寺山修司短歌の〈登場人物二人説〉を問い直す一五 はじめに
マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや
右に挙げた寺山修司の代表歌について、拙著 (1)で一つの解釈を示した。そこでは初出誌にはじまり、歌集に編まれていく過程や、作歌の背景を寺山自身が物語ったいくつかのエッセイを取り上げ、〈隣人〉の視点を導入して新たな読解を試みた。この論考では、そのときに触れられていない〈登場人物二人説〉について改めて考察する。基本的な解釈に変わるところはない。ただし、一つの短歌が作られ、その短歌が運よく読み継がれていった場合、読解の仕方に必ずや時代毎の問題が映り込んでいくはずだと考えるならば、〈登場人物二人説〉を改めて考察することは、時代が抱えた問題に近接できると思われる。ここでは 「マッチ擦る―」一首をめぐる読解の場を検討することで、この短歌にまつわる時代の問題を描出することにする。
第一章
栗坪良樹は『寺山修司論 (2)』に収めた「寺山修司はなぜ〈定型〉にいったのか (3)」で〈登場人物二人説〉に言及する。
第一歌集『空には本』中「祖国喪失」と総題された二十四首の最初の歌である。学燈社『国文学』臨時増刊(一九九八
たは岸壁。時間は夜。これは、マッチを擦ることではじめて海の だが〈曖昧な部分を残す〉と評している。さらに〈場所は海浜ま さんはまず〈戦争期の精神風土が、典型的に形象化されている歌〉 歌の謎」特集にこの歌の〈謎〉を谷岡亜紀が解説している。谷岡 一)「短 ・ 一
― マッチを擦っているのは誰か ― 寺山修司短歌の〈登場人物二人説〉を問い直す
葉名尻 竜 一
立正大学大学院紀要 三十五号一六霧が、「つかのま」確認されている点からわかる〉と解説してゆく。その通りであろう。そして〈問題は「祖国」である〉と続く。〈普通この語は、母国を離れた人間が使う言葉〉だとして、〈はたしてマッチを擦っているのは、どのような人物〉か、と疑問を投げかけている。谷岡亜紀は、伊藤一彦の説として、この歌には〈登場人物二人説〉すなわち〈誰かがマッチを擦ったのを作者は見て〉おり、〈その誰かは「祖国」という語から考えて、同じ連作に登場する「韓人」ではないか〉という解釈を示している。なるほど、そういう読み方もあるのかと思う。因みに〈連作〉のその歌は次のようであった。
壁へだて棲む韓人に飼われたる犬が寒夜の水をのむ音
(傍線―筆者)
栗坪良樹は、谷岡亜紀の解説を引用しながら伊藤一彦の〈登場人物二人説〉に言及しているので、まずは谷岡亜紀の解説 (4)を確かめておく。この解説は「特集 短歌の謎
・ 短歌史の謎」のなかの項目「名歌
・ 問
題歌
・ 難解歌の謎」で取りあげられた一首からだと確認できる。そこ
での谷岡亜紀の解説は次のように続く。
…はたしてマッチを擦っているのは、どのような人物なのか。 …この歌は実は、富沢赤黄男の〈一本のマッチをすれば湖は霧〉という句に触発されている。伊藤発言を受けて佐佐木幸綱は、その赤黄男の句や啄木の〈マチ擦れば/二尺ばかりの明るさの/中をよぎれる白き蛾のあり〉を挙げつつ先行作品の磁場に言及し、「マッチを擦るとドラマがはじまる」と指摘する。 両発言に共通する点は、まさにこの〈ドラマ〉である。作品は、日活アクションのタフガイシリーズなど、いわゆる「無国籍映画」を思わせる。夜。霧の海。逃亡者。そして寺山といえばトレンチコート。上句には、そうしたダンディズムが色濃い。その登場人物の陰影を、「祖国」という言葉の物語性が、おのずと際立たせている。伊藤の登場人物二人説に添って言うならば、そのマッチを擦る主人公を見ているのは、作品の演出家としての、もう一人の寺山の目だとも言える。
谷岡亜紀の解説によれば、伊藤一彦の発言に触発された佐佐木幸綱が、マッチを擦る行為が〈ドラマ〉を生むことを指摘し、谷岡がその〈ドラマ〉を具体的に想像していることがわかる。〈ドラマ〉の具体的な想像は、栗坪良樹も先の論考 (5)のなかで話題にしており、「日活アクションのタフガイシリーズなど」に対応して、「〈ジャン
・ ギャバン〉
を想起するのがいい」と述べている。
寺山修司短歌の〈登場人物二人説〉を問い直す一七 歌集の刊行年月は、〈タフガイ〉には辛うじて重なるものの、もし谷岡さんの言うように〈夜。霧の港。逃亡者〉そして〈トレンチコート〉にこだわるなら〈ジャン
・ ギャバン〉を想起するのがい
い。マルセル
〈外人部隊〉から〈逃亡〉してきた〈ジャン ルネ監督『霧の波止場』(一九三八年、仏)は ・ カ
ル ャバン〉が〈港町 ・ ギ
・ アーブル〉で出会った女性と悲恋物語を演じる筋立てであっ た。ギャバン映画を見ていると、逃亡者には霧の港や一本のマッチの火に照らし出された逃げ隠れの表情と衿をたてたコートの着こなしがよく似合うということがわかる (6)。
そして、「こういうことはだれかが言っているであろうから、どうということでもない」と書いて、この節を結ぶ。具体的な〈ドラマ〉の想像に関しては、拙著 (7)にも引用したが、早くに早稲田大学時代の寺山の親友で脚本家の山田太一の発言 (8)があり、山田はそのことを寺山修司本人にも告げている。「最初は日活映画みたいな気がして「何だかメロドラマみたいな短歌だね」なんて言ったら不愉快な顔してたな(笑)。小林旭が霧の中でレインコートの襟を立てて煙草の灯をつけてるみたいで「ちょっと俗っぽいんじゃない?」なんて言ってたらだんだん代表作になっちゃって」とあるように、〈ジャン
ほとんど差はない。 画」かの違いだけで、想像する〈ドラマ〉の具体的な内容の方向性に ャバン〉か「日活映 ・ ギ と、それほど大きな違いはないと予測していいだろう。 する。しかし、発言内容に関しては、谷岡亜紀が解説中に引いたもの しれないが、現時点では伊藤発言の出典を留保して論を進めることに て出てくることだけがわかる。もしかしたら、何かの座談会なのかも には、伊藤発言の出典が明記されておらず、佐佐木幸綱との対話とし が、それらしき発言を見つけることができなかった。谷岡亜紀の解説 させた伊藤一彦の発言を確認するために伊藤の著作群をあたってみた このように、谷岡亜紀や栗坪良樹や佐佐木幸綱に〈ドラマ〉を想起 意識を持ち込みたかったのであろう。 レベルで意識させる人物だが、それほどまでに、短歌の読解へ作劇の る「演出家」でなくてはならなかった。「演出家」は〈ドラマ〉をメタ う一人の人物は〈ドラマ〉のなかの登場人物ではなく、〈ドラマ〉を操 二人説〉に、更なる想像を加えて解釈している。谷岡亜紀にとっても 〈ドラマ〉と類縁的な用語の「演出家」を出し、伊藤一彦の〈登場人物 ているのは、作品の演出家としての、もう一人の寺山の目だ」として、 た点の方が重要であろう。谷岡亜紀は「そのマッチを擦る主人公を見 それよりは、寺山修司の短歌が〈ドラマ〉を想起させやすいといっ
第二章
〈登 場人物二人説〉を唱え、短歌に〈ドラマ〉を想起させた伊藤一彦には「劇への挑戦 (9)」と題した論考がある。
立正大学大学院紀要 三十五号一八「
’84現代短歌シンポジウム
・ 名古屋」において、一首における劇
と連作における劇とに分けて論じられたのはまだ記憶に新しい。一首における劇が困難であれば、連作における劇はどうか。
現代短歌を「劇」の視点から考えるシンポジウムが、一九八四年に名古屋で開催され、伊藤一彦はこの論考でそのことに言及している。次に引く箇所から、伊藤にとって「劇」の視点が、その前のシンポジウムの問題提起との関連性で考えられているのがわかる。
四十年前 )(1
(はともかくとして、さしあたって五年前にかえってみよう。「
’80現代短歌シンポジウム
・ 熊本」は
「〈私〉の地平」が総合テーマであった。シンポジウム
があり得なければならないのか。〈私〉は、超え得るのか、東京 〇年の今、いかなる〈私〉があり得るか。否!いかなる〈私〉 ピールの一部を引く。「一九八 ・ ア
・
京都につづく札幌の
シンポジウム みた。歌の生死を賭けていま再び問いたい。〈私〉の地平を!」。 混迷との対決を、一人ひとりが誠実にしかも苦痛を噛みしめて試 ’78現代短歌シンポジウムに在っては〈私〉の
・ アピールは、ボルテージが或る程度あがるのは当
然とは言え、「歌の生死を賭けていま再び問いたい」とはややあがりすぎだろう。しかし、それだけ「耐えがたい危機感」がこの時まだ人々の間にあったということの証として理解していいかもし れない )((
(。
(傍線―筆者)
短歌における「劇」の視点は、短歌における「〈私〉の地平」を問うことの関連としてある。現代短歌、とくに前衛短歌の問題意識の一つは、「私性」を問い直すところに根差している。参考までに『岩波現代短歌辞典 )(1
(』を引いておくと「前衛短歌は、作中の「私」すなわち作者であり、歌われている内容は事実であるという近代短歌の中心的ドグマを打ち破いた(加藤治郎)」とある。中でも「寺山修司は「私」を問い続けた歌人である )(1
(」 と説明される。伊藤一彦には「寺山修司」を対象にした論考 )(1
(がいくつかあるが、残念ながらこの論考に「寺山修司」は出てこない。だが、前衛歌人の岡井隆の「岡井隆演技説」を考察したあと、馬場あき子の作品分析へと移り、岡井隆作品との対比を経て〈私〉の問題の検討へと向かっている。
…馬場作品においては、〈私〉は消されているのだ。
〈私〉
を消すことによって(もちろん、それだけが理由でないことは言うまでもない)馬場あき子は劇の不可能性を劇化し得たのであるが、さて〈私〉を消すことなく今日劇を成立させることは不可能であろうか。
岡井隆が鋭く先取りした演技はもはや社会
・ 文化のさまざまな
寺山修司短歌の〈登場人物二人説〉を問い直す一九 分野での流行現象となった。今、必要なのは、劇への新たな挑戦のはずである )(1
(。
伊藤一彦が「〈私〉の地平」の考察を進展させるために「劇」の視点を持ち込んだことがわかる。「劇」の視点は「〈私〉の地平」をより深く問うためにある、と言ってもいいだろう。ただし、伊藤一彦の短歌分析を見ていくと、岡井隆作品からは一首単位の劇化が読み取られているのに対して、馬場あき子作品からは連作の劇化の問題が考えられており、同じ劇化でも、取り出す分析対象の単位に違いがある。先の「一首における劇が困難であれば、連作における劇はどうか )(1
(」といった問いかけは、岡井隆作品と馬場あき子作品との、この分析単位の違いにも繋がるが、これについては後からもう一度触れるので、今は指摘するだけに留める。
ここで谷岡亜紀の論考も見ておきたい。谷岡にも「短歌における「劇的なるもの」をめぐって )(1
(」と題した論考がある。書き出しは、伊藤一彦も触れた一九八四年に名古屋で開催された現代短歌シンポジウムからだ。
手元に『現代短歌シンポジウム〈名古屋〉全記録』と題された一冊の本がある。「短歌VS劇」というテーマのもとに行なわれたシンポジウムの記録集である。さまざまな発言者が、さまざまな レベルの問題意識をもって「短歌と劇」について論じ合ったシンポジウムなので、結論を導き出すというよりは問題提起に重きが置かれており、必ずしも論議が噛み合っていない部分もあるようだが、読み進めつついろいろな事を考えながら、私は、現代短歌の問題を(そして、「短歌とは何か」との根本命題を)考える上で、「劇」という概念が非常に重要な鍵になるのではないかという、かねてからの思いを改めて強くした。
(傍線―筆者)
谷岡亜紀は、歌物語や主題制作、題詠などによる、演劇の分野の取り込みの可能性について述べたあと、次のように語る。
…その前により重要なのは、短歌それ自体の問題としての、作品における「劇性」のありようではないだろうか。「日常的な自己がそのまま〈私〉となった作品が氾濫しているように思える。今日の多くの歌人の危機意識の乏しさはそこに端的に現われていると言っていい」
―
これは伊藤一彦「劇への挑戦」(「現代短歌雁」2号)の文中の言葉だが、日常的な自己と作中の〈私〉との距離をもう一度点検するためにも、あるいはまた現代短歌の到達点を再確認するためにも、「短歌における劇」の問題は、すぐれて重要な課題であると言わざるを得ないだろう。しかもそれは、一首レ立正大学大学院紀要 三十五号二〇ベル、連作レベル、あるいは一冊の歌集レベルなど、いくつかのレベルに分けて考える必要がある。その中でもここでは、最も基本的となる「一首における劇性」の問題を中心に考察してゆくことにする )(1
(。
先に取り上げた伊藤一彦の論考の言葉を引用しながら、「劇」の問題を論じているのがわかる。伊藤一彦は「日常的な自己と作中の〈私〉との距離」を意識し、作歌の方法論にまで高めたのが岡井隆であると論じている。その「岡井隆が鋭く先取りした演技はもはや社会
・ 文化 のさまざまな分野での流行現象となった )(1
(」との危機意識から、短歌における「劇」の課題を問い直さなければならないと主張する。谷岡亜紀は手元にある『現代短歌シンポジウム〈名古屋〉全記録』と題された一冊の本を、伊藤一彦の問題意識を共有して読解すべきだと考えているようだが、シンポジウムは「劇とは何か」といった共通のコンセンサスが最後まで成立しないために混沌としたまま終わったと判断している。
では、谷岡亜紀は「劇」をどのように考えているのだろうか。谷岡は「劇」について、劇団の養成所やシナリオ学校で先生が生徒に教えるような、初歩のところから説きはじめる。
劇団の養成所やシナリオ学校の講義では、一番初めに、「劇 ドラマとは対 立のことであり、ストーリーの上では、基本的には起承転結というプロット構成をもたなくてはならない」と教えられる。「男Aと女Bが出会い、二人は恋に落ち、結婚し、幸せに暮らしました。」これではストーリーはあっても「劇」にはならない。これがドラマとして成立するためには、AとBの関係を阻害するCという登場人物(例えば恋がたきなど)が必要である。Cの出現により、AとBの関係に波乱が起きる。「葛 ストラツグル藤」である )11
(。
谷岡亜紀は「劇 ドラマ」とは、出来事が時間順に展開していくストーリーだけでは成立せず、ストーリーとして描かれる出来事のなかに、必ず対立の要素が入らなければならないと説明する。そして、その対立項に入るのは必ずしも人物でなくてもよいと述べる。
このストラッグルと、それから派生するサスペンス、クライマックス、カタルシスが、「劇」の成立の上での重要な要因であり、そこに欠かせないのは対立項としてのCの存在である。むろんこのCは、時に人間ではなく、因習とか家族制度などの障壁であったり、また自然の力や社会状況であったりするのだが、いずれにしてもAとBがすんなりハッピーエンドを迎えるのを邪魔する対立項Cの介入なしに「劇 ドラマ」は成立しない )1(
(。
(傍線―筆者)
寺山修司短歌の〈登場人物二人説〉を問い直す二一 谷岡亜紀の「劇」の概念は、得てして芸術家がこれ見よがしに新規な概念を提出しようとするような気負いもなく、一般的であり、ほとんど抵抗なく理解できるように思われる。 その上で、谷岡の論考の核心は、「劇」に必要不可欠な「対立項C」を短歌読解に応用し、具体的に指摘していく点にある。先に谷岡亜紀は「短歌における劇」の問題に、一首レベル、連作レベル、歌集レベルなど様々なレベルがあるとした。その中から、この論考では「最も基本的となる「一首における劇性」の問題を中心に考察してゆくことにする )11
(」と宣言するのだが、寺山修司の短歌を分析するときには、連作や歌集全体のレベルの視点が入ってきてしまうようだ。
地下室の樽に煙草をこすり消し祖国の歌も信じがたかりきみのいる刑務所とわがアパートを地下でつなぐ古きガス管すりきれしギター独習書の上に暗夜帰航の友情も なし手の中で熱さめてゆく一握の灰よはるかに貨車の連結
寺山修司の歌がすぐれたドラマ性を持つのは、「祖国」とか「革命」「北」などに代表される彼独特の「ここではない場所」の影が、一首の背景にあって、その短歌空間を暗く照らしているからだと考えられる。ここに挙げた歌も、連作中の他の作品との関連や歌集全体から立ち現われてくるそうした「場」の力学に、直接 的、間接的に支えられて成立しており、さらに、昭和三十年代というある意味で非常に叙事的な時代の雰囲気を、強く反映していると言えよう )11
(。
(傍線―筆者)
このあと、寺山修司の第二歌集『血と麦』の後書き「私のノオト」より、寺山自身の言葉である「大きい『私』を持つこと。それが課題になってきた」を引用し、瑣末な「事実」によって隠れてしまっている「真実」に触れるために、寺山は「フィクショナルな状況、あるいは「現実」の増幅された状況を〈私〉に設定」して「大きい『私』」を歌ったと論じる。この「大きい『私』」を歌うために選び取られたのが「場面設定」であり、それが「「劇」を成立させるための第三の要素として機能」したのだ、と谷岡は捉えている。
谷岡亜紀による、寺山修司短歌の分析においては、「対立項C」に対応するのが「場面設定」になろう。もう少し具体的に捉えるなら、谷岡の言う「彼独特の「ここではない場所」の影」ということになる。ただし、谷岡亜紀が選歌した四首は、例えば「地下室の―」は第一歌集『空には本』の連作「直角の空」からの一首であり、「きみのいる―」は第二歌集『血と麦』の連作「砒素とブルース」からの一首として、別々の歌集に収められている )11
(。このようなことを考慮するなら、「一首の背景にあって、その短歌空間を暗く照らしている」この「彼独
立正大学大学院紀要 三十五号二二特の「ここではない場所」の影」は、短歌で用いられる寺山修司独特の語彙群が、連作や歌集全体を超えて共鳴し合い、「対立項C」として形成されると考えなければならない。
谷岡亜紀には、前衛歌人と称された塚本邦雄、岡井隆、寺山修司の三名を「劇」の視点で分析した論考 )11
(もある。その中から、寺山修司を論じている箇所を確認しておく。
桃うかぶ暗き桶水替うるときの還らぬ父につながる想いマッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや地下室に樽ころがれり革命を語りし彼は冬も帰らず吸ひさしの煙草で北を指すときの北暗ければ望郷ならず
(中略) すなわち、ここにみられる〈物語〉は、寺山では「還らぬ父」「祖国」「地下室」「革命」「冬」「北」「望郷」といった語に象徴され…(中略) いずれにしろ、これらの歌では、一首の中に対立(意味上の屈折や、意味とイメージの対立
・ 相乗)を含みつつ、さらに
その内実としての〈物語世界〉が〈現実世界〉との葛藤を内包しており、それによって強い〈劇〉的緊張が引き起こされている。しかも、その葛藤がもう一度〈現実世界〉へフィールドバックされてゆく求心力が働いていることによって、カタルシスが成立す ると考えられる。(中略) 引用歌から寺山修司の「桃うかぶ暗き桶水替うるときの還らぬ父につながる想い」を例に取ると、「還らぬ父につながる想い」は上句の「暗き桶水」という視覚像と照応しつつ、さらにその「桶水」に浮かぶ「桃」が、一種のエロス的なイメージを付け加えている。この「桃」は、少年の性のめざめを象徴しているとも取れるし、あるいはその母への思いを暗示しているとも取れる。さらに「桃うかぶ暗き桶水」の情景は、日本であって日本でないような独特の雰囲気を持っていることに注目しなくてはならない。それは、ほかの引用歌に見られる「地下室」「樽」「革命」「北」などの語彙とあいまって、例えばロシア小説の中の世界(寺山の歌集に「馬鈴薯」「トロイカ」といった語が頻出し、「スメルジャコフ」「イワン」などが登場するのは周知の通りである)などを思わせる。いずれにしろこの歌では、「桃うかぶ暗き桶水」の強い象徴性が舞台背景の役割を果たすことで、「還らぬ父」が普遍化される。つまり、「戦争」から帰還しなかった全ての「父」の謂いに転位され、ここにひとつの〈物語〉が成立するのである。その〈物語〉は、寺山の語彙で言うならば「ここではない場所」「もうひとつの世界」での出来事である。
(傍線―筆者)
寺山修司短歌の〈登場人物二人説〉を問い直す二三 残念ながら「マッチ擦る―」一首への言及はないが、谷岡は「桃うかぶ―」一首を分析するのに、「一首の中の対立」を説きながらも、さらに一首レベル、連作レベル、歌集レベルを超えた寺山修司の作歌における語彙群が、背景として一首を支える「対立項C」を形成する、と論じているのではないだろうか。
第三章
ここで伊藤一彦の〈登場人物二人説〉に戻ろう。伊藤は「祖国」といった語はふつう母国を離れた人間が使う言葉だと断り、その微妙な違和感から、マッチを擦っている人間は誰かと問うた。
栗坪良樹が引用した谷岡亜紀の解説 )11
(は、次のようなものだった。
伊藤一彦は作品のそうした微妙な違和感を指摘して、登場人物二人説を出している。つまり、誰かがマッチを擦ったのを作者は見ているのであり、その誰かは「祖国」という語から考えて、同じ連作に登場する「韓人」ではないかと述べる。
伊藤一彦は一首レベルではなく、連作レベルで「マッチ擦る―」一首の読解をしていることになるだろう。
では、伊藤はどのようなテキストを参照して、連作レベルの読解をしたのだろうか。おそらく第一歌集『空には本 )11
(』、または『寺山修司全 歌集 )11
(』であったかと思われる。ここでは第一歌集『空には本』の掲載頁を引いておく。
祖国喪失 七月の蠅よりもおびただしく燃えてゆく破片。
「中国!」と峯は気恥かしい片思ひで立ちすくんでゐた。
武田泰淳
Ⅰ
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや鼠の死蹴とばしてきし靴先を冬の群衆のなかにまぎれしむ鷗とぶ汚れた空の下の街ビラを幾枚貼るとも貧しすこし血のにじみし壁のアジア地図もわれらも揺らる汽車通るたび寝にもどるのみのわが部屋生くる蠅つけて蠅取紙ぶらさがる群衆のなかに昨日を失いし青年が夜の蟻を見ており地下室に樽ころがれり革命を語りし彼は冬も帰らず外套のままかがまりて浜の焚火見ており彼も遁れてきしか非力なりし風刺漫画の夕刊に尿まりて去りき港の男コンクリートの舗道に破裂せる鼠見て過ぐさむく何か急ぎて何撃ちてきし銃なるとも硝煙を嗅ぎつつ帰る男をねたむ
立正大学大学院紀要 三十五号二四一本の骨をかくしにゆく犬のうしろよりわれ枯草をゆく
Ⅱ
勝ちながら冬のマラソン一人ゆく町の真上の日曇りおりマラソンの最後の一人うつしたるあとの玻璃戸に冬田しずまる党員の彼の冬帽大きすぎぬ飯粒ひとつ乾からびつきて壁へだて棲む韓人に飼われたる犬が寒夜の水をのむ音一団の彼等が唱うトロイカは冬田の風となり杭となるわが影を出てゆくパンの蠅一匹すぐに冬木の影にかこまる小走りガードを抜けてきし靴をビラもて拭う夜の女は冬蠅とまる足うら向けて眠るたやすく革命信ぜし男日がさせば籾殻が浮く桶水に何人目かの女工の洗髪蠅叩き舐めいる冬の蠅一匹なぐさめられて酔いて帰ればその思想なぜに主義とは為さざるや酔いたる脛に蚊を打ちおとし復員服の飴屋が通る頃ならむふくらみながら豆煮えはじむ
(傍線―筆者)
連作は「祖国喪失」と名付けられ、武田泰淳の小説からの一節が詞書きのように付されたあと、「Ⅰ」と「Ⅱ」とに分けて編まれている。「マッチ擦る―」一首は、連作の「Ⅰ」の最初に置かれている。「祖国 喪失」のタイトルや武田泰淳の小説、また「マッチ擦る―」一首の初出やその後の変遷と意味については、拙著 )11
(で詳細に論じたのでここではふれない。
肝心の「韓人」の語彙がでてくる短歌はといえば、「Ⅱ」の四番目に配置されている。連作であるとはいえ二首の間に距離があり、なおかつ、離れた一首からこの語彙だけを取りあげて、連作全体ではなく「マッチ擦る―」一首のみの読解にあてるのは少々難しいところがあるかもしれない。
栗坪良樹は先の論考で〈登場人物二人説〉に言及しながら、「仮に〈祖国〉と〈韓人〉の接点を求めるにしても、〈マッチ擦る〉の歌とこの歌との関わりは極めて希薄である )11
(」と判断している。
ここで、前衛短歌を志向した歌人たちにとって「連作」がどのような課題であったのかを、改めて考えておく必要があるように思う。
まずは『岩波現代短歌辞典 )1(
(』の「連作」の項より一部を引く。執筆者は歌人の俵万智。
また、昭和三〇年代の前衛短歌運動では、主題制作という試みが盛んになされた。これは、いわば物語性のある大連作で、作中の「我」が、実生活上の「私」ではなく、あたかも舞台上の演技者のように描かれるところに特徴がある。これは連作の新しい試みであると同時に、短歌を「私性」から解放するという意味をも
寺山修司短歌の〈登場人物二人説〉を問い直す二五 持っていた。「死にたまふ母」が短歌によるドキュメンタリーならば、主題制作は短歌によるフィクションとも言えるだろう。塚本邦雄の「水銀伝説」や岡井隆の「ナショナリストの生誕」がその好例である。
(傍線―筆者)
「短歌を「私性」から解放するという意味」の指摘と、作歌行為に「あたかも舞台上の演技者のよう」な態度が生まれることが説明されている。この二点は、伊藤一彦と谷岡亜紀とが論考で示した考え方と同一だと見てよいだろう。
次に、辞典執筆者の俵万智が「昭和三〇年代」と書いた「前衛短歌運動」と同時代の見解を引用する。一九五九年十月号の『短歌研究』に掲載された「短歌グループ環」の梅田靖夫、鈴木真理子、中静勇、中町澄江、波汐国芳、疋田和男、藤田武、松坂弘、渡辺淑子らによる共同研究「明日の連作のために )11
(」の報告から。
昭和
雄の〈日本人霊歌〉、岡井隆の〈ナショナリストの生誕〉、寺山修 擡頭がみられ、その方法論争もいくだびかくり返された。塚本邦 における叙事詩的抒情の方法が問題とされた。同時に前衛短歌の 注)善麿の〈大長谷抄〉等が話題にのぼり、特に後者から、連作 30年には(土屋―筆者注)文明の〈南北二題〉、(土岐―筆者 展開しようとした劃期的作品群であつた。 司の〈僕らの理由〉等の登場は、現代的主題を時間の造型の中で
さらに昭和
るといえよう。 主題意識の確認のもとに今日の連作が始められる兆しをみせてい 閉部落〉、岡井隆の〈暦表組曲〉までに至つた。ここでは、現代の 塚本邦雄の〈水銀伝説〉、生方たつゑの〈火の系譜〉、斎藤史の〈密 イアルとして共同制作による〈主題制作〉、〈連載短歌〉としての 34年に入つて「短歌研究」は短歌の可能性へのトラ (傍線―筆者)
台頭してきた「前衛短歌」が「連作」を作歌の方法論として先鋭化していったこと、また当時の現代的問題を主題に据えながら、三十一文字という短い定型詩型に「時間の造型」を組み込んで展開しようとしたことが説明されている。「時間の造型」はここまでの議論で出てきていない要素である。
共同研究の報告は、章題「連作の歩んだ道―古代歌謡から近世まで」とあるように、「連作」を記紀の時代から歴史的に記述しており、「前衛短歌運動」における方法論はその記述の流れの上に立って説明される。さらに章題「連作は現代短歌の突破口か―今日から明日への連作」として次のように続く。