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(1)

保育実態史から見た日本におけるキリスト教保育思 想の展開 ‑ 立花富、南信子及びアイリン・ライザ ーの活動を中心に ‑

著者 熊田 凡子

著者別表示 KUMATA Namiko

雑誌名 博士論文本文Full

学位授与番号 13301甲第105号

学位名 博士(学術)

学位授与年月日 2020‑09‑28

URL http://hdl.handle.net/2297/00061491

(2)

保育実態史から見た日本における キリスト教保育思想の展開

―立花富、南信子及びアイリン・ライザー の活動を中心に―

熊 田 凡 子

令和2年9月

(3)

博士学位論文

保育実態史から見た日本における キリスト教保育思想の展開

―立花富、南信子及びアイリン・ライザー の活動を中心に―

金沢大学大学院 人間社会環境研究科 人間社会環境学専攻

学籍番号 1721082006

氏名 熊 田 凡 子

主任指導教員名 志 村 恵

(4)

目 次

序章 研究の課題と方法 ・・・・・・・1 第

1

節 キリスト教保育への関心と問題の所在

2

節 先行研究の検討(研究史的状況)

(1)日本のプロテスタント教会史、キリスト教保育史に関する研究

(2)近代的女子教育をもたらした女性宣教師の道徳観、女性観、教育観に関する 研究

(3)日本の幼児保育につくした女性宣教師の個人史研究 (4)キリスト教教育論。キリスト教保育論の歴史的研究

3

節 実態史を取り上げる意義(立花富や南信子、女性宣教師に着目する意味)

4

節 本研究の一次史料について 第

5

節 構成と課題・方法

1

章 日本の幼児教育の源流におけるキリスト教教育の役割 ・・・・・・・19

―プロテスタント女性宣教師のキリスト教教育―

(安政‐)明治初期

1859-1906

1

節 女性宣教師の宗教的・教育的働き

2

節 官立幼稚園とキリスト教主義幼稚園の起源

―「アメリカン・ミッション・ホーム」―

(1)「アメリカン・ミッション・ホーム」の開設経緯 (2)「アメリカン・ミッション・ホーム」の影響 ①中村正直、②関信三、③近藤はま、④桜井ちか

3

節 女性宣教師の教育理念と役割―マリア・ツルー等の事例より―

(1)3人の女性宣教師たちの計画と実践 (2)マリア・ツルーの熱意とキリスト教教育

4

節 現存する最古のキリスト教主義幼稚園の存続意義

2

章 女性宣教師のキリスト教教育観―児童中心主義教育の導入と展開― ・・・・・39 明治後期から大正期

1906-1928

1

節 広島女学校附属幼稚園の児童中心主義の導入

2

節 ランバス女学院附属幼稚園の進歩主義教育の導入と展開

―M.クックのキリスト教教育観―

(1)クックの教育理念(自由保育(自由作業)の理念)

(2)ランバス女学院附属幼稚園の教育実践―ピービーが築いた自由保育の土台―

(5)

3

節 アイリン・ライザーのキリスト教教育の役割(実践と特徴)

大正期から昭和初期

1920-1939

(1)ライザー報告書の内容と特徴

(2)ライザーの教育・宣教活動の実態 (2)-1.幼稚園について

①幼稚園の実態と活動の様子 ②ライザーの子どもへの姿勢

③固有名詞の頻出と日本文化への関心 ④健康推進活動の取り組み

(2)-2.女学校での活動

(2)-3.日曜学校・バイブルクラス・川辺の集り・非公式幼稚園 ①日曜学校の実態

②母親や卒業生の信仰心と伝道 ③川辺の日曜学校・1日幼稚園の事実

(2)-4.その他

①戦争前の庶民の様子 ②その他の伝道活動

(3) ライザーのキリスト教教育

3

章 キリスト教主義幼稚園における自由教育の発展 ・・・・・・・73

―立花富による進歩主義教育の実践と展開—

昭和初期から戦前期

1928-1940

1

節 立花富による自由保育の導入-自由作業とナースリー・スクール—

2

節 ランバス女学院記念帖にみる自由教育の実態と子ども観

-立花富の進歩主義教育実践の確立-

(1)記念帖の構成と立花富の記述の特徴

(2)自分の思いを表現する自由教育―自由作業「オシゴト」の特徴

(3)子どもが自発的に創り上げていく自由教育―子ども社会が生み出す可能性 (4)キリスト教幼稚園における創造的想像的な自由教育―自由な子どもの世界観 第

3

節 立花富のランバス女学院附属幼稚園における自由教育の先駆性

―立花富の回想録の分析より―

4

節 立花富の進歩主義教育の連続性

-ランバス女学院付属幼稚園『昭和

13

年度終了記念帖』に見るキリスト教幼児教育―

第4章 南信子と立花富を巡るキリスト教幼児教育観・子ども観 ・・・・・・・101

―戦時下における実態史料を中心に―

(6)

昭和戦時下

1940-1945

第1節 戦時下における幼児教育界の動向とキリスト教保育連盟の対応 第2節 鶴町幼稚園での実践から見た南信子の幼児教育観及び子ども観

(昭和

17

年度)

(1)昭和

17

年度鶴町幼稚園記念帖の内容と構成

(2)戦時下における南信子のキリスト教幼児教育の実践

(2)-1.子どもの思いが尊重された自由教育

(2)-2.受け入れざるを得ない子どもの姿

(2)-3.戦時下で続けたキリスト教行事と生活の中での祈り

3

節 聖和幼稚園におけるキリスト教幼児教育の一実態(昭和

18

年度)

(1)史料に記された事柄

(2)史料が物語るキリスト教幼児教育

(2)-1. 「基督降誕祭」(プログラムと保育日誌より)

(2)-2.史料に残された

1

1

人のエピソード(お便りと記念帖より)

(2)-3. 戦時下の子ども社会と実態(お便りと保育日誌より)

5

章 戦後の新教育とキリスト教保育の関連性 ・・・・・・・

137

―功刀嘉子と南信子が繋いだ幼児教育の一貫性―

昭和戦後

1945-1950

第1節 南信子のキリスト教幼児教育の一貫性と戦後の新教育発端の関係

(1) 史料について

(2) 戦後の聖和幼稚園

(3) 実践記録に見る戦前・戦後の連続性

(3)-1.1人

1

人の子どもの自律性、社会性を捉える視点

(3)-2.教育の意図を示す視点―子どもの自発性を基盤に

(3)-3.対話による子どもの自覚と祈る礼拝

(4) ヘファナン・功刀嘉子の来園

第2節 功刀嘉子が繋いだキリスト教幼児教育と「保育要領」

―東洋英和幼稚園の保育者らのキリスト教幼児教育の一貫性―

(1) 東洋英和幼稚園の史料について

(2) 東洋英和幼稚園の実態―戦時下を中心に―

(2)-1.行事の中で伝えられたキリスト教幼児教育

(2)-2.保育を通した子どもへのまなざし

(2)-3.指導を受けた保育者たちの記録から見た功刀嘉子の キリスト教保育観

(3) キリスト教保育の連続性の戦後新教育への影響

(7)

3

節 戦後のキリスト教学校における保育者養成課程の形成に関する一考察

―アイリン・ライザーの報告書および IBC

文書を手掛かりに―

(1) 史料について

(2) ライザーの戦時下及び戦後の活動についての先行研究

(3) 戦前、戦後に亘るキリスト教学校教育・幼児教育の動向

(4) 戦後の教育改革 短期大学保育者養成を中心に

(5) ライザー報告書と

IBC

文書に描かれた宣教実態及び女学校復興計画

(5)-1.戦時下におけるアマチ収容所での活動実態

(5)-2.アメリカ支援に対する直接の働きかけ

(5)-3.キリスト教教育への思い

(5)-4.IBCを通じての働きかけ、保育短期大学の様子と展望

(5)-5.個々人へのまなざし

(個々人の夢や生涯、文化を尊重した記述)

6

章(補章) 北陸地域に女性宣教師の果たした役割―キリスト教教育の影響―

・・・・・・・183 明治・大正期

1879-1922

第1節 北陸地方における宣教活動の起源

第2節 金沢(北陸)女学校と英和幼稚園における女性宣教師の活動状況 第3節 他教派の女性宣教師の活動と交流-北陸地域へのインパクト

(1)J.K.U.の設立

(2)北陸地域の女性宣教師の宣教活動と交流

(2)-1.幼児教育を通した教育的・社会的宣教

(2)-2.北陸地域の幼児教育・保姆養成に関する超教派組織

(2)-3.女性宣教師たちのキリスト教教育観・子ども観

結章 キリスト教保育思想の展開と現代的意義 ・・・・・・・

199

1

節 女性宣教師の教育観と子ども観

―立花富から南信子への実践に通底する精神―

2

節 日本のキリスト教保育における連続性とその意義

(1) 日本の幼児教育における女性宣教師によるキリスト教保育の連続性

(2) 実態史に見たキリスト教保育の思想

(3) キリスト教保育の連続性の意義

3

節 日本におけるキリスト教保育思想の展開について今後の課題

(本博士論文の課題)

(8)

主要参考文献 ・・・・・・・

211

巻末資料 史料データベース ・・・・・・・

217

関西学院聖和短期大学キリスト教教育・保育研究センター所蔵資料

(南信子・立花富関係資料)

表①・聖和女子学院附属聖和幼稚園保護者宛通知 表②・聖和女子学院保育日誌

S18

表③・④・⑤・⑥・聖和女子学院保育日誌

S22

記録者 表⑦・聖和女子学院保育日誌

S18

特記事項

表⑧・聖和女子学院保育日誌

S22

表⑨・聖和女子学院保育日誌

S22 2

学期の詳細 表⑩・ランバス女学院関係記念帖

表⑪・鶴橋学園関係記念帖

表⑫・参照資料(ランバス幼稚園記念帖

19933

年度)

表⑬・参照資料(ランバス幼稚園記念帖

1934

年度)

表⑭・行事 プログラム

表⑮・アルバム類

2

冊(南信子本人の物)

その他

キリスト教保育連盟記録・昭和

18

年出納帳・昭和

8

9

月以降幼稚園日誌

北陸学院ウィン館所蔵資料 ・・・・・・・259 (南信子関係資料)

表⑴・南信子洋書リスト 表⑵・南信子手稿ノート 表⑶・南信子執筆論文 表⑷・記念帖類 表⑸・記念帖構成

表⑹・参照資料 第拾七回修了記念アルバム 鶴町幼稚園

表⑺・『NURSERY SCHOOL AND CURRICULUM Rowena Hudson Winn』

表⑻・南信子個人アルバム類

表⑼・参照資料(「南信 研究ノート

20」

ライザー関係史料データ ・・・・・・・

305

(米国長老教会歴史協会 Presbyterian Historical Society)

(9)

表ⅰ・アイリン・ライザー宣教師ファイル

表ⅱ・戦前期における「ライザー・レポート」の報告事項 表ⅲ・ライザー戦後報告書と

IBC

文書

オリジナル年譜 ・・・・・・・320

Ⅰ.南信子の歩みと関連事項

Ⅱ.立花富の歩みと関連事項

Ⅲ.アイリン・ライザーの履歴と特記事項

南信子人脈関係図 ・・・・・・・

341

(10)

序章 研究の課題と方法

第1節 キリスト教保育への関心と問題の所在

明治初期、アメリカ・プロテスタント・キリスト教の女性宣教師によって、日本における 近代的女子教育が開始され、またほぼ同時期に幼児教育(保姆養成も含む)にも着手されて いたことは、広く知られており、キリスト教史、キリスト教学校史、幼稚園史等の中で語ら れている。なかでも、日本におけるキリスト教保育は、女性宣教師たちによって始まり現在 まで継続してきたと言われる

1

。このように、女性宣教師たちが、日本での教育を通じた宣 教に主眼を置き、日本のキリスト教学校及び幼稚園の創設や発展に果たした役割は大きい と称されてきた。

ところが、「キリスト教保育」という言葉は、定義づけやその語の持つ意味の理解が曖昧 である。そもそも「キリスト教保育」とは何なのか。聖書の「お話」や礼拝、クリスマス等 のキリスト教暦の行事を実施していることをキリスト教保育をするという考え方なのか。

設置者及び保育者らがキリスト教信仰を持って行う保育なのか。キリスト教の価値観や道 徳に基づいた保育という捉え方なのか。イエス・キリストの子ども観に根ざした保育観なの か。様々な理解、つまり曖昧な理解が継続してきたと言える。いったい「キリスト教保育」

は何を継承してきたのだろうか。

これまで、キリスト教保育では、明治初期の幼稚園及び養成機関の発祥から女性宣教師の 功績や実践が伝記的に評価されてきた。しかし、キリスト教保育に関与した女性宣教師たち のキリスト教教育観・保育観、それに基づく人間観については、キリスト教教育学・保育学 の中では詳細に分析されてこなかった傾向がある。つまり、彼女たちのキリスト教保育の本 質的な思想の理解には至らず、単に様々な教育形式や方法が受け継がれてきただけなので はないか。

そ も そ も 幼 稚 園 教 育 の 先 駆 者 で あ る 、 フ レ ー ベ ル (

Friedrich Wilhelm August Fröbel,1782-1852)の「いざ、われわれの子どもたちに生きよう」というモットーをはじめ、

フレーベルの幼児教育観、人間観はキリスト教的色彩の深いものである。フレーベルは子ど もには「神的な諸特質」

2

があり、子どもの存在を神的な本質に自らなる人格、個性として 捉えている。特に「かれらがかれらの内面的ないきいきとした意識の糸をつうじてそれに統 一、生命および意義を与え、かくてかれらがだんだん明瞭ないきいきとした自覚に達しうる ために、われわれはかれらに、すくなくとも、かれらの内面的な精神的発達の外的事実を保 存すべきではなかろうか。」

3

と、フレーベルの幼児教育では、子どものなかに無限に祝福を 発見する探究的な検討的な子どもへの見方の重要性を主張されていた。つまり、フレーベル のキリスト教保育観には、子どもの内面的活動がその基盤にあったと言えよう。このような フレーベルのキリスト教色の強い子ども・保育理解のゆえに、日本のキリスト教保育界では、

キリスト教保育だからこそフレーベルの精神を継承するものであるという自覚は強かった

(11)

と言われている

4

一方、日本の幼児教育に関与した女性宣教師の中にも、フレーベルの子ども・保育観は表 れていたのではあるまいか。だとすれば、キリスト教保育の実践の中で女性宣教師を通じて フレーベルの子ども・保育観が継承されてきたと考えられる。しかし、研究史の中では、こ の女性宣教師たちの子どもや教育に対する姿勢を支えていたのは、神への信頼であり、神の 恵みのもとに生きる幼児への愛であり、理解であり、抑圧状況に置かれていた伝道地の子ど もや女性たちへの共感であり、その状況を改善する願いであった

5

、という信仰的な感覚と して言及され、キリスト教保育観についての実証的な分析がされてこなかったのである。

ところで、こうした女性宣教師のキリスト教保育の理念は、女性宣教師たちから学んだ日 本人の実践者たちによって継承されてきた。詳しくは本論の中で取り扱うが、立花富(1904- 没年不詳)や南信子(1914—2003)たちは、そうした実践者である。南信子は、戦後の日本 のキリスト教保育の指導者であり研究者である。南信子のキリスト教保育の実践に至るま で、女性宣教師が営んできた幼児教育を立花富が実践を通じて南信子に継続させていった と考えられる。

筆者は、日本のキリスト教保育者の

1

人である南信子のキリスト教保育実践の分析を中 心に、キリスト教保育の歴史的考察を行ってきたが、キリスト教保育については、立花富や 南信子、女性宣教師たちの思想及び実践の分析を通じて、キリスト教保育の本質を通史的に 考察する必要があると考える。なぜなら、日本において、これまでキリスト教保育の幼児教 育観や子ども観については、保育の実践を示した一次史料を利用した研究が極めて少なく、

日本における幼児教育の研究において、女性宣教師の思想及びその役割についての歴史的 考察が極めて不十分だからである。

日本最古と言われる官立幼稚園「東京女子師範学校附属幼稚園」(現・お茶の水女子大学 附属幼稚園)の創設は、キリスト教精神の影響を受けたものであるが、その点についての研 究はほとんどない。一方、現存する最古のキリスト教幼稚園である「英和幼稚園」(現・北 陸学院第一幼稚園)の運営に関った女性宣教師についても、これまで断片的な研究で留まっ ている。また、大正・昭和戦前期には日本における幼児教育は、進歩主義教育を中心とした キリスト教精神の影響の下で展開されていたにもかかわらず、実態史を通じた言及が少な い。さらに、戦後の新教育と言われる「保育要領」に基づく幼児教育についても、戦前と切 り離されたものとして受容されているが、キリスト教保育の継続性が関与していた事実に ついては触れられてこなかった。これらのことが「キリスト教保育」の視点を曖昧にしてき た問題点でもあると言えよう。

ここで、敢えて強調しておきたいのは、上記においてはキリスト教保育の果たした役割が 軽視されているが、本博士論文では、キリスト教保育の源流及び展開過程に迫り、その本質 を通史的に明らかにし、それを持って今日の幼児教育にも資するものとしたいということ である。

なお、「キリスト教保育」という言葉の扱いについては、次のように扱うこととする。「キ

(12)

リスト教保育」と総称される分野は、キリスト教主義の、あるいはキリスト教による幼児教 育、保育を行う機関によって実施されている営みのことである。この総称「キリスト教保育」

は、キリスト教保育連盟が組織された時点で使用されるようになった文言であり、また「キ リスト教保育」における「保育」の領域には、幼稚園・保育園・認定こども園等小学校就学 前乳幼児教育機関及び保育施設、保育者養成機関等も含まれる。したがって、本博士論文は、

主にキリスト教に基づく幼稚園の実態についての史料分析を行うため、本論では「キリスト 教幼児教育」という表記でキリスト教保育について述べる。ただし、序章や結章で述べる「キ リスト教保育」については、キリスト教保育全般の理念や歴史等に触れているため、総称と しての「キリスト教保育」として用いる。

第2節 先行研究の検討(研究史的状況)

キリスト教保育は、明治初期のキリスト教幼稚園(養成機関も含む)の発生当初から創設 者や宣教師により、またその後、J.K.U.(Japan Kindergarten Union)

6

・キリスト教保育 連盟

7

などによって、実践及び理論の研究がされてきた。これらにより、フレーベル主義の 保育理論を始めとして、自由主義的人間観と経験主義の教育論に基づく自由保育が提唱、導 入された。また、キリスト教保育連盟による「キリスト教保育指針」の策定も継続してなさ れるなど、キリスト教保育を支える理論研究、原理研究が行われてきた

8

一方、歴史学的分析方法によるキリスト教保育に関する研究は、キリスト教史、幼児教育・

保育史、キリスト教教育学といったいくつかの分野で個々に検討されてきた。言い換えれば、

キリスト教保育の歴史については、総合的に扱う分野が成立しているとは言い難く、各領域 の関心に沿ってキリスト教保育の歴史的考察をしてきたというのが実情である。キリスト 教史では、各教派の宣教と初期宣教地のキリスト教会に主眼を置いた研究や、キリスト教学 校教育に関わった宣教師および日本人キリスト者に関する研究が大半ではあるが、日本の 女子教育・幼児教育に最初に着手したアメリカ・プロテスタント女性宣教師の教育活動を支 えた道徳観、女性観、教育観などに注目し社会・文化的文脈から言及した貴重な専門書が存 在する。また、幼稚園と女子教育機関とを結び、女子教育及び幼児保育に尽くした女性宣教 師の先駆的活動と展開の全体像を物語調ではあるが取り上げた著書もある。さらに、これま でキリスト教教育・保育の実践を裏付けるキリスト教教育論の構築や実践を検討するキリ スト教教育的省察が加えられることはほとんどなかったが、近年、そもそもキリスト教教 育・保育とは何なのか、歴史的にどのようなキリスト教教育論が展開されてきたのか学究的 裏付けから言及した専門書が著されてきている。

つまり、キリスト教保育の歴史的研究は、キリスト教史などのキリスト教保育史とは異な る分野から、蓄積されてきたと言える。したがって、ここでは、日本のプロテスタント教会 史、キリスト教保育史に関する研究、近代的女子教育をもたらした女性宣教師の道徳観、女

(13)

性観、教育観に関する研究、日本の幼児保育につくした女性宣教師の個人史研究、キリスト 教教育論・キリスト教保育論の歴史的研究という

4

分野の先行研究について検討しておく ことにしたい。

(1) 日本のプロテスタント教会史、キリスト教保育史に関する研究

まず、日本におけるキリスト教教会、及びキリスト教保育の通史的研究について確認して おきたい。

土肥昭夫『日本プロテスタント・キリスト教史』(新教出版社、

1980

年)は、日本という 特定の地域にキリスト教がいかに導入されていったのか、なかでも日本人牧会者及び日本 の各教会がキリスト教をどのように受容し、理解し、伝達していったのか、明治期から昭和 戦後初期にかけての伝道、教育、社会的実践との課題を示した日本のプロテスタント史全体 を扱っている研究図書である。土肥は、日本におけるキリスト教の受容とその後の展開の歴 史をたどることにより、人間が自己の感性や理性を用いてキリスト教の本質的なものをい かに問うてきたかという、通史及び問題史的叙述にしている。同書は、近代日本におけるキ リスト教の意味を学ぶ上での専門書である言える。

同書のキリスト教の受容の背景では、明治初期の日本における西欧文明に対する積極的 な需要の風潮に応じて、高度な知識と教育的見識をもつ男性宣教師が官立や公立の学校で 教えたり、私塾を開いて日本人を教育したりした実情に触れている。しかし、宣教師らの思 想やキリスト教教育実践の展開までの言及は、余り見られない。

同書は、あくまで、キリスト教を受容した、主に、日本人牧会者や教会教派の特性を中心 に扱っており、またその日本のキリスト教教会諸教派が、いかに日本政府に順応しつつ、伝 道活動を発展させてきたのか、社会的実践の指摘も多く見られる。その他にも、内村鑑三

(1861—1930)、留岡幸助(1864—1934)、井深梶之助(1854—1940)、植村正久(1858—1925)、 田村直臣(1858—1935)らの教育・社会活動を例示し、彼らのキリスト教思想の特性を検討 し取り扱っている。

また、土肥は、こうした日本人牧会者や教会の各教派(日本基督教会、日本組合基督教会、

日本聖公会、日本メソジスト教会、東洋宣教会ホーリネス教会他)が、伝道活動、社会活動 の展開の中で、たとえば文部省訓令第

12

号(1899年)などの、天皇制、戦時下における国 家統制への対応、すなわち日本政府に対する姿勢とその背景にある思想を分析し検討して いる。

特に、日本人のキリスト教精神が、日清戦争をはじめとする戦争協力の意識を見出してい く展開を思想的に分析し、戦時体制下における神社非宗教化の趣旨に従う国民養成を示し た政府の意向に応じた上で、宗教団体法による教団設立を行ったという経緯を明記してい る。こうした戦時下の日本のキリスト教界の政府に対する姿勢や動向については、本博士論 文の第

4

章の戦時下の展開の中でも、参照し取り上げるべき指摘点であると考える。

このように、同書においては、明治期から戦後初期に亘る日本人のプロテスタント系キリ

(14)

スト教伝道・教育・社会活動における展開を通史的に確認することができる。しかし、宣教 師の活動展開、なかでも女性宣教師の女子教育及び幼児教育に関する事項は扱っていない。

宣教師らの日本における教育、伝道、社会活動を位置づける日本のプロテスタント史の通史 研究は、各宣教師研究、各教派に関する宣教史、また宣教師が関わった学校史等の中で扱わ れてきたのである。なお、各教派の女性宣教師による日本のキリスト教幼児教育がいかに導 入、展開されてきたというキリスト教保育の通史的研究としては『日本キリスト教保育百年 史』(キリスト教保育連盟、1986年)が、また日本の幼児教育の通史としては文部省『幼稚 園教育百年史』(ひかりのくに、

1979

年)がある。これらからは、キリスト教幼児教育の通 史的研究の状況を一定程度把握できる。

『日本キリスト教保育百年史』は、日本の幼児教育がアメリカの文化と教育の影響下にあ ることに着目し、日本のキリスト教保育の母体となったアメリカの幼児教育の理論と実践 を説き起こし、キリスト教保育の前史として言及している。また、日本におけるキリスト教 保育の創始・普及・発展に至る一連の系譜を、先行の『日本基督教幼稚園史』(基督教保育 連盟編、1941年)、『日本キリスト教保育八十年史』(基督教保育連盟編、1966年)に基づ

き、

J.K.U.における保育研究の実践と理論を年次報告から、また日本の各地域における幼稚

園の実際の様子を年史等から追記し、具体的な幼児教育の実情を示しまとめている。さらに、

J.K.U.の組織における活動及びその後のキリスト教保育連盟の活動にも触れている。

同書には、このように、第一にキリスト教界の種々の年史及び文献と在外資料等の原史料 を収集し実際の事項を示唆した点、第二に日本の教育界の動向を示し時代区分によりキリ スト教保育を位置づけようとした点が見られ、日本のキリスト教保育史全体を網羅した通 史的専門書であると言える。しかし、キリスト教保育の実際の子どもの様子や保育者らの姿 勢等が描かれた史料は扱っておらず、残念ながらキリスト教保育の教育観や子ども観の分 析には至っていない。また、キリスト教保育の意義を示した点があるにもかかわらず、キリ スト教保育が日本の教育界にどのような影響を与えたのか、そうした点の指摘もなされて いない。

一方、『幼稚園教育百年史』は、明治初期の

1876

年の東京女子師範学校附属幼稚園開設 からの百年にわたる系譜について、日本の幼稚園教育の普及と発展を著したものである。同 書では、日本の幼児教育の諸制度の改革及び普及状況から、主に官立幼稚園を事例に教育内 容・方法及び施設・設備、さらに保育者養成の展開を示しており、創始、戦前、戦後と年代 史的からなる構成で、概説がなされている。日本各地の官立幼稚園を中心に、実践記録や写 真等の史料を扱い各時代の実践内容が明記されている。また、官立幼稚園以外にも各地の幼 稚園や保姆養成機関の設立や実情に関する事項を取り扱っている。さらに、キリスト教主義 幼稚園及びキリスト教関係の保姆養成機関の取り組みとして、桜井女学校附属幼稚園(1880 年)、英和幼稚園(1886年)、頌栄保姆伝習所(1889年)が紹介されている。同書では、キ リスト教宣教師たちがキリスト教精神に基づく幼稚園の普及に積極的に力を入れ始めたこ とを述べてはいるものの、日本の幼稚園教育にいかなる意味をもたらしたのかについては、

(15)

触れられていない。

以上のように、日本のプロテスタント教会史、キリスト教保育史に関する研究では、日本 におけるキリスト教の受容と発展及びキリスト教幼児教育の系譜を通史的に捉えることは できる。本博士論文では、これらの先行研究を参照し、キリスト教保育に関与した女性宣教 師の宣教史料や日本人保育者らの実践記録に基づき、キリスト教保育における、教育の姿勢 や子どもへの視点を分析し、さらに日本の幼児教育界における位置づけを考察し言及した い。

(2) 近代的女子教育をもたらした女性宣教師の道徳観、女性観、教育観に関する研究 次に、日本の近代的女子教育、いわゆるミッション系私立女子学校の創設・運営に関与し たアメリカ・プロテスタント女性宣教師たちを歴史の中に位置付け、社会的事実として言及 した先行研究を取り上げ検討する。

小檜山ルイ『アメリカ婦人宣教師 来日の背景とその影響』(東京大学出版会、1992年)

は、明治初期、

1870

年代

1880

年代に来日したアメリカ・プロテスタントの女性宣教師が、

なぜ、何のために、故国を離れ、何を日本にもたらそうとしたのか、当時のアメリカ社会の 実態から通史的に考察し、また、彼女たちの残した書簡等の一次史料から日本での仕事と生 活の実像を分析し、女性宣教師の日本で果たした役割を述べている。小檜山の研究課題は、

女性宣教師個人の伝記・人物史を著すあるいは彼女たちの個々の偉業を詳らかにすること にあるのではなく、女性宣教師という一群の女性たちを歴史の中に位置づけ、社会的事実と して実証することである。すなわち、同書は、アメリカ研究の立場から、アメリカの女性た ちの海外伝道への参画を、歴史的・社会的・文化的な文脈として読み取ることができ、さら に、明治初期の日本の女性にもたらされた道徳観、女性観、教育観を確認することができる。

従来、海外伝道、宣教師に関する研究では、信仰の問題が問われるところではあるが、同 書は、神学的・教理的に議論したものではなく、むしろ(キリスト教をベースにした)幅広 い見知から当時の日本の社会・文化・教育の実態史を著している。小檜山は、日本の学校史 などを語る場合、「敬虔なる信仰」ですべてを片付ける傾向があまりにも強すぎることを指 摘している

9

。按手礼を持たなかった女性宣教師が、日本の教育事業においていかなる意味 をもたらしたのか、キリスト教史の従来の傾向から新しい知見を開こうとした先駆的な専 門書である。これに続く、女性宣教師に関するキリスト教史的研究はほとんどされていない 現状であるとも言える。よって、本博士論文が同書に続く一部でありたいと考えている。

同書によれば、女性宣教師や彼女たちの活動を支援したアメリカ・婦人伝道局の主張と方 法は、自己犠牲的で他人への奉仕的傾向を持つにもかかわらず、女性に特異な自己主張を促 すこととして、女性が男性の権力に抵抗する機会を提供するものであった。しかし、それと 同時に、自発的に出過ぎを抑制し男女間の調和を確保する自国の保守的な女性観の定める 枠内に留まる姿勢を堅持していた。小檜山は、こうした有能だが控え目で、積極的だが利己 的でなく、実際的だが私情にあふれたやさしい女性、すなわち積極性と保守性を持つ調和の

(16)

とれた人格を持つ人「ウーマンフッド」を、女性宣教師が日本の女性たちに、自らの理想と して示したと指摘している。女性宣教師自らの例に日本の女性たちが倣うことを期待して いたのである。

特に、同書第

4

章「拠点:日本での仕事」においては、日本の女子教育・幼児教育の最初 期に働きを担ったメアリ・E・キダー(Mary Eddy Kidder, 1834-1910,アメリカ・オランダ 改革教会)、マリア・ツルー(Mary T. True,1840-1895)など、長老派とオランダ改革派の 女性宣教師の仕事と生活について書簡を通じて分析している。明治初期の四半世紀間、日本 の女子中等教育をリードし、新しい成人女性像を提示し、また具体的にそうした新しい女性 を育成していたのは、主にアメリカ系のミッション・スクールだった。同書より、こうした 彼女たちの日本の教育に与えた影響を把握することができると言える。本博士論文では、本 同書を参照した上、キリスト教保育の視座から女性宣教師の女子教育事業を捉える。また、

書簡資料に関しては、著者小檜山の訳文をそのまま引用する形式で用いたい。

なお、本書で使用された長老派女性宣教師の書簡には限界があることを指摘しておきた い。長老派の日本ミッションは

1887

年以降、東日本ミッションと西日本ミッションに分か れ、それぞれ別個の会計を立て、報告の手紙も別々に送るようになっていた。小檜山の研究 では、時間の制約から、1887年以降の西ミッションは主たる研究対象から除外している。

本博士論文第

2

章及び第

5

章で取り扱う長老派の女性宣教師の報告書の分析においては、

小檜山が果たせなかった日本西ミッションの情況を加えるものとしたい。

(3) 日本の幼児保育につくした女性宣教師の個人史研究

この項では、女性宣教師の足跡を辿り、日本の幼稚園と養成機関を併せて創設背景や運営 状況等に言及し、幼児教育・保育の立場から女性宣教師の思いに触れ伝記的に記した研究を 取り上げたい。

小林恵子『日本の幼児保育につくした宣教師-上巻-』(キリスト教新聞社、

2003

年)は、

前半で、カトリック修道院による孤児の救済に始まり、明治初年まで続くキリシタン迫害の 時代まで先駆的役割を果たしたカトリック神父と修道女の働きを述べている。同書後半は、

1861

年に米国改革派教会から派遣された宣教師の尽力によって横浜に来た

3

人のプロテス タント女性宣教師の「アメリカン・ミッション・ホーム」における働きを歴史的背景から述 べている。特に、

3

人の女性宣教師については、安部純子『ヨコハマの女性宣教師―メアリ ーP・プラインと「グランドママの手紙」』(EXP、

2000

年)のプラインの手紙の訳文を用い て、彼女たちの日本の幼児教育に対する思いや願いに触れている。安部純子が取り上げてい る一次史料については、本博士論文においても、参照し、著者の安部の訳文をそのままの形 で引用し、プラインらの教育観や人間観を分析する際に用いることとしたい。

また、小林は、日本の官立幼稚園に関わった人物がこうした女性宣教師たちの働きの影響 を受けていたことを史料に基づき物語っている。つまり、日本の幼児教育はアメリカ・プロ テスタント女性宣教師の働きから始まることを伝記的に述べているのである。

(17)

さらに、小林は、女性宣教師と近藤はまや桜井ちからの出会いから、近藤幼稚園、桜井女 学校に発展していく経緯について、史料発掘を行い、その史料に詳細に触れて論述している。

英和幼稚園についても、当時の園児の回想などを丁寧に扱い、取り上げた上で、創設者フラ ンシナ・ポーター宣教師の人物像を浮び上がらせている。本博士論文では、第

1

章及び第

6

章において、英和幼稚園の教育実態を分析する際には、同書の史料の回想録をそのまま活用 することとしたい。

続く『日本の幼児保育につくした宣教師-下巻-』(2009年、キリスト教新聞社)におい ても、日本の幼児教育及び養成機関の発展を促した女性宣教師の人物像を述べ、さらに、明 治・大正期に創設された幼稚園・保育所、福祉施設等を取り上げ、幼稚園は女子教育機関と 密接に連携していたことを論述している。特に、アニー・ハウ(Annie Lyon Howe, 1852-

1943、アメリカンボード女性宣教師)から始まる宣教師たちの研究組織である J.K.U.によ

る日本の幼児教育及び養成機関への貢献を中心に述べている。その他、本博士論文との関連 で言えば、広島女学校附属幼稚園や、北陸学院保育短期大学創設に関わった

M.クック

(Margaret Melinda Cook,1870-1958、米国南メソジスト監督教会女性宣教師)、アイリン・

ライザー(Anna Irene Reiser,1891-1969、米国長老教会女性宣教師)、南信子の働き等にも 触れている点は、本博士論文の構成においては、特に参照したい。さらに、引用史料につい ては、関連史料リスト等の提示はされていないが、史料の原本等の再確認を行い、必要に応 じて当時の実態の分析に用いて述べることとしたい。

したがって、本博士論文の第

1

章では、幼児教育の源流点の歴史的事実は、同書の内容及 び引用史料を詳細に確認し、通史的に取り上げる。

一方、小林による、女性宣教師の幼児教育・養成機関の歴史的言及から進展してきた研究 の中で、本博士論文に関わる先行研究として次の

2

点を取り上げておく。まず、田中まさ子

『幼児教育方法史研究―保育者と子どもの共生的生活に基づく方法論の探求―』(風間書房、

2011

年)は、表現活動という領域から日本の幼児教育方法史を捉え直そうとした試みとし て、子どもの表現の可能性に着目し、歴史を巡って教育方法とその基盤となる思想との関係 を分析している。具体的には、保育者の関与や文化的環境が子どもの描画や遊びの表現に及 ぼす影響に関する研究で、歴史的研究方法が中心ではあるが、観察・調査・実験など実証的 研究手法も採用し考察したものである。つまり、幼児教育の実践方法の基盤となる思想の展 開を歴史的に分析している。田中が分析に使用した史料は、公的文書を始め、日々の実践を 記した保育日誌、カリキュラム、園児の手による手技帳、保育学生の講義ノート等であり、

その時代の実情と幼児教育に対する価値を捉えることができるものである。

同書において田中は、子どもの主体性・創造性を尊重する幼児教育の立場から、幼稚園草 創期のフレーベル主義、フレーベル主義批判時代、新教育運動、戦後の幼稚園教育の方向と 現代の

4

つの期に分けて、幼稚園・保育所が子どもと保育者の共生的生活の場であると捉 え、共生的生活が教育方法として有効であると提言している。その中でも特に、新教育運動 がもたらした幼児教育方法について、子ども中心の幼稚園カリキュラムへの変遷を中心に

(18)

一次史料の事例を挙げて分析している。事例を挙げている史料は、マーガレット・クックが 実践し作成した年間の保育案であり、そこから子どもの日々の興味に即した具体的な指導 計画に示した遊びの実践とカリキュラムの基盤にある思想を分析している。その際、田中は、

関西学院聖和短期大学キリスト教教育・保育研究センター所収のクックの保育案を翻訳し、

同書に掲載している。田中が使用した史料のデータファイルの詳細や関連する史料群につ いては提示されていないため課題が残っているが、本博士論文第

2

章においては、クック の保育を支える思想を史料に基づき分析するため、田中が原史料を訳し作成したクックら の指導案を使用することにしたい。

こうした史料分析を通じて田中は、歴史ある大学資料室などで保育日誌や書簡などの地 道な翻刻作業を行うことが、幼児教育史研究に新しい視点をもたらすことになると指摘し ている。しかし、同書では、どの資料室にどのような史料が収蔵されているかについて具体 的な言及を行っていない。この点については、本博士論文において重ねて言及すると同時に、

史料リストを付記することとしたい。

次に、永井優美『近代日本保育者養成史の研究―キリスト教系保姆養成機関を中心に-』

(風間書房、2016年)は、近代日本においていかなる保姆養成が行われていたか、キリス ト教主義の保姆養成機関における養成を中心に考察している。これまで、制度史による研究 手法が大半であったものを、同書では、各養成校のシステムやカリキュラム、指導者の保姆 像や保姆養成観、学生の保姆としての力量形成の程度などの要素を総合的に分析する方法 を採用している。

永井は、アメリカ・プロテスタント女性宣教師がどのように保姆養成に取り組んだのかに 焦点を当てており、『日本基督教幼稚園史』『日本キリスト教保育八十年史』『日本キリスト 教保育百年史』や各キリスト教学校史などにある女性宣教師の働きについて、さらに保姆養 成の視点を加えて著したと言える。

特に、永井が使用した史料には、公文書や各養成校が所蔵している規則、年史に加え、指 導者の意識が表れている著作物、私信及びミッションレポートなどが含まれており、これま での制度史的分析とは異なり、実態把握に迫った、実証的研究であると言える。本博士論文 との関連で言えば、フランシナ・ポーター(Francina Eliza Porter,1859-1939、米国長老教 会女性宣教師)やマーガレット・クックの保姆養成における教育実践の内容や方法を叙述し た、重要な先行研究として示唆を与えるものである。ところが、同書は、女性宣教師のキリ スト教教育観の分析に迫っていない。また、日本の明治初期における保母養成の源流点の領 域に焦点が当てられているために、昭和戦前から戦後に亘り、キリスト教保姆養成機関が短 期大学へと発展していく形成過程については触れられておらず、本博士論文で取り扱う第

5

章のアイリン・ライザーの役割との関連については参照できない点があることは付記して おきたい。

以上、日本の幼児保育につくした女性宣教師に関する先行研究からは、次のような点が指 摘できる。

(19)

第一に、いずれの著作においても、キリスト教教育・保育という観点での考察がされてい ない点である。女性宣教師の物語、女性宣教師の保育方法、女性宣教師の保姆養成が取り上 げられてはいるものの、女性宣教師のキリスト教教育・保育における教育観、人間観の分析 が見られない。つまり、幼児教育・保育の歴史の中にキリスト教教育・保育が与えた影響や 果たした役割を明記していないことは、先行研究が残した大きな課題であると言えよう。

第二に、使用した一次史料の歴史的価値が述べられておらず、また史料リストがほとんど 存在していない点が挙げられる。史料研究では、

1

1

つの史料を通史的に捉えていく作業 への関心が薄く、個々の研究目的に必要な情報収集のみが重要視されている研究傾向を指 摘しておきたい。

したがって、女性宣教師のキリスト教教育・保育観を一次史料から分析し、女性宣教師の 果たした役割を日本の幼児教育に歴史的に位置づけることが大きな課題である。また、史料 の歴史的価値を考察する上では、史料群のリスト化・データベース化が課題として残されて いると言えよう。

(4) キリスト教教育論・キリスト教保育論の歴史的研究

キリスト教教育の理論、原理の研究が立ち遅れている日本のキリスト教教育学・保育学に おいても、広い視野でキリスト教教育論を体系的に歴史的な研究として近年著された専門 書がある。

小見のぞみ『田村直臣のキリスト教教育論』(教文館、

2018

年)では、田村直臣に関する 全人的で一部の領域に偏らない、生涯にわたる研究を通して、田村のキリスト教教育論が構 築された変遷とその全容を明らかにしている。

田村直臣(1858—1934)は、明治から昭和初期にかけて、植村正久、内村鑑三、松村介石 と共に日本のキリスト教界をリードする牧師の

1

人である。数寄屋橋教会、巣鴨教会の牧 師をつとめ、日曜学校を通しての幼少年の宗教教育の発展に貢献した人物である。小見は、

その田村が形成、展開した教育論を歴史的にかつキリスト教教育的観点から考察している。

同書で小見は、田村直臣の生きた明治期から昭和初期に至る近代日本キリスト教史を、当 時のキリスト教界と教会が、内外の社会的・政治的状況にどのように対峙しながら歩んだの かを中心に捉えて考察した。すなわち、牧会者である田村直臣という人物像に歴史的検証を 行ったと言えよう。分析方法としては、歴史的文書に限りがあるものに関しては、断片的資 料を再度掘り起こし、証言をつないでいく方法等を用いている。さらに、田村のそれぞれの 著作が書かれた時代背景、社会的文脈、田村個人史における位置づけ等を明らかにし、著作 の内容を歴史的視点と併せて読み取り、その変遷を明らかにすることを意図している。それ だけではない。小見は、田村の人物史から見えてくる思想をキリスト教教育論として体系的 に考察している。小見は、日本の家庭教育、保育、幼児教育の状況を視野に入れながら、日 本独自の日曜学校養育と日曜学校文化の展開における田村の日曜学校教育論の役割につい てを述べている。

(20)

小見は、田村のキリスト教教育論には、どのようなキリスト教人間観や子ども観がその基 礎になっているのか、田村の「子ども本位」思想、「神の子」であることを前提とした「子 どもの権利」論を検討することによって、そこには子どもの経験を重視する自由主義、児童 中心主義の新教育思想の萌芽が見られることに言及している。こうした点は、本博士論文と の関連からすれば、牧会者、神学者の立場からのキリスト教教育学の研究と、教育者・保育 者の立場から見るキリスト教教育・保育の研究が結びつく点であるとも考えられる。このよ うに同書では、生涯一教会の牧師として、教会を宗教教育の実践の場とした田村のキリスト 教教育論が、現代の教会教育の課題や現状認識に批判的かつ建設的視点を与えるものであ ることを指摘している。つまり、小見は田村直臣のキリスト教教育論の体系を考察し、近代 日本キリスト教史における教会教育の立場からキリスト教教育学の研究として著したので ある。このように、教会史に限らず、小見の研究視点による学校教育、幼稚園教育等の史的 研究が、今後のキリスト教教育学・保育学の課題として残されていると言えよう。

以上述べてきたように、キリスト教教育・保育に関する歴史研究は、様々な分野において、

個々の研究課題に基づいて行われてきた。これらの研究状況を踏まえた上で、本博士論文の 意図する点を次に述べていくことにする。

本博士論文の構成と課題・方法について述べる前に、実態史を取り上げる意義(第

3

節)

と扱う一次史料について(第

4

節)述べておきたい。

第3節 実態史を取り上げる意義(立花富や南信子、女性宣教師に着目する意味)

本学位論文では、キリスト教保育の源流及び展開過程に迫り、その本質を明らかにする上 で、女性宣教師や立花富と南信子の幼児教育の実践に着目する。つまり、本博士論文は、キ リスト教保育の歴史全般の実践史として述べるものではなく、第一に、研究対象の立花富と 南信子が実践してきたキリスト教幼児教育の実態と展開を中心に考察すること、第二に、立 花富や南信子らが学んだ女性宣教師の果たした役割や彼女たちの教育思想を取り上げキリ スト教保育の継承、発展について明らかにすることで、日本におけるキリスト教保育の本質 に関する通史的考察、すなわちキリスト教保育の歴史の一実証史として述べることとして、

限定しておきたい。なぜなら、これまで断片的な言及に留まっていた立花富と南信子のキリ スト教幼児教育の実践に関しては、昭和戦時下で女性宣教師が強制送還され一時帰国し不 在となった戦時中及びその前後の時期の実践の実態が史料に残されており、通史的な考察 が可能であるからであり、これによりキリスト教保育の実践は連続性を持っていることを 実証することができると考えられるからである。

また、なぜ、戦時下のキリスト教保育の実態史なのか、それは、これまでの先行研究は、

キリスト教保育が日本の幼児教育のどのような役割を果たし影響を与えてきたか、そうし

(21)

た視点で実態に基づいた分析に踏み込まず、伝記的に紹介し扱う程度に留まっていたから である。そもそも日本初の幼稚園とされる、東京女子師範学校附属幼稚園は、官立幼稚園で あるが、その保育者たちは、女性宣教師らの働きによるキリスト教との深い関わりを持って いたのである。そのことについては第

1

章で触れることにする。しかし、このような日本の 幼児教育の源流とキリスト教保育との関わりに関する研究は数えるほどしかなされていな い

10

。さらに、その後のキリスト教保育思想の展開についても、通史的な実証はされてこな かった。そこで、キリスト教保育が日本の幼児教育全般において、どのような位置にあるの か、仮説として述べておく。

近代日本における幼児教育史では、これまで、幼稚園草創期から、官立幼稚園と私立なか でもキリスト教主義幼稚園の

2

系統の動き(保姆養成も含む)によるものとして認識され てきたが

11

、幼児教育を支える教育観や人間観においては、いずれに対しても女性宣教師ら のキリスト教的精神が影響しており、日本人保育者らの実践によってもその精神が保たれ ているという視点が明らかにされてこなかった。しかし、

1

1

人の子どもを人格的に受け 止め、心の内側から育つことを尊重するキリスト教的精神を基盤とした幼児教育や保姆養 成が両者ともにおいて影響を与え、キリスト教主義幼稚園では継続されていたのである。こ うした見方を、本博士論文においては、通史的に触れ実証することができると言える。

また、日本の幼稚園教育界では、大正末期の初めての勅令である「幼稚園令」(1926年、

戦後「学校教育法」(1947年

3

月)制定により廃止)から、戦後は学校教育法第

79

条に基 づき、『保育要領』を編集し、幼稚園の教師のみならず保育所の保姆や父母に対する手引き とするとともに「楽しい幼児の経験」を列挙し、幼児の自発的な遊びを重んじた点などを示 し、低迷していた幼児教育界に新風を吹き込んだ、と言われている。このように、戦後の民 主教育思想によって定められた『保育要領』に基づく幼児教育は、戦後の新しい幼児教育を 志向するものとして受容されてきた。しかし、この戦後新教育は必ずしもアメリカの直輸入 ではなく、日本の先覚者たちの研究や実践と共通なものを持っていたのである

12

。それは戦 前から展開されていた、幼児のありのままの生活を尊重し自発的な活動を重んじる倉橋惣 三(1882-1955)らの保育実践及び思想によるものと認識されてきた。しかし他方で、女性 宣教師らが発展させてきたキリスト教保育が継続してきたことについては触れられてこな かったのである。つまり、女性宣教師らの教育・宣教活動に影響を受け自ら学んだ日本人保 育者たちによる明治・大正・昭和前期に繋いできた教育との関係性については、断絶した教 育として認識されていたのである。しかし、第二次大戦前から女性宣教師が不在となった戦 時中におけるキリスト教保育の働きの中で、子どもに対する視点や、保育についての考え方、

すなわち女性宣教師らから受け継いできた教育的精神が保たれ連続してきた、と考えられ る。この点については本博士論文の第

5

章で触れるが、第二次大戦前から戦後にかけて活 躍した日本人保育者である南信子(1914-2003)や功刀嘉子(1905—1996)らが携わったキ リスト教保育の実態を示す史料(幼稚園修了記念帖、保育日誌、保護者宛の便り、行事プロ グラム、公文書他)を基に、日本幼稚園史や学校史の史料を併せて分析することで、戦前・

(22)

戦時下・戦後という時代の変化の中でも通底する子ども観・教育観について検討することが できる。戦時中のキリスト教主義幼稚園では、戦時体制下で国民儀礼や戦時協力などの時代 的制約に従順に応じ、戦前と異なる姿勢であったとしても、女性宣教師たちから継承した幼 児教育を支える精神は一貫していたのではないか。このように、女性宣教師の幼児教育にお ける教育観・子ども観が、キリスト教幼稚園のみならず、日本の幼児教育界において連続的 に影響してきたことが、本博士論文では明らかになると言える。

つまり、幼児教育の最初期から第

2

次世界大戦後に至るまで、キリスト教保育の精神が 日本の幼児教育に影響を継続的に与えていたのであり、その動向や実態を把握しないで日 本におけるキリスト教保育の思想史を考察することはありえないのである。本博士論文が、

立花富や南信子、女性宣教師たちの思想や実践の分析に焦点を当てる意義がここにある。

第4節 本研究の扱う一次史料について(分析データ及び史料)

第一に、筆者は、本博士論文の分析に使用した南信子の一次史料等に関するデータベース を作成した。データベースは、巻末頁にあるように、主に、関西学院聖和短期大学キリスト 教教育・保育研究センター、北陸学院ウィン館(史料室)に所収されている一次史料で、そ の中でも南信子とその恩師の立花富に関するものを中心に取り扱っている。筆者は、上記セ ンター、史料室において、立花富と南信子によるキリスト教保育の実践が分かる

1930

年代 から

1940

年代の保育日誌、保護者宛の通知、卒園児記念帖、行事プログラム等、一次史料 の発掘と確認を行い、これまで『聖和保育史』等の学校史の中で取り扱われてこなかった史 料の中身(日付、記述内容・構成、記録者等)を詳細に把握し、データとした。また、アイ リン・ライザーについての史料は、米国長老教会歴史協会(Presbyterian Historical Society)

所蔵のライザー宣教師個人ファイル(Foreign Missionary Vertical Files)より、記載年月 日と内容、ライザーの履歴、来日前(推薦状を含む)、一時帰国期、戦前期、戦時下、戦後、

その他の記録を確認し、データとした。ライザー・ファイルについては、1920年に来日す る前から

1956

年に日本での活動を終える時までに及ぶ報告記録であり、立花や南と同様に、

学校史等では述べられてこなかった主に戦前期の具体的な実態が分かるものに着目してい る。

本博士論文では、こうした諸史料を判読し原文をそのまま引用する形式で取り扱い、各時 代のキリスト教教育・保育の実態を分析している。このデータベースにある諸史料を読み解 くことにより、南信子のキリスト教保育の実践は、立花富のどのような教育背景と実践から 継承し、創造的に展開してきたのか、中でも昭和戦前から戦時下、戦後にかけて、立花富と 南信子によるキリスト教保育がどのような観点(まなざし)で連続してきたものによるのか、

検討することとした。一方で、立花と南のキリスト教保育の実態を分析すると共に、アイリ ン・ライザーのキリスト教教育・子ども観についてもライザーが残した諸史料から検討する

(23)

こととした。

また、本博士論文で使用した諸史料は、こうしたデータベースの史料分析とは別に、各分 析の必要に応じた史料調査と確認も行っている。

例えば、戦時下から戦後にかけてのキリスト教保育の実践が、戦後の幼児教育に関与して いたのではないか、という仮説からの発展として、史料に基づいた考察を行っている。そこ では、GHQの幼児教育部門の動向に関するカンファレンスレポートの公文書データ、また キリスト教保育の一貫性に関する東洋英和女学院史料室所収の保育日誌等の史料も取り扱 っている。

他にも、本博士論文では、各時代の女性宣教師や保育者たちの思想を実証的に考察するた め、先行研究『アメリカ婦人宣教師 来日の背景とその影響』、『日本の幼児保育につくした 宣教師―上巻―』及び『日本の幼児保育につくした宣教師―下巻―』に扱われている書簡・

報告書等の一次史料や『聖和保育史』『北陸学院百年史』等の学校史の中での記録(理事会 録・園日誌・同窓会報・回想録等)を、そのままの形で引用し、思想の展開として実証的考 察を行っている。

最後に、巻末に提示したデータベースの活用について明記しておきたい。筆者が作成した データベースの諸史料とは、大きく分けて次の三種類である。

第一に、立花富や南信子たち保育者が残したランバス女学院附属幼稚園及び聖和女子学 院附属幼稚園における園児の保護者宛て通知及び卒園児記念帖、行事のプログラム等、外部 に発信していた記録である。本博士論文で扱っている諸史料は、各幼稚園史の中でも未使用 のものであり、また各時代の保育者の意図や当時の子どもたちの様子が詳細に描出されて いるものが多いため、ランバス女学院から聖和女子学院までの幼稚園がどのような行事や 活動を行ってきたかという事実の実証に留まらず、保育者たちの教育観や当時の社会背景 や教育動向までもが読み取れる貴重な史料であると言える。筆者は、特に戦時下の流れを論 考するために本データベースの史料群を用いる。今後、本データベースの活用により、キリ スト教保育史の具体的な実践に踏み込んだ研究の発展が期待できる。

第二に、立花や南、ライザーたちが書いた日記、報告書、手紙、アルバムなど個人が残し た史料である。これらの史料は、これまで語られてきた個人史に加わる貴重な情報があるの みならず、立花や南、またライザーのキリスト教教育観・人間観まで読み取れる。さらに当 時の社会状況等も綴られており、そうした記録からキリスト教教育の一貫性を考察するこ とも期待できる。中でも保育日誌については、実際の保育内容を綴っているため、保育内容 史の実態研究の史料として活用できると考えられる。

第三に、論説や随想などの著作である。これは、戦後に数々の論説を公表してきた南信子 のデータベースである。このデータベースは、単に南信子の研究に留まらず、戦後のキリス ト教保育論の展開を含む理論研究の発展のために、史料の活用を期待したい。

筆者は、こうした諸史料を活用し、Ⅰ「南信子の歩みと関連事項」、Ⅱ「立花富の歩みと 関連事項」、Ⅲ「アイリン・ライザーの履歴と特記事項」といった年譜を作成した。また、

(24)

南信子を巡る人脈図をランバス女学院と北陸学院の歴史的変遷を図式化したものを最終頁 に添付している。このように、本データベースが歴史研究の資料作成や分析・考察等に活用 されることを期待している。

なお、巻末データベースは、史料データ名(史料の所蔵先)については下記のものとなっ ている。

史料データ名(関西学院聖和短期大学キリスト教教育・保育研究センター)

表①・聖和女子学院附属聖和幼稚園保護者宛通知 表②・聖和女子学院保育日誌

S18

表③・④・⑤・⑥・聖和女子学院保育日誌

S22

記録者 表⑦・聖和女子学院保育日誌

S18

特記事項

表⑧・聖和女子学院保育日誌

S22

表⑨・聖和女子学院保育日誌

S22 2

学期の詳細 表⑩・ランバス女学院関係記念帖

表⑪・鶴橋学園関係記念帖

表⑫・参照資料(ランバス幼稚園記念帖

19933

年度)

表⑬・参照資料(ランバス幼稚園記念帖

1934

年度)

表⑭・行事 プログラム

表⑮・アルバム類

2

冊(南信子本人の物)

その他 キリスト教保育連盟記録・昭和

18

年出納長・昭和

8

9

月以降幼稚園日誌

史料データ名(北陸学院ウィン館「南文庫」)

13

表⑴・南信子洋書リスト

表⑵・南信子手稿ノート 表⑶・南信子執筆論文 表⑷・記念帖類 表⑸・記念帖構成

表⑹・参照資料 第拾七回修了記念アルバム 鶴町幼稚園

表⑺・『NURSERY

SCHOOL AND CURRICULUM Rowena Hudson Winn』

表⑻・南信子個人アルバム類

表⑼・参照資料(「南信 研究ノート

20」

ライザー関係史料データ名(米国長老教会歴史協会

Presbyterian Historical Society)

表ⅰ・アイリン・ライザー宣教師ファイル

表ⅱ・戦前期における「ライザー・レポート」の報告事項

表ⅲ・ライザー戦後報告書と

IBC

文書(IBC文書:日本基督教団宣教研究所(通称)所蔵)

図 2・ 『昭和 13 年度修了記念帖』    記念帖の表紙をめくると、はじめに、次のような子どもたちの会話から始まる。  昭和十三年度修了記念帖  ボクタチガ  ワタクシガ  大人ニナツテイツカ  ヨウチエンノトキノコト  オモヒダシタラオカシ  イネ  「小サイトキニハ  アンナコトシタリ  アン  ナコトカンガヘタリ  シタモノカナ」トイッテ。 ソノトキハキット  エラサウニシテルヨ  イバッ  テルヤロウネ、ミンナ  大人ノカホシテカラニ。 昭和十三、四緑組ノ会話ノ一部  これは、 「ボクタチガ
図 6  ワタクシタチノオシゴト(写真のみ抜粋)
図 8  ラジオタイソウ  (頁内の写真及び絵を抜粋)
図 11  ハナノヒ(写真のみ抜粋)
+7

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