秋の風物 に関す る語源研究 ( その 1 )
宿 谷 良 夫
Ⅰ
秋になると,夏のあの厳 しい暑 さに比べて,気温が急に下がって きて,空気 が爽やかにな り,身心共に充実 して くるため,一般には , 「 読書の秋」とか 「食 欲 の秋」とかいわれているように,頭の巡 りも胃の調子 も非常によくなって く
る。
日本 の秋 は暦の上では,立秋 (8 月 8 日頃) ◆か ら立冬 ( 11 月 7 日頃)の前 日 までを さす。季語によると ,8 月を初秋 ,9 月を仲秋 ,1 0 月を晩秋 として三秋 と呼び.秋 9 0 日間を九秋 といっている。 しか し我々現代人の感覚か らすると, 8 月はまだ夏の感 じがする。従 って実際の日常生活及び気象学上では,ひと月 ず らして ,9 月 ,ュ o月 , 11 月の 3 ケ月を秋 としている。一方 イギ リスでは,秩 は 8 月 ,9 月 ,1 0 月をさし,他方北アメリカでは ,9 月 ,1 0 月 , 11 月を秋 と し ている。日本語の秋は もともとお祭 りに関する言葉であって,昔は稲の刈 り上 げの祭の期間をさし,収穫の秋は農家 にとって喜びの季節であった。
さて秋は四季の うちで最 も快適な季節である。初秋の うちはまだ暑 さも残 っ ているが,日一 日と大気 も澄んで きて,万物が爽やかにな り,月や星を眺め る のに絶好の季節 となる。万物が実 り,やがて落ちてゆ く。晩秋 ともなると,自 然 も生物 も冬への準備を始めるために,哀愁の感が一層深まって くる。従 って
●●●●●●
秋はひとしお 「もののあわれ」が感じられるのである。昔から秋は 「もの思 う季節」
とされてきた. しか し誌歌 において秋が悲 しい もの と一般化 したのは , F 古今集j 以降であって , F 万葉集』では,悲秋の感覚で読まれたものは少な い とい わ れ
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ている。 ところで 1 0 月の月平均気温は 1 7 . 3 ℃で ,5 月の 1 8 . 4 ℃ とほぼ同 じであ る。と もに爽 やかな気温であるが,月間 日照時間の平均値は 5 月が 1 94 時間 に 対 し ,1 0 月は 1 34 時間で ,1 0 月の方が暗い。その時 さが悲秋の背景にあるのか も知れない。従 って秋 は農民には収穫の喜びになったが, '生産現場か ら離れた 宮廷の文化人たちにとっては,秋は嘆きの対象であった。古歌では,
春はただ花のひ とへに咲 くばか りもののあはれは秋ぞまされる よみ人 しら ず ( F拾遺集 」) とうたわれている。清少納言は F 枕草子』の中で , 「秋 は夕 ぐ
ちようらく
れ」と述べたが、凋落の季節である秋 と,凋落の時間である夕 ぐれが重なって,
「 秋の夕 ぐれ」は一層 「もののあはれ」が感 じられる。和歌の世界か ら始 まっ た 「もののあはれ」は芭蕉 にも引き継がれており , 「ものさびしくあはれなる体, 秋の本意な り 」( F至宝抄 」) と彼 は述べて いる。
秋あはれ山べに人のあと絶ゆる 室生犀星 秋は風の音で も感 じられる。昔か ら
秋釆ぬと目には さやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる 藤原敏行
( F 古今集』の秋の部巻頭) とうたわれている。吹 く風の音 に秋の到来 を感 じ 取 った歌であるo秋風が身にしみると,秋の哀愁が身心共に一層感 じられるO 秋を代表す る言 糞 には , 「月」 と 「 紅葉」がある。 日本では月見をす る こ と が風流であると同時に,昔 から信仰的な意味があった。「 十五夜」や 「 十三夜 」
というように,満月となる月の出を待 って物を捧げ ることで,人々は豊作や安 寧 を願 った。また 「 紅葉」は 「秋の色」を表わす代表的な色である。現代では,
「 秋の色」といえば,明るく爽やかな澄んだ空の色を思い浮かべるか も知れない。
さの
こさ ん ま さけ
更に秋は味覚の季節で もある。茸 ,栗,柿,秋刀魚 ,蛙 ,新米などが出てき て、大 いに食欲が増進 して くる。
白鷺 や今 日こそ秋の ことぶれに 林期
Ⅱ
あ か り
「 秋」の語源を調べてみると,日本語の 「 秋」は F大言海」によれば , 「 黄熟
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や く
の約」 としている。黄熟 とは,果実が熟 して黄色 くなることを意味す る。つま
あ か り あき
り 「 黄熟」を縮めて 「 秋」 としたのである。 また新井白石は 「 百穀既に成 りて,
あも みち .
飽満るの義」 といっている。つまり秋は実 りの秋 といわれるように , 「い ろ い 嘉 ..
ろの穀物が熟 して食物が飽きるほど豊かになる」 ところか らきて い る。 ま た F広辞苑』では , 「 秋空があさらか ( 清明)であるところか らか。一説 に収 穫
去 . . . . ぁか .
が飽 き満ちる意。また草木の葉 の紅 くなる意か らとも」 と出て い る。 他 に も あ ●
「 天地開明の開き」という説もある。『角川漢和辞典』によれば , 「 秋」は 「とり
か
入れるの意」の語源 「収」か らきてお り , 「 禾 ( いね)を収穫する意」 か ら,
とよ
ひいて 「その時期の意」 となったと している。 とにか く日本の初めの名を 「 豊
あき つ し ま あさのみずはのくに
秋津洲」とか 「 秋瑞穂国」 というように,すべて秋は 「 多く穀物が豊かに実 る 」 という意味に用いられている。
さて英語で秋は a ut umn 又は f a l lであ る。 a ut umn の語源ははっきり していないが,恐 らくエ トル リア語であるといわれている。一般に印欧民族で は,最初一年を夏 と冬 とに二分 し,ついで夏 と冬 との問に春を定めて一年を三 分 し,最後に秋を加えたといわれている。 ところで古代ゲルマン人 に関す る最 初 の最 もま とま った記述 は タキ トス Gai u sTac i t us ( 5 5?‑1 20? )の 位r mani a ( 『ゲルマ一二ア 』) である。彼はローマ皇帝ネロの統治の始 め頃 にローマの名家に生まれ,いくつかの優れた歴史書を残 しているが,この Ge r mani aは A.D.98 年前後に書かれた。 この本の中で , 「ゲルマ ン民族 に は春,夏,冬の名称はあるが,秋の名称 も産物 も知 られていない」 と述べ られ ている。従 って英語では,チ ョ‑サ ー Ge of fr e yCha uc e r( 1 3 4 0‑1 400 ) が 1 4
ポ エ チ ウ ス
世紀頃 (C 1 3 7 4) Bo e t hi us の翻訳の中で, aut umn という語を 「 秋」の 意味で始めて用いたが,約 2 世紀 ぐ らいは一 般 には用 い られ なか った。( 1 )
aut umn の元の形は,古期フランス語 aut om♪r z eで,ラテン語 aut umn‑us か らきている。それでは英語本来の 「 秋」の意で用いられ た語 は何 か とい う と ha r v e s t であった。 この h e r ve s t という語が,現在の 「 収穫」の意味 で用いられたのは ,1 6 世紀 ( 1 52 6 ) のティンダル Wi l l i a m Ti ndal e ( 1 492?
6 5
‑1 5 36 )の聖書翻訳の中に始めて出て くる。彼 は聖書翻訳を通 じて,カヴァデ ィル Mi l e sCov e r d al e ( 1 4 88‑1 56 8 ) と共に,近代英語の成立 に大いに貢献 している 。( 2 ) ha rve s t は古期英語ではh記r fe s t で,ラテン語 c a7 Pe r e (t o
pl u c k 「もぎ取 る」の意)及びギ リシャ語の kaゆ ds( f r ui t 「 収穫」の意) に由来す る。 ドイツ語の He r bs t ( 秩,収穫)はこの ha Ⅳe s t と同語源であ る。
次 にf a l lという語 は, 「秋 」 の意 味で は ,̀ f al loft h el e af I( 「 落葉の季 節」の意)に由来 して いる。 f a l l一語にすべてを代表 させ る省略法の結果で きあがった語であ り ,1 6 世紀以来の用法である。イギ リスの標準語では若干の 成句以外 には用い られず,現在 アメ リカ英語でよ く用いられる。
英米の文学では秋の自然を描写 した ものが多い。特に詩の中では,感覚 に訴 え る絵 画 的 な色彩 で 表 現 され て い る。 イエ イ ツ Wi l l i a m But l e rYe at s ( 1 865‑1 939 ) は ̀ TheFa l l i n go ft h eLe a v e s ' の中で,秋 の木 の葉の散 る 様子にた とえて,恋の はかな さを歌 って いる。天才詩人 キーツ Jo hnKe at s
( 1 79 5‑1 82 1 )は ̀ToAut umn' の中で,イギ リスの秋の風景を絵画的に描き 出 してい る。 この詩で は,秋の豊かな実 りの描写 か ら始ま り,秋が伝える自然 の音楽や色彩が美 しく表わされている。
Ⅲ
日本では,秋 は暦の上では立秋か ら始まる。今年は 8 月 8 日がその 日に当た る。立秋 ( 英語では t hef i r s tdayofa ut u mn になる) は二十四節気の一つで, 大暑 (7 月 23 日)ののちの 1 6 日日に当たり,夏至 ( 6 月 2 2 日 ,s u mme rs o l s t i c e )
と秋分 (9 月 23 日 , aut umna le q ui no x) のちょうど中間に当たる。日本の 「 気 候」は,中国伝来の暦か ら,太陽の黄道上の位置を 2 4 等分 して ,2 4 の季節を配 したもので,二十四節気七十二候 と呼ばれている。この言葉は 「 気」と 「 候」に
し る
発 し,一年の季節の移 り変 りに目を向けた言葉で,旧暦 の上 に記 された 「 太陽 の季節」である。 日付 と季節が年によって大きくくずれ る旧暦では,農事や生
6 6
物の季節は日付で表わすことができなかった。一つの節気の長さは約 1 5 日間で あ り,候 は約 5 日間である。それぞれの気を初候,二候,三候 と 3 つの候 に分 けて暦は季節記事を書いている。気候学の出発点は,この 「 気」 と 「 候」につ いての研究であった。季節や地域による気候の変化の根本原因は,太陽光緑の
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傾きの違 いである。英語で気候を C l i ma t e ,, ドイツ語で Kl i ma ,その他 ヨ ーロッパ各国語で も,ほぼ同 じ発音の言葉であるのは,ギ リシャ語 Kl i l Z e i n
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( t os l o p e 「 傾 く」の意)に由来 し,ギ リシャ語 Kl i ma( r e g io n 「地域 」
の意)の借入である。「 春生麦長秋収冬蔵」の周期 もまた光の傾きか ら生 じた 言葉であり,昔は 「 ‑米」を 「ひととし」、と読んだ。
立秋の雲の動きのなつか しき 高浜虚子 秋 たつや川瀬にま じる風の音 飯 田蛇第
ところで立秋過ぎの暑さを残暑 と呼ぶのは,立春 (2 月 4 日 ,t h ef i r s td a y ofs p r i n g) 後の寒 さを余寒 というのと似てお り,ともに厳 しいのが普通であ る。立秋の約半月後 , 8 月 2 4 日か ら 1 5 日間が処暑で,残暑の厳 さもこの日を境
おさ ま
として暑さが処るという意味か らきて いる。ところが実際にはまだかな り暑い 日が続き.通俗に 「暑さ寒さも彼岸まで」 というように,立秋か ら彼岸頃 (9 月 2 0 日 ‑26 日)までの期間約 1 ケ月半 は , 1 年中で最高の温度と湿度を記録す ることがある。実際に昭和 28年 8月21日には最高気温3 8. 4℃ ( 東京)を記録 し た。紫外線は秋の方が強いため, 日焼 けもこの頃の方が激 しいといわれる。 と ころで最高気温の平均値が 30 ℃を割るのは,8月25日過ぎからである。ときど き暑さを中断するのは,雷雨や寒冷前線の南下や台風などである。いずれ も 8 月後半に多くなる。
棺まで来て居る秋の暑 さかな 支考 かまきりの虚空をにらむ残暑哉 北支
英語で残暑は 1 i n g e r i n gs u mme rh e a t s という。いっまでもぐず ぐず うろ ついていて,なかなか立ち去 りそうにもない夏の暑さをいうのである。 しか し 北アメリカは別だが,イギ リスでは残暑に当たる 1 ケ月半は,暑いのではなく
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て,極めて穏やかな気持のよい畷かさが留まる季節である。
Ⅳ
たなはたづ さ
日本では陰暦の 7 月は文月 ( ふみづき又はふづ き)又は七夕月と呼ばれ ,陽 暦 の 8 月上旬か ら 9 月上旬の候に当たった。文月の語源を調べてみ ると,中国 では古 く7 月 7 日に書物の虫干 しをする習慣があって, これが日本にも伝わり,
ふ み
「 文書ひらく月」といっていたものが省略されて文月と呼ばれたといわれてい る。
tクスチイl )ス } ン シ ス
8 月は英語では Au gus t である。古 代 ローマで は 8 月 を Se xt i l i sme ns i s ( 「 第 6 番目の月 」 ) の意) と呼び ,3 0 日しかなかった。 ところで ジュ リアス ・
ガ イ ウ ス ユ l )ウス
シーザー Gai us Ju l i us C芸 e
ls
la
", ( 1 0 0 B.C. ‑4 4B.C . )の姪の息子オクタグ ィアヌス Gai usJul i usCae s a rOc t avi a nu s( 6 3 B.C. ‑A.D. 1 4) は元老院から
丁ウTス トウス
擁立された形で, Al l gu S t uS( 「 尊厳なるもの」の意)の称号を贈 られて皇帝 の位に即 き , Au gus t usCae s a r( 2 7 B・C・ ‑A.D. 1 4) と呼ばれた。彼は 9 月生 れであるが , ‑8 月が彼にとって戦勝その他幸運な月であったので,自分の称号 を後世 に残す ため に , 8 月を Au gus t u sme ns i s に改 めた。 これが英 語 の
ガ I ) 丁 へさ ち
Au gus t になったoさて Gal l i a やローマ帝国の他の僻地では,古 くか ら 8 月を
「 収穫」を意味する Ea us t 又は a us t と呼んでいた。明 らかにこの類似がヒ ントになって変更を思 いついたのであろう。 しか しフランス人は Au gu s t を採 用せず, Ga l l i a の古名をまず Ao us t と変形 し,現在 aoGt で 8 月を表 して いる 。 aoat は古 くは 8 月に行われる 「 刈 入れ」を意味 した。
また古代 ローマの暦では奇数月を 31 日,偶数月を 30 日とし,年末の月であっ た 2 月だけは平年 29 日であった。 ところで古代 ローマ人は奇数を吉の数と考え ていたので,アウダス トゥスは 8 月も 2 月か ら 1 日差 し引いて 31 日と改めた。
そのため混乱が起 こり,今 日のよ うに毎月の日数がわか りにくくなった。 しか し彼は皇帝 となってか らは内政の充実をはか り,平和 と繁栄の基礎を築き,ロ ーマ文化の黄金時代を現出した。
6 8
さて Ju l i u sCa e s ar は B. C. 4 6 年にローマにユリウス暦 ( Jul i a nc al e nda r) を制定 し ,B. C. 4 5 年 1 月 1 日か ら実施 した。 これは 1 年を 3 6 5 日 6 時間 とし て ,4 年毎に うるう年 (l e a pye a r) をおいた。 しか しローマ教皇 グ レゴ リウ
グレゴl )‑
ス 1 3 世 Gr e go r i us X Ⅲ ( 在位 1 5 7 2 1' 8 5 ) ( 英名は Gr e gor y) は ,1 5 8 2 年 1 0
月 に今 までのユ リウス暦 を改訂 してグ レゴ リオ暦 (Gr e go r i a nc al e nda r) を 制定 した。 これはユ リウス暦 を若干改めた もので.①西暦年数が 4で割 り切れ る年を うるう年 とし , ㊥1 0 0 の倍数の年には 4 0 0 で割 り切 れる年を うるう年 と した。 また㊥年初を 3 月 2 5 日の代 りに 1 月 1 日とした。そこで前者を旧太陽暦 つま り旧暦法 (Ol dSt y l e) といい、後者を新太陽暦つまり新暦法 ( Ne w St yl e ) と い う。 イ ギ リス は 1 7 51 年 まで 不便 な 旧暦 法 を採用 していたが ,1 7 5 2 年 に 新暦法 に切 り換えて,大陸諸国 と暦 日を一致 させた。 日本で これを用 いたのは
1 87 2 年 ( 明治 5 年)である。
ところで今 日 8 月 (Au gus t) といえば,夏 の暑 さ (s u mme rhe at) と休
T ング t
)
サクソン暇 の季節 ( hol i d ays e as o n) とが連想 され る月である。古代の An gl o‑Sa xon 人 は 8 月を We ∂ d‑mo ‑ 1 Z a Pと呼んだ . we o ‑d‑m否na ク とは 「 雑草の月」の意味 であるが,古英語の W 6 dは,当時は もっと広義に 「 緑の草木」を意味 してい た.だか ら W e o ‑ d一mO ‑ 叫 は 「 緑 の草木の月」の意味であろう。その頃のイギ
か し ぶな
リスで は ,8 月は樫 ( oa k) や撫 ( b e e c h) などの樹木がその緑 の糞を伸 ばす時期 で あった し,またその ことを人々が意識 したか らそう呼んだのであろう。 また
フ マ ス
8 月 1 日はイギ リスの昔の収穫 ( 感謝)祭 日であ り , Lamma s 又は Lammas Day という . La mmas は盲 期英語 hl amm̀ es s e 又 は hl d ‑ f m̀ どS S e ( l oaf
ma s s 「 パ ンの祭 日」 の意) に由来す る。イギ リスでは An gl o ‑S a xo n 人が,
「もと新麦の粉で作 ったパ ンを神 に捧 げて祝 った初穂感謝の祭 日」を La mmas ( Da y) と呼んだのである。 この 日はスコッ トラン ドでは四季支払 い日の一 つで あ り,カ トリックでは聖ペテ ロ St .Pe t e r ●の投獄 とその奇跡的脱 出 ( 新約聖 書使徒行伝 1 2:4‑1 0 ) を記念す る日とな っている。
6 9
V
9 月になると上旬はなお厳 しい残暑が続き,二百十 日や二百二十日の台風シ ーズンである。 ことに下旬は大型台風に見舞われることが多い。中旬か ら残暑 も和 らぎ.秋風の立つ日が多 くなる。月見や彼岸が済むと,秋の七草が咲き, 天高く.めっきり秋 らしさが加わる。
は づ さ つ さ み づ さ
日本では陰暦の 8月は葉月又は月見月と呼ばれ,陽暦の 9月上旬か ら1 0月上 旬の候 に当たる。葉月の語源を探 ってみると , F奥義抄 』 には,この月は木々
は お ち つ さ t Lま
の葉がそろそろ落ちる頃なので 「 葉落月」とな り,それが靴 って 「はつき 」に
るい じゆうめいぶ つ こう か り
なったとしている。また F 頬衆名物考」には,秋を知 らせる雁が初めて渡 って はつき つ舌
くる月は,つまり 「 初来月」であり,それが略されて 「はつき」になったとし
たん I
l はは
ている。またこの月に入ると,田園の稲の穂がみごとに張 る月なので , 「 穂張 り 月」と称 していたのが靴 って 「はづき」となったと している0
セ ブ チ
▲
9 月は英語では S e pt e mbe r である 。 9 月はラテン語 5 抄t e m ( 「第 7 」の 意)に由来 し,古代ローマの暦では文字通 り7 月をさした。それによれば, 1
ヌ マ 年は 10 ケ月で 364 日であった。B.C.8 世紀頃 ( C71 3B.C. ) に Numa 王は
De c e mbe r ( 最終月)の次に Jan uar y と Fe b r ua r y 首加えて 1 年を 1 2 ケ月 とし , 355 日とした。 しか し B.C.5 世紀頃 ( C 451 8. C. ), 1 年 の第 1 月 を Janua r y ,第 2 月を Fe b r uar y と定めた。つまり年初 に2 ケ月が加わった ので.自然に他の月が 2 ケ月分後に押 しやられ,元の月名が示す数字 と実際の 月名に 2 ケ月のずれが生まれた。 この月順が今 日まで用いられている0
さてイギ リスで 9 月といえば , 「 収穫期」と 「 凋落期」・ とが意識 され る。古 代 An gl o ‑Saxo n 人は,この月を HL Cr fas t‑m67 W ♪( Ha r v e s tmo nt h 「 収穫の
月」の意)又は Gb r s l‑m6na i ,( Ba r l e ymo nt h 「 大麦の月」の意)と呼んだ。
古英語の Hur fas t は今 日の英語の har v e s t と違い, もっぱら 「 穀物の収穫 」 , 特に 「 大麦の収穫」を意味 していたと考えられる。なぜな らイギ リス人は大麦
エイ
ル
を原料に して麦酒 a l e (エール)を造 り.昔か ら今 日に至るまで愛飲 している か らである。モーム Wi l l i am Some r s e tMa u g ham ( 1 874‑1965 )の小説 に
70
Gl k e sand Al e ( Fお菓子とビール 』1 930 ) という小説がある. この語句 が i d i om にも使われ , 「 人生の楽 しみ 」 , 「にぎやかな宴会 」 , 「のんきな生 活」
という意味になっている.また 「 婚礼」を意味す る br i d al は古英語 b r y ‑ d
( 「 花嫁」の意)と 占 al o( a l e; f e as t 「 祝宴」の意)か らなる b r y ‑ kal u に由来 し , 「花嫁の家のビールの宴会」の意味である。つまりこの くらいイギ リス人 は a l e を好んできたのである。
また彼 らは 9 月を Ha ‑ l i g‑m 6 n a P ( Ho l ymo nt h 「 神聖な月」の意)と呼ん
いけに
え
だ.彼 らの祖先が異教徒で月を偶像崇拝 していた頃,この月に生賢を捧げたた
マ l)丁
めか,又はキ リス ト教の伝来以来 ,9 月 8 日がキ リス トの聖母 Ma r y の誕生 日 ( Bi r t hd ayo fOurLad y) に当たるから,そう呼んだのかははっきりして
いない。
Ⅵ
二百十 日は立春から数えて二百十 日目のことで,新暦では 9 月 1 日に当たる。
この頃季節の変 り目に当たる気象の変化のため,暴風雨がやって くることが多 い。またその 1 0 日後の二百二十 日も.新暦では 9 月11日に当たり,農家の厄 日 とされている。これは農作 ( 稲作)と台風 の関係を表わして注意を喚起するよ うにした我国だけの呼び方である。つまりこの頃は稲の開花期が大型台風の集
と き
中期に当たっているか らである。昔か ら農村漁村では , 「 李の目盛 り」 と して 重要視 されてきた。例えば , 「 二百十 日の走 り穂」は,この頃稲の穂 が 出始 め ることをいい表わ し , 「 二百十 日の別れ水」は.田の水を落 とすことをいった。
この 「 二百十 日」という言葉が暦に現われたのは江戸中期の頃で,暦学者 とし て有名な安井算哲 ( 1 71 5 年没)が, 老漁夫か ら教えられて幕府に進言 し,この日
へんさん じようさようれ主
を厄 日として自分の編纂 した貞享暦 ( 1 685) に始めて 「 二百十日」を書き入れ たといわれている。
台風 は気象学では,熱帯 ( 性)低気圧が風速毎秒 1 7m になったら台風 と呼ぶ。
タイフ‑ン この台風のことを古 くは鶴 と書いていた。明治時代に英語の t ypho on に音韻
71
を合わせて , 「 鶴風」 と書 くようになり,その後昭和 21 年 ( 1 946 ) に当用漢字
ぐ ふ う
が制定 されてか ら台風 となった。中国では台風のことを 「 殿風」とも普 くが, 殿は 「あらゆる」の意の具 と風 とを組み合わせた文字で , 「 すべての方 向 か ら 吹 く風」という意味である。さて 日本で鶴 という字が最初に使われたのは,曲
ちんぜいゆみI iりづ さ
亭馬琴の F椿説弓張月」の中であ る。 ところで台風は北太平洋の熱帯地方及び 東 シナ海に発生 したものをいう。台風 という言葉ができるまでは,秋の大風の ことを 「 野分 」( 「のわき」又は 「のわけ 」 ) と呼んできた。この野分は、F源氏 物語 J ( 1 1 世紀初期頃)の 「 野分」の巻の中で も,同時期の F 枕草子lの中でも みられるように,既に平安初期には今と同じ意味に使われていた。野分の語源は, 一般には 「 野の草木を吹き分ける風」の意 とされている。野分の吹 く時期は,
「平家物語」 ( 1 3 世紀)や r 徒然草 J( 1 4 世紀)にあるように,秋か ら冬にかけ ての時期である。
鳥羽殿へ五六騎急 ぐ野分かな 蕪村
さて台風は英語では t y p h o o n である。この語はアラビア語 t u 7a i n( d e l u g e
「 大洪水,豪雨」の意)又はギ リシャ語 t 砂h an ( whi r l wi n d 「 施風,つむじ 風」の意)に由来 している。アラブ人はヨーロッパ人より以前に,アジアの南 東の地域を探険 していたのである. E 申 f a i nは ・ t 砂 h a n に由来,又は両者は
タ イ
フ
* ン共通の語源に由来 している。ギ リシャ神話に出て くるテユフォン Ty p h o n は,
タイフ* ウ.11ス
この t i l Ph bnに由来 し,テユフォエウス Ty p h o e u s の子であるか又はそれと
・■ ウ ス
同一視 された。この怪物は百個のヘビの頭を持つ邪悪な巨人であって , Ze u s
エ ト
ナ
J Jt,タ t)スはその害悪を知り,彼に落雷を落 して火を放ち ,Et o n a 山の下の地下界 Ta r t a ms に埋めたという。また彼は地球の地震の原因であると考え られているOチフス
タ イフ丁ス
t yphusもギ リシャ語 t a p h os( f e v e r; d e l u s i o n 「 熟 」又は 「 錯覚」の意) に 由来 して ,Ty p ho n と同語源である。このように t yp h o o n は昔か ら悪魔のよ うにみ られていた。
7 2
Ⅶ
稲は東南アジアの原産で,栽培は中国古代に始まるといわれている。 日本で は縄文時代頃か ら稲の栽培が行われ ,8 世紀奈良時代の末期になって重要視 さ れ るようになった。
いい ね
「 稲」の語源は , 「 命の根」 とか 「 飯根」の靴 りか らきたといわれ るが は っ
う
す
きりしていない。漢字の 「 稲」は 「 相」で , 「臼の中で こねる」の意 で あ り.
臼でついて餅状にな らす ことのできる穀物をいう。「 米」の語源は , 「 小 さい実」,
こ
み
に こみ
つまり 「 小実」がコメになったとか.「 柔実」がコメになったとかいわ れ て い る。また古 くは米 はオソシネ,ウルシネというように , 「シネ」と呼 ば れて い
7 シ た。シネは 「 死ね」に通 じるために 「ヨネ」ともいった。 これは 「吉」のヨ,
タ ネ めし め あ め し
「 種子」のネか らきたといわれる。「 飯」の語源については , 「 召 し上が る」「 食
もの み お
し
めし物 」 「 美食」などが略 された り,靴 った りしたものといわれる。 「 飯」は実は等
こわめし
む .
敬語か らきた言葉であ る。 また 「強飯」といって米を蒸 して食べ た ことか ら,
さこしめしもの
「ムシ」が言 化った という説 もある。r大言海Jでは , 「 聞食物」の略 とあ る。
め し
「 何によらず ,身に受け納めるをめす という。飯はその第‑であり,人を尊ん でいったのによる」 とある。
ゆふ ぐれの溝をったへ り稲の香は 平畑静塔
英語では 「 稲 」 , 「 米」を r i c e というOアジアでは 2000 B.C. 頃か ら栽 培 さ
J寸 ビ t7 エ 丁
チ タ l )ス
れ, Ar e
+x
'a芸d
le ‑ ,大王が B.C.4 世紀 に Ba by l 。 ni a を征服 した際 に ,Ti gr i s , . 1‑ フ ラテ ス
Eu p hr at e s 川沿岸 に植え られていた とい う 。r i c e の語源は舌代インド語 vr i hi に関係あるらしいが不詳。一応, ギリシャ語 6nL Z O n, 6nL Z a か ら後期 ラテン語
or y ‑ z a に由来するらしいo日本語の古語 「ウルチ」 はこの vr i h i に由来す る
ねカ 1 らしいがは っきりしていない。鈴木梅太郎博士 ( 1 872 ‑1 94 3) は米の糠 か らビ
I I) す ェ
ン
タ ミン B 1を とったので,その物質をこの語源から o r y z a ni n と名づけた。
英米では結婚式が済んで,新婚旅行 に出かける夫婦 にその門出を祝 って,頭 上に米を投げつける習慣がある。 この風習は r i c e を多産 ( f e c u nd i t y) の象徴
としたインドからの伝習又は古代 ローマの退習だ といわれている。
7 3
ⅦⅠ
ひらめ
「いなずま」 は空中で電気が放電するときに閃 く火花,つま り電光のことで,
「いなぴか り」 ( 稲光) ともい っている。雷鳴を伴 い,あの夕立 のと きに 多 い。
いf 1づま い( Lづ士
「いなづま」は漢字で 「稲妻」 と書いているが, もともと 「 稲夫」が本当であ るO電光 の古 い異名 は 「 稲 の殿 」という。秋 になって稲が実を結ぶのは,オ シ ベの花粉 がメ シベにつ くためであるが,すべて物事が科学的 に説明 されなかっ た古代では , 「稲は実 をは らむか ら女性だ」 と単純 に考えていた。 そ の うち電 光の多い年は稲 の実 りが良好で豊作 になることを知 り, これはきっと男性 の電 光が毎夜のよ うに稲 に通 うため穂がはらむのだ と信 じるよ うにな り, この こと か ら電光 の ことを稲夫 とい うよ うになったといわれる。
ところで 「いなず ま」 の多い年が豊作なのは,雷雨の多い年は,一般 に多照 高温の豊作型気象を伴 い,雷の放電 によ って空気中の酸素 と窒素 とが結合 し, さらにこれが雨に溶 けて窒素肥料が多 くできるためといわれ る。雷雲 の中で, 正 と負の電気が別々の ところに蓄積 されて,電位差が非常 に大 きくなると,空 気の絶縁が破れて火花放電 が起 こる。 これが稲妻であ り,人 の目には,一回の ピカ ビカ に見え る電光だが,実 際には,同 じ 「 放電路」を電気が百分の四秒 は どの間隔をおいて何回 も往復 して いるのである。
すす さ
稲妻や顔 のところが薄の穂 芭煮 空遠 く走 る山脈 いなぴか り 岩佐清子
稲妻 は英語では I i g ht ni n g という 。 l i ght e ni n g( 光 る,輝 く)の変形で, 1 3 世紀頃 ( ヤ 1 2 80) か ら I i gh L ni n ge と して使われ始めた.
Ⅰ Ⅹ
真夏の空 に入道雲が沸 き上が ると,やがて稲妻が走 り雷鳴がとどろき出す。
夏にはつ きものの冨であるが,昔 の人々 もたい‑ん恐ろ しか ったよ うである。
かみfLり
F広辞苑Jでは,雷 は 「 神 鴫の意」 とあ るので,昔の人 はあの雷の昔 を天 の怒 りの音 と思 ったのであろ う。昔 は雷を 「いかづち」 ともいい , F古事記」に も
7 4
い カヽつ ち お そ
出て くる。 この語源は F大言海』では , 「 厳之霊の意」で , 「ひどく畏ろ しい神
ち い か
だとしている」とある。 「 霊」は 「 神」を意味す るか ら.雷は 「 厳め しい神」 , つまり恐 ろしい神とみ られていた。
くわは ら
雷が鳴った ら , 「 桑原,桑原」と人々が唱えたわけは,菅原道真が火 雷天 神 と思われていたか らであ り,その怨霊封 じのおま じないであった。桑原は道真
ち な の領地で,菅公復官贈位のあと,一皮 も落雷 しなか ったという故事に因む.彼
ぎ
ん
だざいどんのそちは藤原氏の孟言で大事権師に左遷 されて,榎寺で亡 くなった。死後怨霊 とな り, 雷を落 して崇 りをな したといわれる。彼は紅梅 をこよな く愛 したので,それと 別れを告げる和歌が有名である。
こち あるじ
東風吹かば 匂いお こせよ梅の花 主な しとて 春な忘れそ 雷の音ひと夜遠 くを渡 りをり 中村草多男
雷は英語では t h und e r である。 この語源はサンスクリット語 t an yat i ( i t s o ム nds 「 響 く」の意)に由来 し,ゲルマン語 i , or z ar a z ( 古代スカンジナビ ア語 L , 6T r ) か ら古英語 i ・ unor になった. ‑d一は1 3 世紀半ば頃添加 された
。♪ ∂ 〝 は Tho r で,北欧神話に出て くる トールのことである。 彼は主神 wod e n の長男の雷神で,神人中最 も強力で勇敢 な男神であった。人間の住む世界,地 卜 上界の守護者であり,雷,天候 ,豊穣の支配者であった。英語の Thu r s da y
( 木曜 日)は古代北欧語 b 6r s da g‑r の借入語で.後期古英語 1 , 0 ‑ r s d ai にな った.つま り Tho r ' s da y で・ トールの日の意である 。Thur 旦 da y の Sは所 者格を示す ' Sである。
Ⅹ
夕立 は夏の,多 くは夕方に,雷を伴 って短い時間に激 しく降る雨のことであ
しゆうう
る。夕立や雷雨は牒雨 ( にわか雨)の典型であ る。急に曇 ってきて大粒の雨が 落ち, ときには雷鳴が聞 こえ,激 しい雨 になるが短時間で止んで しまう。あと はけろりと晴れてまた蝉 の声が聞 こえた りする。夕立の降 る区域は積乱雲の通 路に当たる狭い帯状で , 「 夕立は馬の背を分ける」 といわれる。炎天 後 の夕 立
7 5
は人 も草 も生 き返 る爽やかさがある。
ゆうたちのあめ ●●●●
夕立の語源は , 『大言海』には , 「夕立雨の略」であって , 「ゆ うだっこと」,つ
ゆうが た は じ
まり 「 夕方の暗いようにな り初める」 ことで , 「 夕方 とは限 らない」 とあ る。
r 国語語源辞典Jでは , 「 雷 ( かみなり,いかづち)のことをかんだ ち とい う
●●
方言がある。このだちという語は,づちと同類で,竜蛇神,転 じて雷神を意味 する語にも関連する語 らしい。夕立 とは夕立近 くに降る雷雨が本義で,冒 ( だ ち,づ ち)を伴 う雨の義。転 じて,雷をともなわな くて も,急雨の意になった 」 としている。
つ か
夕 だ ち や 草葉 を 掴む む ら雀 蕪村 石 ぬ れ て やす ら ふ色 や 夕立後 尾崎光尋
夕立は英語では s howe r であ る。中世英語やノルマ ン語やゴー ト語では 「 一 陣の風」を意味 し,特に印欧喜 吾及び ラテ ン語 で は それぞれ no r t hwi n d ( 北 風), nor t h we s twi nd ( 北西風)を意味 した 。s howe r は雨に限 らず,元来
ひ上 う
みぞれや雷や雪の予期せぬ一降 りをさした。アメ リカでは結婚式のときに贈物 がだぶ らないように,贈物を割 り当てて頂だいする結婚祝い贈呈会をいう。
Xl
はくろ
二十四節気では .9 月 8 日か ら 22 日までの 1 5 日間を白露 という。白露は 「し らつゆ」つま り 「 霜が固まって白い」の意味である。F大言梅』では ,貢 とは
し め さ 上
「しる,水気,湿 りをいう。あ るいは粒嘉の意で,円 くて浄 いのをいう」 とあ る。他では , 「 透明の意。転 じて透明にすけてみえること」 とか 「しきつ らね るの意」とかある。F角川漢和辞典」では , 「つぶつぶがつ らなる意。水蒸気の つぶになったものをいい,また うるおす ことを意味する」 とある。
白露 のころになると,秋気 も本格的に加わ り,朝 日に光 る露 に秋をひとしお 感 じる季節 となる。「 朝方露のあるときは晴,ないときは曇 り」とか 「草木 に
しす く
露が多いときは近いうちに雨」と正反対の諺がある。「月の雫」は露 の異 称で ある。パキスタ ンでは露 は 「 月の妹」にたとえ られ る。霜は晴れた夜の冷え込
7 6
お
みでよ く降 りるので,月と結びっ きやすい。一日の長高気温 と最低気温の差の 平均値は , 9 月が 6 . 8℃,1 0 月が 7 , 3℃ ,11月が 8 . 2℃,1 2 月が 8. 8 ℃ と冬 に 向かって大 きくなる。夜が長 くなる上 に.晴天が多 くな り,夜間の放射冷却が 強まるか らである。 この露 の量は雨量換算で,年間 1 0 ミリ程度 と推定 されてい る。露 は日が当たると消えるので , 「 露 の世」 , 「 露の身」 , 「 露の命」 , 「人 生 は 朝露 のどと し」などとはかないもののたとえに もな っている。
芋の冨連山影を正 しうす 飯 田蛇 第
しらつゆやす ゝきにか らむ葛かず ら 西島麦南
露 は英語では d e w である 。de w はギ リシャ語 t h e f n ( t or un 「 流れ る,こ ぼれる」の意)か ら,ゲルマ ン語を経て,古英語 d b ‑ a w に由来す る. de w は , t h e( おw ofone ' sy out h (さわやかな青年時代)( 旧約聖書の詩 篇 11 0
:3) のよ うに,朝や青春 などの新鮮味,さわやか さを表わ して比愉的に使 う ことがある。「 露」は詩の材料にも使われることが多い。
ブライア ント Wi l l i am Cul l e nBr yant( 1 7 9 4‑1 87 8) (アメ リカ の詩 人 ) の ̀ Tot heFi n ge d Ge nt i a n'( 「リン ドウに寄せて 」) では,次のように歌 っ ている。
Thoubl o s s o m,b r i g htwi t haut umnde w , ( 秋の 霜 に輝 く花よ
Andc ol or e dwi t ht heh e ave n' sownb l u e , ‑・ その色は天の育そのものだ ) ロー レンス Davi dHe r be r tLawr e nc e( 1 8 8 5 ‑1 9 3 0 ) (イギ リスの小詩家,請 人)の ̀ Son g‑d ayi nAut umn'
Whe nt hea u t u mnr o s e s Ar ehe a vywi t h 血 ,・ ・ ・ ・ ・ ・ Whe nt heaut umnr os e s Tr i c kl e st heと おW ,
Whe nt heb l uemi s tunc l os e s Andt hes ul ll o okst hr ou gh, Yo u f r om t ho s es t a r t l e dhi l l s
( 「 秋における歌の祭 日 」) では ( 秋のバ ラが
露で重いとき
秋のバ ラが
露をこぼす とき
青 い霧が姿を現わ し
太陽がのぞ くとき
きみは驚いた山々か ら
7 7
Comeaway , ・ ‑‑
と歌われている。
出てゆ く‑)
Ⅹ 】
9 月の花は朝顔である。朝露を含んで咲いている朝顔 は,ひとときのはかな い生命を象徴 している色彩豊かな草花である。「 朝顔」の名は , F大言 梅 』には,
かおば( 1
「 朝の容花の意」 とあ り,朝に美 しい花を咲かせるところか らつけられた。こ の花は熱帯 アジア産だ といわれる。中国で は千五百年前か ら種子を薬用に して いた。中国か ら日本に伝来 したのは平安時代 といわれ ,種子を下剤 と して薬用 に していた。鑑賞用では江戸時代以後 といわれ る。F万葉集』に出て くる朝顔
きさ上 う
は桔梗 のことである。朝早 く朝顔の開花す る時期に爽やかな風が始まる。朝顔
ひるがお 上るが
お
と同 じヒルガオ科 の草花に昼顔 と夜顔があるが,名前の通 り,それぞれ昼 と夜
ゆうが
お
に美 しい花を咲かせる。夕方になると涼 しげに咲 く草花に夕顔がある。 これは ウリ科の一年草で,美 しい花であると共に食用になる。す し用のカンピョウは この夕顔の実か ら作 られる。
朝顔 に釣瓶 とられて貰 い水 千代女 朝顔 や夢の浮橋かけ渡 し 北枝
朝顔 は英語では mor ni ng‑ gl or y という。「 朝の輝 き,美観」 とは美 しい言 葉である。朝顔の日本の花ことばは , 「約束 」 , 「はかない恋 」 , 「 私はあなたに結 びつ く」であるO英語 の花ことば ( f l or a l l angua ge ) では ,af fe c t i on ( 愛 情,
上そお
気取 り,装い), e qua ni mi t y ( 平静)となる。
Xm
お よ
び 秋の野に 咲 きたる花を 指折 り
く さ か きかぞふれば 七種の花 はぎの花 尾花喜花 なで しこの花
おみなへ し また藤袴 あさがおの花 山上憶良 (r 万葉集 』)
7 8
これは r万葉集』に出て くる 「 秋の七草 」 (t hes e v e na ut u mnf l o we r s ) よ
を詠んだ歌である。最後の朝顔は桔梗のことだ といわれている。
萩は秋の七草の一つだが木である。 ただ木 の仲間にない優 しさが捨て難 い。
その可憐 な花が愛 されている。萩の語源は , F大言海』では , 「 萩」は「 萩芽子 」
は え
さ
とあって , 「 生芽の意。宿根よ り芽を出すか ら,芽子の字 を用 いる」 とあ る。
「 萩」 という字は中国の漢字ではな く ,「 + 」( 草かんむ り)に 「 秋」を組み合 わせて日本で造 られた字である。俗語源説的に当てた単なる当て字 にすぎない。
ひがんはf
1
日本の花暦では彼岸花 とともに 9 月の花 として選ばれている。若葉を摘んで乾 燥 させ渋茶代 りにする。
三 日月やこの頃萩の咲きこぼれ 河東碧梧桐 萩の客去 りたるあとの月夜かな 大場白水郎
英語では萩属の植物を bus hc l ov e r ( 「 やぶのクローバー」の意) , 又は l e s p e d e z a 7E )I )T
〔 l bs pa di: z a 〕という 。 l e s pe de z aは ,1 8 世紀 Fl o r i d a 州のスペイン総督 Ⅴ・
M. d b Zb s pe d b z の Z を L と誤読 したことか らで きた語である。
秋 になると野山はススキ ( 管)の穂におおわれる 。「 菅 」の語源は は っき り は
しないが , F大言海』では , 「 す くす く生えているところか ら名づけられた」よ う
i, Lほ 1 1 である。ススキの花が動物の尾 に似ているところか ら,文学的には 「 尾花」 と 呼ばれている。白い花穂である。一方ススキは,その茎か ら屋根をふ く材料 と
か
や して も重用 されてきたので,カヤ ( 萱,茅) と呼んでいる。 この語源は上屋か らきてお り,昔は屋根 をふ く草 はすべてカヤと呼んでいたが,いつのまにかス スキだけをさすようになった。従 ってススキは青葉のときはススキ,花穂のと きはオバナ,枯れたときはカヤ と呼ばれる。ススキは 「 菅, 薄 」と書かれ,風 に揺れる姿 に趣きがあ る。十五夜の月見に.お団子 とともにススキを供える風 習は江戸時代に始まったものである。「 船頭小唄」( 野 口雨情作詞,中山晋平作 曲,大正 1 0 年)の中に出て くるあの枯れススキは,今でも我々の胸 に訴 える力 強 さがある。すす きの花言葉は 「 活力」である。
山は暮れて野は黄昏 の薄哉 蕪村
7 9
幽霊の正体見た り枯尾花 横井也有
ススキは英語では e ul a li a である.ギ リシャ語 e t ual os か らの借 入 語で あ る 。 e u ( we l l ,good 「 良い」の意) と I al bs( t a l kat i v e 「お しゃべ りな」の 意)が組み合わ さったことばで, s we e t l y s pe a ki n g ( よ くお しゃべ りをする
こと)の意である。
し の j
(
葛の花の誌歌には釈迅空 ( 折口信夫)の歌集 F海やまのあひだ J ( 大正 1 3 年 ) の巻頭の一首がある。
葛 の花 踏み しだかれて,色 あたらし。
この山道を 行 きし人あり
葛 に逢ふたの しきに来 し峠かな 有働木母寺 葛の葉 に風かけ登 りかけ くだ る 鎌田冨山
かず ら
「 菖 」は , F大言海E l には , 「くず葛 というのが正 しい」 とあ る。 中国 名 は
かつ
はとり く す
「 葛」だが,これをクズ と読むようになったのは,昔大和吉野川の畔の国栖地 方の人が,このカズラの根の粉を売 り歩いたので,その原料植物をクズとした
さ ざ という。今で も和菓子の材料には 「 吉野葛」が欠かせない。またこの根を刻ん
し上うやく
だものを他の生薬 と合せたものが葛根湯である。「くず湯」は,根か らと った と
澱粉を熱湯で溶 いたものだが,これを冷水で薄めた 「くず水」は,のどの渇き をよ くとめる。盛夏 には健康的な飲み物である。
くす
葛は英語では ar r owr oot である。 「 矢 の根。矢の根を抜 く」 とは , 「インデ ィア ンがその根を毒矢の傷の治療に用いたことか ら 」 に由来す る。
(Lで
しこ
「 撫子」は , F大言海』には , 「この草の花や形が小 さく,色 も愛すべきもの l l
だか ら,愛児 に擬 し,ナデシコという」 とある。つま り撫でてや りた くなるよ
t Lでしこ
うなかわいらしい,可憐 な花だか ら 「 撫子」といわれる。普通ナデシコという とピンク色 のカワラナデシコをさす。セキテクともいわれ, もと中国産で、古
と こ ( 1 つ
く日本 に渡 り,広 く栽培 されている。「 常夏の花 」と呼ばれ るように,初 夏 に
やま と t 1でしこ
み られる花が晩秋まで咲 き続ける。 日本女性の美称を 「 大和撫子」といってい る。大正の世に現われた唱歌のうち,今 もしきりにコーラスで歌われる 「 故郷
80
を離 るる歌」 ( 吉九一昌作詞 , ドイツ民謡)の中 に , 「 庭の小百合撫子」とこの花 こと は
が出て くる。哀感を覚え,胸 を打つ歌である。撫子の花詞 は 「純愛 」 , 「 才能 」 .
「 無邪気」である。
撫子やそのか しこきに美 しき 惟然 撫子や夏野の露のおとし種 雄彦
撫子は英語では gi l l yf l owe r 又は ( f r i n ge d )pi nk という 。 gi l l yf l owe r は,
ちよう じ
ギ リシャ語 ka r u b L ' h ul l o n ( c l ov et r e e 「 丁子の木」の意)に由来 し, これは k ar uon ( nut 「 木の実」の意) と p h滋I l on ( l e af 「 葉」の意) とが組み合わさ ってで きた語である。それか ら中世 ラテン語 az r yoh yl l um を経て ,中世英語 gi l o f7 1 C が変形 した語である。今の形 は f l o we r との連想か らできた語である。
f r i n ge dpi nk では,まず f r i n ge d は , 「 房のついた」 とか 「花弁のへ りな ど がぎざぎざに裂 けた」 とい う意味である o pi nk は,オランダ語 pi nc koo ge n
( s ma l le y e s 「小さな 日 」の意)に由来する。
え
ん
オ ミナエシは , F大言海」では , 「 花の色が美女 をも璽す意か という」 とある
。「 璽 」は 「圧」で , 「あ っす る」である。オ ミナエシのオ ミナは 「 若 い女 」 の
あわめ し
意で,エシ ( へシ) は,メシ ( 飯)か らの転靴 した もので,粟飯か ら想像 され た もの らしい。黄色 い花がオ ミナエシ ( 女郎花)で,白い花がオ トコエ シ ( 男
ふ ぜ い
郎花)である。女郎花は美 しいとい うより,その姿 と風情を愛する花で,姿が 女性的なので,日本文学で も多 く女性 に見たて られている。 しか し花の液は悪
おの の 上りかぜ
臭がある。女郎花には次のよ うな話がある。昔,小野頼風の愛人が,彼 に捨て られたことをはかなみ,川に身投 げ した。その衣 の朽 ちた後に咲いた花が女郎 花 といわれ.謡曲 「 女郎花」はこの話 しを取 り入れた ものである。女郎花の花
詞は 「 美人 」 , 「はかなき恋」である。
秋風 を待つ とて立 つや女郎花 成美 女郎花少 しはなれて男郎花 星野立子 ふ るさとの野の女郎花男郎花 佐藤浸入
藤袴は花の色が藤色で香 りがよ く,邪気を払 うために身につけた習慣があ っ
81
たことか らこの名がついたとい う。香 りがよいことか ら香水蘭 ともいい,中国 では浴剤に使 った。藤袴の花詞 は 「ため らい」である。
藤袴 この夕 ぐれの しめ りかな 園女 藤袴吾亦紅など名 にめでて 高浜虚子
藤袴 は英 語 で は bo ne s e t 又は t ho r ou ghwor t 又は e u pat o r i um 又 は
はね つ
a gue we e d という。以前薬用 として用いられた。まず bone s e t は , 「骨接 ぎ」の意,つま り , 「 茎が葉を貫いているように見える,つき抜 きの ( pe r f ol i at e ) 」 という意味であって,草の形を このよ うに表現 した ものである。次の t hor o u gh
‑wor t も全 く同 じ意味で , t ho r o u gh は古 くは , 「 貫 く,貫通する」意 で, wor t は 「 草」の意である。次の e upat or i u m は ,Eu p
dt o ‑ r(1 2 0?‑6 3B.
C. )という Pont us の王が, この事を薬用 として最初に用いたことに由来 す る。
この語は藤袴などキク科 ヒヨドリバナ属数種の総称である。最後の agu e we e d は ,agu e が 「 おこり,つまり熟,寒け」の意で , we e d は 「 草」の意である。
「 熟を下げ る薬用」の ことをいったものだろう。
ささ. tう
「 桔梗」はまだ秋の気配 もない頃に咲 き始めるので,この花が咲 くと早 い秋 を感 じる。実際 には 6 月の終 り頃か ら咲き始めるので,夏草 とい って もいっこ
さ上たんぎ い
うおか しくない。 この花は清澄な空気を感 じさせ る。根は桂疾剤 になる。桔梗 の花詞 は 「 気品 」 , 「 変わ らぬ愛」■ である。
山霧 にぬれて色濃 さ桔梗かな 村上鬼城 朝露をはか りこほせ し桔梗かな 露川
桔 梗 は英 語 で は b a l l oo nf l owe r 又 は ( Chi n e s e) b e l l f l o we r とい う。
bal l oonf l o we r は 「 風船花」の意であり, be l l f l owe r は 「 釣鐘花」の意で ある。いずれ も花の形を表現 した ものと思われる。
われ t
}こう「 吾亦紅」の桑の実にも似た暗紫色の小花は,集合 してツクシ状の穂をつく
わぴ
る。秋草の中で も一番侍 しく,地味な花である。 ワレモコウの名 は,この葉 に 切れ込みがあって,茎葉にはのかな香気があるか らである。F大言海』 に も, ●●●●
この草のことを 「 和木香の意」 としている。和名は吾木香,吾亦紅である。漢
82
名を地検 といい,これは葉がこ レの葉に似ているからである。花は上の方か ら J T U i 々に開いてゆき,根を薬用にする。ワレモコウの花詞は 「 愛慕 」 , 「 変化」で
ある。
しゃんとして千草の中の吾亦紅 路通 わ か い す ぜ
路岐れ して何れか是 なるわれもこう 軟石
ワレモコウは英語では bu rne t である 。 bur ne t は古期 フ ランス語 b 7 un ( b r o wn 「 褐色,茶色」の意)の指小辞 b 7 un e t e ,b z L r n e t e に由来する。英語の br u n e t ( 黒みがか った)は同系語である。
Ⅹ Ⅳ
春分,秋分の日の前後の 7 日間を彼岸 と呼び,春の彼岸は新暦 3 月 1 8 日頃に 入 り ,2 4 日頃まで,秋の彼岸は新暦 9 月 2 0 日頃か ら 26 日頃までをいう。彼岸入 りから4日目を彼岸の中日 ( 春分の日,秋分の日)という。 この日先祖の霊を
は う え
供養 し,墓参 りなどが行われるが,彼岸の本来は 7 日間に行われる法会.彼岸 会のことである
。この頃になると , 「 暑さ寒 さも彼岸まで」の言葉通 りに,暑
しの や
す とう ひ が ん
さも峠を越 して.凌ぎ易 くなる。彼岸の名称は.仏典の到彼岸か らきてお り,
げ だ つ
ね はん
現実の生死の世界から煩悩を解脱 し,理想の濫発の世界‑至るという意味であ る。
秋分の日に昼夜の時間がほぼ等 しくな り,それから次第に夜の方が長 くなる。
しか し昼夜のほとんど等 しくなるのは,日本では秋分から 3 日後である。いか にも秋の感 じの深い 「 夜長」はここを境 として始まる。
秋分や日の入り拝む桑畑 青淵 秋彼岸地上の者に杏煙 る 秋沢 猛
彼岸は英語では t hee qui noc t i a lwe e k といい,彼岸の中日,即 ち秋分の 日 は , t hea ut u mn( a l ) e q ui no x という 。 e qui no x は ( 古期) フ ランス語 e qui no xe 又は中世ラテ ン語 aqui nox‑i um に由来す る . e q ui no x は, equi
( e qu a l 「 等 しい」の意)と no x ( ni g h t 「 夜」の意)が組み合わさった語で
8 3
あ り , e q ualni ght つまり 「 夜 の長さが昼の長さと等 しい」 ときをさす 。 「 暑
さ寒さも彼岸まで」は ,Ne i t he rhe a t orc ol dl a s t sbe yondt hee qu i no x・
である。
Ⅹ Ⅴ
西洋 占星術 ( as t r ol o gy ,一回の星占いは ho r o s c o pe ) によると , 9 月 2 3 日か ら 1 0月 23 日までの問に生まれた人の星座が 「 天秤座 」 ( Li br a) である。「 天秤
さそり
座」は.初夏の頃の夕方,南の空に出る星座で,乙女座 と欺座のほぼ中間に見 える星座であるが,皆 3 等星以下である。 この星座 を代表する星は,四角形を 形作る四つの塁で ,2 つずつが両方の天秤に当たる。
丁ルフ丁
古代ギ リシャ人は,この星座を轍座のはさみと見てお り,今でもα屋を 「 南
′ く ‑メ
の爪 」,β 屋を 「 北の爪」と呼んでいる。天秤座 となったのは B. C.1 世紀 頃 といわれ.秋分点が当時 この星座の中にあったため,昼夜の長さが等 しくなる ことを天秤で表 わ したとみ られる。この天秤は,乙女座の正義の女神アス トラ エア ( As t r ae a) が,人の運命を決定 し,正邪善悪をはかる天秤であると考えら れた。当時のローマの詩人ヴェルギ リウス Pub l i usVe r gi l i u sMar °( 70‑1 9
た