『まるごと かごしま学』資料編 解説文 日本一・オンリーワン・日本初
①鹿児島の日本一 パート 1
・離島面積・離島人口 鹿児島県には奄美群島はじめ数多くの離島がある。離島面積は約 2500 平方キロメートル、 人口は約 18 万 2000 人(平成 17 年 10 月時点)で面積・人口ともに日本一となっている。 鹿児島県全体の面積が約 9200 平方キロメートルだから、約 27.2%を離島が占めることに なる。 ・竹林面積 鹿児島県の竹林面積はおよそ 16,000 ヘクタールで日本一。中国原産の孟宗竹の伝来は諸 説あるが、琉球を経て薩摩藩に伝わったのが元文元年(1736 年)で日本初と鹿児島市の 仙巌園の碑文にある。 ・長~い村 トカラ列島とも呼ぶ十島村は、有人 7 島と無人 5 島を合わせて 12 の島々が連なっている。 最も北にある有人島の口之島から最も南にある有人島の宝島までの距離が約 130 キロメ ートルにも及ぶ日本一長い村である。2009 年 7 月 22 日には皆既日食が見られるが、十島 村は今世紀世界最長(悪石島で 6 分 25 秒)の観測ポイントとして注目を集めている。 ・菱刈鉱山 1985 年の出鉱開始以来 165 トン(2007 年 12 月末現在)の金を産出した日本一の金山。 かの有名な佐渡金山(既に閉山)の産金量はおよそ 83 トンといわれており、菱刈鉱山の 方が圧倒的に多い。鉱石1 トン中に含まれる平均金量は 40 グラムを超え、世界最高水準 ともいわれる品位(世界の主要金鉱山の平均金量は約 5 グラム)を誇る。現在も 1 年間 に7.5 トンの金を産出している。 ・大浪池 霧島連山には多くの火口湖があるが、その中でも大浪池は日本一標高が高いところにあ る火口湖である。火口壁の高さは標高 1,412 メートル、湖面の高さは標高 1,239 メート ルに位置している。直径 630 メートル、最高深度 12 メートルの正円形で、龍神が住むと②鹿児島の日本一 パート 2
・ツルの渡来数 出水平野を中心に、秋口になるとシベリアから越冬のためにツルが渡ってくる。平成 19 年から20 年にかけてやって来たツルは 1 万 2039 羽で、世界一の越冬地である。出水・ 高尾野地区で世界のナベヅルの大半、マナヅルの約半数が越冬していて、2 月初旬から北 へ帰っていく。11 年連続(平成 20 年現在)して 1 万羽以上が越冬している。 ・ウミガメ上陸数 海岸線が長く、美しい浜がたくさんある鹿児島県はウミガメの上陸数が日本一。平成 19 年は延べ 3400 頭のウミガメがやって来て、なかでも屋久島に半数以上が上陸した。鹿児 島県では昭和63 年に日本初のウミガメ保護条例を制定し、ウミガメの捕獲や卵の採取を 禁止している。 ・桜島だいこん 直径が20~30 センチ、重さが 10~20 キログラムもある大きなだいこん。肉質は柔らか く甘みがあり、ナマでも煮てもおいしい、まさに、だいこんの王様。平成15 年に生産さ れた重さ31.1 キロ、胴回り 119 センチの大物が「世界でもっとも重たいだいこん」とし てギネスブックに登録されている。 ・世界で一番環境にやさしいバラ園 鹿屋市の「かのやばら園」は、日本有数のバラ園で、8ヘクタールの園内に 4,000 種・ 50,000 株のバラが咲きほこる。バラは病気や害虫に弱いため薬剤を散布することが一般 的だが、同園では焼酎や酢を薄めたものを虫除け・殺虫剤として使用し、薬剤の使用を 75 パーセント減らすなど「世界で一番環境に優しいバラ園」づくりに取り組んでいる。③鹿児島の日本一 パート 3
・縄文杉 樹齢 7,200 年ともいわれる日本一長寿の杉で,昭和 41 年に発見された。幹まわり 16.4 メートル、樹高は25.3 メートルで、表面にはコブのような凹凸があり、屋久島の森の主 といった風格である。ちなみに、屋久島では、樹齢 1000 年以上のものを屋久杉とよび、 それ未満のものを小杉とよんでいる。1000 年未満で「小杉」とは何ともスケールの大き い話だ。 ・大クス 蒲生町の八幡神社境内にある大楠は根まわり33 メートルで日本一の巨樹である。樹高 30 メートル、幹回り 24 メートルで、樹齢は1500 年と推定され、国の特別天然記念物に指 定されている。怪鳥が羽根を広げたように枝ぶりがすばらしく、カメラに収まりきれな いほど大きい。 ・エドヒガンザクラ 大口市奥十曽には日本一大きいエドヒガンザクラがある。樹高 28 メートルで、樹齢は 600 年といわれている。何しろ大きいので、普通のサクラのように近くからではなく、やや 遠目から見るのが上手な眺め方。 ・大茶樹 霧島市牧園町には、昭和 12 年に国の天然記念物に指定された日本一の大茶樹があった。 残念ながらこの大茶樹は、昭和 20 年に枯死し、現在 2 代目の大茶樹が保存されている。 2 代目大茶樹は、明治の終わり頃に住民が 1 代目大茶樹を自宅に挿し木したもので、樹齢 120 年、樹高 4,5 メートル、枝張り 6 メートルの巨木となっている。現在は、霧島市役所 牧園支所内に移植されて、大切に保護されている。 ・大ソテツ 種子島の中種子町坂井神社にあるソテツは、樹高 8 メートル、樹長 12 メートルで日本一 大きいソテツといわれている。ソテツは漢字で蘇鉄と書くが、ソテツの木が弱ってきた ら釘を打ち込むと蘇ることがその名の由来とか。⑤惜しくも 2 位、3 位にエールを!
・鹿児島の源泉数、温泉湧出量 鹿児島県には約 2,800 の源泉があり全国第2位。県庁所在地別の温泉を使用した銭湯の 数では日本一となっている。360 円(平成 20 年3月時点)で気軽に温泉が楽しめる。ま た、総湧出量は大分県、北海道に次いで第3位であるが、人情のあったかさを加えると、 日本一!? ・活火山の数 鹿児島県には、桜島や霧島山、開聞岳など 11 の活火山があり、北海道、東京都に次 いで全国第3位。日本には、108 の活火山があるが、その1割以上が鹿児島県にある ことになる。ちなみに、地球上には、約 1,500 の活火山があるといわれている。 ・茶生産量 鹿児島県の茶の生産量は全国の 1/4 以上を占め、静岡県に次いで全国第 2 位。鹿児島の 茶の品種は「ゆたかみどり」「さえみどり」「あさつゆ」「やぶきた」「おくみどり」など 多種多様で、多彩な味と香りと色合いが楽しめる。うすいお茶をお客に出すのは失礼と いうことで、鹿児島では昔から「お茶と情は濃いごいと」と言われている。 ・海岸線の長さ 南北に長く離島の多い鹿児島県の海岸線は、北海道、長崎県に次いで全国で 3 番目に長 く、2,643 キロメートルもある。その長さは、北海道の宗谷岬から沖縄県の宮古島まで の距離にほぼ匹敵する。 ・ビワの栽培面積 天璋院篤姫が好きだったというビワ。鹿児島県の栽培面積は長崎県に次いで全国第 2 位。 皮はヘタの部分からむくより、反対側からの方がむきやすい。⑥鹿児島のオンリーワン
・天然砂蒸し温泉 指宿市の天然砂蒸し温泉は世界で唯一ここにしかない。後にキリスト教を伝えたザビエ ルの依頼を受けてポルトガル商人のアルバレスが 1547 年に書いた『日本報告』にも、人々 が砂蒸し温泉に入る様子が記されている。海岸に自然に湧く温泉を利用した砂風呂で、 健康と美容にいいと人気が高い。 ・ロケット打上げ施設 鹿児島県には、日本で唯一ロケット打ち上げ施設がある。種子島宇宙センターと内之浦 宇宙空間観測所で、鹿児島は宇宙に一番近い県ともいえる。主に、種子島からは技術試 験衛星や地球観測衛星などの実用衛星が、内之浦からは研究目的の天文観測衛星や惑星 探査機が多く打ち上げられている。 ・黒糖焼酎 黒糖焼酎は、その名のとおり黒砂糖を主原料にして造った焼酎である。旧大蔵省の通達 によって、日本広しといえども奄美群島だけで造ることが認められている。口あたりは 柔らかく、クセが少ない。芋焼酎とちがって、お湯割よりもロックや水割りで飲むのが 一般的。「生き薬」といわれる黒砂糖が原料なだけに、ぜいたくの極みといってよい。⑦鹿児島の日本初 パート 1
・鉄砲伝来の地 1543 年、種子島の南にある門倉岬に漂着した船に乗っていたポルトガル人が、日本に初 めて鉄砲を伝えた。戦場における新兵器として鉄砲が導入されると戦法が一変し、日本 の天下統一を大きく左右した。 ・キリスト教の伝来 鉄砲伝来から 6 年後の 1549 年、イエズス会の宣教師フランシスコ=ザビエルがキリスト 教布教のために第一歩を記したのは鹿児島市の稲荷川河口付近だった。島津家第 15 代当 主島津貴久がザビエルと会見し、キリスト教の布教を日本で初めて許可した。 ・日の丸発祥の地 日の丸の旗を船章(後に国旗)に制定しようと幕府に進言したのは、島津家第 28 代当主 島津斉彬である。斉彬は西洋式軍艦を建造し、この船に掲げる旗のことを考えていた時、 桜島から昇ってくる太陽を見て白地に赤丸の日章旗を思いついたとか。 ・国産軍艦第 1 号 幕末の薩摩藩は西洋諸国に脅かされることのないよう、軍事力の増強や海外との交易に 備えて、洋式帆船建造に力をそそいだ。日本初の本格的な洋式軍艦「昇平丸」は全長 27 メートル、幅 7 メートル、3 本マストの帆船で、10 門の大砲を備えていた。もちろん日 の丸も掲げてあった。⑧鹿児島の日本初 パート2
・新婚旅行第 1 号 幕末の風雲児坂本龍馬は、薩摩藩家老の小松帯刀と親しかった。京都伏見の寺田屋で傷 を負った龍馬は、小松のはからいで恋女房のおりょうと鹿児島へ来て、塩浸温泉や犬飼 の滝など霧島界隈を二人で旅した。龍馬が姉に出した手紙にはハネムーンを楽しむアツ アツの二人の姿が記されている。塩浸温泉には二人の銅像が建っている。 ・日本最初の国立公園 日本では 1931 年に国立公園法が施行され、1934 年に霧島が国立公園第 1 号の指定を受け た。指定実現に向け事前に招かれた与謝野寛(鉄幹)・晶子夫妻は、霧島を旅していろん な歌を詠んだ。それを企画したのは、鹿児島出身の出版社「改造社」の社長山本實彦で あった。 ・日本最初の世界自然遺産 第 1 号の国立公園指定から 59 年後の 1993 年、屋久島は日本初の世界自然遺産に登録さ れた。登録された主な理由は、亜熱帯から亜寒帯までの植物の垂直分布が見られ、人間 が利用しながらも独自の生態系が維持されてきたことである。 ・温州みかん発祥の地 温州みかんの「温州」とは中国の地名と同じであるため、中国が原産地と思われがちだ が、日本で生まれたみかんである。長島町が発祥の地で、ここから全国に広がっていっ た。ちなみに、シーボルトは温州みかんを「ながしま(Nagashima-mikan)」として海 外に紹介し、薩摩からアメリカに渡った苗木の「さつま(Satsuma)」が現在の英名とな っている。 ・回転式ソーメン流し 指宿市(旧開聞町)の唐船峡では、湧水を利用し竹樋でつくったソーメン流しが行われ ていた。当時助役だった井上廣則氏が水圧を利用した回転式ソーメン流し器を発明し、歴史ネタ
①遺跡や古墳を訪ねて、昔のことを知ろう
・上野原遺跡(国指定史跡) 霧島市上野原にある約 9,500 年前・縄文時代早期の日本最古・最大規模の定住集落跡。 竪穴住居、集石、連結土坑、土坑、道跡など多数の遺構が整然と配置されている。連結 土坑では肉の薫製が作られていたようだ。 ・指宿橋牟礼川遺跡(国指定史跡) 縄文土器は弥生土器よりも古いというのは今では常識だが、それを証明してくれたのが 指宿市の橋牟礼川遺跡である。大正時代に発掘が行われ、火山灰層の上から弥生土器、 下から縄文土器が見つかり時代区分が明らかになった。考古学上、画期的な発見であっ た。同じ場所から縄文と弥生の土器が出土するのは珍しく、それだけ生活しやすいとこ ろあったということだろう。 ・横瀬古墳(国指定史跡) 大崎町横瀬にある古墳時代中期の前方後円墳。現況で全長 132 メートル、後円部の直径 72 メートル、高さは 10.5 メートルある。県内では唐仁大塚一号墳に次いで 2 番目に大き い古墳で、5 世紀後半に造られた。志布志湾沿岸には飯盛山古墳、唐仁大塚古墳など、な ぜか巨大な前方後円墳が多い。畿内と早くから交流があった証しであろう。 ・広田遺跡(国指定史跡) 種子島の南種子町にある、弥生時代後期から古墳時代後期併行期にかけての集団墓地の 遺跡。太平洋に面した砂丘に、多彩な貝製品で副葬された人々が埋葬されていた。総数 44,000 個に及ぶ貝製品は中国文化との類似が指摘されるものもあり注目が集まった。 ・徳之島カムィヤキ陶器窯跡(国指定史跡) 伊仙町にある古窯群。東西 1.5 キロ、南北 800 メートルの範囲に約 100 基ほどが眠って いると推定されている。生産年代は 11 世紀後半から 14 世紀前半で、壺、瓶、鉢、椀、 水差しが出土しており、その流通範囲は、琉球列島全域から九州南部の南北 1,200 キロ にも及ぶ。窯跡は他地域で発見されておらず、徳之島が一大産地であったとされる。「カ ムィヤキ」とは、発見地の字名「亀焼」(地元の発音でカムィヤキ)にちなむ。・住吉貝塚(国指定史跡)
知名町にある縄文時代後期後半から弥生時代初期併行期の集落跡で、琉球石灰石を壁に 組み上げた南西諸島独特の竪穴住居や貝塚等が確認された。遺構の保存状態も極めて良 好で、竪穴住居構造の変遷をはじめ、出土する石器、装身具からは当時の生活の様子が うかがえる極めて重要な遺跡である。
②鉄砲伝来にまつわる話
・1543 年 西暦 1543 年(天文 12 年)種子島に鉄砲が伝来する。日本は室町時代だが、足利幕府の 力は弱く戦国武将たちが天下取りに躍起になっていた。鉄砲が伝えられたこの年、ヨー ロッパでは地動説を唱え近代天文学の父といわれたコペルニクスが亡くなった。 ・実は中国船 鉄砲を伝えたのはポルトガル人というのはよく知られているが、漂着した船は実はポル トガルの船ではなく中国のジャンク船だった。その船に乗り込んでいたポルトガル人が 鉄砲を持っていたというわけだ。 ・種子島時堯(たねがしまときたか) 異国の船が漂着したことを聞いて驚いたのは、種子島の島主であった種子島時堯。当時 15 歳くらいの時堯は好奇心旺盛な時期で、鉄砲 2 丁を 2000 両(現在の約1億円)で買い とった。ポルトガル人がもたらした破壊力抜群の鉄砲に目を丸くし、大いに興味をいだ いたのは想像にかたくない。 ・若狭姫(わかさひめ) 島主の命を受けて鉄砲の国産化に努めた刀鍛冶の八板金兵衛は、鉄砲の銃身の底を塞ぐ ネジ止め部分の構造がわからず、ポルトガル人に尋ねた。すると、金兵衛の娘の若狭が 自分の嫁になれば教えるという返事だった。若狭は父のために意を決して異国に嫁ぐ… 涙をさそう伝説である。③キリスト教にまつわる話
・1549 年 キリスト教を伝えるために、フランシスコ=ザビエル一行が鹿児島市の稲荷川河口に上 陸したのは、鉄砲伝来から 6 年後の 1549 年(天文 18 年)のこと。上陸したザビエル一 行は、島津の丸に十の字の家紋がキリスト教の十字架にそっくりだったので、さぞや驚 いたのでは? ・フランシスコ=ザビエル スペインのナバラ生まれのザビエルはパリ大学を卒業後、イエズス会を仲間と創設し東 洋での布教活動に乗り出した。多くの人々をキリスト教信仰に導き、日本でも鹿児島に 上陸すると、大分、山口などへ積極的に出向いて行った。 ・島津貴久(しまづたかひさ) 島津貴久は島津家第 15 代当主で、「島津の英主」とたたえられている。鹿児島にやって 来たザビエルと会見しキリスト教の布教許可を出したが、寺社や国人こくじん衆の反対が激しか ったことや、期待したほどに南蛮船が訪れず交易が拡大しなかったことなどから、後に 布教を禁止している。 ・ザビエル記念聖堂 正式には、鹿児島カテドラル・ザビエル記念聖堂という。初代の聖堂は、1908 年に建て られた日本初の本格的な石造りの聖堂だった。しかし戦争で焼失し、二代目は 1949 年に 木造で建てられた。現在は三代目で、ザビエル渡来 450 年を記念し建てられたもので、 ザビエルが乗ってきた帆船をイメージした鉄筋コンクリート造の聖堂である。④薩摩藩のあれこれ
・外とじょう城制度 薩摩藩では領内を 113 の区画に割り、それぞれに地頭仮屋を設け周囲に「 麓ふもと」という武 士集落をつくってその地域の行政を管轄させた。これを外城制度という。いざという時 には、麓の武士団が中心となって軍団を結成して事にあたる仕組みだった。 ・武家屋敷 薩摩藩の武家集落の面影をとどめ、静かなたたずまいを見せる武家屋敷群。薩摩藩の外 城の重要な屋敷兼陣地であり、出水や知覧、入来など県内のいたるところに残っている。 とりわけ出水の武家屋敷群は肥後との国境に近いこともあって規模が大きく風格がある。 知覧の武家屋敷群は庭園が見事であり、入来は清色城跡と一体となった歴史的景観がす ばらしい。 ・郷中ごじゅう教育 外城制度が完成すると、藩士を二才(10 代半ば~20 代半ば)と稚児(6,7 歳~10 代半 ば)に分けて、先輩が後輩を集団で教育する郷中教育に発展した。心身を鍛え、規律を 重んじ、「負けるな、嘘を言うな、弱い者をいじめるな。」を是とした教育を行った。 ・関所 薩摩藩は他藩に比べて監察制度が厳しかった。出水筋には野間関、大口筋には小川内関、 そして高岡筋には去川関を置いて、出入国の手形検査を行った。領内に危険な人物や物 が入ることを阻止し、領内の産品や情報の流失を防ぐなど関所は様々な面で統制機能を もっていた。 ・示現流(じげんりゅう) 一の太刀を疑わず、二の太刀は負け。薩摩の必殺剣と恐れられた示現流は、一切の心の 迷いを断って敵に立ち向かう。ひと太刀のもとに勝負を決することを旨とした実践のみ を想定した剣術である。現在も鹿児島市東千石町に示現流史料館があり、道場を併設し、 稽古を行っている。⑤藩主にして科学者であった斉彬の功績
・反射炉 島津家第 28 代当主島津斉彬は大砲を造るために反射炉の建設に取り組んだ。日本では佐 賀藩がすでに着手していた。1 号炉が失敗した時、斉彬は「西洋人も人なり。佐賀人も人 なり。薩摩人も同じく人なり。退屈せずますます研究すべし」と言って励まし、その後 2 号炉を完成させたという。 ・ガラス工場 薩摩藩のガラス製造は、島津家第 27 代当主島津斉興が江戸からガラス職人を招いて、薬 ビンを造らせたことに始まる。後を継いだ島津斉彬は着色ガラスを研究させ、透明ガラ スに色ガラスを被せ、カットを施す「薩摩切子」というガラス工芸品を生み出させ、「薩 摩紅ガラス」として珍重された。 ・ガス灯 仙巌園の中にある鶴燈籠と呼ばれる大きな石灯籠に日本で初めてガスの灯がともった。 島津斉彬は学者にガス灯の用法を書いた蘭書を翻訳させ、磯別邸にガス室を設置。安政 4年(1857 年)8月、園内の鶴燈籠をはじめとする石燈籠に点火した。 ・大砲 島津斉彬の側近であった市来四郎は、安政4年(1857 年)に鉄製 150 ポンド砲の鋳造に 成功したと書き残している。150 ポンドとは砲弾の重量のことで約 70 キロ、この弾丸を 約3000 メートル飛ばすことができたという。仙巌園には、150 ポンド砲のレプリカが展 示されている。 ・軍艦 島津斉彬は嘉永4(1851 年)に洋式帆船づくりを始めた。3 年後には三本マストの「伊 呂波丸」を完成。その後、わが国初の洋式軍艦「昇平丸」を、さらに日本初の蒸気船「雲 行丸」を完成させた。いずれも翻訳書をたよりに日本人だけで成し遂げた偉業だった。⑥やっぱり幕末・維新がおもしろい
・西郷 隆盛(1827-1877) 下級武士出身であったが,島津家第28 代当主島津斉彬に才能を見いだされて幕末維新期 に活躍。薩長同盟や戊辰戦争,江戸城無血開城など新政府樹立のために力を尽くした明 治維新の功労者。朝鮮使節派遣問題で大久保利通らと意見が対立し,鹿児島に帰り私学 校を設立。西南戦争で薩軍の将に担がれ,最後は城山での自刃をもって 7 か月に渡る戦 いに終止符が打たれた。座右の銘は,「敬天愛人」。 ・大久保 利通(1830-1878) 西郷隆盛とともに新しい国のかたちをつくった。薩英戦争後の交渉では,最前線に立っ て難局を乗り切り,中央政界で活躍する。岩倉使節団の副団長として欧米を訪問し,帰 国後,国内産業の近代化に力を尽くした。1878 年,暴漢によって暗殺される。その死は, 翌々日には,ロンドンタイムズ紙にも掲載され,日本の近代化に無二の人物を失ったと 評された。 ・天璋院 篤姫(てんしょういん あつひめ)(1835-1883) 今和泉島津家に生まれ、島津斉彬の養女となり、1856 年第 13 代将軍徳川家定(とくが わいえさだ)の御台所となる。しかし、わずか 1 年半で家定が世を去り、落飾して天璋 院と号した。江戸城の無血開城に尽力し、生涯、徳川家の立場を貫いて,徳川家16 代徳 川家達(とくがわいえさと)の養育につとめた。 ・小松 帯刀(こまつ たてわき)(1835-1870) 1861 年に島津久光の側役となり、翌年 28 歳で薩摩藩家老の大役に就いた。坂本龍馬と 親しく、京都にあった小松私邸で薩長同盟の成立に臨席。第15 代将軍徳川慶喜に大政奉 還を勧告するなど、新政府発足に力を尽くした。天璋院篤姫と同じ年生まれで「幻の宰 相」と呼ばれる維新の実力者だった。・寺島 宗則(てらしま むねのり)(1832-1893) 島津斉彬の侍医を務め、集成館事業で洋書の翻訳を手がけた。1861 年に福沢諭吉たちと 幕府の遣欧使節団の一員として渡欧し、4 年後に薩摩藩英国留学生を引率した。維新後は 不平等条約改正に尽力。医師、通訳、外交官として多彩な活躍をした。 ・川路 利良(かわじ としよし)(1834-1879) 日本の警察制度の創設者である。1864 年の禁門の変で西郷隆盛に認められ、明治の新政 府では治安の近代化を担った。フランスの警察制度を学んで帰国し、1874 年に東京警視 庁の初代大警視(現在の警視総監)を務める。故郷の鹿児島市皆与志には「大警視」と いうバス停がある。 ・大山 巌(おおやま いわお)(1842-1916) 西郷隆盛のいとこにあたる。3 度の渡欧で兵学を学び、日本陸軍を創設した。1885 年、 日本初の内閣である伊藤博文内閣で初代陸軍大臣に就任。また、日露戦争の時は、満州 軍総司令官として、当時世界最強といわれたロシア軍を奉天で破った。 ・東郷 平八郎(とうごう へいはちろう)(1847-1934) 薩英戦争で海防の必要性を感じ、新政府では一貫して海軍の前線に立った。日露戦争で は連合艦隊司令長官として、ロシアのバルチック艦隊を日本海で撃破し世界を驚かせた。 東洋のネルソンとたたえられ、鹿児島市の多賀山公園に銅像が建っている。
⑦わくわくする近代化遺産
・尚古集成館 島津家第28 代当主島津斉彬が、現在の鹿児島市磯地区に築いた近代的工場群を総称して、 集成館という。尚古集成館は、斉彬の集成館事業を継承した久光親子によって1865 年に 建てられた石造りの機械工場を、大正時代に博物館として改装したもの。日本に現存す る最古の洋風工場建築である。 ・曽木発電所跡 大口市曽木の滝下流の大鶴湖の湖底にある産業遺産。「電気化学工業の父」と称された野 口遵(のぐちしたがう)によって明治42 年に建設された。昭和 40 年の鶴田ダム完成に より湖底に沈んだが、水位が下がる5月から9月にかけて、中世ヨーロッパの居城を思 わせる煉瓦造りの建物が姿を現す。余剰電力の活用策として、日本カーバイド商会(チ ッソの前身)水俣工場に電力を供給したことから、日本の電気化学工業発祥の地ともい われている。 ・串木野金山 万治元年(1658 年)に藩命によって山を開き、金の採鉱が始まった。一時期は、日本一の 産金量を誇り、7000 人余りの人が採掘に関わっていたという。現在、坑道の一部は焼酎 の仕込場や貯蔵庫として利用され、焼酎のテーマパークとなっている。 ・嘉例川駅(かれいがわえき) 霧島市嘉例川にあるJR九州肥薩線の駅。1903 年開業。駅舎は開業当初からの木造建築 で県内の駅舎としては大隅横川駅舎と並び最古。天井には電気配線や開閉器がそのまま 残されている。観光特急「はやとの風」も停車し、レトロな駅舎が人気を呼んでいる。 ・凱旋門 日露戦争に従軍した山田村(現在の姶良町山田)の人々の無事帰還を記念して 1906 年に 造られた。石造のがっしりとした外観で、アーチの部分には「凱旋門」の文字が刻んで⑧知ってる?鹿児島との意外な縁
・北海道(村橋 久成(むらはしひさなり) 薩摩藩英国留学生だった村橋久成は、帰国後北海道開拓使に採用された。1875 年ビール とワイン醸造所を札幌に設立。日本初の本格的ビールは、薩摩人の手によって生まれた。 北海道知事公館前庭には村橋の胸像が建っている。焼酎の国のビール王である。 ・東京(勝 海舟) 江戸が火の海と化すかもしれないという1868 年 3 月、旧幕府代表の勝海舟は、新政府を 代表する西郷隆盛を訪ねて談判し、江戸城無血開城を実現。勝と西郷とは以前からお互 いの胸のうちを知り尽くした仲で平和裏にことを運んだ。西郷の墓がある鹿児島市の南 洲墓地には、愛する私学校生徒に身を委ね生涯を閉じた亡友のために勝海舟が詠んだ歌 碑が建っている。「ぬれぎぬを 干そうともせず 子供らが なすがままに 果てし君かな」 ・京都(西郷 菊次郎) 西郷隆盛が奄美大島でめとった愛加那との間に生まれたのが西郷菊次郎で、京都市長を 務めた。当時の京都は経済都市としての発展が伸び悩んでいて、菊次郎は京都市百年の 大計として土木工事を進めた。 ・高知(坂本 龍馬) 坂本龍馬は鹿児島の地を 2 度ほど訪れている。一度は薩摩藩家老小松帯刀のはからいで、 恋女房おりょうとの新婚旅行を楽しんでいる。傷を癒す目的もあって霧島方面で長逗留 しているが、犬飼の滝の美しさや高千穂峯で天の逆鉾を引き抜いたことなどを姉の乙女 宛の手紙に書いている。 ・岐阜(平田 靱負(ひらた ゆきえ)) 1753 年、幕府は薩摩藩に木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)の治水工事の普請を命じ、 翌年、家老の平田靱負は総奉行として堤防の築造を行った。しかし、84 人の犠牲者を出 し、また費用もかさんだため、平田は責任をとって自害。現在でも岐阜の人たちは、薩・大阪(五代 友厚(ごだい ともあつ))
五代友厚は 1865 年に薩摩藩留学生を率いて欧州諸国を巡見した。明治維新後、大阪商法 会議所をつくり初代会頭に就いて鉄鋼や貿易会社の設立を支援。大阪商業講習所(現在 の大阪市立大学)の創設などに尽力し、「大阪の恩人」と呼ばれた。
食ネタ
①鹿児島の食
・鶏飯(けいはん) 藩政時代、奄美の人々が薩摩の役人をもてなすために鶏を使った料理を出したのが始ま りといわれている。熱々のご飯を椀に盛り、細かく裂いた鶏のささみ、甘辛く煮たせん 切りのしいたけ、錦糸卵、パパイヤの漬物のみじん切り、薬味の島みかんの皮などをの せ、鶏ガラスープをかけていただく。 2007 年 12 月に農林水産省が選定した「農山漁村 の郷土料理百選」に、きびなご料理、つけあげとともに選ばれた。 ・豚骨料理 薩摩武士が戦場や狩り場で作ったのがはじまりといわれている。豚の骨付き肉を鍋に入 れ、焼酎、黒砂糖、味噌などを加え、だいこん、にんじん、こんにゃくなどと一緒にじ っくり煮込む。こってりとして濃厚な味わいが食欲をそそる鹿児島を代表する郷土料理 である。 ・さつますもじ 「すもじ」とは、すしのことで、ひな祭りなどお祝い事の料理としてよく作られるばら ずしの一種。鹿児島のすしには「酒ずし」と「さつますもじ」があり、「酒ずし」が上 級武士の豪華な料理であったのに対し,「さつますもじ」は、入手しやすい旬の食材を 用い、庶民に親しまれてきた料理である。 ・きびなご ウルメイワシ科の魚で体長 10 センチほどしかない。手で開いて酢みそで味わう「きび刺 し」が定番料理で、器に盛られた時の輝くような銀白が美しい。天ぷらにしたり、焼い てもおいしい。鹿児島近海でよくとれ、甑島や種子島が主な産地。その美しい姿は「黒 潮の涙」ともいわれている。 ・さつまあげ さつまあげのことを鹿児島ではつけあげと呼ぶが、琉球料理の「チキアーギ」(魚のすり 身を油で揚げたもの)が薩摩に伝わり「つけあげ」になったといわれている。 エソ、アジ、イワシなどをすり身にし、豆腐や卵などを加えて揚げる。焼酎の肴にはも ってこいの郷土料理である。・白熊 かき氷に練乳をかけ、バナナ、メロン、スイカ、サクランボといった果物や甘納豆など を飾り付けて食べる。名前の由来は諸説あるが、始まりの頃に用いた練乳の容器にホッ キョクグマ(白熊)のデザインを施してあったからという説や、真上から見るとシロク マの姿に似ているからといった説などがある。 ・両棒餅(じゃんぼもち) 直径 4~5 センチほどの平たく伸ばした餅に二本の竹串を打つ。これを炭火で焼き、黒砂 糖にしょう油や味噌などを合わせて煮詰めたあんをかけて食べる。武士は大小の刀を腰 に差しているが、その姿を模したものといわれている。
②黒といえば、鹿児島
・かごしま黒豚 かごしま黒豚は、約400年前に琉球(沖縄)から移入されたといわれ、長年にわたり 県内で飼育されてきた。前足2本、後ろ足2本、鼻、しっぽの6か所に「六白(ろっぱ く)」と呼ばれる白班が特徴のバークシャー種で、肉質は繊維が細やかで軟らかく、光沢 と弾力がある。「黒豚といえば鹿児島」といわれるほど、全国的にも評価が高い。 ・鹿児島黒牛 薩摩の地に古くから飼われていた在来の牛が伝統と風土に育まれながら長年にわたり改 良されて完成された黒毛和牛。きめ細かなやわらかい肉質とバランスの良い霜降り(サ シ)肉が特徴。鹿児島県の黒毛和牛の生産量は日本一を誇る。 ・クロマグロ 奄美大島南部の大島海峡や甑島、南さつま市の野間池では、クロマグロの養殖が行われ ている。鹿児島県のクロマグロの養殖生産量は、国内生産量の5割を占めている。直径 が 40 メートルほどもある巨大ないけすでクロマグロは養殖され、日本全国へと送られて いく。 ・黒酢 昔ながらのカメ仕込みを守っている霧島市の黒酢は、健康志向の広がりとともに全国的 に人気が高まっている。原料は米、麹、水のみ。南国の陽光とカメに住み着いた微生物 がほどよく醗酵を促し、たっぷり 1 年以上かけてまろやかに熟成させる。平成 2 年に、 ふるさと認証食品制度の全国第 1 号として認証された。 ・黒砂糖 奄美大島や種子島等で生産されるサトウキビを原料にして作られる。サトウキビの絞り 汁をそのまま加熱し、濃縮したものを冷やし固める。製造している島や製造元によって 風味が微妙に異なり、自分好みの味を見つけるのも楽しい。 ・黒茶家(くろぢょか) 黒茶家とは焼酎を入れる酒器。お茶の急須を平べったくしたような形で、アケビのかず らなどで作った持ち手がついている。黒茶家をとろ火であたためながら猪口で飲むのが③焼酎を飲みながら、うんちくをどうぞ
・おいしい飲み方 焼酎はお湯割りでもロックでもいいし、水割りでも飲める。割る割合は 6 対 4 とか 5 対 5 とかお好み次第。お湯割りの時は、お湯を先に入れてから焼酎を入れた方がよく混ざる のでおいしくいただける。水で割ったものをひと晩なじませて、翌日に燗をつけると、 より一層うまい! ・血液サラサラ 焼酎には、脳梗塞などの血栓症の予防効果がある。血栓を溶かして、血液をサラサラに する血栓溶解酵素を活性化する能力が、健康にいいといわれる赤ワインの 1.5 倍もある。 特に納豆をつまみに焼酎を飲むと、血栓を溶かす働きがますます強くなる。でも、高い 効果が期待できるのはお湯割りでコップ 2 杯程度まで。飲み過ぎると効果がなくなって しまうから要注意! ・本格焼酎の日 11 月 1 日は本格焼酎の日である。本格焼酎を広くPRするため設けられたが、通常、8 月ぐらいから仕込みが始まり、その年の本格焼酎ヌーボー(縁起のよい新酒)が飲める ようになるのが 11 月 1 日前後になることから決められた。 ・季語 あまり知られていないが、焼酎は夏の季語である。江戸時代の百科事典『和漢三才図会』 には、焼酎を飲めば夏の疲れが回復する=夏バテ防止の酒として愛飲されていたことが 記されている。夏の季語だが、夏はロックで、冬はお湯割りでなどなど、一年を通じて 楽しめるのが焼酎の魅力の一つ。 ・ナンコって何? ナンコ盤を前に二人が向き合い、お互いが長さ 10 センチほどの細長い棒 3 本を後ろ手に 隠す。気合いとともに右手を突き出し、二人合わせて何本かを言い当てる酒席のゲーム。 負けた方が、猪口にそそがれた焼酎を飲み干すのが慣わし。高知の「箸拳」など他県に も同じような座興がある。 ・そらきゅう 三角錐の猪口で、底がとんがっている。焼酎をそそいでテーブルの上に置くとこぼれる生物ネタ
①県の木・鳥・花
・カイコウズ 南米原産で、緑の葉と赤い花弁が鮮やかなコントラストをみせる。温暖な本県の気候や 風土によく合ってすくすく育つ。姉妹県である岐阜には 35kmにわたってカイコウズが 植えられた「薩摩カイコウズ街道」がある。昭和 41 年県木に指定。 ・クスノキ 蒲生八幡神社の大クスをはじめ、県内には樹齢の古いクスノキがたくさんある。クスノ キは防腐、防虫効果に優れ、江戸時代、長崎からオランダに輸出されていた樟脳(クス ノキから採れる無色半透明の結晶)は、ほぼ 100%薩摩産であった。昭和45 年県木に指 定。 ・ルリカケス 奄美大島、枝手久島、加計呂麻島、請島に生息する羽がるり色の美しいカラス科の鳥。 羽毛や標本目的の乱獲により生息数が激減したため、大正10 年に国の天然記念物に指定。 現在は植林作業等により生息地を保護する対策が取られている。昭和40 年県鳥に指定。 ・ミヤマキリシマ 九州に自生するツツジ科の花で、鹿児島県では霧島山系を中心に自生し赤・紫・白の花 が初夏の山々を彩る。山麓から中腹~山頂に向かって咲きすすみ、最盛期には山々はま るでジュウタンを敷き詰めたかのように美しい。昭和 29 年県花に指定。②鹿児島の希少生物
(この項目の生物はすべて環境省のレッドリストでは、絶滅危惧種に選定) ・アマミノクロウサギ 奄美諸島の奄美大島と徳之島だけに生息している。目と耳が小さく、四肢も短いのが特 徴で、全身黒い体毛につつまれている。ウサギ科では最も原始的な種である。国の特別 天然記念物に指定。 ・リュウキュウアユ 奄美大島と沖縄本島だけに生息している。沖縄ではすでに絶滅したため、奄美大島から 移植された個体群を放流している。奄美大島では住用の川内川、役勝川などに棲み、暖 かくなると川を遡上する。本土のアユに比べて背びれ全体が長い、ウロコが粗いなどの 特徴がある。 ・オオトラツグミ 奄美大島だけに生息する貴重な鳥。全長は雄32 センチ、雌 26 センチ程度、翼の長さは およそ 160 センチもある。トラの模様に似ているためにオオトラという名前が付いたと か。国の天然記念物に指定。 ・アマミヤマシギ 奄美大島、加計呂麻島、徳之島などに生息する日本固有のシギ類。全体にずんぐりした 体形で尻尾と脚は短い。嘴は太くて長く、先の方が少し下に曲がっている。スダジイな どの常緑広葉樹林内に生息し、湿った薄暗い環境を好み巣は地上に作る。 ・ケナガネズミ 奄美大島、徳之島、沖縄本島にしか分布しておらず、学術的にも貴重な動物。ケナガネ ズミは日本産ネズミ類の中でもっとも大きく 23~33 センチあり、胴体より長く太いしっ ぽをもっている。体毛は黄褐色で 5~7 センチの長い毛が混じっている。国の天然記念物 に指定。・オビトカゲモドキ 徳之島だけに生息している。ヤモリの仲間で体長65~81 ミリ。主に山間部に生息し、夜 行性で生態は分からないことが多い。県の天然記念物に指定。 ・オットンガエル 奄美群島の固有種で、5 本指の珍しいカエル。両生類は前足の指が 4 本だが、オットンガ エルは第 1 指の内側に拇指がある。拇指の中に骨質の棘があり、危険を感じる時などに 突出する。外来種のマングースの侵入により、生息環境が悪化してきている。県の天然 記念物に指定。 ・イシカワガエル 奄美大島と沖縄本島だけに生息している。大きさはオスが約 88~106 ミリ,メスが 105 ~117 ミリで、指先の吸盤が大きく発達している。奄美大島と沖縄本島のものでは体色が 若干異なるが、奄美大島のものは黄緑色の地色に黒褐色斑紋が散らばり、日本でもっと も美しいカエルともいわれている。県の天然記念物に指定。 ・ベッコウサンショウウオ 阿蘇山から紫尾山系にかけての標高約 500 メートル以上の高地に生息する。体背面は名 前のとおり、光沢のあるベッコウ色をしており、日本産サンショウウオ類の中で最も美 しいといわれている。 ・ベッコウトンボ 国際的に重要な湿地として保全される「ラムサール条約湿地」に登録された藺牟田池に 生息する。体長約38 ミリで、アメ色の体に四隅に黒い斑点がある羽をもつ。
土地ネタ
①鹿児島のシンボル桜島のことを調べてみよう
・桜島の名前の由来 神話に登場するコノハナサクヤヒメからとったという説や10 世紀中頃に大隅守として赴 任してきた桜島忠信の姓からとったという説、それに、古代の桜島大噴火の時に海面に 桜の花びらが舞ったので桜島となったという説などがある。桜島と呼ばれるようになっ たのは江戸前期の元禄時代から。それ以前は「向 島むこうじま」と呼んでいた。 ・大正3 年の噴火で陸続きに… 桜島は大正 3 年に大爆発を起こした。それまでは錦江湾に浮かぶ島だったのだが、爆発 によって溶岩で瀬戸海峡が埋めつくされ、大隅半島と陸続きになった。爆発によって、 なんと30 億トンの溶岩が流れ出たといわれている。 ・昔は山頂まで登れた 大正3 年の大爆発以降は穏やかで、頂上までの登山も可能だった。昔は桜島登山リレー が盛んに行われ、昭和21 年の昭和の大噴火の後も、南岳を駆け登る登山リレーが行 われたとか。ところが、昭和30 年に再び噴火した際に北岳で死傷者が出たので、それか ら登山禁止となった。ちなみに大久保利通も登ったことがある。 ・燃ゆる思ひ 「我むねの 燃ゆる思ひにくらぶれば 煙は薄し 桜島山」 桜島を読んだ歌として有名な一首。実は、この作者は鹿児島の人ではなく、元福岡藩 士で幕末の勤王の志士、平野国臣である。一見恋の歌かとも思えるが、「燃ゆる思ひ」 とは勤王の志のことで、苦心して薩摩に入ることに成功するが、結局退去させられる ことになった平野国臣が、薩摩人の勤王の志が自分に比べると薄いと、失意のうちに 詠んだ歌といわれている。 ・桜島フェリー 鹿児島港と桜島港の約 3.5 キロをおよそ 15 分で結ぶ桜島フェリー。錦江湾を 24 時間休 みなく運航し、乗船客の多い時間帯は 10 分おきに出航。人、車の輸送量ともに日本一を 誇る。船内には展望室や軽食コーナーなどがあり、雄大な桜島を眺めながら食べる名物②世界自然遺産の島 屋久島
・植生の垂直分布 屋久島には,世界自然遺産に登録された屋久杉や照葉樹の豊かな森が広がっている。海 岸のマングローブから,標高約1000メートルまでの照葉樹林帯,約1800メート ルまでのスギ樹林帯,山頂付近の草原帯など,南から北の植物へと植生が変化する垂直 分布が見られる。 ・ひと月に35日雨が降る ひと月に35日雨が降ると小説家林芙美子が小説「浮雲」に書いたように,屋久島はと ても雨の多い島である。年間降水量は平地で4,000 ミリ前後,山岳部では 8,000~10,000 ミリで,鹿児島市の約2,200 ミリと比較するといかに多いかわかる。 ・南の島に雪が降る マングローブやガジュマルなどが見られる海岸や平地は,年間平均気温約 20℃の亜熱帯 北端の気候である。しかし,標高 2,000 メートル近い宮之浦岳の山頂部は,年間平均気 温が6~7℃と推定され,北日本と同じような気候で,冬期には数ヶ月も雪に覆われる。 ・シカ2万,サル2万? 昔から屋久島では俗に,鹿2万,猿2万といわれてきた。ヤクシカはニホンジカの亜種 で,ヤクザルはホンドザルより小さい。ヤクシカは約3,000~6,000 頭,ヤクザルは約 4,000 ~6,000 頭が生息するとみられるが,確かな頭数はわかっていない。 ・エコツーリズムの先進地 昔から人々が自然とうまくかかわりあいながら暮らしてきた屋久島。豊かな自然環境の 保全に配慮しながら,固有の自然や文化にふれあうエコツアーが盛んに行われている。 環境省からエコツーリズムのモデル地区として指定され,地域ぐるみの協議会の設立や ガイドの登録制度に取り組むなど,先進的な取組が行われている。③長寿・子宝・癒しの島 奄美
・長寿世界一 奄美の徳之島の伊仙町からは、ギネスブックが認めた長寿世界一が二人出ている。一人 は泉重千代さんで、慶応元年(1865)生まれの重千代翁は人類初の大還暦 120 歳の長寿 だった。もう一人は、本郷かまとさんで、明治 20 年(1887 年)生まれで 116 歳の長寿だ った。 ・長寿の島 人口10 万人あたりの 100 歳以上の人数は、全国平均では 25 人だが、奄美では、なんと 95 人もいる。長寿が多い要因としては、海洋性のエアロゾル(大気中に含まれる微粒子) に多く触れる居住環境、温暖で豊かな自然環境、多様で豊富な食材、ゆったりとした生 活リズム、島唄・島踊りなど生活に密着した伝統・文化、豊かな人情などがあげられる。 ・子宝の島 合計特殊出生率は、全国平均の1.36 に対し、奄美では 2.07 と非常に高く、全国市町村ラ ンキングの上位10 位以内に、天城町(2 位)、伊仙町(4 位)、和泊町(6 位)、徳之島町 (7 位)の 4 町がランクインしている。子宝の要因としては、「子は宝」といった価値観 や結(ユイ)の精神に基づく地域ぐるみで子育てをする気風・文化などがあげられる。 ・花粉症のない島 5 人に 1 人が罹り、今や国民病とまでいわれるスギ花粉症。奄美にはスギがほとんどない ため、「花粉症のない島」ともいわれている。実際に行われたモニターツアーでは「飛行 機の中でもマスクをしていたが、奄美についてからは症状が出ない。花粉シーズンには 短期でも移住したい。」との意見も聞かれたほど。避暑地ならぬ「避粉地」として注目を 集めている。 ・金メダルの島 スポーツ合宿・キャンプの受入れが盛んな奄美だが、シドニーオリンピック女子マラソ ン金メダリストの高橋尚子が、たびたび合宿に訪れるのが徳之島。徳之島には、天城町 と徳之島町にまたがる周回31 キロのロードコース「尚子ロード」がある。また、アテネ オリンピック金メダリスト野口みずきも、毎年のように奄美大島で合宿を行っている。 縁起のいい奄美で合宿すれば、好成績間違いなし!?④映画やTVドラマのロケ地がいっぱい
・男はつらいよ 渥美清主演・山田洋次監督の映画シリーズ。全 48 作あるが、うち 3 作で鹿児島ロケが行 われた。第 3 作『男はつらいよ フーテンの寅』(霧島神宮)、第 34 作『男はつらいよ 寅 次郎真実一路』(枕崎市、指宿市)、第 48 作『男はつらいよ 寅次郎紅の花』(加計呂麻 島)である。最終作となる『寅次郎紅の花』では、諸鈍の集落やディゴの並木などが詩 情豊かに描かれていた。 ・Drコトー診療所 離島医療に情熱をかけ、命の尊さに執着する青年医師、五島健助の熱い闘いを描くTV ドラマ『Drコトー診療所』は、薩摩川内市下甑手打診療所の瀬戸上医師がモデルであ る。2003 年、2004 年、2006 年に放映され人気を呼んだ。 ・ホタル 太平洋戦争末期、知覧からは特攻機が南の海へと飛び立っていった。戦争の悲劇、空しさを 描いた作品(2001 年公開)。垂水、知覧、開聞など鹿児島を舞台に物語が描かれ、多くの 人に感銘を与えた。 ・もののけ姫(映画) 宮崎駿監督のアニメ大作(1997 年公開)。森を守ろうとする森の獣たちと、獣たちの長であ るシシ神を倒そうとする人間たちの壮絶な戦いを描いている。シシ神の森を描くにあたって 屋久島の白谷雲水峡などを取材したことから、白谷雲水峡は「もののけ姫」の森のモデルといわ れている。 ・海猿(うみざる)(映画、TV) 「カイホ」(海上保安庁)の名前を一躍有名にした海猿シリーズ。若き潜水士候補生の友 情、恋、挫折、試練、成長が描かれた。完結編となる映画『LIMIT OF LOVE 海猿』(2006 年公開)は、全編にわたって錦江湾をはじめ鹿児島の美しい海が登場した。⑤いにしえの道を歩こう
・龍門司坂(たつもんじざか) 加治木町にある苔むした石畳の坂。江戸時代の主要幹線「大口筋」の一部で、全長が 1.5 キロメートルの急勾配の坂道であったが、現在は約 500 メートルが当時の姿で残ってい る。NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」や「篤姫」のロケ地にもなった。文化庁の「歴史 の道百選」に選定されている。 ・白銀坂(しろかねざか) 姶良町脇元から鹿児島市牟礼ヶ岡に至る石畳の坂道。江戸時代の主要幹線「大口筋」の 一部で、現在は、2.7 キロメートルが残っている。高低差は 300 メートル以上にもなる。 中腹には「七曲り」といわれる急勾配があり、今でも当時の面影を残している。文化庁 の「歴史の道百選」、国土交通省の「歴史国道」に選定されている。 ・野間関所跡 出水市にある関所跡。江戸時代の主要幹線「出水筋」にあり、大口筋の小河内関(こが わちぜき)、高岡筋の去川の関(さるかわのせき)と並んで、薩摩藩の三大関所といわ れていた。中でも、薩摩と肥後の境にあった野間関は、最も監視の厳しい関所として他 国にも聞こえていたという。 ・亀割峠 霧島市国分敷根から福山に通じる坂道にある峠。福山の名産・黒酢を瓶壺に入れてこの 峠を越えていたが、七曲がりの峠でよく瓶壺が路上に落ちて割れたことから、「亀(瓶) 割」の名がついたといわれている。現在は、国道 220 号の一部となっており、亀割峠の バス停が存在する。ちなみに、国道 10 号の検校橋~牧ノ原間の坂を亀割峠と呼んでいる 場合もあるが、こちらは正式には、亀割バイパスである。⑥列車の旅もいい
・肥薩おれんじ鉄道 鹿児島県の川内駅から熊本県の八代駅まで 116.9 キロを約 3 時間で結ぶ第三セクター鉄 道。風光明媚な海岸線が連なり甘夏みかんやボンタンなど柑橘類の産地を走る鉄道をイ メージして名付けられた。沿線には個性豊かな観光スポットもあり、新幹線にはない各 駅停車の旅を楽しめるもの肥薩おれんじ鉄道の魅力だ。 ・肥薩線 鹿児島県の霧島市隼人と熊本県の八代を結ぶ。旧鹿児島本線より 19 年も早く 1908 年に 全線開通した。途中の吉松~人吉間では、「いさぶろう号」・「しんぺい号」という名の観 光列車が運転されている。名前の由来は同区間を建設した当時の逓信大臣山縣伊三郎、 開業当時の鉄道院総裁であった後藤新平にちなむ。 ・指宿・枕崎線 JRの中でもっとも南を走る路線で、鹿児島中央駅と枕崎駅を結んでいる。錦江湾沿い に南下し、指宿から東シナ海沿いに西へ向かう。JR最南端の駅「西大山駅」もあり、 車窓からは「薩摩富士」ともいわれる開聞岳の美しい姿が楽しめる。 ・日豊本線 日豊本線は鹿児島駅を出て、宮崎~大分~小倉と九州の東海岸を走っている。鹿児島駅 を出てから見えてくる錦江湾沿いの姶良カルデラ壁(2 万 4000 年前)の迫力は抜群。運 がよければ錦江湾を泳ぐイルカの群れを見ることができる。 ・九州新幹線 平成 16 年 3 月に鹿児島中央~新八代間で部分開業、同区間を最短 34 分で結ぶ。内装材 には鹿児島県産のサクラやクスが使用されている。平成 23 年春の全線開業時は、鹿児島 ~博多間を約 1 時間 20 分で結び、また、大阪までを概ね 4 時間前後で結ぶ直通運転も予 定されている。文化ネタ
①鹿児島を小説にした作家たち
・海音寺 潮五郎(かいおんじ ちょうごろう)(1901-1977) 大口市生まれの歴史小説作家。旧制指宿中学で二年間教師を務めた後に京都へ出て文筆 活動に励む。1936 年『天正女合戦』で直木賞を受賞。西郷隆盛を尊敬して、その史伝を ライフワークとした。『天と地と』『二本の銀杏(ふたもとのぎんなん)』『西郷隆盛』な どの小説で知られる。 ・林 芙美子(はやし ふみこ)(1903-1951) 林芙美子は母の故郷が桜島の古里温泉で、芙美子自身も鹿児島市の山下小学校に在籍し た時期もある。『放浪記』『浮雲』など鹿児島を舞台にした作品も残している。デビュー 作『放浪記』の版元は、鹿児島出身の山本實彦が社長の改造社だった。 ・椋 鳩十(むく はとじゅう)(1905-1987) 長野県に生まれ、大学卒業後に種子島で代用教員を務める。旧制加治木高女教師となり、 この頃から本格的に小説を手がける。『片耳の大シカ』『大造じいさんとガン』などの児 童文学をたくさん残し、鹿児島県立図書館長も務めた。動物や自然に対するまなざしが やさしい。 ・島尾 敏雄(しまお としお)(1917-1986) 特攻艇「震洋」の指揮官として加計呂麻島で終戦を迎える。戦後は、『出孤島記』や『出 発は遂に訪れず』などの作品で、極限状態にある人間の姿を描き絶賛を浴びる。また奄 美群島の文化をヤポネシア文化圏と名づけ新たな視点を作り上げるなど、その業績は、 はかりしれない。代表作として『死の棘』がある。 ・司馬 遼太郎(しば りょうたろう)(1923-1996) 産経新聞社在職中に『梟の城』で直木賞を受賞。「司馬史観」と呼ばれる独自の歴史観で 数多くの歴史小説を執筆した。西郷・大久保らが活躍する『翔ぶが如く』や第 14 代沈寿・向田 邦子(むこうだ くにこ)(1929-1981)
父親の転勤で、小学校の 2 年間は鹿児島市の山下小学校へ通った。多感な時期を鹿児島 で過ごしたことが彼女に大きな影響を与え、鹿児島のことを「故郷もどき」と綴った。 テレビドラマの脚本はじめ、鹿児島時代の情景を描いたといわれる『父の詫び状』など 数多くの作品をのこした。
②かごしまを代表する芸術家たち
・黒田 清輝(くろだ せいき)(1866-1924) 鹿児島市出身。18 歳でフランスに留学し印象派手法を学び、画才に磨きをかけた。わが 国に洋画を確立した巨匠で、東京芸大の前身である東京美術学校初代洋画科教授を務め る。日本近代絵画の父と呼ばれている。作品には『読書』、『湖畔』、『アトリエ』(市立美 術館蔵)などがある。 ・藤島 武二(ふじしま たけじ)(1867-1943) 鹿児島市出身。郷里の先輩であった曽山幸彦に学ぶ。黒田清輝の後を受け,東京美術学 校教授となる。豪放で骨太な性格が作風にもにじみ、大正、昭和前期の日本洋画界の中 心となって活躍する。1937 年に第一回文化勲章を受章。代表作は『天平の面影』、『蒙古 の日の出』(県歴史資料センター黎明館蔵)などがある。 ・和田 英作(わだ えいさく)(1874-1959) 垂水市出身。白馬会に入って活躍し、黒田清輝の指導を受けた。東京美術学校の校長を 務めた。みずから「富士バラ太郎」を自認するほど富士山やバラをテーマにした作品を たくさん残した。人物画家としても優れ、後に文化勲章を受章。作品は『富士』、『ばら の花』『赤い燐寸』(鹿児島市立美術館蔵)などがある。 ・有島 生馬(ありしま いくま)(1882~1974) 横浜市出身。自らの病のため青年時代,父の出身地である旧川内市で長期療養する。藤 島武二に洋画を学び,後に全国規模の美術団体,二科会の創立に参画。美術だけでなく, 文芸活動にも力を注いだ。作品には『スザンナ』(鹿児島市立美術館蔵),『欄干』(同) などがある。 ・東郷 青児(とうごう せいじ)(1879-1978) 鹿児島市出身。大正年間にヨーロッパへ渡り、キュビズムやシュールレアリズムの影響 を受けた。有島生馬らと親交があり、戦後の日本画壇をリードし、二科会会長を務める。 ロマンチックで甘美な詩情にあふれた女性像で人気を博した。作品には『望郷/ノスタ ルジア』、『巴里の女』、『雲』(鹿児島市立美術館蔵)などがある。 ・安藤 照(あんどう てる)(1892-1945) 鹿児島市出身。東京美術学校在学中に第三回帝展入選、四回展では一気に特選を受賞。・海老原 喜之助(えびはら きのすけ)(1904-1970) 鹿児島市出身。19 歳でフランスに渡り、パリの画壇で名声を得ていた藤田嗣治の教えを 受けた。帰国後は独立美術協会に属し、精力的な発表を続ける。『曲馬』で脚光を浴びる。 後輩の育成にも情熱を傾けた。作品には『火を運ぶ』(県歴史資料センター黎明館蔵)、『本 を焼く人』(同)などがある。 ・吉井 淳二(よしい じゅんじ)(1904-2004) 曽於市末吉町出身。都会的な華やかなものより、地味で素朴なものの中に自分の色彩や 詩情をみつけて描いた。成熟期には、さらに明るさと華やかさが増してくる。二科会理 事長を務めるとともに、郷土画壇の再興、発展にも力をそそいだ。作品には『水汲』、『ろ ばのいる市場』(吉井淳二美術館蔵)、『フェイラ(サルバドル)』(県歴史資料センター黎 明館蔵)などがある。