著者 高安 優太, 召田 将道, 山東 隼也, 柳 静宜
雑誌名 掛川市・原泉. ‑ (フィールドワーク実習調査報告 書 ; 平成25年度)
ページ 7‑42
発行年 2013
出版者 静岡大学人文社会科学部社会学科文化人類学コース
URL http://hdl.handle.net/10297/7489
原泉の地域おこし
今後の発展のためには高安優太、召回将道、山東隼也、柳静宜
1 はじめに
2
さくら咲く学校に関わる運営者と地域住民の声 2.1 原泉地域とさくら咲く学校2 . 2
原泉地域の各地区 2.2.1 大和田 2.2.2 苧 丹 2.2.3 萩間 2.2.4 居尻2 . 2 . 5
泉(黒俣)2.3 i原 泉Jに至るまで一旧原泉小学校から見る 2.3.1 旧原泉小学校の沿革
2.3.2 学区問題について 2.3.3
r
私たちjの悩み2.4 く地域立〉さくら咲く学校への期待
2
.4. 1
廃校に対する思い2.4.2 く地域立〉さくら咲く学校
2 . 5
小事舌3 原泉における地域おこしの主体 3.1 地域おこしの必要性 3.2 いいとこ広場
3.2.1 清掃活動としてのはじまりと現在 3.2.2 活動目的とその内容、成果 3.2.3 活動における課題と展望 3.3 柴田牧場
3.3.1 酪農家と「しばちゃんちj
3.3.2 農家同士、消費者との交流 3.4 カントリーファーム佐藤園
3.4.1 観光スポットとしての農家 3.4.2 農家から観光農園への変化 3.5 さくら咲く学校
3.5.1 廃校利用の新しい姿
3.5.2 地域の中心としての取り組み 3. 4 小
t
舌4 さくら咲く学校運営者とテナントの声 4.1 地域内外の人々の意識の違い 4.2 運営者の意識
4.2.1 余力のないさくら咲く学校運営 鈴木信夫氏(男性、 50代、黒俣地区在住) 4.2.2 専任のいないさくら咲く学校佐藤忍氏(男性、 50代、苧石地区在住) 4.3 テナントの意識
4.3.1 癒しの場たる原泉 中瀬千恵子氏(女性、 60代、浜松市出身)
4.3.2 人脈がつくる地域おこし 桜ひろ美氏(仮名) (女性、 50代、浜松市出身) 4.3.3 原泉の魅力の維持と地域内外の交流の両立 鈴木陽子氏(女性、 40代、掛川市 出身)
4.5 小
t
舌 5 行政の関わり5.1 掛川市の生涯学習宣言 5.2 具体的な生涯学習 5.3 掛川市役所の取り組み
5.3.1 地域振興課 5.3.2 高齢者福祉課 5.4 小括
6 おわりに
1
はじめに原泉地域にある「さくら咲く学校」は、 2011(平成23)年3月をもって廃校となった掛 川市立原泉小学校の校舎を利用した、全国的にも珍しい施設である。「暮らすJ人のため、
「訪れるJ人のため、「営むJ人のため、という 3つのコンセプトを掲げ、地域の行事を催 したり、生涯学習を推進したり、地域おこしを進めたりと、さまざまな活動に取り組んで いる。そこにはボランティアであるさくら咲く学校運営者や、学校の空き教室に入るテナ ント、学校を訪れる地域住民が関わっている。また、さくら咲く学校以外にも地域おこし ゃ生涯学習に貢献している地域住民がおり、掛川市役所もそれらに取り組んでいる。
本章では、さくら咲く学校を中心として、さまざまな人々が関わる原泉の地域おこしに ついて述べたい。まず第 2節で原泉地域の概要やさくら咲く学校が校舎を利用している、
廃校となった原泉小学校の変選を踏まえた上で、さくら咲く学校の活用の仕方や意義、地 域住民との関わりついて考える(柳担当)。続く第3節では、さくら咲く学校以外の地域お
‑8田
こしの主体として
ω
、いとこ広場j、f柴田牧場J、「カントリーファーム佐藤園Jも取り上 げ、それらの活動や役割について私見を交え考察する(高安担当)。第4節では、さくら咲 く学校の運営者とテナントに対Lておこなったインタピ ュー調査の結果から双方の意識を 比較し、この先さくら咲く学校が地域おこしを進めるために何が必要なのか考える(召田 担当)。第5節では、掛川市役所が原泉の地域おこしにどのように関わっているのかを、地 域振興課と高齢者支援課の取り組みから、主に生涯学習に着目して考察していく(山東担 当)。2
さくら咲く学校に関わる運営者と地域住民の声2.1 原泉地域とさくら咲く学校
現在、地域おこしの一環として、地域外の人々とも交流することができる機能を持たせ た f交流型施設原泉地域立森の都さくら咲く学校J(以下さくら咲く学校)が、原泉地域に おいて注目されている。原泉地域は掛川市の最北部に位置し、 5つの地区が南北に細長く連 なっており、豊かな自然を有している。少子高齢化に加え、過疎も進行しているが、温泉 施設やキャンプ場の開設により、地域外からの来訪者が増加している。
小論の目的は、以下のとおりである。
1 )
原泉地域に含まれる5
つの地区の概要を記し、2)さらに地域の拠点となった原泉小学校の変遷を整理する。
そして、 3)
r
さくら咲く学校」という形での廃校再利用について、現地の人々はどのよ うに捉えているのか、4 )
そうした声は、今後、さくら咲く学校の活用を考えた上で、どの ような意義を持っているのかについて考察することにある。2.2 原泉地域の各地区
原泉地域は原野谷川に沿って、南から大和田、苧丹、萩問、居尻、泉という 5つの地区 に分けられる。 5つの地区は異なる歴史的経緯を持ち、社会的な独立性が高い。それを説明 するためにまずは各地区の組について述べたい。なぜなら、各地区内の行事、とりわけ冠 婚葬祭の場合は、組単位で実行しているからである。『日本民俗大辞典~ (上巻)によれば、
組とは日本の村落における最小の地縁的な機能集団で、あり、個人および家を単位にした結 合で、居住の近接性によって結びつく家々の結合・連合組織を指し、村仕事・共同祭配・行 政上の伝達で重要な機能を果たす組織である(福田他編 1999:539)。
表1は、原泉地域の各地区における組の数を示したものである。次項では、 5つの地区の 現在までの組の変遷を中心にまとめる。また、少子高齢化が各地区にどのような影響を与
えているかについても述べたい。
- 10 -
表1 原泉各地区の戸数・組数 (2013年6月現在)
戸数 組数
大和田 43 4
字丹(平石+丹間) 23 2
萩間 31 3
居尻 44 5
泉 29 3
出典:聞き取り調査をもとに柳作成
写真1 原泉地域(柳撮影)
2.2.1 大和田
現在、大和田地区には43戸の家があり、 4つの組に分けられ、 1組、 2組、 3組、 5組と 呼ばれている。 f4Jは縁起が悪いので、従来の4組の人たちの要望により 2003(平成15) 年以降、 5組に改名された。 2003(平成15)年以前からの 1組と 2組が①組、 3組が②組、
4組が③組となり、 5組はそのまま残った。大和田の組はかつて 3組だったが、のちに 5 組に増えた。さらに、その後は減少して4組となり、 2013(平成25)年現在に至っている。
過去の組分けは、地理的な要素が重視されていた。 f当時、川の周辺に住んで、いる人々は、
より生活しやすくするため、共同で活動することにした。こうして組が組織された」と中 山良夫氏(男性、 78歳、大和田地区出身)は語った。引っ越しした場合には、新居が所在 する組に移った。たとえば、1組から3組のエリアに移住した場合、1組の回覧板は回らず、
3組の回覧板が回るようになる。この点は、あとで述べる萩間の状況とは異なっている。ま た、大和田では、橋が 2っかかっており、その橋を境界線として 3つの組に分かれている。
大雨などで橋が流れて分断されてしまうことから、昔からそれぞれの組同士はあまり交流 がなかった。このことから、組ごとに会合の回数や会費が異なり、活動も異なっていた。
大和田地区において、組の役害割JIがカ1かなり強かつた時期は 1960(昭和35ω)年から 1961(昭 和36ω)年頃まで、で、あつたという弘。近隣住民で
1960年頃は高度経済成長期の中盤にあたるO 高度経済成長期とは、第二次世界大戦後の 1950年代半ばから 1970年代初頭にかけて、日本経済が飛躍的に成長を遂げた時期のこと である。農業を主とする第一次産業から工業化への転換を遂げた一方で、都市部への人口 流入により農村地域の過疎化が進み、相互扶助の弱化、近隣関係の希薄化のような変化が 生じた(長谷川 1997)。大和田地区でも、農業の衰退、若者の流失、高齢者人口の増加な どが顕著であった。そうしたことから、社会組織にも変化が生じ、組の役割が弱くなった のではなし、かと考えられる。
そうした変化を経た原泉について、先述の中山氏は「昔と同じように、小さい地域はひ とつにならなければならなしリと語った。現在のところ、組では懇親会などを主催してい る。大和田地区では地区外に出る人が多いことから、組では、従来の生活面における助け 合い(相互扶助)の面が薄れ、行政の末端組織という性格が強くなっている。
2.2.2 苧丹
苧丹は、もとは平石と丹間という 2つの地区だったが、人口減少のため合併し、ひとつ の地区になった。現苧丹区区長の木下氏(男性、 69歳、丹問地区出身)によれば、平丹の 一部である丹間は、原泉地域の中でもっとも面積が大きいが、家は 11戸しかないという。
昔の丹間には 3つの組があり、当時は組に属した各家の長男長女たちが、弟や妹の面倒を みた。たとえば、川遊びのときには年長の子どもが幼い子どもを見守るなどしていた。域 にある危険な場所やそれにまつわる言い伝えなども年長の子どもから幼い子どもへ伝承し た。また、大人も隣の家同士で助け合いながら、広い田畑で農作業をすることもあった。
毎年の回植えをするときには、3日から5日ほど、学校を休んで田仕事をする「田植え休みJ の期間もあった。かつての 3つの組のうち、最も山に近い第 3組は「奥丹間Jで、第2組 は「中丹間Jで、最も町に近い第 1組は「口丹間」と呼ばれていた。農作業が終わると、
ご苦労様の意味をこめて赤飯を炊いた。しかし、若者が都市部に出ていくようになり、高 齢化と人口減少で、現在の丹聞には l組しか存在しない。また、苧石と丹聞は、合併後も あまり積極的な交流がないという。
2.2.3 萩間
萩間は、原泉地域の中央部に位置する。萩聞にはかつて 5つの組があったが、 2010(平 成 22)年に 3組になった。 5組だった頃は、宴会など組同士の交流があったが、合併して 3
組になってからは、各組の独立性が高くなった。
各組は地理的な区分によって、分けられている。引ぅ越しをしても引っ越し先の組に属 するわけではなく、元の組に属したままで、元の組の回覧板をそのまま回している。距離 が遠いこともあるので、回覧板を回すこと自体が大変である。
萩聞では地区全体で畑での草むしりをするが、細かい仕事はそれぞ、れの組で、行っている。
元から萩聞に住んでいたのではなく、後によそから転居してきた人たちも、草むしり等の 組の活動に参加する。つまり、萩間における組の規模は行事によって変化する。
2.2.4 居尻
居尻は5組に分かれている。他の 4つの地区は以前に比べて組数が減ったが、居尻は現 在が最も組数が多い。この地区では歴史的にさまざまな形で組分けがされてきた。戦争前 の分け方は、「格分けjであり、裕福な人とそうでない人で組分けがされていた。そのため、
各組に属する土地や家は、地区内に点在していた。当時の組は南からピンボウ(貧乏)組、
ナカグミ(中)組、オダイ組となっていた。また、庚申信仰により組が分けられることも あったら
戦時中には隣組制度となり、人数で組を決めるようになった。一組の規模はおよそ 10戸 から 13 戸であった。『日本民俗大辞典~ (下巻)によれば、隣組とは、日中戦争を契機とし た戦時体制のもとで、地域における最末端の近隣組織として設けられた団体のことをさす としづ。 1940(昭和15)年の内務省訓令によって、全国で整備された。戦後、隣組は、法 制度上では解散させられたが、生活上の互助のために近隣組織として事実上存続していた 場合が多く、現在でち多くが自治会・町内会の班となっている(福田他編 1999:223)。
現在の居尻では南から北へ 1組から 5組とされている。これらの組の他には、親戚同士 による「地組Jも存在し、冠婚葬祭はこれを単位におこなっている。
居尻地区の住民の話によると、普段から仲がいいのは1組から5組までの各組であるが、
伝統行事を一緒におこなうのは地組であるという。
2.2.5 泉(黒俣)
泉と黒俣は同じ地域をさす名である。地区名は泉であるが、住所上は黒俣と表記する。
地元の人は、地区内を流れる川の水が締麗であることと、「黒俣Jという名のイメージがあ まり良くないことから、地区名を「泉Jに変更した。それ以来、郵便物の宛先に「泉Jと 書いても届くほど、その名は普及した。しかし、 2007(平成 19)年 10月に郵政民営化に なってからは、住所上の正式表記ではないこどから、「泉Jと書くと郵便物が届かないこと
l庚申信仰とは、 60日に1固めぐってくる'度前の日をめぐる信仰をさす。庚申信仰の行事は通常、集団で おこなわれ、そうした集団のことを庚申講などと呼ぶ(福田他編 1999:595)。
剛
1 2
酬もあるそうである。
泉地区には3つの組があり、川や道で分けられている。 J1を隔てて、西側は 1組であり、1 北側に延びた道の西側は 2組、東側は 3組である。地区内で引っ越した場合、行事などは 元の組で参加するが、回覧板は新しい組で回る。つまり、新しいエリアに移住してから、
冠婚葬祭のような行事は依然として前の組で参加するが、それ以外の情報は共有されない。
この点は、大和田と同じであるが、萩間とは異なっている。泉地区の組分けは、次のよう である。もとはヒナタ(ヒナタ)地区ヒカゲ(日陰)地区という 2つの区分があった。ま た、泉(黒俣)には、外から流れて来た落人が 6人ほどいた。その人たちも、この地区で 長い間暮らしてきたため、一つの組を成すようになった。このような血縁的、あるいは系 譜的な関係にもとづいての組は、地組として区分された。このような地組で、冠婚葬祭を おこなっている。
水島
( 1 9 9 6 )
によれば、1 9 4 0
(昭和1 5 )
年9
月以降、全国レベルで、町内会、部落会、隣 組(隣保班)の整備確立が急速に進んできた。たとえば、当時の東京市の「町会整備運動」でも、一丁目ごとに一町会を作るとともに、「向こう三軒両隣jで、隣組をつくることに重点 が置かれた。
1 9 4 3
(昭和1 8 )
年までに町内会は6
万5
千、地方の部落会は1 4
万5
千、隣 組は1 2 0
万に達したのである。泉の隣組の確立もほぼ同じ時期の1 9 4 3
(昭和4 3 )
年から であった。それ以降、 1組、 2組といった分け方になり、その後、現在の川や道での区分と なった。泉地区では冠婚葬祭は血縁関係のある組がそれぞれおこなっている。たとえば、葬式を 準備する葬具は同組の人々が集まり製作し、他の組の援助を得ることはない。また、この 地区では以前から庚申講がおこなわれてきた。昔の村落には、地縁と血縁とは異なり、個 人を基点にしている「講Jという集団組織がある。講とは、ある目的を達成するために集
う人々の集団で、宗教的講、経済的講、社会的講の
3
つに大別される(湯川他2 0 0 8 :1 7 0 ‑ 1 7 1 )
。 大和田や泉は、庚申講と呼ばれる組織が機能している。『日本民俗大事典j] (上巻)によれ ば、庚申講とは、庚申信仰の信者たちが結成している講集団、および信仰行事で、村や組 単位で組織されることが多いという(福田他編1 9 9 9 :5 9 4 )
。しかし、今日の泉地区の講は 宴会が主で、形式的になっている。一方で、先述した大和田と苧石ではまだ庚申講が実質 的におこなわれている。以上述べたように、各地区における組のあり方は異なっている。それぞれ実施している 行事や主催する活動もさまざまである。こうした点から、各地区は独自の社会組織をもち、
それぞれ独立性が高いといえる。
2 . 3 r原泉」に至るまでー旧原泉小学校から見る
原泉地域においては、学校は地域住民の集まる場所として重要であり、血縁、地縁を越 えた人々の寄り所である、という声が聞かれた。原泉地域の中心に位置する旧原泉小学校 (現さくら咲く学校)は、
2 0 1 0
(平成2 2 )
年に廃校になる以前から地域活動の拠点で、あっ- 14 -
た。原泉地域において、「私たちは原泉の人だ」とし、う認識は、旧掛川市立原泉小学校の沿 革から見えてくると考えられる。「私たち」意識がどのように形成されてきたのかを明らか にしたい。そのため、まず旧原泉小学校の沿革について説明していく。次に、前文で述べ たように、独立性が高い 5つの地区が小学校を介して、どのようにつながっているのかに ついて明らかにする。
写真
2
旧原泉小学校(現 さくら咲く学校) (柳撮影)2.3.1 旧原泉小学校の沿革
1967 (昭和42)年4月1日、旧原泉小学校は開校した20 1963 (昭和38)年、掛川市に より、「教育の現況と基本構想、を発表し、複式学校及び危険校舎の解消を目的として更に学 校規模を適正化の面から両校の統合も計画その推進にあたるJという方針のもとで、!日原 泉小学校の統合事業がはじまった。それから、 2010(平成11)年の旧原泉小学校廃校に至 るまで、いく度かの分離と統合を繰り返してきた。ここでは、原泉地域の学校制度に大き な影響を与えた時期をとりあげ説明する。
1873 (明治6)年、静岡県小笠郡倉真村に倉真学校が開校した。その5年後の 1878(明 治 11)年、現原泉地域に倉真学校大和田支校と同黒俣支校ができた。前者は町に最も近い 地区であり、後者は遠い地区であった。 1881(明治14)年には、黒俣(泉)支校が居尻学 校と黒俣(泉)学校に分かれた。また、大和田支校は大和国学校と萩間学校になった。そ
2 学校の沿革については『掛川市誌~ (1966)の記述に基づいている。また、 『学校統合関係綴原泉小学 校~ (1968)を参照した。
の時点で、大和田、萩問、居尻、黒俣(泉)はそれぞれ小学校を持つようになった。
1 9 4 5
(昭和2 0 )
年、大和田学校と萩間学校は原泉村立苧石尋常小学校になった。1 9 6 0
(昭和3 5 )
年、居尻と黒俣(泉)の二校が再び合併し、原泉村大尾本尋常小学校となり、居尻地区と黒俣地区の生徒はここに通うようになった。また、同年には、大和田、苧石、
丹問、萩間の4地区の学校が合併し、原泉村立原泉尋常小学校となった。
1 9 6 0
(昭和3 5 )
年、原泉村立大麓尋常小学校は掛川市立三笠北小学校に、原泉村大尾本 尋常小学校は掛川市立原泉小学校にそれぞれ改称した。1 9 6 7
(昭和4 2 )
年に、この2
つの 小学校は統合され、掛川市立原泉小学校になった。さらに同年、原泉村の 6つの地区はひ とつの行政区域となり、「原泉地区」となった。このような学校制度の変遷の過程において、原泉の人としての「私たち」認識が生まれてきたといえよう。
2 . 3 . 2
学区問題について小学校の沿革からは、地区を越えてひとつの地域になる過程が見てとれる。一方で、地 元の人たちの話によれば、かつて、各地区の間には進学率をめぐって、「隣に負けたくない 気持ち」が強かったという。そのために、地区間の交流は更に少なくなった。長い間、南 の大和田、苧石、丹間の 3地区と北の萩問、居尻、黒俣、炭焼の 4地区はそれぞれ一つの 学区であった。しかし、南に比べて、北の学区は町から離れているため、教育環境を充実 させるのが難しく、外部と交流する機会も少なかった。また、進学率が上がった地区は教 育環境の再充実が可能となる。そうしたことから、各地区では子どもたちの進学率をめぐ って、お互いに競争意識が高かった。地元の人の話によると、「ただ隣に負けたくない気持 ちが強かった」のだという。
元掛川市教育委員である中山ふみえ氏(女性、
7 7
歳、大和田に婚入)の話によると、原 泉地域の「奥J(地元の人の言い方で町から離れた地区をさす)にいる人々は、より裕福な 生活ができ、子どももより良い教育が受けられる町に出ようとする傾向があるとしづ。「人 間はそういうもんだjと語った。そのため、「都市の学校j、「山間の学校Jという認識が強 くなり、通い先が決められていることに不満を持つ人が増えていった。たとえば、原泉地 域でももっとも南に位置する大和田から掛川市街の掛川駅までの距離はおよそ12km
であ るが、もっとも北の泉(黒俣)からの距離は約18km
である。また、さくら咲く学校、す なわち旧原泉小学校がある萩閉までの距離も、大和田からは3.1km
であるが、泉からは5 . 8 k m
も離れている。通学において、相当な距離の差があるといえるだろう。原泉地域において小学校がひとつになれば生徒数は増加し、教育環境も改善できるとい う意見もある。しかし、統計をとったとニろ、賛成するのは萩問地区の周辺に住んでいる 人が主で、あった。「通うのが便利だから、文句は出なしリという。一方、反対の意見を出す 人々は、萩聞から遠い地区に住んでいる人々で、あった。「パス代がかかるし、通学路の安全 も不安である。子ども同士の交流が広くできる一方、いじめられる恐れもあるかもしれな しリという理由で、あった。
以上のような経緯により、原泉地域では、各地区の人々の聞に距離感がある。また、地 理的な距離も遠いため、行政的にひとつにしようとしても、積極的な交流につながりにく いと考えられる。
2 . 3 . 3 r
私たち』の悩み原泉地域の 5つの地区に共通している'悩みは主に二つある。一つ目は、若者の外部へ流 出する傾向が強く、高齢化により農業や相互扶助が難しくなっているということである。
二つ目は、情報交換のやり方を検討しなければならない点である。若者の流失は、地域の 活気がなくなることにつながる。また、地域に対する愛着がなくなってゆくことも考えら れる。各地区は独立性が強し、が、地区内の組は、かつては家族のようなとても密接な社会 関係で、あった。若者の流失により、組の付き合いは弱くなっている。
表
2
掛川市原泉地域の世帯数・5
歳階級別人口(外国人を含む)( 2 0 1 2
年3
月3 1
日)行 政 区 大和田 萩 間 居 尻 泉 苧 丹 原 泉 地 区
世 帯 数 47 38 47 32 28 192
人口総数 145 102 132 103 96 578
男 64!1 女 66 男 オ 女42 男 」65 女 男 │ 女 男 女 男 女
20歳以上 60 36 49 421 41
三 金 支
81 6
i~I.- ‑ } i
~_.---i~
出典:掛川市公式ホームページ掲載 f平成24年度版掛川市統計書J
表2で示したデータによると、原泉地域における 65歳以上の人数は総人口の約 35%を 占めており、高齢化は著しく進んでいることがわかる。少子化も進んでいるため、子ども の数も少ない。中山氏は「今の状態のまま、組が減るわけであるJと語った。それと同時 に、体が不自由になっていく高齢者が増加するため、相互扶助が難しくなる。このような 現状で、より良い生活を送るため、お互いに支えるのは行政ではなく、地元を出た若者に 声をかけて、地元(集落を単位として)でやりましようという地元のお年寄りからの声が
ー
1 6‑
少なくない。
以上述べたように、かつて、点在していた5つの地区がひとつになることが成功すれば、
生活面と行政面のいずれにも利点が生じる。しかし、これまで、行政的にひとつになった 原泉地域は、政策や計画は地域全員の理解を得るのが難しい。なぜならば、情報交換のや
り方が効果的ではなし、からである。
かつて、市からの知らせは回覧板などによって地底や組に周知された。現在、多くの場 合はインターネットにより情報発信される。いうまでもなく、インターネットの利点は速 く情報量も多い。しかしながら、原泉地区は高齢者が多くいるためインターネットはなか なか普及しない。そのため、情報を地区住民に届けるのが逆に不便になった。原泉地域で は、情報は外部の人にだけ届いて、地元の人には届かないと考える人も多いようである。
2.4 く地域立〉さくら咲く学校への期待
かつて、地域の中心であった旧原泉小学校で、は、人々がさまぎまなイベントに参加し、
互いに交流することができた。しかし、2010(平成22)年に小学校が廃校になったことで、
原泉地域としての象徴がなくなってしまった。そこで地区全員の合意を得て、地域住民の よりどころである原泉小学校の役割を引き継ぎ、地域外の人々とも交流することができる 機能を持たせた「交流型施設原泉地域立森の都さくら咲く学校J(以下さくら咲く学校)と
して再出発することが決まった(静岡県商工振興課 2012)。
さくら咲く学校の再利用についてだが、それを述べるためには生涯学習に関する概説が 必要である。日本の生涯学習推進体制の整備のための取り組みとして、 1988(昭和63)年、 文部省に生涯学習局を設置した。そして 1990(平成2)年6月には「生涯学習振興法Jが 制定され、各自治体でも生涯教育(生涯学習)が、今後の大きな課題になるとして取り組 みがはじまった。 2004(平成16)年6月まで、すべての都道府県において、生涯学習の振 興を所管する部局が設置され、同様に、行政及び関連する機関・団体が連携・協力をおこ
なうための組織である生涯学習推進会議等も設置されている(井上 2006)。
掛)11市の生涯学習とは、一生涯を通じて、学習をしつつ、学んだことを人づくり・まち づくりにし1かそうとするものである。掛川市民と掛川市は総意として、生涯学習を通じて より充実した人生を送ること、より住みやすいまちを創ることを明らかにするために、生 涯学習3都市宣言をおこなった(掛川市 2000)。それはさくら咲く学校の再出発が決まった 重要な背景である。 2010(平成22)年10月に、さくら咲く学校の敷地内に、原泉地域生涯学 習センターが設立された。これにより、学校と生涯学習センターが結びついて、互いに施 設の利用が可能となった。その後、さくら咲く学校は、ボランティアの人々を中心に、地 元の人々とも協力して、地域の中心となるべく活動をおこなっている。
さくら咲く学校を扱う本節ではまず、!日原泉小学校の廃校に対する地元の人々の思いに
1生涯学習については、第5節で詳しく説明する。
ついて述べてから、廃校利用の具体的な内容について説明する。また、主に地域住民とさ くら咲く学校の運営者に焦点を当てて、両者はどのようにさくら咲く学校と関わっている か、両者の間でどのような差が生じているかについて、聞き取り調査の資料から明らかに
したい
2.4.1 廃校に対する思い
旧原泉小学校が廃校となる2年前の2008(平成20)年に、地域全員に向けてのアンケー ト調査が実施された。多くの住民は生徒数の減少を残念と感じながら、廃校の決定に賛成 した。 2002(平成14)年の卒業生である鈴木氏(女性、 22歳)は「母校がなくなると、寂 しいなあ」と語った。また、廃校後の利用についても、不安の声がきかれたという。多く のお年寄りが、「夢を持つ子どもを育てる場所がなくなったj、「地域のぬくもり(愛を込め る場所)としての小学校がないと、地域が衰退してし、く恐れがあるJといった不安を語っ たという。
2.4.2 く地域立〉さくら咲く学校
さくら咲く学校の理事長である鈴木信夫氏(男性、 50代)によれば;く地域立>という のは、地域住民の合意を得た上で運営するという意味であるという。学校の運営者は、で きる限り地域全員が参加してほしいという原品、を持ちながら、努力している。
「コミュニテイビ、ジネス事例集jによれば、さくら咲く学校のコンセプトは、暮らす、
訪れる、営む 3類型での活用を念頭に、地域に暮らす人々には集い合うコミュニティ施設 として、原泉地域を訪れる人々には滞在・宿泊や学び・体験・交流をおこなう施設として、
また原泉地域で事業を営んで各種の活動をおこなう人々には、その活動の場所を提供する 施設として利用するというものである。建物などは掛川市から無償貸与を受け、「原泉地域 立森の都さくら咲く学校管理運営組合Jを設立し、運営していくこととした。具体的な事 業内容は、 1年毎の契約による空き教室のテナント貸し、地域イベントの開催、グラウンド・
体育館などの時間貸しである(静岡県商工振興課 2012)。
これまでさくら咲く学校でおとなったイベントは夏祭り、観影会、「暮らしごと市Jなど で、学校の体育館を使う人も多くおり、学校の機能を十分に活用している。なかでも、 2011
(平成23)年10月に開催した「暮らLごと市」には、僅か2日間で1,500人が来場した。
来場者の多くは原泉地域外から来た人であった。
2.4.2.1 運営側の声
さくら咲く学校の理事長である鈴木信夫氏によれば、学校では、テナントを呼び込み、
原泉地域の「癒し」の魅力を外部に発信するべく、イベントを実施しているという。たと えば、旧原泉小学校の「愛校の日Jは「地域の日jに変更し、イベントを積極的におとな っている。毎年 8月末日には、地域住民ほぼ全員が集まり、学校を大掃除し、周辺の稲刈
ー
1 8‑
りをする。また、学校にある「桜のサロン」は原泉地域内唯一の高齢者福祉施設で、地域 の高齢者たちを対象に福祉サービスを提供している。鈴木氏によれば、これまで、さくら 咲く学校の運営について、「不満は出なしリとしづ。しかし、イベント参加者や学校の利用 者の多くは地元の人ではなく、地域外から来た人だという現状がある。
さくら咲く学校の設立から 3年を経た現在、鈴木氏らは模索しながら、学校を運営して いる。その問、さまざまな問題も生じている。まずは、運営金の問題である。市からの援 助金は初年度限りで、 2010(平成 22)年 10月から受給したトヨタ財団の助成金4も2013 年(平成 25) 3月で終了した。テナントの呼び込みはすでにいくつかの庖舗が入っている
ことから成果が出ているといえるが、それを維持費する資金が充実していなし、。さくら咲 く学校は、昼間は仕事をして、夜に学校に来るボランティアの人々によって運営されてい る。「時間的には余裕がなしリため、これまで以上に盛んな活動をしていくことは難しい。
そのため、「外から来た人は歓迎するjという考えを持って、外部の人をどのように原泉に 招き、この地域に対する愛着を増やすのかを課題として、さくら咲く学校を活用しようと するのが運営者の考えた、と思われる。
2.4.2.2 地元の声
地域住民の利用が叫ばれているものの、現在、さくら咲く学校を利用する地元の人はあ まり多くないという。原泉地区区長会長の柴田周吉氏(男性、 65歳)は、さくら咲く学校 は地域にとって「大きな存在jであるため、地元の人と運営側が分かり合えるようにして ほしいという。また、開始から 3年が経ったさくら咲く学校の運営は、転機を迎えている
とも語る。
小学校は地域の人の寄り所である。子どもたちのため、地区を越え、集まって、楽しい 時間を過ごす場所となるのがさくら咲く学校の役割である。地元の若者がボランティアと して、さくら咲く学校のあり方を検討しながら、運営しているという努力を、お年寄り(地 元の人)も認めている。一方、運営側の若者達は、維持費(運営費)を稼ぐため、積極的 にテナントを呼び込み、これにより地域外から来る人の数が増加してきた。柴田氏によれ ば、若い人は、外部の人の参加を重視しているそうである。テナントなど、外向けに呼び かけることで、さくら咲く学校を地域外に伝えようとしている。一方、地元の人はさくら 咲く学校に行く意欲が段々減ってしまった。柴田氏によれば、「あそこのものは、私たちは 興味ないなあjと話す地元の人は少なくないという。
現在、直面している問題とは、運営側と地元の人が意見交換や交流をおこなう機会が少 ないということであり、これを増やすじはr(学校に)顔を出すのが大事だ」と柴田氏は語 っていた。写真や説明会よりも確実であるのは、現場にいって自分の目で確認することで
.,トヨタ財団は、 1974(昭和49)年の設立以来、 f人間のより一層の幸せを目指し、将来の福祉社会の発 展に資する J ことを目的に、生活・自然環境、社会福祉、教育・文化等に関する研究ならびに事業に対し てさまざまな助成を行っている(トヨタ財団2010)。
あると思われる。これから、さくら咲く学校を活用するためには、まず、地域住民と運営 側がしっかりと意見交換できる場を作らなければならないと柴田氏は考えている。
2 . 5
小括原泉地域は 5つの地区で構成され、近年ひと勺の行政区域になった。実際に調査をして みると、各地区は組の分け方や行事のおこない方などにおいて異なっており、それぞれ独 立性を保っていることがわかった。このような独立した
5
つの地区を一つにするため、原 泉地域では、さまざまな工夫がなされていた。過去、原泉小学校は地域の拠点として機能していたが、そのような存在がなくなること で、地域全体が衰退してし、く恐れがあった。ひとつになった原泉地域を守るため、掛川市 生涯学習の理念を持ちながら、「地域立さくら咲く学校Jが誕生した。現在、さくら咲く学 校は「地域の寄り所Jとしづ役割を持った交流施設と位置づけられている。今後、さくら 咲く学校は、原泉における地域おこしの一環として期待されている。しかしながら、さく ら咲く学校のような廃校再利用事業は前例がないため、これに関わる人々の模索が続いて いる。運営開始から 3年目を数える現在、解消しなければならないのは資金面の問題では なく、運営側にいる人々と地元の人の間の認識の違いである。
そのうちのひとつは、地元の人、とりわけ多くのお年寄りにとっては、「目に見えるもの がほししリということである。テナントの運営は地元の人とは関係がないし、地元の人は それらについて興味がない。また、地域の人ではないという認識もある。そのため、地元 の人はさくら咲く学校に来る意欲をあまり持っていない。ふたつ目は、さくら咲く学校の 運営者に対する「信頼が昔より弱くなったJと地元の人々が感じている点である。それは、
学校の情報が地元の人にうまく届けられていないため、両者の信頼関係が希薄になってい るという意味である。地元の人々が「この学校はなにをやって川るのはわからんなあJと 言吾った理由は、 2.3.3で取り上げた情報交換のやり方が変わったためである。つまり年輩の 方が上手に情報端末を使えないという点があげられる。
現在、さくら咲く学校は「小学校とはいえなしリと思っている地元の人が少なくない。
小学校は、子どもの幸せをつくるところであり、地域の人が集まる場所だからだという。
地元の人は自分の生きる場所を守るため、外へ出た若者を引き戻すため、地域のシンボル として、さくら咲く学校を開校させることを決定した。地縁を越えて、 fみんな一緒にやろ う」という思いを地域全員が持っている。さくら咲く学校に対する期待としては、外の交 流より、まず各地区間の人々の交流が求められている。そのためには地元の人と運営者の 間で、よりスムーズに交流できる場を作る必要があるのではないだろうか。
‑20‑
3
原泉における地域おこしの主体3 . 1
地域おこしの必要性日本では高齢化や地方の過疎化が社会問題となっているが、原泉のような人口が少なく 都会から離れた地域においてそれは深刻である。
2 0 1 3
(平成2 5 )
年9
月において原泉地域には
1 8 6
の世帯があり、5 5 8
人が暮らしているが、同じ掛川市である隣の西郷地区のそれ が2 0 7 6
世帯、5 9 2 4
人である(掛川市2 0 0 0 )
ことと比べると原泉地区の過疎化の深刻さが うかがえる。また、掛川市全体において、6 0
歳以上の方の人口は3 5
,3 2 9
人であり、これは 全体の人口の約30%
にあたる。掛川市全体で人口の高齢化が進んでいることも事実である。しかし、地域の高齢化というのはつまり長寿化である。これは人々の長生き願望が実現さ れたものであり、これ自体は社会の長所であるともいえる。話を聞いてみれば、多くの高 齢者は今住んでいる原泉という場所に概ね満足し、そこでの永住を希望している。住み慣 れた土地を今さら離れたくないという高齢者の気持ちは、その地域の生活関連施設や医療 サービスなどが少なからず機能しているということだろう(大西他編
2 0 1 1 :4 )
。だが、そ のまま高齢化が進行すれば、さらに世帯が減ることは避けられない。地域の将来を展望す るならば、状況を変えるために動き出さなくてはならない。そのためには、どのような地 域おこしが必要とされているのだろうか。以上の問題意識から私は、原泉の地域おこしにおいてどのような主体が存在し、それぞ れがどのような取り組みや役割をしているのかについて明らかにし、この問題について考 えていきたいと思う。本稿では、市民団体であり、自主的な取り組みをおこなっている九、
いとこ広場」、酪農家であり、「しばちゃんち」として地元で知られる柴田牧場、観光農園 として農家を営むカントリーファーム佐藤園、新しい廃校利用の姿として注目されるさく ら咲く学校について取り上げ、それぞれの活動や役割を述べた上で私の考察や意見を述べ る。
3 . 2
いいとこ広場3 . 2 . 1
清掃活動としてのはじまりと現在原泉の大和田地区を流れる川のほとりにあるいいとこ広場は、もとは雑草が生い茂る荒 地であり、地域の人が粗大ゴミや使わなくなった農具や機械を放置していたという。その 土地を釣り人のために整備したのがいいとこ広場のはじまりである。
はじめに見た印象は自然豊かな公園という感じで、この土地の良いところを十分に生か した利用の仕方だと感じた。大きな木に名札がかかっているので、品種などの紹介かと思 ったら、「愛着がわくように木に名前をつけたんだJということで本当に「名札」であった。
木の幹の上部には野鳥のためのかわいらしい巣箱があるが、なかなか野鳥が活用してくれ ないとのことであった。
5
月にはこいのぼりが2 0 0
匹ほど上がり、6
月はホタル祭り、7
月- 22 -
はアユなど魚の掴み取り、秋には栗、山芋、野菜、猪肉など旬の味覚のバーベキュー、 12 月はエノキの木などを利用してクリスマスイルミネーションなど、季節ごとにイベントを 実施している。私がいいとこ広場を訪ねた時期はちょうどホタルの季節であり、たくさん のホタルが川べりから見られ、とても幻想的な風景を楽しむことができた。
写真3 いいとこ広場(高安撮影)
3.2.2 活動目的とその内容、成果
いいとこ広場を運営するのは旬、いとこ広場の会」としづ組織で、会員は 15名である。
いいとこ広場の会の事務局長である中山良夫氏(男性、 70代、大和問地区在住)によると、
いいとこ広場は、自然をし、かしたアウトドアとしてのレジャー施設や、地域の憩いの場、
子どもが集まる公園というような場所を目指しているという。退職して時聞ができた方々 が活動のサポートをすることが多いそうである。近年、アウトドアの流行もあり、いいと こ広場もこれにうまく乗りたいという話であった。河川の清掃や整備、雑草取りをはじめ とする手入れ、土地の緑化活動、地域の祭りや秋のバーベキューなどのさまざまなイベン
トの企画が主な活動内容である。
現在、いいとこ広場全体において芝生を育てる取り組みがある。点々と士を敷き芝生を 植えることで時間をかけて芝生を広げ、数年後には全面的に芝生にすることを目指してい るという。芝生を広げて、一部をゴルフ場などに利用する計画もある。また、山の湧水を 池のような大きな水槽にひいて、その中に地元の魚、を入れて展示している。今の時期はア ユの稚魚が飼育されていた。水槽で、そのまま飼育していると鳥などの天敵に魚が襲われて しまうということで、防護のためのネットをかけるようにしたという。 6月に見られるホタ ルのエサとなるカワニナという小さな虫も、この湧水で育てている。本当なら水槽ではな く人工の小川を作りたいのだが、資金と手間の関係で実現していなし、。その他にコイの飼
育もしているが、コイは他の魚などを食べてしまい、生態系を壊してしまうことから川に 放すことはできないそうだ。
いいとこ広場がはじまって以来、おこなわれている河川美化活動は、「リバーフレンドj
と呼ばれ、イベントのような感覚で実施されている。 5周年を迎えたときは多くの人々が参 加した。近所の西郷小学校などから来る人数の多いボーイスカウトの野外活動も受け入れ ている。毎年秋におこなわれるバーベキューは、年々来場者が増えている。 2010(平成22) 年は552人、翌年は760人、その翌年は804人にまでのぼっている。これは名簿に記帳し た人の人数であり、実際はもっと多くの人が来場しているという。しかし、内部の運営事 情により、今年のバーベキューは開催できないという話であった。いいとこ広場会長の中 山伊太郎氏(男性、 70代、大和田地区)は、活動の一貫としてシイタケを育て、これを売 って資金の足しにしている。現在、地域の子どもを対象にした小さなプールの建設も進ん でいる。これらの活動を通じて、原泉に住む方と外部から来た方の両方をターゲットとし て、交流人口を増やそうとしているようだ。知名度をあげるため、最近は行政と協力して 広場の広告もおこなっている。静岡科学館「るくる」でプレゼンテーションをおこなった り、掛川の生涯学習センターで展示をおこなったりもした。掛川市もいいとこ広場の活動 を奨励していて、毎年 10万円から 25万円ほどの助成金や、材料支給、実際の工事や作業 などの援助をしている。行政の他に、コミュニティカレッジやコミネットの会などのボラ ンティア団体も、いいとこ広場の活動に対してアドバイスや資料を提供している。
3.2.3 活動における課題と展望
現状、いいとこ広場の活動を一定しておこなっているのは、いいとこ広場の会の事務局 長と会長の 2人だけであり、その他の会員、地域住民はイベント時にのみ活動に参加する という形である。そのため積極的に活動できる人材が必要とされている。また、原泉地域 全体として高齢化が進んでおり、地域組織の後継者に若者が少ないという問題は、いいと
こ広場の活動にもあてはまる。いいとこ広場の会の会員 15名はみな高齢者である。いくら 現時点で成果を出しても、それを後継していかなければ意味がない。会長の中山伊太郎氏 はそろそろ辞める意向もあるらしいが、後任の方はまだ決まっていなし、。組織の引き継ぎ は不可欠だが、現状ではそれができていないし、できる見込みも立っていない。今後は原 泉内部にこだわらず、他の地域からも人材を募集する意向もあるという。
いいとこ広場が今日まで活動を続けてこられたのは、多くの団体の連携による協力のお かげだと中山良夫氏は考えている。さくら咲く学校との統合を考えたこともあったそうだ が、いいとこ広場は会員 15人で運営されているのに対して、さくら咲く学校は地域全体で 運営されている。その全体の同意を得るための過程が単純ではなく、今のところは実現し ていない。しかし、行政側も広場と学校の統合は、地域おこしにおいて好ましい体制であ ると考えているようだ。また、集団と、その活動においてリーダーは必要だが、リーダー がすべてを決めて他の会員がそれにただ、ついていくというスタイルは好ましくない。どの
コミュニティでもいえることだが、肩書きのない多くの人々の意見をし、かに反映できるか、
それを聞くための場を設けるかが成功の鍵となるのだろう、と中山良夫さんは話した。こ れまでの活動では、活動方針を運営側が決め、会長が私費を費やすなど個人的な努力によ り成果を出してきた。これには掛川市も大いに感心し、激励し活動支援のきっかけにもな っている。しかし今後は、より多くの会員、地域住民の方々の意見を取り入れる場を設け、
限られた財源のなかで計画をたてて活動すべきだと事務局長は話す。私費で作られたもの は私有物ということになるが、これはかえって利用者が使いにくい環境になってしまう場 合もある。いいとこ広場をーから作った会長と事務局長の努力は計り知れないものがあり、
結果として今まで活動を続けられたのは、そのスタイルが正しかったことを証明している。
しかし、広場の整備もひと段落っき、組織の過渡期である今、少しずつその方法を変えな ければならないのかもしれない。
3.3 柴田牧場
3.3.1 酪農家と『しばちゃんちj
柴田佳寛氏(男性、 50代、大和田地区在住)が経営する柴田牧場では、父親の代から牛 を飼い、酪農家をしている。田んぼや茶畑、野菜畑も所有しており、いまや数少ない専業 農家である。柴田氏は大学を卒業して以来、 30年間ずっと農場を経営しており、 1996年か ら独自の牛乳工場を始めた。移動販売などはおこなっておらず、!日掛川市内を中心とする 各家庭への牛乳の配達や、ファーマーズマーケットへの出荷をメインに営業している。そ の他、土日祝日限定でソフトクリームなどの販売もおこなっており、この fしばちゃんち のソフトクリームjはマスコミにも取り上げられ、掛川市内にとどまらず有名である。
3.3.2 農家同士、消費者との交流
柴田氏のこだわりとして、「顔の見える農業」という考え方がある。消費者が手に取る商 品が誰によって作られたのかわかることは、農家と消費者の信頼関係において重要である。
「手から手にJ商品をとどける配達のスタイノレは、そのこだわりに基づいているのである。
また、共同組合で農家同士が田んぼの整備や水路の掃除などで顔をあわせてコミュニケー ションをとることは、地域の活性化において重要な意味を持っていると柴田氏は考えてい る。農家の高齢化が進み、耕作地の維持や耕作放棄地などが課題となっているが、農家同 士の交流が深いなら、その管理における共同作業や、受け渡しなどもスムーズであるはず だ。お互いに収穫した農作物を差し入れし合うことも、地域の交流活性化における潤滑剤
となっているようだ。
牧場とさくら咲く学校の聞において、地域おこしに向けた活動の提携などは現在ないが、
学校の運営者と柴田さんは懇意であるようだ。地域おこしに向けた具体的な取り組みをお こなっているわけではないが、数少ない酪農家として、または[しばちゃんちJというブ
‑24
聞ランドとして、自分の存在が地域において大きな役割を担っていることを柴田氏は自覚し ているという。牛乳の酪農家は、旧掛川市のあたりでは 10軒から 15軒、原泉では柴田牧 場だけであり、地域への貢献度は大きいだろう。また、「しばちゃんちJとしてのブランド カは高く、週末には県外からわざわざ訪れる客もいるとのことで、交流人口の増加という 面でも大きく貢献している。牧場を経営するにあたって、規模は大きくないながら雇用の 場にもなっているという。そしてなにより、柴田氏がこれらを地域おこしの一環として自 覚していることが、柴田氏の地域おこしに対する意識の高さを表しているのではなし、かと 私は感じた。今後は掛川市内に販売届舗を作る予定で、柴田牧場の規模と知名度をさらに 大きくしていくつもりだという。
写真
4
柴田牧場の販売所 (高安撮影) 3.4 カントリーファーム佐藤園3.4.1 観光スポットとしての農家
18年前から佐藤夫妻が始めたカントリーファーム佐藤園は、ブドウやキウイを客が収穫 し持って帰ることができる観光農園である。自ら出荷することはなく、作物はすべて客に 直接買ってもらうという珍しいスタイルをとっている。原泉の有名なレジャー施設である ならここキャンプ場の近くに位置しており、原泉の観光スポットのひとつである。佐藤雅 是氏(男性、 50代、居尻地区在住)と、その妻の知嘉子氏(女性、 50代、居尻地区在住) はこの観光農園の他に茶、米を栽培する農家でもあり、佐藤氏で3代目だそうだ。
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写 真
5
カントリーファーム佐藤園でのインタビューの様子(高安撮影)3.4.2 農家から観光農園への変化
佐藤雅是氏は、もともと茶と米をつくる一般的な農家であった。妻の知嘉子さんが嫁い だ30年前は茶農家としても順調で、あったが、次第に経営が難しくなり、何かしらの変化が 必要となった。近くにはならここキャンプ場があり、少しずつ観光客も増えているなか、
これらの観光業と自分たちの農業をうまく結びつけられなし、かと考えた。その結果が、観 光農園への転向だったという。
1 0
年前にはビニールハウスも建てたが、ちょうどこの頃に ならここ温泉が完成し、原泉への観光客が増えていた。これはチャンスだと捉えて看板や パンフレットを作成し宣伝したところ、カントリーファーム佐藤園の客数も順調に増え、現在では作物のすべてが観光客に収穫される状況となっている。もし一般的なブドウ農家 を営もうとしたら、品質などの面では山梨や長野の農家にはかなわないという。そこで「客 が自分でとり、そのまま持って帰ることができるJとしづ付加価値をつけ、観光農家とし て経営を確立したのである。また、農家が直接消費者に売ることで収穫時の人件費も削減 でき、自分たちで収穫・出荷するよりも利益が高くなる。観光農園への変化はあらゆる面 でメリットが大きかったという。
最近では掛川観光協会にも広告を依頼しており、さらなる交流人口の増加を期待してい る。農園の経営で手一杯であるため、地域おこしのための取り組みや企画などは現在おこ なっていないらしい。しかし、知嘉子氏は学校のテナントである「アトリエChiekoJに通 っており、学校とのつながりがある。また、観光農固という存在である以上、それ自体の 目的が観光客を呼ぶことであるため、十分に地域おこしに貢献しているといえると私は考
える。雅是氏は「観光客を受け入れる体制は整ってきているが、新たな住民を受け入れる 体制はまだまだjと話す。原泉には部落ごとに提のようなものが存在し、それが新たな住 民にとって障害となっているらしい。古くからある伝統や慣わしと、新たな時代に向かう ために必要な変化の聞のジレンマは地域おこしにおいても例外ではないようだ。
3 . 5
さくら咲く学校3 . 5 . 1
廃校利用の新しい姿原泉小学校が廃校となり、原泉地域立さくら咲く学校となったが、この「地域立」とい う言葉にこの組織の理念とスタイルが表れている。さくら咲く学校の建物自体は掛川市の ものであるが、廃校利用や運営、学校を中心とするさまざまな企画は地域住民によってお こなわれている。まさに、「学校を残そう」としづ地域の思し、によって実現された結果なの である。空き教室にテナントを入れるという廃校利用の中でも珍しい方法をとり、
NPO
な どとも提携しており、原泉における地域おこしの中心的主体である。その他地元事業、防 災拠点、福祉活動など多くの面で地域の中心となっている。3 . 5 . 2
地域の中tむとしての取り組みさくら咲く学校は、暮らす・営む・訪れるをコンセプトに、地域・行政・民間の三位連 携による交流型事業を展開している。!日原泉小学校の小学校記念館として、学校の歴史の 展示をおこなったり、掛川市図書館の移動図書としての役割も担ったりもしている。現在 では校舎を一般客に宿泊場所として提供する試みもおこなっている。体育館やグラウンド の貸し出しもしており、学生団体の利用も多いとしづ。夏祭りや「暮らしごと市Jなどに 代表される多くのイベントを企画し、地域住民のみならず外部からの交流人口の増加にも 努めている。テナントには高齢者の方に向けたサロンや子どもや大人が学ぶ絵画教室、雑 貨屋などがある。これらを運営していく上で、学校側とテナントの双方に利益が生じるこ とも必要であるが、それは第ーではなく、あくまで原泉に対する地域貢献が活動の念頭に あるようだ。テナント希望を学校側が断った団体もあり、それらはこのような考え方に合 わないと判断されたそうだ。掛川市もその活動の意義を認め協力している他、廃校活用の 新しいモデルとしてトヨタ財団の助成を受けるなど、さくら咲く学校の理念と運営方針と それに基づく取り組みは高く評価されている。
3.6 小括
私は「地域おこしの主体である農家jを訪ねるという意識でインタピ、ューに臨んだ。し かし、柴田さんは[地域おこし云々の前に、うちは生活するために農家をやっているj と 話した。その言葉を聞いて改めて、「農業に生活がかかっているJことを実感した。さくら 咲く学校を中心として住民がさまざまな形で自主的に参加する原泉の地域おこしは、一見
すると理想的な姿にみえるが、住民の方々にとって地域おこし以上に大切なものはたくさ んあるわけであり、その優先順位は必然的に低くならざるを得ないだろう。地域おこしに 積極的ではない住民がいるのも当然かと思う。
誰にも自分の生活があり、人生を自分のために楽しみたいと考える人も多いだろう。だ からこそ、地域おこしにおける活動やイベントに、地域住民の主体性の比重向上が必要だ と私は考える。主役は住民であり、まずは住民である自分たちが楽しむことが大切で、観 光地としての知名度や交流入口の向上などは、その次に考えるべきことなのではないだろ うか。いいとこ広場の活動はよい例だと思う。リバーフレンドもバーベキューもホタノレ鑑 賞も、まずは内部の人が楽しむことを目的として活動している。次の段階として、それを 外部の人に知ってもらうための広報活動や、行政や学校との提携による規模の拡大が挙げ られる。個人的には、さくら咲く学校のテナントで、地域におけるさまざまなイベントを 企画している「みかん企画」といいとこ広場のコラボなどが面白いのではなし、かと感じた。
地域おこしは地域住民の義務ではない。地域住民が楽しめる場を増やすことが地域おこ しに繋がる、というコンセプトが必要とされるのではないだろうか。もちろん、その場を 設定する役として、さくら咲く学校や行政などの運営側は必要である。ここに民間企業な どが介入することには賛否両論あるであろうが、私の意見としては、さらなる人材と資金、
地域おこしに対する地域全体のモチベーション向上などという観点から、賛成である。自 分自身の生活を楽しむことが大切であり、それは自分たちが住む原泉の未来を考えずに生 活するということではなく、むしろそれによって原泉の明るい未来を描くことができるの ではないだろうか。住民ひとりひとりの人生の満足と地域おこしの両立が実現するような 企画や取り組みを、さくら咲く学校や行政といった中心的主体がおこなうことが重要であ
ると私は考える。
4
さくら咲く学校運営者とテナントの声4.1 地域内外の人々の意識の違い
さくら咲く学校に関わる人々のうち、もっとも積極的に活動をおこなっているのは、運 営者とテナントである。運営者は原泉の地域住民であるが、テナントは地域外の人がほと んどだ。そのため、両者の原泉での地域おこしに対する意識には少なからず違いがあると 思われる。実際、地域おこしや中山間地域への移住が進む過程で、地域内外の人々の意識 のズレが認められる事例が全国的にある5。こうしたことから今後、さくら咲く学校の活動 を継続・拡大していくにあったって、この両者の関係が重要になると考え、運営者では 2 名、テナントでは 3名の方にインタピ、ュー調査をおこなった。本節では、それぞれの調査
5たとえば、図司直也氏が山梨県小菅村において地域おこし協力隊の動機と進路展開を調査した図司 (2013) や、埼玉県秩父市におけるIターンの実態と課題を明らかにした木南・高岸 (2012)などがある。
同
28‑
資料をもとに運営者とテナントの意識を比較し、これからさくら咲く学校の活動が発展し ていくために何が必要なのか考察する。
4 . 2
運営者の意識さくら咲く学校の運営者として、理事長である鈴木信夫氏と理事の佐藤忍氏にお話をう かがった。
4 . 2 . 1
余力のないさくら咲く学校運営鈴木信夫氏(男性、5 0
代、黒俣地区在住) 鈴木氏は、さくら咲く学校の理事長をつとめている。鈴木氏がさくら咲く学校の活動に 携わったきっかけは、原泉小学校が廃校になったことだそうだ。それを契機に原泉地域の ために何かできたらと考え、活動をはじめたという。さくら咲く学校が催すイベントは地 域内外の人々に対して開かれるそうだが、あくまで地域住民がメインターゲットだそうだ。利益の追求は二の次で、さくら咲く学校が地域住民の集まる交流の場になればいいと鈴木 氏は語る。むしろ活動の規模を大きくしようにも、さくら咲く学校の運営は本業の仕事と の両立のため、体力的にも時間的にも余裕がないという。さくら咲く学校の運営者はみな 仕事をしていて、空いた時間でボランティア活動として学校の運営をしているからだ。そ のため来訪者を増やすための情報発信にも、現状では手が回らないそうだ。他のボランテ ィア団体や民間企業に協力を依頼することで問題は解消できそうだが、そのことについて 鈴木氏はある問題点を指摘する。さくら咲く学校は、行政の所有物である廃校でありなが ら、地元民がかなり自由に利用できている。そして、テナントの受け入れ条件は緩く、自 由な活動をすることができる。しかし、第三者に運営を委託すれば、その第三者は利潤追 求のため明確な目標をもって運営をはじめないとも限らない。そうなれば、今のさくら咲
く学校の魅力である高い自由度が損なわれてしまう、と鈴木氏は語る。
4 . 2 . 2
専任のいないさくら咲く学校 佐藤忍氏(男性、5 0
代、苧石地区在住)佐藤氏は、さくら咲く学校の運営理事の 1人だ。基本的に回答は鈴木信夫氏と同様で、
利潤を得ることよりも、地域住民の幸福度を高めることを第一目標として掲げているそう だ。地域おこしに関しては、大々的に変革をするのではなく、今の原泉の健全な環境と人々 の暮らしを保持していきたいと佐藤氏は言う。さくら咲く学校は、何かあったときに利用 してもらえればそれで十分だそうだ。佐藤氏はさくら咲く学校に専任の運営者がいないこ とが、強みであり弱みだと語る。専任の運営者を立てることで、どうしてもその人物の発 言力が強くなり、結果として今のような自由な活動が難しくなるだろうと佐藤氏は考えて いる。今後、さくら咲く学校を存続させていくためにも、人材の育成が必要だと佐藤氏は 語った。
運営者の二人の話をまとめると、地域の幸福度を高めることが第一目標で、利潤の追求は 二の次、三の次のようだ。地域おこしは現状の原泉をそのま享に、生活の質、充足感を高