幕 府 勘 定 所 勝 手 方 記 録 の 体 系
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幕府財政史料の類型論序説(その1)‑大野瑞男
はじめに
財政史料の基本類型(1本号、2以下次号)
勘定所および代官所・預所財政史料の体系
おわりに
はじめに
現在までに発見・調査された近世史料は勉大な量に達し、そのうちのある部分は分類整理が加えられ'目録化され
ている。目録に収録された史料が多量な場合には'利用者の便宜を考慮して何らかの方法に基づ‑分類が行なわれて
いるのであるが'その分類法は千差万別であり'現在に至っても決定版ともいうべき近世史料分類法は提示されてい
ないのが現状で払.,Q).
幕府勘定所勝手方記録の体系(大野)
史料館研究紀要第五号三一二
近世史料の分類法を確定するためには、近世において作成された史料すなわち文書・記録・桶碁物頬のすべてを予
想しなければならないが'これは事実上不可能である。その故に従来の分類法は'取り扱った史料から経験的に帰納
して項目をあげるか'または学問的関心によって項目を羅列することが多かったのである。
ところで'古代・中世史料の古文書学的様式や分類に当たっては「公式令」をその依拠する根底として展開せしめ(2)たが、近世史料においてはこのようなものがないことが古文書学・分類法を混乱させる重大な理由とされていた。し
かし近世においても'少な‑とも公文書に関しては諸官制・諸職制において作成すべき文書・記録が基本的に定めら
れている筈であり'そのような視角から'現存している史料からでな‑'現存していな‑ても作成した筈の史料の基
本類型を明らかにすることによって'近世史料分類の前提を考察すべきであろう。これとても年月と根気のいる仕事
であり、短時日のうちにはなしえないが'本稿では筆者の当面の関心に基づいて'幕府勘定所勝手方において作成も
し‑は授受された記録のうち財政関係史料の基本類型を紹介し'その性格と勘定所・代官所・村町方との相互授受関
係を体系的に考察して'右の課題の前提としたい。(3)ここに取り上げる幕府勘定所勝手方は、享保六年(一七二こ閏七月の「公事方勝手方事務分別ノ達」によって勘定
方を公事方と勝手方とに分け'勝手方の職務を‖御代官所御取箇井御普請方類之事、3I金銀米銭納払1件之事、日知
行割御代官割之事tとして以来の勝手方をさす。翌七年五月老中水野忠之を勝手掛老中に任命Lt同年八月勘定奉行
を二人ずつ二組に分け、一年交替で公事方・勝手方に分属した。そして勘定奉行より勘定方組頭・勘定の月数を定め'
その職務分掌をH御取箇改、jI諸向御勘定帳改'臼御代官品々伺書吟軍側御殿詰'斡御勝手向納払御用の五つに分(4)けた。勘定所の役所は柳宮内と大手門内の二か所に置かれたが'前者が御殿であり'後者が下勘定所と呼ばれた。下(5)勘定所の事務内容は享保十三年九月新たに次の如‑定められた。すなわちtH御取箇差出方、jI廻米方'臼御普請方、
囲新田方'㈲道中方'閃知行割、肘中ノ間何方'
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道上方'糾
御鷹方tM御株方、AiL神宝方'凹諸入用方'固帳面方'細起印方(取扱内容は煩梢であるので省略する
。
引用史料を見られたい。)である。ついで延事二年(一七四五)九月'勘定方の勤方について、;御殿御勘定所、0御勝手方、臼御取箇方、榊新田方、脚道中方t的諸何方tは御僧場御用、・(6)
川
調方、糾
諸帳面方の九つの分掌が詳細に決められ'これがほぼ幕末までの基本的職掌となった。なお天保五年(7).二八三四)五月の「御勘定所掛々二両取扱候御用向書付」によると、;御殿詰、口御勝手方'日御取箇方'側近中方'㈲伺方'開帳両方の六つとなり'御取箇方は差出方・廻米方・新田方・知行割'伺方は中之間掛・神宝方・御林方・
御鷹方・運上方・諸入用方・証文調方・吟味物掛・酒造掛・金集掛'帳面方は奥書掛・算調掛・起印掛・郷帳掛・惣
勘定掛・勤方帳掛・村鑑帳掛・調方掛に細分されている。
さてご‑概括的に述べた右の勘定所勝手方の職務をみても'幕領支配のための機構が多岐にわたり'それぞれの分
掌においで年間に勉大な畳の文書・記録が作成されたのが理解できよう。ことにr誠斎雑記Jの「御勘定勤方」の項
によってそのことが推察され'またその文書・記録を集成して、勘定所において「御代官井御預所御物成納払御勘定(8)帳」や金銀・米大豆の「納払御勘定帳」が作成されたのは、項目名の類似から推測しうるのである。ただ残念なこと
には'これらの史料を保有していたであろう勘定所の記録頬が大部分浬滅Lt代官所の記録類も二二二のものを除い
て消失してしまって,現有するものが少ないことで整。
本稿では勘定所勝手方の総体的な史料(現有していないものが殆んどである。)の全体系を確定し、分頬する作業は
困難であるから、とりあえず主として代官所史料のうち幕肝財政関係史料の代表的なものを解説し'場合によっては
参考として史料全文を掲げることとする。利用史料は史料館所蔵近江信楽代官多羅尾家の勘定帳'財団法人江川文庫
所蔵伊豆韮山代官江川家文書'岐阜県立図書館所蔵飛騨郡代高山陣屋文番ならびに明治期岐阜県庁事務文書である。
幕府勘定所勝手方記録の体系(大野)三一三
史料館研究紀要第五号
本稿と似た試みは既に届川幕肝県治要略Jにおいて(特に官簿の項)なされているが・勘定所史料および村方史
料との関係で考察し、新たな史料を紹介することで多少の前進をしてみたい。
なお勘定帳を最も重視したいので'およそr地方凡例録﹄巻之七上「郷帳発之事」に記される順序つまり作成の順
序の逆から述べてい‑こととする。
註(1)拙稿「近世史料分類の現状と基礎的課題」(r史料館研究紀要﹄第1号)において代表的ない‑つかの分類法を整理し、
基礎的課題を述べたことがあるが'実情は現在も基本的に変っていない。(2)榎本宗次「r近世古文書学L問題点の素描」(r文部省史
料館報﹄第l二号)'その場(3)r徳川禁令考J前集第二'八三八号(4)同前集第三、一四四三号・一四四四号。(5)r日本財政経済史料﹄巻Er八六I八九ページ。(6)r誠斎雑記J御勘定勤方の項(r江戸叢書L巻の八'二五 六‑三七二ページ)。(7)r徳川禁令考J前集第三、1四四五号O(8)なお「納払御勘定帳」は帳面方惣勘定掛で作成したと思わ
れる(松平太郎r江戸時代制度の研究﹄九七八ページ)。(9)公刊された勘定所史料としては'「吹塵叙」徳川氏之部(r海舟全集L第四巻)'「誠斎雑記」(r江戸若書J巻の
八‑十一)以外、拙稿「享保改革期の幕府勘定所史料大河内
家記録日日日」(r史学雑誌L八〇編1‑三号)、村上直・拙稿「幕末における幕府勘定所史料‑文久三年「金銀納払御
勘定帳」「米大豆納払御勘定帳」について‑L(r史学雑誌﹄
八一絹四号予定)参照。
財政史料の基本類型
1勘定帳(地方勘定帳を中心に)
御定帳は幕府代官所'大
名
・遠国奉行預所ごとに毎年作成する年貢米金そのほか諸納私等すべての決算帳簿であるor地方凡例録Jの同項の臥
㌢
左に引用してみよう。一勘定帳は'年貢米金其外諸納弘等を1品も洩きぬ様'右の納払明細帳に載たる分、浅草御蔵・御金蔵へ上納皆
済井に諸渡し方も済し上、仕立の勘定所帳面方組頭へ出し'掛り勘定方の改めを請'証文合せ・札合せ帆船鮎川'
約軸臓蒜既報的完諸‰増加謂硝詣飢詣:u其外突合せ物残らず済し軍証文非に納札は小在紙に写し'帳に仕
立差出し置、証文は代官へ取置'当証文・納札は勘定所へ上るなり'右証文合せ済ミたる上、起印方調方へ証文
持参し突合せ'起合印・調印とも留帳を消す'其後勘定奉行より老中方出櫛へ差出し、櫛に於て勘定奉行・吟味
役・組頭侍坐'代官罷出、代官処地方勘定帳計り勘定合と云ことあり'是は帳面奥の惣寄を代官読ミ上詐譜岬
的韻S鳶JJ掛軸髭印篭如約・m,S鯉㌍‰咽.SJJ4校.<勘定方算計致し'元払差引合せ勘定済めば、勘定奉行・吟味彼・
組頭連名にて'代官宛名の奥書いたし、尚其奥に老中方連名の奥印'綴日印は勝手方老中調印にて代官へ渡る、
御金蔵勘定帳は'御金蔵より請取たる金銀を元に立て'其弘の廉こを記し、是又証文合等ありて'改の済ミたる
上は'勘定奉行より組頭迄の奥印にて渡る'御金蔵勘定帳井に地方勘定帳も'預り処の分は老中方奥印なし'帳
面仕立方の雛形は末に委し'
但し勘定仕上の儀、年貢未進等ありて年送りに成り、三年まで勘定仕上のなき分は其通りにても相済ども'
若三年を越皆済な‑、勘定の仕上延引する時は礼明に成り'代官役にも障り、事宜に寄ては家にも障ること
あり'
説明を要することもないと思うが'勘定帳には地方御勘定帳と御金蔵御勘定帳の二位があり、地方御勘定帳は年貢
米金の出納・皆済後決算する帳簿で'たとえ事故があっても三か年以内に勘定仕上げをなし'勘定所帳面方組頭へ提
出するものである。そこで鉦り勘定の証文合わせ・納札合わせを受け'証文・納札は小直紙に写して帳面に仕立て勘
定所に提出する。そして置証文は代官へ取り置き'当証文と納札は勘定所へ上納する。続いて証文を勘定所起印方・
幕肝勘定所勝手方記録の体系(大野)三1五