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脱領域と美術教育

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論文】

脱領域と美術教育

一教員養成大学における実践のためのノー トt

PostdomeinandArtEducation:ANoteforPracticewithinTheCurriculum ofTeacherTraning

㊨ ‑ 佐藤賢司 satoKenji

問題のありかとして

例えばこのような問いはどうだろう

目の前にひと塊の粘土を置かれた子 どもは、その冷た い独特の感触 を持 った土が、いずれ 「彫刻」か 「陶芸」

か、などという、大人が当た り前に共有 している文化的 意味、或いは制度 としての 「領域に囲い込まれるであ ろうことを意識 し、そのことを出発点、あるいは目標に 動 き始めるだろうか。

おそ らくはそれだけではない。夢中になって粘土の触 覚 を楽 しみ、様々に変化 してい く、言葉化出来ないよう な千変の意味の立ち現れを自らの身体の宇宙で経験する ことか ら始 まってい くだろう

この場合の粘土 とは、あ くまでも比較的分か りやすい 一つの例 に過 ぎない。絵具で も紙で も、布 と染料で も、

或いは木材で も同様のことが言えはしないだろうか。

もちろん、あらか じめ設定された 「目標」への到達に 向けての試行錯誤が、造形活動の様々な場面での問題発 見や解決、身体 を通 しての思考を育むものであることに、

何 ら異論があるわけではない。

しか し、美術教育が、既存の文化的秩序を自明のもの として取 り込むだけのものではないという前提の上に立 つならば、子 どもの造形活動における、不断の意味の立 ち現れが、身体的プロセスにおける対話の相手‑粘土や 紙や木‑が 「つ くられたものとして、子 どもの手を離 れた時に否応無 く組み込まれる文化的秩序 としての 「 や 「分野」とだけに、果たして直接に結節 している のだろうか という疑問はどうしても残って しまう

ただ し、 この間題は、美術 という制度を構成する既存 の領域 を無意味化することとは次元の異なる問題であろ と言 うよりも、それは本稿の目的ではない。重要な のは、仮に歴史的に構築された人間の営みとしての美術 が、現在の 「分野

領域」 を構成 しているとして も、

それ らをただ自明なものとするのではなく、子 どもたち

にとって‑それはもちろん我々にとって‑ よりリアルな 営みとしての造形活動の在 り様の可能性 を追求すること にある。領域 を無批判に自明の物 として受け取ることと 同様に、表層的な脱領域の思考 もまた、逆説的に問題を 見えにくくして しまう場合があることに注意する必要が ある。

工芸を例にあげれば、近年、素材 とプロセスの論理を 軸 とした工芸の在 り方についての再考が各所で見 られる が、例えばそのような考察の契機でもある走泥社の仕事 を、80年代的に 「用 を否定 した美術作品としての陶芸」

というふうに表層的に解釈 して しまっては、美術/工芸 という対立項の行 き来 という非建設的な論理の中に、工 芸を埋没 させてしまうのである (1)0

金子賢治は、1950年代か らの走泥社、特に八木一夫の 仕事 と、四耕会など同時代の前衛陶芸 との性格の違いを 明確 に指摘 し、後者は、美術/工芸の対立項 という構造、

すなわち既存の領域の制度 ‑ 「工芸 ‑用 +美」 という図 式の幻影か ら抜け出た思考に至 らなかった故、活動 自体 が論理的に 「瓦解」 したと指摘する つ まり、「工芸 ‑ 用 +美」 という幻影に囚われつつ工芸を芸術 に高めよう とするが故、「工芸 ‑用 +美か ら 「用」 を捨象するこ とで 「美」を追求 しようとし、結果、皮肉にも工芸であ る根拠一端的には彼等が土を焼いて制作することの根拠

‑ さえ失ったというのである。美術/工芸 という対立項 の行 き来に工芸を埋没させたというのは、このようなこ

とである

それでは、八木‑夫 らの仕事は、瓦解 した前衛陶芸 と 思考の上でどこが異なっていたのだろうか。金子の言葉 を借 りれば、八木 らは 「あたか も薮をつついたら何が出 て くるか というような慎重な態度でや きものそのものと 交感 しは じめ」、そこか ら 「形か ら発想 してい くという ことではなく、土の生理、土を構築 してい くプロセスに 導かれなが ら展開してい くという造形の論理」を発見 し、

その結果

、「

工芸 ‑用 +美』 という明治以来の工芸観を

上越教育大学美術教育研究誌 「美と育」art良educationno.51999 19

(2)

史上初めて否定 (用」の否定ではない) した」のであ り、「その意味で新 しい」 ということになるだろう(2)。

1950年代か らの走泥社の活動の 「新 しさを詳細に検 討することは本稿の 目的ではないが、金子の指摘 を換言 すれば、彼等は既存の制度 としての陶芸の在 り方を 「 定」 して、前衛的な作品へ と向かったのではなく、制度 としての陶芸の秩序か ら、 より深いところへ と意識を向 かわせたということになるだろう すなわち、素材 とし ての土、プロセスとしての技術か ら、一般的な意味での

や きもの」に付随する様々な意味や関連を洗い流 して、

ご くエ ッセ ンシャルな要素 としての 「素材 とプロセス」

を剥 き出 しにして、それに対時 したということである。

工芸 (走泥社の場合は 「陶芸)という 「領域」 を自 明の枠 とするのではな く、それ らを構成する素材やプロ セスに要素的に立ち戻ることは、少な くとも金子の指摘 をみる限 り、工芸 を 「否定することではないだろう

それはむ しろ 「人 と土」「人 と火」「土 と火」などの関係 を考 えることで、「私たちにとっての工芸 (陶芸) とは

‑」 という、 より本質的な問題へ と思考を向かわせるこ とにつながると考えられる。

さらに注 目したいのは、 この ような問題 を、金子が

新 しい工芸の論理ではな く、「新 しい造形の論理(3)

と呼んでいることである。

つ まり、走泥社 に見 られるような、素材 とプロセスを 切 り口とした工芸の深部への潜 り込みは、枠 としての工 芸に限った問題 というよりも、さらにそれを支える、私 たち (金子の文脈であれば作家だが) と物 とのかかわ り という、制度的な領域の支配を超えたところでの造形思 考が問題 とされているのである。金子の以下の言葉がそ れを端的に示 しているだろう

〜そ して 「用」 は絶対的なものか ら相対的なもの に変貌 したのであ り〜一人の作家がいわゆる 「オ ブジェと器物 を制作 の両輪 とす る 日本工芸 の特 異 な様相 もこの造形の論理 を軸 として生 じて きた ものなのである。 この 「新 しい造形の論理は、

西洋近代の美術概念か ら導 き出された 日本の近代 的工芸観 を乗 り越 えるものであった。近代 を超 え なが らしか もそれは江戸時代 までの、いま工芸 と 称 されるものがおかれていた状況への親近性 さえ 持 っている それは ともか くこの 「論理は素材 に対す るアプローチ を境界 として、現代美術 と工 芸 を包括す る日本の造形論 を創 出す る可能性 を持 ったものとして位置付けうる、と僕は思っている(4)0 金子のこのような指摘は、あ くまで も作家 と作品を通

20 ◆ 上越教育大学美術教育研究誌 「美と育」art良educationno.51999

してのものであ り、芸術 というフィール ドに場面を限っ た議論ではあるが、いずれにしても近代的な芸術の分類 の枠組みを超えたところでの造形思考を問題 としている ことは間違いない。

この議論を、既存の枠 を上昇的に 「超えた」 ものとし て、すなわち領域 を超えた新 しい造形芸術の在 り方の可 能性 として、いわば拡散的に解釈することも可能ではあ ろう しか し、む しろ我々の造形思考を内省的に言語化 する試み として捉 えた時にこそ、この議論は教育の問題 に非常に接近 して くる。

すなわち、既存の文化的秩序 としての 「分野」や 「 域」を、無批判に享受するのではな く、あるいは逆にそ れ らを無意味化するので もな く、足下を捉 え直す こと、

つまり制度的に立ち上げられた垂直的な 「図」‑すなわ ち 「領域」や 「分野という言葉で表 されるそれ‑では な く、それらをささえるものとしての 「地」 を問題 とす る美術教育の可能性への接近である。

地」と「図」と「美術」

前章の問いに関連 してさらに以下のような問い も考え られる。

美術 を語る際の当た り前の区分であるかのような、絵 画、彫刻、工芸、デザインなどの領域分けは、例えば小 学校における図画工作、或いは中学校、高等学校におけ る美術の学びに対 して,̲実際のところいかなる意味を持 っているのだろうか、 と

この間題は、学校教育に場 を限ったものではな く、我 が国における美術 という制度の成立 と、その後の展開と に密接 に関わっている。美術 という概念が、さらにはそ の概念を細分化 した、絵画、彫刻‑という分類が、明治 以降、例えば具体的には博覧会などの布告にともなって、

いわば官か ら民へ と制度的につ くりあげられたのもので あることは、いまさら言 うまで もないことだが、例えば 前章で金子の言葉か ら引用 したような、「工芸 ‑用 +美

という概念 を定着 させた明治以降の状況は、非常に複雑 なもの と言わざるをえない。

横山勝彦は、明治期の美術の研究の困難さを次のよう に指摘 している。

明治期の美術が もっている基本的性格、つ ま り美 術 と政治が密着 し、 また重層 していることを指摘 す ることがで きるだろう。 この ような意味で、明 治期の美術 は、美術作 品のみの 自律 的な展 開を辿 るだけでは解明することが出来ない。「美術」 もま

(3)

た、科学技術 と同様 に西欧か ら 「導入」 された、

外来の ものだったのである(5)0 さらに横 山は以下のようにも述べている。

明治時代が遠い過去の ことのように思 えるの も事 実である しか しその一方で、現代の私たちの 日 常生活 を含 む全般が明治時代 に規定 された ものの 路線の うちに成 り立 っていることもまた事実であ ろう したがって、非常 に近い過去である明治の 研究は、前近代 の近代化 とい う問題 と、近代その ものに内在する問題の二重性 を意識 した もの とな らざるをえないはずである (6)

確かに明治期の、正確 には明治以降の美術 を語る際、

多 くの場合 この近代の二重性は、重要な問題 として顕在 化 して くるものである。

工芸においても、一見、近代の問題性、具体的には例 えば太平洋戦争を挟んだ時期の 日本のモダンデザインと 政治の関係などとは、直接には結節 しないかに見える民 芸運動や、重要無形文化財制度なども、実際の所はきわ めて近代的な性格 を帯びた思想、運動であるという点を 兄のが しては、核心には迫れないことも、現在は指摘 さ れている (7)

いずれにしても、上記の横山の指摘は、実は前章後半 で指摘 した 「地」 と 「図」の問題 と通底 している問題で あろう

美術作品のみの自律的な転回を辿 るだけ」で は、明治の美術 は解明で きない、 とする横 山の指摘 は、

換言すれば、「図」 としての突出点、すなわち 「作品」

や、それが属する 「領域」だけではな く、それ らが依っ て立つ 「地」 を問題 とする必要がある、 ということであ ろう

木下直之は、兵庫県立近代美術館学芸員の時に出版さ れた 『美術 という見世物のなかで、 日本の近代美術史 か らこぼれ落ちた様々な物に焦点をあてて、逆説的に日 本の近代美術 とは一体何だったのか、 という根本的な問 題にせ まっている。油絵、彫刻、 日本画 ・‑ 、明治以 降、美術 という制度を構成する領域は、実のところ限ら れたものであった。同 じように、人の手によってつ くら れ、鑑賞 されるものであっても、生人形や置物、細工物 などは、美術 という文脈 には入ってこなかった。なぜ、

そこに境界線が引かれたのかは、美術 という制度 とはど のようなものだったのか という問題 と同義であろう

木下は以下のように指摘 している。

美術学校で講 じられた 日本美術史 とは、万国共通 の美の基準、 とい う名の実 は西洋社会の幻想 に奉 ず る態度か ら生 まれた ものであ り、与 え られた基

準 に したがい、過去 にさかのぼって、 日本の造形 表現 を整理 し直す作業にはかな らない。その よう な見方 を得 ることで、た とえば仏像 は 日本 を代表 する彫刻作品となったのである。

〜美術が どの ように受け とられて きたかを知 りた い とは思 うものの、 日本美術史に沿って過去 を振 り返った ところで、見 えて くるものは、すでに美 術 の顔 をした優等生の ような作品群である 美術 の基準か らはず されたアウ トローたちは、その時 点で、まさに消 されてしまったか らである。

〜見世物 は美術展が生 まれ育 った家 なのである

長 じてのち生家 をやみ くもに忌み嫌い、その貧 し さを恥 じるのは、実 は、 日本人が美術 にどの よう な地位 を与 えて きたかに密接 にか らんでいる 世物 に向けた憎悪の形成 は、近代美術 の形成 と表 裏の関係にある(8)

美術、中で も世に知 られた作品という、突出した 「図」

ではな く、美術史という潮流に取 り残 された多 くのマイ ノリティーとしての物たち一木下が取 り上げた「見世物」

など‑は、取 り澄 ました整然 とした文化的秩序 としての 美術 より、はるかに 日常の欲望 に近い。言い換 えれば 我々の 日々の生活を形成する価値観に近いとも言える。

そ して、そのような日常性は、同時に、近代の美術教 育が (美術」がそうであれば当然のように)、 タブーと

してきた部分に他ならない。

錯綜する「地」と「

地」 と 「図」をめ ぐるさらなる問題 として、北洋意 昭が

民族』 と 『美術をめ ぐる走 り書的覚書にお いて引用 している、次のような諏訪直樹の言葉はどうで あろう

芸術 とは作品 という 「図に対す る 「地」の様 な ものだろ う 私 は 「もの」 を作 っているのだが、

それを芸術 とい う 「地」 に乗せ なければ作品に成 らないのだろ う ところが、最近 その 「地」 が

に見えてきて しまうつ ま り、「地」 を 「図

にするもう一つの 「地」が、テ ラチ ラと見 えて き たような気がするのだ。そ うす ると、私の作 った

「もの」 は作品 としての 「図」 なのか、「地」 とし ての何かであるのか ・・・ (9)

「ものが 「作品」 となるためには、それを乗せ る

地」 としての何かがなければならない。諏訪のことば を借 りれば、芸術 という 「地」に乗せることで、「もの」

上越教育大学美術教育研究誌 「美と育」art良educationno.51999 21

(4)

は作 品になる、とい うことにとりあえずはなる。しか し、

諏訪の 目には、その ような単純 な 「地」 と 「の関係 の、 さらにその先が見 えていた。だか らこそ、「私の作 った 『もの』は ・・・」 とい う極めて本質的な疑問に至 っているのであろう。北洋 は諏訪の記 した疑問について 次のように述べている。

補足 しなが ら解 説す れ ば、 <地 >であ る 「芸術

‑ この場合 は 「美術」 とい って も同 じこ とだが‑

を、 まるご とひ とつの<図 >として浮か び上が ら せ る更 に広大 な<地 >が視野 に入 ることによって、

従 来<図 > とみ なされて きた 「作 品」が、その広 大 な<地 >に通ず る存在‑ いわば 「美術 に うが たれた穴 の ような 「ものとして捉 え られ る ようになった とい うこ とであ る。比倫 的 に いえば、 日本のeth血cgroupの数々が、実は 日本の底 を通 じて世界 に連動 してい る ような事態 を諏訪 は 語 っているのである(10)

北洋のこの指摘 は、非常 に興味深い。つ ま りこれ まで

図」とみなされて きた ものは、それを乗せていた 「地」

を突 き破 り、 さらに広大 な‑ あるいは深遠 な

地」へ

と通 じるものだ とい うことである。北樺が比倫的に用い たエスニ ックグループの問題 を例 にあげれば分か りやす いだろうす なわち様 々なエスニ ックグループは、国家 とい う 「地」の上の、 「図」 の ように見 えて、実 は国家 とい う 「図」 さえも突 き破 り、世界 に連動す る個 々の存 在の根拠の、或いは自然観の きわめて具体的な、そ して 切実 な現れ と捉 え られるのである。日本の近代 において、

対外 的なマイノリティー意識 と同居す る、 日本人 として の根深いマジ ョリティーの意識が、南北 に長い 日本の北 と南で引 き起 こした悲劇 を思 えば、表層的で単純 な 「地」

と 「図」の関係が、如何 に問題の深刻 さを隠蔽一或いは 免罪‑す るように機能 していたかを看過することは出来 ないだろう。 しか し、現在 はその ような国内的 「地」意 識の束縛 を超 えて、例 えばアイヌの文化が、人 と自然 と のかかわ りの きわめて示唆に富んだかたちの一つ として 海外 などで注 目されているのである(ll)

問題 を美術 に戻せ ば、諏訪のい う

を 『 す るもうひとつの 『地』」 とは何 をさし示すのだろうか。

北洋 はその点 を次の ように述べている。

付 度すれば<世界 >とで も呼ぶべ きもの を諏訪 は 想定 していたのではないか と思 う あるいは、 「 ‑ 「美術とい う同心 円的 な意味の広 が りに 配慮 していえば、それは<技術 >ない しは<art>

と呼ばれるべ きか もしれない (12)0

22 ‑◆上越教育大学美術教育研究誌 「美と育」art良educationno.51999

この指摘 は、美術 とい う特化 された狭義 な世界の後 ろ に、我 々が我 々であるための根元的な営み としての<技 術 >を見た ものであろう ただ し、北洋のい う<技術 >

とは、単 に表層的な諸々の技巧のことではない。我 々は、

常 に外の世界 に接 し、同時につ くりかえることを不断に 続 けなが ら生 きている。その意味では、情報 を読み取 る ことも、料理 をす ることも、衣服の着脱 も、 さらには何 か を夢想す ることも、眠ることす らもまた<技術 >であ り、そ うであるか らこそ、北洋 は、それを<世界 >と呼 びかえているのである

美術 の問題 としてこの ことを考 える時、北洋のい う<

技術 >は、広い意味での 「工芸」 と言い換 えることがで きるだろ う 事実北洋 もここに引用 したテキス ト

と 『美術』 をめ ぐる走 り書的覚書」の副題 を、「あ るいは 『工芸』 について」としている 何 れに して も、

広い意味での工芸 と、北樺がい う<技術 >との相似性 は、

例 えば、遠藤利克の以下の言葉 に現われているだろう。

工芸」 は、 「芸術」 の対極 にあ る もの と、漠然 と 思 い描 いていたのだが、 よ くよ く考 える とそ うと も言 えな くなる なぜ な らその始 ま りにおいては

工芸」 と 「芸術は分離 された ものではな く、む しろ一体 の もの として在 ったわけで、「芸術」が明 確 に独 立す るの はつ い最近、西 欧の近代 において なのだか ら そ してそれ は、人 間 とい う種 が、地 球 とい う晴が生 みだ した ひ とつ の変異 であ るの と 同様、「芸術」 は 「工芸」とい うバ ックグラウン ド が抽 出 した、作 る こ との衝動 を巡 る特異 な形式 な のだ。要す るに私 の言 いたい こ とは、 「工芸」 は、

芸術」の無意識だ とい うことだ(13)0

遠藤 が、晴 としての地球 に例 えた工芸、北洋が<世 界 >と言 い換 えた<技術 >‑ ない しは<art>‑ 、それ らは、「作 品」 とい う 「図」が乗 っていた 「地」 として の 「美術一具体的には絵画、彫刻 ・・・とうい う領域 概念で殆 ど無批判の うちに納得 されるそれ‑ をも、一つ の 「として しまう更 に広大 な 「地」 として捉 えるこ とがで きる。ただ し、 この ような 「地」 と 「図」の関係 は、決 して段 階的、垂直的に捉 えるべ きものではないだ ろう奇 しくも美術 の世界で20世紀絵画が示 し得 た よう に、「地」 と 「図」 の関係 は初めか ら固定 された もので はな く、我 々の まなざ しによって常 にゆれ動いているの である。先 に示 した北洋の指摘 は、 この間題 を述べた も の とす ることがで きるだろう す なわち、「従来<図 >

とみなされて きた 『作 品』が、その広大 な<地 >に通ず る存在‑ いわば 『美術』 芸術』にうがたれた穴の よ

(5)

うな 『もの』 として捉 えられる」 ということである。

制度的に規定された 「領域」概念に穴を穿ち、その下 の混沌 とした 「世界」へ と横様 に連動 してい く 「もの」

として 「作品」を捉 えること‑ ここでいう 「作品」とは、

もちろん意味の固定化 した美術品としての何 らかの物体 だけを指す ものではない‑、すなわち美術 という安住の 場か ら 「作品」 を、 リアリティーのある 「生」の世界へ 連結することが、ひとまずは重要であろう 北洋の以下 の言葉は、その意味でも重要な指摘なのである。

技術 と人間、技術 と世界、技術 と政治 をめ ぐりつ つ、装飾の本質的理解、表現 としての技術 の在 り 方 にまで及ぶ思考 を 「工芸」 とい うワリツケの う えに重ねてゆ くならば、「工芸」内外 における分類 の解体 ‑再編一造形上の諸ethnicityを 「美術」 とい う枠組みを超 えて諸々の art」 と如何 に関連づけ てゆ くか‑ とい うことも含 めて、作 品か らart にいたる一連の思考の枠組みの解体 ‑再編 に資す るところは決 して小 さくはないはずなのだ (14)

脱領域の地平

これまで、「地」 と 「図」の問題 について考えてきた が、ここで脱領域 という問題について考える必要がある だろう ただし、冒頭で述べたように、脱領域 と言った 場合、従来の領域 を解消 し‑あるいは超えて‑、新たな 領域 を措定するという、言わば 「広が り」 として考える ことは、果た してどうなのだろうか。 もしも、それが、

突出点 としての 「図」の在 り方の新たなかたちを考える だけのものであるならば、それはおそ らくこれまでの議 論に反するものであろう

むしろ重要なことは、我々の造形行為 を保障 してきた、

支えとも言 うべ き制度 としての 「美術」の後ろにある広 大な 「‑<世界>へ、物、あるいは身体の動 き‑北 浮が言 うところの 「作品」‑ を通 して、思考を潜 り込ま せることにあるのではないだろうか。それは、拡散や広 が りというよりは、むしろ 「深みへの志向である。

したがって、先に述べたように、ここでいう脱領域 と、

従来の領域 を無意味化することは、次元の異なる議論で あろう例えば子 どもが何かを措いた時、それが絵画‑

さらには 「美術‑ という 「地」があってはじめて 「 として可視化 されるのではな く、措かれた何 ごとか の意味、あるいは措 く、という行為そのものを、その子 ど もの‑おそ らくは個々に異なる一生の文脈の中でのかけ がえのない出来事 として見てい くことこそが重要であろ

このように考える限 り、脱領域的な思考 とは、従来

美術」 という制度のなかの様々な領域で行われて きた 行為、あるいは方法を、我々の生に密接なものとして今 一度捉 えかえす こと、つ まり、「領域」 を支える 「地」

のさらに内部の深みへ と、内省的に言語化 してい くよう な作業を意味するのではないだろうか。

我々が何かをつ くるということと、脱領域の関係につ いては、笹山央が興味深い見解 を示 している。

部分は全体 を宿 しているこれが、私が考えてい る 「脱領域」 を実践するための公理の一つである。

この公理 は、私が他 な らぬ 「工芸か ら学んだ第 一の事柄である 部分は全体 を構成す る (全体 に 奉仕す る)ための一要素ではな く、それ 自体がひ

とつの世界である (15)0

笹山のこの指摘は、先に引用 した北洋の見解 と通底 し ている。「部分」を 「図」に、「全体を 「地」に置 き換 えてみるとそのことがわかるだろう

それ自体がひと

つの世界」としての 「部分」とは、まさに 「広大な 『

に通ずる存在」 としての、捉えかえされた 「図」である と解釈することができるのである。

実践へ

美術教育を語る際一小 ・中学校に限らず大学の教員養 成課程においてもー、表現 という言葉が しばしば使われ る。そ して表現 と言 う時、「心情」であるとか 「気持ち」

であるとか、さらには 「テーマであるとかの極めて抽 象的な言葉が付随 して くる。あるいは表現を成立させる ために 「技法」や 「手段」が必要であるとも言われる

しか し、このような内面一表出という一方向のベク トル で捉 えることで、個々のリアルな現われとしての表現を はたして保証出来るのだろうか。何 よりも先ず、表現を、

私」 と 「他者」 との関わ りにおいて不断に生産 される コ ト・モノが、常にその場 ・その時の清新な意味を立ち 現れさせることと捉える限 り、我々は何 ごとかを表現せ ずに生 きている時間というものを持ち得ない。服装や言 葉に限らず、表情、視線など我々の身振 りは、隔絶 され た自己に依っているのではな く、常に 「他者に開かれ ているし、それは生 きる‑表現することが避け難いこと であることをも意味 している。我々は、表現 という双方 向的な関わ りによってこそ、はじめて我々が我々である ことを可視的に問い得る。

情報化社会 という言葉がすでに特殊な状況を意味する ことがなくなった現代の社会においては、膨大な他者の

上越教育大学美術教育研究誌 「美と育」artaeducationno.51999 23

(6)

視線の集積 と、あか らさまな欲望の誘惑 としての数限 り 無いメディア、知 と情報の境界が限 り無 く溶け合った中 で、我 々は自己を外部の秩序に否応な く組み入れざるを 得ない。その中で、我々が表現者であるということは、

確固たる自己の内面の表出などではな く、常に自己不在 と表裏の、生々しい生への問い掛けという側面の方がは るかに大 きいと言えるだろう(16)0

このように考える限 り、表現 とはユー トピア的芸術の 場‑ 「美術」という安定 したかに見える 「地」に乗った

作 品」 という 「図」‑ においてのみ想定 される、あ り きた りの 「自己表出ではないだろう。 さらに皮肉なこ とに、 このことは、むしろ表現 と直接かに見えた美術教 育が、無 自覚 に棚上げ して きた問題で もある。例 えば

絵 を措 く」 こと、「物をつ くること」が、果た して表現 なのだろうか。それが何が しかを表 しているのならば、

表現であるという答えをここで否定することは出来ない が、あえて先の議論 と考えあわせれば、むしろそれは多 くの場合、個 を埋没 させた、垂直的に構築 された歴史的 イデオロギーの断片の、無数の引用の現れで しかないの かも知れない。 したがって美術教育が、今の子 どもにと って リア リティーを持 ち得 るためには、あ りきた りの

美術という言葉は殆 ど意味を成 さないだろう

個々の存在 を問いつつ、近代的制度 としての美術か ら、

現代のメディアの中へ と横様に流れ出 しつつ、溶解 して い く現代美術の試み、あるいは近代の 「美術」神話が忌 避 してきた我々の 日常の生へ と、極めてマテリアルな存 在感によって入 り込んでい く現代工芸の試みを、明治以 降の近代的制度 としての 「美術」 という 「に乗った 諸々の 「領域」の‑亜種、あるいは同次元の 「分野」 と い う位置 に囲い込むこと‑すなわち表層的な 「地」 と

「図の関係 に組みす ることは一何 ら建設的ではない。

それ らを、生へのリアリティーによって制度を改変 しよ うとする試み、或いは捉えかえされた美術 として一先の 北淳の言葉を借 りれば、

地』にうがたれた<世界 >に 通ずる穴として一捉えてこそ、はじめて現代 に意味あ るものとなるだろう。そ して美術が捉えかえされるとい うことは、美術教育 もまた捉えかえされることを意味す る。あるいは逆に、美術 と教育の結節を非垂直的に考え る時、美術その ものが捉えかえされるということが出来 るのか も知れない

何れにしても、美術教育が捉えかえされる時、それは 決 して社会の文脈 と隔絶 された神話的 「美術の引用で はな く、個々の子 どもたちの一或いは我々の‑、いまを 生 きるかたちを保証することで、はじめてリアリティー

24 ‑◆上越教育大学美術教育研究誌 「美と育」art良educationno.51999

を持ち得るのではないだろうか。

以上のことか ら考えると、従来大学で行われてきた美 術教育は、少な くともそれが教員養成課程で行われる限 り、抜本的な構造改革を迫 られていることは明 らかだろ

う。

領域 という相互干渉の無い聖域、教科専門/教科教育 という二重のイデオロギーなど、これまで別個に進行 し てきたも.のが、開かれたかたちで関わることで、 どのよ うな実践が生まれ得るのか。またそれによって、今 を生 きる我々にとってリアリティーのある教育の可能性 を、

どう探っていけるのかが問われているのではないだろう か。

それには、例えば従来の 「絵画彫刻「デザイン

工芸」 という授業の区分けではな く、造形活動 とい う 営みに、 どのような教育的意義を兄い出 し得 るか、また それが今 を生 きる子 どもたち‑我々一 にリアルな問題 と な り得るか という問いか ら、新たな実践に取 り組んでい く必要があ り、そのための試みのひとつ として、テーマ 設定などによる、脱領域的 (本考察でいうところの)な 内容を検討 してみることが考えられる。

素材 と方法「コミュニケーションと造形身体 と ドローイング「もの とことば場所 と環境かたち と歴史かたちとことば」など、従来の 「領域」 を出 発点 とせずに、造形にかかわる諸々の関係性などか ら発 想 してい くような内容をも今後は考えてい く必要がある のではないだろうか。

(7)

(l) 林屋晴三,「現代陶芸一伝統と前衛,r現代陶芸一伝統と前衛‑1展 図録,サン トリー美術館,1982

当時国立博物館工芸課長であった林屋は、この中で、「伝統」は

用」を造形の基本においたもので、「前衛」は 「用」を 「否定

して生れた 「オブジェ」だと述べている。時代的にやむを得な い面もあるが、余 りにも表面的な解釈であることに違いはない0 本文中でも示 したが、金子は走泥社の解釈 において 「用を否定 したのではない」点を強調 し、林屋 とは完全 に異なる立場をと っている。

(2)金子賢治,越境物語 (あるいは 「正統の陶芸),r=芸現想J.

工芸現想同人 ・かたち社,1991,p.19.28.29 (3)同上p.30

(4)同上

(5)横山勝彦.わが国における西洋美術受容の問題」,藤枝晃雄 ・谷 川渥編著 『芸術理論の現在‑モダニズムか らj,乗信望芸術学叢 ,1999′p.159

(6)同上p.160

(7) 筆者が拙稿 「工芸概念の再考 と工芸教育 「一近代批判を内在さ せた近代思想と しての民.上越教育大学研究紀要』第18 1pp,3771388 において、民芸の問題 については言及 して いる。或いは以下のテキス トなど。

長 田謙‑.「<新 日本美 >の創生一戦 時下 日本 における民藍運 動」.批評空間』98・‑19′1998

長田謙一.佐藤賢司 「=芸一近代的なるものをめぐって一民垂、モ ダンデザイン、そ して近代とファシズムのアポ リア」,工作工 』No.6,美術科教育学会工作工芸領域部会,1999

(8)木下直之 『美術という見世物』.平凡社1993′pp.ll13 (9)北洋憲 昭

,

「『民族 』と 『美術』をめ ぐる走 り書的覚書一或 いは

r=芸』について」,rTopos,Ethonos現代美術における文化の はざまをめぐって』,川崎市文化財団,1993.p.26

なお、同テキス トは、『グラス&アー トj1998春号,㈱栄光文化 事業部にも再録されている。

(10)同上

(ll) 例えばAinu:SpiritofNorthernPeople」展,ワシン トンD.C.

スミソニアン国立 自然史博物館,1999.4.30‑2000.1.2など。

(12)北洋,前掲著,p26

(13)F=芸』創刊号.東京 テキスタイル研究所,1995に掲載されたアン ケー ト 「イメージ ・領域 ・アイテム ・役割をめ ぐって」の回答。

p25

(14)北見 前掲著,p.28

(15)笹山央,身体 に根ざ しなが ら世界の中に在る、とい うこと」,

=芸』創刊号 東京テキスタイル研究所,1995.p.20

(16)長田謙一,清新な<皮膚 >のラデイカ リズム」,21回美術科教 育学会福島大会 リレー トーク 「美術教育の リア リティーの再生」

資料,同研究発表概要集,p.7参照

上越教育大学美術教育研究誌 「実と育」art良educationno.51999 25

(8)

*図版について

以下に掲載 した写真は、筆者が上越教育大学において行 った授業、その他である 筆者の専門は染色であるが、

筆者が持っている知識 ・経験 としての染色 を授業 として 行 うのではな く、初等教員養成課程において造形活動を 考える際、 どのようなアプローチが可能なのか、 という ことか ら考えられた内容である 脱領域 という問題が、

作品にどれだけ ドラスティックな変化をもたらすか、 と いうことよりも、造形 という行為 を通 して如何にそれぞ れの立ち上げた世界を意識 し得るかが重要なテーマであ ることは、本論で述べた通 りである 今回は、授業内容 や個々の作品などに関する詳細 に触れるスペースは無い が、本論への批判、或いは筆者 自身の自問、反省 も含め て、いずれ稿 を改めて実践を中心に考察 したいと考えて いる

3

写真1,2,3,4

現れるかたち ;図画工作C (学部2年幼免実技) 2色 に塗分けた竹串を、等間隔でベースにさし、立方体 の中に何が しかのかたちを現せ させ る。そのかたちは、

26 上越教育大学美術教育研究誌 「美と育」art&educationno.51999 4

途中では自分でも見ることが出来ず、また、固定的で手 で触れ られるもので もなく、見るという行為によって初 めて現れるものでもある。かたちを見るという行為の意 味を考えるための教材。

(9)

1QXIQXIQcm

G恥.u三R、†

写真5,6

っなぐ ;図画工作 コース学部 1 ̀

竹ひごを糸で しぼってつないでい くことで、単純な行為 の集積が、 どのようなかたちを生み出すのかを考える実 習。比較的小 さく、竹ひごが交錯するような求心的なか たちか ら、人の背丈を超えるものまで、多様な 「つな ぐ かたちが現れた。

8

写真7,8

10× 10×10cmギャラリー

上越教育大学内の廊下のガラスケースをミニギャラリー としたもの 所属 コースを問わず 「美術の専門的な材料 や道具、技法などにこだわる必要はまった くあ りません。

身の回 りにある様々なものを素材にして、楽 しい作品を 是非つ くってみて下 さい」 と書いたチラシの呼び掛けに 集まった、多様な立方体の作品o素材は様々であるo 8は毛糸の編み物 と ドライフラワーでつ くられた も

の。従来の美術の文脈ではない素材 ・かたちの ものが 徐 々に出て きているo

上勝 育大学美術教育研究誌 「乗と育Jan良educationno・51999◆‑ 27

(10)

28 上越教育大学美術教育研究誌 「美と育」art良educationno・51999

写真9,10

方法一行為 としての染 め ;新潟県立教育セ ンター高等学 校芸術科 「美術指導講座

いわゆる 「ろうけつ染 め」 をす るのではな く、蝋 を用 い た ことによる 「染 まる部分」 と 「染 まらない部分」の関 係か ら、 どの ようなパ ター ンが生 まれ るのか、 とい う方 法論か ら取 り組 んだ実習。従来の閉息的な染 めには見 ら れない、開放的なパ ター ンが現れている。染料 はイ ン ド 藍。

写真11

ゼ ミ所属 の学部学生の習作

木枠織 りか らの発展 で、学生が 自主的に行 った麻紐 の展 開。教室 とい う日常の場 に、麻紐 を少 しずつ張 って、 日 毎 に増殖 してい った。 「織 るとい う行為 か ら、 「組 む

結 ぶ

絡 め る

張 る」 ことへ と、行為 が純化 し、 同 時 に空 間性が増 している。作 品の恒久性 は考 えず に、机 の足や ロ ッカーな どの 日常的な部分か らのつ なが り、 さ らには学生 自身の関わ り一材料、場、時間、行為 な どへ の‑ が興味深 い。

参照

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