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論文の内容の要旨
氏名:長 嶺 宏 作
博士の専攻分野の名称:博士(教育学)
論文題名:アメリカ連邦政府の教育政策への介入の構造的変容 ―「初等中等教育法」の研究―
本研究の目的は、アメリカ合衆国連邦政府による教育政策への介入の構造的変容を明らかにするこ とである。アメリカにおいて、教育の責任と権限は「連邦主義(federalism)」の理念のもとに、すべ て州にある。「連邦主義」とは、連邦政府の主導性をあらわす言葉ではなく、3つの統治機構、すなわ ち、連邦政府と州政府と地方学区の関係性(ガバナンス)をあらわす言葉である。この「連邦主義」
の構造下にあって、連邦政府の教育における責任と権限が限定されているにも関わらず、今日、連邦 政府が州と地方学区の教育政策を規定し、図1の下図に示すように垂直的な権限関係へと変化してき たといわれている。
特に1965年に成立した「初等中等教育法(Elementary and Secondary Education Act of 1965以 下、ESEAとする)」は、1994年の「米国学校改善法(Improving America’s School Act of 1994以 下、IASA とする)」以降、アウトプット規制の導入にともない、補助金を通した介入は無限定的とな り、権限関係が強化されたといえる。
そこで本研究では、「連邦主義」の理念の下に統治されるアメリカの教育制度構造において、どのよ うに連邦政府が州と地方学区の管轄領域に関与したかを明らかにし、教育財政構造の変化を考察する ことで、連邦政府による教育政策への介入の構造的変容を解明する。
1章では、1965年にESEAが成立することで、インプット‐プロセス規制による連邦政府の関与が 行われ、一般補助金ではなく特定補助金として支出することで特定の分野に限定し、「協力と拠出の 原則」に基づき州と地方学区の財政支出を促すことで地方自治を損なわないような配慮がなされたこ とを明らかにした。特に初期ESEAは、連邦の補助金は一般補助金として使用できるように地方の裁 量権を大幅に認めることになった。
しかし、自由裁量が認められたことによって、州と地方学区にとって自由な予算として流用され てしまう恐れと、教育目的の政策に使用されない危惧から「財政上アカウンタビリティ(fiscal accountability)」が求められ、規制がかけられていった。同時に、補助金の支出条件をつけること で連邦政府の主導性が発揮され、州と地方学区に人種統合教育を支援した。
その後、福祉政策の批判とともにESEA 政策も批判されるようになり、1983 年の「危機に立つ国家
(A Nation at Risk)」以降は教育の質が問題とされ、教育政策の論点が変容した。
そこで2章では、スミスが提示した「体系的改革(systemic reform)」の理念を考察した。「体系 的改革」は、コールマン・レポートによって提起された教育の無力性を批判した「効果のある学校」
の理論から教育制度理論へと展開させたもので、「スタンダードに基づく改革(Standards-Based
Reform)」の理論的な基盤を与え、1994年以降の連邦政府の政策理念となった。
「体系的改革」は、教育の結果を問うことでインプット-プロセス-アウトプットをつなげ、政府 間と政策間の有機的な連携を取ることで教育改善を目指す政策枠組みであった。さらに、「体系的改 革」は政治的にも、伝統的な共和党と民主党の対立を超えて政策合意する可能性を作った。その結 果、ESEAは1994年のIASAと2002年の「どの子も置き去りにしない法(No Child Left Behind Act
of 2001以下、NCLBとする)」の再改定を通して、全州にスタンダード・カリキュラムを設定し、か
つスダンダード・テストも実施し、その評価から教育改善を作る目指す政策が実施されることになっ た。
しかしながら、アウトプット規制が現実の政策化されたときにインプットの議論や、プロセスへ の支援が忘れられ、形式的な学力テストの結果によって判断される実態が生まれ、「体系的改革」は
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批判されることになる。こうした批判から連邦政府の教育政策は「連邦主義」の制度構造への挑戦と して受け取られ、地方自治への侵害として訴訟へと発展した。
そこで3章で連邦政府の法的な権限の根拠を考察した。実は連邦政府の役割には再配分機能を促 進してきたこともあり、権利性が明確な障害者教育では連邦政府の主導性は州と地方学区に受容され ている。一方で、権利性が曖昧な普通教育では連邦政府の政策は権利保障のための政策が実施するこ とを難しくさせる。これは普通教育がもつ特質として、その目的が広範囲にわたるために、州の専権 事項である教育について権利保障のための役割と普通教育に対する役割が分割しにくいという点があ るためである。
図1 規制と制度の変化
ただし、「スタンダードに基づく改革」の進展にともない、求められる教育の結果が明確になれば なるほど、連邦政府の全面的な関与となり、その責任も求められてくる。この論理は州の教育財政訴 訟において一定の有効性を得た。
具体的には、4章で考察したケンタッキー州での教育財政改革と教育改革の連続性である。アウト プット規制によって引き上げられた教育水準と州が主導する教育改革の展開は、州の権限とともに責 任も明確にし、新たな教育財政の保障の論理となっている。
連邦政府の政策は、ケンタッキー州のような各州の教育改革をモデルに実施されており、連邦政 府が集権的な権限を持つというよりは「スタンダードに基づく改革」によって引き上げられた州との 協調によって連邦政府の政策が展開された。もちろん、それはパターナリスティックな教育政策の展 開になるという問題を含むものであった。
5章では、NCLBが批判される中でオバマ政権が教育改革を考察する。オバマ政権では「アメリカ 再生・再投資法(American Recovery and Reinvestment Act of 2009以下、ARRAとする)」において
「頂点への競争(Race to the Top以下、RTTTとする)」政策を成立させた。RTTT政策は連邦議会の 同意を得ずして成立し、競争的資金によって政策を誘導していく新しい手法が実施された。この手法 は、州と地方学区に連邦政府の政策に同意した州に資金を渡していく方法で、「連邦主義」の構造の 中では極めて効果的な方法であった。
一方で、この政策手法には州と学区の同意を得ればという条件がつき、すでに一度同意した州 が、政策内容に不満を持ち、翻している事例もある。RTTT政策は教育を改善する目的で作られた が、そもそも連邦政府には政策目標として教育目標を設定できるが、その教育改善の具体的な道筋 は、州と地方学区が実施する。2015年度のオバマ政権晩期において、NCLBは、「すべての子どもに成 功を(Every Sttudents Suceed Act)」として再改定されるが、RTTT政策への批判から、州権主義へ
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の回帰が強まり、再び州へと権限が委譲されている。これはESEAの歴史的な展開からみれば、アメ リカの教育行政を担っているのは、今日でも地方分権の原則が生き続けているという証拠である。
表1で示したように、教育費における財政負担の割合をみると、連邦政府はESEA成立前に4%程 度であったものが、成立後は8%程度となり、レーガン期に6%程度へと収縮し、その後、90年代に 元の水準に戻る。オバマ政権下のRTTT政策によって12%程度まで拡大するが、現在は再び8%程度 に戻っている。安定的に州と地方学区が4割から5割の間で負担し、ESEA成立以降、この構造は変 化していない。
IASA以降、連邦政府の教育政策はアウトプット規制を導入することで教育改善への道筋を開こう とした。しかし、アウトプット規制を機能させるには、今まで聖域だと考えられた教育の核心部分に 介入し、その具体的な内容を明確にする必要があり、このことが結果として反裁量的な側面を強くす る。しかも、市場の論理が機能できるようにアウトプット規制を設定することは政策的な柔軟性を実 現させるのではなく、教育内容の形式化をもたらす可能性が高い。そして、この形式化は、結局のと ころ教育内容の凡庸化をもたらすだけでなく、集権的な制度構造を必要とし、アウトプット規制を推 し進める経済界が支持するような政策展開とはならない。むしろインプット‐プロセス規制の問題の 是正というよりは、インプット‐プロセス規制の拡大となる。
表1 連邦政府の制度構造・政策・機能
一方で、州と地方学区へ裁量を与えると、今度は制度の現場に近いところで再解釈され、政策目 的とは異なる目的の政策へと転化される恐れがある。「連邦主義」の構造の下では、連邦政府の影響 力は限定されているからこそ、アウトプット規制を導入することで州と地方学区に影響力を発揮しよ うとしてきたといえるが、それが機能するには、州と地方学区の同意が必要であり、その同意を得る ためには柔軟で現実的な政策が必要である。また、実際に教育改革の担い手は学校と教員であって、
教育改善に対する支援がなければ、実現はおぼつかない。
これまで教育財政問題で考察したように学区の問題を超えた再分配政策を機能させるには住民の 支持が必要であり、その獲得のために学力テストの結果という形で示すことで、合意を得て、一定の 底上げ的な州の財政分配が進んだ。本研究で考察した「体系的改革」は、この点で教育の結果を求め ることで教育政策への社会的な合意を得る手段として機能してきたという側面があり、スタンダード が教育政策を議論するためのパラダイムを提供したことは重要な意義が認められる。