• 検索結果がありません。

東日本大震災への災害支援看護活動―病院への支援 活動―

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "東日本大震災への災害支援看護活動―病院への支援 活動―"

Copied!
3
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

東日本大震災への災害支援看護活動―病院への支援 活動―

著者 寺村 文恵

雑誌名 三重看護学誌

巻 14

号 1

ページ 127‑128

発行年 2012‑03‑15

URL http://hdl.handle.net/10076/11939

(2)

海が遠くに見えさえぎるものがない,すべて根こそ ぎ削り取られ見渡せる土の大地,所々にがれきの山,

地面に刺さる家の屋根,電柱のつっかえ棒のように立っ た車,窓ガラスがなく中は真っ暗のマンション,家の 塀の横には見上げるような赤い船体.出会う人は迷彩 服とヘルメット.高台となっているところには避難所 があり多数の人々が不自由な生活をされていました.

テレビで何度も見たはずの光景でした.私は,東日本 大震災の約1カ月後,災害支援ナースとして日本看護 協会の要請をうけ岩手県の病院に派遣されました.私 は,災害支援は初めての経験という中で活動を行い,

感じたこと,学んだことについて報告する.

災害支援ナースの多く避難所に派遣される中,私の 派遣先は病院でした.派遣病院は高台にあり地震,津 波による建物の損傷をまぬがれ,災害後すぐから患者 受け入れ態勢を整えてできる限りの対応を行っていま した.派遣時には発災から1カ月経過しており,ライ フラインは回復し,病院業務も整ってきている状況で した.見た目通常の病院という印象をうけるほど周囲 の状況とは違っていました.しかし,職員仮眠室の近 くには衣類や靴が入ったいくつもの袋が並べてあり,

『必要な方は,持っていってください』と張り紙があ りました.そこで働く看護師,職員みんなが被災者で あり,避難所から通い,何もかもを津波で失うという 想像がつかない環境,状況でした.勤務で一緒になっ た看護師は「家は津波で流されてしまった.家族は無 事だった.いろいろあるけど,みんな一緒だから」と 仕事をされていました.一家で避難所生活となり避難 所から通って仕事を続けていることを言葉すくなに話 されていました.私は,救急救命センターでスタッフ の一員として勤務し,看護業務の支援を依頼されまし た.行うことは救急患者の対応です.来院,搬送され てみえる患者の多くは被災者であり,家や家財,家族 までも失った方々です.診察,治療が済み,帰宅となっ ても避難所に帰る手段がない,医療費を払うこともで

きない,集団の避難所に帰って感染対策が可能なのか,

家族がいない,治療だけでないそんな調整や手配など もその地域,避難所に詳しい地元の看護師と協力して 行うことが必要でした.ストレスで胸痛,腹痛,頭痛,

うつなどの症状の来院数が増え,乳幼児や小児までも がストレスによる症状によって来院されていました.

乳幼児は救命センターの外にまで聞こえる大泣きが小 一時間以上続いており,母親が心配して来院されまし たが,結局何も異常がなく,泣いてすっきりしたのか 笑って機嫌がなおって帰るということもありました.

救急搬送された高齢者の患者は「家も息子ら家族もな くなった,生きているのに何の意味がある」と泣いて 訴え,身体の治療だけでは支えきれない現状でした.

災害急性期には,津波や疲労,集団生活による肺炎が 多数搬送され,入院しきれないほどの状況に困ったと いうことでした.1か月経過してストレスや精神的症 状,復興によるけがとなってきていました.

病院には,職員への支援のため病院単位,職能別に 様々なチームが入っていました.それぞれが,病院職 員の負担を減らすためにスタッフの一員となり,地域 の医療が必要な人への対応に支援を行っていました.

病院のスタッフは支援によって休息が得られ,自宅の 片づけや生活の立て直しなど助かったという話をされ ていました.しかし病院の支援を調整する方々は代わ

―127―

三重大学大学院医学系研究科修士課程 看護学専攻 クリティカルケア看護学科

東日本大震災への災害支援看護活動

― 病院への支援活動 ―

寺 村 文 恵

崩壊した線路

(3)

れる人がいないという状況がありました.そして支援 チーム全体として周辺地域の生活者にとっての病院を 通常業務として病院スタッフで行ってゆくための方策 や問題の解決などに関わっている印象はありませんで した.1カ月経過して病院の機能も通常にもどりつつ ある中で,スタッフの一員として働く中で,災害支援 ナースとしてただ看護業務の支援だけでよいのかとい

う疑問をもちました.様々なチームの,それぞれが支 援を展開している状況がいつまで続くのか.今,私た ちは,今の状況とこれからを考えて,この病院にとっ て支援となっているのか.様々な思いがわきあがりま した.未熟な災害支援ナースの私には思いを行動に移 すまでできず,報告書に上げることしかできなかった 結果に終わりました.

災害支援ナースは,被災地で被災者と生活を共にし,

生活の中で看護を実践し,自立に向けて支援を考え実 践する能力が必要です.災害支援の知識だけでなく,

いままで培った看護の実践力の重要性を実感しました.

そして,様々に被災地に入ってくる支援を地域,県,

被災広域のなかで把握し,そこで生活する人のニーズ を把握すること,そこから支援の方策を点から線へ,

経過してゆく時間も考えて行うコーディネーションの 必要性を感じました.被災地は復興に向けて動き始め たばかりであり,その健康被害も存在しています.少 しずつでも良い方向となることを祈っています.

寺 村 文 恵 三重看護学誌

Vol

14 2012

―128― 海まで数キロ,何もさえぎるものはない

参照

関連したドキュメント

   遠くに住んでいる、家に入られることに抵抗感があるなどの 療養中の子どもへの直接支援の難しさを、 IT という手段を使えば

されてきたところであった︒容疑は麻薬所持︒看守係が被疑者 らで男性がサイクリング車の調整に余念がなかった︒

高崎市役所による『震災救護記録』には、震災 時に市役所、市民を挙げて救護活動を行った記録 が残されている。それによれば、2 日の午後 5

夜真っ暗な中、電気をつけて夜遅くまで かけて片付けた。その時思ったのが、全 体的にボランティアの数がこの震災の規

必要があります。仲間内でぼやくのではなく、異

大村 その場合に、なぜ成り立たなくなったのか ということ、つまりあの図式でいうと基本的には S1 という 場

東日本大震災被災者支援活動は 2011 年から震災支援プロジェクトチームのもとで、被災者の方々に寄り添

(避難行動要支援者の名簿=災対法 49 条の 10〜13・被災者台帳=災対法 90 条の 3〜4)が、それに対