通貨統合の政治経済分析
著者 岩村 英之
雑誌名 明治学院大学国際学部付属研究所研究所年報 =
Annual report of the Institute for International Studies
号 14
ページ 47‑49
発行年 2011‑12‑01
その他のタイトル Political Economic Analysis of Monetary Integration
URL http://hdl.handle.net/10723/1078
47
通貨統合の政治経済分析
岩 村 英 之
欧州共通通貨ユーロは、経済学におけるひとつのパズルである。1999年1月1日以前、文化の みならず肝心の経済環境においてさえ多種多様な欧州において、単一の通貨が流通することの
「経済合理性」に大部分の経済学者が疑念を抱いていた。ユーロの誕生は、欧州諸国が少なくと も経済的には非合理的な決定をしたことを意味するのであろうか。ひとつの可能性は、通貨統合 によって発生する便益・費用には、純粋に経済的なものだけでなく、政治経済的なものもあると いうものである。すなわち、経済的費用・便益のみに基づいた判断は、必ずしも十分ではない可 能性がある。こうした観点から、筆者は政治と経済の相互作用を前提としたとき、通貨統合が見 せる新たな側面を探ることに取り組んできた。今回の付属研フォーラムでは、その概要を報告し た。
1 「結託」としての通貨統合
本研究が提示する仮説は、通貨統合が金融政策をめぐる国家間交渉において統合参加国の交渉 力を拡大し、参加国の経済厚生を改善し得るというものである。すなわち、共通通貨の採用は自 動的に共通の金融政策の採用を意味する。したがって、望ましい金融政策について各国間に利益 相反がある場合、いくつかの国による通貨統合が同盟外の国に対する「結託」として作用するこ とが示唆される。結果として、各国の金融政策が統合参加国の選好へと引き寄せられるならば、
参加国のマクロ経済状況は統合前に比較して改善する可能性がある。この効果は、国家間の交渉 力配分の変化を通じて現れるという点で政治的であるが、同時に経済厚生の改善という形で現れ る点で経済的でもあるため、「政治経済的」という呼び方をしている。こうした政治経済的な効 果を純粋に経済的な効果と併せて考えることで、通貨統合の理解を一歩進めることが本研究の目 的である。
2 数理モデルによる分析
ところで、一見したところ自明な結託の利益であるが、その妥当性の判断は厳密な分析を要す る。なぜなら、第1に、結託が交渉を有利化するメカニズムはそれほど自明ではない。多数決に よる集団的意思決定を採用しない国家間の交渉において、「数」の効果は直線的には導かれない。
軍事同盟のように数そのものが戦力となるケースとは異なり、「金融政策同盟」における数の意 義は慎重に分析する必要がある。第2に、結託には負の側面もある。すなわち、同盟国の利害が 一致しない場合、同盟内の小国が大国の利益の犠牲となることも考えられる。たとえば、欧州通 貨同盟において、ドイツ・フランスとギリシア・ポルトガルの間で望ましい金融政策の方向が一 致しない場合、ECBの金融政策は大国の選好に偏ることも予想される。
48
混在するプラスとマイナスの効果を同時に考慮し、通貨統合のネットの効果を検討するひとつ の効果的なアプローチは、現実世界に大胆な単純化を施してつくられる「モデル」を用い、通貨 統合の思考実験を行うことである。すなわち、各国の経済厚生が金融政策を通じて密接に関わり 合い、故に各国が金融政策をめぐって交渉を繰り広げるような世界を数学的に記述し、通貨統合 の引き起こす変化をシミュレーションしてみることが可能であろう。また、そのようなモデルを 用いることで、前提条件の違いが通貨統合の効果に及ぼす影響を考察するという思考実験も容易 になる。
実際に本研究で構築した「金融政策の政治経済モデル」は次のようなものである。まず、3つ の国から成る世界を想定する。すなわち、統合に参加しない国(アメリカ)と、通貨同盟を結成 する可能性を持つ2つの国(フランス、ドイツ)である。また、モデルは2つの小モデルから構 成される。すなわち、3ヶ国(アメリカ、フランス、ドイツ)の金融政策の国際的連関を記述す るマクロ経済モデルと、各国当局による金融政策交渉を記述する国際間交渉モデルである。経済 プロセスの記述にはマンデル=フレミング・モデルを3国に拡張したものを、交渉プロセスの記 述にはナッシュの交渉モデルをそれぞれ用いた。政治と経済の相互作用については、次のように 定式化される。すなわち、交渉のアウトカムである金融政策が経済プロセスを経て各国の経済厚 生を決定するという意味で、〈政治→経済〉という作用がある一方、各国が単独で達成可能な
(=交渉が決裂した場合の)経済厚生の水準が各国の交渉力に影響を与えるという意味で、〈経 済→政治〉という逆方向の作用も存在している。
このモデルにおいて、通貨統合を行わない場合、3 国はそれぞれ単独の交渉主体として金融政 策交渉に臨む。一方、フランスとドイツが通貨統合を行う場合、金融政策交渉は2段階の交渉と して定式化される。すなわち、第1の交渉はアメリカとEUとの交渉であり(第1レベルの国家 間交渉)、第 2 の交渉は EU として得た利得のフランス・ドイツ間の分配を決めるものである
(第 2 レベルの国家間交渉)。したがって、通貨統合はフランスとドイツの結託という側面を持 ち、金融政策交渉における対米交渉力の変化を考察することが可能となる。既に説明したように、
フランス・ドイツ間に経済規模の非対称性が存在する場合、通貨統合が同盟「内」の交渉力の配 分をも変化させる可能性があるので、たとえ対米交渉で利益を得たとしても、両国が同時にその 恩恵にあずかる保証はない。モデルを実際に動かすことで、通貨統合がフランス・ドイツそして アメリカに与えるネットのインパクトを分析することが可能となる。
3 シミュレーションの結果とその含意
本研究では、金融政策の発動が要請されるようなショックをモデルに与え、各国当局の交渉の 結果(すなわちモデルの解)が通貨統合の有無でどう変化するかを検討した。具体的には、通貨 統合による交渉力配分の変化と各国の経済厚生の変化の両方に注目した。また、いくつかの前提 条件を変えてモデルの解を再計算し、通貨統合の効果がパラメータからどのような影響を受ける かを調べた。ここでターゲットとした前提条件は、(1)欧州の域内貿易依存度、(2)欧州経済の アメリカ経済に対する相対規模、そして(3)フランス・ドイツの経済規模の非対称性である。
49 いくつかのシミュレーションの結果として、通貨統合の政治経済的な意義に関して以下のこと が明らかになった。すなわち第1に、通貨統合が、国際間の金融政策交渉において統合参加国の 交渉力を拡大し、交渉結果をより有利な方向に誘導するケースが存在する。その時、通貨統合は 第三国の交渉力を必ず縮小し、経済厚生を悪化させる。また、以上の効果は、欧州諸国の域内貿 易依存度が高いほど拡大される。第2に、参加国間の規模の非対称性は、統合の成立可能性を著 しく損なう。なぜなら、小国と大国とでは「結託」から得られる利益の大きさが異なる。小国は 非常に大きな利益を得るが、大国が小国と組むことの利益は限定的である。したがって、同盟内 交渉においては小国の立場は不利化し、対米交渉から得られる大きな利益も同盟内交渉で吸い取 られてしまう可能性がある。第3に、こうした非対称性によるジレンマも、欧州経済の規模が十 分に大きいときには克服される。すなわち、統合経済の規模が大きいときには、統合が「世界 の」交渉力配分に与えるインパクトも拡大し、欧州としての利益も拡大する。したがって、同盟 内の大国に吸い取られてもなお十分な利益が小国に残るのである。
以上の分析結果から、欧州通貨統合の合理性に対して次のような含意が得られる。第1に、欧 州統合は域内市場の統合からスタートし、後に通貨統合を行うという順序で進められてきたが、
この統合の「順序」には一定の合理性がある。第2に、ユーロ参加国が拡大することは、同盟内 に多様な国を抱えるという点で統合への障害となったが、同時に第三国に対する同盟の交渉力を 拡大させる効果が十分に作用することでこの障害を克服した可能性もある。そして第3に、一部 の国々による通貨統合が常にその他の国の交渉力を奪うものであれば、ひとつの通貨統合が別の 通貨統合を誘発し、「通貨統合のドミノ効果」とも呼べる現象が起こる可能性がある。
4 今後の展望
本研究のモデルは、通貨統合の政治経済的な効果の抽出に特化したものであり、純粋に経済的 な効果を扱う仕様にはなっていない。したがって、本研究の示唆するところは、通貨統合には政 治経済的な効果もあり、それが正となるケースが存在するというものにとどまり、それが経済的 な効果-欧州に関してはマイナスであると考えられている-を凌駕するというところまで論を進 めることはできない。一方で、通貨統合の合理性に関する最終的な判断は、理想的には経済的お よび政治経済的効果を直接的に比較した上で行われるべきである。すなわち、両者を同時に扱う ことができ、かつある程度の操作性を備えたモデルを提示することが、当面の課題のひとつであ ろう。
さらに、本研究のモデルはある通貨統合が別の通貨統合を誘発する可能性を示唆している。こ れは、既存の通貨統合の外側にいる我が国にとっては重要な論点である。しかし、モデルは3国 モデルであるため、世界の国々が複数の通貨ブロックへと集結していく様子を記述することはで きない。4ないしはそれ以上の国を扱えるモデルへの拡張も、本研究の展開のひとつである。