の領域に出ようとする実 子のあり様を読者に示そうという作意も組み込まれているのである。. ︵、1︶岩見照代・北田幸恵・関礼子・高田知波・山田有策編﹃樋口一葉事典﹄︵おうふう、 一九九六年︸ 月、. 注.
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